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教育愛の問題 : プラトンのエロス論を中心として

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Academic year: 2021

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(1)Title. 教育愛の問題 : プラトンのエロス論を中心として. Author(s). 福井, 守. Citation. 北海道學藝大學紀要. 第一部, 10(1): 189-201. Issue Date. 1959-07. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/3700. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 第10巻. 第1号. 昭和34年7月. 北海道学芸大学紀要 (第一部). 教. 育. 愛. の. 問. 題. -- プ ラ ト ンの エロ ス論 を 中 心 と して- - 福. 井. 守. 北海道学芸大学岩見沢分校教育学研究室. M[amoru FUKU工: Problems o f Educat iona 1 Love ing around P1ato’ --Center -- s theory on Eros. 序 教育の根本動機を愛に見出すことは古来の教育者, 教育思想家に共通の見解であるが, とりわ. l け, シ ュ プ ラ ソ ガー が 教育 を ” Erziehung ist also der von einer gebender Li ebe zu der See e ” ) と 定義 して い る よ うに 愛 が教 育 作用 の 原 動 力 を な す も の で あ l l des anderen getragene Wi e1 ,. り, 愛なき所に教育作用は行われ難いといってよい. 教師と子供とを結ぶ精神的結合としての愛は 如何なる本質, 如何なる構造を持ったものであろうか, 今, それを シュプラ ソガーの用語法になら って, 教育作用の原動力としての愛を 「教育愛」 と呼ぶならば, 教育愛の構造こそ, 本論の中心問. 題である. 教育作用の本質としての教育愛の構造を考える時, その要素として, エロス, アガペー, プィ リ ) を あげ る こ と が で き る が そ の 対 立的 な 類 型化 と して最 も 代 表的 な も の は, ニ ー ア, カ リタ ス 等2 , ) グ レンの エロ ス と ア ガ ペ ー で あ ろう, 周 知 の よ うに, 彼 の画 期的 な 名 著「ア ガ ペ ー と エ ロ ス3 」 は,. エロスに対 して, キリスト教的な愛アガペーを対立させ, 両者の性質が対称的に異なるものである ことを 明ら か に して い る, ア ガペ ー とエロ ス の対 立 は, ,キ リ ス ト教 的 愛 と, ギ リ シア的 愛 との 対 立. で あ り, 従 っ て, ヘ ブライ ズ ム と ヘ レニ ズ ム と の 対 立 で ある と い えよ う. 古代 ギリ シア に お い て 支. 配していたものは, 個人の幸福の観念で, どのようにして個人が幸福に達するかがギリシア人によ って提示された問題であったが, キリスト教においては, この点に革命的変化を起させた, すな わち, 幸福の問題, 従って善の問題は,.個人の観点からは取りあげられず, 人間が神に対する関 係, あるいは人間同志相互・隣人相互の関係として取扱われた, 「私は どのように して永遠者によ って自分の要求の満足を見出すことができるか」 という今までの形ではなく, 「神とは何か」 とい う新しい形で 「神はアガペーである」 と答え, また 「私は どのようにして幸福を見出すことができ る か」 とい う の で は なく, 「人 間 に とって 善 とは 何 か」 と い う問 題 に 対 して, 「人 間に とっ て 善 は ) ア ガ ペ ー で あ る」 と い う の で あ る4 ,. このアガペーの理論づけは, キリスト教の哲学者パウロによってなされたとされるが, 彼はギリ シア哲学の洗礼を大いに受けた人である, それ故に, アガペーはプラトン的エロスの教説によって ) 事実, アウグスティヌスによって基礎づけら 体系化されたのではないかという主張も生れうる5 , プ タスの概念も それが新 ラトン主義から借り来ったエロスによってなされたことは確か れたカリ , ) 叉 多くの学 で あ り, エ ロ ス と ア ガペー の綜 合 が カ リタ ス 概 念 と して 現 わ れ た とも考 え られる6 , ,. 者のように プラトンの パウロに対する影響を肯定 し, プラトン的エロスが, 宗教的意味に救済の哲 - 189. -.

(3) . 福. 井. 守・. 学として理解される可能性をもつこと, エロスがキリス ト教的愛の哲学的基礎づけとなり得たとい ) うことも主張しうるであろう7 ,. 以上のことが事実主張肯定されるにせよ, ニーグレソの書物が学問の世界, 並びに一般の知識人 に与えた影響は極めて大きく, それが公にされて以来, 愛のこの一つの類型を対立させてみる見方 が, 決定的な愛の見方であるように考えられるに至った, しかしながら, 彼の研究は, 彼自身も述. ) キ リ ス ト教 の 側 か らな さ れた も の で あ り8 , 「極 端 に 独 断的」 であるという批難 9 ) も , ギ リ シア 思 想に 関 す る 限 り, こ れ は 必ず しも 誇 張 で は な い で あ ろ う, べ て いる よ う に,. 教育の本質としての教育愛を, エロスとアガペヤが対立するものとして, それの止揚綜合された. も の と み る こ と は, 必 ず しも 不 可 能 で は な い. しか し, エロ スが 下 か ら 上 へ の価 値 愛で あ り, ア ガ. ペーが上から下への救済愛であるとし, あるいは, エロスが美なるものにのみ注ぐ差別愛であり, 醜悪なる魂を, その醜悪さにもか わ ら ず 愛す る と いう こ とは, エ ロ ス に 欠 け るも の で あ り, こ れ. をキリスト教的な愛「アガペー一から区別 し, そのエロスに対する補いとして, 教育愛におけるエ ロ ス と ア ガ ペ ー と の 共 存 を 説 く こ と は, 果 して 正 当な る も の で あろ う か, この小 論 は, まず, か. る疑問から出発するのである.. 1) E. Spranger: Lebensformen,6. Aua,1927,S.381. 2) 愛は対象・形式・方向によっても種々区別されるが同じ人間への愛といっても M. Scheler は vitale. idenschaf i i i i l l duums t t oder Le ebe ebe des lndi vi ebe der Person に 分 け s sche Li s ge Li ,see , ge l i i i h N N i 2 H t (wesen und Formen der SymPathi 1 9 3 は ) t t en ebe e a r ma n n c enl ebe s , , , Ferns , . i i l t r s6nl l as にわけ che Li ebe enkende Tugend に わ け (Ethik z は Bros c pe ,s , Car ,1926) , H. Schol. ている (Eros und Caritas . ,1929) 3) A. Nygren: Agape and Bros .by A. G. Hebert . , Part 1 r ,1932 i b i d son . . . by p .S . Wat , Part 江,tr ,1938. 4) ibid. t l, p , Par . 31f . 5) 例えば F. C. Baur は 「プラトン主義の愛と, キリスト教の愛とは, 同じ基盤 に立つ」 と述べ (Das Chr i i i l i l t tes und Chr tus ) W, Ache toni a s s は 「エロ s che des P1 smus oder Sokra ,276 f , ,1876 ,S スとアガペーとは, より深い哲学的観点よりみれば同一である. 両者は全く精細 1的であり, しかも共 i ) に衝動に基づいている」 と述べている. (Di ns e Deutung August .131 , ,1920 ,S i 6) A. Nygren: op t .c . . , 1,p.5. l f: P1 l 1 ton 7) 例えば Wi t amowi z‐Mる endor a en und Bedeutung s ,1920 , や P. L. Landesberg: We la der p toni e s chen Akademi ,1923 な ど,. 8) A. Nygren; op.cit . .26 . ,p 9) J .15 . . Burnaby: Amor Dei ,1939 ,p. エロスの概念が, プラトンの哲学における一つの中心問題であって, 彼の哲学体系の核心ともい. う べ き 事 は,. こ. しかも プ ラ トンに お い て は 局γo. と 影o( , と が, 分 っ こ と の で き な い 全 一 体 と して 把 握 せ られ るも の と考 え る な ら. に あ らた め て 述 べ る 必 要 も な い,. のばoooの姻 と 冗α‘& な. ) ば1 , プラトン哲学 ,の根本概念をなすエロスは, 直ちに叉プラトン教育学の中心概念でもあり, エ ロスの発展はそのま 哲学の生活であると共に, 直ちに叉教育の実体をも現わすものでなければな ら な い. か. る 論 拠 の 解 明 に も まず, ギリ シア に おけ る エロ ス 思 想 を 究 明 して, プラ トンの 言 う エ. ロスの本質が, いかなるものであるかの考察からはじめたい, 愛, ある い は 恋 を 意 味 す る エ ロ ス と い う語 は, そ の ま 神格としてギリシア人の間に認められて. きた. 人間世界に大きな勢力を及ぼす, あらゆる有形無形の事物は, す なわち神であったが, こと に不可思議な抗し難い力でしかも眼に見えず, 人の心を縛 り, 奪い, 屈服させるエロスは, いかに も 強大 な原 始 的 な神 格 で な く て は な ら な い, しか し, プラ ト ン 以前 に お け るエロ ス の 概 念と, プ ラ ー 190 【.

(4) . 教. 育 愛, ,の. 問 題. ト ンに お け る エロ ス の そ れ で は, か な り に そ の 内 容 が変 って き て いる, 否, プ ラ トンは 明 ら か に そ. れ迄のエロスの概念を深化し, 綜合したのである. しかし, もしわれわれがエロスの教説の起源を さ かの ぼ っ て た ず ねて い く な ら ば, オ ル ペ ウ ス 教 に 至 り, そ こ か ら ピ ュ タ ゴ ラ ス教派 を へて, ソク. ラテ ス, プ ラ トンに 取 り 入れ られ る に 至 っ た こ と を 知 り う るで あ ろう, 故 にニ ー グ レンは, エロ ス. をもって, 救いの教理をもつ神秘的宗教に現われているところの 「宗教的欲求と熱望」 と解釈して ) いるが2 , このように解釈することも, その起源から考えて可能であるかも知れない. 少くとも本 来そのような要素をもっていたのであろう. 「エロスの神をいかに讃美するかという要求を今日再 ) 」 と述 び出されたとしても, アガトンの集い以上に豊かで, すぐれた意見は現われないであろう3 べる こ と が できる よ うに, プ ラ ト ンは, た しか に そ の エロ スの 概 念 の 中に, ギリ シア の エ ロ ス の 概. 念を綜合し, 豊かな哲学的内容を盛ったということができる. ギリシアにおけるエロス概念は, プ ラ トン 以 前 に, 既に ヘ シ オ ドス, パ ルメ ニ デス, エ ン ペ ドク レ ス 等 に お いて う か が う こ と が で き る. が, プ ラ ト ンは, こ れ ら を 自 己 の 中 に 取 り 入 れ, 更に 独 自 なも の を 附 加す る こ とによ っ て, エ ロ ス. 概念を完成 したのであった,. ポイ オ ー テ ィ ア の 一市 テ ス ピアイ の エ ロ ス 社 殿 に 祭 られ た 神 体 は, 荒 削 り の 石 だと い う, 恐 らく. ラ コ「 ニ ア の 古 都 アミ ュ ク ライ の, ヒ ュ ア キ ソ ト ス 像 と 同 じく, 生 殖 器崇 拝 の 名 残り が, エ ロ ス と. いう名のもとに伝えられた, 陽根にかたどったものと考えられる, この原始信仰は, 生殖器崇拝に 由来 す るも の で あ る か ら, こ に現われたエロスは, 彼らが家畜や人間の中に見出して, 驚歎畏怖. 性そのもの, その する生殖力, それの生産的機能の神格化である. そこでは, 性愛というよりは,1 生産力がエロスの内容をなしていたと言うべきであろう,. ヘシオ ドスによると, エロスは, 世界の成立のはじめに 芯物( がわかれて が や 融 解α回( が 生じた時, これらについでこれらと共に生れたとされ, 「不死なる神々のうちにも, いと美わしき 御神, 手肢を萎えさせるもの, あらゆる神々, あらゆる人間の胸中にある, 理性と, さかしい思慮 ) とを 失 わせ る 神, エ ロ ス」 と歌 わ れ て い る4 . しか し, これ は 実 際 の 簾βo よりも哲学的な思索 ぐ に近く, 従って著者によって, 彼の出生はいるいるに説かれ, あるいは 翼庭 と 〃”e卿 の子とい o く の子, あるいは喜劇作家ア い, あ る い は 0中αし女 と 打α鵡 との子, あるいは哲学的に 忙〆し ) リ ス トプ ァ ネ ス が 唱 える よ う に5 , 世 界 の 姶 め に 当 っ て, ま だ 天 も地 も空 も な い時, 黒 い翼 の夜 が, は て しら ぬ 幸eβo( の ふ と ころ で, ま ず は じめ に 風を こめ た め命 を産 んだ が, 月 日の め ぐり と 共 に. 「その脊は金色の羽根に輝いて, 疾風の渦巻にしも異らなかった」 慕わしいエロスが芽ぐみ生れ出 る, そして 「そのエロ スがあらゆるものを交らせた前には, 不死の族もまだなかった, それがてん でに交り合って, 蒼当も大洋も大地も幸わう神々の不死なる族も生じたのだ」 と語らせている, そ. れは, ,吠陀時代の印度人が観じた カーマや, 古代 日本民族が観じた産霊神に 著しく似ている, この よ うに エロ ス は, , カー マ や 産 霊神 と 同 じよ うに, 生 成 の 原 則, も しく は原 動力 と して 〆の の中か ら に彰脚 を生み出すもの, 宇宙における諸物を結合させ, も ,しくは生り出させる神格であった,. それは単に人間世 界における男女の愛欲を つかさどる霊物ではなく, 広く深く, 宇宙間のあらゆる ) 存在態の結びつきを支配するものであった6 , このようなエロスの宇宙生成原理は, さきの原始信仰における性そのものの生産力ではなく, い わば性愛における, 当事者同志の索引力であh, 結合力である, もちろん, ここでもそれの生産的. 機能は失われてはいない, しかしこれは, 性愛における相互索引力, 結合力に, 必然的に伴う機能. と し て 取 り あげ ら れ て い る, “ &‘βき め ”6しoし 彰メレ 銃ど てα 麹zαた 諭し 心 命の冗のり 冗po( てo火 にαぇo火 αええ戊 k rば 冗鱒 ”獄α 冗o獄 に〆 ≧し てoた 茂獄oと(,てo” てe “ 〆αぴごてのし 冗4してのし <≠のし. 7 ) と 述 べ ら れ て いるよ う に あ ら く にαどふ( 諭o( ぎ と し 冗食α てo′ ( OBα“ にば てoに ぎり 粉 粉 御oメンo ,. - 191 「. , . ・ ● ● ● . ● ・ ・ . ● ● ● . ・ ● ’.

(5) . 福. 井. 守. ゆるものの内に存し, 宇宙生成の不可欠な原理となり, ヘシオ ドスにおいても, 相互索引力・結合 力 の 原 理 と し て, い わ ば, 宇 宙 的 な エ ロ ス が 強 調 さ れ て い ると い え よ う. こ の 傾 向 は, エ ロス が そ. の後, 、いわゆる自然哲学者達によって, 彼らの哲学体系の中に組入れられることによって, ますま すその度合いを激しくしたのである, これら宇宙的なエロスは, もはや, 単なる相互索引力・結合. 力の原理のみあるのであって, 具体的生産, つまり, 生成は自然学の機械的な説明に委ねられてし まい, 神の座から降りて女字通り宇宙の原理となるのである, この自然学的なエロスは, 悲劇詩人. アイ スキュロスやエウリピデスにも現われており, やはり神格を捨てた宇宙の原理として働いてい る, ところで, これら宇宙的なエロスは, 相互索引力・結合力として, 横の関係をあらわす平面的 な構造を持ったものであり, 後にプラ トンのエロス論において, 重要な位置を示すものとなってく る. l i 1) W.Jaeger; P1atos stel ldung ung im Aufbau der Gr echi schen Bi .S ,35 . ,1928 2) A. Nygren: op i t t l,p .c . . , Par .118 3) E・SPranger; Eros (Kul i tur und Brz ehung) ・256 ・ ,1928 ,S 4) Hesiodos: Theogon i 20行 以下) a .(呉茂一訳 1. , 5) Aristophanes: Ave 2行) 3行~70 s .(呉茂一訳, 69 i 6) G. Meh l sは, プ ラトン以前のエロス概念を, 生命価値としてのエロスと, 宇宙開聞論的原理として のエロス という二つの形態にわけている. (Di l) 1912 ) e platonische Liebe,(Logos l .311 . ,S 7) sy.npリ ー86 a, 2. このような宇宙的なエロスは, 一方においては汗情詩において, その愛・恋の局面を飛躍的に展 開させていったが, いずれも, いわゆる, 外に向ってのエロスである, 丹精詩にみる恋の甘美・悲. 哀と畏怖の愛は, たしかに宇宙的エロスにくらべると, 人間の心の中に志向したかのようにみえる が, あのギリシア哲学第一期の自然哲学を創り出した, 外に向っての精神の眼を内に転回させ, 人 間 への考察を真正面にとりあげて, 外より内への転回を実現せしめたのはソクラテスである, プ ラ トン が そ の対 話 篇 中, エ ロ ス に関 す る 思 想 を 展 開 した も のと して は, リ ュ シ ス, プ アイ ドロ ス, シ ュ ム ポ ジオ ソ等 を あ げ る こと が で き る で あ ろ う, 特 に シ ュ ム ポジ オ ンは, 全 篇 こ れ, エロ ス. の問題のみを直接主題として, その記述は委細を極め, 特にソクラテスの代弁者とみられるアンテ ィ ネイ ア の聖 女, デ ィ オ テ ィ マ を通 じ て語 ら し め る 談話 に, プ ラ ト ン的 エ ロ ス の 理論 的最 高 潮 を 見 る こ と が でき る の で あ る, ソク ラ テ ス が 語 る の は, エロ ス に つ い て で あ る が, あので ‘〆 をさし示す. 言 葉 と し て, のば如, ズ卿と ( ,{p即し鵡 な ど が あ り, いわ ば, 和 解 と綜 合 の 原理 と し て, 古 く か ら ギ. リシア人の世界観を支えていたのであり, エロスは本来, ギリシア人が愛を表現するために用いた 多くの言葉の中のたゞ一つに過ぎなかったともいえる, しかし, それにもかかわらず, プラ トンの シ ュ ム ポ ジオ ソ に お け る ソク ラ テ ス は, エ ロ ス を 愛 の 単な る 一 種 と し て 考 え て は いな い, 他 の 同 義. 語, すなわち, あの( は 逆pK や dp”oし‘α な どと 並 列 さ れる べ き も の で は なく, む しろ そ れ ら の すべてを包むもの, それらのすべての源となり, すべてとなって現われる愛の根源として考えられ て いる の で あ る,. プ ラ ト ンの シ ュム ポ ジオ ソに お け る エロ ス論 は, ア ポ ロ ドロ ス と, そ の 友 人 と の 間 に交 わ さ れ た. 美しい序説に始まり, プアイ ドロス達五人の談話によって, 種々の立場から次第にその本質が究明 されつつ, 遂にソクラテスの談話に至って, 本篇の理論的頂点を築き, 最後に本篇に対する点晴的 な 役 割 を 果 す も の と して, 美 青 年 ア ルキ ビア デス に よ る, プ ラ ト ン的 エ ロ ス の 権 化, ソク ラテ スの. 讃美 が 行わ れ て いる, こ の ソク ラ テ スに 先 立 っ て 語 ら れ る プ 7 イ ドロ ス, パ ウサ ニア ス, エ リ ュ ク シマ コ ス, ア リ ス トプ ァ ネ ス, ア ガ トソの 五 人 の 談 話 内 容 が, プラ トン 自 身 の所 説 た ろ, い わ ゆ る 92 - -1.

(6) . 教 育 ,愛. 問 題. の. デ ィ オ テ ィ マ・ ソクラ テ ス説 に対 し て, し かなる関係を有するかについては必ず しも定説がない,. 前五者が, いわば各々一つの止揚的契機として, ソクラテスの談話の中に完全なる統一を見出して ) いるという解釈と1 , 前五者の談話は, ソクラテスの思想と全く相いれない思想の羅列であると解. ) 相 対 立 して 行 わ れ てい る よ う で あ る しか しな が ら, そ の 何 れ の 見解 を と る に し す る 見 方とが2 , . て も, デ ィ オ テ ィ マ の 物 語 を 以 て, プ ラ ト ン の エ ロ ス論 の 最 高 頂 と 解 する こと に お い て は, 両 者 の. 間に 何 等 の 異 論 を 見 出 し得 な い. しか も そ の 具体 的体 現者 と しての ソク ラ テ ス を, ア ル キ ピア デス. が讃美しているという点においても異論のない所 である. プラ トンは先行五人のエロス論の, ある 部分には敵対してこれを斥け, ある部分には賛成して採用 し, 遂にソクラテスの談話に至って, そ ) .以下ソクラテスに先立つ五人の談話について, 一 れらが止揚されていると考えられるであろう3 , 応その要点を挙げながら, デイオティマの物語りを論究する手がかりとしたい.. 第 一 の序 曲 の 役 を つ と め る プ アイ ドロ スは, ソ プ ィ ステ スの ヒ ピ ア ス の 講 義 を き い た こ と も あ り, ま た ソク ラ テ ス の 弟 子 で も あ った, 彼 の演 説 は, が い し て 伝 統 を 重 ん じ, ヘ シオ ドス の 宇 宙 創 ′おpのでα ヴ諭し 彩りておαてo. ) 史家 ア ク ー シラ オ スの言 葉 を 借 り て “冗p血とびroし ”と し’ 成 説 に 立 ち4 ,. ) と し て 讃美 し 元dしてのしr5 ,. そ の権 威 とす る ホ メ ロ スや ヘ シオ ドス の神 話 を 信 ず る 種 類 のア テナイ. 二エロ スの倫理的・社 ・の実例を挙げながら, 人の, 倫理的エロス観を代表 している, そこで彼は多く ’ ” ′ Ep班 α ぬめし に鱗 Rpeoβ虎αでoし にαご て撃とのでα『oリ にα‘ 会的根源性を描いているが, 要するに ’ 6 ) 〆 6 め 〆 ん倣 ぴ 中 汀 秋 に 8 βαリゼ (にぼ くのα にば てs走りで彰ααし’ ご し舜ン命必冗o にり秘 てαでoし8 oし鰹‘にて彰と と主張する, 更に彼は, エロスの神がわれわれにとって最大の善の原因であるという, エロスの根 源的倫理性を述べている.すなわち ”×〆 ”か 6冗epα冗oタレガク厳とし γe 即しoご 弟6AOひびとしoきざ回して”,. oひ ”oしoし 最‘ 発ガ 鱗( ,d獄. ) も の で あ り, そ の一 例 と して, ペ リア スの 娘 ア に娘 αど かりα化e(P7 ス超 ‘o”( ≧にメリリ rodooroレ 競gpsβ畝eてor万のと 彼 女 の死 の 動機 に つ い て ‘. ル ケ ステ ィ ス の例 を あ げ, 8 ) と い う 表現 を用 い る こ と に よ っ て, エロ スの 原 現 象的 性 格 が 示 さ れ て いる と い &{ めし あのてα”. ロスをもって, あらゆる幸福の原因となし, 叉, 蓋恥・名誉 える, 彼は在来の思想に加えるに, エ・ どの美徳の根源と解しながら ・勇気・犠牲な , これに倫理的意義を附与し, とくにエロスと名誉心 ) との密接な関係を力説している9 . 次で立ったパウサニアスによれば, エロスは決 してたゞ一種のみに限るのではない, 真のソプィ rα 彰o ‘ なものとの二種があり, 前者は ステ ス た る彼 は, エ ロ ス に は oるpd班o な る も のと, 7 ”冗o届 か 窃ごメスe峨り 舜しαγにdこのし 冗o とげαヴαご 冗pみ‘ 中eてガンてdし てβ epめしてα ゆ でふし αびてoo にαど かり. 1 0 )・ という, 肉体的動機を全く超越した, 恒常不変の理性的な愛であるが, 後者は, 肉 e oし” pの解し 慾をその主要動機とする変転不常の感性的愛である. 従って, エロスを一概に無差別に讃美し得べ きものではなく, 真に讃美す べきは, われわれを導いて真の徳に至らしめる天国的な愛に限るとい う の が, 彼 の主 張 す る と こ ろ で あ る, こ う し て パ ウ サニ ア スに よ っ て, エロ ス に よ る 行 為 が 含む 感. 性的面と, 精神的面という二面がとり出されたが, 彼はその精神的面を讃美し, 感性的なエロスを 斥け て いる,. rαり務 卿( と 二分す る事 は, パ ウ サ ニア ス に 次 い で語 っ た こ の よ うに, エロ スを od pdwo( と 7 .詔αごてるわく 命と命ど ご りαご p& エリ ュ ク シマコ ス に お い て も 同 意 され る と こ ろ で あ る が, ”6メリ 申さ 冗6. 1 ) と し て エ ロ スを 人 間 界 に の み 限 る こ と は, ま だ エ ロ ス の 本 質 を 十分 に 把 握 した も て@ Mγ乎”1 , βα” に働いてこれを結合する原 のではない 人間以外のあらゆる動植物を始め ”彰 冗αひと 節k o. , 気象の変化もすべてエロスを原理と 2 ) 理である1 . 従って, 医術も, 体育も, 農業も 音楽も, 天女 し, エロスを本質とする. すなわち, エロスは単に人間と人間とを結ぶものだけではなく, 世界全 体を結成するという, エロスの根源性をもっぱらその宇宙的現象に即して分析しようとするのであ - 193. -.

(7) . 福・. 井. 守. る, こ う して ェ ロス は 彰dリαα,dの即し海, 熱 飯 衣, 粥 ”α な どの 中のて ‘頑 と して現 わ れ る, 幸 福 をも た ら し, 人 間 相 互 の間 に も, 人 と 神 との 間 に も 友 情 を 生 ぜ しめ る も のは た だ エ ロ ス ある の み ,. であり, あらゆる種類の秩序は, エロスによって保たれ, 遂には教育をもエロスが必要であること を 説 い て い る, そ れ故 に こ そ, 教 育 の 困難 さ と, 巧 み な 劫”‘ oりp“‘ を必要とするようになり,. ‘嘗てごてoに メン にoo”‘ o質 でのし め 励め冗のシ としTooき ”痴の 物で”, 能′ , に露 命< 辞し に“ゑ肋repα 〆γリo ’ 3 r ) と な る の で あ る エ リ コ ク シマ コ ス は ん 7 zα〆&〃ヴαとに霧 森尻4 rre とり でdし てodでのシ あのて〆1 r&ぴご . てoに oB留 に エ ロ ス が 作用 して い る こと を述 べ, パ ウ サ ニア ス が 人 間 関 係に 限っ た エ ロ ス を , すべ. ての学問や技術, すべての文化におし拡げている この考え方は プ ラトンによっても 哲学及び , , , 教 育 の根 源 力 と して の エ ロ スが, 世 界原 理 と して の エ ロ ス の脊 景 に 支 え ら れ る こと に よ っ て 取 り ,. 入れられているが, 特に, エロスが一切の存在における矛盾・対立の契機を結合・調和せしめると. いう考えは, プラ トン思想の重要な要素となっている, このような談話の後をうけて, 巧妙な比輪を以てするアリス トプアネスの談話が始め ら れ て い. る, 彼はエリュク シマコスによって, 一度全宇宙の原理にま で拡められたエロスを 再び人間関係 , にひきもどし, ま ず ”≧on 敵p ヴeのり の仏αし碑 の冗dてfzro(, 友 友o卿 女 でe あり てのり dり砕心冗のし kα 彰でpk てodでのり ふし 函廃してのり 鷹γの 勤 め6α ’ 故 に エロ ス の ご”oし奴 什り 噂 dし命の刀e4i γきり e ご 話〃 4. 本質を十分 に理解するには, われわれはまず, 人間の 例α( の研究から出発 しなくてはならない こ と を主 張 す る, こ う して, 人 間 の原 始 的 形 態 に は, ”pp eり , ヴメジ ,dりβ“γリリoり の 三 種 が あ っ た こ. と, しかもこのような原始人が, その横暴不遜の行いの為に, 神々の怒りにふれて 中央から両断 , され, 今日のような人間の形 が生じ, 人間現在の姿は, いわば人間の原始的形態からの め”βoぇoり. で あ る こ と を 明 ら か に す る の で あ る, しか も エ ロス と は, 原 人 か ら の これ 等 二 つ の めββo oり が 互 , に己が半身を恋い求め,≧ り 琴‘ γeり彰βα に 6ひoど ご と な り,” &ごみ 鰍 〆α 姉α< ガムのリ ガレ α” 切 にα ‘ Bり て万 命煽り”な に〆 蚕のぎe 5 ) ときpば ぶりo”f りβeり 旗or てoo け oひ o z“ と な る1 . 肉体 に 関 し て も 魂 に 関 j しても, 個 人 が 遂げ る こ と の で き な い ガ てodi えoリ 競とげ躍 如 に〆 とめ& がすなわちエロスなので. ある. この思想は, エロスを以て, 自己の本源に対する動的原理として本質づけたものであり こ , れま で の議 論 に 対 して, 新 た な‐一歩 を ふ み 出 したも の と い え る で あ ろ う,. 第 五 番 目 の語 り手 で あ る ア ガ ト ンは そ の 談 話 の 前 で ソ ク ラ テ スと しばら く 問答 を繰 返 して い る , 、. が, やがて, これまでの人々はみな, エロスがわれわれに与える恵みについては詳述しているが . , いかなるものであるかについては説く所がないと, 詩人的な情熱と修飾をもって語っている すな , わ ち, エロ ス の 最 も 根 本 的 な 本 質 と して, 神 々 の中 で エ ロ ス は,り 8あてαro( , 々だα絶てαでo,6γ〆‘ な. どの性を有し, 最も幸福, 最も美 しく, 最も善良なるものであることを明らかにし 更にエロスの ,. 備 え る べ き 本質 的 な 四 つ の 億, 蚤にαと oddリリ ,ぴののpodジリリ ,dり6鱗 毎,ぴo彰α を あげ て いる,. こ のよ う に, プ アイ ドロ スか ら ア ガ ト ンに 至 る 談 話 の 概 略 を 見 て く る と 各 々 そ の 立 場 の 相違 が ,. あり, 従って内容上にも若干の矛盾がみられ, これを一つの共通な 思想を以て一貫する事には 多 ,. 少 の 困 難 が存 す る で あ ろ う, 特 に ア リ ス ト プ ァ ネ ス の 説 に 対 して, プ ラ ト ンは 明 ら かに そ の 誤 り を 6 ) ア リ ス ト プ ィ ネ ス 自 身 も 亦 ソ ク ラ テ ス の 説 に対 して 反 ば く を 加 え 指摘 して 之 と 対 立 して お り1 , ,. 7 ) んとするような態度を表明している1 . しか しながら, 各々の立場 及び思想は, 互いに対立矛盾し ながらも, シュムポジオソ全体の構造からみれば, 既述のように 完全なる調和の中に置かれてい , る こ と は否 定 で き な い, と く に, ア ガ ト ソの談話 の 後 に 行 わ れ た, ソク ラ テ スと ア ガ ト ン の 対 話 は, 次 に く る べ き デ ィ オ テ ィ マ の物 語 り を 誘 出 し, プ ラ ト ン的 理 論 の 最高 頂 た る ソク ラ テス の 談話. への前奏曲となっている. 1) Deinhardt: Ueber den lnhalヒu. Zusannmenhang P1atos sy・ ion l opos .1 . ,1865 ,S. 一 194. -.

(8) . 教 2) 3) 4) 5) 6) 7) 8) 9) 10) 11) 2) 1 1 3). 育 愛. の 問. 題. プロシヤール・河野与「訳; プラトンの饗宴について, 昭4 . 石山悟平: 西洋教育史, ギリシア篇, 昭9 .466 . ,p. Symp . . ,178 a~180 b i bi d“ 178 b . i bidリ ー80 b , i b id . . ,179 b i i b d . . ,179 c i b idリ ー78 b ,. ib idリ ー85 b~c , i bid . , ,186 a i b i d . . ,186 a. id i b . . ,187 d i 14) i b d . . ,189 d 1 5) ibid. . ,192 e 16) ibid. . ,205 e. 1 7) ibid. . ,212 c. 3 ”) と い う 間 か ら 始 め ら れ ア ガ ト ンと ソク ラ テ ス の 対 話 は ”てごリメ 6 リEPの( あの( ,ガ o第eシメ; 1 ているが これ迄の談話が 何れも十分な基礎を欠いていることを指摘し ” の γαp どでとぶγにの”凄くの. ,. ,. でのでoし て6し 印 象oシーoる γ. ’ 2 &し めシα勿リレーoる メレてo )と ご 魚 政 縦 γ8 4スリヴガ’ , 根 拠 な き 能ぞα. よ り も, 煎りβem を 語 ろ うと して, ソ ク ラ テ ス は ア ガ ト ン と の 対話 に お い て, 三 つ の 一 致点 に達 す. る, すなわち, 第一にエロスとは何者かに対する愛であること, 第二には, エロスは所有しないも のに対する一種のあこがれと追求であること, 第三に, それは美しいものに対する愛であるという. 3 ぎ J で あ るか ら エ ロ スは 美(善) こと で ある. しか るに “てdγα飯 oB に〆 にα験 βok〆 仰ご8 しα ご;” ,. ) を欠 く も の, そ して こ れ を 追 求す る も の と い うこと にな る4 , こ れ ら の こ と を 確 か め た 上 で, デ ィ オ テ ィ マ を 通 して, エロ ス に つ い ての 真実 を 語 る の で ある. さ て, デ ィ オテ ィ マ が物 語 る所 によ れ ば, 既 に ア ガ トンと ソク ラ テ スと の 対 話 によ っ て 明 ら か に. されたようにエロスは美と善を欠き, これを志向するものであるから, それ自身は美でも善でもな い. しか し, そ れ が 直 ち に 醜 悪 であ る こと を 意 味 す る の で は な い, エ ロ ス は ”て ご”蟹 噂odo鋭α(. 5 ) と 考 え得 る にば d”αヴ如(” . 同 様 の こ と は, 認 識 の問 題 に 関 して も 言 い 得 る で あ ろ う, す なわ ち. て6 あげα B o繁錠と し について考えてみると, それは認識していることに論拠を与え得ないものであ. るから, ≧冗 と びで御り とは言い難いし, 客観的な妥当性を有している限り, 全くの 心との虚 でもな い. そ れ は 明 らか に, 女と びてザロリ と d口の海 の ”8でα郡 な 存 在 に 他 な ら な い の で あ る, こ の よ う な 立場 か ら エロ ス は, 美 と善 を所 有 して い な い 故 に 神 で は なく, しか も, 彼 が欠 け るも の を 追 求 す る と い う, い わ ば, クレリて女 と dβ zし%が( 換言 す れ ば, 神 と 人 間 と の間 に 介 在す る f. ) エ ロ ス は 神と 人 間 と の 本 性 を共 に 分 有 し しかも そ の 何 れ に も 相 即 しな い 6 z毎のソ メ身αく であ る6 f . ,. ものであって,.両者の仲介的な作用を演じ, 神と人間とを互いに相補足し, 神人合-した全体その ものを一つのものの中に結合する役割をもっている, かくして, 神は本来, 直接人間と交わらなし も の で ある に も か かわ ら ず, こ の ダイ モ ソを通 して, 人 間 と 神, 神 と 人 間 と の 間 に, 凡 ゆ る 語 ら い. と 交 わ りと を 交 換す る の で ある, こ の よ うな ダイ モ ソ の 一 つ が エ ロ ス で あ る と い う の で ある. そ れ. はまさしく, イ デア界と現象界とを結ぶ中間領域に属するものであって, いわば価値を分有した存 在であり, 存在を分有した価値であると言うことができよう, シ コ ム ポ ジオ ソで は, エロ ス の 誕 生を 記 して, 』姉て ご の 子 互dpo( と, 互eし毎 と の 子 と して い. るので, その生れにおいて既に中間的存在性格を持っているわけであるが, エロスは神でもなく 【 195. -.

(9) . 福’. 井. 守. 神 々 と 人 間 と の 間 に 介 在 して “き pqリンeooレ に娘 能α〃叩げ僻 めレ 偽oに 諭 冗αp ’ ’ 7 dレグ画ヵのし に凄 めβ〆冗o と で 冗岬戊 命のり ノ と いう ダイ モ ン であ る,・換言す れ ば, エ ロ ス は上 か 人 間 でも なく,. ら下への運動と, 下から上への運動とを含むわけである, ニーグレソがプラトンのエロスについて 「知覚し得るものから, 超感覚的なも のへの回心である」 といい 「そこには唯一つの方向, すなわ ) ) ち, 上 昇 が あ る の み で あ る8 」 と 言 っ て い る の は, 誤 りを 犯 して い る も の と い え よ う9 .. かくて, エロスの中間的性質から, 愛する者とは即ち哲学する者に他ならない, 実にエロスはプ. 0 ) しか も こ れ が プ ラ ト ンが エ ロ ス の 本 質と して 「エロ スと は 何 で あ る か」 ィ ロ ソ プォ ス で あ る1 , ,. の 疑問に与えた第一の解答であったのである,. さ て, エロ ス が 美 しい も の に 心 を惹 か れ ると い う が, で は エロ スは, こ の 美 しい も の の 中 の 何. を愛するのであろうか, それは, 美しいもの, 善い、 ものを所有して, それを通して幸福になること. ‘にて汐簾と 舷p どのり dγ鯛めし ひき β爾 後”oン8く め ” 勿oシ” に露 oる謎で ご であ る. ‘ ご “卿 ガメ ご P”″α , , ” ぐ ′ 1 1 舜 d ヱしα て/ 能 βoジねてα とe調α勿のし 司り破 る βo明 年eしo ; 獄d.タメ &に〆 きズgル ガ 冗 kpとびK ). と, ア リ ス ト プ ァ ネ ス は エロ ス の 欲 求 す る 対 象 を ば全 体 に あ り と した, しか し, 善 悪 美 醜 と い う よ. うな, 価値的観念を伴わない単なる全体というものは, 真にエロスの対象ではない. 単なる全体で , はなく して善に他ならず, しかも人が善を愛するのは, 善を我物たらしめ, 永久にこれを獲得せん が為にほかならない, エロスは実に ”6 きpの‘ roo T6 4γα秘し α戊の 司りαと ぬ か と い う こと が で き. 2 ) ア リ ス ト プ ァ ネ ス の 説 く よ う に, 自 らの 片 割 れ を 求 め る・こ と、 も, 全 体 を 求 め る こ と も エロ ス る1 .. ではない, 自分の手足といえども, それが善いものと思われない時は, 自分のものではないと, 切 りす て る か ら で ある.. エロスは, 善を永遠に我物にしようとする欲求であるが, 有限相対の存在たる人間は, どのよう. に し て 永 遠 な る も の を 獲 得 しう る のrであろ う か, こ の 疑 問 に 答 え る た め に, プラ トン が あげ て い る ものが ”に〆 の 概 念 で あ り, ”でdにメ ル にα神 に露 にαで TO Oの”α に諺 にα諭 でサン 物 増し” と 定 義. 3 ) している1 . エロスに関するこの定義は, もはや単に形而上学的でもなく, 単に道徳的でもない, まことに強くエロスの肉体的・性的な根源とその発展過程に密着した定義であると言わなくてはな らな い, エ ロ ス は, し ば しば 性 的 ・ 肉体 的 で あ る が, そ れ は エロ スが, も とも と 美 しい も の の 中 に. 生産 しよう, とする衝動だからだと説明されているのであり, その意味で, あらゆる人間に共通 した 雁種の動きであるとも言えよう, すべての人は, 肉体的にも精神的にも懐妊し, この懐妊及び生 ,産 は神的なことであって, 可減的な生物に, 不滅的なものとして内在するのである,. こ の よ う に プラ ト ン の エロ ス は, これ を 身 心を 通 して の 美 な るも の に お け る生 産 で あ る と 解す る. ことによりてそれは無限に進展する価値追求の生命力であ・ り, 有限と無限, 人間と神, 現実と価値 , とを綜合すべき, 動的な女化意志たるゆえんが明らかにされ得たのである, 彼のイ デア ,界は決して. 現実生命から遊離した超絶対的実在ではなく この現実生命を通ずることによって, 無限に追求実 現されて行くべき性格を有しているのであるlq 更にエロスは, まず美しい肉体に心をむけるの.で ぁ, るが, “ 論り d鰭のく 声汐でαと 6 参γod僻しo, さし6< α0で彰 dの”αで〆 ≧ eし滅し p&し 醇露 ≧し畑 浦α γ 1 5 ) しかし, あらゆる肉体 の美が同一不二であることを悟り, 神霊上の美をば肉体 姉γo〆 にαねび ”. 上の美よりも価値の高いものと考え, 神霊さえ立派であれば満足 して之を愛し, 肉体上の美には,. 極めて僅かの価値しかないことを認め, 更に進んで ≧〃“で彰〃 に 至 り, 転け 切口めし にd獄o( を 見 出 し, 美の大海に乗り出してこれを眺めながら, のdodoの虚 から多くの言葉と思想を生み出すのであ 6 る1. 人間がこのように順を追ってエロスについて教育されるならば, あらゆる美の窮極目的であ った美の本質に到達するのであり, しかもこの美は, ‘滅 ぶり である, 絶対美である, この最後の. 段階において働いているエロスは, 純粋な理性, 熱烈でしかも生産力のある思考, すなわち, 理性 【 196 -.

(10) . 教. 育 愛. の 問 題. の 情 熱 と も い う べ き も の・ な の で ある.換言 す れ ば, プ ィ ロ ソ プ ィ アに ほ か な らな い. びoの叙 はdpeでり の最 高 段 階 と して, 人 間 に と っ て は て6 市α秘し の最高にして, 最も本質的なる形である. このプ. .であると同時に, 教 ィロソプィアは単なる机上の学問ではなく, 生活の仕方であり, 道であり態度 育体系でもあることに注目しなくてはならない. エロスの最後の段階への道は, 中y狩り が 自 ら行く の みな ら ず, ま た 7 r雄蚕 縦 を 導 く道 でも あ る, 人間本来生得なるエロスは, 人間の神霊を動かして, 人間が地上において到達しうる最も完全. なる境地にまで到達せしめる力を持ってお り, エロ スこそ最も深長なる意味における人生の原動力 で あ る とい う こ と が でき よ う,. 更にまた局面をかえてみると, エロスの座は人間の魂であるが, その魂は, 相反する方向の二つ. の異質的なものに分裂していた, プラトンによれば, その理性的な部分は, 神と同類のものであ り, かつてイ デアの世界にあった時, 神と共に, 絶対美・絶対善・絶対知といったもろもろのイ デ. アを観想したものであるが, 肉体に連なる欲望的部分の為に, われわれの魂は下界に堕落した二頭 立ての馬車であった, それ故に, エロス発生の基盤は, このようにこの世界に堕落し, その時間的. な世界の内に存在するわれわれの魂である. この魂が, かつての観想の対象であり, 本来の自己の 故里のものであるイ デアを想起する. そして自己に本来的なものであり, 同属的なものであるイ デ 1 7 舜 ) アの も とに 帰 っ て 行 こ う とす る, . こ のイ デア へ の しdメソかび” が エロ スであ る , そ れ 故 に エロ ス. は, 段階的に, 肉体的なものから精神的なものへ, 個的なものから普遍的なものへと, 一歩一歩イ. デア 界 に 向 っ て 上 昇 して いく 運 動 者 な の で あ る, 既 述 の よ うに, プ ラ ト ンが エロ スを, 神 と 人間 と. の間を通訳し, 伝達するものと規定する理由の一つも, この運動性にあるといえよう,. ” 心( oる罷り γ8 畝 和 ぎ メ oggd 8 ) と い うが 「善 き も の」 と リ レ piメン 琵ン命“〃α り Too 命α釣りP1 ,. は, アリストプァ ネスの言うような単なる自分の半身でもなく, 過去の全一体でもなく, プアイ ド ロスやパウサニアスが考えるような慣習的・社会的な善でもない, その道をふんで初めて, 社会的 ・ り, ”論理的な善が生まれた. ,承認されたりするような, 根源的・生産的な意味での善であり, 人間. 的意欲のすべてを包括する根源的な衝動である, 1) Sylnp. . ,199 d 2) ibid. ,199 a .. b i 3) i d . , ,201 c , den f i c tur und Brz ehung .h . ,77 b; B. Spranger: Kul . Au日 . . 227 . ,3 ,1925 ,S 4 ) Phaedr . ,237 d; Lys . ,221 b . ,c; Symp ,200a 以下等にエロスの本質としてしばしばでてくる, 5) Syml ) . . , 202 a i i 6) G. Mehl i imoni s によれば, ギリ シ ア では こ の よう な Zwi schenre ch は das Re ch des D! schen と. i」 呼ばれているのでプラトンのエロスは, このようなダイモソ的領域に属すべきといえる, (op .c. Bde ) ・ 1L s .321 . 7) Symp. . ,202 e i t t 8 ) A. Nygren: op .127 f . .c . , Par , 1,p. 9 ) 神と人 (形相ともの, 形相と個物, 理性と感性等) との関. 係をプラトンは明確には示していない. 51d) を 用 い, 他 の 時 は にαで戊ぴZ〃(Phaedり 〆eてき跨ご (Phaedり looc ) , 132d ,1 ,”初 霜 に (Parmenides 104d) と言ったり, 冗叩o脚ね,に o″のり毎 等の語を用いている, しか し, 解毒跨ご と にα敬び初 とは, lから人への方向をもつものである. Nygren は 「形 i 全く方向を異に し, 前者は人から神へ, 後者はね i 27 相はものを分有しないが, ものは形相を分有する」 (op t ) と, 感覚の世界から形相への .c . ,p .1 世界への通路はあっても, 形相の世界から感覚の世界への通路はないと考えているが, この点でもエ ロ スの正しい解釈ではない. 10 ) Sylnp. . ,218 a . ,204 b ; Lys 11 ) Symp. . ,205 a 1 2) ibid. ,206 a . 13 ) ibidり 206 b, 一 197 一.

(11) . 福. 井. 守. 14 ) Phaedon に至ると, 末尾においてはともかく, 現実とイ デアの遊離が目立つが, この点については P. Na torp : P1atosldeenl ehre .167 も ,1921 ,S ,指摘している. 2 1 o 1 5) Symp. a . , b i d“ 21o b 以下. 16) i 17) Phaedrり 246 a 以下. 18) Symp. . ,206 a 4. 以上 プラトンにおける愛の本質, 及びその発展の概略を述べてきた, エロスが, 人間の魂を現象 界よりイ デア界へ, 可死の世界より不死の世界へ導く動力であり, 人間と神 とを結びつける力であ っ て, プ ィ ロ ソ プ ィ ア そ の も の で あ る と は い え, 今, こ こ で問 題 に し て い る の は, プ ラ ト ンに お け. るエロスの哲学的な考察ではなく, その教育的意義, 教育愛の本質としてのエロスを考究しようと し て い る の で ある,. デ ィ オ テ ィ マ によ る と, 一 切 の 冗o とりで衣 や めp” 〆 といわれる 6仰ごo脚γ金 は, 御oリを” やそ. の他のあらゆる種類の徳を生み, 中でも家を斉え, 国を治める徳の生産は高いものとされている が, 年少の頃から魂がそういう徳に満ちあふれている人は, 年頃になると苧ませ, 生殖することを. 欲する. 肉 体的懐妊者が異性におもむき, 子供を生むことによって不滅を図るに対し, 精神的懐妊 者 は 精 神 に ふ さ わ し い も の を 生産 し て, びoの毎,ぴののpodリリリ , 髭にα雄 な ど, 不 朽 の 名 声 を の こ そ う と. 企てる, これらの徳を懐妊した者はその生産を欲 し, めぐり歩いて美 しい相手を求める, 彼はまず 美しい肉体を喜ぶが, さらに美 しく高貴にして生れのよい精神を有するものにめ ぐり合わすと, そ の心身両美の合致に対 して非常に喜び, このような者に対して, さっそく徳のことや, 善い人とは 1 )がなされ る ど うい う 人 で あ る か, ま た 何 を す べ き かな どに つ い て語 り, “‘だαe と P〆 〃αご熊庇α “ .. こうして一度美しい者に接し交るようになると, 側にいても離れていても彼はその人の こ、と を 思. としのし危し て〆 い, そ の 生 産 した も の を ば, 相 手 と共 同 して 養 育す る, そ の 結 果 ””o砂 ”e化の fo dしのし にαと 叙 〆 きてo or命αリ とに の仏 し β8β”と oひでα ‘”oひび ご てのり 冗α俗のり 冗P友 畝 冴えo〆 o , ,αてe にα獄と ) となる dヴαリαてのて中りレ 7 zαおのン た8にoとしゅしりぉdre(r2 ,. このように, プラトンが一から二へ, 二から全体へというエロスの弁証的発展を論ずるにあたっ &α でる あげの( 冗αとぶ て, この発展が ep f zdだか に おい て の み 到 達 で き る こ とを 説い て い る の は, ,ただ エロスを教育的見地からみる時, 見逃すことのできない重要なる意義を有している, プラトンのエ. ロスには, 縦の面・Y軸の構造, すなわち. 人間から天上の神的なものへの方向のみで, 横の面・ X軸の構造, すなわち, 人間対人間の関係はないという論があるが, もちろん, この推測は正しく ない, ギリシアにおける美少年への大人の恋慕, 少年の抱く, 自分を愛してくれる者への愛情--. プ ラ ト ンの エロ ス に あ って は , 不 可 欠 の 要 素 と な っ て い る, こ の 68p 7 rαと zoで危 が, 教 育 上 いか な る意 義 を 有 す る も の であ っ た か を 考 察 す る事 は, ひ いて は プラ トン f この い わ ゆ る 横 の 関 係 は,. 的エロスの教育的意義を明らかにする所以ともなるであろう,. ところで, ギリシア人が愛の生活において, 男 女異性間におけるよりも, 男子同性間の, 美少年. を 対 象 と した こ と は 周 知 の 事 実 で あ る. プ ラ ト ンも パ ウ サニ ア ス 及 び ア リ ス ト プ ァ ネ ス を して, 男. 女異性間, もしくは女子同性間における愛よりも, 男子同性間における愛を最も貴いものである こ ) とをいわしめているが3 , 子弟愛における両者の関係は, 関係そのもの, ないしは相手そのものに. 窮極の意義を見出しているのではない, 相手の貴く恋しいのは, その相手が美のイ デアをより多く 分ち持っているからであり, その相手を通して自分の魂が真の生産を行いうるからであり, 相手の ) 純粋に相手につくすことすら 相手の彼方に見る 美が自分の魂の翼を培ってくれるからである4 , , 神に, 相手を似せよう とする生産の喜びでもある 自分の肉体的な美に アルキピアデスが , , , , いか ー 198 一.

(12) . 教. 育 愛. ,の 問 題. な る 方 法 を 繰 返 え して も 誘 惑 さ れ な い ソク ラ テ ス を 怨 み と 嘆き を交 え な が ら 告 白 して い る が5 ) , , ,こ. のソク ラテスの態度,.子弟愛こそ真のプラトン的エロスの態度であり, 相手の脊後に常にイデア界 を見ているのである, むしろ, イデア界からの光の中に, 自分の美しい相手を浮 びあがらせ, 出来 得る限り自分に似せようとする. 愛するものが, その相手に対して, すすんで行うことを許される ) 唯一の隷属は, ただ徳のためにするものへの隷属だけである6 .. ギリシアにおける子弟愛は, 体育によって養われた調和と美に対するギリシア人の愛の表現であ って, 卑劣なる動機に発するものではなく, 人格相互の精神的結合関係であることを表 わ し て い ) る7 .そこにおいて愛する者は, 愛せられる者に対 しては精神的な父であり, 教師であって, 彼は自 己の愛弟子を体育場において監督し, あらゆる事柄においてその教師となった, プラトンのエロス 8 は, 美 を 通 じて美 な るも の と の 精神 的 結合 を 成就 し ‘滋 賀α の猛oddののし 層γのし“ ) を も って 最 高 , ,. の知恵を求めるものであるから, この最高の目的のために, 友情関係を基調とする社会をつくらな くてはならない, 愛し教える者は, 愛し教えられる者の魂を覚醒して, 認識に励ましめ, また, 学 ぶ者は教える人を敬愛して, その人の中に輝く徳の光を神のように敬い, いかなる命をも辞せず , 常に哲学に励む時, 精神的結合は成就される. 実に, この結合の中においてのみ, 常に生き生きと した真理の認識が可能なのである. 励んで倦まない認識は, 愛し愛され, 教え教えられるエロス的 結合, すなわち, 子弟愛の中に最も美しく育っていくのである, ) む しろ 眼を 暗 黒 さ ら に, 教 育 と い う こ と は, 魂 に 内 在 しな い 知識 を植 え こ む こ と で は ない9 , ,. から光明へと転ぜしめるような, 子弟に内在する価値可能性を認め, その実現の希求, すなわち, o ) ギリシアの子弟愛は そ 女化的思慕を喚起 し, その実現を助成することが, 教育の本質であるl . , の後期, 時流の頒廃と共に肉慾に堕し, その欠点をあらわしたが, その純真なる姿においては, 全 く精 神 的 な, 人 格 と 人 格 と の 教育 的結 合 で あ った と い う こと が で き るu) , こ の よ うに, ギ リ シア に. おける子弟愛の本質と動機が, 全く教育的な意義によって支配されているものである限り, プラ ト ンの エロ ス も, 全く 教 育 的 な 働 き によ っ て の み, 実 現 さ れ る も の でな く て は な ら な い,. 教育がエロスにおける共同の生産, あるいは生産した子をめぐっての友情関係として促えられる. 裁とズe ご熊ぞ7 rαおede ‘し, 掴 め ”e/との にαしのし如ン,Zbズo脚と に〆 の”忽リ ≧ β申αと oて 如し と, 教 育 愛 ・生産 愛 ・ 友 愛が全 く 区 別 し難 い も の と して, 美 しく 描 か れ て い る, そ の こと は, 既 述 の 通 り で あ る が,. 教育愛は, 肉体的なものから精神的なものにわたる生産活動をへて通じている段階的な 過 程 で あ り, しかも最後の瞬間に至る迄, 人間は美において生産しながら, 同時に他の人によって導かれて. こなく てはならない, という生産愛の性格を持っている, 生産が彼自身のエロス的働きであったと 同じく, かく生産すべく導かれたことも亦, 彼自身に作用 した他からのエロス的・生産的働きを意 味している, このように教育作用は人と人との交わりにおけるエロスの生産作用 にほか な ら な い し,. 人 間 に おけ る こ の ダイ モ ソに対 して, 正 しく 処 した い と願 う こ と が,. 教育 愛 の 真の 姿 でも あ. り, エロスの本質でもあろう, 美しきものにおけるエロ スの道程はそのまま直ちに, 教育活動その ものの道程にほかならない. 従って, エロスの発展が,.直ちに叉, エロスに関する教育の発展であ ると考えられる. この よ う なエロ ス と 教 育 と の 相 即的 関 係 は, シ ユ ム ポ ジ オ ソの 最 後 に お い て ま す ま す 明ら か に ,. な る, す な わち, プ ラ トン は エロ ス の 最も 完 全 な る 人 間 的 具現 者 と して ソク ラ テ スの 人物 を 描 い て. いるが, 最後に酒に酔ったアルキピアデスが入ってきて, エロスの代りに ソクラテスを讃美する演 説を 試 みて いる, しか も ア ル キ ピア デ スは 愛弟 子 で あ り, 彼 の 愛 者 た る ソク ラ テス に 対 して, 両 者. の子弟愛の関係を通じて体得された事実に基づいて その徳を讃美しているのである しかもそれ , ,. は プ ラ トン的 エロ ス の 具 体 化 でも ある か ら, と りも な お さず プ ラ トンに お け る エロ スの 理 論 が r , , 99 - 一1.

(13) . 福. 井. 守. ソクラテ スとアルキピアデスとの間における子弟愛の関係を通 じて, 最も典 型的に実現された事を 明らかにしているともいえよう. しかも両者の関係が肉窓的結合 ではなく, イ デアへの憧れをもつ. 共 同 者 と して の 教 育 的 結 合 に ほ か な ら な い こ と も 明 ら か で あ る, し た が っ て, ソク ラ テ ス と ア ル キ 一 され た ビア デ ス と の 子 弟 愛 の関 係 の 中 に, あの〈 , 金スooo〆”, 冗αが6毎 との 三者 が, 完全 に 融 合 統. ー彼においては, 愛の生活は直ちに哲学する 具体的人格と してのソクラテスを見出すことができる, 生活であり, 哲学する生活は, そのまま教育生活を意味するものであった, かかる意 味において, ソク ラ テ ス の 生 き た 人格 の 中に プ ラ ト ンの エロ ス が現 実 化 さ れ て い るも の とす れ ば, エロ ス の 理 解 の た め に÷ ソク ラ テ ス 自 身 の 人格 を 考 究 す べ き は論 を ま た な い. プ ラ トン の エロ スは, ソク ラ テ ス プラ トン 的 エロ ス その も の で あ る, こ の 現 実 と いう 偉 大 な 実 例 を ・持 っ て い た, ソク ラ テ ス こ そ は,. のエロス的存在者によりて↓ 初めてプラ トンのエロスは, 有力な, そして真に生きた働きを持ちつ づけえたのである, 1) Symp. . ,209 c bi d 2) i . , ,209 c. 3) ibid. . ,181 c ,192 a ′ ’ epの( と関係づけてい 4 ) プラトンは, エロスを魂の翼になぞらえており, 発音上か らも βpの( と 刀で ) , るのも, この考へ方の現われの一つ であろう. (Phaed』 252b 5) Sy・np. ,217 a 以下, 6) ibid. . ,184 c i i i l t t i ‐Pi i l chen ze dagog s ‐ .461~2 {im VorChr ,1890 ′s 7) K. Sch1nidt: Geschichte deI 8) Phaedrり 257 b, 9) Resp. . ,518 b ‐ ・. s pり377 b では, 10) Phaedrり 276 e には教育を農業にたとえ, 子弟に徳を植えつけることと説き, Re. しているが, 単なるたとえと 成人が欲するままの型式に刻みうるとして, 幼児の教育の重要性 を指摘、 みるべきであろう, , く も亦教師 11 ) びoα〆衣 は自らを教師と称したが, プラトンはこれを似而非教育者 となし, 冗鯛 &γのγd i ) t し て の 役 割 を 演 じ て い な い と い う, (K. Schmidt: op . .457 .c “S. 結 スとア ・千ロ 以上教育作用 の本質としての≠ロ スに就いて論述してきたが, 本稿 の冒頭において, ・. . か と う ガペーとの対立綜合において教育愛を説くことは, 必ずしも当を得 ていないのではない ・, い 疑問を提起したが, 今やこの疑問に対 して, 肯定的な解答に到達することができたといえよう, すなわち, 教育がエロスにおける共同の生産, あるいは生産した子弟をめぐっての友情関係であ るならば, ソクラ テスの教育愛は, それが共同の生産への愛である限り, 成熟者から未熟者, 豊か エロスが価 な者から貧しい者へ, ,上から下へというような意味での指導や教授活動の愛ではない. 値への愛であり, イ デアへの憧れであるとしても, それは醜悪なる魂を排除するような意味での 価値愛ではなく, 所謂差別愛ではない, エロスの目指すもの は必ずしも美 しいものとは限らず, ” 噂F γeレレテぴ鋤く に〆 ての で毒oひ≧し 噂 にα炉.” 」 ) と示 さ れ てい るよ う に そ れ はむ しろ美 しいも の. の中に生産することを目指すも のであり, 美を生産の手がかりとするにすぎないの 、である, 美とい 4 3 ) 等が教えら ) 2 ) 認識 の他に 智恵 われるべきものの中には, 身体・色・形・声・制度・法律等 , , ) とかの概念だけではなく5 れ るが プ ラ ト ン は こ れ ら が 美 で あ る ゆ え ん を ズpg毎 と か がo ,美 , , ”) ) 美 そ の も の が “〆で8 冗 zpのび叡 e残8 仰ごしのし彰 7 f が 美 で あ る の は こ れ ら が美 そ の も の に あ ず か り6. することによる故であり, これらが人間の感覚の中で最も鋭敏な視覚を通じて輝き出るのであり, ) したがっ しかも, 幸か不幸か, 美のみが最も明瞭に現われ, 最も可愛がれる運命をもっている8 . て 美におい の中においても て, その対象がた守 たま理想にほど遠く 非常識に近い者 , , , ,生産しよう 一 200 -.

(14) . 教. 育 愛. の. 問 題. の さ え, な お か つ, と .す る エロ ス の 働 きを否 定 す る こ と は.でき な い. む しろ, 醜 悪 と 見 え る者 中に. 美なるものを見出し, 美そのものの中に生産することを望んでいるのであるとすれば, アガペーに よって補われなければならない何ものがあるというのであろうか, さ ら に 叉, 共 同 の 生産 は 常 に プィ リ ア に お い て 実現 さ れ る と い う 点 に 注目 しな く て はな ら な い,. 共同の生産が プィ リアとの密接な関係をもち, しかも教育が共同の生産である限り, 教師と子供と の上下の関係においてなされるものでもなく, 権威と服従の関係においてなされるものでもない, また, ニーグレソが考えたように, 個物から形相に上昇する一方的な運動でもなく, 常に Y軸の構 造の上にだけ立つものでもない. 形相から個物への下降の関係, すなわち, 通路は一方的ではなく 相互的であり, 神と人間との中間に介在して, 人間から出たことを神々に, 神々から出た ことを人. 間に通訳 し, 伝達する ダイ モンであり, 上から下への運動と, 下から上への運動とを含むわけであ る, しかも, それはあくまで, 人間対人間の関係, 同 じく死す べき者であり, 同じく メイ モソ的で あり, 同じく生産的である人間の共同生活を基としている. 与える者と受ける者, 教える者と習う 者の関係においてなされるのではなく, 人間と人間とのブイ リアにあふれた交わりによって生産さ れたも の--それこそが教育されることがらである. 励んで倦まぬ認識は, 相互に愛し愛され, 教え教えられるエロス的結合の中に最も美わしく育つ のであり, すべての人々が, 真理を求めて励み, 縦に横に, エロスをもって結合する時, 真の幸福 と光栄ある社会が建設されるであろうし, 教育作用も真のエロス的結合をその基調となす べきであ ろ う,. ソク ラテ ス の 面 目 を 想 う 人 々 が 何よ り も 強 く受 け る 印 象 は, 彼 の 所 謂 の‘超し命の冗命 で あ る が,. それは必然に他人に向って働きかけ, 己れに蔵するものを人に語ることを希望する. かくて, 彼は ) 彼 が 単 な る のご ス6のめ〆 では な く, と和βメスoγ〆 でも あ っ た9 同時 に のば夕oγo( であ り, しか も の .. doの〆 知を愛すると共に人を愛し, 話を好み, 対話を好む.すなわち,ソクラテスの本質の中に のばd のばαリ命の冗金, 中 層スor〆, 彰 わ&魚oγ〆 が一体化されていることを知る時, 彼のエロスこそ全き教 育 愛 の 全 構 造 を 占 め るも の と い っ て よ い し, 教育 愛 の 中 に あ え て ア ガ ペー, プィ リア, カ リ タ ス 等. の要素を求めずとも, 永遠の師ソクラテスの中に, 教育愛の具体的姿を見出すことができるのであ る, D. S. . . . . . ● . . . 1 . ● ● . ● . ・ r . ● . ・ 1 . ・ . ● . ン . ・ ● ● .. . ● ● . ●. ・. . 1 ・. 1. 2. . , 06 e あ ym. i Gorg as . ,474 d ,e りのののりの Sym. . ,204 b id ib , . ,21o c i Gorg as . ,474 d Sym. ,211 b . Phd . . ,loo d. . ,250 d め Phdr.. 2 石山傷平 : 前掲書, p . .40. ・. 1- - 20. .. . ・.

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参照

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