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労働基準法第78条論(2)

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(1)Title. 労働基準法第78条論(2). Author(s). 小川, 環. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. B, 社会科学編, 19(2): 124-134. Issue Date. 1968-12. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/4344. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 19 巻. 昭和43年12月. 北海道教育大学紀要 (第一部B). 第2号. 8条 論 (2) 労 働 基 準 法 第7 -- 労働者の 「重大なる過失」 につい ての覚書 -- 環. 川. 小. 北海道教育大学札幌分校法律学研究室. l i t e 78 f Labour Standerds Act Ar c Tamaki oGA・VA : The theory o ,. 次. 目. て 亘. 問題の所在と限定 制度の継承性ないし踏襲性ということに ‘ )い て. 1 . はじめに. 2 . 労働者災害補償制度史素描. 3 . 労働者の 「過失」 の成立と 「重大なる , 「過失」 への転換及び解釈 1 ( ) 鉱業条例と労働者の 「過失」 の成立 ( 2 1 工場法の成立と 「重大なる過失」 へ の転換 3 ) 重大なる過失の解釈 (. (以上前号) 4 . むすび m 過失相殺的思想ということについて 1 . はじめに 2 . 行政当局がとる災害補償制 度の法理 災害補償 3 . 「過失相殺」 の法理の素描と 制度 4 . むすび 〔補論〕 労働者の注意義務ということにつ し・て. N. 結 論. (以上本号). m. 過失相殺的な思想ということについて 1.. はじめに. 行政 当局が主張する 第2点は, 労働災害が労働者の 「重過失」 によ ってひきおこされた場合, 用者 がその補償責任を免責されるのは, 「過失相殺的な思 想(D」--労働省労災補償部編著 「前 書」 では 「過失相殺的思想」 といわずに 「対抗手段」 としている. このことはさらに政府・総 本の災害補償に対する基本的論理なり態 度を示すもの として 重要な意味内容をもつものである 一一 に も と づ く も の だ と し て い る.. だが労働者の 「重選 失」 がある場 合, 何故に過失相殺の法理によ って個別資本がその補償責任 免除されるか, その法的根拠について残念ながら明確な理論は展開されていないのである. そこで行政 当局が何故に過失相殺の法理を 導入するかは 別箇の観点から推論するほかはない. なわち, 行政当局 が災害補償制度の法 的性質を どのように把握 しているかに関連しているもの 考えられるのである, つまり行政当局が災害補償制度の法理をい かに構成しているかの, いわ , その理論的帰結であるといえよう, ここでは, まず災害補償制度の法的本質を, 行政当局や労働官僚 が どのように理論構成してい かを検討してゆきたいと考える. あわせて, 過失相殺の法理と 災害補償制度との関係を検討し 4- -12.

(3) . 労働基準法第78条論 { 2 ). てゆきたいと思う, とくに個別資本と被 災労働者において問題と なる 「過失相殺」 の法理は, す 2 )をもつ労働者災害補償制度 に導入できるものか あらためて問うてみる必 ぐれて労働法的性格( , 要があると考えるものである, かくする ことによ って, 行政当局が主張する理論的側面を検討す ることによ っ て, (1) のとこ ろで検討してきた歴史的形成過程の側面の検討をあわせて考える こ とによ って本条の法的構造の全体的把握ができるからである. 註 1) 労務省労基局編著 「労働基準法」(下)754頁. 2) 沼田稲次郎教授著 「市民法と社会法」9 6頁, なおポール・ ピック著協調会訳 「改訂第6版労働法」(下巻) 2 01頁以下参照.. 2 , 行政当局が構成する災害補償制度の法理 行政当局は災害補償の法的性質を次の如 く構成する, 労基法上の災害補償は 「とくに災害補償 1 ) は個々の使用者対労働者という個別的労働関係の場において規定され( 」 たものであるが, 労基 法は労働契約関係について相当詳細に規定を設けているが, なおかつ, 民法の補充適用を全く予 定しないものでない. それ故に, 労基法上の災害補償においても 「民法の補充適用 し」 「災害補 償と民法上の損害賠償との同じく損失てん補の制度としての 同質ないし共働性における把握が前 提」(下点-引用 者) としなければ ならないとし, その法的根拠は 「業務危険主義にもとづく な , )」 であ● ん ら か の 損 失 て ん 補2 るとしている, さらに災害補償制度は 「旧来の市民法の理念におい ) てさえ無視することを得ない損失てん補の観念による制度であることによ って支え られて( 3 」きた ものであるとしている. すなわち, 災害補償制度と損 害賠償制度は, 同 質的規範原理に立脚し共 働的関係にあるのであって, 個別資本が補償責任を担保するのは危険 責任主義の 観 点 か ら 「損 失」 を 「補填」 するものだとしているのである, それ故に労基法上の災害補償責任は, あくまでも 「民法上の損害賠償責任の延長( 4 ) 」 であっ て ) 5 この制度の目的は 「無過失損害賠償理論に基づいて, 被災労働者を救済( 」 を内容としているだ と い う こと に な る な る の で あ る,. これら行政当局や労働官僚の見解を総合す ると, 災害補償制度の法理は市民法上の不法行為法 による損害賠償の特則たる 無過失賠償責任論によ って理論構成されているということができるの である, かかる視点に立脚して災害補償の法理を構成すれば個別資本の無過 失責任は 「従来は, 過失責任を原則とする不法行為に対比して, 使用 者の過失を問わない災害補償しないし (扶助) 6 ) は無過失責任を問う特則( 」 だと説明されることになる, かように災害補償制度の法的性質を 個人主義的市民法原理に 立脚したところの損害賠償理論の 延長としてとらえ, 使用 者の無過失責任を特殊不法行為法上の問題であるという角度からは, 当 然, 労働者及 び使用 者の社 会的関係は対立する自由・平等・独立の人格者間の 関係となり, 「個 人」 の責任が重要な要素となってくる, だとすると災害補償をめぐる社会的権利 ・義務の関係は, 被害者=損害賠償権利者と加 害者= 損害賠償義務者という市民法的権利義務関係, 換言すれば市民法上の債権 ・債務関係に単純に還 元されることにな らざるをえない. かように商品交換の原素形態に照応する法的関係としてとらえるならば, 当然災害補償関係に おける債権者に 「過失」 が ある場合は, その 「過失」 の程度によ って, 債務者である使用 者の損 害賠償責任及び額は軽減される ことになる, 災害補償制度を個人主義的市民法上の損害賠償法の延長としてとらえ, 使用者の補償責任を追 -125-.

(4) . 小. 川. 環. 及する観点にたてば, 労働者に 「重過失」 がある場合は使用 者は補償責任を免責されるという 過 失相殺の法 理は成立するものといえるのである, 以上が労働法を 「市民法理論を通じて, その上に出る」 という行政当局や労働官僚の見解が一 致して過失相殺の法理を 導入した理論的根拠として推測できるのである, 換言すれば, 災害補償 制度に過失相殺の法理を導入することは, 行政当局や労働官僚がその法的性質を市民法上の無過 失損害賠償制 度と同質的原理として把握していることの, いわば, 極めて, 自然な理論的帰結に ほ か な ら な い と い え る の で あ る,. 註 46頁, ここで氏の民法と労働法との関係を見よう, 同氏は労災補償 (1) 村上茂利著 「労災補償の基本問題」2 についての労働省に於ける理論的指導者であり, 実際に労災補償行政をたずさわっておられるので, 同氏 の労働法の特殊性に対する考え方が労災行政にかなりの影響をあたえていると思われる. 村上氏は 「同書 48~149頁」 に論述を求めつつ, 次の如く述べる. 同質」 において, 石井照久教授の論述(「労働法総論」1 「労働法といえども, その固有の意味において資本制社会の法であって, 資本主義経済社会をその規整の 前提とするものである, したがってまた労働法は, 市民法秩序の存在を前提と し, その基礎の上に立 って なおかつ, 市民法秩序を修正 しつつ, 市民法秩序とともに全体としては資本制法秩序の体系のうちに調和 的に織りこまれているものであること, また簡単に 『市民法的理論との決別』 という主張のもとに, 労働 法の特異性に甘えて, その具体的な検討を怠るべきでなく, 市民法の理論ないし, 体系を修正する労働法 の特異性は, 正に 『市民法の理論を通じて, その上に出る』 べきものであって, 『市民法理論を乗り越え 叉は回避して樹立せられるものではない』 ことの指摘は, この場合 (災害補償制度は生存権保障ないしは 生活権保障だとの説に対する批判 --引用者) について, 極めて適切な批判をすることができる」 と. 長 引用文にな ったが, 労働法と市民法は相互補完関係にありて, その調和のうちに 資本主義社会の法秩序を 形成しているのだというのである. 実は行政当局の労働法の特殊性に対する認識なり, 意識が示されてい ると思われる, 労働法を上述の如き観点からすれる雷 , 本文で述べた如く, 災害補償制度を 「市民法の延長 として」 とらえるのは当然の帰結である, だが労働法は 「民法と労働法の断点ないし, 両法理の転回-- つまり民法法理の抽象性--法と事実及び規範意識とのギャップ--の露呈への反省を媒介として労働法 は, いわば民法を破皮」 するのである. 規範的原理を自由の原理におく市民法と生存権・労働権原理にお く労働法は同質的, 併並的なものではないのだ. 行政見解の間違いはここにあるのだ (例えば沼田稲次郎 1頁以下参照) 教授著 「労働法論序説」3 . しか し行政当局の認識は単に本条にと どまらず 「業務上外の認 定」 ,労基法第84条第2項の 解釈にあっても, かなり明確に示されているので注意を要する. 47頁. (2) 同氏 「同書」2 (3) 同氏 「同書」248頁. 42頁. (4) 渋谷直蔵著 「前掲書」3 (5) 労働省労基局編 「前掲書」(下)720頁. 12頁. (6) 沼田菱鯖受著 「労働法論」 上巻, 411~4. 描と災害補償制度 3 . 「過失相殺」 の法理の素 1 ) 日本民法上 「過失相殺」 に関す る規定は周知の如く2つの場合がある( , 不法行為にもとづく ・損害賠償ノ額ヲ定ムルニ付キ之ヲ 損害賠償責任に関 して 「被害者に過失アリ タル トキハ裁判所ノ 醤酌 スルコト得」 (民法第722条2項) の場合と 債務の不履行にもとづく損害賠償責任に関 して ・損害賠償ノ 責任及ヒ其金額ヲ定ムル 「債務ノ 不履行二関 シ債権者二過失アリタル トキハ 裁判所ノ 6条参考) 18条) の場 合である (独民法第254条・第84 ニ付キ之ヲ蟹酌ス」(民法第4 . io cul これ ら は ロ ー マ 法 以 来, 過 失 相 殺 (Compensat pac) と 呼 ば れ る も の で あ る.. この過失相殺の法理は, 損害賠償制度を指導する公平の原則と債権関係を支配する信義則との 18条の場合も同一の原理の上に成立し 具体的な一顕現であって, 民法第722条第2項の場合も 第4 ( ) 2 てい るものとされている . しかも両規定にお ける過失相殺の要件および効果については, 法文 ) 3 上 の 表 現 は 多 少 ュ ニ ア ソス の 相 異 は あ っ て も 認 め る べ き で は な い と い う の が 多 数 説 で あ る( ,. 1 5条の基本的規定に対比される例外的 9条, 後者が民法第4 この 両規定をみると 前者が民法第70 が加害者 しかも基本的規定 =債務者を基点としているのに対 規定であることは云うまでもない. -126-.

(5) . 2 ) 労働基準法第78条論 {. し, 両例外的規定は逆に被害者=債権者を基点として構成さられ, それぞれ 「加害者の負ふべき 4 ) 賠償責件の軽減を期する( 」 ことを目的と したものである, ・過失ニョリテ他人ノ 権利ヲ侵シ」(民法第 ところでこの両規定の基本的規定をみると 「故意叉ノ 70 9条) 叉は 「債務ノ 本旨二従ヒタル履行ヲ為ササル」 との要件が要求されている. そこには加害 者=債務者の行為について非難し, かつ, その責任を追及するという要素が強く作用 しているの 1 8条が規定する被害者の 「過失」 を観酌す である。 かかる観点に立つと民法第722条第2項, 第4 る旨の規定は, 「基本的規定に従っ て賠償を負うべ き加害者の立場を基点として, その利 益の為 に設けられていると共に, 本来ならば基本的規定に従 って損害全部の賠償請求権を取得すること 5 ) 」 を もって いるので ができる等の被害者に不利 益を課してその行為を責めるという間接の意味( ある, かようにこれらの規定は 「債権者の主体的意思が介在する場 合に, 債務者の責任に影響を ) 6 」 であるとするものであり, 基本的規定と同様に 「『責任』 が主体者の もたらすのは当然の帰結( 意思によ って媒介されるという原理」, すなわち個人責任主義の原理に立脚したところの法理であ る. この規定は加害者=損害賠償義務者の利益を基点として, 被害者=損害賠償権利者の責任 と 行為を 「悪」 として追及し非難するという趣 旨の規定であって, 当事者間の利 益関係を公平の見 地から考慮されているところの過失責任主義の具体的あらわれである. 過失相殺の要件は損害賠償権利者に 「過失」 があることが必要であるが, この場合の 「過失」 とは広い概念であ って, 例えば不法行為の成立要件の如く厳格な意味でのものでなく, 単に 「不 注意」 によ って損害の発生を助けたということ, あるいは, 損害の防止のための措置を怠っ たと いうことであれば足りるとされている, すなわち, 「注意 義務違反」 で な く, 単 な る 不 注 意 ) これ が 過 失 相 殺 に 7 igence) で あ れを よ い の で あ る( l (reckl i ) な い し軽過失 ( essness s ghtnegl . l べ ( n e 「 重過失 」 r s 「 に比す き o s 故意」 gigence) で あ る こと おける 「過失」 の内容であっ て g. ,. は 必 要 と しな い の で あ る.. 8 ) もあるが, しかし過失の また被害者に過失があるとするには責任能力が必要であるという説( べ 程度が異なるとすれば, その前提となる き弁識能力につ いても, 加害者の責任能力の 如く (民 3条類推) 法第712条, 第71 , 行為の結果として責任が生ずることの認識能力は必要でなく損害の発 9 ) 生をさけるだけの必要な注意する能力があればよいのである( . だとするとこれは通常 人として あ って, 労働者が労働遂行 上要 一般的注意義務を軽卒に解怠したという程度のもので 要求される 求される注意義務解怠という ことでは決 してないのである. 最後に効果をみると被害者に過失があれば, 裁判所は損害賠償額を定めるにつき, これを考慮 べ す きこととなるのみならず場合によっては賠償責任を否定することができる. 否定すべきか ど うか, また, いかなる範囲に軽減す べきかは債権者・債務者双方にお ける故意・過失の大小, そ の原因としての強弱その他諸般の事情を考慮し, 公平の原則に照らしてこれを決定すべきもので )(もし考慮しなければその裁判は違法である) o あるとされるl 。 またかかる効果は民法 第722条第 1 ) 18条の場合を区別して考える必要はなく同様に解決してもよいとされている1 2項と第4 . それは 両規定とも纏述の如く公平の原則にもとづくところの制度であるからである, 以上, 要件・責任能力・効果を主点として 「過失相殺」 の法理を素描してきた次第であるが, この 過失相殺の法理は不法行為法上のものであれ, 債務不履行法上のものであれ, それは個 人の l d) との問題と関連して成立するところの法理で 主体的行為を要素とするところの 「責任」(Schu あり, あくまでも市民法上の損害賠償制度上の規定である. かかる個人主義的市民法原理に根拠をもつところの過失相殺の法理 (具体的には 要件・責任能 7- -12.

(6) . 小. 川. 環. 力・効果を考えあわせても) を災害補償制度の法理に導入することは, たとえ労働法が 「市民法 の理論を通じて, その上に出る」 ものであ っ たにせよ正しくない. 繕述の如く災 害補償制度は市 民法上の損害 賠償制度の延長ではない. そ れは労働災害が 「一般的に資本制生産社会の責任だと する, 生産手段から切りはなされた社会的階級的人間の資本に対する抗議意識と, これに対する i 2 ) 資本制国家の譲 歩と修正の上に( 」 成立し た制度である, それ故に, この制度 は労働者の生存権 ・労働権保障を直接的に目 的としたものであり, すぐれて労働法的制度であるからである. 災害 補償制度と損害賠償制度 は規範的原理を異にし法的構造を異にするのである. 労働法が市民法上 のメ タルフオーゼたるにすぎないにせよ, 独自の法原理をになうものであり 労働者の生存権・労働権を規範的原理とする労働法が妥当する世界においては 市民法原理は抽 象 的一般的な前提として, その背後に後退せざるを得ないのである. かように, 市民法 上の 「過失 相殺」 の法理は災害補償制度に導入しがたきものであり 適用する余地は全くないといってよい, 行政当局や労働官僚の如く 「過失相殺」 の法論をもって, 使用 者の責任を免責ないし軽減すべき だという論理は, 使用者の災 害補償責任を不法行為法との関連でとらえることの理論的帰結にほ かならず, まさに規範的原理 を混同したものというべきほかはないのである, かかる論理は, 労 基法の精神・基調・理念を真向から否定するものであるといいうる . 註 (1) 民法における 「過失相殺」 については, 薮重夫教授の研究 (同教授著 「過失相殺」 ・総合判例研究叢書・ 「民法12 」1 73頁以下) がある. おおいに参考にな った. (2) 我妻栄著 「新訂・債権総論」12 8頁, (3) 我妻 「同書」12 9頁. 於県不二雄著 「債権総論」136頁. 加藤÷郎著 「不法行為」24 7頁. (4 ) 末川博著 「不法行為並びに権利濫用の研究」5 9頁. (5) 末川 「同書」60頁. (6) 川島武宣著 「債権法総則講義」 第一・10 1頁. なお契約責, 任と不法行為責任の関係については同書135頁及 び同教授著 「民法解釈学の諸問題」 1頁以下参照, (7) 末川 「前掲書」6 1頁. 於保 「前掲書」13 5頁. 川島 「債権法総則講義」 第1。io l頁, (8) 末川 「前掲書」67頁。 我妻 「前掲書」126頁, (9) 加藤 「前掲書」24 7頁. (10) 我妻 「前掲書」13 0頁. ( 11) 我妻 「前掲書」131頁. 加藤 「前掲書」252頁. 反対勝本正晃著 「債権総論」 上巻423頁. 石田交次郎著「債 権総論」12 8頁. (12) 窪田隼人教授 「災害補償」(西村他著 「労働基準法論」 所収)323頁. (13 ) 沼田教授著 「現代の権利斗争」283頁. 4 .. む す び. 市民的人格間にお ける私的経済関係の利益を調整する 「過失相殺」 の法理は, 上 述の如く損害 賠償法 を指導する公平の原則と, 債権関係を支える信義則によ って承認されたところの制度であ 1 ) は, 単なる私人間の利益関係はでな・ る。 だが労使ないし労資関係( いのである, 労使関係という 社会関係は労働市場の視点からとらえる限り労働力商品の売買当事者として 結合関係にあるけれ ども同時に資本制生産関係の視点か らみれば 搾取者と被搾取者--資本と労働カー. との階級的. 矛盾関係を基底としたものである, かように一側面において労使関係が法的人格者間の法的関係 として類型的に把握せられ たにせよ, その深底において階級的従属性に規定されているのであり そこに生存権な り労働権なり団結権なりが労働法の理念として承認され, 労働法独自の領域が展 開 さ れ る の で あ る,. 災害補償制度も, また当然にその基底において 階級的従属性によ って規定された社会的関係を 前提としているのである. かような関係においては, 私人間の利益を調整するところの過失相殺 -128-.

(7) . 労働基準法第78条論 勘. の関係, 対抗関係は成立しないのである. 災害補償制度 は使用者が 社会的存在として 資本機能を営む範囲において発生した危険に対し, 労働者の生存権・労働権保障の理念に てらして社会正義の原理により, その社会的責任として個 別資本に無過失責任を負わせたところの制 度である。 すなわち, この制度の本義は 「災害の危険 を内危する企業に 雇われなければ 生活をすることが できない労働者」 を使 って 「業務」 をしてい る個別資本=使用者に対して, 社会的に 最低とされる一定率以上は, 労働者のうけた損害の補償 3 ) を義務づけ, それによって 「人間らしく」 働きつづける権利を保障するところにある( . 従って 為にかん して過失・無 使用 者あるいは労働者の個別的作為・不作 個別資本の補償責任の原理は, 過失の存否を問う損害賠償責任の原理でないのである. だとすると, 労働者の 「重過失」 を理由として過失相殺の法理により 個別資本の補償責任を免 除する ことは, 古典的な意味での労災補償--厳格な使用者責任論に導びかれた一一に戻る こと ) 4 となる( , さらに この法理を普遍化し拡張してゆくと 労災関係において労働者のみに不利益を帰 することとなり, 極めて不合理といわざるを得ないのである. 従って, 災害補償制度の法理に 「過失相殺」 の法理を導入することは間違いであり, む しろ, ) 「過失相殺」 の法理=損害賠償法的構成から5 , 災害補償制度を解放すること, 脱皮させること が, とりもなおさず, 労働者の生存権・労働権保障を 基調とする制度の本義に合致するものであ る,. 註 43~145頁. (1) 沼田教授著 「労働法論」 上巻1 0頁. (2) 沼田教授著 「同書」45 4 (3) 沼田教授著 「同書」4 6頁. (4) 三島・, 佐藤洪 著 「労働者の災害補償」214頁, (5) 安尾教授は本条について 「労基法が損害賠償法的構成をとっており, また, かかる観念を残存せしめてい ることに基づくものであるという外はない. たとえこれが労働者への訓戒的意味を持ったにしろ, 過失で あるかぎり重過失についても過失相殺の観念を以ってすべきではない」 (同・ 「労働災害補償の法理」 ・ 労働法13号14頁) を述べられる. 私も賛成である,. 〔補論〕 労働者の注意義務喚起ということについて 1 ( ) 本条の立法理由を説明するもう1つの事由は, 特に安全・衛正に関して労働者の注意を喚 起するためだとしている. つまり労働者の労働遂行上当然要求される注意義務を高めるために, 過失相殺にもとづく, この規定を設け たのであるということである. またこの行政見解にちかい 論述としては 「本法及び附属規則, 殊に労働者の労働安全規則には, 労働者に 義務を課 している. 場 合が多い」 としてその義務の内容を説明している. ) も, 本条は労働者の安全・衛生に関する注意を喚 起する思想に立っている これに対して学説1 ものであるとして賛成 しているように思われる, しかし, それらの学説は 「注意義務」 を, あま り広義に解釈すると法の実施・運用の過程で妥当ではなく 行政事例について批判を加えている. また 「重過失」 についての解釈は, 諸々の視点から 「『重大なる過失』 とは, 故意にも比すべき ) 程度の重い過失をいう2 」 として, きびしく解釈することによって 本条の適用を極く小範囲に限 定しようとしている。 以下, この問題を使用者の補償責任との関係について検討してゆきたいと 考える. 註 09頁. 松岡三郎 1) 末弘厳太郎 「労働基準法解説」 ・法律時報第2 0巻6号3 1頁. 吾妻光俊著 「労働基準法」3 6頁, 有泉・ 著 「条解・労働基準法」(下)41 8頁. 慶谷淑夫 「災害補償」(「労働法講座」 第5巻所収)135 7頁等, 及び労基局 「労基法」(下)754頁, なお, 寺本広作氏はその著 青木共著 「就職から失業まで」13 一12 9-.

(8) . 小. 川. 環. (「改正労働基準法の解説」3 4~5頁) において, 本条の立法理由を次の如く述べられる. 「補償制度に関 9 する先進国の立法例 (アメリカ各州・ベルギー・ ドイツ・オhストリヤ・オランダ等) は労働者の重過失 はもとより, 重過失の場合でも, 故意叉は犯罪行為によるものでない限り, いやしくも業務上災害に対し ては, 使用者に総べて補償義務を負わしめるが通例である, 法案作成にあたっては電気産業労働組合等よ 弱過失の有無を事後に第3者が判断することの至難な点を指摘し, 本条の削除方が主張されたが, 安全衛 生に関する労働者の注意義務を喚起するために本条が必要であるとの理由で工場法, 鉱業法のまま本条に 踏襲されることになった」 と. つまり, この条文が立案された当時, 労働組合の反対運動があったが, そ れにもかかわらず, 反対をおしきって条文化 したのは, 「労働災害は労働者にも半分の責任あり」 として その責任を労働者にもおしつけたことを意味 している, 換言すれば立法者の意識の中には, 労働者の注意 によって, 災害の防止を図ろうとする意図があったのである, 本条はかかる意図の具体的あらわれである と いえ よ う.. 2) 吾妻 「前掲書」30 9頁.. 2 } だ が, 労働者 が 「人たるに値する生活を営むための必要を充たす べき」 (労基法第1条) ( 労働条件と健康と生命を確保できる安全, かつ衛生的な労働環境の もとで働く権利を保障するこ とは使用者の社会的責任である. 危険の内包する企業組織 に多数の労働者をやとい, 資本として の社会的機能を営み利潤をあげる個別資本の社会的責任である. それは労働者の栄養と休養と教育とが十分とれる労働条件が保障され, 労働環境が整備され, 保安 点検が常に充分なされ, 保安施設・設備の拡充, 労基法・安全衛生諸規則が完全に実施する こと, 労働者の危険・有害を伴う職種就業の禁止・行動の放任叉は黙認を しないことがなにより もま して, 使用者に要求されるものである. さらに職業訓練・保安教育が徹底化される必要があ る. これら個別資本に当然要求される労働条件の維持改善, 労働環境の整備, 保安教育の充実等 は労働災害防止の 第1歩である, これら 「生きた労働力」 をつかって経営活動を営む個別資本に 要求される義務の履行が充分なされずして, 災害の防止を労働者の個人的注意にのみ依存するの であれば, まさに本末転倒である. 「注意によっ て事故を防止する」 ・ 「災害は労働者の不注意 )に によっ て生じる」・「労働者の不注意から事故がおきる」 という思考論理は非科学的精神主義i おちいり, 資本の本質を隠蔽し, その責任を回避するところの神話にす ぎない. さらに 「剰余価値の生産または剰余労働の搾取が…… 独自な内容および目的」 とする資本は, 「労働の生き血を求め」 ながら再生産運動を展開するものであり, この悲劇的必然性の形象が労 働災害にほかならないのである. また, 生産力を構成する生産手段は, あくまでも 「生産」 の 「手段」 であっ て 「安全」 の 「手 段」 ではないのであり, 労働力を消費し破壊しながら生産をしてゆくのである (労働力と生産手 段の矛盾) . 他方, 資本家は生産手段にあてられる不変資本を可能な限り節約 し, 安全確保のための追加投 資は無駄なものと考えらォも徹底的にきりつめられるのである. さらには, 労働者の大量解雇, 労 働強化, 労働密度の増大, 労働時間の相対的絶対的延長, 低賃金への固定化と実質賃金の切り下 げ, 労働者の権利の利奪等, 労働者に一方的に犠牲を強いることによって合理化が強行し利潤を 最高限なものにしてゆく. かかる状態のもとでは, 労働者がいかに注意力を発揮しても, そこに は一定の限度なり限界がある. ここでは労働災害は必然的に, む しろ法則的に発生するものであ る. けだし災害の原因は労働者の 「注意力」 をこえた生産機構そのものに爆発的にひきおこされ る要因をもつのであるからである. だから労働者が 「犯罪」 とか 「故意」 によ っ て災害を惹起した場合をの ぞけば, 事故発生の局 面のみを単純にとらえて, 単に注意義務を怠っ たとか, 安全衛生諸規則等に違反したとかとの事 由で災害補償請求権を否定される根拠は合理性がないといわざるをえない, 経済的制裁を本旨と 0- -13.

(9) . 労働基準法第78条論 { 2 }. するところの本条は, 労働者にその不利益を課するところによ って 「労働者の自主的注意によ っ ) て防止する 」 という思考論理は, 上述の如き労災を 「避けが たき偶然2 」 としてとらえる災害補 . 償制度の基調に矛盾するとい うことになる. まして, 現在合理化が凄ま じい速さと大規模をもって遂行されているなかで, 労働者の大量首 切り, 長時間労働, 低賃金その他労働条 件の切り下げ, 保安無視, 生産第一主義の もとで災害, 職業 病が激増 している. 健康な労働者は肉体的疲労が慢性化し, 生命と生活, すなわち生存自体 がじかに破壊されている, このような苛酷 な労働条件の中で, 行政実例が示すが如き 「おもわず 横着して」 とか, 「禁を犯して」 とか, 「危険標示を無視して」 とか, 事故発生原因の一 局面を とらえ, その労働者がおかれている, 労働諸条件, 保安施設・教育等一切を無視して 労働者に , 「重過失」 があっ たとして補償責任を免除すべきものではない( 3 ) , それ故に個別資本が社会的存在として 資本機能--生産手段と労働力の結合する労働過程およ び労働環境--の範囲で惹起した災害であれば 労働者の過失の存否を問わず一 切について使用 , 者の補償責任は免れないものというべきであろう , 労働者の注意義務喚起の ために本条をもうけたという行政当局 や労働官僚の主張は いたずら , に労働者に災 害の責任をおしつけ, さらに, 精神的経済的不利益を課する ことになり にわかに , 賛成できないの である. 註 1) 例えば藤本武著 「労働災害」17頁を参照. 2) 沼田教授著 「現代の権利斗争」3 0 0頁. 沼田教授は (同書同頁)」使用者に補償責任を免れ しめることによ って労働者の注意を喚起するという考え方は労働者の補償請求権を使用者による恩恵の如くとらえる思想 が秘められていないか」 と憂慮されている. 3 ) 行政当局が 「重大なる過失」 と認定している実例については, 多くの学者が引用し批判を加えているので 本稿ではとりあげなかった. 例えば沼田教授著 「労働法論」 上巻423頁, 窪田 「前掲書」35 2頁以下, 諺沼 謙一著 「災害補償」 (「賃金・労働条件と労働基準法」 労働問題と労働法第5巻所収)2 2 8頁, 深山 「前掲 0頁以下あわせて参照. 書」18 3 } L. 「ヘ ルメ ッ ト を か ぶ ら な か っ たと い う よ う な 労 働者 の 不 注 意 は 問 題 に な ら な い . にもかか. わらず, 経営者は 『ヘルメ ッ トをかぶっていなかっ た』 , 『機械使用 規定を守らなか っ た』 な どを 理由にして, 私傷扱いすることが多い. ヘルメ ッ トは①ずい道掘さ くの他 ②岩石土砂掘さく , , ③船台・高層建築場 の下, ④港 湾荷役, ⑤造林・伐材などのうち, 物体が飛落ま たは落下のおそ れある作業の労働者に着用 させねばならず (労働安全衛生規則12 9条の2) . また, 労働者も着用 しな け れば な ら な い,. しか し, 着 用 し な い か ら と い っ て, 労 災 認 定 を し な い と い う の は 不 法 で あ. る, 最近, 上記以外の作業場でも一般的にヘルメ ッ トの使用を命令強制し それを つ けていない , と私傷にする 動きが進んでいる. しか し医 学 的 に み て,. ヘ ル メ ッ トは 絶 対 的 な も の で な い, ヘ ルメ ッ トを つ け る こと に よ っ て 衝. 撃が大きくなり, かえ っ て頭蓋内出血が起 こることさえある ヘルメ ッ トはその意味では一時的 , ・予備的なものにす ぎず, 物体が落下 ・飛散しないよ うに安全管理をする ことが 何よりも大切 , )」 と で あ る1 ,. 冒頭から長引用となっ たが, これは細川教授の労働医学からの証言である われわれ専門外の , 者にとっては, ショ ッ キングな報告である, 勿論この事例は行政当局によ って 労働者に 「重過 , 失」 あっ たとして業務上災害の認定を拒否され たものである , これは一つの特殊的具体的 実例であって, これをもって行政認定が, 直ちにすべ て不法・違法 なものであるとは断定できないが, しかし, 行政当局の労働者の重過失について認定の方法,内 -131-.

(10) . 小. 川. 環. 容ひいては思考論理なり, 態度なりが集中的に表現されているの ではなかろ うか. 多くの学者が 行政解釈を 批判しているよう に, 当然労災補償が受けられる 事故まで労働者に重過失があったと して私傷 病扱いにする場 合がかなり多いと聞いている し, また私 が調査したところでもかなりあ る.. 行政当局の解釈例規なり通牒はそれ自体法 的効力をもたないが, 実際上非常 に大きな力をも っ て い る し,. こ の 行 政 解 釈 の 「型」 によ っ て, 現 実 に は この 制 度 が う ご か さ れ て い る こ と は 否 定 で. き な い の で あ る.. 業務上外を認定する場合, 行政当局はその 災害が 「業務起因性」 と 「業務遂行性」 の2要件を である が, その解釈も ) 厳格に解釈し2 , この要件を充足すれば, 業務上災害として認定されるの 沼田教授が指摘される如く 「最後的には, 『使用者の責に帰すべき事由による』 ということにな ) 」 ようである. かくすることによ って, 業務外災害と認定される場 合は, 本条を安易という る3 よりは窓意的に適用 し, 労働者の軽微を注意 義務際怠も重過失があっ たとして, その責任を労働 者の不注意=重過失に帰 し, 使用 者の補償責任を免からしめているとい っても過言ではないので ある. 規範と行政解釈 のギ ャッ プは益々ひろがり, 規範が現実の行 政指導や解釈によ って空洞化 ・形 骸化 している事実は単に災害 補償制度のみならず, 労働法全 般にかかわる問 題であり, 労働 者の権利闘 争が以前にもまして必要と されるゆえん がある. 労働災害が 労働過程 (労働力 と生産手段の結合-- 価値増殖過程に従属するところの--) に おいて, 労働者 の注意力をこえたところに おいて発生するものであり, それ故にこそ労働者 災害 保険法の必要性と法定理由 (労災保険によ って補償責任が分散されていることを思えば, ますま す不合理 である) がある ならば, 本条は災害補償制度の法的構造にとって異質 的なものであり, 立法論的には削除す べきものであると考えるのである, 註 4頁. (1) 細川汀著 「職業病と労働災害」23 154頁. 深山 「前 ・ (2) 労働省労災補償部編著 「労災補償における業務上外認定の理論と実際」 -負傷の部-73 3 3 1 頁 1 「 掲書」1 7 頁. 窪田 前掲書」 . (3) 沼田教授著 「労働法論」 上巻421頁. W. 結. 論. 行政当局の主張する論点を手がかりに, 歴史的形成過程の側面 と法理論的側面から本条の立法 理由をその規範的性格を検討 してきた. それは戦前において, この種の制度があ ったと しても, それが戦後の災害補償制度に, 当然, 継承・踏襲せられべきではなく, また, 使用者の災害補償 責任を不法行為との関連でとらえる べきではない. 労働 者の災害補償請求権も他の労働者の権利 と同様に生存権・労働権に規範的原理をもつところの社 会的権利である. 災害補償制度もまた労 働者の生存権・労働権保障の規範的原理に根 ざし, 市民法的損害賠償制度とは法的 構造を異にし ているのである, さらに労働者の労働遂行上要求される注意義務の喚起すためだと主張されるの ) であるが, 政策目的ならともかく 当然に法的な制限根拠となりうるものではないのである1 . す 除すべきであると考え れば本文中に述べた如く 労働者の重過失による補償制限は立法論的には削 る の で あ る.. と ころで本条に は2つの重要な問題を含んでいる, 1つは重過失認定の構 省と方法の問題であ り, もう 1つは 「重過失」 それ自体の問題である. 先ず重過失認定の構造と方法について みよう. このことは業務上・外の認定にかかわるもので -132-.

(11) . 労働基準法第78条論 { 2 ). あるが, その認定 の構造と方法において, 次のよ うないくつかの問題をふくんでいる 第1には , 「使用者がそ の過失について 行政官庁の認定を受け」 (労基法第78条) なければならないと規定 していることである. すなわち, 重過失 の認定申請権者は使用 者である. ここでは被災 労働者な り労働組合 の 「事実」 認定 の介入を徹底的に排除 していることである. したがっ て重過失 の立証 責任は使用者 のみにあり, 労働者の意思を無視して一方的に申請ができるという仕組みとなって いるのである. 第2には労災保険法による保険料が使用者 の負担のため行政官庁 の処理が使用者 の申請事由をそのまま認定 し申請の方向にか たむきやすくなっているのである, 第3には保険料 の算出がメリッ ト制をと っているため, 当然業務上災害にあたる事故まで私傷病扱いに し, 災害 発生件数を削減しよ うとする傾向が強い, 事実としてかかる操作が行 なわれていることは少なく ない. 第4として工場医・嘱託医と使用 者 の関係であるが, 極端にい ってしまえば彼等ま た所詮 被雇者達である, すると一部においてはかかる関係から使用者 の意図に 迎 合しやすく その診断 , にあたっては必ず しも労働者保護 の視点からその原因を判断しない場合もある 第5としては 労 。 2 ) をふくんでいる これらの法規お 働者個人の力では業務 起因性を立証が困難 である. 等の諸点( , よび行政解釈の欠陥は災害補償請求権を真向から否定 しようとも限らない のである 法規・行政 . 解釈に このような欠陥がある以上 「重過失」 の認定にあたっては, 使用者や医師 ・監督官の一方 的認定をゆだねず, それに積極的に参加し, あるいは 労働組合が自主的主体的に 「事実」 を究明 し反証してゆく必要があろう. 次に 「重過失」 そのものについてであるが, 本文中にも指摘したが, 災害発生の直接的原因の 一局面のみをとらえれば, 労働者の不注意・過失によることがないとは必ずしもいえない場 合が ある, だが何故に労働者が不 注意になっ たり, 過失をおかしたりするか, 直接間接の要因をさぐ らねばならない, 不注意や過失がお ごるところの労働者をとりまく諸条件を全く捨象してしまっ ては, 真の要因はあきらかにされない. 低賃金, 長時間労働, 労働強化, 労働密度の増大, 増大 する作業量の達成その他労働条件の劣悪化, さらには保安施設の軽視, 保安教育の不徹底等労働 者をとりまく条件は苛酷なものである. かかる状態が 労働者の不注意・過失をうみだす直接的原 因であり, 資本の 精神的肉体的限度をこえる搾取と収奪が慢性的疲労と健康をむしばみ不注意 , 過失をよびお こし, ひいては災害を発生させるのである. かかる状態において災害が発生され た としても,,それのみをとらえて非難するとすれば, これまた苛酷なものというほかない. かかる 場 合における 労働者の不注意・過失は, むし・ ろ資本としての使用 者の責任である, また労働者の 肉体的精神的疲労, 作業経験の不足, 作業知識の不充分 な どの操作による過 失,不注意があっ た 場合があっ たとしても, それをとらえて非難する事由にはあたらない それは業務遂行上 当然と . もなう危険であり, 資本としての機能を営む過程で, 必然的に顕在化す る危険ではないかといえ る,. さらに本文中でも述べ たが, 「重過失」 とは 故意にも比すべ き程度の重い過失というと 解せら れている, では 「重過 失」 と 「故意」 との間に果たして質的な差があるであろうか ちなみに故 . 3 意と過失との区別 を民法の見解にしたがってみると( ) , 前者が自己の行為により一定の結果が 発 生す べ きことを認識し, あえてその行為 をするという心理状態であるのに対して 後者は不注意 , のためその結果の発生を認識しないでその行為をするという心理状態である ゆえに 「故意」 と . 「過失」 は質的に異 なるのである, では故意と重過 失との関係はどうか この場合本来ならば故 , 意と過失とを区別してその責任を問うこと になるのだが, 故意のみでは故意の立証が困難である という場 合, とい って過失=軽過失といえないので, いわば, 故意に準ずべきものとして 「重過 -1 33-.

(12) . 小. 川. 環. 失」 を加えたものとみることができよう. だとすると重過失 は軽過失と質的に異なるものとして とらえられ, 他方故意との関係は質的な差 はなく量的な差 としてとらえ ること ができる. それは あくまでも故 意の立証 が困難である場 合に限定されるのではな かろうか. だとすれば, 事故が労働者個人の 「故意」 によ って惹起された場合は, 使用者の 「業務」 の範 あ 囲から, いちじる しく離脱したものと して評価されるから使用者の補償責任は免除されるので るが, 重過失の場合 は, 故意を立証することが困難な場合をいうのであって, ここで は使用者の 評価で 「業務」 といちじる しくかけはなれたともいえないし, また, 「業務」 に無 縁なもの とは 責任が免 きないのであ る. すれば, かかる状態で災害がおきたとしても, はたして使用者の補償 お した場合に 責される根拠 があるかどうか, 労働者の 「重過失」 が要因とな って事故をひ きおこ ざるをえ いても, 使用者の補償 貴任を免責させる合理的理由をみいだすことは困難であるといわ ても ない. こう考えてくると, たとえ労働者の 「重過失」 によ って災害が 惹起された ものであっ その事故が使用 者の業務と はなれ, 無縁 なものと して評価することが不可能である以上, 使用者 が困難 の休業及び障害補償 を免除する理由はない. さらに使用者による労働者の 「故意」 の立証 である場 合 「重過失」 とするのであるから, かかる立証が不可能な場合も含めて補償責任を免責 することは, 労者者に 対して一方的に不利益を強いることとなり, 災害 「補償」 制度の 本義に照 して極めて不合理とな らざるをえないので ある. してみれば本条の趣旨は 使用者の民事・刑事の責任を免からしめていると解することは妥当で はなく, 刑事貴任のみが免がれるものと解す べきである, ま たこれに 対応する労災保険法も当然 4 ) 適用 す べ き で あ る( ,. べ なお, 労働者の 「重過失」 の判断にあたっては, 使用 者の 一方的判断に限定せられる きでな けれ ものでな く, 企業組織体の構成員の支配 的な規範的意識によ って認められるほ どの客観的な ば な ら な い.. 以上, 本条が規定する 「認定申請」 の方法と重過失の規範的内容について検討を加えてきたの であるが, 災害補償制度が労働者が生存権・労働権保障の観点から, 市民法の過失責任の原則に 対して重大な修正を加えたところに成立するのである, しかし, 本条は戦前の鉱業法, 工場法の 残像として災害補償制度を過失責任の原則にひきも どす機能をも規定である. 今日労基法が憲法 第2 5条, 第27条の具体化として, その規範的原理に労働者の生存権保障を基調としていることか べ らすれ ば, 本条の適用 はす べ きではなく, 各国の立法例と同じく T故意叉 は犯罪」 に限定す き であり, 削除するのが社 会正義・国際正 義に合致するもの であると考えるのである, ともあれ, 使用者の補償責任は, その本質において階級 的責任である. してみれば労働者階級 本条 の災害補償制度に対する闘争も, その一つで本条をめぐる闘争が展開されるは当然であり, をめく る闘争 も, その本質に おいて資 本として の使用者の階級的責任を問うというも のである, かかる闘争 が労働者の生存権にもと づいている以上, 正当性をもっといわなければならない. 註. 1頁. (1) 坂寄・細川・窪田共著 「現代の労働災害と職業病」32 (2) 細川 「前掲書」235頁. 7頁, (3) 「注釈民法」 第19巻 (不法行為)2 01頁. (4) 沼田教授著 「現代の権利闘争」3 (1968 . 415). -134-.

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