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東北大学埋蔵文化財調査年報19 第3分冊

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(1)

東北大学埋蔵文化財調査年報19 第3分冊

著者

東北大学埋蔵文化財調査室

雑誌名

東北大学埋蔵文化財調査年報

19

3

発行年

2007-03-31

URL

http://hdl.handle.net/10097/45622

(2)

ISSN 1341-6952

東北大学埋蔵文化財調査年報

19

3分

仙台城跡二の丸北方武家屋敷地区第

7地

点 の調査

出土遺物

2(木

簡・ 墨書 ある木製品

)

東北大学埋蔵文化財調査室

2□

ロ フ

(3)

「東北大学埋蔵文化財調査年報

19第

3分 冊」正誤表

買 行 誤 正

19 5

∼である。

(前

日利家

1993)。

∼である

(前

田利家

1993)。

22

23

「御上台所御用」

「御上大所御用」

(4)

東北大学埋蔵文化財調査年報

19

3分

仙 台城跡二の丸北方武家屋敷地区第

7地

点 の調査

出土遺物

2(木

簡・墨書ある木製品〉

東北大学埋蔵文化財調査室

2□

ロ フ

(5)

二 香 但 木 土 佐 様 。 ﹁ < o /Jヽ 嶋 重 次 貞Б 。 ﹁ 米 四 半 五 升 入 ﹂ ・ ﹁ 宮 城 郡 田 子 村 清 ﹂ ・ T 当 御 年 貢 米 四 斗 五 升 入 ﹂ 二 o 名 取 日 辺 村 ︹ 朗 力 ︺ 長   四   □

1.武

家屋敷地 区第7地点 出土木 簡

(6)

。 ﹁  大 。 ﹁ 名 取 上 余 田 村   源 之 助 ﹂ ﹁ o 御 用 竹 子 式 拾 本 入   玉 造 郡 ﹂ T 玉 造 郡   松 尾 梨 子 入 ﹂ ﹁ 御 用 茄 子 漬   一 二 千 □ ﹂ 280

2.武

家屋敷 地 区第7地点 出土木 簡

(7)

1,本

書 は、東北大学構 内において、東北大学埋蔵文化財調査研究セ ンターが2001年 度 に行 った遺跡調査、 な らびに研究成果 をまとめた調査年報19の、第

3分

冊である。

2.報

告書の紙幅の関係か ら、年報19は

5分

冊 に分 けて刊行す る。本書 は、その第

3分

冊である。本書 には、仙 台城跡二の九北方武家屋敷地区第

7地

(BK7)の

出土遺物の うち、木簡 と墨書のある木製品を掲載 した。

3.本

書で報告す る仙台城跡二の丸北方武家屋敷地区第

7地

点出土の木簡 については、下記の ように、その概要 の報告な どを行 っている。本書 は、 これ らの概要報告な どに優先す るものである。 ・「宮城・仙台城跡 (二の九北方武家屋敷地区)」 F木簡研究』第25号 、121∼ 125頁、木簡学会、2003年11月刊 ・第25回木簡学会研究集会「仙台城跡二の丸北方武家屋敷地区出土の木簡」(発表者 :藤 沢教) 2003年12月 7日 、終 i奈 良文化財研究所平城宮跡資料館講堂 ・平成16年度宮城県考古学会研究発表会「木簡か ら見た仙台城 と仙台藩領」(発表者 :柴 田恵子) 2004年 5月18日、終 :東 北学院大学

4.整

理作業お よび本書の編集 は、阿子島香 の指導の もとに、藤沢敦・柴 田恵子・高木暢亮が担当 した。 5。 本文は、柴 田恵子が執筆 した。英文要 旨については、柴田恵子が作成 し、阿子島香が校訂 した。

6.木

簡 と墨書ある木製品の釈文は、東北大学大学院文学研究科 日本史研究室の大藤修氏の監修 の もと、同研究 室大学院生 (当時

)の

佐竹輝明氏 と兼平賢治氏 に担 当 していただいた。

7.木

簡 と墨書 ある木製品の樹種 同定 は、東北大学植物園の鈴木三男氏 にご協力いただいた。樹種 同定 について の詳細 は、別 に第

5分

冊 において掲載す る。

8.本

書の掲載 した木簡の釈文や樹種 同定、それ らを踏 まえた検討 については、次 に示す (財

)斎

藤報恩会の研 究助成による成果 を含 んでいる。 ・平成14年度 (財

)斎

藤報恩会研究助成「仙台城下武家屋敷跡出土の近世木簡の総合的研究J 研究代表者 :藤 沢敦、研究分担者 :京 野恵子・高木暢亮、助成金額:500,000円

9.整

理・報告書作成 にあたっては、以下の方々や関係機関か ら御指導 。御協力 を賜 った。 記 して感謝 申し上げる (敬称略)。 仙台市博物館、仙台市教育委員会、伊奈良祐 (醤油

PR協

会)。 東北大学植物 園、東北大学大学院文学研究科 日本史枡究室、同考古学研究室。

10,出

土遺物・調査記録 は、東北大学埋蔵文化財調査室で保管・管理 している。

1.遺

物の実測図お よび写真の縮尺 は、一部の大型の ものを

3分

の1で掲載 した以外 は、

2分

の1に統一 した。 縮尺 は、それぞれに示 している。

2.木

簡 と墨書ある木製品では、輪郭の実測図に、赤外線写真 を組み込む形で示 した。保存状態が良 くな く、全 体の特徴が判明 しない ものな どは、赤外線写真 だけを示 している。

3.木

簡や墨書ある木製品の釈文 については、木簡学会刊行の『木簡研究』における記載方法 に準 じた。

4.引

用 。参考文献 は、巻末 にまとめた。 また本文 中で、『東北大学埋蔵文化財調査年報』 を引用す る場合 は、 年報1と い う形で略記 した。

(8)

3分

目 次

巻頭 カラー図版 例 言 凡例 目次 図 目次 表 目次 図版 目次 第 Ⅲ章 仙 台城跡二 の丸北方武家屋 敷地 区第

7地

(BK7)の

調査 6。 出土遺物

2(木

簡 ・墨書 あ る木製 品)・ ………。1

(1)整

理作業 と資料化の方法 ………

l

①木簡の記載内容 ………4

(2)木

簡および墨書ある木製品の出土傾向 …

2

②木簡に記載されている年号 ………7

(3)木

簡および墨書ある木製品の

③品物別の特徴 ………7 型式について ………

2 (5)墨

書ある木製品 ………28

(4)木

簡 ………

4 (6)河

結 ・………・142 引用・参考文献 英文要旨 写真図版 第

I章 2001年

度 (平成13年度

)事

業の概要 第 Ⅱ章 富沢芦 ノロ遺跡第

5次

調査

(TM5)

第 Ⅲ章 仙台城跡二の丸北方武家屋敷地区第

7地

(BK7)の

調査

1.仙

台城跡二の丸北方武家屋敷地区の立地 と歴史

2.調

査経緯

3.基

本層序 と時期区分

4.検

出遺構

………以上第

1分

冊 5。

出土遺物

1(陶

磁器・土器・土製品・瓦〉

………第 2分冊

6.出

土遺物

2(木

簡 。墨書ある木製品〉

―………第 3分冊

7.出

土遺物

3(そ

の他の遺物〉

―………第4分冊

8。

分析・考察

………第 5分冊

(9)

1

武家屋敷地区第7地点 ・………。3 木簡等が出土 した遺構 … 図

2

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡の 型式分類(1)・ ………Ⅲ5 図

3

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡の 型式分類(2)。 一……・6 図

4

武家屋敷地区第

7地

点出土 「米」記載木簡の法量分布 ………9 図

5

武家屋敷地区第

7地

点出土 「米」記載木簡に見える地名の分布 ………13 図

6

武家屋敷地区第

7地

点出土 「塩」記載木簡に見える地名の分布 ………15 図

7

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡に記載された 家臣の知行地 と仙台屋敷の位置 図

8

仙台城二の丸 における 「御茶挽部屋」の位置 図

9

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(1) 図

10

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(2) 図

11

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(3) 図

12

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(4) 図

13

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(5) 図

14

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(6) 図

15

武烈屋敷地区第

7地

点出土木簡(7) 図

16

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(8) 図

17

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(9) 図

18

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(10) 図

19

武家屋敷地区第7地点出土木簡(11) 図

20

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(12) 図

21

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(13) 図

22

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(14) 図

23

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(15) 図

24

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(16) 図

25

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(17) 図

26

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(18) 図

27

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(19) 図

28

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(20) 図

29

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(21) ・― ―・17 ・・・・・・20 。・・・・・・・29 ・・・・・・・・30 ・・・・・・・・31 ・・・・・・・。32 ・・・・・・・・33 ・・・・・・・・34 ・・・・・・・。35 ・・・・・・・・36 ・・・・・・・・37 ・・・・・・38 ・・・・・・39 ・・・・・。40・・・・・41 ・・・・・・42 ・・・・・・43 ・・・・・。44 ・・・・・・45 ・・・・・・46 ・・・・・・47 ・・・・・。48 ・・・・・・49

30

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(22) 図

31

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(23) 図

32

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(24) 図

33

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(25) 図

34

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(26) 図

35

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(27) 図

36

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(28) 図

37

武奈屋敷地区第

7地

点出土木簡(29) 図

38

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(30) 図

39

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(31) 図

40

武家屋敷地区第

7地

点出土木街(32) 図

41

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(33) 図

42

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(34) 図

43

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(35) 図

44

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(36) 図

45

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(37) 図

46

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(38) 図

47

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(39) 図

48

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(40) 図

49

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(41) 図

50

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(42) 図

51

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(43) 図

52

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(44) 図

53

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(45) 図

54

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(46) 図

55

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(47) 図

56

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(48) 図

57

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(49) 図

58

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(50) 図

59

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(51) 図

60

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(52) 図

61

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(53) 図

62

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(54) 図

63

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(55) 図

64

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(56) 図

65

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(57) 図

66

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(58) ・・・・・・50 ・・・・・・51 ・・・・・・52 ・・・・・・53 ・・・・・・54 ・・・・・・55 ・・・・・・56 ・・・・・・57 ・・・・・・58 ・・・・・・59 ・・・・・・60 … … …61 ・・・・・・62 ・・・・・・63 ・・・・・・64 ・・・・・・65 ・・・・・・66 ・・・・・・67 ・・・・・・68 ・・・・・・69 ・・・・・・70 ・・・・・・71 ・・・・・・72 ・・・・・・73 ・・・・・・74 ・・・・・・75 ・・・・・・76 ・・・・・・77 。・・・・・78 ・・・・・・79 ・・・・・・80 ・・・・・・81 ・・・・・・82 ・・・・・・88 ・・・・・・84 ・・・・・・85 。・・・・・86

(10)

67

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡

(59)…

……

87

92

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(84)・ ……・112 図

68

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡

(60)…

……

88

93

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(85)。 ……・113 図

69

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡

(61)…

……

89

94

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(86)。 ……。114 図

70

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡

(62)…

……

90

95

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(87)・ ……・115 図

71

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡

(63)…

……

91

96

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(88)・ ……・116 図

72

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡

(64)…

……

92

97

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(89)。 ……・117 図

73

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡

(65)…

……

93

98

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(90)。 ……・118 図

74

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡

(66)…

……

94

99

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(91)・ ……・119 図

75

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡

(67)…

……

95

100武

家屋敷地区第

7地

点出土木簡(92)・ ……・120 図

76

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡

(68)―

……

96

101武

家屋敷地区第

7地

点出土 図

77

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡

(69)…

……

97

墨書ある木製品

(1)…

……121 図

78

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡

(70)…

……

98

102武

家屋敷地区第

7地

点出土 図

79

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡

(71)…

……

99

墨書ある木製品

(2)…

……122 図

80

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(72)。一―・

10o

103武

家屋敷地区第

7地

点出土 図

81

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(73)・……・

101

墨書ある木製品

(3)‥

‥…123 図

82

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(74)・……・

102

104武

家屋敷地区第

7地

点出土 図

83

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(75)。……・

lo3

墨書ある木製品

(4)…

……124 図

84

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(76)・――・

104

105武

家屋敷地区第

7地

点出土 図

85

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(77)。……・

105

墨書ある木製品

(5)…

……125 図

86

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(78)。……。

106

106武

家屋敷地区第

7地

点出土 図

87

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(79)・……・

107

墨書ある木製品

(6)…

……126 図

88

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(80)。……・

108

図107武家屋敷地区第

7地

点出土 図

89

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(81)・……

,109

墨書ある木製品

(7)…

……127 図

90

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(82)。……・

110

図108武家屋敷地区第

7地

点出土 図

91

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(83)・……。

111

墨書ある木製品

(8)…

……128

(11)

目 次

1

武家屋敷地区第

7地

点出土

13

武家屋敷地区第

7地

点出土 木簡・墨書ある木製品集計表 ………

3

木簡観祭表

(3)…

……131 表

2

武家屋敷地区第

7地

点出土

14

武家屋敷地区第

7地

点出土 木簡記載年号 ………

8

木簡観察表

(4)…

……132 表

3

武家屋敷地区第

7地

点出土

15

武家屋敷地区第

7地

点出土 木簡の型式別集計表 ………

8

木簡観察表

(5)…

……133 表

4

武家屋敷地区第

7地

点出土

16

武家屋敷地区第

7地

点出土 木簡記載地名 ………

10

木簡観察表

(6)…

……134 表

5

武家屋敷地区第

7地

点出土

17

武家屋敷地区第

7地

点出土 「米」記載木簡(1)・ ………・

23

木簡観察表

(7)…

……135 表

6

武家屋敷地区第

7地

点出土

18

武家屋敷地区第

7地

点出土 「米」記載木簡(2)・ ………。

24

木簡観察表

(8)…

……136 表

7

武家屋敷地区第

7地

点出土

19

武家屋敷地区第

7地

点出土 「米」記載木簡(3)・ ………Ⅲ

25

木簡観察表

(9)…

……137 表

8

武家屋敷地区第

7地

点出土

20

武家屋敷地区第

7地

点出土 「塩」記載木簡 ………

26

木簡観察表l10J ………138 表

9

武家屋敷地区第

7地

点出土

21

武家屋敷地区第

7地

点出土 「漬」記載木簡 ………

26

木簡観察表Qつ ………139 表

10

武家屋敷地区第

7地

点出土

22

武家屋敷地区第

7地

点出土 その他の品名記載木簡 ………

27

木簡観察表(1の 。……。140 表

11

武家屋敷地区第

7地

点出土

23

武家屋敷地区第

7地

点出土 木簡観察表

(1)…

……

129

墨書ある木製品観察表 ・……。141 表

12

武家屋敷地区第

7地

点出土 木簡観察表

(2)…

……130

(12)

図版

1

武家屋敦地区第

7地

点出土木簡(1) 図版

2

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(2) 図版

3

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(3) 図版

4

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(4) 図版

5

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(5) 図版

6

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(6) 図版

7

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(7) 図版

8

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(8) 図版

9

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(9) 図版

10

武奈屋敷地区第

7地

点出土木簡(10) 図版

11

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(11) 図版

12

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(12) 図版

13

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(13) 図版

14

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(14) 図版

15

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(15) 図版

16

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(16) 図版

17

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(17) 図版

18

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(18) 図版

19

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(19) 図版

20

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(20) 図版

21

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(21) 図版

22

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(22) 図版

23

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(23) 図版

24

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(24) 図版

25

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(25)・ …。175 図版

26

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(26)・ …・176 図版

27

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(27)。…。177 図版

28

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(28)。―・178 図版

29

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(29)。―・179 図版

30

武家屋敷地区第7地点出土木簡(30)・―・180 図版

31

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(31)・ …・181 図版

32

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(32)・ …。182 図版

33

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(33)・ ―・183 図版

34

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(34)。…・184 図版

35

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(35)・…Ⅲ185 図版

36

武家屋敷地区第7地点出土木簡(36)・―・186 図版

37

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(37)・―・187 図版

38

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(38)・…・188 図版

39

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(39)・―・189 図版

40

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(40)。…。190 図版

41

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(41)・…。191 図版

42

武家屋敷地区第

7地

点出土木簡(42)。…Ⅲ192 図版

43

武家屋敷地区第

7地

点出土 墨書ある木製品

(1)…

…193 図版

44

武家屋敷地区第

7地

点出土 墨書ある木製品

(2)…

…194 図版

45

武家屋敷地区第

7地

点出土 墨書ある木製品

(3)…

…195

目 次

・・・・151 ・・・・152 ・・・・153 ・・・・154 ・・・・155 ・・・・156 ・・・・157 ・・・・158 ・・・・159 ・・・・160 。・・・161 ・・・・162 ・・・・163 ・・・・164 ・・・・165 ・・・・166 ・・・。167 ・・・・168 ・・・・169 ・・・・170 '・・・171 ・・・・172 ・・・・173 ・・・・174

(13)

第 Ⅲ章

仙 台城二の丸北方武家屋敷地 区第

7地

(BK 7)の

調査

6.出

土遺物

2(木

簡・墨書ある木製品〉

(1)整

理作業 と資料化の方法 木簡・墨書 ある木製品 とした ものは、出土 した木製品の中で、何 らかの墨書が確認 された ものを、対象 として いる。墨書ある木製品 とした ものは、木製品の種類 としては、例 えば桶や箱状製品な どとして分頚 されるもの も 含んでいる。 しか し、文字資料 を一括 して通覧で きるよう、本分冊 にまとめることとした。 木簡 と墨書ある木製品を分頚 した基準は、桶や曲物など、何 らかの木製品に文字があるものを、墨書ある木製 品とし、それ以外の本L状のものを木簡 としている。そのため、木簡 として分類 したものの中には、荷オしだけでな く、その他の本し状のものも含 まれている。なお、木簡の中で、箱状製品の一部を加工 し、荷札 として使用 したも のがあるが、記載内容か ら木簡 として使用 されていると判断 したためである。さらに、図

63-286に

あるような、 非常に薄い板材に文字を記載 したものについては、品物名などが記載 されていることか ら荷札の一種 と考え、木 簡に分頚 している。 また、整理作業が進むにつれて、形状は木簡であるが、すでに文字が消えてしまっている資料 も含 まれている ことが判明 した。後にも述べるように、それらは埋没過程で、すでに文字が消えているものと考えられる。その ため、文字があるものに加えて、文字がな くても、その形状か ら明らかに木簡 と考えられるものについては、木 簡 として分類することとした。 出土 した木簡は、水洗洗浄の後、

1点

ごとに整理番号を付け、密閉容器に水漬けの状態にして、資料化の作業 が終わるまで保管 した。 水洗洗浄の後、赤外線写真 を撮影するにあたって、木材に浸み込んだ鉄分を取 り除き、 より墨書を読みやす く するために、脱鉄処理を行った。脱鉄処理の方法は、

1%の

EDTA水

溶液を浸漬 させた後、脱

EDTA処

理 として、 流水で

EDTA水

溶液を十分流す という方法で行った。脱鉄処理の後は、再度、水漬け状態で保管 した。 木簡、あるいは墨書ある木製品は、全点について、赤外線写真の撮影を行っている。撮影は、仙台市博物館の 機材 を借用 して行った。その際、ビデオキャプチャーを用いて画像 をデジタルデータとして保存 し、後の整理作 業での効率化 を図った。 記載内容の釈文は、東北大学大学院文学研究科 日本史研究室の大藤修氏の監修のもと、同研究室大学院生 (当 時

)の

佐竹輝昭氏、兼平賢治氏に依頼 した。 図化については、出土点数が642点と多かったため、すべてを実測 して資料化することが難 しいことか ら、比 較的残存状態のよいものや、形態に特徴のあるもの、文字が明確 に判読で きるものなどを中心に実測 している。 文字部分は赤外線写真 を組み込んで提示 した。実測図を示 したものについては、写真図版 も併せて提示 している。 実測図を示 さなかった資料についても、すべてについて、赤外線写真を提示 している。また、この年報は、左開 きの体裁をとっているため、他の遺物は左側を表側 として図が展開するように提示 していた。 しか し、木簡につ いては、提示する文字資料が縦書 きということもあり、木簡学会が刊行 している『木簡研究』にならい、左開き の書籍のまま、図や写真に関してのみ右側 を表側 として図が展開するように配置することとした。 資料は、記載 されている品物や、形態などの特徴 ごとにまとめて掲載 している。後にも述べるように、2号遺 構については、埋土 と記載年号 との関連を明確 に把握できなかったことか ら、埋土の順 よりも記載内容や形態の 類似を優先 して提示 している。木簡の表側 と裏狽1については、本来、表裏を意識 して作ったものではないためか、 形態や記載内容か ら決めることは難 しいものが多かった。そのため、便宜上、品物名が記載 されている面を表側 として提示 している。 しか し、墨書が欠けていて記載内容が明確でないものなどについては、何か しらの文字が

(14)

ある側 を表側 とす るなど、適宜、表裏 を決めている。 出土 した木簡、墨書ある木製品のすべてについて、出土場所、型式、法量、記載事項 などの特徴 をまとめ、観 察表 として提示 した (表11∼23)。 法量 については、欠損があるものは、残存す る値 を

( )を

付 けて提示 し、 完形の ものについては、そのまま提示 している。記載事項 については、観察表の都合上、本来縦書 きであるもの を横書 きに して示 している。記載事項 に用いた符号 な どは、F木簡研究』 にな らって表記 している。木簡の樹種 同定 については、東北大学植物園鈴木三男氏 に依頼 した。樹種 同定の結果 については、年報19第

5分

冊 に掲載す る。 赤外線写真の撮影、実測図の作成、遺物写真 の撮影 などの作業が終了後、すべての木簡 について、糖 アルコー ル法 によって、保存処理 を行 っている。

(2)木

簡および墨書 ある木製品の出土傾向 (図1、 表1・ 2) 木簡、お よび墨書ある木製品の遺構別の出土点数 を表1にまとめている。木簡 は全体 で594点 、墨書ある木製 品は48点出土 した。木簡、お よび墨書 ある木製品は、いずれ も

2号

遺構か らの出土が圧倒的に多 く、木簡では9 割が、墨書ある木製品では

8割

が、

2号

遺構か らの出上である。中で も、埋±2層、埋±2b層 は、陶磁器や木製 品などの他 の遺物 において も出土量が多い層である。次いで、

2号

遺構の西側 に接する24号 土坑 で、多 くの木簡 が出上 している。

2号

遺構 と24号 土坑 は、ほぼ同時にごみ穴 として利用 されていた と考 え られる。

2号

遺構 では各埋土か ら木簡が出土 しているが、木簡の年号 は、埋土の下層で古 くなるとい う状況 はみ られな かった (表2)。 よ り下層か ら新 しい年号 の木簡が出土 した り、比較 的古 い年号 と新 しい年号の木簡が同 じ埋土 か ら出土 した りと、

2号

遺構 に関 しては、埋土 と記載年号 との関連 を把握することはで きなかった。後述の よう に、概ね1719年か ら1733年の もの と考 えられる。 他では、

1号

遺構 、

2号

土坑、18号土坑、28号土坑、29号土坑、27号溝、撹乱か らも出土 しているが、いずれ も少数である。 これ らの中で、

1号

遺構、28号 土坑、29号土坑、27号溝 は、

2号

遺構 と24号 土坑の周辺 に存在す る遺構 である (図 1)。 いずれの遺構 も、出土 した陶磁器 は、

2号

遺構 と類似 してお り、近接 した時期の もの と 考 え られる。29号 土坑 では、享保年間 と考 え られる年号が記 された木簡が出土 してお り、 この点か らも

2号

遺構 な どと、ほぼ同時期 と考 えられる。18号土坑 は、やや離れた場所 に位置 してお り、18世紀代 と考 えられる Ⅱ期 に 属す る。 また、

2号

土坑 は、

2号

遺構や24号土坑 な どと離れた場所 に位置 してお り、19世紀代 のⅢ期 に属 している。

(3)木

簡および墨書 ある木製品の型式 について (図

2'3)

出土 した木簡、墨書ある木製品の型式 は、表

H∼

23の観察表 に記載 している。型式 は、基本的に『木簡研究』 で提示 されている型式 を基 に している。ただ し、今 回出土 した木簡 は、近世の ものであるため、F木簡研究』の 型式の範疇 に納 まらない もの もあった。そのため、一部、新 しく追加 した型式 もある。追加 した型式 も含 めて、 図2、

3に

代表的なものを示 し、以下 に各型式の特徴 をまとめる。 011型式 ・………・短冊型の もの。 011-b型式 ・…………・基本 は短冊型だか、一部に加工があるもの。 011-c型式 ・―………・長方形で も、下端がやや細 くなるもの。051型式 には入れがたい もの。 011-d型式 ・…………・長方形で、厚手の もの。長 さ10cm程度か ら、縦長で大型の場合 もみ られる。 019型式 。………。一端が方頭で他端 は折損・腐食で原形が失われた もの。 019-b型式 ・…………。一端が方頭で、他端 は尖 るか細 くなると思われるが、折損・腐食で判然 としない もの。 021型 式 。………・小型矩形 の もの。

(15)

1

武家屋敷地 区第7地点 出土木 簡・ 墨書 ある木 製品集計表

Tab.l Distribution of Wooden tablets and various、 vooden implements written by black ink from BK7

出 土 坊 所 木 衝 基 言 あ る 木 製 品 遺 構 層 位 点 数 小 計 点 数 小 計 2号遺構 里土 2 545 40 里±1層 l 埋±2層 253 里±2b層 8 里±2 3層 1 埋±3層 5 1号 遺構 里±3層 8 8 l 1 B4号土抗 里±1・ 2層 5 埋 ±2層 2 埋±3層 1 2号土坑 埋 土 5 l■_±1層 3 3 18号土坑 埋±2層 l l 28号土坑 埋± 1層 l l 〕9号 土坑 埋 ±1層 l l み7号溝 埋±2層 1 l 覧乱 2 俺 計 18号土坑 27号 溝 29号 土坑 24号 土坑 号土坑 攪苦し キ │ ヽ / /` ノ `十 凸 `ィ

_ノ

/

` く

1

武 家屋 敷 地 区 第7地点 木 簡 等 が 出上 した遺 構

Fig.l Features containing覇 /ooden tablets at BK7

(BK7ie.Location 7 of s2コtrraF residence)

◎ 十

(「

2号土坑

(16)

022型式 。………・小型矩形の材の一端 を圭頭 に した もの。 022-b型式 ・…………・小型矩形で、両端 を圭頭 に した もの。 032型式 ・………。長方形の材の一端の左右 に切 り込みを入れた もの。 032-b型式 ・…………・長方形の材の片側だけに切 り込みを入れた もの。 033型式 ・………・長方形の材の一端の左右 に切 り込みをいれ、他端 を尖 らせた もの。 051型式 ・………・長方形の材の一端 を尖 らせた もの。 051-b型式 ・…………・長方形の材 の一端 を尖 らせ るときに、片側だけ削 って尖 らせた もの。 059型式 ・………・長方形の材 の一端 を尖 らせているが、他端 は折損 した もの。 061型式 ・………・用途の明瞭な木製品に墨書があるもの。 065型式 ・………・用途未詳の木製品に墨書のあるもの 081型式 ・中…………●折損、腐食その他 によって原形の判明 しない もの。 999型式 ・………。両端が尖 るもの。 000型式 。………。木羽の ような非常 に薄い材 に墨書があるもの。薄いため、折損 しているもの も多い。 下線 を付 けた ものは、追加 した型式である。F木簡研 究』の015型 式、031型 式、039型 式、041型 式、042型 式、 049型式、091型式 にあたる木簡 はみ られなかったため省略 した。 011型 式 は、基本 となる短冊型 の他 に、011型 式 を基 に細分 した、011-b、 011-c、 011-dの

3型

式 を追加 した。 011-c型式 は、011型 式 と051型 式 との中間的な形状 の ものが多 くみ られたため、新 たな型式 として設 けることと した。011-d型式 は、011型 式 に含 まれるものであるが、厚手で、大型 の形状 は、011型 式 に多 い木簡の特徴 とは 異 なることか ら、独立 した型式 として示す こととした。 022-b型式、032-b型式、999型式 については、該当す る型式がなかったことか ら追加 している。 051-b型式 は、大 きくは051型 式 に含 まれる ものであるが、特徴的な形状であることか ら、別型式 として示 して いる。 000型 式 は、今 回の資料 に比較的多 くみ られるものであ り、記載内容 も類似 した傾向があることか ら、一つの 型式 として示 している。非常 に薄 く、木 目に沿 って折損 しやすいことか ら、全体 の形状がわか らない もの も多い。 そのため、完形・折損 に関わ らず、非常 に薄い材の ものはこの型式 に含 めている。

(4)木

簡 ①木簡の記載内容 出土 した木簡 に記載 されている文字 は、おお よそ、次の ような内容 にまとめることがで きる。 品物 ………「御年貢米」「竹 ノ子」「塩」「荷物」 な ど 数量 ………「四半五升入」「武拾本入」 など 地名 ………「名取下余 田村」「玉造郡」 など 名前 ………「但木土佐」「清右衛 門」 な ど 年号 。日付 …………「享保五年十一月十五 日」「子 ノ十一月」「六月十五 日」 など これ らの内容 は、すべてが必ず記載 されるとい う決 ま りはない ようである。品物が何であるかがわかる程度の 内容が記載 されているといった状況であった。 文字が読解で きた ものをみると、品物名 とその数量、差 出人の地名 と名前 については、大体の もので記載 され ているようである。特 に、品物名 と数量 は、 ほぼ一緒 に記載 されている。差 出人の地名や名前 については、地名 が省略 され、名前だけの場合 もみ られた。年号や 日付 については、記載 されていない もの も多 くみ られた。記載 されている場合で も、年号 と日付 の、両方が記載 されている場合 もあるが、年号 のみの もの、 日付 のみの もの、

(17)

約 

  

閑闘

耐旧

閑日

日田

一 剤  

[ ︲ [

] ] 中

山 山 山

山 山 山

] ] ︲

一 約     n H H H H 日 H 固

向 蜘

   

   

   

  勲

] ︲  

   

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挙麗 p― I10 〔

」 I 一                     I 0 0

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q‐ 380 -l │ │ 善 こ Ftt q‐ 610

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(18)

[卿日

︲ ︲

・︲ =

︲ ︲

日日日

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M = H H H H = = H H H 日 H H H υ       0 一

︲鵬際コ

内]四]︲︲

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脚岬山山

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︲︲︲︲︲

山咄中山山

削旧四骸Ⅳ

隠︾︲中

m H H H H H H H H H H H H H H H H H H H H H H H H = H H H 晰     ヽ 曲 脚 ︲ ︲︲︲ ︲ ︲︲︲︲ ︲ ︱︱︱︲ Ⅷ ︲ ︱︱︲︲ Ⅷ Ⅷ ︲ ︲︲︲︲︲ ︲ ︱︱︲︲︱ ︲ ︲︲キーー 固 ︲ ︲ ︲︲︲︲ 円 川 Ⅶ 潮   o5 一 ∩ H H H H H H = H = = = = = = = = = = = = = = = = = = H

︲︲

迎 w u 日 ︱l kl 阻 r   o8

︲爾4あいい︲︲︲ ︲︲一︺

︺︺て巳︲︶  

000型式

図蓄

iF鞘

r筈

)②

(19)

「月」 までで「 日」 はない ものなど、その記載内容 は多様である。 記載内容 については、記載 されている品物 によって、大 まかな傾向はあるものの、画一的な書式の ような もの はみ られなかった。 ②木簡に記載 されている年号 表2は、記載 されている年号の点数 を、遺構別 に示 した ものである。年号が記載 されている木簡 は、

2号

遺構、 24号 土坑、29号 土坑か ら、合計66点が出土 している。表現の しかたはい くつかあるが、いずれの遺構で も、明確 な年号 は、すべて「享保」であ り、他の年号 は確認 されなかった。享保二年 (1717年

)か

ら享保十八年 (1733年) までの記載の ものが出土 してお り、中で も、享保四年 (1719年

)か

ら享保七年 (122年

)の

ものが多 くなっている。 しか し、一部 には、「保六年」(図16-37)、「保十二年」(図

29-104)と

い う記載の木簡がみ られた。これ らは、 木簡の形状か ら考 えて、「享」の文字が欠損 したのではな く、 この ように記載 された木簡 と考 え られる。 この年 号が享保であるのか、他 の可能性があるのかについて検討 してい く。江戸時代で、「録」が付 く年号 は、享保以 外 に、正保 (1644∼ 1647年)、 寛保 (1741∼ 1743年)、 天保 (1830∼ 1843年

)が

ある。出土 した陶磁器の年代 と比 定す ると、正保や天録 は年代的に大 きく異 なるため、当てはまらない もの と考 え られる。寛保 は、享保か らわず かに新 しい年号 であるが、寛保三年 までであるため、「保六年」、「保十二年」 はあ り得 ない ことになる。そのた め、記載 されている年号か ら考 えて、 これ らの木簡 について も、享保年間の ものであるとみて差 し支 えない と考 えられる。 以上の ように、年号が記載 されている木簡 は、いずれ も享保年 間の もの と推測 されることか ら、 これ らの木簡 は、比較的限 られた時期 に廃棄 された資料であると考 えられる。 次 に、年号の表現の仕方 についてみてい く。年号の表現では、「享保五年十一月廿五 日」(図

9-3)の

ように、 年号が明確 に書かれているものの他 に、「子 ノ七月」(図

10-7)の

ように干支で示 している もの もある。 また、 「丑 ノ十八年」(図49-229)、 「享保五 子 ノ四月」(図

48-218)の

ように、千支 と年号の両方で年 を表現 してい るもの もある。年号で記載 されているものが34点と最 も多いが、干支で表現 した もの も26点あ り、千支 と年号の 両方が記載 されているものは

6点

が確認 された。前述の ように、比較的限 られた時期 に廃棄 された資料であると 考 え られることか ら、千支の木簡 も、同 じく享録年間の ものであろうと推測 される。 千支で表現 されている年号 については、辰 ・巳・午・未 は、享保年 間には一度ずつ しか ない ことか ら、「未」 の記載 については、享保十二年 に特定す ることがで きる。戊・亥 。子・丑・寅・卯 については、例 えば「戊」は 享保三年 と享保十五年の2回存在 し、特定がで きない ものである。 しか し、享録四年か ら享保七年の木筒が出土 の中心であることを考 えると、 これ らの千支 について も、享保十五年か ら二十年ではな く、享保三年か ら八年の ものではないか と推測 される。 年号や干支が記載 された木簡が、木簡全体 の どの程度 を占めるのかは、破損 した ものや墨書の消失 しているも の もあることか ら、把握す ることは難 しい。 しか し、木簡の全体量か ら考 えると、決 して多い方ではない と考え られる。 このことか ら、木簡 に記載 される年の表現方法 には、明確 な決 ま りがあったわけではな く、記載 された もの もあれば、記載 しなかった もの も許 されるといった程度の ものであった と推測 される。 また、年号 と千支 も 決 まった表現方法 はな く、おお よそ同 じような意味合いで使 われていた もの と考 えられる。 ③品物別の特徴 出土 した木簡では、記載 されている品物 な どの記述 ごとに、型式や記載内容 な どに傾 向がみ られた。以下 に、 品物別 にその特徴 を述べてい く。 【米

I(図 9∼

33、 図版1∼17)

(20)

年 号 西 暦 記載内容 2号遺構 24号土 坑 29号土 抗 合 計 坦 ±1層 坦±2層 埋±2b層 埋±3層 里■1・2層 埋 ±3層 埋 ±1層 享保2年 享保二年 1 l 享保4年 享保四年 2 享保4年推定 四年、享保四年? 1 2 l 享保5年 1720 享保五年・子 2 4 享保5年推定 享保五年? l ユ 要保6年 172ユ 享保 六 、辛と 、丑 ユ 3 7 享保7年 1722 享保七年、寅ノ七年 l 享保12年 1727 保十二年 l l 享保12年推定 十二年、未? l 享保 18年 1733 丑・十八年 ユ 1 享保3年・享保15年 1718・ 1730 い ぬ l 1 享保4年・享保16年 1719' 173ユ l 1 享保5年 享 保17年 1720・ 1732 子 4 7 1 1 事保6年 享保18年 1721 ・ 1733 丑 4 ] 1 l 7 享保7年・享保19年 1722・ 1734 貢 2 享保8年・享 保20年 1723・ 1735 1 1 享保年間 1716-1735 享保 1 4 5 合 計 2 5 2 l 表

2

武家屋敷地 区第7地点 出土木簡記載年号 Tab.2 List of year written on wooden tablets from BK7

3

武家屋敷地 区第7地点 出土木 簡の型式別集計表 Tab.3 Notes on each type of wooden tablets from BK7

型 式 合 計 点 数 記載品物別点数 米 モ モ チ 竹   ノ   子 漬 塩 御 獲 早 籠 荷 物 大 所 。 勝 手 そ の 他 0 1 l 1 4 1 雉 1 梨1・ 菱 喰1 0 1 1 0 1 0 1‐c 44 1 1 鮭?1'大豆1・茶?l 0 2 2 味噌ユ 0 9 1 1 茸1 019‐b 4 1 2 l 022 1 022‐b 1 2 r/1HH曽1・せ雪ヤ由ユ 032 2 蜆1 032b 2 1 2 l 1 1 1 5 酒Pl 051? l l 051‐b l 059 8 l 0 065 2 08] 塩 引1 l ] ユ 粕 魚1・卵?1 合 計 1 6 5 3 3

(21)

米の記載が確認で きる木簡 は、162点出土 している。 さまざまな品物の中で、米の点数が最 も多い。 木簡の形状 は、長方形の もの と、下端が尖 るもの、下端が細 くなるものがほ とん どを占めている。長方形の も の よりは、下端が尖 るもの と下端が細 くなるものの方が、割合が多い ようである。 型式では、短冊型の011型式 と、一端 を尖 らせた051型式が多 く、次いで一端がやや細 くなる011-c型式が多 くな る (表3)。 また、一端の片側だけを削って尖 らせた051‐b型 式や、小型の021型式 なども数は少 ないが存在す る。 中で も、一端が尖 る、 もしくは一端が細 くなるものについては、細部の形状の違いによって、011_c型式、051 型式、051-b型式の3つの分類が存在す る。個 々の木簡 を観察 してい くと、 これ ら3つは意図的に区別 されたわ けではない とい う印象 を受ける。一端 を細 くしようとした結果、尖 った ものがあった り、細 くなる程度であった り、片側だけ削って尖 った ように作 った りと、細部 に違いがで きたのではないか と考 えられる。 この ことを考慮す る と、米の木簡 は、大別 して、長方形の もの (011型式、

032-b型

)と

、一端が尖 るもし くは細 くなるもの (011-c型式、051型式、051‐b型 式

)の

2つの形態 に集約 されるもの と考 え られる。元々、長方 形の形状か、一端が細 くなる (尖る

)形

状かの どち らかを意図 して木簡 を成形 したが、細部の違いを調整す るよ うなことはなかったため、一端が細 くなるもの と尖 るものの違いがで きたのではないか と推測 される。 米記載の木簡 は、木材や、表面の加工方法か らも、細部 を調整せず、大 まかな成形の仕方であったことが見 て 取 ることがで きる。使 われている木材 は、木 目の粗 い ものが多 く、木の節が戎 っているものな どもみ られる。木 材の割 り方 も粗雑 なものが多 く、木の節 に沿 って斜めに割れた ものな どもみ られた。上下左右の端 は、元 々、そ の状態であったのか、後 に折損 した ものかが判断で きない もの もみ られた。大多数の ものは、木材 を割ったまま や、粗 く削 った状態で、表面 を平 らに仕上げた ものや面取 りした ものな どはほとん ど見 られなかった。 また、穿 孔のあるもので も、穿孔の仕方は雑 な ものが多 く、木簡の中央 にある場合 と中央か らずれている場合 とがみ られ る。穿孔の割合 はそれほ ど多 くはな く、その都度、適宜、子とを開けた とい う状態が うかがえる。木簡の加工の状 態か らは、木簡用 に特別 な木材 を用 いたのではな く、 日常的に使 っていた木材 を、簡単 に加工 して木簡 に してい たのではないか と推測 される。 長 さ(cm) 250 8 i::・ ◆   ◆ ◆ ◆ X ◆ ◆◆

文怠◆

◆ :◆◆

Ft患 ◆

..8

◆ X │ ◆ 2号 遺構 ×24号土坑 │ 5.5 60 幅(cm) 図

4

武家屋敷地 区第7地点 出土 「米」記載木 簡の法量分布

(22)

4

武家屋敷地 区第7地点 出土木 簡記載地名 Tab.4 List of place name written on wOoden tablets from BK7

郡 名 名 1米J 「米」以外の品物 点 数 記 載 内 容 品 名 点 数 記載内容 lB沢郡 ごく,W本寸 ガ〔,Hホ寸1 江刺郡 郡名のみ 江刺1 増沢村 増沢村l 人 盲 村 江刺 人 首村1 栗 原郡 一 週 手毛山奇ホ寸 モ ミ l ―迫長崎村] 牡鹿郡 沢田村 塩 1 沢田村1 陸 方 流 留 村 塩 2 流留村1、 わたのは '流 留村1 恨 岸 村 渡 波 町 塩 ,こイ廃l 挑生郡 上下堤村 下明 深谷上下堤土 深 谷 前谷地村 ※記載ないが形態が「竹の子」記載木衛に類υ 貯の子? 桃生郡深谷前谷地村1 村 名不 明 ltの子 深 谷1 玉造郡 郡名のみ 貯の子 玉造郡2 村名不明 ナ シ l 玉造郡松尾l 零川 郡 下 草 村 l 黒川下草村1 宮城郡 荒井村 1 あ らいかすユ 岩切村 1 者切 本寸1 岡 田村 2 宮□岡田村1、 □城岡田村1 加瀬村 1 宮城郡加瀬村 ユ 実沢村 l 国 分 実 沢 村1 菅谷村 l 盲 合 不丁1 田子村 宮城郡田子村1、 宮城田子村1、 みや き田子村l 鶴ケ谷村 鶴 ヶ谷1 隔室 村 富城福 室村1 森郷ホ↓ 宮城森郷村1 六丁 目村 国 分 郡 六 丁 目村1 部名 の み 言城 郡 ユ 宮城郡小計 名取郡 Jヒ方 飯田村 ユ 飯 田 村 ユ モチ? 1 名取飯田村ユ 今 泉 村 4 名取今泉村3、 名取今泉1 大野田村 1 名取大□□村土 封ヒロ本寸 1 名 取 引ヒロ本す1 郡 山 村 名取郡山村1、 郡山村l 四郎丸村 1 名取北方四郎丸村l 高柳村 3 名取北万高4J「 1、 名取高柳村1、 名取高柳l 種 次 村 2 名取郡種次村1、 名取種次村1 富沢村 3 富沢村2、 富沢l 富田村 4 名取北方富田村1、 名取郡富田村1、 名取富田村1、 富田1 日辺 本寸 2 名取 日辺村1、 日□村l 平岡村 l 名取平岡村1 袋原本寸 2 名取北方袋原l、 名取袋原村ユ 藤ウ夏本寸 3 名取郡藤塚村1、 名取藤塚村ユ、名取藤塚土 二木村 モ チ 1 名取北方二木村1 前田村 1 名取前田] 卵生村 5 名取北方柳生村1、 名取柳生村1、 柳生村2、 柳□村1 南 方 岩沼郷 2 岩沼村2 lEL松村 4 名取郡植松村1、 名取植松村2、 名取上憐付1 笠島村 1 笠 島村1 モ チ 1 笠 島 村 ユ 上余田村 3 名取上余 田村2、 上余田村l 大 豆 1 名取上余田村1 川上村 3 名取川上村2、 川上村ユ 下 余 田 村 6 名取下余田村5、 下余田村1 モ チ 1 名取 下 余 田 村1 増田村 5 名取増田村4、 名取増田1 吉田村 l 名 取 吉 田 オ寸1 郎名 の み 7 名取7 卜す名不明 3 名取富1、 名取三本院1〔二木村三本塚力?J、 名取口沢村l 名取郡小計 柴 田 郡 小成 田村 キ ジ l 小 成 田 村 ユ 伊具郡 東 根 伊手村 ユ 伊手村ユ 筆甫村 ユ 筆ヨg本1 不 明 不 明 3 □川村1、 □田村1、 □富村1 不 明 ] 熊谷村1 不 明 ユ 熊 野1 宮城郡吉田浜あるし は亘理郡吉田か? 早籠 吉浜2 韓? ] 吉浜1 米合Hl そ の 他 合 計

(23)

木簡の大 きさについては、図

4に

法量分布図を示 している。米の記載が確認できる完形の木簡について、長さ と幅の関係 を示 している。おおよそ、長さ10∼

18cm前

後、幅1.5∼

4cm前

後である。厚 さは0.4∼0 9cm前後であ った。 しか し、特に大きさが集中するような傾向はなく、また、長さと幅の相関もあまりないものとみられる。 記載 されている文字でも、文字の大 きさや配置が雑なものが多い。文字自体 も粗雑であるようにみえる。図

22-69の

ように、文字が重複 したままの木簡 もみられた。また、墨痕の残存 も悪 く、赤外線を用いても墨痕が確 認で きないものも多かった。 これは、米の木簡では、乾燥 させた木材ではなく、生木のままの状態で製作 された ため、墨が浸み込んでいないか らではないかと推測される。 以上のように、木簡の形態、成形や調整方法、大 きさなどから考えると、米記載の木簡については、統一され た規格のようなものは決まっていなかったものと考えられる。だいたい必要なことを記載できる程度の大 きさに、 その都度、周辺にある木材を簡単に割って製作 していたのではないだろうかと推測される。 次に記載内容についてであるが、主に、品物名、数量、地名、名前、年号や日付などの内容が記載されている。 「御年貢米」、「御米」、「御蔵入」などの表現か ら、年貢米に添付 した木簡であることが考えられる。記載内容を 観察 してい くと、木簡のどの面にどういった内容を記載するという規則性は、特になかったものと思われる。お およその基本形は、「御米四斗五升入」、「名取上松村半兵衛」(図

18-47)の

ように、一面に品物 と数量、 もう一 面に差出人の地名 と名前を記載するという組み合わせが多い。 しかし、品物、数量、地名、人名が同じ面に記載 され、 もう一面には日付のみが記載されているもの (図12-19)、 品物、数量、年号が一面に記載 され、 もう一 面には地名、人名 と日付が記載されているもの (図

26-90)な

ど、様々な場合がみられる。 また、品物が米であることを示す表現方法にも、い くつかの種類がみられた。最 も多い表現は、「米」で、「米 四半五升入」のように表現されている。品物が米であると判断した木簡のおよそ半数が、このような表現である。 次いで、「御年貢米」の表現が多 く、全体の3割程度を占めている。これら2つ の表現が多いものの、他にも「御 米」(図

10-7)、

「年貢米」(図20-59)、 「御用米」(図

10-9、

93-555)、「御蔵入」(図93-554)、「米一俵」 (図

23-75)な

どの表現が確認された。米の数量については、「四斗五升」のみであ り、他の数量はみられなかっ た。仙台藩では、一俵は四斗五升であ り、その単位で、年貢として藩に提出していたことが推測される。その例 として、「米一□ (俵力

)四

斗五升入」(図

23-75)と

記載 された木簡 も確認される。 記載 されている日付では、一月を除いて、六月から二月までが確認される。中でも、人月から十一月の日付が 比較的多いようである。旧暦の人月は、現在の九月ごろの時期にあたるため、米の収穫後の時期であろうと考え られる。年貢の納入については、 日照 り。水害・不作などによって年貢の減額願いが提出されるのが通例だった ようであ り(仙台市史通史編

3近

世1)、 その上で、交渉を経て、年貢の減免分である「引き方」が決定 され、 実際の年貢の納入が行われた。仙台市史には、十月十一 日に、遠田郡深沼村の知行地から減額願いが出された事 例が紹介されている。この事例をふまえると、木簡にみられる日付についても、おおよそ、収獲後に減免などの 交渉が行われ、その上で納入 されたと考えられるのではないだろうか。 地名については、大方のもので記載されている。 しか し、同じ地名であっても、例えば、「名取郡種次村」(図 12-16)、 「名取種次村」(図99-584)、 「名取北方種次」(図

79-415)な

ど、表現方法に違いが見 られる場合 も存 在 した。また、「鶴 ヶ谷村□□□ (六兵衛 力)」 (図

9-1)、

「岩切村文四郎」(図

20-61)の

ように、郡名がなく、 村名 と名前だけの場合 もある。その他では、「名取下余田村 米主長左」(図

17-46)の

ような例や、図

10-9の

「渡邊二郎右衛門」のように、村名 もなく、差出人の名前のみの例 もみられる。 このように、何をどこに記載するかについては、比較的緩い規則はあるものの、確定的ではなかったものと考 えられる。ほぼ必ず記載されているものは、「米四半五升入」などの品物 とその数量、「名取郡種次村孫兵衛」な どの差出人の地名 と名前である。年号や 日付がある場合 もあるが、全体か らすると害J合はあまり多 くはない。 「米」の表現や差出人の地名については、品物が何か、差出人が誰かがわかる程度の記載方法で、その都度書い

(24)

ているため、全体 として統一性 はみ られないのではないか と考えられる。 次 に、記載 されている地名 との関係 をみてい く。表

4は

、記載 されていた地名 を品物別 にまとめた ものである。 米の木簡 に関 してみると、宮城郡、名取郡北方、名取郡南方の地名が非常 に多いことが特徴である。図

5-1は

、 米の木簡 にみ られた村名 について、仙台藩領内の地図に、米の木簡 にみ られた村名の位置を示 したものである。 宮城郡、名取郡は、仙台城下 (仙台輪中

)に

隣接 した郡である。名取郡 は、さらに北方 と南方 に区分 されていた。 図

5-2は

、木簡 に記載 されていた宮城郡、名取郡北方、名取郡南方の村 を示 したものである。木簡に記載 され ていた村名は、仙台輪 中のご く近郊の村 々であることがわかる。宮城郡、名取郡以外ではあるが、比較的近隣の 黒川郡下草村の村名のある木簡 も確認 された。宮城郡、名取郡な どの仙台城近郊の村 は、藩に年貢を納める蔵入 地の占め る割合が多 く (齋藤鋭雄2001)、 黒川郡下草村 の一部 も蔵入地であった (角川 日本地名大辞典編纂委員 会1985)。 二の丸 内で消費す るための米については、宮城郡、名取郡 などの仙台城周辺のごく近い蔵入地か ら集 め られていたのではないか と推察 される。 一方、米の木簡の中には、胆沢郡衣川村、江刺郡人首村、江刺郡増沢村、伊具郡伊手村、伊具郡筆甫村 など、 近郊以外 の村名 も確認 された。いずれの村 も、村 の一部は仙台藩の蔵入地であったようである。また、 これ らの 村 のある郡 は、仙台藩領内で も遠方 にあ り、他藩 との境界 にあたる。特 に、筆甫村 は、藩境の地であったため、 相馬藩 との境界争い もしば しば起 こった地域であった。 また、江刺郡人首村 には、盛岡藩 との領境 を接する要地 であったことか ら御境 目御番所が設け られてお り、盛岡藩 との境界争い も起 っている (角川 日本地名大辞典編冥 委員会1985)。 この ように木簡か らは、要所である村 々か ら集め られた年貢米が、二の九に直接持ち込 まれてい ることが推測 される。 【籾 】(図33、 図版17) 籾 の記載がある木簡 は

1点

のみの出土である (図33-133)。 この籾 は、玄米 に籾殻が付いた状態の ことを示す と思われるが、記載内容が「御□籾」 と解読で きない部分があるため、具体的にどのようなものであったかは下 明であ る。「御米」や 「御年貢米」 の記載 と同様 に、米 を示す記載 の一種 とい う可能性 もあるが、その数量が 「五斗入」であることか ら、米 とは区別 していた もの と考 えられる。 型式 は、米記載の木簡 と同様 に、短冊型の011型 式であった。木簡の製作 の仕方 も、米記載の木簡 と非常 によ く似てお り、面取 りや表面 を平 らに仕上げた りはせず、割 った後、粗 く削 ったような状態である。木簡の大 きさ も、米の木簡 と同程度である。 記載内容 をみると、「享朱 四年御□籾五斗入」「一迫長崎村又四郎」 と、年号、品物名、数量が一面にあ り、他 面 には差 出人の村名 と名前が記載 されている。 日付 は記載 されていない。年号 は「享録四年」 と、米記載の木簡 と同様 に、享保年 間である。差 出人の村名は、「一迫長崎村」であ り、 これは栗原郡の長崎村 を示 している (図 5-1)。 長崎村 は、村 のほ とん どが蔵入地であった。栗駒山を源流 とす る一迫川が肥沃な土地を形成 し、上質な 米 を産す るとして、近隣の

6村

とともに、御膳米 として上納 されていた (角川 日本地名大辞典編纂委員会 1978)。 米 は、籾が付 いた状態である と、長期 に保存 して も風味が損 なわれない ことか ら、他の年貢米 と異なって、意 図的に籾付 きで運び込 まれた可能性が考 え られる。数量は「五斗入」であ り、仙台藩の

1俵 =四

半五升 よ り、若 干量が多 くなっている。玄米 に した ときには籾殻分の量が減 ることか ら、割 り増 しした量で納めることになって いた もの と考え られる。 これ らのことか ら、籾 の木簡は、意識的に他の年貢米 とは区別 されていたことを示す ものではないか と推察さ れ る。 【もち 】(図33、 34、 図版17、 18) 「餅」あるいは「 もち」の記載があるものは、

6点

出土 している (図

33-134∼

136、 図

34-137∼

139)。 図

33-134では、上端の両側面に切 り込みを入れた加工がされている。図34-1391よ、側面には木釘が残存 し、他の部品

(25)

栗 原郡 ● 長 崎 村 0 10km 宮 城 郡

■ 名 取 郡 北 方

に 名 取 郡 南 方 図

5

武 家 屋 敷 地 区 第 7地 点 出 土 「米 」 記 載 木 簡 に見 え る 地名 の 分 布

Fig.5 Distribution map of various place names、

vritten on、

vooden tablets、

vhich are connected、

vith rice from BK7

(26)

と組み合わせるためのほぞ状の形態がみ られることか ら、箱状製品の一部を加工 し、木簡に再利用 したものであ ると考えられる。 また、図

33-136は

やや小型の札状 をしてお り、他の木簡 とは形状が異なっている。他 と比ベ て丁寧な作 りの木簡で、比較的細かな木目の木材を用いて、面取 りなどの加工がなされている。このように、木 簡の形状は、細部の違いにより複数の型式がみ られた。 しか し、大別すると、短冊型 (図34-138、 139)と 、一 端が尖る、 もしくは細 くなるもの (図33-134、 135、 図

34-137)の

2つ に分類することがで きる。これ らは、 形態、寸法、木簡の加工の仕方などで、米記載の木簡 と類似 している点が多い。 記載内容では、一面に品物名 と数量、他面に差出人の地名 と名前が記載されてお り、米の木簡の典型的な内容 と類似する。地名のあるものについては、いずれも名取郡の村名である。品物名は、「もち米」、「□ (並力

)餅

」、 「もち粉」、「引わ り付餅」、「□□ (もち力)」、「御刺付 もち」など、多様である。「もち粉」の記載がみられるこ とか ら、 もちについては、年貢 として収める場合に、 もち米だけでなく、 もち粉の場合 もあったことが推測され る。数量は、いずれの木簡 も、米 と同様に「四半五升」である。 また、米の木簡 として分類 したものの中で、「御刺付御せん襦米」(図

18-52)と

いう記載のものがある。「嬬 米」で「もち米」 を表わすことか ら、品物はもち米であった可能性が考えられる。寛政十年に、里見藤右衛門が 仙台藩領内の産物 を紹介 した『封内土産考』(安田健

1998)の

中に、「杭稲襦米 (ウルシネモチ)」 についての記 述がみ られる。それによると、「杭稲濡米」は、粘 り気があ り、味 もよい米であったように理解される。上述の 一迫真坂長崎村、島体村、古 くは宮城郡利府森郷村から、御膳米 として献上されていた。「御せん精米」 も、同 様のものであった可能性が考えられる。「御刺付」については、米俵の中に、籾殻や砂などを詰め、その周 りに 米を入れ、米の量を偽装するような場合があ り、その防止のために、木や竹などを刺 して中身を取 り出し、中心 まで米であることを検査 した「刺 し米」 というものがあった。「御刺付」については、そのことを示 しているの ではないかと考えられる。図

34-139に

も「御刺付 もち」の記載があ り、表現の上でも類似する部分がみられる。 また、類似 した記載に、「御せん□ (登力

)米

」の木簡 (図

27-98)も

あるが、確定で きなかった文字 もある ことか ら詳細は不明である。 【塩 】(図34∼37、 図版18∼20) 塩 と記載 されている木簡 は、16点確認 されている。型式は、短冊型の もの (図

36-148∼

150、 図

37-152)と

、 やや細 くなる もの (図37-151)、 下端が尖 るもの (図34-140、 図

35-141∼

145、

36-147)が

多い。成形の仕 方 も、面取 りや表面 を滑 らかに仕上げるなどの加工 はされてお らず、簡単 に割 って形 を整 えた程度である。木街 の形態的な特徴 は、米の木簡 と非常 に類似 しているものが多い。異なるもの としては、図37-155、 156のように、 非常 に薄手の木材 を用いた木簡である。特 に156は、上下端が尖 るように加工 されている。 この木材 は、後 に述 べ る「漬け」 に多用 されているものである。 記載内容では、「御台所塩」、あるいは「御大所塩」の表現が多いが、「御清所塩」、「御膳御塩」、「薄□ (塩力)」 な どの表現 もみ られる。いずれ も、二の九の大所 に宛てた もの と考 え られる。数量 は、「三半」が多 いが、「三斗 六升」や、「弐半三升」、「三升」、「四□ (斗力)」 な どもあ り、 まちまちである。 この点 においては、米が「四斗 五升」 と決 まっていたこととは異 なっている。 地名、人名、 日付 などの記載方法 も多様である。品物が記載 されている面 に、年号や 日付 を一緒 に記載する場 合 (図36-150、 図

37-152)も

あれば、年号 と日付 を差出人の村名、人名 と記載 している場合 (図

36-149)も

み られ、特 に決 ま りはなかった もの とみ られる。 地名は、「流留」、「渡波」、「わたのは」、「沢田」 などの村名がみ られる。図6に示す ように、 これ らはいずれ も 牲鹿郡の万石浦の西側 にある村である。流留の塩田については、寛永年間に、ここの住人である菊地与惣右衛門が、 江戸湾行徳 (千葉県市川市

)か

ら技術者 を連れて帰 り、藩の許可 を得て、入浜式の製塩技術 による塩 田を開始 し た といわれている (仙台市史通史編

3近

世1)。 万石浦周辺 は、江戸時代 において、製塩の盛 んな地であった。

(27)

6

武 家 屋敷 地区 第 7地 点 出 土 「 塩」 記 載 木 簡 に見 え る 地名 の分 布

Fig.6 Distribudon map of various place names、

vritten on wooden tablets、

図   目 図 1  武家屋敷地区第 7地 点 ・……………。 3 木簡等が出土 した遺構   … 図 2  武家屋敷地区第 7地 点出土木簡の 型式分類 (1)・ ………Ⅲ5 図 3  武家屋敷地区第 7地 点出土木簡の 型式分類 (2)。 一……・ 6 図 4  武家屋敷地区第 7地 点出土 「米」記載木簡の法量分布   ……… 9 図 5  武家屋敷地区第 7地 点出土 「米」記載木簡に見える地名の分布   ……… 13 図 6  武家屋敷地区第 7地 点出土 「塩」記載木簡に見える地名の分布   …
図 67  武家屋敷地区第 7地 点出土木簡 (59)… …… 87   図 92  武家屋敷地区第 7地 点出土木簡 (84)・ ……・ 112 図 68  武家屋敷地区第 7地 点出土木簡 (60)… …… 88   図 93  武家屋敷地区第 7地 点出土木簡 (85)。 ……・ 113 図 69  武家屋敷地区第 7地 点出土木簡 (61)… …… 89   図 94  武家屋敷地区第 7地 点出土木簡 (86)。 ……。 114 図 70  武家屋敷地区第 7地 点出土木簡 (62)… …… 90
表 目 次 表 1  武家屋敷地区第 7地 点出土             表 13  武家屋敷地区第 7地 点出土 木簡・墨書ある木製品集計表   ……… 3               木簡観祭表 (3)… …… 131 表 2  武家屋敷地区第 7地 点出土             表 14  武家屋敷地区第 7地 点出土 木簡記載年号   ……… 8               木簡観察表 (4)… …… 132 表 3  武家屋敷地区第 7地 点出土             表 15  武家屋敷地
表 1  武家屋敷地 区第 7地 点 出土木 簡・ 墨書 ある木 製品集計表 Tab.l  Distribution of Wooden tablets and various、 vooden implements written by black ink from BK7 出 土 坊 所 木     衝 基 言 あ る 木 製 品 遺   構 層   位 点   数 小   計 点   数 小   計 2号 遺構 里土 2 545 40里±1層l埋±2層253 里± 2b層 8 里± 2 3層 1 埋±
+7

参照

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