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横田英夫試論

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Academic year: 2021

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(1)横田英夫試論. 綱沢 満昭. かけてのフ ァナ ティック な ものな ど、そ の色合いはさ. 工業 国 家 へ転換し てゆ くこ とにな ったが 、こ の時期 に. も、そ の国 家 、 社会 を構 成 する 人 間にとって、 農の重. ま ざ ま で あ る 。 そ し て 、 農 業 人 口 は 激 減 し 、 農業 そ の. 農業 、農 村を重要視 し 、ま た 、そ れを擁 護し よ うと. 視は極めて自然 の感情といえ よ う。 問題 は、そ の韮盤. 置換 さ れ 、 そ れ ら を 破 壊 し て ゆ く 文 明 へ の 反 動 と し. ものが壊滅 状態 にある 今日、農 は「自然 」、「環 境」に. おける農の保 護的主張、ある いはポー ズ とし ての農 業. 資本 の論 理が浮上し 、 確 立し 始めてゆ く時、 農 を中核. が揺らぎ 始め、 社会 、 国 家 の価値基準 に異 変が生じ 、. て 、また、 資本 の論理貫徹 がも たらす窮 極の人 間疎 外. 重視 の高唱 、また、 昭和 恐慌 期 から第二 次世界大戦 に. と し て い た 諸々 の 価 値 を 擁 護 ·保 守 し よ う と し て 農 本. 同体への郷 愁な どが、 混然 とな っ て、農、 土、環 境、. に対し 、人 間性の復権 を希 求する 足場とし ての村落 共. 経 済 的 基盤 と な っ て い る 場 合 、 時 の 為 政 者 な ら ず と. 主 義 が 台 頭 し て くる と い う こ と で あ る 。 農 を 中 核と し. こ れ ま で に 登 場 し た 農 本 主 義 は 、そ れ ぞ れ に 特 徴 を. -23-. す る 思 想 の 歴 史 は 古 い 。 農 業 生 産 が そ の 国 家 、 社会 の. て 完 成 さ れ て い た 価 値 を 破 壊し 、 剥 奪し よ う と す る も. は 鋭 い 牙 を む く 。 防 御 、 攻撃 の 手 法 は そ れ ぞ れ の 時 代. 持っ て は い る が 、 そ れ ら を 統 合 し て 共 通 し た も の を と. 自然 への関 心 は極度に 高揚し てき ている 。. 的状況 に拘束 さ れ、さ まざまな 型をとる こ とはいうま. い、農業生産 、 とくに稲 作によるそ れが、人 間生存. り だ せば 、 次 の よ う な も の と な る で ろ う 。. 日露戦 争 を契 機として、 日本 は次第に農 業国 家 から. で も な い。. のに 対 し 、 農 の思想 は、 防御 の 姿 勢 を とり 、 ある 場合. 15巻1号. 2003.12 文学· 芸術・文化.

(2) の大本 であり、 そ れは天皇 制国 家 の支 柱とな る も. る が 、 横 田 の 場 合 、そ う い う 政 治 運 動 で は な く 、 岐阜. のために、 国家 革 新の火ぶたを切ろ う とした人物 はい. と迎動 との微妙 な 問題 に触 れてみたいと考え る。. 農民 組 合運 動における彼 の役割 と実績 を検討し 、 思想. 本 稿 では、彼 の著作 に見 られる農政思想 の解 明 と、. 県で の 中部 日 本 農 民 組 合 の 長 とし て の 活 躍 で あ る 。. ので あると の認 識。 ③、 西 欧的物 質文 明、 機械文 明、 都市 文 明 に対 する. 激し い反対 感情。 ③、 社 会 主 義 、共 産 主 義 に 対 す る徹 底 的 排 除 の 姿 勢。 い、 農村内部の諸矛 盾を隠蔽 し 、村落 共同体を春 風. が決 し て反中央、 反国 家の思想 にまで到達 するこ. 伺、 農村自治( 社稜自治)を主張し な がらも 、それ. とを強 力に唄 っているほ どである。彼 の著 作 の随所に. た 。中部日本 農民 組 合の基本 的理念としても、 そ のこ. 横田 英夫 は、まぎ れもな く、 尊皇 愛国 主義者で あっ. 一 、 天皇 制国家 の尊 重と農 本主義. とな く、 逆に、 強 力な中央集 権 的国 家 の形成 に寄. 見 られる 愛国 、 憂国 の情と農 村‘ 殷民 とのかかわ り の. 馳蕩 する非政治的空 間として把 握 する。. 与 す る こ と にな る 。. いくつ かを拾って おこう。. 「 愛国的観 念を中枢 とし た剛 直な る精神 は、 実に嬰. こ こ に取 り 上げ よう とする横田 英夫 (明 治末期 から. 大正にか け 、 新進脳 政浄 論家 とし て活 躍し 、 一次 帰 農. 民 の集 合し た農 村から燎発し たので ある 。 観よ吾が国. 村によ って養 はれたので ある 。 長 久二千年 の歴史を辱. 光 の 燎発 、 吾 が 国 威 の 宣 揚 、 一 と し て 農 民 の 興 ら ざ る. し め ざり し 偉 大 な る 国 民 的 元 気 は 、 実 に 斯 く の 如 き 農. こ れ ら の 基本 的 特 徴 の い く つ か を 持 ち 合 せ な が ら も 、. はな く、吾 が国 体の精華 、吾 が国民 の光栄 、 一とし て. き 農 民 組 合 運 動 の 指 導 者 と し て 最 期 を と げ た 。)は、 農本 主義者とし ては、 極めて異 色の存在で あった。 そ. 農民 の荷はざるものはな いではな い乎 。 吾 が二千年 の. し て、 土の生活 を希 求する が、そ の後、 岐阜の地に 赴. れはひ ときわ 目立 つ農民 組 合運 動の指導者とし ての顔. 歴史は皇 室を中心 としたる一 大家 族 である。 而し て 農. で ある 。 阿鼻叫喚 的農 村の窮 状に同情し 、 農村、 農民 的国家. -24-. 綱沢 横田英夫試論.

(3) か け らも な いと い う 。 「 高工 業 の 発 達 す る 所 に は蜂 の. の も の が 或 る 意 昧 に 於 て 人 間 を 不 健 全 化 し て居. 密に集 ふように不健 全 な人間 が増 加する。 否商工 業 其. 民 は実に 此 の 光輝 ある 歴 史の 創 造者 である 。 い」. い ま― つ あげ て お こ う 。. る。 切」と、 辛辣 な 商工 業批判を行う。 ま た 農村をこ よ. 「吾 人は唯一言 にして悉 す。此愛国 的精神 の涵養 地 は 、健 全 な る 中 堅と し て 国 脈 を 支 へ 来 り し 農 村 な り 。. な く 讃 美 し 、都 市 に 対 し て は 次 の よ う な 暴 言 も 辞 さ な. 間 を 陶 冶 す る 楽 士 で あ る 。都 合 の 闘 は 人 間 の 醜き 小 我. 「 都 合 は 人 間 と 人 間 の 戦ふ 晒 巷 で 、 農 村 は 自 然 が 人. ‘ �〇. 其 護持者は農 村の維 持者たる 農 民 なり。 換言すれば 、 農 村は実に愛国 的精神 の涵養 地にして、農民 は実に其 いついかなる場合 も 、 農民、 農村は愛国の碁盤 とな. 制裁ありて慈 撫ある大 自然の威 力に対し、 人間 の不断. を 露は す 排 済 が 行 は れ 、 農 村 の 闘 は 平 和 に 対 し て 厳 粛. 護 持者 た り 、権 化 者 た り 。 巴 る も ので、皇 室を中心 とした 日本 は常 にこ のようにし. の努力が 現はれる 。都 会は人間 を惨虐 な らしめ、 冷酷. こ の 都 会 と 農 村 を 対 立 さ せ、 農 村 内 部 の 諸 矛 盾 を 隠. であり 、彼 の生涯 にあって変わ るこ とはな かった。 し. てあった という。 こ の愛国 的精神 は、横田 の堅い信 念. 蔽 しようとするのは、 多くの農 本 主 義者 が共通してカ. な ら し め ‘ 卑 怯 な ら し め 、自 己 的 な ら し め る 。 m」. は、 農をもってそ の本 質とな し、天皇 制国 家 そ のも の. の 衰 退 は 国 家 の 衰 退 と な る 。 豊綜 原 の瑞 穂 の 国 日本. 説 す る と こ ろ で あっ て 、 横 田 だ け の も の で は な い 。 明. た がって、 農の繁栄 は国家 の繁栄 光輝 であり、 逆に農. である 。皇 室の悠 久の歴史こ そ 、 H本 の誇り とするも. 治二十 七年 から大 正十 一年 まで東 京帝 国大 学農科 大 学. 棄 す る。 都 市 は 農 村 の 生 き 血 を 吸 う 吸 血 鬼 で 農 村 搾 取. 欲、 消贅 、終争 の渦巻 く都 市の商工 業 文 明を横田 は唾. のに 対し、 農村は反 革命、自然 的社会 秩 序維 持が行き. の存 在理由 を持っている 。 都会 は革 命の製 造所である. 盤 で、 金銭 追求の世界 か らは遠く離 れたとこ ろ に、そ. っ ていた 固°ともかく農業 は 、商工 業と 違い、立国 の 基. 教授を努めた横井 時敬な ども、 同様 の認 識、見 解 を持. ので ある 。. の上 に咲 く徒 花である 。 虚偽 、腐敗 、 堕落 、 強 奪、 殺. こ の農を中核とする生産 中心 的健 全 文 明に対し、 私. 人の 場が都 市で、そこ には倫理、 道徳 、人情 、信 頼の. -25-. 2003. 12 文学· 芸術・ 文化 15巻1号.

(4) 渡っ てい る非 政 治的空 間で ある とい う。. 農 業 は 人 間 生 存 の た め の 基 本 的 食 糧 を 供給 す る も の. 等の誠実な し 。由 来誠意 なき喉頭三寸 の議論 は、 百千. 人 を合するも何等の力な きことは、 言論 の威 力を経 験. 北虐 待論m」 に お い ても 、 す で に 強 説 し てい た と こ ろ. 横田 はこの不満 は、彼 の論 壇デビ ュー 作 である「東. したる者の普 ね く知 る所な り 。巴. 根幹と なるべ き農村の現 状は如 何。 横田 は農村の現 実. で ある 。. 憂国 の精神 を醸 成 する場だと横田 はい う。 そ の国家 の. で ある が 、 農 村は 健 全 な 国民 を 生産 する 場 で 、 愛 国 、. を 次の よ う に 分 析 す る 。 二、 変容する農 村 への眼. 日本 国家 を支 え きれようか。農民 はいまや、亡 国の民. で呻吟する農民 が 、どうし てよく光輝 ある 伝統 の国 、. もはや、人 間の生活 とはい え ぬよ うな 日常 性 のなか 農を大 本 とする農 本 立国 日本 の現 状 はどうか 。横田 字を披 泄し、 地方長 官とも よ く 面談 し 、意 見を 聴 取し. 往け。 薄暗き手 洋燈 の影 に煤煙 を避けつつ喪心 枯衰 、. 「隠 、亡 国の民 を観ん と欲 せば、 乞ふ去 っ て農 村に. と化 し てい る。横田 は悲 痛な 声をあげ る。. ている。 農民 の日常 的心 情によく通じ ているはず の地. 壮 令 に し て 恰 も 死 影 の 如 く 腕 組 め る 男 と、 毛 髪 慌 ら. は窮乏化 の極限 を日本 農 村に 見る 。彼 は詳 細な 統 計数. 方在住の長 官にし ても、 そ の農村疲蔽 の実態 認 識度に. 気なく、血 色な く、希 望な き惨まし き面影 を見る こ と. ず 、 泣き叫ぶ三 、 四児 を擁 し て痩顔婁頬 、 夫 の顔に生. 論 壇を席巻 する評論 家 たちも、そ の多く は問題 の本. を 得 む 。之 れ 亡 国 の 民 な り 。面 し て 之 れ 実 に 農民 な. は、 寒心 を 抱 か ざ る を 得 な い と い う 。 質の究 明もなく、 危機と救 済 を絶叫し てい るにすぎ な. 口にする のみ。真 に口 にする のみ。 …( 略)…彼 の春. 「今 や 天下 の人 を挙げ て農 村問題 を口にす。然り 唯. の没 落 は、国 家 最 大 の憂事 だ と 横 田 は考 え る 。「 自 作. 中軸 となり、国家 の支 柱 とな らねばな らぬ「 自作 農」. こ うい った窮 状のな か にある 農 村におい て、 とくに. り 。ロ. 陽の旦 を鶯が 梅枝 に囀づ り、 秋 風の夕 を雅が 老樹 に騒. 農」没 落 の趨 勢は、国 家滅亡 の前 兆以外 のなにもので. ‘。. ぐと何の選 ぶ所ぞ 。 そこに何等の熱 情なく、そ こ に何. -26-. 綱沢 横田英夫試論.

(5) 農 」と い う 二 つの極に分 解 する という ので ある 。 横田. や が て 日本 の 農 村は 、こ のよう に 「地主 」と「小 作. 村を想 像 せん と欲 せば 、 先づ 第一に之 を研究 せざ る可. 「吾人 が自 作 農 階級の滅亡 を目し て、 直ち に農村滅. の心 中には、土へ の愛着 こ そ が、忠君愛国 の心 情を生. も な い 。 横 田 の 心 中 を と ら え て 離 さ ぬも の は 、 ま さ し. 亡と嘆じ たのは実に之 に因る も の、 新し き農 村の如 何. らず 贔 」. な る も のか を実見 せざる 吾人 は 、 農 村と云へ ば 必ず 健. み出し 、 光輝 ある 日本 を担う はず のも ので ある との強. く この「 自作 農 」中 心の 理想的空 間であった。. 全なる自 作 農 家 の集 合 し たる も の と信じ た れば な. 愛が 郷 土愛を生み 、さ らに国 家 へ の愛に延長 し、 拡 大. る 。しか も そ れは 連綿 た る 様 相を呈 する。 こ の土へ の. て 氏 神 が 生 れ 、村 落 共 同 体 へ の 愛 情 が 醸 成 さ れ て く. い思いがあった。土を こ よな く 愛し 、そ れを甚盤 とし. 業 、 農 村 を 大 本 と す る 瑞 穂 国 家 の 一大 有 事 で は あ る. し て ゆ く と いう の だ 。. 「 自 作 農 」が 雪 崩 を う っ て 滅亡 し て ゆ く こ と は 農. 凹」 り。. が、し かし こ の勢いは燎原 の火の如 きもので 、 誰れも. 土へ の執着 と愛国 の情とのかかわ り を横田 はこ う い. 止める こ とは 出来ない。 悲鳴や焦 燥は 要ら ぬ、こ の 現 実 を 直 視 せよ、と横田 はいう 。. 「按ず る に吾国 民 の愛国 的精神 の根 源は、 勿論太 古. う の で ある 。. 誕生さ せる 。つまり 、「自作 農 制度 」は消え 、 「 小作制. も‘之 れを顕発し て愈々民 性に植え たる も のは、 実に. 建 国 の 湘 業 を 完 成 せ る 神 族 的 意 味 に あ る べ し と雖 ど. この「自作 蔑 」の没 落 、崩 壊は、 新たな 農村の姿 を 度」 がはびこる 。こ れを 横田 は 農村革 命の第 一 段 階‘. 是 れ吾が国 な り 是 れ吾が土地 な り と云 ふ所有 の観念に. つ まり 第一 過程 と呼ぶ。 第一 過程 を彼 は次のよう に 説. 明し ている。. せる 地 は 即 ち 吾 が 地 な り 、 此 の 所 有 者 は 即ち 吾な り. II. に 代ふる に 小 作 農 制度を以て し 、革命後に於 ける 農 村. と 云 ふ 愛 地 的 観 念 は 、 同 時 に 同 胞 的 結合 を 堅 く せ し め. 神 子 の創造 出発し たる 土着 的感情に外な らず 。 此 の ”. の中堅は小 作 農 階級に移 れり。 然 らば 此 小 作 農 制度と. て、土地 を 愛し 、土地 を譲る こ とを誓 はしめ、 永く 努. 「所謂 農村革命の第一 過程 な るものは、 自 作 農 制度. は果し て 如 何なるものな る乎。革 命さ れん とする新農. -27-. 2003.12 文学・ 芸術・ 文化 15巻1号.

(6) ば、之 れ両 者自ら望む 所に走るもの、 而し て其 の走り. 者の安全 確 実な るを思ひ 、 地主も亦小作 に出すより 農. 着きたる点は、 雇れん とする 労働者 と傭 はん とする 地. 力懸 念せしむ るは当 然にして‘即ち 国 家 を形 造り て愛. 「自作 農」層が耕作 する土地こ そ 、 日本 国家 の伝統. 業 労働者 を傭 う て 自 作 する に 如 か ず と 惑 じ た り と せ. を 護 持す る も の で 、 こ の こ と は 建 国 以 来 の 不 断 の 義 務. 主との遡返 とな り ‘ 絃に小作 農民は欲 する所の農業 労. 闘」 国的 精神 とな れるものにあらずや。. でなけ れば な らぬ。土は穀 物 を生み、 愛国の精神 を生. 働者 たり 、 地主も亦志す所の自作 農、 或ひ は農場所有. いう 農 村の姿は、や がて「大 地主 」と「小作 腹」とい. 大 な る土 地資本 家と蟻の如 く群 がる農業 労働者によっ. 「巨 こ とにな る。そ の後の農 村はどう なるか、それは、. こ の段 階で、 横田 の描 いた農 村革 命は一 応終結する. 者 たる こ とを得 れば な り 。 竺. む 。横田 の信 念はこ こ にある。. う二 極化 現象を 横田 は農 村革命の第一 過程 と呼ん だの. て 埋 め ら れむ 。 ど も の と な る と い う 。こ の こ と の 正. 「 小 作 農 」 が いる と 「 自作 農 」がいて、 地主 がいて、. 「大 地主」層はやが な く、 更 に 第 二 過 程 が 待 っ て い た 。. 否、喜悲 は不 明だ とする 。. で あるが、彼 の農村革 命はこ れで 終止 符を打 つので は て土 地資本 家 という 存 在になり、 「小 作 農」は牒 業 労働 し た関 係が生 まれる という ので ある 。横田 の認 識と予. 明 治 四十 四年 、 若干 二十 一 歳 の 横田 は 、 「 東 京朝 日. 三、 帰農 の唄. 者 にな る という の だ。 つ まり‘ 資本 家 と労働者 に 類似 見 の甘 さ が露呈 し てはいる が、彼 の予見 の内容 をこ こ. 新聞」に、 「東 北虐 待論」を連載 し 、 ま た、 翌年 に も 同. 論家 とし てデビ ュー し たので ある。こ の二 つ の連載 を. じ 新聞に「 農村滅亡 論」 を掲載 し て 新進 気 鋭の 農政評. に 紹 介し て お こ う 。 横 田 に よ れば 、 「地主 層」と「小 作 農 」という 関 係は. j. j. と『 農村救 済 論 、 大 正四年に は. 「 日本 農村論」、大 正五年 には『農村改革策 」といった. には、 「 農 村 革 命論. はじ めとして次 々と著作 を公 にし て いっ た 。大 正三年. 「農 場制度」という も のが生 誕する という 。 そ 崩 壊し、 の 根 拠 は こ う だ と いう 。. 地主 と小作人 とが所諧 不 利の衝突 に苦し められた 「 る 際、 小 作 農 民 は 小 作 す る よ り は 寧 ろ 労 銀 を 得 る 労 働. -28-. 綱沢 横田英夫試論.

(7) 文学・芸術・ 文化 15巻l号 2003.12. 福島県 耶麻 郡熱 塩村 に帰 農したのである。 複雑な心 理. 異 変が生じ た。彼 はこの文 筆活 動をや め、 突如 として. 若くして評論 家 の地位 を確立 したか に見 え た横田 に. れだけの願か らで ある 。唯 、之 れだけの願で ある が 、. 私の会 心 する真実の生活 を歩まん が 為 である。唯、之. 尽せば、私は 何 等 累せ られず、侵 されず、静 に、深 く、. 「 私 は何故 に帰 農を決 行せるか。一 言 にして之 れを. 横田 の帰 農の動機を見 ておこう 。. 的葛藤 が あっ たに違いな い 。 帰 農を決 意 した動機を含. するこ との出来な いほ ど尊い 、且 つ大な る願で ある。. 私に 取っ ては此 の願は、 世界の如 何なるものとも交換. 具合 で ある 。. めて、彼 は「読売 新聞」に、大 正六年 七月 十七日 か ら、. 若し此 の 大 願に して成 就 するな らば、 私は 、私の有 す. 同年 十 一 月 十― ―一日と い う 長 期 間、「農 に 帰 ら ん と し て」 の 連載 の機会 を得てい る。こ の「農 に帰 らん とし. ここには横 田 のこの時点での決意 の 中 核 とな るもの. る一切 のものを代 償しても惜 しくな い贔 」. とする哲 学、 思想 的色彩 が 極めて濃 く表出し、土へ の. て」には、 これまでの著作 と違っ て、 横田 の農を中 心. ず る手法 によっ ては、 解 決 し得な い人 生問題 が 横田 の. 農 村問題 を貧富 ‘つまり 経 済 問題 だけに限 定 して論. が、 よく表 明さ れてい る 。彼 はこの決 断を己 の「 生 活. 周知 の 通 り 近代日 本の多くの知 識人が帰 農の唱 を唄. 回帰、 農へ の回帰 が 高唱 さ れてい るよう に思え る。つ. っ た。彼 らは大 都 市の空 虚な 絢 爛さや汚 濁に満 ちた空. 胸中に、 飛び込ん できたので ある 。 帰 農のためな ら一. 革 命」 と 呼ぶ 。. 気に疲れ、ま た 、己 の極限 的苦悩 の解 消か らはほ ど 遠. 切を放摘 しても いいとまでい う のである。 己のこ れま. まり、彼 の内部生命へ の傾 斜が よく表 現さ れてい る。. いヨー ロ ッパ 的近代知 に絶望 し、原 初的生命の息 吹を. で の 人 生 を無 為 の二 十 九年 と い っ て 彼 は は ば か ら な. ーキ スト も いれば 、ロ マン主 義者も、国家 革新の夢 を. とはな にか を問わ ず して、 なん の人間ぞ 、 といっ た具. か、 といっ た問い を排 し、そ も そ も 人 間のある べ き姿. ど れ ほ ど の 資産 を 持 つ か 。 ど れ ほ ど の 稼 ぎ が あ る. ヽ↓ 0. 求め、 またそ こ に 癒さ れん こ と を願いつ つ 土へ の回帰. 追う 人も い た。トル スト イ 、ク ロ ポトキン らの名 が飛. を企て、 寸 時の悦 惚 感に酔っ たので ある 。 士着 的 アナ. びか っ た。. -29-.

(8) のな かに おける 量的 問題 でし かな い 。たしか に、 経済. 解 明に 向け て 奔走し て も 、そ れ は 所詮、 資本主 義経 済. を 無 条 件 に 許 し て は な ら な い 。農 の 世 界 は、 排 金 主. ある 。清 貧に 甘んじ てこ そ「 良民」 だな どという発想. か 」を 問う こ とは 、 貧 困に 対 する 許し が たき 暴言で は. 「 食 え ぬ」と いう 現実を無 視して、 「 如何に在るべ き. 云ふ 思 慮の指 揮を受けれな ければ な ら ぬ ° 個」. 的 疲弊は、生 命維 持に と っ て 決定的 問題で は ある 。国. 義、利 害打郷 で 生き る 世界 と は 次 元が 違う 、 という声. 合 で あ る 。いか に 多く持つ か を、 ど れほ ど 問いか け 、. 家の支柱 たるべ き農民 の経 済 生活 が破 滅的状況 で ある. も 、そ う簡単に 許し てはな らな い。. こ のこ とを知 的には知 り抜いていた横田 が農の特 権. る。 もちろ ん 横田 がそのこ とに無 関 心 で いた わけ で は な. 土に 執着 する 人 間の 「 特権 」という こ とで あっ た。土. を いう の で あ る 。彼 が農民 から 学ん だ最 高のも のは、. 時は、そ の 国 家 の 将 来 な ど は な い と い う こ と に も な. いし 、そ れはそ れま で の著 作 に よっ て 明 らに 証明 さ れ. 着 し て生き る 人 間の人 生には、 他の 職業では味え な い. て い る 。し かし 、そ の こ と の 重大さ を 知 りつ つ も 、そ のこ とによっ ては、救 済 さ れぬも の、 解 決不 可能な も. っ た のか 。従 来の著作 か ら は 大き くか け 離れた発 言に. 意 し たという の だ。土地 制度の 矛盾、 貧 困はど こ へい. 充 実し たものが あ り、そ れを 極度 に 憧憬し 、 帰農 を 決. い わ ゆる 所得獲得という こ とは 、 生き る こ との手 段. の、つ ま り魂の 問題 を 横 田は 発 見し たので ある 。 ではあっても、そ のこ とに人生 の 目的が あ る わけ で は 「 私が 農民 の生活 によって感発 さ れたこ とは、 人 間. の な か で 生 息 し て い る 人 間が 、 そ れ を 拒 否 す る と は 、. 資本 主義 拒否」を 宣 言する 。資本 主義経 済 横田 は、「. 終 始 する こ と に な る 。. とし ての真実の生活 は、『 如 何に持つべ きか』と 云ふ 志. いか な る 謂か 。そ のこ との現実的不 可能性 を横田 が知. な いと、横 田 は次のよう に のべ て いる 。. 向を 正すこ と を 順序と し て 、 始 め て 格り得 る と 云ふ こ. ら ぬではな い 。しかし、 貧の発 生 根拠 か ら 遠ざ か り、 j. る。. とで あっ た。『 如 何に持 つべきか と 云ふ 思 應も無 用で と. そ れ を 回避し て 生きるこ とを彼 は主張し ているのであ j. はな いが、 所詮、夫れは 生活 の 目的を 指定 すべ きもの ではない 。生 活 の 目的 は 必ず「 如 何に 在るべ きか. -30-. 綱沢 横田英夫試論.

(9) 文学・ 芸術・ 文化. 15巻1 号 2003. 12. 因か ら遠ざけ るこ とである。一 層 明 瞭に 云へば 、 私共. 「 私共 が 貧か ら 脱れる 途は 何 か と 云ふ に ‘其の 唯 一. は、必ず 与 へて吝で な い。 然 も 永久に 、不 変 に 、与 ヘ. して人 間から何 物 をも 掠奪しな い。 与 へるだけ のもの. .(.略) … 土は 決 ものに求め ただ けのもの を 与へる 。 .. るだけ のものは与 へるこ とを保 障して居 る。 …( 略). の 途は ‘私 共自 身が 、自 身の 生 活を 、 貧の発生する原 は其 の思想 と生活とに 於て 、 資本 主 義を拒否 し回避 す. 帰 らん と す る は 、此の 土の 与 ふ る 教訓 と 制裁と に 依 っ. にして然も絶えず 峻酷な 制裁を与 へて居 る 。 私の 農 に. … 沈黙に して 然 も 私共に 不 断に 何事 かを教へ、無 抵抗. る。 資本 主 義経 済 に よ っ て腐蝕してしまっ た精神 、つ. て ‘心 と 生 活と の 洗礼を 受け ん が為である。竺. 横 田 は 心 の 問 題、精 神 の 問 題 を い っ て い る の で あ. るこ とである 。竺. まり 拝金主 義的心 理 を叩き 直し、 道徳 的生活改 善を断 「 私の 生 活の 改 造が 、私 の道徳 的完 成 にのみ依って. 如 何に が、 そ れ も 所 詮 は 資 本 主 義 経 済 の な か で の 、 「. き ‘抽 象 的 、 観 念 的 に な る の を 防 い で い た の で あ る. 帰 農前 の横田 の農政論 が、実に詳 細な デー タに 基づ. 遂げ 得る を信ず る 私は 、貧を 脱れる 唯 一 の 途と し て 、. 持つべ きか」 という 量的 問題に 終始 し たも ので しかな. 行する とこ ろ に 帰 農 という現実が ある とする 。. 正しい 生 活を営む 唯一 の 途と して農 に帰 らん とする の. く、人 間の 内 面を 別扶するような ものではなか っ たこ. 条 件 が 整 え ば 等 価 値 で も っ て 反 応 し て く れ る 。そ こ. はしな いし、 略奪もしな い。 一 定 の 労 働投下に 対 し 、. 甚な る拘束 と戒めを与 え はするが、 決して裏切る こ と. かに 魂の救 済 はな いと判 断し、 近代のはらむ 病理 を超. 革 命 を 予期 し たのである。 西 欧の 近代的知 の追求のな. を抱いて生き よ うとする こ の世界 に 、横田 は己の心 的. 帰 農して、 平 凡な 一 人 の 人 間として 、誠実に、 真心. とに彼 は 気付 い たの で あ ろう 。. に 、いさ さ かの過不足もな い。 同じ 貧で も、 搾 取さ れ. 克しよ うとしな がら、ついに空 想 的理想 を追い、 フ ァ. 人 は 人 を 蝙し、 褻切る が 、 土は 人 に 対し、一 方で 激. である。間」. た結 果 として の貧と、 土を 耕 や し た結果と し て の 貧と. は 多 い。 横 田と 同 じ頃、 茨城県 東 茨城郡常盤 村に 帰 農. ナ テ ィ ック な 結末 を 遂げ ざる をえ な か っ た農本 主義者. 「 思へ、 土は断じ て人間の 掠 奪を 許さな い。求む る. の間に は、千 里の径 庭 があるという。. -31-.

(10) 中退 し、 世俗的 出 世 志向と 近代的知 に 訣別し 、一人の. し た 橘孝三 郎 も その一人 で ある。彼 は 第一 高等 学校を. 田 は主張し ている 。. の 不 幸の 面を 追 求する根 本 的テー マで あ る ことを、横. まさしく、 資本 主義 的文 明の上 に 構 築さ れた 人 間社会. を蹴っ て、 大 自 然 の温かき 懐に 抱 かれ安心 立命 の 境地 四、中 部 日本農 民組合. 平 凡な 人 間と し て土の な かに 己を埋 めようとし た 。知 を模索し たので ある ⑲°. その 土の 生活 は 、 あっ け な く 終止符を打つ こととなっ. ど強 固な 信 念の下に帰 農 を実現 し たにも かかわ らず 、. 帰 農 の 唄 を 唄 い 、 それ ま で の あ ら ゆ る も の を 放 棄. 「 私は最 後に云ふ、 私は 自 由 な らんが為めに、 故に. た。 大 正八年 に は 、『 福島 日日新聞』にかかわ り 、 再び. 心 情の次元 において、横田 と橘の間に大 き な 距離 は. 正し き 生活 を 営ま んが為 めに農に帰 る。 私は自然に 帰. 評論 の世界 に 舞い 戻っ ている 。さ らに評論家 とし てと. の 生活 を世間は彼 に そう 長 く は許さ な かっ た 。あ れほ. ら んが為めに、故 に稚児 の心 を以て農に帰 る。 所謂 現. どまる ことな く、 新 潟県で 、 北 日本 農 民 組 合 の 顧問と. し、 土への埋 没 を決意 し た 横 田であっ た が 、 その 土着. 代文 明 生活 の継綿 する一 切の 欠陥 、一 切 の 罪悪、一 切. な り 、大 正十 三年 には、彼 の 終焉の 地 と な っ た 岐阜県. 農 に 帰 ら んと し な い 。横 田 は 次 の 言 辞 を も っ て 、 「. の不 安 、一 切 の不 純か ら 脱却 せんが為めに農に 帰 る。. に 赴き 、 中 部 日本 農民 組 合の結成 と 同時 に その 組 合 長. て」の「 個 人的 消息」の結末 とし ている 。. 生産 に 対 する 勤勉な 努力 を以て終る で あらう 。g」. 故 に 私の 後 半生は 、唯 、自 然 に 対 する 忠実な 奉仕と、. し て人 の前 に あ る 。 そし て 多く の 生命を宿し、 育む と. も な け れば 、国家 が栄 え たためしもない。 土は厳 然 と. の 悲哀を 見 る 。土に 背い て人 間が 幸福を 獲得し た こと. 岐阜の地 で 後 世に 遺し た も のは、 農 民 組合 運動 の本質. わず か二年 間という 瞬時 で はあっ た が、横田 がこ の. る 」こと から 「 実践」の世界 に 移 し ていっ た ので ある 。. 帰 農 以前 に 高 唱し て い た「 小 作 農 」 の 問題 を、「語. とな る 。. 同時に人を 強く拘束 す る。 土に 帰 る ことは 、 単なる文. にかかわ る極めて大 きな ものがあった。 まず 、次のよ. 資 本 主義 的文明の 背土的 趨勢 に 、 横田 は、人 間存 在. 人 た ちの夢や 唄で 完結し ては な らな い。 この こと が 、. -32-. 綱沢 横田英夫試論.

(11) う な 評価 を あ げ て お こ う 。. 三、 我等 は 地主 及小 作 人. 治 相愛 の 精神を養 ひ 共 同の 力 に あ り て 我等 の 地 位の 向. 上改善を 図らん こ とを 期す. 相互の 無自覚 の ため に 惹起せ ら る ;農 村社会 の 不 安を. 「 中 部日 本農 民 組 合 の 指導 者横 田英 夫は 、 岐阜農 民 運動 の発 展に お け る 偉 大な 偶然 性 で ある 。小作 人組合. 防 過 し農業 制度 の 合 理化 を期 す. も、そ の 土地 で 単 独の 運動 を進 めるか、こ の 両者 を め. 当 時、 岐阜に お いて は 、日本農民 組合( 日農 ) に 加. 余儀な く さ れる 農 民 運 動、 農 民 組 合 が 、「 尊皇 愛 国 の. とどのつまりが国家 権 力、 天皇 制国家 と闘 うこ とを. 中部日本. の 県 連合 が 独立 組 合で いくか、 R雌 県 連と して進む か. 済的 結合 に よ り 、そ の 自 助迎動 の機関 と して 組 織せら. 農民 組合は、 土地 の 上 に 労働す る 農 民 の 精神 的 並に 経. ぐ っ て 激 しい 論議 が 繰 り ひ ろ げ ら れ て い た が 、つ い. 表 看板に しているとこ ろ に、 横 田らの独得の戦 法 がう. 大義 」 を掲げ る のも じ つは奇異 の感がする が、こ れを. 宣言 〉 〈. 確 立さ せ た大 き い 要 因 は 、 確 か に 横 田の 存 在 で あ っ. が二 つ の可能性で あっ たとき 、こ れを 独立組 合 と して. 張 して い た側が 勝利 する こ ととな っ た。 大 正 十三 年 四. に、 横 田を長 において、 独立 組 合で 活動 する こ とを主. き約束 を有 する 農 民 同盟な る こ とを、まず 宣言 す…以. か がえ る。 「 尊皇 愛国」を主義 と して 、 横田 は次 々 と 組. 下 略。¢―. 月 、 組 合 結成 の運 びと なっ た。こ の年 の末 における 中. 合 をつ くり 、運 動を 展開 してゆ くので ある 。横田 が足. 盟 し、全 国 組 織 の 一 支 部 と して 活 動 す る か 、そ れ と. 部 日本脳 民 組合の実態 は、支 部 数 四十 九、 組合 員数三. う 始末 で 、 横 田が 村 へくる ときい ただけ で 地主は ふる. 「横田 が一度 講演 したらかな らず 組 合がで きる とい. る。. いる 。 坂井 由 衛は 、当 時 の模様 を次のよ うに伝え てい. 嬉々 と して彼 を迎え 、 地 主 たちは戦 慄 したと いわ れて. 小 作 農 民 」は を 踏み 入れ る や否 や組 合 が 結 成 さ れ 、 「. この組合 の「 主義」、「 綱領」、 「 宣言 」に は、次のよ. 千五百人 弱と いうところ であっ た。. 我等 は 尊皇 愛 国の 大 義 を 奉 ず 〈 綱領〉. うな文 言 が見ら れ、そ の意 気が 高唱 さ れている 。 「〈 主義〉. 二、 我等 は 自. 一、 我等は 社会 共存 の 理想 に従ひ 最 も善良な る農民 と して そ の 天職を完う せん こ とを期す. -33-. れ たるものに して 、 将来 全 日本 的の最 高権威 とな る べ. 2003.12 た。刈」. 1 5巻 1 号 文学 ・ 芸術 ・ 文化.

(12) 運動 ある の み 。吾 人 は近き 将来に 於 て小 作 料低減運動. 「 飢え たる小作 農民 が行くべ き 道は、唯 小 作 料低減. についてこうのべ ていた の で ある 。. を科 学的 に さし 示すも ので も な く、小作 科 の減免こ そ. が、吾国 の農 村に 頻発 継 続 さるべ きこ と を 予言し て 憚. た 。 思想の根本 は燐本 主 義で 、 農民運動 の 革 命 的 展望. え 上が り 、 小作人は神 様 のよ う に 随喜し て かれを迎え. 小作 人 の生活 を守る唯 一の方法 で 、 減免闘 争 はやがて. 横田 はこ の地で 現 実のも のとし たので あっ た 。. こ の著作 での「 小作 料低減運 動 」に 関 す る 予見 を 、. り 。竺. 益分 配に 関 す る 地 主 と 小 作 農 民 と の 階 級 闘 争な. 「 小 作 料低減運動 は最 も 悲愴な る社会運動 なり 。利. か らず 。四」. かいに 立 ち上が ろうとする農民 の心 をとらえ た 。四」. 全 国 に 発 展する で あろう と教え た だけ だっ たが、た た 大正十 三年 の秋か ら冬に かけ て の横田 の遊説の足 跡 を たど る だけで も 次のよ うにな る ⑳°. 十一 月一 日 稲 薬郡鶉村東 鶉組 合 総会. 十 一月 五 日 稲葉郡南 長 森切通 組 合 総会. 中 部日本 農 民組 合 にとっ て、 初陣ともいうべ き岐阜. 県 稲 薬郡 鶉村での闘 いに おい て、横田 は組 合をよく指. 十一 月 六日 稲 薬郡 長 良村講演会. 十 一月十 八日 稲 葉郡 北長 森村前 一 色組 合総会. 米 廃 止」、 「 小作 料の二 割 引 下げ 」な どの要求を貫徹 し. 甜し 、 地 主 側 の 激 し い 対 抗 に も 屈 す る こ と な く 、 「 込. 鶉連合 大会. 十一 月 十 九日 稲 築 郡三 里村 宇 佐組 合 総会 十 一月 二十 三 日. の 団結と 組 合の闘 争内 容 において 、画期 的意味 を持つ. た 。この 初陣に見 せた 横 田の 指 甜力は、その 後の 農民 も の で あっ た 。. 十 一月三 十 日 揖 斐 郡池田村 上 田講 演会 十 二 月一 日. れて い る 。こ の 時 の 風貌と農民 組 合運 動との関 係は、. 闘 士 的なものか らは 想像 出来な い も の で あっ た と い わ. 揖斐郡富 秋村稲 富 講演会. 十二 月一 日 稲 葉郡 日置江村 茶 屋組 講演会 そ れぞ れの会場で、 横 田 は 長時 間にわ たって熱 弁を. そ れ 自 身 が 一 っの テ ー マ に な り 得 る も の か も 知 れ な. 中部 日本 農民 組 合の長 で ある 横田 の 風貌は 、当 時 の. はかつて、 自著の「 農 村 革 命 」で 、「 小 作 料低減運動 」. ふる い 、 参集 した農民 を 共 鳴 さ せ、 酔わ し め た 。横 田. -34-. 綱沢 横田英夫試論.

(13) い。 坂井 由 衛は横田 の当 時 の姿を此 のよ うに 描いてい. 小 作 農 民 」の 心 情 を 闘争 が、こ の時点で 、 どれほ ど 「. る。 反天皇 制、反 国 家を スロー ガンと した激 烈な 階級. 関 して は 、極め て 大 き な 疑問が 残る 。. 把 握 し、 運動 の現実的成 果をあげ え たか というこ とに. る。 「 ず ん ぐり と した 退 ま しい面構 え の和 服の農 民 の中. 資本 主義の矛 盾を指 摘 し、そ れを 打破 してゆ くこ と. で 彼 だけが詰襟 セ ルの 洋 服で 背が づ ぬけ て高か った。 講演に ゆ くと きは セ ルの詰襟 服、 家 に いる とき は 大島. を 基本 的 方針と す る 社会 主義 革命路線に 対 し、横田 は. 横田 の 思 想 は 、 あ く ま で も 農 本 主 義 で あ り 、 闘 争 の. 強 い不 快惑を抱いて いる 。. い う 風彩 と は 程 遠い 格好 を していた。国 粋 会 川口 某 の. 知 識人 」の 高尚 」な 理論 は 、「 的生活意識と無 関係の 「. 場 に おい て も 、そ れ が 揺 らぐこ とはな い。民 衆 の 日常. 絣の 着流 しで、 背広服などは着 たこ とがな かっ た。 金. 子分 が 抜き 身の 日本 刀で 渦 迫 した とき な ども イン テリ. 縁眼鏡 に 痩 身長 駆‘貿 族的な 風貌で 農民 組 合の闘 士 と. めいた弱さ な ど 少 しも 見 せず 、 胆の据っ たとこ ろ をみ. 農 本 主義 の 性 格の 一部に、 本来 の農民運動 とは異 質. 遊戯の 場 に おいて 存在 すれば よ いと 、彼 はいわ ん ばか. のものがあるこ とはいうまでもな い。 土 地 制度の矛 盾. せた。 激 しい情 熱を 胸に 秘めなが らあ の もの静 か な 姿 中 部 日本農民 組合 が 、そ の 基本 的 理 念、つ ま り 〈 主. り で ある 。. 義 〉と してい た 「 尊皇 愛 国」を 横田 は 遵守 す る 立 場を. をはじ めとする 農 村内 部の諸々の軋礫を隠蔽 し、 村落. を今 も 忘れる こ とが出来な い。加」. とりつつ、 農 民 の現 実的 利 益を追 っ た。こ れは社会 主. ための、 春 風騎蕩 す る 非政 治 的 空間に 仕立て て ゆ く と. いう機能を農 本 主 義は持つ 。 しか し、 リー ダー の 資質. 共 同 体 を して 天皇 制国 家 、中央集権 国家形 成 、強化 の. 横 田の運動 方針、 戦術は よ く耕 作 農 民、 な か に す ぐ. と 状況 如何によ っ て、こ の農 本 主義は、ある 限界 内 で. 義的、共産 主義的 農 民 運動 とは大 き くか け 離れたとこ. 「 小作 農 民 」の心 情を把握 し、吸 収 していった。 天皇. ある 。. はあるが、 闘争 の 武器と して 有 効性 を発 揮する こ とが. ろ のも ので ある 。. して ゆ く と い う 手法 、 こ こ に 横 田 の 運 動 の 特 徴 が あ. 制国家 を強 く支 持 しつつ、 農民 の 日常的 生 活 苦を 軽減. -35-. 2003.12 1 5巻 1 号 文学 ・ 芸術 ・ 文化.

(14) 一 柳茂次の次 の横田 評価は、 注 目に 位する も のとい え る。. 完璧』 によっ て 階 級闘 争 の 武器 「理 論は単に そ の 『 とな るのではな い。 自 然 成 長 的階級闘 争 を意 識的な 計 画に 従属さ せ、拡大 さ せえ たかどうかーー輝一 論の歴史 的意 義 はこ のよう に規定 さ れる。横 田 の理論 をもっ て い う こ と は 、横田 の理論が大 正初期 岐阜農 民運動 の指. しては、 日本農民 を権 力 掌握 に導く ことはできないと 導的頭 脳を意 味したこ とを否定 しさ る もので はな い。 岐阜農 民迎動 史に 刻まれたこの歴史的事 実は、 何より もマル クス主義と農民 運動 の 結合 に 対 す る 安易な 予断 に 導 か れ た 歴史 分 析 に 対 し て き び し い 反 省 を 要 求 す. る盗 」 生理的欲求に基づ く 現 実的 利益の 追求 の エネル ギー は、 多 く の 場 合 、権 力 体 制 擁 護 の 側 に 吸 引 さ れ て ゆ く 。 官僚が耕作 農 民 の「 よき 」理 解者で あったり 、 「カ 強 い」援護者 で あったり する こ とは、 な に も 珍し いこ とではな い。 そ して 逆 に 嬰民 の同惜者 、支援者 だと 大 声 で 叫ん で いる 連中のな かに、実 は 農 民の最 大の 敵が いるこ とも合わ せ考え て おかね ば な らぬこ とで ある 。 横 田 の手法 が 、いつ 、いかな る場合で も成 功すると. いうものではな い 。しかし、そ う だからといっ て 、 人. 間の深 層 心意 を 無視 し た 「 立 派」な 理論 、思想 がいか. な る 結末をとげ る かも 明らかな こ とで ある 。. 注 j. い 横 田 英 夫 「 股 村 救 済 論 裳 華 房 三年 、三三頁。 、 大 正 切 横田英夫 「 農村革命論」、大正三年 〈 明治大正農政経済名著 槃 ⑬〉所収、牒山漁村文化協会 、昭和五十 二年 、 一四六頁。. ③ 横田 「 此村救済論」、三四頁。 い 同上ぷ 、 E 四三頁 。. 固 横井時敏 は股業と商工業、農 村 と都市 を次 のよ うに比較 し ている。「 嬰業は ワシント ンの言 へる如く最も尊貨 にして 且つ 最も有益 であり健康なも のである。金 に憧 れず土 と親 しみ大 自然を友とし、無欲 にして汚 き人を相手 と せず 、不刷独立正. に天国 の如きである。… ( 略)…誦 工業 は金銭以外 には何物も な い、都合 のみ発達 せんか、そ の国家社会 は甚 だ危険 と いは. のは此 である。 」( 大 日本農会編 「 横井博士全集」第九巻、横井. ねばならぬ、都合 の欠陥を補 ひ以 て国家を安泰 ならしむるも. 全集刊行会、昭和二年 、 一七頁 。 ) ① 横田 「 嬰村革命論」、前掲 書、三八頁。 り 「 東北店待諭」は 「 東京朝日新聞」における十日間にわ たる 連載 であ ったが、そ の最初 の日 ( 明治四十四年 八月十五日)、 凡百 の東北振興論は、悉く誠意を欠き 彼は こうのべて いる。「. -36-. 綱沢 横 田 英夫試論.

(15) のは途 上 一過 の人 々 に し て誠 意 な し 、挙 げ 来 れ ば東 北 振 興 策. 若 く は適 切 を 欠 き可 能 力 を 欠 く ‘梢 誠 意 あ り と認 む る も のは. 「 」( 真面 を 去 って、日 一日を 真 実 に生 き な け れ ば な ら な い。. きな ければ な ら ん。自 ら の微 少 な る事 を痛 惑 し て総 て の誇 張. な生活 を捨 て て、 一人 の自 虹 した 人 問 と し て、青 年 と し て生. とま 心」第 一巻第 一号所 収 、橘 学 会 、昭和 四十 八年 八月 、五 〇. 土 H に生 き様 とす る心」、 一高 校 友 会 誌 、大 正 二年 十 一月 、 「. 所 論 迂晶 俄 に之 れを 操 る べか らず 、往 々 に凱 切 の言 を 吐 く も な る も の東 北 人 が以 て依 頼 し傾 倒 す る に足 るも のあ らざ る な. 日本 一柳 茂 次 「 岐阜 県 股 民迎 動 史」、雌 民連 動 史研 究会 編 「. 横 田 、前 掲 紙 、大 正 六年 九月 五 日。. ) 頁。. り 、余 は東 北 振 興 論 を 検 す る紺 に、東 北 の為 め に同梢 す る が. ⑳. 如 き 口吻を 洩 らす当 局 者 及び 識 者 が 、唯 勤 勉 な れ東 北 人 は悧 惰 な り とか或 は貧富 問 題 に言 及 し て、貯 金 思 想 に乏 し か と言. 農 民運 動史」 束洋 経済 新 報 社 、昭和 三十 六年 、七 ―四頁 。. ⑳. 此 村 革 命 論」‘前 掲 古 ‘六七頁 。 横田 「. 」 ふに止 ま り 、. 岐阜 県 労 農 運 動 思 い出 話」 坂 井 由 衛 追 稿 集 刊 行 坂井 由 衛 「. 同上 吉 ‘六 九 九頁 。. ⑧. 四. 一柳 茂 次 「 岐 阜 県 農 民 運 動 史 」、前 掲 書 、参 照 。. 四. ⑳. ‘ ―二七頁 。 同上 屯口. 農村 革 命 論」、前 掲 書 ‘ ―ニ ニ頁 。 横田 「. 同上 甚 、九 0頁 。. 四. 同上 書 ‘八 八頁 。. 同上 ポロ‘ 一三三頁 。. 同上 占 、 孟 空 ハ 頁。. ⑳. ⑩. 同 上 占 、 一三 四頁 。. ⑨. ⑬. ⑪. 読 売 新 聞 、大 正 六年 八月 ト ニ 腹 に帰 らん と し て」 「 横田 「. ⑳. 一柳 茂次 「 岐阜 県 農 民 運 動 史」、前掲 書 、七 一七頁 。. 坂井 、前 掲 書 、 一―0頁 。. 五 日 1同年 八月 二十 四 日 。. j. 東 京 朝 日新 聞 、明治 四 十 四 年 八月 十 東 北 虐 待 論」 「 横 田英 夫 「. 主要 参 考 •引 用文献. 四. 会 、昭柑 四十 五年 、 ニ ―頁 。. ⑬. j. 仰. 同 上紙 、人 祖 ハ年 八JJ三卜 日。 .o l ― nJ. 同上 紙 、大 正六年 八月 十 五日。. 日。 ⑩ ガ. 同上 紙 、大 正六年 九 月 二日 。. ⑲. ⑱. 嬰 村救 済 論」 裳 華 房 、大 正三年 。 横 田英夫 「. 橘孝 三郎 が第 一 J 回 P等 学 校 を 中 退 し て帰 此 し た のは大 正 四 年. 1月 であ る が 、大 正 一一 年 ト 一月 に校 反 会 誌 上 で次 のよ う な 発. ⑲. 読 売新 聞」大 正六年 七月 十 七日 農 に帰 ら んと して」 「 横 田英 夫 「. 雌 民 の声 を 聞 け」 日本 評 論社 、大 正 九年 。 横 田英 夫 「. 股 村 問 題 の解 決」 白 水 社 、大 正 七年 。 横 田英夫 「. ー同年 十 一月十 三 日。. 言 を し て いる。 こ こ に は す で に帰 腹 の前 兆 が 説 み 取 れ る。 の中 へ自 らを 打 ち 込 んだ 狭 い空 虚 な生 活 を 捨 て、又古 び た 因. 「 私 等 は法 律 家 と か、政 治 家 と か云 う 色 々な型 を 作 って、 そ 製ーー 私等 に何 の力 も 与 えな い—— に鎚 り付 いて行 く 、浅 薄. -37-. 2003. 12 1 5巻 1 号. 文学 · 芸術 ・ 文 化.

(16) 現下 の此 民運動」同人社習店 、大正十年。 横田英夫 「 横田英夫 「 小作問題 の研究」巖松掟苫店 、大正十 一年。 日本農本主義」白揚社 、昭和十年。 桜井武雄 「 橘孝三郎 「 皇道国家農本建国論」建 設社 、昭利十年。. 「 反地主」の場合 と 「 反独占」の場. 岐阜農民運動史ーー とく に中部 日本牒 民組合 を中心 一柳茂次 『 とす る」 〈 農 民 運動 史 研 究 贅料 •第 五集〉、嬰 民 運 動 史 研 究. 会 、昭和三十年。 此民 の組織化ー 一柳茂次 「 j. 合 とを対比させ つつー 」、 「 思想 昭和三十四年六月。 武内哲夫 「 農本主 義 と中農中産層I 明治後期 ・大 正期を対象 とした 一考察ー—_ 」「 島根大学研究報告」第 八号、昭和― 二十五 年。 此 民運動史研究会編 「 日本股民運動史」東洋経済新報社‘昭和 二十六年。 j. 「 坂井好郎 「 日本地主制と股本主義」 経 済論叢 第 八十 八巻第 五 号、昭和三十六年。. j. j. 山本発 「 製本主義思想史上 における横田英夫」「 岐阜大学教性部 研究報告」第四号、昭利四十三年。 谷川健 一、鶴見俊輔 、村上 一郎編 「 支配者 とそ の影 〈 ドキ ュメ ント日本 人い〉、学芸因林、昭和四十四年。 坂井由衛 「 岐阜県労農運動思 い出話 、 坂井由衛追稿集刊行会、. 年。 昭和四十 Ji 真 而 目 に生 き様 とす る心」 「 梱孝三郎 「 土 とま心」第 一巻 第 一 号、橘学会、昭和四十八年。 横田英夫 「 農村革命論 ・嬰村救済論」 〈 明治大正腹政経済名著集 ⑬〉、嬰付漁村文化協会 、昭和五十 二年。. 武田共治 「 H本股本主義 の構造」創 風社、平成十 一年。. Pr e l i mi naryS塁 ミ e yatYOKOT A Hi de o. -38-. 綱沢 横田英夫試論.

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遮音壁の色については工夫する余地 があると思うが、一般的な工業製品

このいわゆる浅野埋立は、東京港を整備して横浜港との一体化を推進し、両港の中間に

神はこのように隠れておられるので、神は隠 れていると言わない宗教はどれも正しくな