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〈静岡県の民俗〉大井川流域民俗語彙

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大井川涜域民俗語藁

は じ め に 民 俗 語 は 一 言 葉 の み の も の で は な く 、 当 然 の と と な が ら 民 俗 事 象 ・ 民 俗 実 態 を 背 負 う も の で あ る 。 民 俗 語 量 ・ 民 俗 最集は方言集とは異なり、また、概念を共通語として民俗事象を要約的に叙述する民俗辞典、民俗事典とも異な る。方言・方名的な標示民俗語をたぐるととによって民俗事象が姿を現わすはずのものである。一方、こうした民 俗語が、不明、唖昧だったとの固の言葉についてはその原義や概念を明確に浮上させることもある。﹁民俗語量﹂ ( 民 俗 語 並 び に そ の 集 積 ) に つ い て は ﹃ 日 本 民 俗 大 辞 典 ﹄ ( 二

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・吉川弘文館)の当該項目に閲する肯家信平氏 の的確な解説がある。ととでは、それをふまえた上で、新たな視角の若干を示す。それは、生活・生業要素にとも な う 甚 だ し い 民 俗 変 容 や 、 生 活 ・ 生 業 要 素 の 消 滅 と 民 俗 語 集 と の か か わ り で あ る 。 柳田園男監修・財団法人民俗学研究所編著の﹃綜合日本民俗語量﹄が刊行されたのは昭和三

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年(一九五五)の ととだった。それは高度経済成長期直前のととである。その後、すなわち高度経済成長のもたらす激動の中で消え ていった生業の要素・変容した生活様式は数知れない。その消滅と変容の民俗を詳細に記録しておくべきだったの である。一つの生業要素の消滅・変容は、多大な関連民俗の消滅であり、かかわる語量の消滅は、この固に生きて い た 言 葉 の 消 滅 で も あ る 。

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遅きに失した嫌いはあるが、とこに改めて民俗語、民俗語最の価値とその重みを見つめ直さなければならない。 試みとして、ととでは静岡県を捕れる大井川、その涜域の民俗語・民俗語棄をとりあげる。 民俗語量に関してはもう一つ地域性と時間性について考えておきたい。民俗語量は伝承の地域性という線引きの むつかしい枠組について考えるべきであり、かっ、その地域でその民俗語がどの時代に機能していたかという時間 性も問われる。この二つの枠を跳び越えて、特定の民俗語に絶対性や一般性老与えるととはできないはずである。 との点に注目し、ととではとりあげた民俗語が伝承された地と、その伝承者即ち、筆者が直接聞きとりを行った話 者の氏名とその生年を記すという方法を試みた。このことは当該民俗語が、

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とで、いつごろ生きていたのかを明 らかにしてくれる。伝承地域、活用地域や活用時代の振幅に厳しい糠をひく方法はさらなる調査や既出の文献との 比 較 に 求 め る し か な い 。 大井川は静岡県内を涜れる閉塞谷河川である。赤石山脈の中の間ノ岳(一一二八九討)の南斜面を水源として三五 の支流を合わせて駿河湾に注ぐ。延長は一六八践に及ぶ。ととに収載した民俗語量は、静岡市葵区に属する目井川 村域、榛原郡川根本町、島田市、藤枝市旧大州村域、焼津市旧大井川町域、榛原郡吉田町、さらに大井川涜域と深 いかかわりを持ってきた浜松市天竜区春野町川上、藤枝市蔵固などの伝承によった。 民俗世界は、一つの川の流域という語句で容易に括るととができるのものではない。上流域と下流域では生活環 境も生業環境も大きく異なり、生成伝承される民俗も様々なちがいを見せる。民俗語・民俗語集にはそれらがしっ か り と 刻 み と ま れ て い る 。 凡 例 ー・とりあげた民俗語の見出しは片仮名表記ゴチック体とする。

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2-見出しの民俗語は単語を基本としたが、一部には連語表示、文節・連文節表示をしたものもある。 3 ・収載民俗語藁の整理・配列は二つの基準によっている。第一は、大井川涜域で一定数のまとまりを持つ分野の 語量群を分類民俗語量的に一括し、五

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音順に配列したもので、それは、﹁農業の中の慌畑﹂│[農・焼]と 略 記 、 ﹁ 狩 猟 ﹂ 、 ﹁ 木 材 伐 出 と 河 川 流 送 ﹂

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伐 出 ] ま た は [ 涜 送 ] と 略 記 、 農 業 の 中 の 茶 業 │ [ 鹿 ・ 茶 ] と 略 記 、 ﹁ 年 中 行 事 ﹂ │ [ 行 事 ] と 略 記 、 ﹁ 食 ﹂ な ど で あ る 。 第 二 と し て 、 そ の 他 の 諸 分 野 は 個 々 の 語 数 が 一 定 語 群 に 及 ぼず、語教が少ないので多くの分野を一括して五

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音 順 に 配 列 し た 。 4-見出し語の下の[]内には私見にもとづく分類部門を示した。﹁農業の中の稲作﹂│[農・稲]と略記、﹁農 業の中の畑作(定畑)﹂│[農・畑]と略記した。現実の生業構成には複合要素が多い。その要素をことでは 諸 業 と し 、 特 定 の 技 術 で 年 聞 を 通 す 職 人 の ご と き は 諸 職 と す る 。 と の 報 告 に お け る 諸 業 の 中 に は ﹁ 炭 焼 ﹂ [ 諸 ・ 炭 ] と 略 記 、 ﹁ 紙 櫨 ﹂ [ 諸 ・ 紙 ] と 略 記 、 ﹁ 養 蚕 ﹂ ︹ 諸 ・ 蚕 ] と 略 記 、 ﹁ 曲 物 製 造 ﹂ [ 諸 ・ 曲 ] と 略 記 、 ﹁ 養 鰻 ﹂ [ 諸 ・ 鰻 ] と 略 記 、 な ど が あ る 。 ﹁ 人 生 儀 礼 ﹂ の 中 に は 葬 送 ・ 婚 姻 な ど が あ り 、 と れ は [ 人 ・ 葬 ] [ 人 ・ 婚 ] な ど と 略 記した。従来の民俗語量分野の中に﹁環境﹂はなかったがとこでは環境をとりあげた。[社]と示したものは 共同作業、交換労働などを含む社会生活全般に及ぶ。とれまで記してきた分類項目以外に収載語の分類表示に 使 っ た も の は 、 [ 衣 ] [ 住 ] [ 食 ] 、 食 に つ い て は そ れ に か か わ る 民 具 に つ い て [ 食 ・ 具 ] と 示 し た 。 生 物 の 中 に は 動 植 物 が あ り 、 樹 木 ・ 蔓 ・ 晴 乳 類 ・ 昆 虫 な ど 様 々 あ る 。 [ 生 ・ 木 ] [ 生 ・ 蔓 ] [ 生 ・ 晴 ] [ 生 ・ 毘 ] な ど と 略 記 し た 。 ﹁ 交 通 ﹂ ﹁ 交 易 ﹂ は [ 交 通 ] [ 交 易 ] と し た 。 他 に 人 体 を 使 っ た 物 の 担 ぎ 方 や 、 身 体 を 使 っ た 計 測 法 な ど も あ る が とれらは︹身体]とした。[採集]や[産育︼などもある。収載語の分類については、厳密に言えぽ範晴の矛 盾 を 含 む も の も あ る 。 例 え ば [ 採 集 ] の 項 に 入 れ た も の に 食 素 材 も あ り 、 衣 の 素 材 も あ る 。 [ 食 ] [ 衣 ] に 入 れ る と と も 可 能 で あ る が 、 と と で は 便 宜 上 の 分 類 を し て い る 。

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5-叙 述 の 中 に 若 干 の 考 察 を 加 え た も の も あ る 。 6 ・ 関 連 項 目 は ← 印 の 後 に 示 し た 。 7 ・ 大 井 川 流 域 の 民 俗 語 量 と し て 未 収 録 の も の も 多 い が 紙 幅 の 闘 係 で 割 愛 し た 。 一 ・ 農 業 │ 焼 畑 アトヲトル[農・焼]蕎麦・粟は種蒔きをした後、手および唐鍬で薄く土をかけ、整理する。傾斜地である焼畑 地では、種蒔き H 上から下ヘ、うない H 下から上へ、跡取り H 上から下へと進めた。跡取りをナリキ(粗略)にや る と 生 え が 悪 い と 伝 え た ( 藤 枝 市 蔵 田 ・ 藤 田 賢 一 ・ 明 治 三 五 年 生 ま れ ) アラク[農・焼]大井川流域では焼畑輪作の一年目をとう呼ぶ。川根本町坂京や島田市笹問上ではアラキとい う。語源はアラアケ(新明け)だと考えられる。二年目をカワシ・カ

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シと呼ぶ地が多い。三年目はクナと称する ︿ な が、とれは﹁来勿﹂の意で、原初、輪作を三年目で終えていたととを考えさせる。四年目は、フルッパタ(梅 ι る し ろ 地 ) ・ フ ル コ ( 坂 京 ) ・ フ ッ チ ロ ( 古 代 の 意 ・ 平 回 ) ・ フ ツ パ タ ケ ( 井 川 閑 蔵 ) な ど ﹁ 古 ﹂ を 以 っ て 称 さ れ る 例 が 目 え ぐ だっ。四年目は地が深くなっているのでシマイモ・ヤマイモと呼ばれる蔽味の強い里芋を栽培したムラが多く、他 え ど ま に荏胡麻も栽培された。井川地区にはエッコヂという呼称もある。大井川流域での最も長い輪作例は島田市笹間上 栗原の成瀬治宣さん(明治二二年生まれ)が実践したもので、それは六年だった。一年次 H アラキ・稗←二年次 H カ ワ シ ・ 小 豆 ← 一 二 年 次 H クナ・稗または粟←四年次 H コ グ ナ ・ 稗 ← 五 年 次 H イモヂ・シマイモ、弘法黍←六年次 H フルイモヂ・シマイモ、弘法黍、大根

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。 焼 畑 へ の 依 存 度 の 高 さ が よ く わ か る 。 焼 畑 四 年 目 に 荏 胡 朝 麻 を 栽 培 す る 場 合 、 そ の 焼 畑 地 を と う 呼 ぶ ( 静 岡 市 葵 区 田 代 ・ 滝 浪 文 人 ・ エ ツ コ ヂ [ 農 ・ 焼 ]

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大 正 六 年 生 ま れ ) 。 い ぷ [農・焼]定畑や焼畑の作物につく猪を除けるために嬬すもの。長さは藁の丈、中心にポロ木綿を絢った火 綱を入れ、その周囲に稗を揖いた時の糠を入れる。周囲を稲藁で囲み、四箇所を固く縛る。点火して一晩中嬬して カ

お く ( 島 岡 市 川 根 町 雲 見 ・ 宮 脇 き く ・ 明 治 三 八 一 年 生 ま れ ) 。 [農・焼]焼畑で作物栽培ができる山地の上限、垂直限界のこと。キツツケは地質・地形・日照条件な どによって異なり、静岡市葵区小河内の望月藤三郎さん(明治四二年生まれ)の山では一四

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川田代の滝漉久 衛さん(大正二二年生まれ)の山では一二

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がキツツケだった。田代の滝浪作代さん(明治三九年生まれ)は 別に、﹁ミンミンゼミが鳴くところまでは焼畑ができる﹂と語った。キッツケとは、﹁伐り付け﹂の意と考えられる ( 静 岡 市 葵 区 田 代 ・ 滝 浪 久 衛 ・ 大 正 一 一 一 一 年 生 ま れ ) 。 キツツケ ど ん な に 茂 っ て い て も ・ 先 祖 が 一 日 一 伐 採 し て 焼 畑 輪 作 し た 地 の と と を と う 呼 ぶ ( 川 根 本 町 長 島 ・ 長 島 英 雄 ・ 明 治 三 六 年 生 ま れ ) 。 キリヂ [ 農 ・ 焼 ] 焼畑を荒らす猪防除の方法。猪の内臓を腐らせたものを蒲鉾板ほどの板に塗りつけ、ぞれを尺 五寸ほどの竹の先に吊るして焼畑の周囲に立てる。クタスは﹁腐らせる﹂の古語でもある(静岡市葵区田代・滝浪文 人 ・ 大 正 六 年 生 ま れ ) 。 ク タ シ [ 農 ・ 焼 ] 焼畑地の一画に設けた穀物の脱粒場、コナシ場のことで約二間四方ほどの広さで、なるべく平ら なととろを選んだ。下方と両横を鑑を立てて囲み、脱粒の飛散を防いだ。クドに症を敷き、七・八人が円座となり、 蕎麦束などを右回しに送りながら共同作業をした。とれをウラタタキと呼んだ。穀束のウラ(先)を町くことから の 呼 称 で あ る 。 叩 く 用 具 は オ オ と 呼 ば れ る 棒 で あ る ( 島 岡 市 川 根 町 笹 閥 上 粟 原 ・ 成 瀬 治 宣 ・ 明 治 一 = 一 年 生 ま れ ) 。 焼畑にかかわる作業をする際、焼畑地が傾斜地であるため、落下してくる石から足の ク ド [ 農 ・ 焼 ] コ ウ カ ケ サ シ コ [ 農 ・ 焼 ]

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甲を保護するためにつける甲掛け足袋の一種。履き古した足袋の甲の部分から前を生かして切り、そこに刺し縫い をする。足の中指を通すチ

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小さな糸輪)をつけ、甲の部分から足のヒラをまわして上で括り、また甲から眼の 後 方 を ま わ し て 前 で 括 る 二 本 の 紐 を つ け た ( 島 岡 市 笹 間 上 粟 原 ・ 成 瀬 治 宣 ・ 明 治 二 二 年 生 ま れ ) 。 サクハタゴヤ[鹿・焼]焼畑の出作り小屋のととをとう呼ぶ。播種期・収穫期には家族で長期間泊りこんだ。小 屋 に は 山 の 神 、 秋 葉 札 な ど を 担 っ た ( 川 根 本 町 長 島 ・ 滝 口 さ な 。 明 治 二 七 年 生 ま れ ) 。 シッグネ[農・焼]焼畑地の一番上の部分をカシラ、 一番下の線をシツグネと呼んだ。尻クネ、すなわち尻墳の 重 で あ る ( 静 岡 市 葵 区 田 代 ・ 望 月 伊 作 ・ 明 治 四 二 年 生 ま れ ) 。 [ 良 ・ 焼 ] ヘ

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ゴナとは稗粉のととで、臼で掃きはたいて粉化する。シマイジマイとは 終い終いの意で、焼畑作物の収穫を終えて出作り小屋を閉じて里へ下ることを意味する。この日、稗のハタキ粉と 稗の団子を小屋の山の神に供え、稗粉を里へのみやげにした。川根本町犬聞では重箱一杯ずつ近所に配り、静岡市 葵区関蔵では稗の粉をニギリゴナと称し、山の神に供えてから里に下った。近所へは稗の粉を渋紙の袋に入れて藁 で 縛 っ て 配 っ た ( 川 根 本 町 長 島 ・ 滝 口 さ な ・ 明 治 二 七 年 生 ま れ ほ か ) 。 シマイジマイノヘ

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ゴ ナ 焼畑の周囲に杭を打って網を張り、そこに人の汗のしみた衣類や布を点々と用るして人の臭いで 猪 ・ 鹿 除 け に す る 。 シ モ と は ﹁ 締 め ﹂ の 変 化 で あ る ( 静 岡 市 葵 区 小 河 内 ・ 望 月 繁 福 ・ 明 治 三 一 年 生 ま れ ) 。 シリピサリヤキ[農・焼]焼畑の火入れは斜面の上方から下方へと焼き進める。こうするとじっくりと焼けてよ い。後退りの意である。逆に、下から上へのオツタテぜは火が走って表面だけ焼け、かつ延焼の危険性もある(島 田 市 笹 問 上 粟 原 ・ 成 源 治 宣 ・ 明 治 二 二 年 生 ま れ ) 。

[ 農 ・ 焼 ] 焼畑輪作四年を終えた後二

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年前後休閑させ、再度輪作ができるように草木が繁っている し ん む く 焼 畑 適 地 を と う 呼 ぶ 。 ﹁ 新 剥 り ﹂ の 意 と 考 え ら れ る ( 静 岡 市 葵 区 小 河 内 ・ 望 月 藤 三 郎 ・ 明 治 四 一 年 生 ま れ ) 。 シンムグリ [ 農 ・ 焼 ]

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ズツパイ石をより遠くまで投げるための投揮綱。麻またはシナノキの内皮で鞠った四尺の綱の真中 フ ヒ に、石を入れるための椀状の琶をつける。例えば焼畑作物を荒らしている猿に向かって石を投げる時に使う。椀状 の部分に石を入れ、綱を二つ折りにした状態で綱の両端を片手で持って遠心力を応用してズツパイを振り回わし、 狙 い を つ け て 綱 の 一 端 を 離 す と 石 が 飛 ん で ゆ く ( 川 根 本 町 長 島 ・ 長 島 英 雄 ・ 明 治 三 六 年 生 ま れ ) 。 セイロウ[農・焼]稗の穂を貯蔵するための板組み、材は椎で、幅一尺、長さ一問、厚さ一寸の板を四枚組み、 固 定 し て 中 に 稗 の 穂 を 踏 み 込 む 。 板 組 を 上 に 重 ね て ゆ く ( 川 根 本 町 池 の 谷 ・ 大 村 真 一 ・ 明 治 三 六 年 生 ま れ ) 。 タナブルイ[農・焼︼﹁浅間さんの桜が咲きそめたらヤマノボリ﹂という自然暦がある。との山登りは、焼畑で の稗。粟の種蒔き作業を目的として半月以上の泊まりこみをするために出作り小屋に出発するととを意味する。 稗・粟の種は、手の平の広さに五粒落ちるように蒔く。タナブルイとは、種蒔き終了の祝いで、稗・粟の種の残り をふるって、それを粉化し、またモロコシ・米なども粉にして練り、小豆館を入れて包み、さらに朴の葉に包んで か ら 蒸 し 、 神 仏 に 供 え 、 家 族 も 食 べ た ( 静 岡 市 葵 区 井 川 ・ 長 島 角 太 郎 ・ 明 治 三 四 年 生 ま れ ) 。 ヂゴミガキ[農・焼]焼畑予定地伐採後、熊手と鎌を使って地面の古い落葉や小枝を起こして乾かすとと。地芥 掻 き の 意 ( 川 根 本 町 長 島 ・ 長 島 英 雄 ・ 明 治 一 二 六 年 生 ま れ ) 。 [ 島 ・ 焼 ] 焼畑を拓いて作物栽培が可能の山地とのことをとう呼ぶ。作り生の意である。(静岡市葵区 田 代 ・ 揮 浪 久 衛 ・ 大 正 二 三 年 生 ま れ ) 。 ツモツキ[良・焼]原生林、二、三次林で五

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三 一

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年の木の梢や枝をおろし、幹を棒立ち状態にするとと。 焼畑準備のためにとれを行う。大井川上流部から山梨県早川町奈良固にかけては木の枝を刈り込むことをツモルと 表 現 す る 。 ツ モ リ 木 の 意 で あ る ( 川 根 本 町 長 島 ・ 長 島 英 雄 ・ 明 治 ゴ 一 六 年 生 ま れ ) 。 ツンポリヤキ[農・焼]積もり焼きの意で焼畑の焼け残りを集めて焼くこと。大井川流域ではヤキぜロイと言う ツ ク リ ュ

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[ 農 ・ 焼 ]

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地 が 多 い ( 静 岡 市 葵 区 間 代 ・ 滝 浪 久 衛 ・ 大 正 三 二 年 生 ま れ ) 。 ナツヤブヂ 焼畑地にはナツヤプヂとアキヤプヂがあった。ナツヤブとは、夏伐り夏焼きで一年固にソ パを作る焼畑、アキヤブは、秋伐り春焼きで一年自にヒエを作る焼畑である。アキヤブヂが比較的奥地の樹林であ るのに対して、ナツヤブヂは里に近い湛木混りの草地である。当地にはナツヤブヂに榛の木を植える習慣があっ た 。 五 反 歩 に 一

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一五本植えた。榛の木の根には根粒菌があり、空中の窒素を固定化し、肥料効果をもたらし た ( 島 田 市 笹 間 上 栗 原 ・ 成 瀬 治 宣 ・ 明 治 二 二 年 生 ま れ ) 。 ハイツボ[屋・焼]焼畑の火入れで焼け残った木を集めて焼く乙とをヤキ巴ロイという。ヤキピロイで焼いたと とろには灰がたくさんたまる。とれを灰坪と呼んだ。灰坪のととろは作が特別よくなる(静岡市葵区田代・滝浪久 衛 ・ 大 正 二 二 年 生 ま れ ) 。 ハダヅクリ[農・焼]山地主から山地を借りて焼畑を行う小作型の焼畑。借周期聞は四年間、とれは輪作一回の 期聞に当たる。小作代の支払い方法は、現金、収穫物を納める、手間仕事で返す、などの形があった。田代にはヒ トハダアレ、フタハダアレという言葉がある。ヒトハダアレとは、四年の輪作後、二

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年休閑させた山地を 指し、フタハダアレとは輪作後六

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年休閑させた地で、両者は当然木々の太さが異なっている。ハダとはハ タの意で、山を焼畑として利用するととを意味する。アレとはアラスの意で、焼畑地を畑地から山にもどす休閑期 間 の と と を 山 を ア ラ ス と も い う ( 静 岡 市 葵 区 小 河 内 ・ 望 月 藤 三 郎 ・ 明 治 四 一 年 生 ま れ ) 。 ヒガヱリヤブ[農・焼]お盆前に伐って八月末まで乾燥させ、二百十日に火入れをして蕎麦を蒔く焼畑を夏ヤブ という。秋伐り春焼きは周囲が乾燥していて延焼しやすいので夕方火入れをするのだが夏ヤプは朝火入れをしても よい。そして、その日のうちに種蒔きもできるので、とれを日帰りヤブと呼ぶ(川根本町小猿郷・花島 [ 農 ・ 焼 ] 弘・明治 三 九 年 生 ま れ ) 。

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ヒ ミ チ [ 農 ・ 焼 ] 焼畑地の周囲につける防火帯。六尺平均の幅で、草や謹木を刈りはらった(浜松市天竜区春野町 川 上 ・ 高 田 角 太 郎 ・ 明 治 = 一 四 年 生 ま れ ) 。 ホサキ焼畑地の上境を指す。火入れに際してはホサキ(火先)から火を入れる。火の安全を祈り、か っ、木々が黒く焼けるようにとの願いをとめてホサキの中央にクロモジの枝を三本立ててから点火する(静岡市葵 [ 農 ・ 焼 ] 区 団 代 ・ 滝 浪 文 人 ・ 大 正 六 年 生 ま れ ) 。 ホ サ キ ヲ ト ル 焼 畑 地 の 周 囲 に 延 焼 を 防 ぐ た め の 防 火 帯 を 作 る と と 。 幅 一 間

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一間半範囲の草木を切 り 、 又 鍬 で ゴ ミ を か き 出 し 、 土 を 出 し た ( 川 根 本 町 長 島 ・ 長 島 英 雄 ・ 明 治 一 二 六 年 生 ま れ ) 。 ヘピオイ[農・焼]山作り(焼畑)地に火入れをする直前に、﹁今日は火を入れるによって蛇・兎は外に出よ﹂ と 大 声 で ふ れ た ( 浜 松 市 天 竜 区 春 野 町 川 上 ・ 高 岡 角 太 郎 ・ 明 治 三 四 年 生 ま れ ) 。 ポンクリン[農・焼︼径八今、長さ一・二肘ほどの竹の中央の支点を固定し、両端がシーソーのように動くよう にする。水を受ける端は斜めにそいである。もう一方の端はブリキ曜を叩くようにする。水を受け始め、一杯にな るととちらは低くなり、反対は高くなる。水がとぼれると反対側が下って櫨を打って音を出す。一般にはこれをシ シ オ ド シ と 呼 ぶ 。 大 井 川 い 流 域 で は 焼 畑 に つ く 猪 鹿 除 け に 設 置 し 、 ポ ン ク リ ン と 呼 ぶ ム ラ と ド

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ヅキと呼ぶムラがあ る ( 川 根 本 町 長 島 ・ 大 石 為 一 ・ 明 治 三 六 年 生 ま れ ) 。 ムラガリ[農・焼]焼畑の収穫前、害をもたらす猪を対象として集団狩旅を行った。平栗・小長井・坂京・桑野 山から一戸一会ヲつ出た。銃を持っている者は待ち場割りにしたがってマチパにつき、銃のない者は竹の棒を持っ てそれで木を叩きつつ﹁ホ

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イ ﹂ ﹁ ホ

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イ﹂と叫びながら猪を追い出すセコを務めた。獲物の猪は解体後大釜で煮た が 食 べ な い 者 も い た ( 川 根 本 町 平 栗 ・ 中 沢 金 仁 ・ 明 治 二 一

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年 生 ま れ ) 。 一

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月、焼畑雑穀の穂が出始めるころ、日を定 め、ムラじゅう総出で猪狩をした。関東大震災後猪が増えたのでムラ狩に力を入れた。当屋に集まり、大根を入れ [ 農 ・ 焼 ]

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猪 鍋 を 共 食 し た ( 川 根 本 町 壱 町 河 内 ・ 吉 川 美 智 雄 ・ 明 治 三 九 年 生 ま れ ) 。 モンジヤ[農・焼]クロモジのこと。焼畑の火入れに際して、上部の中央にクロモジの枝をコ一本立て、﹁秋葉大 火の守りにお守り願います﹂と三回唱えた。草木が燃えて黒くなりますようにという願 明神との火を世の守り い も と め ら れ て い る ( 川 根 本 町 梅 地 ・ 後 藤 定 一 ・ 明 治 三 三 年 生 ま れ ) 。 せんきゅ事 焼畑作物に食害を与える猪防除法の一様式。一一寸四方の杉皮二枚の聞にセリ科の川育また は牡の猪の毛を焦がしたものを挟んで長さ尺五寸ほどのスズ竹の先に刺し、これを焼畑の周囲に三尺間隔に立て並 べる。臭気によって猪の侵入を防ごうとしたもので、人の髪の毛を焦がして使う例もある。ヤイジモとは、﹁焼き 締 め ﹂ の 意 と 考 え ら れ る ( 川 根 本 町 長 島 ・ 滝 口 さ な ・ 明 治 二 七 年 生 ま れ ) 。 ヤイジモ [ 農 ・ 焼 ] 焼畑で一日一火入れをして一通り焼いた後、燃え残った木を拾い集めて焼きなおすとと(静 岡 市 葵 区 関 蔵 ・ 金 沢 鶴 太 郎 ・ 明 治 二 八 生 ま れ ) 。 ← ツ ン ポ リ ヤ キ ヤキピロイ [ 農 ・ 焼 ] ヤブキリ [ 農 ・ 焼 ] 焼畑予定地の木を伐って準備すること。春焼き春蒔きで稗を栽培する場合は前年の九月にヤ ブ キ リ を し た ( 川 根 本 町 長 島 ・ 滝 口 さ な ・ 明 治 二 七 年 生 ま れ ) 。 ヤマガイト 焼畑地の出作り小屋の周辺に、定畑・茶畑などを拓く例があり、小屋を中心とした定畑・ 茶 畑 な ど の あ る 空 聞 を こ う 呼 ぶ 。 山 垣 内 の 意 で 、 サ ト ガ イ ト ( 里 垣 内 ) に 対 応 す る 語 で あ る ( 静 岡 市 葵 区 田 代 ・ 滝 浪 [ 農 ・ 焼 ] 文 人 ・ 大 正 六 年 生 ま れ ) 。 三月の彼岸過ぎの土用の日に、山作り(焼畑)の火入れをするために泊まりとみを す る 山 の 出 作 り 小 屋 を 目 ざ し て 里 の 家 を 出 発 す る と と ( 静 岡 市 葵 区 関 蔵 ・ 金 沢 鶴 太 郎 ・ 明 治 一 一 八 年 生 ま れ ) 。 スンヅクロ[農・焼]蕎麦の脱粒は、蕎麦東を、一番叩き、二番叩き、三一番叩きと進めた。最後には蕎麦の茎ガ ラが山積みになった。子供たちはその茎ガラの中に入って遊び、とれをスンヅクロと呼んだ﹁巣作ろ﹂の意だと考 ヤマノポリドヨウ [ 農 ・ 焼 ]

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え ら れ る ( 藤 枝 市 蔵 田 ・ 藤 田 賢 一 ・ 明 治 三 五 年 生 ま れ ) 。 二 ・ 狩 猟 イヌガレ 寝泊猟犬が持羊の角や猪の牙の犠牲になって死んだ時、丁寧に埋葬すると、次の猟犬が育たないと 言い伝えられた。死んだ猟犬はガレの上に置き、柴をかぶせる程度にした。井川には犬ガレと呼ばれる地がある。 前 の 犬 に 就 着 し て 情 を か け る と 次 の 犬 が 育 た な い と い う の で あ る ( 川 根 本 町 梅 地 ・ 筑 地 松 己 ・ 大 正 一 一 一 一 年 生 ま れ ) 。 ← ガ

狩猟を終えて帰る時簡で犬を呼ぶ。薬英または、イタドリの茎(空洞があり管状になってい る ) を 筒 と し て 使 う ( 島 岡 市 笹 関 土 粟 原 ・ 成 瀬 治 宣 ・ 明 治 二 二 年 生 ま れ ) 。 ウツデツポ

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狩猟]ウツとは猪や鹿が通る猷遣のととである。ウツデツポ

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は、焼畑を荒らす猪を捕聾するた めに、猪がウツを通ると銃が自動的に発射するように仕掛けた銃である。ウツに隣接する樹木の地上三一寸ほどの高 さ に ヘ ッ ト ン 蔓 と 呼 ば れ る 蔓 の 一 方 を 結 び つ け 、 他 の 一 方 を 銃 の ・ 目 動 発 射 を 招 く 装 置 に 精 ひ つ け る 。 猪 が こ の 蔓 ( ヘ ヅ ナ と 呼 ぶ ) に 足 を 掛 け る と 銃 が 自 動 的 に 猪 を 狙 撃 す る 装 置 で あ る ( 川 根 本 町 長 島 出 身 ・ 松 原 勝 三 ・ 昭 塑 平 生 ま れ ) 。 オコぜヱンマ[狩猟]泊まりとみの蝋を行っても全く獲物に恵まれない場合、ヨ

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ニモライ(夕荷買い)という 呪術祈祷を行う。との祈祷で重要な働きをするのがオコゼエンマである。オコゼエンマとは魚型の紙幣を切ってス ズ竹に挟み、絶対に他人に見られない場所に立て、山の神にシャチを願うという・ものである。オコゼエンマを立て -e E ぜ て、他人に発見された場合には、立てた者は二度とシャチに恵まれないと伝えられている。オコゼエンマとは虎魚 絵馬のととで、スズダケに挟む魚型紙幣の魚は虎魚のととだったのである。猟師がオコゼ(乾燥魚)を以って女性 イヌモドシ [ 狩 猟 ]

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山神に対して豊猟祈願をする例は柳田園男の﹃後狩詞記﹄をはじめとして、東北地方のマタギの聞にも多々見られ る と こ ろ で あ る 。 し か し 、 オ コ ぜ の 絵 馬 と い う の は め ず ら し い 事 例 で あ る ( 静 岡 市 葵 区 田 代 ・ 滝 浪 作 代 ・ 明 治 一 二 九 年 生 ま れ ) 。

[ 狩 猟 ] ニ ク ヤ マ ( 持 羊 猟 ) の 際 持 羊 が 逃 げ 登 る 岩 欄 の と と ( 静 岡 市 葵 区 田 代 ・ 滝 浪 作 代 ・ 明 治 三 九 年 生 ま れ ) 。 猪の耳の後をこう呼ぶ。ととを狙撃すれば猪は必ず死ぬ。サンマイ H 前足の付け根、ササラ ボ ネ H 項 の 骨 を 撃 て ば す ぐ に 転 け る が 死 な な い ( 島 岡 市 笹 問 上 粟 原 ・ 成 瀬 治 宣 ・ 明 治 二 二 年 生 ま れ ) 。 ササグマ[狩温ムジナとも呼ばれ食肉目イタチ科の獣。アナグマのととをこう呼ぶ。岩穴にひそむととろを橿 の葉で嬬し、出てきたところが﹄銃で撃つ。皮を剥いでから肉を煮るのであるが、臭気があるので次のようにする。 ① カ ラ ユ デ す る ② 牛 芳 を 入 れ て 茄 で る ③ 随 意 も の と 煮 つ け る ( 川 根 本 町 梅 地 ・ 筑 地 松 己 ・ 大 正 二 二 年 生 ま れ ) 。 シソク[狩猟]猪の描護儀礼として、四足の置の毛を抜いて木の枝先に挟んで山の神様に供える。乙の儀礼をこ う 呼 ぶ ( 島 岡 市 川 根 町 雲 見 ・ 宮 脇 清 重 ・ 明 治 一 三 年 生 ま れ ) 。 ジ カ ン コ ミ ミ ジ リ [ 狩 猟 ] 寒明けから彼岸前にかけての季節を示す語で厳密には民俗語量ではない。当地には、﹁次寒の初 めが猪のサカリ(発情期)﹂という伝承がある。丁度とのとろ牡の猪がアセボ(アシビ)の樹皮を剥き初める。猪 の さ か り が 始 ま る ( 川 根 本 町 小 長 井 ・ 小 長 谷 士 ロ 雄 ・ 明 治 四 五 年 生 ま れ ) 。 シシノハナ[狩猟]猪を捕撞すると猪の鼻をそいで長さ尺五寸の枝に刺し、とれを山の神に供えて感謝した(島 田 市 笹 問 上 粟 原 ・ 成 源 治 宣 ・ 明 治 二 二 年 生 ま れ ) 。 シャチイワイ[狩猟]熊を捕獲した場合、その幸い・恵みに謝し、祝うために、熊の心臓に十字を刻む。との行 為は東北地方のマタギの中にも見られる。また、熊を仕留めるととをシャチドメと称し、シャチドメの後、直ちに [ 狩 猟 ]

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熊・鹿・猪・持羊などの大型獣を狙うものではないと伝えている。山鳥←兎←鹿←熊などのように小さいものから 順 次 大 き い も の へ 、 と 言 わ れ て い る ( 静 岡 市 葵 区 田 代 ・ 滝 浪 作 代 ・ 明 治 = 一 九 年 生 ま れ ) 。 ← シ ャ チ ガ エ シ シャチガヱシ[狩狐︼猪を解体する時、心臓に刃を入れて山の神に供える。とれをシャチガエシという(川根本 町 平 栗 ・ 中 沢 金 仁 ・ 明 治 = 一

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年 生 ま れ ) 。 ← シ ャ チ イ ワ イ シャミセンベラ[狩猟]猪の肩肝骨をこう呼ぶ。三一味糠箆の意で、三味線の措と猪の肩肝骨の形状の類似性にも と づ く ( 川 根 本 町 平 回 ・ 大 石 博 人 ・ 昭 和 一 六 年 生 ま れ ) 。 ズワイ[狩猟]径二センチ前後、長さて三肘の枝または湛木の幹。鹿を捕獲すると山で皮を剥ぎ、直ちにズワ イ 数 本 を 弓 状 に 曲 げ て 鹿 の 皮 を 突 っ 張 っ て の し 、 乾 燥 さ せ る 。 鹿 の 皮 は 寸 法 で 売 れ た ( 川 根 本 町 梅 地 ・ 筑 地 松 己 ・ 大 正 二 二 年 生 ま れ ) 。 猪 の 騨 臓 の と と 。 紫 色 を し て お り 、 太 万 の 形 を し て い る 。 ﹁ タ チ は 山 に 返 せ ﹂ と い う 口 調 匂 が あ り 、 解 体 時 に 木 の 根 に 供 え る 。 山 の 神 へ の 献 供 で あ る ( 島 回 市 笹 間 上 粟 原 ・ 成 海 治 宣 ・ 明 治 一 一 一 一 年 生 ま れ ) 。 鹿狩を狩猟組で行う場合、狙撃者が鹿を狙うために待つ場所(静岡市葵区田代・滝浪作代・明治 タ チ [ 狩 猟 ] タ ツ マ [ 狩 猟 ] 三 一 九 年 生 ま れ ) 。 ヂ ゴ オ リ [狩猟]地氷の意で霜柱のとと。狩猟対象の猪の足跡を見て猪の移動時間・移動方向を確かめるととを トメルと言い、その役を担当する者をミキリという。トメ(跡見)のポイントの一つとして、地氷があがっていれ ば足跡は新しいが地氷の中に蹄跡がはっきりしていればその足跡は古いものだと言う(島岡市笹間上粟原・成瀬治 宣 ・ 明 治 一 一 一 一 年 生 ま れ ) 。 コナラ・ミズナラの巨木をとう呼ぶ。ナラ類の巨木は河川涜送する際涜れずに沈んでしまう沈 下材なので伐採しない。よって巨木はさらの命永らえる。ナラ類の実が落ちると熊はそとをめぐる。獄師の頭の中 ド ヂ モ リ [ 狩 猟 ]

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に は ド ヂ モ リ の 分 布 図 が あ る 。 ド ヂ モ リ と は ﹁ 土 地 守 り ﹂ の 意 で あ ろ う ( 静 岡 市 葵 区 団 代 ・ 滝 浪 作 代 ・ 明 治 三 九 年 生 ま れ ) 。 卜ヤマチ︹狩猟]鹿狩でトヤマチ猟を行う。トヤマチ猟は基本的には、犬かけ(ゼコ)一人、撃ち手二人の三人 で 行 う が 、 撃 ち 手 が さ 一 人 に な る と と も あ る 。 山 に 雪 が 降 り 、 鹿 が 雪 に 押 さ れ て 下 り 、 雪 ど け に 日 向 に 出 て い る と こ ろへ犬をかけ、鹿を河原に追い出して狙撃するという方法である。トヤとは、狩猟が河原で待つ際、姿を隠すため に寵る場のととで、石または枯木、ポサなどで河原べりに設ける。烏屋の意である。最も腕のよい猟師が確実に狙 撃するために簡るトヤをホンドヤ(本鳥屋)またはシメドヤ(締め鳥屋)と呼んだ。トヤは猟師が身を隠すため と、冬季、河原の寒風から身を守るための機能を持つ。トヤマチ識は、追われると川に入るという鹿の習性を熟知 し た 狩 猟 法 で あ る ( 静 岡 市 葵 区 大 島 ・ 滝 浪 鉄 太 郎 ・ 明 治 四 四 年 生 ま れ ) 。 ニツザアタリ[狩猟]妊婦のととをニツザという。猟師の家に妊婦がいる時には猟の首尾がよくなるという伝承 があり、とれをニツザアタリ(妊婦当たり)という。反対に、家に妊婦がいる場合、どんなにくふうしても努力し て も 当 た ら な い 場 合 が あ る 。 と れ を ニ ッ ザ ハ ズ レ と い う ( 川 根 本 町 育 部 ・ 田 代 光 ・ 明 治 四 五 年 生 ま れ ) 。 ハ ミ パ [ 狩 猟 ] 主 と し て 大 型 獣 、 熊 ・ 猪 ・ 鹿 な ど が 餌 を 食 う 場 所 ( 静 岡 市 葵 区 田 代 ・ 滝 浪 作 代 ・ 明 治 三 九 年 生 ま れ ) 。 ヒトタテ[狩猟]狩猟を泊りとみで行う場合その一回の泊りとみの期聞をこう呼んだ。持羊猟のことをニクヤマ と呼び、ヒトタテは一週間たった。個人狩猟をシノピと呼び、集団狩猟をオオリョウと称した。持羊のオオリヨウ は 猟 師 一 二 人 と 犬 一 頭 。 オ オ リ ョ ウ で 泊 り と む 小 屋 は 、 信 濃 俣 河 内 の ミ ツ マ タ 小 屋 ・ 上 河 内 沢 の ウ ソ ッ コ 沢 小 屋 ・ 横 窪沢小屋などだった。事前に小屋ヘ運んだものは、稗・味噌・大根の干し葉、夜具としての毛布・野宿のための油 紙 な ど だ っ た ( 静 岡 市 葵 区 団 代 ・ 滝 浪 作 代 ・ 明 治 一 二 九 年 生 ま れ ) 。 熊が冬眠に使う土の穴。乙の他、木の洞・岩穴などにも冬眠する。ベトアナ・岩穴の場合は穴 ベトアナ ︹ 狩 猟 ]

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の 入 口 に ボ サ ( 木 の 枝 ) が 集 め て あ る ( 静 岡 市 葵 区 回 代 ・ 滝 浪 作 代 ・ 明 治 三 九 年 生 ま れ ) 。 マチパヲキル[狩猟]狩猟で移動してくる猪を待ち受けて狙撃する役割をマチと呼ぶ。マチは、猪に見つからな い と い う 条 件 を 守 り な が ら 銃 を 動 か せ る よ う に 草 や 漕 木 を 切 る 。 乙 の 行 為 を と の よ う に 言 う ( 島 田 市 笹 間 上 粟 原 ・ 成 瀬 治 宣 ・ 明 治 二 二 年 生 ま れ ) 。 モツジル[狩猟]猪・鹿・熊が獲れると肉は小長井の料理屋に売って、猪・熊・の場合家ではモツ汁を作った。 小腸は百尋、胃袋はタオルと呼んだ。鹿の血は薬になるとしてとれを飲み、熊の肉は枯れた方がうまいと伝えた。 ム ラ じ ゅ う の へ ひ と が モ ツ 汁 を 食 べ に 来 た ( 川 根 本 町 梅 地 ・ 筑 地 松 己 ・ 大 正 二 平 生 ま れ ) 。 ヤヤケ[狩猟]矢焼けの意で、猪・鹿などに弾が当たって肉の傷んだととろ。前足のつけ根 H サンマイを狙うと 矢 焼 け が 出 な い ( 川 根 本 町 平 回 ・ 大 石 博 人 ・ 昭 和 一 六 年 生 ま れ ) 。 ヨ

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ニモライ[狩猟]ヒトタテ山に入っても全く獲物に恵まれない場合にはヨ

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モライ、即ち、タ荷貰いという 呪術祈祷を行った。ヨ

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モ ラ イ に は オ コ ゼ エ ン マ を 使 っ た ( 静 岡 市 葵 区 田 代 ・ 滝 浪 作 代 ・ 明 治 三 九 年 生 ま れ ) 。 ← オ コ ぜ エ ン マ コ ・ 木 材 伐 出 と 河 川 涜 送 い か 疋 アカゲツトウ[涜送]筏乗りの防寒兼防雨の背掛け。薄い小豆色の毛糸で編まれており、裾に当たる部分に二 本の黒線が入っていた。幅一計、長さ二・五好で、紐に折りかけて、その組を首にまわし、胸部で結ぶ形で丈を調 節 し た 。 大 正 末 期 ま で 見 か け た ( 島 田 市 伊 久 美 ・ 森 塚 金 一 ・ 明 治 ゴ 一 八 年 生 ま れ ) 。 イツポンブボク(流材)で径一尺、長さ二閣のものを一本分と呼んだ。大井川左岸河口部の利右衛門か [ 流 送 ]

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ら島田の木材会社まで、流着した材一本分を運ぶと五

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銭 、 門 ・ 吉 田 近 治 ・ 明 治 二 O 年 生 ま れ ) 。 四本分で二円もらえる時代があった(焼津市利右衛 ウ チ ガ ヱ 風呂敷の対角二点を結べるように残して筒状に縫ったもの。その筒状の部分にメンパ(曲物の 弁 当 箱 ) な ど を 入 れ て 川 狩 衆 が 腰 に 結 び つ け た ( 島 岡 市 伊 久 美 ・ 森 塚 金 一 ・ 明 治 三 八 年 生 ま れ ) 。 エッチユウブネ[涜送]越中舟には二種あった。仕事用は幅三尺で長さ五間半から六問、四人乗り、人越し用は 幅四尺で長さ七問。一五人乗るととができた。管流しの先端をキパナと称し、末尾をキジリと呼んだ。管琉しには キ パ ナ に 一 ぱ い 四 人 乗 り が コ 一 ば い つ い た 。 と れ を 一 組 と 称 し 、 東 海 パ ル プ で は 大 正 時 代 ま で 、 毎 年 一

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月から一月 ま で 一 組 な い し 一 一 組 の 越 中 舟 を 雇 っ た 。 カ ラ フ ト の 川 狩 を 終 え て 大 井 川 に 移 動 す る と い う 形 が 多 か っ た ( 島 岡 市 横 [ 涜 送 ] 井 町 ・ 田 中 初 次 郎 ・ 明 治 一 一 九 一 年 生 ま れ ) 。 ︹ 伐 出 ] ガ

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曲物素材である檎・植・唐棺な

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を伐り出す山。桶材のことをオケガワ(桶側)と呼ぶがとこ で 使 わ れ る ガ

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も側と無関係ではなかろう。植島とか明神谷の奥などで、山で一か月採れば一年中仕事ができると 言 わ れ た ( 静 岡 市 葵 区 田 代 ・ 滝 浪 作 代 ・ 明 治 一 二 九 年 生 ま れ ) 。 木材を河川流送す際、セギ・ワキセギなどを作って一旦水を止めるととがある。そのために 上 昇 逆 涜 す る 水 や 水 位 上 昇 の 上 涜 限 界 点 を い う ( 川 根 本 町 犬 聞 ・ 菊 田 藤 利 ・ 明 治 四 一 年 生 ま れ ) 。 カクメンバ[流送]筏乗りはウチガエにメンパを入れ腰や背に結びつけたが、その際ずれにくく、体になじみや す い と し て 角 メ ン バ ( 木 製 で 角 型 の メ ン バ ) を 用 い た ( 島 岡 市 伊 久 美 ・ 森 塚 金 一 ・ 明 治 一 二 八 年 生 ま れ ) 。 ← ウ チ ガ エ カナヤ[伐出]樹木伐採の時、伐り口に入れる棋で、鉄の刃と木部から成る。金矢の意(川根本町犬間・菊田藤 利 ・ 明 治 四 一 年 生 ま れ ) 。 カエリミズ [ 涜 送 ] サヱル [ 伐 出 ] 年輸を重ねる、長い時聞を経ること。﹁サエた木﹂という表現をする。古木の乙とである。サエ

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た 木 は 用 材 に し た 時 に 狂 い が 出 な い ( 川 根 本 町 小 長 井 ・ 小 長 谷 育 雄 ・ 明 治 四 五 年 生 ま れ ) 。 シリナシガワ水流が途中で河底に沈み、筏や舟が止まってしまう流れのこと(島田市伊久美・森塚金了 [ 涜 送 ] 明 治 一 二 八 年 生 ま れ ) 。 落葉高木オノオレカンパのとと。材質が硬いととろから斧折れと呼ばれる。また、ミネパリ (峰榛)ともいう回材としても使われる。ヨグソミネパリはアズサとも呼ばれる。しかし、ソコモグリという呼称 は一般化していない。オノオレがソコモグリと呼ばれたのは河川涜送に際して、これを涜そうとしても川底に沈ん でしまうからである。沈材の一種。オノオレカンパが河川流送と遭遇した時との呼称が生まれたのである(静岡市 葵 区 田 代 ・ 滝 浪 久 衛 ・ 大 正 = 二 年 生 ま れ ) 。 ソコモグリ [ 涜 送 ] 材 木 の 切 り 口 の こ と を と う 呼 ぶ ( 島 田 市 笹 間 上 粟 原 ・ 成 瀬 治 宣 ・ 明 治 二 一 一 年 生 ま れ ) 。 [涜送]河川流送の管読しの材木が川幅が狭く岸壁の切り立った接阻峡などで、とりわけ渇水期には 詰まってしまう。ベテランの日傭さんが技術を駆使して、詰まり・からみをほぐして流すこと(静岡市葵区田代・滝 ト ウ キ ン [ 伐 出 ] ツ マ リ ヌ キ 浪 久 衛 ・ 大 正 二 二 年 生 ま れ ) 。 川土手や高瀬にたまった大量の管読し材を組織的に疏れにもどす作業(榛原郡川根本町犬間・菊田 藤 利 ・ 明 治 四 一 年 生 ま れ ) 。 ド イ レ [ 涜 送 ︼ [ 流 送 ] 川 狩 衆 ( 河 川 流 送 労 務 者 ) の ヨ

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ジャの乙と。ヨ

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ジャは、タ茶の意で、昼飯と夕飯の聞の食事 ( 島 田 市 伊 久 美 ・ 森 塚 金 一 ・ 明 治 三 八 年 生 ま れ ﹀ 。 ハンワケ[涜送]大井川を椀送されて島田市向谷の貯木場にに入った木材老会社別に仕分けるとと。木材には切 り判で各会社の印が刻みつけられているのでそれによって分類した。判分けの意である(島田市伊久美・森塚金了

ニ ハ

明 治 一 二 八 年 生 ま れ ) 。

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面送]木材の河川疏域の際、川狩衆(労務者)が暖房﹂とったり、お茶そ飲んだりするために休憩地点 ご と 火 を 焚 く 係 が い た 。 庄 屋 ( 涜 送 組 の 親 方 ) の グ ル ー プ ご と に 火 を 焚 い た ( 島 田 市 伊 久 美 ・ 森 塚 金 了 明 治 三 八 年 生 ま れ ) 。 ヒー タ キ [ 伐 出 ] 径 三 一 尺 前 後 の 大 木 を 伐 出 す る 時 、 樹 木 の 中 心 、 芯 が 伐 木 に つ い て ぬ け 、 根 株 の 中 心 に 穴 が できる。その穴のとと。とれを放置すると山の神の崇りがあるとして伐木について抜けた突起部を切って、引抜き 穴を必ず埋めた。万葉集に見える﹁烏総立て﹂のような呪術儀礼にヒキヌキアナを利用したことが推察される(川 根 本 町 千 頭 ・ 吉 田 重 義 ・ 大 正 一 一 二 年 生 ま れ ) 。 [ 流 送 ] ヒキヌキアナ 川 の 涜 水 の 分 か れ 目 の こ と を こ う 呼 ぶ ( 焼 津 市 藤 守 ・ 加 藤 正 ・ 明 治 三 二 年 生 ま れ ) 。 ヒャクショウビヨウ[涜送]河川涜送専従者を﹁日傭さん﹂と呼ぶ。百姓日備とは、農業のあいまに河川涜送を 行 い 、 日 当 を 得 る 者 で 、 専 従 者 か ら は 軽 視 さ れ た ( 静 岡 市 葵 区 団 代 ・ 望 月 初 正 ・ 大 正 元 年 生 ま れ ) 。 ポク[涜送︼管流しの木材が増水で流され、一日一海に流出し、南風に煽られて大井川左岸河口の吉水の浜に打ち あげられた。ボクとは、涜木の意である。管流しされる材には所有者があるので私物化はできなかった。ボクを保 管したり、会社に届けたりすれば礼金が得られた。ボクの樹種は縦・栂が多かった。ボクを島田へ運ぶために吉永 に は 馬 ( 荷 馬 車 ) が 増 え た と 言 わ れ た ( 焼 津 市 藤 守 ・ 田 中 松 平 ・ 明 治 一 一 八 年 生 ま れ ) 。 ミツクチギリ[伐出]奥山で径二尺

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一 ニ 尺 の 槍 ・ 唐 槍 ・ 棒 な

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の樹木を伐採する場合、一方から伐り込み、その 反対側に受けを刻む方式ではなく、一本の樹を根方の三方から伐り進める方法。さらにはゴトクギリという方法も ある。樹木の根方の四

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五方から伐りこむのであるがどの方向からも芯にふれてはいけないという約束があった。 切 り 口 か ら 火 を 入 れ て 焼 き 進 め て 伐 る 方 法 も あ る ( 静 岡 市 葵 区 団 代 ・ 滝 浪 久 衛 ・ 大 正 一 三 年 生 ま れ ) 。 木材の管流しの先頭部の集団をキパナ(木鼻)と呼び、そこには技術の優れた川狩人足がつ ヒ マ タ ミトツクリ [ 流 送 ]

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いた。水が細い箇所では、キパナ衆がミト H ﹁水路﹂づくりを担当した。涜送の組織は、キパナを先頭にキナカ ( 木 中 ) 、 キ ジ リ ( 木 尻 ) と 続 い た ( 静 岡 市 葵 区 団 代 ・ 滝 浪 久 衛 ・ 大 E 三 平 生 ま れ ) 。 モヨイ[流送]木材河川流送を筏で行う場合、筏を連結するととがある。大井川筏の場合、木材を並べた筏の幅 は 一 六

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今 で 、 木 材 の 長 さ は 四 日 尺 八 一 初 、 一 二 一 初 だ っ た 。 田 町 材 は 三 枚 連 結 、 八 討 材 は 二

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三枚連結、連結する場 合 に は 先 頭 の 筏 の 尻 と 続 く 筏 の 先 と か ﹄ 、 筏 の 幅 の 外 側 で 繋 が な け れ ば な ら な い 。 そ の 連 結 材 の こ と が ﹄ モ ヨ イ と 呼 ぶ 。 ま た 、 連 結 し た 筏 の と と を ﹁ フ タ ツ モ ヨ イ ﹂ ﹁ ミ ツ モ ヨ イ ﹂ と 呼 ぶ と と も あ る 。 四 肘 材 と 八 肘 材 を 連 結 し た も の は一枚と見倣された。二一

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材は一枚で流した。モヨイとは準備を意味するものと考えられる。船モヨイ、旅モヨ イなどの表現がある。四万十川筏涜送ではモヨイに当たる材をカシメと呼んだ。穫を結束する材には藤蔓かワイ ヤ ー が 使 わ れ た ( 島 田 市 伊 久 美 ・ 森 塚 金 一 ・ 明 治 三 八 生 ま れ ) 。 ヤガラ[流送]木材の河川流送の中で、筏ではない管読し、すなわちパラ涜しの際漏れてきた木材が一箇所にた ま っ て 積 も っ た 状 態 を い う ( 榛 原 郡 川 根 本 町 長 島 ・ 長 島 英 雄 ・ 明 治 三 六 年 生 ま れ ) 。 ヤサシ[流送]河川涜送に際して水の出ない場所で小型の土手を作って水を集めて管涜しをする技術(静岡市葵 区 団 代 ・ 滝 浪 久 衛 ・ 大 正 一 一 一 一 年 生 ま れ ) 。 ヤブキ[疏送]伊久美川・笹問川・身成河内などの大井川支涜での筏流しのこと。小鳶と乗り竿で操る。八一日材 は 二 つ も よ い ( 一 一 連 結 ) ま た は 三 つ も よ い ( 三 連 結 ) 。 二 一 討 も の は 単 独 の 筏 。 四 肘 も の は パ ラ 流 し 。 各 支 涜 の 合 読 点 に あ げ て お き 、 四 月 か ら 一

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月までの聞に本筏に組んで島田の向谷まで抗した(島田市伊久美・森塚金了明治 三 八 年 生 ま れ ) 。 樹木を伐った後に残る伐り残しの尖ったととろ。ヤリクチに小鳥が虫を刺すと木を伐った者が 病気になると伝えられた。との伝承には木を伐る場合にはヤリクチを残さないようにきちんと伐れというメツセ

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ヤリクチ [ 伐 出 ]

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ジが込められている。ヤリクチを放置すると、人が怪我をするととがあるからだ。ヤリクチの崇りで病気に躍った 場合にはヤリクチを切り、御幣を立てて祭る。ヤリクチの崇りは木霊の崇りとも考えられていたのである。この地 には、大木を伐った場合には榊または樫の枝を切り株の脇に挿しておく習慣がある(浜松市天竜区春野町川上・高回 角 太 郎 ・ 明 治 三 四 年 生 ま れ ) 。 長さ四聞の材木を九尺幅に編んだ筏。筏師は前後に一人ずつ、二人乗った(川根本町千頭・吉困 重 義 ・ 大 正 一 三 年 生 ま れ ) 。 ヨ マ ダ イ ︻ 涜 送 ] ワ

木材の河川流送に際して、水が細く材が流れにくい箇所で柴を立てて水を溜め、木を浮かせる堰の と と ( 川 根 本 町 梅 地 ・ 筑 一 地 松 己 ・ 大 正 三 二 年 生 ま れ ) 。 [ 流 送 ] 四・農業・茶業 尋常小学校卒業したてのような小娘が茶摘み娘として雇われてゆく時には赤い腰巻を締 めてゆくものだと言われていた。赤腰巻は日当を一人前はもらえず、八分の賃金だった。腰巻には象徴性があった の だ ( 焼 湾 市 飯 淵 出 身 ・ 市 野 た け ・ 明 治 一 二 五 年 生 ま れ ) 。 アカコシマキ [ 鹿 ・ 茶 ] [農・茶]大井川左岸の忠兵衛は新田開発者の名前を地名にしたもので、との地は水団地帯である。 したがって広い茶畑はないが、どの家でも屋敷の土手などに一、二反歩の茶畑を持っていた。一番茶・二番茶はす べて売り、ヲ一番茶を自家用の飲み茶に当てた。お茶買いの商人がムラにやってくると忠兵衛辻に旗があった。ムラ び と た ち は お 茶 を 持 っ て 集 ま る 。 商 人 は 路 傍 に 娃 か を ﹄ 敷 い て 買 い 付 け た ( 藤 枝 市 忠 兵 衛 . 仲 回 要 作 . 明 治 喧 二 三 孟 三 三 二 麺蓋状の杉板の浅箱の内側に和紙を粘つたもので、ホイロの上部をなす。寸法は、茶師(援み オチャカイ カ ケ ゴ [ 農 ・ 茶 ]

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手 ) の 手 の と ど く 範 囲 、 五 尺 × コ 一 尺 ほ ど 。 深 さ は 七 j 八寸。高さは探み手の瞬がカケゴの縁にかかるくらい。火を 燃す炉の部はヒナツチ(青粘土)で築く。カケゴと炉の聞に鋳物の角棒や細く切った鉄桓を格子状に組んだものを 置き、鉄板を重ね、火がカケゴに移らずにカケゴに熱を伝えるようにしてある。カケゴに貼る和紙には柿渋を刷 く 。 渋 紙 を カ ケ ゴ に 貼 る 糊 は コ ン ニ ャ ク 瑚 た っ た ( 川 根 本 町 上 岸 ・ 中 森 庄 平 ・ 明 治 四 O 年 生 ま れ ) 。 クネチャクネとは垣または囲いのことで、定畑の周囲を囲むように植えた茶のことをこう呼ぶ(静岡 [ 農 ・ 茶 ] 市 葵 区 田 代 ・ 滝 浪 文 人 ・ 大 正 六 年 生 ま れ ) 。 紺の六尺揮。藤守の男たちは茶師(熔炉師)としての技術が優れており、お茶の季節に 茶所へ季節技術労務者として赴いた。この時藤守の男たちは皆クロフンドシをしめて行った。﹁藤守のクロフンド シ は 他 地 の 茶 師 を 煽 り 出 す ﹂ と の 評 判 を と っ た ( 焼 津 市 藤 守 ・ 加 藤 正 ・ 明 治 一 一 一 一 一 年 生 ま れ ) 。 コシゴロモ[農・茶]木綿、紺縞の布で作った牒が隠れるほどの丈の腰巻。茶摘娘が各自用意して身につけた。 丈の高い茶の木の畑では、とれを締めていないと着物や帯を痛めた。衣類保護とともに虫除けにもなった(大井川 疏 域 各 地 ) 。 クロフンドシ [ 農 ・ 茶 ] 茶栽培にとって遅霜は敵である。茶所である当地では一番茶が始まる前の四月二五日、宿 を定め、米を持ち寄って餅を掃き、夜明かしをして遅霜がとないように祈った﹁霜日待﹂の意である(川根本町尾 邑 久 保 ・ 土 屋 猪 三 雄 ・ 大 正 四 年 生 ま れ ) 。 チャウタ[民謡]茶唄の意で、茶業に関する労作唄を総称したもの。茶唄には、茶畑で茶の芽を摘む際に茶摘女 ほ い ろ ぽ たちが歌った茶摘唄、茶部屋と呼ばれる熔炉場で茶師たちが茶を探みながら歌う茶探唄、探みあげた茶を、最後に ひ 置 仕 上 げ 箕 と い う 口 三 一 尺 の 大 型 の 箕 で 簸 出 し て 精 選 す る 際 に 歌 う 仕 上 げ 箕 節 の 三 種 類 が あ っ た 。 茶 摘 唄 べ 、 赤 い 樺 は ダ 可愛い主さんの固印に

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茶探唄へわしが烏なら茶部屋の棟で鳴いて口舌を聞かせたいー

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仕 上 シモヒマチ [ 農 ・ 茶 ] テ に は か け ぬ

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げ箕節ヘ五月半ばに静岡通りや汽車の中まで茶の香り││仕上げは普通三人で組み、最後に最も腕の良い者が簸 出した。との最後の者を﹁上げ箕﹂と呼ぶとともあった。茶摘唄・茶援唄・仕上げ箕節の歌調は本来は別個のもの で あ っ た が 次 第 に 相 互 流 動 し た ( 川 根 本 町 坂 京 ・ 杉 山 義 雄 ・ 明 治 一 一 一 一 一 年 生 ま れ ) 。 チャゴメ[鹿・茶]お茶摘み・お茶師を雇うために家族の飯米とは別途に用意する米のこと。茶摘み七人を大洲 ( 現 藤 枝 市 ) か ら 、 他 に 茶 師 コ 一 人 を 入 れ 、 一 度 に 一

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俵の米を買ったことがある。茶摘みにはおのおの蓑笠・ト

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エ(油紙)を一そろいずつ用意し、茶摘みや茶師の日当はもとより、茶摘みや茶師を周旋してくれる慶庵に対する 謝 金 も 支 払 う 。 そ れ は 、 一 人 に つ き 一 日 の 目 当 分 だ っ た ( 島 岡 市 川 根 本 町 葛 箇 ・ 鈴 木 真 ・ 明 治 三 六 年 生 ま れ ) 。 チ ャ シ ギ [ 農 ・ 茶 ] お 茶 を 探 む 時 に 燃 料 と し て 使 う 薪 ( 川 根 本 町 崎 平 ・ 堀 井 惣 一 ・ 明 治 四 五 年 生 ま れ ) 。 チャノミ[農・茶]掃いて堅皮を除いてから黄色くなるまでヒドル、大釜の中に水を入れ、ヒドッタ茶の実を加 える。油が浮いてくるので杓子で掬って小鍋に入れる。とれを再度煮て料理に使う。揮を保存しておいて髪を洗う 時 に 使 っ た ( 静 岡 市 葵 区 回 代 ・ 滝 浪 文 人 ・ 大 正 六 年 生 ま れ ) 。 ツ ミ ア ゲ 茶摘み終了の祝い。ボタモチ・五目ズシなどを作って茶摘み娘や茶師にふるまう。茶探みま で の す べ て の 作 業 が 終 了 し た 祝 い は ホ イ ロ ア ゲ と し て 別 に 行 う ( 大 井 川 流 域 各 地 ) 。 熔炉の量は生の茶の葉一貫五

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固で、一人の茶師が一日で探める数は六倍炉はむつかし [ 毘 ・ 茶 ] [ 農 ・ 茶 ] ヒ ト ホ イ ロ い と い わ れ た ( 島 困 市 川 根 本 町 葛 鱒 ・ 鈴 木 真 ・ 明 治 三 六 年 生 ま れ ) 。 ロクキリ[農・茶]六切りで、一一一月と並んで六月に大井川右岸の下長尾の商庖で付け買いした食料品の精算を し た 。 と の 時 期 に は お 茶 の 収 入 が あ っ た の で ﹁ 茶 払 い ﹂ と も 称 し た ( 浜 松 市 天 竜 区 春 野 町 川 上 ・ 高 田 角 太 郎 ・ 明 治 三 四 年 生 ま れ ) 。

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五 ・ 食 ア ズ キ コ ウ セ ン 食 小 一 旦 を 煎 っ て 石 臼 で 粉 化 す る 。 ぞ れ を 熱 湯 で 練 り 、 砂 糖 ま た は 塩 を 加 え て 食 べ る 。 小 豆 掻 き と も い う ( 静 岡 市 葵 区 田 代 ・ 滝 浪 文 人 ・ 大 正 六 年 生 ま れ ) 。 イタチ[食]小米(劃れ米)ニ升に需米一升、または、各半々でハタキ粉にしてから蒸して餅にし、蒲鉾状に固 め 、 と れ を 切 っ て 食 べ る 。 蒲 鉾 状 に し た も の を イ タ チ と 呼 ん だ ( 焼 津 市 利 右 衛 門 ・ 吉 田 近 治 ・ 明 治 二

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年 生 ま れ ) 。 ウゾナシイモ[食]横穴に貯蔵しておいた里芋を四月に出して、種芋と食用芋に分ける。完全なものを種芋に し、部分的に傷んでいるのは食用にした。前年からの病みついていた年寄が、年を越し、さらに四月にイモのウゾ ナ シ を 食 べ て か ら 果 て た 時 、 ﹁ イ モ の ウ ゾ ナ シ を 食 っ て 死 ん だ か ら よ い : : : ﹂ な ど と 話 さ れ た 。 ウ ゾ は オ ゾ ( 悪 い と と ろ ) の 意 で 、 オ ゾ ナ シ イ モ は 本 来 は 欠 点 の な い 芋 の 意 ( 静 岡 市 葵 区 西 山 ・ 森 竹 久 亀 ・ 大 正 一 五 年 生 ま れ ) 。 ウメコ[食]粉化した穀物などを茶碗に入れ、湯をさして練って食べる方法。蕎麦・麦・米・トウモロコシ・弘 法 黍 ( シ コ ク ピ エ ) な ど の 粉 に 、 醤 油 ・ 味 噌 ・ 塩 ・ 砂 糖 な ど で 味 付 け を し た ( 榛 原 郡 川 根 本 町 属 呂 久 保 ・ 土 屋 猪 三 雄 ・ 大 正 四 年 生 ま れ ) 。 カ ヂ イ モ

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焼畑輪作の最終年に栽培したエグ味の強いサトイモ(シマイモともヤマイモとも)を収穫し、イ モガマ(芋穴)に貯蔵しておき、椿の花が落ちるとろイモガマから出し、一日ほど日に干してからアマ(イロリの 上の賓天井﹀にあげて乾燥させる。お茶時の前にアマからおろして蒸かしてから干す。これを臼杵で掛つ。度が剥 けると中の芋の身が白く光る。とれをカヂイモと呼ぶ。カヂイモとはカチイモでカツとは揖くという意味である。 カヂイモを中心に踊豆・甘藷の切干し・小豆などを煮る。平地水団地帯からやってくる茶摘み娘や茶師に好評だっ た ( 島 田 市 川 根 町 雲 見 ・ 宮 脇 き く ・ 明 治 三 十 八 隼 生 ま れ ) 。

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[食]シコクピエのととを弘法黍という。乙れを粉化して団子にしたものを弘法餅と呼ぶ。弘法黍 ひぴわ には粘り気がないので団子はすぐに輔割れた。冬季、顔の肌荒れや樽のひどい人のことを﹁弘法餅のようだ﹂とた と え た ( 川 根 本 町 尾 呂 久 保 ・ 土 屋 猪 三 雄 ・ 大 正 四 年 生 ま れ ) 。 コパメ[食]一日の食事の中での間食。@朝飯 H 夏五時・冬六時、芋類・稗飯・麦飯など←@茶飯 H 夏九時・冬 八時、家ではなく作業の場で食べる。ケヌキアワセの麦飯など←@ニハチ H 午後二時、ケヌキアワセの残り一方 は ←@コパメ H ニハチと夕飯の問、一服のとと、お茶と芋類・柿・因子など。小食みの意で、小養いとも言う。夕 飯 H 、夏八時・冬六時、稗飯・麦飯←夜食 H 一

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時 、 ソ パ ガ キ ・ 弘 法 ガ キ な ど │ │ ( 静 岡 市 葵 区 田 代 ・ 滝 浪 久 衛 ・ 大 正 十 ± 一 年 生 ま れ ) 。 ← ケ ヌ キ ア ワ セ コ ウ ボ ウ モ チ ケヌキアワセ[金丸メンパの内と合せ蓋の両方に飯を詰め、交合部を少なくする。とのように飯を詰めると、蓋 で一回、内で一回の二回の食事に対応できる。毛抜きの両先が交合しないところからこの呼称が生まれた。(島困 市 伊 久 美 ・ 森 塚 金 一 ・ 明 治 三 八 年 生 ま れ ) 。 折れ米、屑米などをコゴメと呼ぶが、他にイリゴ(揺り粉の意か)、メンザラとも呼んだ(藤枝市忠 コ ゴ メ [ 食 ] 兵 衛 ・ 仲 田 要 作 ・ 明 治 一 一 一 一 一 一 年 生 ま れ ) 。 折れ米に塩を入れて炊いた飯。折れ米や屑米をコゴメと呼び、コゴメと南瓜を混ぜて炊き、担 ね て 食 べ る の を カ ボ チ ャ ガ ユ と 称 し た ( 侵 空 巾 利 右 衛 門 ・ 吉 田 近 治 ・ 明 治 二

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年 生 ま れ ) 。 サヤシガキ[食]半黙の渋柿を一晩ヒジロ(イロリ)の灰の中に埋めておき、翌日食べると渋みが抜けてうま い。また、半熟の渋柿をヒジロの火の周囲に並べ、火箸で柿に数箇所の穴を聞けておくと火力で渋みがぬけて甘く 芭 わ な る 。 醐 し 柿 の 転 。 ( 川 根 本 町 犬 閥 ・ 菊 田 秀 安 。 昭 和 五 年 生 ま れ ) 。 [食]スズ竹に何十年に一度花が咲き実がなる。実を干して粉化し、餅にする。餅は純白である。スズ コ ゴ メ メ シ

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ス ズ ノ ミ

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竹 に 実 が な る と 一 時 ス ズ 竹 が 絶 え る 。 ( 静 岡 市 葵 区 田 代 ・ 滝 浪 文 人 ・ 大 正 六 年 生 ま れ ) 。 シリヱダンゴ暮の煤払いの日には粟の粉の団子を汁の中に入れて食べた。汁煮団子の意である(静岡市葵 [ 食 ] 区 間 代 ・ 滝 福 き く ・ 明 治 = 一

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年 生 ま れ ) 。 か し ゅ う い も ぜンボヤマノイモ科の多年草何首烏藷をこう呼ぶ。ヒゲ根が多生する。イモおよびモツカ(ムカゴ)を茄 で 、 主 と し て ヨ

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ジ ヤ ( 一 二 時 ) に 塩 を つ け て 食 べ た 。 四 月 は じ め に モ ツ カ の 大 き い も の を 植 え る 。 ゴ ミ ・ 夏 草 を 肥 料 に し 、 支 柱 を 立 て て 蔓 を 遣 わ せ る 。 一

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月 末

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一一月初、麦蒔き前に掘って鼠除けに杉の葉を入れて横穴に貯蔵 す る 。 四 月 、 穴 か ら 出 し て イ ロ リ の ア マ 天 井 で 乾 操 さ せ る 。 里 芋 に 比 べ て ゼ ン ボ は 腐 り に く い ( 川 根 本 町 坂 京 ・ 中 野 [ 食 ] 昌 男 ・ 大 正 九 年 生 ま れ ) 。 [食]里芋の茎の地境(茎が地上に出ているところ)の茎の周りに芽のような形状の萌芽物が複数地上 に出る。これをゾンゾリと呼ぶが大井川流域では他にゾゾリ・ゾゾレなどとも呼ぶ。﹁ソソリコ﹂という語との闘 係も考えられる。覆土が少いとゾンゾりが多く出る。ヤマイモ(シマイモと呼ばれる蔽味の強い晩生の里芋)はゾ ンゾリが多くでる傾向がある。ゾンゾリが多くでるとイモがまずくなる。ゾンゾリは蒸して干しあげ、保存してお い て 塩 味 を つ け て 小 豆 と い っ し ょ に 煮 て た ベ る ( 川 根 本 町 小 長 井 ・ 鈴 木 猶 一 ・ 明 治 四 三 年 生 ま れ ) 。 ツポハタキ[食]収穫期に稲の落穂を拾い集めておき、その米を臼で描いて粉化し、ハタキ餅にして唐臼に供え た ( 藤 枝 市 忠 兵 衛 ・ 仲 田 要 作 。 明 治 三 三 年 生 ま れ ) 。 ゾンゾリ ハナアゲ穂を粒にする麦コナシはオニパという木槌で行う。精白は、テンマギネ(タテ杵)と臼で行う。 自 に 麦 を 三 一 升 入 れ 、 茶 碗 一 杯 ほ ど の 水 を い れ て 描 く 。 皮 が と れ る と 箕 で 簸 出 し て か ら 広 げ て 天 日 で 干 す 。 さ ら に 同 様にして掃き、簸出し、干す。最後の掃きをハナゲと呼ぶ。藤枝市忠兵衛の仲田要作さん(明治三三年生まれ)は 水車掃きで一番揖きのととをアラツキ、仕上げ揖きのととをハナアゲと呼んだ。ハナゲ・ハナアゲとは﹁美しく仕 [ 食 ]

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上 げ る ﹂ の 意 で あ ろ う ( 静 岡 市 葵 区 井 川 ・ 長 島 角 太 郎 ・ 明 治 三 四 年 生 ま れ ) 。 ヒエメシ[食]稗飯は、大正一一二二年ごろには次のようなものだった。麦六合・米三合・稗粉一升の混合。 米・麦の飯が煮えて火をひく時、ヒエカキオケ(稗掻き桶 H 径・深さ八寸)に一升の稗粉を入れて熱湯で掻き混ぜ るのであるが、この時塩をひとつかみ加えた。稗飯用の塩を年に八貫目使うと言われていた(島田市川根町雲見・宮 脇 き く ・ 明 治 三 八 年 生 ま れ ) 。 治 ま ヒ 堕 え エ 云 て モ 主 、 チ

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明 ふ ヒドル火取るの意で、借るととを意味する地もあるが、当地では妙ることを示す(静岡市葵区回代・滝浪文 人 ・ 大 正 六 年 生 ま れ ) 。 食 [食]菜飯の意で、大根、大根の葉・蕪などを刻んで飯に入れる。﹁オワリナメシも塩でもつ﹂と言って 塩を加えた。夕飯に食べ、少し良い食事の部に数えられた(藤枝市瀬戸新屋・青島作太郎・明治三

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年 生 ま れ ) 。 ネコマタギ[食]行商人が運んでくる、塩を多量に施したマス・サンマの塩漬。塩出しをして食べた。塩出し汁 も 塩 分 と し て 利 用 で き た ( 川 根 本 町 大 間 ・ 望 月 恒 一 ・ 大 正 六 ま 畜 れ ) 。 ナメシ ム ハ ・ 年 中 行 事 ア

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ポサマ h ソ 、 [ 行 事 ] 一月一-日に山に入ってフシノキ(ヌルデ)を伐って帰 粟穂様の意で、模造の粟穂を指す。 一四日まで蔵に収納しておき、一回目、フシノキの枝を薬英状に切って皮を剥き、女竹をそ奇数割りにして曲

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げた先に刺す。玄関・神棚などに飾って二

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日 に 焼 い た 。 ア

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ボサマは山作り(焼畑)の虫除けのために作ると言 い 伝 え ら れ た ( 川 根 本 町 長 島 ・ 滝 口 さ な ・ 明 治 二 七 年 生 ま れ ) 。 [ 行 事 ] 歳神様に供える里芋を整えるとと、大晦日に里芋をよく洗い、汚れなどを除きイモカゴに入 れる。イモカゴは径尺二寸・丈は八寸だが上げ底になっている。とれを床の聞に供えるのだが、一月二

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日 の 二

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目 ヱ ピ ス の 目 の 朝 、 吸 い 物 に し て 食 べ る ( 川 根 本 町 坂 京 ・ 中 野 昌 男 ・ 大 正 九 年 生 ま れ ) 。 オサメスイモン[行事]納め吸い物の意で一月二八日、正月の納めとして、ハタキ餅でも団子でも何でもあるも の を 入 れ て 雑 煮 を 作 る ・ も の だ と さ れ て い た ( 藤 枝 市 忠 兵 衛 ・ 仲 田 要 作 ・ 明 治 一 一 一 一 一 一 年 生 ま れ ) 。 イモツクリ 一二月八日にツボハタキを掃いた。暮らしの大へんな家の人がとの夜、手拭で頬かむりを して顔を隠し、﹁お八日さんをよんどくんなさい﹂と言って門口に立った。家人は横を向いて(巡回者の顔を見な い よ う に し て ) ツ ポ 餅 を さ し 出 し た ( 藤 枝 市 忠 兵 衛 ・ 仲 田 要 作 ・ 明 治 一 二 三 生 ま れ ) 。 ← ツ ポ ハ タ キ カマツコサン[行事]鎌鍬さんの転靴。五月五日に鎌・鍬・詑などの道具を洗って新鑑の上に並べる。鎌鍬を休 ま せ る 道 具 の 祭 り だ と し て い る 。 蕗 を 煮 て 朴 の 葉 に 盛 り 、 朴 の 葉 で カ シ ワ モ チ を 作 っ て 供 え る ( 川 根 本 町 長 島 ・ 滝 口 オヨウカサン [ 行 事 ] さ な ・ 明 治 一 一 七 年 生 ま れ ) 。 一月一四日の粉始めから寒のうちを中心に、長い場合は寒水の中に一か月も米をつけた。米は、 梗八割、糟二割の比率たった。糟米は、ネパシと称し、粉にねばりを加えるために混ぜた。水につけた米は一

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よ む く乾かしてから石臼で碩き、袋または茶の櫨に入れて保存した。柏餅や地蔵の縁日の団子などに使った(藤枝市忠 兵 衛 ・ 仲 田 要 作 ・ 明 治 一 二 = 一 年 生 ま れ ) 。 カ ン コ [ 行 事 ] ギオンガシワ 七月一五日にカシワモチを作るのだが、葉包みとして使う葉は葛の葉である(静岡市葵区 田 代 ・ 持 浪 文 人 ・ 大 正 六 隼 生 ま れ ) 。 [ 行 事 ]

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う し ぐ い 正月・小正月に使った門松の杭を牛杭と呼び、一月二

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日にこの杭を抜く。抜いた杭は栗の木 で 利 用 価 値 が あ る の で 、 屋 敷 や 畑 地 で 実 用 の 杭 と し て 利 用 し た ( 川 根 本 町 尾 呂 久 保 ・ 土 屋 猪 三 雄 ・ 大 正 四 年 生 ま れ ) 。 コハジメ[行事]一月一四を粉始めと称し、その年の最初の粉磁き在した。との日より前に粉そ曜いてはいけな いとされていた。粉始めの粉で団子を作り、柳の枝につけて大呆柱に縛った。とれを繭玉と称して、養蚕の盛ん だ っ た 時 代 に は 盛 大 に 行 っ た ( 藤 枝 市 忠 兵 衛 ・ 仲 田 要 作 ・ 明 治 三 三 年 生 ま れ ) 。 スリパチキユウ[行事]播鉢灸の意で、旧暦六月一日に入口(玄関)の敷居を跨いだ状態で播鉢を頭にかぶり、 そ の 上 か ら 灸 を す え る と 夏 の 病 い の 払 い に な る と 伝 え た ( 藤 枝 市 蔵 田 ・ 藤 田 賢 一 ・ 明 治 三 五 年 生 ま れ ) 。 ソウノネントウ[行事]寺院への年始の答礼として、一月五日以後に僧が、一辺一五センチ・深さ四センチ程の 三 一 角 の 紙 箱 に 金 山 寺 納 豆 を 入 れ て 年 頭 挨 拶 に き た ( 藤 枝 市 忠 兵 衛 ・ 仲 田 要 作 ・ 明 治 一 二 三 年 生 ま れ ) 。 ダイノコ[行事]井川地区では小正月にダイノコと呼ばれる飾りものを作って玄関に飾った。それは、径四

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六 今、長さ三

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センチほどのアワンボノキ(ヌルデ)で、皮の一部を羽状に削り、上部に目を刻みつけたものであ る。田代地区のものはほとんど回がついている。アワンボノキは一番早く芽が出るので、木々の芽が早く出るよう にという願いをとめてアワンボノキをを使うのだと伝えている。西山では、一月一四日の夜と一宜日の朝、ダイノ コ の 頭 部 に ハ タ キ オ ぜ ン ( 棄 ) ・ 飯 ・ 里 芋 な

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を供えた。西山では一月一六日に、銭・燃料・米な

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を寺に届けた の だ が 、 そ の 折 、 ダ イ ノ コ を 寺 に 納 め 、 と れ を テ ラ ギ ( 寺 木 ) と 呼 ん だ ( 静 岡 市 井 川 ・ 西 山 ・ 困 代 ほ か ) 。 ツポモチ[行事]一一月末日、蔵や籾摺り場にこぼれ落ちた米を拾い集めてハタキ餅を揖いて家族で食べた。 ﹁ 師 走 川 渡 ら ぬ 先 に ツ ボ モ チ を ﹂ と 口 語 し 、 一 一 月 中 に ツ ボ モ チ を 揖 い た 。 ま た 、 ﹁ ツ ボ モ チ を 他 家 に 渡 す と 粒 が 泣 く ﹂ と 言 い 伝 え て 、 他 家 や 他 人 に 贈 る と と は な か っ た ( 藤 枝 市 蔵 回 ・ 藤 田 賢 一 ・ 明 治 一 二 五 年 生 ま れ ) 。 茎を一五センチほど残したままの里芋を五・六個軒下に乙ろがしておき、旧暦一

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月 二

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日 クイヌキ ︹ 行 事 ] デツチイモ [ 行 事 ]

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この大会は、我が国の大切な文化財である民俗芸能の保存振興と後継者育成の一助となることを目的として開催してまい

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