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返 書

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商売

事食

区 べ閑 る

八月の盆前︑ムラ中総出で壱町河内川で共同毒涜し漁をした︒魚毒は︑山根の木の皮を煎じた

E

もの︑胡桃の根および小櫨Hエゴノキの実を叩いた汁を混ぜたものを使った︒アマゴ・アユなどを獲り︑治占獲物は

各戸均等に分配した︒その魚は盆魚にした︒との時以外の毒入れ︑個人の毒入れは許されなかった︒とうした事例

は全 国各 地に 見ら れた (川 根本 町壱 町河 内・ 吉川 一美 智雄

・明 治一 一九 隼生 まれ )︒

ドクイレ

[ ]

崇りや禁伐伝承のあるクセ山・クセ地のとと︒との地の木を伐らなければならないときは地

祭り をし てか ら伐 らな けれ ばな らな い( 浜松 市天 竜区 春野 町上 川・ 高田 角太 郎・ 明治 三四 年生 まれ )︒ 大井 川硫 域に はク

セ地︑崇り地の中に︑トリドシ・ヘピドシなどの名称を持つ地が点在する︒

卜ッピッチヨノメンタマ

[

]

トシヤマサマ

[生

・昆

]

キリギリスのことが﹄トピッチヨと言い︑その眼の玉で比喰表現したものは小

一旦 であ る( 島回 市笹 間上 粟原

・成 瀬治 宣・ 明治 二三 年生 まれ )︒

トボライダンゴ葬式の時に使う団子の米粉は石臼で確いてはいけない︑臼杵でハタキキレと言われ

た︒死者の霊が後髪をひかれる︑死者の霊を引くようではだめで︑霊との聞係を一E断ち切って送るという心意が

[

]

見ら

れる

(藤

枝市

忠兵

衛・

仲田

要作

・明

治ゴ

一±

一年

生ま

れ)

和紙の素材であるミツマタの皮を精整し︑先端を中に曲げとんで二箇所を束ねる方法︒六貫目

束を 出荷 単位 とし た( 藤枝 市蔵 田・ 藤田 賢一

・明 治二 豆年 生ま れ)

ナギ ナカユイ

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]

山地崩落または崩落地のことをとう呼ぶ︒傾斜地で石が転がり落ちるのはナギの予兆とした︒大木

を伐って倒すと周囲の雑木の根が崩れてナギになりやすい︒植林の一一五年目はナギの危険性がある(川根本町千

頭・ 吉田 重義

・大 正一 一一 一年 生ま れ)

︒ナ ギが でき ると 山が ダメ にな る︒ 持ち 山に ナギ がた くさ んで きる 家は 家が 衰え る

と言われた︑またナギの跡を利用して木材を河原に落とし︑涜送する方法もあった(川根本町沢関・清水初市・大正

[

三年

生ま

れ)

米俵の担ぎ方で︑新助さんといういう人が米俵を天秤棒で二俵︑肩で一俵の計三俵

を担いで焼津のマチまで運んだという話である︒また焼樟市飯淵には六俵担ぐことができる﹁六俵さん﹂と揮名さ

れた人がいたという︒とれらの担ぎ方は=一個以上の莱英の実が一箇所から下がっている状態を想起させる︒苗代の

季節に紅熟するので商代莱頁と呼ばれる莱東は︑一箇所から三個以上の実がさがるのである︒米を俵に入れ︑人力

で運 ぶ場 面が あっ た時 代の 表現 であ る( 藤枝 市忠 兵衛

・仲 田要 作・ 明治 二二 二年 生ま れ)

ニクジュパン七分丈︑筒袖の綿入れで漁師が防寒着として使った(焼津市利右衛門・吉田近治・明治二O

年生

ま れ ) ︒ ナワシログミカツギ

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ヌサ オロ シ

[

]

家屋建築の建前に際して︑棟から四方に四色の布をおろした︒布の色は柚H白︑木挽H黄︑石

工( クロ クワ )H 青︑ 大工 H赤 と決 めら れて いた (静 岡市 葵区 井川

・長 島角 太郎

・明 治三 四年 生ま れ)

ヌマダシ[農・稲]用水路や屋敷の一角にヌマタメ(沼溜)を作っておき︑冬季︑ヌマタメからヌマ(泥エ)を

出し

︑半 年か ら一 年積 んで おき 困畑 に入 れて 肥料 にし た( 藤枝 市源 助・ 内麗 正治

・明 治一 二三 年生 まれ )︒

ネコイタ[住]イロリの炉縁の内側四辺にもう一枚幅二寸五分ほどの板をつける︒これをネコイタ(猫板)と呼

ぶ︒ 猫が 座る とと ろか らの 呼称 だが

︑茶 碗を おく とと もあ った (川 根本 町桑 野山

・森 下覚 次郎

・明 治三 七年 生ま れ)

ハキガエ御幣の紙をとり替えるとと(川根本町坂京・中野昌男・大E

九年

生ま

れ)

ハシカ麦の骨亡を指す︒ハシカイ︑ハシカ(麻疹)ともかかわる(藤枝市忠兵衛・仲田要作・明治三一一一年生

[信

] [

]

ま れ ) ︒

ハゼツキヘダマノキ(イヌガヤ)をこう呼ぶ︒炭焼窯の中に炭材として入れると爆ぜるのでこれを 嫌っ た( 島岡 市笹 関土 粟原

・坂 下雄 一・ 明治 三六 年生 まれ )︒

ハダ[環境]

ハマ クミ

[諸

・炭 ] 湿田 で水 のた まっ てい る水 田( 吉田 町大 幡・ 堀住 千二

・大 正三 年生 まれ )︒

[信]大井川へ水汲みにゆくこと︒毎月一日︑竹筒を持ってハマクミ(浜汲み)に行き︑ユルイ(イロ

リ) の四 隅と 竃を 浄め た( 川根 本町 坂京

・杉 山義 雄・ 明治 三八 年生 まれ )︒

ハヤオケ[人・葬]土葬時代には多く座棺を使った︒座棺は昭和一二三年まで使った︒座棺は杉板を使って家で作

るか︑ハヤオケ(早桶)と称して桶厘に依頼するかのどちらかだった︒死体を座棺に収める場合︑死後なるべく早

く座位にしなければ死体が硬直してしまうので︑早めに座位にし︑三尺帯で死体を縛り固めた(藤枝市大新島・吉田

義司

・大

正一

一年

生ま

れ)

[衣]ソは本来麻を意味した︒赤麻・真麻といった語がある︒当地では草履を編む時の芯縄をヒキソと呼

ぶ︒ヒキは引いて締めるととである︒ヒキソにはマフジ(藤)の中皮を剥ぎ︑叩いて使うか︑シナノキの中皮を剥 ヒ

キソ

ぎ︑ 叩い て使 うか のど ちら かだ った (川 根本 町湯 山出 身・ 望月 筆吉

・明 治四 三年 生ま れ)

ヒキハチ[食・具]盟の大型のもので径三尺︑深さ六寸︑石臼を掘くとき粉を受けるために︑との中に石臼を据

えた

︒曜 き鉢 の意 (川 根本 町犬 聞・ 菊田 藤利

・明 治四 一年 生ま れ)

︒ クセ 地・ パチ 山で

︑木 を伐 ると 崇り があ る︒ 酒乱 の意 か( 川根 本町 小猿 郷・ 花島 弘・ 明治 ゴ一 九年 生 ヒョ ウラ ン

[

]

ま れ ) ︒

大井川上流域ではオオスズメバチのととをこう呼ぶ︒地下に営巣する成虫を一O

月の 闇夜

めぐりに松明で移動させてから巣を採る︒幼虫のハラワタを針で出し︑煮つけにしたり飯に入れたりした︒塩妙り

にしたり︑今ではパタl妙めにする者もいる︒フエンドウと呼ばれるゆえんはとの大型峰の胴の縞が横笛に似てい

るからである︒因みに︑キイロスズメバチはアカパチ︑クロスズメバチのととをハイパチ・ヂスガレなどと呼び︑

いず れも 巣を 採り

︑幼 虫を 食べ た( 川根 本町 千頭

・吉 田重 義・ 大正 二二 年生 まれ )︒

フキサゲ[住]萱(薄)や藁で屋根を葺く時に︑根を上に︑穂先を下に葺く方法をとう呼ぶ︒乙れに対して根を

下に

︑穂 先を 上に 葺く 方法 をホ ンブ キ( 本葺 き) と呼 んだ (焼 津市 藤守

・田 中松 平・ 明治 二八 年生 まれ )︒

申畠フセヂ[信]伏せ地の意で︑作物ができないように誼いを掛けられた地︒作が極端に悪かったり︑よくないこと

があ ると フセ ヂで はな いか とい った (静 岡市 葵区 田代

・滝 浪き く・ 明治

三O

年生

まれ

)︒

ふじたくフンダコ[衣]藤蔓の中皮を剥ぎ︑細かく裂いて織った布︒との奇妙な呼称は﹁藤拷﹂の靴音と考えられえる︒

大井川上疏域にはフンダコ・タフ・タホの呼び方が混在する︒静岡市葵区間蔵の金沢鶴太郎さん(明治二八年生ま

れ) は︑ とれ で作 った 里染 めの 半纏 を着 一た と語 り︑ ほと んど の人 がと れを 着て いた とい う︒ 狼に 追わ れた 時に はこ

れを脱いで投げて逃げるとよいという伝承がある︒下肥をかける時には古くなったものを着て腰紐を前で結ぶ︒川

根本町長島の滝口さなさん(明治二九年生まれ)は親たちから︑﹁一年のうちに家族全員のタフの衣類をおのおの フ

エン ドウ

[生

・毘

]

上下作るととができなければ一人前の女ではない﹂と教えられたという︒また別に︑フンダコの衣類はパラのトゲ を除 ける ので 山中 を識 しく 動く 猟師 には ょい とも 伝え られ た︒

フンパネ[食・具]足踏み臼のととをこう呼ぶ︒踏み跳ねの意である︒衡の部分のもとを踏み︑先の杵を跳ねあ

がら せる とと ろか ら出 た呼 称( 静岡 市一 葵区 田代

・滝 浪文 人・

大E

六年

生ま

れ)

ヘンダマ[採集]針葉樹イヌガヤの実︒種子の核から油を搾って灯油として使った(静岡市葵区田代・滝浪作代・

明治

一二

九年

生ま

れ)

[環境]大井川の堤防が決壊して川の氾濫が迫った時堤の松を倒して堤防の保護とした︒倒した松 ︒

は竹 で止 めた

︒放 り投 げた 松の 意で もあ る︒ (藤 枝市 源助 .内 藤正 治. 明治 一= 三三 圭= ボン アズ キ[ 農. 畑] 五月 に蒔 いて 八月 に収 穫で きる 小一 亘旦 をこ う呼 んだ

︒七 月蒔 いて 一 ( O ) 月末 に収 穫す る小 豆が を 秋小 一亘 豆と 呼ん だ( 川根 本町 尾呂 久保 .土 屋猪 三雄 .大 正四 年生 まれ

)ヲ ︒

ボンボ ホ

リナ ゲマ [ ツ

生・ 木] マツ カサ のこ とを とう 呼ぶ

︒門 松の 真中 にボ ンポ がく るの が縁 起が よい と伝 えた (静 岡市 葵区 西

山・

森竹

久亀

・大

正一

五年

生ま

れ)

薪落としの意︒二月ひと月ムラの上疏部の山に伐り積みしてある薪を川に落とし︑河川涜送し

てム ラ近 くに しが らみ を作 って そこ であ げた

︒作 業は

﹁結 い﹂ で行 った

︒( 静岡 市葵 区井 川田 代・ 滝浪 文人

・大 正六 年

生ま

れ)

マキ オト シ

[社

]

マチイ[環境]大井川の本涜から濫瓶用水を引いた︒源助用水・善左衛門用水などであるが︑その用水からさら

に︑ 固に 水を 分け るた めの 水路 をマ チイ (待 井) と呼 んだ (藤 枝市 源助

・内 藤正 治・ 明治 一二 一二 年生 まれ )︒

マンリキ[諸・紙]和紙素材のミツマタを束ねてコシキで蒸す時︑東をしっかり固定するために使う用具︒二本

の棒のおのおのの中央に藤綱を固く筒ひっけ︑その藤網でミツマタの束を括り︑交差させ︑二本の棒のおのおのを

ドキュメント内 〈静岡県の民俗〉大井川流域民俗語彙 (ページ 42-50)

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