Title
永野さんと私
Author(s)
新崎, 盛暉
Citation
沖縄大学紀要 = OKINAWA DAIGAKU KIYO(9): 11-12
Issue Date
1992-03-25
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12001/5755
沖縄大学紀要第9号(1992年)
永野さんと私
新崎盛暉 永野善治さんと私は友人である。改めて、こんなふうにこの文章を書き出さ ざるをえないのも、永野さんと私が、一般的な友人関係の間に存在すると思わ れている共通性を何一つ持ち合わせていないからである。まず、年齢も一回り 以上違う。かたや敬虐なクリスチャン、力〕たや粗野な無神論者一・論者というほ どの確たるものがあるわけではないのだが……。それでも私たちは友人であった。 永野さんが倒れた晩、奥さんから電話があった。「いつも大学でのいちばん のお友だちは新崎先生だと聞いておりましたので……」と。永野さんと似合い の、童女のような一風変わった奥さんの声が、私の耳に残った。 私が沖大に赴任して一年後、永野さんと一緒に執行部をやったことがある。 百鬼夜行の時代の沖大である。一年足らずの任期を終える間際、たまたま月岡利男(現関西大教授)と三人で食事をする機会があった。永野さんはポツンと、
「沖大ではあまり楽しい記億はないけれど、今回ばかりは、これまで出会った ことのないタイプの人たちと仕事ができてI愉'決でした」といった。このとき、 私たちの信頼関係は、互いに確認されていたのかもしれない。 安良城学長が沖大を去ることがきまったとき、後任学長を決めるための学長 選考委員会が、走り書きの推薦書を持って私のところへやってきた。「なんで?」 という私の問いに答えて、正直な学長選考委員会は、墨書した立派な推薦書を 持って永野先生のところへ行ったが断られてしまった、とことの顛末を話した。 永野さんは、どうしても学長を引き受けろというなら大学を辞めろ、といって いろという。そこで私が永野さんのところへ行き、「いま沖大は先生が学長に なることを必要としています。先生が学長をお引き受けになるなら、私が副学 長として先生を全面的に補佐します」といった。永野さんは、「私が学長にな ることがこの大学にとってどうしても必要だと先生が判断されるなら、その判 断に従いましょう」と即答した。大方の予想では、当然つぶれろと思われてい -11-沖縄大学紀要第9号(1992年) たこの大学を、私自身が背負い切ろうと決心したのもこのときである。私が、 沖大再建のためにもっとも多くのことをなしえたのは、副学長時代であった。 最近の大学広報(1991.11.27)で、早稲田の大学院に進学が決まった坂本高 志君が、インタビューに答えてつぎのようにいっている。 「私が沖大で学んだ最大の教訓は一つだけです。それは故永野善治先生の ソクラテス哲学講義です。『汝は自身が無知であることを知れ』という先生の お言葉に、私は開眼させられました。自分はバカなんだと。何も知っちゃいな いんだと。自分が本当に無知だと気づいた時は、さすがに樗然としました。私 が真剣に勉強を始めたのは、この時からです。」 講義を通じて、学生にこれだけの影響力を及ぼしうる教師というのは、そう ざらにはいない。その意味では、永野さんは得難い教育者であったといえるだ ろう。自分の講義の魅力のなさを棚に上げて、入試を世間並のペーパーテストに 切り替えれば優秀な学生が集まるなどと学生に責任転嫁をしている連中は、永 野善治の爪のアカでも煎じて飲むべきだ、などといえば、あちらこちらにウチ アタイしそうである。思わず、あのころのように、黙々と自分の任務を果たす 永野善治に代わって、粗野な友人のに<まれロが出てしまった。永野さんの 微苦笑が目に浮かぶ。 -12-