• 検索結果がありません。

剣の呪 : 物部伝承考

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "剣の呪 : 物部伝承考"

Copied!
13
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)呪. 尖」 7θ. の. ︱︱ 物 部 伝 承考︱ ︱. 守. 屋. 俊. 彦. 、物 部 氏 が朝 廷 の 一官 僚 と. 一. そし て、 こ の こと は物 部 氏 の氏 神 であ る石 上 神 官 に多 く の武 器 が収 め ら れ て いる こと か らも いえ る のであ る。 垂 仁. ことを よ く物 語 って いる。. 二年︶ と 壮 烈 な 戦 を 展 開 し 、 遂 に この磐井 を 平 定 し て いる。 これ ら の こと は、物 部 氏 が 軍事 の点 で朝 廷 に仕 え て いた. 継 体 紀 二十 ﹂︵ 旗 鼓 相 望 、 埃 塵相 接 。 紫 国造 磐 井 が 反 逆 を 企 てた際 に は、物 部大 連 危 鹿 火 が自 ら こ の地 に軍を進 め 、 ﹁. た。雄 略 天 皇 十 八 年 に は伊 勢 の朝 日郎 を征伐 す る た め に物 部 菟 代 宿 称 と物 部 目連 と が 派 遣 さ れ て いるし、継 体 朝 に筑.   一体 、 ど のよ う な職 掌 によ って奉 仕 す る こと にな った の であ ろ う か。 こ の氏 族 は代 々武 門 の 家 柄 で あ っ な った時 、. な いと ころ を み る と、 早 当 に早 い時期 であ った と み て置 い て差 支 えあ るま い。 それ な ら ば. で の こと で、 も と よ り虚 構 と す べき であろ う。 唯 、 これ 以後 こ の氏族 が朝 廷 に反 抗 し た と いう 記事 が ほと ん ど みら れ. 期 は明 か でな い。 記紀 では神 武 天皇 の時 の こと のよ う にな っては いる けれ ども 、 これ は 人皇 第 一代 にも って行 った ま. 、 物 部 氏 は古 代 の大豪 族 であ った。 そし て、 何 時 の時 代 にか大 和 朝 廷 に服 従 し そ の官 僚 と な った。 し か し、 そ の時. 一. 貪1.

(2) δ9. 彦 屋 俊 守. 天皇 三十 九 年 に は 剣 一千 口が蔵 め ら れ た とあ る 。. 二. 。 亦 名 日 裸 伴 。癬卿だ訛野一 阿箇蔵 二干 石 五十 瑣 敷 命 、 居 於 茅 菟 砥 川上 宮 、 作 剣 一千 口 。 因 ■︵ 剣 、 謂 二川上部 一 名 二 一 二 一 ・ 一 二 一 、伸 主 石 上 神 宮 之 神宝 。 ︵ 上 神宮 一 也 。 是 後 、命 一 五十 項 敷 命 一 垂 仁 紀︶ 一 一 レ 二 こ の後 こ の武 器 は更 に ふえ、 桓 武 天 皇 の御 代 に山 城 国葛 野 郡 へ移 そう とし、 ﹁ 支二 度 功程 こ し た と ころ、 単功 一十 五万 七 千 余 人 であ った と いう 。 ま さ に武 器庫 の観 が あ る。 それ にし ても 、神社 と武 器 と が 結 び つい て いると いう のは. いさ さ か 異常 であ る。 何 故 に こ の神 社 のみが ﹁里r於 他 社 こ って ﹁多 収 ■ ︵ 伏 ■   ︵日本 後紀 巻 第 十 二延暦 廿 三年 二. 月 、 廿 四年 二月 ︶ め て い る の であ ろ う か。物 部 氏 が 武 士 であ った か ら と い って、 何 も わ ざ わ ざ武 器を 神社 に蔵 し て置. く 必 要 は な い の であ る。 他 の地 でも 結 構 な の であ る。 そ こに は何 か そう しな けれ ば な ら な い必 然性 が あ ったも のと み な けれ ば な ら な い。. そ こ で、 こ の垂 仁紀 の記事 の今 少 し 後 のと ころ を み ると 、 八十 七 年 の条 に注 目す べき こと が書 かれ て いる。 こ の五. 。 自 今 以後 、 必 汝 主焉 置 と言 って、 こ の剣 の管 理を譲 ろ う と し 十 項 敷 命 が妹 大 中 姫 命 に ﹁我 老也 。 不 レ 能 〓重 神 宝 一 レ. て いる の であ る。 男 性 な ら ば と も か く と し て、 こと も あ ろ う に、 女 性 が剣を管 理す ると いう のは いさ さ か 理解 し かね. る こと であ る。 と ころ で、 こ の大 中 姫 命 の妹 に倭 姫 命 が あ る。 こ の方 は、 いヽ ︵でも な く 、 天 照大 神 を 伊勢 の地 に奉 2o. 斎 し た女 性 であ る。 つま り 、 神 に仕 え る高級 巫 女 であ る。 す れ ば 、 こ の大中 姫命も ま た そ う し た女 性 であ ったと は考. え ら れ な いだ ろ う か。 そう いえ ば 、 大 中 姫 命 と いう 名 前 は、 神 と 人 と の交通 を と り も つ女 性 に は ふさ わ し いとも いえ る。 こう し た女 性 が管 理し よ う と し た、 と いう こと に な れ ば 、 それ は単 な る武 器 と いう よ り か、 今 少 し宗 教 的 な色 彩 を 帯 び て いたも のと み る べき では あ るま いか。. さ て、 こ の大 中 姫 命 は辞 退 し 、 結 局 は物 部 十 千根 大 連 が管 理 す る こと にな った の であ る。 何 杖 に朝 廷 から物 部 氏 に.

(3) り己. 貪」. バト ン ・タ ッチさ れ る こと にな った の であ ろ う か。 物 部 氏 が当時 の政 界 で の有 力 な 氏族 であ った、 と いう ことも 一つ. 市河 一 の 理由 であ ろ う。 と ころ が、   一書 では こ こ のと ころ を ﹁ 是時 、 神 乞 之 言 、 春 日氏族 、 名 市 河令 レ治、 因 以 命 二 令レ. 治。 ﹂と し 、 こ の市 河 は物 部 首 の始 祖 であ るとし て いる。 人 は違 って いる けれ ども 、矢 張 り、管 理す る のは物 部 氏 であ. り 、 し か も 、 それ は神 の意 志 であ ると いう の であ る。 それ は ま さ し く物 部 氏 が管 理す る のが当 然 であ る、 と いう よ う. な 書 き方 であ る。 そ こ で、 この当 然 と いう ことを 、 こ の際 政 治 的 な も のよ り か、 物 部 氏 に大中 姫 命 と共 通 し た何 か が あ った か ら、 と いう ふう に考 え て み ては如 何 であ ろ う か。. 一体 、 物 部 氏 の ﹁モノ﹂ と いう 語 は、 神 と か精 霊 と かを 意味 す る古 代 語 であ る。 それ を 氏族 の名 と し て負 って い る. と ころ か ら す れ ば 、 こ の氏族 は 何 か宗 教 的 な職 に携 わ って いたと す べき であ ろ う。 森 田康 之助 博 士 は ﹁ 或 る宗 教 的 な. 権 威 、 即 ち モノを 深 く体 し た氏 族 であ る﹂ と され て いる。 げ ん に崇 神紀 七 年 の条 には、物 部 連 の祖 伊 香 色 雄 を し て神. 班 物 者 と し よ う と し て卜 ったと ころ神 意 に叶 った と あ る。 こ の点 欽 明 、 敏 達 両 朝 に、 物 部 大連 尾 興 、物 部 弓削 守 屋 大. 連 が夫 々に仏 像 礼 拝 に反対 し た こと は ︵欽 明紀 十 三年 、敏 達紀 十 四年 ︶、 興 味 深 い こと であ る。 それ は こ の氏族 が保. 守 的 であ った と いう よう な こと よ り か、 古 来 の神 の道 に携 わ って いた た め に、 宗 教 的 な 立場 から し て当 然 反 対 せざ る. を 得 な か った と み る べき であ ろ う 。 そ の際 、中 臣 氏 と常 に行 動を と も にし て いる ことも 、 こ の こと を よ く 物 語 って い る と いえ よう。 中 臣 氏 は神 に仕 え る氏族 であ った の であ る。. し か る に、 こ の物 部 氏 は 現実 に は武 門 の家柄 であ った。 す れ ば 、 こ の こと と宗 教 的 なも のと を 一つにし た と こ ろ. に、 こ の氏族 の像 を 絞 ってみ る べき であ ろ う。 そ こ で思 う に、 こ の氏族 は、 古 代 と いう特 有 の社 会 が必 要 と し た 呪 術. 的 戦 士 であ った、 と いう ふう に は 考 え ら れ な いだ ろ う か。 つま り、 物 部 氏 は軍 事 的 ではあ るが、 主 と し て 呪 術 的 な 側. 面 を 通 し て朝 廷 に奉 仕 し て いた と いう こと にな る の であ る。 こ の こと を 今 少 し具 体 的 に述 べてみ た い。. 三.

(4) 彦 守 屋 俊. 一一. 四. さ て、 古 代 の氏 族 は 神 を 頂 点 と す る社 会 集 団 であ った。 だ か ら、 そ こ で の戦 は、 人 と 人 と の戦 であ ると と も に、 神. と 神 と の戦 であ った。 い や、 神 が 頂 点 であ ってみれ ば 、 神 と 神 と の戦 が 、 人 と 人 と の戦 の前 にあ り、 それ が す べてを. 決 し た と も いえ る の であ る。 次 の 二 つの記事 は、 こう し た古 代 の戦場 風 景 を よ く描 いて いる。 仲 哀 天皇 が熊 襲 征 討 のため に筑 紫 に行 幸 さ れ たと ころ. 、 而 上枝 掛 二 、中 枝 掛 二 、 予抜 二 、 以立 九 尋 舟 之 抽 一 取 五百枝 賢 木 一 十握 白 銅鏡 一 時 岡 県 主 祖 熊 鰐 、 聞 二天皇 之 車 駕 一 二 。 而献 一 、参 二 。 ︵ 、 下枝 掛 二八 尺 瑣 一 塩地 一 仲 哀 紀 八 年︶ 迎 干 周 芳 沙 慶 之浦 一 石︹ 剣一. と あ る。 賢 木 に鏡 や剣 や現 を か け て い る のは、 神 を 降 臨 せ し む べき宗 教 儀 礼 であ る。 し か る に、 こ こは、 い ってみれ. ば 、 朝 廷 と 岡 県 主 と が対 決 し て い る場 面 であ る。 そう し た緊 迫 し た際 に 岡県 主 は何故 に こ のよ う な宗 教 儀 礼 を わざ わ. ざ 行 う 必 要 が あ った の であ ろ う か 。 それ は、 恐 ら く は自 分 達 の神 を 戦 場 に迎 え、 この神 を 先 頭 に押 し 立 て て敵 と 戦 お. 塩 地 こ と あ る のだ から 、 こ の戦 に敗 れ 、 服従 を誓 って いると こ 献一 う と し て いる姿 勢 であ ろ う。 し か も 、 こ こは ﹁ 石︹. ろ であ る。 と いう こと にな れ ば、 それ は 岡 県 主 の神 が朝 廷 に臣 従 を誓 ってい るも のと み る べき であ ろ う。 それ は岡 県. 主 の朝 廷 への絶 体 的 な忠 誠 の誓 と な る の であ る。 今 一つの場 面 は 日本 武 尊 が東 国 を 征討 さ れ ると ころ であ る。 尊 は上 総 国 よ り いよ いよ 目 的 地 陸 奥 国 に 入 ら れ る際. 、 至二 、従 一 。横 渡 二 。 ︵ 景 行 紀 四十 年︶ 玉浦 一 蝦夷 境 一 時 大鏡懸二 海路 一 於 葦浦 一 於 王舟 一 廻二 一. 、 予怖 ■︵ 、 同︶ た と いう 之 不 プ可レ勝 、 悉捨 二 弓矢 ご ︵ と さ れ て いる。 す る と 蝦 夷 達 は ﹁ 然 遥 視 二王舟 一 一 威 勢 一 而 心裏 知 二. 同︶ と いわ れ た、 そ の神 の象 徴 であ る。 それ を わ ざ の であ る。 こ の大 鏡 は尊 が出 発前 天 皇 に対 し ﹁頼 二神 祇 之 霊 ﹁﹂ ︵.

(5) ハス. 呪. 。 では、 朝 廷 わ ざ 舟 にか け て いる のは、 岡 県 主 と同様 宗 教 的 用意 の下 に戦 に臨 ん で いるも のと み る べき であ ろ う こ こ 。 し と 、 そ こに古 代 の神 は蝦 夷 達 のそれ を 圧 倒 し て いる のであ る この二 つの場 面 を 向 い合 わ せ て 一枚 の画 面 に てみ る 。 し 。 れ こそ が す べてを 決 し の戦場 風 景 が 鮮 やか に望 見 さ れ る のであ る それ はま さ に神 と 神 と の戦 な のであ る そ てそ. 、. 、. ま いか。 て いる の であ る。 こうし た 呪 術 的 な戦 のな か で物 部 氏 は何 ら か の役 割 を 果 し て いた の ではあ る 、 、 件 が あ る。 これ は出 雲 氏 族 この こと を 推 定 さ せ てく れ るも のと し て 崇 神 垂仁 両 朝 に わ た る所 謂 出雲 神 宝 検 校事 、 。 件 を は じめ から 追 っ の大 和 朝 廷 への服従 の歴 史 的 事 実 を 反映 し て いるも のであ ろ う と いわ れ て いる そ こで この事 。 是 欲 レ見 焉 。﹂ と いう の 千 出 雲 大神 宮 一 武 日照 命 財季 賦娘義 従 レ天 将 来 神 宝 、 蔵 二 てみ た い。 崇 神 天皇 六十 年 に天 皇 は ﹁ 、 。 の あ る。 で い る で、 矢 田部 造 の遠祖武 諸 隅 を 派 遣 され た す ると そ こでは次 のよ う な こと が起 き て 、 、 、 。 、 神宝 一 、 出 雲 振 根 主 千 神 宝 。 是往 筑紫 国 一 而 不レ遇 臭 其 弟 飯 入根 則 被 L工命 一 以 二 之 二 臣 遠 祖 出 雲 一 是時 一 二 当二 、責 ・ 日、 ■︵ 弟 飯 入根 一 千朝廷 一 筑紫 還 来 之 、 間 神 宝 献 二 三 一 而 貢 上 。 既而 出 雲 振 根、 従 二 子鵬 濡 淳 一 付 三弟 甘 美 韓 日狭 与 二 、 懐 恨 な 、 有 殺 弟 之 志 。 働 欺 弟 日、 頃 者 、 於 二 止屋 、 。 猶 一 レ 経 年 既 二 レ 是 以 一 月 二 神宝 一 一 二 数 日当 待 。 何 恐之 乎 、 報 許 二 。 。 。 。 形似 一 。 木刀 一 一真 刀 一 当 時自 侃之 弟 侃 二真 刀 一 共 到 二 淵 多 生 妻 。 願 共 行 欲 見 。 則 随 レ兄而 往 之 先 レ是 兄霜 作 二 レ 一 レ 。 乃 兄先 上 レ陸 、 、 沐 二於 水 中 一 、置 二 、各解 二 。 弟従 二兄言 一 淵辺 一 侃刀 一 、 兄謂 弟 日、 淵 水 清 冷 。 願欲 一 共 滸沐 一 一 淵頭 一 レ 。 兄撃 二 。 共 相 撃 実。 弟 不 レ 而 殺之 。  2ホ神 紀 ︶ 弟 飯 入根 一 木刀 一 得 レ抜 二 自 侃。 後 弟 驚 取 二兄木 刀 一 弟真 刀 一 取二 った。 そ こで、 次 の垂 仁 天 皇 は再 び こ の神 宝 を 検 校 さ れ る こと にな っ こ の神 宝 は そ の後 長 い間 行 方 不 明 にな ってし ま. た。. 五. 分 明 申言 雖 検 校其 国 之 神 宝 一 無 三 使者於出雲国 日、屡遣 二 二 一 レ 物部十千年大連 一 廿六年秋 八月戊寅朔庚辰、 天皇勅 二 、而分明奏言之。 働令 レ掌 二 垂 仁紀 ︶ 也。 ︵ 。則十千根大連校二 神宝 一 、宜 二 神宝 一 。汝親行 二 検校定 一 十出雲 一 者一.

(6) δ5. 六. こ こ で先 ず 何 よ り も 注 意 し な け れ ば な ら な い こと は、 こ の事 件 が 始 め から終 り ま で、   一つの神 宝 を め ぐ って起 き て い る と いう こと であ る。 も っと い ってみ れ ば、 こ の神 宝 を 何 故 か朝 廷 が 執 拗 に要 求 し、 出 雲 氏族 は それ を 強 硬 に拒 否 し て いる と いう こと であ る。 神 宝 を容 易 に朝 廷 に手 渡 し た飯 入根 は 遂 に 兄 の手 にか か って殺 され る こと に な った り し て い る。 いさ さ か 理解 し か ね る よ う な こと が次 か ら 次 へと起 き て いる。. 出 雲 の服 従 と いう こと であ れ ば 、 そ こには当 然 武 力 的 な 戦 や、 それ に よ る服 従 と いう よう な こと が あ ってし か る べ き であ る。 こ こに は、 それ が 伝 説 的 な 形 で表 現 さ れ て いると みら れ な い こと もな い。 し かし、 よ し それ ら の こと が実 際 にあ った に せ よ、 こ こに み ら れ る のは、 ま ぎ れ も な く神 宝 を 取 った と か取 ら れ た と か いう こと だ け であ 。 る 神宝 そ. のも のか ら 離 れ る訳 に は ゆ か な い の であ る。 だ か ら 、 こ こ では、 古 代 氏族 にお け る神 宝 の意味 を 考 え てみ な け ば れ な ら な い の であ る。   一体 、 古 代 の氏 族 は、 祖 神 の象 徴 と し て、 玉 や剣 や鏡 のご と きも のを 神 宝 と し て持 って いた の で あ る。 す れ ば 、 呪 術 的 な戦 か ら し て、 これ ら の品 々を 奪 取 す る こと は相 手 の死命 を完 全 に制 す る こと に な り 、   一方 取 ら れ た側 は相 手 に絶 体 的 に服 従 せ さる を得 な い こと にな る。 だ か ら こそ、 朝 廷 は これ を 繰 返 し要 求 し 、 出 雲 振 根 は激 し く 拒 否 し 、 飯 入根 は氏族 の裏 切 り者 と し て殺 さ れ る はめ にな った の であ る。 つま り、 こ こは服従 の伝 説 的 表 現 な の で は な く、 これ こそ が ま さ に出 雲 氏 族 の服 従 そ のも のを 語 ってい る こと にな る の であ る。 それ は神 と 神 と の戦 を ま た別 な 角 度 か ら 語 って いる の であ る。. さ て、 こ こ で問 題 と な る のは、 実 際 に この神 宝 の検 校 にあ た った 人物 であ る。 崇 神 朝 では矢 田部 造 遠 祖 武 諸 隅 であ り 、 垂 仁 朝 では物 部 十 千根 大 連 であ る。 物 部 十 千 根 大 連 は、前 の石 上 神 宮 に蔵 め た剣 一千 口を管 理し た 人物 であ る。 一方 、 矢 田部 造 は新 撰 姓 氏 録 に よ れ ば ﹁ 矢 田部 連 伊 香 我色 乎命 之 後 也 ﹂ ︵ 左京 神 別 上︶ と あ って、 物 部 氏 の 一族 な の であ るc つま り 、 こ の事 件 に は そも そも のは じ め か ら終 り ま で物 部 氏 一族 のみ が関 与 し、 し かも 、 垂 仁 朝 に は誰 一人.

(7) 呪 6∠. 、 、 検 校 に成 功 し得 な か った のに、 十 千根 が 一度 派遣 さ れ る や美 事 に成 功 し たと いう こと 更 に は こ の神 宝 を朝 廷 では. な く、 当 の十 千 根 自 身 が管 理し た と いう こと は、 そ こに深 い意味 が あ るも のと み な けれ ば な ら な い。 こ の神 宝 検 校 と. 物 部 氏 と の間 に は何 か密 接 な関 係 があ るらし い。 、 そ こで考 え ら れ る こと は、 物 部 氏 は、⊆ つし た際 に、降 下 し た神 霊 を管 理し、 そ の呪 力 に よ って 相 手 の神 宝 に宿 っ 、 これ ら 一連 の事 実 の意. て いる呪 力 を 圧 え る、 と いう よ う な こと でも し た の では あ るま いか。 も し、 そう だ と す れ ば. 味 が は っき り し てく るし、 物 部 氏 と いう氏族 の名 前 にも ふさ わ し い こと にな る。 物 部 氏 の職 掌 の 一つに石 上 の鎮 魂 が. 而 布 瑠 部 。由 良 由 良 止 布 瑠 部 。 如 レ此 為 レ之 弦十 宝 嘉F 一二 三 四 五六 七 八九十 一 若有 二 痛処 一 者 。令 二 あ る。 旧事 本紀 に ﹁. 天神 本 紀 ︶ と あ る よう に、 死 せ る人を 呪 術 に よ って復 活 さ せ ると いう 者 。 死 人 返生 央 。 是 則 所 塩嗣布 瑠 之言 本 夫 ピ ︵. のだ か ら、 言 ってみ れ ば 、 人 間 の生命 そ のも のに関 す る職 に携 わ っていた こと にな る。 これ を も っと広 く拡 げ て軍事. の面 にも って行 ってみれ ば 、 物 部 氏 は本来戦 闘 そ のも の に参 加 す る の ではな く、 ︱ 後 に は そ のよ う な こと にな った の. だ が、 ︱ そ の管 理 せ る強 力 な 呪 力 を 駆 使 す る こと に よ って、 相 手 の神 宝 の呪力 を除 いた り 、 押 え た り 、 破 ったり し. 、 て、 そ の氏族 の生 命 そ のも のを 制 す る ことを 使 命 と し た と み る べき ではな いだ ろ う か。 こ の場 合 で いえ ば 出 雲 の神. 宝 に こも る呪 力 を 圧 伏 す る こと に よ って出 雲 氏族 を 帰 伏 さ せ、 それ を自 ら が管 理す る こと に よ ってそ の呪 力 を常 に押 え、 出 雲 氏 族 の議 動 を未 然 に防 ぐ と いう よう な こと を し た の であ ろ う。. し かし、 呪 力 と い っても 、 それ が宿 るも のは、 鏡 や玉 や剣 な ど さ まざ ま であ る。 物 部 氏 は それ ら のう ち 主 と し てど. れ を 取 り扱 って いた の であ ろ う か。物 部 氏 が武 士 であ り 、 石 上 神 宮 に多 く の武 器 が蔵 さ れ て いると ころ か ら すれ ば、. こ の際 剣 と し て置 く のが穏 当 な と ころ であ ろ う 。 つま り 、物 部 氏 は、 剣 に神 霊 を 降 下 さ せ、 そ の呪 力 に よ って相手 を. 屈 服 さ せ る こと を 、 そ の本 来 の職 掌 と し ていた の であ ろ う。 神武 記を み ると、 高 倉 下 が献 上 し た 剣 が 石 上 神 宮 に あ. 七.

(8) 63. 彦 守 屋 俊. 八. り 、 それ が佐 士 布 都 神 、 甕 都 神 、 布 都 御 魂 な ど と いわ れ て いた と あ る。 これ ら の名前 に共 通 し ている フ ツは神 霊、 ま. た は神 霊 の降 下 を 意 味 し て いる。 す れ ば 、 こ の こと か ら も 、 こう し た こと は いえ そう であ る。 と いう こと になれ ば、. そ の対 象 も ま た主 と し て相 手 方 の剣 にあ ったと す べき であ ろ う 。 戦 の際相手 の氏族 も 剣 に こも る呪 力 に よ って立 ち向. ってき た筈 であ る。 そ の呪力 を打 ち破 る の であ る。 だ か ら、 服 従 し た氏族 の剣 が、 朝 廷 に では な く、 当 の石 上神官 に. あ り 、 物 部 氏 が管 理 し て いた と いう のは、 考 え てみれ ば 、 ま こと に当 然 な ことな の であ った。 服従 し た 氏族 の議 動 を. 未 然 に防 ぐ ため に は、 朝 廷 の側 の呪 力 の宿 る剣 と 同 居 せ し め る こと に よ って、常 に相 手 側 の呪 力 の発動 を押 え る必 要. が あ った か ら であ る。 こう し て、 石 上 神 宮 には、 朝 廷 の側 の剣 は勿 論 の こと、 朝 廷 に服 従 し た氏族 の剣 が収 め ら れ、 従 って、 多 く の剣 が 蔵 せら れ る こと にな った の であ る。 釈 日本紀 に. 私 記 日。 問 。 大 己 貴 神 日。 吾 以 二 何処 ■咲。 卒有 レ治 レ功 。 天孫 若 用 二 此矛 一 治レ 国者 。 必 当 平安 云 々。 此 矛今 在 二 此矛 一. 。 此 矛 有 二治 国 之 名 。 己 奉 献 天孫 一 。定伝二 答 。 雖 レ為 ■ 一 種 宝物之外 一 之 後葉 一 敦 。 然 而 所在 不詳c 但 如 レ此 神 器。 一 レ レ 二 。若 今 彼 神 宮 敦 。 ︵ 上 古多納 二 石上 神宮 一 述 義 四︶. と あ る のは、 こ の間 の事 情 を よ く 説 明 し て いるも の であ る。 更 には、 垂仁紀 八十 八年 の条 にも 、 これ を 裏 付 け るよう. な 話 があ る。 こ の天 皇 は、 出 雲 の神 宝 ば か り でな く 、 但 馬 の天 日槍 が将 来 った神宝 を も 要 求 さ れ て いる。 そ の時、 清. 彦 が献 上 し た 玉、 鏡 、 刀等 は、 ﹁ 皆 蔵二 於 神 府 L﹂と あ る。 こ こ の神 府 が石上 神官 の神庫 の こと であ ると す れ ば、 こ の 話 か ら も こう し た こと が う か が わ れ る の であ る。. 物 部 氏 は具 体 的 に は こ のよ う な 職 掌 に よ って朝 廷 に奉 仕 し て いた の であろ う。 そし て、 それ は、 物 部 氏 と いう氏族. 名 の示 す通 り に、 こ の氏族 がも と も と か ら保 持 し て いたも の であ り、 し かも 、 それ が他 の氏 族 のそれ に比 べてき わだ. ったも のだ った た め に、 服 従 後 は それ に よ って朝 廷 に奉 仕 す る こと に な った のであ ろ う。 それ は、 あ た かも 出 雲 氏族.

(9) 呪 貪」. が 巫 医 的 な性 格 が強 く、 そう し た面から 朝 廷 に奉 仕 し ていた関 係 にも 似 て いる の であ る。 と ころ が、 こ のよう な 呪的. 世 界 が衰 退 す る に つれ て、 物 部 氏 は呪術 的 戦 士 か ら武 士 へと 面変 り し、 呪力 の象 徴 た る剣 も 単 な る武 器 と な り、 そう. し た と ころ か ら、 石 上 神 官 は多 く の武 器 を 蔵 す る こと にな り 、 あ た かも武 器庫 のご と き 観 を 呈 す る に至 った の であ ろ. う。 そし て、 物 部 氏 の持 って いた呪的 な も のは、 鎮 魂 祭 と いう 個 人 の生 命 に関 す る宗 教 儀 礼 と し て残 る こと にな った. の では あ る ま いか。 何 れ に し ても 、武 器庫 にな る には、 な るだ け の素 地 があ った の であ る。. 三. 物 部 氏 の職 掌 が本 来 こ のよ う なも の であ った と す れ ば、 古 代 の氏族 のあ り 方 と し て、 当 然 それ に関連 し た神 話 を持. って い た筈 であ る。 そし てま た、物部 氏 が朝 廷 に服 従 し、 そ こ で の有 力 な官 僚 にな って いた のだ から、 それ ら の神 話. が 記紀 の中 に取 り 入れ ら れ て いるだろ う と いう こと は十 分 に予 想 さ れ ると ころ であ る。. そ こ でま ず 思 い つか れ る のは、 出雲 平 定 神 話 の条 であ る。 こ の神 話 には、 あ の出 雲 神 宝 検 校事 件 が投 影 され て いる. と いわ れ て い る。 し か る に、 今 述 べた よ う に、 物 部 氏 は こ の事 件 の解 決 にき わ め て重 要 な役割 を 果 し て い る 。 す れ. ば、 こ の条 の何処 か に こ の氏族 の神話 が埋 没 し て いるも のと みら れ るから であ る。 そ こ で、 剣 を 一応 の目安 にし て探 し てみ る と 、 建 御 雷 神 が 伊 那佐 の小浜 に降 り て い ると ころ が あ る。古 事 記 に. 、 欧 坐 其 剣前 一 、 間 ■︵ 、 逆刺 二 是 以 此 二神 、 降 二 而 、 押劃確 亨 抜 二 十掬剣 一 立干浪 穂 一 到出 雲 国 伊 那佐 之小 浜 一 二 一 大 国主. 神 二面、 天 照大 御 神 、 高 木 神 之 命 以、 間 使 之 。 汝 之 宇志 波 郡流 蹴算瞥 葦 原中 国者 、 我 御 子之 所 レ知国、 言 依 賜。 故、 汝 心奈 何 。. 九.

(10) δヱ. 屋 俊 彦 守. 一〇. と あ る。 建 御 雷 神 が十 掬 剣 の切 っ先 に坐 し、 大 国 主 神 を 畔 呪 し て いる姿 はま さ に剣 の呪力 を神 話 的 に表 現 し たも のと. いえ よ う 。 こ の時 大 国 主 神 は、 こ の国譲 り に つい て の返答 を 八代 言 代 主 神と 建 御 名 方 神 に譲 った と あ る。 こ の二神 は. 大 国主 神 の呪 的 な側 面 と、 武 的 な それ を夫 々 に象 徴 し たも の であ る。 だ から、 こ の二神 を 一つに組 み合 わ せ て み れ. す れ ば、これ に立 ち 0 収の姿 勢 が み ら れ る 。 ば、 それ は 呪 術 的 な 武 力 と いう こと にな ろ う 。 こ こには 呪術 的 な も のによつ. 向 う高 天 原 ︱ 大 和朝 廷︱ の側 も 当 然 そう し たも のに よ って鎧 わ れ て いな けれ ば な ら な い。 それ が こ の建御雷 神 の異常. な姿 であ る。 従 って、 そ こに は こう し た 呪 力 を 扱 って いた物 部 氏 の活 動 が考 え ら れ な けれ ば なら な い。神 武 記 によ れ. ば、熊 野 平 定 の際 、 建 御 雷 神 は こ の剣 を自 己 の身 代 り と し て降 し、 それ が今 ほか な ら ぬ石 上神 宮 に坐 す、 と あ る のだ. か ら、 こ こ に剣 の呪 力 を 管 理 し た物 部 氏 の神 話 が 入 って いるも のと み て置 い てま ず 間 違 あ るま い。 天菩 比神 や天若 日. 子 によ って呆 さ れ な か った出 雲 の国譲 り が、 こ の建 御雷 神 の活 動 によ って決 定 的 と な った と す る筋 は、 誰 によ っても. 分 明 でな か った出 雲 神 宝 の検 校 が、 物 部 十 千 根 大 連 によ って美 事 に果 されたと す る それ と ま さ に軌 を 一にす るも の で あ る。. この剣 は、 今 述 べた よ う に、 こ の後神 武 東 征 の際 熊 野 の高 倉 下 の家 に降 って いる。 す れ ば こ こにも 物 部 氏 の神 話 が 入 って い るも のと み てよ いだ ろ う 。. 、 罷¨ 野村 フ一 時 、 大 熊 髪 出 入即失 。 雨 神 倭 伊 波 礼 昆古 命 、 候忽 為 一 故、 神 倭 伊 波 礼 毘古 命 、 従 一 ■︵ 廻幸 、 到 一 地一 遠延 一 一. 及御 軍 皆 遠 延 而 伏 。 囃響 写 此 時 、 熊 野 之 高 倉 下、 就7 費 ■ 横 刀 、到 於 天神 御 子 之 伏 地 而 献 之 時 、 天神 御 子 即 籍 一 二 一 レ 。 。 故、 、 卜一 。 、  其 熊 野山 之 荒 神 、 自 皆 為 二切 ︱ 起 、 詔 二長寝 乎 一  受 二取 共横 刀 一之 時 、 ′ 雨 其 惑 伏 御 軍 悉 籍起 之 故 天. 神 御 子 、 間 下獲 ・ ■︵ 横刀一 之 所 山 上、 高 倉 下 答 日、 己夢 云 、 天 照 大 神 、 高 木神 、 二柱 神 之 命 以、 召 二 建 御雷 神 一 而 詔、 葦. 峰我 御 子 等、 不 平坐 良 志 。勢 手 上︵ 葦 原中 国者 、 専 汝 所 二面向 一 原中 国 者 、 伊 多 玖 佐 夜 芸 帝 阿 理那 理。 蹴針﹂ 之 国。 故 、.

(11) 呪. 貪J 6θ. 亦 。織剤瀞 鷺磋 誰酬﹁一 汝 建 御 雷神 可 レ降 。 商 答 日、 僕 雖 レ不レ降 、 専 有 下平 ・ ■︵ 国一 之横 刀上、 可 レ降 毛疋刀 一 勢雄 ビ機屯 哺 一. 、 自 其 堕 入。 故 、 阿佐 米余 玖 拍‰ 訂﹁汝 収持 献 天神 御 子﹁故 、 如 二 降二 夢教 一 而、 旦 此刀一 状 者 、 穿 暮同倉 下之 倉 頂 一 二 レ 。 故 、 以 L疋横 刀 一 而献 耳 。 ︵ 見 二己倉 一 者 、 信有 二 横刀一 神 武 記︶. 剣 が降 ったと いう のは、 そ の呪 力 の降 臨 を意味 す る の であ る。 こ こには 剣 の呪 力 降 下 の宗 教 儀 礼 が物 語 的 に述 べら れ. て いるら し い。 こ の剣 の出 現 に よ って ﹁ 惑 伏 ﹂ て いた神武 天皇 と そ の軍 隊 は、 そ の深 い眠 り から覚 め 、 荒 ぶ る神 々を. 言 向 け た と いう 。 これ は相 手 の呪 力 によ って押 さ れ ていたも のが、 こ の剣 の強 力 な 呪力 によ って、 これ を 跳 ね 返 し、. 遂 には圧 伏 し た こと を 語 るも のな の であ ろ う。 つま り、 こ こには、 剣 の呪 力 を 迎 え る儀 礼 と、 そ の発動 の効 果 と が述. べら れ て いる こと にな る。 剣 の呪 力 に関 す る こと であ り、 そ の剣 が 現 に石 上 神 宮 にあ ると いう のだ か ら、 これ ら の神. 話 を 伝 承 し て いた のは物 部 氏 であ ったと す べき であ ろ う。 こ こで 一つの興 味 あ る こと は、 この剣 の降 った 場 所 で あ. る。 倉 の中と な って いる。神武 紀 にも ﹁開 レ 庫 視 之 、果有 二 落 剣 ﹁﹂ と あ る。 し かも 、 こ の家 の主 人 の名 が高 倉 下 と あ. る と ころ から す る と、 相 当 に高 い倉 であ ったら し い。 と ころ で、 垂 仁 紀 八十 七 年 の条 を み ると、 石 上 神 宮 に蔵 め ら れ. た 剣 は 天神 庫 に入 れ ら れ、 し かも 、 こ の庫 は ﹁ 神 庫 ■肝 梯 。 ﹂と あ る よう に高 いも の であ った。 こ 神 庫 雖 暑同、 我能 為 二. のよ う な 類 似 し た点 が みら れ る と ころ か ら し ても 、 こ こに物 部 氏 の神 話 が 入 って いるも のと み て置 い てよ いだ ろ う。.  つい でに いえば 、 こ の 剣 の 出 現 天孫 本紀︶ では、 こ 2 面倉 下 は物 部 氏 の遠祖 と な って いる。 なお、 現 に旧事 本紀 ︵. が、 神武 東 征 の際 、 戦 局転 換 の契 機 にな っている ことも、 出 雲 平定 神 話 や出 雲 神 宝 検 校事 件 の場 合 と 似 か よ って い る。 ただ し、 こ こには宗 教 儀 礼 が これ ら の場 合 より か 一層具 体 的 に描 か れ て いる。. さ て、 こ の神 話 は神 武紀 にも 載 って いる。 そ こ で、 記 と比 べてみ ると 、 そ の大 筋 にお い ては殆 ど変 り は な いが、 ど. ち ら か と いえ ば 、 紀 の方 が整 って居 り、 細 部 にお い てや や詳 し いよ う に思 わ れ る。紀 では武 甕 雷 神 は 天 照 大 神 の言 葉. 〓.

(12) 59. 彦 守 屋 俊. 一二. 。 、 則 国 将 自 平臭 。 師霊 一 行 、 而 下 二予 平 レ国 之 剣 一 ﹂と 答 え、 そ の後 で更 に高 倉 下 に﹁予 剣 号 日 一 雖 二予 不 プ に対 し てま ず ﹁ 一. 。宜 取而 献 二 汝庫裏 一 之 天孫 孔﹂と命 令 を 下 し てい る。 と ころ が、 記 では こ の二 つの 言葉 が 一つづき 鰤幅耐数璧 込 今 当 置 二. にな って い て、 ど の部 分 が 天照 大 神 への答 であ り 、 ど こか ら が高倉 下 への命 令 な のか は っき り し な い。 そ こに幾 ら か. 而 落之 。 唯 々一 ﹂と あ る。 そ こには神 と 人と の応 答 の呼 吸 が感 じら 高 倉 日二 混 乱 が み ら れ る。 こ の命 令 に対 し て紀 では ﹁. れ る のだ が、 それ は 剣 に宿 る呪 力 を 迎 え るため の宗 教 儀 礼 の 一つの所 作 では な か った か と 思 われ る。 ま た、 高 倉 下 の 於 庫 底 板 L﹂と あ って、 そ の状 況 が 記 よ り か は 倒立二 倉 の中 に剣 が 見 出 さ れ る場 面 であ る が 、 そ こ のと ころ が紀 では ﹁. っき り と 描 か れ て い る。 つまり 、紀 の方 が宗 教 儀 礼 を や や詳 しく伝 え て いる こと にな る。. 記︶ の構 成 には物 部 伝 承 が相 当 大 幅 と ころ で、 神 武 紀 ︵ 記︶ には物 部 氏 の降 臨 神 話 も あ る。 し てみ ると 、 神武 紀 ︵. に群 れ を な し て塗 り こめ ら れ て いるも のと み ら れ る の であ る。 それ にし ても 、 出 雲 平定 や神武東 征 の条 な ど、 記紀 に. お い てき わめ て重 要 な場 面 に物 部 伝 承 が み ら れ ると いう こと は、 そ こに物 部 氏 の強 大 さ を十 分 にう か が う こと が出 来. る の であ る。 た だ し 、 こ こ で 一寸 述 べて置 か な け れ ば な ら な い こと は、 高 倉 下 が そ の剣 を神武 天皇 に献 って いる と い. う こと であ る。 物 部 氏 の本 来 の職 掌 か ら す れ ば、 高 倉 下自 身 が この剣 の呪力 を操 って敵 を 圧倒 し たと あ り た き と ころ. であ る。 こ の剣 は物 部 氏 にと っては、 き わめ て重 要 な も の であ る筈 であ る。 いわ ば、 こ の氏族 の生 命 にか か わ るも の. な の であ る。 それ を 天皇 に献 上 し た と あ ると ころ には、 物 部 氏 の朝 廷 への服 従 や忠 誠 の姿 勢 を み る べき であ ろ う 。 つ. ま り 、 こ こに は物 部 氏 の職 掌 に つい て の神話 が みら れ る のだ が、 それ が や や歪 め ら れ た形 にな っている の であ る。 そ. れ は物 部 氏 の降 臨 神 話 が朝 廷 への忠 誠 の意 志 の表 白 と な って いる のと 同 じ よ う な 現象 であ る。. 誅二 物部兵士丹人﹁ D 雄略朝 に吉備下道臣前津屋が謀叛をした際にも、 ﹁ 天皇聞L疋語﹁ 遣二 雄略紀七 殺前津屋丼族七十人置 ︵ 年︶と物部氏が派遣されている。.

(13) 呪. の. 3)2〉. 大倉山論集﹂ 第 一輯 ︶ 三二四頁 森 田康之助博士 葛城 ・磯城 ・石上 ︵﹁. 井上実氏も ﹁この家もま た呪術を事とする神職 の家筋 であ った。 この頃 には神祇祭杞 の職能 は中臣氏 に移り、物部氏はす. でに武 人 の家と し て自他とも に許し ていたであ ろうが、し かし宇麻志麻治命以来 の相伝 の巫呪 の家 風は、保守的現状維持.  一朝 一夕 にし て忘れ去 る こと のでき るはず のも のではなか った。 的性格 が宗教的儀礼 の 一つの重要な面 であ って見れば、 武 い ゝかえれば、物部氏 の仏法拒否 の態度は呪 の家柄とし てむし ろ必然的なも のですらあ ったろう 。 ﹂︵旧事本紀 の成立 ﹁. 庫川学院女子大学紀要﹂第 一集七〇頁 ︶と言われ ている。 私 が今 それ に言及した排他性 は、その礼拝者 たち の族闘 や戦争 に際し W ・R ・スミ スは古代社会 は宗教的 であるとし、 ﹁. て、神 々によ ってとられ る役割 の中に、自然も っとも徹底 的な表現を見出す。神 の敵と、 そ の神 の 民 の敵と は 同 一で あ る。 と言 い、古代 の戦 には、その神 の象徴とし ての ﹁ ﹂ 神 の像或 は神 の記章 が、軍隊ととも に戦 場 に向 ふ﹂ ことを、 エホ バ. R 、 の顕現とし ての契約 の櫃などを例とし てあげ ている。 ︵ 細. 岩波文庫﹂前篇六 一頁 ︶この際参考 橋 も 年 請 セム族 の宗教 ﹁ となろう。 日本古典文学 大系   日本書 紀上  二五 一頁 頭注 一七. 宮地直 一博士 は、 この二 つの職掌 の関係 に ついて ﹁さり乍 ら両者 の間に本質的間隔を横 た へる のでなく、古神道 に於ける. も の であ り、 ﹁ 古代 文 学﹂第 八号 ﹁ 神武 紀 と物部 伝 承﹂ の つづき にあ た る。. 本 稿 は古 代文 学 会 第 百 回 記念 発表 会 にお い て ﹁ 物 部 伝 承 に つい て﹂ と 題 し て口頭 発表 し たも の の後 半 を 更 に補 訂し た. な 理由 が介 在し ている のかもわからな い。. 年 に 一度献 上 された筈 の出雲 の神宝がその後行方 不明 になり、出 雪 に帰 っていたと いう こと の背景 には、 これと同じよう. 日本古典文学 大系   日本書紀上  一一 七頁 頭注 四 も っとも、 この際 には、 その小 刀は ﹁ 昨夕、 刀子自然至二 於臣家置 と 清彦 の家 に再 び帰 っている。出石 の小 刀に宿る呪力が朝 廷 のそれよりか強か ったと いう こと に でもな ろうか。崇神紀六十. 呪術と武事と の連繋 による現象 に出発し、 その後時 を経 るまま に漸く分化を生ず るに至 ったも のと解す る のが妥当 ではあ るま いか。 ﹂︵上代史上 に於 ける石上神宮 ﹁ 神道論孜﹂ 第 一巻 一〇頁 ︶と述 べられ ている。. 6)5). σ                                                                     一一 二. 貪」.

(14)

参照

関連したドキュメント

読書試験の際には何れも陰性であった.而して

1|ひてた、公より禁中様御作事の時、国々のにんそくともつ

日露戦争は明治国家にとっても,日本資本主義にとってもきわめて貴重な

日本の生活習慣・伝統文化に触れ,日本語の理解を深める

その詳細については各報文に譲るとして、何と言っても最大の成果は、植物質の自然・人工遺

期におけ る義経の笈掛け松伝承(注2)との関係で解説している。同書及び社 伝よ れば在3)、 ①宇多須神社

Matsui 2006, Text D)が Ch/U 7214

経済学の祖アダム ・ スミス (一七二三〜一七九〇年) の学問体系は、 人間の本質 (良心 ・ 幸福 ・ 倫理など)