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伝統と伝承

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Academic year: 2021

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聞き手:平安女学院大学伝統文化研究センター所長 関根 秀治 2020 年 9 月 4 日 関根 大宗匠には、ご多端の中、お運びいただき、感謝申し上げます。当大学の伝統文 化研究センターでは、研究論文を中心にした『伝統文化』の創刊号を発刊するこ とになり、大宗匠には当大学の名誉学院長として、巻頭を飾っていただくことを ご快諾下さり、御礼申し上げます。 千 大変光栄です。 関根 こちらこそです。この冊子は研究者、学校茶道関係者のみならず、若い学生諸君 も読みます。今日は茶道を核としながら、97 歳になられた大宗匠の境涯と申しま しょうか、心の内をお聞かせ下されば、有難いことと思っています。 千 そのような趣旨で創刊されるのですね。それに、私のお話を載せていただくこと、 嬉しいことですね。

伝統と伝承

関根 初祖・千利休以来 500 年の伝統ある茶道を大宗匠には第十五代として引き継がれ ました。 千 今、関根先生が言われたように『伝統』ということですね。 関根 千 先生はおやめくださいますでしょうか(笑)。茶道の上でも、学問の上でも大宗匠 は恩師でいらっしゃいます。私の博士学位の審査員でもいらっしゃいますので。 伝統は英語で traditional、tradition と訳しますが、この伝統、これは歴史なので すよ。歴史は、ずっと伝統というものを踏まえて、そして、長い時間の中でいろ いろ起こったことどもを列記していく。これが歴史ですね。そして一番大事なこ とはその歴史の中で、いつ、どこで何が起こったか、そして、どのようなことど もが形づくられてきたか、ということですね。古い歴史書といえば、日本の国造 りから古代の国家の成り立ちが書かれた『古事記』がありますね。またそれを裏 裏千家前家元・平安女学院 名誉学院長 千 玄室

~インタビュー~

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関根 付けるために『日本書紀』ができました。この『古事記』と『日本書紀』が日本 の歴史と日本という国の始まりであっていいと思う。この『記紀』には、日本と いう国がどうやって生まれてきたか、またそれがどのように形づくられてきたか、 また、それが隣国とどのような交流をし、また、その中でどのような事象があっ たのか。そして、そこに住み生活する人たちのためにどのように形づけられてき たか。そういった事柄が書かれているのです。それによって、その当時の天皇が どのように統治をされたか、などが歴史的な事実として残ってきたのです。日本 の国が生まれてきた順序が、本当に明確に、いろいろな歴史事実として語られて います。しかしながら、その中で大事なものはその歴史の中で、いろいろな言葉 や形がつくられ、そして、民の生活文化やさまざまな文化というものが起こり、 そして、それらがいろいろと創意工夫が凝らされ、そして守られていく。この創 意工夫をされたものを受け継いでいくということが『伝承』なのです。英語でい うと transmission ですね。伝統と伝承は、本当は切っても切れない関係なのです。 しかし、何か言うとすぐに traditional、history、というようなことをいうのです。 だけど、一番大事なのは伝承なのですよ。それを受け継いできた、continuity、い わゆる、途切れていくことなく、それが繋がれてきたものを受けついでいくのが 伝承です。 大宗匠は十五代として伝承された茶道の奥義を次代に伝える重要なお役目を担わ れ、十六代お家元もまた、次代へと。日本文化のために大切なお家でございます ね。ただ、昨今、伝承という言葉を聞くことが少なくなったように思います。新 しい事柄を追い求めすぎている傾向にあります。伝統、伝承は大切なことですのに。

中国のお茶―茶経と禅の意義―

千 その辺から問題を考えていただくと日本では、奈良朝時代に仏教が渡来して、隣 国の影響を非常に大きく受けるのです。そして、またそれと同時に仏教以外に孔 子の『儒教』。そして、孔子の儒教に対して新しいひとつの見方、思想である『道 教』も入ってくる。古代の中国は仏教と儒教と道教、この三教によって国ができ あがったのです。そして、諸国の興亡やいろいろ政変を繰り返しました。しかし、 そんな中でも民がずっと生活し続ける。中国という特殊な国と民が、いろいろな 創意工夫をし続けたおかげで、さまざまな文化が生まれたのです。お茶もそうで すね。このお茶を飲むという文化は、飲料という意味でとらえるのではなくて、 中国では薬用としてとらえていました。昔の医学は一夕一朝には発展しませんか ら、長い年月をかけて、草やそこに自然になっている物、鉱物などを試しに服用 してみて、それで、おなかの調子が良くなったとか、あるいはそれで傷が治った とか。そうして、薬草が人間生活にとって食と同じような扱いになって大事にな ってくるのです。中国ではいち早くそういう食と同時に薬というものが生活と一

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関根 千 緒に伴ってくる。医食同源ですね。その薬草の中の一つとしてお茶というものが、 とても古い時代から取り上げられてきたのです。すでに漢の時代にお茶は飲まれ ているのです。それが、学術的な裏付けをもった薬用として表れてくるものが唐 の時代です。660 年代に陸羽が「茶経」を著します。私は、この茶経と日本の「喫 茶養生記」とを併せて研究し、博士論文を書き、博士学位をとったのですよ。 その論文は『茶経と我が国茶道の歴史的意義』。勉強させていただきました。内容 的にも量的にも分厚いものでした。茶経の本場である中国で高い評価がございま すね。 いろいろな意味で、茶経は、お茶のベーシックな基礎学といってもいい。お茶を 中心にしたひとつの姿、そして、それをどのような形でつないでいくかを示した ものです。この茶経を著した陸羽は、茶聖と呼ばれました。この茶経のおかげで 皇帝や高官、文人墨客が、お茶を飲み嗜むようになる。インドで興った仏教の中 でも、特別な存在の禅宗が唐代の前、隋の時代の中国にもたらされる。この禅宗 を伝えたのが、達磨大師です。そして、この達磨大師は禅宗というものはとにか く座禅をしろと。ただひたすらに座れ、只管打坐ですね。達磨は面壁八年の修行 をしたという。壁に向かってずっと座り続ける。「己を無にしろ」と。そして、疲 れたその時にお茶を飲む。このようなお茶が、禅と一緒に栄えてくるのですね。 茶の発音は、今は「ちゃ」と言っていますが、禅宗が入ってきてからは「さ」と 発音しますね。「ちゃ」であっても「さ」でも、どちらも同じ意味です。 唐の時代には、お茶に関するいろいろなお話がたくさんありますね。例えば、陸 羽が茶経を書いて以来、蘇東坡にしても李太白(李白)にしても詩人たちが皆お茶 を中心にした詩を書いています。薬用と同時に安心(あんじん)にする作用もあ ったからです。宋の時代に入ってくると、お茶の他に酒にかかわる詩が貴族階級 にずいぶん多くなります。そうしたことから茶と酒という関係も生まれてくる。 禅宗との関係で儒教の中国でお茶を飲むということが興ってきたのですが、これ は、陸羽が書きましたように仙薬『メディカルバリュー』、医学的な意味で非常に 身体のために良いとして煎じてお茶を飲んでいます。唐の末になると抹茶も作ら れてくる。でも、多くは団茶です。交易のためにシルクロードを旅するキャラバ ン隊がお茶を固めた団茶を道中で削って飲料とする。水が悪いですから、それを 沸騰させて、団茶を削って喉の渇きを癒したのと同時に健康に良いお茶の影響が あったればこそ、あの途方もない距離をトルコを経て西欧にたどりつけたのです。 日本での茶の記述の初見は『日本後紀』です。特に聖武天皇にはじまった季御読 経(きのみどきょう)の折に、「引茶」としての記録が残っています。平安京時代の 嵯峨天皇の時代にも多くの記述が見られます。わが国でも古代から茶が飲まれて いたのです。

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茶家と武家の千家

関根 栄西禅師が茶の種を持って帰国されてから、茶園が拡がり、飲茶の風習が拡がり ました。御公家さんであるとか武家階級だとか、僧侶とかという上層階級だけで はなくて、一般の庶民までお茶を飲み、現在も利休居士以来、抹茶の文化が 500 年以上続いて、日本人の多くの方が愛好している。それは一体どういうところに 大きな要因があるのでしょう。 千 鎌倉時代になって武家が中心の世の中になる。武家は、いつどこで死ぬかわから ない状態におかれている。そうしたことから、禅宗に帰依する武家が非常に多く なったのです。武家と禅宗との結びつきですね。禅宗では必ず『喫茶去』(まあ一 服のお茶を召し上がれ)、ということで、鎌倉時代から室町時代にかけて、武家と お茶が一体化した。そして、武士道がとなえられるようになり、武士の出処進退、 規矩作法(きくさほう)そういうものがやかましく言われるようになった。そこ で『茶の道』すなわち『茶道』が自然と必要になってきて、ますます茶道と武士 道が一体化としていく。そうした中で、室町の末期に利休様が現れて『茶の湯』 というのを『茶の道』にしたのです。室町時代すでに荷茶屋などが現れ、一般庶 民は、一服一銭のお茶を飲むようになる。だけど、はじめは、抹茶などの高貴で 高価なものは武家社会をはじめとする上層階級しか用いられなかったですね。も ちろん利休様も里見家の血を引いた武家の人であったこと、特にお祖父さんが、 将軍足利義政の同朋衆、いわゆる文化担当の役人・千阿弥でありましたが、足利 が滅びて、堺に出て武家を捨てて、商人になった。その家に生まれたのが与四郎、 後の利休様です。与四郎は最初から茶人になるとは夢にも思っていなかった。歌 の道とか、当時の教養として高い位置にあった華道、茶道、香道というものを身 につけようと京都にのぼって、教養を身につけていく。ところがだんだんお茶に のめりこんでくるのです。そして、当時、茶人として高名であった武野紹鷗は利 休様の茶の湯に対する非凡な才能を見ることになるのです。その頃に与四郎から 宗易と改めて、19 才の時にお茶会にデビューしている。その頃の堺は三好家の直 轄領で自治都市であり、自由貿易の町でありました。非常に裕福な町衆が多かっ たのです。その中でも千家をはじめとする納屋衆は堺のすべてにわたり、中心的 役割を担っていたのです。それに目を付けたのは信長ですよ。この裕福な堺を自 分の手の内に治めようとする。それまでに、今井宗久とか、津田宗及とか、先輩 の茶を嗜む豪商達が信長と結びついた。ところが、利休様はぐんぐんと裁量を伸 ばして、ついに信長の筆頭の茶頭になっていく。いわゆる信長に仕え、それから 秀吉に仕え、千家を祖先の武家・里見家を再興すると同時に茶家としても仕える という夢を利休様は叶えたのです。 関根 今、茶家と武家というお話が出ましたけれど。利休様は領地もいただかれていた

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のですか。 千 利休様の領地が泉州の和泉の辺りなのですね。3000 石をいただいたとあります。 千家は一子相伝ですからね。三千家では家元を継承する長男しか『千』姓を継げ ません。継がない子どもは三千家とも和泉の国に因んだ姓を興します。私の次男 も和泉に因んで伊住(イズミ)と改姓しました。実は、千家の前姓は田中なので す。里見が北条に滅ぼされて、里見家が里見と田中にわかれたのです。利休様の 祖先、我々の祖先が里見家の田中なのです。ところが、利休様が長次郎を秀吉に 紹介する時に名前がないといけないということで、自分の田中の名前を楽にあげ るのです。楽長次郎の前姓は田中長次郎です。そこで、自分は千阿弥の千を名乗 ったのです。

茶道と平和

千 能阿弥や相阿弥は他の同朋衆と一緒に「君台観左右帳記(く んだいかんそうちょうき)」、お飾り記を作ったのです。今 でいう文化担当官でしょうか。だから、利休様には、そう いう血が流れているので、武家と同時にいろいろな才覚が あったのです。興味深いのは、松平不昧公が、自分がお茶 を学ぶ時に千家のお茶をするか、それとも自分が独立して お茶をやろうかということで問答している。その中に、面 白い事実があるのです。ある男と話をし、その男から「千 家はいかがですか。千家も利休という偉大な人によって茶道がここまで大きく育 って文化になった」と。不昧公が言うには「わたしはそれを非常に迎合している けれども、習うとなるとどうも今は三千家ができていて、どこの千家でもちょっ と具合がわるい。そこでじゃ。他のところと言ったって、織部を習うわけにはい かんし、そこで今考えとるんだ」と。いろんな話から、お茶頭であるのに、なん で利休様が切腹を命ぜられたのかに及び、不昧公が言われるには「千家は武家な んだよ。千利休は秀吉の軍師だ」と。軍師であることは大友宗麟の書でもわかり ます。当時秀吉は、「内々のことは利休めに、外(公)のことは秀長に」と。秀長 は秀吉の弟です。このように、すでに利休様は秀吉の側近中の側近だった。その ために、或時、怒りがいっぺんに火のついたように吹き出てしまったのでしょう。 恐らく切腹を命ぜなくてもいいのに切腹を命じてしまったのでしょう。ただ、そ こに一つの問題があったわけなのです。不昧公が切腹の原因を軍師とすることは、 非常に面白い見方だと思うのですね。それは朝鮮征伐をやめるように秀吉に箴言 したことだと考えられる。利休様は秀吉に再三、隣国・朝鮮を襲うことに強い懸 念を伝え、今の兵力で攻め入ったら負けるということを述べている。

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関根 神屋宗湛日記に興味深い記述があります。天正 15 年(1587 年)の正月でした。大坂城に大名を呼ぶのですね。秀吉自らが お茶を点てた。その中に一人だけ商人がいた。それが博多の 神屋宗湛。お茶の後、大名を全部外へ出して神屋宗湛だけを、 「神屋さん、こっちに来い」と。そして、自分の道具を見せ たりして大変な厚遇をしたらしいですね。その時にどうやら 朝鮮征伐のために博多に陣を張る軍資金を博多の神屋宗湛 などの豪商たちに出させようとする下心があったのですね。その後、天正 19 年 (1591 年)に利休様が自刃されました。秀吉は、その翌年(1592 年)に朝鮮侵攻を開 始するのです。ですから、結局は朝鮮征伐に利休様は軍師として反対をされてい たのではないのかという気がするのですね。 千 今でも韓国では、朝鮮を救った人というと、李将軍と利休様ですよ。今も KBS の テレビで放映されたように朝鮮を救った恩人という。 関根 千 自刃の原因に朝鮮征伐に反対された……。十分に考えられますね。 不昧公はじめ諸侯は、後世、朝鮮征伐を諫めた利休様の言われた通り、大敗したと。 そのようなことで、『利休は軍師だったと』と。利休様はオールマイティと言う人 もいらっしゃるのです。だから、不昧公は「偉い人を失ったもんや」と言ってい る。これは非常に面白い発見ですよ。ですから、時代歴史を書く上田秀人さん、 山本兼一さん、葉室麟さんや、伊藤淳さんが利休様のことを現代的に見て、書い ていますが、吉川英治先生は「利休様のことは、絶対書けない、とても筆がすす まない」と。それで書いた後は、妙な話ですが、亡くなっている。山本さんも葉 室さんもそう。葉室さんが亡くなる時、「利休様が切腹を命じられたのは、武家だ ったからだ」と。千家は武家であり、茶家である。明治までは禄高をいただいて おりました。昔、平民と士族とに分けられていました。戸籍を見ても、我々は士 族でした。一般の人は京都府平民と言われていたようです。

型に血が入って形となる

関根 利休様の教えに、「お茶は服の良きように」とあります。おいしいお茶を点てるた めに、利休様の時代は、そんな形が固まってないかもしれませんが、おいしいお 茶を差し上げるために、様々な工夫があり、だんだんと形が定まってきたように 思っているのですが、最近の若い方にとっては形が堅苦しいと思われがちですが、 形に大きな意味があると思うのですが……。 千 私がいつも言うのは、型と形がある。日舞を見ていても、『ちょっとは真似できる かなぁ』と思ってしまいますね。あるいはプロでなくても、野球など、たくさん のスポーツがあり、それが好きでアマで楽しんでいる。しかし、大概の人はプロ にはなかなかなれませんよ。昔からよく言われてきたのは、一番下手な玄人と一

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番上手な素人と比べたら、やっぱり一番下手な玄人のほうが上だと。それは何故 かというと、それにくらいついて、そこに一所懸命である自分がその中に入って しまっている。入っているからこそ、型が形になる。素人がいくら頑張っても型 だけなのですね。パターン、パフォーマンスです。玄人は違う。その型に自分の 血を入れるわけだから。心血を注ぐという言葉はここから生まれているのですよ。 鍛えて鍛えてきたとしても、プロになった者とは違う。プロの鍛え方とは、血が 出るほどの覚悟でなければならないし、そうしなければ一流の選手、アスリート にはなかなかなれません。私は、馬術をしているが、オリンピックに出場しよう とするならば、毎日毎日を馬と一緒に過ごし、馬と己が一体感にならなければ絶 対駄目。馬と自分が別々だと駄目。アスリートとの一体感、これが大事だ。素人 が観戦して『勝っちゃった』『負けちゃった』と。これはこれでいい。でも、玄人 は勝ち負けよりも、まずは己のベストを尽くすことが何よりも大事です。野球で も踊りでも、みんなそうですよ。芸妓の話を聞くと、「お客さんの前に出て、一差 し舞ったら、もうクタクタでございますよ。お客さんの前では言いませんが、陰 で言うのですよ」と。芸妓も舞妓も一差しの後、平気な顔をしているように見え るけれども、単に体を動かして舞っているわけではない。お客さんに見ていただ くと同時に自分というものを修練している。 関根 今から三十年も前の話です。松山の愛媛県県民文化会館の出来事です。3000 人収 容の会場が全部埋まっていました。大宗匠が舞台の上でお点前をされた。私は 4 層の一番上に行ってみたのです。大宗匠のお点前の姿が谷底だと思うほどに小さ く見えました。手の動きも確認しにくいほどでした。ところが、3000 人の会場が 水をうったように静かで、しかも大宗匠のそのお姿に集中している。その時に私 は、「このことは大変なことなんだなぁ。やはり心がないと形がならないのだ」と。 形だけだと、誰も注目しないと思うんですね。あの谷底のような舞台上で、大宗 匠の姿があんなにこんな小さいのに、みんなが大宗匠の心をそこに見た、感じ取 ったんじゃないか、と驚きに似たものを覚えました。 千 若い頃、まだまだ未熟な頃は、見せようと思っていた。でもね、約 2 年間の海軍 での体験が幸いした。私は海軍の航空隊でした。飛行機です。戦争ですよ。戦闘 のための訓練です。上官からは普通一年半かかる訓練を「貴様らには時間がない。 10 か月で身につけるように」と。殴られ、蹴飛ばされながらの飛行訓練だった。 操縦桿をにぎり、前には計器盤、ヨーソロ、ヨーソローと操縦している。上官か らは、「敵機の後ろへ、反転だ……」と。操縦桿の使い方の凄いこと、すさまじい 戦闘訓練でした。そんなある日、すう―と、「これ、お茶の点前と一緒だ」と思い ました。「あっ、これなんだ」とそんな気持ちになったのです。それか“コツ”なん でしょうね。「ここで死んでもいい」。それから飛行が怖くなくなったのです。 僕は、若い時から馬術をしていました。障害を飛び越える時、馬を追い込み、馬

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と一体となる。飛行機も馬も一緒ですね。無我夢中からすう―と素直になれる。 お点前も大舞台であっても、どんなところであっても点前がすう―と素直にできる。 関根 お茶の心と形がすべてに通じるのですね。 千 僕は柔の道にも入りました。剣の道でも同じでね。相手にすきを見せるような見 せないような構え、正眼にかまえて、相手がきた時にバンと打ち返えすぐらいの ものがないと駄目。反動、リアクション。なんでも道に達する人はリアクション が早くなかったら駄目。それは目なのです。心の眼。これが心眼、心眼が開ける というのはなかなかですね。僕は 80 歳ぐらいに心眼ができたかなぁ。それまでは とてつもない。不完全だった。いつも自分で今日は何点だった、78 点とか、自分 で点数をつけるのです。自分で満足した点前は全然なかったね。

日本人の心と姿

関根 大宗匠は今年 97 歳になられ、大変ご壮健でいらっしゃいます。道の奥にある心、 高い精神性も健康の大きな要因のように思っています。 千 僕と同じ年で、尊敬する台湾の李登輝元総統がお亡くなりになりました。その李 登輝さんに二度、お茶を差上げたことがあります。あの方は京都大学農学部にお られ、その頃、我が家の前をよく通られ、「あっ、これがお茶の家元の門かと思っ て、いつも立ち止まって見ていたんよ」と。その李登輝さんは「日本人は日本人 らしくなれ」と言われていました。日本人はアメリカ人にも、中国人にもなった らいけない。日本人は日本人。ロータリーの若い人たちが李登輝さんとお会いし た時、李登輝さんは、そのロータリアンに「あなた方は日本人か。今の日本人は 日本人と違う。半分はアメリカ人になっている。畳の上できちんと座ってお辞儀 ができますか」と。あの方は凄い方です。僕はその時、日本の政治家にも見習っ てほしいと思ったことでした。結局、李登輝さんが言われるのは、「日本は優れた 国だったのに戦後、間違った道を歩んだことは残念だ。日本の今の若い人のすべ てがそうであるわけではないが、ちょっと中途半端かなぁ。親も十分に躾もしな いし、ふわ~としている感じもする」と。 関根 現代社会はよく自由とか個性とかと言いますが、本当の自由や個性ではなくて、 “気まま”なところがあります。 千 中国や韓国の若者は目が違う。韓国は儒教の国です。それに韓国には徴兵制があ り、若い人々に良い刺激となっているように思う。中国は体制の中ですが、すご く縛られているように見えても、もともと頭のよい民族の上に、多くの研究所を 設立し、日本の数倍に上がる研究成果があり、十分な資金をつぎこみ、研究者を 育てています。日本は遅れていますね。日本も頭脳的にも、才能的にも世界に冠 たる人材の育成をすべきですね。もっと政府が大学だけではなくて、人材養成の 仕組みを作らないといけない。僕は、そういう意味で平安女学院大学は社会で役

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立つ学問と教育だけではなく、全人的な人材養成の大学であって欲しいですね。 『卒業後は就職して、いいお婿さんでも見つけて家庭に入ればいい』そういう考 え方だけで終わるのではなくて、女性はよく勉強するし賢い人も多い。男性以上 の能力もあります。また、若い男性には、自衛隊に限ったことではないが、しっ かりしたタテ社会や規律ある組織や機関で一年ほど訓練してほしいと思う。組織 の中で命令されて『ぴしっ』とした動作で動くということも大切なことです。日 本は随分変わりますよ。 関根 日本の古来からの文化にドボッと浸かってみたりするのも面白い効果を産むかも しれません。今、平安女学院大学では貴品女性のための教育として茶道を全学で 取り上げていただいています。予期した以上の効果が出ていると思います。茶道 を学ぶ 1 年生と 4 年生とでは、かなりの差が認められます。 千 なんといったって、お茶の道です。一つの道を時間をかけて歩む、いいことですね。 関根 しかも綜合文化ですから、いろんな文化的な要素を含んでいて、日本の理解にも のすごく役立ちます。そういった意味でも茶道による教育的効果が上がっています。 千 そして、この女学院はキリスト教の聖公会の学校だから、マタイ伝の福音書にあ る言葉の実践ができればいいですね。『探しなさい、探せばみつかる。求めなさい、 求めれば、与えられる。叩きなさい門を、叩けば門が開かれる』と。このことは キリスト教だけに言えることではない。だから、こんなにもいいバイブルの精神 を知って、そして、この女学院の大学生たちがみんないい日本女性になってほしい。 関根 そうですね。この大学の教育の基本方針と大宗匠のお心に叶うように、15 人の茶 道指導者が日々頑張っています。 千 そうですね。よろしくお願いしたいです。

割り切れないわび・枯淡のさび

関根 ちょっとお話が変わります。最近 『わび』と『さび』が混同されて理解されてい ます。いくつかの大学で講義をしていても、また、一般の方々もこのふたつの境 がわからなくなっています。 千 さびとわびというのは全然違うのですよ。『さび』というのは枯淡なのです。よう するに枯淡ということは、枯れ果てているだけではないのです。例えば、冬にな ると敷き松葉、苔の上に松葉を敷きますよね。その松葉の間から青い苔が覗く。 そのコントラスト、これなのですよ。ようするに枯淡とは老人に例えると、年を とっていても爺臭くなるばっかりではなく、ちょっとしたおしゃれ、『あっ、いい 老人だぁ』そういうような老人が、枯淡なのです。何かいうと、「枯木に花なんか が咲かないわなぁ」と言う。枯木(こもく)寒巖(かんがん)、枯れた木が寒い岩 に、三冬暖気なし。というようなことになったらいけませんね。三冬というのは 12 月、1 月、2 月三つの冬、暖気なし、もう暖かさもなにもない。禅でいう『公

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関根 千 関根 千 関根 千 案』です。蝋燭でも消え際の最後に、また、ふわっとその炎があがるのですよ。 このような状態、これが枯淡なのです。要するに枯れはてては駄目。 そこにエネルギーみたいなものがある。 そうそう。それが枯淡であって、『わび』は割り切れない。完全ではない。美で言 うならば、インパフェクトビューティです。轆轤(ろくろ)で作った綺麗なもの よりも、手づくねの歪んだもののほうがおもしろい。味がある。轆轤を引いて作 ったものだって、できあがってから、わざとげんこつで打って、ぐじゃっと歪ま せる。信楽や志野、織部などがそうなのです。だからおもしろい。パーフェクト よりインパーフェクト、不完全。この不完全というのが『わび』なのです。 古い、新しいは関係ない……。 関係ないね。古いとか新しいとかではなくて、人間の生活のすべでが、みんな不 完全だね。 決して割りきれない。 割りきれないものを割りきろうとするから、無理が出てくる。割り切れないもの を割り切ることはできません。われわれ人間に与えられたのは、奇数なのです。 奇数は無限。偶数は割り切れてしまう。男女の仲に例えても割り切れたら終わり だね。男は男、女は女なのだ。お互いに割り切れないところがあるから、それを そこから見つけ出そうと努力をする。そういうところに対等の育ち方があるので すよ。不完全であるからこそ、夫婦生活もうまくいく。完全な夫婦って全く飽き てしまうような気がする。毎日毎日完全なスタイルを見ててごらんよ、何か飽き てくると思いませんか。どこか歪なものを見ていて、おもしろいなぁと思いませ んか。人間はそんなものなのですね。だから表面的な美では駄目。表面的な美よ りも、内面的な美です。みんな内面の美を持っています。それを鏡を見ながら、 一所懸命(化粧を)塗っても美にはなりません。素顔でいいのです。完全というも のにはなれないのです。すべてインパーフェクト。これが『わび』です。人間と いうものはうまくできているね。完全がないもの。

基礎基本と働き

関根 わかりました。また、現代の日本人は、何かをしっかりと守っていく姿勢が欠け ているのではないかなぁと思います。すぐに次、次と追い求めていってしまいま す。それで個性や自由だ、と主張する。茶道では守・破・離ということが言われ ます。 千 なんでもね、基礎基本というものがある。基礎基本を抜きにして何かをやろうと しては駄目です。基礎基本というものをしっかりやることによって、それが自然 に身についてくる。これは守りです。それがあって初めて、働きができるのです。 この働きは破ることです。料理でもレシピ通りにしている間に「あ~レシピだけ

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じゃ」と自覚する。レシピだけで完全に口に合うものはできません。レシピ通り に何回もやっている間に、あっ、ちょっと胡椒を入れたらいいかな、これちょっ とこの調味料を入れたらいいなぁ、と自分がレシピにプラスして、減らすとか、 増やすとか、作っていく間に『美味しい』ということになるのです。そこなので すよ。人間の生活の中でこれが大事なことなのです。そのために 1 たす1は2、 2 たす2は4という基礎を知っておかないと、料理で例えたような“働き”はでき ない。4 になるためには3と1でも4になるのです。なにも2と2だけではない のです。定形的な基礎的なことがちゃんとできてはじめて因数分解できるわけで、 分解していくことができるのです。どのレベルまでできるのかは、その人の能力 ですよ。それから努力ですよ。どんな人にも努力がなかったら駄目。努力があれ ば破っていくということ、働きができる。破るという働きは、単に破るのではな くて働きなのです。離(はなれる)というのは自然体です。これは武道に例えるな らば、四方八方どこから攻められても、構えができてしまう。ごく自然に。自然 体です。これが離れるということです。だから最初はベーシックなものを本当に、 基礎基本を徹底して知る。それが守(まもる)、それによって働きである破(やぶ る)。働きの後の最後に自然体の離(はなれる)ですね。 関根 こんな話をきいたことがあるんです。画家を目指して修行中の人がピカソのよう な前衛的な絵を描いた。先生はこう言われたらしい。「ピカソはデッサンを書かせ たら天才的だったんやで、君はそれができてないのに、こんなものを描くな」と。 何事も基礎基本が大事大切なのですね。今どうしても世の中は次から次へと目標 を矢継ぎ早に設定し、それを目指す風潮があります。日本文化の良さが消えてい ってしまう気がするのですね。

未来を創る

千 僕の親友、絵描きの堂本尚郎は、堂本印象さんの甥にあたりますが、彼はフラン スに渡って、パリで日本画ではなくて、それを越したアバンギャルドみたいな作 品を描くのです。僕は尚郎ちゃんに、「あなたはなぜこんな絵ばかり描くの。見て もよくわからない」と話しました。尚郎ちゃんが言うには、「お茶をしない僕には、 あなたのお茶が本物かどうかわからない。あなたは絵を描いていない。だから、 僕の絵を見ても本物どうかわからないのと一緒だ。ただ、描き続けているのは、 ここから何かを創作しようとしてやっている。あなただってお茶をただ点ててい るだけではないだろう。この今の行為が、今の時代をどう遡行していこうかと思 考していると思う。それなんだ。僕は未来を描いているんだ」と、そう言いまし たね。僕が、堂本尚郎の話を聞き、学生諸君に伝えたいことは、習うということ、 学ぶということは、ただそれだけではなく、その中で、自分自身で未来を考えて いってほしいと思うからです。学校は未来を育てる。学校はそういうところなの

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❖❖❖ ❖❖❖ ❖❖❖ ❖❖❖ ❖❖❖ です。女子大学は現在では、珍しい存在になりました。今は多くが男女共学にな ってきました。平安女学院大学が貴品女性を育てるという目標を持つことは、社 会にとって、日本にとって希少価値であり、素晴らしい大学です。みなさんでこ の大学の伝統ある良き気風を守ってください。 関根 大宗匠に平安女学院の名誉学院長になっていただいていますので、茶道教育は勿 論ですが、この山岡学長の示される大学のミッションに向けて進んでいけている と思います。本日は多岐に亘って教示いただきました。しかも、難解な事柄を平 易な言葉でお教え下さり、また、97 歳の境涯をお話下さり、感謝と御礼を申し上 げます。

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