吉田歓著『古代の都はどうつくられたか―中国・日
本・朝鮮・渤海』
著者
相澤 裕介
雑誌名
国史談話会雑誌
巻
52
ページ
97-99
発行年
2012-02-20
URL
http://hdl.handle.net/10097/00127072
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紹
介
、ノ てと 口歓
箸
田﹃古代の都はどうつくられたか
│ 中 国 ・ 日 本 ・ 朝 鮮 ・ 湖 海 ﹄中
日
裸
裕
介
古代の都の研究は発御調査の進展もあって近年活発に議論 されているテ!?である。日本以外の中霞・朝鮮においても それぞれ研究は進められ、多くの成果があげられているが、 そうした成果をどのように統合して全体像を提示していくか は、これからの大きな課題であると思う。本惑はその足がか りとなる一聞ということができる。 まず本書の構成と概要を紹介していきたい。 97 都をつくる│プロローグi
中翠帝国の都 理想の都 前艇の長安と後換の洛陽 太極殿の誕生 南北朝の都 陥底長安城の登場 日本の都 藤原京への遊 平城京選都 難波宮の先進性 長岡京と平安京 朝 鮮 一 一 一 国 の 都 高 匂 附 胞 の 都i
南進する都 百済の都 新緑の都i
千年の都 海東の盛劉溺海の都 激海の建悶 五 つ の 山 田 小 そ れ ぞ れ の 都 エ ピ ロ ー グ あとがき 参考文獄 日本の平安京平城京が唐の長安城をモデルとしたよう に、際唐長安城という都械の決定版行グローバルスタン ダi
ドが士間代東アジア諸国で受容されていったというのが一 般的な見方であるが、﹁都をつくるプロローグ﹂におい9
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て著者はそれが単純な模倣であったのではなく、それぞれの 歴史的背景に彩棚甘されたうえでの受容であったと指摘する。 そのうえで中間日本朝鮮激海における﹁それぞれの都 づくりを、それぞれの個性を大事にしながら追っていく﹂と いう本番の主題が明示される。 ﹁中華帝闘の都﹂では間附代から附唐に至るまでの中闘の都 の変遷について述べる。﹃周礼﹄考工記に一市された都の構造 は簡潔で観念的なものだが、これが後の中悶において都の理 組像として重要視されていくことになる。附成以前にも様々 な 変 滋 が あ る が 、 特 に 議 袈 な の は 一 一 一 国 時 代 の 前 回 操 に よ る 郊 城 の建設であろう。その悶期性は太師団殿文田閏般の機能分化な どに求められる。南北籾統一後、防の大輿械とそれを母体に した腐の長安械においてシンメトリー-北側附型のグローバ ルスタンダードが形成され、東アジア諸国に受容されてい く こ と に な る 。 以 下 ﹁ 日 本 の 都 ﹂ ﹁ 朝 鮮 一 一 一 間 関 の 都 ﹂ ﹁ 海 東 の 感 悶 溺 海 の 都 ﹂ では各地域の都の変遷および中間闘の都との関係について述べ て い る 。 日本で最初に中劉風の都城としてつくられたのが際原京で あるが、著者はそれ以前の小墾間宮難波宮飛鳥浄御原宮 などの宮について言及することからはじめている。この宮の 段階でも後の都の構造につながるような変滋があったことに 設問される。次に藤原京以下の日本古代の主な都について遷 都や造営、構造の特徴などについて叙述する。 高句腿最初の都は卒本にあったが、その域郭として五女山 披と鮒喰械が比定されている。平地域と山城がセットになる こうした構成は以後も統き高句践に伝統的なものとされてい る。しかし平燦城(後期)の段階になると中国の都の形式が 導入され、伝統的なスタイルは紛れていく。百済の最初の都 は 抽 出 減 で あ り 、 以 後 六 六O
年 の 滅 亡 ま で 熊 津 、 州 問 批 と 遷 都 を 繰り返しているが、著者は王宮闘が山城の外に出たり羅城がつ くられるなどの新しい変化が起こる湖批の時期に画期をみて いる。新羅の都は日本や百済などと異なり腿州から動くこと がなかった。その王宮があったと目される月城については調 査が進んでいないが、文献史料から朝元殿・崇礼殿娯閥抗殿 などの存在が確認され、唐風の影懇がみられる。 激海の都は大欽茂の時代に遼都が繰り返されるが、大協磁 のとき上京龍泉府に巡って以後は動かなかった。上京龍泉府 は遺構が残っており、構造が唐長安域と近似することが知ら れている。ただし宮川胞の床下暖房施設が設けられるなど以前 の伝統を受け継いでいる部分もある。 ﹁ そ れ ぞ れ の 都i
エピローグ﹂では中関とは異なった形で 都 が 展 開 し た 新 羅 ・ お 句 剛 山 と 出 回 開 削 を 積 極 的 に 受 容 し た 日 本 溺海が対置される。しかし日本溺海においてもそれぞれの独自性が保たれていたことが再び強調されている。著者は故 後に都の模倣が政治思想ゃ統治政念の受容と一体であったこ とを指摘して本設を結んでいる。 先著﹃日中宮城の比較研究﹄(吉川弘文館、二