﹃大日本古文書I正倉院編年文書﹄︵以下﹃古文書﹄︶を用いた仏教関係の研究は、一九三○年に石田茂作氏が﹃古 文書﹄の写経関係の記録を纏めて発表された﹃嶌経より見たる奈良朝佛教の研究﹄を噴矢とする。その後、石田氏の 研究、特に末尾に附された﹁奈良朝現在一切経疏目録﹂︵以下﹁奈良録﹂︶を依拠とする研究が多くみられる。日本で は﹃仏書解説大辞典﹄、韓国では東国大学校仏教文化研究所編﹃韓国仏書解題辞典﹄が代表的なものである。しかし、 ﹁奈良録﹂は奈良時代に伝来されていた一切経疏の整理が目的であるため、異名同書と考えられる場合も全て収録し、 また﹃古文書﹄の掲載巻頁を一例しか載せていない。﹁奈良録﹂しか用いない場合、誤記か異名同書か、または同名 異書か錯綜してしまうのである。 更に﹃古文書﹄を用いた研究で参照されるのが、﹃古文書﹄にみられる審詳所持本を整理した堀池春峰氏と平岡定 *八、 海氏の研究である。しかし、この両氏の研究も、研究対象とした﹃古文書﹄の当該部分の相違から、審詳所持本推定
﹃大日本古文書l正倉院編年文書﹄にみられる
新羅仏教の二・三の問題
﹃大日本古文書l正倉院編年文書﹄にみられる新羅仏教の二・三の問題︵福士︶ 一、始めに 福 士 慈*︽U 金天鶴氏の論稿はへ表員の現存の写本から引用文献の検討と教判の問題点、及び表員の華厳経観を論じたものであ る。冒頭で日本の目録類から﹃華厳経文義要決問答﹄︵以下﹃要決問答﹄︶の記載を整理し、﹁奈良録﹂の記載から実 際に﹃古文書﹄の該当個所︵二’五六七︶の天平勝寶三年条︵七五一年︶に﹃要決問答﹄に関する記録があること を確認する。そして、今まで表員の生没年に関しては現存資料に記すところがなく、唯一現存する著述の冒頭に﹁皇 龍寺釈表員集﹂とあることから新羅皇龍寺の僧であったとしか分からず、現存書﹃要決問答﹄が慧苑の﹃続華厳経略 疏刊定記﹄を引いていることと、寿霊の﹃五教章指事記﹄が﹃要決問答﹄を引いていること等から表員の活動を八世 紀の中頃から後半としていたのを、金天鶴氏は表員の活動年代はもっと早かったのではなかったかとするのである。 *QU 金天鶴氏の論稿を補足する意味で堀池春峰氏の論稿を紹介すると、勝寶三年条の﹃要決問答﹄の記事の背景は、東 数に相違がみられている。 *”I また﹃古文書﹄中の書名と人名を整理した労作として木本好信氏の﹃奈良朝典籍所載仏書解説索引﹄がある。頗る 有益ではあるが、研究を志すものとしては他の研究を典拠とすることは許されるものではない。氏の研究を手掛かり とするとしても、﹃古文書﹄に立ち返ることは必須である。 よって本稿は、筆者の少しばかりの﹃古文書﹄研究を︿奈良録・古文書・審詳請来経録比較表﹀として末尾に附し、 ﹃古文書﹄を用いた新羅仏教に関する研究の紹介と、それに関する筆者の見解、そして﹃古文書﹄を用いる新羅仏教 研究の問題点に関して私見を述べようとするものである。 ﹃大日本古文書l正倉院編年文書﹄にみられる新羅仏教の二・三の問題︵福士︶ 二、金天鶴氏﹁﹃華厳経文義要決問答﹄の基礎的研究﹂ − 2 −
大寺大仏開眼供養を眼前にむかえた勝寶三年に東大寺で華厳宗を加えた六宗が成立するに至り、後日大仏殿内に六宗 絵厨子が設置され、六宗必要の経論疏集伝などが納められたらしいとされ、同年五月頃に華厳宗厨子に納置するもの か、或いは華厳宗所専用の蔵書の書写を開始されたことを契機とし、その書写事業の一環として﹁華厳文義要決一巻 表員師集﹂という記述が出ているとされる。ともかくも現存史料上では初出であるが、同書がどのような経由で日本 に伝わったのか分からず、審詳請来経録にも表員の﹃要決問答﹄はみられない。 さて表員の﹃要決問答﹄の成立年代と深く拘わっているのが慧苑の﹃続華厳経略疏刊定記﹄︵以下﹃刊定記﹄︶の成 立年代であるとは先学の指摘するところであるが、﹃古文書﹄にみられる慧苑の記録は 天平十一年︵七三九︶新課花嚴音義二巻︵七巻’八五頁︶ 天平二十年︵七四八︶續花嚴略疏刊定記巻第十二︵一○’四四九︶ 天平二十年︵七四八︶續花嚴略疏刊定記巻第七︵一○’四四九︶ 勝寶元年︵七四九︶花嚴経慧薗疏一部︵第一巻∼十六巻︶︵二’九二∼九三︶ 勝寶二年︵七五○︶花嚴経慧薗師疏疏生等布施銭事合罵疏一部廿四巻︵三’四一九︶ 寶字七年︵七六三︶花嚴経疏一部廿四巻︵一六’三七四︶ 以上である。慧苑の著述では﹃新課花嚴音義﹄が最も早く七三九年に見られるが、﹃刊定記﹄の初出は七四八年十 *皿 二月十七日で﹁續花嚴略疏刊定記﹂としてみられる記事である。堀池氏は、七四八年九月九日に東大寺花厳供所が写 *皿 *聰 一切経司に華厳経疏を﹁早速令写﹂と依頼したという記事と、九月十四日からの書写開始の記事を、﹃刊定記﹄と関 *蝸 連させて﹃刊定記﹄将来による書写とする。しかし、九月九日の記録には﹁花嚴疏﹂、九月十四日には﹁寺花嚴疏充 ﹃大日本古文書l正倉院編年文書﹄にみられる新羅仏教の二・三の問題︵福士︶
續花嚴疏第三用紙五十二張續花嚴刊定記巻第六用紙四十七張 續花嚴疏刊定記巻第十二用紙廿九張續花嚴略疏刊定記巻第十二用紙廿六張 續花嚴略疏刊定記巻第七用紙六十一張第八上用冊枚 五十六 七百九十二文 合二百十五張﹁銭一貫五百五文﹂ 天平廿年十二月一七日 右のように、﹁續花嚴疏﹂、﹁續花嚴刊定記﹂、﹁續花嚴疏刊定記﹂、﹁續花嚴略疏刊定記﹂と並べられ、﹁續花嚴疏刊定 記﹂と﹁續花嚴略疏刊定記﹂の十二巻の用紙が異なっているため、両本が別本のような記事となっていること、また ママ 一一一 十 ママ *M ﹁新疏廿四巻﹂に関しても七四七年十二月十九日の﹁華嚴疏廿四巻十二弓遠法師撰七弓元曉師口法藏一巻﹂という例 もあり、新疏が一部でない可能性も考えられるからである。ともあれ﹁續花嚴略疏刊定記﹂としての﹃刊定記﹄の確 実な初出は七四八年十二月となる。この﹃刊定記﹄も表員の﹃要決問答﹄と同様に審詳請来経録にはみられず、伝来 の経由と年次が不明なものの一つである。 以上のように日本の史料では表員の﹃要決問答﹄の初出は七五一年五月であり、表員が引用している慧苑の﹃刊定 記﹄の初出は七四八年十二月であることから、請来にかかる渡航期間を考慮に入れて若干の月数を差し引くとしても ﹃要決問答﹄は七五一年の初め頃までには完成していたとしか言い得るものではなく、活動年代に関しても七五一年 記﹄を指すのか断定できないものがある。何故ならば、十二月十七日の記事ですら慧苑の名はなく、 本帳廿年九月十四日始新疏廿四巻用紙一千一百冊帳﹂とあり、﹁花嚴疏﹂及び﹁新疏廿四巻﹂が慧苑の﹃刊定 大友廣國罵花嚴疏事 績花嚴疏第三用紙五十二張 ﹃大日本古文書I正倉院編年文書﹄にみられる新羅仏教の二・三の問題︵福士︶ − 4 −
尹善泰氏の論稿からは﹃古文書﹄全巻を精読した上での確信に近いものが感じられ、村落文書の現物を見ていない 筆者とすれば最初の、第一節﹁文書の状態と判読﹂、及び第二節﹁文書の作成年代﹂の第一項﹁文書に記録される 〃年〃と〃壹月〃﹂、第二項﹁︽華厳経論︾経峡の正倉院入庫過程﹂の内容に関しては何も言うべきところがない。第 三項﹁︽華厳経論︾の日本流入と流通状況﹂に関しても尹善泰氏の綴密な史料整理と堅実な手法に感心するだけであ る。ただここで﹃華厳経論﹄日本伝来に関して若干の私見を述べてみたい。 先ず﹃華厳経論﹄︵以下﹃華厳論﹄︶が霊辨のものであることに関しては、﹁奈良録﹂では天平十二年七月八日の ﹁嶌経所啓﹂で﹁花嚴論冊九巻取因論一巻花嚴經修慈分一巻以上審詳師本﹂︵七’四八九︶とある﹃華厳論﹄を 李通玄のものではないかとしているが、李通玄の﹃新華厳経論﹄は﹃古文書﹄には見られない。天平勝寶五年五月七 か、とするものである。 羅村落文書﹂の制作年坐 *鴫 尹善泰氏の論稿は、正倉院に保管されていた経峡の中の﹁華嚴経論第七峡﹂と墨書された峡芯から発見された﹁新 羅村落文書﹂の制作年代を、﹃古文書﹄の記録を中心としてその制作年代を推定したものである。﹁華厳経論第七峡﹂ とは審詳が新羅から将来した﹃華厳経論﹄六五巻を入れていた七峡の中の第七の峡である可能性が高く、よって﹁新 羅村落文書﹂の制作年代とされる乙未年とは審詳の没年︵七五一年︶以前の六九五年とすることができるのではない しかしながら金天鶴氏のように﹃古文書﹄の整理による考察は、今後の指針となるものと考えられる。 以前に活動していたということに関しては稽首できるが、それ以降生存していなかったとは断定できるものではない。 ﹃大日本古文書l正倉院編年文書﹄にみられる新羅仏教の二・三の問題︵福士︶ 三、尹善泰氏の﹁︿新羅村落文書﹀の作成年代と用途﹂
日類収の﹁未罵経律論集目録﹂に﹁華嚴論六百巻劉謙之造華嚴論一百巻後巍縄霞辨造﹂︵一二’五五三︶とあり、更に天平 勝寶五年九月四日﹁経疏出納帳﹂に﹁謹啓奉請書事世親菩薩造十地論一部並彼疏一部又花嚴傳一部五巻又霞辨師造花嚴論初峡蓄﹂として 返還依頼の善珠︵良弁︶の書簡︵三’六三○︶、天平勝寶三年五月二十五日の蔵経に﹁華嚴經論一部五十巻且來者霞辨師述 用紙一千二百七十五張施九十貫﹂︵二’五六六︶等とあることから、天平十二年から登場する﹃華厳論﹄四八・ 四九・五○巻及び六五巻を霞辨の一○○巻中のものとする尹善泰氏の見解は正しい。問題はその﹃華厳論﹄の巻数と 所有者の問題である。尚、﹁華嚴論﹂、﹁花嚴論﹂、﹁華嚴経論﹂、﹁花嚴経論﹂等の表記の不統一に関しては、﹃古文書﹄ によく見られる傾向であることから問題とすべきものではないと考える。 ︵一︶﹃華厳論﹄五○巻の問題 ﹃古文書﹄での﹃華厳論﹄の初出は前述のように天平十二年七月八日︵七四○年︶の﹁罵経所啓﹂で 花嚴論冊九巻取因論一巻花嚴經修慈分一巻以上審詳師本︵七’四八九︶ とある記録である。﹃華厳論﹄四九巻を審詳が所持していたことを知ることが出来る。ただ﹃華厳論﹄を審詳だけ が所持していたわけでないことが、﹁律論疏集傳等本収納井返送帳﹂の天平十六年二月二十六日に 納花嚴論冊七巻第一峡欠第一第二峡第三峡第四峡第五峡 右慈訓師所受人成以十九年二月十一日返送慈訓師所︵八’一八九︶ と慈訓から﹃華厳論﹄四七巻を借りたことが知られ、更に﹁律論疏集傳等本収納井返送帳﹂の天平十六年九月九日に 納花嚴論第一巻 ﹃大日本古文書I正倉院編年文書﹄にみられる新羅仏教の二・三の問題︵福士︶ − 6 −
右慈訓師所書也︵八’一九二︶ とあり、第一峡の欠巻第一巻を慈訓から借り入れたことが知られる。ここで慈訓所持の﹃華厳論﹄が、天平十六年 二月二十六日の段階で欠となっていた第一が補完されたことで、第一二巻と第二九巻を欠いた五○巻中の四八巻であっ たことが窺われる。それが第一峡から第五峡までに納められていたことは﹁常疏充装矛等帳﹂天平十六年四月からの 記録︵八’三四一∼三四八︶、及び﹁罵疏論集常校帳﹂︵八’三七八∼三八九︶をみれば確認することが出来る。そし て天平十六年十二月二十四日の﹁罵疏所解﹂の al花嚴論一部五十巻且篇冊八巻欠第廿暑廿九巻用紙一千二百六十八枚︵八’五二五︶ 年月を欠いた断簡であるが、上と同内容の裏書きで﹁八十六部五百五十四巻﹂とされるものに bl花嚴論五十巻一千二百七十五紙︵八’五二八︶ とあり、aとbの二つの﹃華厳論﹄の用紙の枚数の相違からも﹃華厳論﹄五○巻本が慈訓所持本と審詳所持本の二 本あったことが窺われるのである。しかし、以後の記録︵九’三八二・三八五、二’五六二・五六四・五六六、一 二’一七四・一七六・二六二・五一九・五二八・七五九等々︶では両書が混同されて記録されているようである。 ︵二︶﹃華厳論﹄六五巻の問題 次に﹃華厳論﹄六五巻の問題である。先述の平岡氏は﹁経録﹂の九○番に、堀池氏は﹁経録﹂の二番に挙げていて、 *肥 ﹃華厳論﹄六五巻が審詳将来のものと考えているようである。﹃古文書﹄における﹃華厳論﹄六五巻の初出は、前述の 天平十九年十二月十九日︵七四七年︶の﹁自内裏奉請疏本﹂︵一○’二七八︶にみられるものである。 ﹁大日本古文書l正倉院編年文書﹄にみられる新羅仏教の二・三の問題︵福士︶
とあり、続いて依頼の章疏の中での平攝の所持本の内訳と借り主の名と、そして返還の月日が記されている。華嚴 論・孔目・旨歸・方軌・五教に関しては平攝の所持本の中にも、借り手の借本の中にもその書名を捜すことはできな い。恐らくは内裏納入もされていない、平攝の所持本にもないもので、書名だけが先行したものだったのではないか と考えられるpそれは﹁脩慈分二巻﹂に続く﹁一巻内裏納了﹂とある一文と、その後﹃華厳論﹄六五巻が﹃古文書﹄ に現れるのは十九年後の七六六年であるという時間的な空白期間があるからである。ともかくも初出から十九年後の 天平神護二年十月三日︵七六六年︶の﹁僧寶行借書目録﹂に他の章疏と共に 華嚴論六十五巻︵一七’二○︶ として七六六年に寶業が︵恐らくは審詳没後と考えられるため東大寺写経所から︶借りたことが記される。” さて、平岡・堀池両氏が﹃華厳論﹄六五巻を審詳所持本とみた根拠は文書の題目が無くなっている景雲二年十二月 四日︵七六八年︶の経藏に 脩慈分二巻一巻内裏納了 入法界品抄一巻親課起信論記一巻 料簡一巻花嚴經者一乗法界圖一巻 傳二巻花嚴經者傳之記一巻 旨歸一巻五教一巻 孔目六巻方軌四巻 華嚴論七峡六十五巻一 ﹃大日本古文書I正倉院編年文書﹄にみられる新羅仏教の二・三の問題︵福士︶ 七峡六十五巻華嚴疏廿四巻上一弓遠法師撰七弓元曉師口法藏師一巻 十 − 8 −
華嚴經論一部六十五巻穀皮峡誌枚︵一七’三一九︶ とあり、また景雲二年十二月二日の﹁奉嶌一切経司牒造東大寺﹂に他の章疏と共に 華嚴經論一部六十五巻︵一七’二三︶ とあるのを以て審詳所持本︵審詳師経内︶としているようである。確かに前後に景雲二年二月三日の八一巻の審詳 所持本の記録︵一七’一○七∼一○九︶、景雲二年十一月二十五日の﹁造東大寺司牒奉嶌一切経所﹂として審詳所 持本の一部︵一七’一三五∼一三七︶、景雲二年十一月十日の﹁奉嶌一切経所牒造東大寺司及三綱所﹂として審詳 所持本の二百十四巻の記録︵一七’一三九∼一四一︶がみられる。ただし景雲二年十二月四日︵七六八年︶の経藏に 七 関しては、異筆で﹁並審詳師之﹂︵一七’一二九︶とあるために﹁華嚴経論一部六十五巻穀皮峡六枚﹂を審詳所持本 としたものであろうが、ここで注意をしなければならないのは、﹁並審詳師之﹂が異筆であることと、﹁右﹂または ﹁以上﹂○○巻審詳師経内文という一文がなく、更に書末に追筆で﹁雑集論疏十巻審詳璽とあることである。 また景雲二年十二月二日の﹁奉嶌一切経司牒造東大寺﹂では審詳所持本の列記の後に 右五十部﹁二百五十﹂巻﹁審詳師﹂︵一七’一三四︶ とある二つの﹁﹂内の文字が追筆であることも若干気にかかるところである。 ︵三︶審詳将来の﹃華厳論﹄ 以上、気になったところを述べてみたが、大きな問題としてはやはり、天平十二年七月八日︵七四○年︶の﹁篤経 所啓﹂で登場する審詳所持本の﹃華厳論﹄四九巻が、どうして景雲二年十二月︵七六八年︶という二十八年後に六五 ﹃大日本古文書l正倉院編年文書﹄にみられる新羅仏教の二・三の問題︵福士︶
巻に替わったのかという問題である。天平十六年の﹃華厳論﹄の筆写の記録の多さはそのまま﹃華厳論﹄に対する関 心を意味するものである。もし当時、審詳が六五巻を有していたならば第六峡及び第七峡の筆写と結びつくものと思 われる。また﹃華厳論﹄六五巻の初出である天平十九年十二月十九日︵七四七年︶の際も、﹃華厳論﹄六五巻の確固 たる存在を確認できず、その後、十九年後の七六六年に恐らくは東大寺所蔵として登場し、景雲二年十二月四日︵七 六八年︶からは東大寺所蔵の審詳経内として登場するのである。筆者とすれば、天平十九年に﹃華厳論﹄六五巻の存 在を知ったが平攝も審詳も所持していなかったため、天平神護二年︵七六六年︶までに不足分を補充する意味で五一 巻から六五巻が新羅より新たにもたらされ、七六八年頃に審詳経内の﹃華厳論﹄四九巻に編入された可能性を思うも のである。そのように考えると、新羅村落文書の成立を六九五年とせずに、日本の依頼によって新たに新羅で筆写さ れたものとすれば、日本の史料に再登場する七六六年を再考し乙未年を七五五年とすることも可能と思われるが、こ れはただの推論にすぎない。ともかくも、その後、寶亀二年からも筆写され、またそれが校正された記録が﹃古文書﹄ にみられるが︵一九’四○・五二・五八・六二・六五・七三・七四・七五・三七五︶、第六峡及び第七峡の記録を捜 すことは困難である。以後の記録としては寶亀四年七月十七日︵七七三年︶の﹁僧奉正請経論啓﹂に 以上、先行の﹃古文書﹄を用いた研究の紹介と若干の問題点を挙げてみた。ただ問題点を挙げるに止まり、その解 として﹃華厳論﹄六五巻の借り出しを請う書簡が見られるだけである。 花嚴論一部六十五巻 ﹃大日本古文書I正倉院編年文書﹄にみられる新羅仏教の二・三の問題︵福士︶
四、結語にかえて、﹃古文書﹄を用いる新羅仏教研究の問題点
1 0-附設︿奈良録・古文書・審詳請来経録比較表﹀で﹁奈良録﹂、﹁古文書﹄、﹃古文書﹄にみられる﹁審詳請来経録﹂か ら新羅諸師の著述を抜き出し、﹁奈良録﹂から抜き出した著述にはその番号、﹃古文書﹄から抜き出した著述には作者 名がみられる巻頁で早期のもの一例のみを付した。﹃古文書﹄及び﹁審詳請来経録﹂の段で︵︶の中に入れた著述 は、﹃古文書﹄及び審詳請来本の中に書名はみられるが著者名がみられないものである。よって円光の﹃大方等如来 蔵経私記﹄、神肪﹃十輪経抄﹄、義湘﹁一乗法界図﹄、行達﹃倶舎料簡﹄、明晶﹃海印三昧論﹄等々は、後代の目録によっ て作者と著述が一致するものである。他の諸師の著述も後代の目録によって一致するものが多い。また巻数の不同も 多く、同書で一○巻・一六巻・二○巻と異なる記録がある場合は円測﹁成唯識論疏一○︵一六・二○︶巻﹂というよ うに︵︶の中に入れた。このように﹃古文書﹄自体が多くの問題を含んでいるため、﹃古文書﹄研究はそれだけで 完了するものではなく、後代の目録、後代諸師の章疏などを用いた総合的研究が必要なのである。 とはいえ、﹃古文書﹄には審詳は問題があるとしても、新羅僧と考えられる二十二名の著述が記録されており、そ れによって八世紀中頃までに日本に伝わっていた新羅諸師の著述と、筆写の記録によってその重用度が確認できるの ためである。 頻繁にみられ、また誤記・脱字等がみられること、よって異名同本・同本異名か判断が困難であること等々の問題の ﹁法花經論述記一巻﹂︵一七’九八︶と﹁法華經論述記一巻﹂︵一七’一○一︶というように﹁花﹂と﹁華﹂の混同が 古文書・審詳請来経録比較表﹀では義寂の著述として便宜上﹁法花経論述記一巻﹂として挙げたが、﹃古文書﹄には されたものではないこと、記事が断片的なものが多く、中には文案やメモのようなものもあること、附設︿奈良録・ 答を提示することはできなかった。これは﹃古文書﹄自体が持つ問題、つまり﹃古文書﹄が奈良時代に計画的に編纂 ﹃大日本古文書l正倉院編年文書﹄にみられる新羅仏教の二・三の問題︵福士︶
である。﹃古文書﹄にみられる新羅諸師とその著述と﹁五宗録﹂等後代の目録との対照表は﹃身延論叢﹄及び﹃身延 山大学仏教学部紀要﹄で発表する予定である。 尚、本附設表は平成十八∼十九年度科学研究費補助金基盤研究⑥﹁十二世紀末までの日本各宗にみられる新羅・高 麗仏教に対する認識に関する研究﹂︵課題番号一八五二○○四五︶による研究成果の一部である。 * 注 1 *9堀池氏前掲論稿 *皿﹃古文書﹄一○曇 *R︺ *局I *八0 *FD *44 *n. *9白 木本好信﹃奈良朝典籍所載仏書解説索引﹄︵国書刊行会、一九八九年︶。尚、元曉の著述に限定したものであるが、木本氏の 研究と照らし合わせたものが拙論弓古文書﹄にみられる元曉著述の問題点﹂︵﹃新羅元曉研究﹄大東出版社、二○○四年、 一三八’一四七頁︶である。参照されたい。 金天鶴氏﹁﹃華厳経文義要決問答﹄の基礎的研究﹂︵﹃朝鮮半島に流入した諸文化要素の研究︵二︶﹄学習院大学東洋文化研究 所調査研究報告四四、一九九九年︶ ︵吉川弘文館、一九八一年︶ 平岡定海﹁新羅の審詳の教学について﹂︵﹃印度学仏教学研究﹄二二’二、一九七二年︶及び﹃日本寺院史の研究︵古代編︶﹄ 堀池春峰﹁華厳経講説よりみたる良弁と審詳﹂︵﹃南都仏教﹄三一、一九七三年︶ 東国大学校仏教文化研究所編﹃韓国仏書解題辞典﹄︵国書刊行会、一九八二年︶ ﹃仏書解説大辞典﹄︵大東出版社︶ 石田茂作﹃写経より見たる奈良朝仏教の研究﹄︵東洋文庫、一九三○年︶ 倉院事務所編﹃正倉院古文書影印集成﹄もみられるが、本稿では翻刻された東京大学資料編纂所編本を用いることとする。 東京大学史料編墓所編﹃大日本古文書正倉院編年文書﹄︵東京大学出版会、一九○一年’一九四○年︶、尚、近年、宮内庁正 ﹃大日本古文書l正倉院編年文書﹄にみられる新羅仏教の二・三の問題︵福士︶ 一○巻四四九頁 − 1 2 −
*肥 * * * * * 1514131211 ﹃古文書﹄一○巻二七八頁 尹善泰﹁︿新羅村落文書﹀の作成年代と用途﹂︵二○○○年度ソウル大学博士学位請求論文﹃新羅統一期の村落支配l新羅古 文書と木簡の分析を中心として﹄︶ 平岡氏・堀池氏前掲論稿 堀池氏前掲論稿 ﹃古文書﹄一○巻八九頁 ﹃古文書﹄一○巻八二’八三頁 ﹃大日本古文書I正倉院編年文書﹄にみられる新羅仏教の二・三の問題︵福士︶
附設︿奈良録・古文書・審詳請来経録比較表﹀ ﹃大日本古文書l正倉院編年文書﹄にみられる新羅仏教の二・三の問題︵福士︶ 心経疏二巻 多心経疏一巻 般若心経疏一巻 摩訶般若波羅密︽ 無量義経疏三巻 唯識論疏二○巻 成唯識論疏一○琴 廿唯識疏二巻 凶明論疏二巻 理門論疏二巻 囚明正理門論疏一 百法論疏一巻 観所縁縁論疏一墓 穴十一見章一巻 垂Ⅱ︶空言 1 O O O O O O 四CC 四○一 四二八 四三一 七四六 ○ ○ 仁 摩 摩 般 多 心 解 観 因 凶 大 凶 は 王 訶 訶 若 心 経 深 所 明 明 因 明 耽 径 般 般 心 経 疏 密 縁 正 正 明 論 疏 琉 若 若 経 疏 一 経 々 理 理 論 疏 二 三 波 経 疏 一 巻 疏 論 門 門 疏 二 巻 へ 羅 疏 一 巻 一 疏 論 論 二 巻 五 蜜 一 巻 ○ 一 疏 記 巻 / 多 巻 巻 へ 二 二 巻 心 二 巻 巻 一巻 城一巻 匪琉三巻 一二l王壬 凹’九四 一 一 ’ 六 ’ ’ ’ 二 ’ 七 四 ’ 一 ’ ’ 五 ’ 三 四 五 ’ 五 ’ ’ 四 ’ 一 五 三 四 八 九 一 五 三 一 四 八 匹 ○ 一 四 ○ 四 一 ○ 五 三 ○ ○ 九 五 衝所縁々論疏一巻 唯識論疏九巻 因明正理門論記二巻 ︵般若心経疏一巻︶ 豆、十二剋蔑一患︶ − 1 4 −
僧名
|奈良録番号奈良録
|古文書巻頁古文書
審詳請来経録四元曉
三︵神防︶ ﹃大日本古文書I正倉院編年文書﹄にみられる新羅仏教の二・三の問題︵福士︶ 十輪経抄二巻 勝 両 両 両 華 鬘 巻 巻 巻 厳 経 無 元 無 経 疏 量 量 量 疏 二 寿 寿 寿 八 巻 経 経 経 巻 宗 宗 宗 要 旨 旨 巻 巻 巻 六十二見章一巻 二七四四 九 八 八 八 八 ○ 九 八 八 二 八 ○ 九 八 八 一九二四 勝 両 花 元 華 鬘 巻 厳 曉 厳 経 元 論 師 経 疏 量 疏 花 疏 二 寿 元 厳 八 / - 、 経 曉 疏 巻 三 宗 師 一 ・ 旨 ○ 六 一 巻 、-/巻 巻 唯識論円測師疏六巻 唯識論測法師疏二○巻 成唯識論疏一○︵一六・二○︶ 巻 成唯識論測法師疏 ︵六十一見章一巻︶ ︵六十二見章一巻︶ 唯識論疏一︵一○・一五︶巻 唯識測法師一○巻 唯識疏一○巻 円測師唯識疏 二十唯識疏二巻 ︵十輪経抄二巻︶ 一二’五五 一○’一五八 七’二七 九’五一二 七’四八九 九’三八二・五九九 二’三三一 三’一九九 九’三八九・六二四 一○’四四二 三’三三 一一’三○九 一二’三六一 一七’七九 八’一六九 八’三三九 二’三六七 一二’三八○ 一二’九・三八○ 一七’一四三 二’七二九 傍 勝 起 起 華 伽 鬘 信 信 厳 経 経 論 論 経﹃大日本古文書I正倉院編年文書﹄にみられる新羅仏教の二・三の問題︵福士︶ 法 金 大 般 大 不 不 金 最 八 深 維 維 樗 入 梼 桜 般 般 般 註 華 剛 恵 若 恵 増 増 皷 勝 巻 密 摩 摩 伽 樗 伽 伽 舟 舟 舟 勝 要 般 度 宗 度 不 不 経 王 金 経 経 宗 経 伽 経 宗 三 三 三 鬘 略 若 経 要 経 減 滅 疏 経 光 疏 疏 要 疏 経 宗 要 昧 昧 昧 経 一 経 枢 一 宗 経 経 八 疏 明 三 三 一 一 疏 要 論 経 経 経 疏 巻 疏 要 巻 要 疏 疏 巻 八 経 巻 巻 巻 三 八 一 一 略 略 略 四 三 一 一 一 一 巻 疏 巻 巻 巻 巻 疏 議 記 巻 巻 巻 巻 巻 巻 八 巻 巻 巻 巻 一九○九 一九二五 一九二六 一九二七 一九四○ 一九四一 一九四二 一九四三 一九六八 一九六九 一九八二 一九八七 一九八八 一九八九 二○一八 二○一九 二○二三 二○二四 二○二五 二○五四 二一二五・ 一一一一一一ハ 浬 金 金 法 法 法 金 不 藥 剛 剛 花 花 花 剛 増 経 三 三 疏 略 要 般 不 宗 昧 昧 五 述 略 若 減 要 経 , - 、 巻 一 一 経 経 一 論 経 巻 巻 疏 疏 巻 疏 、 - / 三 一 三 論 巻 巻 巻 三 巻 金 最 金 深 解 維 鼓 勝 光 密 深 摩 経 王 明 経 密 経 疏 経 経 疏 経 疏 八 疏 疏 疏 三 / - 、 八 八 三 巻 一 巻 巻 巻 五 一 巻 入樗伽疏八巻 桜伽経疏七︵八・一三︶巻 入 般 般 傍 舟 舟 伽 三 三 経 昧 昧 疏 経 経 七 略 略 /-、疏記 八 一 一 ・ 巻 巻 三 一 巻 二四’五一五 一二’三八一 一三’二二 二’五六四 一二’一○・一四 一二’一四 一二’三八○ 一七’一三六 三’六四二 一二’五三 一二’一○ 八’三七一 一○’三三○ 一二’三八○ 一七’一三二 二’五六五 一二’五三八 一二’五四一 一二’三八七 一二’一三 一二’一三 一六’四○三 中辺分別論疏四巻 大乗観行門二巻 雑集論疏五巻 梁摂論疏抄四巻 世親摂論疏四巻 三論玄義一巻 広百論撮要一巻 法花略述一巻 ︵金剛三昧論疏三巻︶ ︵起信論私記一巻︶ ︵一道義一巻︶ ︵二障章一巻︶ ︵宝性論料簡二巻︶ ︵十門和詳論二巻︶ ︵梧伽経宗要一巻︶ ︵本業理路経疏二巻︶ ︵般舟三昧経略記一巻︶ ︵不増不滅経疏一巻︶ ︵浬藥経宗要一巻︶ ︵法花経要略一巻︶ ︵両巻無量寿経宗旨一 巻︶ − 1 6 −
﹃大日本古文書I正倉院編年文書﹄にみられる新羅仏教の二・三の問題︵福士︶ 法華宗要一巻 金剛三昧経論中下 金剛三昧論三巻 金剛三昧経論疏三巻 金剛三昧経論記三巻 浬藥経宗要一巻 浬藥経疏五巻 梵網経疏二巻 梵網経私記一巻 梵網経菩薩戒本私記上 梵網経菩薩戒文義私記序上 梵網経上巻疏一巻 菩薩本持犯要記一巻 法花略述一巻 菩薩戒本持犯要記一巻 瑛略経疏二巻 聡伽抄五巻 雑集論疏五巻 中辺論疏四巻 中辺分別論疏四巻 二一二七・ 二一二八 二一二九 二一五二 二一五三 二一五四 二一五五 二一六五 一一一一ハーハ ニニニ八 二二二九 二二三○ 一一一一一一一一 一一一“一一一一一一 二二四三・ 二二四四 二二四五 二二四六 二二九三 二三三五 二三四三 二三四四 浬藥経疏五巻 梵網経疏二巻 梵網経私記一巻 梵網経菩薩戒本私記一巻 梵網経上巻疏一巻 菩薩本持犯要記一巻 菩薩戒本持犯要記一巻 聡伽抄五巻 聴伽論抄五巻 雑集論疏五巻 雑集論料簡一巻 弁中辺論疏四巻 中辺分別論疏四︵三︶巻 起 元 起 元 起 梁 世 摂 信 曉 信 曉 信 摂 親 大 論 師 論 師 論 論 摂 乗 記 起 別 起 疏 疏 論 論 一 信 記 信 二 抄 疏 抄 巻 論 一 論 巻 四 四 四 別 巻 疏 巻 巻 巻 記 二 一 巻 巻 一二’三七九 一二’一五 一二’一九 一八’四六二 一六’四○三 一六’四○三 一二’三八二 一六’四○三 一二’一九 一二’一六 一七’一○七 一八’四六一 一二’三八一 三’六五三 一二’一九 一二’三八一 三’六五四 三’六一八 二’三五五 八’三三九 八’一六九 八’四二七 ︵大恵度経宗要一巻︶ ︵菩薩本持犯要一巻︶ ︵金皷経疏八巻︶ ︵判比量論一巻︶ ︵六現観義発菩提義一 巻︶ ︵初章観文一巻︶
﹃大日本古文書l正倉院編年文書﹄にみられる新羅仏教の二・三の問題︵福士︶ 三論宗要一巻 三論宗要記一巻 宝性論宗要一巻 広百論撮要一巻 起信論疏二巻 二障義章一巻 大乗二障義一巻 大乗二章義一巻 起信論二郭章 二障章一巻 起信論二彰章一巻 一道章一巻 一道義一巻 起信論一道章一巻 起信論記一巻 起信論別記一巻 梁摂論疏抄四巻 世親摂論疏四巻 摂大乗論抄記四巻 摂大乗論抄四巻 弁中辺論疏四巻 二三四五 二三四七 二三四八 二三四九 二三五○ 二四三八 二四三九 二四四○ 二四四一 二四四二 二四四五 二四四六 二四四七 二四四八 二四四九 二四五○ 二四五二 二四七八・ 二四七九 二四八六 二四八七 二四九三 十門和謬論二巻 六現観義発菩提心義浄義含一 巻 因明疏一巻 ︵華厳綱目一巻︶ 大乗観行門三︵一︶巻 掌珍論料簡一巻 宝性論宗要三巻 三論玄義 広百論撮要一巻 大乗二障義一巻 二郭章一巻 二障義章一巻 一道義章一巻 一道章一巻 ︵註勝鬘経疏二︵四︶巻︶ ︵般舟三昧経略議一巻︶ ︵両巻元量寿経宗要︶ 一二’三八三 一二’五五 二’四二八 一二’三七九 一三’三五 一二’三六二 二五’一七六 二○’四一九 二’五六六 一七’九○ 一二’三八二 一二’三八二 二’五六六 一七’一○八 一二’三八三 一六’四○七 一二’三八一 二’五六七 一一’五六七 一一’五六六 一六’四○五 − 1 8 −
﹃大日本古文書I正倉院編年文書﹄にみられる新羅仏教の二・三の問題︵福士︶ 宝性論料簡一巻 宝性論料簡三巻 寛一乗宝生論料簡一巻 掌珍論料簡一巻 判比量論一巻 初章観文二巻 十門和評論二巻 六現観義発菩提心義淨義 含一巻 大乗観行門三巻 二四九四 二四九五 二四九六 二五○三・ 二五○四 二六三八・ 二六三九 二六五一 二六九九 二七○○ 二七六七・ 二七六八 ︵般若宗要一巻︶ ︵大般若宗要一巻︶ ︵般若心経疏一巻︶ ︵法花宗要一巻︶ ︵梵網経菩薩戒文義私記序上 巻︶ ︵理路経疏二巻︶ ︵大恵度経宗要一巻︶ ︵不増不滅経疏一巻︶ ︵維摩経宗要一巻︶ ︵維摩宗要一巻︶ ︵傍伽宗要︶ ︵樗伽経宗要一︵二︶巻︶ ︵梧伽宗要論一巻︶ ︵起信論私記一巻︶ ︵中辺論疏四巻︶ 八’五一三・五八六 二’四二八 一七’一三六 一六’四○二 一七’九四 七’二三 七’二二○ 三’八六 三’八六 一七’一三九 一一’七一 二’一五六 三’六五一 二’三五六 八’四四○ 一二’一八一 三’八六 一二’三八一 三’五三○ 一二’一八六 一二’一六
七 六 慣 法 興 位 五︵義湘︶ ﹃大日本古文書I正倉院編年文書﹄にみられる新羅仏教の二・三の問題︵福士︶ 元量寿経義疏二巻 元垢称経疏六巻 華厳一乗法界図一巻 一八九四 一九七○ 一八三○ 一八二九・ 元量寿経義疏二巻 慣興師金光明経疏 ︵六現観義発菩提心義浄義合 一巻︶ ︵初章観文一巻︶ ︵一乗法界図一巻︶ ︵阿弥陀経疏一巻︶ ︵判比量論一巻︶ ︵宝性論料簡一︵三︶巻︶ ︵三論宗要記一巻︶ ︵三論宗要一巻︶ ︵二諦章︶ 一七’二九 九’四二六 一七’一四四 八’五三九 一 一 一 三 三 一 七 五 一 一 一 一 一 一 一 四 七 七 ’ ’ 七 ’ 四 二 七 二 五 一 七 六 六 一 ’ ’ 八 八 ’ 四 ○ | | | | | ’ ’ ’ 一 一 七 八 一 八 三 九 五 一 三 七 四 四 三 四 四 八 八 九 四 七 ○ 九 ○ 二 八 ○ ○ 三 一 六 四 六 八 ● ● ︵一乗法界図一巻︶ − 2 0 −
﹃大日本古文書l正倉院編年文書﹄にみられる新羅仏教の二・三の問題︵福士︶ 深密経疏五巻 最勝王経疏五巻 金光明最勝王経略讃五巻 金光明最勝王経疏五巻 最勝王経疏一○巻 法華経疏一○巻 浬薬経述讃七巻 浬藥経述讃一四巻 浬藥経疏一四巻 弥勒経疏三巻 弥勒菩薩経述讃三巻 大潅頂経疏二巻 顕揚論疏四巻 顕揚論述讃一○巻 顕揚論述讃四巻 顕顕論述讃一六巻 成唯識瞳量二○巻 倶舎抄四巻 一七八三 二○○○ 二○○一 二○○二 二○○三 一一一一一一一一 二一六七 二一六八 二一六九 二二一五 二二一七 二二二四 二三一七 二三一八 二三一九 二三二○ 二三八一 二五七二 慣興師最勝王経疏 倶舎論抄四巻 解深密経疏五巻 深密経疏五巻 顕揚論慢興述賛 顕揚論述記八巻 顕揚論述賛一六巻 顕揚論疏一○巻 金光明経疏八巻 金光明最勝王経疏五巻 金光明最勝王経略賛五巻 最勝王経慣興疏 最勝王経疏五巻 成唯識論疏 大潅頂経疏二巻 大般浬藥経疏四巻 浬藥経慢興師疏一二巻 浬藥経述賛一四巻 浬藥経疏一四︵二四︶巻 法花経疏一○巻 弥勒経述賛三巻 九’四三一 一二’一○ 一二’五三 一二’一○ 九’二三 九’三九三 一六’四○四 三’六四六 九’三九二 九’二六四 二四’三九八 九’三一 八’五三四 二四’五一三 一七’一二八 二四’五一五 一六’四八 一七’八一 九’三九二 一一’五○○ 九’三九二 一二’五一七
九令因
八智仁
二順慢
一二道證 一○︵行達︶ ﹃大日本古文書I正倉院編年文書﹄にみられる新羅仏教の二・三の問題︵福士︶ 大般若経籍目一巻 唯識集一四巻 大般若籍目一巻 大毘婆沙心論抄一○巻 仏 顕 四 十 地 場 分 一 論 論 律 面 疏 疏 抄 経 四 一 一 疏 巻 ○ ○ 一 巻 巻 巻 輸伽料簡一巻 倶舎紗六巻 解深密経疏一部 二○二九・ 二○三○ 二○三一 二三八五 二五五九 二 一 一 一 ○ 一 一九八四 二五七四 二五一九 一一一一一一一一 二二六九 一一一一一一一一 唯 唯 大 大 識 識 般 般 要 論 若 若 集 集 籍 経 一 一 目 籍 三 四 一 目 へ 巻 巻 一 巻 四 一 巻 大毘婆沙心論抄一○巻 霊因師倶舎紗六巻 解深密経疏一○巻 仏地論疏四巻 四分律抄一○巻 顕揚論智仁疏一○巻 顕揚論疏一○巻 顕揚正教論疏一○巻 十一面経疏一巻 輸伽菩薩地疏 無垢称経疏六巻 弥勒菩薩経述讃三巻 弥勒経疏三巻 ︵輸伽料簡一巻︶ 一二’五三 一七’八四 三’六四六 九’三九二 四’九一 一二’五五 九 一 九 七 ’ 二 ’ ’ 五 ’ 三 四 九 一 八 九 三 四 八 ○ 八 二 ’’ 四 三 阿 汽 九 六 一○’三三○ 二’五一○ 一七’一二四 一七’一三三・ 一二’一六○ 一二’一六一 一二’五三 ︵唯識要集一三巻︶ − 2 2 −一四玄一 一三勝荘 一五義寂 ﹃大日本古文書l正倉院編年文書﹄にみられる新羅仏教の二・三の問題︵福士︶ 両巻無量寿経記一巻 両巻無量寿経疏二巻 元量寿経記二巻 法華経疏四巻 法華疏一○巻 随願往生経記一巻 仏性論義一巻 起信論問答一巻 梵網経疏二巻 金光明最勝王経疏八巻 最勝王疏八巻 両巻無量寿経疏五巻 枢要私記二巻 唯識枢要私記二巻 唯識論疏一○巻 唯識論要集一○巻 唯識論集一四巻 一八九五 一八九六 一八九七 二一三○ 一一一一一一一 二二二五・ 一二三一一ハ ニ三八二 二三八三 二四九二 二四九一 二四五六 二二三五 二○○六 二○○四 二三八八 二三八七 二三八六 一八九一 随願往生経記一巻 法花経疏一○巻 両巻無量寿疏二巻 ︵唯識枢要私記二巻︶ 仏性論義一巻 起信論問答一巻 梵網経疏二巻 勝庄師金光明疏八巻 勝庄師最勝王経疏 唯識論疏一○巻 唯識論要集一○巻 大般若経剛要一巻 九’二五 九’三九六 一○’三三○ 一三’三五 一二’三八二 一二’三八○ 九’三九二 一三’三五 一二’一六 一八’四六一 一二’八 三’五一○ 一四○ 一 一 一 三 八 一 浬藥経疏五巻 ︵唯識枢要私記二巻︶
﹃大日本古文書I正倉院編年文書﹄にみられる新羅仏教の二・三の問題︵福士︶ 浬藥経剛目二巻 浬藥経剛目一巻 浬藥経義記五巻 浬藥経義記四巻 浬薬経疏一六巻 云何偶一巻 梵網経疏二巻 梵網経文記二巻 法花論述記一巻 馬鳴生論疏一巻 馬鳴生論疏四巻 馬鳴論疏一巻 十二章 十二巻章一二巻 法華料簡一巻 理趣経幽讃一巻 大般若経剛要一巻 無量寿経述記一巻 両巻無量寿経疏三巻 一八九二 一八九三 二○二七・ 二○二八 二○四○ 一一一一一一一一一● 二一三四 二一七○ 二一七一 二一七二 二一七三 二一七四 二一七五 一一一一一一一一一一 二二三四 二五五○ 二五五二 二五五四 二五五三 二七一二 二七一三・ 二七一四 / - 、 両 両 理 梵 梵 梵 法 浬 浬 浬 法 巻 巻 趣 網 網 網 花 藥 藥 藥 花 無 経 幽 文 経 経 経 経 経 経 論 量 疏 讃 記 文 疏 料 疏 綱 義 述 寿 三 一 二 記 二 簡 一 目 記 記 経 巻 巻 巻 二 巻 一 六 一 四 一 疏 巻 巻 巻 巻 / − , 巻 三 五 、 - ′ 巻 、 - / 巻 ︵法花経論述記一巻︶ ︵馬鳴生論疏一巻︶ 一 三 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 七 ’ 七 七 二 二 七 七 八 七 ’ 六 二 二 七 ’ 八 ’ ’ ’ ’ ’ ’ ’ ’ 五 ’ ’ ’ ’ 一 六 九 一 五 三 一 八 四 八 四 四 三 五 八 四 八 ○ 四 八 三 三 六 七 五 ○ 七 三 二 ○ ・ 八 一 ○ 六 一 二 九 九 ・ 八 ○ 三 /-、/-、/-、へへ両 馬 法 大 法 浬 巻 鳴 花 般 花 藥 経 生 論 若 経 経 疏 論 述 経 料 綱 三 疏 記 綱 簡 目 巻 一 一 要 一 二 巻 巻 一 巻 巻 、‐/、-/巻、‐/、-/ ー − 2 4 −
二一玄隆 二○大賢 一九遁倫・ 道倫 一七表員 一八︵明晶︶ 一六大術 ﹃大日本古文書l正倉院編年文書﹂にみられる新羅仏教の二・三の問題︵福士︶ 如来蔵経疏二巻 大方等如来経疏二巻 大方等如来蔵経疏二巻 起信論疏一巻 成 梵 梵 最 業 網 網 勝 論 経 経 王 記 古 古 経 一 迩 迩 料 巻 記 一 顕 一 巻 一 巻 巻 大般若経疏一巻 海印三昧論一巻 花厳文義要決一巻 玄隆師章一巻 元隆師章六巻 二○一二 二○一三 二○一四 二四五八 一九九七 二二三七 二二三八 二六九六 二○二六 二七六三 二七六四 八 八 八 八 二 三 起信論疏一巻 大方等如来経疏二巻 ︵大方等如来蔵経疏二巻︶ 大般若経疏一巻 華厳文義要決一巻 ︵海印三昧論一巻︶ 梵網経古迩記一巻 ︵成業論記一巻︶ 玄隆師作章 玄隆法師章 玄隆師章一︵四・二 巻 一一ハ︶ 七’四九一 二四’五三九 三 五 一六’四○三 八’五三九 二四’五三九 四 ’ 七 一 ’ 七 ’ ’ 四 一 七 五 四 ○ 八 六 七 五 一二’四三五 一二’四三五 二’一○○・ 三○七・三二二 一二’三五八 一一’五六七 起信論疏一巻
二二審詳一審詳師経録一巻 ﹃大日本古文書I正倉院編年文書﹄にみられる新羅仏教の二・三の問題︵福士︶ 二八九三一繩繩州綱緋哨巻 一六’四三五 一三’三九・ 一七’一二ハ −26−