うつ病の治療ガイドラインをめぐって
本 橋 伸 高
山梨大学大学院医学工学総合研究部精神神経医学 要 旨:自殺者が増え,うつ病治療に対する関心が高まっている中で,うつ病の治療ガイドライン が各国で発表されている。うつ病治療に際しては,休養と薬物治療が中心になるが,特に初期に治 療関係を築くことが大切である。薬物療法の中心は選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI) などの新しい抗うつ薬に移行してきている。ガイドラインよりも具体的で実践的な治療アルゴリズ ムも発表されており,治療に役立つことが期待される。しかしながら,薬物療法に抵抗を示すうつ 病は存在し,その治療には電気けいれん療法(ECT)が安全性を高めた形で見直されている。この ほか,磁気刺激療法や認知療法にも期待がもたれているが,うつ病の再燃や再発は大きな問題とし て残されており,さらに新たな治療法の開発が求められている。 キーワード うつ病,治療ガイドライン,アルゴリズム,SSRI,ECT わが国における年間の自殺者数が 3 万人を超 え続けている中で,うつ病の治療についての関 心が高まっている。実際ハーバード大学,世界 保健機関および世界銀行の共同研究によると, 1990 年の時点で死亡や障害のためうつ病によ り失われてしまう年月の多さは,あらゆる病気 の中で第 4 位に位置しており,これが 2020 年 には第 2 位になることが予想されている1,2)。 うつ病になると循環器疾患や悪性腫瘍になりや すいとの報告もあり3–5),うつ病を早期に発見 し,治療することは大切である。さらには,う つ病の多くが内科を中心とする精神科以外の科 を受診していることからも,適切な治療ガイド ラインが求められる。ここでは,1990 年代以 降各国で発表されているうつ病の治療ガイドラ インを紹介するので,治療に役立つことを期待 したい。 各国のうつ病治療ガイドライン 1990 年代よりうつ病の治療ガイドラインが 米国を中心に発表されている6–9)。英国の国立の専門機関 National Institute of Clinical
Excel-lence(NICE)が発表しているもの10)を除い ては,各国の精神科関連の学会が作成している ものが多い。わが国では精神医学講座担当者会 議によるガイドラインが 2004 年に発表され た11)。この中では,初診時に治療関係を構築す ることの重要性が述べられている。この際参考 となるポイントをまとめておく(表 1)。急性 〒 409-3898 山梨県中巨摩郡玉穂町下河東 1110 受付: 2005 年 6 月 28 日 受理: 2005 年 6 月 28 日
総 説
表 1.治療関係の確立(文献11)による) 1)十分に話を聞くこと 2)十分な病気の説明 病気の性質,治療可能性,見通しなど 3)治療方針の説明 治療内容,休養期間,日常生活の注意点など 4)経過に則した心理教育 急性期:休息と薬物療法 継続期:再燃予防 維持期:再発予防期のみならず,同じエピソードの悪化である再 燃や新たなエピソードの再発を予防するために も心理教育が大切であることが強調されてお り,特に急性期には小精神療法12)が役立つこ とが示されている(表 2)。 第 1 選択薬 うつ病の治療は休養とともに薬物療法が中心 となる。主な治療ガイドラインの第 1 選択薬を 表 3 にまとめておく。選択的セロトニン再取り 込 み 阻 害 薬 selective serotonin reuptake in-hibitor(SSRI)を中心とした新しい抗うつ薬 の選択されることが多いが,わが国では未認可 の薬物も少なくない。オーストラリア・ニュー ジーランド精神医学会や英国の NICE のもので は,軽症例では薬物を用いず,カウンセリング などを中心に治療を行うことが推奨されてい る9,10)。また,生物学的精神医学会世界連合の ものでは,薬物を特定することをしていない8)。 治療効果を見極めるには,4 ∼ 6 週間の薬物投 与が必要と考えられている。 薬物治療アルゴリズム 以上のガイドラインが網羅的,解説的である のに対し,より実践的で使いやすい治療アルゴ リズムが発表されている。アルゴリズムとは, 元来数学などである問題を解くための計算手順 の集まりを示す言葉であったが13),医学の分 野では臨床像とそれに対する治療の反応の経過 を 流 れ 図 に 示 し た も の と し て 使 用 さ れ て い る14)。 米 国 で の International
Psychopharma-cology Algorithm Project(IPAP)が最初のもの であり,その後欧州版や日本版が作成されてい る15–17)。アルゴリズムの長所と限界を表 4 にま とめておく。最初の日本版アルゴリズム発表時 表 2.急性期の小精神療法(文献12)による) 1)病気であって単なる怠けではないことを本人な らびに家族に告げる 2)出来る限り精神的休養をとるよう指示する 3)薬物が治療上必要である理由を説明し,無断で 服薬を中止しないよう求める 4)次第に精神的な苦痛は減っていくが完治には短 くても 3 か月,時には 6 か月はかかることをあ らかじめ告げる 5)治療中一進一退のありうることを告げる 6)治療中自殺などの自己破壊的行為をしないこと を誓約させる 7)治療が終了するまで人生上の重大な決断をしな いよう薦める 表 3.各種ガイドラインの第 1 選択薬 ガイドライン 米国6) カナダ7) オーストラリア 英国10) 日本11) 国際的8) ニュージーランド9)
抗うつ薬 SSRI SSRI 中等症 中等症 SSRI 特定せず
nortriptyline bupropion SSRI SSRI SNRI
desipramine mirtazapine 重症 その他
bupropione nefazodone TCA
venlafaxine venlafaxine venlafaxine reboxetine
SSRI, selective serotonin reuptake inhibitor; SNRI, serotonin-noradrenaline reuptake inhibitor; TCA, tricyclic an-tidepressant 下線で示す抗うつ薬はわが国で使用可能.Venlafaxine は SNRI であるが,わが国では未認可. 表 4.アルゴリズムの利点と限界(文献17)による) 長所 1) 実践的(ガイドラインは網羅的,解説的) 2) みかけの難治例を減らすことが可能 3) 臨床精神薬理学的研究成果を臨床に反映 4) 未解決な研究課題の明確化 限界 1) 治療方針決定の参考資料にすぎない 2) 新しい治療薬の出現により改訂が必要
にはわが国の薬物療法の選択が限られており, その後 SSRI を初めとして多くの薬物が認可さ れたため,2004 年に気分障害の治療アルゴリ ズムの改訂版を発表した18)。薬物の選択に際 しては,実証的な臨床研究の成果を重視したも のの,典型的な症例を文書で提示し,それにつ いての薬物選択を問うアンケート調査の結果も 加味し,日常診療との差が広がらないように努 めた。軽症・中等症うつ病のアルゴリズムを図 1 に示しておく。安全性を考慮し,第一選択薬 は SSRI または SNRI としている。効果が不十 分な場合は,他の抗うつ薬に切り替えるか,抗 うつ薬の効果を増強する炭酸リチウムなどを追 加する。どうしても治療効果が得られない場合 は,電気けいれん療法 electroconvulsive thera-py(ECT)が選択される。いずれにせよ,完全 寛解を目標として,治療を行うことが重要と考 えられている。こうしたアルゴリズムを用いる ことによる臨床的な成果については,今後の研 究を待たねばならないが,テキサス大学では, 図 1. 軽症・中等症うつ病に対する治療アルゴリズム(文献18)による) *:「有効」と判定した場合は「寛解」を評価する。点線内を示す。 DSM-IV :米国精神医学会「精神疾患の診断・統計マニュアル 第 4 版」 SSRI :選択的セロトニン再取り込み阻害薬,SNRI :セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬, TCA :三環系抗うつ薬,non-TCA :非三環系抗うつ薬,ECT :電気けいれん療法
アルゴリズムを用いて治療するとうつ病の治療 成績が向上し,患者の満足度も高まることを報 告している19)。 電気けいれん療法 electroconvulsive therapy(ECT) 1938 年に統合失調症の治療法として開発さ れた ECT は,多くに疾患に対して用いられ, 特にうつ病に著効を示すことが知られていた。 薬物療法の進展のなかで ECT はあまり用いら れなくなり,また,治療法というよりは病院の 管理手段として乱用されたことも使用を控える 理由となった。しかしながら,薬物治療抵抗例 に対する治療法として見直され,安全性を高め る形での ECT が見直されている20)。うつ病の 治療法として,ECT は上述のガイドラインや アルゴリズムでも必ず取り上げられている。実 際,うつ病の短期的な治療としては,ECT が 薬物療法に勝ることがメタアナリシスでも示さ れている21)。わが国においても,総合病院を 中心として,安全性を高めた全身管理下(静脈 麻酔薬と筋弛緩薬を併用)の ECT が広まって おり22),従来から唯一用いたれていた電圧を 変えるだけのサイン波の治療器(図 2A)に代 わって,脳波・心電図・筋電図のモニターが可 能な短パルス矩形波(パルス波)の治療器も 2002 年以降使用可能となった20)(図 2B)。しか しながら,パルス波の治療器を用いて効率的に けいれん発作を誘発しても,副作用としての記 憶障害は克服できていない。 再燃や再発の予防 うつ病の問題点の一つとして,再燃率や再発 率の高さが上げられる。再燃を防ぐためには継 続療法が必要で,急性期治療に用いた薬物を同 じ量で 6 か月投与することが大切と考えられて いる。部分寛解では完全寛解するまで投与を続 ける必要があり,リチウムを用いて抗うつ薬の 効果を増強することに成功した例では,リチウ ムも継続投与することが推奨されている。また, 投与中の薬物を中止する際には,数か月かけて 漸減する必要がある8)。さらには,再発の危険 性の高い例(表 5)に対しては,再発を防ぐた めの維持療法も考慮しなければならない。使用 薬物は,急性期・継続療法で効果のあった薬物 を用いることが原則であるが,再発を防げない 場合には,リチウム単独あるいはリチウムと抗 うつ薬の併用が有効なことがある。投与期間に ついては,5 年以内に再発した例やなかなか寛 解しなかった例に対しては,最低 3 年間の維持 療法が必要とされる。再発率の高い例では 5 年 以上の維持療法が必要と考えられている。長期 図 2.旧式のサイン波 ECT 治療器(A)と最新式のパルス波治療器(B) わが国では旧式の治療器が未だに用いられている。
に治療していた場合,薬物を中止するには数か 月かけて漸減しなければならない23)。薬物療 法のみでは再燃や再発を防ぐことができない場 合で,ECT が急性期治療に著効した際には, 薬物療法と ECT を併用して継続・維持療法を 行うことも試みられている。 今後の課題 うつ病は有病率が高く多くの臨床現場で遭遇 する疾患である。初期に適切な治療を行うこと が重要であり,そのためには治療ガイドライン やアルゴリズムが有用であろう。しかしながら, 薬物治療に抵抗を示す例は決して少なくない。 このような例に対して,ECT は有用であるも のの,健忘を中心とする副作用は克服できてい ない。また,ECT を安全に施行するためには 全身管理が必要であり,原則的に入院治療とな る。麻酔を要せず,外来で施行可能な経頭蓋磁 気刺激療法は,健忘などの副作用がほとんどな く,ECT に代わる治療法として期待が持たれ ている20,24)。さらには,再燃や再発を繰り返す 例に対する認知行動療法の有用性も示されてお り25,26),これらの治療法を洗練化させるととも に,新たな治療法の開発が求められている。 文 献
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