本化妙宗の信行
昔 、 潮 旭 島 信心ごは如何なるものか?と問へば、大乗法 苑義林仁は﹁信とは信順の義なり﹄又大回数義仁 は﹁信心ごは随順主義となす﹂ど説︿如︿、信心 ごは順ふご云ム意味で、換言すれば自己設却しτ
一点の疑惑を挟まぬさ云ふ事である。きれば法華 経提婆注多口問仁は﹃浮心仁必敬して、疑惑を生せ ぎらんものは、地獄餓鬼畜生に随一もずしτ
、十方 の備前仁生せん﹄と設かれたり。然らば其の心的 股態如何ごいよに、五日人は宜敷く境心一知する仁 外ならず、即ち人間以上のカ、肝心の卦境たる本 門の本傘、鼻、れに心を打任せて、脚かも疑念を生 じなかった・ならば、こ冶仁無限の希望ご、絶大の 力ごを生ゃるのである。 さτ
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一嘗じ欲求願饗する所の宗教 即も本化妙宗の汗境は、先に述べた本門の本軍で ある事を知ったならば、其の本雰に謝する場合、 必の奥底を傾けた、根本心で信じたなら、其剥那 仁 於τ
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つご霊光薫被するのである。 事粗大草人が北海の寒山、佐世が島、高宇巴ぜ﹂ 降り積む零の中仁、確然たる大安心を得て、如説 修行されたる、奮闘的精紳も.骨樟曾のふ南言を少 しも疑はず、堅く法艇事に信を置かれたからであ 叉 M G 一冗来悌の大智慧、大慈悲が、すでに法界の根本 心である以上、我等の正信もまり一是と同一線なら ぎるぺからず、故仁怖の心を通じて、法界の異際 仁蹄入せんごするのが、我等の起信立行の目的な れば、某白根本心的費動に非引されば、備に接燭す る事は甚だ至難である、我等は肉体欲本位ごいふ 劣等の、心的賦態を超越した、異心即も心の底本 を拓いて、非、の異面はを殺弾し、以て仰の大智慧 や大慈悲の霊線を接繋したいのである。 既に本化妙宗の信を述ぺたる以上は、本化妙宗 の行を知らずんばあるべから A Y ・その行ごは即も 純会敷的の行、慮世化せる行のニ者仁して、前者 ( 47]を修行ご目し後者を願業ごする。 A 寸前者の修行の 事た銑べんに、其行は一冷法界の真理仁遁合し正 惑にか争ったものに非ざれば、備の本意に符合せ んのである。大韓備の本意は人に最上の道を輿へ 最上の端末を得せしめんさいムに在る。即も無上の 異理たる法事艇に安住して共の敬意仁則って人生 を経替するこどで、人間の身を以って悌の事を行 ふ即身成悌之である。是くの如︿偽は元々一切衆 生に偽の築を奥へたい鋳仁、偽自身が因果の骨髄 を留めて経教に痩し、其れを末世の衆生じ信受奉 行させて其目的乞叶はしめたいご云ふのである h r ら、若しも之を行ずるものは直もに如来の所作を 行ずる事仁なるのである。然らば其の行ごは如何 なる至難のものかと云へば、只﹃南無妙法蓮華経﹄ と唱へるこごである。尤も身、口、意、三業別々 で争︿、相臨時じて一如一致して唱へるのであるロ この三業一如した所に三大秘法が人間の聾仁化し て所作と現令るのである o をし℃三業受持の行軌ごは、意仁念じ口に唱へ 身に行ふ事で、甚