【解説】 一 架蔵の 『西国三拾三所由来』 (元治元年 〈一八六四〉 写本)一冊について、簡単な解説とともに、翻刻を 付 し て 紹 介 す る こ と と す る。 こ の『 西 国 三 拾 三 所 由 来 』 は、 す で に 本 誌、 「 言 語 と 文 化 」 第 二 十 六 号 ( 文 教 大 学 大 学 院 言 語 文 化 研 究 科 付 属 言 語 文 化 研 究 所、 二 〇 一 四 年 三 月 十 五 日 刊 ) の 拙 稿「 『 西 国 順 礼 大縁記』について」の解説の注(7)で触れたもの である。 まず、書誌を記しておく。 江戸末期、元治元年(一八六四)四月の写本 一冊。料紙は楮紙。縦二十四 ・ 三糎、横十六 ・ 七 糎。 表 紙・ 裏 表 紙 と も 本 文 共 紙。 袋 綴。 仮 綴。 全 四 十 一 丁( 表 紙・ 裏 表 紙 を 含 む )。 墨 付 本 文 三十九丁。本文は毎半葉六行。端正な筆跡の漢 字、 平 仮 名 交 り 文( 一 部 片 仮 名 も あ る )。 漢 字 には大半平仮名のルビが付されている。外題は 表 紙( 一 丁 オ ) 中 央 に 打 ち 付 け 書 き で、 「 西 國 三拾三所由来」と大書する。 な お、 裏 表 紙( 四 十 一 丁 オ ) の 奥 書 に「 元 治 元 甲 子 歳 / 四 月 吉 祥 日 寫 」「 中 原 氏 / 所 持 」 と あ る の で、 元治元年(一八六四)四月の写本で、当初の所持者 は「中原氏」を名乗る人物であった。また、裏表紙 ( 四 十 一 丁 ウ ) に は「 京 衣 棚 夷 川 上 ル 町 / 井 筒 屋 吉
『西国三拾三所由来』について
―解説並びに翻刻―
稲
垣
泰
一
右衛門/所藏」と記されており、井筒屋吉右衛門な る者の所蔵するところとなったことが分かる。 ところで、西国三十三所観音霊場の成立、及び起 源伝承について記す文献資料、書物などについては、 前稿で一通り述べておいたので、ここでは省略に従 う。 近 世 後 期 に 入 っ て、 西 国 三 十 三 所 観 音 霊 場 記、 または西国三十三所観音霊場記図会など霊場記類の 冒頭に、西国三十三所の起源、由来が簡略に記され るようになるが、その部分を独立させて、あらため て一冊本としてまとめあげられたのが、前稿で取り 上げた『西国順礼大縁記』であり、また本書なので ある。一冊本としてまとめられたものはあまり知ら れておらず、前稿でも示した通り、数点が翻刻、紹 介されているにすぎない。 二 次に、本書の梗概を要約して以下に記す。 ① そもそも、西国三十三所観音を廻ることを順 礼という。この順礼の根元は、紀州熊野権現 が旅僧と現じて、人王六十五代花山院と同行 して、西国三十三所を順礼して廻ったのが始 まりである。 ② その昔、焰魔大王が冥土で金泥の御経一万部 の供養の導師として、書写山の開山性空上人 を招いた。その時、大和国長谷寺の開山德道 上人も共に供養を行った。 ③ 焰魔大王はその布施として、いろいろの宝物 を授けようとしたところ、上人方々は七珍万 宝の品々は無益であり、末世の衆生を救済す る こ と が 望 み で あ る と 申 し 上 げ る。 す る 焰魔大王は、日本には生身の観世音の霊仏が 三十三躰あり、それを一度参詣する者は、十 悪五逆の罪・咎を作った者でも地獄に落ちず、 一家一門、現在の親類、七世の父母までも成 仏することを述べ、これを信ずるならば、順 礼日記を与えると告げる。上人方々は衆生救 済のため、日記文を賜りたい旨申し上げると、 焰魔大王は起證(請カ)文と名石(跡カ)の
札とを授ける。 ④ その文には、日本に生身の観世音が三十三躰 あること、西国順礼を一度した者は十悪五逆 の罪を作った者でも地獄に落ちず、極楽往生 できること、これに相違した場合は、焰魔大 王が自ら地獄に落つべきこと、毎月観世音に 参詣すべきこと、また、西国札所の箇所書き 等が記されていた。 ⑤ 上人方々はこの起證文と名石の札とを受け取 り、わが朝に持ち帰って奏聞したが、その折 は西国順礼を弘める時機ではないとして、摂 津国中山寺の太子御影堂にこれを納め置いた。 ⑥ その後、花山院は十七歳で即位し、十九歳で 西国順礼を思い立つ。その師匠を誰にすべき か公卿・大臣に尋ね、勅使を熊野権現に遣わ すことになる。勅使が熊野権現に祈念したと ころ、帰京の道中で仏眼上人という尊い僧と 出会うであろうとの夢告を受ける。勅使は帰 途、仏眼上人と出会い、内裏に同道する。花 山院は仏眼上人を戒師として落飾。法名を入 覚と名乗った。 ⑦ 花山法王はその布施として、仏眼上人に七珍 万宝を授けようとしたところ、上人は衆生救 済が望みであると申し上げる。そして、仏果 を得ようとするならば、西国三十三所順礼を すべきであると勧める。すなわち、日本には 生身の観世音の霊仏が三十三躰あり、これを 順礼すれば地獄に落ちず、極楽に往生すると のことで、焰魔大王が授けた名石の札、起證 文、参詣日、順礼箇所等の記文が、摂津国中 山寺の太子の御影堂に納め置かれていること を教える。花山法王は勅使を中山寺に派遣し、 中山寺の開山凉忠上人と能判法印、弁空法印 の三人が太子堂を開いて、順礼日記、起證文 を取り出して勅使に渡した。勅使は仏眼上人 と同道して内裏に持参し、法王はこれを御覧 になった。その文には、三十三所の国別と箇 所数が記されてい た ( 1 ) 。
⑧ 札所一ヵ所七日間参籠することとして、花山 法王は仏眼上人を先達として、西国順礼する ことになる。その時の同行は、冥士、わが朝 の神仏等合わせて十三 名 ( 2 ) であった。この十三 名が同行して、西国順礼が開始される。順礼 の納札は仏眼上人が記し、 寛和元年(九八五) 三月十五日に都を出立して那智に到着、札打 ち始め、一ヵ所七日ずつ参籠して、翌年六月 一日、美濃国谷汲山で札を打ち納めた。 ⑨ 順礼の広德としては、仏眼上人の申し上げる には、十ヵ条の功徳があるとして、その十ヵ 条を逐一詳しく記す。 ⑩ 順礼した者の家には、天照太神宮、熊野大権 現、浄土の観世音が影向すること、谷汲山よ り富士禅定すべきこと、更に、西国順礼した 者は、現世の親のみならず、七世の父母まで が成仏すること、熊野権現の御誓願によれば、 熊野に三十三度参詣するよりも功徳があるこ となどを記す。 ⑪ 仏眼上人は順礼の広德を法王に語り終えると、 熊野に参詣すると申し上げて消え失せる。法 王は悲しんで、熊野に参って仏眼上人に再度 会いたい旨を祈念する。 ⑫ 満願の夜半に、神前の戸が開き、位高い声で、 仏眼上人とはわが身、すなわち熊野権現であ ると告げる。法王は感涙のあまり、那智に千 日籠り、その後、西国三十三度廻りを思い立 つが、年齢を考慮して、ひとまず都に帰った。 ⑬ 帰京の後、京都の東南の地を選定して、紀州 熊野権現を勧請し、諸堂を建立する。これを 今熊野とい う ( 3 ) 。西国順礼札所十五番である。 ⑭ 前文の要旨を記す。花山院法王は熊野権現の 再誕ともいうべきである。また、仏眼上人は 熊 野 権 現 で あ る こ と。 最 初 の 順 礼 に は 冥 わが朝の神仏等が同行して成されたこと。こ の縁記を聞く者は西国三十三所順礼を一度し たことになること、罪科を滅して仏果の縁と なること、また、熊野権現が仏眼上人と現じ
て仰せられたことを疑う者は、今の世で災難 に会い、来世では地獄に落ちること、これは 熊野権現の御託宜なので、決して疑ってはい けないこと、などを記す。 ⑮ 南無熊野那智山清浄殿大菩薩。 大権現宝前の歌、権現の御詠歌一首を記す。 ⑯ その後、人王七十七代後白河法王は世の無常 を感じ、譲位された後、伊勢神宮に参詣する。 その時、一人の僧と出会い、落飾する。法名 を付けてもらいたい旨願うと、僧は那智山に 参拝せよと告げて消え失せる。これは天照太 神が現れたもので、法王はありがたく思し召 し、那智山に千日参籠する。満願の時、権現 が現れ、法王の志が深いので、髪を剃ったと 告げる。法王の歌一首と権現の歌一首を記す。 ⑰ 法王は権現に、どのようにして衆生を救済す べきかを尋ねると、権現は西国三十三所順礼 が功徳広大無辺であると告げる。それ故、西 国順礼のことを万民に伝え、西国順礼の人々 が大勢出てきたのである。 ⑱ 右の通りのことを疑わず、観音を信心すれば、 広徳はいうまでもないので、決して疑っては な ら な い。 た だ し、 信 心 に も い ろ い ろ あ り、 自分に応じて考えるべきであるとする。 ⑲ 花山院法王の御廟所の事。 花山院法王が西国順礼の後、津の国中山寺と 清水寺の間が遠距離で、不便であることを思 われて、その間の上田の宿より五十里北、尼 寺村を登った山上に一宇を建立して、ここに 籠られた。ここは女官達が同道できない場所 なので、その麓に一宇の草庵を建てて、女官 達はそこに籠って尼となっ た ( 4 ) 。それ故、そこ を尼寺村というのである。中山寺と清水寺の 道筋の真ん中を選んで、花山法王自ら一宇を 建立なさったのである。 ⑳ 摂津国有馬郡尼寺村、東光山菩提 寺 ( 5 ) 。 右の所は今に至るまで、花山院法王の御廟所 である。また、御陵でもある。この由来を知
る人は少ない。この御廟所を参詣しないこと があってはならない。西国順礼の元祖は花山 院法王なので、なお更、拝参しないわけには いかないのである。それを知らせるためにこ こに記す。 以上、大変長くなってしまったが、本書の梗概を ①~⑳にまとめてみた。次に本書の特色を記すこと にする。 三 ①は本書の大意で、西国三十三所観音順礼は熊野 権現が現じた旅僧(仏眼上人)と花山法王が同行し て始まったことを述べる。②以下⑫までは、おおむ ね前稿の『西国順礼大縁記』と同内容の筋の展開で ある。ただし、花山院の戒師となる仏眼上人は『西 国 順 礼 大 縁 記 』 で は、 勅 使 が 河 内 国 石 川 郡 磯 長 里、 上 宮 太 子 の 墓 所( 磯 長 の 墓 ) に 派 遣 さ れ た と き 出 会った、眼より金色の光を放つ僧である。その他の 文献、書物でも同様であるのに対して、本書⑥では、 仏眼上人は熊野に遣わされた勅使が、熊野権現の夢 告を受けて、京への帰途に出会う尊い僧で、熊野権 現が現じた僧であることを前提として、それを強調 している。また、⑦では、中山寺の開山凉忠上人と 能判法印、弁空法印の三人が登場し、太子堂を開い て、順礼日記等を勅使に渡していること、その記文 の三十三所の国別と箇所数を明記している点なども、 本書の特色である。⑧では、花山院法王が仏眼上人 を先達として、寛和元年(九八五)三月十五日に西 国三十三所順礼に出立するが、その時、冥土、わが 朝の神仏等十三名が同行したとし、その名を列挙し ている。これも本書の特色といってよい。 続いて、⑬では、花山院法王は京の東南の地を選 定して紀州熊野権現を勧請して一宇を建立、今熊野 と 称 し て、 西 国 順 礼 十 五 番 札 所 と し た こ と、 は、後白河法王が伊勢神宮参詣の際、天照太神が現 れ、那智山に参籠すると、満願の時、熊野権現が現 れ、法王の髪を剃ったことを告げる。そして、西国 三十三所順礼の功徳広大を万民に伝えるようになっ
たとする。⑲では、花山院の御廟所、すなわち東光 山菩提寺建立の由来を詳しく述べるとともに、花山 院の御廟所、御陵であるこの寺に参詣すべきことを 強調している点なども本書の特色として挙げられる。 ⑨、 ⑩ で 三 十 三 所 順 礼 の 功 徳 十 ヵ 条 を 掲 げ た り、 順礼したものの家には神々が影向し、更には、父母 への報恩が甚大であるとする点、⑭では、仏眼上人 が熊野権現が現じたものであることを説き、この縁 記を聞く者は両国順礼を一度したことと同じである として、罪科を滅して、仏果の縁となるとしている 点などは前稿の『西国順礼大縁記』と全く同一の記 述内容である。 『 西 国 順 礼 大 縁 記 』 は 平 仮 名 主 体 の 本 文 で あ り、 音読をそのまま表記した形跡が見られるところから、 霊場参詣、巡礼のいわゆる〈講〉組織の仲間うちで 書き記され、読み上げられたもの考えられる。それ に対して、本書は端正な筆跡の漢字、平仮名交じり 文であり、また、かなり詳しく記述されているので、 〈 講 〉 組 織 の 中 で 作 成 さ れ、 講 読 さ れ た り、 巡 礼 の 道中に携行して読まれたものと推察される。 なお、本書はやや小ぶりの『西国順礼御詠歌』一 冊と一対のものであり、両者をセットとして入手し たものである。そこで、ここに該書の書誌を簡単に 記しておく。 江 戸 末 期 の 写 本 一 冊。 料 紙 は 楮 紙。 縦 二十 ・ 〇糎、横十三 ・ 九糎。表紙・裏表紙共に本 文共紙。袋綴。仮綴。全十九丁(表紙・裏表紙 を含む) 。墨付本文十七丁。本文は毎半葉三行。 漢 字、 平 仮 名 文 で、 札 所 番 順 に 御 詠 歌 を 記 す。 外題は表紙(一オ)中央に打ち付け書きで「西 國順禮御詠歌」と墨書する。 本稿では、この書の翻刻は省略した。 (注) (1) 西国三十三所の国別と箇所数については、早 く高山寺古文書「観音卅所日記」高山寺資料 叢書第四冊『高山寺古文書』第二部〈東京大 学 出 版 会 〉 所 収 )、 及 び 醍 醐 寺 蔵『 枝 葉 抄 』
「観音卅三所」 (醍醐寺資料叢書、研究篇〈勉 誠出版〉所収)などに記されている。 (2) 花山院法王、円融院法王を始めとして、善光 寺如来以下江戸期に信仰を深めた神仏、そし て徳道上人、性空上人、最後に、熊野権現が 現じた仏眼上人の十三名を記す。 (3) 現在は京都市東山 区 の泉涌寺の一院となって いる。第十五番札所新那智山観音寺(今熊野 観音)をさす。近くには、後白河院が熊野権 現を勧請した 新 いま 熊野神社があり、観音寺を本 地堂とした。 (4) 現在、弘徽殿女御の五輪塔を中心に、その他 十一人の墓石(十二尼妃の墓)がある。 (5) 兵庫県三田市にある番外札所、東光山花山院 菩提寺をさす。境内には、花山院の御陵とし ての供養塔(宝篋印塔)がある。 〔付記〕 本稿を成すに当たり、言語文化研究所準研 究員、名嘉友子氏の助力を得たことを付記 しておく。
表紙(一オ)
表紙裏(一ウ)
裏表紙(四十一ウ)
『西国順礼御詠歌』表紙(一オ)
本文末尾(四十ウ)
【翻刻】 一、 本文及びルビはすべて原文通りとした。字体は 通行字体とし、旧漢字、新漢字は区別して用い た。 一、適宜、段落を設け、句読点を施した。 一、会話部分、心中思惟部分は、適宜「 」を入れ た。 一、丁替わり、表・裏は、丁数、オ・ウの順で、毎 半 丁 末 尾 に、 」( 二 オ )、 」( 二 十 一 ウ ) の 如 く 示 した。 一、 「ツ」 「ニ」 「ハ」 「ミ」は片仮名とした。 一、 異 体 字、 略 体 字 は、 「 」 は「 よ り 」、 「 ニ 而 」 は「ニて」 、「 」「 」は「候」 、「 」「 」は 「 被 」、 「 广 」 は「 魔 」、 「 哥 」 は「 歌 」、 「 」 は 「霊」 、「〆」は「しめて」とした。 西國三拾三所由来(中央) 」(一オ) (白) 」(一ウ) 抑 そもく 、 西 さいこくさんじうさんしよ 國 三 拾 三 所 之 観 くわんぜおん 世 音 め ぐ る を 順 じゆんれい 礼 と 申 もおす な り 。 此 この じ ゆ ん れ い 根 こ も と 元 を た づ ぬ る に 、 か た し け な く も 紀 き し う く ま の ご ん げ ん 州 熊 野 権 現 が た び 僧 そう と げ ん し た ま い て 、 和 光 の ち り に 交 ましわり り 、 衆 しゆじやう 生 さ い 度 ど の た め 、 世 せじやう 上 に 出 いで さ せ た ま ふ 處 ところ 」( 二 オ )、 比 ころ ハ 人 に ん の う ろ く じ う ご だ い く わ さ ん い ん 王 六 拾 五 代 花 山 院 の 御 ぎ よ う 宇 な り 。 し か れ は 、 熊 く ま の ご ん げ ん さ ま 野 権 現 様 と 御 おんどうぎやう 同 行 に て 、 西 さいこくさんじうさんしよ 国 三 拾 三 所 じ ゆ ん れ い め ぐ り た ま ふ と 申 な り 。 去 さるほど 程 に 、 焰 ゑ ん ま わ う ぐ 魔 王 宮 が め い ど に て、 こ ん で い の 御 お ん き や う い ち ま ん ぶ 経 一 万 部 く よ う 遊 あそば し 候 そうろ せ つ に、 一 い ち ま ん 万 の 衆 し ゆ そ う 僧 を く よ う 」( 二 ウ ) し 給 たま ふ に、 御 お ど う し 道師 には、 諸 し よ ぶ つ し よ ほ さ つ ご ど う ざ 佛諸菩薩御同座 のうちに、はり まの 国 くにしようしやさん 書写山 の 開 かいさん 山 にて、 性 しよくうじやうにん 空上人 と 申 まうすたつと 尊 き 御 おんそう 僧 の ま し ま す な り。 又 また 、 此 この と き ニ 大 や ま と 和 の 国 くに は つ せ 寺 でら の 開 か い さ ん 山 、 徳 とくどうじやうにん 道 上 人 も 御 に う め て ( 1 ) 有 あり 。 性 しよくうじやうにん 空 上 人 と 供 とも に 御 ご く や う 供 養 」( 三 オ ) を の べ た も ふ て、 御 け ち ぐ わ ん の せつに、 御 お ん ふ せ 布施 として、いろ
く
の 宝 ほう もつ 数 かづ をつく してさし 上 あげたま 給 ふところ、 其 その とき 上 じやうにん 人 のかたぐ
仰 おふせ に は、 「 七 し ち ち ん ま ん ほ う 珍 万 宝 の 品 しな 々 ぐ ハ 無 む や く 益 な り。 願 ねがハ く ハ、 末 ま つ せ 世 の 衆 しゆじやう 生 を た す く べ き 事 こと こ そ 望 のぞみ に 」( 三 ウ ) 候 そうら へ 共 ども 、 た か ら に は 一 いつせつのぞみなく 切 望 無 レ 御 座 ござこそうろ 候 」 と 御 おんもおしあげ 申 上 け れ ば、 「 仰 おふせ之 義 ぎ ご も つ と も な り 御 尤 也 。 か つ 又 また 、 か た
ぐ
御 おんもおし 申 に は、 三 さ ん が い 界 の 衆 しゆじやうあく 生 悪 ご う の 身 み に て、 地 ち ご く 獄 へ お つ る 事 こと む ざ ん な り。 かれをたすけんとおもへとも、 少 すこ しの 善 ぜん をもなさず。 ゆ へ に、 ご く そ つ 」( 四 オ ) の 手 に 渡 候 事 ひ ま も な し。 然 しか るに、 大 たいにつほん 日本 ニハ、 正 しよう じんの 観 くわんぜおん 世音 の霊仏と 申て、 三 さんじうさんたい 十三躰 ましますなり。 此 このふつぜん 佛前 へ 一 い ち ど ま い 度参 り 候 そうろ も の ハ、 た と ひ 十 じ う あ く ご き や く 悪 五 逆 の 罪 つ み と が 咎 、 む り や う お く ご う の 間 あいだ ニ 作 つく り な し た る も の に て も、 地 ぢ ご く 獄 へ ハ 」( 四 ウ) 落 おつ べからず。 則 すなわち 、 佛 ぶつくわ 果 の 臺 うてな に 至 いた るなり。かつ 又 また 、 一 い つ け い ち も ん 家 一 門 之 内 う 、 壱 い ち に ん な り と も 人 成 共 、 西 さいこくじゆんれいいた 国 順 礼 致 す 事 こと な ら バ、 現 げんざい 在 之 親 しんるい 類 ハ 申 もうす ニ す 不 レ 及 およバ 、 七 ひ ち せ 世 の 父 ふ ぼ 母 迄も、 成 じよぶつ 仏 すべ き 事 こと ハうたがひなし。 此 こ の ぎ 義 をしかるべきやうにおぼ しめせは」 (五オ) 、 則 すなハち 、 順 じゆんれいにつき 禮 日記 を 参 まい らせん」と 仰 おふせ け れ バ、 上 しようにん 人 か たぐ
も 聞 きこ し め し、 「 そ れ ハ ま こ と に し ゆ ぜ う 成 な る お ん こ と 御 事 也。 三 さ ん が い 界 の 衆 しゆじやうじうあくふか 生 十 悪 深 き に よ り、 ま の あ た り の ふ し ん を は ら し、 う た が ひ 申 も う し ま じ く そ ろ 間 敷 候 。 何 なに と ぞぐ
、 末 まつ 世 の 衆 しゆじやう 生 を す く ひ 」( 五 ウ ) 申 まうしたき 度 ゆ へ、 何 なに そかたき 御 ご し よ 書 ニても 送 おく りたまわりや」と 仰 おふせ け れハ、ゑんま 十 じうわう 王 ハ、 実 げ にもとおほし 召 めし て、 起 き し よ も ん 證文 なされけるが、 其 そのとき 時 に、 名 めいせき 石 の 札 ふだ を 拵 こしらへ て、 其 そのもん 文 一 ひとつ 、 娑 し や ば せ か い だ い に つ ほ ん 婆 世 界 大 日 本 ニ、 生 しようしんくわんぜおんさんじうさんたい 身 観 世 音 三 拾 三 躰 ま す 也 なり 。 彼 か の ご ぜ ん 御 前 へ 」( 六 オ ) 西 さいこくじゆんれい 国 順 礼 を 一 い ち ど い た 度 致 輩 ともがら ハ、たとひ 十 じうあくごぎやく 悪五逆 のつみ、 又 また むりやうおくがふ の 間 ま に 作 つく り な す も の ニ て も、 地 じ ご く 獄 に お ち ず。 極 ご く ら く じ よ う ど 楽 浄 土 へ、 観 く ハ ん ぜ お ん 世 音 み ず か ら 蓮 れ ん げ 花 を さ ゝ げ、 を む か ひ に 来 きたつ て、 ゐ ん じ や う を し 給 たま ふ 也 」( 六 其 そのとき 時 に、むりやうの 諸 しよぶつしよ 佛諸 ぼさつ 百 ひやくじうせんじう 重千重 に 居 い び て、 お ん が く あ り。 か く の ご と く、 相 そういとうある 違 等 に お い て ハ、 焰 ゑ ん ま だ い わ う 魔 大 王 と も に 獄 ごく そ つ へ 落 おつ べ き な 并 ニ、 毎 ま い つ き く わ ん せ お ん 月 観 世 音 へ 参 さんけいいたすこと 詣 致 事 、 か つ 又 また 、 西 さ い こ 国 之 箇 か し よ が き 所 書 」( 七 オ ) 等 とう を く わ し く 書 かきしるし 記 、 差 さ し い だ 出 申 まうすものなり 者也 。 右 みぎ 之 通 とおり を 大 だいわうおんしたゝ 王 御 認 め な さ れ 候 そうろ て、 上 しようにん 人 へ 御 お 被 な さ れ そ う ろ 成 候 へ け れ バ、 上 しようにんがた 人 方 な ゝ め に お ぼ し 召 めし 、 て 我 わがちやう 朝 へ 御 お ん も ち か い 持 帰 ら れ、 熊 く ま の ご ん げ ん さ ま こ の 野 権 現 様 此 よ し 御 ご そ ん 被 な さ れ 成 け れ ば、 其 そのみぎり 砌 ハ、 此 こ の さ い こ く じ ゆ れ い 西 国 順 礼 と 申 もうすこと 事 」( ウ) 弘 ひろめ めんとおぼし 召 めしなされそうら 被成候 へ 共 ども 、 未 いま だとききたら ず と て、 摂 せ つ の く に し う ん ざ ん な か や ま で ら 津 国 紫 雲 山 中 山 寺 の 太 た い し み ゑ い ど う 子 御 影 堂 にた ま ふ な り。 扨 さて 、 其 そ の の ち 後 、 帝 みかど と 申 まうしたてまつ 奉 る ハ、 花 く わ さ ん い ん 山 院 に て お わ し ま す。 御 お ん と し 年 ハ 當 と う お じ う し ち さ い 御 十 七 才 に て、 御 み く ら い な さ れ 位 被 成 た ま ふ に、 一 い つ て ん し か い ま ん み ん 天 四 海 万 民 を 」( 八 オ ) 御 おん は か ろ う べ き 御 お ん み 身 ニ ハ 候 そ う ら へ ど も 得 共 、 た ゞ
く
御 ご と ん せ の 御 おんのぞみ 望 な り。 御 お ん じ う く 十九 才 さい の 御 おんとき 時 、 西 さいこくじゅんれい 国順礼 の 事 こと をおぼし 召 めさ れて、 「 扨 さて 、 御 お ん し し や う 師 匠 に は い か な る 御 お ん そ う 僧 を 頼 たの む べ き や 」 と 仰 おふせ ありけれハ、 数 あ ま た 多 の 公 く げ う 卿 ・ 大 だいしんがたうちより 臣方打寄 て、いろく
と」 (八ウ) 御 ご そうもんなされけれども、 「 此 こ の ぎ 義 ほん りやうニては 定 さだ めがたし。 然 しか れども、 君 きみ には、 兼 かね て 紀 き し う く ま の ご ん げ ん 州熊野権現 を 御 ご し ん 信 こうの 御 おんこと 事 ニ 候 そうら へバ、 早 はや 、 熊 く ま の 野 へ 御 おんちよくし 勅使 を 御 おんたて 立 させられて、 御 ご き ね ん 祈念 あらバ、かなら ずく
御 おん つ げ の あ る 」( 九 オ ) べ く や 」 と そ う も ん 有 あり けれバ、 実 げに もとおぼし 召 めし て、 早 はや 々 く 熊 く ま の 野 へ 勅 ちよくし 使 を 下 くだ し 給 たも ふて、 一 いちしちにち 七日 の 間 あいだ 、 終 しうにち 日 の 夜 よ に、ふしぎ 成 なる かな、 御 ご む そ う を 蒙 こうむ り け る と こ ろ に、 「 花 く わ さ ん い ん 山 院 の 御 お ん し し よ 師 匠 と 申 もうす ハ、 佛 ぶつがんじやうにん 眼 上 人 と 申 もうすたつと 尊 き 僧 そう ニ、 貴 き て ん き き や う 殿 帰 京 」( 九 ウ ) 之 道 みちすぢ 筋 にて 行 いきあいもうす 合申 ゆへ、 其 そのそうどうどうもうし 僧同道申 、 同 どう う ら ( 2 ) ニつれ 帰 かへ り 給 たま ふべし」と 御 おんつけあり 告有 けるに、あんの 如 ごと く 道 どうちうすじ 中筋 にて、 修 しゆうぎやうそう 行僧 に 行 ゆきあい 逢 ふたまふ 事 こと ゆへ、 此 このそう 僧 にむかひ、 「 御 おん た づ ね 申 もうしたきぎあり 度 義 有 レ 之 これ 。 自 し ぜ ん 然 、 佛 ぶつがんじやうにん 眼 上 人 と 申 まうす 」( 十 オ) 御 おんそう 僧 ハ 御 ご ぞ ん じ 存知 なきや」とたづね 候 そうら へば、 修 しゆぎやうそう 行僧 こ た へ て 曰 いわく 、「 仏 ぶつがんじやうにん 眼 上 人 と 申 もうす ハ 我 わ が こ と 事 な り 」 と 仰 おふせ け れ ハ、 勅 ちよくし 使 もふしぎ 思 おほしめし 召 けれ 共 とも 、 早 さすそくおんとももうし 速御供申 て、 都 みやこ へ ぞ 御 おん のぼりありけれバ、 去 きるほど 程 に、 内 だ い り 裏 に 御 おんちやくなされそうろ 着被成候 て、 勅 ち よ く し 使 の 趣 おもむきもうしあげ 申 上 け る 処 ところ に 」( 十 ウ )、 「 佛 ぶつがんじやうにん 眼 上 人 と 申 もうしたてまつ 奉 る 御 お ん そ う 僧 ハ、 君 きみ の 御 お し し や う 師 匠 と あ る 故 ゆへ 、 御 おんとももうしかへ 供 申 帰 り 候 そろ 」 と そ う も ん 有 あり け れ ば、 法 ほ う わ う 王 も な ゝ め に ぞ お ぼ し 召 めし て、 「 紫 し し ん で ん 宸 殿 へ 御 お ん い れ 入 れ 申 もうし 」 と の せ ん じ 也 なり 。 扨 さて 、 此 こ の と き 時 、 法 ほ う わ う 王 も 上 じようにん 人 の 前 まへ ニ 出 いで さ せ 給 たま ひ て、 御 お ん し し よ う 師 匠 と 御 おんたのみあり 頼 有 て、 時 じ こ く 刻 う つ さ ず 」( 十 一 オ )、 法 ほ う わ う み 王 御 く し を 落 おと し、 御 ご ほ う み や う 法 名 を 入 いれ か く ( 3 ) と 申 もうしたてまつ 奉 る な り。 其 そ の と き 時 、 彼 か の お ん ふ せ 御 布 施 と し て、 「 七 ひ ち ち ん ま ん ほ う 珍 万 宝 を 参 まい ら せ ん 」 と り ん げ ん あ り け れ バ、 佛 ぶつがんじやうにん 眼 上 人 の 御 おんもうし 申 に は、 「 左 さ や う 様 な 御 お ん う け 請 には 一 いつさいのぞみ 切望 にあらず。 只 た ゞ ぐ そ う 愚僧 ハ 望 のぞみ と 申 もうす ハ、 悪 あくごうふか 業深 き 衆 しゆじやう 生 を 道 みち び く 」( 十 一 ウ ) 事 こと を 望 のぞみ ニ 候 そうら へ 」 と 御 おんもうしあり 申 有 ければ、 法 ほうわう 王 も「 位 くらい には 生 むま れ、 一 い つ て ん し か い 天四海 をはからふ べき 身 み に 生 むま れたれ 共 ども 、 罪 つみ ふかきものなぞをたすくべ きほうべんを 不 ぞんせず 存 」よしりんげん 有 あり けれバ、 上 しようにんかさね 人重て 御 お ん も う し な さ れ そ ろ 申 被 成 候 ニ ハ、 「 衆 しゆじやうぶつくわ 生 佛 果 に い た る 」( 十 二 オ ) 道 みち も い ろ
く
有 あ る な り 也 。 先 まづ 々 く 、 や す や す と 佛 ぶ つ く わ 果 を ゑ ん と お も わ バ、 日 に つ ほ ん 本 ニ 生 し よ し ん 身 の 観 く わ ん ぜ お ん 世 音 の 霊 れ い ぶ つ 佛 と 申 もうし 、 三 さんじうさんたい 拾三躰 おわしますゆへ、 此 この まへ 参 まい り 申 もうすこと 事 を 順 じゆんれい 礼 と 申 もうす なり。 則 すなハち 、 此 このじゆんれい 順礼 を 一 い ち ど い た 度致 したるものハ、 地 ぢ ご く 獄 へ おつべからず。 速 すみやか に」 (十二ウ) 、 極 ごくらくじやうど 楽浄土 へ 往 わうじやう 生 す る 事 こと う た が ひ な し。 依 レ 之 よつてこれに 、 ゑ ん ま 十 じ う わ う 王 よ り、 名 め い せ き 石 の ふ だ、 并 ならび ニ 起 き し や う も ん 證 文 、 又 また ハ 参 さ ん け い に ち 詣 日 、 順 じ ゆ ん れ い か し よ が き と う 礼 箇 所 書 等 、 我 わがちよう 朝 ニ 渡 わた し 置 おか れ 候 そうら へ 共 ども 、 い ま だ 時 とき き た ら ざ る ニ よ つ て、 弘 ひろ ま ら ず。 去 さり な が ら、 是 これ に 過 すぎ た る 事 こと あ る べ か ら ず 」」 ( 十 三 オ )、 上 じやにんもうし 人 申 之 あ り。 「 幸 さいわひ ひ 君 きみ の 御 ご と ん せ 遁 世 の 被 な さ れ そ ろ こ と 成 候 事 な れ ば、 あ わ れ 此 このじゆんれい 順 礼 を 思 おほしめし 召 、 左 さ そ う ら ゑ 候 得 ば、 一 いつさいしゆじやうがたく 切 衆 生 難 レ 有 ありそんじ 存 て、 皆 みな 々 く 君 きみ に な び き 候 そうら わ ん 」 と 御 おんもうしあり 申 有 。「 然 しか る に、 順 じゆんれい 礼 の 日 に つ き 記 と 申 もうす を 召 め し よ せ 寄 ら れ、 御 ご ら ん 覧 候 へ ば 」 と 御 お も う し あ り 申 有 け れ ば、 法 ほ う わ う 王 」( 十 三 ウ )、 「 夫 これ ハ 何 い づ く 国 ニ 御 ご ざ そ ろ や 座 候 哉 」 と 御 おんたづね 尋 け れ ば、 此 この と き 佛 ぶつがんじやうにん 眼上人 の 給 たま ふやうには、 「 摂 せ つ の く に し う ん ざ ん な か や ま で ら 津国紫雲山中山寺 、 太 た い し 子 の 御 み ゑ い ど う 影 堂 ニ 納 おさ め 有 ある な り 」。 夫 それ へ 勅 ち よ く し 使 を 御 お ん た ゝ 立 せ 給 たま ふて、 勅 ち よ く し た い し ど の ゑ ん が わ 使太子殿緑側 ニありければ、 何 い づ く 国 ともなく 佛 ぶつがんしやうにん 眼 上 人 」( 十 四 オ ) こ つ ぜ ん と 御 お ん い で 出 あ っ て、 よ り ハ 光 ひか り を は な ち て、 誠 まことたつときこと 尊 事 ハ か ぎ り な き り。 此 こ の と き 時 に、 中 な か や ま 山 の 開 かいざんりやうちうじやうにん 山 凉 忠 上 人 、 并 ならび ニ 能 のふ ば 法 ほ う い ん 印 、 弁 べ ん く う ほ う い ん 空 法 印 と 右 み ぎ さ ん に ん 三 人 に て、 太 た い し ど の 子 殿 を ぞ 御 おんひらきあり て、 彼 か の じ ゆ ん れ い に つ き 順 禮 日 記 、 并 ならび ニ 起 き し や う も ん 證 文 を 」( 十 四 ウ ) 取 と て、 勅 ちよくし 使 に 御 おんわた 渡 し あり 有 レ 之 これ 。 其 そのとき 時 、 仏 ぶつがんじやうにん 眼上人 と 御 ご ど う 同道 て 御 ご け こ ふ 下向 ありて、 内 だ い り 裏 へ 御 ご さ ん だ い 参内 ありて、 法 ほうわう 王 にも に 不 ふ し ん 審 に お ぼ し 召 めし て、 彼 か の せ き ふ だ 石 札 を 押 おし い た ゞ き、 る い を 催 もよう し、 難 レ 有 がたくありこのじゆんれい 此 順 禮 の 日 に つ き 記 、 箇 か し よ が き と う 所 書 等 を 御 (十五オ) 有 あり 。 其 そのもん 文 に 曰 いわく 、 一、 紀 き い 伊 之 国 くに 三ケ所 一、 和 い つ み 泉 之 国 くに 壱ケ所 一、 大 や ま と 和 之 国 くに 四ケ所 一、 河 か う ち 内 之 国 くに 壱ケ所 一 、 山 やましろ 城 之 国 くに 八ケ所 」(十五ウ) 一、 丹 た ん ば 波 之 国 くに 壱ケ所 一、 摂 せ う つ 津 之 国 くに 三ケ所 一、 播 は り ま 磨 之 国 くに 三ケ所 一、 丹 た ん ご 後 之 国 くに 弐ケ所一、 近 あ ふ み 江 之 国 くに 六ケ所 一、 美 み の 濃 之 国 くに 壱ケ所 しめて三拾三所在之候」 (十六オ) 。 右 みぎ 之 通 と お り ご ゑ ん ら あ り 御 遠 覧 有 て、 兎 と か く 角 に は ふ し お が む と 斗 ばかり に て、 わ れ ら か 心 こころ も 浅 あさ か る べ し と て、 「 札 ふ だ し よ 所 壱 いつ ケ 所 しよ ニ、 七 な ぬ か 日 づ ゝ 相 あいこもりそうろ 籠 候 て 廻 めぐ り 度 たく 」 よ し 御 おんもうし 申 け れ バ、かくおぼしめし被成候上ハ、 迚 とて もの 事 こと に 上 じやうにん 人 も 御 お ん せ ん だ ち 先 達 を 致 いた す べ し。 我 われ も 其 その 」( 十 六 ウ ) 心 こころ ざ し に て 候 そろあいだ 間 、「 御 お ん と も も う 供 申 さ ん 」 と 御 お も う し 申 あ り け れ バ、 法 ほ う わ う 王 も 誠 まこと ニ がたく 難 レ 有 あり お ほ し 召 めし て、 然 しかれ ば 其 そのときじやうにん 時 上 人 の 御 おんもうし 申 に は、 「 此 この た び 西 さいこくじゆんれい 国 順 礼 之 御 おんどうぎやう 同 行 と 申 もうす ハ、 め い ど、 我 わ か ち よ 朝 に て、 都 つ が う じ う さ ん に ん ご ざ そ ろ 合十三人御座候 」。 然 しかる ルに 左 さ 之 通 とお り。 」(十七オ) 一、 花 くわさんのいんほうわう 山院法王 此 こ の じ だ い 時代 之 帝 みかど なり。 一、 圓 ゑんゆういんほうわう 融院法王 同 おなじみかど 帝 の 祖 お じ さ ま な り 父様也 。 一、 信 しんしゅうぜんこうじによらい 州善光寺如来 一、 北 ほ く し ん め う け ん だ い し 辰妙見大士 一、 焰 ゑ ん ま だ い わ う 魔大王 一、 倶 ぐしようじん 生神 」(十七ウ) 一、 藏 ざ わ う だ い ご ん げ ん 王大権現 一、 能 のうばんほうゐん 判法印 津 つ ノ 国 くになかやまでら 中山寺 の 法 ほういん 印 なり。 一、 徳 とくどうじやうにん 道上人 大 や ま と く に は つ せ で ら 和国初瀬寺 の 開 かいさん 山 なり。 一、 性 しようくうじやうにん 空上人 播 は り ま く に し よ し や さ ん か い さ ん 磨国書写山開山 なり。 一、 顕 けんみつじやうにん 密上人 此 このおんかた 御方 ハめいどニ 御 おんいで 出 あり。 一、 威 いこうじやうにん 光上人 右 みぎどうたん 同断 」(十八オ) 一、 佛 ぶつがんじやうにん 眼 上 人 熊 く ま の さ ん し よ だ い ご ん げ ん 野 三 所 大 権 現 な り 。 又 また 、 壱 い ち ば ん な ち さ ん 番 那 智 山 な り 。 しめて 御 おんどうぎやうつがうじうさんにん 同行都合十三人 。 「 右 みぎ 之 通 とおり の 御 おんどうぎやう 同 行 に て、 西 さ い ご く じ ゆ れ い 国 順 礼 を 致 いたしそろ 候 な り 」 と、 上 じやうにんこれ 人 是 を 御 おんもうし 申 あ り け れ バ、 花 く わ さ ん ほ う わ う 山 法 王 い よ
く
難 レ 有 がたくあり 思 おぼ し 召 めし て 有 あり け る に、 其 そのじやうにん 上 人 御 おんもうし 申 に は、 此 こ の た び 度 西 さ い こ く 国 」( 十 八 ウ ) 順 じゆんれい 礼 の 納 おさめぶた 札 ハ、 仏 ぶつがんじようにん 眼 上 人 み づ か ら 御 おんかきしるしされ 書 記 被 レ 遊 あそバそろ 候 て、 寛 くわんわぐわんみづのととりとしさんぐハつじうごにちみやこ 和 元 癸 酉 年 三 月 十 五 日 都 を 御 お ん た ち あ り 立 有 て、 西 さいこくじゆんれい 国 順 礼 に 御 ごしゆたつされ 出 立 被 レ 遊 あればそろ 候 が、 紀 き い 伊 之 国 く に な ち さ ん 那 智 山 ニ と 御 おんちゃく 着 あ っ て、 札 ふ だ う ち 打 は じ め、 一 い つ か し よ ケ 所 ニ 一 い ち し ち に ち 七 日 ヅ ゝ 御 おんこもりあつ 籠 有 て、 月 つ き ひ 日 を 重 かさね て 」( 十 九 オ )、 翌 よくねんいぬろくぐハつついたち 年戌六月朔日 、 美 み の く に た に ぐ ミ さ ん 濃国谷汲山 にて 札 ふだ うち 納 おさめ め、 夫 それ より 皆 みな 々 く 都 みやこ へ 御 ご げ か う 下向 あつて、 内 だ い り 裏 に 御 おんいりあつ 入有 て、 其 そののち 後 、仏 ぶちがんじやうにんおんいとま 眼上人御暇 をこひたまへば、 法 ほうわうおし 王押 て 御 おん とめあつ て、 「 扨 さて 、 此 このたびじゆんれい 度 順 礼 を い た し 候 そ ろ こ う と く 廣 徳 と 申 もうす ハ 」( 十 九 ウ )、 い く ば く の 事 こと ニ て 御 ご ざ そ ろ 座 候 や 」 と 御 おん た づ ね あ れ バ、 仏 ぶつがんじやうにん 眼 上 人 の 御 おんもうし 申 に は、 「 廣 く う と く 徳 之 義 ぎ は、 誠 まこと ニ 廣 く う だ い 大 むへん 成 なること 事 ニて 御 ご ざ そ ろ 座候 。 且 かつ 、 順 じゆんれい 礼 をば 一 い ち ど 度 いたし 候 そろ ものハ、 十 じう しやうの 徳 とく あり」とて、 一 ひと ツには、 六 ろく くわんおんのぼん 字 じ すわるなり」 (二十 オ) 。 二 ふた ツには、 右 みぎひだり 左 の 足 あし にこんでいのりんほうすわるな り。 三 み ツには、七なん 即 そくめつ 滅 、 七 しちふく 福 そくじやふするなり。 四 よ ツには、 愚 ぐ ち 痴 の 罪 つみ ハきへて、 心 こゝろ かしこく 知 ち ゑ 恵 さい かくを 蒙 こうむり りて、 福 ふ く き 貴 を 得 ゑ る 也 なり 」(二十ウ) 。 五 いつ ツには、 現 げ ん せ あ ん 世安 おん、 無 むびようちようめい 病長命 、 子 しそんはんじやう 孫繁昌 するな り。 六 む ツには、 三 さんあくどう 悪道 ニ 迷 まよう わず、 悪 あ く じ さ い な ん 事災難 をのがるゝな り。 七 なな ツには、 一 いつしやう 生 のあいだ、 千 せんぞう 僧 に 供 く や う い た 養致 すよりもま さるなり」 (二十一オ) 。 八 や ツには、 仏 ぶんじん 神 のかし 集 あつまり て、 何 なにごと 事 ニても 諸 しよぐわんじようじゆ 願成就 るなり。 九 こゝの ツには、 決 けつじよわうじやう 成往生 するなり。 十 とお には、らくせんの 観 くわんぜおん 世音 と 同 ど う ざ 座 する 事 こと 、うたがひ なし。 右 みき 之 通 とおり りの 次 じ だ い 第 ゆへ、 先 ま づ い ち ど 一度 ハ 順 じゆんれい 礼 」(二十一ウ) い た し た る も の ハ、 家 か な い 内 へ、 忝 かたじけ な く も 天 ていしやうだいじんぐう 照 太 神 并 ならび ニ 熊 く ま の だ い ご ん げ ん 野 大 権 現 、 か つ 又 また 、 ふ だ ら く 浄 じ や 土 観 く わ ん ぜ お ん 世 音 、 毎 ま い に ち 日
く
影 よ う が う 向 し た ま ふ 御 おんちがい 誓 ひ な り。 ニ、 冨 ふ じ ご ん げ ん 士権現 の 御 ご たくせんにハ、 順 じゆんれい 礼 の 廣 こうとく 徳 と 美 み の の く に だ に ぐ み さ ん 濃 国 谷 汲 山 」( 二 十 二 オ ) に て 札 ふだ う ち 納 おさめそろ 候 て、 より、たにぐみ 山 さん より 一 い ち や 夜 のこりにて、ふじさんじ や う 致 いた す べ し と の 御 おんちがひ 誓 な り。 な を 又 また 、 一 い つ け い ち 家 一 内 うち 、 一 いちにん 人 なりとも 西 さいこくじゆんれい 国順礼 いたす 事 こと なれバ、 現 げんざい 親 おや ハいふにおよバす、 七 ひ ち せ 世 の 父 ちゝはゝまで 母迄 も」 (二十二ウ) 成 じよぶつ 佛 いたすなり。また、 観 くわんおん 音 より 佛 ほとけ の 位 くらい に 至 いたる るなり。 且 かつ は、 父 ちゝ の 恩 おん と 申 もうす ハ、 須 し ゆ ミ せ ん 弥山 よりも 猶 なをたか 高 しといふな り。 又 また 、 母 はゝ の 恩 おん と 申 もうす ハ、 惣 そうかい 海 よりもなを 深 ふか しと申な り。 此 こ の ゆ へ 故 に て、 高 たか さ も 四 し じ う り よ ほ う 十 里 四 方 の 岩 いわ を 」( 二オ )、 天 て ん に ん 人 の 羽 は ご ろ も 衣 の 袖 そで に て、 三 さ ん ね ん 年 に 一 い ち ど 度 ハ な ぜ て な でつくす 事 ことある 有 なれども、 父 ちゝはゝ 母 の 恩 おん ハほうじがたしと 申 もうす なり。 然 しか れども、 西 さいこくじゆんれい 国順礼 の 人 ひと ニ、道にまよひた る か、 或 あるい は 野 の や ま 山 に て 道 みち を 失 うしない ひ 困 こま り た る も の に て も、 ね ん 」( 二 十 三 ウ ) ご ろ に 教 おしへ し へ 遣 つかハ す べ し。 此 こ の く ど く 功 徳 にても、 我 わがつみ 罪 めつして、 十 じう しゆうの 徳 とく ニあづかるべ しと申なり。 去 さり なから、 西 さいこくじゆんれい 国順禮 を 一 いちどいたし 度致 たるもの、 必 かならずちゝはゝ 父母 の 恩 おん をほうづると申なり。 熊 く ま の こ ん げ ん 野権現 の 御 ごせいぐハん 誓願 ニ も、 「 我 わ が ま へ 前 に 」、 ( 二 十 四 オ ) 三 さ ん じ う さ ん ど 拾 三 度 あ ゆ み を は こばんより、 一 いちどじゆんれい 度順礼 いたし 候 そろ ものには、 我 わかまへ 前 のき だ は し を 三 み ツ お り た れ は、 参 さ ん れ い 礼 を 致 いたす す べ し 」 と の 御 ごせいぐハん 誓願 なり。 右 みき 之 趣 おもむき 、 佛 ぶつがんじやうにん 眼上人 こま
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御 おんかたりあり 語有 けれ バ、 猶 なを さ ら、 花 く わ さ ん ほ う わ う 山 法 王 も い よく
名 な ご り 残 を 」( 二 十 四 ウ ) た ま ひ て、 法 ほうわうおんもうし 王 御 申 に ハ、 「 上 じやうにん 人 ハ 何 い づ く 国 へ 御 お ん か へ 帰 り され 被 レ 遊 あれバそろ 候 や 」 と 御 た づ ね 有 あり け れ バ、 上 し ゃ う に ん も う し 人 御 申 に ハ、 「 我 われ ハ 何 い づ く 国 と も 定 さた め な き 修 しゆきやうそう 行 僧 の 事 こと ニ 候 そろ へ ハ、 先 ま づ こ れ 是 よ り 熊 く ま の 野 へ 参 さ ん け い 詣 の 心 こころ ざ し に 御 ご さ そ ろ 座 候 」 と 御 おんもうしあり 申 有 け れ ハ、 法 ほ う わ う 王 も 猶 なを さ ら 」( 二 十 五 オ ) あ り が た く 思 おぼ し 召 めし て、 伏 ふ し お が 拝 む ば か り。 其 そ の う ち 内 に、 上 じやうにん 人 ハ か き け す や う に、 何 い づ く 国 へか 失 うせたま 給 ふなり。 然 しか しハ、 法 ほうわう 王 ハかなしみ 給 たま ふとゆへども、 聊 いさゝか も 風 かぜ のたよりもおわしまさずゆ へ、 とやせんかくやと 御 おん あんじ 暮 くら せし 内 うち に」 (二十五 ウ )、 ふ つ と お ぼ し め し て、 「 彼 かのしやうにん 上 人 ハ 熊 く ま の ご ん げ ん 野 権 現 の 御 ご む 夢 そうにて、 我 わが が 師 ししよう 匠 と 御 おんたのみもうしあげたてまつ 頼申上奉 りて、 出 し ゆ け 家 を ばとげつるや。さ 候 そうらゑ 得 は、 熊 く ま の 野 へ 参 さんろういた 籠致 して、 夢 ゆめ に 成 なり と も あ ゐ 奉 たてまつりたく 度 」 思 おぼしめし 召 ニ て、 都 みやこ を し の び 出 いで さ せ た ま ふ て、 ほ と な く も 」( 二 十 六 オ ) 熊 く ま の 野 へ 御 おんちやく 着 あ つ て、 神 し ん で ん 殿 に む か い て 真 し ん し ん 心 の 誠 まこと を 思 おぼ し 召 めさ れ て、 「 此 こ の た び 度 の 御 ご り し や う 利 生 と 申 もうす ハ、 廣 こ う だ い 大 も な き。 有 ありがたきこと 難 事 ハ、 い く ば く も た と へ か た き 事 な り。 何 な に と ぞ 卒 、 今 いまねがは 願 く ハ 御 こ り し や う 利 生 に て、 我 わ か 師 し し よ う 匠 と 御 おんたのミもう 頼 申 せ バ、 仏 ぶつがんじやうにん 眼 上 人 」( 二 十 六 ウ ) に 今 いまいちどおんひあはせされ 一 度 御 引 合 被 レ 下 くだ 度 」 と ね ん じ 給 たま ふ。 「 も し 又 また 、 此 このねがい 願 も 相 あいかなはずそろ 不叶候 ときにおいてハ、 再 さいとみやこ 度都 へ 帰 かへ り 不 も う ぎ す 申 。 何 なに と ぞ 速 すみやか に 我 わ か い ち め い 一 命 を 被 め さ れ そ う ら 召 候 へ 」 と 法 ほ う わ う お ん て 王 御 手 を 合 あわせ 、 か ん る い を く だ き、 御 ご き ね ん あ り 祈 念 有 て、 一 い ち し ち に ち 七 日 之 間 あ い だ お こ も り な さ れ そ ろ 御 籠 被 成 候 に 」( 二 十 七 オ )、 ふ し ぎ や な、 満 まんぐハん 願 の 夜 よ わ 半 之 比 ころ に、 御 ご し ん ぜ ん 神 前 の 御 お ん と 戸 を 開 ひら か せ 給 たま ひ て、 誠 まこと に 位 くらいたか 高 き 御 お ん こ ゑ 聲 に て、 「 然 しか ら ば、 君 きみ の 御 お ん し し や う 師 匠 と 申 もうしたてまつ 奉 る佛 ぶつがんじやうにん 眼上人 と 申 もうすそう 僧 ハ、 我 わがことなり 事也 。 尚 なをまた 又 、 熊 くまのさんしようじやうでん 野山清浄殿 の 権 ごんげん 現 と 申 もうす も、 我 わがことなり 事也 。 且 かつ 」(二十七ウ) 、 君 きみ の 御 おんこゝろざし 志 あ まり 深 ふか きによつて、 則 すなハち 、 我 われじやうにん 上人 とあらわれて、 和 わくハう 光 之 ち り に ま じ り た る な り。 我 われ も 是 こ れ ま で 迄 な り。 君 きみ に も、 早 はや 々 く 御 ご き き や う 帰京 の 被 な さ れ 成 かし」と、あらたかに 御 おんつげあり 告有 けれ ば、 法 ほうわう 王 、 夢 ゆめ ともまぼろともさらに 覚 おぼえ 」(二十八オ) たまわず。 誠 まこと にかんるいきもにめゐじて、 唯 たゞ 、 歓 くハんき 喜 の な み だ に せ き 給 たま ひ て、 「 則 すなハち 、 我 わが か 御 お し し や う 師 匠 と 申 もうしたてまつる 奉 ハ、 熊 く ま の ご ん げ ん 野権現 にましますなり。 誠 まこと に 有 あり がたき 事 こと ハ 限 かぎ り な く、 最 も は や 早 、 浮 う き よ 世 に お も ふ 事 こと も な か り け り 」 と 」 (二十八ウ) 、 御 おんもうし 申 ありて、 法 ほうわう 王 も 其 そのまゝ 儘 にて、 那 な ち さ ん 智山 に 千 せんにち 日 が 間 あいだおんこもりあり 御籠有 て、 其 そののち 後 に、 西 さ い こ く さ ん じ う さ ん ど お ん め ぐ 国三拾三度御廻 り 被 レ 遊 されおそバたき 度 、 思 おぼ し 召 めしなされそうら 被成候 へ 共 ども 、 最 も は や 早 、 御 おんとし 年 も 重 かさな りまし ま さ バ、 君 きみ の 御 おんこゝろ 心 に は、 一 ひと ト 先 まづみやこ 都 へ 御 お ん か へ 帰 り あ つ て、 京 きやうとう 都 の 東 ひがしみなみ 南 」( 二 十 九 オ ) に 當 あた る、 山 や ま て 手 の 地 ぢ め ん 面 を 撰 ゑら み 有 あつ て、 此 この ところに 紀 き し う く ま の さ ん し よ だ い こ ん げ ん 州熊野三所大権現 を 移 うつ し、く わ ん じ や う 致 いた し 度 た き こ と 事 を 思 おぼ し 召 めし 、 夫 それ よ り、 紀 き し う く ま の 州 熊 野 よ り 土 つ ち す な 砂 を 取 と り よ せ 寄 、 京 きやう に 熊 く ま の さ ん 野 山 を う つ し て、 諸 し よ ど う 堂 を 立 たて て、 是 これ を 今 い ま く ま の 熊野 と 申 もうし 」 (二十九ウ) 奉 たてまつる る なり。 則 すなハち 、 西 さいこくふだしよ 国札所 にて 十 じ う ご ば ん 五番 なり。 前 ぜんもん 文 、 花 くわさんいんほうわう 山院法王 ハ、 熊 く ま の ご ん げ ん 野権現 の 御 ご さ い 再 たんとも なり。 扨 さてまた 又 、 佛 ぶつがんじやうにん 眼上人 ハ、 則 すなハち 、 熊 く ま の ご ん げ ん 野権現 なり。 の 順 じゆんれい 礼 には、めいど、 我 わがちよう 朝 との 神 しんぶつ 仏 をはじめ、西国 を は 廻 めぐ り 被 あそバされそろこと 遊 候 事 、 誠 まこと ニ 有 あり が た き 」 ( 三 十 オ ) ハ 限 かき りなき 次 し だ い 第 なり。 右 みぎ 之 通 とおり 之 次 し だ い 第 ゆ へ、 此 こ の ゑ ん ぎ 縁 記 を 聞 きく く も の 西 さいこくじゆんれい 国 順 禮 を 一 い ち ど い た 度 致 し た る に も あ た る な り。 又 ま に、 罪 ざ い く わ 科 め つ し て、 佛 ぶ つ く わ 果 の 縁 ゑん も と 至 いたる る 也 なり 。 惣 そう じ 此 こ の ゑ ん ぎ 縁 記 に は つ く し が た く、 あ ら ま し を 」( 三 十 書 かきつくす 尽 すなり。 御 ご り し や う あ る 利 生 有 な ら ハ、 則 すなハち 、 熊 く ま の ご ん げ ん 野 権 現 が 上 じやうにん 人 と 現 げん じ 此 こ の ど 土 のちりにまじハり、 仰 おふせ おかれし 事 こと うたがふもの ハ、 今 いま の 世 よ にて 災 さいなん 難 にあふべし。 来 ら い せ 世 には、むけん 地 ぢ ご く 獄 に だ ざ い し て、 さ ら
く
」 ( 三 十 一 オ ) う 事 ことある 有 べからず。 則 すなわち 、 熊 く ま の ご ん げ ん 野権現 の 御 ご たくせんなり。か ならずうたがふべからず。 一、 南 な む く ま の さ ん し や う じ や う で ん だ い ぼ さ つ 無熊野山清淨殿大菩薩 。 三 さ ん し よ だ い ご ん げ ん ご ほ う ぜ ん 所 大 権 現 御 宝 前 の 御 お ん う た 歌 、 権 ご ん げ ん 現 の 御 ご ゑ い か 詠 歌 な(三十一ウ) 。 じゆんれいをみな人ことにするならば いづくじごくといふつきのそら 一、 其 そ の の ち 後 、 此 こ の じ ゆ ん れ い 順 礼 と 申 も う す こ と ち う ぜ つ 事 中 絶 い た せ し 所 ところ 、 又 また ハ、 人 に ん わ う し ち じ う し ち だ い 王 七 十 七 代 の 帝 みかど に て 」 ( 三 十 二 オ )、 後 ご し ら か ハ ほ う わ う う き よ 白 川 法 王 浮 世 の あ だ な る 事 こと を 営 いとなみ て、 「 此 こ の た び こ く わ う 度 国 王 に は 生 むま れ た る と い へ ど も、 生 し や う じ 死 の 道 みち ハ 遁 のが る べ か ら ず 」 と 思 おぼ し 召 めさ れて、御位をすべらせ 給 たま ひて、 伊 い せ 勢 の 山 や ま ぢ 路 を さ し て 御 出 あ り し 所 ところ 、 む か ふ よ り 僧 そ う ひ と り き た り た ま 一 人 来 給 ふ ゆ へ 」 ( 三 十 二 ウ )、 法 ほ う わ う ご ら ん 王 御 覧 あ っ て、 「 扨 さ て お ん そ う 御 僧 、 我 われ ハ 仏 ぶ つ ど う 道 に 深 ふか き 心 こころ ざ し の 御 ご ざ そ ろ 座 候 ゆ へ、 わ れ が 黒 く ろ か み 髪 を そ つ て た ま へ か し 」 と 御 申 あ り け れ は、 御 お ん そ う 僧 の 申 さ れ 候 そろ に は、 「 誠 まこと に 其 そのおんこゝろ 御 心 ざ し ニ 候 そ う ら へ 得 バ、 髪 かみ を そ り 参 まい ら せ ん 」 と て、 や が て 白 し ら か ハ ほ う わ う 川 法 王 の 」( 三 十 三 オ ) 御 お ん か み 髪 を そ り 落 おと し 参 まい ら せ て、 「 何 なにとぞほうみよう 卒 法 名 を 御 お ん つ け く だ 附 下 さ れ 候 そろ や」と 御 おんもうし 申 あつて、 御 ご ら ん 覧 なされ 候 そろところ 処 、 御 おんそう 僧 ハ 見 み ヘ 給 たま ハすゆへ、 又 また ハ、 山 さんちう 中 をば 御 おんたづねいら 尋入 せ 給 たま ふに、 向 むかう よ り、 老 らうじんきた 人来 りしを 御 ご ら ん あ つ 覧有 て、 法 ほうわう 王 かの 老 らうじん 人 に 尋 たづね たま へバ、 老 らうじん 人 」 (三十三ウ) 答 こたへ ていわく、 「 今 いまわがかみ 我髪 をそ り 給 ふ ハ。 是 これ よ り 紀 き し う な ち さ ん 州 那 智 山 に 御 おんこもり 籠 な さ れ 候 そうら へ バ、 かならず 御 おん あひ 給 たま ふべし」と 御 おんもうし 申 ながら、又、かき けすやうに 失 うせたま 給 ふなり。 是 これすなハち 則 、 天 ていしようだいじん 照太神 なり。 法 ほうわう 王 ハいよ
く
有 あり がたく 思 おぼ し 召 めし て 」 (三十四オ) 、 熊 く ま の 野 へ 急 いそ ぎ 給 たま ふところ、 程 ほど なく 熊 く ま の 野 へ 御 おんちやく 着 あつて、 那 な ち 智 山 に 千 せんにち 日 之 間 あいだ も 御 おんこもりあつ 籠有 て、 満 まんぐハん 願 之とき、 権 ごんげんあらハ 現顕 れたま い て、 「 法 ほ う わ う 王 の 御 おんこころ 心 ざ し あ ま り 深 ふか き に よ り て、 山 に ま じ わ り て、 御 お ん か み 髪 を そ る な り 」 と の た ま ひ け れ バ 」 (三十四ウ) 、 法 ほうわうがたくあり 王難有 おぼし 召 めし 、 涙 なみだ を 流 なか し、かんる いをながして、 法 ほうわう 王 ハ 御 おんうたいっしゅさる 歌一首 被 レ 遊 あそハ 。 桜 さくら ばなあだなる 露 つゆ とひとつとや むじやうの 風 かぜ をたれかのがれん 」 (三十五オ) 権 ごんげん 現 の 御 ご へ ん か 返歌 に、 さくら 花 ばな あたなる 露 つゆ となかむれば はなハちりてもまたも 咲 さき なむ 其 そのとき 時 、 法 ほうわう 王 ハ 御 ご へん 歌 か を 御 おんうけ 請 ながら 」 (三十五ウ) 、 「 末 ま つ せ 世 の 衆 しゆじやう 生 を 何 なに として 救 すくう ふべきや。 御 おんつげ 告 ましませ」 と 御 おんもうしあり 申 有 け れ バ、 権 ご ん げ ん 現 の 仰 おふせ け る に は、 「 衆 しゆじようたすく 生 助 べ き 道 みち ハ、 西 さいこくさんじうさんしよじゆんれい 國 三 拾 三 所 順 禮 を 一 度 す れ バ、 功 く ど く 徳 の 義 ぎハ 廣 くハうだい 大 む へ ん な り 」 と 御 お も う し あ り 申 有 け れ バ、 法 ほ う わ う 王 な を さ ら がたく 難 レ 有 ありいとなみ 営 て 」 ( 三 十 六 オ )、 夫 それ よ り 衆 しゆじやう 生 の も の 共 へ、 西 さいこくじゆんれい 国 順 礼 の 事 こと を 万 ま ん み ん 民 に 至 いた る 迄 まで 、 此 こ の こ と 事 を き ゝ 傳 つた へ て、 おい
く
、 西 さいこくじゆんれい 國順礼 のともがら、 数 あ ま た い で 多出 るものある 也 なり と 申 もうす なり。 右 みき 之 通 とおり の 事 こと ゆ へ、 唯 たゞ う た が わ ず し て、 観 く わ ん ぜ お ん 世 音 を 信 し ん じ ん 心 す れ ば、 其 そ の こ う と く 廣 徳 の 義 き ハ 申 もうすす 不 レ 及 およバ 。 去 さり な が ら、 必 かならず う た が ふ べ 」 ( 三 十 六 ウ ) か ら ず。 一 ひとつしんじん 信 心 に も い ろく
あ り。 上 じ ゃ う き 氣 と あ さ 氣 き と 深 ふ か き 氣 と、 下 け こ ん 根 と 上 じやうこん 根 と 真 しんじつ 実 と、それく
我 わがこころ 心 に 應 おふ ずるもの 故 ゆへ 、よくく
考 かんがへ てたんすべし。 一、 花 くわさんいんほうわう 山院法王 の 御 ごびようしよ 廟所 を 書 かきいだ 出 ス 也 なり 」 (三十七オ) 。 前 ぜ ん も ん 文 、 花 くわさんゐんほうわうさいこくしゆんはい 山 院 法 王 西 國 順 拝 之 後 のち 、 営 いとなみ に は、 津 つ 之 国 く に な か や ま で ら 中 山 寺 と 播 は り ま 磨 国 清 き よ み つ で ら 水 寺 と の 間 あいだ 、 道 ど う ち う す じ 中 筋 、 足 あ し と お 遠 き 場 ば し よ 所 に て、 物 も の ご と 事 に ふ じ う な る よ し を 御 さ と し され 被 レ 遊 あそバ して、 此 こ の み ち の り じ う り 道法十里 ばかりある也。 然 しか ルに、 法 ほうわうおほしめし 王思召 に、 上 う へ だ 田 の 宿 しく 」 ( 三 十 七 ウ ) よ り 五 ご じ う ち よ き た 十 町 北 へ 入 い り こ む 込 、 尼 に じ む ら 寺 村 と 申 もうすところ 所 ニ 山 や ま あ り 有 け る。 此 こ の や ま 山 ハ、 町 まち の ぼ り、 峯 みね に 花 く わ さ ん い ん ほ う わ う 山 院 法 王 の 一 い ち う 宇 を 建 たえ て、 御 おんこもりされ 籠 被 レ 遊 あそバそろ 候 て、 其 そのみぎり 砌 に、 附 つきつきによくハんなどあり 々女官抔 在 レ 之 これそうら 候 へ 共 ども 、 法 ほうわう 王 と 同 どうどうもうしおんともいたしそうろ 道申御供致候 て、 御 おんやま 山 へ 登 のぼり り 候 そうろこと 事 をかたく 禁 いましめ められけるゆへ、せ ん 」( 三 十 八 オ ) か た な く 麓 ふもと に 下 くだ ら れ け る。 夫 八 はつちよふもと 町 麓 の 所 ところ に、 一 い ち う 宇 の 草 そ う あ ん 庵 を ば 建 たて ら れ て、 女 によくハんたち ハ 此 このところ 所 に て、 皆 みな 々 く 尼 あま と な り 給 たま ふ に よ り、 此 このところ 所 尼 に じ む ら 寺 村 と い ふ な り。 扨 さて 、 法 ほ う わ う 王 ハ 佛 ぶ つ が ん 眼 と 都 つ が う し う さ 合 十 三 西 さいこくれいじやう 国 霊 場 を 廻 めぐ り 給 たま ふ。 事 こと ニ 付 つき て、 じ よ く 悪 あく ( 三 十 八 ウ ) 衆 しゆじよう 生 め つ ざ い の 功 く ど く 徳 ハ、 是 これ に 過 すき ざ なし。 末 ま つ せ 世 はくふくの 輩 ともがらけどう 化導 の 爲 ため に、 一 いちどさんけいべく 度参詣 との 御 おんつげ 告 なり。 是 これ によつて、 中 なかやま 山 、 清 きよみづでら 水寺 の 道 みちすじ まん 中 なか を 撰 ゑらみ て、 摂 せ つ し う さ ん だ 州三田 より 五 ご し う ち よ き た 拾町北 に、 花 くわさんほうわう 山法王 み づ か ら、 一 い ち う 宇 」( 三 十 九 オ ) 御 お ん た て た ま 建 給 ふ と 申 な 摂 せ つ の く に あ り ま こ ほ り に し む ら 津国有馬郡尼寺村 、 東 と う く ハ う ざ ん ぼ だ い じ 光山菩提寺 。 右 みき 之 所 ところ 、 今 いま に 至 いた る 迄 まて 、 花 くわさんほうわう 山法王 の 御 ごびやうしよ 廟所 あり。 み さ ゝ き も あ る 也 なり 。 此 この わ け 知 し る 人 ひと ハ す く な し。 し、 因 いん 」 ( 三 十 九 ウ ) 縁 ゑん を ば 知 る 人 ひと ハ、 右 み ぎ ご び よ 御 廟 参 さんけいずいたさ 詣不 致 レ といふ 事 こと 、 有 ある べからずと 申 もうし 、 且 かつ 、 西 さいこくじゆんれい 国順礼 を 致 いた す 人 ひと ハ、 別 べつ し て、 参 さ ん け い 詣 の い た さ で ハ 相 あ い な ら 不 成 尤 もつとも 、 西 さいこく 国 の 元 ぐハんそうくわさんいんほうわうなるゆへ 祖花山院法王成故 、 猶 なをさら 更 、 拝 はいさん 参 せずんバ 有 ある べからず。 依 レ 之 よつてこれ 、 知 し らしむる 者 ものなり 也 」 (四十オ) 。 △ 中 なかやまでら 山寺 より△ 三 さ ん た ま で ご り 田迄五里 。 △同より 尼 に じ む ら ま で 寺村迄 五十丁。 △同より 御 ごびようしよまで 廟所迄 八町。 △同より 小 お の む ら 野村 迄八町。 △同より 井 い ざ わ む ら ま て 沢村迄 一里 。 △ 同より 播 は り ま き よ み づ ま で 磨清水迄 三里半あるなり」 (四十ウ) 。 元治元 甲子 歳 四月吉祥日寫 中原氏 所持 」 (四十一オ) 京衣棚夷川上ル町 井筒屋吉右衛門 所藏 」 (四十一ウ) (注) (1) 「御にうめて」は「御入滅して」の意か。 (2) 「 同 どう うら」は「内裏」の誤りか。 (3) 「 入 いれ かく」は「 入 にふかく 覚 」とあるべきか。
―解説並びに翻刻―
稲 垣 泰 一
Saigoku Sanjusansho Yurai
Taiichi Inagaki
This paper explores the origins of the manuscript entitled Saigoku Sanjusansho Yurai (33 temples featuring a statue of Avalokitesvara in western Japan) dating from the year 1864, the first year of the era of Genji in the final years of the Edo period. Along with a simple interpretation of the meaning of this volume, an introduction to the facsimile edition is added.
Saigoku Sanjusansho details in one volume the how and why of the pilgrimage to the Thirty-three Holy Places of Kannon (the Goddess of Mercy) in western Japan. A synopsis thereof is provided in 20 pages where the special features of this work are considered.
This was written and read by a religious association and is thought to have been referred to by those who carried it with them during pilgrimages.