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「生きる力」を育む経済教育のあり方について : 大学以前の経済教育との関連で(シンポジウム 今こそ生きる力を育む経済教育を-震災を乗り越えて-)

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Ⅰ.はじめに

 本大会のテーマは,「今こそ生きる力を育む経済教 育を─震災を乗り越えて」である。このテーマには, より具体的なテーマとして,「生きる力を育む経済教 育の内容やあり方はなにか」,「学校教育の中でいかに して,生きる力を育む経済教育の普及を図るか」,「東 日本大震災に対して経済教育はいかなる対応ができる か」が含まれる。報告者自身は,大学以前の経済教育 のあり方との関連で,最初のテーマに関心を持ってき た。授業では中学校の「公民」の教科書も利用してい る。1)「公民」の教科書の記述を,経済的な見方や考え 方で説明するという授業をしている。したがって,本 報告では,最初のテーマを取り上げることで,他の二 つのテーマにも言及したい。中学校や高等学校で教え た経験があるわけではないので,大学の教員から見た 意見であるが,議論のための材料を提供できれば幸い である。

Ⅱ.「生きる力」を育む経済教育とは

 「生きる力」を育む教育という言葉は,大学以前の 教育の理念を表す言葉である。「生きる力」とは,自 ら学び,自ら考える力など,個人が主体的・自律的に 行動するための基本となる資質や能力を言う。これは 「確かな学力,豊かな心,健やかな体」など多様な内 容を含むし,学力の意味に関する議論もある。しかし, 経済教育のあり方を考える場合,重要なことは「生き る力」を育むことが必要となる社会状況である。これ に関しては,学習指導要領改訂の経緯において「21 世紀は,新しい知識・情報・技術が政治・経済・文化 をはじめ社会のあらゆる領域での活動の基盤として飛 躍的に重要性を増す,いわゆる『知識基盤社会』の時 代であると言われている。このような知識基盤社会化 やグローバル化は,アイディアなど知識そのものや人 材をめぐる国際競争を加速させる一方で,異なる文化 や文明との共存や国際協力の必要性を増大させてい る。」2)と述べられている。  経済のグローバル化のもとでは,世界は一つの市場 となり,生徒や学生は,国際的な競争の中で,生きて ゆかなければならない。また,知識基盤社会(知識を 基盤とした経済)のもとでは,働くために常に新しい 知識を獲得することが必要であり,そのために学び続 けなければならない。  このような状況において,経済教育における「生き る力」とは「市場経済で生きる力」である。「市場経 済で生きる力」とは,働くことを含め,市場経済で生 きてゆくために必要な知識やスキルである。これは, 市場経済に対する理解に基づいて,意思決定(選択) ができ,また問題解決ができる力である。そして,経 済教育はこのような,「市場経済で生きる力」を育ま なければならない。また,このような「市場経済で生 きる力」を育む経済教育は,何のために経済学を学ぶ かを考える場合,大学の経済教育に対しても多くの検 討すべき問題を提供してくれる。  経済教育において「市場経済で生きる力」を育むた めには,三つのことが必要である。第一は,市場経済 にかかわる見方や考え方を学ぶことである。第二は, 市場経済にかかわる倫理を学ぶことである。第三は, 多様な分野とのかかわりを学ぶことである。専門的な 経済学の教育とは異なり,「市場経済で生きる力」を 育むためには,より広い観点からの経済教育が必要で ある。また,このことは,大学以前の経済教育のあり 方とも密接に関連している。以下では,第一の問題を 第Ⅲ節で,第二の問題を第Ⅳ節で,第三の問題を第Ⅴ 節で取り上げる。      

「生きる力」を育む経済教育の

あり方について

大学以前の経済教育との関連で

The Journal of Economic Education No.31, September, 2012

The Economic Education to Foster the ‘Zest for Life’ : In Relation to Pre-college Economic Education

Kano, Masao

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Ⅲ.市場経済にかかわる見方や考え方を学

ぶ経済教育

 「市場経済で生きる力」を育むためには,市場経済 にかかかわる見方や考え方を学ぶことが必要である。 金融,財政,労働など,すべての分野の経済問題を理 解するためには,市場経済にかかわる見方や考え方が 基礎になるからである。特に,市場のメカニズムや市 場経済の特質を理解することが必要である。  「市場経済で生きる力」とは,このような市場経済 にかかわる見方や考え方をもとに,私的な問題や公的 な問題において,意思決定(選択)ができ,また問題 解決ができることである。これは,市場経済でいかに うまく生きてゆくかということだけではなく,公的な 事柄にいかにかかわっていくかという問題でもある。 選挙は,多くの場合,制度や政策の是非をめぐってお こなわれる。したがって,制度や政策を評価したり, それらに関して意思決定をしたりすることが必要にな る。また,私的な問題に関しても,個人の行動の社会 的結果を考えて行動することが必要になる場合がある。  このような観点から大学以前の経済教育(ただし, 教科書の内容や記述)に関しては,次のようなことが いえる。  第一に,市場経済にかかわる見方や考え方を学ぶと いう発想は,大学以前の経済にかかわる教科書では希 薄である。教科書の記述は,事実や制度の解説が中心 であるが,経済の場合,事実や制度に関する知識はす ぐに陳腐化してしまう。事実や制度よりも見方や考え 方を学ぶことが重要である。また,学習指導要領でも 「社会的な見方や考え方を成長させることを一層重視 する方向で改善を図る」3)ことが示されている。した がって,見方や考え方を重視することは,学習指導要 領で示されている改善の方向でもある。  第二に,学んだことを生活や仕事で活用(応用)す るという発想が希薄なことである。「市場経済で生き る力」を育むためには,市場経済にかかわる見方や考 え方をもとに,意思決定や問題解決ができることが必 要であるが,それは,学んだことを活用できることを 意味する。見方や考え方は,仕事や生活にかかわる問 題において活用できることが必要である。経済に関す る知識や概念は,活用できなければ意味がない。また, 学んだことを,現実の問題などに活用できることが, 経済学のおもしろさである。経済学の理論を日常の問 題に活用することで,経済学の有用性とおもしろさを 伝えることが必要である。  市場経済を理解するための中心となる考え方は,需 要と供給による価格の決定である。教科書では,需要 と供給で価格が決まるという説明があるが,それを利 用して価格に関する現象を説明したり,他の分野の説 明に用いたりすることは少ない。需要と供給で価格が 決まるということを知っていても,それを応用して, 価格に関する現象を理解できなければ意味がない。ま た,それらを説明するためには,需要曲線と供給曲線 に関する知識,すなわち,それらの曲線のシフトと, それらの曲線の価格弾力性などに関する知識が必要に なる。これは,説明のために,それらの曲線を使用す るかどうかはともかく,教える側の知識としては必要 である。  「市場経済で生きる力」を育むためには,市場にか かわる見方や考え方をもとに合理的意思決定をさせる ことが必要である。教科書の記述は,制度や政策の解 説が中心であり,個人の意思決定という発想は希薄で あるが,制度や政策のあり方を考える場合にも,その ような個人の意思決定の理解が前提になる。例として, 中学校の「公民」の金融,労働,消費者政策を挙げれ ば以下のようになる。  金融に関しては,教科書は金融の制度や政策に関す る記述が中心である。しかし,重要なことは,市場経 済を前提に,個人が金融に関して合理的意思決定をで きることである。これはパーソナルファイナンスにか かわるテーマである。制度や政策は,これらの意思決 定とかかわらせて考えることが必要である。「なぜ金 融機関はあるのか」,「金融機関にはどのような役割が あるのか」4)ということを理解するためには,金融に 関する個人の意思決定の方法を理解する必要がある。 また,個人の金融に関する意思決定と関連させて,市 場経済における金融の役割を理解する必要がある。  労働に関しては,「公民」の教科書では,働くこと の意義や,労働者の権利や権利を保障するための制度 の解説に重点が置かれている。労働者の権利や権利を 保障するための制度は,いうまでもなく重要であるが, これらの重要性は市場経済に対する理解が前提になる。 また,市場経済を前提にした,働くための合理的意思 決定という発想が必要である。これは,賃金(所得) がどのように決まるかに関する理解や,賃金と人的資 本の関係に関する理解が必要である。しかし,日本の 教育では,教育と仕事のための能力を関連付けるとい う発想が希薄である。働くことを,市場経済と関連さ せて理解することが必要である。

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消費者政策においても,教科書の内容は,消費者保護 のための制度や政策,悪質商法の紹介が中心である。 しかし,それらは対処療法的な政策に過ぎない。新た な悪質商法が次々と現われるからである。また,消費 者政策も,消費者の保護から,消費者の自立と自己責 任が求められるように変化している。自立した消費者 に求められるのは,市場経済を理解した上での合理的 意思決定の能力である。そのためには,情報やリスク, 契約などにかかわる問題を学ばなければならない。こ れらは,市場経済で生きていくために必要な知識であ り,スキルである。また,それらを理解した上で,消 費者にとって必要な制度や政策を考えることが必要に なる。  以上で述べたように「市場経済で生きる力」を育む ためには,市場経済にかかかわる見方や考え方を学ぶ ことが必要であるが,このような経済教育をおこなう には,言うまでもなく,いくつかの問題がある。  第一に,見方や考え方に関する合意ができるかとい う問題である。見方や考え方にもいろいろある。報告 者の場合には,アメリカの NCEE(National Council on Economic Education)5)のスタンダード(�olun��olun�

tary National Contents Standards in Economics) を 想定している。NCEE では,幼稚園から高等学校まで の見方や考え方が 20 のスタンダードとして体系的に

整備されている。6)また,これより先に基本的経済概

念(Basic Economic Concepts)も整備されている。7)

 日本では,このようなスタンダードや基本的経済概 念に関して合意ができるかどうかが問題になる。現在 の教科書でも,事実と制度の記述を,経済的な見方や 考え方をもとに説明することは可能であるが,それら を理解していない場合には,制度や事実の解説になっ てしまう。また,見方や考え方も,教員の独自の見方 や考え方になる可能性がある。  第二は,経済学の理論の教えにくさにかかわる問題 である。具体的には,抽象的な経済学の概念をどのよ うに教えるかという問題や,モデル分析的な方法をど のように教えるかという問題がある。経済学の理論は, 重要な要因のみを取り出し,他の要因は一定と仮定し て,その結果を考えるものである。経済学の理論の多 くは,現実をそのまま説明するものではない。現実の 現象を説明するためには,仮定をその現象に適切なも のに変更して,説明する必要がある。結論は,多くの 条件に依存するために,単純に一般化できない。経済 的な見方や考え方は,現実を理解するための道具であ る。このような経済的な見方を身に付けるためには, 訓練が必要であり,時間がかかる。これらの問題を解 決するには,大学以前の経済教育で利用できる教材や 授業案の開発が必要である。NCEE の経済教育では, このような授業案が多く作成されているが,日本では, 大学以前の経済教育の授業案や教材などは少ないし, また,それらは体系化された経済的な見方や考え方に 基づくものではない。

Ⅳ.市場経済にかかわる倫理を学ぶ経済教

 第Ⅱ節で述べたように「市場経済で生きる力」とは, 市場経済にかかわる見方や考え方をもとに,意思決定 や問題解決ができることである。ただし,これは市場 経済でいかにうまく生きていけるかということだけで はない。公的な問題にいかにかかわっていくかを考え ることが必要である。公的な問題としては,制度や政 策に関する評価や意思決定がある。この場合,意思決 定をするためには,倫理的な判断が必要になる。なぜ なら,制度や政策は倫理的に受け入れ可能であるとし て支持されなければならないからである。また,私的 な意思決定においても,個人の行動の社会的結果を考 えれば,社会とのかかわりは無視できない。ただし, このような判断においても,市場経済に対する理解が 必要である。これらの倫理的な判断は,経済活動を可 能にするもの,経済を機能させるものでなければなら ないからである。  このように「市場経済で生きる力」を育む経済教育 は,倫理的な価値判断にかかわる問題を扱うことが必 要である。ただし,このような観点から経済教育をお こなう場合,いくつかの問題がある。  第一は,経済学の理論の基礎となる人間行動や,そ の結果に関する方法論的な理解が必要なことである。 経済学の理論は,自己利益を追求する人間行動を仮定 している。ただし,これは,道具的な仮定であり,こ のような仮定のもとで,どのような社会的結果が得ら れるかを明らかにするものである。  市場経済では,人々は自己利益を追求するが,この ような行動によって経済活動が調整される。また,市 場が競争的であり,また完全であれば,効率的な資源 配分が達成される。したがって,この場合には,人々 が自己利益を追求することが,社会の利益になる。  このような経済的発想(経済学の発想)の意義は, 人々の行動が社会の利益とどのように関連するかを明 らかにできることである。出来事の相互依存関係によ る副作用や長期的結果の考慮は,人々の行動や政策の

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結果に対して倫理的な評価をする場合にも,必要にな るものである。  第二は,以上で述べたような経済的発想と教育論的 発想との相違の問題である。この場合の教育論的発想 とは,自己利益の追求という人間の行動自体を変化さ せることで問題を解決しようとする発想である。  経済的発想の政策は,現実の人間行動を前提にして, 結果を求めるものである。この場合,経済的発想の多 くの政策は,経済的インセンティブを利用する。これ は「人間がどのように行動するか」を前提にしており, 「どのように行動すべきか」ではない。この場合の人 間行動は,自己利益の追求であり,経済的インセン ティブは,そのような行動を利用するものである。こ れは政策論的な発想である。  一方,教育論的発想では,人間行動の動機が重視さ れる。これは,教育では,特に日本的な教育論では, 人格形成が重視されるからである。したがって,ある べき価値観や態度の形成が重視される。すなわち,価 値観や動機に影響を与えることが重視される。  教育論的な発想による解決は,小さな社会(お互い の顔がわかるような集団)では,有効であっても,大 きな社会,すなわち国のような社会では,現実には, その有効性に限界がある。また,大きな社会では,人 間の行動の社会的結果を直接に知ることができない。 大きな社会では,人間の行動が,社会の相互作用の中 で,どのような結果を生み出すかは,その意図とは別 である。  しかし,一方で,教育の場では,政策論的な発想だ けで十分というわけではない。政策論では結果や有効 性が重視されるが,教育の場では,結果や有効性だけ が重要だというわけではない。教育の場においては, 自己の価値観や価値判断を見直すことが必要である。 ただし,これは,社会の現実を見る目のうえに築かれ なければならない。人々の願いや行動では解決できな いことが世の中には多くある。特に経済に関してはそ うである。したがって,制度や政策を考えることが必 要になる。  市場経済を評価する場合に,教育論的発想との関係 で,問題になるのが,競争の評価である。教育の素朴 な発想では,競争よりも共生や助け合いが重視される。 市場競争に代わる世界は,共生や助け合いなど美しい 言葉で語られる。このような発想が市場競争の意味や メリットを理解する障害になる。  市場競争は,弱肉強食の闘争として描かれることが あるが,一部の者だけが勝者になるような競争は,結 果的に独占になってしまう。社会的に望ましい競争と は,多数が共存・共栄しながら,競い合っている状態 である。また,市場は,競争の世界であるとともに協 働の世界でもある。市場は価値観を異にするもの(異 なる目的を持つもの)が協働できる世界である。一方, 協調や共生も,同等同権で互恵的な関係でない限り, 支配と従属の関係に過ぎない。支配でも従属でもない 情愛の関係は小さな社会(家族的な集団)でしか成立 しない。  したがって,競争を否定するのではなく,社会に利 益を与える競争のあり方を考えなければならない。ま た,市場での自己利益の追求が社会的利益をもたらす ためには,自己利益の追求が法律や社会規範などの ルールに従った行動であることが必要である。市場の 競争がこのようなルールに従っておこなわれるとは限 らないし,現実の市場がこのような競争市場の条件を みたしているというわけではない。したがって,この ような競争市場を維持するための制度や政策が必要に なる。また,競争を考える場合には,競争によって達 成される物質的豊かさや経済効率の観点からだけでは なく,競争によって達成されるものや生活の質の評価 という,より広い観点からの評価も必要である。  教育の場では,自己利益の追求や競争よりも共生や 助け合いが強調される。このような活動として,ボラ ンティア活動や NPO などがある。しかしながら,ボ ランティア活動や NPO などの意義を理解するために は,市場経済の理解が必要である。  ボランティア活動や NPO は阪神・淡路大震災でも, 東日本大震災でも,それらの活動が話題になったが, それらは市場経済において,社会を支えるために必要 な活動である。社会を維持するためには,市場の失敗 と政府の失敗を補うものとして,ボランティア活動や NPO が必要である。すなわち,それらは市場や公共 部門の活動では,うまくいかないような分野の活動を 担っているのである。  市場の失敗とは市場が最適資源配分に失敗すること を言う。市場の失敗は,高等学校の「政治・経済」で は取り上げられる。中学校の「公民」でも,この言葉 は使用されないが,市場における資源配分がうまく行 かない場合の説明がある。市場の失敗の例としては, 公共財の供給がある。公共財は,その非排除性(料金 を払わないものを排除できない)により,営利企業に よる供給はできない。したがって,政府が税金を財源 として供給する。  政府の失敗は,政府による資源配分がうまくいかな

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い場合を言う。これは利益集団などによる政治的圧力 が政府による資源配分をゆがめる場合を言う。政府の 失敗は「政治・経済」では取り上げられないが, NCEE のスタンダードでは,この考え方が取り上げら れている。  NPO やボランティア活動の意義は,このような市 場の失敗や政府の失敗と関連している。すなわち, NPO やボランティア活動は営利活動でもなく,政府 による活動でもない分野を担っているのである。  例えば,NPO が必要になる一つの理由として,情 報の非対称性がある。情報の非対称性とは,売り手と 買い手の情報に差がある場合を言う。これらが特に重 要になるのは,医療や教育などである。これらのサー ビスの質に関しては,需要者は供給者に比べて,十分 な情報を得ることが困難である。したがって,これら の財(サービス)は,民間財として供給される場合も, 利益を追求しない民間の非営利組織(団体)で行なう ことが必要になる。  また, NPO やボランティア活動は,自らの信ずる 価値観に基づいて行動することができる。したがって, 公共部門の活動と異なり,多様な価値観に基づく行動 を可能にする。NPO やボランティア活動の目的が公 共の利益であるとしても,何が公共の利益であるかは, 個人によって判断が分かれるものである。ボランティ ア活動は,自ら信じる価値観に基づく行動をすること ができるし,また,それにより市場での経済活動(営 利活動)では得られない満足を得ることができる。  経済のグローバル化のもとでは,市場経済のあり方 や営利と非営利のあり方を考えることは重要な問題に なっている。営利企業に関しては,「公民」や「政 治・経済」では,企業の社会的責任を教えることが求 められる。これは,中学校学習指導要領解説では「企 業は市場において,公正な経済活動を行い,消費者, 株主や従業員の利益を増進させる役割を担っているこ と,さらに,生産活動以外に社会的に貢献しているこ とについて考えさせることを意味している」8)と説明 されている。  企業の社会的責任は,周知のように,シェアホル ダー(ストックホルダー)資本主義とステークホル ダー資本主義にかかわる議論と関係する。前者は,株 主の利益を重視するもので,市場主義型といわれてい る。後者は,株主だけでなく従業員,顧客,消費者, 仕入先,地域社会などのステークホルダー(利害関係 者)の利益を重視するものである。  教科書では,企業の社会的役割として,企業のボラ ンティア活動や社会貢献活動が取り上げられることが 多い。企業の利益追求が社会のルールや慣行を守って 行われるべきことは当然であるが,企業が,企業収益 に貢献しない社会貢献活動を行なうべきかどうか,株 主総会で選出された経営者(株主の代理人である経営 者)が,企業収益に結びつかない社会貢献活動を決定 できるか,また,すべきかに関しては,議論がある。9) いずれにしても,企業の社会的責任を考える場合には, ビジネスを通じて社会に貢献するという発想が基本に なる。  このように,営利活動,政府の活動,非営利活動や ボランティア活動には,それぞれの役割があるが,そ れらの活動も市場経済のあり方と関連するものであり, また,それらの活動自体も市場経済から無縁ではない。 また,ボランティア活動が存在するのは,市場経済を 基礎とする自由な社会においてのみである。したがっ て,社会を良くしようとするならば,市場経済に対す る理解が必要である。

Ⅴ.多様な分野とかかわる経済教育

 大学以前の経済教育では,専門的なレベルの経済教 育と異なり,経済以外の他の分野とかかわる経済教育 が必要になる。すなわち,専門的なレベルの経済教育 であれば,専門的な知識や経済的な見方や考え方を深 めることが目的となるが,大学以前の経済教育では, 他の分野と有機的な関連を図ることが求められるから である。  このことは,むしろ意義のあることである。私的な 問題であれ,公的な問題であれ,多くの場合,経済的 な見方や考え方だけで解決できるものではない。問題 の理解には,他の分野の知識が必要になるし,問題の 解決にもそれらが必要になる。  また,このことを経済的な見方や考え方を広げる機 会として利用することもできる。「公民」であれば, 経済分野以外に,政治や憲法などの分野が含まれる。 また,これらは明確に分離されているわけではない。 例えば,経済分野には,労働問題,消費者政策,福祉 などが含まれるが,これらは法律や権利で説明するこ とも必要である。一方で,法律や権利があるからでは なく,なぜそのような法律や権利が必要かという発想 が必要であり,そのためには,経済的な見方や考え方 が必要になる。  多様な分野とかかわらせた経済教育の必要性は,教 える教員の知識に制約されるとしても,特に反対され

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るものではないであろう。問題になるのは,経済的な 見方や考え方と他分野のそれらとの関連である。例え ば,制度や政策を評価する場合には,権利が関係して くる。この場合,権利自体の重要性で判断するか,結 果で判断するかという問題がある。経済的発想は功利 主義的な発想であり,費用便益的な分析になるが,こ れは権利という発想とは異質なものである。ただし, 制度や政策を権利で評価する場合にも,制度や政策の 間接的な影響(副作用)や長期的効果を十分に認識す ることが必要である。また,第Ⅳ節で述べたように, 経済的発想と教育論的発想との関係が問題になる。経 済的発想を理解していない場合には,教育論的発想に よって,経済的発想が締め出される可能性がある。

Ⅵ.むすび

 本報告では,「生きる力」を育む経済教育のあり方 を検討した。「市場経済で生きる力」とは,市場経済 に対する理解のもとに私的または公的な問題に対して 意思決定や問題解決ができることである。このような 経済教育の内容や問題点について検討した。ただし, 本報告では,これをどのように教えるか,どこまで教 えるか,などは扱わなかった。また,「生きる力」を 育む教育には,動機付けや意欲の喚起などが含まれる が,それらも扱っていない。それらのあり方は,生徒 や学生の状況に応じて異なったものであろう。また, 「市場経済で生きる力」を育む教育のすべてを学校教 育が担えるわけではない。社会から学ぶことができる 能力や資質が必要であろう。学校教育の役割はそのよ うな力を育成することである。 註 1) 「公民」の教科書を利用した授業に関しては拙稿(加納 [1])を参照。 2) 『中学校学習指導要領解説 社会編』(2008)p.1 3) 『中学校学習指導要領解説 社会編』(2008)p.3 4) 『中学校学習指導要領解説 社会編』(2008)p.122 5) Council for Economic Education に名称変更されている。 6) NCEE[3]参照

7) Saunders,P., Gilliard, J., ed.,[4]参照。 8) 『中学校学習指導要領解説 社会編』p.105

9) これに関しては,Wight B. J., Morton J. S.,[5]の Lesson 9 を参照。 参考文献 [1] 加納正雄「中学校「公民」教科書を利用した経済学教育」, 『経済学教育』,第 22 号,経済学教育学会,2003 [2] 文部科学省『中学校学習指導要領解説 社会編』日本文 教出版,2008 [3] NCEE, �����������������������������������������������NCEE, �����������������������������������������������, ����������������������������������������������� ����������������������������������������������� ���, NCEE, 1997(『スダンダード 20』翻訳研究会訳『経済 学習のスタンダード 20 21 世紀のアメリカ経済教育』, 消費者教育支援センター,2000)

[4] Saunders,P., and Gilliard, J., ed., F����w��k�f���T���h��g� B����� ��������� �����p��� w��h� ���p�� ���� ��q������ G����������K-12, NCEE, 1995

[5] Wight B. J., Morton J. S., T���h��g��h����h�����F������Wight B. J., Morton J. S., T���h��g��h����h�����F������. J., Morton J. S., T���h��g��h����h�����F������ J., Morton J. S., T���h��g��h����h�����F������., Morton J. S., T���h��g��h����h�����F������ Morton J. S., T���h��g��h����h�����F������. S., T���h��g��h����h�����F������ S., T���h��g��h����h�����F������., T���h��g��h����h�����F������ T���h��g��h����h�����F������ �������f����������, NCEE, 2007

*参考文献の NCEE は National Council on Economic Education の略である。

参照

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