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中等教育における正しい「金融教育」の必要性・緊急性の提案

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要旨  日本での正しい「金融教育」の必要性・緊急性について,何のための誰のための[金融教育]なのか?  [金融教育]そのものが教育の目的足りうるか? 中等教育はどのように対峙できるか?その存在が問わ れている。  消費者教育としては,「リスク」を「行動の結果の不確実性」として認識させる必要があり,改めて健 全な「市場経済」の倫理を教える必要がある。「パーソナルファイナンス」における「金融(ファイナン ス)」の重要性を訴える。自ら「リスク管理」できる人間の育成が重要であり,「金融教育」の基本文法と して「ポスト新古典派」の「行動ファイナンス」(ファスト&スロー)から始まる「現代古典派意思決定 論」を提起する。 キーワード:金融ケイパビリティ,行動ファイナンス(ファスト&スロー),現代古典派意思決定論,財 務諸表制度,パーソナルファイナンス

Ⅰ.はじめに

 中等教育においては,「自立的経済人」を育てると いう目標の明確化,いわば「ファイナンシャルイン ディペンデンス(経済的自立)のある市民の育成」こ そが,重要である。  「金融」のグローバル化のリスクに対する処方箋と して地球的な「金融教育の国家戦略」の緊急性が課題 となっている。2008 年 9 月のリーマン・ブラザーズの 経営危機の発生以降,海外の金融教育の進展は,量的 に拡大し,教育効果の向上など質的な面にも及んでい る。世界的な金融危機に見舞われ,生活者へ被害が拡 大したのは金融リテラシーの欠如が一因であると考え た先進諸国は,金融リテラシー向上のための取り組み を加速した。特にイギリスは,義務教育を含めた国民 の金融知識と判断力の育成に力を注いでいる。  金融教育を「国家戦略化」する動きが 2010 年度以 降,世界各国で広がっている。既に 10 ヵ国以上にお いて,金融教育に関する国家戦略策定に動いている。 金融教育を国家戦略として策定もしくは策定に動いて いる国は,英米をはじめ,オーストラリア,ニュー ジーランド,スペイン,ブラジル,アルバニア,カナ ダ,イタリア,ベルギー,セルビア,メキシコなどで ある。  各国が金融教育を強化するのは,増加する金融取引 リスクへの対応強化と「危機時の被害拡大を防ぐ予防 薬の役割」を期待しているためで,金融危機で被害が 大きかった国では「脆弱者」低所得者層等への情報提 供,教育を重視する傾向が強い。なかでも近年著しい 発展を遂げている「行動経済学」・「行動ファイナン ス」について消費者の金融行動を分析し,そこから得 られる知見を金融教育にフィードバックすることで, 教育効果の向上を図ろうとする動きが拡大している。

Ⅱ.日本での「金融教育の誤謬」

 2005 年,経済教育・金融教育元年で進められた 「金融教育」は,「官」から「民」へ「間接金融から直 接金融」への掛け声の下, 間接金融を前提とした勤労

中等教育における正しい「金融

教育」の必要性・緊急性の提

The Journal of Economic Education No.35, September, 2016

The Necessity and Urgency of Giving a Proper "Financial Education" in the Secondary Education

Sumitani, Hideichi 炭谷 英一(神戸市消費生活マスター)

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と節約と貯蓄から直接金融を前提とした投資・クレ ジット・ローン・外貨・税を含めた啓蒙・広告・宣伝 活動であった。目標は次の通りであった。 ①合理的な意思決定を行う個人の育成 ②実際の経済社会に対する理解 ③政策的課題の検討・解決  「新古典派経済学」の「意思決定論」は,「合理的経 済人」という想定で「希少性」の発見のもと,ひとつ 選べば,他を諦める「機会費用」という仮説から出発 し,「需要」と「供給」の「均衡」という前提のもと 「市場」説明の基礎となった。  リーマンショック後,新古典派「意思決定論」の危 機,米国の MBA(ビジネススクール)の卒業生の経 営責任が,問われた。彼らは,グローバル経済のガバ ナンス(統治)なき中で,市場原理主義(新古典派経 済学に依拠)ともいえる意思決定論(「希少性」,「機 会費用」,「トレードオフ」)を推し進めたために,こ のような危機を招いたともいえる。  日本では金融庁や消費者庁,金融広報中央委員会 〈事務局日本銀行情報サービス局〉などが,様々な取 り組みを行っているが国家戦略や義務教育化といった レベルには至っていない。日本 FP 協会が,金融広報 中央委員会の委員団体になり,2010 年「パーソナル ファイナンス教育のスタンダード」を策定した。「消 費者教育の推進に関する法律」は,国の責務と地方公 共団体の責務を明記し,消費者教育推進体制の確立を 謳っているが,いまだ過去の過ちの総括がなされてい るとはいいがたい。

Ⅲ.デフォルト・ソブリン危機(国家債務

破産危機)時代の「正しい金融教育の

必要性・緊急性」

 2006 年の G8 において要請された OECD カンファレ ンスの開催を経て,OECD の金融教育のハイレベル 原則案は 2011 年の G20(パリ)で起草された。  2012 年 4 月「成長と雇用」の促進のため,米国ワシ ントン D.C. で発表された G20 共同声明で 12 にわたる 声明を発表したが,その中で「……金融包括を支援す る国家戦略の立案・実施及びデータ・イニシアティブ への彼らの継続的な支援を求める」として,「金融教 育については,我々は,OECD『 金融教育に関する国 際ネットワーク(INFE)』及び世界銀行がこのトピッ クに関して行ってきた作業の重要性と妥当性を認識す るとともに,『金融教育に関わる国家戦略に関する OECD・INFE ハイレベル原則』が,ロスカボス・サ ミットにおいて我々の首脳による検討のために提示さ れることを期待している。・・・我々は,女性が金融 サービス及び金融教育にアクセスできることの必要性 を認識し,『GPFI 及び OECD/INFE』に対し,女性 が直面する追加的な障壁を特定するように求める」と ある。  英国では,MAS(Money Advice Service) と呼ばれ る公的機関が金融教育を推進しており,海外主要国の 中でも,「行動経済学」の金融教育への応用に最も積 極的であることで知られている.  MAS が「行動経済学」の金融教育への応用に関心 を抱くようになった背景としては,① 2008 年に金融 教育の効果に関する実証研究の結果,教育効果が金融 行動の改善に及んでいるとは言い切れなかったこと, ② 2006 年から 5 年間実施された金融教育に関する国 家戦略の結果,金融教育を通じて消費者の生活水準の 向上を図るためには,情報提供を主体とした従来型の 金融教育だけでは不十分であると判断されたこと,な どが挙げられる.  ブレア政権下の教育雇用省は,1999 年に新しいナ ショナル・カリキュラムの一環として「個人,社会, 健康教育(PSHE)とシチズンシップ」に関するフ レームワークを発表し,その一環として 2000 年に 「パーソナルファイナンシャル教育による金融ケイパ ビリティ―学校のためのガイダンス」が出された。こ こで初めて金融ケイパビリティ概念が使用され,「金 融ケイパビリティは,すべての人にとって重要なライ フスキルの一つ」と書かれ,また金融ケイパビリティ には,金融知識と理解,金融スキルとコンピテンス, 金融責任という相互に関連した 3 つのテーマがあるこ とが示された。

Ⅳ.英米では金融リテラシーから金融ケイ

パビリティへの転換が進んでいる

 FSA(英国の Financial Services Authority)は,金 融リテラシー教育では十分な成果が上がらないことが わかり,2002 年に「金融ケイパビリティ向上グルー プ」(FCSG)を発足させ,2003 年に「金融ケイパビ リティのための国家戦略に向けて」という報告書を作 成し,FSA として正式に「金融ケイパビリティ」概 念を使うようになった。2004 年に「イギリスにおけ る金融ケイパビリティ」という報告書も出し,「金融 ケイパビリティ」を基本コンセプトとする国家戦略へ の大きな転換が開始された。  米国は,2010 年 1 月 29 日オバマ大統領による「金

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融教育に関する大統領令」が発せられた。キーワード は「金融リテラシー」(Financial Literacy)から「金 融ケイパビリティ」(Financial Capability)である。 「ケイパビリティ」は,「能力・可能性の発展」「生活 の質」「社会の豊かさ」「自由と選択肢の違い」など 様々な問題についてこの理論を応用化して発展させ, それぞれ当事者の声を関連政策に反映させる。  教育や助言だけでは不十分で,自ら判断し,適切に 行動に移せる人をつくっていくことに政策レベルから 主眼を置いている。知識の啓蒙や単に上から教える時 代は終わった。  このアプローチは経済学者のアマルティア・セン (1998 年ノーベル経済学賞受賞。現ハーバード大学教 授)によって,富裕度に代わる国や暮らしのゆたかさ を分析する理論として構築された。 1980 年半ば,開 発施策をめぐり,どのような国際政策をとるべきか, 何を平等性の指標にした発展をめざすべきか等,経済 学者のあいだで検討された。センは「国民総生産など 集合的な財に注目するだけでは,富が国民に均等かつ 公正に行き渡っているかどうかはわからない」と既存 の経済学の限界を指摘した。  “white house financial capability”などホワイトハ ウスの公式サイトやアメリカ政府関係の公式サイトで 数 多 く Financial Capability が 取 り 上 げ ら れ,「Na-tional Financial Capability Month」も設けている。  「金融ケイパビリティ」は,お金について学び,お 金に対して正しく行動・活用できる能力であり,学ん でいても,正しく行動できなければ意味がないとし, 主に,次の四つの要素から構成される。  ① 収支を一致させるための家計管理能力  ② 予め計画するというプランニング能力  ③ 金融商品の選択と管理能力  ④ 金融知識能力

Ⅴ.合理的主体による完全に合理的な選択

がなぜ破滅的な結果を招くのか。

―「金融民主主義とは金融における消費

者主権の確立である」―

1.リチャード・セイラー キャス・サス ティーンの提言―Nudge の政策への関与  「実践行動経済学」(Nudge2008)の共著者リチャー ド・セイラーは,英国キャメロンのブレーンとし, キャス・サスティーンは,米国オバマのブレーンとし, 「行動経済学」が,公共政策へ採用され活用されてい る。  シカゴ大の行動経済学者リチャード・セイラーは 「お金の教育は,人々の大きな財政上の決断について は不可能だ。経済学の博士号を持つ自分ですら,何が 正しい判断かはなかなかわからない。ましてや一般庶 民では無理だ」という。「むしろ,人々にとって選択 を簡単にするべきだろう。デフォルトでもあまり悪く ならないような選択肢を作って金融商品に組み込むの がいちばんいいだろう」と述べる。 2.なぜロバート・シラーは,米国バブル, リーマンショックを予測できたか?  ロバート・シラーと,ユージン・ファーマのノーベ ル経済学賞同時受賞(2013 年)は,驚きをもって迎 えられた。従来の「新古典派」の「効率的市場仮説」 に対する批判に基づいて,「行動ファイナンス」の議 論が盛んだが,シラーは,「行動ファイナンス」的立 場から,投資理論,投資手法に関する提案を行なった。  1960 年代から 1970 年代,社会主義国ソ連との冷戦 下という時代背景もあり,「市場=マーケットはパー フェクト」という考え方をする経済学者が殆どで,シ ラーと経済学賞を同時受賞したユージン・ファーマが その代表的な一人であった。  市場は効率的であるとするファーマは,そもそもバ ブルは存在しないとし,そんな中「バブルとは,一つ の流行であり,価格を見る人が翻弄される現象を指 す」と,分かり易く説明したのがシラーであった。  「バブルの正しい防ぎ方」(2014 The Subprime Solution 2008 年 8 月)において,ロバート・シラーは, 「金融民主主義とは金融における消費者主権の確立で ある」といい,国際消費者保護ネットワークについて も G20 財務大臣は支持したことで,「金融教育の重要 性」を認識している。本書で主張する金融民主主義の 概念は,G20 声明で主張されている『金融包摂の概 念』と類似しているが同じではない。本書における金 融の民主化は,基本的には,金融リスク管理とそれを 促進するという方向に人々のさらなる関心を導く金融 革新であり,伝統的な金融革新を入手するための単な る改善策ではないとし,同書第 1 章と第 6 章で,金融 情報インフラの改良などを,提案し,以下提言してい る。 1. 大衆向けの総合的な金融アドバイス(または金融 教育)の提供 2. 消費者本位の金融監視人の設置 3. 債務不履行時の対策を組込んだ,標準的な住宅

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ローン契約書の作成 4. 金融商品に関する情報公開の改善 5. 個人と企業に関する大規模なデータベース (支払 能力の正確な評価のため) 6. インフレ率で調整した貨幣単位での取引普及 7. 不動産先物市場の開設 8. 適宜返済型住宅ローンや住宅価値保険などの導入 3.国家戦略としての「金融教育」から包括的 ガバナンスへ―「スティグリッツ国連報告」 の意味するもの  「スティグリッツ国連報告」(2009.9.21 2011 水山産 業株式会社 出版部 2011)においてジョセフ・E・ スティグリッツは,ワシントンコンセンサスへの批判 と提案は,以下の様である。 ①米国発の世界経済社会危機に苦しんでいるのは途上 国であり,失業や自宅喪失,年金減価に直面している 先進国の弱者である。 ②そして,国際間の形状収支の不均等と,国内での所 得格差の拡大は,倫理的に不公平であるというだけで なく,世界需要の不足という,不況の構造的原因をも たらしている。 ③この危機は,市場原理主義という誤った思想に基づ く世界的規制緩和から起こった。 ④ブレトン・ウッド機関は米ドル単独準備通貨制度の 改廃革と共に大幅に改革されなければならない。 ⑤大国主導の G-20 による世界経済ガバナンスには限 界 が あ り, 国 主 導 の 民 主 的, 包 括 的 ガ バ ナ ン ス (G-192)が必要であるとする。 4.スティグリッツ委員会「暮らしの質を測る」 報告の意味するもの  スティグリッツは,サルコジ前仏大統領から GDP に代わる指標の作成依頼をうけた「暮らしの質を測る 経済成長率を超える幸福度指標の提案―(2010 日本語 訳 2012)においてわれわれは暮らしの測り方を間違 えているとし,なぜ GDP の合計はあわないのかとし, 以下のようにまとめる。 第 1 章 古典的な GDP の問題 第 2 章 暮らしの質 第 3 章 持続可能な発展と環境  スティグリッツ(2001 ノーベル経済学賞)を議長 とし,アマルティア・セン(1998 ノーベル経済学賞), 議長挌顧問 ダニエル・カーネマン(2002 ノーベル 経済学賞)他,ノーベル経済学賞受賞者 1 名を含む 25 名のそうそうたる委員による脱 GNP であり,世界の 新たな指標作りに影響を与えている。 5.金融資本主義に立ち向かう価値をつくる- 公益資本主義の概念  アンドレ・オルレアンは「価値の帝国」において, 「価値」を「労働」や「効用」の反映と捉える従来の 経済学における価値理論を批判し,価値の自己増殖の ダイナミズムを捉える模倣仮説を採用し,現代金融市 場の根源的不安定さを衝き,社会科学としての経済学 の再生を訴える,  「金融市場は昔も今も借金のための場であり,金融 商品はその手段である。古くからある国債,株式に加 え,1980 年代以降,自由化によって金融商品は膨張 してきた。住宅ローンなどの債務が証券化され,さら にこれら金融商品の変動に伴う損失をカバーする保険 である金融派生商品(「デリバティブ」と呼ばれる) が電子空間で生み出された。米国では投資家が借金し ては投機に励み,消費者は貯蓄せずに借金で消費に励 んできた。国民が働かなくても政府が国債を発行して 外国からカネを集めてはばらまいてきたのがギリシャ など南欧諸国である。ところが証券化商品もギリシャ 国債も暴落し,金融主導型経済は砂上の楼閣のごとく 崩れてしまった。これがリーマン・ショックやユーロ 危機の真相なのだが,われわれの分析では,金融市場 には行き過ぎを是正するいかなる復元力も存在しない。 ところが,主要国はいまだに金融依存型の思考を変え ていない」とする。

Ⅵ.「ファスト」(システム 1 直観)&

「スロー」(システム 2 論理)からミ

クロ・マクロ・ループへ

1.第 1 原理「希少性」代替原理「二重プロセ ス」から始める「意思決定」と「批判的思 考」  『ファスト&スロー あなたの意思はどのように決ま るのか?』の「二重プロセス」(dual process theory) は,情報処理プロセスを意識と無意識 に分類する理 論の総称である。2002 年にノーベル経済学賞を受賞 したカーネマン が,「二重プロセス」に関する一般書 を出版したことを契機に,さまざまな学問領域で注目 が集まっている。  『心は遺伝子の論理で決まるのか』でスタノヴィッ チは,脳内には問題解決の仕方がちがう反射的システ

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ムと分析的システムが存在するという。スタノヴィッ チの「二重プロセス理論」に「批判的思考」(クリ ティカルシンキング)がどう位置づけられているのか について考察する。「二重プロセス理論」とは,並列 分散処理を行う自律的システムと,直列的に単一のプ ロセスとして働く分析的システムの二重の過程を仮定 する理論である。分析的システムの主な役目は,仮定 的な状況を表象し,シミュレーションすることであり, 不適切な反応抑制することといえる。分析的システム そのものの能力が高いということは,人間の情報処理 能力の高さ(演算容量の大きさや速度の速さ)と関係 している,とスタノヴィッチは考える。そのような知 的能力を,自分の欲望や信念が適切なものかを吟味す ること,そしてそれに基づいて知的に考え判断するこ と,それが広い意味での合理性であり「批判的思考」 であろう。  「二重プロセス理論」のなかで,合理性や「批判的 思考」がどのように発揮されるかというプロセスにつ いての説明があるわけではない。ただ,合理的に,内 省的に,自分の「欲望」を批判的に吟味することが大 切と位置づけられている。  筆者は,「意思決定」と「批判的思考」は,「二重プ ロセス理論」のなかに,存在するという仮説をとるが, 「検証」「実験」は今後に期したい。  1990 年代頃から顕著になってきた経済学の変化は, 複数の主体のインタラクションを研究するゲーム理論 が経済学の中に取り込まれるようになったことをきっ かけとしている。経済学の内部に「実験経済学」とい う分野が立ち上がることになり,さらに,実験で得ら れた結果が理論的予測と乖離することを説明するため に,「行動経済学」という分野も誕生した。「行動経済 学」はしばしば,「リアルな人間行動を分析する」経 済学と紹介されている。「実験経済学」と「行動経済 学」の誕生という流れの中で,さらに「神経経済学」 も登場した。これは,脳の状態を計測する技術の進展 とともに,人間が「経済的意思決定」を行う際に,脳 のどの部分を賦活させているのかを調べることで人間 行動にアプローチしようとする分野である。「行動経 済学(behavioral economics)」に「行動(behavior)」 という言葉が冠されているのは,それが既存の経済学 が対象としてきた「行為(action, act)」のみに現象 を限定しないで,枠組みを超えて人間行動を考察しよ うとしていることを含意しているのである。「新古典 派経済学」のアプローチではもっぱら「行為」を対象 としてきた。 2.「新古典派経済学」での「方法論的個人主 義」の限界と「合理的意思決定」の欠陥   19 世紀後半に展開された「限界理論」と「市場均 衡理論」を柱として発展してきた「新古典派経済理 論」は,20 世紀において経済学の主流派の位置を占 めてきた。  「新古典派経済学」では,消費者や生産者といった 意思決定の最小単位を「経済主体」と呼び,それらが (一定の制約条件のもとで) 合理的に「意思決定」す ると仮定している。そして,たとえば市場のような, 考察の対象となっているメカニズムの安定的な状態を 意味する「均衡」という概念を用いて,均衡状態が現 実に対応するモデル上の存在物であると想定し,モデ ルの現実妥当性を論じるという「方法論的個人主義」 というアプローチをとってきた。  市場以外の制度を考える際にも同様に,ロジックの 出発点に「合理的経済人」の存在をおき,彼らが相互 にインタラクトすることで,社会や制度がつくられて いくのだという見方を採用してきた。  「合理的意思決定」の構造の不確実性下の意思決定 の理論の中核をなしてきたのは,「期待効用理論」で ある。経済学では伝統的に,個人が結果に対して持つ 「選好」についてはほとんど語られなかった。「選好」 という概念は,古くから「欲求(desire)」という概 念として論じられていたものを,「意思決定理論」が 数学的に洗練したものである。「欲求」という言葉を 用いて言い換えるならば,人間の「欲求」は理性的に 論じることができないという考え方である。  20 世紀を通じて主流派の「新古典派経済学」もま た,結果的にこのような方法論にのっとって発展して きた。ミクロ経済学のテキストでは,企業は「利潤を 最大化」する「経済主体」であるとされている。「均 衡理論」は,価格の変動を需給の変動が起こるからと 説明する。しかし,株式の需要・供給あるいは通貨に たいする需要・供給は,どのように変動するのであろ うか。この点では「均衡理論」は,ほとんどなにも説 明しない。需要が増大して価格が上昇するとか,供給 が過剰になり価格が下落するといった説明も,金融市 場では成立しない場合が多い。通常の価格理論では, 人々は価格の高低に応じて需要量・供給量を決めると される。しかし,株式市場では,株価の絶対的高さに のみ反応して,買い注文・売り注文が出されるわけで はない。残念ながら,経済学および金融理論は,バブ ルとその崩壊という重大な現状を十分に説明してこな かった。単純な数学的合理性すら持たない人間が,不

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確実な状況で「期待を合理的に最大化する」など不可 能である。「合理的期待」最大化は,合理的な効用の 最大化よりもさらに難易度が高い。実際,「実験経済 学」でも,ゲームの参加者が合理的に期待を形成する という仮説は証明できない。非現実的な「合理的経済 人」とともに,「限界費用の逓増」という奇妙な仮説 にしがみついた。物理学などとちがって,市場は完全 にはモデル化できない。経済学がやっているのは市場 の近似的なモデルを数学的に組み立てることで,人間 がだいたいにおいて合理的に行動するように,限界費 用もだいたいにおいて逓増している。これでは現実を 理論に合わせなければならない。 3.「現代古典派経済学」よる「意思決定」の基礎  新古典派では,市場全体における需要と供給の一般 均衡を数学的に説明するには,価格に対して右下がり の需要曲線(市場需要)に対して,供給曲線(市場供 給)は右上がりになっていなければならない。ところ がこの右上がりの供給曲線を限界費用の逓増から導き 出している。中心命題である一般均衡が成立するには, 限界費用は逓増しなければならない。限界費用が逓増 するということは,収穫(利益)が逓減するというこ とになる。1980 年代になると,「収穫は逓減するので はなく逓増している」という新しい経済学が,唱えら れるようになった。(塩沢由典)  古典派では,原材料は生産量に完全に比例する。し たがって,生産量が変化しても,生産コストは一定と なる。仮に価格に依存して,生産量をきめれば,ある 価格以上では生産量は無限大となり,そうでなければ, 生産量ゼロが最適となる。古典派の想定のもとでは, 利潤最大とする生産量自体はゼロであるか,存在しな いしかない。したがって,古典派の理論では,需要に あわせて,生産量がきまる想定となる。  生産技術が一定なら,元の均衡と新しい均衡では, 価格は同一となる。  古典派では,①プライスメーカーは,価格=単位あ たり生産コスト×(1 +上乗率)価格は生産量と独立 できまる。②単位あたり生産コストは生産量と無関係 に決定される。③生産費によって決る価格=自然価格 を問題にする。 4.マルチエージェントによる仮想市場の構築 -エージェントベースの「金融教育」  社会を「ミクロ・マクロ・ループ」として理解しよ うとする考え方は,ミクロレベルの「経済主体」の行 動は,マクロレベルの社会・経済パフォーマンスに影 響を与えるとともに,経済主体の行動などはマクロレ ベルの社会・経済パフォーマンスに影響を受けるとす る。つまり,このミクロ・マクロ・ループは,ミクロ レベルとマクロレベルの相互規定的な関係である。  「人工市場」は,このような状況を打破する突破口 となりうる。株式や為替などの金融市場では,個別経 済主体の行動と市場の動きとの間に一種の共進化が見 られる。この機構(ミクロ・マクロ・ループ)を無視 しては,市場の有効な分析はできない。  「人工市場」は,持続する変化の中で捉え,経済制 度が自己組織化されていく進化論的状況を経済の本質 とみなして経済を理解しようとするものであり,「人 工市場」に経済理論の前提条件を与え,金融価格の動 きを調べることによって,理論の検証を直接行うこと ができる。「効率的市場仮説」 という既存の経済理論 の定量的な検証で「人工市場」に金利などの政策的に 操作できる様々な条件を与え,価格変動の評価を行う ことができる。  金融市場の価格変動に対する現代的アプローチは, 実際の市場をより実際に近い形でシミュレートするこ とで,金融市場の特性に迫ろうと試みられている。 「マルチエージェント・シミュレーション」と総称さ れる方法である。市場の動きと市場における経済行動 を解明するために,模擬市場を設計し,動かしてみる ことによって,経済学の側面からは, (1)株式など売 買行動に関する人間の判断様式が解明される。 (2)市 場の乱高下など,市場の投機的な動きを回避するため の実験を行うことができる。  塩沢由典は,「これまで多くの大学で試みられてい ますが,教員側の準備さえあれば,高等学校や中学校 でも同じことは可能なはずです。その効果は,単に指 数取引きを擬似体験するだけではありません。先物市 場は,その内部においてはゼロサム・ゲームという特 性を持っています。誰かが得をすれば誰かが損をする 世界です。株取引で儲けることを学ぶのでなく,どう いう構造のなかで取引きがおこなわれ,そこでの損得 が社会全体としてどのような意味をもつか反省する機 会とすることも可能です。この意味で U-Mart は金融 教育としても有益なものです」という。(参考文献 [8]まえがき) 註: 塩沢は古典派の一部,あるいは古典派理論を現代的に展開 したという意味で,「現代古典派」を標榜する。筆者もこ れに従う。

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5.財務諸表の捉え方と家計財務諸表と家計分 析の手法-「生産性」より「消費性」を軸 に-   古典派では,賃金水準は,生産性で決まる。社会の 消費性で決まる。そしてその社会の平均的な生産性と いうのは,「その社会の総消費量で決まる」という結 論になる。  「生産性」という言葉は巷に溢れていても,「消費 性」という言葉は見かけない。“productivity”という 言葉は見聞きするが,“consumability”という言葉に は遭遇しない。「生産性」が上がれば上がるほど,「生 産性」という言葉が持つ価値は下がり,「消費性」こ そ重要となり,そして今や「消費性」の方が「生産 性」よりはるかに決定的となっている。「貯蓄」も 「消費」に含めて,お金の行き先を決める行為は,す べて「消費」ということになる。  合理的な経済人とは異質な代替的な経済主体を前提 とする財務諸表制度は,われわれの社会においてどの ように捉えることができるのであろうか。「制度」と は,「社会的相互作用を構造化する,確立され普及し た社会的ルールの体系」と定義される。つまり,制度 とはルールの束と捉えることができる。ルールは,認 知・行動の定型的パターンや習慣から,認知・行動を 社会的に規制する慣習や法などまでを含むものである。  家計財務諸表と家計分析の手法をアルフェストの 『パーソナルファイナンス』を中心に考察する。企業 の財務諸表と同じように家計も財務諸表をつくるとい う点が述べられている。財務諸表は,企業の場合,バ ランスシート・損益計算書・キャッシュフロー計算書 があるが,日本の FP の実践ではキャッシュフロー表 は作るが,バランスシートはあまり作らないが,企業 と同様に年 1 回,キャッシュフロー報告書ないし損益 計算書と,バランスシートをつくり,毎年,家計の決 算も会社の決算と一緒に行う習慣をつけ,「行動ファ イナンス」の上にライフプランニングの視点をのっけ て「行動ファイナンシャルプランニング」というやり 方の提案である。  家計財務で,パーソナルバランスシートでは,「資 本」は,パーソナルファイナンスの基本コンセプトで ある資本概念は企業の資本概念とは異なり,パーソナ ルファイナンスの世界では,「実物資産」・「金融資 産」・「人的関連資産」の 3 つが基本で,「投資」を 「組織を改善したり,将来の消費のための資金を得る ため,キャッシュフローを資産に投入すること」と定 義し,投入する資産には「人的資産」・「実物資産」・ 「金融資産」の 3 つとする。「家計ファイナンス」,「家 計企業」つまり家計を企業と見立て,その財務面を分 析していくものだ,と位置づける。  インディペンデンスのための「パーソナルファイナ ンス」の重要性として,価値(パーソナルビジョン) を重視し,海図羅針盤として会計・行動ファイナンス をツールとする。  今日は不確実性の時代である。いかなる変化が起こ るか予測すら困難である。にもかかわらず,「意思決 定」を行う制度とスピードは以前にも増して高い質が 求められている。  「プレイヤーの前提(経済主体)」として,家計(収 入支出会計前提)企業(B/S,P/L)政府(収入支 出会計前提)の財務諸表が考えられたが,「コーポ レートファイナンス」,「パブリックファイナンス」と 共に,「パーソナルファイナンス」では,間接金融を 前提(勤労と節約と貯蓄を前提)とした家計-収入支 出会計から,直接金融を前提に投資・クレジット・ ローン・外貨・税を含めた「パーソナルファイナン シャルステートメント」の転換が必要になる。①パー ソナルバランスシート②パーソナルインカムステート メント③パーソナルキャッシュ・フローを中心に中等 教科書「金融」(ファイナンス)の体系を構想する。  パーソナルファイナンスでは,1. 所得 2. 金銭管理  3. 支出とクレジット 4. 貯蓄と投資が,横軸となる。 6.教科書「金融」(ファイナンス)は,以上を 踏まえて,以下縦軸のインデックスを次の ように構想する。 1. 行動ファイナンス  1.1 不確実性下における合理的選択  1.2 行動ファイナンスの世界 2. 市場-行動ファイナンスからみた市場 3. アノマリー 4. 心理学からのアプローチ  4.1 認識のバイアス  4.2 選択における評価のバイアス  4.3 プロスペクト理論 5. ファイナンスへの適用 6. 日本市場の実証分析 7. 人工市場-エージェントベースアプローチによる 分析- 8.家計財務諸表と家計分析の手法  8.1  パーソナルファイナンス-「資産」「負債」 「資本」

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8.2  パーソナルバランスシート キャッシュフ ロー 8.3  「資本」-企業との差異 「実物資産」・「金融資 産」・「人的資産」 8.4  「投資」-投入する資産 「実物資産」・「金融資 産」・「人的資産」 8.5  家計ファイナンス-①「収入」・「固定支出」・ 「自由裁量支出」②資本的支出 ③借入 8.6 資本ニーズ分析と統合ポートフォーリオ管理

Ⅶ.おわりにーパブリックファイナンスの

未来-「パーソナルフィナンス」から

「コーポレートファイナンス」へ

 パブリックファイナンスにおいては「会計教育」が 必要であり,「生涯収支」と「世代会計」(社会的「B / S」・「P / L」)へ高齢化社会を支える莫大な社会保 障や医療費を,誰がどう負担するのか?「世代間再分 配」・「世代間移転」政策指標としての「財政赤字」か ら「世代会計」概念等,将来にわたる世代ごとの負担 と受益の概念が重要となる。「社会的コスト」と「社 会的ベネフィット」による「社会的意思決定」する上 で「金融ケイパビリティ」「行動ファイナンス」「現代 古典派経済学」「財務諸表制度」等の「制度」が必要 である。  最後に,次の言葉で締めくくりとしたい。 「発言権のない未来世代に,我々以上の大きな負担を 課すことを選択するならば,まさに子孫につけだけを 残すことに他ならない。できるだけ,多くの人々に選 択と創造の自由を与えながら,未来世代の可能性を損 なわず,次世代にニーズを満たす。」 参考文献 [1] ダニエル・カーネマン,村井章子訳『ファスト&スロー  上,下』早川書房,2012 年. [2] リチャード・セイラー,キャス・サスティーン『実践行 動経済学』日経 BP 社,2009 年. [3] ロバート・シラー『バブルの正しい防ぎ方』日本評論社, 2014 年. [4] 『スティグリッツ国連報告』水山産業株式会社 出版部, 2011 年. [5] スティグリッツ委員会『暮らしの質を測る』金融財政事 情委員会,2010 年. [6] アンドレ・オルレアン『価値の帝国』藤原書店,2013 年. [7] キース・E・スタノヴィッチ,椋田直子訳『心は遺伝子の 論理で決まるのか』みすず書房,2009 年. [8] 塩沢由典他著『人工市場で学ぶマーケットメカニズム―U - Mart 経済学編 』共立出版,2006 年. [9] ルイス・J・アルトフェスト『パーソナルファイナンス 〈上・下〉』日本経済新聞出版社,2013 年. [10] 知るぽると(金融中央広報委員会)等の金融教育・消費 者教育の HP. [11] 炭谷英一「ポスト新古典派意思決定教育試論」『経済教 育』 第 34 号,2015 年.

参照

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