C A N C E R 13 (2004), p. 53-55
南アフリカ博物館でヤドカリ標本を見る: ケープタウン滞在記
朝 倉
はじめに プタウン (Cape T o w n) にある南アフリカ博物館 (Sou出A企ican M u s e u m) を訪れ,ヤドカリ類の 標本調査 をおこな った. その様子を,ケープタウ ンの町の紹介も含めて,紹介したい. 日本からロンドンを経由して26
時間かかつて, 南アフリカのケープタウン国際空港に到着 したの は,現地時間の朝の6時であった. なんと 美 しい 景色だろう,というのが最初の印象で,有名なテー ブルマウンテン (Table Mountain) という山頂が テーブルのように平らな巨大な山がそびえたち, そのふもとにケープタウンの町があり,山と町の コントラストが何ともダイナミ ックであ った. 町 はすぐ海に面していて,たくさんの船が停泊して いた アフリカといえば,私はかつて,エ ジプト のカイロにちょ っとだけ立ち 寄っ たことがあり, その時は,たくさんのピラミ ッ ドが飛行機の窓か らみえていたが,今回はそうした山,海,町の対 比が何とも 美 しか った 南アフリカでは, 1994年に実質的に有名な人 種差別政策であるところのアバルトヘイトが廃止 になり,白人の特権がなくな ってから,たくさん の白人がヨーロ ッパやアメリカに移出し,また同 時に隣国からの難民が入り込んだために,現在は 人々のほとんどが,もとからのアフリカの民族に よって占められている. 私が訪問し研究をしてい た南アフリカ博物館の研究者の7 割は白人であ っ たが,町で白人をみかけることは殆ど無く,まし てや,私のような東洋人は中華料理屋の庖員を除 いて見かけなかった. アバル トヘイト下では白人 以外は 「ノン ・ホワイト」と 言っ て差別されていA kira A S A K U R A : Travel to the South AfrICan
M u seu m
彰
たそうで,私のような東洋人もノン ・ホワイトで あり,観光客は別として,そこで暮らすにはいろ いろと制限があ ったようである. 言葉はアフリカーンス語A企ikaans(アフリカー ナ語と表記されているガイドブックもある ) とよ ばれる 言語が最も 一般的で,これは南アフリカに 最初に植民したオランダ人の伝えたオランダのあ る地域の方言に,アフリカ土着民の言葉がミ ック スされてできた 言語といわれている. もちろん私 には, 全然理解できない. 南アフリカ博物館の研 究者にいくつか単語を教えてもらったが,この原 稿を 書いている時点では全部忘れて しま った. も ちろん英語もかなりよく通じるが,発音がアメリ カ英語やイギリス英語よりも,かなりブロークン であ った. ケ ー プ タ ウ ン と い う 町 私が滞在中は,治安は引き続き悪化している 状態であ った南アフリカ博物館の研究者の人か らたくさんの注意事項をまず聞かされた. いわく 「夕方5
時以降はケープタウンのダウンタウン地 区( 私の宿泊したホテルがある場所) はゴースト タウン化するので外を出歩かないように. 土曜の 午後と日曜の全 日もゴーストタウン化するので外 を出歩かないように. パスには乗らないように. 列車には乗らないように. 流しのタクシーはひろ わないように. 部屋を出るには例え1 分でもカギ をかけるように. 町のA T Mの機械でお金を引き 出さないように (近くに強盗がいる ). 町 を歩い ているとコジキの子供が話しかけてくるが対応し ないように. 貴重品やお金をホテルに預けないよ うに (ホテルのフロントは信用ならない ). 貴重 品やたくさんのお金を持って町を歩かないように (白人やア ジア人は強盗やスリのカモにな ってい る)J などとえんえんと禁止事項が続いた. もっ54 南アフリカ博物館でヤドカリ標本を見る: ケープタウン滞在記
図
A.
南アフリカ博物館(South African Museum)
の正面玄関B.
ケープタウン(Cape Town)
の町並み C 甲殻類関係の収蔵庫のようす D 甲殻類関係の収蔵庫のよ うす とも2002
年 か ら 日 本 の 外 務 省 も , 南 ア フ リ カ の ケープタウンとヨハネスブルグに「治安悪化,危 険」の警告を出している. 私はそれらのいいつけを「よく」守ったおかげ で,危険な目に会うことはなかったが,2
回ほど, 庖でおつりをちょろまかされた. 私の知り合いの, ある魚類研究者は,2001
年に南アフリカ博物館に 滞在したが,その間カージャックに会ってしまい, 現地人をひきそうになりながら逃走したそうである. 平日の昼間のケープタウンは,人々で大いにに ぎわう実に活気あふれる町であった . 建物は,西 洋風の建物もあれば,いか にもアフ リカ風のデザ インのものもあり ,また町の何カ所か に市場があ り,アフリカのさ まさまな地域から持ち込まれた 野菜や果物の他,民芸品,装飾品が売られていた 木造2階建てのいかにも南国風のB & B も,かな りの数があった . また南アフリカ博物館の近くに は,国立の美術館や,民族博物館などもあり,ま た美しい西洋庭園もあって,文化芸術地区を成し ていた. またところどころの街角で,その民族の 歌を合唱しているハイスクールの合唱団がいた. 日本とほとんど同じで, も ちろん日本の秋は,ケープタウンの春であるが, 温度,湿度,天気ともまったく違いは感じなかった. 南 ア フ リ カ 博 物 館 南 ア フ リ カ 博 物 館 は1825
年にL ord Charles
Somerset
により創立された伝統ある博物館で, 南アフリカの研究施設としては1820
年に創立され た王立天文台に次いで古い施設である. 自然史と 歴史あわせた大型総合博物館であり ,自然史の研 究分野としては,海洋生物学,陸上の生物学,岩 石学,古生物学がある . 海洋生物学の分野では,i
海産無脊椎動物学,魚類学,海産晴乳類学の研究 室がある . 私が滞在したのは,海産無脊椎動物学 (Marine朝 倉 Invertebrates) の研究室である. ここ では多数の 標本を所蔵しているが,特に甲殻類のコ レクショ ンは非常に重要な標本として世界的に有名であ るほか,頭足類は南半球で最も大きなコ レク ショ ンがあり,また貝類は南アフリカで 2 番目に大き なコレクシヨンがある. また University of Cape T o w n による Ecological Survey シ リーズの標本が 多数あり,これは潮間帯からごく浅い海域の無脊 椎動物の標本である. これらのコ レクションを構 築してきたのは ,K H . Barnard ( 甲殻類と貝類) , ]. R. Grindley ( 甲殻類) ,B. F. Kensley (甲殻類) , N . A. H . M i11ard (ハイドロゾア ) らである. これらの人々の中で,この博物館に最も大きな 貢献をした 人物は, Keppel Harcourt Barnard で, 長く海洋生物部門の 研究者を務め, 年まで副館長, 配をふるった. もともとイギリスのプリマスの海 洋研究所で研究をしていたが, 1911年から南アフ リカ 博物館に移った . ここ で彼は精力的に博物館 の展示,運営にかかわる仕事をおこなったが, 研 究では特に員類と甲殻類の研究をおこなった. そ して 1950年には, 837ページにおよぶ大作である iD escriptive catalogue of South A企ican decapod CrustaceaJがA nnals of the South A企ican M u seu m に発表された. ま たのちにスミソニアンに移り昨 年逝去された B. F. Kensley 氏も,重要な甲殻類コ レク ションを南アフ リカ 博物館に残している . 現在は甲殻類専門の専属研究者は残念ながら いないが,海洋生物部門全体のキュレーターに Michelle G. Van D er M e r w e 女史,甲殻類とプラン クトンのキュ レーターとして Elizabeth H oenson 女史が勤務しておられ,私の滞在のホストをして いただいた. 私の訪問の目的は, K H . Barnard と B.F. K ensley の甲殻類 コレ クションを見ると いうことと同時に,そのほかにもこの博物館に多 数所蔵されているアフ リカ 東岸( インド洋) とア フリカ西岸( 大西洋) の標本 を広くみてみる,と いうことであった . また最近実は,南 アフ リカ の 郵便事情が悪化 しており,標本を借りても届かな い,返しても途中でなくなってしまうという事故 が頻発しており,重要な標本は借りられない,あ るいはなくなってしまうことを考えると借りたく 彰 55 ない,ということもあった( 博物館の人に 言われ たことに ,郵便を 町のポス トに入れても日本には 届かない,中央郵便局で 出さなければダメ , とい うことがあった) . はたして実際,標本は非常に良好な状態で, 特にインド洋の標本は実に研究上有益であった. 収蔵スペースはかなり広く ,甲 殻類だけでもい くつもの標本だなが並んでおり,ゆとりをもって 整然と標本が配列されており,捜しやすく使いや すかった. また, University of Cape T o w n による Ecological Survey シリーズの標本のうち ヤド カリ 類については,数年前にここを訪れたアメリカの Patsy A. M cLaughlin によ って同定され,新しい コレクションを構成していた . コレクション標本 のデータは,カードと台帳によるものであるが, 19世紀からの記録がしっかりと残っており,これ らもまた使いやすく整理されていた. ただしアフ リカでは,政治形態の歴史的変遷によ って ,地名 が各地でかなり大幅に変わってきた歴史があり, 標本の採集地点は,博物館ス タッフに聞かないと わからないものも,かなりの数があった . おわりに 私は海外の博物館に滞在するといつも,あと 1 年くらいはいたいと思うが,今回は残念ながら 治安の悪化からくるあ ま りの不便さに ,3週間を すぎたあたりから, 日本は夕方5 時以降も安全に 町 を歩けてよか ったなどと回想し,さすがに安 全な国が恋しくなった. 私の友人の甲殻類研究 者の National Taiwan Ocean University の Tin-Yam Chan 氏は今から 15年前,ケー プタウンで暮ら し,修士号を ] L B Smith Institute of Ichthyology ( Grahamstown) で取得しその後何度も南アフリ カを訪れているが,そのころは治安はよく,快適 に暮らしたそうである. 私がケープタウンの最近 の状況を話すと,非常に悲しい こと だ, と深く嘆 いておられた. 美しき 町ケープタウンに平和が戻 ることを 心よ り祈りたい. (千葉県立中央博物館)