*東邦大学医学部看護学科(School of Nursing, Faculty of Medicine, Toho University)
2010年5月27日受付 2010年11月29日採用
原 著
不 妊 治 療 を 終 結 し た 女 性 の 体 験
—治療の終結に焦点をあてて—
A study of the experiences of women who
terminated infertility treatment:
Focusing on the termination of treatment
渡 邊 知佳子(Chikako WATANABE)
* 抄 録 目 的 本研究の目的は,自ら不妊治療を終結した女性の体験を記述することで,治療の終結に至るまでの当 事者の思いや考え,また終結の決断に何がどのように影響していたのか,具体的な事象を明らかにする ことである。 対象と方法 本研究は不妊治療を終結した女性の「語り(ナラティヴ)」を聞き取り,彼らの視点で解釈する方法と してライフストーリー研究を用いた。研究参加者は過去に生殖補助医療を受け,現在は不妊治療を終結 している女性4名である。データ収集は,不妊治療を考え始めた時から終結において,どのような出来 事があり,その時どのような思いや考えがあったのかを自由に語ってもらった。分析は,事象及びその 時の思いや考えの繋がりを考慮しながら一つのまとまりのあるエピソードを抽出し,ストーリーを導き 出した。 結 果 Aさんは治療10年目にして初めて妊娠反応が陽性となるが,それが掻爬の必要も無い流産だったため 自信を失い,自分には出産は無理かもしれない,でも子どもを諦められないと葛藤する。そして,誰も もっと頑張れとは言わない治療の最終段階へ到達したと感じて,最後の治療と宣言して臨む。Bさんは 月経不順や子宮の痛みから年齢的な限界を意識するが,夫や実母のための不妊治療ゆえに自らやめると は口に出来なかった。夫の引導によってようやく終結が決断でき,肩の荷をおろす。CさんもBさんと 同様に夫からの促しによって治療を終結したが,Cさんは終結後の喪失感が大きく,治療への未練を感 じながら里親になることへと方向転換をしていった。Dさんは習慣性流産の原因が判明しなかったこと や,掻爬を繰り返したことでこれ以上は身体がもたないと認識し,治療の終結を決断していた。 結 論 研究参加者は,生殖機能の衰えの自覚や,先端医療技術でも解決できない問題であると悟ること,そ して,子どもができない自分をありのまま認めてくれるという他者からの承認によって,自己を受容することが可能になり,治療終結の一歩を踏み出していた。
キーワード:不妊症,治療の終結,意思決定,他者の承認,ライフストーリー
Abstract Objectives
This study sought to describe the experiences of women terminating infertility treatment and to ascertain the significance the women attributed to those experiences.
Subjects and methods
This study was a study of the life stories of women who decided to terminate infertility treatment; these women were asked to narrate their experiences, which were then interpreted from their perspective. Study participants were four women who underwent assisted reproductive technology in the past and who have now terminated their infertility treatment. When gathering data, researchers encouraged the women to talk openly about their personal experiences from the time they began to consider infertility treatment up until the time they decided to terminate the treatment and to talk about their thoughts and feelings at various stages during this period. Consideration was given to making a connection between particular events and thoughts and feelings at that time in order to analyze the experiences of the four women and discern their individual stories.
Results
Participant A became pregnant for the first time in her 10th year of treatment but suffered a miscarriage. Al-though the miscarriage did not require curettage, the experience eroded her self-confidence. Participant A felt con-flicted, not wanting to give up on having a baby but also plagued by doubts as to whether she would ever be able to conceive. Having tried so hard, Participant A felt as if she had reached the end of treatment, and she declared that this round of treatment would be her last. Suffering menstrual irregularities and uterine pain, Participant B sensed that she was too old to have a child. Since she was undergoing infertility treatment more for her mother and hus-band than for herself, she was unable to verbally express her desire to terminate that treatment. At her hushus-band’s encouraging, she finally decided to ease her burden and terminate treatment. Like Participant B, Participant C was encouraged by her husband to terminate treatment. After terminating treatment, however, Participant C felt a sub-stantial sense of loss and had regrets about giving up on treatment. She had an abrupt change of heart and decided to become a foster parent. Having suffered repeated miscarriages of indeterminate cause and repeatedly undergo-ing curettage, Participant D felt physically overwhelmed and decided to terminate treatment.
Conclusion
Study participants became aware of the limits of their own ability to conceive and realized that some problems were not amenable even to advanced technology. Participants also wished to be accepted as they were despite their fault or flaw of not being able to have a baby. With such approval of others, participants were able to accept them-selves for who they were and seek to terminate treatment.
Key words: infertility, termination of treatment, decision-making, approval of others, life story
Ⅰ.研究の背景
生殖補助医療(以下ARTと略す)は飛躍的な発展を 遂げ,今日,多くの女性がARTを受療している。IVF-ETを受ける女性の体験を明らかにした研究では,女 性は子どもを持つ可能性があるからこそIVFに臨み, 終わりのつけ難い治療と感じていることや,治療とそ れ以外の生活とのあいだで折り合いをつけることに困 難を感じている(信岡・鈴木,2001)と述べられている。 また,ARTがストレスフルな経験だけでなく,夫婦が 協力して治療に取り組み絆の強まりを自覚できたこと や,自己成長を感じられたなど,肯定的に意味づけら れている(森・陳,2005)ことも報告されている。しか し,これら多くの先行研究は不妊治療中または治療後 妊娠した女性を対象にしているため,自ら不妊治療を 終結した女性はどのように治療体験を意味づけるのか, という疑問が残る。 不妊治療を受ける女性は,妊娠可能なタイムリミッ トを自覚し限られたチャンスを生かそうとしている こと,それゆえ今を大事にし,治療を優先した人生 を選択している(阿部,2004)ことが明らかにされて いる。さらに,不妊治療を受ける女性は不妊症を自 身の中心アイデンティティに置き,個人の失敗と医 療技術の失敗の本質的差異を区別できなくなってい る(Olshansky, 1996)との指摘もある。つまり,不妊 治療を優先した人生を歩んできた女性は,子どもが出代の流行やマスメディアなど文化・社会・歴史的物語 が大きく関与する(やまだ・山田,2006)。よって,女 性が体験した事象がどのように絡み合い関連し合って いるのかを明らかにするためには,ライフストーリー が適していると考える。 第二の理由は,本研究が不妊治療の終結に焦点を 当てているからである。Kleinman (1988/1996)は,「患 者は病い(illness)の経験,すなわち自分自身にとって それが持つ意味を個人的なナラティヴとして整理する。 病いのナラティヴはその患者が語るストーリーであり, 患うことに特徴的な出来事やその長期にわたる経過を 首尾一貫したものにする」と述べている。つまり,ナ ラティヴを用いることにより,不妊治療を終結した女 性は,子どもが授からなかったという「現在」を説明 する形で「過去」の出来事や経過を整理し配列するこ とになる。不妊はそれ自体病気ではないが,治療を受 ける女性の身体的・精神的負担を鑑みると,その過程 は慢性的な経過を辿る病いとも言えるだろう。ゆえに, この研究方法が有効ではないかと考えた。 1.研究参加者 本研究の参加者は過去にARTを受けたが出産に至 らず,現在は不妊治療を終結している女性4名で,研 究に同意の得られた者とした。 2.データの収集期間と方法 データの収集期間は2007年2月から2009年1月であ る。データ収集は最初に,研究参加者が不妊治療を考 え始めたときから治療の終結において,どのような出 来事があり,その時どのような思いや考えがあったの かを,過去から現在に進むかたちで自由に語ってもら った。そして,治療の終結や現在の思いまでの語りが 終わったところで,研究参加者は夫に対してどのよう な思いを抱いていたのか,また,語られた各々の場面 で参加者にどのような心の動きがあったのかなどにつ いて半構成的なインタビューを行った。次に,研究参 加者には結婚前にどのような妊娠・出産への考えがあ ったのかを尋ね,それに影響すると思われる月経や結 婚,親への思いなどについても自由に語ってくれるよ うに促した。また,これらの内容は,面接時に参加者 の承諾を得てICレコーダーに録音し,逐語録を作成 した。 来なかったという事実により,長年の治療過程や自分 自身さえも否定的に捉える危険性が潜んでいるのであ る。どんなに頑張っても子どもを手にすることが出来 なかったという事実は,女性たちの人生にどのような 影響を及ぼすのだろうか。しかし,不妊治療を受けた 人の約半数が子どもを授からないまま諦めていく(Su & Chen, 2006;柘植,2002)という現状にありながら, 不妊治療終結後の女性に焦点を当てた研究は少なく, 彼女たちがどのような思いで治療を継続し,どのよう に納得して治療を終結したのか,その体験の記述は希 少である。安田・やまだ(2008)は養子縁組の促進協 会事務所を通じて研究対象者を募り,不妊治療を終結 した女性の治療過程を発達的変化の視点から報告して いる。この研究は対象者の語り方に着目して3型に分 類し,解釈・分析を行っているため,終結を意識し始 めた契機または最終決断に関して,具体的にどのよう な事象が関係しているのか,またどのような当事者の 心理過程が影響しているのかはあまり明らかにされて いない。 そこで,本研究では自ら不妊治療を終結した女性の 体験を記述することで,今まで語られることが少なか った治療終結に至るまでの当事者の思いや考え,たと えば心理的な葛藤や迷いを明らかにすること,また終 結の決断に何がどのように影響していたのか,具体的 な事象を明らかにすることを目的とする。そして,治 療を終結した女性がそれらの体験をどのように意味づ けているのかを探究する。
Ⅱ.研 究 方 法
本研究では不妊治療を終結した女性の「語り(ナラ ティヴ)」を聞き取り,彼らの視点で解釈する方法と してライフストーリー研究の方法を用いる。 本研究方法を選択した理由として,第一に不妊症の 特徴が挙げられる。不妊は子どもを望みながらも妊娠 しない状態であり,子どもが出来ないという現実を前 にして初めて,女性は過去の経験や出来事を現在に 結びつけて考えることになる。そして,どのような事 象を不妊と結びつけるかは,その女性の生きられた体 験によって異なるため,研究参加者の自由な語りから データ収集する方法が有効であると考えた。また,子 どもを生むことや不妊治療を受けるということは,社 会・文化的な背景や個人の価値観が大きく影響する。 「内的体験」として語られるストーリーには,その時3.データ分析方法 データ分析はまず各々の事例について分析と解釈を 行った。面接内容の逐語録を何度も読み返した後,そ のときどのような出来事があり,研究参加者の中にど のような思いや考えが存在していたのか,また研究参 加者の思いや考えが変化したときには何がどのように 関係していたのかなどを考慮しつつ,一つのまとまり のあるエピソードとそのエピソードのテーマを抽出し た。その後時系列に沿ってエピソードのテーマを並べ, それぞれの事象や研究参加者および登場人物の思いな どの関係を考慮しながら,各参加者のライフストー リーを再構成し,不妊治療の体験の意味に関して解釈 を行った。さらに,個々のライフストーリーについて 事例の独自性と多様性を保ちながら,それぞれの語り に共通した特徴を抽出し,考察をした。また,信憑性 の確保のために,研究参加者に対して前回の語りの内 容および解釈を伝え,誤りがないかを確認し,修正を 行った。そして,分析の全過程において定期的に母性 看護学の教員および質的研究者のスーパーヴィジョン を受け,妥当性の確保に努めた。 4.倫理的配慮 研究参加者を選定する段階で,まず第三者を介して 現在精神的に安定しているかどうかを確認してもらい, 最初は仲介者を通じて本研究の趣旨を口頭で説明して もらった。その際,研究参加者が現在は仲介者である 医師の治療を受けていないことを前提とし,参加者に は仲介者からの強制力が働かないように留意した。参 加の意思を表明した女性に対しては,個別に研究依頼 書を提示しながら目的,方法,協力することへの利益 ・不利益等について丁寧に説明した。研究への参加は 自由意思であり途中でも辞退が可能なことや,仲介者 を通じて辞退することも可能だと伝えた。本研究は日 本赤十字看護大学研究倫理審査委員会の承認を得た (研倫審委第2008-3)。 5.用語の定義 本研究では次のように用語を定義した。「不妊治療 を終結した女性」は,過去にARTを受けた経験がある が出産には至らなかった,すなわち現在は実子がいな いまま不妊治療をやめた女性とし,「体験」は不妊であ ることに関連した出来事と,それに対して感じ,考え, 行動したこととした。
Ⅲ.結 果
研究参加者は39歳から47歳の女性4名で,平均年齢 は42.8歳であった(表1)。研究参加者のAさんは不妊 専門の診療所の医師を通じて参加の意思を確認し,B さんとCさんは筆者の知人で過去にARTにより出産し た女性(元看護師)を通じて紹介してもらい,Dさん はAさんから紹介され,雪だるま式サンプリングによ り選定した。4名とも面接時は専業主婦であり,Aさん, Bさん,Dさんの3名は関東地方在住で,Cさんは東北 地方に住んでいた。AさんとDさんは知人関係にあっ たが,その他の参加者は互いに面識はなかった。面接 回数は当初参加者1名につき3回を予定していたが,2 名が家庭の事情から回数を減らして欲しいと希望した。 参加者1名あたりの平均面接時間は212分であった。 研究参加者はどのようにして不妊治療の終結を決断 したのか,決断に影響した参加者の思いや考え,事象 は何だったのかを中心にして,語られた内容を再構成 し,研究参加者のライフストーリーを参加者自身の言 葉を生かしながら記述した。研究参加者が実際に語っ た言葉は,ゴシック体または「 」内に示し,( )内 には筆者の補足を記した。また,データと解釈が対照 可能となるように記述した。以下に,具体的に述べる。 1.Aさんのライフストーリー Aさんが小学生のとき,父親は浮気をして家を出て 行き,それが原因で両親は離婚した。母親はスナッ クで働き始め,Aさんは夜1人で取り残され,泣き疲 れて眠る日々が続く。そのさみしさからAさんは将来 絶対に両親と子どものいる 普通の家庭 を築こうと 決意する。初潮のころから続発性無月経だったAさん は,24歳で結婚が決まると同時に不妊治療を開始する。 AIHを24回行った後,IVFを3回受療するがすべてET には至らず,このとき夫の精索静脈瘤が判明したこと もあり,以後は顕微授精(以下ICSIと略す)を繰り返 表1 研究参加者の背景 年齢 結婚年齢 治療開始年 齢 治療終結年 齢 治療期間 A 39歳 24歳 24歳 38歳 14年間 B 47歳 40歳 41歳 43歳 2 年間 C 46歳 ①26歳②39歳 39歳 43歳 4 年間 D 39歳 ①20歳②25歳 25歳 37歳 12年間すようになる。Aさんは,夫や家族が不妊治療に理解 があり協力的だったことで,周囲の期待に応えなけれ ばならないと自分を追い込み,休むことさえ出来ずに 受療し続けていた。Aさんは飲酒や好物を食べること, 旅行などによって気分転換をし,不成功の悲嘆を紛ら わせる術を身につけてきていたのだった。しかし,一 度も妊娠反応が陽性になることはなく,Aさんは焦り を感じ,しだいに追い詰められていった。 1 )出産は無理かもしれない,でも諦めたくないと いう思いが交錯する 治療の不成功を繰り返したことで,Aさんは,自分 には妊娠は無理かもしれないという予測を抱いていっ たが,長年Aさん自身のなかに存在している親子の揃 った 普通の家庭 への執着は強く,そう簡単に子ど もを諦めることはできなかった。反面,Aさんは自ら の気持ちを誤魔化し,気丈に頑張ることで,「いつか 爆発して自分が壊れちゃったら大変」と考えるように なり,治療の継続と終結との間で葛藤を抱いていった。 そろそろ駄目かなというのは,特別何があったからと いうのじゃないですよね。やっぱり上手く治療が進ま ない。結果が出ない。で,「いつまでやればいいんだ ろう」っていうのが続いていく中で,やっぱりだんだ ん私にはちょっと難しいのかなというのが……。だか ら,特別すごい急激な気持ちの変化というより,やっ ぱりだんだん,だんだん。ああ,駄目かもな……,でも, 認めたくないし,諦められないし,というので,ジワ ジワ,ジワジワ来て。 徐々に治療の終結を意識し始めたAさんだったが, 治療10年目にして,初めて妊娠反応が陽性となる。 妊娠が判ったAさんはその足で「安産にいいっていう, 赤ちゃんの赤い靴を買って」帰るほど喜んだが,この 妊娠は胎囊も確認できないまま,流産手術の必要も無 く「化学流産」として終わる。Aさんは「陽性反応が出 たのでまだ諦められない」と思いながらも,掻爬の必 要もないほどにしか胎児が育たなかったことに「もの 凄く自信を失った」。その後2回の陽性反応が出るが, 「2回目3回目は数値にちょっと出ているというだけで, (胎囊の)影すら見えず,もっと悪い」状態だった。妊 娠という一つの目標を達成したことによって,Aさん のなかには,挙児への期待と自らの生殖機能に対する 絶望感という複雑な思いが混在していた。 陽性反応が1回出てから後のほうが,結構精神的につ らかったかもしれないですね。より厳しさを知って いく感じで。陽性反応さえ出ればいいと思ってたけ ど,出ても育たなければ駄目っていうのがあって。で も,1回出て喜びを知ってしまっただけに,やっぱり 「今度こそ」みたいな気持ちも強くなるし。(中略)1回 目だけですよ,何か凄い喜んでたのは…。2回目3回 目はもう,(陽性反応が)出た瞬間に不安へと,また駄 目になるんじゃないかっていう。結果,本当にそうな ってしまうので,「ああ,また駄目かー」っていうの で……。 不妊治療の終結を考え始めた今,Aさんは終結後に, 現在の生活や自分を取り巻く環境が変わるのではない かと不安を感じている。今までと同様に治療を続けて いる方がAさんにとっては精神的に楽であり,終結後 の未知の世界へ踏み出すことは恐怖感を覚えるもので あった。また,14年間すべてを治療に費やしてきたA さんにとって,その代償となる成果や証が何も残らな いことは自分の気持ちをおさめられないことだった。 治療を取ったら何もない。残らないんじゃないかって。 結局,結果も出せないでやめて,今さらやれる仕事な んてないだろうしとか思うと……,やっぱり結果を得 ないと,というような気持ちもあったし。だから,諦 めて自分のやることが無くなっちゃうのも怖かったで すよね。治療していれば,頑張っているから,ここに 居てもいいっていう居場所を確保できるけど,そうい うのが無くなっちゃったときにどうなるのかな,って いう不安は大きかったかもしれない。 2 )最後にご褒美をもらえて,感謝の気持ちで治療 を終結する Aさんは実際に治療を終結した人と話をしたことで, 「今までは漠然と」考えていた夫婦2人の生活を「現実 的にイメージできるようになった」。そして,終結を いよいよ意識したことで,今まで治療のために我慢し てきたことや,治療に高額な費用を掛けていたことを 「無駄だった」と感じるようになった。 今までは,「必ず子どもを授かる」っていうのが強く 意志としてあったから我慢できたけど,「駄目かもな …」って思い始めたときから,やっぱりそこが崩れて いくんですよね。何かこう,(お金が)ザバッとなくな っちゃったみたいになるじゃないですか,結果が駄目 だと。そこで終わっちゃうわけだから。別に捨てたと までは言わないにしても,何か無駄になっちゃったっ ていうような……。それ(お金)が惜しくなってきた というのもありますよね。
Aさんは不妊治療期間を振り返り,可能な治療はす べてやり尽くしたことや,自らの精魂が尽き果てるほ ど頑張ってきたことから,もう誰も異議を唱える余地 の無い不妊治療の最終地点へ到達したという,納得し た思いを抱いている。しかし一方では,それほど頑張 って長く治療を続けてきても,結局は子どもを出産で きずに終わることになり,さびしさや挫折感を感じて いる。 これだけやって,それで駄目だったんだから,きっと もう駄目だったんだろうなっていう,納得できたのが 大きいですよね。もういいよって。もう十分頑張った。 ほかの誰もが「もっと頑張れ」とは絶対に言わないだ ろうっていうところまで来たなっていう……。だから こう,つらい部分と満足した部分と両方(の気持ちが) あったのかもしれません。 そして,Aさんは最後の治療を刺激周期のICSIに決 め,「『これでダメなら諦めます』と先生に宣言」をす る。あえて身体に負担の掛かる刺激周期を選んだのは, 「後悔することを残さないように思い切りやる」ため であり,Aさんの最後の望みを繋ぐ賭けであった。A さんの思いが通じたのか,卵は10個以上採ることが できた。しかし,1個も移植できずに終わり,Aさん は子どもが出来ないという「判決が下された」と感じ る。最後の結果を「素直に受け容れた」Aさんだったが, 7日目に病院から「胚盤胞になりました」との連絡があ り,その後も主治医が受精卵を残しておいてくれたこ とを知る。Aさんは,諦めた移植が実施でき,最後の 治療が完了できたことは,今までの努力が報われた結 果だと捉えている。 それは,「ああ,長年やってきたご褒美かな」と思った んですよ。もう,これはね,「結果はどうでもいいや」 っていう気持ちがあって。(子宮内に)戻せることに感 謝で。もちろん7日目の胚盤胞だし,一度はもう駄目 って言われたから期待は持てないかもしれないけど, でも,先生がそうやって言ってくださったおかげで生 き延びた卵だから,「これはもうぜひ戻してください」 って言って。(中略)これがもし運命だったら上手くい くかもしれないし,駄目なら駄目でも最後にいい思い させてもらって終われるんだからいいなと思って移植 して。そのおかげで,最後は感謝な気持ちで終われま したよね。 3 )人とのつながりがあったからこそ,いま幸せで いられる 不妊治療を終結したAさんは,自分のブログに思い を綴り「何週間か泣いて」過ごすが,その作業を終え たときに「解放された,凄くすっきり」している自分 に気がつく。しかし一方で,Aさんは「欲しかったも のが手に入らなかったさみしさは残る」とも語ってい る。そして,Aさんは治療を終結するにあたり,周囲 の人たちのサポートを実感していた。義理の両親は妊 娠を促すような言葉や治療について何も言わず,Aさ ん夫婦が結論を出すまで温かく見守ってくれていたし, 主治医は常に前向きになる言葉でAさんを励まし,「絶 対に見放さない」と言い続けてくれていた。小さいこ ろに,父親が自分と母親を置いて出て行った体験を持 つAさんにとって,どんな状況にあっても自分を受け 容れ,最後まで決して見捨てなかった医師の存在は大 きなものだった。Aさんは技術偏重な不妊治療に対し て批判的な見方をしており,どんなときでも人間関係 が重要だと認識していた。Aさんは医師との関係性が 構築できたなかで満足のいく治療を体験してきたから こそ,いま子どものいない状況を受け容れられている と解釈していた。 あの先生に出会って15年頑張ったからこそ,私,多 分いまちゃんと明るく,元気に,幸せに暮らせていけ るんであって。それがもっと早く諦めていたり,人と のつながりもないままだったら,本当につらかった経 験だけになっちゃってたかもしれないし,いま子ども を持てないで生きている自分が,何か欠陥商品に思っ たかもしれない。でも,そうじゃないんだって思える のは,やっぱりその15年はとっても大事で,必要な 時間で,貴重な時間でしたね。だから決して,無駄じ ゃなかったなって。 現在のAさんは,治療終結後すぐに飼い始めた犬 を,心の隙間を埋めるようにとても可愛がり,「この 子(犬)たちが居なかったら,さみしくて,つらくて, 心も病んでいったかもしれない」と語っている。そし て,今は飼い犬を妊娠させることを目標にして,自分 が果たせなかった夢を描こうとしている。 2.Bさんのライフストーリー 2歳の時に両親が離婚したBさんには,父親の記憶 がひとつもない。母親は家業が忙しく,また身体の弱 い弟を溺愛していたため,Bさんは親の愛情に飢えて 育った。高校卒業後Bさんは商社に勤務し,充実した
日々を送っていたが,周囲の勧めもあって40歳の時, 2歳上の男性と見合い結婚をする。婚約中に夫から言 われた「子どもが出来なかったら養子を考えてもらい たい」という言葉はBさんの心の中に強く残り,最初 の妊娠が流産に終わった後,医師の勧めもあって41 歳から不妊治療を開始する。当初はタイミング療法を 受けていたが,腹腔鏡の結果,左の卵管閉塞が判明し, 以後はIVF-ETを受療するようになる。 1 ) 身体が悲鳴をあげていても,自ら「やめたい」とは 口にできない 2回目のIVFのとき,Bさんは前の患者が7個採卵で きたことを知り,「自分も同じように多く」と期待して 臨んだが,卵の育ちが悪く,採卵さえ出来ずに終わる。 Bさんは7個採卵できた人と自分を比較して,そこに は不可逆的な年齢という壁があることを理解した。ち ょうどそのころ,医師は「Bさんの年齢で妊娠した人 がいない」ことを明かす。その言葉を聞いたBさんの 夫は,妊娠が不可能に近いことを認識したという。 私が先生から「私の年齢の事例はない」って言われて 帰ってきて,主人に言った時に,「あー,もう無理な んだな」って,その時に思ったって。(中略)45ぐら いで出産している人も,テレビに出てるじゃないです か。本当に稀でね。やっぱりお金もいっぱい掛けてね, 稀なケースなんだなって,思ったって言っていた。 やがてBさんは重苦しい子宮の痛みや月経不順を自 覚し始め,「更年期」を意識する。このような身体の変 化を,Bさんは「身体が悲鳴をあげて」治療の限界を自 分に訴えているように感じ,これ以上は「耐え切れな いのかな」と思う。また,身体の変化や周囲の反応な どを鋭敏に察知するようになったBさんは,医師の無 言の態度からも「先生もどうしたらいいのか困ってい るのかな。潮時なのかな」と感じ取っていた。しかし, どんなに治療が精神的な「重荷」になっていても,Bさ んは自ら 治療をやめる とは口に出来なかった。 私自身もかなり(治療を)やらされてるっていう…。 もうそれが凄い重荷,プレッシャーになっていて。母 のため,主人のため。別に無理強いとか,「まだなの, まだなの」とか,「どうして出来ないの」とか,そうい うことは一切言われたことは無かったですけど,そう いうのをヒシヒシと感じてて。(どういうところで感 じたのか?)何でしょうね…。逆に何も言わないから。 全然,言われないから。何か真っ暗いトンネルの中に いるみたいで先が見えない。 本当は行きたくない治療だったけれど,家族の無言 のプレッシャーを感じていたBさんは「意地で」病院 へ通い続け,「自分で自分を追い詰める」ようになって いた。そのストレスのはけ口として,Bさんは自分を 解ってくれない夫に対し苛立ちをぶつけるようになる。 2 )夫の引導に救われ,肩の荷が下りた Bさんは少しずつ治療の限界を自覚するなかで,し かし自ら終結を決断できずに葛藤する。Bさんの中に は,流産の時のがっかりした様子や養子と発言したこ となどから,夫は挙児への希望が強いとの思い込みが あり,また自分が原因で子どもができないという夫に 対する負い目のようなものも存在していた。さらに, Bさん夫婦はそれぞれの思いを表出したり,治療の方 針について話し合うこともなかったのである。そんな 中,Bさんの実弟が突然死で亡くなる。母親は「傷心 で何もできない状態だった」ため,その後3ヵ月間は Bさんも治療に通うことができなかった。弟の死を乗 り越え治療を再開しようとしたBさんに,夫は「最後 にしよう」と終結を促す言葉を掛けた。 主人が「そんなにつらいんだったら,俺はもういいよ」 と。「2人で楽しくやっていく人生もあるから,もうこ こらへんでいいんじゃないの」っていうふうに言って, 声掛けをしてくれて。自分も,「そうだよなぁ」って 思いつつ。 半分やっぱりホッとした,と憶えてますね。「あー, いいのかなー,やめて」って。ダラダラしても仕方が 無い。そう,少し肩の荷が下りたと思いますね。だか ら,「じゃあもう1回,今度を最後に」っていうふうに, 自分で言ったのかもしれないですね。 そして,最後はタイミング療法を試みるが妊娠せず, 「先生に挨拶もしないで,フェイドアウトという感じ で」,Bさんは不妊治療を終結した。夫から終結を促す 言葉をもらったことで,Bさんは夫が自分を理解して くれたと感じていた。終結後,Bさんは自らが「積極 的に」動いて,里子の委託申請を行った。その背景には, 結婚前に養子と口にした夫の希望を叶えなければなら ない,との思いがあった。Bさんは申請から6ヵ月ほ ど経て,5歳の男の子を里子として迎えた。最初はな かなか心を開いてくれず,反抗的な言葉や試し行動で 振り回されることもあったが,Bさんは里子と自分自 身の幼いころを重ね合わせ,親の愛情に飢えて育った ことで2人には共通点が多いと感じている。今は子ど もの成長を実感しながら,子育てに専念している。
3.Cさんのライフストーリー Cさんは3人兄弟の真ん中で,唯一の女の子として のんびりと育つ。そして,看護師となり多忙な勤務を するなかで,Cさんは医師と恋愛し,最初の結婚をし た。その後,夫は実家に戻り開業医を継ぐが,互いの 気持ちがすれ違うようになり,また義母の自殺もき っかけとなって4年間で離婚する。離婚後約10年を経 て,Cさんは実父の死を契機にようやく地元へ戻る気 持ちになり,そこで紹介された同じ歳の男性と39歳 で2度目の結婚をする。Cさんは自らの年齢の高さが 気になり,結婚直後から地元の総合病院でIVF-ETを 受療していたが,1年後本格的に治療した方が良いと 考え,自宅から電車で4時間もかかる不妊専門の診療 所へ夫婦で協力して通うようになる。Cさんは子宮内 膜ポリープの切除をした時に卵管炎を起こし,それは 不妊治療の大事な時に限って繰り返されるようになる。 1 )ゴールが見えずに走り続けることへ恐怖感を抱く Cさんは治療を開始してからの4年間,2回のIVFと 10回のICSIを受療してきたが,結局は一度も妊娠反 応が陽性に出ることはなかった。妊娠反応どころか, 卵の状態が悪く,採卵さえ出来なかったことも何度 もある。Cさんは走り続けることへの疲労感とともに, このまま諦めないで治療を続けた場合,この先どこま で治療を受け続けるのか,どこを終着点にしたらよい のかが分からず,将来への漠然とした恐怖感を抱いて いる。 多分,「もう駄目でしょう」とは先生は言わないので。 だから,「(妊娠が)確率的にゼロじゃなければ,諦め ないで頑張りましょう」っていう。いろんな不妊の本 とかに,「諦めたら終わり。諦めないで」っていうふ うに出てるんだけど,自分の中では,何かこう慰めっ ていうのかな,ここでもう終わりにしようかなって。 終われなくなる。どこで終わらせていいのか,もう分 からず,ズンズンズンズン行ってしまう自分をちょっ と想像して,どこかでピリオドを打ってみようかな, とか思って。 Cさんには不妊治療が原因で夫と不仲になりたくな いという思いがあり,「同じ方向を見ている」ことが重 要と,夫婦で互いの気持ちを十分話し合うように心が けてきた。終結を意識し始めたとき,Cさんは夫から 掛けられた言葉で,今まで不妊治療を頑張ってきたこ とや,妻としての自分が認めてもらえたと感じていた。 ありのままの自分が受け容れられたことでCさんの気 持ちは楽になり,終結の決断が可能となった。 治療をリタイアするときも,主人と「もういいよ。い いんじゃない」って。「2人でも楽しい。十分人生を楽 しくやっていける。今だって楽しいから。あなたがつ らい思いをして続けていくのを見ているのは嫌だか ら」。例えば,跡継ぎのことだとか将来のことだとか は,一切主人はそれまでも言ったことがないのだけれ ど,「何も考えなくていいんじゃないの」って。「よく 頑張ったよ,ここまで」っていうことで,それで(治 療を)やめて。 2 )喪失感を埋めるための手だてを思い巡らす 不妊治療を終結したCさんの胸中には大きな喪失感 があり,子どもや治療への未練を引きずっていたが, その思いは誰にも明かすことが出来なかった。その喪 失感を埋めるように,Cさんは捨て犬のボランティア に没頭していく。Cさんはあたかも親になりたくても なれなかった自分の夢を果たそうとするように,捨て られた犬の飼い主(親)を見つけてあげようと奔走し ていた。 それは,何か全部なくなったような喪失感っていうの。 リタイアはしたけれど,全部主人には言えないけれど も,自分の中ではゼロ%じゃない確率。もしかしたら, (治療を)続ければ(妊娠)できたのかもしれないのに, やめていいのかなっていうのを,そこに蓋をしたので。 多分,全部なくなって,何かにすがってないと,毎日 生活ができないみたいなので,多分,犬,犬って(言 っていた)。 Cさんは「どの子どもを見ても凄く可愛いと思える」 のだから,実子じゃなくても育てていけると思い,母 親が提案した里親になることを考え始める。しかし, 里親の申請を提出し2年が経過しても,里子はなかな か決まらなかった。そのため,Cさんはもう一度不妊 治療を試みようと考える。45歳という年齢まで治療を しなかったことや,胚盤胞という方法を試みずに終結 したことで,Cさんの中に治療への未練が生じ,もし かしたら妊娠できたかもしれないという思いに後ろ髪 を引かれていた。 もしかしたら続ければ良かったのかもしれないけれど も,全部のことを考えてしまったんですよね。費用の こととか,主人への負担とか,それで43のときにピ リオドを打って。でも,今思えば45〜46まで,ぴっ ちり頑張っても良かったかなとか,そういうのはあり ますけどね。なので,いまだにやめたことを「全く後
悔してない」と言ったら嘘。 再度,婦人科を受診しようとしていたタイミングで, 里子委託の話が舞い込む。Cさんはそのことを,「神様 が自分に治療の限界」を教えていると捉え,不妊治療 のことを「スパッ」と断ち切ることが出来た。Cさんが 不妊治療に臨んだ理由は,「跡継ぎが欲しいとか,産 んでみたいとかではなく,家族が欲しい」というもの だった。これは,一度離婚という形で家族の破綻を経 験したCさんにとって,どうしても家族を再生し,や り直す必要性があったのだと思われる。Cさんにとっ て今や里子は「かけがえのない家族」であり,Cさんは 「血が繋がっていなくても家族になれる」ことを実感 していた。 4.Dさんのライフストーリー Dさんは生後間もなく両親が離婚したため母方の祖 母によって育てられていたが,3歳の時,再婚した母 親に引き取られ,大勢の家族に囲まれて成長する。20 歳の時,最初の結婚をして2度の妊娠と流産を経験す るが,その後妊娠しないため調べてみたところ卵管閉 塞が判り,それが原因で夫婦仲に亀裂が入り離婚とな る。25歳で職場の同僚と再婚したDさんは,当時まだ 実施施設の少なかったIVF-ETを受けるため九州まで 出向き,職業を替え,治療を優先した生活を始めた。 5施設目の転院でDさんが胚盤胞移植を受療したとこ ろ,治療開始後初めて妊娠反応が陽性となるが,以後, 胚盤胞移植を受けると妊娠するが,しかし流産に終わ るという体験を何度も何度も繰り返すようになる。 1 )度重なる掻爬と子宮外妊娠に,もう打つ手はない と思い始める 次の治療周期に向けて準備をしていた時,Dさんは 子宮外妊娠で卵管が破裂し,「救急車で搬送される」ほ ど,かなり危険な状態に陥った。生死をさまよったこ とで,Dさんは自らの身体について考え始める。特に, 繰り返し掻爬を受けているダメージによって,これ以 上は自分の「身体がもたない」と感じる。十数回の流 産と子宮外妊娠を経て,Dさんの心境に変化が見られ た。そして,妊娠はしても胎児が育たないという現実 や,不育症の原因が染色体検査でも判明せず解決策が ないことへの苛立ちから,Dさんはこれ以上不妊治療 を続けることが無意味だと思うようになった。 もう手はないなって思いました。何度もしつこく治療 を受け続けるか,諦めるかしか,もうないなと思って。 (中略)それにしても,10回以上流産してるわけです から,(原因は)何かある。でも,その何かが分からな いんじゃ,やってもしょうがないな,っていうか。ま あ,(不妊治療が)いやになったからですかね。 Dさんは習慣性流産の体験によって,たとえ妊娠で きたとしても,どうせまた流産になるだろうとネガテ ィブな予測をするようになり,不妊治療のプロセスを 踏むことが「面倒」に感じてきた。そして,治療後に 待ち受けるものが流産という苦しみでしかないため, Dさんは治療への意欲を消失し遠ざかるようになって いった。 病院に行って治療してというその過程が,前はもう 淡々と楽しみだったりして,「よし,あと1 ヵ月後に 誘発が始まるぞ」みたいな,そんな感じだったのが, 「あー,面倒くさいな。再来月に延ばそうかな」みた いな。だんだん,やめる数年前からそんなふうにはな っていったんですよ。どうも面倒くさいから,「いい や次の周期で」,「あー,また次の周期で」と,どんど んどんどん延びて,結局こうなった(通院をやめた) みたいな。 2 )自分に原因があって,夫の遺伝子を残せないのは 申し訳ない Dさんは「子どもが好きで不妊治療をしたわけでは ない」と言い,自分が原因で,夫が子どもを手に出来 ないという不利益を被ることが耐えられなかったと語 った。Dさんは夫が人格的に優れていると思うことや 夫への愛情から,夫の遺伝子を残すことにこだわって いた。また,子どもを出産することで,自分の中に存 在している負い目や不全感を払拭したいとの思いもあ った。 不妊原因が自分じゃなければ,治療をしていなかった かもしれません。100%自分にしか原因がないと,と りあえず,それをクリアにしないといけないと思っち ゃうんでしょうね。相手が原因,もしくは両方とも(不 妊)原因があるんだったら,「まあ,いいか」で済んだ と思うんですけど。取りあえず,相手の遺伝子は私の せいで残らないと思うと,とっても申し訳ないって思 っちゃったんですよ。もうそれだけですね。 Dさんは幼いころ「母親に似ていない」と言われて育 った。母親に似ていないのならば誰に似ているのだろ うと考えたところ,それは顔も知らない父親の遺伝子 によるものだと気づいた。そこからDさんは,受け継 がれていく遺伝子にこだわるようになり,「自分が原
因で夫の遺伝子が残らない」かもしれないというプレ ッシャーと闘いながら不妊治療を続けてきたのだった。 しかし,夫から遺伝子を残す意義について問われた時, Dさんは改めてその意味を問い直し,自らのこだわり から解放された。 (遺伝子を)残さなきゃいけないんだろうと思っちゃ ったんですよ。ただ後々,「あなたの遺伝子を残さな きゃいけないじゃないか」っていう話をしたときに, 「ハア?」って話を。「俺の遺伝子,そんな優秀じゃな いし。何のために?」みたいな話になって。「そう言わ れればそうだね」って。野球選手で大金稼ぐとか,プ ロゴルファーとか,そういうんでもなかった。一般の サラリーマンで遺伝子を残したから,だから何だとい うことに気づきました。 3 )出産できるか否かは人間の力でどうにかなるもの ではない 不妊治療の終結を決めたDさんは,あんなに夢中に なっていた不妊治療が自分とは関係の無いものにな ったと感じていた。そのため,Dさんは未練も残さず, 自然の成り行きとして終結に至ったのだと受けとめて いる。 治療してた時とかを一生懸命思い出しても,もう遠い 話になっちゃって,他人事みたいになっちゃうんです ね。それはやめるときなんでしょうね。やめるに当た って「もう苦しくて,つらくて」とか,そういうのは ないんですよ。不思議ですけど,私の周りで(治療を) やめた人はみんなそう言うんで,そうなんだと……。 Dさんは 頑張れば子どもを手にできる という信念 で治療を続けてきたが,終結した今,どんなに頑張っ ても手に入れられないものがあることを実感し,不妊 治療はそのことに気づくためだったと振り返った。そ の根底にはDさんが誰にも劣らないほど懸命に治療を してきたとの自負が存在していた。ゆえにDさんは, 出産できなかったのは自分の努力が足りなかったわけ ではなく,人間の誕生は人の力ではどうにもならない 神の領域で決められるものだと,自分を納得させてい る。そう考えるようになった背景には,義妹がクモ膜 下出血で危篤状態にありながらも,帝王切開で子ども だけが助かったという体験が影響していた。 私は何であんなに必死で,さほど子ども好きでもない のに(不妊治療に)頑張ったんだろうって,不思議で しょうがないですね。でも,その当時はそうしなきゃ いけないって思ってて。でも結局わかったのは,治療 とかお金とかサプリ(サプリメント)とか鍼とか,そ ういうのは関係なく,生まれることになっている子は 絶対に生まれてくるんですよね。生まれないことにな っているんだったら,何をやったって生まれてこない。 それに気付くためだけだったということがわかりまし た。 現在,Dさんは治療に費やした日々を「無駄だった」 と感じている。しかし,その「無駄な何かを体験しな きゃいけなかった」とも感じていた。Dさんは不妊治 療を,自分が人間的に成長するためには必要な「苦行」 だったと受けとめている。 大金掛けて,自分を痛めつけて,ものすごい結構な試 練だと思うんですよ,不妊治療って。それをわざわざ やったわけですから。何かそう決められていたんじゃ ないですかね。それをやらないと,もっと傲慢な人か 何かになっちゃったんだろうっていうような……。 そして,Dさんは不妊治療を終結した今も,遺伝子 を残すという「プレッシャーから解放されることはな い」と話す。子どもを「産めなかった」という自己不全 感は,不妊治療を終結したからといって完結すること はないのである。治療終結後,Dさんは不整脈がある と診断を受け,現在は定期的に通院して健康を取り戻 しながら,これから先の人生の目標や支えとなるもの を模索しているところである。
Ⅳ.考 察
本研究結果より,治療を継続してきた女性は漠然と 治療の終結時期について考えるようになり,治療の継 続と終結の間で何度も揺らぎながら,結論を出すに至 っていた。それは,参加者にとって治療の終結は子ど ものいない人生の選択を意味していたからであり,人 生の目標や自己実現を諦めるという決断は容易ではな かったのである。本項では,まず研究参加者の語りの 共通性からどのような思いや考え,事象によって最終 的な決断が可能になったのかを述べ,次に治療終結後 に参加者が治療をどのように意味づけたのかを記述し, そして看護への示唆について考察する。 1.不妊治療の終結を決断した背景 1 )加齢による生殖機能の衰えを自覚する 研究参加者たちが治療の終結を意識し始めた背景と してまず挙げられるのは,妊娠可能な年齢には限界が あるという現実であった。たとえば40代で治療を開始したBさんは,当初自らの年齢の高さを意識するこ とはなかったが,更年期のような症状が出現し始めた ことや卵の質が低下したこと,卵胞の発育が悪く採卵 できなかったことなどから,自分の年齢が進み,妊娠 するには高齢であることを認めざるを得なかった。ま た,Bさん以外の研究参加者に関しても同様で,他の 不妊症患者や以前の自分と比較をして,否応無く自ら の加齢に伴う生殖機能の低下を自覚させられ,これ以 上治療を続けたとしても決して妊娠の確率が高くはな らないことや,生殖可能な限界が近づいてきているこ とを悟っていったのである。 不妊治療を受ける女性は治療を受けることが妊娠す る唯一の方法だと認識している(宮田,2007)との報告 がある。研究参加者は生殖可能な年齢的限界が近づい てくると感じれば感じるほど追い詰められ,妊娠の機 会が失われる恐怖感から,より治療に駆り立てられる という状況を生じさせていた。これはSandelowski & Pollock (1986)が,患者は常に生殖可能な年齢を意識 し,そして諦めなければならない治療の限界を引き伸 ばしていると指摘したことと同様の状況であった。そ して,そのような治療へと駆り立てられる心情と,生 殖機能の衰えから 妊娠は無理かもしれない と考え る複雑な思いは,研究参加者に葛藤を抱かせるととも に,将来に対する不安を強くさせていた。 2 )先端医療でも解決できない問題と思い知る 研究参加者はIVF-ETやICSIがきっと自分を妊娠さ せてくれると期待して治療に臨んでいたが,不成功を 繰り返したことで,最高の医療技術を駆使してもどう にもならない限界があることや,ARTと言われる先端 医療でも絶対に妊娠・出産するとは保証されない不確 実性があることを認識していった。たとえばDさんの 場合,染色体検査でも異常は見当たらず,結局は習慣 性流産を解決することが出来なかった。Dさんは流産 の原因が現在の医療で追究できない以上,出産は難し いと悟り,治療をやっても仕方が無いと考えるように なった。また,Aさんは10年目にして初めて妊娠反応 が陽性になったが,それが掻爬もしない化学流産だっ たことに衝撃を受けていた。Aさんは子どもを手にす るまでにはまだまだ長い道のりがあることや,先端医 療でも解決できないほど自分の生殖機能には問題があ ることを思い知らされたのだった。 そして,これらの場合,研究参加者には矛盾した2 つの思いがあったと考えられる。一つは,自分の女性 としての機能はこれほど高度な医療をしても解決でき ないほど問題であると,自らの不全感や欠損感を強め る場合であり,もう一つは,これほど高度な医療を受 療し続けても解決できないのだから,夫や家族も自分 に子どもが出来なくても仕方が無いと納得してくれる のではないかと安堵する場合である。しかし,いずれ の場合においても,医学の限界は自らの限界と認めざ るを得なかったのである。 現在の本邦の不妊治療では,提供された卵子によ るIVF-ETや,いわゆる借り腹などは日本産科婦人科 学会が会告という形で示した自主ルールに従い,ほ とんどの医療施設において実施されてはいない(藤川, 2002)。それは本研究の参加者たちが通院していたど の医療施設においても同様で,第三者が介入するこ とはなかった。習慣性流産のDさんは面接の中で,卵 子の提供を受ければ妊娠の継続も可能で子どもを手に 出来たかもしれないと語ったが,同時に,まだ本邦で 公然に認められていない領域に足を踏み入れることや, 周囲の批判を覚悟してまで受療することには抵抗感を 覚えるとも語っていた。卵子の提供や借り腹を実施す るためには,第三者の女性を採卵の穿刺や妊娠・出産 という危険な状態に晒さねばならないという倫理的な 問題も存在する。そして,第三者の女性への大きな代 償に加えて,卵子提供では遺伝子的側面において,借 り腹では自然の摂理や法律的に生まれた子どもと自分 は親子関係にないことなどを考慮すると,自らの挙児 への欲求を満たすためとは言え,卵子提供や借り腹を 決断することは困難であった。 ゆえに研究参加者は,高度生殖補助医療と言われて いても受精卵の着床,つまり妊娠の成立までは操作で きないことや,流産の原因などどうしても解明できな いことがあると自分自身を納得させていった。そして, 生殖という領域にはどんなに人為を尽くしても解決で きない限界があると認識し,これ以上努力を続けたと しても必ず報われるわけではないと考え,不妊治療の 終結を考えるようになった。 3 )子どもができない,ありのままの自分でよいと受 け容れる 本研究の結果,不妊治療の終結を決断する過程は, 治療を受ける女性が子どものできない自分自身を,あ りのままでよいと受け容れる過程でもあった。そして, このような彼女たちの変化に大きく影響していたのは, 夫の妻に対する承認と気遣いであり,夫の言葉によっ
て研究参加者は母親になることへのプレッシャーから 解き放たれていた。 たとえばBさんは自ら終結を決断することが出来ず に,その苛立ちを夫にぶつけていたが,夫から「そん なにつらいんだったら,治療をやめたら」と終結を促 す言葉をもらい,決断できたと語った。Cさんの場合 も夫が「もういいよ,2人でも十分楽しい」と声を掛け たことが最終的な決断を後押ししていた。このように 夫が終結を促した言葉の裏には,妻の妊娠の見込みが 低いと察知したことや,見込みがほとんど無いにもか かわらず治療を続けることで妻の身体への負担を考慮 したことが挙げられる。そして,子どもができないと いう現実を受け容れ,夫婦2人の生活でも十分幸せで あるというメッセージがこめられていた。このように, 終結への最終決断には,夫の一言に込められた承認と 気遣いが必要であった。夫は出産できない自分を,そ の欠点や弱点,罪をも含めてありのまま受けとめてく れたと認知できたことや,自分が不妊治療の辛苦に耐 えてこれまで頑張ってきたことを夫がようやく認めて くれたという二つの思いがあった。そうして研究参加 者の中に存在していた, 子どもがいなければ確かな 結びつきにならない という感覚が払拭されていった のだった。 そして,このように研究参加者の治療過程を振り返 ってみると,そこには 他者 の存在が大きく関係し ていることが見えてきた。Aさんは終結を決断するに あたり,「ほかの誰もが『もっと頑張れ』とは絶対に言 わないところまで来た」と語っている。Aさんがこの ように語ったのは,自分自身に治療をすべてやり尽し たという達成感が存在していただけでなく,他者の誰 もがその努力と忍耐を認めてくれると思えるようにな ったことを示している。不妊治療を受ける女性は自身 の挙児希望だけではなく,夫のためや家族のために治 療に臨む者も多く,「十分頑張った」という他者の承認 や評価が大きく影響していた。 不妊治療を受ける女性は孤独である(Jirka, Schuett, & Foxall, 1996;森・陳,2005)と指摘されている。自 分を理解してもらえたという体験,すなわち,他者に 自らを認めてもらえたという 承認の欲求 が満たさ れたことは,彼女たちの欠損感を埋め,これから先の 人生の支えとなるものではないだろうか。治療終結後 の女性が喪失感からよりいっそうの孤独を感じないた めにも,自分が受け容れられたことを女性自身が実感 できることが必要だったと考える。 またAさんは不妊治療の終結にあたり,最良の医療 を受けられたという実感があり,たとえ1つ1つの治 療が不成功であったとしても,その治療の意思決定 やプロセスに自分自身が納得していることや,「あの 時,ああすれば良かった」という後悔や未練が拭い去 られていることを語った。このように不妊治療に対峙 してきた自分の努力を,自分自身で認められることが 自己肯定への一歩に繋がっていた。上田(1988)はま ず自分自身が充実し,重点が自己の生き方におかれて いることこそが重要であり,他者の評価如何にかかわ らず,自らの評価によって充分満足する場合もあると 指摘している。また,話し合って治療を選択した患者 は,出産に至らなくても受けた治療に対して満足して おり,医療者からの説明を受けている人ほど治療への 納得度が高い(フィンレージの会「新・レポート不妊」 編集チーム,2001)との報告がある。そのため,他者 からの承認に加え,当事者が自身の不妊治療過程に満 足できるように,患者の主体的な意思決定を促してい く環境や情報提供が必要と示唆された。 4 )それまでのこだわりや価値が変化する 研究参加者が不妊治療の終結を決断するときには, それまでこだわってきた事柄がどうでも良い事柄に変 化し重要視しなくなるという,価値の変化が見られて いた。たとえばDさんは夫の遺伝子を残すことを第一 義に治療を続けてきたが,夫から遺伝子を残す意義に ついて問われた時,改めて自分のこだわりについて考 えた。そして,夫が遺伝子に価値を置いていないと分 かったことで,そのこだわりはいとも簡単に払拭され ていき,やがてDさんは通院を面倒と感じるようにな った。これは夫の言葉によってDさん自身の呪縛が解 け,不妊治療を続ける目標や意味が失われたことによ るものだった。またAさんの場合,それまで妊娠を目 標にしてきたときには全く気にならず,我慢できてい た経済面が,終結を意識したことで,「お金を捨てて いるように感じて惜しくなってきた」と語った。Aさ んは治療と引き換えに子犬を買い,子どもではなく小 動物を育てることへと目標を変更していったのである。 また,Cさんも終結時に はたと ,以前母親が言って いた「養女をもらってもいいんじゃないの?」という 言葉を思い出す。治療中は全く気にも留めなかったの だが,実子への価値やこだわりが無くなったことで, Cさんには新たな養子という選択肢が見えてきていた。 以上のように,研究参加者はそれまで不妊治療を受
けてきたときに大切にしていたことやこだわってきた ことから脱却し,価値を変化させることによって最終 決断に踏み出していた。そして,研究参加者がこのよ うに価値を変化させた背景には,彼女らが無意識に不 妊治療の限界をそろそろ感じ始めていたことや,先に 述べたように夫からの言葉が契機になった場合もある が,Cさんが語ったように,突然に「はたと」思い立っ た場合もあった。Bertlett (1994/2004)の著書の中には, 不妊治療を終結した女性の言葉として,「ある朝目覚 めてみると,唐突に,それ(子ども)を求めていない ことに気がついたとでも言うのでしょうか。私にとっ ては雲がはれるようなものでした」という一節がある。 ここから読み取れるのは,不妊治療に追い立てられて いくうちに治療そのものにとり憑かれたようになって いき,自分が本当は何を求めているのか分からなくな ってしまうという姿である。その 憑き物 が落ちた ときに見えてくるのは,いまここにいる人たちとの確 かなつながりや,その人たちに支えられていることで あり,結局は自らの家族という居場所に戻っていくの であった。このように不妊治療を受ける女性には,自 然と子どものいない人生を受け容れるように,それぞ れに折り合う時期が存在しているのではないかと考え られた。 2.終結した現在から振り返った不妊治療体験の意味 研究参加者は不妊治療を体験するなかで,子どもを 出産する意味について何度も自問し,夫や家族の存 在,これからの人生についても多方面から考えたと語 っている。それはたとえば自分と親との関係性だった り,夫婦2人を根幹と考えること,また里親として新 しい家族を築くことなどであったが,その過程でも人 と人とのつながりや,家族の重要性を再認識できてい た。また,妊娠反応が陰性だった時や採卵できなかっ た時など,何度も挫折を感じる中で立ち上がるという 精神的な強さを身につけた人もあった。研究参加者た ちは不妊治療という体験があったからこそ,さまざま なことを考える機会を得て,そうして考えたことは決 して無駄ではなかったと振り返っていた。これは,安 田(2005)が「マイナスでしかないと感じられる経験を 積み重ねるなかで,否定的な経験が肯定的な意味を帯 びることがある」と指摘していることと同様であった。 しかしながら,子どもを手にすることが出来ずに不 妊治療を終結したことで,研究参加者は,どんなに頑 張っても結果が得られない場合があるということ,生 命は人の手を尽くしてもどうにもならないものである ことを認識していた。また,たとえ不妊治療を納得し て終結したとしても,子どもを出産できなかったとい う思いは消えることがなく,一生残っていくと語った 人もあった。 反面,研究参加者は不妊治療を体験したからこそ, 人間的に成長したとも受けとめており,「簡単に子ど もができた人には解らないこと」,「治療という苦行を 乗り越えた人間の深さがある」と語った。子どもを出 産することなく治療を終結したけれど,彼女たちの中 には不妊治療に懸命に取り組んだという自負と,辛苦 に耐えぬいたという達成感が存在していたのである。 そして彼女たちは,子どもを出産するという望みは果 たせず,理想像とは異なっているけれども,そのまま の自分でよいと自己を認めたのであった。これらのこ とより,不妊治療体験を意味あるものとして捉えられ るためには,治療を受けてきた女性が,どこかで自分 自身の頑張りを認め肯定していることが重要であると 考えられた。 3.看護への示唆 本研究の結果,研究参加者はすべて医師や看護師か ら「治療の終結を考えた方がいい」など,終結を促さ れるような言葉は何も言われていなかった。たとえば, 10年以上同じ主治医の下で治療していたAさんが終結 を切り出した時も,医師は引き止める言葉を口にした と言う。また,十数回流産を繰り返してきたDさんの 担当医も「あなたはきっと出産できるから」という言 葉を繰り返していた。それらの背景に,妊娠・出産へ の見通しがあったのかどうかは判らない。しかし,医 師の心の中には,難しい症例であればあるほど患者の 望みを自らの手で叶えてあげたいという強い使命感が あったのではないだろうか。医師は自らの生命観・家 族観・自然観に基づいて 患者のため に技術を施し ているのだという認識が,ARTの高度化を推し進めて いる(柘植,1999)との指摘がある。もしも医師が子ど もを産むことと同様に子どもを産まないという選択肢 をもっていたならば,不妊症患者が治療を終結すると 口にした時にも,そういう選択もあると容易に受け入 れられたのではないかと考える。 そして,看護師には,患者と医師がそれぞれの思い で闇雲にARTへ突き進むことのないように,医師の 治療方針を患者が理解し納得できるように言葉を変え て説明することや,治療に対する患者の思いを医師に
伝え,方針や計画の再考を促すという役割,すなわち 不妊の医療チームの一員として,双方の間に立って調 整し仲介する役割がある。また,その前提として,不 妊症患者のさまざまな思いを理解していくためにも, 医師や看護師など各々が自らの意見を自由に発言でき る環境と,多様な考えを互いに承認していくこと,そ して,医療者としての倫理的な視点を失わないことな どが求められている。 本研究結果より,不妊治療を受ける女性は夫の承認 や気遣いの一言によって,自らのこだわりから解放さ れ,新たな一歩を踏み出していることが分かった。し かし,参加者の語りによれば,夫は妻の受診に同行す ることが少なく,妻の身体の状態や妊娠の見込みなど も妻の言葉を通じて理解しているに過ぎず,また治療 計画も妻と医師との間で決められ,夫は報告を受ける かたちで進められていた。そのため,夫が不妊治療の 現状を認識し,治療の選択や決定に関して積極的に発 言していけるように,可能な限り夫婦で受診すること を促す必要がある。夫婦が子どもをもつ意味について 考えを交わし,同じ方向を見ながら不妊治療に臨むこ とにより,たとえ不成功でも治療に対する後悔や未 練がなくなり,さらに治療の終結時期が容易に判断で きることへと繋がる。そして看護師は,不妊治療を受 療する夫婦の間で,医療者としての視点からの発言や, 話し合いの促し,代弁者としての役割が担えると考え る。 看護師は,女性が不妊治療に臨まざるを得ない状況 にある葛藤や複雑な思いに対して傾聴し,共感的理解 を示すとともに,女性がそれらの呪縛から解き放たれ 自由に意思決定していけるように,支持的な存在と してかかわっていくことが求められている。たとえば, 定期的に相談日を設けて不妊症患者とかかわり,彼女 たちがなぜ挙児を希望するのか,母親になることには どのような意味があるのかを,看護師とともに話し合 い,多様な観点から問い直しをすることにより,当事 者は不妊治療を受療する意味について改めて考えるこ とができる。さらに,彼女たちが感じている外的な圧 力や内的な葛藤などさまざまな思いをゆっくりと聞き だし解きほぐしていくことも重要であるし,治療のプ ロセスで生じた疑問や葛藤を早期に解決していくこと も必要となってくる。また,このような不妊治療を受 ける女性とのかかわりの全過程において,看護師は 患者の思いを否定することなく常に肯定的受容の姿勢 で臨み,患者の中に存在する女性としての欠損感や不 全感を少しでも埋めていけるように留意する。そして, 何より不妊治療に携わる看護師には,女性が何ものに も縛られずに自らの妊娠や出産を自由に選択できるこ と,加えて,子どものいないという選択も同等に扱わ れるように,リプロダクティブ・ヘルス/ライツの概 念を今後も社会へ向けて発信していく必要性があると 示唆された。 4.研究の限界と今後の課題 本研究は限られた選定方法により集められた4名と いう少数の参加者であり,またライフストーリー研究 であることから,不妊治療を終結した女性の一般化に は限界がある。今後は,不妊治療を受ける女性だけで なく,パートナー(男性)がどのような不妊治療の体 験をしているのか,明らかにすることが課題である。 謝 辞 本研究にご協力くださいました皆様に深く感謝申し 上げます。そして,研究の全過程を通じてご指導くだ さいました日本赤十字看護大学大学院の平澤美恵子教 授,濱田悦子教授に深謝いたします。なお本研究は, 2009年度日本赤十字看護大学大学院看護学研究科博 士後期課程に提出した博士論文の一部に加筆修正した ものである。 文 献 阿部正子(2004).体外受精を継続している不妊女性の治 療への思い̶不妊治療における意思決定支援のあり方 を考える̶.第35回日本看護学会論文集̶母性看護̶, 128-130. Bartlett, J. (1994)/遠藤公美恵訳(2004).「産まない」時代 の女たち̶チャイルド・フリーという生き方̶.267-288,東京:とびら社. フィンレージの会「新・レポート不妊」編集チーム(2001). 不妊の私たちが医療現場に望むこと.ペリネイタルケ ア,2001新春増刊,260-266. 藤川忠宏(2002).生殖補助医療最前線.総合研究開発機 構編,生殖革命と法̶生命科学の発展と倫理̶(pp.1-30).東京:日本経済評論社.
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