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Microsoft PowerPoint - プレゼンテーション1

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Academic year: 2021

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(1)

 これは、悠彩会発足20周年を記念して

会員が夫々の思いを述べた文集です。

開催期間中は、会場の中央テーブル

に置いてご覧頂きました。

(2)

¨

千秋 幸― 饒 準― │ヽアイ姜令■■│ │=苺t,o, ヽ■,■ぶ =● II ,=支モ撫。, │■1■,■ “ │ 'ヽ■0, ■1●II●■│` `H==1,t¨ 颯 [¨ ,FI■書10, 112晨ヽ│∽ │:こヽ│:il拮:│ │,,,¨│ 十三郵歌 `"│ │三 '破01 ●●―,ル, 'な “`!ti" ‐ │,│‐ `│ =圏 =を職 ∞ ,i観 総 ` │■ =●肯,―`ス │ ,そ,│ │工■ `オ ,│ とき

0201■

9月27日(本) ∼10月 3日(水) AM101∞ PM6:30 ● =圏10=〈*)t'■,OOまで ところO大阪市中央公会

t

睫 (31鮮,ラリー) てヽ奎口,

(3)

20回

記念展 に あた り

メ ンバ ー各 人の 、

これ までの活動 の歩み や

20周

年 に対す る想 い を、

綴 つた フアイル です 。

これか らも、

どうかよろしく

お願いいた します。

(4)

<20周

年への想い

>

2012年

9月

西澤

千秋

20周

年への想い

>

20年

前の第一回展の案内状が手元にあ ります。 この案内状

(2枚

目をご覧くだ さい) を見なが ら少 し想い出話に付き合つて ください. 実はこの案内状は私がデザインしました.展覧会前の ドサクサにわれて作つたものです が 私の悠彩会における記念すべき初

4品

〈少 し自慢です

)で

もあ りまた 案内状の記名回 芋も身在は入会順ですが、過去には

50青

順だつた時 もあ り会員の間で は結構議論があつたのですが、第一回展では入会順で も

50苦

順でもないかな り大雑把な ものです。 (贅助出晨有 り)と さりげな く書いてあ りますが、岸本 (■悠彩会の大黒住)、 案崎 (僣 しくも鬼籍に入 られま した)、 安 口 (プロとしてビ活躍

)の

各氏であります。当時は会場 の壁面を埋めるだけの作品力探 まるか 自信がな く、贅IIIをお願い した次第であ りま九 今 か ら思えば隔世の感があ りま九 案内地図の銀行名 をご覧 ください

.流

石に 日本銀行は別 として それ以外はすべて行名 が変わっていま九

20年

の歳月の長 さを感 じま九 今年は勤務する会社が泊1業

10周

年の節 目を迎えました。それで も悠彩会の歴史 と比べ ればたかだか半分にもな りません。

20年

間続いた秘訣 をよく開かれ るのですが、会の治1設時に決めた「女性は入れないJ、 「絵の巧拙は不間Jと い う不丈律 を守ってきたか らだ と思います。新地の飲み屋で酔つた 勢いで決めたものですが実によくできていると思いま九 個人的には、二人の子供が昨年、今年 と相次いで結婚 しま した

.い

まは、妻 と時々やつ てくる愛犬 〈霙人ではあ りませル)と の生活です。いずれやって来るサンデー毎 日の絵画 泊1作三味を夢見ている 日々で丸

(5)

仕事を通 じて知り合った仲間による水彩画の第一回小品展です。 悠彩会発足2年足らず、いまだ初心者ンベノンの作品ですが、ご都 合繰り合わせのうえご高覧頂きたく、導 内中し上げます。 冽ヽ長尋 ・ 山笙 (竹中工務店) 西 沢

f秋

(近鉄百 貨店) 堀 江 俊 雄 (近鉄百貨店) 松 島 ヨ署 (大阪市役所) 萬 浪 訓 行 lAiT「ファ刻カー● 山 田 康 彦 (大阪市役所) ブt澤雪コE買三 (明生抵当証券) (賛助 出展有 り) 〈会場:サンドリヨンクラブ〉 (梅田新道サ ンドリ義ンピル32F) 地下鉄梅 田駅、淀屋僑駅より5分 御堂筋西側の第T勧業銀行の人形詩計の下から 入つて下さい。

阪 野 秀 員J(三 菱電機

)

平 野 準 ― 晒日本カレ

増 野

暁 (竹中爵 店) 松 村 真 吾 (近鉄不動産)

山 田 将 司 に 菱電機

) 和 田 幸 ―‐ (三菱 電 機)

佐 藤 清 和 ←リ

ピ→レ

) │ │

(6)

<20周

年への想い

>

2012年

9月

和 田

幸 士

『和国さん ―結に絵 を描きませんかJと 同 じ職場の山田将司さんか ら誘われて なんとはな くの入会であつた。すべての業務である人事 会計 行事スケジュール 連絡などすべての業務が私の責任で行 つて欲 しいとのことで 後から考えてみると旨 く茉せ られて しいたようだった. 当初か ら年齢制限 女性は会に入れない 会費は必要が生 した時にその都度集める が会計報告は しない、絵の批判は しないな ど本当に変わった絵画の集団 といった とこ ろであった

.で

もユニークな楽 しい絵画 クラプが誕生 した。 平成

4年

に発足 したのでもう―昔 も前にな ります。当時か ら会員諸氏はお酒が好き で 賑やかなことが好きで絵を描 くことが日実の集団の様に見 られていたふ しがあっ たが 実に業 しいそ して識実な仲間が集まったもので今では感謝 している. は じめてスケ ッチ会が行われたのは平成

5年

2月

20日

に山田さんのお世話で三 国にある伊丼市営の三田山荘で一泊で行われた

.絵

を描 くことよ りも楽 しく乾杯 ― 夜を過 ごす ことが 目的のようだったが 記念すべき悠彩会の初の行事で楽 しいスクッ チ会であつた。は じめての野外スケッチの経験なので「何処を描 くのか 構図はどう するのか

J解

らないことが多く 私 と阪野 さんが困 り果てていたところ大先生の画沢 さんが現れたので すべてのご教授を頂いたのを覚えている. 有難 うございま した。その折のなつか しい作品で九 ‐■濯 悠彩会 として活動をは じめて

20年

を越えま した。発表会 も

20回

を迎えること が出来ま した多 くの方々のご支援 と励 ま しのお蔭です。 心から感謝 し今後 とも人生の生きがいを求めて頑張って行きま九

(7)

■■の口贅趙嗜そ●旧 "衝 がよくわかう 阪神淡 路震 災 建設省兵庫国道工事事務所主催

震 災被災地の復興風景絵画展

協力 悠彩会

於 神 戸 市 メ リケ ンパ ー ク 平成

7年

の阪神淡路大震災・ あれか ら一年 道路の展災被害状況 と復旧技術、復 旧工事の 様子 を理解 して頂 くための絵画展への協力を 依頼 されての協力を行つた。 参カロ者 勝 田 寺 田 松村 和 田 木 島 阪野 西沢 平野 松 島 萬浪 山 田康山 田

,

崎 江 田 柴 堀 安 鈴 木 増 野 柳 田

悠彩会への想い

定年で退職 した後の第二の人生を如何に生きる力、 むつか しい課題であつたが 幸いにも新 しい仕事に恵 まれ、そ して共に絵 を描 き楽 しく語 らえる多 くの仲間を 持つ ことが出来て心か ら感謝 してい る。悠彩会 を通 してますます楽 しい人生が期 待 されると確信 しています。 この

20年

の間に柴崎穂積 さん、山田将司さんのお二人がお亡 くな りにな りま した。悠彩会の創設、運営、作画の指導などあらゆる面でご努力頂いたお二人の 存在は会に とって大変大きなものがあ りま した。本当に残念なことで した。 心か らご冥福 をお祈 り申 し上げます。 プロにな られた安田泰幸 さんをは じめ多 くの方 々が退会 され淋 しい思いもしま し たが、代わつて多 くの方々の悠彩会の理念に賛同されてのご大会を得て、悠彩会 のますますの発展が期待 されるよ うにな り嬉 しいかぎ りです。 人間歳 をとると根気 と意気込みが少なくなつて しま うよ うですオ軋 長年、技術設計などの仕事にかかわってきま したので、対象物 をじっと見つめて スケ ッチをした り図面を描いた りす ることに違和感 はな く、悠彩会の会員諸氏の ご指導 を得て自分な りの絵 を描いてこられ るよ うになっていま した。 しか し最近の 自分の描 き方、特にデ ッサンのあ り方、色彩などますます 自分の 本来の感覚か ら外れて しまっているよ うに思われ るよ うにな りま した。 もつと素直に対象の風景に対 した時の気持 ちを、絵の中に生かす ことが大切だと 思 うようにな りま した。心やすまるすがすが しい色彩を目指 したいものです。 約束 します。

21回

展には新 しい素直な自分な りの作品を出 します。

(8)

20周

年 に想

増野

仕事 をやめて以降、 日々 「碁楽」「画楽」の生活だ。 囲碁の方は東京での単身生活の休 日、ひまつぶ しに碁会所に行 き、熱中 して打つた。現在は 自称

3段

だが実力は初段程度、 日々近 くの碁会所で楽 しく打つている。 「画楽」、絵を描 くことは子 どもの頃か ら好きだった。仕事関係でデザインや図面を描た りは したが、絵の方は年賀はがきの挿絵 を描 く程度だった。 絵を本格的に描きは じめたきっかけになつたのはまさしく悠彩会だ。 参加 したのは立ち上げ時期 とほぼ同 じ1992年だ。東京勤務の とき、同僚の本島 くんか ら fきみ、悠彩会 とい うスケ ッチ会に入 るよう誘われているのだが、僕は絵を描かないので、 変わ りに入つて くれないかJと 言われ、帰宅の とき琵琶湖近 くの風車のあるところにスケ ッ チプ ックを持つて行 き、佐藤 さん、西澤 さん、和 田さんたちにお会い したのがスター トだ。 翌年、大阪に帰ってきた。仕事は窓際族のようなもので、唯一、阪神大震災あ とのマンシ ョン再建に情熱を燃や したほかは熱 中して仕事に打ち込む こともなくな り、少 しずつ絵の方 に興味は移 り、楽 しくな り、第1回 目の悠彩会展以降すべて出展 しているし、スケ ッチ会に もほぼ参加 している。 線 を生か した透明水彩で描 くのが良いなあと思 うよ うになつたのは安野光雅 さんの風景 画の影響が大きい。特に、

1995年

NHKで

放送 した 「安野光雅 風景画が描 く」、

97年

の 阪急 百貨店 で開かれ て いた 「街道 をゆ く」展 をみ ての感 動 だ。 安 野 さん の放 送 をみ て い る と無性 に海 外 で スケ ッチ した くな つた。

1997年

に悠彩 会 の平野 さん 、木 島 くん を誘 つて スペ イ ン ヘ 、翌年 は木 島 くん とイ ス タンブール ヘ行 く。 その後 も悠 彩 会の 方や友人な どと、 ドイツ、ギ リシャ、ポル トガル、ベネ ツ ィア、ギ リシャ、エジプ ト、 東欧 と日々スケ ッチ三味 を楽 しんだ。 柳日 本島 村 田とベネ ツィアヘ 去野夫要 と

(9)

絵 の対象 は都 市 の雑踏 くぅ古 い街 並み も好 きだが、近年 は 日園風 景 、特 に、明 日香 が好 きで よく出か け る。個展 の案 内状 に よく書 くのだが 「スケ ッチブ ックを と りだ し、 ドカ ン と座 って描 くJ、 これ がなん とも気持 ち よい。 も う一つ は電車 に乗 つてい る人 た ちをはが きサイ ズの スケ ッチ ブ ックにボールペ ンで描 く 「車 中人 間ス ケ ッチ」 だ。典型 的ひ まつぶ しだが 、

20年

続 けて いて

200冊

以 上が本 棚 に収 まつてい る。 発表 の場 と して 1999年に初 めて個 展 を開 き、以来

8回

してい る。来 られ た方 々 との雑 談 も楽 しい。 また、下記 の よ うに

2013年

2月 に

9回

日の個展 「閑 潰 画楽 多展

Jを

開 く予 定だ。 も う一つ の発表 の場 はホー ムペ ー ジだ。

2002年

に立 ち上 げ、最低週 2,3回は更新 してい る。 また 「ない しょば な し

Jと

い うコー ナー をつ く り、新 聞ネ タ にほぼ毎 日雑文を書いている。これ も、無精者のぼ くの背中を押す大きな役割 を果た してし る。(「増野暁」で検索 してみて くだ さい。) また、

2つ

の グル ープ の方 々 とご一緒 にスケ ッチ に 出か けア ドバ イ ス してい る。み な さん 一人 ひ と り個性 が あ り、長 い時 間熱 中 して描 いてお られ る。風景 の 中に座 り込んで描 く、ス ケ ッチ って いい ものだな あ といつ も思 う。 とに もか くに も「画楽Jと い うチ ャンスをつ くつて くれ てい るのが悠彩 会 とい う会 とメン バーだ。今後 とも楽 しくや つて ゆきたい ものだ。 車 Ⅲ人 間 ス ケ ッチ 第1回日の個展案 内状 ` 崎 野 崚 暉 薇 由 ■t展

MASIIN0 C0

HIn、TuBusHIGARAKUTA・ TEN

増 野

9回

閑 潰 画 楽 多 展

れ ■ …

1・

1轟Ⅲ…

F

J島・ │・■ 転

日本 の風景

2階

:街

角スケ ッチ

(金

)∼

6日

(水

)

:30p m(最

終 日

5:00)

2013年

2月

1

11 :00am-6

ギャラ リー御 堂筋

(大

阪市中央区道頓堀

222)

(10)

<20周

年への想 い

>

2012年

9月

平野

準一

悠彩会の誕生があつて、私は絵を描きはじめた。

スケ ッチはいつも難儀。

でも、これだけ長続きしているのは

完成 したときの小さな愉悦があるから

.

これからものんび りと行こう。

(11)

<20周

年に想 う

>

2012年

9月

○悠彩会発足の時に水彩画を始めま した。

1994年

の第

1回

悠彩会展か ら

4年

半後の

1999年

念願の第

1回

個展 を

一震災後の神戸北野界隈一 とい う

タイ トルで行 うことが出来ま したち

1999年5月25日 (火)∼30日 (日) ギャルリープルニエ

木島 峻・水彩風景画展

震災後の神戸北野界隈 1999年5月25日(火)∼30日 (日) AMll:llll P M6:00 (最終 日 PN15:001

ギャルリープルニエ

神戸市 中央 区八幡通4丁 目15 8078231つ051 : i[:i::::]

(12)

○その後

2010年

には、

5回

日の個展を大阪で開催

今年は、

20回

目の悠彩会展です。

悠彩会 の仲間 とともに、私の水彩画人生 もゆつ くり歩んでいま

す。

木 島 唆・ 水彩風 景 画及

スベイン コルドバ 20に自И月 1日

0∼

6日は) G旭E畔4匹の議2■

木 島唆・ 水 彩 風 景 画及

― スペインの衛 。日本の行 ― TEL FAX06 6●596516 零観鷹認踏:鷺 lil・・ 1´

(13)

204Fに

売熟う

>

2012年

9月 萬浪訓行 “趣味は人生を変える"は、まさに小生に作 られた名言 と思 う 平成5年 10月 16日 (土

)京

都嵐山へのスケッチが、小生にとつての、悠彩会初 日とな つた 小学校か ら絵は苦手で、音楽は好 きだつた と訴える小生を、強]│なまでに水彩の世界に導 いて くれた人が、悠彩会を今 日に導いき故人 となって しまったた山田さん すなわち、京都嵐山でのスケッチが、小生の {筆おろし}の 日となつた その後の精進の甲斐あつて

(2)■

回の個展まで辿 り着いたことは、自分でも驚 く出来事 平成6年11月 21日 ∼26日 の悠彩会展 最終 日の打ち上げを北ノ新地 {ムーンリバー}で そこで、カラオケを思 う存分歌つたのが昨 日のように思い出す と言 うようなわけで、良き仲間に恵まれ楽 しんでいるのがなによりと思つている次第

(14)

<20周

年に想 う

>

2012年

9月

こんなに長 く絵を描いて、 しかも展示を続けるなどとは夢にも考えてお りませんで した。 当初は花の博覧会でお知 り合いになつた 佐藤 さゑ 現 名誉会爵 か ら、何でも良いか ら1枚描いて展覧会に間にあわせ ろ!と言 われ、急邊描いたのが 自己紹介にも書きま した 左の 「一滴文庫」の絵 と言 う訳です。

3号

の小 さい絵で 線が弱く色 も薄し、 実物 は とても皆 さんに見てもらえる様な代物 _で はあ りませんが、デジタルで圧縮す ると 鮮明に見えていま丸 鑑賞に耐えています か

?

休上 勉 ゅかりの施設で→ 現在では、比処 公会堂 と言 う広い会場を利用 して展示 していますが、初めは大濁橋北西方 のサン ドリヨンの地下室でした。当時の会員が 14名、

6号

2枚

づつ出す と一杯になる様 な部屋で した。 緊急参加 した私の初めての絵は1枚だけ、壁に掛けるのではなく 窓際のテ ープルの上に飾 られま した。 3回目

4回

日と出展 して来ると、何処へ遊びに出かけても絵になる風景を探 し求めるよう にな りま した。その当時は、まだデジタルカメラなどは持つていませんで したので、情景を もつばらフィルムで写 してお りました。今 も箱の中に沢山残つていますが、もう捨てるしか ないですね。その頃の 強く印象に残 る作品を見て下さし、 神戸の震災直後の様子を描いたものです。神戸復興の応援をテーマにした企画展で、展示場 は工事現場の一角にあ りました。 無残な光景ばか りで絵になる場所を探 して随分 と歩き廻つた事を思い出します。上図は高架

ま っ

(15)

の橋桁 が無 くな り 橋脚 ばか りが 日立つ メ リケ ンパー ク辺 りの光景です。 これ で も見易い方 の絵 で丸 絵 になかなか 自信 の持てない私は、大 き くて も

6号

止 ま りの絵 ばか りで したが、

10回

展 あた りか ら や つ と

8号

10号

に挑戦 し は じめま した。 左 は最初 に描いた10号作 品用のスケ ッチです が、今見て もまだタ ッ チの弱い絵で九 動 の山奥 、美 山町の雪 景色で丸 絵 の完成 までに雪の中を3回も通 いま した。 出展 した作品は今 で も家 に架かつ てい ます。 この頃から旅行先の風景を多 く出す様にな りました。中国 桂林の絵も出展 しましたオ島 左 の絵 は、上海 市の浦東地 区をスケ ッチ した もので丸 当時 は、開発 中の高層 ビル の建設 ラッシュで した。 中央の丸い ビルが開発地区のシンボル となっていま丸 国内では、北は礼文島 と利尻富士、南 は与那国島まで行 き 野生馬 の絵 も出展 しま した。 九州 の旅 では、人が あま り行 かない山奥 まで入 り込み 目的 のダムを徹底的に探 した こともあ りま した。その時出展 した 絵 はダムを横 か ら見た姿で したが、左 のスケ ッチの よ うに 正面か ら見て も水平を保 つて とて も美 しい水の流 れ を見せ ていま丸 75年を経て も寸部の狂い も出 ていませ ん。 当時の石 工 さん達 の 技術 の高 さが伺 えるすば らしい煉 瓦の施設で した。 (白水ダム) →15回展 出展作品 その後 もポイ ン ト探 しの旅 を心が けて来ま したが、 今回は母親 の衰弱か ら遠方へ 出かけ られず 、大阪近辺 の絵 にな りま した。 私が この

20年

間に出展 した作品には、福井県西部の絵 が合計7点もあ りますも それ は母が 舞鶴市 に住んでい る所為 ですも この悠彩会展 のため、毎回大阪まで見に来て くれていま した が、今 は 私 の名前 も判 らな くなっていま丸 私が絵 を始 めた

20年

前 は、母が今 の私 と 同 じ

Z歳

だったのです …

(16)

<2

0周

年 に想 う

>

2012年

9月

岸本

信 夫

私が「民家 と町並み」のスケ ッチを始めたのは1989年ですが、1994年秋、代表世話人だつた山 田将司さん (故人

)か

ら突然、会社へ電話があ り、「初めて悠彩会展を開催するので、賛助出展 の形で参加 しては しい」とい う光栄なお誘いを受けました。入会 させてもらつた正確な 日付は記 憶にあ りませんが、少なくとも第1回展か ら今年の第20回展まで欠か さず出展 し続 けています。 以下、出展作品を通 じて私 自身 と悠彩会展 とのかかわ りを振 り返つてみま丸 ●第 1回展 (1994年 11月 、会場 :サン ドリヨンクラブ 賛助 出展) 第1回展には、「橋本J(京都府ノヽ幡市、94年 8月のスケッチ)を出展 しました。旧京街道の風景で すが、今は手前の建物がなくなり、すつかり様子が変わつています。 ●第

2回

展 (1995年 11月 、会 場 :サン ドリヨン ク ラブ) この年、1月 に阪神・淡路大震災が発生、私 自身は 3月 に九州へ転勤 とな りま した。第2回展につい て開催是非の論議があったと聞きますが、会場内に 「震災コーナーJを作 りま した。私は同コーナー に 「魚崎」(神戸市東灘区、93年 10月 のスケッチ)を出展。 この建物も震災で倒壊 しま した。 “ ・・I●こ■をヽ ´′″

(17)

●第 10回展 (2111D3年 6月 、会場 :大阪市 中央公会 堂) 悠彩会倉1設 10周 年を記念 した第10回展は6月 に会場を大阪市中央公会堂へ移 して開催 しました。私 は「祝島」(山口県上関町、03年5月 のスケッチ)など4点を出展。この年の6月、ホームページ「民 家と町並み 岸本信夫スケッチ紀行Jを開設 しました。 ●第 12回展 (2004年 11月 、会場 :大阪市 中央公 会堂) 2u14年2月に定年退職、精れて毎日スケッチできる身になりました。その年の第12回展には「東岡 町」(奈良県大和郡山市、04年 8月のスケッチ)など4点を出展 しました。 創設 15周年に当たる2∞7年には4月に有志展を開催 しましたが、10月 の定期展には「塩津」(和 山県海南市、07年5月 のスケッチ)など4点を出展 しました。 ●そ して今年は第

20回

展。「継続は力

Jと

はよく言われ る言葉ですが、相変わ らず r民 家 と町並み」のスケ ッチばか りを続 けています。 われなが ら、よく飽 きないものだ と思 います。 とりあえず、今回の出展作をご覧ください。

(18)

<2

0周

年 に想 う

>

2012年

9月

鈴木

994年

7月

に 、 生 ま れ て 初 め て 関 西 に 転 勤

し て 来 て 、 ま だ 右 も 左 も 分 か ら な い 半 年 で 関 西 淡 路

大 震 災 が 発 生 し ま し た 。 あ と ■

5分

発 生 が 遅 か つ た

ら ■

6両

編 成 の 東 海 道 新 幹 線 が 繋 が っ た ま ま 空 を 飛

ボ と こ ろ だ っ た と 」

Rの

幹 部 が 話 し て お ら れ た の が

思 い だ さ れ ま す 。 顧 客 や 取 引 先 へ の お 見 舞 い や 復 旧

の 中 で 、 悠 彩 会 発 起 人 の 山 田 将 司 氏 か ら 誘 わ れ て 入

会 し ま し た 。絵 心 は あ り ま し た が 水 彩 画 は 初 め て で 、

忙 し く て ス ケ ッ チ に 出 た の は ■

,2回

、 風 景 画 の 会

な の に レ コ ー ドの ジ ャ ケ ッ ト の ナ ッ キ ン コ ー ル の 顔

を 書 い た り 、 ア メ リ カ の プ レ イ ボ ー イ 誌 の 女 性 の ヌ

ー ド を 描 い た り し ま し た 。 ま あ 展 覧 会 の 後 で 打 ち 上

げ の 飲 み 会 が 目 当 て だ っ た の か も 知 れ ま せ ん 。

997年

6月

で 関 西 勤 務 を 終 え 東 京 へ 戻 つ て

既 に ■

5年

で す が 、 そ の 間 筆 を 折 ら ず に 今 ま で 続 け

て 来 た の で す か ら

自 分 で 自 分 を ほ め て あ げ た い 』

で す 。 悠 彩 会 の メ ン バ ー は 毎 月 ス ケ ッ チ 会 を 行 い 切

磋 琢 磨 し て い る の が 、 東 京 の 離 れ 小 島 で 、 描 く 枚 数

も 少 な く 大 き な ハ ン デ を 背 負 っ て い ま す 。 し か し 関

西 に 居 た 時 は ほ ぼ 一 夜 漬 か 二 日 程 度 の 浅 漬 で し た が 、

子 会 社 の 役 員 も リ タ イ ヤ し て 毎 日 が 日 曜 日 に な る に

つ れ 、 ゆ っ く り 時 間 を か け て 描 く 分 だ け す こ し 進 歩

し た 積 り で す 。

私 は ■

994年

以 来 徒 然 な る ま ま に 医 学 書 や 健 康

(19)

本 を 読 ん で 、 人 体 や 健 康 、 病 気 の 研 究 を 続 け て い ま

す 。 そ の 中 で 絵 は 極 め て 精 神 衛 生 に 素 晴 ら し い 効 用

を 自 分 に も 、 描 い た 絵 を 見 た 人 に も 与 え る 事 を 知 り

ま し た 。 大 事 故 や 悲 し い 別 れ を 経 験 し た 人 が 陥 る

P

TSDと

言 う 心 の 病 を 治 す の は 絵 が 最 適 な の で す 。

人 は 辛 い 事 悲 し い 事 が あ る と 、 こ れ を 必 死 に 心 の 底

に 押 し 込 み ま す が 、、こ れ が 心 の 底 に し こ り に な っ て

溜 ま り 、 何 時 に な っ て も 意 識 の 中 に よ み が え つ て し

ま い ま す 。 絵 を 描 く 事 で 、 こ れ を 外 に 吐 き 出 せ る の

で す 。 文 字 や 文 章 に は 否 定 形 が あ る が 絵 に は 無 い と

言 う の も 大 き な 長 所 で す 。 ど ん な 人 も 絵 を 描 く と 無

意 識 の 内 に 心 の 憂 さ を

p■

き 出 せ る の で す 。 風 景 に は

水 平 な 地 平 線 や 高 い 山 や 滝 等 の 垂 直 な 線 が 在 り ま す

が 、 水 平 は 心 の 平 穏 、 垂 直 は 未 来 へ の 希 望 等 を 人 の

心 に 知 ら ず 知 ら ず 齊 し ま す 。 色 も 赤 は 血 の 色 で 、 人

に 活 力 を も た ら し ま す 。 ラ グ ビ ー の ジ ャ ー ジ ー に 赤

が 多 い の も 還 暦 に 赤 い ち ゃ ん ち ゃ ん こ を 贈 る の も 理

に 適 つ て い る 訳 で す 。 青 は 鎮 静 を 齋 し 、 時 間 が ゆ つ

く り 流 れ る 感 じ を 人 に 与 え る 効 用 が あ り ま す 。 太 陽

の 光 は 無 色 で す が 、 ば ら せ ば 七 色 で す 。 ど ん な も の

も 少 し 踏 み 込 め ば 見 え な い も の が 見 え て 来 る と 言 う

事 で し ょ う 。 だ か ら 私 は 絵 を 描 く に あ た つ て は 、 構

図 と 色 に 特 に 注 意 し て い ま す 。 腕 は な か な か 上 が り

ま せ ん が 、 遅 い 分 だ け 先 が 楽 し み で も あ る と 自 分 に

い い

F15か

せ て い ま す 。

今 回 は

20周

年 の 記 念 展 で も あ る の で

,メ

モ 紙 に

ち ょ こ ち ょ こ 数 分 で 描 い た メ ン バ ー の 似 顔 絵 を 全 員

分 出 さ せ て も ら い ま し た 。『 も つ と 俺 は ハ ン サ ム だ 』

も つ と 頭 の 毛 は あ る ぞ 』 等 お 叱 り の 声 が 聞 こ え て

き そ う で す が 、 先 に 上 下 座 し て 謝 り ま す の で お 許 し

下 さ い 。

(20)

<20周

年に想 う

>

と も ひ ろ

友紘

● スケッチは楽しい 会員 と措 くスケッチは、現地に集合 し共々はスケッチポイン トを探 し、描 きはじめる ビジネスマン時は皆 との昼食 もそこそこに、日暮れまで描ききつたが、定年後は昼食後 はそこそこに仕上げゆった り楽 しみながら描いている、描 き終えわつたら仲間と一杯交 わすのがまたまた楽 しい 私は

3回

展から入会 しましたが、ホームベージは

4回

展から物議の上作成 された ●会員 と描いたスケッチ画 悠彩会展出品作品 9回展 新樹光 (長谷寺)

1■

1■i・

1

2012年

9月

¨

8回展 南禅寺 7回展 山笑ふ (落柿舎) 6回展 あおによし 薬師寺重塔 5回展 延麿寺・ 六角堂 滋賀坂本 4回展 伏見酒蔵

(21)

● 製作画は楽 しい 製作画は現地でのスケ ッチ画を基に再構成 し自宅で製作 します、現地でのイマシ・ネ″ョンを膨 らませ (こ こがポイン ト

)誇

張 と省略を繰 り返 し構図を決め、次に彩色に入 り透明水彩故 の技法 (色塗 りの順序等

)を

駆使 し完成 させます、現地での感動が全てを決めます 二年掛 りで現地スケッチ・旅でのスケッチや写真撮影等 と自宅製作 との二重に楽 しめます ● 悠彩会展出品の製作画

(F50号

)作

品 16回展 ベランダの紫陽花 13回展 春 は きぬ 泉大津港 12回展 鐘 が な るま で 平野念仏寺 11回展 黄昏に 夙′‖ 19回展 今 だに炎ゆ (本能寺) 18回展 高速城址の桜 17回展 朧夜の紫審 (サンマルコ寺院) 14回展 宝塚花の道 15回展 爆 春 (ク・ァチアク,ト・■公 園ウ ) 10回展 立山雪渓

(22)

<20

周 年 に想 う

>

2012年

9月

浅野

悠彩会展 に初 めて出展 したのは第4回。その頃 、 たまの休 日に京都や奈 良で散策、時々スケ ッチ な ど してい ま した。その頃のスケ ッチは小 さな 紙 にち ょこち ょこ と、 こんな調子 で した。 プラ′ヽ(第6回 展) その後 は次第に大きな作品を描 くよ うにな りま した。時間をかけて こつ こつ と仕上げるスタイ ル で、年 に1度の悠彩会展 をターゲ ッ トに制作 していた時期です。 ジュネーブ サンピエール広場 (第5回 展) 現地での ち ょこち ょこスケ ッチは続 けなが ら、 水彩画の制作では少 しずつ用紙が大きくな り、 街 角全体 を描 きこむ作品が続 きま した。 その後、現地でのスケ ッチにも、持 ち運べ る最 大 の大 きさ

F10で

頑 張 る時期が しば らく続 き ま した。持 ち帰 って仕上げるスタイルです。 宝津漁港 (第7回展) 四万十,(第9回展) 対象 は次第 に、「水彩」な ら「水Jを描 こ うと水 辺 の風景描写 にのめ り込んでいきます。 伏 兄 ■H屋

(23)

tII江長命寺港 〈第 12回 展) 詢 1〈第 15回 展〉 トレ ド(第19回 展) 配 ヶ丼地 蔵川 三千院への道 風見鶏 の館

10年

ほ どの 「水辺遍歴Jの後 、画 材持 ち運びに要す る体力 的理 由 で、最近は小型化 に向かい、人物点景 を入れた広場や、街角 スケ ッ チの小品に回帰 しつつあ りま九 また足が弱 つて も絵 が描 けるよ うに、花や静物 にも目を向け、今後 も筆 が持てる限 り「描彩Jを楽 しむつ もりです。 素人 画家の遍歴 自己紹介 にお付 き合い くだ さい 兵庫運河 (第14回展) 釧路湿原シラル トロ湖 ましてありがとうございました。

1

(24)

<20周

年に想 う

>

2012年

9月

杉 立 稔

1997年に この会 の方 と偶然 の出会 い に よ り第

4回

展 か らの参加 とな り、今 回の第

20回

記 念 展で早や 17回 目の出展 とな ります。 長年、時間が出来れば絵 を描きたい と思っていたのですが中々その切つ掛 けが無かった のですが本社勤務か ら東京車社への勤務 となった事が絵を描 く後押 しをしてくれたのか と 思っています。 ■

993年

か ら油絵のカルチャークラブ錬 京)に通い始めることにな りま し たがその当時よ リブルー色に関心を懐 くようになつていま した。その後、本社勤務 とな り その後、本格的に水彩画を描 き始めたのは1997年か ら風景画を年間6∼

7枚

程度 しか描け ていませんで したが、今では風景画だけではな く人物、静物、クロッキー画等でよ うや く

70枚

程描いています。 これからも青 (Bhe)の原色であるラピスラズリ(瑠璃)のウルトラマリンに拘りながら多少なりとも何か │ 印象 に残 る絵 を描きたいと思つています。

*2007年

よ リホー ムペ ー ジを立 ち上 げてい ます。 ア ドレス は URL:http://sutttate lp/ま たは ヽLヽ

H00か

Googleで杉 立 稔(すぎたてみのる)で 索してください。 1993年一油絵

タイトル

:瀬

戸 の海 第4回展(1997年 11月

)初

出展 会場:サンドリヨンクラブ タイトル

:長

谷寺

(25)

5回

展(1998年 11月

)会

場:サンドリヨンクラブ 第 10回展(2003年 6月) 第

20回

記 念展 では学生時代 よ り気 僚 都

)の

四季 シ リー ズで、 ズです。 タイトル:ヴェネッア シリーズ4点 タイトル:姫路城 第 15回展(2007年 10月

)会

場:大阪市 中央公 堂 タイトル:大阪城 雪映・月光 シリーズ に入 つていた風景 で長年温 めて きたテーマ 三 千院 特 に描 きか った雪 の三千院 「雪映」 は

3作

の シ リー 会場:大阪市 中央公 堂

(26)

20周

年 に想 う

>

田 中 豊 今 回

20回

展 ですが、私 は

4回

くらいからの参 加 です。もう亡 くなられた 山 田さんから勧 誘 を受 けて入 会 しました。この会 を立ち上 げ運 営 してこら れた方 々に敬 意 を表 します。 私 自身 は人物

.3物

、鳥 なども描 くのですが、展 覧会 の出 晨 作 品 は原 則 、水 彩 の風 景 であるということさえ長 い間 知 らずに月例 のスケッチ会 に 多 加 し楽 しんでおりました。運 営 のご苦 労 に感 謝 します。 表 題 とは少 しずれますが、今 回 のモチーフである近 江 八 幡 と竜 野 城 に ついて書 かせていただきます。 近 江 八 幡 は滋 賀 県 湖 東 の町 で、水 郷 であり商 人 の町 ですが 、歴 史 の 上 では豊 臣秀 次 が築 いた城 下 町 だそうです。町 の 区割 りや八 幡 堀 などこ の人 の聡 明 さが しのばれます。 今 年

5月

のスケッチ会 で行 つたとき、ケーブル で人 幡 山 に上 がってみ ました。昔 、社 会 人 になつてまだ間 のないころ、山 上 からスケッチしたこと を思 い 出 したか らです。そこか らの景 色 は昔 と変 わ らぬ もの でした。田 植 え前 でしたてしょうか広 々とした水 田 、大 小

1対

の日 、琵 琶 湖 そして対 岸 までを臨 むことができました。

(27)

,ン′ャ ′.´

,■

ヽ .´^ 竜 野 城 は大 手 間 です。私 が行 つたときは平 日でもあり」

R本

竜 野 で電 車 をおりたそのすぐ後 の線 路 の上 を野 生 のキジ(♂ )が のんびりと歩 いて いました。竜 野 は西 播 磨 、揖 保 川 沿 いの素 麺 と醤 油 のまち、唱 歌「赤 と んぼ」の作 詞 者 三 木 露 風 氏 生 麗 の地 です。城 は、もとは赤 松 氏 の居 城 で したが、その後 、蜂 須 賀 、福 島 、池 田 、本 多 、小 笠 原 、東 極 などの名 円 城 主 を経 て長 く脇 坂 氏 の城 でした。脇 坂 氏 の出 は近 江 で初 代 は安 治 〈陣 内)だつたそうです。この人 は羽 彙 秀 吉 が柴 田勝 家 を湖 北 賤 ケ岳 に 攻 めたとき、七 本 槍 の一 人 として若 い頃 の加 藤 清 正 、福 島正 則 、片 桐 勝 元 、加 藤 嘉 明 らと共 にその名 を残 しています。徳 川 の時 代 に入 り、元 禄 赤穂 事 件 のあと、赤 穂 城 明 け渡 しに立 ち会 つたのはこの脇 坂 家 ですから 江 戸 幕 府 の信 頼 も得 ていたことと思 われます。その後 も腟 坂 氏 は代 を重 ねて明治 維 新 までこの城 と領 地 を守 り抜 きました。 そんなことを思 いながら

2点

の絵 を見 ていただければ嬢 しく思 います。 (平成

24年

9月 )

(28)

20メ司左Fに変量う

<も

う一つ の絵画

>

耳か きの 自画像

2012年

9月

黄野俊明

2004年

、フィレンツェの留学先、I・ S・

A(国

立美術工芸高校

)で

、初めてカル コグラ フィア (銅版画技法

)と

出会い、そこで

2年

間、そ して卒業後、同校でまた

4年

間市民 講座の一つ として学びま した。 イメージをインクで表現す る、 もう一つの絵画 として魅了され、帰国後 も、プ レス機を 買つて続 けています。技法はいろいろとあ りますが、主にアクァフォルテ (エ ッチング) とプンタセ ッカ (ドライポイ ン ト

)を

しています。 ポンテベ ッキィオを運ぶ人

2010

ア ックアフォルテ・ア ックアチンタ

(29)

横 たわ る女

2007

プ ンタセ ッカ 静夜 2006 プ ンタセ ッカ 一緒に行 きませんか

2008

ア ックアフォルテ・ア ックアチンタ

(30)

20周

年に想 う

中西

征雄

絵の世界に入つたのは1999年、会社の先輩から「悠彩会入会Jを勧 められたのがキッカ ケです。 自由人になつた今、絵 を描 く事無 くしての生活は考えられず、改めて先輩に感謝 する しだいです。描き始めて 3年日、たまたま地元二日で 「葦ベ ン画展,があ り、その画 風に惚れ込み、以降難 しい葦ペ ン面に取 り組んでいます。

20周

年にあた り、描 き始めてから今迄を振 り返つてみたいと想いま丸 ・ 描き始めた頃

(1999年

11月) 休 日は家にある物を片う端か らデ ッサンした。風景も自宅付近で人の目を気に しなが ら 恐 る恐 る描いていた。 最初の頃のデ ッサン

最初の頃の風景スケッチ ・ 7回悠彩会展に初参加

(2000年

11月) 描 き始めて約1年、恥ずか しながら出展 した事を思い出 しま丸

(31)

・ 初めての個展開催

(2004年

11月 ) 会社定年を機に思い出として個展開催 した。描き始めて5年、まだまだ早い と思つたが 決断、多 くの皆 さんに来ていただき開催 してよかつた と思いま した。

□□

EIEE□

初めてのスケ ッチ集出版

(2011年

7月) 約3年をかけて四国人十人簡所をスケ ッチ、絵の先生、絵仲間か ら製本 した らとの 勧めもあ り、初めてスケ ッチ集 を出版 した。皆 さんから好評で制作 してよかつた と思 う。

(32)

I 1

<20周

年への想 い

> │

2012年

9月

小泉

勝是

◆ 悠 彩 会 初 め ヽ

"作

J晶

(^人

;) ●2001年 に入会して直ぐに京都蹴上周辺の写生会 に参加した。持参したのはFl号(A5版 相当)の小 さなスケッチブック。さすがは京都の観光地、沢山 の人波、スケッチブックを広げる勇気がなく、散々歩 き回つたあげく、人が来ないところでこっそり描いた のが左の作品。中学校以来何十年ぶりで描いた 悠彩会での初めての作品であり、本当に懐かしい 思い出が詰まっている。 ◆ 写 生 会 が 修 行 の 場 く

^^)′

事 ●毎年の悠彩会展は大きな刺激があり、“新たな向上を志す場"であるが、年間約 10回 開催の写 生会は貴重な“修行の場"である。 ●描くという動機付け。 o無欲無心のひと時 。仲間から描き方を学ぶ。 ●絵にまつわる様々な情報入手。 →画材、関連道具、画材店、他展覧会、スケッチポイント・ o自 分だけではなかなか行かない近餞―円のちょっとした小旅行。 ●仲間との交流。 oそ して描き上げた後

?の

一杯。 これからも写生会に積極参加し、沢山の刺激を受けながら30周 年に向かって描き続けたい。

(33)

‐ で 【ま

12年

間 の 成 果

:ま

?(^0∼ )v

●写生会の一番の楽しみは、午前中に何がしかを描いた後の昼飯と喉を潤す一杯。しかし、飲ん でしまうと、もう創作意欲が失せ、彩色もせず中途半端のまま眠ってしまう作品

?が

多々ある。以下 は運良く完成した作品の一部である。一応良く描けたなと自己満足している。 奈 良公園 鷺池 大 阪 通 天 閣 神戸港 大阪 松屋町(空掘) 神戸Jヒ野 住 吉 大社 京都 鞍 馬

(34)

<20周

年 に想 う

>

2012年

9月

杉浦

会社の先輩 柳 田友紘 さんの紹介で

2000年

の夏、明石のスケ ッチ会に初めて参加 そこで審査があ りま したが、顔パス

?で

入会出来て、年齢制限ぎりぎりの

55歳

で した。 もともと絵画には少 し興味があ りま した。それは営業の仕事柄お客様 との交流が多 く、 その中で

A保

険会社の

T社

長様か ら平山郁夫 さんの画集 を頂戴 し、興味が増 しま した。 瀬戸内海 の小島、尾道瀬戸 田町の平山郁夫美術館 にも何度か足 を運びま した。 これは 11回 展 (2003年

)展

示作品 橋シ リーズの1点です。 しまなみ海道 尾道橋 その年の阪神 タイガースは 星野監督の下

18年

振 りに リーグ優勝 し更に

2005年

にも 岡田監督で優勝 常勝球団 としての名声を確実に したのです。 しか し その後はダメ虎で、暫 くは出展が難 しいのが現状です。 これ は 13回展 (2005年

)展

示作 品 甲子 園 シ リー ズ の 1点です。 究極 の感 動 ノ

(35)

全国各地の名所を求めて現地へ行 くのが楽 しみです。期間限定「青春

18切

符」で1人旅 や前の会社の友人達 と一緒にスケ ッチ しなが ら訪ねています。 ます祭 リシ リーズでは青森・ねぶた、秋 田県・牛燈、仙台・七夕、徳島・ 阿波踊 りそ して 近郊のお祭 りなど多魏 名所 旧跡では軽井沢の自糸の滝、熊本霧 島神社、徳島祖谷のかず ら橋、山口津和野、長野 自川郷などです。 これは17回展 (2009年

)展

示作品 祭 リシ リーズの1点です。秋 田竿灯 光の稲穂 これは19回展 (2011年

)展

示作品 祭 リシリーズの1点です。徳島 阿波踊 り 悠彩会入会後に生まれた孫達が早いもので小学生か ら幼稚園までの男

4メ

、 最初の写真 は今夏高野山へ皆で行き、そこの宿坊でスケッチ した時の写真です。少 しだけ体にガタが 来ていますが、まだまだ仕事に、趣味 (ギター

)に

、ポランテ ィア (農と食

)に

、スポー ツ (実行 と観戦

)に

、や る事が多 く「和 を以て貴 しとな しそ して生涯青春・現役」の気持 ちで進んで行 きたい と強 く感 じています。 マラソン競波 に例えれば

20回

は丁度折 り返 し地点で、残 り

22,195回

が残 つています。 全員が最後まで完走出来ます様に、そ して これか らも皆 さん と長 くお付 き合いいただきま す様に、何卒宜 しくお願 い致 します。

(36)

<20周

年 に想 う

>

2012年

9月

宮崎

良彦

H2498

枚方宿 にて 悠彩会 に入会 させて いただ いて か ら、10年が経過 しま した。 私 の趣 味は広 く浅 くで、 どれ も物 にな らな い ものばか りですが 、そ の中で 一つ の事 を10年も続 けて こられた のは、悠彩会 のおか げで ある と感謝 して お ります。 悠彩会 には、大 阪市 の

OBで

あ る松 島 さんか ら声 をか けて いただ き、 当時の 幹事 の方 の面接 を受 けて入会 が認め られ た事が 、今懐 か しく思 い出 され ます。 、、今 当は、松 島 さんか ら会 の会 計の役 を引き継 ぐ予定で したが 、私 自身の仕事 が年々忙 しくな り、引き継げないまま今 日に至ってお ります。松島さん申し訳 あ りません。 今 も、なかなか落ち着いて、絵 に没頭することが難 しい状況 にあ りますが、

自分自身にとっての、癒しの時間の一つとしていきたいと思います。

(37)

― ― ― ― _ │: 一 ― ―

,

, │: , , r , 岬 嘉 、 撼 ホ 黒 “ . い   時 ヽ o N \ ヽ

(38)

1 1

│■

<20周

年 に想 う

>

2012年

9月

西

最近

感 じていること

□まわ りに年 寄が増 えて きた。 日々の暮 ら しを情性で生 きて いる人 一人で生 きて きた とばか りに我が物顔 の人 ・・・・ き っか けは難 しいけれ ど皆 と一緒 にやれ ば、 楽 しい こともあるの にね ロフ ァ ッシ ョンや追 っか け と思 いきや、男の聖域 も占領 され つつある男女の逆転現象 いや、男女の特性 、見方の変化 ・・・・ 固ま った観念 の社会 でな く、変化 し続 ける方が 楽 しくて、強 い社会 にな るね □世の 中の縮 図に も見 えて きた子供 た ちの世界 ・・・・親 や 、まわ りの人の ことを気 に しすぎるんだね 、 優 しくて、 い じらしいんだな あ、素直で強 い子 に 大 人 にな つてほ しいね □自分の 日だすものが分か らないまま、まわ りの人たちか らの期待を背負い、ジレンマ に陥る若い人たちの苦悩 ・・・・ 皆、暗いと思っているけど、若い人がいるだけで 活気があるのにね、永い日で見たいね なんだか皆が同じ世界 にいるように見えて くる、 今、は じまったことでな く、音か ら 未来永劫 続 く人間の世界 無理 して 自分の生きている、生きた、証 しなんて、残さな くていいん じゃない、 普通の人々にとって、

100年

もたてば、血縁者だ って先の人達のことは忘れて しまう それよ りも、今を大事 に生きようよ、人が一生懸命 生きていることが、皆の心に残る よ、皆 と歓喜 しようよ

(39)
(40)

<2

0周

年 へ の想 い

>

2012年

9月

阪 野

秀 則

★ 絵 とは程 遠 い 私 が何 故「悠 彩 会 」に入 っ た の か ? 同 じ会社で呑み会には山田将司 (故人

)さ

ん、仕事では和 田幸士 さん と良 くご一 緒 して頂 きま した。ぞんな時に山田さんか ら今週末泊 りがけで異業種間の親睦会が 有 るので参加す る様に との声を掛け られま した。 当時、 りん くうタウン開発 (関西空港向い側の埋立地開発

)計

画 を三菱 グループ が中心に異業種会社の集ま り「おおぞ ら会

Jが

有 りその関係者での懇親呑み会 と思 い参加す る返事を しま した。 処が山田さんに呑み会前 日、阪神百貨店横の画材屋 に連れ られて

F2ぐ

らいのス ケ ッチブ ックと絵の具 (固形 タイプ

)等

を買え と言われ始 めて 「悠彩会」が呑み会 で無 く絵 を描 く会 と知つた次第です。 和 日 さん か らも当時 の思 い 出 が綴 られ て い ます が初 回 ス ケ ッ チ会

(1993年

2月 )を三 田奥 の伊 丹 山荘 で実施 され ま した。そ の際、何 を どの様 に描 くのかサ ッ パ リ解 らず 師 匠 で あ る中沢 さん の描 かれ るの を見 な が らご指 導 を受 け左 記 の作 品 が 出来 た次 第 です。 ☆ 休 会 か ら再 入 会 不幸にも二年後

(1995年

1月 )阪

神淡路大震災が発生、昇降機 を担当 し ていま したので復 旧等に奔走す る事 とな り残念なが ら休会 して しまいま した。 その後 も悠彩会の展示会には観に行 きま したが皆 さんの腕前が ドン ドン上って 行 くのに驚嘆 した次第です。 山田さん、和 田さんか ら再入会のお話 を頂 きマタマタ安易にお受けして しまい ま した。 休会 中は絵を観 ることは有つても描 くのは全 く無かったのですが

14回

展 より 参カロしま した。

(41)

★ 先輩諸氏か らのご指導

今までに教えられた事をこの機会に纏めてみます。 間違った理解をしているかも? ・ 山 田 さんか ら 陰影 の無 い絵 は絵 で は無 い 。 西沢 さんか ら ゴテ ゴテ と塗 りた ぐる と水彩画 の良 さが半減 す るよ。 色 を混ぜ る程 、透 明感 が無 くな る よ。 ・ 木 島 さんか ら 絵 の腕 を上 げ るには、一枚 で も数 多 く絵 を描 く事や。 その為 に も早 く描 け る様 に。 ・ 増野 さんか ら 画用紙 はアル シ ュや で。 訳 の解 らん物 を使 った らアカ ン。 絵 は 自分 の描 きたい様 に描 けば良い のや。 ・ 和 田 さん、松 島 さんか ら 安 い絵 筆 ではダ メ。 少 々高い物 を使 い な さい。 ・ 岸 本 さんか ら 、

画用紙 の左上側 か ら描 けば鉛筆 で絵 が汚れず に描 け るよ。 ・ 柳 田 さんか ら 描 きた く無 い所 は描 かな くて も良い。 ・ 館 さんか ら 絵 は上手 く描 けな くて も良い。 楽 しみ で描 くのや。 悠 彩会 の多 くの人達 か ら今 も色 々 と教 えて も らっています。 この会 に入 り絵 を描 く楽 しさを教 えて頂 き、良 き仲 間 を得 られ た事 に感 謝 して い ます。 ★ 絵 に 興 味 の あ る 方 、 これ か ら絵 を 描 こ うか と迷 つ て い る 方 上手 な絵 、綺麗 な絵 、バ ランスの良い絵 は随所 に観 る事 が 出来 ます。 逆 にヘ タで汚 くバ ラ ンスの悪 い絵 は メ ッタに観 る事 が 出来 ませ ん。

これ か らも誰 もが出来 ない 「ヘ タでアジのある絵 を」描 き

続 けよ うと思 います。

皆 さんもご一緒 に どうですか。

(42)

記念すべ き

20回

展 にあた り

平成

21年

に入会 させていただき、これ まで、活動 を共 に させ て

いただいた ことに対 しま して、心か ら感謝 してお ります。

4度

日の出品であ りますが、絶 えず会員 の皆 さんの個性的で、素

晴 らしい作品に刺激 を受けて、描いてきま した。

これ か らも、本会 の発展 とともに、頑 張 ります ので、 どうか、

今後 とも応援 のほ どよろ しくお願 いいた しま丸

ホームページで作 品を更新 しています。

「伊藤

隆」で検索

! httoミ

w6.ocn.neJp/― gavuiin/

(43)

「愛媛 。内子町 内子座 」

(44)

20周

年 に 想 う 〉

2012年

9月

1980年

代の後半だつたと記憶 していますが、佐藤さんと 故 山田さん

のお二人か ら水彩画を描いてはどうかと勧め られ、画材―式の購入につき合

っていただいたことを覚えています。

お二人とは絵以外でのおつき合いが多かつたと記憶 していますが、本当に

その時のことが懐か しく想い出されます。

その後

1994年

に第

1回

悠彩会展が開催 され、私も会員の端 くれ として

出品 し、それ以降中断 した期間を除き

2∼

3点

を出品 してきま した。

今回その悠彩会が

20周

年を迎えるとのこと、誠に年月のたつのは速いも

のと痛感 しますが、私は今回の

20周

年の想い出として、この間今でもその

当時のシーンを詳細に覚え、想い出す ことの出来る数点を年月等に関係な く

出品することに しま した。

出品 した作品は稚拙な物ですが、一点―点同行 した人達 との会話、場所の

選択、製作後の品評懇親等一生の想い出として残るものだと思っています。

これも水彩画を描きだ し悠彩会に入った賜物と感謝 しています。

悠彩会の

20周

年にあた り、その想い出として拙いことを記 しま したが、

同会が今後ますます継続、発展することを祈念 しています。

(45)

<20周

年 に想 う

>

2012年

9月

小 野 田

行 男

私が悠彩会に出会えたのは、 ウォーキングで訪ねた交野市の古い街並みが気に入 り、ネ ッ トで検索 した ら

Kさ

んの 民家 と町並みスケ ッチ│ご出会い、そこか ら悠彩会を知 ることができま した。 その時は、年令制限があ り入会 した くて も、出来ない時期で した。 その後、入会制限が

60歳

まで引き上げ られ、悠彩会メンバーの

Nさ

んを紹介 して いただき、

2010年

11月 に体験参加でスケ ッチ会に参加 させてもらいま した。 その翌年

2011年

1月 より、悠彩会に参加 させていただ く事にな りま した。 今年で2回 日の出展にな ります。いままでの歴史を作 られた諸先輩に乾杯。 悠彩会展20周年に乾杯。

私の思い出のスケ ッチ

左が

20年

前に書いたスケ ッチ 右が10年前に書いたスケッチです

1992年

NewbrkCity

クつケンヽイム美術館にて ど

"■

,M

、ut=υ い

2002年

(46)

お気 に入 リギャラ リー

海外編

Roma

ヒ″]の 丘よリハ・ウン眺む 日本編

Wbll

朝 のシステファン寺院 Paris ホンセト'■=よ り市内アパー ト群

1年

¨

p.rl 冬 の城崎 朝起 きる と雪景色 ― ´ ‐‐■.. 奈 良 信 貴 山=御神木 と鳥居 京都 大原 始 めての悠彩会 スケ ッチ

(47)

<20周

年に想う

>

2012年

丸 住

醐   笠 [

悠彩会に入会してまだ

1年

と少しですが、20周年という悠彩会にとって記念すべき 年を、諸先輩方とともに迎えられたことをとヽ 嬉しく思います。

■ 饉影会との出

atl

∼2009年 毎週末ひとりでスケッチに出かけていました いつもr絵を描 く仲間 がいた らもつと楽 しいだろうにJ・¨と思つていました 2010年 春 京都高台寺近くのスケッチポイントで偶然、悠彩会の増野さんと お会いし、スケッチを拝見していつぺんにファンになりました `

同腱 ろ岸本さんの

HPに

出会い、

PCの

「お気に入りJ筆頭に登録 しました 2010年 秋 悠彩会を知り皆さんの仲間入りをしたいと強く思うようになりました。 2011年 春 「会員募集」に応募し、はじめてスケッチ会(神戸市相楽園)に参加 しました 2011年 夏 入会を正式にご承認いただきました 悠彩会の醍醐味は何といつても毎月のスケッチ会です。みんなでひとつの場所(エ リア)を描くのは、ひとりで描くのとは違い賑やかで気分が盛り上がります。スケッチの 後の昼食会では、まつ昼間か らビ ールが飲める楽 しみがあります(た まにこつちがメインかな、と錯覚する こともあります)。 また、年1回の悠 彩会展は、私のつたない絵を多くの 方々にみていただける素晴らしい機 会であり、プレッシャーであると同時 に創作活動の励 みになつてお りま す。絵筆とスケッチブックで、(おカネ じゃなく心の)豊かな人生を送れるよ う、悠彩会の皆様 とともに歩 ∼ でい きたいと思います。 悠彩会でのはじめてのスケッチ(神戸市相楽口)

(48)

悠彩会が20周年を迎えた本年、わたくしも生まれてちょうど50周年を迎えました 長くも短くも感じる半世紀、思えばいつも絵を描いていた気がします。

■半世紀のあゆみ¨

1962年 京都に生まれる。 1974年 友人の影響で漫画(もどき)を描く。 1976年 『宇宙曖艦ヤマ ト

Jの

模写にはまる。 1977年 京都洛南高校(男子校)入学。 美術部入籠 1977年∼79年 女子■彙術部 との合同スケッチ会 文化祭プログラムのカット(高校時代) が楽 しくて楽 しくて しょうが なかつた青春の日々。 1982年 関西大学入学。 1984年 滋賀県展に出展するも潟 乳 1986年 ミドリ電化(現:エディオン)入社 1986年 ∼2003年 仕事に結婚、ついでに離

"…

・ 駆け抜 ける多忙 な日々。 2004● 嵐山で出会つた日本画家の先生に『 アンタの絵はクソニ薔 日で面白み がまつた くない」と言われ、おおいに凹む。 2005年 ∼2008年 ヘコみながらも何とか描き続ける。 2009年 努力の甲斐あつて?「高槻デカ絵画展」に入選。 2010年 「大阪を簡こう展」「関西水彩画展Jにもまぐれで入選。 2011年 奇跡的に再婚。そして悠彩会入会。で、今に至ります。 継議にさ嘘 を描く(大学時 代のパイト) ベネチアにて

(49)

<20周

年に想 う

>

2012年

9月

和秀

大 阪 `神 戸・奈 良・ 京都 そ して旅先 で美術館・ 博 物館 を訪 れ始 めた頃 で した。 北新 地 のスナ ックで 、入会後 見人 になって いただい た柳 田先輩 と親 しくさせ ていただい た御縁 で、

2004年

入会 させ てい ただ きま した。

8年

にな ります。 定例 のスケ ッチ会 で は、皆 さん には 自分 の稚拙 な技 量 に も関わ らず ワンポイ ン トレ ッ ス ン もいただ きま した。 風景 のポイ ン ト探 し、そ して構成 、教 えていただ きま した。 当 日最後 まで仕 上 げ るス ピー ド、手 よ りも決 断力 を鍛 えな きゃ、課題 です。 ヽ スケ ッチ会 の楽 しみ は も う一つ 、い ろん な土地へ行 け る こ と、先 週 は 中書島、一度 は訪 れ たかった 「寺 田屋J、 あの 「竜馬 が ゆ く」お りょ うさん が顔 を出 して くれ そ うな作 まい で した。 悠彩会展には、第12回展 よ り出展、累計12点、内

3点

を身内が飾って くれています。 子供 らが巣立ち、ア トリエ とはいきませんが大きなイーゼルが眩 しい一室もできました。 技量向上のため、水彩画教室にも通いま したが、定年後が楽 しみです。ホルバイン水彩 絵の具も50色にな りま した。暖色・寒色 … 混色 も楽 しいです。今朝、見事な 日の出、 エメラル ドの空にピンクの雲、自然のいや神技としか思えない配色でした。表現でき ればと思 うのですが。そ して静物画 。人物画、いつの日か水墨画にもチャレンジしてい きたいものです。

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参照

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