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香川懸の産業 (七)-香川大学学術情報リポジトリ

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(1)

地方経済事情の部分的研究の叫だして本統には琴申町に裁きての研究を掲ぐ。

琴平町に就いて

琴平町重職田芳大武ほ町政並に町甲蟹展にこ圧非常に親心lこ一身ね賭して之に箇られ、其の計歪¢樹立に苦心ぜられ、其り淀 迂潤な事は今更吸々すろ迄もない串でぁるが、多少写りミも他山¢石ミなり、参考ミなれば仕合ぜであろ。文中琴平町の人々 招かれて歯糞講演曾に出席し圭際牽率町を一越して感じた審ね次lこ沓与逸れて見厚いミ思ふ。元より我々の簡際問題に封して 沓にこ全力ね傾経ぜられて居られる串は、夙lこ知られて居ろ革質であつて、我々の常に敬服Lて居る次第でぁる。過日同町から に封し非祀な革も砂少でない樺でぁるが、特に芳盈¢町民緒氏¢寛恕ね乞ひ、=んな夙にも見へるかな位め程屡で見逃しみ御 駁ひする次第でぁる。尚町長ミ共に常に同町商工尭の蟹展にこ努力ぜられて居る商工曾長丸井惣着街門虎に封しても同様跨い敬 意を表するも¢でぁる。 香川戯の慮発︵琴脊町に就い・て︶ ■ 一撃軍町¢概妄 二 琴平町¢短所 三 交通¢密通ミ賓客の種轍 l− 1 ノ ︵七︶

願 の 産業

四 賓客招致の方法 五 土 産 物 六 富倦ミ協力

木 村 元 治

︵こ三こ 七三

(2)

l

琴平町は香川喋仲多度那の中央にあつて、図解中鹿金刀比雁宮の鎮座する象頭山の東山麓に在る。

明治維新前に於ては金毘羅ビ稀へられて居たが、維新後琴中村ご改められ、明治二十三年町村制賓施

旦同時に琴示町ビ改稀され、面積は○、一九三方偲、東西二十一町、南北十九町竿、十九億の町蜜十個

の橋梁ビを宿す。永く他町村空合併せず、殊に地方的産業に見るべきものが無いので、人口は増殖き

れサ、若きは撞く出で、家には老弱婦女子の留まるものが多く、此の教卒間組人口は約六千に留まつ

て、一声数十人を擁する放館なぎが有るに不拘、一月平均四人等位に過ぎない琴は同町町長の深く概

して居られる所である。大物主神を正殿に祭り、崇徳天皇を粕殿に配った琴中神赴には、塵詣客四時

紹へた事なく琴卒輝から琴平山の中腹まで六十軒の族館ど百十軒の土産物商が覇を連ねて屈ものであ

る○

今琴申町の長所、短所を見るに光って先づ、香川燦人共通の長所短所を考へて見度いざ思ふ。幸ひ

之に付いて最近香川棟数背骨の商議員脅から、株普尽へ答申する塞が静表されたから之に接つで見る

串ビする。

︳ 欝こ食 欝こ.蚊 ハニ三園︶ 七四

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(3)

零川嬢螺民塵の短所ご認むペき点 て嫉妬心一、面種腹背の念濃厚なるこミ : ニ、共同叫致の精神に乏しきこご 三、創造性に乏しく、堅忍、持久、進取、向上の念少なきこご 四、戚備に走り理智駒判断に乏しき 五∵目前の利益に執着し、大局に立脚せざるこご 六、射停心強く、着賃の気風乏しきこど 七、時間観念薄く、能率曙進の念乏しきこミ 香川燦々良性の長所ビ認むべき点 二常識、に富み、機智に長するこミ ニ、模倣性に富み、手段に長するこビ 三、温順にして、親切の風あるこご 四、文革美術の趣娩に長ずるこご 五、細心にして節約貯蓄の風あるこミ 以上の各項が果して何の程度迄眞理であ.るか、確言する革は出凍ないのであるが、今綴りに此め楼 香川麒り産業︵琴平軒に就いて︶ ● ︵二三三︶ セ玉

(4)

戸〒〒▼ 弱 ︵こ三四︶ 屯六 第こ巷.弟二舵 な共趨性が稼民諸氏にあるものごして、之を琴平町に嘗て飲めて考へて見る。 第ノーに燦民は嫉妬心が多いビ云ふ事に嚢しては最近琴卒電餓の食堂問題がある。叉ケーブル登山餓 道の問題もある。他人の計毒した畢を一度は反刻して之が成就しない様にする。勿論之は二っども憲 夫年間題でぁって町民の多数の死活に関する事であるから軽々に諭ずる事は封凍ないが、少くども有 望ビ患はれる他人の計畜を嫉妬するビ云ふ傾向は全然無いどは云はれない。 第二に共同鵬致の精細に映げで居るとの事であるが、聞く所にょるピ土産物商同業組合は正札販鷺 の革めに特に設けられたのであるが、軒先きに楕固型り赤い看威き、桂に短冊型の掛看板を出して居 るのみで一向に正札閲如の賓は上がらす、依然せしで懸佑なぎが稲はれて居るビ云ふ箪であるが、若 し之が事賓であるならば、こんな看板一ざ出しで居る史け却つで町の信用を傷けるのである。その原因 は少数のものが脆け駈けをして儲け横ビするこどかち起る競学の結果であつて、共同山致の賓の寒が らな心慮である。町ぜ商工曾は常に一致して之に交油機閲業者の全部及び町民は多少の不利は御互ひ に耐へて全て山国ミなり、例へば納涼蜘の催しが通れば金町馨って之に普って、ま腱は町に重ねて町 民は傍観するビ云ふ様な態度を探らすに共存共螢を計らなければならない。不正ち商人があらば之に 充分の牲意を輿ふるこぞも共同の上から必要軍事である。 第三に創造性に乏しいぜ云ふ瓢に就ては琴平百十軒の土産物商土産物に裁て見ても分る。何一つご

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(5)

して琴申でなければ得られぬビ云ふものがない。最近︼刀彫なざが出挙、未だ琴中名物ぜはなつて居 ないが、之等は非常に尊ぶべき事であるが、他には僻、抽べしなざを除いて殆んざ地図から凍たもの

セある。其の挿琴青空ハ十に及ぶそ云ふに到っては寧ろ驚しペきものであるが、さて一つどして東

京、大阪方面の人に対して珍らしいものはない。到る轟から各種の品を集めたのみで雑然せして並ん で居る有磯で、琴卒猶時のものが無いっ模倣は狗別に先立たず三富ふ謹の通わ何んなに巧みな模倣で も結局の追従に過ぎないので何時迄立っても山歩も先きんずる串は出凍ない。 第四に戚備に走b易いビ云ふのであるが、よく新聞紙上等で町民大倉等は盛に術はれて、甲静乙威 せらるヽ革を聞くが琴申町に普る例を今見出す寧が出凍ない。 第五に目前の小利に執着して大局に立脚せぬミの琴に裁ては、前記の琴平電餓の食費辟螢に反射す るが如き、 考へて永久の砲利を思ほない結果である。例へば今此所に新しい禽鹿を起すビ偶定するご、初めから 配管の確賓なもの即ち少しも企業的の危険の無いものでなければ手を出す老が少ない。無配常が少し く繚くだ直ぐに解散し て仕舞って今少しく堅忍依持し苧フ三富ふ寛がないのである。︼般に企業に射 する観念が消極的であつて、有編な人が非常に多数なのに不拘、大倉政、大事業が出現しない。貯藩 は骨相常にあるが之を自ら活用せすに金て他力に委ね、自分ほ定期預金で僅か六分か七分の利金を有 香川魔の産米︵琴平町に就いて︶ ︵こ三五︶ 金恕 、、垂

(6)

第こ懸 廃こ兢

︵こ三六︶ 奄八 難しゼ心得て居るのである。集められた資金は背稀外に持出され貸出されて螺外の生産事業に使用さ れ他棟を利して居るビ云ふ畢になるqつより小さな利益に安閑ビして大利を慮らぬビ云ふ傾向はある 第六に射倖心が強い三.憲ふ串は琴卒を中娘だした仲多度⋮常に小鳥が素晴らしい流行をした事に現 場れて屠りはせぬか。小鳥の飼養其のものは株式の投機ご異って︼面から云へば必づしも排斥すべき ものではなく、農家の副業せして寧ろ奨励すべきであるけれ共、之を飼養する動機に患い所があるの であ虻。小鳥を飼へば自分の楽しみになち、早朝から晩夕迄投餌其他保護に苦心して多大の労苦を要 す逢串であり、家族的に努力しセ結果の賜であるから、待た収益も湯水の様に使消されるビ云ふ様な 革も少な小のでゐ牒が、只親裁侍姉の土地を蛍彿って乾坤山榔大金を之に投じ、一挺千金を夢見るビ 云ふ様な人も嚢いどは云へぬ▼のである。薦めに養弟なざは非常に磨れて看貫の風が或は乏しくなつた 様にも思はれぬ事はない。 最后濫時間観念の薄い事に試ては全ての集合なぎに集まるものゝ間に高給には高松呼野あり、琴卒 美は琴年時間ある寧は全ての人の認むる所であつて、催促を受けてから出るのを以て誇卜二こする夢は 早く優し磨いものであるL﹄放館等の中食に二時間も待たされた例もこの項目に入れ得る。

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琴卒町は交通よく澄通し、殊に最温琴平電戚が高根に直通しで一段の便利を加へたのであるが、今

琴卒町を中心ピtて其の概況を見るミ︵地図塵照︶ 琴琴線︵省線︶は善通寺を経て多度津で讃濠線に合し1丸亀、坂出を経て高故に通じ、真に海を渡っ

て宇野線に接穂し、岡山で東京行き、下陶行きに逗給する。一方多度津から漁港線は西に散って観音

寺、南條を経て伊艶のぬ山に至る。

土讃線︵省線︶⊥琴尊から階下して財田に至る。近き牌凍に延長して池田に到れば高徳線に合して、

阿波徳島に連絡し、叫方地由から更に南下もで、所謂四囲縮賃銭造が完成すれば、土佐の高知に通す

る撃どなつて琴年町は卦四隊に逸する重要克や心鮎ぜなるのである。

琴牢感官電餓〝琴尊から善通寺を軽七丸亀に出で省線に接する扱ご、蕾通尊から多度津へ出て尾逸

行きの汽船ピ連絡するものごあるn 琴中電銭毒高級︶ 本年三月十五日開通されたものであつて最新式の寧輸を使用して居るが、高松

絡艶め位地が現在は不便の地優にあるので省線の乗客を何の程度迄に引受け得るかは疑はれて居る。

終鮎が高稔築汚迄延びれば触の客の大部分を奮ひ得る事は確かであらう。

以上は既設のものであるが他に計番されて居るのは琴平から直路吸出に到る急行電餓ミ琴年号

観音寺にノ到るをのである。細他に省線固有餓粒も、最近の磯迫省教ゎの交通陶を見る軍高松から監路

香川麟の産米︵琴平町に就いて︶ ︵土三七︶ 七九

(8)

魔こ巻 ㌣第.こ兢

︵二三八︶ 八〇

(9)

琴申へ出る汲定がある様に見受けらる∼。著し轟後のものが賓現すれば、車中電威の受くる影響は甚

しいものであるが、尭は別問題ごして加地諸線が完成した彼の琴卒は、餓造及餓電の線七本の集まる

魔虻なり、他に自動車線を加へて賓に内通八達、香川嫁香四周の安逸中心地どなるのであつ七、参詣

客即ち所謂賽客の今よら飼州膚喪集する撃は筆に明か年事でなければならぬ。叫体琴平には賽客が何

の位叫年に凍遊するものであるか、其の敦盛は野鶴三富はれ、或ほ百五十萬ご唱へられ、或は二百萬

ざ洗され、探る所に苦しむのであるが、今試みに省線琴平琴に乗降せる客の数の累年比較を掲げて見

る○

大火大火∴大大大 正 正 正正∴正 牢 正 正 / ナナ十 十一千 五四三ニーナ九 申年 申年申年年

人 敢 匹

乗 主四四大八セセ 八九 八 八三三六 六二九三四六三 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 旦 三八九八二八四 五八・一三 九六 ニ 六 −エ 三 ○ 一 大 三 隆 車 三道義・六セセセ 人 九・⊥ 一 七 九二三 四九八セ八二八 ヽ ヽ ヽ ■ ヽ ヽ ヽ 農 四 二 八 三 八 三 三 由由一♪玉÷,玉、五 番川蝉の鹿発︵琴平町に就いて︶

餓造旗容乗降数 ︵琴卒曙︶

︵二三九︶ 八l

(10)

フレrhyぇ ■﹁一− かゃレ諮 ・子 ̄言 ̄ ̄ ̄三㌻㌻ ̄ ̄二「 ヽ ヽ ヽ ヽ ■ヽ ヽ 買 祭 進 通 遊 借

物 鰻 歩 過 覧 仰

客 客 客 客 客 客 ︵二四〇︶ 八二 欝こ′巻 第こ兢 大玉十二年迄は降車人員が乗車人員より少なく、大正†三年以後は之に反するは面白い現像である が、大正十三年以後著しく人員嬢少したのは、大正†二年五月琴中盤宵電餓が開通したので影響され て居る串も山原因であらう。其扁も娩少を檀けて居るのは不景気が蔚し汽結果では無からうか。琴平 電餓開通の結果如何なろ影響が表はれるかは未知数の事であるが、現在の高絵終鮎では大した影響は ない様に思はれる。築港まで娃びれば別問題である。伺以上の数字の悉くが賓客であるどは勿論云ひ 得ないが一、同時に参詣客は餓造族客に限らないから完全な数字を得る拳は困難である。今琴率へ蒸遊 するもの∼種類を老へて見るど、

以上り様に別ける撃が出家るどすれは其の︼ぜ二郎ち倍仰客ま遊覧客は金閣から囲燈又は畢猶で凍

やものであつて、宿る畢が出家る客である。琴卒の現在ビしてはこの二者が、∵八でも多く凍り遊ぶ

即ち態々途方から琴卒常信心の鶉めに凍るもの

信仰は無くて只見物に凍るもの

交通費法官共に琴牢通過の序に立寄るもの

丸亀、高松速よヱ日の清遊に凍るもの、伸には遊興の褒め凍るのもあか

四季の御紳撃を拝する焉めに塵集する人達

附近の▼農村から日用品其他の買物に凍る客

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(11)

挙が望ましいのであつて、之に付いて各人が苦心焦慮して居る次第である0交通が馨通して便利にな

れば凍避するものほ必ず増加するであらう。殊に爵預線の登通ピ同時に九州の客ビ共に阪神地方の人

で別府に遊んだものが、壷後を経て琴警靂るものは決して少くない守信やるのである。

泊んて朝同地を揖馨し日中琴平を見物しセ、夕方には高絵に到ろ事になるから、放客かこ泊せしむる

に′は飴程の施設を考へなけれぼならぬぺ土讃線を利用して養田観へ向ふ人壇も同様党を急ぐ結果、途

中下草二三時間で去って仕舞ふ革になるのである。

問交通費逮の結壌琴卒町は附近の中心市場ごしても有望な地位にあるビ恩ふ0交通の中心は金融の

中心ビなり商菜の中心ビなつて、寛は瀧の宮遽迄の綾歌郡の西南部、南は財Ⅲ遽に至る仲多度郡の南

部、西は三豊那の東警帝は琴軍を中心ビして経臍を立てる単にする挙も決して夢想ではない○差潜

っては農具、日用品なざ或は百科商店の如きを少しく大規模に経螢すれば相普面白い結果を見得るご

恩ふ。著し此所忙商業的才幹を備へ、企業的手腕を有する人があつたなら徳島≠高知地方の物塵の仲

買をなし、本州各地の物産の配給中心ごしての任務を登ふする寧が出凍る有望な地位であるミ云ひ得

るのであつて、必ずしも商琴で立つ事が紹望なりどは云ひ得ないのである〇

香川顔の産業︵琴平町に就いて︶ ︵こ四こ 八三 ・室

(12)

︵二四二︶ 入四 弟こ琴.琴二鱗 前述の如く交通費達の結果客数の曙加ご共に客足の早くなる撃は琴申町民の等しく漁想しで居る所 ビ思ふ。九時の絡列車以後更に二時間近く電串が客を高松へ運び去るのである、夜の高給は夜の琴卒 よら賑かであるから、高松を根接地ごして釆林公園、屋島、琴牢を見物する客が多くなるやあらう。 著し然りごすれば琴卒は何か客足を止める工夫をしなければならないのである。其れには琴申の人ほ 旅客に対して親切でなければならない。客を満足させなけれぼならない。騨前切車夫が初めての塵秤 客に射して十八町もあつて御歩きは無理なぎ三富ふ様な不親切な事は止めなければならない。薫陶ロ で如此不愉快な事は琴年金体に射する惑い印象を輿へる単になる。﹂洗の飯館の旗客を過する方法は 間然する慶無い様に思ふが、茶代制度、室料制度なざに戯ては改良する瓢は多い聾ビ思ふ。殊に海岸 に速い琴平は料理の調理法並びに材料に放て研究する鎗地多く、魚類を避けで名産の捻茸なぎをよく 使用して此の方面にも叫つの名物を作り出さん撃を希望する。現在琴卒の料理の風味は満足なりビ云 ひ得ない。租族客の待遇法に就ては町眉初め町民一同懸命になつて居るのであつて、現に簸客歓迎食 なかものがあつて町長自ら其の陣頸に立ち、有力な垂員を以て組織され秤々劃策をせられ、青年の音 楽糊を敵織しで族備を戯める計高が着々進行して居るビ云ふ事である。琴準町に目下族客の足を止む る何物があるであらうか。汽車の時間を待ち各せる食めの三十分の時間を螢すに足る散歩道もない。 輝からの参宮造は殺風景極まるものである。今少しく気持ちよく散歩し得る道に写らぬであらうか。

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花なでも粕嘗明るく賑かにしたいものである。町畢初め町民苦心築造の騨前の大鳥屠七大宮橋ざ高度

籠は無惨なるかな現在では死んで居る。殊に琴中電餓の出家た薦めに此の附近を下の公園にする折角

の計高が董餅に録した拳は御気の毒三方ふ他はないが、此の三つの築造物は出癖る或け早く活かせて

買いたいものである。

旅客の足を止め争方法さして具体的に例を奉げる撃は賓に難事でぁるか、誰しも考へつく事は、例

へぼ有難い御神事を早朝又は夜間に挙行し、又は神秘な少女の舞を早朝取り行って。琴尊重詣者は必

ず朝か夜間の御軸寧を贋さなけれぼ凍遊の慣億が無い様な有名なものゼし、又は奥山の奥の院には何

人も参拝する様にする串なぎである。

叉旅人の通有性である高所から二望したし三方ふ慾求を清見させる焉めに、神宮より更に教育尺高

い所に展望台を設けケーブル登山電車を通はしめる革も出奔得べき事であつて、徒らに神域を汚すも

のどしで排すべき啓ではない。叉之も族行者の共通の愁求に應ずる焉め大浴場の設備なざもよく、尤

も現在でもラヂクム汲ピかの設備恨ある様であるがもつ三光重なものにしたい。洋式ホテルの鮭螢も

望ましい串であつで、醜在ホテルの設備の無い焉めに外国人の遊凍者に不自由々威せしめて居た香川

辣仝恰は、外囲∧に螺下の名所贋蹟を紹介し得る串ビなり、殊に高松に粗忽ない内に琴平に此の設備

が出家れば高給へ宿るべき客をも琴軍へノ寄せる事が損耗るビ思ふ。ホ一デルが出家れば全ての放客が皆

呑州願¢塵発︵琴平町に就いて︶ ︵こ四三︶ 八五

(14)

︵二由四︶ 八六

第こ超 弟子鱗

ホテルへ宿り、洋食堂が出凍れば全て之に行くビ思ふのは大きな間違ひで、日本式族宿を特に好む八

は醸故に有存するので、結局山人でも飴計に此の町へ蒸丁宿る人が殖へればよいのである。附近の都

市にない様な立派な大劇場を作って出し物も一流のものを撰べば、高倣、丸亀速からも観客を吸収す

る事は揖凍るビ思ふ、∵町長から聞く所によれば維新頃皇では琴申‖讃岐唯一の遊興地であつて、特に

金丸魔の如き常時大芝居小屋があり禽に千両役者を聴して観客は宿りがけで遠くから集ったものであ

るご云ふ。尤も常時遊興稔の様な形で取立て積立てた七萬帝王霊ふ莫大な資金を有して居て、故損を

・してむ之を行ったま云ふ箪である。嫁下に一つもない牒契紫の如き殊に場所柄琴平に履きたいもので

ある。其他グラタンドむよく、囲牌族行者の焉めには花柳界も必要であり、家族族宿者の食めには町

長の計裔通りに動物園も結構であり、梯樹園、梅花因も叉甚だ結構であつて、是非計裔のみでなく寮

現して戴きたいものビ斬って居る。又折角美事な神苑あり、公園あり、遊動域あり、同番館あり、他

に求め難い自然林の勝景があるが、二史に族人に知られやや通過されて仕舞ふのは如何にも磯念の事

である。放人は何れも急いで参拝し、下山して仕舞ふのは何研かに濱付いた気分にさせない何者かが

あるからだ電思ふハ、神政には囲賓の得難いものがある軍閥くけれざも十更に旅人には不知である。山

麓でも彼の翰橋の如き是非一見の僧侶ぁる神橋が少しも世の人に知られて居らぬのも惜しい撃である

募れには騨前附近に名所尭内園を掲げて見物の途順を示し、又ば賽客集内所を設け又は簡単な印刷物

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地陶を配布する位の事ほ賓行して買ぃたいぞ思ふ。伺賽容の通過する道路は御互ひに掃除なざに念を

入れて、各戸は店頭を整へ特に飲食店は清潔を心掛けて気持ちよく通行させる撃は琴平町の様な族客

にょつて立琴フゼして居る町の人々の聴に心掛くべき串である虚思ふ。

前にも述べ尭如く琴申町には濁時の土産物はない。品搾は二百五十種もあるが見地方で出凍るもの

に金比雁宮の印を入れたものに過ぎない。田舎者相手の玩具の楼なもめ許らで仲には金刀比羅ビ何の

ゆかりもないものが多い0琴率は雨が多いから餞が名物である。由緒ある五軒の露店も面白いけれ共

何だなく清潔立は云はれぬ楼である。別府の竹細エ、熱海の椿油ど云ふ様なしつか♭した土産を欲し

いものだ恩ふ。彫扱品もあるが渾中名物三富ふ事は出家ない。辛ひ香川戚人は手先が器用であり襲術

の趣奴豊富であるごの畢であるから、何か美術的のものを造り出して貰ひたいものである。都督の人

に詮らしい賓用品が欲しいものど恩ふ。土産品の購入には信用組合があつて共同購入の利益を摩げて

居るどの畢であるが、販繋方面にも共同して貰いたいものである。正札坂東、又は共同販茸所、或は

騨前へ物産陳列所の経螢ビ同時に食堂の経螢の如きを土産物商同業組合なぎが計零したら何んなもの

であらうか?.町長の計高には燦商品館の分館を騨前に畢て佗いどの拳、之も大いに賛成すべき事であ 吾川拒め産喪︵琴平町に就いて︶ ︵二四五︶ 八七

(16)

第二.螢 第三堺 ︵三四方︶.・八人、 って東林公園にあるよりも必ず有効セある一軍碍しる▼。商品陳列の方綾なぎも考慮する銀地は多心横棒 である〇 大 帝岐の金刀地産は賓に有名でぁる。日本魯観めみならす遽ぐ米国にも支社ほ密かれてあり、在外日 本人の由にも信仰厚いものであ盆。、併し琴卒に紳敢があるのみであつて、風恩のよい串を喝へる人は 金′、ないqあの雨気を含んだ琴平山を麓から眺めた所は貪て他に求められぬ絶息であるっ運動場のあ る公阻も賓に美事なものであるが、少しも散開に知られて居らぬ、宣騰が足らぬからである。折角や 夏期の催しである﹁楽園の琴平﹂も二夏我々高松に住居するものすらも誘ふに足る富倦が行、はれない。 如此催しは里人の娯楽に終らしめてはならぬ。叉善通寺も弘法大師の御誕生地であるが、一束東京大 阪の人達には知られて居らぬ様に思ふ。誠に惜しい寧である。善通寺町ざ共同して宣倦するのも一策 である。叉固有域造ビ琴中電餓ピ屋島遊覧電車ビ協定しで巡回遊覧切符を教ゎし菜林公園、屋島、琴 申、蕃通専ざ便利に順序よぐ見巡う得る療になる審も望呈しい事である。香川燦重態の共同販常なざ の衰め、大阪京都速で物産の疲常に普つで、抽殊にようで輩岐見物客を常方り登用ア招待する様な方 法、もあるQ

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要するに琴卒町否香川嬢各地の人薙が、一丹心同鱒になつて放客の招待に努むべきであつて、東京、

阻西方面へ牒讃岐見物に面白く、容易であ㌔変通の至便な事藍且倦し、固鱒を勅琴し、⊥方別府か

らの蹄政道後を経て、必す琴平螢に高故地方の遊覧を試みさせる様な方法を放ちたいものである。其

の宣倦の方睦は贋く町民一般の共に考へなければならぬ革であつて普革者のみに委すのは探らぬ所で

あ篭.ポスターの宣俸、新聞抄盛曹、案内記の作成なざも塞要望串である。名士の凍遊毎に其の意見

を問も或は退去した後に名士に向つて琴準町に射する感想なざを問合せる革も一方法ま考へられる

臥で、問合せる事自身が多少の宣倦ビなるご共に、琴平町の長所短所の指摘を受けて長を助け、短を

拾つる箪を得るビ思ふ。最近の松山の産業博覧督、来年の高舷に於ける登園産業博箆禽にも是非宣倦

方面に鮮かな括勒をして戴き皮いざ思ふ。琴申町は商工業や立つ撃は出水ぬどは決して息はぬ。永い

間嘗地方で行はれて凍た代金年二期排の習慣や、ニケ月餅皮に四ケ月排の風習等が改良せられ、企業

の指墳者があれば立派に商業部覇に立つ畢が出家るビ信じ▲るであるが、美音つでの目標ビしては遊魔

地ぎrlて立つ他はあるまいど思ふ。古い諺ではあるが天の時は地の利に若かす、地の利は人の和に若

かす、地の利は充分享けて居る琴申は、幸ひ名町長も上にあゎ、町会髄よく協力⋮致町勢の費展を期

すれば、同町の購襟は賓に多望であるビ信じて此の稿を終へる次第であ右。︵一九二七.三.16︶ 替川鮨の産米︵琴平町lこ就いて︶ ︵二四七︶′ 入九

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