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笑い学研究 26(2019.8) 特別寄稿 第 25 回大会記念講演 ゴリラから見た笑いの進化と AI 社会 京都大学総長 山極壽一先生 我々はどこへ向かうか今日は私が長年 もう40 年以上研究しているゴリラから見た笑いについて話します この中に ゴリラは笑うと思ってらっしゃる方はどれくらいいますか

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特別寄稿

ゴリラから見た笑いの進化とAI社会

■我々はどこへ向かうか  今日は私が長年、もう40年以上研究して いるゴリラから見た笑いについて話します。 この中に、ゴリラは笑うと思ってらっしゃ る方はどれくらいいますか?・・・結構い らっしゃいますね。では、ゴリラは笑い声 をたてると思ってらっしゃる方はどれくら いいますか?・・・実はゴリラは笑うし、笑 い声をたてます。サルは笑うけれど、笑い 声はたてません。司会の松阪先生はチンパ ンジーの研究者です。チンパンジーもよく 笑い、笑い声をたてます。ゴリラもチンパ ンジーと同じように笑い声をたてます。や はり人間に近いものはよく笑うんですね。 なぜその笑いができたのかという話を今日 していくわけですが、その前に類人猿研究 はいったい何を私たちにもたらしてくれる のかをお話します。  今、人間は自分たち人間がわからなく なっています。AI、つまり人工知能とい うものに、人間の考える領域をだんだん委 譲しています。人間はこれまで道具や科学 技術を通じて人間の身体の延長をおこなっ てきたわけですが、これから頭脳もAIに 譲り渡していくという時代をむかえます。 そうするといよいよもって、人間とはいっ たい何だったんだろう、我々はこれからど のように生きていったらよいのだろうか、 ということになります。  神様も最近わからなくなっていますね。 本当にどこかにいらっしゃるのか。これか ら人間が目指すものは何だと思いますか? 寿命の延長、不死の身体です。そうしたら、 あの世はなくなるんですよ。天国も地獄も なくなる。神様も仏様もいらなくなるわけ です。そういう時に、我々人間の由来を、 身体と心の領域で考えてみなければならな くなる。それらは私たちのものではなくな るかもしれないからです。  人工知能を通じて人間と人間とが繋がる ということは、人間はもう脳で考えなくて もよい時代が来るかもしれない。今だって そうでしょう。Amazonで本を買えば、次 にあなたがほしい本はこれです、と言って

第25回大会記念講演

京都大学総長      

山極 壽一

先生

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くれるわけです。考えなくていい。そうだ そうだと思ってボタンを押せば、そのまま 自分のVISAカードで本が買えて、本が送 られてきて、それを読むことができる。自 分の自主性、自己決定権がどんどん奪われ ていくわけです。楽だから、そうなるわけ です。スマホだってそうでしょう。10年前 は、10人くらいの仲間の電話番号を頭の中 で覚えていました。皆さんは今1人の電話 番号だって覚えていないでしょう。みんな 外部のデータベースに記録されているわけ です。スマホをパッと押せば番号が出て きて、また押せばその人に繋がるわけで す。全部人工知能とまではいわないまで も、データベースがやってくれるわけです。 AIというのはまさに情報のかたまりです から、そのかたまりが人間に指令を出して くれるという時代がもうすぐ目の前まで来 ている。そういう時代だということをまず 頭において、私の話を聞いていただきたい と思います。つまり、人間が人間でなかっ た時代までさかのぼって人間が進化してき た由来を訪ねれば、これから人間がどこへ 行くかというのもおぼろげながら見えてく る、そういう話なんですね。 ■身体を使わない現代の暮らし  脳の話をしましたけれど、とりわけ人間 の身体性というものを忘れてはいけません。 人間は五感を持っています。視覚、聴覚、 嗅覚、味覚、触覚です。人間の五感は、チ ンパンジーやゴリラ、オランウータンなど の類人猿と呼ばれている人間に近い霊長類 とほとんど変わりません。我々の身体はま だ彼らの世界で暮らしていると考えたほう がいい。  脳だけ変な方向へ行っちゃったもんだか ら、脳で考えている人間の暮らしと身体の 欲している人間の暮らしとでミスマッチを 起こしています。成人病などはそのいい例 です。狩猟採集時代の人間は、男は1日平 均15㎞、女は平均9㎞歩いて暮らしていた んです。今、皆さんは1㎞も歩いていない かもしれません。ほとんどが座って画面を 見て過ごしている。インターネットやスマ ホを見ている。そういう生活というのは、 やはり身体にとって非常に負担がかかるわ けです。だからヘルスセンターに行って 走ったり、あるいは大阪城の周りを駆けた り、わざわざ身体を使おうとしているわけ です。それは身体が、いわば栄養過多で身 体を使わなくても済むような暮らしに慣れ ていないからです。でも、なかなかそっち の方向に行けないのは、人間はやっぱり欲 望に負けてしまうんですね。おいしいもの を食いたい、甘いものを食いたい、あまり 体を動かしたくない、ずっとソファーに寝 そべっていたい、そういう怠惰な欲求がど んどん過剰になっていくために、身体が死 んでいくわけです。  五感もそうです。環境の様々な刺激を五 感を使って見分けて、聞き分けて、嗅ぎ分 けて、我々の身体は活性化していた。それ が今、サッシでシャットアウトされて外の 空気と全く無関係な人工的な環境で暮ら しているから、身体が死んでいるわけで す。だから病気にかかる。そういう状態を ちょっと外から見直してみましょうという

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話なんです。 ■ゴリラはサルよりヒトに近い存在 図1.霊長類の系統図  これは系統樹といいます(図1)。枝分 かれしていますね。右側の端に、現代の人 間と人間に近い霊長類が並んでいます。し かし、元をただせばひとつのものから分化、 生成、発展しているということがわかりま す。それが系統樹というものです。人間も サルもネズミも、元をただせば一緒のもの だった。それが長い時間をかけて別々のも のに進化した。ただし、分かれた時期が違 うと類似性が異なるということです。  系統樹の一番下に人間があります。それ と同じ系統樹に含まれるものが、いま申し 上げたオランウータン、ゴリラ、チンパン ジーです。これらはヒト科(Hominidae) という仲間に入ります。人間とサルとは 3000万年前に分かれています。チンパン ジーとは700万年前、ゴリラとは900万年前 に分かれている。これが意味しているのは、 ゴリラとサルの違いの方がゴリラと人間の 違いよりも大きいということ。ゴリラはヒ トの仲間であって、ヒトはゴリラの仲間で ある、サルの仲間ではないということです。 それを頭に入れてほしいと思います。  そう言われても、皆さんはわからないと 思うかもしれません。ゴリラだってサル だって毛むくじゃらじゃないか、ケモノで しょ?・・・とおっしゃるかもしれない。形 態上は確かに違います。ゴリラの頭は禿げ ないけど、人間の頭は禿げますよね。サル の頭も禿げない。そういう意味ではゴリラ とサルの方が近いじゃないかと思われるか もしれない。しかし、大きく異なる点が1 つあります。それがさっき言った「笑い」 なんです。サルは笑い声をたてない。一方、 ゴリラもチンパンジーもオランウータンも 笑い声をたてるんです。笑いというのは彼 らの社会の中で、大きな接着剤になってい る。それを表すのが次のようなシーンです。 ■サルの笑顔が意味するもの 図2.サルの笑顔  これはニホンザルに近いアヌビスヒヒの 笑顔です(図2)。ヒヒの笑いは楽しくて 笑っているわけではなく、相手に対するお

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べっか笑いです。たとえば、食物を挟んで 2頭のサルが向かい合うと、両者すぐにお 互いの優劣関係を意識して表します。強い サルは相手をじっと見ます。これは軽い威 嚇。弱いサルは見つめられると視線を逸ら すか、写真のように歯をむき出して笑って いるような表情をします。私はあなたより も弱いですよ、私はあなたに歯向かう気は ありませんよ、ということを言っているわ けです。そして、食物から手をすっと引っ 込める。争いの元は食物ですから、その食 物を取ろうとしていたら、そんなこと言い ながらお前は食物を食っているじゃあない か、と強い方は考えるわけですよね。だか ら、弱い方は手を引っ込めて、どうぞこれ はあなたのものですと言いながら笑いのよ うな表情を浮かべる。サルの笑いというの は、決して楽しくて、喜んで、愉快で笑っ ているわけではない。相手へ媚びて相手の 敵意を減らすための表情であるということ になります。  人間もスマイルを浮かべますね。サルの この表情は人間のスマイルと同等の特徴を 持っているともいわれています。人間のス マイル、つまり微笑は、起源からすればも ともとは相手に媚びて、相手の敵意を減ら すものだったのではないかという仮説を唱 えている学者もいます。弱い方がにっこり 笑って強い相手に対して媚びるというのが、 人間の笑いの原点だったかもしれないんで すよ。そういうことをこれは表している。 ニホンザルの社会では、自分と相手のどち らが強いのかを常にわきまえて行動しない と、弱い方は強い方にいじめられる。この 笑いの表情を浮かべるのは常に弱い方だと いうことなんです。でもこれにはいろいろ なやり方があります。  たとえば、3頭のサルがいます。真ん中 のサルが一番弱い。目の前に自分より強い サルがいるから、すぐ目の前にある食物に 手が出せない。そして笑いを顔に浮かべる。 でも、ふと右を見ると、目の前のサルより 強いサルがやってくる。じゃあこいつを利 用してやろうというので、その笑いの表情 のまま、一番強いサルの方を向きます。そ うすると、一番右のサルにとっては、目の 前で自分より弱いはずのサルが強そうな態 度をしているということを見逃せないわけ です。それを許しておくと自分の権威が汚 される。自分の社会的地位が危なくなる。 だから、二番目に強いサルをやっつけるた めに追いかけます。そうすると、真ん中の 一番弱いサルが餌に手を出せるという結果 になる。  どうです、皆さん。これを猿知恵とい うんです(会場・笑い)。皆さんも同じこ とをするという人は手を上げてください。 ・・・あれ、少ないですね。人間もこれをす ると思うんですよ。だって「虎の威を借る 狐」ということわざがあるわけじゃないで すか。まさにこれは「虎の威を借る狐」を 真ん中のサルがやって、自分より強いサル を排除したわけですよ。これは猿知恵でも あるし、人間の知恵でもあるはずです。だ けど、こういうことをやっている人を見る と、なんとなくこの人は品がないなと思っ たり、あるいは、自分がこういうことをや るのはちょっと恥ずかしいなという気持ち

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に人間はなるんです。それは人間が、サル ではなくてチンパンジーやゴリラに近い存 在だからです。 ■ゴリラの笑いと遊びの特徴  一方、これはゴリラが遊びの際に笑う表 情で(図3)、このときは楽しさを全身で 表現していて笑い声も出ます。また、これ がゴリラのスマイルです(図4)。サルの 表情とは全然違います。このゴリラの表情 はどんな表情に似ていますか?人間のアホ 面のように、弛緩した表情ですね。楽しく て笑っているわけです。もやっとした楽し さのようなものが雰囲気としてある時にこ ういう表情をします。ゴリラの笑いは、先 ほどのニホンザルの笑いとは明らかに違い ます。それをビデオでお目にかけようと思 います。ゴリラが遊ぶ様子です。 ・・【映像視聴】・・  ゴリラは、高いところを目指して登って どっちが高いかという競争をします。高い ところで胸を叩くことが好きなんです。い ま木を揺すりましたが、これは遊びの誘い です。こうやって相手を挑発するわけです。 追いかけっこには、追いかける方と追いか けられる方が必要です。ぐるぐるぐるぐる 回っていると、どっちが追いかけているか わからなくなる。遊びというのは目的がな いんです。遊びというのは楽しいものなん ですね。  今、ゴリラがカメラマンの人の足のズボ ンを引っ張りました。これも遊びの誘いで す。普通、遊びというとせいぜい2頭でお 互いにやるものだと思いますが、ゴリラは 3頭、4頭でも遊びます。カメラマンの人 も遊びに誘われたんですね。この顔がゴリ ラの笑い顔です。口よりも目の方が、笑っ ているのがわかると思います。この笑い顔 も、相手を遊びに引き込みます。遊びの中 で出てくる楽しさを先取りしているわけで す。  これは小さい子がオトナになりかけの若 いオスと遊んでいるところです。これだけ 図3.ゴリラの笑い顔 図4.ゴリラの微笑

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体の大きさが違うと、力をうまく制御する のが難しいんですね。だから大きなゴリラ は自分に大きなハンディをつけます。決し て立ち上がらない。いまお腹を叩きました ね。本当は胸を叩くのがゴリラのドラミン グですが、あんまり相手が小さいから胸を 叩くと相手に脅威を与えてしまうので、お 腹を叩いているんです。子ども向けのドラ ミングです。  少し音が小さかったですが、映像内でゴ リラの笑い声がしていました。ゴリラは笑 い声をたてます。重要なことは、遊びの 中でこの笑い声が出てくるということで す。遊びというものが、実は笑いを進化さ せる大きな特質だったというふうに思いま す。遊びは非常に面白い特徴を持っていま す。ビデオの中でも出てきましたけれども、 目的を持っていない。遊びをやったから何 か得をしたとか、何かをやるための練習だ とかいう話ではないんです。遊びは遊び自 体が目的である。我々は最近、効率、効率 と言っていますが、効率とか経済とかいう 観点からすると遊びは全くの無駄です。時 間をただ潰すだけです。だけど、遊びは楽 しいんですよ。その楽しさが笑いを作った と思います。笑いというのは、1人で笑う ものではない。相手がいるものです。相手 がいて、相手と何かをやっているからその 時に笑いが出て、笑い声が発せられる。そ れがゴリラやチンパンジーに特に出てくる。 そして、人間の世界では、その笑い声をた てる機会がとても多いわけです。それを是 非考えていただきたいと思います。  笑いを育てた遊びの特徴は何かという と、遊びというのは実は相手に強制できな いということです。遊びを誘っても、相手 はその遊びの誘いを断ることができる。い や遊ぶ気じゃないんだよ俺は、と言うこと ができる。年齢とか力の差は関係ありませ ん。実は、遊びは子どもがイニシアチブを 握っているんですよ。オトナが遊ぼうと 言った時に子どもがフンと言ったら遊びに ならない。でも、子どもから遊びに誘われ たら、オトナはそれを断りきれないぐらい 魅力的なんです。これは、子どもの方が遊 びの誘いが強いということを表している。 そしてその遊びを持続させるためには、先 ほどのビデオの最後にありましたけれども、 大きな体のゴリラが小さなゴリラに合わせ る必要があるんです。だから、わざわざ膝 を折って身長を縮めて、相手と同じ目線で 遊ぼうとする。ただ相手に合わせるだけで は、遊びは面白くなりません。だから相手 をけしかけて、相手を誘って、エスカレー トさせようとする。その時に笑いが出てく るわけです。もしあまりに力を入れすぎた ら、相手が脅威を感じてしまってビビって しまう。自分が恐怖を感じていないという 印として笑い声が出てくる。笑い声が出て いれば、小さい方も喜んでいるということ で、くすぐったりして刺激を与えることが できる。それが更に遊びをエスカレートさ せる、という話になっていくわけですね。  遊びのもうひとつ重要なところは、大き い方が力をセーブするから、相手と役割を 交代できるということです。強い方が追い かけるのではなくて弱い方が追いかけるか ら、その速度で強い方が逃げる。時には速

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度を落とすと、相手に追いつかれてしまう。 速度を速めると、さっきのぐるぐる回りの ように、追いかけられていた立場が追いか ける立場になる。そうすると追いかけられ ている方はもっとスピードを出す。すると 今度は自分が追いかける立場になる、とい うふうに役割がどんどん交代していくわけ です。それが楽しい。そこに笑いというも のが登場して、さらにその遊びを持続させ るわけです。 ■遊びと共感力  遊びの一番重要な特徴は、初めから遊び のルールがあるのではなくて、その場その 場に応じて、遊びに参加した者が相手の力 を見極めながら遊びを作っていくというこ とです。その遊びを作っていく過程で、遊 びのルールが立ちあがっていくわけです。 これはサルにはできないことなんですね。 相手の身体の力や相手の気分を推し量る能 力がないと、遊びを持続させることができ ない。それができるのは、ゴリラやチンパ ンジーという人間に似た共感力が高い動物 に限られているわけです。だから遊びを長 続きさせるのは、実は高い共感力なんだと いうことです。そして、遊びをすればする ほど身体的に相手と繋がる。身体で相手を 感じるということを学習するわけですね。 それがオトナになってから社会を作ること に非常に役立っていると思います。人間が これだけ複雑な社会を作ることができるよ うになったのは、おそらく長い進化の過程 を通じて遊びを強化し、1日の多くの時間 を遊んで過ごしながら、仲間の心や体をよ く知ることができたから、そしてそれを知 るための共感力を高めることができたから だと思います(図5)。 図5.共感は遊びによって育てられる  面白いことに、ゴリラはゴリラ同士だけ で遊ぶのではなくて、他の動物とも遊ぶん です。それをちょっと見ていただきたいと 思います。 ・・【映像視聴】・・  ゴリラは自分と同じ身体を持っていない 相手、フクロウやカメレオンとも遊べます。 彼らと遊べるということは、彼らと近い感 性になることができるということです。  実はそれを一番発達させたのが人間です。 人間は動物をペットにする能力を持ってい ます。人間の子どもたちは、虫や魚をペッ トにしたり、トカゲをペットにしたり、い ろんなものをペットにして遊ぶことができ る。それは相手になった気持ちでいられる ということです。そういう能力を人間は 持っているわけです。そして、人間とは違 う動物たちと遊びながら、人間は笑うわけ です。他の動物たちは笑うという能力を 持っていないけれども、人間はニコニコ笑 いながら、ゲラゲラ笑いながら動物たちと 遊ぶ。そういう能力を持っているからこそ、

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人間は自分たちの活動範囲を広げ、いろい ろな動物たちと付き合うことができるよう になったと思います。 ■対面することの重要性  もうひとつ私が気付いたことは、笑うと いう行為は相手と対面してやることなんで すね。遊びでも、顔を合わせた時にニコッ と笑う。そうすると何か一緒にやりたいな という気分になる。これは遊びの誘いで あったり、遊びの場面転換をするひとつの きっかけになったりする。でも、対面しな ければ笑う顔が見えません。後ろ向きで 笑ったってしょうがないわけですよ。もち ろん笑い声をたてれば声が聞こえるわけだ から、想像はできる。でも基本は対面する ということなんですよね。  対面をするということは実はニホンザル にはできません。彼らは強い・弱いをはっ きりとわきまえて行動していて、弱い方は 対面すれば必ず相手に対して媚びる歯をむ き出す表情を浮かべるか、あるいは視線を そらします。ずっと向き合っていると相手 は挑戦していると錯覚して、強いサルが弱 いサルを攻撃してしまいます。だから弱い サルにとって対面というのは御法度なんで す。強いサルが自分を見つめるということ は、威嚇に繋がるので視線をそらさなくて はいけません。あるいはおしりを向けなく てはなりません。だから、対面という場面 をずっと長引かせることができないわけで す。  人間の世界のにらめっこでは、笑ってし まった方が負けになります。対面というの は緊張を強いる場面でもあります。破顔一 笑というように、それを笑いによって解放 するということを人間は小さい頃から学ば せてきたわけです。対面というのが実は人 間の社会のつきあいにとって非常に重要だ ということが、そこに担保されている。そ れは実は人間だけではないんです。ゴリラ にもあるんです。私は、この対面がゴリラ にとっていかに大事かということを発見し ました。 ■ゴリラの対面の意味 図6.ゴリラの対面交渉(挨拶) 図7.ゴリラの対面交渉(仲直り)  これは、挨拶なんですね(図6)。ニホ ンザルにこれはできません。ニホンザルの 社会ではこういう状況になったら弱い方が 必ず目を背けるか、さっとその場を退いて

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しまうため、こういう対面は起きません。 また、これは仲直りです(図7)。3頭が 顔を合わせています。これはちょっと喧嘩 が起きそうになったので、仲裁者が入って お互いに近い距離で顔を見合わせて気を鎮 めているところなんです。当初、これは何 をやっているのかわかりませんでした。で も実は同じことを私はゴリラからされたん です。それは写真にもビデオにも撮ること はできませんでした。というのは、私は1 人でずっとゴリラを観察していますから、 自分のやっていることを自分で撮影するわ けにはいかないんですね。ところが、ある 旅行会社がコンゴ民主共和国のカフジ・ビ エガ国立公園でゴリラツアーをやっている 時に、観光客を連れて行ったガイドとゴリ ラが対面をしたシーンを偶然ビデオに収め てくれた。それを私はいただきました。ま さに私がされたことと一緒だと思ったので、 皆さんにお見せしようと思います。 ・・【映像視聴】・・  図8.ゴリラ流の挨拶  ゴリラツアーのガイドに、よく慣れてい る若いゴリラが近付いてきました。ゴリラ はゴリラ流の挨拶をこのガイドさんにしよ うとしています(図8)。ゴリラは、自分 の方にガイドが向いてくれることを待って いるわけです。顔と顔とを合わせないと ゴリラの挨拶になりませんから。でもガ イドは半分しか顔を向けてくれないんで す。真っ正面から向いてくれないと挨拶で きないんですね。しょうがないからゴリラ は顔を向かせようとするんです。でもガイ ドは半分しか向きません。しょうがないか ら、ゴリラが回り込むわけです。そしてど んどん顔を近付けていく。これは別に匂い を嗅いでいるわけではありません。ゴリラ の嗅覚は人間の嗅覚より弱いくらいですか ら。顔と顔とを合わせているんです。これ でゴリラは挨拶ができました。 ■勝つ論理と負けない論理  この「対面」というのはすごく重要な意 味を持っていると私は思いました。先ほど のニホンザルの社会では、サルたちはいつ も自分と相手のどちらが強いのかを頭に入 れて行動しています。強いサルに出会うと 自分が抑制する、餌から手を引っ込める、 あるいは休み場所からどくということをし ます。競合が起きないようにしている。競 合が起きそうになると弱いサルが抑制する。 それは、勝敗をつけてトラブルを防ごうと いう社会なんです。だから私はこれを「勝 つ論理」というふうにいいます。  一方、ゴリラは対面をして、その場その 場に応じて、相手と自分との過去の関係に 応じて解決法を探ろうとします。だから 「勝つ論理」じゃないんです。しかも驚い たことに、私は長年ゴリラを観察していま すが、ゴリラは強い相手に対して、たとえ

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体が小さいゴリラでも、媚びるという、負 けるという表情をしたことがないんです。 彼らには負けるという態度がないんです。 欠落している。これは「負けない論理」な んですね。 図9.ゴリラの仲裁 図10.ゴリラの仲裁  この写真は、背中の白い大きなゴリラの オスで体重は200㎏ぐらいあるわけですけ れども、これが今、何かの原因で対立し てぶつかろうとしているところです(図 9)。そこに背中の黒いまだ若いゴリラの オスが介入してきて、両者を仲裁しようと しているところなんです。これは、介入し た若いゴリラが顔を近づけていって気分を 鎮め、けんかを断念させているところです (図10)。こういうことがゴリラの社会で は起こる。体の大きなオス同士がぶつかれ ば、負ける態度がなければ戦ってしまうわ けでしょ。戦ってしまえばどちらも負けな いから大怪我をする。でもオスだってそん なことはしたくないわけですよ。仲裁をし てくれれば、面子を失わずに引き分けられ る。だからそれは歓迎すべきことなんです ね。それで両者より体が小さい若いオスが 仲裁できるというわけなんです。そこには 負けるということを経ずして両者が平和裏 に共存できるという結果が待っている。ゴ リラの社会は、このようにして競合、コン フリクト、対立を解消しようという社会な んです。 ■ディスプレイの意味  「負けない論理」で維持されている社会 では、ディスプレイが発達しています。ゴ リラのドラミングは自己主張ですね。これ は昔、誤解されていました。ゴリラのドラ ミングを見て19世紀の探検家はゴリラがす ごく暴力的だと思って、ゴリラは悪魔の化 身のような、戦争好きのとんでもない野獣 だというふうに吹聴した。だから長い間、 ゴリラというのは暴力的な動物だというふ うに言われてきました。しかし実際にゴリ ラの群れの中に入って見てみると、胸を叩 くという行為は決して相手と喧嘩をすると いう行為ではなくて、相手と自分とが対等 に渡り合おうとする、しかも戦わずにその 場を収めようとする提案なんですね。事実、 ドラミングが起こっているところでは戦い にはなりません。ですから、このドラミン グというのは「負けない論理」、あなたと

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私はどっちも同等ですよという社会で起こ ることなんです(図11)。 図11.ゴリラのディスプレイ  チンパンジーには優劣というものがあっ て、強いチンパンジーと弱いチンパンジー の序列があります。だけどディスプレイと いうものもあって、上の序列のオスがゴリ ラのドラミングと似たような行為をします。 これは決して相手と喧嘩をするためにやっ ているわけではなくて、自分の立場を皆に わかってもらうためにするディスプレイで す。ゴリラと違うのは、ゴリラは胸を叩き ますがチンパンジーは棒を使って周囲を叩 いたり、足を踏み鳴らしたりしてディスプ レイをします。でも、元をただせば同じ行 動だった可能性がある。二足で立って、体 を揺すって足を踏み鳴らしたり、周りの物 を叩きまわったりして、ドスンと大地を叩 いて終わる。そういう動作が非常によく似 ているわけです。チンパンジーの社会とゴ リラの社会で違うのは、チンパンジーの社 会では複数のオスたちが共存していること です。そのオスたちの間で、一番上に立っ ている強いオスが、自分の社会的地位を周 囲の者に認めてもらいたくてこういう行動 をとる。ゴリラの群れには大体オスが1頭 しかいませんから、そのオスがその群れの 統率をしています。群れ同士がぶつかった ような時に、あるいはハナレオスが来てオ ス同士が対立する場面になった時にオス同 士がお互いに自己主張し合う、そういう時 に使われるわけです。だからこれは、よく 似たようなところから違う社会性を発達さ せる間に少し形を変えて進化の中で発達を してきた、そういう行動だと思います。  面白いことに人間もそれを持っています。 何だと思いますか。歌舞伎ですよ、歌舞伎 の見み え得です。これはゴリラのドラミングと 一緒じゃないですか。チンパンジーのディ スプレイと一緒じゃないですか。これは江 戸時代の前期に日本文化が作り出した粋で すね。粋な姿勢、一番男らしい姿勢ですよ。 これがゴリラやチンパンジーと似ていると いうのはいったいどういうことか?  江戸時代の前期にゴリラが日本に入って きたという記録はありません。江戸時代の 人たちはゴリラを知らなかった。でもこう した芸能の中でこういう姿勢が出てくると いうことは、人間の社会とゴリラの社会、 チンパンジーの社会とで、オス・男に期待 するものがよく似ているということなんで すね。これは十分に噛みしめる必要がある と思っております。詳しくは語りませんが

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(会場・笑い)。  それは何かというと、「自己主張と面子 を重んじる社会」ということですよ、人間 社会も。これは結構難しいんです。相手と 自分との間でサルのように優劣が固定して いる社会ではないんです。こういう人間 やゴリラやチンパンジーの社会というの は、主張しなければ仲間に認めてもらえま せん。でも、主張しすぎると敵を作ってし まいます。だから塩梅というのが必要なん ですね。これが人間の社会を複雑にさせま した。その円滑剤として「笑い」というも のが使われているわけです。こういう社会 には、ディスプレイと同時に、笑いをとる ようなシチュエーションがいっぱい出てく る。それが一番たくさんあるのが人間なん ですね。そこには共感というものが常に底 辺で動いている。昨日の敵は今日の友、逆 に言えば今日の友は明日の敵かもしれない。 そういうことを相手の立場や相手の能力や 相手と自分との過去の関係というものを頭 の中で常に動かしながら考えている。だか らこそ頼り合うこともできるし、利用し合 うこともできる、尊重し合うこともできる、 というものなんだと思うんですね。 ■人間の対面  対面というのは非常に重要です。ゴリラ で発見した対面という交渉は、チンパン ジーにもあることがわかった。チンパン ジーもニホンザルとは違います。ニホンザ ルのように歯をむき出して相手に媚びたり はしません。チンパンジーには、ゴリラと は違う対面というものがありますが、その 姿勢はサルよりも人間に似通っていると思 います。  人間も対面しますね。皆さんも今日、朝 起きてからここに来るまでにいろいろな 方々と対面をしてきたと思います。ではそ れは、サルのような対面だったでしょう か?ゴリラのような対面だったでしょう か?両方とも違うと思うんですね。人間の 対面としてしっくりくるのは、机を挟んで 向かい合うシチュエーションです。ゴリラ のように10~20㎝先に顔を近付けるのでは なく、1~2mの距離を置くわけです。で もニホンザルのように相手の顔から顔を背 けるのではなく、じっと対面しています。 それは話をしているからだよ、と思われる かもれません。あるいは、食事をしている からだと。でも私はひねくれていますから、 もし会話をするためだったら対面しなくて もいいじゃないかと思うんですよ。だって そうでしょう?会話というのは、声を出し て意味のある音を出し合って通じているわ けですよね。だったら後ろを向き合ったっ ていいじゃないか。横を向いて全然別の方 向を見て話をしてもかまわないはずですよ。 食事だってそうです。栄養をとることが食 事の目的だとすれば、なにも同じ席につか なくたっていいし、対面しなくたっていい はずです。  サルにとって、食べ物を間において対面 するということはとても耐えられないこと です。強い者が独占してしまい、弱い者が 食物に手を出せなくなる。食物は喧嘩の一 番の源泉ですから、そんな喧嘩の源泉にな るようなものを置いて相手と対面するなん

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て、そんな緊張する時間を長く持ちたくな いというのがサルの世界です。人間はなぜ か食物を置いてまで対面するわけです。お かしいじゃないかと。事実、京都大学には 「ぼっち席」というのができたことがあり ます。対面して食べたくないから壁を作っ ているわけです。焼肉屋に1人で食べに来 る人が近くの者と目を合わせたくないから、 1人で食べるための箱型の席が用意される、 そういうこともあるわけです。ファースト フード店とかでも横並びに並んで食べてい る席がありますよね。今の若い人はすぐ近 くにいるのにスマホで話をしている。すぐ そばにいるから会えばいいじゃないかと思 うのですが、いやいやスマホでと言う。そ ういうことが起こり得るんですよ。私は結 構歳をとっていますから、相手と話をする 時には向かい合って座らないと、一緒に食 べに行くんだったら対面席で食べないと、 と思うわけです。それが人間にとってすご く豊かな気持ちになれる場所だと思える。 なぜだろう?重要なヒントが目にあるとい うことがわかってきました。 ■人間の目の特徴  図の左側に縦に並んでいるのはサルの 目で、一番下に人間の目があります(図 12)。図の右側には人間の目が一番上にあっ て、その下にゴリラ、オランウータン、チ ンパンジーそしてテナガザルと並んでいま す。先ほどから言っているように、類人猿 はサルより人間に近いので、サルより人間 に似ているはずです。ところがこの目だけ は違って、類人猿の目はサルの目に似てい ます。人間の目だけが違う。何が違うでしょ う?白目があるんです。白目が他のサルや 類人猿にはありません。  人間が対面をして距離を置くというのは、 この白目のせいなんです。対面して相手と 話をしながら、実は相手の目や顔の表情を 見ているんです。とりわけこの白目のある 目が動くことによって、相手の内面を読め るわけです。白目があるために目の方向が 常に変わる。その動き方によって、実はそ の人の気持ちが変化することを表している んです。重要なことは何かというと、皆さ んはその目の動きからどんな気持ちを読む 図12.霊長類の目の比較

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かということを習ったことがありますか? ないでしょう。それは生まれつき人間が 持っている能力なんですよ。場数を踏んで 経験を蓄積することで、その能力が研ぎ澄 まされる。  ゴリラやチンパンジーに白目がないとい うことは、共通祖先から人間とチンパン ジーが分かれてから、人間だけにこの目が 発達したことを示しています。でも、目は 軟部組織ですから化石には残りません。い つ頃この目が人間だけに発達したのか、わ からないわけです。でも地球上に住んでい る全ての人間に白目がある。虹彩の色は違 いますよね。青い目もあれば、黄色い目も あれば、茶色い目も黒い目もありますが、 白目があるというのは変わらない。みんな 白目を持っている。ホモ・サピエンスは20 万年前にこの世界に登場しました。おそら くその最初から白目はあったはずです。だ から古いんですよね。古くて、でもチンパ ンジーにはない。人間だけにこれが備わっ ている。まさにこれが共感力というものを、 チンパンジーやゴリラを超えて人間だけに さらに発達させる大きな道具になったんだ と思います。 ■ヒトの脳の発達と言葉  言葉が、今の人間のコミュニケーション の大半を占めています。でも、言葉は本当 に人間のコミュニケーションにとって重要 なんだろうか?言葉を失うと、本当にその 辛さがわかると思うんですが、人類の進化 が700万年とすれば、言葉はいつ現れたん だろう?そして、人間の脳はいつ大きくな り始めたんだろう?人間の脳はゴリラの脳 の3倍あります。この3倍になった理由は、 言葉を話し始めたからではないかと皆さん は思っているかもしれません。ゴリラは言 葉を持たない。チンパンジーも言葉を持た ない。人間だけに言葉がある。であるなら ば、人間の脳が大きくなったのは、言葉が 登場したためではないか。言葉を喋るよう になったから、様々な知性を脳に溜める必 要が出てきて、世界を言葉によって分類し、 それを記憶する必要が出てきたから、脳が 大きくなったと思いますよね。でも、実際 はそうじゃない。 図13.人類進化の模式図  言葉の発明は、おそらく7万年前ぐらい にしか遡れないといわれています(図13)。 その前に生きていたネアンデルタール人も、 おそらく言葉のようなものは持っていたか もしれない。けれども、現代人のような言 葉は話していなかったといわれています。 では脳はいつ大きくなり始めたのかとい うと、200万年前という証拠が出ています。 200万年前に脳は600ccを越えて、人間は脳 を大きくし始めた。その時に人間は道具を 使い始めているわけですね。道具の使用と 脳が大きくなり始めたことは、関係あるか

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もしれません。しかし脳は、60万年から40 万年くらい前に、現代人並みの大きさに達 しています。ホモ・ハイデルベルゲンシス という、現代人とは違う人類がヨーロッパ に登場します。この脳は既に1400ccあった。 現代人の脳の平均は1400ccですから、脳は 言葉が登場するずっと以前に完成している んです。ネアンデルタール人は、実は現代 人よりも大きな1800ccに達する脳を持って いた。しかも最近の研究では、現代の社会 に生きる人たちの脳は、数万年前のホモ・ サピエンスのものよりも縮んでいるという ことがわかっています。10%ぐらい小さく なっている。脳が大きくなったことと言葉 を喋り始めたことは関係がないんです。関 係ないと言っては言いすぎかもしれません が、言葉を喋り始めたことは脳が大きく なった原因ではない、結果なんです。しか も、科学技術によって複雑なコミュニケー ションを駆使するようになったことで、実 は脳は縮んでいるかもしれないんです。こ れは由々しきことだと思います。 ■人間の脳はなぜ大きくなったか  では、脳が大きくなり始めた原因は何 だったのか?これは霊長類学者・人類学者 の大きな課題でした。それについて解決し たというか、仮説を出した人がいる。イギ リス人のロビン・ダンバーという人です。 現在300種類くらいいる人間以外の霊長類 について種ごとに集団サイズの平均値をと り、それをパラメータとして脳の大きさを 比べてみました。すると、右肩上がりの綺 麗な相関関係が得られた。これは何を表し ているかというと、仲間の数が増えると脳 は大きくなるということです。  仲間の数が増えるということは何を表し ているかというと、たとえニホンザルでさ え自分と仲間のサルのどちらが強いか弱い かということをはっきりと頭に記憶してわ きまえて行動しないと、強いサルから攻撃 される。仲間のどのサルが強いか弱いかと いうことをはっきりわかった上で行動しな いと、猿知恵も働かせることができない。 だから、仲間の数が増えればそれだけ頭に 収める記憶量も増えるということを表して いるんですね。つまり、霊長類の脳は「社 会脳」として、社会的複雑さに対応して大 きくなったということがいえます。  人間も言葉をしゃべる前はそうだったん じゃないかということなんですね。つまり、 人間の集団サイズが大きくなるに従って脳 を大きくする必要があった。だけど、その 時に言葉は喋っていなかったんですよ。で はいったい何をしていたのかということに なるわけなんですが、実は化石しか残って いない古代の人類でも、頭骨が比較的よく 残っていると、頭骨の中に収められている 脳の形や脳の大きさがわかります。それに 先ほどの相関式・相関係数を当てはめてみ て、当時の化石人類が暮らしていた頃の平 均的な集団サイズを割り出してみました。 すると面白いことがわかった。  この図のX軸には350万年前から現代ま でをとっています。350万年前には、まだ ホモという学名がついていないオーストラ ロピテクスという別の学名がついた化石人 類が生きていました。オーストラロピテク

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ス・アファレンシスの脳は、まだゴリラ 並です。350ccから500ccくらいしかなかっ た。それが先ほど言ったように200万年前 に600ccを超えました。その時に人間はど れぐらいの集団サイズで暮らしていたのか というと、30人から50人という数字が出て きたんですよ。  そして脳が現代人の1400ccくらいになる と、いったいどれくらいの平均集団サイズ に匹敵するかというと、150人という数が 出てきた。これは実はすごく面白い数なん です。人類学者によると、自分たちで食料 生産をしない現代の狩猟採集民、つまり自 然の食物に頼って生きている人たちの平均 的な村のサイズは150人だといわれていま す。これはマジックナンバーと呼ばれてい ますが、人間は長らく狩猟採集をおこなっ ていて、農耕が始まったのは今から1万 2000年前ですが、それまでは150人くらい の集団で暮らしていたのではないかという 憶測が成り立つんです。農耕・牧畜という のは食料を自前で生産し、それを貯蔵して 食糧不足に耐えることができる、多くの人 口を抱えることに適した生業様式です。そ れが始まって急激に人口が増えたから、今 では当たり前のように大きな集団で暮らし ているけれども、まだ人間の身体や心は 150人程度の集団サイズで機能するように できているのではないかという予測も、一 方で成立するわけです。 ■10~15人の集団のコミュニケーション  そこで私は考えてみました。やはり、集 団の規模に応じたコミュニケーションがあ るのではないか。10人から15人というの は、ゴリラの集団の平均サイズです。これ は現代の人間社会にもあります。スポーツ の集団です。サッカーは11人、ラグビーは 15人、バレーボールは6人、バスケットは 5人。これくらいの集団でスポーツはおこ なわれます。それ以上の人数だとスポーツ はできないんです。なぜかというと、チー ムプレーをしている時に人は言葉で語り合 うことができません。言葉で語り合ってい る時間はない。目配せや仕草、自分の行動 で、相手に自分のやりたいことを伝える。 もちろん練習の時には、言葉で解説しなが ら体を合わせていくわけですが、いざ試合 になると言葉は使わない。それでひとつの 集団が生き物のようにまとまって動くこと ができる。ゴリラは言葉を持っていませ ん。しかし、10頭くらいの群れでまるで生 き物のようにお互い同調して、統制された 動きをとることができる。これは言葉の前 に使われていたコミュニケーションなんで すね。人間も身体を同調させることができ る。そういう能力をふんだんに持っていま す。それを使っているのがスポーツなんで す。チームワークですね。 ■30~50人の集団のコミュニケーション  では、人間の脳がゴリラの脳を超えた時 にいったい何が起こったのか?30人から50 人に集団サイズが大きくなった。これは学 校のクラスの人数です。学校のクラスにつ いてよく考えてみると、毎日毎日顔を合わ せているから誰かがいなくなったらすぐに わかります。ゴリラも毎日毎日顔を合わせ

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ていますから、もちろん誰かがいなくなっ たらすぐわかる。30人から50人くらいだっ たら、かろうじて日々の顔の連携によって、 お互いに仲間であることを認識できる。だ から統一された行動をとることができるん ですね。1人の先生で学校のクラスを統率 できる。学校のクラスの誰かが手を挙げて、 こういうことをしてみませんかと言ったら、 かろうじて集団は分裂せずに統一した行動 をとることができる。そういう集団なんで す。宗教の布教集団もこの数です。軍隊の 中隊もこの数です。会社の部もこの数です。 人間は知らないうちにこの数を使っている んですよ。  その時に言葉はどれほどの威力を発揮し ているのか?あまり発揮していないと思い ます。例えば学校には制服があります。軍 隊にも制服があります。会社には制服がな いところがあったとしても、同じような身 体を繋ぎ合わせるような服装があります。 そういう身体で繋がるようなコミュニケー ションを発揮しながら、毎日の挨拶では「お はよう」と言うかもしれない。「おはよう」 という言葉には何の意味もないわけですね。 でも、「おはよう」という声音を聞いただ けでその人の気分がわかる。今日はちょっ と気分が悪そうだなとか、何か心配事を抱 えているのではないかとか、察知できる。 そういうコミュニケーションによって結ば れている間柄なんですね。 ■150人の集団のコミュニケーション  では、150人とはいったいどのような集 団か?言葉ができるちょっと前からこの 150人というのは達成されていた。つまり、 やはり言葉によって結ばれているのではな く、実際に過去に一緒に仕事をした、ある いは、悲喜こもごものいろいろなことを体 験した仲間だろうと思います。私はこれを、 年賀状を書こうとした時にリストを見ずに 顔が思い浮かべられる最大値だと言ってい ます。1人で2000枚も1万枚も年賀状を書 く人はいますが、だいたいそれは名前のリ ストに載っているわけですね。でも、過去 に何か楽しい思い出や辛い思い出を持った ことのある間柄の人は、名前というより顔 が浮かぶわけですよ。そういう文字や言葉 ではない記憶によって結びついた間柄とい うのが、この150人だと思います。それは 言い換えると「社会的資本」だと思います。 何かトラブルに陥った時に無条件で頼れる 相手。こんなにたくさんはいないかもしれ ませんが、せいぜいこれくらいの数までし かできない。そういう人たちを1人の人間 が1000人も持てるわけではありません。 ■集団を形成するコミュニケーション  我々は言葉を駆使してこの社会を生きぬ いているように思っているかもしれないけ れども、言葉というのは案外役に立たない。 身体のコミュニケーションによって、身 体の記憶によって結びついている間柄で、 我々は社会を構成しているんだということ です。

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図14.集団を形成するコミュニケーション  このことを図にしたのがこれです(図 14)。共鳴集団という、ゴリラの集団サイ ズのような集団が基本になっています。こ れは日常生活でいえば家族です。家族は言 葉を交わさなくてもわかるんですね。朝起 きて後ろ姿を見ただけで、あぁ気分が悪そ うだな、とかがわかる。そういう集団が基 になって、その周囲に地域の共同体がある。  地域の共同体というのは、文化を内面化 させている間柄です。お祭りを一緒にやっ たり、町の匂いを共有したり、同じような 食事をしたり、その土地の文化というもの を体で知っている間柄です。だからお互い を信用できる。そういう人たちの集まりは いわば音楽的コミュニケーションによって つながっています。童謡とか子守唄とか、 あるいは服装も町の色も、すべて音楽的コ ミュニケーションに移し替えられるかもし れない。つまり、言葉という、意味を持つ コミュニケーションではなくて、感情・感 覚で結びつくコミュニケーションといえる と思います。  その外に、言葉によって繋がり合ってい る大きな集団がある。だけどそれは、バー チャルなものであるということなんですね。 言葉というのは見えないものを見せる、あ るいは体験してないことを再現するという 効果を持っている。それを駆使して、人間 は一気に集団サイズを拡大したわけです。 しかし、それはまだ信頼すべきつながりに はなっていない。目に見えない相手と笑い 合うわけにはいかないわけですよ。笑いと いうのはまさに身体と身体とを繋ぐコミュ ニケーションであって、遠くにいる相手と ワッハッハと笑い合うわけにはいかないわ けですよね。そういうつながりを未だに 我々は持っているということです。 ■人間の高い共感力はなぜ育まれたか  では、この高い共感能力を人間はなぜ持 つ必要があったのか?それは人間がゴリラ やチンパンジーが住んでいる熱帯雨林を離 れて新しい生息地へ進出していった時に、 食物や子育てを分かち合うことが必要に なった結果としてできてきたというものな んです。  ニホンザルは食物を分け合ったりはしま せん。強いサルが独占して弱いサルには決 して分けない、そういう社会を持っていま す。ニホンザルにとって、それは何でもな いことなんです。食べ物は植物ですから、 たとえ強い者に独占されたとしても他に いっぱいあるわけです。分散をして食べれ ばトラブルが起きない。彼らの社会のルー ルは、弱い者が分散しましょうというルー ルなんです。  一方、類人猿は食物を分配します。左の 写真はチンパンジーです(図15)。真ん中

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に体の大きなオスがいて、たった今しがた 捕まえたサルの肉を食べています。そこに メスたちがやってきて、肉をねだります。 オスは体がメスよりも大きいですから、こ の肉を独占しようとすればできないわけで はない。だけど、おばさんチンパンジーは 強いんですよ。しつこい。大阪のおばさん くらいしつこい(会場・笑い)。だから諦 めない。するとオスは、メスの執拗な要求 から逃げるよりも、ちょっとずつ肉を分け ていった方が楽なので分配します。  その結果、実は重要な場面が成立する。 つまり食事です。人間の食事は、食物を囲 んでみんなが同じ食物に手を出して分け合 うことが基本になっています。でもサルに はそんなことはできない。チンパンジーの ように強い者が食物を弱い者に対して分け ることによって、同じ物を囲んで車座に なって向かい合って一緒に手を出すという ことが可能になるんです。人間の食事とい うのはこれが前提になっているんですよ。  右側はゴリラです。長い間、ゴリラはオ トナ同士で食物を分配しないといわれてい ました。しかし、我々は発見しました。大 きなオスが大きなフルーツを持って来て、 それをメスや子どもたちにちぎって与えて いるというシーンを発見しました。類人猿 ではこういうふうに、強い方が弱い方に食 物を分け与えるということが起こる。ニホ ンザルの場合は逆です。ニホンザルでは、 強いサルが弱いサルが食べようとしている 餌をぶんどるわけです。類人猿は違うんで す。弱い方が強い方が持っている食物に対 して手を伸ばしていって、それが分配され る。こういう世界に我々はいるんですね。 ■食物分配と育児の関係  面白いことに、食物分配は類人猿だけに 起こるわけではなくて、南米に住んでいる マーモセットやタマリンという小さなサル でも起こることがわかってきました。  食物分配の有無を霊長類の系統樹の上で 図15.類人猿の食物分配

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整理すると、そこには規則性が見られます。 オトナから子どもに食物が分配される種の 中で、オトナ同士の食物分配が起こってき たということがわかるわけです。しかも、 オトナから子どもに食物が分配される種は 基本的に子どもの成長期間が長い、あるい は、子どもがたくさん産まれるという二つ の特徴のいずれかを持っている。類人猿の 場合には、子どもの成長にすごく時間がか かる。たくさんは産まれません。でもタマ リンやマーモセットでは二つ子、三つ子が 普通に産まれる。だから、お母さんに育児 の負担がとてもかかる種で、オトナから子 どもに対して食物を分け与えるという行為 が進化の過程で起こってきた。そして、そ の中でそれがオトナに普及したのではない かと類推されるわけです。  人間はこういうサルや類人猿と比べてす ごく気前がいいわけです。潮干狩り、ぶど う狩り、キノコ狩りに行って、その食物を 自分だけで消費しませんよね。必ず家族や 仲間のもとに持って帰ってきて、分配して 一緒に食べる。そのひとつひとつに自分の 食欲を抑制するという行為が含まれている わけですよ。なぜそこまでして自分の食欲 を抑制しなければいけないのかというと、 仲間と一緒に食べることが嬉しいし、その 食物によって仲間と自分の関係や仲間同士 の関係を変えることができるからなんです。 食物というのが人間の社会では道具化され、 社会化されているわけです。このようなこ とはサルの社会では起こり得なかったし、 類人猿の社会でもなかなか起こっていませ ん。  人間はなぜそんなことを起こしたのか。 霊長類の中で育児にかなりの負担がかかる 種が現れて、その種ではオトナから子ども に食物が分配されるようになった。そして その行為がオトナ同士の間に普及して、オ トナ同士で目的を変えて何かの行動の引き 換えにおこなわれるようになった。例えば、 自分の好きなメスに食物を与えて後で交尾 をさせてもらうといったバーター取引が成 立する。そういうようなことが起こり始め て、オトナ同士でも食物がやり取りされる ようになった。それをさらに徹底して、食 物を社会化したのが人間です。人間がなぜ 食物を社会化する必要があったのかという と、未だにゴリラやチンパンジーが暮らし ている一年中食物が豊富で危険の少ない熱 帯雨林から離れて、草原へと出て行ったと いうことに尽きるんだと思います。つまり、 食における共同は最も古い人間の特質だっ たのだけれども、それをサバンナ(草原) へ出て行ってさらに磨きをかける必要が出 てきた。そこで登場するのが子育てです。 ■人間の子育ての特徴  子育てについて、人間と他の類人猿とで 圧倒的に違う特徴があります。ゴリラの子 育てと人間の子育てを比較してみると、そ の大きな違いがわかる。ゴリラはオスの成 獣になると体重は200㎏を超えます。メス も体重100㎏を超えます。どうです皆さん、 200㎏を超えている男性はいらっしゃいま すか?100㎏を超えている女性はいらっ しゃいますか?いないでしょう。大きいん ですよ、ゴリラは。だけど生まれる時の体

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重は平均で1.6㎏です。2㎏を超える個体 はほとんどいない。小さいんです。そして 3年から4年くらいお乳を吸って赤ん坊は 育ちます。お母さんはその小さな赤ん坊を 1年間ずっと抱いて、離しません。だから 赤ちゃんは泣かない。乳離れをするように なると、お母さんがお父さんのところに赤 ん坊を預けに行く。置き去りにするんです。 これをパーキングといいます。車を駐車す るような感じです。お父さんはお母さんた ちに置き去りにされた子どもたちを監督し て、保護して遊ばせる。それがお父さんの 仕事なんです。 図16.ゴリラの父親と子どもの遊び  これはお母さんが、お父さんのそばに乳 離れした子を置いていっているところです。 ・・【映像視聴】・・  子どもたちがお父さんの背中の上で遊ん でいます(図16)。お父さんは動きませんね。 子どもたちは笑い声をたてて遊び始めてい ます。遊びをちゃんとコントロールして見 守るのがお父さんの仕事なんです。  ゴリラから見ると人間の子どもは不思議 な特徴を持っています。まず、生まれた時 の体重は3㎏もある。ゴリラの2倍もある。 そして、人間の赤ちゃんはよく泣きます。 ゴリラの赤ちゃんは全く泣きません。静か なものです。なぜ人間の赤ちゃんは泣くん でしょう?一方で、人間の赤ちゃんはよく 笑いますよね。ゴリラの赤ちゃんはお母さ んの体にすぐつかまれる。だからお母さん は抱いていられる。でも、人間の赤ちゃん は重たいし、自力でお母さんにつかまるこ とができない。それに、人間の赤ちゃんは 成長が遅い。ゴリラの赤ちゃんは5歳で50 ㎏超えますが、人間の赤ちゃんは5歳で20 ㎏に満たない。また、人間の赤ちゃんは成 長が遅いにもかかわらず、乳離れが早いん です。ゴリラの赤ちゃんは4歳から5歳にな らないと乳離れしません。人間の赤ちゃん は1~2歳で乳離れしてしまう。なぜこん なに早いのか?それを図にしたのがこれで す(図17)。 図17.ヒト上科の生活史  図の一番上の数字は年齢です。乳児期は お乳を吸っている時期ですね。少年期とい うのは、お乳以外のものを食べている時期。 そして、成年期というのは繁殖をしている 時期で、老年期というのは繁殖から引退し た時期です。上からオランウータン、ゴリ

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ラ、チンパンジー、一番下はヒトです。全 ての時期がそれぞれにありますが、長さが 違う。オランウータンは7年も乳を吸うん ですよ。ゴリラは3年から4年、チンパン ジーは5年も乳を吸う。人間の赤ちゃんは 1歳、2歳で乳離れをしてしまう。だけど、 すぐに他の類人猿のように少年期には入り ません。子ども期というのがある。この子 ども期というのは、どういう特徴を持って いるかというと、まだ乳歯なんです。乳歯 で、本来ならばお乳を吸っている時期なの に、お乳を吸わない。固形物を食べて生き ている時期がここに来る。これが4年もあ るんですよ。オランウータン、ゴリラ、チ ンパンジーは、乳離れをした時にすでに永 久歯が生えています。でも、人間の子ども は6歳にならないと永久歯が生えてきませ んね。本来ならば6歳まではお乳を吸って いてしかるべきなんです。ところが人間の 場合には早く離乳をさせてしまった歴史が そこにはある。そして、青年期というのは、 繁殖能力がついていながら繁殖をしない時 期にあたります。これは人間だけにありま す。そして老年期が長い。この3つの特徴 が人間の人生の特徴なんですが、これはお そらく相互に関連し合っているはずです。  まず、人間の赤ちゃんはなぜ乳歯のうち に離乳してしまうのかというと、お乳を やっていると排卵が抑制されて次の子ども を産めないからです。だから、お母さんは 赤ちゃんを早くからおっぱいから引き離し て授乳を止めて、プロラクチンというホル モンを消して排卵を再開させるということ をしたに違いない。熱帯雨林を出た時、肉 食獣がうようよしていたものだからたくさ んの人間が死亡して、とりわけ子どもがた くさん殺された。肉食獣は好んで子どもを 食べますからね。それで、子どもをたくさ ん産んで補強する必要があった。多産にな るために、赤ちゃんの授乳期間が短くなっ たということなんですね。  では、なぜ重たい赤ちゃんを産むのかと いうと、脳の成長を守るためです。人間の 赤ちゃんの体重の重さの秘密は、体脂肪率 にあります。ゴリラの赤ちゃんの体脂肪率 は5%以下で、ガリガリなんですよ。人間 の赤ちゃんの体脂肪率は15%から25%もあ るんです。この脂肪は、脳の急激な成長を 守るためです。脳も脂肪ですから、その脂 肪を燃やしてエネルギーにして、栄養の供 給が足りない時に脳の成長を助けるという 働きをするわけです。人間の赤ちゃんの脳 は3段階で発達します。1年間で2倍にな ります。5歳までに大人の脳の90%に達し て、それでも成長を止めずに12歳から16歳 までに完成する。ゴリラの赤ちゃんの脳は、 オトナの脳の半分です。それが4歳までに オトナの大きさになります。だから人間の 赤ちゃんは生後1年間はゴリラの4倍のス ピードで脳を発達させる。産まれた時の赤 ちゃんの頭骨は、中心部がぶよぶよなんで すね。脳がどんどん大きくなるから、骨が 開くようになっている。子どもの成長が遅 いのは、この脳に過大な栄養をとられるた めです。5歳以下の子どもは摂取エネル ギーの40%から85%を脳の発育に回してい ますから、その分、身体の発育が遅れます。 そしてここで、思春期スパートというもの

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が起こります。 ■赤ちゃんの共同保育と思春期スパート  人間の子どもは、生まれた当初は身体の 成長速度が速いですね。しかしどんどん脳 にエネルギーがとられるから、成長速度は 下降します。5歳で緩やかになって、12歳 から16歳で脳の成長が止まる時にエネル ギーを身体の成長に回すことができるよう になって、成長速度はアップします。これ を思春期スパートといいます。女の子の ピークの時期は男の子より2年早い。男の 子のピークは女の子よりも高い。そういう 特徴を持っています。これは経験的に皆さ んご存知だと思います。  この思春期スパートというのは、脳の成 長に身体が追いつくことを意味していて、 実際にこの時期に繁殖力も急速に身につけ る。学習によって社会的な能力を身につけ なければならない時期にあたります。この 時期は非常に不安定なんですね。  人間の死亡率は生まれた直後は高いんで すね。その後、親のケアがどんどん行き届 くから死亡率が下がっていきます。先ほど の思春期スパートを過ぎたあたりに、男の 子も女の子も死亡率がぐっとアップする時 期がある。これは思春期に脳と身体の成長 のバランスが崩れて、冒険心を燃やしたり 仲間とのトラブルに巻き込まれて傷ついた りして死に至るケースが増えるということ を示している。しかも、歴史的にどの年代 をとってもこの時期は変わりません。ある いは、どの民族のデータを比べてみてもこ の時期に変わりはない。ということは、こ れは文化や民族の違いを表しているのでは なくて、人間の身体の成長の特徴を反映し ていることを表しているわけです。だから 人間は、早い離乳と遅い成長によって特徴 づけられている。とりわけ離乳の時期と思 春期スパートの時期が、子どもにとって非 常に危ない、脆弱な時期にあたる。だから、 この時期を支える大人たちがたくさんいた 方がいい。  それで先ほどの話を思い出していただき たいのですが、脳が大きくなる時期と合わ さって集団のサイズが大きくなると思われ るわけです。人間の赤ちゃんは、集団保育 をされるように生まれついています。それ は、すぐ泣くということに現れています。 お母さんがひ弱で重たい赤ちゃんを抱き続 けることができずに離してしまうから、あ るいは、他の人の手に預けてしまうから、 赤ちゃんは自己主張しないと気がついても らえません。それで泣くんですね。ゴリラ の赤ちゃんは1年間ずっとお母さんの腕の 中にいるから、泣く必要がありません。人 間の赤ちゃんは、お母さん以外の人に育て られるように生まれついているといっても 過言ではない。 図18.人類の進化史と家族の形成

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 人類の進化史を図示してみると、こうな ります(図18)。おそらく最初は多産性と いうものを身につけて、脳が大きくなって から赤ちゃんが重たくなり、成長が遅くな り、ますます共同保育が必要になって「家 族」というものが成立したと思われます。 200万年前に脳が大きくなってそれほど経 たない時期に、複数の家族が集まった共同 体、おそらく上限は150人ぐらいだったと 思われますが、そういうものが成立したと いうふうに私は考えています。 ■AI時代にむけて  最後にAIの話をします。AIの時代とい うのは、まさに今、身体の繋がりではなく て脳の繋がり、つまり離れてコミュニケー ションをとることによって社会の繋がりが 保たれる時代に移りつつあることを示して います。しかし、私が本日強調してきたよ うに、言葉や人工知能によって人々が繋が るということに、人間の身体感覚はまだ慣 れていません。ですから、信頼関係をAI によってつむぐことはできないと思ってい ます。しかし、IT時代の若者たちは、身 体や心をITやAIにどんどん任せるように なっている。最初に私が言ったように、年 寄り世代ができないことを若者世代はやり 始めている。それによって一番失われるの が、実は共感力です。  IT社会には欠点と利点があります(図 19)。ITは格差を作りませんから、お互い がバーチャルな空間で点と点として付き合 うことができる。中心ができない。だから、 入りやすく抜けやすいという非常に気楽な 集団がぼつぼつとできます。しかし、信 頼関係を作れないから、結局不安になる。 AIにできないことは、直観力と共感力を 使えないということです。実は人間は、生 物として進化の過程を生き抜くために、こ の直観力と共感力を使って、集団力・社会 力というものを鍛えてきた。生物的な身体 を失った時に人間は、AIと同等な、ある いはAIに勝てない存在になります。  ですから私は、次世代のコミュニティの 要件として、規模による適切なコミュニ ケーションをとること、つまり身体のコ ミュニケーションを忘れてはいけないとい うことを言いたいわけです(図20)。とり わけ「身体・五感を使った交流」というも のをもっと盛んにしなければ、我々はAI 図19.IT社会の利点と欠点 図20.次世代のコミュニティの要件

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