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嘘の元祖的存在と言える 元々が人間の本質を持たない存在であったので それは彼女の普通である そこから生み出される 悲劇的な正しさ 彼女を通して 人は心の力を無くし 怖れがその力となる正しさに縛られ 苦しみの時を生の事実として連ねていく 信頼も誠実も無縁であるその場所で それが未来への大きな足枷になる

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Academic year: 2021

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復活への道(2)

1) 人間本来を普通に生きる生命としての在り様が そこに無ければ、事実としての形がそこに在ったとし ても、その中身は全て嘘である。人間らしさを損なう 価値観が蔓延する世であれば、そこで通用する正義も また嘘である。 正しさは、正しいこととして存在するものではな く、人間が普通に持ち合わせる、自然な想いである。 それが力を無くしてしまったために、人は正しいこと に翻弄され、嘘に付きあわされて、争い事と隣り合わ せの人生を生きる。 この国の歴史は、普通であるはずの正しさがそうで はない正しさ(正しいこと)に抑えられ続けた、真と は程遠い悲しい時代の連続である。人は皆、作られた 正しさに本来を見失い、そこにある嘘に反応する機会 を持てないまま、生命としての自分を忘れる。正しい とされることが力を持てば、正しくないことも同時に 力を得る。普通に育まれる正しさは、平面的な思考の 域には無い。 2) 縄文時代とされる永い時に皆で育んだ精神性が 尽く潰され、破壊されて始まった弥生時代。その終わ り頃に初めて人間の脳を持ち得たヒミコは、この国の

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嘘の元祖的存在と言える。元々が人間の本質を持たな い存在であったので、それは彼女の普通である。そこ から生み出される、悲劇的な正しさ。彼女を通して、 人は心の力を無くし、怖れがその力となる正しさに縛 られ、苦しみの時を生の事実として連ねていく。信頼 も誠実も無縁であるその場所で、それが未来への大き な足枷になることも知らず、耐え忍び生き、生きなが らそれを堪える。 ヒミコは、お告げづくりを担当する数人の男女に支 えられ、演技力を付け、凶悪な本性をそれに重ねつつ、 人々への影響力を強めていく。後世の人たちが抱く彼 女の印象(知識)は全て嘘である。人の脳に恐怖心を 植え付け、人間を物のように扱う彼女は、自らの言動 全てを正しさとし、世を支配する。同質の存在たちと、 嘘を固めていく。 3) その怪異的な能力で人の脳の働きを鈍らせ、そ こから健全さを奪い取る彼女であったが、全くそれが 効かない人間が人々の中に居ることに驚き、彼女の近 くの存在たちも緊張を覚える。その人間は、人々から 信頼され、共に生きる基本形のお手本のようなありの ままの存在であるので、人に知られては困ることを多 数抱えるヒミコの集まりは、その人間の前では細心の 注意を払い、その嘘がばれないように努める。その彼 も、隠された様相の性質(残酷な迫害と殺害)までは

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知り得ることも出来ず、違和感を向ける場所として彼 らのことを具体化させる機会には近づけない。 そんな中、ひとりの女性がその彼に、彼らの隠され た内実を伝えるために近づく。彼女は、世の治安と将 来のためと、ヒミコ近くで直感を形(言葉)に平和の 材料を提供する仕事を担う。彼女自身も脳を壊されて いたが、生命源からなる心の意思は人一倍の力を持 ち、動きを操られながらも、その意思のまま想いを表 現する。 ある時期から、ヒミコの周りの男性たちの行動が病 的で凶暴(凶悪、残忍)な様を見せ始めたこと。ヒミ コの言動が次第に異常さを帯び、虚偽・欺瞞が先行し 始めたことなど、強い違和感を覚えていたそれらを、 その男性に話す。それは、みんなのことを大切にする 彼とその気持ちを共有できる彼女の、正直で真摯な選 択である。 4) ヒミコとその周りの人たちの実の姿を把握し得 た彼は、心ある人たちにそれを伝え、動き出す。皆で 現実の背景を見つめ、正しさを本来のものに変えよう とする。しかし、ヒミコへの怖れはどうにもし難く、 それ以上に獰猛で野蛮な男たちの力に、人々の素朴な 気持ちは抑えられてしまう。その中でも、ヒミコでさ えも従順になる程の、ある存在。彼の命で、人々の中 心に居た男性は捕まり、山奥に連れて行かれ、命を奪

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われる。その恐ろしい様は言葉には出来ない。指揮し た男は笑い、ヒミコは満足気である。何人もの男たち がそれに当たる。 その後日を置かずに、彼らの内実を外に漏らした女 性も命を絶たれる。男性が命を奪われる時の姿を見せ られた彼女は、その後の人生で、いつの時もその時の 恐怖を抱えて生きることになる。 人間の脳を極端に萎縮させ、その自由な働きを簡単 に止めてしまうヒミコの周りには、同じような力を持 つ存在が何人もいて、その中で最もその強い力を持つ 中心的な男性は、この国の病みの核のような意識体で いて、鎌倉の頃に、権力を持つ上皇としての生を経験 する。生贄にされた人の殺害を率先して行っていた、 獣のような野蛮さを備える男性は、後に親鸞となる。 2人とも現代に居て、その時の姿を覗かせる。ヒミコ も頼る実力者である前者は、現在皇室繋がりの世界に 居て、この国のどうにも動かしようのない病みの基礎 を余裕で支える。彼はかつて、動きの無い(人の動き を止める)神社造りを主導した経験を持ち、心ある柔 らかな人たちの人生を今尚食べ続ける。 5) ヒミコの時代は、争いの絶えないこの国のその 病みの元となる基礎固めを担おうとする存在たちが集 まっただけに、彼らのその後(現代)は凄まじいもの がある。その時、人狩りを得意とし、命令されるまま

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に気に入らない人をさらって命を弄んでいた男性は、 親鸞繋がりの嘘の世界に守られ、人知れず多くの人 (特に子供)の脳を不健全にさせ、彼らの生きにくさ を演出する。彼と共に居た、存在そのものが重たさで ある不気味な男性は、核廃絶関連の現場に居て、その 重たさで、世界の病みの原因を動きの無いものにす る。中でも病みの出世街道を歩んだのが、命を奪うた めに連れて来られた人たちを好んで殺害し続けた男性 である。彼は、信長を操る豊臣秀吉の生を獲得し、今 はその経験を活かして、縁する誰の人生をもオカシク させていく。蛇の脳に入ったままの存在を含む他の人 たちは、現代のキリスト教や優位とされる立場を隠れ 蓑に、柔らかな感性を持つ人の脳を破壊し続け、社会 不安の強力な燃料で居続ける。海外のある国に一定の 期間住み、そこに在る重たいままの歴史上の悲劇の原 因を取り込んで、病みづくり(無意識の影響力)の力 にする奇怪な存在もいる。 現在のヒミコとの協力関係を維持する彼らは、皆あ の時(邪馬台国)と同じ、その殺害欲求はそのままで ある。しかしあの時と同じようには行かない現実に、 焦りと怒りを覚え、その上その悔しさの隙間に、いつ のまにか無有日記のエッセンスが流し込まれているこ とに、耐え難い憤りを感じている。この「復活への道 (2)」からも、それは為されている。

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6) 邪馬台国の時代以降、彼らの多くが 700 年代に 生を持ち、同質の存在たちが住みやすいよう、宗教や 政治の要職に就いて、支配層の安定化を計る。 そんな彼ら全員が一斉に現代に転生したことは驚き である。(中心に居た男性とヒミコ2人の現代での歳 の差はかなりであるが…)彼らは皆それぞれに、この 時代に対して、彼らなりの違和感を抱いている。それ は、自分たち色の重たい空気で充満させたはずの場所 (歴史)から、それが漏れ出しているというもの。信 じ難く、許し難いその事実に、彼らは、暗黙の懸念の 対象となる存在近くに集い、その原因を突き止めよう とする。 その存在とは、あの時、完全なる負の力で生命の意 思を抑え込み、そこに一切の動き(身体活動)を止め る粘着質の負荷を染み込ませた(染み込まされた)男 性と、彼に秘密の情報を伝えた女性の2人のことであ る。 ところが、近づけば近づく程、逆に追い込まれ、事 を起こそうとすると、その分覚えの無い厳しさを経験 させられることに、彼らは唖然とする。しかも、その ひとつひとつを無有日記の材料にされてしまうのであ る。彼らにとってのそれは、青天のへきれきを超える 体験である。そして彼は、少しずつ確実に、その呪縛 を解き、動き出す。彼女はその過程に関わり、それを 支える。

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無有日記の原因は、2人を潰そうとする存在たちの 経験枠の中には無く、いつか彼らが経験するであろう 世界のどこにも無い。この今だからこそ誕生したその 原因の世界に包まれ、2人は安心して本来を取り戻す。 そして、記憶の中の全ての原因を解放し、浄化する。 二度と通らなくてもいい道を遥か後方に置きながら…。 7) ヒミコとその集まりが、負の歴史の基礎となる 時代を築いたその場所は、富士山が近くにあり、蛇が 住みやすいところである。遠くからも見えるその山 が、今尚念系や神道系の重たい存在たちによって霊山 (御神体)として崇められているのも、ヒミコ繋がり の病みの所以である。彼は、山である。人間の邪な思 惑に付き合わせてはならない。 自然界で健気に生きる山や森を特別なものとして扱 うことほど、人として無責任なものはない。それは、 人間の成長を妨げる差別心をその無意識の中に育ま せ、心を持たない人の支配・権勢欲の燃料にもなり得 るもの。そこに在る原因を感じれば、自然界が辛くな る不自然さだけが伝わり出す。 山も海も、森も川も、自分たちと共に生きる自然体 の生命たちを応援する。彼らは皆、特殊事情の対象と なることを望まず、流れない価値観(ご利益心)を向 けられることも嫌う。自然界は、自然で素朴な、柔ら かな存在を喜び、それらに触れることに安心する。

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富士山は、心許せる友人のような、いつでも融合で きる生命たちと共に生きる意思を持つ、個性ある1つ の山(生命体)である。それと対極に居るのが、その 近くに居を構えたがる宗教絡みの存在たちであり、や たら富士山を特別視する、重たい感情を持つ人たちで ある。 ヒミコ(邪馬台国)は、最初に富士山の生命力を悪 用した(傷つけた)、それとの融合を体験できない地 球の異物のような存在である。その影響は現代でもそ こに在り、質を同じくする大小様々な集団が、同じこ とをする。健全な感性を持つ人は、気軽にそこには近 づけない。 8) 生命世界の真実は、思い、考える思考世界のど こにも存在せず、仮にそこに在るとすれば、それは個 の価値判断の類でしかない。真実は、一切の解釈を寄 せ付けない変化の本質であり、原因でい続ける生命の 根源的な意思である。それは太陽の魂とも形容され る、生命としての人間の進化の姿である。 それをここで言葉にするのは、それが普通だった文 字も無かった時代のその原因を、未来の原因のこの今 に重ねる必要があるから。知識から始まり、結果を生 きる姿勢は、人間本来のそれではない。変化や原因が 思考で扱われれば、真実は知識世界に取り込まれ、身 動き出来なくなる。そして、生命としては余りに未熟

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な、人間だけを生きる人生を良しとする世界の住人に なる。 平易な言葉で書かれた普通の内容なのに、何度読ん でも記憶に残りにくく、分かりにくいのは、読むだけ ではなく、それを実践する大切さを実体験するため。 そのことで理解は変わり、いつのまにか変化に乗る。 言葉になろうとする原因が、心の中で力強く息づく。 それは、経験の外側との境が外れ、その自覚もなく真 実の世界に生きる機会。ムーセンテンスは、そのプロ セスを支え続ける。 真実が人の思考の域に収められる時、それ自体が嘘 を作り出す力となるので、事実認識も状況把握も、そ の手前の性質は無視されてしまう。大切なことは残ら ず、繋がる場所も持たず、重たい結果ばかりが力を持 つ。そして、事実は歪められていく。 弥生時代にはすでに、生命を生きるその原因が力を 無くし、人としての本来の変化が抑えられて、真の無 い嘘の結果(心無い事実)だけが先行し出した、この 国の歴史。邪馬台国で病みを徹底的に固めた存在たち が、その後何度か転生をし、現代に居ることを考えれ ば、知ることが単なる知識であってはならないことを 理解する。それ以降の歴史上の結果(事実)には、真 実は無い。

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9) ヒミコと一緒になって政治を仕切った危うい存 在たちは、飛鳥・奈良、平安・鎌倉と、それぞれに転 生を重ねるのだが、その時々で彼らが妙に力を入れた のが、神社建立と神様づくりである。しかし、その多 くは真を隠すための体裁(嘘の事実)であり、実際の 目的は見えなくさせてしまう。 非道な権力者により、生きる自由を奪われる心ある 柔らかな人たちは、それへの素朴な違和感や疑問を形 にするのだが、その全てが力で抑えられ、何人もの人 たちが命を絶たれる。中には拷問や殺戮も平気で行わ れ、数百年のうちには、おびただしい数の罪無き人た ちの切なる想いが潰され、皆苦しみの中で命を終え る。 その存在たちには、心を持たないゆえの強い懸念と 猜疑心があり、命を奪った人たちの無念さが自分たち に災いをもたらさず、次の時代の人たちが抵抗する力 を持てないようにと、健全な動きを止める重たい原因 を形に、神社を造る。かつての経験を活かしてそこに 蛇を絡め、人としての本来の在り様と生命の変化・成 長を無きものにする。(しめ縄は、彼らの本性(蛇) を表し、垂の類は、邪馬台国での恐ろしい惨殺の光景 をそのルーツとする。鳥居は、鎌倉の頃からの、犠牲 と呪縛の象徴である) 内実をごまかすために、神づくりは欠かせない。不 健全にさせられた人々の脳は、作り話と嘘の神々を染

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み込まされ、祭事や風習を通してそれらを担がされる。 現代の神道は、そのどれもが、人間の心を持たないヒ ミコ(and「この国の病みの始まり」)繋がりである。 蛇を神(の化身)とする習わしや神主(巫女)の存在 は、健全な感性を持つ人にとっては、恐ろしい程の作 り話である。 ※ 人は、自分たちの発想には永遠に無い、恐ろしく 非道で残虐な行為を目にした時(受けた時)、その驚 きに思考は止まり、その苦しみに感情は固まる。かつ てのその経験の記憶が時を経ても尚垂によって刺激さ れることで、人の心は(恐怖心で)抑えられ、変化も 止められ、思考は不自由のままになる。神道絡みの秘 められた意思は、それを望み、その行為を普通とす る。 風習や伝統としてその残忍な意思が隠され(新たな 意味付けが為され)、受け継がれてきている多くの神 社関わりの形式(物、意識)を通して、素朴で純粋な 人の脳を破壊しようとするヒミコ繋がりの重たい原因 が流れ出している。中でも垂は、より強力に、危うい 本性の存在に負の力を与え、普通の人から健全さを吸 い取るものである。 ヒミコと、後にかの上皇や親鸞になった存在たちと 密に繋がる神道の世界は、そのどこを覗いても、そこ に在るのは、自分たちには無い心の封じ込めと、苦し

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みの再現である。その本質が、蛇(蛇のような人間) の住みやすい、暗くじめじめした国(環境)を望む神 道は、神という世界からは、この世で最も遠い存在と 言える。 10) 1人の人間が神になれば、残りの多数は、そ のための犠牲を強いられる。そのことが見過ごされ (暗に支持され)、利用される世では、人間は成長を 経験できない。本来の姿は忘れさせられ、そこかしこ に在る争いの原因と要らない融合をすることになる。 この国の歴史に残る幾多の悲しみは、全てヒミコが 神になったことで始まる。脳が健全であれば(健全に なれば)、それは明らかな常識であり、人々の健全さ を望まない脳は、それを無視する。生命世界(原因) の普通を嫌悪する人は、その本性を隠せなくなる。 2000 年もの間、嘘に付き合わされれば、それは 人々の中で真実となり、簡単には外せなくなる。しか し考えてみれば、極上の嘘というのはそういうもので ある。疑問の対象にならない程、ずる賢くそれは力を 持ち、人間の感情に住み着いて、世を病ませる。神道 及びそれ系の世界に、生命本来は無い。 経験の記憶から自由になり、人間というものを考え てみる。普通に大切にされるはずの生命の歴史が力を 無くした原因を考えてみる。そこに 2015 年の無有日

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記を重ね、普通の中に在る真の姿と、真を生きる中で の普通を感じてみる。 そこから、少しずつだけど確実に見え出す風景。人 間は、本来、不安や怖れなど持つことは出来ない。病 気や争い事も、自分たちには全く意味不明な世界。人 間は、進化し続ける生命の手本としての、他の生命た ち(動植物たち)の希望であり、その場所が、自分た ちの生きる世界である。それをやむ無く難しくさせら れた時の原因を全て外し、「心の遺伝子」の風景の風 をここに、その頃の太陽を側に、生命そのものの本来 の在り様を復活させる。 11) 人間としての本質を持たない、心の無い人 は、正しいと思うことを正しさとし、その姿をごまか す。この国の歴史を観る時、ヒミコ関わりの正しさ は、全て作られたそれであり、心無い人たちが最も力 を注いだテーマである。 この地球に生きる上での正しさは、思考を働かせる までもなく人の心に自然と息づくもので、人間本来 の、ありのままの基本的な要素である。それを否定す ることは、心を持たないゆえの抵抗とそうであること の証であり、正しさを歪曲させるその意思の現れであ る。大切なことが大切なこととして形ある世界に居続 けることはなく、形を創る原因の世界にそれがあたり 前に在り続けることで、人間は責任を実践する。それ

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は、教えられるものでも伝えられるものでもなく、そ れぞれ自らが思い出し、生きる基本形にそれを連ねる ことにより、自然に伝わり、繋がり行くものである。 それを改めて、ここに記す。 柔らかな感性を持つ心ある人たちが、要らない頑張 りと緊張を経験させられていること自体、地球の悲し みである。彼らが辛さを慢性化させ、その意識もなく 厳しい時を連ねていることは、未来の涙である。それ に気づくことも出来ず、違和感にもならない程の社会 環境の中で、人々は、生命本来から大きくかけ離れた 道を歩もうとする。その、そうであってはならない現 実をその原因深くから浄化し得る時を、皆で迎え入れ る。そこに在る重たいままの原因がその存在意義を無 くす時の訪れを、皆で喜ぶ。そして、未来に繋がる確 かな原因を共に拡大させていく。 人間は、感性が柔らかく、心が優しいから人間であ り、不自然なことも、不調和なことも、その原因を作 り出さないから人間でいられる。「復活への道」と「連 繋の意思」は、人間への応援歌である。地球に生きる 一生命としての人間時間を普通に生きる人たちの、そ のための燃料である。ここから、この場所から、また いつものように歩き出す。地球が喜び、未来が笑顔に なる。太陽がほほ笑む。

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<番外編>

・ 変化する永遠の瞬間(原因の時)を思考で扱わな ければ、そこには、地球上のあらゆる生命の原因が織 り成す多次元的な空間の意思があり、それは(その核 は)、全ての存在たちがその自覚もなく健全に生きる 大切な要素を、絶え間なく流し、送り続ける仕事を担 い続ける。 変化も永遠も、人間の感性が創り出した抽象的な世 界を表す言葉であるが、その世界からは、その人間の 本能にそれらを余裕で繋ぎ、変化する永遠の時と人間 との融合を支える意思が、絶えず働き続ける。動植物 の世界の普通と融合し得るそれは、人間世界の真の普 通(真実)の基礎となる。 そのことへの感覚的な理解(感触)が困難になる 程、人間本来が崩され、共にこの地球で生きる他の生 命たちとの自然な営みが無くなってしまった理由は、 時を経て、何につけても思考が先行して(優先させら れて)、人が人としての素朴な原因がないがしろにさ れてしまったためであるが、中でも、「生命の歴史」 における連繋の普通(転生の本質)が力を無くしたこ とは大きい。 その背景で負の影響力を持ち続ける、人々の思考に 居座る、歴史上の動きの無い知識(認識)と、人間の 成長を止める、人間らしくない思い込み。その元とな

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る部分が、邪馬台国の時により如実に具体化されたゆ え、生命の歴史を元気にさせるべく、転生を絡めたヒ ミコ関わり(血縁)の負の原因の事実を形にする。そ のどれもが、変化する永遠の時の中での、分かり過ぎ るぐらい巨大化した異物である。 覚えたことを組み立てることでしか生きられない彼 らの、人間仕様の蛇脳は、人の心を怖れ、その動きを 止めようと、人に怖れを抱かせる(染み込ませる)。 心が無い分、心ある普通世界からは、その姿は分かり やすい。そしてそこに在る、浄化されないままの(浄 化する意識もなく連れ歩く)重たい経験の記憶。心が 本来であれば(不安、怖れの染み込みが外されれば)、 その原因は、力を無くす。全ては原因。その本質は、 普通の原点。不安も怖れも知らない生命本来の世界に は、過去に留まるものは何も無い。 ・ ヒミコには、兄と弟がいて、どちらも人間の感情 を持たないゆえの残虐さを普通とし、人が苦しみ喘ぐ 姿を喜び、殺害を楽しむ。その兄は、「この国の病み の始まり」の時に、(女性として)生贄の中心に居 て、罪無き少年たちの命を残酷に奪う。その殺害欲求 を満たすために、彼は多くの転生を重ねるのだが、そ の中で名を残すところでは、親鸞の息子と、豊臣秀吉 がある。脳の働き自体が兇器となる彼の思惑により、 直接・間接的に、数え切れない程の人たちの人生が奪

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われる。今回、彼は女性を選び、昔からの仲間たちと 一緒に(彼女らを従え)大阪の地に住み、病みのネッ トワークの中枢を担う。 ・ 弟は、ヒミコの夫でもあり、現代に彼女が生を持っ た時、時を同じくして日本を離れ、イタリアに住む。 そこでは、遠い昔の仲間たちの作り出した苦しみの風 景の原因を取り込み、自らの無意識の凶暴さとその威 力を格段に増幅させる。奈良時代には、兄と同じ場所 (山奥)で、時の権力者の協力者として殺害を繰り返 し、動けなくなった人を、生きたまま大蛇に食べさせ ることも平気で行う。 ・ ヒミコには、弟との間に2人の子供(男、女)が いて、男性は、「この国の病みの始まり」で、巫女の 元祖的存在たちの悪事を補佐し、神主(神職)の原型 となる役を担う。注目すべきは、現代の姿である。彼 は、政治権力を持つ程の宗教組織の中心に居て、邪馬 台国の時と同じ、素朴な人の脳と感性を破壊する。親 の元で培った人間への支配感覚とその本性からなる獰 猛な(蛇同然の)無意識で、自由に世を操り、健全な 動きを止める力を持ち続ける。 ・ 女性は、いつの時も男性(兄)の仕事を援護する立 場にいて、ずる賢く、巧く立ち振る舞い、人々の苦し

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みの原因を固め続ける。かつて人間の味を覚えた彼女 は、現代、地域振興や地方活性を扱う場所に居て、こ の国の土を病ませる。その姿は、従順で礼儀正しい、 人知れず純粋さを食べる悪人である。 ・ この国の病みの土台づくりが徹底して行われた、 ヒミコの時代。彼女の周り(身内)には、隙間無く重 たさそのものの存在が集まり、人間世界の普通を尽く 不健全なものにしていく。全く人間とは思えない経験 を長いこと蓄積させている彼らは、少しでもその感情 が動けば、その対象となる人や空間の変化(原因の動 き)が簡単に止まる程の力を普通とし、思うだけで人 の思考に負荷をかけ、その主導権を握る。 ヒミコの身近には、蛇絡みも含めて多くの存在がい るが、その主要となる密な存在をここで取り上げる。 それだけでも、凄まじく恐ろしい光景である。それを ここに記し、そこに在る原因のひとつひとつを浄化し 得る機会にする。それは、この「番外編」の仕事でも ある。 ・ ヒミコの兄には、男の子がいて、彼は、かつて、 人々に蛇の粉末を繰り返し飲ませて中毒のようにさ せ、不安定な精神状態をその人たちの中に生じさせ て、危うい宗教組織の元となる世界を作り出した経験 を持つ。柔らかい人の脳に恐怖心を植え付けて、その

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全てを支配する彼(彼女)の能力は、次のどの時代で もその人たちを嗅ぎ分け、見つけ出して、再利用する ことを普通とする。現代では、身(真)の無いあみだ 仏を隠れ蓑に、四国の地で、同質のことを行う。 ・ ヒミコの母親は、その後は男性としての生を主に 生き、現代では、外国(米国)の地で、娘と交流でき る場所にいる。民間療法(手当て)に言霊を絡めて神 秘性を偽装し、外国の純粋な人を利用する。彼女は、 平安の時に、最澄としての人生を経験し、仏教の腐敗 に貢献する。 (※彼らの多くが、ある別次層の妙な存在の力添えも あり、軽く数百年単位で世を病ませられる立場(地位) と人生を手にし、宗教、武力、政治において歴史的に 重要な時に、最も影響力を及ぼす存在としての名を残 すことになる) ・ 父親は、惨殺の権化のような存在で、その昔の(人 間の枠には収まらない)姿はしめ縄の大元のそれであ り、「この国の病みの始まり」での実行役の1人とし て彼が行った行為は、水引の原型である。垂は、彼と 別の女性との間にできた男の子と共謀で企てた凄惨極 まり無い光景(との繋がり)を意味し、ヒミコを使い ながら、2人で、その非道振りを正(真)とする神道 の基礎固めを行う。鎌倉の時には、親鸞となり、布教

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に熱く、信者を増やし、後々の大勢の人たちが、自分 を意識することで残忍な原因が流れ出す下地を作る。 (親鸞が、その時代にしてはかなりの長寿だった理由 のその原因深くには、邪馬台国よりもずっと昔の、普 通ではない(人間を好物とする)彼の経験がある) ・ 母親の異なるヒミコの兄は、父親と共に残酷さを 形に支配を強め、その取り組みは、邪馬台国(の恐怖 政治)の根幹となる。人々に、作り上げた嘘の神への 崇拝を常とさせて、皇族(とその絶対権力)の元とな る姿を実践する彼は、後に後鳥羽上皇としての生を持 ち、神社を通して、人間が、人としての本来の感覚を 無くす状況づくりを安定させていく。鳥居は、ヒミコ の時代に、純粋な人たちが、自分たちと同質の大蛇の 前で動けなくなり、命を終えていく姿の、その始まり の時を象徴的に形にしたもので、参道は、それへの恐 怖(諦め、屈服)の導入部である。彼は、それらに深 く関わり、現代でも、当時と同質の場所にいる。 (鳥居が、俗域と神域とを分ける神聖なものであると 信じて疑わない人の本性の中には、そうでなければな らない不穏な理由が隠されている) ・ ヒミコの身内を中心に行われた抑圧と迫害(殺 戮、拷問)には、彼女らと縁のある大勢の凶悪な存在 たちが参加するが、彼らは皆、後の世でも、その流れ

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(重たい原因)と関わり深い場所を選び、様々に協力 し合いながら、人々を苦しめ、殺害を行う。 現代、その多くが、重い歴史を背負った日本各地に 生を持つが、中でも、利根川下流域の水郷の地には、 その極悪級の残忍な存在たちがこぞって集まる。彼ら の意思は、現代仕様の、かつての(邪馬台国での)経 験の応用編。血縁を活かして悪事の原因を分担し、都 合良く世の宗教(キリスト教、神道 etc.)を取り込み、 誰からも良い人でいて、人の心を苦しめる。その殆ど が、蛇の脳の中に居た記憶を潜める。 ・ ヒミコたちと密に関わる存在に、彼らの精神に大 きく影響し続ける白色の大蛇がいる。その蛇の、人間 への貪欲な感情に応えるようにして、日夜殺害は繰り 返され、罪無きたくさんの人たちが彼女(大蛇)の餌 食となる。口を開いた時のその赤と胴体の白は、神道 絡みの世界で象徴的に使われ、その組み合わせは、威 嚇と畏怖(威圧と服従)を作り出す媒体として様々に 引き継がれる。 「この国の病みの始まり」で生贄の儀式全般を仕切 った経験を持つ彼女は、水郷の地で、善良な女性とし て、人々の恐怖心の中心に居座り続ける。神道の土台 に巣を持つその威力は、純粋な人の脳を簡単に鈍らせ (固まらせ)、その人の意識を自らの中に(蛇の胴体 に)入れてしまう程である。

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・ 忘れてならないのは、邪馬台国より 600 年程前 に、蛇同然の存在たちに人間の命を次々と奪わせて (生贄の少年も含む)、それを食べ続けた大蛇の経験 を持つ、ヒミコの近くに居た妙な女性である。邪馬台 国でも、その頃の経験は活かされ、ただ居るだけで 人々の気力(生命力)は吸い取られ、理由も分からず 疲れやすく、衝突が起きやすい状況を人は経験する。 水郷の地の存在の先輩格のような彼女は、現在、東 京西で、皇室を生きがいに、善人振りを徹底して、嘘 そのものを生きる。その無意識の意思の獰猛さは、昔 のままである。 ・ 邪馬台国を支配した存在たちは皆、生命の変化を 拒み、人々の成長を嫌う。その上に積み上げられた、 この国の、異様で不思議な歴史。いつしか常識とされ る非常識に包まれ、経験しなくてもいい経験の中で要 らない感情を覚え、心を忘れる。 「歴史は繰り返される」という言葉に何の疑問も持 てない程、人間はその普通の質を低下させ、「生命の 歴史」という言葉に何の感覚も抱けない程、生命とし ての人間を、人は生きられなくなっている。 この地球に人間としての生命を持ち、人としての人 生を歩むことを選び、ここに生きている今、生命本来 の連繋の意思は力の無いままには出来ないから、これ までの結果としての今ではなく、これからへの原因と

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しての今を生きる。ここに繋がるこれまでの原因を癒 し、変化し続けるこの今の原因とそれをひとつに、生 命を生き、人間をやる。 その歩みが普通自然体のそれであるために、無有日 記をこの時代に差し出す。そのことが次に続く人の安 心の時(原因)になるために、この「番外編」をここ に添える。そして、常識とされる非常識を外し、経験 しなくてもいい経験の原因を浄化する。感性と感情を 人間本来に、心を元気にする。 心ある人たちの、人生のチャンスではなく、生命の チャンスの時。ここに在る、生命としての思考からな る力強い原因の知識を大いに活かし、知ることを、生 きる力にする。経験(結果)からあたり前に自由にな り、普通感覚で経験(原因)を創る。そして、自ら が、「生命の歴史」そのものになる。 原因でい続ける永遠の瞬間という名の生命世界から 観た、この国の、それとは融合できない重たい世界と、 その元となる存在の姿がこうして形になったことで、 未来の風景は、確実に変わり出す。生命源からなるそ れぞれの心の意思が、その普通を、より普通にする。 「復活への道」は、時代が望む、人が人として生命を 生きる、かけがえのない処方箋である。(by 無有 12/06 2015)

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無有日記

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