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縁起と縁起説(上) (河村孝照教授退任記念号) 利用統計を見る

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縁起と縁起説(上) (河村孝照教授退任記念号)

著者名(日)

森 章司

雑誌名

東洋学論叢

20

ページ

17-39

発行年

1995-03

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00003155/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

(2)

(1) 倣始仏牧を代淡する俄脱を上げるとすれば、四締脱と「雛常・苫・猟我」税、》てれに縁起税となるということはだ れしも異論のないところであろう。しかしながら雌始仏教経典の巾では、緑起説が他の教説に比べて、少々特異な位 世づけをされていることは余り注意されていない。そこで本欄では、・葦ず縁起説の特質を指摘するとともに、その意 味するところを考察してみたい。 また、その特斑からすれば、災は鰍起税を「緋超脱」として一まとめに理解するよりも、理法としての『絨起」と、 それを元に説かれた教説としての、十二縁起を典型とする「縁起税」とを区別してとらえるべきであると考えられる ので、続いてこれを讃征してみたいと思う。 ので、 腱 10 (1)逝術一一一法印あるいは凹法印と呼ばれるが、それが不適当であることはすでに述べたことがあるので、左肥紛文を参照された い。「原始仏教における無蹴・群・無我魂についてlその溢科整即」『大介山鏑災」第二側大介桁抑文化研究所昭和四九年三月 はじめに

縁起と縁起説〔凸

噸剛

17

(3)

お艇のように、理法としての繊起と、教脱としての十二縁起税とは一応区別して捉えた方がよいのではないかと考 えるが、とりあえずはこの両方を区別しないで、「縫起」と我肥して以下の翁を進めることとする。 さて原始仏教経典において与えられた「縁起」の特質の第一は、先に乖者が「原始仏教における真実と人間観」 上・下(『平和と宗教』第七号、第八号庭野平和財団昭和六三年一二月、平成元年七月)において指摘したよう に、四諦説と「無常・苫・無我」説が真実(い:3》二己冨一己二】画)と捉えられ、百二夢目薗ヨ園)冒画こせよと教え られるのに、不思扱なことに「縁起」はそうではないということである。ようするに「縁起」は⑩:8.》百百・目(富 などで我される「典火」とは肥擁されなかったから、その「典災」を「典突」のままに如災に知見せよとも教えられ るととがなかったということになる。 このことは原始錘典において、「縁起」が次のように捉えられていることと関連するであろう。すなわち、「縁起」 が撰深であって、難見であるとされることである。 □三・]切言凹一】萱ご凹息’⑫。(ご・一・障已・認)や⑩Z・]⑬‐&(ごCl・い□・侭‐患)、あるいは災阿含一大本綴(大正一 、七山I下)、中河合九七大凶綴(大正一瓦五七八中’五八○上)、琳一河合四九’五(大正二m七九七巾I下) は、珂雌が織起の法が終深難解であるといわれるけれども、自分にはそうは思われないというのをたしなめられたも のであり、パーリ文によれば次のように説かれる。 「この練起は艦深であり(恩三一〕|】】国)、越深の相(圏ヨラーヨ】・響呂颪閏)あり。この法(己盲目昌勤)を覚らず、通 、「縁起」の特性 18

(4)

また「アーラヤを楽しみ、アーラヤを喜び、アーラヤを喜悦する人々には、このことわり、すなわち此縁性(一:‐

弓:3舌国)、縁起は見薙い」という定型句があり、これは、ぐご畠図昌勢冨冒時自(ごCl・岸已.。)》□三・】』冨色爵・

高愚息,⑩.(『o一・』己・学】‐鵠〉や、五分律巻一五(大正一一二頁一○二下)、長阿合一大本経(大正一頁七中-

下)に見出され、菖Z・思鈩『ご答胃弓⑩圏息’⑪.(『。]・』ご・]s).②Z.⑤‐』(ご◎一・・P】患)や地一阿含一九’一(大

正一一頁五九三上)は有支縁起を持たないけれどもこの句がある。これらは釈尊の成道記事の中に含まれるものである から、同時に、したがって釈聯(その他の仏)は自らの悟ったこの縁起の法a盲目目色)を衆生に説くことを鰯蹄さ (1) れた、》てこで梵天が説法を勘謝したとしている。 このように『縁起」は甚深であり、したがって弟子たちにとっては難解である。それゆえに釈覗はこれを説くこと を鴎曙されたというのである。そこでもう一つの特質として、釈尊ないし仏の成道の内容としての「縁起」がクロー ズアップされることとなる。この資料は二麺類に分けることができ、釈尊、あるいはその他の仏の「仏伝」中の菩提 樹下での成迦記事を語るものと、一般的に未だ正覚を得ない菩薩であったときに縁起を悟ったとするものになる。し

たがって前者には省略されているものもあるけれども、縁起の法は鶴深であって、だから脱法を蹴略されたというエ

ピソードが続くものと考えてよい。前者タイプには、く冒菖“三四嵐ご潰恩(ごCl・』で。】)。、z・]碑‐』・印・P『・的『し・S

途しないがゆえに、人々は糸がもつれたよう麹生存I(略)I醤処、霧騨縢鐘処の績麺蓬超過しえ通い」

と。また椣訳(墹一阿含四九-五)では、

「我初成仏道、思惟十二因縁、降伏腿官風、以除無明而得慧明、諸閥永除無座垢扣又三嘘十二脱此縁本時即成党

逝。以此方便知十二縁法極為纏深、非術人所能宣柵」逆。w とい一つ。 19

(5)

そしてこれがひいては阿昆達磨においては、仏の成道は『縁起」を観察することであるが、弟子たる声川の悟りは 「縁起」を観察することにはなく、四締の現観であるとされるようになったものと考えられる。 以上のように「縁起」は、甚深難解なものであって、したがって釈尊など仏にしか観察しえないものであり、この ため釈尊はこれを説くことを鰯篭された。そこで梵天が説法を勧講したわけであるが、しかるに初転法輪経において は、これに応えて説かれたのは「縁起」ではなく四諦説であり、無常・苔・無我税であった。ここにも縁起と四締税 および無常・箸・無我説との相述が現れている。 四諦説は「諸々の仏の説く岐勝の教え(冒目颪目己圏目昊冒己⑩『颪。}】包己目且⑦⑩目凹)」「猪仏常法」「措仏所説 (3) 正要」「諦仏如来定所税法」とされるごとく、明.bかに弟子たちに説き示すための教えと認識されていた。また無常・ 苫・無我説のもっとも典型的でもっとも古い型は、無常と苦と無我の三者が問答体で説かれるものであり、これが (4) 「問答鎧(已具冒巨、、颪百斤颪)』とか「問答の鯛練(口臭ご巨月冨昌己威)」と名付けられているように、これも明ら かに弟子たちに説き示されることを前提にして形成された教説である。このように「縁起」はその性枯において、四 諦説、無常・苦・無我説とは大きな相違があるということが判るであろう。 次に「線起」の特性として、有無・断術・卿作他作などの辺見にかかわる鉦問に直接答えずに、縁起脱が両極端を 中)、墹一阿含四九-五(大正二瓦七九七中I下)、雑阿含二八七(大正一一頁八○下)、雑阿含二八五(大正二頁 頁一○一上)があり、後者タイプにはmz・]闇‐$(『◎一・国己.]三‐Sm)、地|阿含三八-四(大正二頁七一八上I 下)、奨阿合一大本経(大正一頁七山-下)、雑阿合三六九(大正二瓦一○一中I下)、雑阿含三六六(大正二

(ご◎一・瞳。.m‐】骨)・巨色。(ロ.ご『□Z・匡三、一】豐卸鼠息‐⑰.(『。].⑬ご・②〕‐韻)、五分律巻一五(大正二一一頁一○二

(2) 八○上-小半)がある。 20

(6)

離れた中道として示される(目昌一】⑤】】四二国ヨョ色ヨ烏⑬曾一)ことを上げてよいであろう。そのパーリ又の代表例は

(⑪Z・】哨I鼠)、 カッチャーャナよ、一切は存在するというのは、一つ目の極端であり、一切は存在しないというのは二つ目の極 端である。カッチャーャナよ、これら二つの概端に近ずかないで、如来は中近によって法を挽く(目昌一冨冒旦冨, …ョ…e・撫馴によって行あり、行によって蕊あり、Iこのようにしてこれらすべての醤の樂憲りが生起 する.鱗馴の残りなき繼貧・減によって行の鍼あり、行繊するがゆえに、職減す、Iこのようにしてこれらすべ ての苦の染まりが減する」と。 一方に坐ったカッチ+Iヤナを姓とする者は世蝉にこのように召った。「蝋者よ、正児、正乢と商われますが、 正兇とは一体何でしょうか(言[団菌団目二.)」と。 「カッチャーャナよ、世間は多く存在する(算〔三國)とか存在しない(:胃昌一国)とかのこれら二つ(の極端)に 依止している。カッチ土,-ヤナよ、世間の典起を如突に正しい秤懇によって観察する者(]罠二農百百ヨ圏目目、’ 弓菖冒冒冨切⑪罠。)は、世間において存在しないというものはない。カッチャーャナよ、世間の滅尽を如実に正 しい僻慧によって観察する者は、世間において存在するというものはない。 カッチャーャナLu川は多く方便に収し、執務し、束縛されている。この方便への収、心への執持、執務、傾 斜に近ずかず、取らず、執時せず、私の我ではない(具愚息目⑮)と、苫が生起しつつあれば苦が生起しており、 苫が減しつつあれば苫が減ずると、疑わず、鰯蹄せず、他に依ることなければ、ここに彼に将が生じる。カッチキ ーャナよ、これが正児である。 21

(7)

というものである。これに対して枇択では「紙肥」とⅢ筒するものもあり、その例を上げておく(雑阿含九六一)。

時有婆瑳菰出家、来詣仏所合掌間訊、問訊已退坐一而、白仏言、云何腿蕊、為有我耶。爾時世尊然然不答。如是

再三。耐時世蝋亦再三不答.I

爾時阿難白仏言。世尊、彼婆躍菰出家二間、世尊何故不答。豈不墹彼婆躍菰出家悪邪見、言沙門不能答其所間。

仏告阿難。我若答言有我、Ⅲ墹彼先来邪見。若答言無我、彼先擬惑、豈不更墹鍵惑。言先有我従今断滅、若先来

有我則是術見。於今断滅則迅断見。如来離於二辺処中税法。所訓処郡有故是事有、足耶起故迅邪生。調練無明行。

仏告阿難。我若答言有か 有我則是術見。於今断滅、 乃至生老病死憂悲悩苦減。 資料を紹介しておこう。

これに類する資料は多いのでどのような辺見をきっかけにして、中道の立場から「縁起」が示されるかによって、矛

一切は有あるいは鱗(あるいは一・墨)などの有見・朧見からlmz・局‐扇(零.一・:.]〒弓).、二局‐亀(雪・一出

口・『S・mz・】』‐茜(『。].⑬ご・。)。、三・愚19(『◎一・いつ・畠、).、三・鴇‐&(ご◎一・⑬ロ・程)・雑阿含三○一(大

正二頁八五下’八六上)勺維阿含一一六二(大正一一頁六七上〕

我は有であるかとの露間に繍紀答した後にl繼阿倉九六一(大正二頁二四五中)

苦楽・老死などの自作(常見)他作(麟見)からl農届‐弓(薑・一:』。‐頃])bz』蝉‐]函(雪・一・障甚鱒‐鴎).

⑭Z・】画I急(『。]・鱒ロ・『⑫I『③)。、Z・局0s(ご◎一・画ロ・】届I巨切)・mz・局I瞳(ぐ。-.噌ロ・麓)。⑫三・]画I鴎(『。]・暉

己・鵠)・の三・届‐蹟(ごCl・』ロ・芦I塗)・雑阿含一一一○二(大正二頁八六上-中)、雑阿含一一一○一一一(大正二頁八

(8)

なお、上紀のうち⑫三・眉19.⑫三・局1s・雑阿含三四三、雑河合二八八、長阿含一七洗浄径には文衆中に中道 を表す言莱は使われていない。また⑪三・局‐里・鴎・患には、中道の代わりに「。冨目曰尉塁自且}]画目日出ヨご鼠’ 百『ご風ヨピという語句が使われている。 このように「縁起」は中道として示されるのであるが、皀昌冨息と道只を表す旨⑩〔旨己自国]が使われるように、 中道はむしろ教理というよりも、片寄りのない、佃兄・先人児に揃われることのない「ものの見方」であり、そうし た仏戦の立場として示されたといった力がよいであろう。そしてこうしたものの見方・立場から説かれた教え(説法) なお、支分を有する縁起が鎖かれていないが、⑩三・】凶‐蹟(『。}・唖弓・含‐窟)は、苦の胤作他作に対して「苦は緑 生である」と脱かれているから、この資料に含めてよいであろう。また、苦楽が自作(叩旦自百s)であるか、他作 (冨『且冨冒)であるかとの問いに答えられるものは、漢巴において相述があり、パーリではこの問いに対して「そう ではない(己巴」と紀答されるが、漢択阿含ではこれには答えられない(したがって「無妃』ということになる)の が普通である(しかし雑河合二八八は、自作でもなく、他作でもなく、緑起である、としているからパーリ型という が普通である ことになる)。 六下)、雑阿含一二○○(大正一一頁八五下)、雑阿含一二四一一一(大正二頁九三下’九四上)、雑阿含二八八(大正 二瓦八一上I下)、長阿含一七澗沖経(大正一瓦七六上I中)

老死は鱸に属するか(命’〕:と身l…の一興)ということからl⑫宴属‐鵲(蕾・一瞬:』‐亀)・の宴層‐

患(ごCl・睡己・$‐三)・雑阿含二九七(大正二瓦八四下’八五上) 豪噸・“賎・上中下を蝋かずに中を蝋くl蝋一阿含五一‐’○(大正二瓦八一二中) 23

(9)

としての旦冨ヨョ四が十二縁起説であるわけである。「且冨目目厨闇目且言日日、ヨご騨貰亀風己色』は註釈では、 (5) 「世尊ゴータマによって説かれた根拠(面国包鼬)にしたがって説こうということである」というから、中道を意味す るものではないかも知れないが、あるいはこの二言日ロ国は理法としての昌昌昌息に関係するかも知れない。 また、原始仏教においては、中道は「縁起」であるとともに八正道であるが、仏伝のなかの初転法墳経において は、始め中池が示され、しかる後に凹諦説、ややあって無術・苫・燃我脱が説かれたとされる。この部分をパーリで は次のように表現している(ご『冨冒三島習凹恩四)。 それでは比丘たちよ、何が如来によってこれら二つの極端を捨てて現等覚された、眼を生じ、智を生じ、寂飾 に、悟りに、等党に、浬鎗に導く中道であるのか。それは聖なる八正迦である。すなわち、正児・正思・正路・正 業。正命・正統進。正念・正定である。比丘らよ、これが如来によってこれら二つの極端を捨てて現等覚された、 眼を生じ、智を生じ、寂静に、悟りに、等党に、浬薬に導く中道である。 その時世尊は五人の比丘たちに語られた。「比丘たちよ、これら二つの極端は出家者によって親しまれてはなら

ない。何が二であるか。すなわち諸々の欲において欲を楽しみ耽り溺れるのは下劣であって卑賎であり、凡夫の行一

じることであって灘くなく、義にも相応しない。また自ら波労することに溺れるのは苦しみであって尊くなく、》

義にも相応しない。比丘たちよ、如来によってこれら二つの極端を捨てて、中道が現等覚された。q測引馴脚劃倒 凶冒)、浬梁に(己ロ颪鼠冒)導く(留弓『自画巳 。

(10)

法、あるいは児い、 に「縁起」が圏月 った理由であろう。 そして続いて説かれたのが四繩税であり、釈騨自らこの四蹄の一一一帳十二行相(二息ュご具言旦鼠昔閨冒鼠颪国)を (6) 如突知見(望昌颪ケ一己国劃ゴ且四⑭⑩目色)したがゆえに、側ら現等党したと近(瞳したのだとされるのである。 このようなこれら一巡の文素のなかの傍線を施した部分を祉恵深く謎むと、八正逆たる山道は四締たる爽災を如突 知見するためのものの見方、考え方を示したものであり、こうしたものの見方考え方が僻りに導く仏教の越本的な立 場であり、こうしたものの見方・考え方によって独得された真実が、四識(四つの典突)であって、この其突を真実 として「あるがまま」に知見したことによって現等覚が得られた、ということになるであろう。 このように中道というものは、それ自身が「あるがまま」という意味での真実ではなく、その真実を見い出す方 法、あるいは見い出された典爽を典尖のままに知見する雅礎となるものというべきであろう。これが日頭に記した様 に「縁起」が鶴月田・守冨国・国(盲などとは把擁されず、したがって冨晏豐冨冨己已昌凶己豊せよと微えられなか このことを換言すれば、先に紹介した論文において詳述したように、仏教の典爽を表す⑪胃目》す百国》国二己とい う一一画葉は、「ある」「存在する』という動詞からできた言葉、あるいは「それ」「これ」という指示代名詞から成立した ものであり、したがって仏教の真実は『それ」とか「これ」と指し示すことができる、眼前に「ある」、具体的な「あ るがまま」の姿であるから、これを「あるがまま」に知見せよと教えることができるが、中道たる「縁起」はその基 礎となるものの見方、考え方であって、これは維験によって体御するほかに方法がないから、これを見よとは教えら れなかったということになろう。 そしてそのようなものを「爽実」と区別して「理法」と呼ぶならば、「緑起」こそその理法に机当する。「縁起」の 持つもう一つの特性はここにあるということができる。すなわち「縁起」は、よく知られるように、如来が世に川て 25

(11)

も出なくても変わらない真理であるとされる。この資料としては、三・】中曽(『。]・頤弓・鴎‐喝)、雑阿含二九六(大正 二頁八四中)、雑阿含二九九(大正二瓦八五中)、雑阿含八五四(大正二頁二一七中I下)があり、パーリ文では ところでここでは「縁起」は法臼冨冒目)と表現されているわけであるが、実は甚深難解とする資料にも、理法 (旦冨ヨョらという言葉が使われており、明らかに縁起が「理法(』冨目目四)」と認識されていたことを物語る。この ように「縁起」が理法(』富ヨョ鱒)として把握されていたとするなら、言z・冒し偶。冒鰻西宮、◎旨・印。(ごCl・』ご・』題) には、十無記の後に、「この法(□冨己己らは越深で、見難く、悟り難く、寂瀞にして、勝れ、思愈を越え、微妙で あって、知者によってのみ知られるものである」としているから、ここには縁起の譜も、いかなる有支縁起も脱かれ ていないが、二冨冒日四が便わ続れているというところから、縁起と関係があるものと考えてよいであろう。 以上「緯起」の持つ特愛を列腿してきた。これを箇条癖きにして雌理すると次のようになる。 Ⅲ「緑起」は⑪:3ヶ目厨冒庁冨などで没される「其突」とは把侭されず、したがって四諦税や無常・螢・無我 とする。

一島)、明らかにし(巨冒己百3二)、汝ら見よ(息⑩⑩禺冨)、という。(有に縁って生あり、以下同じ)

(凶曰嶌冨三)、説き(:⑩:)、知らしめ(葛割昌の三)、表わし(已呉「冨口の盆)、開明し(1『胃昌)、分別し(二ワ宮・

弓:8冨団)である。これを如来は壁り(且言留目目)一宮S、現観する(:三閏冒のso礎り、現観して宣説し

は定まり(冒国)、法として定まり(二言己己旦言冒国)、法として確定した(ロ盲目目目一風日毎罰)此縁性(】g・ 縁起とはなにか。生に繰って老死ありというのは、諸々の如来が世に出ても、出なくてもこのことわり(圏昌画冒) 26

(12)

⑤「縁起」は仏数の鋭く典突たる、四諦説や無術・苦・雛我説が見い出される雅礎となった、仏教のものの見方、 考え方、あるいは立場であって、それは中道と呼ばれる。 ⑥そうした「縁起」の立場は、永遼普遍の理法臼冨ヨョ色)と表現される。 このように脱始鎚典によれば、「継起」は如爽知見せよという形で教説としてまとめられたものではなく、むしろ 麟深難解であって、説くのを践蹄された永遠普通の理法(已冨己己らとして把握されていた。しかるに原始経典のそ こかしこには、十二縁起税を代表とするさまざまな、多くの「縁起」が説かれている。これについては、かつて蛾者 は「臓始仏教に鱈ける織趨鍵についてlその資料繼璽」(『中央学術研究所紀蕊』簾一八号中央学術研究所平成 元年十二月)なる論文において、その盗料を収梨して、若干の整理を施して発表したことがあるのでこれを参照され したがって単純に考えてもここにはある矛盾があるわけであって、韮者はこれを「縁起」と「縁起説」に分けて捉 えると判りやすいと考えるのである。すなわち「縁起」というのは靜上にまとめた原始経典において付与された「縁

起」の特質によって意味されるものを指し、「縁起説」というのは、原始経典のそこかしこに説かれている教説とし

ての「継起」をいうのである。すなわちさまざまな辺見にたいして、中近からするのは「縁起」の立場であり、その た い ○ 例こうして「縁起」 承が出来上がった。 例こうして「縁起」は釈聯(その他の仏)の目内祉であって、弟子たる声川の観察すべきものではないという伝 ③したがって釈尊(その他の仏)はこれを衆生に説くことを踏蹄された。 ②「縁起」は甚深であって、薙解であるとされる。 鋭のように、「真実」を「真実」として「あるがまま」に知見せよと教えられるような形では税かれない。 27

(13)

具体的内容として説かれた例えば十二縁起などが「縁起説」ということである。

以上のように「縁起」と「織起説」とを分けて考えるとき、原始経典に具体的に説かれる「縁起説」は、いうまで (1)中村元氏はさらに、、昌忌目『】糧〔・切昌『色晩・]gを上げている。『原始佛教の思想』下頁六八。この外に「別択雑阿含」 一九五巻一○大正二頁四四四下にもこの文章がある。 (2)釈尊その他の仏の成迦については、西義雄博士の「原始仏教における般若の研究」に資料紹介がある。頁五四○以下こ こでは縁起のほかに、猯法の味著・過迎・出離の観察、四識の観察、四念処その他、が上げられている。しかし厳密に釈駆 その他の仏の成道の目内証の内容を言うものは、縁起と味著・過山・出離の観察のみで、他は必ずしも成近時の自内狂の内 容をさすものではなかったのではないかと推測される。釈尊の悟られた法の内容として示されたものが、必ずしも成逝の際 の契機とされているとは限らないからである。 宮地氏は綴起の観察は成逆後一七日であったものが、「悟りの時」に腿き換えられたもので、このことは寅料的に跡付け られるとされる。三枝充卿氏が宮地氏などと「中外日報」紙において縁起について鐡争されたものを梨録された「私潔版』 瓦七右この元狛文は「宗学院鐙側』二一、二二(昭和一一年)である。また中村元氏は、成述妃耶は十二縁起に関係して 説かれ、十二縁起はおそくに成立したものであるから、成近伝鋭も迎いと見られろ。『原始佛敬の思想』下瓦四一また 三枝『初期佛教の思想』瓦一九五参照 (3)拙概「原始仏教における四施説lその資料整理」瓦二二五-二二九参照 (4)三z・』g三島号■目圖曰國’い・ご◎].⑭己.】②‐9.mz・駕‐沼ご◎一・眸己・]三・三z・》急筥色目鼻C乱忌・叩.ごCl・幽已・国】I国司 (5)②卿『胃二四己つ四六帥m-ヨ『●一・哺己・血③ (6)ご冒凹起図ごCl・二つ・s0二 注 二、原始仏教の「縁起説」 28

(14)

「これあるとき彼あり、これ生じるが故に彼生ず、これなきとき彼なく、これ城するが故に彼滅す、すなわち (罠且昼騨3)鰄鯛を縁として行あり、l」 というのであって、業直にこの文末を銃めば、これが独立したものではなく、行文緑起の容文の川を皿川的に述べ (3) た8℃のにすぎない一」とは一目瞭然であろう。 また、必ずしも定型化していない縁起説のなかにあって、この句のほとんどすべてが十二支縁起と関連して説かれ ることは、十二縁起説が有支縁起のうちではもっとも迎くに成立したという定説を勘案すると、この定型句の成立は 必ずしも早くなく、したがって縁起説の木猛には関わらないということを推測せしめるというのが、第二点である。 また己四目:8冒団の川例は、「アーラャを楽しみ、アーラャを喜び、アーラャを喜悦する人々には、この理り、 るがゆえに彼滅す」という句が没わし、また己呂冨、凰箇国という譜があらわすとされる「机依縁起」と呼ばれる しかしながら問題となるのは、「これあるとき彼あり、これ生じるがゆえに彼生ず、これ無き時彼無く、これ減す もなく十二鰍起を典狐とする、さまざまな支分を有する縁起説ということになる。 (1) ものであろう。もしこれも「緑超脱」の.つちの一つであるとすると、原始仏教の「縁起脱」は時Ⅲ的にはもちろん空 間的にも、あるいはそうした現象的な次元ではなく形而上的・論理的な面からも解釈されることとなり、かなり広範 囲な価域を扱うものとなりうる可能性を有するものとなる。 (2) しかしながら、先の句は三枝博士が-ての労作『初期仏教の思想』で力説されるとおり、上述したような行文縁起の 各支の間を迎則的に述べたものであって、独立した迩味合いはなかったと考えられる。 その理由の第一は、この句がほとんど例外なく十二支縁起と関逃して説かれ、そして次のように示されるのが普通 であることである。すなわち、 29

(15)

すなわち】含弓囚。B温風も具]n日⑫色目g風呂は見がたい」という文莱と、「比丘らよ、ご具一⑤8留己目凰冒とはな

にか。比丘らよ、生によって老死あり、如来の世に生じるも如来の世に生ぜざるも、この道理は定まり、法として決

定しているところの一昔目:8百国である』という文章に見い出されるのみであり『ここから一合目胃圖冒威は

ご具一○8留日目圖冒と同一の意味しか持ちえないと同時に、先の句と伺榔十一一縁起と関連するものでしかないことが

要するに定型句の中の、「これ」とか「彼」と訳した亘四ヨも、丘愚図、3百国の己凹ヨも、十二縁起(あるいは

他の支を持つ縁起)のそれぞれの支分をさしているのであって、それ以外に出るものではないということである。

それではこのような句や語以外に、「相依縁起」という言葉が意味しうるような理捻的な因果関係を含めるような

“罹鈩”Ⅷ挑聿鋺雛醒窪辨噸識琿筆鋼瀞鍼鐸鋤津刎唾織麩坤鮨壁智紗惚率蒋埋峨嶬陶賑謝鋺計峰窪繼窪挙緤篝輕趣辨轆》

「十二支を立てる十二因縁をはじめ、各種の縁起説はかならず二つ以上の支を設けているのであるから、ほとんどす

(4) べての縁起説が「支縁起」「有支縁起」と一己い換えられることになる」とまとめられている。 このように考えると、縁起の同縫語であったご苔冨、8怠国の昼蝕ヨも、定型句の中の一言ヨも明らかに何ら かの「支分」を指しているのであって、原始仏教の「縁起説」はなんらかの支分を有するということが必要条件であ

り、縁起を無限定的に拡大解釈することを許すような意味での「相依縁起説」というものは、少なくとも原始佛教に

は存在しなかったということがわかる。 それではこの支分はどのようなものであったのであろうか。もし鏑理的・形而上的な関係における根拠と帰結のよ うなものをも支分として立てることが可能であれば、「縁起説」は広く諭理的な関係にも適用されるということにな わかる。

(16)

デ(》o

しかしながらその支は、中村元氏が、已具。○8闘冒Epb豊画という語が成立する以前の語は、」三目目】四⑪:E弓豊凶

(P⑨)

であったとされるように、已具。n日⑩色曰臣弓山冒という語は。盲目目】凹盟目:ロ図画と言い換えられうるということに

注目しなければならない。またの三・局‐Eが「これらの法を知らず(言】⑦旦冨己己⑥目ロロ四一習豐)、これらの法の

染起を知らず、これらの法の減を知らず、これらの法の域に至る道を知らず」という法呂自目冒が十二縁起の各支

(〔⑥)

分を意味するように、ようするに一二画ヨは単なる「項目」ないし「概念」でなく、二宮日目凹であるということであ

る。そしてこの昌胃自己は五繭や十二処、十八界が「圏g⑦島凹目目凶」とよばれるように、色受想行識や、眼鼻

耳舌身意などの、後の有部阿昆逮磨においては五位七十五法としてまとめられた、「法」と称される心的、物質的な

「要紫」をさすことはいうまでもない。

このことは原始仏教の時代から、「有為」とは縁起によって成り立ったものという定義にも明瞭に現れている。そ

してその「有為」は原始佛教時代の用語をもっていえば、五漣や十一一処十八界、あるいは六六法といった「一切行」

あるいは「一切法」と称される、「有為」を栂成する猪要紫のことであり、このほかに「法」はないのである。換言

すれば、このようなさまざまな昌凹ヨョ画が「染起」して「有為」を櫛成するのであって、有為を柵成しないような

ものは縁起の支分として立てられる資格を有する「法」ではないということになる。もし有為を榊成しないようなも

のから縁起して有為が成り立つとするなら、それこそ「無」から「有」が生じることとなる。要するに『縁起」と支

分を考える場合、縁起によって成り立った「縁生法」と同じレベルでなければならないということである。とするな

(旬l》 、わば縁起は「縁生法」たる「法」のレベルで考えるしか外ないのである。 参考のために、阿坦述磨の冨うところを紹介すると、『澗浄道論』は 31

(17)

(皿) 「返繊と四檀とは繊起のn回性なり。川わく、欲・色界は近趣を自性と為し、聯し撫色界なれば凹遡を向性と為す」 (烟) 「十二位に十二支を立て、一一の支中に各五漣を具するなり」 というように、これらの支分は近遭ないしは五位七十五法とされている。 縁起が以上のようなものであるとすれば、たとえば「煙があるから火がある」「わたしは某甲の父親であるから、 某甲は私の子供である」「Aが退学したのでそのクラスは二十九人となった」というような関係は、ただ単に概念や 総理上の囚果関係を述べているに過ぎないから、少なくとも原始佛牧や阿肥逸應佛教の縁起ではないということにな る。縁起が空間的・同時的に解釈されうるとしても、理諭的・形而上的な因果関係をも含ましめることは正しくない 「縁起(園二○日魁ョ回っ日:)というのは冨○圖冨’旦冨ヨョ山であると知るべきである」 (8) としている。ここに。色月色菌‐・冨冒昌酎として換数形が用いられたのは、』|胃【冒目が要紫たる「法」をさす証左 であって、これも右記のような耶柵を物語るものにほかならない。 (9) また同じく『折抑遊諭』は、「それによって采が来るものが緑であり、来るというのは生起し(巨弓四)一四二)、振起す る(日ご胃国二)ことである」と言っている。ようするに論理的なものとすれば、生起も転起もしないであろう。 また別の箇所では、二十四縁の一々の「縁」を解釈するに当たって、それらすべてがなんらかの恵味で「盗助とな る法(二日颪『鼻餌・冨昌己酋)」と定義され、あるいは定錠の中に法という譜が使われない場合は、具体的な法たるべ きものが上げられている。たとえば、因縁のところでは、ある法(旦冨ヨョ色)がある法(島、ヨョ山)によって生起す (、) るのが「縁」であると定鍵するがごときで←のる。 (胸) といわざるを]ヱない。 るのが「縁」であると定幾一 もちろん説一切有部でも、 32

(18)

以上のように「支分」が砥蝋や十二処十八界のような「法」であるとして、それでは脱始佛敬はこの「法」をどの ように考えていたのであろうか。醜が「縁起』である以上、それは「無常」にも「無我」にも関迎してくることは必 然であろう。そこでこれについて一蘭しておきたい。 参考のために阿艶述磨を先に述べておくと、説一切有部では諸法が実有であるかぎり、これら縁起の支分も実有で あるとすることは勿論である。例えば『婆沙総』巻二三では、十二絨起の三世両砿鏑をなすのは他鑛を止め、「過去・ (Ⅱ) 未来の体は突有であって、現在は有為世の所摂である」という正義を顕わさんがためであるといい幹また巻一三一で (府) は、「雌肌行に緑たり」とい・つときの『瀦の糠の体は泄れ災有なり」としている。 これに対して南方上座部の『消浄道鏡』では、「鰭明は生滅するもの(且畠豊富旨旦冨ヨョ鼻鷺&)であって常恒 (。百『:}】響:四)でなく(酌巨副凹)、汚され汚すものであって洲が(⑫5冨三】響の量)でなく(⑩畳。色)、生滅に迫ら れるものであって楽(切昊一国二回ご○目)ではなく(⑩昌冒)、縁に依存するもの(冨月皇豐昌一豊昌三国)であって自 征たる我としての存在ではない(印且副)。行以下の文分も同概である。それゆえに、擁明はアートマンではなく (冨昌団)、アートマンのものでもなく(ご色目言二○)、アートマンのなかにあるのでもなく(冒昌冒三)、アートマ ンを有するのでもない(目貫宮ご罠『)。行以下の支分も同概である。十二支は空性(切目冒圃)であるからこの行輪 (泊) (ず富国8云百)は空(皆。。四)であると、挽かれる」とする。このように南方上座部は法の実存を認めないから、縁 起文の爽荷も魁めないわけである。 しかしながら『荷が道翁』には、十二繰延の無明の解説のなかで、男女は第一義的(ロ色『色曰弾冨冨)には知られな い(閨一言ョ凹忌)が、趣等は一義的に知られるという。男女というのは単に概念であって第一錠的ではないが、趣は 蔵衆の義(『勝昌一一国)、処は処の義(凹冨国富二一己)、界は空の義(⑩昌爵三愚)、根は岫上の繼(昌一】|冨昌昌一富)、識 33

(19)

は卯の錠(寓言三富)などによって第一錠的であるというのである。したがって南方上腿部は法や十二縁起の支分を

(Ⅳ)

「空』であって「突櫛」ではないとするが、といって男女のような単なる概念とは見ていなかったのである。

そこで原始仏教であるが、雑河合経には「第一義空経」と称する次のような文素がある。

「云何為第一義空経、讃比丘、眼生時無有釆処、減時無有去処、如是眼不実而生、生已尽滅、有業報而無作者、此

陰滅巳、鍵陰相続、除俗数法。耳鼻舌身恵、亦如是説。除俗数法。俗数法者、訓此有故彼有、此起彼起、如無明縁

行、行繊職、広悦乃至純大苦楽染起。又世此無故彼無、此滅故彼滅、無明敏故行滅、行滅故激減、如込広悦、乃至

これは眼耳鼻舌身意など第一義としては猪法に実体はないが、世俗諭としては認めなければならない。十二支など

(、) の支分が》ての代表であるというのであろう。

これは、先の『折浄逝論』が越処界は第一錐として蝿めるというに土いし、六処も第一義として「空」であるとい

うのであるから、より倣庇しているように蝋じられる。しかし俗数法として十二継起文を鰹めるというのに対して、

『消浄道鐙』は支分を「空」というのであるから、川譜的には机反するわけであるが、いわんとする一一二アンズはそ

れほど異なっていないというべきではなかろうか。要するに原始仏教経典においても五趣や十一一処十八界が一切法す

なわち現象を櫛成する要紫として考えられていたのは駆実であり、理論的にはこれを実体として認めるわけにはいか

ないとしても、現爽懸党(世俗流)としては蝿めざるを郷ないということであろう。

謝莱を変えて葱えば、先に紹介した拙欄「原始仏教における典拠と人Ⅲ観」においても森いたように、紫朴な次元

でそれらは那実として即ち目の前にある只体的な「真実」として存在すると把握されていたということである。

このことは次のようにも説明することができるであろう。 行、行繩職、 (咽) 純大著聚滅」 34

(20)

した私って、搬繍『蝋始仏鐵における繊趨説についてlその磁斜磯蕊」において扱った繊超資料は、いくらか定 型的となり、かつ体系的となっているものに限定されるけれども、ここには原始佛教における縁起資料のほぼ全体が 含まれているといってさしつかえないと思う。 ところで上紀のように「繊起税」を考えると、原始仏教綴典のほとんどの縁起脱は苫とその解決が主逝となったか ら、その典型として十二の支分にまとめられる方向に進んだが、有為法の範囲においてなら、有為を椛成するさまざ まな「法」と「法」の関係を切り取って、さまざまな主題の「縁起説」を榊成することも可能であったことになる。 たとえば、遡職がどのように成血するかとか、それに統く心作川がどう生じてくるかということもその一つである。 それが先の資料整理のなかの「苦に終わらない継起」や「四食の織起」であり、苦に終わるけれども識や六処から始 まる認識が焦点となった縁起説もそうしたところにモチーフがあったということができるであろう。 うことになる。 (釦) 今まで十二縁起などの支分を有する縁起を「有支縁起」と呼んできたが、『婆沙論』巻二三の用語法によれば、これ は有怖数の法は有に随順するがゆえに「有支」と呼ばれるのであって、単に「支分がある」から有支縁起ではなく、 有としての我々生存を脱明するものであるから、「有支級起」なのであるという。この有は『折が近論』が十二支を 空とし、それゆえに有輪も空であるとした、その「有」に相当する。ようするに「法」を実体と認めるか空であると するかは兎も角として、すべては有為が現象として現れてくるという範囲で議論されているわけであって、原始佛教 も税一切有部も南方上座部もこのような感覚から十二縁起を、したがって「支分」を捉えていたのである。 以上のように考えると、少なくとも原始綿散(竹部・南方上座部においても)の説く「縁起説」は有為を榊成する 諸要素を支分とする縁起以外にはないということになり、したがって論理的・形而上的な因果関係は含まれないとい 35

(21)

さらに『婆沙諭』の巻二三では、無明が行に縁たることと同時に、逆に行が無明に縁たる可能性のあることや、鵬 (麹) 肌が他の十支の縁となりうることなども否定していない。このように十二縁起の各支分は、要するにある主題のもと に柵成された結果としての一つであって、他のさまざまな主題を持った、さまざまな支分とさまざまな組み合わせを 持つ縁起脱が成立しうることは胤川のこととして承泌されていたのである。 それでは原始維典には、なぜ特に十一一縁起のような形の緑起説が説かれたのかと蘭えば、『裟沙論』は、 |、有情が理解しやすく、有情の目的を達成させるため 二、有椚は三布に随順し、行の鍵が妓勝であるため したがって、排に終わる十二文緑起を代世とする縁起脱も、さまざまな縁起税の一部分であって、脈始佛教が四獅 鋭や無常・苦・無我説にも見られるとおり、苦しみの解決ということを岐大にしてかつ唯一と謝ってもよいテーマと したために、それらが岐大多数を占めたに過ぎないというべきであろう。 このことは後の阿蝿述僻でも十分に蝿撤されていた。たとえば『婆沙総』巻一三一では、おニ」らく十二縁起説以外 に、六因・凹総・近染級起があることを示唆しているのであろうが、「無川は行に緑たり、ないし生は老死に縁たりと (皿) 税くをⅢきて、すなわちただこれのみが縁起の法なりと考えるものは、縁起に殿かなるものである」といっている。 また『婆沙論』巻二四では、同じ文縁起でもさまざまな文縁起があるとして、一縁起から十二縁起までを列挙してまた ろとおりである。 なものばかりでないことは言うまでもない。それは「これあるとき彼あり、これ無き時彼なし一という句にも見られ またこれら認職の成立とか心作川を主凹とする縁起関係は荷うまでもなく時間的には同時であって、縁起が異時的 (殉]) いる。 36

(22)

一一一、狗怖が撫始より生死に恰廻して苦悩するのは有竹のことを知らないため (型) という三つの理由を上げている。また『低く、論』巻九においても契経が行怖数縁起を挽くのは「為適他懸惑」と (鰯) し、これに対して一切の有為法を対象とする縁起は「依法棚(一画恵自一百)」とする。なお『婆沙捻』では十一一縁起は 「行悩数縁起」と称されるのが呰迦であり、このネーミング自体のなかに、『婆沙織』の姿勢が現れているわけであ (翫) る。また「倶舎総』にも同概の一回及がなされている。 しかしながらこのことは「縁起税」に、普週的な意味がないということを示すものではない。先述したようにこの 根底には「縁起」としてQものの見方・考え方があり.仏教の基本的立場があることはいうまでもない。 したがって「縁起説」としての十二縁起説は、こうした「縁起」としての止場、ものの見方から、有怖の苦しみが どのように生じるのか緯またそれをどうしたら減することができるかということを発見し、これを衆生に示そうとし たものであって、「絃起」という立場から説きだされた徴税のなかの一つの形に過ぎないということになる。要する に雌始仏教の縁起には、理法(□富ヨョ■)としての「靴起」と、これを土台にして形成された現象耐を脱明する便宜 的な牧睨としての「総超脱」の二而があるということである。こういう趣味で、三枝氏が「私は縁起胆想と縁起説と を一応Ⅸ別し、多極多繊で雑多な級超脱を述べて、その雌終段階に十二囚絨鋭をおきます』といわれる趣旨に践成で (幻) ある。 (・一)すでに窟旭氏も指摘されている。ただし中村元氏は、⑫Z・切呂の、蚕⑩ョ罫禺:篇目己富国三二戸㎡盾と荷う文瀬と、 疋拠句が十一一絨起と離れて、独肱に使われる場合もあることから、古形の鰍起鋭であるとされている。「織起説の原型」瓦 阯卜』 十○曲 (1)已苔目、、皇艶国はさまざまに択される。相依性、繊性、これを緑とすること、此縁性、支縁性、支線起、有支縁起などで ある。 37

(23)

グー、ヘゲー、 ̄、デー、 1817161514 、-ジ、-プ~ジ句一グ、一ン 〆 ̄、グー、グー、’-,デー、 ̄、 1312111098 出一〆、-ジ、-ザ角一’~夕、‐ジ 技充恩氏私象版「 (5)『】房国歯罫ニヨヨ (6)ごCl・隙つ・罰l]⑤ (7)このことはすで (4) 〈ハーー (鰍)例外には加肥の「原始仏教における線起悦Iその盗料雅班」に於て述べた資料悉暇の(九四)(八四〉(八五)とい声 く浦面 面三四五 されている。瓦三二 『婆沙請』巻二三大正二七頁一一七下 同頁一一八下「仏舎講』巻九二丁型 水野弘元氏は「縁について」の中で、「因や線は阿肥述醗における賑法の関係論の一種であるが。関係論としては、概念 の外延内包等の関係、蛎法の時Ⅲ空川的な生滅変化の作川の関係があり、因や緑は後者に脚することは許うまでもない」と 届‐窟があるのみである。 瓦五二六 三三五巻一三大正二瓦九二下 面五七八 大正二七Ⅸ六八○下’六八一上 大正二七頁二六下 頁五三二以下 頁五二六 頁五一八 、存在するものの法と法との間の依存関係であることを断定してよいと思う」瓦三○一また、三枝充悪「縁起の考察」 このことはすでに、「原始佛教の実践哲学』で和辻が指摘している。「我々は縁起関係が存在するものの間の関係ではな 『】房国凰ニヨヨ扇『原始佛教の思想」下 充恩氏私象版「初期仏教の縁起説をめぐる論争」による。Ⅱ一七 瓦四七七また三枝氏と錆争された宮地氏も、こうした趣旨を述べられている。 「中外日報』附和菰四年六月一四,三 38

(24)

 ̄、尹声、 ̄、グー、デー、鈩へ〆へグー、 27型6252123222120 ,- ̄グ、 ̄凶=、-閂-〆~〆、- 西)いうまでもなく、大乗仏教ではこれらの法は空である。しかし大乗仏教も世俗法としては漣められろとするから、この盗 勢は大乗仏教に近いということができる。三枝充息「紙起の考察」頁四四の紘凹五参M 大正二七瓦三九下 大正二七瓦二七下 一二右-左中村元「アピダルマの継起税」Ⅱ七二一参照 巻九、一二丁型以降また一五丁没 『中外日報』昭和五五年二月二八Ⅲ私掌版「初期仏教の糠起睨をめぐる拾兼」による。頁四四 大正二七頁一二二上 大正二七瓦六八一上 大正二七瓦二七下 9 1米》麺I3

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