• 検索結果がありません。

新潟県にみる平成の大合併と広域行政の変動(一) 利用統計を見る

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "新潟県にみる平成の大合併と広域行政の変動(一) 利用統計を見る"

Copied!
30
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

新潟県にみる平成の大合併と広域行政の変動(一)

著者名(日)

佐藤 俊一, 江口 昌樹

雑誌名

東洋法学

52

1

ページ

233-261

発行年

2008-09-30

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00000657/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

(2)

︽特別曳可稿︾

新潟県にみる平成の大合併と広域行政の変動

はじめに 第1章新潟県にみる平成の大合併  第1節 平成の大合併の経過と現況  第2節 広域市町村圏の再編  第3節 平成の大合併の課題 ︵以上、 本巻本・万︶

江佐

第2章新潟県にみる広域行政の変化  第1節 機能的な協力方式の変化  第2節 組織的な協力方式の変化  第3節 広域行政の将来 むすびに

口藤

俊 一

日日 樹 ︵以下、本巻次号︶ 233

(3)

はじめに  本稿は、佐藤と江口︵新潟県地域総合研究所主任研究員︶の共同執筆によるが、共同執筆に至った経緯と企図に ついて簡単にふれておきたい。  新潟県地域総合研究所︵社団法人︶は、二〇〇三年、新潟県労働者福祉協議会より進捗する市町村合併が勤労者 生活にどのような影響を与えるか、自立に向けた課題は何か、合併のメリットをできるだけ引き出すためには何が 求められるか、などに関する調査研究の委託を受けた。佐藤は、この調査研究のメンバーに加わった。そして、こ の調査研究結果は、二〇〇四年三月、﹃新潟県における市町村合併と勤労者生活﹄という報告書としてまとめられ た。  その後、佐藤は、戦前の道州制論にまで遡ったわが国の広域行政に関する研究成果を二〇〇六年末に﹃日本広域 行政の研究−理論・歴史・実態1﹄として公刊した。そこで、佐藤は次のように述べた。﹁︿平成の大合併﹀は、 一部事務組合︵複合的組合を含む︶を中心とした広域行政の既成の手法・手段︵法上の協議会、機関等の共同設置 など︶のみならず、広域行政圏︵広域市町村圏と大都市周辺地域広域行政圏︶や広域連合という新規の手法・手段 の廃棄・再編などをかなり大量に生み出したとみられる⋮︿平成の大合併﹀は、二〇〇六年三月で一段落したが、 その後も進行するであろう。だから、広域行政の既成や新規の手法・手段の廃棄や再編などは、更に増すであろ う。それゆえ、︿平成の大合併﹀がもたらしたこの種の変化を数量的に把握するだけでなく、新たにどのような問 題点や課題等をもたらしているかを明らかにすることが、今後まずもって行われなければならない研究課題になる    ︵1︶ といえる﹂とした。 234

(4)

 しかしながら、この研究課題を全国調査をもとに実現することは困難である。そこで佐藤は、大量の合併が行わ れた新潟県を調査対象地に選定し、新潟県地域総合研究所に前回調査の延長として、新潟県における市町村合併の 経過と結果に関する調査研究とあわせ、合併による広域行政の変動に関する共同の調査研究を申し入れた。同研究 所は、この申し入れを検討した結果、二〇〇七年度の研究所プロジェクトにすることにした。そこで佐藤と江口 は、調査研究を進めるに当たって次のような調整と企画を行った。  第一は、調査・分析等の分担であるが、県下の状況に詳しい江口が市町村合併︵本稿第一章︶を、佐藤が広域行 政の変化︵本稿第二章及びはじめに、むすびに︶を主として担当することにした。  第二に、合併によって一部事務組合や広域連合が解消され、それらを吸収した合併自治体と、再編存続すること になった一部事務組合のすべてにアンケート調査を行うことにした。アンケート案は佐藤が作成し、江口と検討・ 調整した上、二〇〇七年九月に、新潟県地域総合研究所名でアンケート調査を実施した。  第三は、これまで収集した資料やアンケート調査結果から特色ある自治体に関し、再度の資料収集をかねたヒア リング調査を行うことにしたことである。そのため、合併と一部事務組合の吸収の両面についてヒアリングが可誌 な自治体として長岡市を選定した。次いで、合併よりも自立の道を選択し広域行政に大きな変化をみた出雲崎町 と、南魚沼地域広域連合を解消した南魚沼市、湯沢町を選定した。そして二〇〇八年二∼三月にかけ、佐藤と江口 がこれら自治体に対するヒアリング調査を行った。あわせ、県下の広域行政状況をとりまとめている新潟県総務管 理部市町村課にもヒアリングを行った。  本稿は、以上のような企画と分担による調査に基づく研究成果である。アンケート調査とヒアリング調査がなし えなかったならば、本稿を完成することはできなかったといってよい。その点で、両調査にご協力いただいた自治 235

(5)

体︵担当職員各位︶には改めて謝意を表するしだいである。  ︵1︶佐藤俊一﹃日本広域行政の研究−理論・歴史・実態i﹄成文堂、 二〇〇六年、三六一頁    第1章 新潟県にみる平成の大合併  いわゆる﹁平成の大合併﹂が動き出す以前の新潟県内の市町村数は二二と全国三位の多さであり、面積の規模 を考えても、新潟県は全国平均よりかなり市町村数の多い県であった。その理由の一つとして、戦後の﹁昭和の大 合併﹂の際に合併しなかった村がとりわけ中山間地に多かったことが挙げられる。新潟県は中山間地で山に囲まれ た自立した地域が散在し、隣接の市町村との合併は、主観的にも客観的にも、当時としてはリアリティが薄かった のである。  それが、﹁平成の大合併﹂が一段落した二〇〇八年四月一日には三一市町村に激減した︵本論文末尾図を参照︶。 市町村数は実に四分の一近くに減ったことになる。本章ではその経過を振り返りながら、市町村合併がここまで劇 的に進行した要因とその意味および影響について考察を試みたい。  第1節 平成の大合併の経過と特徴 ω 新潟県の積極的関与  新潟県内の市町村合併を促進した最大の要因は、新潟県行政の積極的関与である。新潟県は二〇〇〇年三月、 236

(6)

       ︵1︶ ﹃新潟県市町村合併促進要綱﹄︵以下、﹃要綱﹄と略記︶を発表した。この﹃要綱﹄は、﹁自主的な市町村合併を促進 する﹂ために、﹁市町村や住民が合併を検討する際の参考や目安となる合併パターン﹂を提供するものであった。 新潟県の市町村合併では、あくまで﹁参考や目安﹂であるとされたが、市町村での検討が始まる前に県が合併後の 姿を独自に示したのである。  この﹃要綱﹂では以下の五パターンが示され、それぞれの地域の合併がどのパターンとなりうるかが特定されて いる。このことによって、事実上、新潟県内のすべての市町村は合併の可能性を明示されることになった。  ①政令指定都市移行型︵人口五〇万人以上︶  ②中核市・特例市移行型︵人口二〇∼三〇万人︶  ③都市高度拡大型︵人口五∼一〇万人︶  ④市制移行型︵人口三∼五万人︶  ⑤行財政基盤強化・効率化型︵人口一∼二万人︶  具体的にこのパターンを精査してみると、①﹁政令指定都市移行型﹂および②﹁中核市・特例市移行型﹂は地方 自治制度上、市の事務権限が拡大するので、それが合併の目標とされている。③﹁都市高度拡大型﹂は広域市町村 圏の合併であり、同一市町村内に高校が存在し、行政機能の強化としては一般廃棄物処理事務や女性課の設置など が想定されている。④﹁市制移行型﹂は町村から市へのランクアップとともに、複数の特養ホーム・デイサービス 等の設置、環境課の新設などが可能となるとされている。⑤﹁行財政基盤強化・効率化型﹂では、標準的には一万 三千人に1校とされている中学校、特養ホームの設置の他、行政機能の強化としては専門の建築技師の配置による 行政サービスの向上が考えられている。③以下の人工規模の合併パターンでは、環境行政、女性︵男女共同参画︶ 237

(7)

行政、福祉行政の能力を市町村が向上させることが期待されているのである。  すなわち、政令指定都市、中核市、特例市といった基礎自治体の権限を制度上強化できる合併以外でも、すべて の合併パターンで合併のメリットがあることを、県が公式に明言したことになる。  新潟県行政の合併支援は、ハード面でもソフト面でも大胆できめの細かく、総合的なものとなった。  まず大きかったのは、新潟県独自の合併交付金を制度化したことである。﹁新潟県市町村合併特別交付金﹂制度 は、﹁市町村建設計画の円滑な推進に寄与するため、合併市町村が行う社会生活基盤整備事業や行政水準の格差是 正のための事業等に対し財政支援することを目的﹂として制度化された。その内容は、合併市町村の﹁市町村建設 計画に位置付けられた事業﹂に対して、﹁合併市町村数11﹂×五億円を上限として、合併後一〇年間の範囲で各 年度の事業実績に応じて交付するというものである。﹁平成一七年︵二〇〇五年︶三月三一日までに合併した市町 村に限り有効﹂とされたが、﹁経過措置として、同日までに知事に合併申請を行い、平成一八年︵二〇〇六年︶三 月三一日までに合併する市町村に対しても適用﹂されることとなった。さらに、この期限を過ぎて合併した市町村 に関しては、平成二一年︵二〇〇九年︶度まで﹁合併市町村数11﹂×一億円が交付される。この﹁新潟県市町村 合併特別交付金﹂制度は、市町村合併そのものについて強力な財政的インセンティブを与えるだけではなく、合併 議論を早期に、しかも合併する方向で早期に決着させることに対しても大きな刺激を加えるものであった。  新潟県は市町村合併を支援する組織体制も整備した。市町村合併支援課および支援本部を県庁内に設置し、﹁重 点支援地域﹂を指定して積極的な関与をおこなった。またソフト面では、県が音頭を取った懇談会や県主催シンポ ジウムの開催、合併に関する研究や合併支援促進事業に対する補助金など、まさに県庁組織の総力を挙げての取り 組みとなった。 238

(8)

 新潟県行政が、これだけ資金もエネルギーも投下して市町村合併を促進した理由は何であろうか。新潟県の﹃要 綱﹄を見る限り、自治省・総務省が主張してきた﹁市町村合併のメリット﹂と新潟県の掲げる﹁メリット﹂に大き な違いはない。すなわち、①﹁広域的な観点からの地域づくり・まちづくり﹂、②﹁行政サービスの維持・向上﹂、 ③﹁行財政基盤の強化﹂、④﹁事務権限の強化﹂の四点である。新潟県行政が市町村合併を熱心に促進した最大の 要因は、県内の客観的状況というよりも、当時の平山知事の姿勢にあったと考える方が妥当であろう。  知事は退任︵二〇〇四年︶後に寄稿した論文の中で、市町村合併に関する新潟県の取組みを述懐しながら、市町 村合併の必要性を次の四点に集約している。①﹁基礎的自治体としての市町村の財政力を強化する﹂、②﹁地域自 らが分権に向けて行政能力を高める﹂、③﹁地域資源︵地域力︶の受け皿づくりの一つの方法である﹂、④﹁過疎地        ︵2︶ の自治体は人口減少への単独での対応は困難である﹂。  新潟県の平山県政の一つの特徴は、まちづくり・むらおこしといった地域づくりへの知事の熱意であった。全県 下の地域づくりを推進するために、特産品発掘と合わせた財団法人を設立し、各地の地域づくりの担い手が一堂に 会して交流する機会を毎年開催するなど、地域づくりは知事の政治的プライオリティの高い分野であった。このこ とが、③﹁地域力の受け皿﹂として合併後の市町村の広域的事業に対する期待を高めたものと推察される。また、 全国的に府県行政は域内の市の政令指定都市化に慎重な傾向があると言われる。府県内の市が政令指定都市になっ た場合、多くの府県の事務権限が政令指定都市に移譲され、府県行政の存在意義が低下するからである。新潟県の 平山県政の場合にはそのような傾向は見られず、むしろ新潟市の政令指定都市化を県が積極的に支援する姿勢すら 見せた。このような知事の姿勢が、﹃要綱﹂の合併パターンにおける①﹁政令指定都市移行型﹂、②﹁中核市・特例 市移行型﹂に現れており、ここから、都市部と過疎地域の両方が合併促進の対象になることとなり、新潟県の市町 239

(9)

村合併に対する関与を強化する結果につながったものと考えることができる。 働 市町村合併をめぐる地域政治  新潟県内では、市町村合併の賛否をめぐって八市町村で住民投票がおこなわれている。  もともと新潟県には、住民投票運動の全国的な嗜矢とも言える前例があった。西蒲原郡巻町の原発設置に関する 住民投票である。巻町では原発推進派と反対派が一〇数年にわたって対立し、周辺市町村の活動家も巻き込みなが ら、地方政治の焦点であり続けてきた。自治体選挙という間接民主主義による意思決定が、住民の原発に関する意 向とずれる傾向が主に反対派から指摘されたことから、それ自体が重大な論争と対立を巻き起こしながらも、原発 に関する住民投票条例が提案・可決された。巻町における住民投票は、原発反対多数という結果となり、その﹁尊       ︵3︶ 重﹂を根拠として当地における原発建設計画は最終的に白紙撤回された。  巻町における原発住民投票は、原発建設への賛否という枠組みを超えて、直接民主主義的手法の活用による住民 の意思表明の方法として県内外の注目を集めた。この巻町の経験が、市町村合併をめぐって住民の賛否が分かれ、 議会も紛糾するという事態となったとき、あるいは合併を推進する側が合併について正統性を得ようと考える際 に、合併住民投票という手法が新潟県内各地で多用される下地となっていた。  個々の住民投票の結果とそのインパクトを見てみたい。南魚沼郡塩沢町では、合併反対が多数となった。これは 塩沢町と地域的一体感のある湯沢町が当初から合併しない選択を表明していたことから、郡内の他の二町との合併 に慎重な住民の意思が示されたものと思われる。しかし、郡内の他の二町が南魚沼市へと合併する動きが明確に なった後に行なわれた町長選では、合併が再び選挙の争点となり、合併推進を公約にした候補が当選した。ここか ら、塩沢町は住民投票では合併反対多数の結果が出ながらも、地方政治のダイナミズムによって最終的には南魚沼 240

(10)

市との合併という結果となった。  県の中央部に位置する燕市では、隣接する三条圏域との合併の賛否を問う住民投票が実施され、ここでも反対多 数という結果となった。新潟県の﹃要綱﹄では燕・三条両市を中軸とするパターンが示されていたが、燕市の市民 の地域的一体感が三条圏域よりはむしろ海側の西蒲原郡吉田町にあったことが、この住民投票の結果に反映した。 新潟県内の合併住民投票で反対多数の結果が示されたのはこの二例だけである。  新潟市との合併の賛否を問うた新津市の住民投票では、合併反対派が新潟市と合併しない場合の将来像を明示で きなかったことに大きな要因があると言われているが、賛成票が反対票を上回った。佐和田町︵佐渡郡︶、荒川町 ︵岩船郡︶、小国町︵刈羽郡︶、六日町および大和町︵南魚沼郡︶ではいずれも賛成多数であったが、住民投票を実 施する以前に、どれだけ幅広い住民の参加で地域の将来像に関する議論が蓄積できていたかといえば、課題の残る 動きであったと思われる。  新潟県内における市町村合併の動きに大きな影響を与えたのは、土木建設業をはじめとする各地域の産業界であ る。言うまでもなく、土木建設業界は合併に伴う新自治体建設計画による公共工事に大きな期待を寄せ、全体とし て公共工事が削減される中で、市町村合併を強く支持する姿勢を取っていた。しかし、新潟市周辺市町村の合併に 関しては、これとは多少違う動きもみられた。旧新潟市では﹁平成の大合併﹂の動きが始まる前に、すでに地域的 一体性が確立されていた西蒲原郡黒埼町の吸収合併が行なわれた。この合併に伴って、旧黒埼町では合併協議で合 意された多数の公共工事が実施されることになり、旧黒埼町の土木建設業界に相当の発注が来るものと当初は期待 されていた。しかし、現実の受注は旧黒埼町の土木建設業界の大きな期待にはなかなか応えられないものであっ た。新潟県内の市町村にはそれぞれその地域の中核的な土木建設業者があり、それぞれの市町村内における公共工 241

(11)

事の受注で支配的な地位を占めてきたが、市町村合併とりわけ大都市と中小の町レベルでの吸収合併では、こうし た支配的地位が不安定化することが明らかとなった。合併に伴う公共工事の入札では一般競争入札が行なわれ、旧 新潟市の土木建設業者と旧黒埼町の土木建設業者が同じ土俵で競争関係に置かれることになったのである。この結 果、旧黒埼町地域内の公共工事であっても、旧黒埼町の土木建設業者が受注できるとは限らなくなり、実際に旧黒 埼町の規模の小さな土木建設業者は、旧新潟市の大手土木建設業者が受注した事業の下請けの仕事しか受けられな いという事態が生じた。合併に伴う公共工事には期待したほどのメリットがないという、この経験は新潟市周辺の 土木建設業界に共有されるところとなり、たとえば新津市が新潟市と合併する動きに関しては、新津市の土木建設 業界が、少なくとも積極的に合併を支援するという動きの抑制要因となっていった。  新潟県内では、これ以外にも、合併の当事者である各自治体の基幹産業である繊維業界のライバル意識が合併議 論の抑制要因となったケース︵五泉市と中蒲原郡村松町︶、同じく製造業のライバル意識が合併の動きそのものの 開始を抑止したケース︵三条市と燕市︶などがある。  各市町村の基幹産業により、合併という選択肢それ自体を拒否することとなったケースとしては、中魚沼郡津南 町がある。津南町の基幹産業は農業であり、新潟県内では津南町の野菜などの農産物は一種の﹁ブランド﹂として 定着している。ここから、津南町行政は財政状況が厳しい中でも多くの予算を農業関連に支出してきた。新潟県の 合併パターンによれば、津南町をはじめとした中魚沼郡全体が十日町市との合併を想定していたが、津南町は十日 町市と合併した場合に、これまでと同じ水準の農業関連予算が津南町地域に確保できる保証がないと判断した。こ れが、津南町が自立の道を選択するうえで大きな要因となったと言われる。  総括的に見れば、新潟県内の市町村合併の動きを促進または抑制した政治社会的要因は、近隣市町村との地域的 242

(12)

一体性に関する住民の意識のありようとともに、各自治体の産業構造と個々の基幹産業の利益、とりわけ土木建設 業界のプラグマティックな利益計算にあったといえよう。 ⑥ 合併のタイプ  ニ○○八年四月一日現在の新潟県内における市町村合併は、件数としては一八件となった︵本論文末尾図を参 照︶。そのうち、六件が編入合併︵新潟市、長岡市、柏崎市、新発田市、妙高市、上越市︶、一二件が対等合併︵三 条市、十日町市、村上市、燕市、糸魚川市、五泉市、阿賀野市、佐渡市、魚沼市、南魚沼市、胎内市、阿賀町︶で あり、三分の二は対等合併となった。対等合併となった一二件のうち六件︵六市︶は旧市町村の中の市であった自 治体の名称をそのまま使っており、逆に妙高市の場合には旧新井市への編入合併でありながらまったく新しい市名 を用いている。このことから、合併した地域に中核的な市があった場合であっても、かならずしも市への編入合併 とはなっていないことは注目に値する。郡部の町村が合併した場合︵阿賀野市、魚沼市、南魚沼市、胎内市、阿賀 町︶はいずれも対等合併となっている。新潟県の市町村合併で対等合併が多い要因としては、各町村が地域の有力 な市に編入・吸収されることを忌避する傾向があり、そうした町村の意向を踏まえて合併協議がおこなわれてきた ことが想像される。 ㈲ 合併の結果  二〇〇八年四月一日現在で三一市町村まで再編された新潟県内の市町村合併については、何点かの特徴を指摘で きる。  第一には、新潟県が﹃要綱﹄で示した合併パターンより大規模な合併が、地域の拠点的都市を中心に見られたこ とである。新潟市は一四市町村、長岡市は一〇市町村、上越市は一四市町村の文字通りの﹁大合併﹂となった。ち 243

(13)

なみに、﹃要綱﹄による合併パターンでは、新潟市は一〇市町村、長岡市は七市町村、上越市は八市町村プラスア ルファであった。これら三市は合併前から、それぞれ下越地方、中越地方、上越地方の中核的都市であり、各地方 におけるこれらの都市の拠点性は一段と高まることとなった。各地方における中核的都市に集中していこうとする こうした傾向は、都市機能の強化の恩恵を得ようとする旧町村の意向とともに、新潟県が合併促進のために制度化 した﹁新潟県市町村合併特別交付金﹂制度が、個々のケースにおいて合併市町村の数が多ければ多いほど交付され る特別交付金の金額も大きくなるよう設計されていたことも、それなりの影響を与えたものと推察される。  第二は、合併に伴って郡部が解体する事例が見られる点である。西蒲原郡は新潟市への合併を選択した町村と、 燕市を選択した町村に別れた。東頸城郡は上越市への合併町村と十日町市への合併町村とに別れた︵新潟県の広域 行政圏ではすでに東頸城郡は分割されていた︶。新潟県の﹃要綱﹄でも、﹁地域的一体性に配慮﹂しながらも同一の 郡内で異なった合併パターンの市町村があることが想定されていた。結果的に合併に伴って解体される郡部が生じ てきており、これが将来的に従来から維持されてきた住民の﹁地域的一体性﹂感覚とどのように折り合うのか、ま たは矛盾が生じるのかは、注目する必要がある。  第三は、県中央︵県央︶地域での特徴的動向である。新潟県の﹃要綱﹄は、この地域にある三市︵三条市、加茂 市、燕市︶を含む七市町村の合併パターンを作り、合併後は上越市とともに、特例市を視野に入れた拠点性の高い 中規模都市を想定していた。しかし、結果的にはこの三市はそれぞれ独自の道を歩むことになった。まず加茂市長 が、あらゆる市町村合併に原理的に反対であるという強い姿勢を打ち出した。加茂市は市長のイニシャティブで強 力な反対キャンペーンを市の内外で展開し、近隣地域への反対チラシの全戸配布などをおこなった。加茂市が絶対 に合併しないということが、県央地域の合併議論に与えた影響は計り知れない。新潟県の作ったこの地域の合併パ 244

(14)

ターンが実現不可能という認識は、他の市町村においても﹃要綱﹄のパターンにこだわらない合併議論を加速さ せ、実際の地域的一体性に基づく合併または自立とは何かが問われることとなった。これに三条市と燕市の問のさ まざまな距離感が反映した。燕市は三条地域との合併の賛否を問う住民投票を実施し、反対多数となって三条市・ 燕市を含む大合併の議論は終息した。燕市の市民にとって、もともと地域的一体感の対象は西蒲原郡吉田町であっ たと言われる。しかし、三条市、燕市の両青年会議所は、﹁平成の大合併﹂の議論が始まるかなり以前から三条・ 燕の合併を議論し、公的に提起するという経緯も存在していた。結果的には県央地域の合併パターンは、従前から 一部で存在していた三条・燕合併論を否定するものとなった。なお、加茂市との地域的一体性があると言われる南 蒲原郡田上町も、加茂市が一切の合併議論に反対していることから、県央地域の合併議論には参加せず、当面は自 立の道を選んでいる。 ⑥ 合併しない市町村とその潜在的変化  新潟県内において二〇〇八年四月現在、合併しない道を選んでいるのは一二市町村である。市町村が﹁合併しな い﹂理由に言及することは、市町村合併があくまで各市町村の主体的議論と判断であるという建前からは疑問のあ るところであるが、新潟県においては県行政の積極的な関与のもとに合併が推進されたことに鑑みれば、現時点で の﹁合併しない﹂理由を整理しておくことは無意味ではない。なぜなら、新潟県の市町村合併に対する積極的な姿 勢が維持されるとすると、将来的に個々の﹁合併しない﹂理由に何らかの変化があった場合には、合併議論が再燃 する自治体が現れることが予想されるからである。  第一のケースは、言うまでもなく、経済的に豊かで財政上の理由から合併する必要のない町村である。北蒲原郡 聖籠町、刈羽郡刈羽村、南魚沼郡湯沢町は地方交付税不交付団体である。聖籠町は新潟東港工業団地を有し、潤沢 245

(15)

      ︵4︶ な法人住民税収入がある。刈羽村の場合は原発交付金である。湯沢町は﹁東京都湯沢町﹂と椰楡されるように、首 都圏のリゾート・マンションの密集地であり、固定資産税収入が見込まれる。だが、聖籠町を除くと将来的に地方 交付税不交付団体であり続けうるかどうかは不透明な部分もある。刈羽村は二〇〇七年七月の新潟県中越沖地震で 柏崎・刈羽原発が被災し、二〇〇八年四月段階で再稼働のめどが立っておらず、原発の安全性の確保いかんによつ てはこの原発の廃止もありうるという状態となっている。湯沢町におけるリゾート・マンションの固定資産税収入 は年限が限られた財源であり、マンションの減価償却が完了する段階になると町の税収入が激減する構造となって いる。  第二は、住民参加の議論の末に、困難を承知であえて自立の道を選ぶ場合であり、津南町と、ある意味では加茂 市がこれに相当する。特に津南町は、人口の減少、高齢化の進展、地方交付税交付金の減額などに関して非常にシ ビアなシミュレーションを行い、町民との懇談会を丁寧に重ねたうえで、行政サービスの削減と住民参加による サービスの代替も含めて長期的な自立計画を策定している。これに対して加茂市の場合には、合併絶対反対の政治 理念を持つ市長の強力なリーダーシップによるところが大きい。加茂市の財政は、経常収支比率が新潟県内の他の 市町村に比較してもかなり高いことから、将来的にも自立を選ぶ場合には実効ある財政健全化計画の策定・実施が 不可欠となろう。  第三に、﹁当面は﹂合併を見送るというケースがある。上述以外の市町村はほぼこのケースに該当する。多くは 合併協議そのものには参加したものの、条件面や将来像に不安や不満があり、協議から離脱した市町村である。西 蒲原郡弥彦村は新市建設計画で条件面が整わず、三島郡出雲崎町も合併後の将来像が不確定であることから、当面 は合併を見送った。これらの市町村は、他の市町村が合併した後の状況を将来にわたって見極めながら、財政状況 246

(16)

や住民サービスの維持・向上などを慎重に検討したうえで、合併と自立のどちらを選択するかを模索するものと考 えられる。その場合、最大の要因は将来の首長の判断であると思われる。新潟県内の例を見ても、具体的な市町村 合併を促進するも抑制するも、結局は首長の意向・判断であったからである。  逆に言えば、﹁当面は﹂合併を見送った市町村では、首長の交代とともに合併が動き出す可能性がある。前述の 南魚沼郡塩沢町では町長選挙で合併推進派の町長が当選したことから南魚沼市との合併に至った。  さらに特徴的なケースは、北魚沼郡川口町である。川口町は隣接の小千谷市との合併パターンが新潟県の﹃要 綱﹄で示されていたが、小千谷市、川口町の両自治体の首長とも合併に対しては否定的であった。これを大きく変 えたのが、二〇〇四年一〇月の新潟県中越沖地震とその後の川口町における首長の交代である。中越沖地震のまさ に震源地であり、大規模な被害を受けた川口町の新町長は、﹁現状の川口町では震災からの自力による復興は極め       ︵5︶ て困難﹂と判断し、合併に向けて具体的な検討を開始した。  川口町の最初の対応は、二〇〇六年八月の町民意向調査である。この調査票は、﹁町としては自立は困難である と考えます﹂という書き出しから始まっており、合併を前提とした調査であった。合併相手先としては、﹁魚沼 市﹂、﹁小千谷市﹂、﹁長岡市﹂、﹁小千谷市と共に長岡市﹂の四ケースが挙げられ、このどれかを選択する調査となっ た。特に最後の﹁小千谷市と共に長岡市﹂との設問は、首長も議会も合併を否定していた小千谷市で大きな波紋を 広げ、反発も呼んだ。回収率は八二・四%の高率となった。回答の比率は、﹁長岡市﹂二八・八%、﹁小千谷市と共 に長岡市﹂二七・一%、﹁小千谷市﹂二一・九%、﹁魚沼市﹂一八・七%となって、魚沼市との合併の意向がやや低 いのを除けば回答はほぼ分散した。しかし、相対的にもっとも多かったのは長岡市との合併︵その場合、川口町は

小千谷市を挟んだ﹁飛び地合併﹂となる︶であり、どのような形であれ長岡市との合併を望む意見は合計

247

(17)

五五・九%と過半数を超えている。  ちなみに、新潟県が﹃要綱﹄で示した小千谷・川口の合併パターンについて、川口町が二〇〇一年一一月に実施 した町民意向調査結果では、小千谷市と﹁合併するとしても期限にこだわらない﹂が三三・一%、﹁合併特例法の 期限までに合併﹂は三丁三%、﹁合併しない方がよい﹂は二〇・二%であった。中越沖地震という大規模自然災 害を経て、川口町の住民意識は確実に変化しており、小千谷市に代わってより財政力の強い長岡市との合併を志向 するようになっていることは明らかである。  川口町は、町の広報紙である﹃広報かわぐち﹄の特別号・合併特集を二〇〇六年七月から発行し、二〇〇七年七 月までに一〇号継続している。現長岡市長が川口町の編入に前向きな姿勢を示していることから、近年のうちにこ の合併が動き出す可能性は高いと考えられる。  だが、問題は、この合併議論を川口町の﹁主体的な﹂判断と見なすことができるのかどうかである。現在の川口 町は懸命に財政健全化に取り組んでいるが、最終的には自力では自治体の公的サービスを維持できないと判断する までになっている。川口町の合併議論が、大規模自然災害によって﹁強いられた主体性﹂に基づいているとすれ ば、過疎地が大規模自然災害に見舞われた際であっても、自治体の自立を可能にするような地方行財政制度や道府 県の支援制度等が真剣に検討されなければならないと言える。 第2節 広域行政圏の再編 次に新潟県内の広域市町村圏︵広域行政圏︶の変化を概観したい。 新潟県では、新全総でうたわれた﹁広域生活圏﹂の形成を受け、一九七〇年六月に策定された ﹁県勢発展のため 248

(18)

の長期構想﹂︵第二次長期計画︶において、一二の広域生活圏を設定し、圏域別の開発構想を定めるとともに、自 治省の﹁広域市町村圏振興整備措置要綱﹂などによる指導に基づき一九六九年度から一九七一年度にかけて一二の          ︵6︶ 広域市町村圏を設定した。  その後、社会情勢等の変化を受けて、一九九一年度から一九九四年度にかけて区域の見直し作業を行い一四圏 域を設定した。具体的には一九九三年から一九九四年にかけて、﹁長岡・小出地域﹂を﹁長岡地域﹂と﹁小出地 域﹂に分割した。また、﹁上越地域﹂から﹁新井頸南地域﹂を分離し、東頸城郡松代町、同郡松之山町を﹁十日町 地域﹂に編入した。二〇〇四年以降、市町村合併の進展により﹁佐渡地域広域市町村圏﹂、﹁小出地域広域市町村 圏﹂、﹁上越地域広域市町村圏﹂、﹁糸魚川地域広域市町村圏﹂及び﹁新井頸南地域広域市町村圏﹂がそれぞれ圏域内 のすべての関係市町村の合併により、広域行政圏から除外され、現在は九圏域となっている。  二〇〇八年一月現在で、この九圏域は、﹁岩船地域﹂︵一市二町四村︶、﹁新発田地域﹂︵二市一町︶、﹁新潟地域﹂ ︵二市︶、﹁五泉地域﹂︵一市一町︶、﹁三条・燕地域﹂︵三市一町一村︶、﹁長岡地域﹂︵三市二町︶、﹁柏崎地域﹂︵一市 一村︶、﹁南魚沼地域﹂︵一市一町︶、﹁十日町地域﹂︵一市一町︶である。﹁岩船地域﹂については、二〇〇八年四月 一日の村上市との合併により、これ以降は一市二村で構成されることになった。  九圏域の広域行政圏であるが、﹁平成の大合併﹂により圏域の構成市町村が二となった圏域では広域行政機構の 解散が進んだ。二〇〇八年一月現在では、﹁新潟地域﹂、﹁柏崎地域﹂がこれに当たり、広域行政機構を有しない広 域行政圏となっている。この二圏域ともに﹁地域の将来像﹂および﹁広域的な主要プロジェクト﹂が存在しない が、﹁柏崎地域﹂は新潟県による﹁柏崎地域ニューにいがた里創プラン﹂の指定だけは受けている。さらに﹁五泉 地域﹂でも、﹁五泉地域ニューにいがた里創プラン﹂の指定だけは受けているものの、具体的な﹁地域の将来像﹂ 249

(19)

および﹁広域的な主要プロジェクト﹂は特定されていない。これらの三圏域は事実上の活動・事業の終了に近づい ている可能性もある。  他方では、構成市町村が二となった圏域でも、﹁南魚沼地域﹂と﹁十日町地域﹂では﹁圏域の将来像﹂も明示さ れており、﹁広域的な主要プロジェクト﹂も多数存在している。とりわけ﹁十日町地域﹂では、交通ネットワーク の整備の他、福祉・保健分野においても子育て支援や高齢者福祉の充実が、教育・文化でも﹁大地の芸術祭﹂など がプロジェクトとして取り上げられている。  ﹁南魚沼地域﹂および﹁十日町地域﹂はともに魚沼地域にあるが、この地域は典型的な中山間地であり、道路な どの交通ネットワークの整備、圃場整備などの農業基盤整備等、広域的な公共事業に対する需要の大きい地域であ る。ここに見られるように、地域特性として広域的な公共事業の需要が大きい地域では、構成市町村の数が極小と なった場合であっても、市町村合併後も計画と事業が継続的に進んでいく傾向を指摘できる。  第3節 平成の大合併の課題  ﹁平成の大合併﹂は、各地域にどのような影響を及ぼしたのか。大合併の一段落後からまだ三年程度であること から、また合併時の一時的混乱もあったことから、断定的な評価を下すことは難しい。しかし、第一には、新潟県 内の合併市町村の全体的傾向から、第二には、比較的﹁下からの﹂合併の動きがあった魚沼市の現状から、新潟県 における﹁平成の大合併﹂の暫定的分析を試みたい。       ︵7︶ ω 新潟県﹃市町村合併実態調査﹄から  新潟県では、二〇〇六年から市町村合併の影響を毎年追跡調査している。二〇〇七年度の調査項目は、﹁本庁と 250

(20)

支所の連携等﹂、﹁周辺部の活性化﹂、﹁地域コミュニティ活動﹂、﹁地域審議会等の運営﹂、﹁公共料金等の統一﹂、﹁そ の他︵合併に対する住民の評価︶﹂の六項目となった。ただし、この実態調査は、あくまでも市町村行政の当局に 対する調査である関係上、住民の生の声とは一定の距離があることを踏まえて考える必要がある。回答市町数は 一七である。  ﹁本庁と支所の連携等﹂に関しては、支所庁舎を含む地域固有の公共施設の維持管理の予算要求をほとんどの合 併市町︵一七市町中一三市町︶が支所の権限でおこない、また予算執行している。また、地域のイベントなども同 様である。支所の独自予算を持っている市町も六自治体ある。支所が独自予算を持っているケースでは、区の﹁伝 統風土を守る取り組みや区独自の課題解決﹂のために二〇〇〇万円を上限に予算編成するケース、一律一〇〇〇万 円を﹁緊急対応予算﹂として区の緊急課題や小規模修繕などに充てる例などがある。支所の予算要求権および独自 予算は、合併後も支所︵旧市町村︶が一定の権限を有していることを示している。  支所長の人事権としては、多くの市町で支所内の一般職の配置権限を有している。  本庁と支所との役割分担では、住民との窓口対応は支所、全市的な調整や対応が必要な場合には本庁という役割 分担が行なわれている傾向を指摘できる。地域振興策の策定は本庁がおこなっていても、情報収集と相談は支所と なっている。ふるさと創生基金を使った地域振興のためのソフト事業を支所で担っている例もある。﹁歴史的伝統 儀礼・イベント﹂を本庁が予算要求・執行している場合であっても、現実的な対応は支所となっている。予算要 求・独自予算について見たように、地域固有の文化の保持やイベントの実施には支所の役割が大きい。また、災害 時の対応でも支所の役割が予想より大きい。災害時には緊急の対応が現場で求められるため、避難準備情報の発表 権限を支所長が有している例、各職員が勤務先ではなく居住地の支所長の指揮命令下に入る例なども見られる。 251

(21)

 他方、﹁本庁と支所の連携﹂については、合併前から予想された通り、﹁支所で対応してくれない﹂、﹁裁決に時間 がかかる﹂、﹁たらい回し﹂といった不満が住民から上がっている。さらに、予算が全市に分散したために、地域で 緊急度の高い小規模改修などを柔軟に対応できないという問題点を挙げた市町もあった。﹁時間がかかる﹂という 住民からの不満に関しては、支所に業務係を配置するなどして、応急的な対応や人的労力のみで対応できるケース については支所で即決する体制をつくる市町もあり、また、担当が別でも受け付けをした職員が責任を持って対応 するワンストップサービスなどの工夫がなされている。  まだ合併して数年しか経っていないので、﹁周辺部が取り残されている﹂という声は意外なことに少ないと報告 されており、市町行政の関心の焦点は今のところ﹁中心市街地の活性化﹂である。しかし、職員数が削減された 他、農協・農業共済組合・県の出先機関の縮小・撤退等により、地元商店街の購買力が低下し、旧役場周辺の飲食 店の閉店など、じわじわと周辺部の衰退は加速されている傾向が見られる。これまで地域の核となってきた学校・ 保育園の統廃合が過疎化をいっそう加速させることが懸念されている。こうして、いわゆる限界集落対策も合併後 の市町行政の関心事になりつつある。  こうした地域の客観的環境変化はありながらも、それが住民の具体的な不安となっていないのは、各﹁地域コ ミュニティの活動﹂の活発化が見られることが影響しているものと考えられる。新潟県の調査によれば、地域コ ミュニティ活動が﹁合併前よりさかんになってきている﹂との回答は五市町、﹁合併前よりさかんになってきたと ころも、衰退してきたところもある﹂は四市町であり、﹁衰退した﹂はゼロであった。こうした地域コミュニティ 組織は、行政主導で設置している場合が多いが、活動は地域住民が主体的におこなっている場合が少なくないとさ れる。その背景としては、合併によって行政や議員が遠くなり、﹁自分たちのことは自分たちで何とかしよう﹂と 252

(22)

いう機運が盛り上がってきたこと、それに対応した行政による住民の組織化、地域コミュニティ活動の促進制度の 設置などが挙げられる。ほとんどの市町が地域コミュニティ活動の活性化のために財政支援をおこなっており、活 動報告を条件に自由な交付金を制度化した市町、合併特例債による基金を活用しているケースなどがある。支所の 配置されていない地域で地域協議会の事務局を地域が選任し、市の嘱託職員として配置している市もある。このよ うに合併を契機に、﹁他に選択肢がない﹂状況の下で、地域コミュニティというより小さな地域単位の自治が活性 化し、﹁都市内分権﹂への取り組みが始まっている。この地域コミュニティ組織が今後どのように市町行政との ﹁協働﹂を発展させるか、それに対応した市町行政の組織・制度のあり方が問われていくものと思われる。  これに対して、制度化された﹁地域審議会の運営﹂状況には大きなばらつきがあり、全体的にうまく行っている とは言い難い。地域審議会の開催回数は年一回から一〇回以上までさまざまであるが、三回以上が一三市町となっ ており、定期開催にはなっている。主な審議事項は新市建設計画の進捗状況、総合計画の策定、地域活性化事業や 地域の公共施設のあり方などである。だが、地域審議会に自発的な協議事項のある市町は一〇にとどまり、七町村 にはそれがない現状もある。ここから、﹁議論すべき事項がない﹂など形骸化した地域審議会も存在しており、地 域審議会のあり方そのものが課題となっている市町も少なくない。地域審議会の委員の中には、何を議論し、何を 行政に要望するのか、またどのような権限が地域審議会にあるのかを理解していない場合もある。また、﹁行政に 対する要望が大半﹂であるような地域審議会を抱える市町の担当者は、今後は﹁自主性・独自性のある議論が必 要﹂と指摘している。  このように公式に制度化された地域審議会と、インフォーマルな活動を中心とする地域コミュニティ活動の状況 は対照的である。逆に言えば、より小さな単位での自治を可能にする地域コミュニティ活動と、合併に伴って制度 253

(23)

化された地域審議会が、合併後の市町の自治システムの中でうまくリンクしていない現実を指摘できる。  合併協議で大きな問題となった﹁公共料金等の統一﹂であるが、個別に経過措置が設けられている場合が多い。 法人住民税については、一四市町がすでに統一されているが、四年間は旧市町村の税率を適用するとしている自治 体もある。水道料金や下水道料金の統一はかなり難航している。水道料金については六市町が、下水道料金につい ては五市町が、﹁今後統一の予定だが、方針は未定﹂と回答している。この二つの公共料金に関しては、旧市町村 間の料金格差が大きく、料金体系も異なっている。市町の行政としては、まずコスト削減などの経営努力が求めら れており、その上でないと特に料金の上がる住民の理解が得られないと判断している。保育料については、合併を 前後して一六市町が統一しており、統一料金より高い地域での料金引き下げが予定されている例もある。  新潟県による実態調査の﹁その他﹂の項目では、市町村合併に伴う問題・課題が一層はっきりと明確になってい る。住民が合併によって﹁良くなった﹂という側面があると同時に、﹁悪くなった﹂と指摘されている課題の両面 がある。まず﹁良くなった﹂と意識されている点では、公共施設の相互利用︵他の旧市町村の図書館など︶、窓ロ サービスの拡大︵旧市町村の支所に限らず窓口が利用できる︶、専門の相談員の配置︵消費生活相談、家庭児童相 談等︶、放課後児童クラブの新設、保育料の引き下げ︵前述︶、救急対応の改善などの具体的・広域的なサービス改 善が挙げられている。各地域のイベントヘの集客力が高まったという評価もあるようである。これに対して﹁悪く なった﹂という点では、旧市域への行政集中、議員数の削減で﹁行政に要望を伝えにくくなった﹂という旧町村の 周辺部の不満が目立つ。また、行政サービスでは、既述のように﹁対応が遅くなった﹂、﹁支所で業務が完結できな い﹂があり、﹁支所となって保健師などの専門職が︵逆に︶いなくなった﹂ことへの不満も挙げられた。国民健康 保険料、介護保険料の負担が増えた旧市町村もあり、﹁乳幼児健診などを従来は旧市町村でできたのに遠くまで行 254

(24)

かなければならない﹂︵﹁遠い役所﹂︶問題も聞かれる。概して、新潟県による実態調査では、﹁役所が遠くなった﹂ ことと﹁負担が増えた﹂ことが大きな課題として浮き彫りになっている。  市町村合併から数年しか経ていないにもかかわらず、合併に伴う﹁光と影﹂がかなり行政職員の意識するところ となっている。しかし、合併に関連して住民意識調査を実施した市町は三にとどまり、実施の予定のない市町は 二一にも上っている。 鋤 魚沼市の合併に対する﹁評価﹂  北魚沼郡の六町村が合併した魚沼市は、合併の一週間前に中越沖地震で大きな被害を受け、震災からの復冊・復 興が合併後の最大の課題となった。また、合併後は財政事情などにより本庁舎を置かず、各旧町村の庁舎を分庁舎 方式で使用し、本課機能が分散された。他方、新市建設計画の策定では﹁一〇八人委員会﹂を組織し、五〇回以上 の討議を経て、﹁下からの﹂合併議論を積み上げたところに大きな特徴のある合併であった。        ︵8︶  魚沼市では、二〇〇七年一一月に﹁北魚沼の六ケ町村の合併を検証する会議﹂を開催した。その議事録からは、 比較的うまく行ったと言われる魚沼市の合併でも、旧町村との比較で﹁光と影﹂があることが明らかとなった。  まず財政であるが、中越沖地震とその後の二年続きの豪雪によって、財政規模は三年問例外的に増大した。災害 復旧が一段落した二〇〇六年度には、歳入二九〇億円、歳出二八○億円まで縮小したが、この財政規模は類似団体 よりも依然として大きくなっている。一般財源は一七〇億円であり、横ばいで推移しているが、三位一体の改革に よって地方交付税の大幅な減収と地方譲与税の若干の増収が見られる。三位一体改革により、魚沼市ではトータル で一〇億円の減収となった。税収は歳入の一四%程度にとどまっている。自主財源は二八・六%で三割に満たな い。歳出では福祉・子育ての扶助費が増加の一途をたどつているが、議員・職員が減ったことにより、人件費は下 255

(25)

がっている。広域事務組合で起債・建設したエコプラントや文化会館、景気対策の箱もの負債が市の財政に大きく のしかかっており、一般会計と企業会計の負債を合計すると市民一人当たり一五〇万円を超える借金がある。経常 収支比率、実質公債費比率は新潟県内の二〇市の中でも最高水準にある。魚沼市の財政は、三位一体改革の影響も 含めて非常に厳しい状況にあり、定員適正化計画を含む行政改革が焦眉の課題となっている。  この行政改革が市民サービスに大きな影響を与えている。旧町村で上乗せされていた行政サービスや補助金はか なり廃止された。旧入広瀬村では、旧村独自の観光イベントヘの補助金がカットされた。山間地の農地の災害復旧 に対する補助率が全市で同一となった。敬老会への補助金もなくなった。財政が厳しい中で、﹁明るさが見えな い﹂という声が多く聞かれる。他方では、中学生の冬期間の通学バスに対する補助、小学生以下の医療費補助、市 内循環バスなど、行政サービスが向上した面もある。合併そのものによる行政サービスの向上としては、どこの支 所でも住民票などの基礎的書類が入手できることなどがある。結局のところ、旧町村で上乗せされていた行政サー ビスが削減される半面で、実施されていなかったサービスが合併による全市統一化によって新たに加わる旧町村も 出てきているのである。したがって、行政サービスの面では、旧町村がどのようなサービスを行っていたかで大き な評価の差が生じている。魚沼市の検討会議では旧入広瀬村、旧堀之内町からの参加者から、﹁良くなったところ は一つもない﹂という厳しい意見も出された。  行政サービスについては評価が分かれるが、合併によるソフト面でのスケールメリットも指摘されている。最大 のメリットは人の交流が拡大したことである。魚沼交流ネットワークというNPO法人が設立され、公的な企画・ イベントなどで市行政との協働関係を築いている。何か地域で市民が取り組もうとするとき、旧町村の枠を超えて 市民が集まり、主体的な活動をする可能性は広がったとされている。 256

(26)

 問題は、市行政の統一化が地域社会の統合に追いついていない点である。魚沼市は分庁舎方式を採用したことも あり、各課の調整がスムーズに行かない状況も生まれ、あるいは支所間の行政能力のアンバランスなどが起きてい る。  産業面では、北魚沼郡の中心町への﹁一極集中﹂の傾向がすでに生じている。とくに周辺部の旧町村では、飲食 店の売上が顕著に減少しているのである。  赤字の公共施設をどうするかも避けて通れない課題である。旧町村では旧町村単位で同じような箱もの施設を多 数建設し、そのほとんどが赤字となり、新市の財政を圧迫している。今後は、箱ものを﹁どう壊すか﹂を議論しな ければならない、と検討会議では指摘する声が相次いだ。 ⑥ ﹁平成の大合併﹂後の課題  このように、新潟県の実態調査および魚沼市での評価議論を踏まえると、新潟県内の市町村合併は、合併後に何 点かの課題を残したと言える。  第一は、中山間地の合併議論が旧町村の財政問題に始まり、財政議論に終始した傾向があり、新たな自治を構築 するという前向きな議論がなされなかった場合が多いという点である。行政サービスをどうするか、住民参加をど うするかといった議論は、合併後に先送りされた。旧町村の住民は、合併後に行政サービス削減と負担増が現実の ものとなって初めて、自分たちの旧町村がどれほど財政的に危機的だったかを実感している。合併後に全体として 行政サービスは低下する傾向があるが、これは旧市町村の行政サービスのレベルによって異なり、単純な評価には なじまない。そうした行政サービスの削減と負担増が、市町村合併の結果として生じたものなのか、あるいは仮に 合併しなかったとしても、旧市町村の財政力の弱さからいずれは見直しせざるを得なかったものなのかは、にわか 257

(27)

に判断できない問題だからである。  第二には、旧市町村が地域コミュニティとしての自立を迫られていることである。これはむしろ、それ以外に選 択肢がなくなっていることを意味する。中山間地の旧町村では、住民が行政に心理的・社会的に依存する顕著な傾 向があり、魚沼市の検討会議でも旧村は﹁︵旧村行政が力量を超えて︶仕事をやりすぎたのが今大きなつけになっ ている﹂との指摘があった。市町村合併、三位一体改革によって﹁強いられた自立﹂かもしれないが、地域が自立 するための住民の力をどう活性化させ、地域コミュニティ協議会やNPOなどの新たな住民組織を通じて、行政と 住民の協働を促進することが合併後の大きな課題となっている。旧市町村の支所には、この協働推進のためのシス テムと機能が求められる。新市町の職員についても、単に職員数の削減だけではなく、この協働のコーディネイト 能力の育成が問われている。新・新潟市の合併においては、旧市町村の職員間の事務処理能力の落差が大きな問題 として指摘されているが、市町村合併を自治の促進材料とできる職員の能力開発は重要な課題である。  第三に、第二の課題とパラレルであるが、地域コミュニティの活性化が進まない場合には、中心部と周辺部の格 差拡大と一極集中が確実に生じる。その意味で、合併後の市町村が自立的かつ効果的な産業政策を企画・実施でき るかどうかは大きな課題である。したがって、地域コミュニティは住民自治というだけではなく、旧地域の産業活 性化まで踏み込んだ議論の場を提供しなければならない。旧市町村の地域に存在する自然や文化などの地域資源を 発掘し、それを観光産業や特産品づくりに活かす知恵が求められている。  魚沼市の合併検討会議でも出されたことだが、﹁財政難を住民がしっかりと受け止める必要はあるが、それは行 政が住民に向かって最初に言うことではない﹂のである。むしろ合併後の行政が力を傾注しなければならないこと は、新市町の住民の声を改めてしっかり受け止めることであろう。新しい自治体の地域の現場で何が起きているの 258

(28)

か、それを新市町という新しい行政システムの中でどう判断して対応するのか。新市町の行政は、単なるスケール メリットを追求するだけでは、住民の行政満足度を上げることはできない。合併を契機として、行政と住民の新た な協働システムを構築できるかどうかが、合併の評価を最終的に左右するものとなろう。  最後に、第四として合併しない道を選んだ市町村への自立支援である。合併しない理由はさまざまであるが、市 町村または住民の主体的意思に基づいている。こうした合併しない市町村が、もっぱら財政的厳しさから新たに合 併に向けて動くとすれば、自治の観点から大いに問題がある。新潟県行政が県内の市町村合併を積極的に推進した 際の基本的スタンスは、市町村の主体的判断を尊重するというものであった。だとすれば、主体的に合併をしな かった市町村の自立を支援して初めて、新潟県は市町村の主体性を尊重することになるのではなかろうか。合併し ない市町村でも、行政サービスの質量とその範囲の見直し、負担の適正化、住民参加やNPO・ボランティアとの 協働など、基本的には合併市町村の直面する課題と性格の類似した政策の見直しが不可欠となっている。﹃合併実 態調査﹄等で合併後の市町村をフォローしている新潟県行政は、合併のいかんに関わらず、地域自立の取組みを広 域的に教訓化する作業を通じて、合併しない市町村の自立を側面から、ソフト的に支援することが可能であり、か つ地域経営として求められていると言える。 ︵1︶﹃新潟県市町村合併促進要綱﹄は、次のホームページに掲載。︿算膏\\≦≦揖胃9急鴇け巴巴冥ω田3058\田○轟る一8認零拝巨﹀ ︵2︶平山征夫﹁新潟県の将来像と基礎自治体再編の理念・構造﹂羽貝正美監修・新潟県自治研究センター﹃平成の大合併新潟県の 軌跡﹄新潟日報事業社、二〇〇七年、四三∼四四頁。 ︵3︶巻町の原発建設をめぐる住民運動については、次のような文献がみられる。小林伸雄﹃ドキュメント巻町に原発が来た﹄朝日 259

(29)

新聞社、一九八三年、新潟日報報道部﹃原発を拒んだ町﹄岩波書店、一九九七年、中澤秀雄﹃住民投票運動とローカルレジーム﹄  ハーベスト社、二〇〇五年、伊藤守・渡辺登・松井克浩・松原名穂子﹃デモクラシー・リフレクション巻町住民投票の社会学﹄リ  ベルタ出版、二〇〇五年。 ︵4︶新潟日報報道部﹃東京都湯沢町﹄潮出版社、一九九〇年。 ︵5︶新潟県北魚沼郡川口町における合併への動きは、次のホームページに掲載。︿耳昼\\≦≦ゑさ≦戸雨≦諾仁9ぎ凝讐巴豆29P 8ざσ①9\磯8冨鵬。昌馨一﹀ ︵6︶広域市町村圏制度について詳しくは、佐藤俊一﹃日本広域行政の研究−理論・歴史・実態ー﹄成文堂、二〇〇六年、二三四∼  二四九頁を参照されたい。 ︵7︶新潟県﹃市町村合併実態調査﹄は、次のホームページに掲載。︿拝登\\≦≦系震9呂恕什巴巴冥ω巨魯058\冨○“O臨躍Oお9辟巨﹀ ︵8︶﹁北魚沼の六ケ町村の合併を検証する会議﹂の会議録は次のホームページに掲載。︿耳昼\\≦≦華。一受8霊ヨき凝讐2夏 O・昌①旨ω\冴。轟ω蔦○02↓国2↓20同謡G。刈﹀ 260

(30)

新潟県合幌市町村地図(820.4」現在)

働口

勲 纏 趣 灘漁  轍  “

磁O 鮪田 裳 撒 鶴 趨       國

盤  團

蓼纒謹團r

獄        . 争

雛翻

      鰍       督  ●  蟹  雛 ^雛      く  ム 雛欄㈱㎜齢 − 締 購   轟     蝋

圃圖國

厳蕊

.纂偽

  鰍認亀鰯鯉 蔀事 絆⑳

油︷ 261 ⋮さと・つ しゅんいち・法学部教授1 1えぐち まさき・新潟県地域総合研究所主任研究員1

参照

関連したドキュメント

続が開始されないことがあつてはならないのである︒いわゆる起訴法定主義がこれである︒a 刑事手続そのものは

 本稿の目的は、事業売却の一手段として活用されている DMBO のうち、特に活用頻度が高い 子会社

・企業は事業部単位やプロジェクト単位のような比較的広義の領域(Field)毎において、

チャオプラヤ川(タイ)は 157,927km 2 という広

方法 理論的妥当性および先行研究の結果に基づいて,日常生活動作を構成する7動作領域より

式目おいて「清十即ついぜん」は伝統的な流れの中にあり、その ㈲

および皮膚性状の変化がみられる患者においては,コ.. 動性クリーゼ補助診断に利用できると述べている。本 症 例 に お け る ChE/Alb 比 は 入 院 時 に 2.4 と 低 値

このような環境要素は一っの土地の構成要素になるが︑同時に他の上地をも流動し︑又は他の上地にあるそれらと