論文
中国の腐敗状況と反腐敗政策に関する一考察
—中国大陸と香港の比較を通じて—
王 勁草
はじめに
2012 年末,習近平総書記を中心とする中国共産党の新政権が発足した。就任直後の政 治局学習会で,習氏は「共産党員の腐敗問題は党と国の運命に関わる死活問題」という談 話を発表した1)。その後,最高指導部は地方政府幹部の腐敗摘発に乗り出した。中国最高 人民検察院の発表によると,腐敗取締運動が始められてから半年間に,9700 件以上の贈 収賄事件が摘発された。2013 年 9 月には,政治局常務委入りを有力視された薄煕来元重 慶市書記が収賄罪,横領罪,職権乱用罪で起訴され,山東省済南高裁において無期懲役の 判決を言い渡された。さらに,翌年の 2014 年に元中央委員会常務委員の周永康,元中央 軍事委員会副主席の徐才厚,元政治協商会議副主席の令計画などの高級官僚も続々と汚職 で失脚した(高原 2015)。2016 年 3 月,最高検察院検察長曹建明は 2015 年における検 察により摘発された 100 万元(約 1600 万円)以上に関わった腐敗案件(大案)の数が 4490 件に上り,前年度より 22.5% 増という腐敗の状況を発表した2)。 これまで,鄧小平時代の「共産党中央,国務院による人民の関心事に関する決定」(中 共中央,国務院関於近期做幾件群衆関心的事的決定,いわゆる鄧の反腐敗七箇条)3)から, 習近平の「八項規定」(関於改進工作作風,密接連繋群衆的八項規定,いわゆる習の反腐 敗八箇条)4)(江原 2004)まで,歴代の指導部はいずれも反腐敗問題を「党の死活問題」 として取り扱った。長年の反腐敗の努力で一定の効果を収めたとされるが,中国大陸の腐 敗状況は依然として厳しいと言えよう(Manion 2004)。 図1にあるように,各国の腐敗状況を表示する「腐敗認知指数」(CPI)のランキングに 1) http://news.xinhuanet.com/2012-11/19/c_123967017_3.htm 新華網 2012.11.19 「習近平の 第十八届中共中央政治局第一次学習会における談話」(2013.10.10, 閲覧 ) 2) http://www.spp.gov.cn/gzbg/201603/t20160321_114723.shtml 「2016 年最高人民検察院工作報 告」(2016.4.8, 閲覧 ) 3) 内容は①会社経営のチェック ②高級幹部の家族のビジネス活動の禁止 ③幹部に対する食品 の特別優遇のキャンセル ④幹部の海外考察の制限 ⑤最近の腐敗案件の調査 ⑥高級幹部公用車 の制限 ⑦収賄,浪費の厳禁 4) 内容は①調査,研究の改良 ②会議活動の簡素化 ③書類・説明の簡素化 ④訪問活動の規範 化 ⑤警備業務の簡素化 ⑥ニュース・報道の改善 ⑦草稿発表の厳格化 ⑧勤勉倹約の励行おいて,1995 年から 21 年間,中国大陸の順位は全体的後退しつつあり,いわゆる「広範 囲にわたる贈収賄」(widespread bribery)国に属している。
備考:Transparency International(https://www.transparency.org/research/cpi/cpi_early/0/) (2016.3.15, 閲覧 ) で掲載されているデータ(corruption perceptions index)を参考として作 成したものである。初回発表の 1995 年から 2015 年にかけて,毎年の統計母集団のサイズ(国及 び地域の数 N)が違うことに注意する必要がある。具体的に,1995 年から 21 年間 N の数はそれ ぞ れ 41,54,52,85,99,90,91,102,133,145,158,163,179,180,180,178,182,174, 175,174,168. 図 1 1995 年から 2015 年にかけて香港と中国大陸の CPI ランキング5) その原因について,Guo(2008) は経済の高速発展と移行(transition)が深刻な腐敗と 緊密につながっていると指摘した。1978 年十一回三中全会で共産党中央は「階級闘争を 停止し,経済発展に専念する」という方針を決めた。1980 年代に改革開放政策の実施に より,中国は「高度経済成長期」に入るとともに,摘発された腐敗事件の数も年々上昇し た。1980 年からの 30 年間,中国経済は 1983 年~ 1985 年,1992 年~ 1995 年,2004 年~ 2007 年の三つの「超高速成長期」(平均成長率は 10%以上)を経験した ( 羅 2001)。そ れに対し,摘発された腐敗案件数もほぼ同じ状況で推移し,1986 年に図 2 のように改革 開放以来の最初の最高値に達している。そして,その後,摘発数は上下しつつも,基本的 に高い水準で維持された6)。 このような状況の原因について,He(2000) は経済要因を非国有企業,国有企業,地方 政府官員に分けた上で,市場経済の実行により政府官員が社会財産の優先分配権(prior 5) NGO トランスペアレンシー・インターナショナルは世界銀行,アジア銀行,世界経済フォーラ ムなどの国際組織と協力しながら,対象国及び地域の腐敗状況に基づき採点している。最も清潔な 状態の得点を 10 点とし,腐敗状況が最も深刻な状況については 0 点としている。結果,得点が高 い国および地域は,ランキングの上位となる。 6) 2005 年以来,汚職に関わる金額は年々増加しており,汚職一件につき,一億元に上るケースも 珍しくない。したがって,案件の数は前より少なくなったが,腐敗総額は大幅に上昇している。 0 20 40 60 80 100 120 香港ランキング 中国大陸ランキング
distribution of national income)を失ったことで,自分あるいは集団の収入不足を補 うため権力を乱用したと総括していた。改革開放以来,中国の「ジニ係数」7)は年々上昇し, 1995 年,その数値は 0.4 を超え,2002 年には 0.55 であった。さらに,2012 年に大陸の ジニ係数は 0.72 になり,三分の一以上の財産がトップ 1% の家庭に所有されていることに なった8)。従って,貧富の差が拡大したことも行政腐敗を生み出す原因とも考えられる。 出典:中華人民共和国中央人民政府網(http://www.gov.cn/test/2008-03/21/content_925597.htm) 「歴年最高人民検察院工作報告」(2013.10.10, 閲覧 ) を参考に作成 図 2 改革開放以来中国の腐敗案件数 一方,中国の一部としての香港(1997 年まで英植民地)は 1960 年代から高度経済成長 期に入り,「アジア四小龍」の一つに発展した。特に 1970 年代以降,香港政府が新界の住 宅団地開発や地下鉄建設などインフラ建設を開始したことで,香港の経済成長が促進され た。しかし,香港でも社会再分配システムと福祉制度が不備であるため,貧富の格差によ る社会問題が続発した。結局,贈収賄などの腐敗現象は伝染病のように香港の隅々にまで 広がって行った。1970 年代頃の香港は「腐敗の都」と呼ばれ,特に警察と暴力団の癒着 による腐敗が深刻であった9)。 しかし,図1で示したように,1995 年以来香港のランキングは連続して上位 20 位以内 にあり,反腐敗の「優等生」となったのである。この点より本稿では中国大陸における腐 敗状況に対して,香港の反腐敗経験から何を参考にすることができるのか,という点つい て考察する。 その理由について,Manion(2004) は腐敗取締り機構,大衆の反腐敗意識,法制の整備 7) ある社会の所得分配の不平等さを図る指標。範囲は 0 から1まで,0 に近いほど格差が小さい。 逆に1に近いほど格差が大きい。一般的に,0.4 は社会不安定化の警戒線と目される。 8) 謝雨,張暁波,李建新など 「中国民生発展報告 2014」 北京大学出版社 2014.10 より 9) http://www.icac.org.hk/tc/about_icac/bh/index.html (2014.3.5, 閲覧 ) 0 10000 20000 30000 40000 50000 60000 70000 1980 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2003 2005 2007 2009 2011 2013 腐敗案件数
という側面から説明した。具体的に,1974 年に成立された反腐敗機構香港廉政公署 (In-dependent Commission Against Corruption, ICAC) は独立した地位の下で腐敗行為と戦 い,腐敗撲滅に重要な役目を果たしていた。Manion は香港廉政公署の成立する前後にお ける香港人の反腐敗意識を比較し,腐敗状況および「腐敗習慣」(the folklore of cor-ruption)との相互関係について分析した。さらに,反腐敗法律の整備と法の支配との意 識は制度上,腐敗取締りを支えていたことを明らかにした。 そのほか,聶 (1991),呂(1991)は返還前後の香港の政治体制,特に公務員制度の側 面から香港反腐敗の経験をまとめた。また,何(2006),黄(2012)は具体例を示しつつ, 香港廉政公署の構成及び腐敗取締り方法を紹介した。竹(2010),王(2013)は法制度か ら大陸の反腐敗活動に提言を行なった。反腐敗の効果をより上げるため,行政,法律など による懲罰的手段だけでなく,公務員の財産申告制度を始め腐敗を予防する制度も整備し なければならないと指摘した。さらに,He(2000),田村(2015)は大陸の国有企業の問題 点に着眼し,「腐敗の温床」とされた国有企業の改革は反腐敗の重要な手段になると結論 付けていた。Guo(2014) は規律検査委員会を中心とする中国の反腐敗制度の実態を検討し た上で,中国大陸における反腐敗の主な特徴を共産党の絶対権威,反腐敗機構の自主性の 欠如,反腐敗法律の弱体化としてまとめた。総じて言えば,従来の研究は,大陸と香港と の比較において反腐敗組織,法律などの制度面に重点を置いていた。 しかし,反腐敗政策の制定及び実行は一定の腐敗状況と照合しなければならない。言い 換えれば,特定の腐敗状況は反腐敗政策に大きな影響を及ぼす。従って,中国大陸と香港 の反腐敗政策を検討するためには,大陸における今現在の腐敗状況と ICAC が成立する前 の香港社会の腐敗状況を比較する必要がある。本稿では,Shleifer(1993),Vishny(1993) が提出した腐敗の産業構造という概念を利用し,まず大陸と香港の腐敗構造を明らかにす る。そのうえで,ICAC の「反腐敗三つの矢」(Manion 2004),つまり法律の執行,予防, 教育宣伝という三つの側面から大陸と香港の反腐敗政策を比較する。最後に,この比較の 結果をもとに,大陸の反腐敗政策が改善すべき諸点についてまとめることとしたい。
Ⅰ 中国大陸と香港の腐敗構造
これまで腐敗の概念については様々な形で論じられてきたが,簡単に言えば,腐敗とは 公共権力を持つ人及び集団が私的な利益を得るため,その職権を乱用する不正行為である (Wang 2005,Guo 2008,Manion 2004)。従って,公務員,行政機関,国有企業のリーダー など公共権力を持っている単位のすべては腐敗の主体になることが可能である。経済学の 視点から見れば,権力を持つという意味は実に市民に公共サービスを提供することと同義 なのである。それゆえ,誰が,そして如何にこのサービスを提供するか,ということは腐 敗の構造及びレベルに大きな影響を及ぼすこととなる。このような分析方法により, Shleifer(1993) と Vishny(1993) は,腐敗の産業構造(The industrial organization of corruption)という理論を用いて,腐敗の種類を公共サービスの提供側(腐敗主体)により,連合独占型(Joint monopoly),独立独占型(Independent monopoly),競争型 (Com-petition) の三つにまとめた(表1)。 腐敗の種類 公共サービスを提供 する方法 代表例 腐敗の深刻程度および原因 連合独占型 単一の独占体が全て のサービスを提供す る フ ラ ン ス( ブ ル ボ ン),フィリピン(マ ルコス),ソ連 中(強力な監査機構,統治 集団の少数化,均質的な社 会) 独立独占型 複数の独占体がそれ ぞれサービスを提供 する インド,ロシア,多 数のアフリカ国家 高(単一独占体の喪失ない しは弱体化により複数独占 体の形成) 競争型 各単位がサービスを 提供するため競い合 う アメリカ,日本,韓 国 低(政治競争機制により整 備な法律,選挙制度,独立 的 な マ ス コ ミ な ど 公 共 プ レッシャーは腐敗を抑える) 出 典:Andrei Shleifer; Robert W.Vishny Corruption, The Quarterly Journal Of Economics
Vol.108 No.3 pp.599-617 1993.8 より筆者作成 表 1 腐敗の産業構造理論 具体的に,連合独占型腐敗の場合,公共サービスの提供権力はすべてひとつの独占体に コントロールされ,他の公共機構は自主権が乏しい。買い手 (buyer) は特定の商品ないし は許可を得るため,単一の独占体に贈賄すれば十分なのである。独占体は各下級組織を厳 しく監督した上で,賄賂を組織内にて分配する。言い換えれば,個別の公共機構による腐 敗の可能性が著しく低くなる。その代表的な例はブルボン時代のフランス,マルコス時代 のフィリピン,ソ連などの共産党政権である。Shleifer と Vishiny の研究によると,上 記の国々では,当時の中央政府は唯一の合法的な収賄組織として,警察をはじめ強力な監 査機構を設置し,政府の各部門および地方政府の腐敗行為を厳しく制限していた。その上, 統治集団の少数化および独裁社会の均質性により,中央政府の絶対権威を守り,(中央政 府により)正常収賄(normal bribes)以外の賄賂の可能性を大幅に減らした。 一方,1991 年以降,ソ連共産党政権の崩壊に伴い,中央政府に集中された独占的な権 力は分散されることとなった。結局,旧ソ連政府の各機構,地方政府等,これまで権力の 保持が制限されていた組織は過大な権力を持つこととなり,複数の独立独占体になった。 これらの独占体は各自の利益を最大化させるため,公共サービスを提供できる権力を濫用 し,腐敗行為を行なった。それ故,このような腐敗モデルは「独立独占型」としてまとめ られる。一例を挙げると,当時のロシアでは起業する前に,地方議会,担当省庁および地 方支部,消防局,水道局などに全てに贈賄しなければならなかった。なおかつ,各独占体 に対する監督は依然として不十分であるがゆえに,独立独占型は連合独占型より腐敗が深 刻になってしまった。ロシア以外に,インドおよび多数のアフリカ国家における腐敗の多 くも独立独占型とされている。
さらに,アメリカ,日本,韓国のような国では,公共サービスを提供する絶対的優位に 立つ独占体が消滅させられるか,ないしは厳しく監督されている。同じサービスを提供す る主体も単一ではなく,各主体の関係が独立独占時代の並行関係から競争関係に転換して いる。具体的に,整備の法律,選挙制度を中心とする民主制度,独立的なマスコミ,市場 経済体制など政治および経済の競争機制により,公共プレッシャーは各組織を監視・制限 する結果,絶対権力による腐敗が効果的に抑えられている。言い換えれば,政治の競争は 腐敗行為を徹底的になくすことができないとはいえ,前述した二種類の腐敗モデルより腐 敗のコスト(発覚される可能性,腐敗行為への懲戒など)を大幅に上げることになる。そ れ故,この腐敗のモデルは「競争型」といえよう。 上記の腐敗の産業構造理論を踏まえ,腐敗の構造を連合独占型ないしは独立独占型から 競争型に転換させ,腐敗の深刻程度を抑制するためには,有力な腐敗取締り機構,腐敗行 為を制限する法律規範と懲罰,マスコミを始めとする独立的な監視システムなど,権力を 制約する要素が不可欠なものなのである。言い換えれば,権力独占体における既存秩序を 打破し,チェックアンドバランスのような競争体制を導入することは腐敗取締りに大きな 役割を果たすことができるのである。 周知の通り,1978 年改革開放政策を実施するまで,大陸は高度な計画経済体制に支配 されていた。この体制の特徴は行政(中央政府)が市場の代わりに供給のバランスをはか ろうとすること,いわゆる経済と行政の一体性である(陳,森田 2010)。この体制の下で, 地方政府,行政機構,企業など中央政府以外の個体及び集団は事実上自主権を失い,腐敗 に関わる必要性と可能性も低かった(Wang 2005)。とはいえ,この時期に腐敗が根絶され たわけではなかった。実に,1949 年建国以降,共産党幹部の特権により腐敗は存在して いた。この状況に対し,中央政府は「三反運動」(反貪汚,反浪費,反官僚主義)など特 権幹部の腐敗を一掃する「社会主義運動」を開始し,劉青山と張子善10)を始め数多くの高 級幹部を汚職横領罪で厳罰に処した。さらに,1966 年から始まった文化大革命も資本主 義を発生させる最大要因としての幹部の特権化および腐敗を撲滅するために発動されたも のであった(北村 2010)。ただ,上述の原因に加え,1978 年までの 20 年間,大陸の「中 心任務」は「経済発展」ではなく,「階級闘争」だったため,経済に関する大規模な腐敗 事件がなかったのも事実である。それゆえ,改革開放以前の中国大陸の腐敗構造は連合独 占型であったといえよう。 1978 年以降改革開放政策の重要な一環として,中央政府は経済の活性化と社会主義民 主を促進するため,今まで厳しくコントロールしていた財政権力と行政権力を地方政府, 国有企業に大幅に譲り,いわゆる「分権化」を実施した。資源分配,投資決定などの権力 を持つことにより,行政機構(特に地方政府)及び国有企業がより自主的に経済活動をす ることができることは,市場経済の発展にとって不可欠な進歩とも言えよう。しかし,譲 10) 1952 年,元河北省石家荘市副書記の劉青山と元天津市委書記の張子善は汚職横領罪で死刑を 科されていた。
渡された権力に対する監督と制約が不足していたため,権力を持つ個体と集団は新しい独 占体になり,権力を乱用することが増えていった(Manion 2004)。その代表的な例が国有 企業の腐敗問題である。 一般的に,国有企業は政府に所属しているので,経営の責任者(法人)は共産党の幹部 を兼任している。特に大型国有企業のトップの多くは市級レベル以上の高級幹部である。 たとえば,元国資委主任蒋潔敏(部長格)は 2013 年 3 月までは中国石油天然気集団公司(中 国石油 CNPC)の代表取締役だった。そして,2004 年から 2013 年まで中国銀行代表 取締役を担当した肖鋼も同年 3 月に中国証監会主席(部長格)に昇格していた。言い換え れば,国有企業のトップとは,「企業家」(商人)と「政治家」の二重身分を持っているの である。政策策定者としての党の幹部は同時に企業のトップを兼任し,企業の利益を最大 化するため,自分の情報,人脈,権力を最大限利用する。この状況自体は国有企業の経営 者に 「私腹を肥やす」チャンスを提供することとなった。私営企業は,経済活動の不利 を避け,融資を始め政策上の便宜を図るため,国有企業に贈賄したり,下請け業者になっ たりしたのである。結果的に,2013 年「反腐敗キャンペーン」が実施された一年間で, 30 名以上の国有企業管理者が「重大規律違反」で逮捕された。同年 9 月,「中央企業の管 理者」としての国有資産監督管理委員会(国資委)のトップ蒋潔敏主任も汚職の疑いで規 律部門に調査され始めた。この状況について,民間から批判の声は高まり,国有企業が「腐 敗の温床」,「諸悪の根源」という指摘も出てきた(田村 2015)。 以上を踏まえ,改革開放を境目に,過去,自主権がなかった各組織は中央から莫大な権 力を継承し,事実上,複数の独占体になった。それに加え,上述した独占体に公共プレッ シャーをかける健全な市場経済および民主制度は未だに不十分であるため,移行期におけ る中国大陸においては,独立的な権力独占体による腐敗行為が抑えられなかった。その結 果,中国大陸の腐敗構造は連合独占型から独立独占型に変化し,腐敗の深刻程度もそれに 応じて高くなったのである。 一方,前述したように,ICAC が設立される前の香港も腐敗現象が深刻であり,「送紅包, 走後門」(贈賄で便宜を図る)という不正行為はある程度,香港市民の日常生活の一部となっ ていた。たとえば,患者は病院で治療を受ける前に,医者に「茶銭」という礼金を送らな ければならなかった。言い換えれば,空いている部屋があっても,医者に贈賄しないと直 ちに入院できなかったのである。さらに,入院した後,看護婦と他のヘルパーに礼金を送 る必要もあった。また,腐敗行為は消防現場でも常に行なわれていた。消防士は現場に着 いた後,当事者から「開喉費」(蛇口を開く費用)という金を貰わないと一切動かなかっ た(黄 2012)。その中でも,警察による腐敗状況が顕著であった。当時の警察は刑事調 査権のみならず,交通管理,社会治安,海関監察,さらに通運,娯楽などのサービス産業 に対する管理権のすべてを握っていた(聶 1990)。これらの「公共サービス」を得るため, 当事者は警察に贈賄しなければいけなかった。従って,1953 年から 1973 年にかけて,ほ ぼ毎年のように摘発された警察に関わった腐敗事件の数は他の政府部門の腐敗事件数の合 計を上回っていた(Manion 2004)。
この状況から見れば,1973 年までの香港では,公共サービスの提供が当時の香港政府 に統一されたことではなく,複数の独占体(例えば警察,消防,郵便など)にコントロー ルされていた。つまり,当時香港の腐敗構造も改革開放以降の中国大陸と同じく独立独占 型だったのである。にもかかわらず,両者を比較するときに,いくつかの相違点が挙げら れる。まず,12 億人口を有する中国大陸と比べ,香港は僅か 700 万人の一地方である。 同じ深刻な腐敗問題を抱えるとはいえ,次元が違うといっても過言ではない。例えば,分 権化による中央政府と地方政府の権力分配など大陸では考慮しなければならない問題が香 港には存在しない。従って,各行政機構及び企業に対する監督という点から見ても大陸の 方がより困難であるのが事実である。前述したように,1978 年以来大陸は高度な計画経 済から市場経済に移行する過程にあり,未だに健全な市場経済体制を確立しているとは言 い難い。国有企業の改革,市場に関する監督不足など計画経済時期から残っていた問題は 改革開放以降の腐敗状況にも影響を与えた。一方,イギリスの植民地としての香港では, 自由競争,市場重視など市場経済の原理がすでに定着していた。また,当時の香港は政治 システムが総督を中心とする「行政主導」でありながら,イギリスの影響で香港総督,高 官,地元有力者で構成される法案の審議機構である「立法評議会」(倉田 2009),布政司 (行政長官),首席按察司(司法長官)も設置されていたため(聶 1990),三権分立,選挙 などの民主制度がある程度発展していた。これらの要因は 1974 年以降香港の腐敗構造を 競争型に転化させ,腐敗の程度を大々的に下げるうえでの伏線ともなった。 上述したように,1974 年に独立した反腐敗機構香港廉政公署が成立されたことにより, 政府機構に対する監査は一層厳しくなった。贈賄を前提として公共サービスを提供する警 察等に対し,香港市民は,ICAC に公正を求めることができた。結局,警察等に対して競 争体制を導入したことで,香港の腐敗状況は,大きく改善され,腐敗深刻の程度も「高」 から「低」に変わったのである。したがって,本稿は香港廉政公署の成立および一連の反 腐敗政策が機能することで,香港の腐敗モデルが「独立独占型」から「競争型」に転換し たという仮説を提起し,同じく「独立独占型腐敗」である中国大陸の事例を分析した上で, この仮説を検証する。この目標を達成するため,第二節と第三節はそれぞれ大陸と香港の 反腐敗機構および反腐敗政策を比較しながら,両者の反腐敗状況の差異を明らかにする。
Ⅱ 中国大陸と香港の反腐敗機構
中国の反腐敗機構の構成は基本的に規律検査委員会,反貪汚賄賂局,国家腐敗予防局と いうトロイカ型である。具体的に,1949 年 11 月中華人民共和国が樹立された直後,中国 共産党中央は「党組織の浄化,官僚主義の防止」を目的として中央規律検査委員会(紀委) を設立した(Guo 2014)。1966 年から 1976 年までの文化大革命の間に,規律検査委員会 は大きな打撃を受け,党の規律監査機構としての地位を失った。しかし,1978 年以降, 規律検査委員会は共産党中央をはじめ,各地政府,国有企業,学校,病院などすべての公 共機関の中で復活した。「中国共産党章程」により,各地の規律検査委員会は共産党委員会と上級の規律検査委員会に管理されているため,党員幹部の腐敗行為が発覚する場合, 両者に報告する義務がある。党の「自浄機構」として,規律検査委員会は汚職に関わる共 産党幹部を調査する権限を持っている。 1989 年 8 月には,広東省人民検察院は公務員の横領と賄賂を摘発するため,「反貪汚賄 賂局」(反貪局)という反腐敗の専門機構が設置された。1995 年以降,公務員の横領賄賂 犯罪に対する捜査権,起訴権を完全に「反貪局」に一元的に集めるようになった(王 2013)。検察院の付属機構として,「反貪汚賄賂局」は国有資産の横領,巨額財産の出所不 明など公務員の汚職事件に対する捜査,起訴などの司法権力を握っている。 さらに,腐敗行為を予防するため,2007 年 9 月,国務院に直轄され,全国の腐敗予防 に関する諸事項を担当する国家腐敗予防局が設立された。責任者の局長は国務院監察部長 (部長級)を兼任し,その許で,兼任副局長(監察部副部長)と専任副局長(副部長級) が設置され,事務室を中心とする腐敗予防に関する業務を取り扱うこととなった。同局の 役割について,馬馼・元局長(中国共産党規律検査委員会副書記・監察部部長)は同局の 設立は,「反腐敗・清廉潔白提唱という戦略方針を堅持し,懲罰・腐敗防止システムを構 築し,腐敗防止作業を有効に展開していく,『国連腐敗防止条約』の規定義務を履行する のに必要だ」と評した11)。 図 3 大陸における反腐敗機構の関係図(理論上) 図 3 のように,この三つの反腐敗機構の設立要旨と職務から見れば,規律検査委員会は 党内の規則を基にして共産党員に向ける監督機構である。そして,反貪局は,国家法律を 根拠として独立に腐敗行為を取締まることとなる。また,反腐敗活動を提言し,制度的に 腐敗を予防することが国家腐敗予防局の存在意義となった。つまり,中国大陸の反腐敗活 動は党の自浄と司法による抑止,腐敗の懲罰と予防という展開になっていくべきであった。 しかしながら,実際の反腐敗機構間の関係が理論上と乖離したことにより,反腐敗の状況 は予定通りに進まなかった。 11) 人民網日本語版 「国家腐敗予防局が正式に成立」 http://j.people.com.cn/2007/09/14/ jp20070914_76799.html(2014.3.5, 閲覧 )
党内監督(規律検査委員会)
司法監視(反貪汚賄賂局)
制度予防(国家腐敗予防局)
まず,各反腐敗機構の設定から見ると,規律検査委員会は党内の監督機構として,中央 から地方まですべての行政機構の中に設置されている。一方,反貪局を代表とする司法の 監視機構は県のレベル12)までにとどまり,腐敗予防局の地方における設置も不十分であっ たのである。職務と設置レベルの不対称により,司法監督と制度予防が効率的に機能する かどうかが問題視されるに至っている。 また,図 4 に示したように,実際の職権上,腐敗予防局の局長は規律検査委員会の副書 記に兼任される13)が故に,事実上規律検査委員会に管理されている。また,検察院付属機 関の反貪汚局は検察院首長の許可がなければ,独自に汚職官僚を調査することができない。 結局,腐敗取締りの実権を握っているのは規律検査委員会しかないのである。ところが, 各級の規律検査委員会書記は同級党委員会の常務委員であるため,党委員会書記の命令に 従わなければいけない。言い換えれば,各級規律検査委員会は上級規律検察委員会と同級 共産党委員会の「二重支配」の下で置かれている。上級紀委の協力がない限り,同級の党 委書記を調査する権限がないのである。前節で述べたように,改革開放以降の分権化によ り,各地方政府は事実上単独な独占体になり,そのトップとしての党委員会書記が財政権, 人事権など莫大な権力を握っている。従って,規律検査委員会が上級紀委と手を組み,同 級党委書記の不正行為を摘発する例は少ない(Guo 2014)。 また,一般的に,共産党員の腐敗を摘発する際,最初に調査に介入する反腐敗機構は規 律検査委員会である。紀委は腐敗事件に関するすべての情報を収集し,独自に調査を行う ことができるほか,調査結果に基づき腐敗案件を検察に渡すかどうかということでさえ決 められる(Manion 2004)。もし検察による調査の必要がないと認定されたら,腐敗事件の 調査は,そのまま党内で完結し,事件に関わる共産党員は司法の懲罰を受けることなく, 12) 「中華人民共和国憲法」第 3 章第 5 節により,中国の行政区画は省,県,郷の三つレベルに分 けられている。 13) 現職の国家腐敗予防局長黄樹賢が中央規律検査委員会の副書記を兼任している。 共産党委員 会(党委) 規律検査委 員会 腐敗予防局 検察院 反貪局 図 4 大陸における反腐敗機構の関係図(事実上)
党内の規律処分14)の対象となるにすぎないのである。この体制が腐敗に対する司法監督の 権威と有効性の確立の上で障害となる。 つまり,本来それぞれの反腐敗機構に所有される腐敗取締り機能が党の規律検査委員会 に集約された結果,規律検査委員会が調査権,決定権などの権力を有する腐敗取締り機構 になった。しかしながら,党の監督機構である規律検査委員会は,「懲前毖後,治病救人」 (前者の誤りを後者の戒めとし,病を治して人を救う)を原則として,党内の条例で党員 の腐敗行為を取り扱う。言い換えれば,規律検査委員会は腐敗の違法性を認めているにも かかわらず,腐敗に関わる権力者を教育するため,法律の代わりに党内の判断で党員を処 分することできる。さらに,党内の処分は基本的に法律の懲罰より軽いために,法律の懲 罰を免れる権力者を事実上保護することとなった(Manion 2014)。結局,規律検査委員会 のような司法および外部監視を軽視する反腐敗機構の設置は,権力独占体の優位,ないし は既存の腐敗構造を打破しえなかったのが現実なのである。 また,上述したように,規律検査委員会は他の反腐敗機構より腐敗取締りの実権を持っ ているとはいえ,人事上,各級の党委員会にリードされることにより,その独立性が低下 してしまう。結果的に,同級の規律検査委員会を凌駕する党委員会のトップは権力独占体 としての地位が強化され,党内の監督に制約されずに腐敗行為を行う。 さらに,1994 年に制定された「中国共産党規律検査機関案件検査工作条例」の記載に よれば,紀委幹部の腐敗行為を取締まる機構は規律検査委員会とされている。規律検査委 員会が組織を徹底的に監査することができれば,組織内における幹部の清廉さも確保でき る。反対に,内部の監査が不足であれば,紀委に対する影響力も弱くなる。規律検査委員 会の清廉と公正さが紀委の「自浄作用」なのであり,規律検査委員会とは,自浄作用に依 存する監査体制なのである。 一方,1970 年代まで香港には警察局に管轄された「反貪汚科」という腐敗取締り機構 があった。しかしながら,当時香港の深刻な腐敗状況に対し,この機構は独立的に監督機 能を発揮できなかった。香港市民は形骸化した反貪汚科に不満を持ち,より効率的な反腐 敗機構の成立を求めた。1973 年,香港九龍区の警視総監ゴードバー(Godber)が 430 万 香港ドル以上の不正資産を所有することをマスコミは報道した。本来,1971 年に制定さ れた「賄賂防止条例」によると,ゴードバー本人はこの巨額財産の出所を説明し,反貪汚 科の調査に協力する義務があった。だが,長年高級官僚を担任したゴードバーは警察内部 の人間関係を利用し,逮捕される前にイギリスに逃げた。この事件をきっかけに,長い間 腐敗の政治に不満を持っていた香港市民は大規模なデモを行なった。民衆の怒りに対し, マクレホース総督は腐敗問題を解決しないと,当局の統治も脅かされかねないと認識し, 1974 年 2 月,総督に直属した独立の腐敗取締り機構「香港廉政公署」(ICAC)を設立した。 14) 「中国共産党紀律処分条例」により,共産党員に対する紀律処分は警告,厳重警告,党内職務 の罷免,党内観察,除籍の 5 種類がある。
出典:ICAC ホームページ(http://www.icac.org.hk/tc/about_icac/os/index.html) (2014.3.5, 閲覧 ) より 図 5 香港廉政公署 (ICAC) の組織図 「廉政公署条例」によると,香港廉政公署のトップとしての廉政専員は唯一命令を下す ことのできる総督に直接報告する。この規定は法律上に ICAC の独立性を確保している。 そして,腐敗行為を効果的に取締まるため,ICAC は「反腐敗法律の執行,腐敗行為の予防, 反腐敗知識の宣伝」という「三位一体」の反腐敗方針を決定した。具体的に,署内で「執 行処」(法律の執行),「腐敗予防処」(腐敗行為の予防),「社区関係処」 (Community Re-lation Department 反腐敗の教育,宣伝)の三つの業務部門が組織されていた(図 5)。こ のうち,執行処の人員は ICAC の職員の 7 割以上を占めるため,署内最大級の業務部門で ある。「腐敗予防処」と「社区関係処」の職員数は比較的少ないが,廉政専員の下で「執 行処」と協力しながら独立的に反腐敗の業務を展開している。以下では,各部門について 概観する。 (1) 執行処 ICAC の最大級部門「執行処」の主な任務は腐敗事件の取調べと犯人の逮捕である。事 件にあたり,ICAC は「執行部」を中心に展開する。このため,「執行処」の処長を廉政公 署の副専員は兼任し,廉政専員に腐敗事件の調査状況を常に報告する義務を持つ。 「執行処」内では,4 つの調査課が設置され,調査対象と犯罪領域により,さらに二つ の部分に分けられている。調査一課と調査三課は主に政府部門における腐敗行為を取調べ, 調査二課と調査四課は私営機構の腐敗行為を調査対象とする。そして,事件の際に,調査 三課と調査四課は一課と二課に技術と情報を提供する(図 6)。また,四つの調査科以外に, L 組という ICAC の内部調査部門が存在している。L 組の調査対象は廉政公署の職員である。 このため,L 組の本部は ICAC の本部内に設置されていない。 廉政専員 執行処 腐敗予防処 社区関係処 行政総部
出典:聶振光「香港公務員制度概述」p.227 1991 より 一部変更 図 6 「執行処」の仕組み (2) 腐敗予防処 「廉政公署条例」によると,「腐敗予防処」の使命は①政府及び公共機関の仕事を審査し, 腐敗行為を防ぐアドバイスを提出することと②私営機構の要請に応じ,腐敗行為を防ぐア ドバイスを提出することである。腐敗予防策の作成機構として,「腐敗予防処」では,元 政府公務員,エンジニア,測量士,会計士など各分野の専門家が集められる。また,「腐 敗予防処」には二つの審査課が設けられている(図 7)。審査一課は公務員,紀律部隊 (disciplined services),教育界,選挙など幅広い公共機関の行為を審査し,腐敗の対策 を作成する。そして,審査二課の調査対象は私営企業の活動である。 出典:図 6 に同じ 図 7 「腐敗予防処」の仕組み (3) 社区関係処 「社区」というのは地域社会を構成する住民による自治組織である。「廉政公署条例」に よると,「社区関係処」の職責は市民に反腐敗の関連知識を宣伝し,市民の支持と協力を 求めることである。言い換えれば,「社区関係処」は市民の協力を求めながら反腐敗を宣伝 する部門である。所轄される社区関係一課は反腐敗の宣伝活動を企画し,マスコミ及び学 校を通じて定期的に反腐敗のキャンペーンを行う。そして,二課は香港市民と交流すると ともに,域外の腐敗取締機関と幅広い協力関係を築き,最新の反腐敗情報を共有する。 執行処 政府部門担当 調査一課 (調査) 調査三課 (支援) 私営機構担当 調査二課 (調査) 調査四課 (支援) 内部調査 腐敗予 防処 審査一 課 審査工作組 管理組 審査二 課 審査工 作組 私営企業顧 問組 執行処 政府部門担当 調査一課 (調査) 調査三課 (支援) 私営機構担当 調査二課 (調査) 調査四課 (支援) 内部調査 腐敗予 防処 審査一 課 審査工作組 管理組 審査二 課 審査工 作組 私営企業顧 問組
出典:図 6 に同じ 図 8 「社区関係処」の仕組み 上述したように,大陸の反腐敗機構に比べ,香港廉政公署の独立性は非常に高いのが明 らかである。ICAC は香港唯一の反腐敗機構として,政府の最高レベルで干渉されずに腐 敗を取締まることができる。一方,監督不足により権力暴走の危険を避けるため,ICAC は成立当初から健全な監督体制を整った。すなわち,執行処の L 組のような内部監査部門 以外に,市民と各分野の専門家で作られる独立した外部監視機構も設置され,廉政公署の 日常業務をチェックしている。 出典:聶振光「香港公務員制度」pp.209-212 1991 より作成 図 9 ICAC の外部監査機構 図 9 に示したように,「腐敗問題諮問委員会」の監査対象は廉政専員である。廉政専員 は香港行政長官に任命されるが,定期的に腐敗問題諮問委員会に報告書を提出する義務が ある。委員会は毎年,廉政公署の財政予算と廉政専員の年間仕事報告書を審議し,その結 果を直接に香港行政長官に報告することができる。 そして,廉政公署執行処の外部監査を担当するのは「腐敗事件再審査諮問委員会」(再 審委)である。再審委は執行処が調査したすべての腐敗事件を再審査することができ,執 行処に事件の捜査状況と業務計画を説明するように求められる。年末に,再審委は行政長 官に報告書を出すとともに,市民にも報告書の内容を発表する。 また,「腐敗予防諮問委員会」と「社区関係市民諮問委員会」はそれぞれ「腐敗予防処」 と「社区関係処」の仕事を審査する。「社区関係市民諮問委員会」は定期的にアンケート 調査を実施し,市民の ICAC に対する満足度を調査する。2015 年の調査結果によると, 社区関係処 社区関係一 課 青年徳育組 マスコミ宣 伝組 管理と対策 組 ニュース組 社区関係二 課 所轄事務処 国際及び内 陸協力組 香港道徳発 展センター 廉政 公署 腐敗問題 諮問委員 会 腐敗事件 再審査諮 問委員会 腐敗予防 諮問委員 会 社区関係 市民諮問 委員会 社区関係処 社区関係一 課 青年徳育組 マスコミ宣 伝組 管理と対策 組 ニュース組 社区関係二 課 所轄事務処 国際及び内 陸協力組 香港道徳発 展センター 廉政 公署 腐敗問題 諮問委員 会 腐敗事件 再審査諮 問委員会 腐敗予防 諮問委員 会 社区関係 市民諮問 委員会
ICAC に対する香港市民の満足度は 80%以上に達した15)。 以上,香港の反腐敗機構の特徴は次のようにまとめられる。まず,香港の最高長官16)に 直接管轄されることにより,廉政公署は様々なしがらみや利害関係に縛られず腐敗を取締 まることができる。それから,大きな権力を持つ反腐敗機構自体は新しい「独占体」にな らないように,内部監査という組織の自浄機能を整備する一方,外部から独立監査をより 重視している。つまり,「チェックアンドバランス」で独占体の枠組みを打破し,既存の 権力構造に監査及び制約という事実上の「競争」を導入する。いわゆる「権力を籠の中に 入れる」17)ということである。さらに,「執行処」,「腐敗予防処」,「社区関係処」は廉政公 署の所属部門として,それぞれ法律の執行,腐敗の予防,市民に対する反腐敗の教育宣伝 を行う。三つの部門は規模がかなり異なるにもかかわらず,いずれも廉政専員,外部独立 委員会,マスコミ,市民に監査され,互いに干渉することがない。したがって,香港の反 腐敗政策は「執行」,「予防」,「教育宣伝」という「三本の矢」で同時に展開することがで き,効率的に成果を収められる。この点ついて次の第三節にて詳しく検討する。 これらの経験を踏まえ,大陸側はすでに反腐敗機構の改革策を打ち出した。その代表的 なのは「中央巡視組」の成立である。腐敗事件を早期発見するため,2003 年から,中央 規律検査委員会(中紀委)と中央組織部(中組部)による合同巡視組が発足した。合同巡 視組は五つに分けられ,各省庁,地方における省級以上の高級官僚の腐敗行為の有無を調 査し始めた。2009 年,「中国共産党巡視工作条例」(巡視条例)の発表とともに,合同巡 視組は「中央巡視組」に改組され,二つの中央国家機関巡視組の以外に四つの企業金融巡 視組と六つの地方巡視組も設置されていた。 規律検査委員会を始め大陸における既存の反腐敗機構に比べ,新たに設置された中央巡 視組は次のような特徴がある。まず,より高い独立性を与えられることにより,中央巡視 組は上記の権力による制約および人間関係のしがらみを受けることなく,最高レベルで反 腐敗活動を展開することができる。中央巡視組のメンバーは原則上,70 歳未満の省級幹 部から選抜され,共産党中央委員会から直接任命される。現任の組長は中央政治局常務委 員,中紀委書記王岐山であり,副組長は中組部部長の趙楽際に兼任されている。中央委員 会常務委員としての組長は各支部の調査結果をまとめ,直接に共産党中央委員会に報告す る権限を持っている18)。 それから,中央巡視組の調査対象は従来の党の組織および政府機構から国有企業,金融 機関,大学までに広げられ,通常巡視と特別巡視を合わせて,数多くの権力独占体を監督 する。2012 年中国共産党第十八回全国代表大会から 2015 年にかけて,中央巡視組は大陸 における 32 の省,自治区および直轄市で 4 回の大規模な通常巡視活動を行い,過去 10 年 15) 「2015 年廉政公署周年民意調査報告摘要」より 香港廉政公署 2015 16) 1997 年以前は総督であり,返還後は香港特別行政区長官になる。 17) 「十八大以来重要文献選編 上」 pp.135-136 中央文献出版社 2014 18) 中央巡視組ホームページ http://www.ccdi.gov.cn/special/zyxszt/ (2016.3.15, 閲覧 )
を上回る 753 名の腐敗事件に関わった県レベル以上の幹部を摘発した(張 2015)。 一方,政府機構以外の部門を対象とした特別巡視が5回行われ,新華社通信,商務部, 中国人民大学,国家体育総局,南方航空など計 28 の機構は中央巡視組の調査を受けた。 また,2015 年から特別巡視の対象は 83 カ所にのぼり,通信,資源,金融,保険,機械, 郵政など広い範囲に渡った。さらに,腐敗の再発を防止するため,2016 年中央巡視組は「回 頭看」(振り返って見る)という理念を提出し,特別巡視を行いながらすでに調査した各 省に再び巡視組を派遣し,巡視活動の効果を再確認した19)。このような集中的かつ広範囲 な巡視活動は,実際に権力独占体に対する監督体制を強化し,大陸における従来の腐敗の 構造に大きく影響を与えるとも言えよう。 しかし,香港廉政公署に比べ,中央巡視組は中央規律委員会と中央組織部の協力による 臨時機構であり,巡視組メンバーも党委員会,規律委員会の高級幹部に兼任されるため, 長期的に反腐敗の役割を果たせるかどうか,まだ未知数である。実際に,2016 年 2 月か ら実施された「回頭看巡視活動」の結果から見れば,すでに巡視された遼寧省,安徽省, 山東省,湖南省の中で,18 名の高級幹部は再び腐敗の問題で摘発されていた20)。したがって, 有力な反腐敗機構として権力者に対する監督体制に持久性がなければ,腐敗の状況は根本 的に改善されない。 また,上述した通りに,大きな権力を持つ香港廉政公署は新たな「独占体」にならない ように,内部の監査および独立委員会,マスコミなどによる外部の監視の両方を重視した。 ところが,巡視組は独立に地方および国有企業の腐敗行為を監査する権限を持っている一 方,巡視組メンバー,特に地方巡視組に対する監査体制が乏しい。結果として,省,市レ ベル以下の腐敗現象を摘発するときに,いかに巡視組の公正さを保つことができるのかと いう課題は残されている。 さらに,「中国共産党巡視工作条例」によれば,巡視組の主な役目は腐敗行為を発見し, 党の委員会に報告することである。つまり,巡視組には香港廉政公署のような「調査」の 職責がなく,「発見」と「報告」の権力しかもっていない。このような権力の設定は,実 際に前述した大陸における反腐敗機構の構図を変えていない。その理由は,最後に腐敗行 為に対する調査を決定できる権力は相変わらず規律検査委員会にあるということである。 結局,巡視組の反腐敗機構としての権威および効率は大きく低下してしまうのではないだ ろうか。
Ⅲ 中国大陸と香港の反腐敗政策
前節で述べたように,香港廉政公署の特徴はその高い独立性のみならず,反腐敗法律の 19) 「鳳凰週刊」第 586 期 pp.18-32 2016.7 20) 「4 省 18 名領導幹部被通報,回頭看彰顕有腐必究決心」人民網 http://politics.people.com.cn/n1/2016/0713/c1001-28549057.html (2016.8.25, 閲覧 )執行,腐敗の予防,反腐敗の教育宣伝という「三本の矢」式の反腐敗政策も ICAC が機能 した要因の一つである。従って,本節はこの三つの側面から中国大陸と香港の反腐敗政策 を比較する。 1)反腐敗法律の執行 大陸と香港の反腐敗法律の執行を比較する前に,両者の反腐敗に関わる法律の整備を説 明する必要がある。1948 年 7 月,香港政府は既存の腐敗防止規定をまとめた上で,「腐敗 防止条例」を発表した。香港初の反腐敗の専門的法律として,「腐敗防止条例」は腐敗行 為の認定,処罰,起訴,証拠の収集について詳しく記載し,特に「巨額財産の出所不明罪」 に関する規定は当時のイギリス連邦において最初に制定されたのであった(聶,呂 1990)。さらに,1955 年,香港政府は当時の選挙活動を規範化するため「選挙条例」を作 り出し,選挙中に行われた不法行為を処罰した。 そして,1970 年代から,各領域における汚職犯罪に対応するため,香港政府は「腐敗 防止条例」を修正し,「賄賂防止条例」を制定した。新条例が腐敗行為の認定,収賄の内容, 処罰などをより明確に規定し,香港総督の許可を得ずに行った,公務員の利益を受けるい かなる行為も収賄罪になるようにした一方,私営機構においての不正行為も「賄賂防止条 例」の処罰対象になった(Kwan 2003)。また,収賄の内容はプレゼント,証券,不動産な どの実物財産からすべての不当利益に拡大した。特に新条例の第 13 条は廉政公署が独立 した調査権力を有することと記載し,ICAC の独立した腐敗取締り機構としての地位を法 律上で定めた ( 何 2006)。 一方,大陸における反腐敗の法律は「中華人民共和国刑法」と「公務員法」の中に点在 しているが,香港の「賄賂防止条例」のような反腐敗の専門的法律がない。具体的に,「中 華人民共和国刑法」の第八章のテーマは「貪汚賄賂罪」であり,職務上の立場を利用して 公的財産を取得する公務員の違法行為を対象とし,「収,贈賄罪」,「巨額財産の出所不明罪」 などの犯罪主体,認定方法と処罰方法を規定している(王 2013)。また,「公務員法」の 第九章の第 53 条も「公務員は職権を利用し賄賂を収受する行為を禁止する」という記述 があるが,処罰の方法を明らかにしていない。法律規定以外,共産党中央委員会は「中国 共産党党内監督条例」,「中国共産党紀律処分条例」,「行政機関公務員処分条例」など腐敗 取締に関わる条例を制定したが,いずれも共産党員に向けた党内規定であるため,普遍的 な法律効力がない。 さらに,上述した人間関係,利益の絡み,監査不足などの原因で,大陸の反腐敗法律と 条例が徹底的に執行されているとは言いがたい。たとえば,2011 年,中国高速鉄道の第 一人者と呼ばれた元鉄道省運輸局長張曙光が汚職で失脚した。調査によると,2000 年か ら 2011 年の間に,張曙光は個人及び民間企業から 4700 万元(約 7 億円)収賄した一方, 張の妻王興も米ロサンゼルスで 3000 平方メートルの豪邸を購入し,張の関係で海外の銀
行に膨大な貯金を持っていた21)。 実際には,公務員の腐敗を抑制するために,2001 年中国政府は初めて省級レベルの高 級官僚を対象として財産申告制を導入し,公務員の給料,貯金,証券,不動産,負債を申 告制にした。そして,2006 年以降,「共産党幹部の個人事項申告に関する規定」( 関於党 員領導幹部報告個人有関事項的規定 ) という新条例の作成により,申告の対象者が高級官 僚から地方の一般官僚にまで広げられ,公開の内容も公務員個人の収入から個人及び家族 の給料,不動産,投資に拡大された(黄 2012)。Guo(2014) も反腐敗の効率をさらに上 げるため,一部の地方で財産申告制度を施行するべきであると指摘した。しかし,張曙光 の腐敗行為は 2000 年から 11 年間も摘発されなかった。言い換えれば,もしこの規定が外 部監視の下で徹底的に執行されれば,張のような腐敗幹部の不法資産,いわゆる「灰色収 入」も明らかとなったであろう。端的に言えば,財産申告制度を効果的に機能させるため, 制度そのものの成立のみならず,前章で言及した法律,マスコミなどの外部監視機制の整 備も欠かせないのである。 一方,香港の財産申告制度は 1970 年代から導入され,返還後,「香港基本法」により更 新された。今の申告制度は「政治委任制度官員守則」,「行政会議成員毎年須登記的個人利 益」などの法律規定によって,申告主体を二種類に分け,それぞれの申告方法,申告内容, 申告周期を決める「分類申告制度」である。具体的に,香港政府に任命される 27 部門の 首長22)は第一類に分類され,27 部門の首長の秘書及びそれ以外の部門の公務員は第二類 である。また,香港特別行政区行政長官は上述したいずれの分類に属していないが,行政 区終審法院首席法官と行政会議に申告する必要がある。申告のデータはインターネットで 掲載され,市民に監督される。 申告の内容は,上述した二種類の公務員ともほぼ同じ内容である。個人の収入,投資, 不動産,申告日まで貰った 500 元以上のプレゼント以外に,配偶者,子女の職業,収入, 投資及びほかの親族の投資,不動産も申告する義務を持っている。しかしながら,第一, 二類の申告方法,申告周期,社会に公開する内容は違う。第一類の公務員と第二類の首長 格公務員は年に一回公務員事務局に資産申告表を提出するが,20 万以上の投資を行うと 1週間以内に公務員事務局に申告しなければならない。そのうえで,申告する内容は全て 社会に公開され,一般市民の監督と審査を受けることとなる。一方,第二段階の首長格以 外の公務員は 2 年に 1 回部門の首長に資産申告表を提出する。個人の資産は社会に公開す る必要がないが,マスコミと立法会に監視される23)。 つまり,法律の執行から見れば,香港側は腐敗の構造を「独立独占型」から「競争型」 21) 「 高 鉄 第 一 人 者 張 曙 光 案 」 新 華 網 http://news.xinhuanet.com/legal/2013-09/11/ c_125364189.htm (2016.7.12, 閲覧 ) 22) 政務司長,律政司長,廉政専員,北京駐在専員,警務処長,財政司長など。聶振光「香港公 務員制度」 1991 23) 「 公 務 員 申 告 投 資 事 宜 」 香 港 政 府 ホ ー ム ペ ー ジ http://www.csb.gov.hk/tc_chi/admin/ conduct/files/cdecl.pdf(2016.3.15, 閲覧 ) より
に転換させるため,腐敗の取締りをめぐる法律の整備,法律規定の執行状況をチェックす る審査体制を整備していったのである。これらの措置はいずれも権力者に清廉および公正 さを要求し,権力の独占により腐敗行為を厳しく制限することとなった。言い換えれば, 香港の反腐敗法律の執行は権力を法律,議会,マスコミ,市民の監視という「籠」の中に 入れ,権力独占体の主導により既存の腐敗構造に競争体制を導入したのである。したがっ て,専門の反腐敗法律の制定と執行に対する審査の徹底は大陸における腐敗構造の転換に とっても不可欠なのである。 2)腐敗の予防 香港は長年,腐敗をどのように予防できるのかという課題に積極的に取り込んできた。 ICAC の反腐敗理念によると,腐敗の犯罪者に厳罰を科すのは大切だが,有効な監査シス テムを整備し,公務員の腐敗のチャンスを最大限に抑制するのはより効果的である。した がって,ICAC の「腐敗予防処」は 40 年以来香港社会の各領域に数多くの反腐敗のアドバ イスを提供し,香港の「反腐敗のシンクタンク」と呼ばれている。「もぐらたたき式」の 反腐敗の代わりに,ICAC が香港全域で「チェックアンドバランスによる清廉潔白」の意 識を育てている。それ故,腐敗事件に関わると当事者の政治生命と不当利益がなくなる一 方,社会人としての信用も失ってしまう。つまり,香港政府の反腐敗政策は「厳罰」を重 視するとともに,腐敗行為を未然に防止することに腐心した。 一方,香港の「予防型」反腐敗政策に対し,大陸の従来の腐敗取締り政策は「威嚇型」 である。この対策は腐敗行為への厳罰で公務員の賄賂を抑制することに繋がることを狙っ ている。たとえば,「中華人民共和国刑法」によると,腐敗行為に死刑という極刑を科す ることができる。この法律規定に基づき,中国では毎年少なくとも十数名の党幹部が賄賂 罪あるいは「貪汚罪」で死刑に処せられている。その効果として,王雲海(2013)は「党 から抹殺という威嚇効果」,「一罰百戒という波及効果」をまとめた。 腐敗のコストを高めると,権力を持っている者は不当利益を敬遠することになるため, 腐敗行為に極刑を科する「威嚇」が効果的であると考えられている。しかし,大陸では香 港のような腐敗を予防するシステムはまだ整備されていないため,大事件になるまで発覚 されにくいのも現実である。前述の張曙光事件の以外に,1997 年から 2010 年までの 14 年間,河南省の 4 代の交通庁長(曾錦城,張昆桐,石発亮,董永安)は全員逮捕された。 逮捕の理由は全部高速道路などの工事の請負や入札を巡って,企業から巨額の「仲介費」, 「礼金」を受け取ったことであった。結局,曾錦城以外の三人には無期懲役が言い渡された。 腐敗の官僚は続々と逮捕されたが,腐敗を予防する体制を徹底的に完備しない限り,「も ぐらたたき式」の反腐敗情勢も変わらないと思われる。 腐敗予防の穴を埋めるため,近年,中国大陸はいくつかの予防対策を作成した。香港廉 政公署のような機能を持つ国家腐敗予防局の設立と「巡視組制度」の確立がその代表的な 政策である。これらの対策の不足についてすでに前節で検討したのでここでは省略する。
3) 反腐敗の教育宣伝 ICAC は腐敗行為を取締まると同時に,香港市民に反腐敗の教育を積極的に行なった。 香港廉政公署における社区関係処は反腐敗知識の教育宣伝を担当する部門として,1992 年から TVB(香港無線電視)と合同撮影で人気テレビドラマ「廉政行動シリーズ」を作り 出した。ドラマの中で頻繁に出る「コーヒーでも飲みませんか」という廉政公署の有名な セリフも香港の流行語になった。また,1990 年代以来,廉政公署はネットを活用し,ア ニメとネットゲームを作り,宣伝のルートを一層拡大した。そのほか,1983 年から,廉 政公署は積極的に反腐敗のボランティアを募集し,これらのボランティア「反腐敗宣伝員」 と協力しながら学校,店舗,工場など社会の各所で反腐敗の知識を宣伝した。さらに, ICAC は小中学校の学生を対象とし,学生向けの反腐敗教材の作成を重視した。例えば, 小学生に「誠実,信用」など社会の基本道徳を教える一方,中学生の社会科と公共事務科 の授業で廉政公署の事例を踏まえながら社会問題の角度から腐敗を分析した(聶,呂 1990)。つまり,香港の反腐敗宣伝は単なる政府の教育宣伝ではなく,政府と市民の協力 による市民参加の過程である。このような方法は香港市民の反腐敗意識の向上に重要な役 目を果たした。 一方,大陸側の反腐敗知識の教育宣伝の主な担い手は共産党の宣伝機構である。党の宣 伝部門は国内のマスコミを通じて各種の反腐敗キャンペーンを展開し,党員を中心とする 反腐敗教育を行う。1995 年 11 月,江沢民総書記は党幹部の現状や問題を踏まえ,党幹部 が「学習」,「政治」,「正しい気風」の三つを重んじるべきだとする「三講教育」を提起し た。そのうち,「正しい気風を重んじる」というのは長期にわたる革命や建設事業の中で 形成された正しい伝統,正しい作風を継承し,真理と原則を堅持し,歪んだ邪気や各種腐 敗現象と戦っていくことである。1996 年に開かれた共産党の第 14 期中央委員会第 6 回全 体会議で,県処レベル以上の幹部を対象として,「三講教育」を実施することを決定した(小 林 1999)。 2005 年,胡錦濤主席は「党の先進性構築を強化するに当たっては,党員の先進性を発 展させることを終始しっかりと進め,党員の腐敗行為を厳しく取り締まらなければならな い」という談話を発表し,党員の先進性を維持する教育活動を展開した(藤野 2008)。 さらに,2012 年習近平政権が発足してから,綱紀の乱れを正し,政治への信頼回復を図 る運動を始めた。同年の 12 月,共産党中央が「①調査・研究の改良,②会議活動の簡素化, ③書類・説明の簡素化,④訪問活動の規範化,⑤警備業務の簡素化,⑥ニュース・報道の 改善,⑦草稿発表の厳格化,⑧勤勉倹約の励行」の「中央八項規定」を掲げた。この規定 に基づき,習総書記は次々と群衆路線に関する重要講話を発表し,翌年の 6 月から,「為民, 務実,清廉」(人民のために働く,事実を尊重する,清廉潔白)を主要内容とする「大衆 路線教育実践活動」を実施した ( 江原 2014)。 「大衆路線活動」は主に県級以上の共産党幹部を対象にし,各地の共産党支部を「整風
精神で批評と自己批評を展開し,民主生活会を開く」ことを要求した24)。2014 年 2 月まで のキャンペーンの第一段階において,習近平氏をはじめとする共産党中央政治局の常務委 員たちはそれぞれ各自の連絡拠点(李克強―広西チワン族自治区 張徳江―江蘇省 兪正 声―甘粛省 劉雲山―浙江省 王岐山―黒竜江省 張高麗―四川省)に赴き,農村と都市 のコミュニティー,企業,政府部門などと連絡を取り,幹部と大衆の意見と提言を聴取し, 大衆路線活動の進展状況を現地で監督,把握した25)。 以前の反腐敗教育宣伝に比べ,「大衆路線活動」は依然として共産党員を対象として展 開したが,一般民衆との連絡を重視し,活動の実効性を確認するため中央が監督したこと が大きな進展である。民衆の参加は,反腐敗宣伝の効果をさらに強化するとともに,権力 独占体に対する制約,下からの監督を実現するにも不可欠である。 また,香港の経験から見れば,下からの監督を実現する上では,マスコミも重要な役割 を果たした。「ゴードバー事件」の時に,マスコミは元警視総監のゴードバーが巨額の財 産を持ってイギリスに逃げたことを報道し,香港市民の腐敗に対する不満を呼びかけた。 政府の「監督機構」として,自由に報道できるマスコミは公務員の腐敗行為を発覚したら, 最後まで事件の始末を独立に追究することができる。さらに,マスコミは廉政公署の仕事 に関する質疑があれば,ICAC にその答え及び説明を求める能力を持っている。また, 1970 年代から,マスコミが ICAC と協力して反腐敗の宣伝を始め,ポスター,新聞の広告 からテレビ連続ドラマ,アニメ,CM などまで様々な反腐敗活動を展開し,香港社会の不 可欠な反腐敗の教育,宣伝の力になった。つまり,香港のマスコミは腐敗行為と戦う時に 「監督」と「教育」という 2 つの機能を発揮している。 建国以来,大陸のマスコミは一貫して党と政府の「喉舌」(代弁者)と位置づけられて きた。党と政府の「宣伝機関」として,マスコミは国家の反腐敗政策,方針を大衆に宣伝 する役割を担ってきたため,教育の機能を抱えてきた。しかし,元首相の朱鎔基氏はかつ て「中国のマスコミは世論監督,群衆喉舌,政府鏡鑑,改革先鋒になるべし」(世論を監 督し,大衆の声を代弁し,政府の鏡となり,改革を先導する)と指摘し,マスコミが政府 の代弁者のみならず,民衆の代弁者でもあることを強調した。言い換えれば,マスコミは 政府を監督する役割を発揮すべきである。だが,当局に厳しく管理されている大陸のマス コミが香港のように自由に監督の役割を実現するのは難しい。 そして,インターネットの普及とともに,最近ネットによって腐敗官僚を摘発する事件 が増えている。伝統的なマスコミに比べ,ネットによる官僚の監視には次の利点がある。 まず,政府からの制限が比較的少ないため,「網民」(ネットを使っている人)は自由に反 24) 「党の群衆路線教育実践活動総結大会における習近平の重要談話」(习近平在党的群众路线教 育实 践 活 动 总 结 大 会 上 的 讲 话 ) 人 民 網 http://qzlx.people.com.cn/n/2014/1009/c364565-25792940.html(2016.3.15, 閲覧 ) 25) 「第一段階群衆路線教育実践活動の中で七常委全記録」(七常委第一批群众路线教育实践活动 全记录) 新華網 http://news.xinhuanet.com/politics/2014-03/19/c_126282938.htm (2016.3.15, 閲覧 )
腐敗に関する意見を発表することができる。また,範囲に限らずネットを使えば誰でも腐 敗の官僚を摘発でき,監視の役割を果たせる。しかし,2012 年から,中国各地ではネッ トに対するコントロールと監督を一層強化した。特に「ネット実名制」という規定による と,腐敗事件を摘発する者は自分の本名を登録する必要がある。その結果,相当数の摘発 者が腐敗官僚の報復を恐れるため,摘発をやめざるを得なくなっていると考えられる。マ スコミの独立性不足を補完するためのネットによる反腐敗の動きも先行きが不透明になっ ている。