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見えないものを見ようとする
保健管理センター分室長 白石恵理子
この4月から保健管理センター分室長をつとめる
ことになりました。専門分野は障害児教育・心理で
す。保健や医学との近接領域であるとはいえ、わか
らないことばかりですが、どうぞよろしくお願いい
たします。
私が、障害児教育にかかわることになったのは、
大学に入ってからです。大学に入学したのが 1978
年。翌1979 年は、養護学校義務制実施の年です。
それまで、障害を理由に就学を猶予・免除され、義
務教育すら受けることができなかった子どもたちの
教育権が保障されるようになった、障害児教育の歴
史において大きな転換点となった年です。
義務制実施の前史には、障害者施設等の福祉施設
でのとりくみがありました。重症心身障害児施設び
わこ学園で 60 年代後半に撮影された記録映画『夜
明け前の子どもたち』を、学生時代にはじめて見た
ときの、何とも言えぬショックと、同時に自分自身
がときはなたれたような感覚は今も忘れません。シ
ョックは、何と言っても、その映画が私にとって重
症心身障害児とのはじめての出会いであったことか
らくるものであったと思います。映画には、「ねたき
り」で、頸もすわらず、目も見えず、耳もきこえず、
表情も変わらないシモちゃんという少年が登場しま
す。暖かいお湯のはられた浴槽でゆらゆら揺らされ
ても表情ひとつ変えないシモちゃんに、先生方の無
力感ともどかしさが画面から伝わってきます。しか
し、あれもできない、これもできないと「できなさ」
や「弱さ」を列挙するだけでは療育の糸口はつかめ
ない、「ねたきり」ではなく、「ねることができる」
と見方を大きく変えたときに、はじめてシモちゃん
と向き合った実践がはじまっていきます。そしてと
うとうシモちゃんは、映画撮影中に、うまれてはじ
めての笑顔をみせるのです。
この『夜明け前の子どもたち』を、今も毎年、学
生たちに見せています。多くの学生たちは、このシ
モちゃんが笑う場面に感動して、感想を書いてくれ
ます。しかし何年か前、ある学生は、シモちゃんが
笑った場面ではなく、うつぶせにされたシモちゃん
が、少し苦しそうに顔を歪めた場面で「シモちゃん
は生きているんだ!」と書いてくれました。重症心
身障害児に出会ったことのない学生たちにとって、
表情ひとつ変えない子どもの映像は、生きていると
いう実感をつかむことが難しいものなのだと感じま
した。同時に、笑った場面ではなく、苦しそうに表
情を歪めた場面に心を動かした学生の感性に学ぶこ
とができました。障害の有無にかかわらず、人が笑
顔をみせるということは、単に面白おかしく笑わさ
れるからではないのだ、と思います。自分の力で何
かに挑戦し、「てごたえ」を感じ、自分の力を実感し
たときにも、笑顔がうまれます。子どもたちの障害
や発達によって挑戦するなかみは異なりますが、頸
もすわっておらず、自分で姿勢を変えることのでき
ないシモちゃんにとっては、うつぶせで外界を感じ
ることも大きな挑戦でした。そこで、新しい世界を
感じたシモちゃんは、はじめての笑顔をみせたので
しょう。
シモちゃんをはじめ、映画に登場する多くの障害
児たちから、当時の私には、まだうまく説明はでき
ないものの、何か世界が大きく展開したような感覚
を感じたものです。ものごとの表面だけを、見える
ものだけを見るのではなく、見えないものに心をよ
せ感じ取っていくこと、一見、手当たり次第に試行
錯誤しているようだけれども、そこから一本の真実
が見えてくるのだということ、しかし、そこに至る
までに数多の人々の思いと努力があるのだというこ
と、そんなことを学びました。
日々のあわただしさのなかで、見えるものだけに
目を向けていないか、見えないものをも見ようとし
ているか、もう一度考えたいなと思います。