研
究
動
向
長期の19世 紀
― インド系企 業家 の系 譜 ―脇村孝平
1 近世と近代 をつなぐもの
本 稿 は、近 年 の研 究 動 向 を振 り返 りなが ら、19世 紀 イ ン ド経 済 史 を新 た な視 野か ら位置 づ け直 す こ とを意図 して い る。表題 に もあ る よ うに、そ の ことを 「長期 の19世 紀 」 とい う形 で表現 した い。 「長期 の」 とい う意味 は、近世 と近 代 との連 続 性 とい うこ とを示唆 す る こ とにあ る。近年 の イ ン ド史研 究 にお いて は、 「長期 の18世 紀 」 とい う問題 設定 の 方が 馴染 み易 い と言 え よう1。 この 問題設 定 は、18世 紀 後 半 に始 まる イ ン ドの植 民 地化 は、 即 時 的 には イ ン ド社 会 お よび経 済 の根 本 的転換 に繋が らず 、 む しろ初期 の イ ン ド統 治 は、19世 紀 半 ば まで18世 紀 の イ ン ド社 会 ・経 済 の特 質 を ほぼ その まま受 け継 ぐような形 で進 め られ た とい うこ とを示 唆 してい る。 この 見 方 の 前提 に は、18世 紀 の イ ン ド社 会 ・経 済が ム ガル帝 国解体 以 後 の 政 治 的分 裂 に もかか わ らず そ の経済 的活 力 を失 わ なか った こ と、 む しろ イギ リス に よる植民 地統 治 は この よ うな繁 栄 の上 に乗 る よ うに して確 立 され た とい う認 識 が存 在 す る。 そ して、 この よ うな状 況 は19世 紀 前 半 まで 引 き 摺 る よ うに して継 続 した とされ るの であ る。 しか しなが ら、19世 紀 の 第 二 四半 世紀 頃 にな る と変化 の徴 候 も際 立 ち、 この時 期 の不況 状態 が象 徴 的 に示 す よ うに、 イ ン ド社 会 ・経済 は大 きな変容 を受 け た とされ る。す なわ ち、継承 国家(ベ ンガ ル、 ア ワ ド、ハ イ ダ ラーバ ー ド、 マ ラー ター、 マ イ ソー ルな ど)の 政治 的 中心 が 失 われ るに ともなっ て、そ の需 要 に依 存 して い た手工 業 部門 やサ ー ビス業 部 門が縮小 した。 旧権力 に依 存 してい た在 地 の イ ン ド系 商 業勢 力 は没落 を免 れ なか った 。 この時期 に植 民地 統 治体 制 も 大 き く変 貌 し、 旧体制 の統 治制 度 を継 承 してい た側面 はほぼ消 え去 り、新 た な官僚 機構 が形 成 され てい った とされ る。 言 うまで もな く、 イ ン ド大 反 乱 は この よ うな転換 を完成 させ る契機 とな った こ とにな る。この よ うに、 「長 期 の18世 紀 」 とい う問題 設 定 は、18世 紀 の社 会 ・経 済 体 制 が19世 紀 の 前半 まで 引 き続 い た とい うこ とを強 調 す る こ とに趣 意 が あ る。 しか しなが ら、他 方 で この見 方 で は、19世 紀 半 ばに大 きな分水 嶺 を見 出 す こ と にな る。 したが っ て、19世 紀 に イ ン ド史 の 大 きな断 絶 を見 出す とい う点で は、 通説 的 なイ ン ド史理 解 とそ れ ほ ど大 きな くい違 いは な い とも言 える。 筆 者 が ここで提 起 しよ う とす る視 点 は、 この よう な19世 紀 半 ば の分 水 嶺 に もか か わ らず 、 イ ン ド近世(18世 紀)か ら継 続 し、第 一 次 世界 大 戦 頃 ま で続 く傾 向 を浮 き彫 りに しよ う とす る もの で あ る。す なわ ち、19世 紀 に大 きな断 絶 を見 出す よ りは、近世 か らの 連続 性を明 らか にす る意 図が あ る。言 うまで もな く、 イ ン ド史の様 々な側面 すべ て につ いて 、 同様 な こ とが言 える と主 張す る もの で はない 。 ここで は、 イ ン ド系企 業家 の系 譜 を 辿 る作 業 に限定 され てい る2。 しか しなが ら、 この作 業 は近 代 イ ン ド史 に 新 た な光 を照射 す る こ とに繋 が る と確信 す る。 2 イ ン ド系 企 業 家 (1) 近世 イ ン ド洋 貿易 最 初 に、16∼18世 紀 の イ ン ド洋 におけ る貿易 史 につ い ての ここ二十 数 年 ほ どの研 究 の進農 につ い て簡 単 に説 明 してお きたい。16∼18世 紀 のイ ン ド洋 にお け る貿易 史研 究 が 明 らか に して きた のは、 次 の よ うな点 で あ っ た。 第 一 に、16世 紀 以 来 イ ン ド洋 海域 に おい て活 動 した 、 ポ ル トガ ル ・オ ラ ンダ ・イギ リス とい った ヨー ロ ッパ の 商業勢 力 は、 ア ジア物 産の購 入 に あ た って、 地 金(主 と して銀)を もっ て行 な った とい う点 で あ る。 これ は、基 本 的 に は18世 紀 後 半 まで変 わ らない傾 向 で あ った。 第二 に、16∼ 18世 紀 の イ ン ド洋 海域 で貿 易 の担 い 手 は、18世 紀 に入 る まで は、 イ ン ド 系 の海運 ・商業集 団 の比重 の 方が は るか に大 きか った。 ヨー ロ ッパ の 商業 勢力 に よる活 動 も、在 地 の商 人や金 融 と結 びつ くこ とに よって初 めて 十全 の活 動が 可能 で あ った。近 世 イ ン ド洋 にお け る貿 易 の担 い手 の存在 、 さら には商業 的 ・経営 的 ・金融 的 な資源 の存在 に注 目すべ きであ る。要 す る に、 15世 紀 末 の ヴ ァス コ ・ダ ・ガマ 以 降、 この 海域 にお け る ヨー ロ ッパ の 商 業 的 覇権 が成 立 した とす る ような、 かつ ての常 識 は完全 に否定 され た。 第 三 に、 イ ン ド洋 海域 の貿 易活 動 の繁 栄 は、対 ヨーロ ッパ 貿易 で は な く、 ア
ジ ア内 の貿 易(intra.Asian trade)に 基 づ い て いた 。 ヨー ロ ッパ の 商業 勢 力 自身 が、対 ヨー ロ ッパ貿 易 のみ な らず 、 この ような アジ ア内貿易 の一 翼 を担 う地方貿 易(country trade)に よって、大 きな利 益 をあ げ てい た3。 (2) 18世 紀 イン ド洋貿 易の 転換 18世 紀 に、 イ ン ド洋貿 易 に質 的 な変 化 が訪 れ た。 端 的 に言 えば、 イ ン ド洋 貿易 の重 心が 西か ら東 へ移 っ たの であ る。 イ ン ド系 商 人が 活躍 した西 イ ン ド洋 の貿 易 は衰退 過程 に入 り、 そ れ とは対 照 的 にイ ギ リス東 イ ン ド会 社 を 中心 に した東 イ ン ド洋 の貿 易が 拡大 ・発 展 した。 この背景 には、 ム ガ ル帝 国、 サ フ ァヴ ィー朝 ペ ル シ ャ、 オス マ ン ・トル コ とい う17世 紀 に栄 えた イス ラム三 大帝 国 の退 潮 が あ った4。他 方 、ベ ンガ ルの カル カ ッ タを 拠 点 に したイ ギ リス東 イ ン ド会 社 お よび イギ リス系 地方貿 易 商人(私 商人) に よる貿 易 活動 が突 出 し始め た。 イ ン ド洋貿 易 の重心 は、明 らか に東 イ ン ド洋 に移 った。特 に注 目したい のは、 イ ギ リスがベ ンガル を植 民 地化 して 以 降 にお け る、 イギ リス系 地 方貿 易商 人が担 った アヘ ン貿易 で あ る。 周知 の よ うに18世 紀 後半 に、ベ ンガ ル はイ ギ リス に よって植 民 地化 さ れ る。ベ ンガル におけ る領土 支配(デ ィワー ニー の獲 得)は 、 それ まで に イギ リス が イ ン ドに対 して有 してい た片貿 易 の構造(イ ン ドの綿 製 品 を輸 入 す るた め に、地金=銀 を輸 出)を 解 消 させ る こ とにな る。す なわ ち、 ベ ンガル内 の徴税 で得 た 資金 を使 って 、商 品 を買い付 ける こ とが可 能 となっ た。 さ らに、植 民 地化 が もた らした事 態 と して、 アヘ ン貿易 が注 目され る。 ベ ンガ ルで生 産 され たアヘ ンは、東 イ ン ド会社 政府 に よって独 占的 に購 入 され、 中国へ輸 出 された。 アヘ ン貿易 は、 イギ リス に とって ま こ とに都 合 の良 い多 角 的決済(三 角貿易)を 可 能 に した。 アヘ ン貿 易 に よっ て、 イギ リスは 中国 に対 して有 してい た片貿易 の構造(中 国 の茶 を輸入 す るた め に、 地金=銀 を輸 出)も 克 服す るこ とが で きた ので あ る。 こ うして、ベ ンガル の植 民地 化 とアヘ ン貿 易 は、 イギ リスが アジア(イ ン ドお よび中 国)に 対 して有 して いた貿 易 の入超構 造 を解 消 させ た。 (3) 19世 紀 のイ ン ド系企 業家 18世 紀 後半 に始 まるベ ンガ ル にお け る領土 支 配 と とも に、ベ ンガ ル に お け る イ ン ド系 商人 の 動 向 に は どの よう な変化 が 生 じる こ とにな っ たで あ ろ うか。 イ ギ リス 東 イ ン ド会社 の商 業 活 動 が縮 小 す るにつ れ て 、民 間
の イギ リス 人 に よ る商業 活 動 が活発 化 した 。彼 らは、代 理 商 会(agency house)と 呼 ばれ る企 業 を設立 して、 ベ ンガル人 商人 と提携 しつ つ、 アヘ ン ・イ ンデ ィ ゴ ・絹 ・輸 入 繊維 品 ・砂 糖 な ど を取 引 した 。事 実 、19世 紀 前 半 まで は、 イ ギ リス系 資本 とイ ン ド系 商 人 との 問 に は提 携 関係 が存 在 しえた 。1830年 代 に はカル カ ッ タの カー ・タゴー ル社(Carr,Tagore & Company)に 見 られ る よう にイギ リス系 資本 とイ ン ド人 商 人 の両者 に よ る対 等 なパ ー トナー シ ップ とい う例 も見 られ た。 しか し、19世 紀 半 ば にな る とこの よ うな例 は少 な くな る。 そ の後 、特 にベ ンガルの 中心都 市 カ ルカ ッ タで は、 イギ リス系 資本 が イ ンデ ィゴや ア ヘ ンな どの取引 をほぼ支 配 した。 規模 の大 きいベ ンガル人商 人 は、商 業活 動 か ら手 を引 き、土 地投 資へ と傾 い た。彼 らは、不在 地 主(ザ ー ミ ンダー ル)へ と転化 してい っ た。 しか し、 国内流通 の分 野 は依然 と してイ ン ド系 商人 の独 壇場 で あ った。 これ が 「バ ザ ール経 済 」 と呼 ば れ る部 分 であ るが 、 イ ギ リス系 資 本 は この部 分 へ は ほ とん ど入 りこめ なか っ た5。概 括 的 に言 え ば、海外 との取 引 を中心 とす る流 通 の上位 部分 か らイ ン ド系 商人 は退 出 し、代 わ りにイ ギ リス系 資本 が そ こ を独 占 し、他 方 で流 通 の下位 部 分で あ る国 内流通(バ ザ ー ル経 済)は イ ン ド系 商人 の活動 領域 と して残 る とい う 棲 み分 けが生 じた 。 他方 、西 イ ン ドの中毛都 市 ボ ンベ イで は、様 相が根 本 的 に異 な る。 ここ では、 ヨー ロ ッパ人 商人 と結 びつ い たイ ン ド系 商人 が、 依然 と して対 外 的 な貿易 活動 を担 い続 け た。 こ こで注 目したいの は、 アヘ ン貿易 を担 った商 人 の問題 で あ る。ベ ンガルか らの アヘ ン貿易 を担 ったの は、 もっぱ らイ ギ リス系地 方貿 易 商人 であ った 。他方 、西 部 イ ン ドの ボ ンベ イな どの諸港 か ら輸 出 され るマ ル ワ ・アヘ ンは、 イ ン ド系 商 人 に よって担 わ れ、彼 らは イ ギ リス系 の商社 と結 びつ きつつ 、 しぶ と く生 き残 っ てい った。有 名 なパ ー ル シー(Parsi)商 人 は、 こ う した商 人 の代 表 であ る。 そ の他 に も、 ホー
ジ ャ(Khoja)、 バ テ ィア(Bhatia)、 メモ ン(Memon)と い っ た商 人 が
挙 げ られ る。彼 らは、 中国へ の アヘ ンや綿 花 の輸 出貿易 に携 わ って いた だ けで はな く、 中東や ア フ リカ との貿 易 に も関 わっ てい た。か か る商人 の存 在 は、植 民 地経 済 に寄生 的 に生 じた もの とい う よ りも、 それ 以前 の イ ン ド 洋貿 易 の伝統 に もつ なが る存在 と見 なすべ きで あ る6。
19世 紀 半 ば 以 降、植 民 地 イ ン ドにお け る近代 的 な工業 化 を主導 した の は、 綿工 業 とジ ュー ト工 業 とい う二 つの繊 維産業 で ある。 この二つ の産 業 は、 一方 が主 と して イ ン ド系 資 本 に よって担 わ れ、他 方が イ ギ リス系 資 本 によっ て担 われ た とい う意 味 で、極 め て対 照 的 であ った。 しか も、 綿工 業 はボ ンベ イお よびア フマ ダーバ ー ド(西 イ ン ド)を 中心 とし、 ジュー ト工 業が カル カ ッタ(東 イ ン ド)を 拠点 とす る とい うよ うな地 域 的対照 が見 ら れ た。 ここで は、 イ ン ド系 企業 家 が主 であ った綿 工業 につい てだ け言及 す る。近代 的 な工業 化 にお け る綿 工業 の重 要性 を考 える と、許 され る取 り扱 いで あろ う。 既 に述べ た よ うに、西 部 イ ン ドか ら輸 出 され るマ ル ワ ・アヘ ンを取 引 き した の は、 イ ン ド系 商 人 であ っ た。19世 紀 後 半 の西 部 イ ン ドにお け る近 代 的綿 工業(紡 績業)の 勃 興 は、 イ ン ド系 資本 家 に よって担 わ れたが 、実 は この よ うなアヘ ン取引 に よる資本蓄積 を前提 と して いた ので あ る。 イ ン ドにお ける近代 的綿 工業 は、1854年 にパ ール シー 商人 のC.N.ダ ー ヴ ァ ル に よっ て創 立 され たボ ンベ イ紡績 会 社 を もって 嚆矢 とす る。19世 紀前 半 に もい くつ かの創 業 の 試 みが存 在 したが 、す べ て失 敗 に終 わっ てい た。 物 価 が低 迷 して いた19世 紀前 半 に は、手紡 綿糸 の競 争力(実 質賃 金 の低 さ) が強 か った ので対 抗 で きなか っ たが、 物価 が上 昇 し始 めた1850年 代 以 降、 機械 綿糸 に も優 位 性が 生 じた ので ある。 本格 的 な創 業 ブ ームが 起 こ るの は、 1870年 代 以 降 の こ とであ る。1880年 の工 場 数が58で 雇用 者 数が4万 人 で あ っ たの に対 して、1914年 には工 場 数が271で 雇 用 者 数 は26万 人 に まで 達 した7。 これ らの工 場 の過半 は、 ボ ンベ イ、 ア フマ ダーバ ー ドに立地 したが 、そ の他 に カ ンプ ール(北 イ ン ド)、マ ドラス(南 イ ン ド)、シ ョラプー ル(中 央 イ ン ド)な どで設 立 され た。 ボ ンベ イ、 ア フマ ダー バ ー ドにお け る紡 績 工場 の大 半 は、パ ー ル シー をは じめ とす るイ ン ド系 企 業家 によっ て設立 され た。彼 らは、 もと もとアヘ ン取引 に加 えて綿花 取引 に も携 わ ってお り、 綿 花 の供給 先 であ る イ ン ド内陸部 お よび需 要先 で あ る中国 との 関係 を持 っ てい た。紡 績業 が立 ち上 が って後 も、綿花 の供 給先(イ ン ド内 陸部)と 綿 糸の需 要先(中 国)は 変 わ らなか った。 さらに、製 品 の市場 と して イ ン ド 洋の西 部地 域 も挙 げ る ことがで きる。彼 らは、 これ らの地域 につい て も知 悉 してい た。 その 意味 で、 イ ン ド系 資本 に よる近代 的工 業化 は、植 民地経 済 の環 境 にお い て しぶ と く活動 したイ ン ド系 商人 の蓄積 を基盤 に して いた
の で あ る。 さ らに言 う な らば、18世 紀 以 前 に も遡 る こ との で きる イ ン ド 洋 貿易 の伝 統 に もつ なが ってい る。 綿工 業 に関連 して注 目 してお きた いの は、 その需 要先 と して の イ ン ド内 にお け る手 織綿 布 産業 の動 向で あ る。産業 革命 後 の イギ リス綿工 業 に よっ て、輸 出向 け綿 布産 業 が壊 滅 的 な打撃 を受 け た こ とは既 に述 べ た通 りで あ るが 、 イギ リスか らの綿 布輸 入 は イ ン ド内の 国内市 場 向け手 織綿 布産 業 を 壊 滅 させ る こ とは なか った。 輸入 綿布 が高 番手 の糸(細 糸)を 使 った高級 品で あ ったの に対 して、 国 内の手織 綿布 は低 番 手 の糸(太 糸)を 使 った粗 布 の市場 で強み を発揮 した。 イ ン ドの大衆 は、 この ような粗布 を需要 した の で ある。 イ ン ドの近代 的紡 績業 は、短 繊 維を特 徴 とす る イ ン ド産綿 花 を 使用 して、低 番 手の 糸(太 糸)を 生産 す る ことに特 化 したが 、 こ う した 国 内 の手織 綿布 産 業 に市 場 を見 出 したの であ る。 この ような在 来産業 へ の着 目は、今 後 の イ ン ド経 済 史研 究 に とって重 要 な部分 となるで あ ろ う8。 3 レ ッ セ ・フ ェ ー ル 政 策 と イ ン ド系 企 業 家 イ ギ リス 植民 地 統 治 に関連 して、従 来 は 「レ ッセ ・フ ェ ー ル(laissez faire)」 とい う言 葉 は否 定 的 な響 きを有 して い た。 この否 定 的響 きに は、 レ ッセ ・フェー ルが 「強制 された 」 もので あ った、 とい うニ ュ ア ンス が込 め られ てい る。輸 入 に対 して 関税 をほ とん と課 す こ とが で きない とい う状 況(自 由貿易)の た め に、 イ ン ドの工業 化 は大 き く妨 げ られ た とい う点 が 指摘 されて きた。 また これに加 えて、徹 底 した財 政均 衡主 義、 さ らに イ ン ドか らイギ リスへ の送 金 を安定 させ る ため にル ピーの対 外価 値 を引 き下 げ な いた めの政 策 な ど も、広 義 の 「レッセ ・フ ェール」 政策 の 中に含 まれ る で あろ う。 だが、 レ ッセ ・フェー ル政策 が、結 果 的 にイ ン ド系 企業家 を窒 息 させ た か と言 う と、 む しろ逆 であ っ た。 イ ン ド系 企業 家 がニ ッチ を見 出 して至 る 所 で活 動 が著 しか った ことを考慮 に入 れ る と、 レ ッセ ・フェー ル政 策の評 価 も微 妙 に変 わ らざ るを えない 。近年(1990年 代 以 降)、独 立後 の 「ネ ルー 主 義 」(Nerhuvian)の 経 済 開発 戦 略 一経済 計 画 の下 での 輸入 代替 工 業化 戦 略 、極 めて保 護主 義的 な経 済政 策-へ の 反省 が高 まる中で 、英領 期 の レ ッ セ ・フ ェール政 策へ の歴 史 的評価 に変 化 の兆 しが生 まれて い る。 す なわ ち、 先験 的な否 定 的評価 で はな く、結 果 的に果 した役 割 を もっ と客観 的 に評価 す べ きで あ る とい う指摘 が生 まれて きて い る9。
も う 一 つ 付 け 加 え て お く と 、 近 年 の グ ロ ー バ ル 化 状 況 に お け る イ ン ド系 デ ィ ア ス ポ ラ の 活 躍 を 受 け て 、 こ う し た 側 面 に つ い て の 研 究 も 活 性 化 し て い る 。 イ ン ド系 企 業 家 研 究 の 一 環 と し て 、 デ ィ ア ス ポ ラ 研 究 も ま た 捉 え ら れ う る と 思 わ れ る10。 こ こ で は 、19世 紀 に イ ン ド洋 周 辺 に 展 開 す る 商 業 移 民 も そ の 数 を 増 し た こ と を 指 摘 し て お き た い 。 彼 ら は 、 伝 統 的 な イ ン ド洋 交 易 の 遺 産 と イ ギ リ ス 帝 国 の 枠 組 み の 両 者 を 基 盤 に し て 、 流 通 を 担 う 商 人 あ る い は 金 貸 し と し て 各 地 へ 移 民 し た 。 マ ル コ ビ ッ ツ は 、1840年 ご ろ の 時 点 で 、 イ ン ド洋 周 辺(主 に 西 イ ン ド洋 周 辺)に お け る 商 業 移 民(商 業 デ ィ ア ス ポ ラ)は 数 千 人 規 模 に 過 ぎ な か っ た が 、1930年 頃 に は25万 人 程 度 の 規 模 に 達 し た は ず で あ る と 推 定 し て い る"。 イ ン ド系 商 業 移 民 の 過 半 は 、 セ イ ロ ン 、 マ ラ ヤ 、 ビ ル マ な ど の 英 領 植 民 地 に 移 民 し た 。 こ う し た 現 象 は 、 イ ン ド系 企 業 家 が19世 紀 に そ の 活 動 規 模 を 少 し も 衰 え さ せ て い な か っ た こ と を 示 す 証 左 と 言 え よ う 。 註 1 周 知 の よ うに 、18世 紀 の 再 解 釈 に つ い て は、 以 下 の 二 つ が 代 表 的 な もの で あ る 。Bayly,C. A.,Indian Society and the Making of the British Empire, Cambridge, 1987; Washbrook, D. A.,' Progress and Problems: South Asian Economic and Social History c. 1720-1860', Modern Asian Studies, 22, 1988.な お 、18世 紀 イ ン ドの 再 解 釈 に 関 して 、 最 近 以 下 の 二 つ の ア ンソ ロ ジ ー が 出 版 され た 。 ど ち ら も、 編 者 に よ るIntroductionが 優 れ て い る 。Alavi Seema, (ed.),The Eighteenth Century in India, New Delhi, 2002; Peter Marshall (ed.), The Eighteenlh
Century in Indian Hislory:Evolution or Revolution? , New Delhi, 2003. 2 この主 題 に 関 連 して
、 最 も包 括 的 で 信 頼 し うる概 説 的 歴 史 記 述 は、 下 記 の もの で あ る。 本 稿 に お け る 具 体 的 記 述 で 注 を付 して い な い 部 分 は、 基 本 的 に こ の 文 献 に 拠 っ て い る。Dwijendra Tripathi, The Oxford History of Indian Business, New Delhi, 2004.ま た、 優 れ た ア ンソ ロ ジ ー
も出 版 され て い る。Siddiqi, Asiya(ed.), Trade and Finance in Colonial India 1750-1860,New Delhi, 1995; Ray, Rajat K. (ed.), Entrepreneurship and Industry in India 1800-1947, New Delhi, 2992.な お 、 わ が 国 に お け る イ ン ド経 営 史 研 究 として 、 以 下 の もの を代 表 とす るイ ン ド財 閥 史 研 究 の 蓄 積 が あ る。 本 稿 で は 、 この 側 面 につ い て は 言 及 しな い 。 三 上 敦 史 『イ ン ド財 閥 経 営 史 研 究 』 同 文 舘 、1993年 。 3 近 年 の イ ン ド洋 交 易 研 究 は 、そ の 進 展 が 著 しい 。 特 に、近 世(16∼18世 紀)に つ い て は 、ヨー ロ ッパ 諸 言 語(ポ ル トガ ル 語 、 オ ランダ 語 、 英 語 等)の 資 料 を使 った 研 究 は 枚 挙 に遑 が な い ほ ど 生 まれ て い る 。 こ こで は 、 研 究 サ ー ベ イ として 読 め る 、 英 語 お よび 邦 語 の 二 つ の 文 献 を挙 げ る に 止 め て お く。Pearson, Michael, 2003, The Indian Ocean, London;長 島 弘 「各 論1ア ジ ア 海 域 通 商 圏 論 ― イ ン ド洋 世 界 を 中 心 に― 」 歴 史 学 研 究 会 編 『現 代 歴 史 学 の 成 果 と課 題
1980-2000年I歴 史 学 に お け る方 法 的 転 回 』 青 木 書 店 、2002年 。
4 D
as, Gupta, Ashin "India and the Indian Ocean in the Eighteenth Century", in Das Gupta, Ashin and Pearson, Michael (eds.), India and the Indian Ocean 1500-1800, New Delhi, 1987.
5
Ray, Rajat Kanta, "The Bazar: Indigenous Sector of the Indian Economy", Dwijendra
Tripathi(ed.), Business Communilies of lndia, Delhi, 1984;三 木 さや こ 「18世 紀 末 ∼19世 紀 前 半 に お け る ベ ンガ ル の 穀 物 流 通 シス テム― 穀 物 交 易 を め ぐる イ ン ド商 人 とイギ リス 東 イ ンド会 社 ― 」、 『社 会 経 済 史 学 』、66-1、2000年;同 「ベ ン ガ ル 塩 商 人 の 活 動 とイ ギ リス 東 イ ン ド会 社 の 塩 独 占 体 制(1788∼1836年)」 、 『社 会 経 済 史 学 』、68-2、2002年 。 6 Tripathi , op. cit.. 7 Morris
, Morris David, "The Growth of Large-Scale Industry to 1947", in Kumar, Dharma (ed.), The Cambridge Economic History of India, vol. 2, Cambridge, 1983.
8 在 来 産 業 を 研 究 し た 文 献 として
、 代 表 的 な 研 究 を二 つ 挙 げ て お く。Roy, Tirthankar, 1999
Traditional Industry in the Economy of Colonial India, Cambridge; Haruka Yanagisawa, 'The Handloom Industry and its Market Structure: The Case of the Madras Presidency in the First Half of the Twentieth Century', Indian Economic and Social History Review, 30-1, 1993.
9 K
umar, Dharma, "Native Capitalists and Laissez-Faire Bureaucrats?- India 1858-1914", Modern Asian Studies, 30, 1996; Tirthankar Roy, Rethinking Economic Change in India: Labour
and Livelihood, Abington, Oxon, 2005.な お 、19世 紀 ア ジ ア に お い てイギ リス帝 国 が 「強 制 し
た」 自由貿 易原 則 が意 味 したもの を、新 しい観 点 か ら問 うた論文 集 として、 次 も参 照 された い。 籠谷 直 人 ・脇 村 孝平 編 『帝 国の なか のアジア ・ネットワー ク―長 期の19世 紀― 』、世界 思想 社 、 近刊 。
10 M
arkovits, Claude, The Global World of Indian Merchants, 1750-1947: Traders of Sind from
Bukhara to Panama, Cambridge, 2000;大 石 高 志 、 「日印 合 弁 ・提 携 マ ッチ工 場 の 成 立 と展 開 1910-20年 代― ベ ンガ ル 湾 地 域 の 市 場 とム ス リム 商 人 ネ ッ トワ ー ク― 」、 『東 洋 文 化 』、82、 2002年;水 島 司 、 「イギ リス 植 民 地 支 配 の 拡 張 とイ ン ド人 ネ ッ トワー ク― イ ン ド人 金 融 コ ミュ ニ テ ィー と 東 南 ア ジ ア ― 」、 秋 田 茂 ・水 島 司 編 『世 界 シ ス テ ム と ネ ッ トワ ー ク 』(現 代 南 ア ジ ア 第6巻)、 東 京 大 学 出 版 会 、2003年 。
11 M