九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
A study on Tōdaiji Syosyōenmonjyomokuroku in 1153
森, 哲也
https://doi.org/10.15017/1854786
出版情報:史淵. 137, pp.1-30, 2000-03-10. Faculty of Literature, Kyushu University バージョン:
権利関係:
仁平三年東大寺諸荘園文書目録の基礎的考察
本木フに
哲
也
一︑
はじ
めに
現在︑山形県山形市に所在する慈光明院の所蔵に帰している︑仁平三︵一一五一二︶年四月二九日の東大寺諸荘
園文書目録︵以下︑仁平目録と略称する︶は︑かつて東大寺印蔵に伝来した東大寺文書の保管・出納を研究する
上で基礎となる史料の一つである︒その全体像は平安遺文第六巻二七八三号に活字化され︑広く活用されている
が︑紙継目など原本にそくした情報が盛り込まれておらず︑釈文の訂正が必要な箇所もある︒また︑仁平目録掲
載の文書が現在確認される東大寺文書のいずれに該当するのか︑という基本的な点も全面的に検討されているわ
けではない︒筆者は幸いにも一九九六年六月︑山口県史編纂の一環として原本調査の機会に恵まれた︒そこで本
稿は︑史料調査時のデ
l
タを紹介しながら︑あわせて仁平目録についての基礎的考察を試みることにする︒本来ならば調査時の知見をもとに史料本文の翻刻も行うべきであるが︑紙数の関係から今回は省略に従い︑別の機会
を待つことにしたい︒なお︑本稿では史料名・刊本等について以下のような略称を用いている︒東大寺図書館架
蔵成巻文書は東成︑同館架蔵未成巻文書は東未︑薬師院文書は薬師︑東南院文書は東南︑国立公文書館内閣文庫
仁平
三年
東大
寺諸
荘園
文書
目録
の基
礎的
考察
所 議 東 大 寺 文 書 は 内 閣 と 略 し
︑ そ れ ぞ れ の 者 数 や 分 類 番 号 を 示 し た
︒ 大
B
本古文年文書誌縦︑同家わけ第同東大寺文書は東と略し︑それぞれ的巻数i頁数または文書番号を記している︒ま
史料引用等に探しても常用漢字・新字体を用い
二︑む平田録の伝来過程とその形態
本 史 料 註 東 大 寺 別 当 の 寛 借 が 久 安 三
︵ 一 の 低 来 文 書 を 金 涛 で あ る 勧 修 寺 に 取 り 寄 せ 修 構 整 理 を 加 え た が
︑ 設 が 仁 平 三 年 に 濃 化 し た た め
︑ を 東 大 中 一
返送する際誌作成されたものであり︑寸
ι
同時広その受取ともなっているのである︒本史料では部を除き文書名誌もちろん︑国名・荘盟名等に至るまで
記載の右一関に朱交︵合点﹀が施されており︑これは東大寺に文替が返送される際︑本目録と文書の現物とを照合
するために付げられたものであるむまず本史料の伝来過程について整壊すると︑本史料が平安時代以来︑東大寺
に所議されていたことは︑ほぽ間違い設いと思われるQぞれが平安遺文では守屋孝議氏所蔵文書として紹介され
ており︑いつの時点かで寺外に流出したのである︒平安遺文辻︑東京大学史料繍纂所架蔵の影写本詔リ雇孝蔑氏
一般
議文
書﹄
︵架
蔵番
・
号82 S
\ ピ
ω
︶ぷよって本文をなしたと考えられ︑問影写本誌昭和一⁝︵一九一一一六﹀年六月一一
日に
影本
が完
了し
てお
り︑
コ
Jノ影写玉井久次郎所蔵/文議ノ中ニアリ重捜タリ﹂という書き込みもある︵/は
改行を一示す︒以下関じ︶︒また本史料は守室氏の所識にかかる以前︑三浦湾行氏の所蔵であったとの証替が糾一一QQ
さちに惑光明院住職である山口浩平氏の御教示記よれば︑昭和田二年頃購入されたものであるという︒管見では︑
寺外流出の時期を特定できていないが︑明治初期に東大寺文諜の流出が晃られたことからすれば︑おそちく仁平
話銭の流出も同時期と考えてよいであろう︒したがって本史料の伝来は︑およそ次のようになる︒
年
東大寺←︵玉井久次郎氏?︶←三浦周行氏←守屋孝蔵氏←慈光明院︵←は必ずしも直接の移動を意味しない︶
次に本史料の形態について述べる︒本史料は前欠で全一九紙からなる巻子本であり︑木製の箱に収められてい
る︒巻子自体に表題はないが︑箱の葦には﹁国/宝﹂︵朱書︶︑﹁東大寺庄園文書目録/仁平三年四月廿九日ノ奥書
アリ﹂と記した紙が貼付されている︒料紙の法量は以下の通りである︵単位はセンチメートル︑略測である︶︒
二九・七前後
横 縦
第一紙
第二紙
第三紙
第四紙
第五紙
第六紙
第七紙 五三・四五四・二
五四・五
五四・九
五四・七 第八紙第九紙第 一
O
紙第 二 紙
第一二紙 五四・八五
五・
O
五五
・
O
五四・七
五五・三 第一五紙第一六紙第一七紙第一八紙
第一九紙
五三
・一
五五
・
O
五五
・
O
五四・五
四一・二十
α
第二ニ紙
第一四紙
*第一九紙は末尾の状態が悪く︑軸からはずれかけていたので巻末まで計測していなバ︒
この一覧からわかるように︑料紙の横幅は五三
i
五五センチメートル前後であるが︑その中にあって第一四紙はきわめて短いものである︒加えてその前後の料紙を観察すると︑第二ニ紙の末尾には朱交︵合点︶の末尾が残
るが︑それは紙継目を渡っておらず︑第一四紙自体︑文書名に朱交︵合点︶が記されていない︒継目裏花押につ
いても︑確認できる他の紙継目のそれが厳深・厳実であるのに対して︑第二ニ紙と一四紙︑第一四紙と一五紙の
聞の継目裏花押はともに覚仁と玄厳のものである︒また︑第五唐橿中の観世音寺文書は計六つの﹁結﹂に分類さ
れ︑それぞれの結を構成する文書の点数が記されているが︑六番目の結はその数値が一四通から一七通へと訂正 五四・九五四・八
仁平
三年
東大
寺諸
荘園
文書
目録
の基
礎的
考察
五三
・
O 。
四
され
てお
り︑
の点は︑この部分が後に改訂さ一七還というのは現第一関紙への改訂を反映した数値であるQ
れた
こと
を示
して
お問
︑第
二一
⁝︑
一五
紙の
幅が
龍の
料紙
に比
べ︑
⁝
i
⁝一
セン
チメ
ート
ルほ
ど短
いったん完成した後︑前後の紙継目を含めて料紙を削除し︑現第一関紙を貼り継いで記載を幻
この改訂叫が行われた理出を推挺すると︑現第一四紙に記された文書が︑東大寺系でない﹁地門僧琳実﹂が筑紫観
性音寺の別当となり︑東大寺への年賀来進が表部北した康治一冗︵一一回一己
1
久安四年のものであることからすれば︑米ヰ寸観世音寺に対する関心のもと改訂が行われたと考えられる︒その時期についての明証はないが︑文書
出納
日記
で辻
︑印
蔵保
管文
替の
出綿
に際
して
一一
一縞
が立
ち会
って
おれ
ソ︑
文章
一間
保管
広対
する
三纏
の寅
任を
知る
こと
が
できる︒したがって仁平三年以降︑党仁と玄厳がともに東大寺三鱗に在任していた時期が一つの昌安となる︒そ
こで史料を検すると︑管見では玄厳は永藤光︵一二ハ
O
﹀年ニ丹八日の時点で権寺お←同年八廷に寺︑日l←承
安五
︵二七五﹀年七月七日に権上阪
iv
治一本四←︿二八
O
︶年
一
O
月に上齢︑という在任︵就任とは限ら会い︶の夢みが知られる︒一方︑覚仁は探元間二一五九︶年四月一九日
i
安一
兆一
苅︵
一一
七五
﹀年
⁝一
月の
問︑
上陸
在在
がわ
かる
︒よ
って
永欝
一苅
年
i
安元元年の時期が一つの設構となるむ第一五紙記︑抹消されてはいるものの﹁長賞ニ年六万六日加納之﹂という記載があり︑長寛一一︿一一六回︶年がこの想定時期に合まれる点も参考となる︒し
かし印蔵文書全体を視野に入れた場合︑この中で︑より注意を引く時期がある︒それは東大寺部当であった顕聴
が死去したため︑彼の手元に取り寄せられていた東大寺文撃が薄華王躍に納め会れてしまい︑次の別当敏覚なら
びに東大寺寺家が︑その返還に努める事態が安一冗光年記起こっていることである︒この時︑東大寺ーに返納された
観世
智寺
文書
六還
の内
訳は
︑久
安三
︷︶
五年
りも
ので
あり
︑米
寺観
世音
寺か
ちの
年貰
送付
立関
わる
文書
なの
であ
る︶
︒
これは文書自体む時期といい︑内等といい︑先に述べた改訂理由とみごとに符合する︒したがって︑現第一四紙
へ の 改 訂 は 安 一 冗 元 年 明 と 推 定 し て よ い で あ ろ う む こ の よ う の 関 わ り で 仁 平 信 録 が 改 訂 さ れ て い
った
もの
であ
る︒
るこ
とは
︑
的経諦力にいかに関︑むを払っていたかを物語っている︒
すると︑仁平目録では他の鰭所広も追記が見えるcたとえば山城閣の玉井荘と円
U
水山等三箆篠諾文迫納之︑問じく大野荘の項文縁側四滋交加茂庄注文況延久一元年怒号
枚 一 年 鷹 山 施 入 張
田の間の
の足
羽荘
の冒
頭﹁
一
天平
宝字
一元
年勅
書﹂
︑
第四勝櫨来患の肥前国関係
枚 し て い る た め 暫 新 で き な い が
︑ ぞ れ 以 外 泣いずれも文書名の右諸に朱交が仔げられていないという特徴をもっ︒これは現第一四紙の記載と共通
する替数であって︑この点を重視すれば︑これちも安元冗年頃広加筆されたとみることも可能である︒玉井荘末
尾の部分記﹁追納﹂とあるのも参考になる︒ただ︑越前閣の足羽荘の冒頭﹁一巻一枚神髄一一年麗山施入様石栗庄一
J
は︑越中盟の現にある﹁足羽蔀鷹山施入帳Lの記載が︑朱合点を右一屑に容するとともに墨線で記載昌体が抹消さ
れてお号︑これは次の赤穂荘と間接の事例じなるかもしれない︒また︑は朱と墨の二つの交 付 け ち れ た 蔀 分 誠 一 ぷ 箇 所 あ る
︒ 一 つ は 播 磨 国 赤 穂 荘 の
﹁ 大 和 赤 尾 券 也
﹂ 世 音 寺 の
﹁ 一 巻 主 義 年 肥 前 田 五 笛 庄 公 験
﹂ と
れる
際︑
つい
て
i i
ミ残りは観
ち前
者は
︑
寛仁四年肥後富山鹿審議公験﹂
の文書が照合さ
この
﹀フ
の時点で朱交が
とも
に﹁
大和
赤建
券也
﹂
付けられ︑さらけ仏大和の赤尾荘関係文書が点検されるなどして紛れ込みが判明し︑
の追記がなされたと患われる︒そ
てい
ない
が︑
関もない頃ではなかろ
者に関して法手がかりいが︑話者の暴交が漢字の
は別の目的で︑る時期に付げちれたものか
のごとき形であるのに対し︑こちらは
朱交と同じく直線的であるの
五
同ふ悶./¥
三︑仁平目銀の構成
は仁平自録の構成について考察を加える︒皆同克一氏が指嬬するように︑
醤の内︑粛一要な公験類は︑次に示すような内訳で第一︷︸五の公験産植に分類・保枇れており︑この方式は少な
くと
も大
勧進
部一
守が
唐櫨
を作
り替
えた
弘安
一一
一ご
二八
O
﹀年の時期まで守られていたとされる︵仁平時の措櫨も残存していることからすると︑印蔵保管文撃の増加記対応して盟守がもう一セット造り加えたということか︶︒
第一費覆勅書︑封一戸︑正器︑寺務︑修造︑任符︑奴縛︑議鑑
第二農機伊費︑大和︑院宜︑分階︑学生帳
第一一一麿謹伊勢︑損津︑山域︑下野︑美濃︑紀伊︑播磨︑静予︑阿波︑周防︑国議︑丹波
第四震構越前︑加賀︑議中︑越後︑近江︑毘張
第五唐撞観世音寺︵筑前︑筑後︑肥前︑肥後︑苦較︑奴解︶
仁平自録のうち現存するのは第三唐撞の途中部分からであるけれども︑欠けている部分はどのようであったの
であろうか︒この点に関しても笹川氏が︑承安五年五月一七日の東大寺文書目録︿狩野亨吉氏蒐集文議一八・平
七
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一⁝
一六
八五
﹀︑
久寿
一一
一︿
一一
五六
﹀年
四月
一七
日の
東大
寺文
書出
綿日
記︵
東米
一一
一
i
一 一
i
八一
・平
六
i
二 八
一 一
一 六
︶
の記載により︑公験庸績の銘文の分類還りであったrことを確認しているが︑弐によって触れちれていない鎌倉期
の史料があるので補足しておきたい︒まず︑文治一一︵一一八六︶年九月二九日の東大寺文撞︵東未一一一
i
i
西・鎌
一
i
一 八
O
︶には︑第一ニ唐横から美濃国大井荘の文護を取り出した記載がるり︑半撞
内﹂
より
﹁封
戸文
書﹂
四議
が取
り出
され
てい
る︿
東未
一一
一
i
一!
間・
鎌一
により印蔵所蔵文
一月
二八
日に
は
﹁ 第
︒これらは出蔵の
例であるが︑返納・新納に際しても分類は意識されていた︒たとえば︑文治四年五月一六日には︑﹁八幡宮燈油田
寄文一瀞員五枚﹂と﹁大仏殿御斎会料田文書一位駿
F
弟子施入﹂三通が第一唐橿に︑﹁大和庄々殿下御参宮夫役免除院宣等﹂が第二唐橿に進納されており︑建久元︵一一九
O
︶年
七月
には
﹁青
蓮寺
御八
講米
良直
重請
文一
巻二
通﹂
と﹁
年
預五師給田充文二通耕忍﹂が︑ともに第一唐橿に進納されている︵以上︑東成九八・東九|九一七・鎌一
l a− − 四
六九︶︒これらは﹁大和庄々殿下御参宮夫役免除院宣等﹂が第二唐橿の大和か院宣に該当する以外︑さきに掲げ
た内訳のいずれに当たるのか判断に迷うが︑寛喜三︵一二三二年三月三
O
日︑播磨大部荘の文書が︑﹁第三辛橿播磨国文書﹂へと返納されている例や︵東未三|一一l四三・鎌六|三七七八︶︑貞永二︵一二三三︶年二月一五
日には﹁黒田庄地頭停止将軍家御下知廿一通仁﹂が第二唐檀に納められた例がある︵東未三|一一i・e−
九八
・鎌
補二
|補
一
O
五五
︶︒
また
︑文
永一
O
︵一二七三︶年正月二二日に﹁大井庄楽団郷関東御下文﹂が﹁第三辛橿三乃国﹂に入れられている︵東未一一一一二
0
・ 東 一
O
|六二︶︒以上のように︑若干判断のつきかねる例もあるが︑鎌倉期を通じ︑公験唐橿による文書の分類・保管方式が︑基本的に守られていたと結論してよいであろう︒
仁平目録には公験唐橿とは別に﹁雑文書橿一合十八まとの記載も見え︑主要な公験のほかに﹁雑文書﹂の一
群が一八の﹁結﹂に分類・整理されていたことがわかる︒それぞれの結に所属していた文書の点数が七︵︶一二五
通と︑きわめて不均等であることから︑この分類は数量的に均等を目指したのではなく︑それとは別の方針︵内
容別など︶で分類されたものと推測される︒この雑文書の保管方法に関して注目されるのは︑それぞれの結に対
応すると考えられる包紙が残存している点である︒以下に示す例を雑文書の包紙と判断した理由を述べると︑﹁雑
文書﹂という記載と同時に︑そこに見える文書の通数が仁平目録と一致するからである︒東大寺文書中に包紙と
して転用された例があることからすれば︑従来﹁端裏書﹂として扱われてきた記載も︑包紙に転用される時点で
その表書として書かれたものと理解すべきであろう︒まず︑こうした残存する包紙から取り上げると︑天喜五︵一
仁平三年東大寺諸荘園文書目録の基礎的考察
七
O
五七﹀年四月一八日の東大寺請文案月二二日の丹波留後河荘可解︿東成九Z
一 一 一 日 の 摂 津 国 猪 名 荘 一 時 解
︵ 内 需
・ 東 五 一 一
i
一 の
﹁ 雑 文 書 廿 間 適 ん は
︑ そ れ ぞ れ 仁 平 話 録
・ 雑 下 段 五 番 話
︑ 上 段 七 番 目
︑ 下 段 九 番 目 の 記 載 と一致し︑しかもこれらは同筆と判断される︒康平二︵一五九︶年一
O
月士一
一日
の越
後関
石井
荘寄
人荘
子解︿皮蛇十郎氏所勝文欝︶の﹁一一結雑文響八は下段七番自の記載と合河口ただしこれは稜述のように若干︑
問題
を残
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雑文
書で
誌な
いも
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︑東
未一
一一
i
一 一
i
四五九﹁山域国木津在韓九年以後﹂は︑記載内容が仁平目録中︑
第一
二唐
橋・
山域
国の
泉木
津の
分に
合致
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ので
︑そ
の包
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東
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一 一
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六四十
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鎌一
|五
一七
十補
一
v is e
− 諦 一
O
七﹀中に︑﹁御封文書﹂の一っとしてご結七週雑文書﹂の記載があ号︑これは雑文欝植のうち︑上段六番目に対応する︒また︑観世音寺文書が雑文番中広も事
在していたことが︑保元四年五月二九日の東大寺文書出納日記︿東未三
l
一 一
i一
O
八・
平穴
l
一一
九七
三︶
によ
り
確認できる︒このとき印蔵から取り出された雑文響四結のうち︑コ結十一巻﹂﹁一結十巻﹂﹁一一結八機﹂は︑雑文
繋構
の上
段ニ
︵ぽ
四﹀
番目
︵い
ずれ
もご
結十
一通
﹂︶
︑下
段一
一番
目︵
﹁一
結十
一通
﹂﹀
︑同
七番
目︵
﹁一
結八
通﹂
︶に
対感
ずる
︒
残る
﹁一
一緒
紙絵
図三
積︑
大巻
雑文
書二
巻︑
細々
日記
五通
﹂の
うち
︑﹁
紙絵
図一
一⁝
禎﹂
は第
五唐
撞第
⁝一
結の
﹁大
宝一
一一
年
︵ 封 ﹀
間間紙絵霞﹂︑同第五結﹁向絵額ヘ﹁金生制御符絵闘いに該当し︑そうであれば本文書となるが︑同じ一結とされる
中でも大巻雑文書ニ巻・綿々日記五通と区別して書かれているので︑これ拡ついて辻本文脅から選んだ絵留と︑
前揚三結と試薬なる結から取り出した雑文番とを︑内容的関連から一つのまとまりとして詔援したと考えられる
が︑その結の本来の通数は明らかではない︒また︑結八巻﹂は前掲反町十郎氏所蔵文欝の端裏記載と品殿様するむ
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間四年七⁝
年九
月
・ 平 一 一 一
・東
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八八
四・
平三
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八O
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の﹁
一
八︶
の﹁
一
いずれを取るか断案はないが︑反町文書が雑文書の包紙であるならば︑観世音寺文書の﹁一結八巻﹂は雑文書の
一結丸ごとではなく︑その中から必要な文書八通を抜き出したことを意味すると解釈される︒
以上のように︑包紙の関係する荘園が異なることや︑関係史料の記述からみて︑雑文書も公験と同様に荘園別
のごとき形で整理・分類されていたことがうかがえる︒さきに︑結ごとの文書の点数が不均等であることから︑
雑文書の分類も内容別ではなかったかと推測したが︑包紙の検討を通じてこの推測が確かめられたといえよう︒
四︑現存文書との対応
l
結びに代えて|最後に︑仁平目録に記載された文書と現存文書との対応︑および文書残存の傾向を検討して結びに代えたい︒
まず︑現存文書との対応をまとめたものが表ーである︵本章末参照︶︒これを用いて印蔵保管文書の残存状況に
ついて考察することにしよう︒表ーをもとに文書目録掲載の文書名一つを一点と数え︵したがって︑観世音寺公
験案のように複数文書で構成されていても一点とするが︑一部が伝来するもの︑案・写しなどが存在するもの︑
あるいは題畿のみが伝わるものについても︑それぞれの文書が残存するものと見倣す︶︑荘園ごとの残存率を算出
したのが表
2
である︵小数点以下第二位を四捨五入している︒本章末参照︶︒残存したものに重点を置いて表
2
を観察すると︑残存率の高い荘園に二つの傾向があることに気がつく︒一つの傾向は︑残存率の高いものとして︑奈良時代に設定された北陸の荘園群︵越前・越中国︶が見えていることで
あ討︒しかし︑これは公験唐植の相違によるとの見方も成立しよう︒そこで第三
1
五唐橿の残存率を計算すると︑それぞれ三五・七%︑三二・四%︵﹁紛失文書﹂は除く︶︑五六・一%となるので︑北陸の荘園群を含む第四唐橿
は第三唐植と大差なく︑その中にあって残存率が高いのが北陸の荘園群なのであり︑これらは絵図も比較的よく
仁平
三年
東大
寺諸
荘園
文書
目録
の基
礎的
考察
九
。
残存している︒もちろん︑奈長時代の設定でありながち公験の残存率
O W A
ので
︵薪
岩荘
︑穣
野荘
︑
田宮荘︑播生荘︑困幡粧︑息長荘︑尾張国の諸荘などて全体像をより正濯に述べるならば︑奈良時代に設定され
た荘欝群の公験の残害率は高いか︑きわめて患いかの二つに分かれる︑といえよう︒同時に︑その中で公験の残
事事が高い荘園の文書の内訳を見ると︑いずれも奈良時代の文書が誌とんどであるという特徴を有している︒も
う一つの傾向として︑奈良時代の関係文欝が少ないか︑もしくはまったくないが︑公験の残存率が高い荘関・来
寺があることが挙ぜちれる︵賀茂荘︑泉木津︑木本荘︑新提荘︑高庭荘︑観世普寺をど︶︒
以上の点から印藤保管文書のうち︑公験に関して保管・訟来の領向を述べるならば︑一平安時代の文書留が多くを
占める荘醤については︑仁一千三年当時その経営が維持されており︑まさに公験としての効力が期待されたが故に
保存されたと理解される︒ぞれ拡対して︑当時︑既ζ荒廃︑もしくはそれに近い状態の荘園に関しては︑まった
く効力が期持されなかったとは醗定できないものの︑むしろ東大寺創建期から事在したという歴史的指緒の市さ
に重点が龍かれて保存が菌られ︑効力が期待されない︵効力を発揮する機会がない︶故日後世あまり出納される
ことなく︑現砲︑までん伝来し得たのではなかろうか︒仁平日録は第一︑二麗掻の部分なすべて欠いており︑第三唐
種も途中部分からしか残っておらず︑現存文書との対応にも不確定要素があるが︑残存したものに重点を置くと︑
およそこのような理解が成ーするように思われる︒そうすると︑印藤保管文書は単に文書の効力だげで伝来した
のではないことになるが︑先に述べた結論法あくまで仁平目録と現在械部し得た文書の対応のみに基づいて語り︑
その問の怯来通轄をまったく捨象したものであることは十分承知している︒皆川完⁝氏によれば︑江戸時代には
五つの公験蹴結構は文書保管の任務を怒え︑鹿横から古文書が離れていたと考えられ︑そうした状況に至る過程で
消滅した文書もあったはずであ号︑さらに今後﹈東大寺印蔵の文書出納について分析を進める︑必要がある︒
基礎的考察といいながら︑やや素描的になった語もあると思われるが︑博雅の御教一都を
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恥トJ,足早Jj謀長
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二。表 l 東大寺諸荘園文書目録対照表
【凡例】①文書名は分註などを省略した部分がある。文字の欠損は口の次の()に残画や文意から考えられる文字を示した。②現存枚数の確認などは、特に断わらない限り東京大学史料編纂所架蔵の影写本・写真帳・レクチグラフなどによっている。枚数の項の*は近世以降の写し・
印譜などにより伝来が知られること、Tは題畿が伝わることを示す。③表題・端裏書の項では、表題を(題)で示した。端裏書は同筆、異筆を問わず列挙している。
④所蔵の項は必ずしも現蔵者ではない場合がある。影写本のみに見えるものは「東大寺採訪次数巻数」のように示した。
⑤刊本の文書番号配列は継紙・連券の場合、その順序による。
国名等荘園名等仁平三年目録文書名枚数現存表題・端裏書所蔵
1 山城国玉井荘天平宝字四年勅仁1
2 同年勅旨所文
3 康平六年寺解井所課免除文 4 延暦七年家地施入帳3 3 東未1‑25‑672,大東急記念文庫
5 永久五年宣旨案仰書4 6 同年宣旨案1
7 永保元年宣旨案1 1 石崎直矢氏
8 元永二年宣旨1
9 同年庄解6
10 周年官使分水注文1
11 長久四年検田沙汰文
12 延久四年国判2
13 同年四至庁宣両使請文2 14 天喜二年以後宣旨庄解等4 2 石崎直矢氏
15 同三年庄結解2
16 同年庁宣3
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井川崎帳+< #P
締出園料柳田犠Q欄鰹宕蜘蛾 干日本備考平1‑41)
平4‑1183
平3‑709,715
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咲+<司令糠樹園料醐邸機 G 縄騒客動最長
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1 1可400nwd九日1A守口WAvddu官FDιリマe虫UTよ句iATAの,U内品今必内4ワハ刷。ふの,QワμηL 年号朽損雑j肖怠20
天治二年庄解2
? コく西巻井忠文案等/紙絵関〉4 2) にコ回承平元年潔付1
久安四年友中弁ア文1
久安五王手法限仰欝築坪付等12
間四年償笑訴師光奉行四至沙汰文
7 長
無年突す党仁欝状資蔑荘長久ニ年寄子家下文賀茂庄寺家下文〈長久二二年〉内諾平2‑589,東5‑143
天治二二年震皆1 1 {題〉左弁宮下文〈山悶庄事〉東南4−約S王子シ2040,東3‑601i潟遺影寺解1 1 京都大学平5‑2035 i潟年主主旨詩文1 1
l
誇宣文旨草状案也〉可令蹴立〈重点之内可被載東米1…24…88平5‑2041間年}±解1 1 策米1…22‑11平5‑2033
永治元年庄解1
間年寺家陳状3
大野荘治暦元年検田帳2
治暦ニ年検EB帳2
延久平年笠智案3
需主手線付。。
泉木津さま亀九年粂滋勅餐1
延騰it三三年絡楽地券4 4 (題)ニ篠五坊地券く鱗牒檎換詑延謄東南339 平1‑24,25,東2‑558,559 廿三年〉
主義光ニ年泉郷万祢申文
臣
弘文荘¥11−矯269永久ニ年長者室請文東}菊?…4平5…1810,東3824
間年史生材木注文木屋所被注文東大電子筏弁潔秀氏平5‑1806
時年末清畠請文1
東セ:−,回米並
,}
哲−ん1マ2ε−乙28 大治元年公文所開注文3 2 平5‑2097十2093 間年輿福寺水守棺論務状3 つ東大寺11 平5‑2096無年号山城守資平警察状1
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43
44
45 海印寺天喜五年地予解文I 46下野悶一巻寛治五年燦順術文2 東米1…24…700,平4‑1302,1303. 179
47 美濃題大井荘天平勝宝八年勅書1
48 天徳四年宣旨45 49 治癒ニ年宣旨井請文案15 ?な3) 50 ヌ華客二年宣旨井茜部文案2
*
51 延久三五年宣旨庁宣等案20 せ迂52 長治先生存坪付3
53 長治二年
t
書物結解2 東未1‑25…496五戸4…163654 大治翻年修理大夫番弁五前書2
55 療治二年総笈1
56 久安ニ年間地枚目録1
57 需年宮物進米結解2
58 議部荘弘仁九年施入勅欝2 2 正念総平1‑45,東1‑6 59 大関西年坪付10 旨(題)天~徳〈四サ年ラ z第工笈60 天徳四年宣旨1 I 東南3‑36平1‑275,東2‑552
61 姦承三年官符20
62 永久五一T主主守6 6 宣{題旨}/東庁賞大寺等奨〉濃永久関渡E.部年庄以後券A く西堺東南公37 平52021, 2018, 2017, 1881, 1882,東2‑553〜556 63 永治光年市橋庄陳状2 2 T石橋鰐庄練状葬祭、在正文東未1‑4‑73平6‑2454,東14‑598 64 局長手摺受取文井市橋陳状
。
茜部]±題歪申文案東未ト4‑59王子6‑2469,2452, 東14‑585 65 延久二二年笈皆正文 東末十3‑59,草子3‑1046,1048, 東13‑439,1‑4 5 53166 延久三三年
11r
符間受注文267 康治三三年閉室事態状5
68 天治元年大火史霧状2
S事永保二年宮符溜.¥.沙汰文4
70 無年号三箇条3家賃警察勝蒸擬講3
71 一結絵密
72紀伊関木本荘天永元年検回枚自録I
1 1
1 1
1
gr
73 間二年宣旨案1
74 間年検田枚§録1 1 東成57平4…1752,東7‑422
75 i湾年額沙汰文1
76 同年寄物解文1
77 長治完全手守解5 3 筏井寛秀氏平←1625
78 長治光年八幡所王立離状3 3 東米124‑24 平4‑1620
79 炎治二年八幡下文築1
80 天浅く元年宣~茶1
81 天永二年寄手解2 2 筒井策秀氏平令1751
82 長治元年寺解1 ,〜,h山~" V入加く多少廿ニ83 再年ミデ解8 8 、z,k‑‑j円立ご東米124「17脚本4‑1626
l一一
信84 康和ニ年致問下文6 筏井寛秀 平十1491,1483, 1482, 1480, 1442, 1431
東未l24…18, 平4‑1617〜1619,1621, 85 人々消息等14 き19, 21〜23, 1627, 1628, 10一橋301‑25・・233, 324
86播隣国赤穂粧承和九年続々惣券1
87 承和九年段々公験45 88 康平六〈ニヵ}年坪付
肝
l 東米124‑659 平3‑9294)89 永延ニ年庄々冨録御対返抄
90 −,除紙絵図
91 大将盟赤尾荘天元五年本券築5
92伊予霞新鰭荘天平勝さま八年調判1
93 承和七年部解2.5
94 無年号閤司書状1
き5一粘布絵図一附品暫くミテ線96 南波00新嶋荘天王ド勝宝/\明.,v内…41 1 東南321 縦4‑P206〜207,東2‑529閑判f印J/勝宝八年東大寺〉
く臨解97 承和七年国司免判3 2 東南シ22平ト66,75,東2530, 531 名方/勝巳(浦)悶郡〉二Rτm肌
告S承和十二年被妨取箇寺牒2
99 無年号園毘坪付9 100 嘉祥三年庄家坪付2 2 姦t反盈祥/三ク払年ノ、 {此日…く坪付〉東南シ23王手1拐,持,東公532,533
101 天元ニ年在宮坪付2
102 箆紹一年寺家下文1 1 下{題文〉〉米寛人和サ五門年誌 中.,,_ι*w<寺家策南シ24平子325,東2‑534 103 …!除天平宝字二年紙絵闘東南シ25東2‑535
1後湾防霞経野荘天王ド勝宏六年産業勘定36 :ぉ天王子液学二瞭年産業勘定33
I
s)106 間f年雑文芸懇11 1鍛詞五年苦言符潔付。4
明:ニ
v921 252,編5‑108 悶幡関高庭荘神譲元年寺子繰翻学tl15 6 東南4‑16) P525〜527,•z
566;)(l109 承和九年庄解間判10 10 東大帝国幡園高庭庄券第ニく附〉!東南公26 王子1‑251,193, 73. 東2‑5367) 〜538
l
返幡抄〉東法大制寺九悶年幡一/策荷3…27BO 同年国司免判5 6 平174, 72,東2…539,540 lll丹波摺後}!|結永承五年庄解寺家下文9112 久安三年密畠検波R六2
(題)京ρv‑一叩"<施入緩ニ編4P341〜342,東2‑506,113越前悶惣券天王子窓字ニ年施入緩3 3 東南3…138) 通〉(一掃..,.. 507 i喜§)蓮ZA 、.、」三リ鴨野栗綴5P536, 547〜551, 646 ,骨114 天王子神護ニ年ミテ解郡解6 6 /II 子晃
..
天東南3…却〜652, 656,東2‑516〜527平神護二三115 天主fl1常議ニ主事官符国判52
116 天平神議ニ年郡解46 47 t鵡j県天守山中山",1".:東南318 編5P554〜617,東2515 こ乙比伺,ー士、天平持譲位 117 足羽荘神護ニ年鷹山路入糠1 1 議(慾ニ)年越〉前国足羽郡鷹山施入総く額料/持東南3‑15編5‑P543〜544,東2‑50号
叩凹『f山相電庄{題/}患郡東大解寺〉越天王前子神悶118 神護二年E雪解郡解4 4 畿産二庄券年、端、Jフt,:;J策筒316 ;ニ二?こおこご551〜554,
Pf".l,二二二・513
i
同1 1く
越前;・『唱Z一品=−一・4t】−国・r軍4....』,·~”」可M』:・ 、,−… .帽崎119 天摩五年郡湾燦1 1 東南3…20平ト263,策2…528|通天暦五年
120 布絵図−1結天王子持護二、苦手 121 国富荘支字光年官符賠解6 6 東京国立博物館編25‑P214〜228
i波神譲二年太郎獲国解7 7 (瀬)越前冨坂井郡部籍く天王手持諜ニ年〉東南3‑17鰯5‑618〜627,東2‑514
1お年号桁損問地坪付
日ド
(題)京八寸く沼地124 桑原荘勝.̲'.E七年郡家田地雑物注文大東急喜志念文庫繍4P52〜58品川rワ《,世,v
125 勝沼八年開使解田地雑物注文2 2 雑〈題務〉〉東天大平寺勝越宝前八悶年議 く田地東大寺子編小P111〜115,東9号外1 126 勝議九年器使解湿地雑物注文2 2 {題)永八一く田地東大寺編4P219〜221,東9号外2
む雑物〉六…一
雑年(題物))東く大閏 II II II I (庄所127 虫字光年層使角草田地雑物注文2 2 〈雑物天平宝字元東南3‑11編4P246〜250,東2…500 I怒宝字元年雑文響5 5 (題)本八勺一く雑文審3‑12 編4‑P250〜255,257〜258, 遜〉(叫d東2‑501〜505 129 高率装宝字八年国郡判1 1 取\)議さ事夜j学m八《ノ、年、可才 中山く国判〉天室長雨3‑14編5P476〜477,東2…508
130 田宮荘宝字三三年藤郡判4
131 溝江荘勝安七年器禁tl1 1 個人編小持母〜50
132 生江荘承和十一年以後郡湾判9
lお加賀盟幡生荘天長七年管符4 134 天長七年官符罷符10 135 応徳元年郡司立券合
136 永久三三年寺解
137 ヱミ帖〈布紙〉天平神譲二年絵関
138 勝宝七年橋大夫人施入閲判2
139 延暦元年兵部郷藤卿領3
140 一巻寛和二年寺牒
141越中国惣券宝字三年E童特選管燦9 10 管{題線)越さ在中学館=諮年務〉 υ
二
く留学j瀧東南328 編4P375〜392,東2541142 神護三年盟判3 3 策南シ30編5‑P662〜666,東2‑543 143 景雲元年盤戦j3 3 繋{題元)年越〉l 一〈閤判紫東南329 編5P685〜的l,策2542 144 砺波郡戒宝字元年2 * 告)本田勅書145 神護二年閲判l 146 密湾省符返神灘三三年1 1 学穏回大学編5‑P56710) 送寺家燦 147 諸荘雑物支議十年以後2 1
l
後百〉号、−−−」物l認施庇入々帳浪人く笈之穐状寸等以内題S]Zl−的,68,東5135 施入綬 148 荘題選考裁和二年三五鱗学j1 松田福一郎氏平2‑44111) 149 ||荘お園井悶荘録I
無絵年岡一号粘 1 150越後菌12) 151 勝虫五年国郡解14 152 勝宝八年国郡田岡14 153 延暦八年複真沼庄溺郡田翻13 13) 154 延暦十四年複真沼庇閤郡田籍§ 155 延暦十四年欝郡白籍12 156 延暦サ五年以後管物注文11 157 弘仁盟主字額郡問題13 lお天長五年以後盤解郡解20i泌天長元年勅使検注語学tl13 i総天長七八年管符省符題解13 161 光永二年寺家立券? 162 一帖寛和三年以後若手下" ‑.一 163 一結く十二廷〉自寛弘五年~燦平ニ二年164 天喜六年住人$文2 165 ニた賠荘弘若仁会十料〜 悩誼1血品1
166 弘仁十三年国湾符1
ょ」砕
111 暗撰+<刊↑:畑出腿わ〈輪出議会議欝お蜘臨 l 中
〆町、、
167 弘仁十三生存者予使家地懇悶請文1
i総天長元年勅使国司解6
169 天長七年勅使震喜郡解6
170 主義沼荘永詐ニ年坪付
~
171近江国器機荘勝議八年172 荷怠荘長下在文i
宝天亀喜三四年年以別後冨郡判 11173 当三綱水屋地1
174尾張関愛智荘延欝九年霞郡fl券4
175 天禄二年郡宇tl3
176 山田荘延警九年間郡立券2
177 ヰ1終荘天禄ニ年欝都立券
引
178 惣券天平勝室四年寄燦立券179 長粕こ年寺解文警焼失3
180 無年号番生諦文文審焼失1
181 無年号八箇処惣思六4
l位紛失文書
I
無無年料寄予勝五真都言議書状状等 3183 ヰ
184 無年号勝蒸擬講害状2
185 無年長手
t
二栄得業議状2186 長承二年奏状案3
187 無年号源厳繋状1
188 大治元年御念返穀冨録井選挟4 14)
189 無年号勝真擬講饗状3
190 天徳三年玉滝湯舟鞘田等間きさ3
191 長華和ニ年玉i常弁事汚濁村年米議文等事2
192 天平持護ニ年2
193 弘仁六年安機寺文幾5
194 天承ニ年厳慶沙汰出入文言雲間六2
195 大治五年文欝梅次第3 15)
196 大治四年郎裁錦仏沙汰1
197 保延三年東南院請文2
198 天喜Z翌年五評議窓物際六5
199 天承ニ年寺鮮語六2
主語大治五年可毒事文懇話六4
2Dl 大治四年機経文霊祭路大品
お2長承四年勝潔欝
203 天仁ニ王手落文番目記
204 幾年長ラ多紀郡文護16)
別大和翠崇敬ミ子永保ニ年東大寺別院寺牒
:
* 17)加肥前冨天五評議字元年勅書
初?観世音寺斉衡ニ年府燦布護放生間券2 第一観也管ミチ:'¥9‑44弱18)
208 災保四年議文JJel後~五也、予言燈i!lJ例文3
209 長保六年府牒最務会稿文4 4 大東急記念文庫王子2‑435 210 天平宝字二年早良君~奴縛斜文5 t5 主手繍聞大学編14‑P268〜27419)
211 大宝四年府符縁起3 t3 大東急記念文庫20)
212 長徳二年郭地一町三五段例文4 3 来文た科え大す夜学間ノ\子平2:‑364〜366 213 承平四年f畿銀秀注文四卜口寺僧爽名8 ? 21) 214 弘仁十一年府際悔過例文2 2 堂本四部氏十王手10‑49紛22) 大東急記念文庫 215 延事務十九年吹沼校側文8 23) 216 天燦三三年高田正公験11 12 十一枚、一東成45 平ト250,24き,248,246, 24) 247,東7‑318
217 策弘九年仁王不断経偶文2
218 年紫田高田庄公験? 25) 219 _,元年大宰府懇回1i吉町例文2 2 二枚東成28議選24‑P603〜606,東6‑271 220 八年山川薮沢例文2 t2 王子104898 26)
221 一禎養老絵毘
222 治安密年碓弁封本公験9 9 震雪府薬草議務郷司、九枚、二予報成48平2476,紛8,東7…32127) 223 延久元年誇庄立券文7 7 七枚、東成24平3103仏策ふ261
1《
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浄11
i羽-1咲4く~争組出臨令〈網目出場Q捕i態起動蛾平4‑1395,1396, 1376, 永長二年罷庄山口議苦手沙汰文書14 11 十一、第二東京大学文学部1379, 1378, 1377, 1375,東28) JJtll‑14
治安眠年金生封公験16
豆療四年大石山北両符公験10
天爵八年以後把絞産霞符等13 ?* 29) 承潜ニ年以後持庄府笈弁庁笈等5 t6 六枚、横浜市立大学 平10‑4954,4951, 4947, 30) 4943 箆治三年問庄椙諭公験6 ?? 六枚東南7‑9 平4‑1278,1277, 1275, 31) 1272,東3‑857
平4‑1317,1316, 1315,
応徳元年議総庄公験7 ts 八枚東成50 1312, 1314, 1313, 1268, 32) 1252, 1216, 1214, 2‑489, *7‑32事 延久:三年賀駄鱒園府援等16
一様大袋三三年間観紙絵図
永承四年船越夜間受韓示沙汰文饗15 ? 33) 康平三年同庇府器使入勘特免事?本34) 承和八年間J±塩釜関牒2 堂本拠郎氏平1‑6735)
弘仁九年山鹿庄公験5
長暦ご年鰐前臨五徳疲公験21
点綴十年一切経国公験7 ?? 七枚早稲田大学 平ト158,157, 160, 154, 36) 162, 161
王子4‑1477,シ1096,1080,
天延三三年郭内自公験17 tl7 R枚i>r.、I‑"‑…エ溺エリ 〈康範囲年〉、十七内罰 1079, 1078, 2伊577,575, 37) 571, 538, 445, 375, 310, 東5‑110 天平三五年呉楽器撰文9 t9 九枚、内題 エド4‑1380,1310, 1243, 38) 2‑442, 431予430,束十109 灘仁五年学校院策回文書聖10 10 守屋美孝氏 平シ1073,1026, 932 , 899, 2‑622, 483 長保三三年筑前関五仏々援米例文4 * 39)
寛仁路年目白後患Ill癒郡桑公験8
夫暦宙関67
承保密年諸符庄勘巡回免判9 *
元慶七年寄努紋織継糠公験11
王子台1413,1409, 2‑351, 永延5年会館長講鰐文10 10 十枚、東成43340き343,337, 335, 336, 40) 東ヂ315
延久六年務会米鰐ヌ:8 ?
寛弘八年勅符蔵純物下用候8
ts
東京大学文学部 王子3‑1004,1007. 101 一1012,東別113 天にニ年観音講料米伊j文百 経護班長ド資財帳55 56 東京芸術大学平1…19443)姦保元年j湾緩21 22 嘉係長手資財1緩く但不行交替〉、第四内間平4‑1368,東5‑108
長光、九年以後修理米用途i緩8
ts
北村繁樹氏平2‑57344)天永光年談義縁起8 9 観世音寺談議縁組案文、第四、八枚東京大学文学部平41731,東部1‑15
天仁二年中津庄沙汰官符草案等6 6 員五巳回日輪i六術枚文、芥路府霊宮符等合六枚東京大学文学部 平41753, 1755, 1719,策45) ル品畑、〆乱A、、、男Ul‑16
元永三年符庄祭料稲議文1
保安元年寺辺在家注文双紙25
保安元年文議問六4
保安光年調文議問六5 5 公議会案文毘録〈保安元年六月廿八日〉、徳井寛秀氏平日ω柑之99務 療治三三年先臼進在庁解3 3 口GD己己DO口{銭没後若手於件在筒井寛秀氏平11−繍31哲庁ヵ)解者先日進上、五 康治ニ年寺子家紹折緩4 4 第五、桔折綬内閣エド6‑2504,東5‑112
天幾二二年返抄引付3
康治三年田数所当惣勘文15
天幾元年解文1
天養先年見作田所当惣勘文16
選護保三年大石山北公験築14
康治三年間調符沙汰取文芥符解3 3 大若封書務、第Ji 東米1‑24‑347÷平6‑2523598十東米ト56
療治三年在庁解芥ヌド解11
一巻爵絵溜
ー
1 1
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井
11270 一条金生御符絵醤
271 大治関年以後任符築
272 久安三三年寺用組折
273 久安西年損飽勘文
274 久安密年琳実年貢米滋
275 康治ニ年以後琳実解文
276 康治忘年寺解状
271 久安三三年I±々間数注文永嬢進
278 大治三年目玉ぎ社注文
279 i久雪一4蜘¥( 280 久安;六年損色注文
281 長治ニ年米結解糠
お2大治二年以後毘牒芥ff笈案
283 治勝二年鯨成大費等記
284 久安阻年院室等IE文
2
お久安三年被返付本寺東皆286 説宣井詩文く康治元年〉
287 頭弁資信請文
お御脅毘ー結五巻
2籾寺中一帖布天平勝宝八年
290
ド時間
291 鰐番目お2大和国機控一帖布神護紫繋三三年
加近江箆瀕流荘一紡布天平勝宏三年
臨伊嬬 頼回村思枯紙無年号
伊勢翻三重寝一帖布天王手勝宝九年
沼6加賀題幡主主荘‑1姑紙天平笈学三年
297 I 一帖布
2総播磨閥ま垂水寝…帖布語訳和三年 3 ,。、読鱒擬補案、修理穏当任符築
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1 頭弁返事く観徴音寺事〉、第一 東大寺2号、京都大学東五1n‑16‑2
東米1‑16…15,12, 13
東成40
楽部1193‑1
東南ふ2
正倉院
正念龍
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3ドシ2138,2164, 9‑4712|平6‑2649
平ふ2110,2444, 6‑2518
平6‑2611,東7‑312
主fZl0‑5014,東3702
編4P116
東4‑1十4…2 47) 48)
加越前国糞置荘一帖布天平宝字三年正倉院編4P393,東43
300 一帖紙天平神護二年正倉院編5‑P616,東4‑449)
301 梼原荘一帖布天平宝字五年
302 二帖紙天平神護二年
303 二帖布天平神護二年
3似高串荘一帖布天平神護二年
305 一帖紙同年奈良国立博物館東46 50)
306 道守荘一帖布天平神護二年正倉院東4‑5
307 一帖紙同年
3侃国富荘一帖布神護三年
309 一帖紙同年
310 小榛荘一帖紙宝字三年
311越中国丈部荘一帖布宝字三年正倉院東412
312 一帖布神護景雲三年
313 砺波荘一帖紙天平宝字三年
314 大薮荘一帖布宝字三年正倉院東413
315 一帖布神護景雲元年
316 一帖紙神護景雲三年
317 須加荘一帖布天平宝字三年正倉院東4‑9
318 一帖紙宝亀十年
319 鳴戸荘一帖布天平宝字三年福井成功氏東4‑11
320 石粟荘一帖布神護景雲三年
321 一帖紙同年
322 一帖紙宝字三年奈良国立博物館東48
323 根回荘一帖布天平宝字三年正倉院編4P376,東410
324 一帖紙無年号
325 鹿田荘一帖布天平宝字三年
326 一帖紙神護景雲三年
327 狩城荘一帖布神護景雲元年
3犯一帖紙同
329 惣図二帖布無年号
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お?一結く十通〉338 …結く七十五通〉3鈎…結〈廿六通〉3必一結く十一通〉341 一結〈せ八通〉342 …結くit五週〉343 一結く十三通〉
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ま追保延三三年出入文欝日記14 357 大治五年出入文勢臼記35 358 天王子勝宝八年以後文香詩六15
ま選康治元年法乗戸草2