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「ドイツ帝国」改革構想

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Academic year: 2021

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GAIDAI BIBLIOTHECA

ヘーゲルが『ドイツ国制論』執筆に着手したと 推定される1798年末乃至1799年初頭は、1797年10 月17日締結のカンポ・フォルミオの和約を以て第 一次対仏同盟戦争が終結して後、1799年2月28日 に第二次対仏同盟戦争の戦端が開かれる迄、ラシ ュタットに於て戦後処理の交渉が行なわれた時期 に相当する。最終的決着を見ない儘に解散せざる を得なかった此のラシュタット会議こそ、『ドイ ツ国制論』執筆の動機形成に深い関わりをもつ。

所で、フランス革命の勃発と共にドイツに於て も一部知識人の間で、革命フランスとの連帯の許 で革命を遂行しようとする運動が生じた事は、周 知の通りである。特にマインツに於ける共和主義 運動は有名である。当時のヘーゲルも、実際的な 政治活動に参加した訳ではないが、そうした政治 運動に共感を覚えた知識人の一人であり、独自の 思索に基づいて「ドイツに於ける革命」の可能性 を追求していた。

そうした謂わば親フランス的なドイツ知識人に とって、ラシュタット会議は、ドイツ革命の支援 者としての希望を託された革命フランスが領土的 野心を秘めている事を暴露する場となった。蓋し、

少なからぬドイツ知識人が歓呼の声を以て迎えた 如上の和約、其が、実は、単なる革命勢力の勝利 宣言などではなく、寧ろ、フランスの強かな領土 要求を秘めていた。即ち、その秘密条項第一項に、

バーゼルからアンデルナッハに至る、マインツ城 塞とマンハイム橋頭堡を含む広大なライン左岸地 域のフランスへの割譲が約されていた。ラシュタ ット会議は、その秘密条項を批准する場所なので あり、従って、その会議を通して、フランスの野 心はドイツ人の広く知る所となった。(革命フラン スの領土要求が、フランス絶対主義の自然国境説 の復権に他ならない事は既に明白。)

ラシュタット会議に於ける一連の経緯がドイツ 知識人の間に強いパトリオティスムスを、而も最 後のライヒスパトリオティスムス(帝国愛国主義)

を喚起した事は、最近漸く其詳細が知られ始めた 所である。即ち、1795年4月5日にバーゼルに於て ブランデンブルク=プロイセンとフランスの間で 締結された単独講和条約によって帝国解体が間近 の事実として突き付けられた直後にも拘らず、

様々な仕方で帝国の再編を呼掛ける文書が、1798 年頃から数年間に亙って、次々と世に現れて来る。

それらの著者の中には、革命フランスの現実主義 的政治によって革命への幻想を打ち砕かれライヒ スパトリオティスムスへと「転向」して行った者 も少なくない。彼等は、革命を遂行してフランス の属国となるより、ドイツの自立を望んだのであ る。併し、弱小な領邦国家では大国フランスに対 抗する術も無い事の明らかな彼等にとって、帝国 は最後に頼みとする所である。客観的に見れば、

既に瀕死状態の帝国に斯様な課題が過大なもので ある事は明白であるが、1803年2月25日の帝国代 表者会議主要決議によって最後の望みが断たれる まで、そうした試みは陸続として現れてくる。勿 論、ヘーゲルの『ドイツ国制論』もその一つであ る。

所で、斯様な企図には或る共通の特色が認めら れる。即ち、その関心が、帝国の統一的権力機構 を如何にして再建するか、端的には、統一的な帝 国軍を如何にして整備するか、と云う問題に向け られているのである。敗戦の主因がプロイセン軍 の単独撤収に在る以上、これは現実に対応したも のである。この意味では、ライヒスパトリオティ スムスの内実を帝国軍制改革の要求と規定する事 も強ち不当とは言えない。そして、ヘーゲルの

『ドイツ国制論』も例外ではない。帝国軍制改革 の提案と云う性格が強い。併し、其に尽きない。

そこには、権力の思想を見出そうとする国家哲学 的意図も認められる。此等の点を次回は見る。

はやせ あきら (助教授・ドイツ哲学)

「ドイツ帝国」改革構想

「ドイツ帝国」改革構想

–対仏同盟戦争の敗北がドイツに齎したもの–

早瀬 明

ヘーゲルの

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