一 九 四 三 年 ア メ リ カ
・ ユ ダ ヤ 人 会 議 を め ぐ る 政 治 過 程
⎜
⎜ ホ ロ コ ー ス ト と ユ ダ ヤ
・コ モ ン ウ ェ ル ス
⎜
⎜
池 田 有 日 子
は じめ に 第 1章
一九 四 三 年秋 の アメ リ カ・ シ オニ ズ ム 運動 を めぐ る 状況 第1 節 ナ チ に よる ユ ダヤ 人 大量 虐 殺 第2 節 反 対 勢 力の 動 向⎜
﹁ ジュ ダ イズ ム の ため の アメ リ カ会 議
﹂ と﹁ バ ーグ ソ ン・ グ ルー プ
﹂
⎜ 第3 節 ア メ リ カ・ ユ ダヤ 人 委員 会 との 交 渉 第 2章
アメ リ カ
・ユ ダ ヤ人 会 議開 催 に向 け て 第1 節 ア メ リ カ・ ユ ダヤ 人 会議 の 呼び か け と非
・ 反シ オ ニス ト へ の対 応 第2 節 パ レ ス チナ
・ アラ ブ 人問 題 の浮 上 第3 節 バ ミ ュ ーダ 会 議 第4 節 ア メ リ カに お ける 修 正主 義 派の 活 動 第5 節 ア メ リ カ・ ユ ダヤ 人 会議 に 向け た シ オニ ス トの 草 稿
第 3章
アメ リ カ
・ユ ダ ヤ人 会 議開 催 とそ の 後 第1 節 ア メ リ カ・ ユ ダヤ 人 会議 第2 節 ア メ リ カ・ ユ ダヤ 人 委員 会 の孤 立 お わり に
は じ め に
本稿 の 目的 一九 四三 年九 月
︑ア メリ カの 主 要な ユダ ヤ系 団 体1
が︶
参加 した アメ リ カ・ ユ ダヤ 人会 議に お いて
︑ パ レス チ ナに おい て ユダ ヤ・ コモ ン ウェ ルス2
を︶
建設 する こと を支 持 する
﹂決 議が 採 択さ れた
︒こ こ にお い て︑ アメ リカ
・ シオ ニズ ム運 動 が 掲げ た﹁ ユダ ヤ
・コ モン ウェ ル ス建 設﹂ とい う 目標 に対 し︑ ア メリ カ・ ユダ ヤ 社会 が おお よそ 同意 し たと いえ る︒ 以 降 一九 四八 年の イ スラ エル 建国 ま で︑ アメ リカ
・ シオ ニズ ム運 動 がア メリ カ・ ユ ダヤ 社 会の 政治 活動 を 牽引 して いく こ と とな るの であ る3
︒︶
しか し︑ この こ とは 決し て﹁ 当 然の 成り 行き
﹂ など とい うも の では なか った
︒ 一九 四
〇年 代に 至る ま で︑ アメ リカ
・ ユ ダヤ 社 会に おい てユ ダヤ 人国 家 建設 を目 指す シオ ニ ズム 運動 は︑
二 重の 忠誠 を疑 われ る﹂
反 ユダ ヤ主 義 を 助長 す る
﹂ シオ ン︵ 実際 の 土地 とし ては パ レス チナ
︶へ の 帰還 を強 制さ れ る﹂
アラ ブ 人が 多 数を 占め るパ レ スチ ナに おけ る ユ ダ ヤ 人 国家 の 建 設 は︵ 多 数 者 支 配と し て の︶ 民 主 主 義 に 反 す る﹂ な ど と し て︑ 強 い 批 判 に さ ら さ れ る
﹁マ イ ノ リ テ ィ﹂ 的な 存在 で しか なか った の であ る︒
では
︑な ぜ︑ こ の時 期に
︑そ の アメ リカ
・ユ ダ ヤ社 会で シオ ニ ズム 運動 が広 範 な支 持 を集 める に至 っ たの か︒ 本稿 で は
︑そ の過 程を
︑ 当時 の歴 史状 況 や諸 団体 間の 権 力関 係に 着目 し て明 らか にし て いき た い︒ 問題
の所 在 アメ リカ
・ユ ダ ヤ人 会議 開催 の 約一 年半 前の 一 九四 二年 五月
︑ ニュ ーヨ ーク で ビル ト モア 会議
︵正 式 名称
﹁特 別シ オ ニ スト 会議
﹂︑
T h e E x tr a o rd in a ry Z io n is t C o n fe re n ce
︶が 開 催さ れ
︑シ オニ ズム 運 動が
﹁パ レス チ ナに おけ るユ ダ ヤ・ コ モン ウェ ルス の 建設
﹂と いう 目 標を 初め て公 に 掲げ
︑一 大転 機 を迎 えた
︒ シオ ニズ ム運 動 は︑ 一八 九七 年 の第 一回 シオ ニ スト 会議 で﹁ シ オニ ズム は︑ ユ ダヤ 民 族の ため に︑ 公 に承 認さ れ︑ 法 に よっ て保 証さ れ た︑ ユダ ヤ民 族 のた めの パレ ス チナ の郷 土を
︑ 確保 する よう 努 める も ので ある
﹂と す る﹃ バー ゼル 綱 領
﹄が 採択 され た こと をも って
︑ 本格 的な ナシ ョ ナリ ズム 運動 と して 始動 した
︒ しか し︑ シオ ニ ズム 運動 のナ シ ョナ リズ ム運 動 とし ての 基盤 は 著し く脆 弱な も ので あ った ので ある
︒ 第一 に︑ 領土
・ 国家 建設 の正 当 性と いう 観点 か らす ると
︑パ レ スチ ナの 住民 の 圧倒 的 多数 はア ラブ 人 であ り︑ ユダ ヤ 民 族郷 土・ ユダ ヤ 人国 家を そこ に 建設 する 基盤
・ 正当 性は 極め て 弱か った
︒こ う した 脆 弱性 を克 服す る ため
︑創 始者 テ オ ドー ル・ ヘ ルツ ル
︵
T h eo d o r H er zl :1 86 0 19 04
︶を 初 め︑ シ オニ ズム 運動 は 大国 の支 持・ 支援 獲 得を 求 めて いっ たの で あ る︒ シオ ニズ ム 運動 は︑ 大国 の 警戒 心を 惹起 し ない とい う観 点 から
﹁主 権﹂ を 示唆 する
﹁国 家
︵
st a te
︶﹂ と いう 用語 の 使用 をず っと 避 けて いた
︒ 第二 に︵ 本稿 に おい ては この 点 が重 要で ある が
︶シ オニ ズム 運 動が 主体
・対 象 とし た ユダ ヤ人 は世 界 各地 に離 散し て お り︑ アメ リカ や 西欧 諸国 など ユ ダヤ 人の 同化 や
︑社 会的 上昇 が 可能 なと ころ で は︑ ユ ダヤ 人は 居住 国 家に 強い 政治 的 帰 属意 識・ 忠誠 を 抱く もの が多 か った 点で ある
︒ シオ ニズ ム運 動 は︑ ユダ ヤ・ ナ ショ ナ リズ ムと して 原 理的 には 彼ら も
﹁ユ ダ ヤ・ ネー ショ ン
﹂と して 包摂 す る指 向性 を有 して いた が︑ 彼ら の運 動へ の支 持︵ 最低 でも 反対 され な いこ と︶ が な けれ ば﹁ 一部 の
﹂ 突出 した
﹂運 動 にと ど まる こと にな り︑ ユダ ヤ・ ナ ショ ナ リズ ム とし ての イデ オロ ギー が破 たん し てし ま うと いう 葛藤 を抱 えて い たの であ る︒ こ の点 か らも
︑ シオ ニズ ム運 動 は彼 らの 警戒 や反 対 を引 き 起 こ す﹁ 国 家
﹂と いう 用語 を 公に 掲げ るこ と を従 来避 けて い たの であ る︒ 一九 一七 年に イ ギリ ス政 府が
﹃ バル フォ ア宣 言
﹄を 発表 して
︑ イギ リス がパ レ スチ ナ にお ける ユダ ヤ
・ナ ショ ナル
・ ホ ーム 建設 を支 援 する こと を約 束 し︑ 一九 二〇 年 には イギ リス の パレ スチ ナ委 任 統治 が 開始 され
︑シ オ ニズ ム運 動は イ ギ リス の保 護の も とユ ダヤ 民族 郷 土の 建設 を具 体 化し てい くこ と とな った
︒ しか し︑ 現実 に はパ レス チナ の 住民 の圧 倒的 多 数は アラ ブ人 で あり
︑当 然の よ うに 彼 らは シオ ニズ ム 運動 に反 発し
︑ 一 九三 六年 には
﹁ アラ ブの 大蜂 起
﹂と 呼ば れる 反 シオ ニズ ム闘 争 を起 こし て︑ そ れは パ レス チナ 全土 を 巻き 込む 大規 模 な 暴力 的 衝突 へと 発展 した
︒こ のパ レス チナ にお ける ア ラブ 人と ユダ ヤ人 の 対立 に対 応す るた め に︑ イ ギリ ス 政府 は ピ ール 調査 委員 会 を派 遣す るが
︑ 委員 会は
﹁対 立 の調 停は 不可 能
﹂と いう 判断 の もと
︑ パレ スチ ナを 分 割し アラ ブ人 国 家 とユ ダヤ 人国 家 を建 設す るこ と を提 案し た︒ こ の提 案は アラ ブ 人側 から もシ オ ニス ト 側か らも 反発 さ れま たイ ギリ ス 国 内で も反 対さ れ たた め結 局却 下 され たも のの
︑ イギ リス が﹁ ユ ダヤ 人国 家﹂ を 提示 し たこ とは 以降 シ オニ ズム 運動 が 国 家建 設に 向け た 動き を本 格化 さ せる 一つ の契 機 とな った
︒ イギ リス 政府 は 一九 三九 年に ア ラブ 人側 代表 と ユダ ヤ人 側代 表 を招 待し てロ ン ドン で 円卓 会議 を開 催 する もの の何 ら の 合意 にも 至ら ず
︑一 九三 九年 五 月に パレ スチ ナ への ユダ ヤ移 民 を制 限︑ 最終 的 には 事 実上 停止 させ る
﹁マ クド ナル ド 白 書﹂ を発 表し
︑ バ ルフ ォア 宣言
﹂ を事 実上 無効 化 した
︒イ ギ リス との 交渉 によ り 目標 を実 現し よう とし て いた 運動 指 導者 ワイ ズマ ン
︵
C h a im A zr ie l W ei zm a n n : 18 74
4︶
19 52
︶を 中 心と 展開 され て いた シ オニ ズム 運動 の 従来 の戦 略は 事 実 上破 綻し てし ま った ので ある
︒
新た な対 応︑ 戦 略を 構築 する 必 要を 迫ら れた シ オニ ズム 運動 指 導部 は︑ ベン
・ グリ オン
19 73
︵D a v id B en -G u ri o n : 18 86
初代 イ スラ エル 首相︶ を中 心に その 活 路を
﹁ア メリ カ
﹂に 求め るよ う にな り︑ 指導 者自 らが 幾度 もア メ リカ に渡 る よう にな った
︒ しか し︑ 先述 し たよ うに
︑従 来 アメ リカ
・ユ ダ ヤ社 会に おい てシ オ ニズ ム運 動は
﹁二 重 の 忠誠 を疑 われ る﹂
反 ユダ ヤ 主義 を助 長す る
﹂な どと して
︑ とり わけ 同化 の 進ん だド イツ 系 ユダ ヤ人5
か︶
ら反 発を 受 けて いた ので あ る︒ それ を理 解 し てい たベ ン・ グ リオ ンは
︑当 初 大々 的な キャ ン ペー ンを 行う こ とは 避け
︑ア メ リカ
・ シオ ニス ト団 体 に対 し﹁ ユダ ヤ 軍 創設
﹂ ユダ ヤ人 国 家建 設﹂ に向 け た世 論動 員を 行 うよ う内 々で の 説得 を試 みた
︒ 当初 は︑ シオ ニ スト です ら﹁ ユ ダヤ 軍創 設﹂ や
﹁ユ ダヤ 人国 家
﹂な どと いっ た
︑ユ ダ ヤ・ ナシ ョナ リ ズム を顕 著に 打 ち 出す 路線 には 抵 抗を 示し てい た が︑ 一九 四一 年 五月 二九 日︑ イ ギリ スの イー デ ン外 相
︵
A n th o n y E d en : 18 97 19 77
︶ が
﹁ア ラブ の大 統 一﹂ とい う案 を 全面 的に 支援 す るこ とを 内容 と する 声明 を発 表 した り6
︑︶
ヨー ロ ッパ に おけ るユ ダヤ 人 虐 殺の ニュ ース が アメ リカ にも 入 って くる よう に なっ たり する な か︑ よう やく 一 九四 二 年五 月に ビル ト モア 会議 開催 に 至 り︑
ユダ ヤ
・コ モ ンウ ェル スの 建 設﹂ とい う目 標 を正 式に 掲げ る こと にな った の であ る︒ これ を受 けア メ リカ
・シ オニ ス ト指 導部 は︑ ア メリ カ・ ユダ ヤ 社会 から 広範 に この
﹁ ユダ ヤ・ コモ ン ウェ ルス
﹂建 設 へ の支 持を 獲得 す るこ とを 目指 し た︒ その 際︑ と りわ けア メリ カ・ ユダ ヤ 人委 員会
︵
A m er ic a n Je w is h C o m m it te e
︶の 動 向が 重要 であ っ た︒ アメ リカ
・ ユダ ヤ人 委員 会 とは
︑一 九〇 六 年の 東欧
・ロ シ アで の ポグ ロム を背 景 に︑ アメ リカ に お ける ユダ ヤ人 の 地位 向上 とア メ リカ 国外 のユ ダ ヤ人 支援 を目 的 に設 立さ れた 団 体で あ り︑ 極め て富 裕 なド イツ 系ユ ダ ヤ 人に よっ て構 成 され てい た︒ そ のた め︑ アメ リ カ・ ユダ ヤ社 会 で強 い影 響力 を 有し て いた と同 時に
︑ 政府 との つな が り も強 かっ た︒ シ オニ スト 指導 部 にと って
︑ 彼ら の支 持を 獲得 で きな けれ ば︑
ユ ダヤ
・ コモ ンウ ェル ス 建 設﹂ へ の支 持 がア メリ カ・ ユ ダヤ 社会 の総 意 であ るこ とを 示 すこ とは 難し い と考 えら れた の であ る
︒
しか しな がら
︑ 先述 した よう に ドイ ツ系 ユダ ヤ 人の シオ ニズ ム 運動 に対 する 反 発は 根 強く
︑ま して 実 際に
﹁ユ ダヤ
・ コ モン ウェ ルス 建 設﹂ を掲 げる と いう こと への 彼 らの 支持 を獲 得 する こと には 大 きな 困 難が 存在 した
︒ さら に︑ アメ リ カ・ シオ ニズ ム 運動 指導 部は
︑ 明確 に反 シオ ニ ズム 運動 を掲 げ る﹁ ジ ュダ イズ ムの た めの アメ リカ 会 議
︵
T h e A m er ic a n C o u n ci l f o r Ju d a is m
︑以 下A C J︶
﹂ やパ レ スチ ナか ら渡 米 して き た青 年を 中心 と する シオ ニズ ム 右 派の 修正 主義 派7
の︶
﹁バ ー グソ ン
・グ ルー プ﹂ な どへ も︑ 同時 に 対応 しな けれ ば なら な かっ たの であ る
︒ 以上 を前 提と し て︑ 本稿 では
︑ 当時 アメ リカ
・ シオ ニズ ムの 政治 活 動の 中心 であ った 緊 急 委員
C o m m it te e fo r Z io n is t A ff a ir s
会︵th e E m er g en cy
︶︑ アメ リカ
・シ オニ ス ト機 構指 導部
︵
Z io n is t O rg a n iz a tio n o f A m er ic a
︑以 下Z O A︶ の
︑ア メリ カ・ ユ ダヤ 人委 員会
︑ AC J︑ バー グ ソン
・グ ルー プ への 対応 や関 係 に着 目 しな がら
︑い か なる コン テク ス ト で一 九四 三年 ア メリ カ・ ユダ ヤ 人会 議が 開催 さ れる に至 った の か︑ また その 帰 結は い かな るも ので あ った のか を検 証 し たい
︒そ の際
︑ 彼ら のパ レス チ ナ・ アラ ブ人 に 関す る議 論に つ いて も射 程に 入 れる こ とと する
︒
第 1 章 一 九 四 三 年 秋 の ア メ リ カ
・ シ オ ニ ズ ム 運 動 を め ぐ る 状 況
第 1 節 ナ チ によ る ユ ダ ヤ 人 大 量虐 殺 ちょ
うど ビル ト モア 会議 が開 催さ れた 一九 四二 年 五月
︑﹃ ニ ュー ヨー ク・ タ イム ズ﹄ が﹁ バ ルカ ン諸 国で 一
〇万 人以 上 のユ ダヤ 人が ナ チス
・ド イツ に よっ て殺 され て いる
﹂と いう 報 告を 掲載 した
︒ この 時 期︑ ナチ スに よ るユ ダヤ 人大 量 虐 殺の ニュ ース は
︑具 体的 な数 字 を伴 って アメ リ カに 入っ てく る よう にな って い たの で ある8
︒︶
さ らに 六 月二 六日 の﹃ ボ ス トン
・グ ロー ブ
﹄は
︑ア メリ カ で最 初に ブン ド9
の︶
報 告を 掲載 し︑
ポー ラン ドに お ける 組織 的な 虐殺 によ り これ まで
に 七〇 万人 以上 が 殺害 され てい る
﹂と して
︑ナ チ のユ ダヤ 人の 虐 殺が 従来 的な
﹁ ポグ ロ ム﹂ の域 を超 え た︑ 組織 的計 画 に 基づ くも ので あ るこ とを 示唆 し た10
︒︶
そし て︑ 六 月二 九日 には
︑ 世界 ユダ ヤ人 会 議11
の︶
代 表が ロン ドン で 記者 会見 を行 い
︑ 一
〇〇 万人 以上 の ユダ ヤ人 が殺 害 され てい る こと
︑ こう した 殺害 が ナチ の﹁
ユダ ヤ 人︶ 絶 滅計 画﹂ に 基づ く もの であ る こと に言 及し た12
︒︶
七月 に 入 ると
﹃ ニュ ー ヨー ク・ タイ ムズ
﹄は
︑ ナ チは パリ にお い てユ ダヤ 人を 一斉 検 挙
:
お そら く 二万 人の 異邦 人 が東 へ送 られ る13﹂︶
と報 じ
︑ま た 大規 模な 絶滅 を 目的 とす るワ ル シャ ワ ゲッ トー から の 追放 のニ ュー ス も 報じ られ てい た14
︒︶
こう した 状況 に あっ た八 月二 八 日︑ 世界 ユダ ヤ 人会 議の ジュ ネ ーヴ 代表 であ る リー グ ナー
︵
G er h a rd R ie g n er
︶ の報 告 がワ イズ
︵
S te p h en S a m u el W is e: 18 74 19 49
15︶
︶に 渡 った
︒そ れは
︑ ヒト ラー が ヨー ロッ パ のユ ダヤ 人を 組 織的 に絶 滅
︵
a n n ih ila te
︶す るこ とを 決 意し
︑そ のた め にガ スを 使用 し てい る こと を内 容と し てい た16
︒︶
ワ イズ はル ーズ ベル ト政 権 の国 務次 官補 に 救済 を要 請し た が︑ 国務 次官 補 はそ の情 報を 公 表す る前 に国 務 省の 確 認を 待つ よう に 主張 し︑ ワイ ズ も この 要請 に応 じ た︒ そし て︑ 一一 月 二四 日に 国務 次 官補 はワ イズ を 国務 省に 呼び だ し︑ リー グナ ー の報 告 の正 しさ を認 め た︒ ワイ ズは 記 者 会見 を召 集し て
︑つ いに リー グ ナー の報 告を 公 表す るに 至っ た ので ある17
︒︶
こう して ア メリ カに おい て ナチ スに よる ユ ダ ヤ人 絶滅 計画 の 試み が公 式に 知 られ るよ うに な った
︒ 第2 節 反対 勢力 の 動向
⎜﹁ ジュ ダ イズ ムの ため の アメ リカ 会議
﹂ と﹁ バー グソ ン
・グ ルー プ﹂
⎜ ナチ
スの ユダ ヤ 人虐 殺報 道の 本 格化 を背 景に
︑ アメ リカ
・シ オ ニズ ム運 動へ の 支持 が アメ リカ 社会 全 体に おい て拡 大 し てい るこ とに 危 機感 を抱 く人 々 も存 在し た︒ そ うし たユ ダヤ 教 改革 派を 中心 と する 人 々が
︑明 確な 反 シオ ニス ト団 体
と して の﹁ ジュ ダ イズ ムの ため の アメ リカ 会議
︵
T h e A m er ic a n C o u n ci l f o r Ju d a is m
︑以 下 AC J
︶﹂ を設 立し たの で あ る︒ もと もと ドイ ツ 系を 中心 とす る ユダ ヤ教 改革 派 の間 では
︑シ オ ニズ ムに 対す る 警戒 感 が強 く︑ 改革 派 ラビ の団 体で あ る アメ リカ
・ラ ビ
・中 央評 議会
︵
T h e C en tr a l C o n fe re n ce o f A m er ic a n R a b b is
︑以 下 CC AR
︶が す でに 一八 九七 年 の 年次 大 会で
﹁ ユダ ヤ人 国家 を 建設 しよ うと す る い かな る 試 み にも 反 対 す る﹂
ユ ダ ヤ教 は 政 治 的 なも の で は なく ナ シ ョナ ルな もの で もな く︑ 精神 的 なも の﹂ とす る 決議 を採 択し て いた18
︒︶
シ オニ ズ ム運 動 への 反対 は第 一 次世 界大 戦の と き に頂 点を 迎え
︑ 当時 のC CA R の総 裁は
﹁ア メ リカ
・ユ ダヤ 人は アメ リ カ・ ネー シ ョン の一 部﹂ で ある とし て︑
パレ ス チナ がユ ダヤ 人 のホ ーム ラン ド とな るべ きと す る思 想﹂ に対 し て繰 り返 し反 対 を表 明 して いた19
︒︶
しか しバ ルフ ォ ア宣 言を 経て 一 九二
〇年 代に な ると 次第 にパ レ スチ ナが ユダ ヤ 人の 文 化的 宗教 的中 心 にな るこ とに つ い ては 支援 する と いう 方向 に向 か い︑ さら に一 九 三〇 年代 には 反 ユダ ヤ主 義の 激 化や 改 革派 の指 導権 を 急進 的シ オニ ス ト 指導 者と なる シ ルバ ー︵
A b b a H ill el S ilv er : 18 93 19 63
20︶
︶ら が 掌握 して いっ た こと を 背景 に︑ 反シ オ ニズ ム的 な立 場 は 和ら いで いっ た
︒一 九三 五年 の 年次 大会 では
︑ C CA Rは シオ ニ ズム の問 題に 対 して 何ら の公 的 な立 場を 採ら な い﹂ と いう 決議 が採 択 され
︑三 七年 に は一 八九 七年 に シオ ニズ ム運 動 に正 式・ 明確 に 反対 し てい た﹃ ピッ ツ バー グ綱 領﹄ に 代 えて
︑新 たに
﹃ コロ ンバ ス綱 領
﹄を 採択 して い た︒ それ は﹁ ユ ダヤ 教は イス ラ エル を その 肉体 とす る 魂で ある
﹂と し
︑ パ レス チナ に関 し ては
﹁我 々は 抑 圧さ れた 難民 の 天国 とい うだ け でな く︑ ユダ ヤ 人の 文 化的 精神 的生 活 の中 心と して ユ ダ ヤ・ ホー ムラ ン ドの 建設 を支 援 する こと が︑ す べて のユ ダヤ 人 の義 務で ある こ とを 確 認す る﹂ とし て いた
︒し かし
︑ この 決議 の採 択は
︑ わず か一 票差 で なさ れた もの で あり
︑そ れ は改 革派 ラビ の間 に おけ る根 強い 反シ オニ ス ト感 情の 存 在を 示唆 して い た﹂ とさ れる21
︒︶
こう した 反シ オ ニス ト感 情・ 勢 力は
︑ア メリ カ にお ける シオ ニ ズム 運動 が活 発 化し
︑ とり わけ ユダ ヤ 軍創 設22
が︶
提示 さ
れ ると 一層 強ま っ てい った
︒四 二 年一 月に 開催 さ れた CC AR 年 次大 会に おい て
︑三 三 名の シオ ニス ト
・ラ ビに よっ て ユ ダヤ 軍 創設 を支 持す る決 議が 提 出さ れ六 四対 三八 で 採択 され たが
︑二 三 六 名の ラビ はそ れを 見 越し て出 席し てい な か った ので ある23
︒︶
一 九 四 二 年 三 月 一 八 日
︑シ オ ニ ス ト の 影 響 力 に 対 抗 し リ ベ ラ ル な ユ ダ ヤ 人 世 論 の 形 成 を 目 指 し た 改 革 派 の 雑 誌
﹃
Je w is h A d v a n ce
﹄ の編 集長 であ る ウォ ルゼ イ︵
W o ls ey L o u is : 18 77 19 53
︶は
︑C CA R 大会 のユ ダヤ 軍 決議 の 結果 に つい て検 討す る ため
︑他 の反 シ オニ スト 的な 改 革派 ラビ と会 合 を開 いた
︒彼 ら は﹁ 改 革派 ユダ ヤ教 の 活性 化の 必要
﹂ ユダ ヤ・ ナシ ョナ リ ズム への 反対
﹂ に合 意し
︑さ ら にア トラ ンテ ィッ ク 市で 改革 派 運動 内に おけ る状 況を 議 論す るた め に会 議を 開催 す るこ とと した
︒ 四月 一五 日に 会 議へ の招 待状 が 発送 され たが
︑ それ は
﹁ユ ダヤ 教と ユ ダヤ 人が 世界 の 危 機的 状況 のな か で直 面し てい る 問題 を議 論す る ため
︑非 シオ ニ スト 改革 派ラ ビ の会 議 を開 催す るこ と
﹂︑ ユダ ヤ教 の 人 種的 でナ ショ ナ リス ティ ック な 側面 の強 調は
︑ ユダ ヤ人 に対 し ても 政治 的社 会 的精 神 的に
︵ユ ダヤ 教 とは
︶逆 の影 響 と 与え るも ので あ る﹂ とし てい た24
︒︶
六月 一日 に会 議 が開 催さ れ︑ C CA Rの 前総 裁 六名 を含 む三 六 名の ラビ が出 席 した
︒ そこ では
︑シ オ ニズ ムに 反対 す る ため には 組織 化 の必 要が ある と して
︑そ れを 検 討す るた めの 委 員会 を創 設す る こと が 承認 され た︒ し かし 過激 派と 穏 健 派と の立 場や 方 向性 をめ ぐる 齟 齬か ら声 明の 発 表は 遅れ
︑よ う やく 八月 の第 二 週に
﹃ 非シ オニ スト
・ ラビ によ る原 則 に 関す る声 明﹄ と して 公表 され た
︒そ れは
︑ 戦後 の ユダ ヤ人 の権 利
﹂を 強調 し︑
ユダ ヤ人 の魂 にと っ ての パレ スチ ナ の 重要 性と パレ ス チナ のユ ダヤ 人 のナ ショ ナリ ス テッ クで はな い
︑経 済的 文化 的 精神 的 努力
﹂へ の支 持 を表 明し たう え で
︑ユ ダヤ 教の 普 遍性 を強 調し 政 治的 シオ ニズ ム を拒 絶す るも の だっ た25
︒︶
一一 月 二日 に
︑正 式な 組織 創 設に 向け た計 画 を 検討 する ため に フィ ラデ ルフ ィ アで ウォ ルゼ イ の主 催す る集 会 が開 催さ れ︑ 一 二月 一 一日 にウ ォル ゼ イは
﹁ユ ダヤ 人 国 家︑ ユダ ヤ人 の 旗︑ ユダ ヤ軍 に 反対
﹂し
︑ アメ リ カの ユダ ヤ人 大 多数 の見 解を 代 表﹂ し︑
ア メリ カ のユ ダヤ 教に お
け る最 も大 規模 な 制度 にす る﹂ こ とを 謳っ た︑
ジュ ダイ ズム のた め のア メリ カ会 議
︵
A m er ic a n C o u n ci l fo r Ju d a is m
︑ A CJ
︶﹂ の創 設を 発 表し た26
︒︶
こう して 四二 年 末︑ アメ リカ
・ シオ ニズ ム運 動 指導 部は AC J とい う明 確な 反 対勢 力 に対 応し なけ れ ばな らな くな っ て いた
︒そ れと 同 時に
︑彼 らは
︑ 修正 主義 派シ オ ニス トで ある バ ーグ ソン
・グ ル ープ の 活動 に対 して も
︑新 たな 対応 を 迫 られ るよ うに な って いた ので あ る︒ バー グソ ン・ グ ルー プは
︑ヨ ー ロッ パに おけ る ユダ ヤ人 大量 虐 殺と いう 問題 が 全面 的 に表 面化 する よ うに なっ たこ の 時 期︑ その アジ ェ ンダ を﹁ ユダ ヤ 軍創 設﹂ から
﹁ ヨー ロッ パ・ ユ ダヤ 人の 救済
﹂ へと シ フト させ た27
︒︶
四 二年 一一 月一 七 日 に︑ 彼ら はマ ン ハッ タン
・セ ン ター でラ リー を 主催 し︑ 三〇
〇
〇人 が集 結し た うえ に
︑議 員か らも 支 持を 表明 する 声 明 が送 られ
︑ギ リ シャ
︑ポ ーラ ン ド︑ オラ ンダ
︑ ユー ゴス ラビ ア など の大 使や 代 表か ら もメ ッセ ージ が 寄せ られ た︒ そ し て︑ この ラリ ー は︑ メデ ィア で も大 々的 に報 道 され た28
︒︶
この よう に一 九 四二 年秋
︑自 ら の管 轄外 にあ っ て自 らの 立場 に 脅威 を与 える 諸 勢力 と 対抗 しな けれ ば なら ない 状況 で ア メリ カ・ シオ ニ スト 指導 部が ビ ルト モア 宣言 を 土台 にア メリ カ
・ユ ダヤ 人の
﹁ 団結
﹂ を達 成す るた め には
︑A JC と の 関係 をい かな る もの にし てい く のか が一 層重 要 な課 題と なっ て いた
︒ 第 3 節 ア メ リカ
・ ユ ダ ヤ 人 委 員会 と の 交 渉 AJ
Cの 支持 の 獲得 は︑ アメ リ カ・ シオ ニズ ム 運動 指導 部に と って のみ なら ず
︑ワ イ ズマ ン︑ ベン
・ グリ オン ら世 界 シ オニ ズム 運動 指 導部 にと って も 極め て重 要な 意 味を 有し てい た29
︒︶
ビル ト モア 会 議直 後 の五 月一 二日
︑ 緊急 委員 会は
︑ AJ Cの
︶ヴ ェ ルト ハイ ム︵
M a u ri ce W er th ei m : 18 86 19 50
︶に
︑﹃ ビル トモ ア会 議 の決 定 はシ オニ スト の 綱領 を構
成 する
﹄と 伝え る 書簡 を送 る﹂ と いう ベン
・グ リ オン の提 案を 承 認し て30
︑︶
AJ C との 交 渉を 本格 化さ せ た︒ 六月 五日 に は ベン
・グ リオ ン とヴ ェル トハ イ ムの 間で
︑ 委任 統 治下 にお ける ユ ダヤ 人の 権利 を 守る ため の統 一 行動
﹂ 無制 限の ユ ダ ヤ移 民と その 定 住を 通じ たバ ル フォ ア宣 言の 実 現﹂
パレ ス チナ のユ ダヤ 人が 多数 を 形成 した 場合 には
︑す べて の住 民 が人 種や 宗教 に 関係 なく 平等 な 権利 を享 受 する 自治 的な ユダ ヤ・ コモ ンウ ェル ス を建 設 する
﹂ コ モン ウェ ルス の建 設 は他 の国 家の 市 民で ある ユダ ヤ 人の 立場 を 侵害 しな い﹂ と する 内 容の 合意 が成 立し た31
︒︶
ベン
・ グリ オン は︑
多 数を 形 成し た場 合﹂ と いう 留保 条件 や﹁ 自 治 的な コモ ンウ ェル ス
﹂と いっ た 表現 によ って
︑ ユ ダヤ 人国 家﹂ を 警 戒す るA J C側 に譲 歩す る こと で︑ 彼ら と の共 闘を 達成 し
︑ア メリ カ・ ユ ダヤ 人の
﹁団 結
﹂を は かろ うと した と いえ る32
︒︶
これ を受 けA J Cの パレ スチ ナ に関 する 委員 会 であ るカ ース テ ィン 委員 会が 議 論を 行 い︑ その 結果
﹁ パレ スチ ナ以 外 で のユ ダヤ
・ナ ショ ナリ ズ ムは
︑ あく まで
︶ 共通 の宗 教・ 文化 的 遺産 に基 づく も ので あ るべ きで ある
﹂ とす る︑ 政治 的 な シオ ニズ ムを 一 切否 定す る一 文 を挿 入す るこ と とし た︒ ベン
・ グリ オン もヴ ェ ルト ハ イム もこ の措 置 を拒 否し
︑結 局 こ の時 点で シオ ニ ズム 運動 はA J Cと の合 意を 達 成す るこ とは で きな かっ た33
︒︶
そ のよ う な状 況の まま
︑ 四二 年夏 には A J C内 部に おい て 反シ オニ スト 勢 力が 強く なり
︑ シオ ニス トと の 合意 形成 に積 極 的だ っ たヴ ェル トハ イ ムは 劣勢 に置 か れ
︑最 終的 に一 二 月五 日に カー ス ティ ン委 員会 は
︑シ オニ スト と の合 意に 失敗 し たこ と を正 式に 発表 し たの であ る34
︒︶
しか し︑ AJ C との 合意 達成 は 失敗 した もの の
︑情 勢は さら に シオ ニズ ム運 動 の主 張 への 支持 拡大 を 促進 する もの と な って いっ た︒ ナ チの ユダ ヤ人 絶 滅政 策の 発表 を 背景 に︑ 一二 月 五日 の﹃ ニュ ー ヨー ク
・タ イム ズ﹄ は
﹁上 院・ 下院 が パ レス チナ に関 す る請 願で 一致
﹂ とし て﹁ 六三 名 の上 院議 員と 一 八一 名の 下院 議 員が ド イツ によ るユ ダ ヤ人 の大 量殺 害 に 決然 とし てと り かか るこ と﹂ や
﹁パ レス チナ に ユダ ヤ民 族郷 土 を回 復さ せる と いう ア メリ カの 宣言 と 伝統 的な 政策 を 支 持す る﹂ とい う 共同 声明 を報 じ た35
︒︶
こう して 広 くア メリ カ社 会 のな かで ユダ ヤ 人虐 殺 の問 題︵ 難民 問 題︶ とパ レス チ ナ
・ユ ダヤ 民族 郷 土︵ ユダ ヤ人 国 家︶ とを リン ケ ージ させ る言 説 が流 布す るよ う にな っ てい たの であ る
︒
こう した シオ ニ ズム への 支持 の 拡大 を背 景に
︑ アメ リカ
・シ オ ニス ト機 構の 機 関誌 で ある
﹃ニ ュー
・ パレ スチ ナ﹄ は
︑ そ の編 集 記に おい てA CJ を﹁ 裏切 り行 為﹂
臆病
﹂ 利己 主 義﹂ と し て 激 し く攻 撃 す る︑ 反
・反 シ オニ ス ト・ キャ ン ペ ーン を開 始し た36
︒︶
反シ オ ニズ ム 運動 を明 確に 掲 げる AC Jの 存 在そ のも のが
︑ シオ ニ スト の目 標・ 政 策に 向け たア メ リ カ・ ユダ ヤ人 の
﹁団 結﹂ の試 み を大 きく 阻害 す るこ とは もち ろ んで ある
︒さ ら にシ オ ニズ ム運 動へ の 従来 から の批 判 の 一つ であ る﹁ パ レス チナ
・ユ ダ ヤ人 国家 は民 主 主義 に反 する
﹂ とい う彼 らの 主 張は37
︑︶
とり わけ アメ リ カ・ シオ ニズ ム 運 動に とっ ては そ の正 当性 に関 わ る重 要な 問題 で あっ た︒ 加え て
︑パ レス チナ
・ ユダ ヤ 人国 家の 建設 が 中東 にお ける ア メ リカ の権 益を 損 なう こと を懸 念 する 国務 省 にと っ て︑
パレ ス チナ
・ ユダ ヤ人 国家 は 民主 主義 に反 する
﹂と いう 彼ら の 主張 はシ オニ ズ ム運 動の 影響 力 の拡 大を 防ぎ
︑ 最終 的に はア メ リカ の対 パレ ス チナ 関 連の 政策 決定 過 程に おけ るシ オ ニ ズム 運動 の影 響 力を 減じ させ る 意義 があ った の であ る38
︒︶
その た めア メリ カ・ シ オニ ス ト指 導部 はA C Jに つい ては 徹 底 的に 排除 する 方 針を 採用 して い たと いえ るが
︑ さら にこ うし た 攻撃 はA JC を 初め シ オニ ズム 運動 に 反対 もし くは 距 離 をと ろう とし て いた 非シ オニ ス ト勢 力に 対す る
﹁脅 し﹂ とし て の側 面も 有し て いた と 考え られ る︒ 以上 のよ うな 戦 略を 前提 とし て
︑ア メリ カ・ シオ ニス ト指 導部 は︑
パ レス チナ に おけ るユ ダヤ
・コ モ ン ウェ ル ス建 設
﹂と いう 目標 へ のア メリ カ・ ユ ダヤ 社会 全体 の 支持 獲得 に向 け た動 きを 本格 化 させ て いく ので ある
︒
第 2 章
ア メ リ カ
・ ユ ダ ヤ 人 会 議 開 催 に 向 け て
第 1 節 ア メ リカ
・ ユ ダ ヤ 人 会 議の 呼 び か け と 非
・ 反シ オ ニ ス ト へ の 対応 一九
四三 年一 月 六日
︑ブ ナイ
・ブ リス
︵
B n a i B ri th :
﹁契 約の 息 子﹂ の意
︒一 八 四三 年 に設 立さ れた ユ ダヤ 人の 互助 組
織
︶総 裁モ ンス キ ー︵
H en ry M o n sk y : 18 90
39︶
19 47
︶ は︑
アメ リカ のユ ダヤ 人 は︑ 戦後 の講 和 会議 にお いて 全 ユダ ヤ人 を 代表 しな けれ ば なら ない
﹂ ヨー ロ ッパ のユ ダヤ 人 の戦 後の 再 建に 向け た︑ ア メリ カ・ ユダ ヤ人 の統 一さ れ た計 画を 作 成す る必 要が あ る﹂ とし て︑ 三 四の ユダ ヤ系 全 国組 織に 対し
︑ 三週 間以 内に 開 催さ れ る予 定の 予備 的 な集 会へ の参 加 を 呼び かけ た40
︒︶
こ うし た試 みの 主 導権 自体 はシ オ ニス トが 掌握 し てい たが
︑彼 ら はア メ リカ
・ユ ダヤ 人 社会 全体 の団 結 と いう 観点 から
︑ シオ ニス ト系 団 体で はな いブ ナ イ・ ブリ スに よ って 呼び かけ る とい う 体裁 をと った41
︒︶
実際 に一 九四 三 年 一月 二三 日か ら 二四 日に かけ て ピッ ツバ ーグ に 七六 名の ユダ ヤ 人指 導者 が集 結 した が
︑そ の大 部分 は シオ ニス トだ っ た ので ある42
︒︶
この 予備 的会 議 は︑ AJ Cの 代 表者 が参 加し な いま ま︑ アメ リ カ・ ユダ ヤ 人会 議︵
a ss em b ly
︶ の開 催 を決 定し た︒ こ の アメ リカ
・ユ ダ ヤ人 会議 は︑ 民 主的 に選 出さ れ た五
〇〇 名の 代 表が 参加 する こ とに な って おり
︑こ の 五〇
〇名 のう ち 一 二五 議席 は各 全 国組 織の 代表 に よっ て構 成さ れ
︑残 りの 議席 は 各地 方コ ミュ ニ ティ の 人口 比に 基づ い てコ ミュ ニテ ィ で 選出 され る代 表 者に よっ て構 成 され るこ とに な って いた
︒つ ま り︑ この 会議 は
︑A J C抜 きで も﹁ パ レス チナ にお け る ユダ ヤ・ コモ ン ウェ ルス 建設
﹂ に対 しア メリ カ
・ユ ダヤ 社会 全 体が 支持 して い るこ と を示 しう るよ う 設定 され てい た の であ る︒ AJ Cの 側も こ のこ とを 認識 し
﹁シ オニ スト は︑
アメ リカ
・ユ ダヤ 人︶ 委 員会 指 導部 との 暫定 協定 達成 の 失敗 に失 望 し︑ ユダ ヤ・ コ モン ウェ ルス の 要求 も含 むい わ ゆる ビル トモ ア 綱領 のシ オニ ス トの 最 大限 計画 に対 す る大 衆の 支持 を 獲 得す るた めに
︑ 可能 な限 り多 く のシ オニ スト 的 傾向 を持 つ組 織 を掌 握す る決 断 をし た
﹂と して
︑シ オ ニス トと の交 渉 を AJ Cの 大会 後 の三 一日 以降 に 行う
︑性 急に 反 応す べき では な くま ずは AJ C 内部 に おけ る対 応を 確 定す るこ とと し た43
︒︶
そし て一 九四 三 年一 月三 一日 に 開催 され たア メ リカ
・ユ ダヤ 人 委員 会第 三六 回 大会 で は︑ 反シ オニ ス トの プロ スカ ー
︵
Jo se p h M .P ro sk a u er : 18 77 19 71
︶ が総 裁 に選 出さ れ︑
戦後 のユ ダヤ 人の 回 復に あた って
︑ パレ スチ ナの み に期 待す る こと はで きな い
﹂と して
︑ パレ ス チナ の最 終的 な 将来 像を あら かじ め 示す 定式 はな い﹂
︑ 国連 のも とで の 国際 的信 託 統治 が当 面は 最 善の 提案
﹂な ど と︑ 以前 に採 用 して いた パレ ス チナ
・ユ ダヤ
・ ナシ ョ ナル
・ホ ーム へ の共 感か ら後 退 す る決 議を 採択 し たの であ る︒ そ して 採択 され た 声明 を土 台に し てシ オニ スト 組 織と の 交渉 を再 開す る 権限 を指 導部 に 付 託し た44
︒︶
以降 モン スキ ー とA JC 総裁 プ ロス カー との 間 で交 渉が 行な わ れた が︑ AJ C は︑ ア メリ カ政 府や 他 の政 府と の交 渉 の 権限 をも つ擬 似 政府 的な ユダ ヤ 人代 表機 関の 設立 に反 対し
︑会 議 の 名称 を
A ss em b ly
か ら
C o n fe re n ce
へ 変 更す るよ う 要求 した
︒交 渉 は難 航し
︑三 月 二六 日に プロ ス カー はモ ンス キ ーに 対し
﹁A J Cは ユ ダヤ 人を
︵ア メ リカ 国民 とは
︶ 別 個の 政治 的民 族 集団 とす るよ う ない かな るプ ロ ジェ クト にも 反 対し てい る︒
A m er ic a n Je w is h A ss em b ly
とい う名 称 に はそ のよ うな 含 意が ある
﹂と し て︑ 三一 日に は AJ Cは
A ss em b ly
に参 加し な いこ と を発 表し た︒ し かし 同時 にモ ン ス キー に対 して 交 渉の 余地 は残 し てあ るこ とを 示 唆す る書 簡も 送 って いた
︒こ れ を受 け て︑ アメ リカ
・ ユダ ヤ人 会議 開 催 のた めの 執行 委 員会 は︑ AJ C の参 加を 可能 と する ため に︑ 四 月一 七日 に名 称 を
“A m er ic a Je w is h C o n fe re n ce ”
へと 変 更す るこ とを 決 定し た45
︒︶
他方
︑一 九四 三 年一 月五 日︑ A CJ の指 導者 は
︑す でに シオ ニ スト 勢力 が勢 い を増 し てい たC CA R の代 表者 との 間 で 開か れた 会合 に おい て︑ CC A Rが シオ ニズ ム に対 して 中立 で ある とい う内 規 を採 択 する こと を条 件 に︑ 組織 の解 体 を 迫ら れて いた
︒ しか し代 表の ウ ォル ゼイ は解 散 を拒 否し
︑一 八 日に 開か れた 二
〇名 の ラビ が集 まっ た 会合 にお いて も
︑ 幾 人か の脱 退者 を 出し たも のの
︑ 解散 しな いこ と を決 定し た︒ そ して 二月 四日 に はウ ォ ルゼ イは CC A R総 裁に 対し
︑ 解 散し ない まま C CA Rに は留 ま るつ もり であ る こと を伝 えた46
︒︶
そう した 状況 へ の活 路 を求 めて
︑A C Jは AJ Cの 新 総 裁と なっ た︑ 反 シオ ニス ト的 傾 向の 強い プロ ス カー との 接触 を 試み た47
︒︶
しか し
︑彼 は 非公 式に はA C Jへ の共 感を 示
し たも のの
︑ 個人 的 にも 組織 とし て も援 助を 与え る こと はで き ない
﹂ と主 張し48
︑︶
A CJ は組 織と して おお よ そ孤 立状 態 に陥 って いた
︒ さら にア メリ カ
・シ オニ スト 指 導部 の反 シオ ニ スト
・キ ャン ペ ーン は︑ 年が 明 けて い よい よ激 しさ を 増し た︒ 一月 八 日 の﹃ ニュ ー・ パ レス チナ
﹄の 編 集記 は﹁ ユダ ヤ 人が 民族 であ る とい う思 想に 対 して 彼 らは 反対 して い るが
︑彼 らは ユ ダ ヤ人 のラ イフ お いて マイ ノリ テ ィに 過ぎ ない
︒ 彼ら は時 間を 戻 しユ ダヤ 人を 永 遠に 諸 国民 の間 をさ ま よう 漂流 者の ま ま にし
︑シ オン の 再生 とい う希 望 をパ レス チナ に おい て達 成し た とい う偉 大な 発 展を 覆 そう とし てい る
︒彼 らは 失敗 す る だろ う︒ 彼ら は 失敗 せざ るを 得 ない
︒な ぜな ら 彼ら はす べて の 事実 とユ ダヤ 民 族の す べて の希 望と 努 力に 直面 して も
︑ 逃 避し よう とし て いる から であ る
﹂と 非難 する 記 事も 掲載 され て いた49
︒︶
二 月五 日 にも
﹁ 反シ オニ スト に 対す る論 理的 批 判
﹂と いう 記事 が 掲載 され50
︑︶
二月 一九 日の 編集 記 も﹁ 反シ オニ ス トは 恵ま れて い るた め に民 族の 精神 と 魂が 理解 でき な い
﹂な どと 述べ て いた ので ある51
︒︶
この よう に︑ ア メリ カ・ シオ ニ スト 指導 部は
︑ AJ Cに 対し て はか なり の譲 歩 した う えで の共 闘を
︑ AC Jに つい て は 徹底 した 攻撃 に よっ て孤 立さ せ る戦 略を 採用 し てい た︒ 第 2 節 パ レ スチ ナ
・ ア ラ ブ 人 問題 の 浮 上 こう
して ナチ に よる ユダ ヤ人 絶 滅計 画公 表 後の 騒然 とし た状 況 のな か︑
ユダ ヤ 難民 の救 済﹂ と
﹁パ レ ス チナ
・ ユダ ヤ 人国 家の 建設
﹂ のリ ンケ ージ が アメ リカ 社会 全 体に おい て自 明 性を 帯び つつ あ った
︒ それ と同 時に パ レス チナ
・ア ラ ブ 人の 問題 も従 来 とは 異な る形 で 取り 上げ られ る よう にな った
︒ 四三 年一 月に
﹃ ネー シ ョン
﹄誌 は︑ シ オニ スト の意 見 を 掲載 し︑ それ は アメ リカ がユ ダ ヤ人 に門 戸を 開 くよ う 求め る一 方︑
実 際に はパ レ スチ ナへ の大 規模 な移 民 がユ ダヤ
人 問題 を解 決す る だろ う﹂ と論 じ
︑ パレ スチ ナは ア メリ カの ユ ダヤ 人の 安全 も保 障 する
︒ つま り﹃ ア メリ カ が難 民を 引 き受 け救 済し な けれ ばな らな い
﹄と いう 反ユ ダ ヤ主 義を 刺激 す るよ うな 圧力 を 減じ さ せる から であ る
﹂と も述 べて い た
︒さ らに
︑パ レ スチ ナに おけ る シオ ニス トの 発 展は 土着 のア ラ ブ人 にも 利益 を もた ら すと 従来 のシ オ ニス トの 公式 見 解 を表 明し
︑ユ ダ ヤ人 はア ラブ 人 より パレ スチ ナ を必 要と して い ると いう 前提 で
︑一 定 のパ レス チナ
・ アラ ブ人 の立 ち 退 きを 擁護 した52
︒︶
同時 に緊 急委 員 会は
︑ア ラブ 人 との 共存 をは か る二 民族 国家 案 が国 務省 やリ ベ ラル の 支持 を得 てい た こと から
︑そ れ が アジ ェン ダと して 浮 上す るこ とを 抑制 する た めに
︑ ハダ サー
︵
H a d a ss a h :
女 性シ オ ニス ト団 体︒ 従 来は ア ラブ 人と の 共存 を唱 える 傾 向を 有し てい た
︶と 共同 でア ラ ブ⎜ ユダ ヤ関 係 につ いて の委 員 会を 設 立し た︒ この 委 員会 は︑ 優先 事 項 をユ ダヤ
・コ モ ンウ ェル ス内 に おけ るア ラブ
⎜ ユダ ヤ関 係と し
︑そ のう えで 二 民族 国 家案 も検 討す る とし てい たが
︑ 実 際に は緊 急委 員 会指 導部 は二 民 族国 家案 を抑 制 する ため に自 由 な討 論と 調査 を 制限 し てい た53
︒︶
一月 二 五日 のハ ダサ ー 全 国評 議会 では
︑ ま ずは ユダ ヤ・ コ モン ウェ ルス の枠 内に お ける アラ ブ⎜ ユ ダヤ 関 係に 専心 する
﹂と し て︑ 二民 族国 家 案を 公的 に排 し
︑さ らに ハダ サ ーの アラ ブ⎜ ユ ダヤ 関係 委員 会 は︑ パレ スチ ナ
・ア ラ ブ人 のア ラブ 諸 国へ の再 定住 に つ いて も検 討し て いた54
︒︶
従 来︑ ア メリ カ・ シオ ニ ズム 運動 内で も とり わけ パレ ス チナ
・ アラ ブ人 との 共 存を 主張 し︑ 二 民 族国 家案 を支 持 する 傾向 が強 か った ハダ サー が こう した 方針 を 採用 した のは
︑ ナチ に よる ユダ ヤ人 絶 滅政 策へ の戦 慄 の なか
︑ユ ダヤ 人 の救 済を 優先 さ せざ るを 得な い とい う判 断に 基 づい てい たと い える
︒ この よう なハ ダ サー の立 場は
︑ ア メリ カ・ シオ ニ ズム 運動 とい う アリ ーナ でパ レ スチ ナ・ アラ ブ 人と の共 存を 前 提と し た議 論が アジ ェ ンダ に上 る余 地 が ほぼ なく なっ て いた こと を示 し てい たと 同時 に
︑ パレ スチ ナ・ ア ラブ 人 のパ レス チナ 以外 へ の再 定住 はや むな し﹂ と する 当時 の大 勢 の状 況を 象徴 的 に示 すも ので も あっ たと いえ る
︒ そし て三 月五 日 の﹃ ニュ ー・ パ レス チナ
﹄は
︑ ユダ ヤ 人問 題の 論 理的 な解 決と して
︑ 世界 がユ ダヤ 人の パ レス チナ
に 対す る自 然な 結 びつ きを 承認 し
︑そ こに おけ る ユダ ヤ 人国 家創 設 を支 援す る﹂
パ レス チナ のア ラブ 人は そ こに おけ る 民主 主義 のも と で自 由で 平等 な 市民 とし て留 ま るか もし れな い し︑ 彼ら の同 意 のも と 近隣 アラ ブ諸 国 へ移 送さ れる か も しれ ない
﹂と
︑ 明確 なユ ダヤ 人 国家 の要 求と と もに パレ スチ ナ
・ア ラブ 人の 移 送に つ いて 明言 した
︒ そし て﹁ アラ ブ 人 が移 民 を拒 絶し た場 合に は︑ 戦後 のユ ダヤ 人の 移民 に より ユダ ヤ人 が多 数 を形 成し
︑国 民 投票 と いう 方 法 に よっ て
︵ユ ダ ヤ人
︶独 自の 主 権が 確立 しう る まで
︑ パレ スチ ナを
︶世 界 連邦 の監 督下 に 置く
﹂ と︑ あく まで 主 権を 保有 した ユ ダ ヤ人 国家 を建 設 する とい うア メ リカ
・シ オニ ス トの 方針 を提 示 して いた ので あ る55
︒︶
こう した 圧倒 的 な趨 勢に 最後 の 抵抗 を示 すか の よう に︑ 従来 か らパ レス チナ
・ アラ ブ 人と の共 存を 主 張し てい た数 少 な いシ オ ニス トで ある
︑ロ ーゼ ン ブラ ッ ド︵
B er n a rd R o se n b la tt
︶ とい う人 物は
﹃コ モン ウェ ル ス とは 何 か﹄ とい う タ イト ルの もと
︑ 以下 のよ うな 内容 の 論説 を﹃ ニュ ー・ パ レス チ ナ﹄ に 発表 した
︒そ れ は︑
コ モン ウェ ル ス とは アン グ ロ・ サク ソン の 影響 のも と真 に 社会 的に 重要 な 意味 を獲 得し た
︒そ れは 国家 に おけ る 主権 の非 生産 的 な諸 権利 を強 調 す る代 わり に︑ 共 通の 富を
︑す べ ての 人々 に共 通 の富 を強 調す る よう にな った の であ る
﹂と した うえ で
︑ユ ダヤ 人が 移 民 の管 理 権を 保持 する とい う前 提 で﹁ そ の土 地の すべ て の住 民に 対す る保 護︑ すべ ての 人々 の 政治 的 市民 的 権 利の 保 障
﹂を 提唱 し︑
端的 にい えば
︑コ モ ンウ ェル スと い う用 語は
︑政 治的 な民 主主 義と す べて の人 々の 社 会福 祉 に関 する 相 補的 な関 心と を 必然 的に 暗示 し てい る︒ この こ とは シオ ニス ト の用 語法 にお い てと り わけ あて はま る
︑な ぜな ら歴 史 的 にみ て それ はイ スラ エル の預 言 者に よっ て 定式 化さ れ た理 想と 適合 して い るか らで ある
︒ゆ え に 政治 的 に は︑ ユ ダ ヤ
・コ モン ウェ ル スの 枠内 にお い て︑ パレ スチ ナ のア ラブ 人に 宗 教的 諸権 利と 同 様に 社 会的 諸権 利が 十 分に 守ら れる こ と を保 証す るこ と が疑 いも なく 重 要な こと なの で ある
﹂と 論じ て いた56
︒︶
ほと んど のシ オ ニス トが
﹁コ モ ンウ ェル ス﹂ を 単に
﹁国 家﹂ と いう 用語 を曖 昧 化す る ため だけ に使 用 して いた のに 対 し
︑ロ ーゼ ンブ ラ ット は﹁ コモ ン ウェ ルス
﹂を す べて の住 民に 富 を保 障す るた め の政 治 体制 とし て再 解 釈し
︑位 置づ け
直 そう とす るも の だっ たと いえ る
︒そ れは
︑移 民 の管 理権 をユ ダ ヤ人 が保 持す る こと に よっ てパ レス チ ナで ユダ ヤ難 民 を 救済 する こと を 可能 とし たう え で︑ 主権 を相 対 化し てパ レス チ ナ・ アラ ブ人 の 政治 的 権利 を保 障し
︑ 主権 を有 すユ ダ ヤ 人国 家を 目指 し た場 合に おけ る
﹁論 理的
﹂ 合理 的
﹂な 解 決 とし ての パレ スチ ナ・ アラ ブ人 のパ レス チナ 以 外の 地へ の
﹁再 定住
﹂ 移送
﹂ を回 避し よう と する もの だっ た とい える
︒ しか し事 態は
︑ この よう な彼 の 試み がも はや 全 く意 味を なさ な いよ うな 状況 に なっ て いた
︒ 第 3 節 バ ミ ュー ダ 会 議 四三
年三 月に 入 ると
﹃ニ ュー ヨ ーク
・タ イム ズ
﹄が
︑ ポー ラン ド の五 つの 町で ユ ダヤ 人が 殺害 さ れる
﹂ ブル ガリ ア が ユダ ヤ人 を追 放
﹂ ナチ スに 送ら れ たフ ラン スの ユダ ヤ人 は 消息 不明
﹂な ど とヨ ーロ ッ パに おけ るユ ダヤ 人 のさ らな る 窮状 を報 じて い た57
︒︶
こう した 情勢 に 対し
︑三 月三 一 日に は︑ アメ リ カの 主要 なユ ダ ヤ人 団体 が結 成 した
﹁ ヨー ロッ パの ユ ダヤ 人の ため の 共 同緊 急委 員会
︵
Jo in t E m er g en cy C o m m it te e fo r E u ro p ea n Je w is h A ff a ir s
︶﹂ が ワシ ント ンで ラ リー を行 い︑
国務 省 に中 立国 を通 じ てド イツ に圧 力 をか けさ せる
﹂ ア メリ カの 移民 割 り当 ての 改定
﹂ 連 合国 は国 家間 特 別機 関を 設置 し 財 政支 援を 行う
﹂ など の要 求を 行 い︑ ユダ ヤ人 の 救済 に向 けて ア メリ カ・ ユダ ヤ 人が 結 集し て本 格的 に 政府 に対 し圧 力 を かけ る試 みが な され るよ うに な って いた58
︒︶
こう した 状況 に 対応 する ため に
︑一 九四 三年 四 月一 九日
︑バ ミ ュー ダで アメ リ カ政 府 とイ ギリ ス政 府 が戦 時難 民の 問 題 を議 論す るた め の会 議を 開催 し た︒ この 会議 直 前の 四月 一四 日
︑先 の共 同緊 急 委員 会 は救 済計 画を 提 出し てい た︒ そ れ は︑
ヨー ロ ッパ の ユダ ヤ人 を絶 滅 から 救う ため に 中立 国を 通 じて 枢軸 国支 配下 の ユダ ヤ人 の脱 出許 可の た めの 交渉
を 行う
﹂ 連合 国が 一 時的 恒久 的な 避 難場 所を 創設 する
﹂こ とを 要求 し︑ ヨ ーロ ッパ
・ユ ダヤ 人の 救済 につ い ての 連合 国 側の 対応 の遅 さ
︑不 十分 さを 批 判し
︑連 合国 側 の救 済に 向け た 早急 な行 動を 繰 り返 し 強く 要請 して い た︒ しか し同 時 に 会議 自体 が米 国 務省 と英 外務 省 によ って 主と し て調 査的 なも の と位 置づ けら れ てい る こと や︑ ユダ ヤ 人の 代表 が諮 問 も され ず招 待も さ れて いな いこ と
︑さ らに は外 か らの アク セス が 不可 能な バミ ュ ーダ と いう 孤立 した 場 所で 開催 され る こ とへ の疑 惑な ど を述 べて おり
︑ 英米 政府 にユ ダ ヤ人 を救 済す る 意思 は実 際に は ない こ とを ユダ ヤ人 側 が認 識し てい た こ とを 示唆 して い た59
︒︶
そし て︑ こ の認 識は おお よ そ正 しか った の であ る︒ 国務 省は アメ リ カ政 府が シオ ニ ズム を支 持す る こと に関 して 一 貫し て反 対し て いた
︒ シオ ニズ ムを 支 持す るア メリ カ 世 論の 高ま りに 対 して
︑ア ラブ 諸 国は 幾度 もア メ リカ 国務 省に 対 し親 シオ ニス ト 的な 政 策を とら ない よ う訴 えて いた60
︒︶
一 九四 三年 五月 七 日に 国務 長官 が ルー ズベ ルト 大 統領 に中 東駐 在 の大 佐に よる 報 告を 提 出し たが61
︑︶
その 報告 は﹁ 連合 国 は
︑戦 争の 終結 ま でパ レス チナ の 基本 的状 況を 変 更す ると 考え ら れる
︑い かな る 決定 も しな いこ とを 表 明す る︒ この 問 題 が検 討さ れる 場 合に はア ラブ 人 とユ ダヤ 人と 十 分に 協議 し︑ 彼 らの 合意 を得 る べき で ある
﹂と いう 内 容の 宣言 を発 表 す べき と進 言し て いた62
︒︶
ル ーズ ベ ルト はこ の進 言 に従 い︑ サウ ジ アラ ビア のイ ブ ン・ サ ウド
︵
Ib n S a u d :
初代 国 王︶ に 対 し︑
ユダ ヤ 人と ア ラブ 人と 十分 に 協議 しな い限 り
︑パ レス チナ の 基本 的状 況を 変 える よう ない か なる 決定 もし な い﹂ と の言 質を 与え て いた
︒結 局ル ー ズベ ルト も含 め たア メリ カ政 府 はア ラブ 諸国 と の関 係 悪化 とい う危 険 をお かし てま で
︑ ユ ダヤ 人︑ シオ ニ スト を支 援す る つも りは なか っ た︒ さら にい え ば︑ アメ リカ 政 府は
︑ 石油 の利 権問 題 やイ ラン やト ル コ を除 いて
︑中 東 の問 題に 高い 優 先順 位を あた え てお らず
︑ヤ ル タ会 談で トル コ とイ ラ ンの 将来 が議 論 され るま で中 東 に 関す る決 定は 大 統領 のレ ベル ま で達 する こと は なか った ので あ る63
︒︶
そし て現 実に
︑ バミ ュー ダ会 議 にお いて
︑ア メ リカ は移 民制 限 を解 除す るこ と はな く
︑イ ギリ スは 戦 時中 にア ラブ 人 が 反乱 を起 こす こ とを 恐れ て︑ パ レス チナ への ユ ダヤ 移民 を制 限 する
﹁一 九三 九 年白 書
﹂を 厳守 する 姿 勢を 崩さ なか っ