九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
古語に於ける「てには」の意義
矢田部, 達郎
https://doi.org/10.15017/2556560
出版情報:文學研究. 32, pp.25-48, 1942-12-30. The Kyushu Literary Society バージョン:
権利関係:
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一︑記の歌謡に於ける﹁が﹂﹁の﹂﹁つ﹂︑
①
格助僻の﹁が﹂﹁の﹂﹁つ﹂が等しく所有を意味するなんて馬鹿なことはない︒この老へを礎證しようと恩ひ立った
のは大分以前のことであるが︑もう恐らく誰れかがやつてゐるだらうと考へると蛮行力がにぶった︒ところがその後
折にふれて専門家と思はれる人友の意見を叩いて見ると︑未ださう云ふ研究はないのではないかと云ふ疑ひを懐くや
うになった︒素より素人の私には完全な仕事はできないが︑それでも誰れか専門の人が後でそれを完成して呉れるや
うな道ならしをすることはできるかも知れないと凪ひ︑先づ古事記の歌謡に手を蒲けて見た結果がこの一文をなすに
至った︒古事記の歌謡だけでは範困が狭過ぎることも知ってゐる︒叉との狭い範囲に於ても各ケースに開する充分な
る批判を必要とすることも万共承知の上だ︒鼓はそこに見落されたケースがないとさへ保證する勇氣を持ち合はさぬ︑ことをこ上に告白してほかなければならぬ︒併しそれらは凡て私が云はうとすることの本賃に鯛れるものではないと
考へてゐる︒完全な仕事は専門の方にお願ひします︒アマチュ・ァに蛎暇がない︒
古編に於ける﹁てには﹂の意装二五g一七二九︺
古語に於ける﹁てには﹂の意義
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文學・研究飾三十二斡︒I二六9毛三○︶
︲第一﹁が﹂
古事記の歌謡中に使用された﹁が﹂の数は総計して九十二例ある︒先づ﹁が﹂は人稀代名詞に通用される︒﹁わが﹂
が主格的に用ひられた場合は合計二士一例で︑そのうち主動詞を支配する場合が十一例︑﹁わが立たせれば﹂︵2︶﹁わ
が群れ往なぱ﹂﹁わが引け往なば﹂﹁わが待つや﹂﹁わが二人鯉し﹂﹁わがいませばや﹂﹁わが図見れば﹂﹁わが上れば﹂
︵2︶﹁わが立ち見れば﹂である︒動詞の形容形を支配する場合が十一例︑﹁わがゐねし妹﹂﹁わがけせるおすひの裾
に﹂﹁わが世きし劒の太刀﹂﹁わが兇し兒等﹂﹁わが兇し兒に﹂﹁わが行く遁の﹂﹁わが見欲し図は﹂﹁あがもふ妹﹂﹁あ
がもふ妻﹂﹁わが逃げ登りしあり丘の﹂﹁わがとふ妹﹂である︒
宮ら・卜〆﹁わが﹂が厨格的に用ひられた場合は合計二十一例で︑﹁わが●心﹂︵2︶﹁あか大國主﹂﹁わが裂ける利目﹂﹁わが大
君﹂︵5︶﹁わぎへ﹂︵2︶﹃わが御酒﹂﹁わがもと﹂﹁わぎも﹂﹁あがはし妻に﹂﹁あがせの沼は﹂﹁わが手﹂﹁わが泣く妾
を﹂﹁わが名﹂﹁わが盤﹂﹁わが妻﹂である︒︵因みに上述の諸例か恥﹁わ﹂と﹁あ﹂との間には睡別があることが注目
される︒﹁あ﹂は心安立ての稲にのみ用ひられてゐるのである︒︶
﹁なが﹂が主格的に州ひられた場合は川例で︑﹁なが泣かさまく﹂﹁なが云へせこそ﹂﹁ながけせるおすひの裾に﹂/
﹁なか定める思ひ妻﹂︒この他﹁汝﹂には﹁なが御子や﹂と云ふ同格的使用が一例現はれてゐる︒﹁己が﹂﹁君が﹂﹁誰が﹂
は凡一L賜格的に用ひられ︑合計六例︑即ち﹁己が緒を﹂﹁君が装し﹂﹁君が行き﹂﹁誰が夫﹂︵2︶﹁誰がたれるかも﹂で︲
ある︒
但し﹁が﹂は﹁しが﹂﹁そが﹂等と代名詞の場合には人間以外にも用ひられてゐるっ﹁しか﹂が主絡的に川ひられた場
〆
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合は﹁鮪つく海人よ︑しがあれば﹂一例︑厩格的に用ひられた場合は﹁さしぷの木︑しが下に﹂﹁ゅつま栫︑しが花の 照りいまし︑しが葉の庇りいますは﹂﹁枯野を盤に焼き︑比があまり琴に造り﹂の凹例であり︑﹁そが﹂は﹁ゆつま椿︑
そが葉の﹂と唯一例現はれてゐるo何れも鮪︑枯野の村︑五百簡眞栫等生物の代名詞であることが注目に侭する︒因
みに﹁そ﹂﹁こ﹂は﹁その﹂﹁この﹂とも用ひられる︒﹁その﹂は九例︑﹁との﹂には六例がある︒﹁その八重垣を﹂
﹁うづに挿せその子﹂﹁劒の太刀︑その太刀はや﹂﹁その皷﹂﹁その叩つ土﹂︑﹁御室のその高城なる﹂﹁後もくみいんそ
の思ひ妻﹂﹁あむかきつき︑その虻を﹂﹁五百瞥災椿:⁝その花の﹂﹁この御禰﹂︵電︶﹁鴫くなる烏か︑この烏も﹂﹁大 和のこの商市に﹂﹁この鐙や︑何虚の蟹﹂︒併しこれらの場合は凡て指示詞であって眞の意味に於ける代名詞ではな/
く︑叉その﹁の﹂には所有的意味は兄出されない︒唯一つ例外と見える﹁その花の﹂と云ふのは﹁五百筒眞梼︑そが
葉の庇りいまし︑その花の照りいます﹂と云ふ對句中に現はれたものであって︑恐らく修瀞法の影響ではないかと思
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米の子等が﹂︵4︶﹁出雲建が﹂﹁振熊が﹂﹁須変許迦が﹂﹁小前柄禰が﹂﹁日が﹂﹁年が﹂である︒このうち始めの十例は人について云はれ︑後の二例は﹁阿速夜卿迩︑比賀迦久良婆﹂及び﹁阿良多麻能︑登斯賀岐布棚婆﹂と用ひられて生︑・物ではない︒但し日だの年だのは生物的に老へられ易いと云ふことは民族心理學的乃至比唾一両語曜的考察の教へると物ではない︒はれる︒︑
コナミウハナリ 代名詞乃至指示制以外の名詞に﹁が﹂が附いて主格的機能を笹む場合は合計十二例あり︑﹁前妻が﹂﹁後妻が﹂﹁久ころである︒
代名詞乃至指示詞以外に﹁が﹂が附いて脇格的になってゐる場合は合計十九例あり︑﹁まろがち﹂﹁妻が家﹂﹁鵬養
二七︵三七三一︶古語に於ける﹁てには﹂の恋義
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文學研究策三十二脚二八︵三七三二︶
が徒﹂以上は人︒﹁たづが音﹂以上は動物︒﹁染木が汁に﹂﹁くまがしが葉を﹂﹁槻が枝﹂以上は植物︒﹁太刀が緒﹂これ
は重要な道具であるから生物並みに取扱はれたものと恩はれる︒これも他の言語にその例がある︒
残り十一例中八例は﹁何糞がした﹂箔くは﹁何々がもと﹂と用ひられ︑﹁ふはやがしたに﹂﹁にこやがしたに﹂﹁さ
カラ
やぐが下に﹂﹁そ根がもと﹂﹁枯が下樹の﹂﹁かしがもと﹂︵2︶﹁脇づきが下の﹂がその例であり︑更らに残りの三例は
︒﹁大井子が原﹂︵2︶﹁小牟漏が岳に﹂と用ひられ︑何れも場虎を現はす語を作随してゐる︒︵因みに万葉では﹁石が
根﹂と云ふやうな用法も見えるが︑この﹁根﹂は﹁もと﹂と同じ意味であらう︒叉﹁藤原が上に﹂などの用例も現は
・れる︒これらは持統天皇の御代のことである︒術ほ商木教授が﹁吉野の鮎﹂の弊頭に引用這れた書紀の歌誘には﹁の
下﹂が用ひられてをり︑而もそれが新時代の民読であると云ふことは極めて興味深いとと上考へられる︒︶
この他に更らに﹁やがはえなす﹂︑と云ふ用法が一例見出されるが︑これは他のものと同種の﹁が﹂であるか否かこ
こでは獅らく疑問にして置きたいと思ふ︒尤も後代の用法では﹁彌が上に﹂と云ふのがあり︑﹁何燕が下に﹂と關係
がありさうにも老へられる︒これ以外には願望の﹁が﹂が見出される他︑所謂格助僻の﹁が﹂が他の無生物に迩川さ
れる場合は一例もない︒︲こ出に於て﹁が﹂は生物に用ひられるか︑或はその次に場虚的な語乏伴ふ時にのみ用ひられ
1るものであると云ふととがわかる︒
第二﹁の﹂
﹁が﹂が主として生物に適用されるものとすれば︑﹁の﹂は無生物に通用せられてその所有格を現はすものではない
かと云ふ老へが浮んで來ることは極めて自然であるとも云へるであらう︒然るに古事記歌謡中に使川せられた二百W
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十九例の﹁の﹂のうち約五十例が生物に迩川されてゐる︒從ってこの豫想は否定されなければならぬ︺換言すれば﹁の﹂︑は︑生物に適用せられてその所有格を現はす﹁が﹂の對概念ではないのである︒
のみならホとれらの﹁の﹂を仔細に鮎桧するときは︑﹁の﹂が所有格を現はすと云ふ一般的な考へ方それ自身が既
に噸る疑はしいものであると云ふことが在誰される︒﹁の﹂が本來の所有格でないことを鷲識するためには︑そこに川
ひられてゐる﹁の﹂の絶對多数が所有格的意義をもたないと云ふことを指摘すれば足りるであらう︒而してそれを指・互摘することは常識的な豫期に反して必ずしも困難ではないのである︒
先づ﹁の﹂はそれが支配する語が禮言であるか用言であるかに從って二分することができる︒用言を支配する﹁の﹂
︑︑即ち主格の﹁の﹂が所有格でないことについては術識は何等の疑をも有たないであらう︒古事記歌謡に使川された﹁の﹂
二百川十九例中︑かかる主格的な﹁の﹂は約四十例ある︒禰登煩雑匹画冨嫌ひはあるが︑それはこの問題に對しての
みならホ他の覗鮎からも興味があると老へられるから︑次にそれらの例を引川して世くことにしたいと思ふ︒
︑サカ
﹁朝日の笑み楽え來て﹂﹁菱殻の刺しける知らに﹂﹁しが花の照りいまし﹂﹁しが葉の旗りいますは﹂﹁そが葉の旗︐いまし﹂﹁その花の照りいます﹂﹁山城女の小鍬持ち﹂︵2︶﹁わが大君の淵待つと﹂﹁わが大君の朝戸にはいより立た
し﹂﹁臣の子の⁝⁝いりた上すあり﹂以上は猫立動詞を支配する場合︒﹁立そばの笈のなけくを﹂﹁立そばの疵の多け︒▲ロくを﹂﹁わが行く道のかぐはし﹂以上は獅立形容刺︒﹁からが下樋のさやさや﹂﹁なづの木のさやさや﹂これらは川言で
ナはな・いかも知れ砲が用言的に用ひられてゐるものである︒﹁をとめの鴫すや板戸を﹂﹁弟棚機のうながせる玉のみすま
る﹂﹁命のまたけむ人は﹂﹁わが大君のおろす機﹂﹁かぎろひの燃ゆる家群﹂﹁たづが昔の聞えむときに﹂﹁身の朧り人﹂
古締に於ける﹁てにはお蔵韮二九︵三七三三︺
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﹁わが大瀦のあそばし上猪﹂﹁をとめのいかくる岡を﹂﹁朝日のn出る富﹂﹁夕日の日かげる宮﹂﹁竹の根の根足る宮﹂﹁木
の根の根ぱふ宮﹂これらは蝿に或る腿言を形容してゐる川言を支配する場合である︒
この他に﹁何為の如く﹂とパラフレイズすべき用例が十例ほど見出される︒﹁群れ烏のわが群れ往なぱ﹂﹁引け烏の
わが引け往なぱ﹂﹁沫雲のわかやる胸を﹂﹁しただみのいはひとほり﹂﹁みぼ烏のかづき息づき﹂﹁臓水の下よはへわと
﹁苅どもの乱れば乱れ﹂﹁羽狭山の鵬の下泣きに泣く﹂﹁やまたづの迎へとゆかむ﹂﹁槻弓のこやるこやりも﹂この他
﹁夏車の相繼の淡の﹂﹁打つや纒のたしだしに﹂の如きはこの部類に入るぺきか否か一寸決定しかねる︒尚ほ/﹁かくの
如﹂﹁抑の如﹂と︑はっきり﹁如﹂と云った川例が二つある︒︵因みに万葉には﹁唯なきが如﹂と云ふやうな川例が兇︑・えるが︑古事記の歌謡には﹁が如﹂は一例も現はれてゐない︒併しこれは恐らく偶然であって︑上に来る語が用言で
あれば上描の例にも﹁にこやが下に﹂﹁さやぐ墾卜﹂に等﹁が﹂が用ひられら場令が認められるのである︒︶
この四十例ばかりの他は凡て慨言を支配する場合であるが︑そのうち十五例が﹁その﹂﹁この﹂と指示紙として川ひ
られてゐることは前に述べた︒その他の五十幾例かは問有名詞に﹁の﹂を附けて次に来る語泳一修飾する場合で︑例へ
ぱ﹁字遅の渡りに﹂﹁御諸のいづかしがもと﹂等﹁に脇する﹂とは世き換へ難きものが多い︒このうちには人名に﹁の﹂
〆r題附けた場合︑例へば﹁八千矛の川﹂﹁八田の一つ菅﹂等の如きものも兄出されるが︑多くはその起源は地名であると
推定される︒私の貧弱な國史の知識でもそれが地名であるか否か不明な場合は數例に過ぎない︒更らにこの他に洲は
じuU●ぱ同格とも名づくべき場合︑例くぼ﹁妹の命﹂﹁榛の木﹂等十數例が見出される︒このうちにも地名に開するもの︑例
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へぱ﹁趣の國﹂﹁大和の図﹂等が含まれてゐる︒これらが所有格でないことは云ふまでもない︒
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ス総じて場腱に開する名制に﹁の﹂を附けた場合は所有格とは云ひ難い︒例へぱ﹁浦渚の鳥ぞ﹂﹁山との一本簿﹂﹁島
の岬糞﹂﹁わぎへのあたり﹂﹁脇づきが下の板にもが﹂等の如き︑そのうち般も所有格らしく見える﹁山との一本簿﹂
でさへも︑山とが所有する燕ではなく︑単に山とにある燕と云ふ方がより自然である︒同様に浦渚にゐる鳥であり︑
脇づきの下にある板である︒從ってとれらも凡て所有格に数へることはできない︒而してか上る例は大凡五十例ばか
りもある︒Ⅱ︒
︾以上述べて来たところから二百五十例の﹁の﹂のうち約百七十例が所有格でないことが明かにされたが︑更らに尚
ほ七十幾例かが残されてゐるoこれらを弧ひて分類することは徒らに議論の種を播くにも等しい︒從ってこ上には唯
うそのうち塒徴︐のある例を拾ふだけに止めよう︒それらは或るときは﹁若草の如き妻﹂であり﹁樫の生えた生﹂であり
﹁八亜になった柴垣﹂であり﹁あぐらをかいて居られる肺﹂であり﹁事に開する語り言﹂でもある︒そこには凡ゆる
j種類の開係が見出される︒そのうち特に所有格と解樺されさうに恩はれる用例を引用すれば次の如きものであらう︒
﹁立そばの斑﹂︵2︶﹁木の輩筐︵2︶﹁木の根﹂﹁竹の根﹂﹁榛の木の枝﹂﹁上つ枝のうら葉﹂﹁中つ枝の枝のうら葉﹂
﹁下つ枝の枝のうら葉﹂﹁猪のうたき﹂﹁御酒のあや﹂﹁おすひの裾﹂︵2︶﹁をとめの床﹂﹁臣の子﹂﹁臣のをとめ﹂﹁宮
人のあゆひの小鈴﹂﹁祁の宮人﹂﹁抑の御手もち﹂﹁大君の心をゆらみ﹂﹁連総別の御おすひがね﹂等二十救例が梁げら
れる︒併しこれは﹁の﹂の総数に對しては僅にその一割に過ぎない︒而もこのうちには尚ほ多くの所有格とは考へ難
いものを含んでゐる︒例へぱ﹁臣の子﹂﹁臣のをとめ﹂等は腿としての安格を表現する︒同様に﹁刺の御手﹂﹁大君の
心﹂も抑の餐格に於ける御手であり︑大君らしき御心であると考へることができるであらう︒さう老へて来ると﹁御
古紙に於ける一︲てには﹂の窓義
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文嬰研究錐三十二獅三二︹三七三六︺
酒のあや﹂も﹁をとめの床﹂も﹁上つ枝のうら葉﹂も凡て所有格ではなささうに思はれて來る.﹁上つ枝に脇する葉﹂
︒と老へられぬことは勿論ないが︑併しそれと同じ程度に於て﹁上つ枝にある葉﹂とも老へられる︒よしこれらの凡て
が所有格であることを許すとしても︑それは前にも云ったやうに全数の商交一制に過ぎないのであるから.それを以
て﹁の﹂の本来の磯能であると云ふのは殆んど無謀に近いと云はなければなるまい︒然らば﹁の﹂の本礎は何か︒こ
れについては妓後に私見を述べることにしようと忠ふ︒とiでは唯古事記歌謡に見出される﹁の﹂のうちには所有格
と認むくきものは極めて少いことを疵識するのが私の妓初の目的であり︑而してその日的は逹成されたと云ふことを
弧調して世くに止めよう︒
第三﹁つ﹂
古事記歌添中に﹁つ﹂が用ひられてゐる場合は合計二十九例︑・即ち﹁さぬつ脇﹂﹁庭つ烏﹂﹁おきつ鳥﹂︵4︶﹁趣つ
一一︒二一ホ・ン
波﹂︵2︶﹁脇つ鳥﹂﹁後つ戸﹂﹁前つ戸﹂﹁没つ千烏﹂﹁初つ土﹂〆﹁中つ土﹂﹁上つ枝﹂︵3︶﹁下つ枝﹂︵4︶﹁中つ枝﹂
︵4︶﹁上つ瀬﹂﹁下つ瀬﹂﹁をとつはたで﹂﹁佐氣都島見ゆ﹂である︒
これら用例の全部が例外なしに場虚を現はす助僻として用ひられてゐる︒﹁波都邇﹂の﹁波﹂も亦﹁端﹂であって例
外ではない︒よしそれが時間的であるとしても︑日本語では時間は凡て筌問の類推で行くのであるから別段異とする
︒一
には足りないのである︒そこに後代の用法では﹁時つ風﹂﹁馨っ方﹂と云ふやうな例が認められるやうになる理由を求むくきであらう︒﹁佐氣都島﹂は佐氣と云ふところにある島と云ふ意味か︑﹁ところにある﹂或は﹁方にある﹂と云
ふ含蓄がなくとも地名には一般に使用できるのか︑古事記の歌論からだけでは定め難い︒或は謹んで御製里樫のある
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ところを拝察するのに︑佐氣都島は結局佐岐都島であって︑.速い速い島糞までも見えると云ふ意味ではないかと云ふ
想像さへも可能であるやうに恩はれる︒人名の場合の﹁つ﹂は歌砺には出て来ないが︑これも﹁何だと云ふところの
姫﹂などと云ふ意味か︑それともそれには開係なく用ひるととが川来るのか︑こ上には疑問として残して涯く︒兎に
角﹁つ﹂は全て場虚的に用ひられたのであって︑所有の概念とは全然無關係のものであると云はざるをえないので
ある︒
︑αご■次に事変からは川か飛躍するが︑この問題に開する私児を附け加へて世くことにしよう︒先づ﹁が﹂は木來の所有
格として發生したものであらうと云ふことか老へられる︒生物のみが炭の意味に於ける所有を示すことができる︒主
格としての﹁わが﹂の如きも児童心理學上の所見等を参照すれば︑却ってそこから誘導されたものであることが想像
される︒﹁が下﹂と云ふ用法の發生も亦﹁下﹂は特にそのものk勢力範刷と考へうるがためではなかつたらうか︒これ
は﹁が上﹂が古事記の歌謡には一度も現はれず︵﹁が下﹂は八例もある︶むしろ後代に至ってその類推として發生した
古謡に於ける﹁てには﹂の意義三三︵三七三七︶
以上述●︿たところを綜括すると︑所謂格助辞の﹁が﹂﹁の﹂﹁つ﹂は古事記歌謡に於ては夫々猫狩の意義をもってゐた︒﹁が﹂は﹁が下﹂と云ふイディオマチヅクュ−スを除いては無生物に邇用されることはない︒﹁の﹂は生物無生物の
腫別なく使用されるが︑所有の意味に用ひられる場合はむしろ極めて稀れであり︑その他に頗る庶汎に亘る適用範困
を示してゐる︒これに反して﹁つ﹂は必ず場虚的規定を現はすものとして用ひられたと云ふことになる︒︲ 11
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丈畢研.究節三十二脚・三四9毛三八︺
らしく恩はれることからも推察されるのである︒
﹁の﹂は本来からの所有格ではなく︑むしろ二つの語を結合する記號の如きものとして登場したのではなかったら
うか︒n菅は音盤の一時的中止であって︑この意味に於てかLろ役制を淡歩るには股迩のものであると云ふことがで
もぎる︒從ってそれは凡ゆる關係を代表する︒若しそこに或る關係に對して或る一定の助僻若くは一定の表現法が發生
してゐない限り︑そ恥は如仙なる表現をも引き受けたのであらう︒以前私は日本詔と蒙古薇との類似を縦いた際に剛
者に於ける﹁の﹂の一致を所有格の一致として説いたが︑今ではそれは上述のやうな意味で汀正しなければならぬも
のと考へてゐる︒n昔が語の結合に用ひられる例は他種言語にも認められるところであり︑例へぱゴールデン・学ハット
は琴コールドにnを附してそれ逓︑ハットの修飾語たらしめてゐる︒從ってそれはむしろ人間昔笠の一般的特礎である︒︑
日本語と蒙古語との共通軸は唯雨者に於て何れもこの特定の手段が頗る重要な役割を演するやうになってゐると云ふ
黙に求めらるぺきものであったらう︒″︑
抵一L少しくどいやうだが繰返して云ふと︑﹁の﹂は二つの諦を結合する形式的手段として︑即ち攪言を形容詞的乃至
副制的に使用する手段として登場した︒それは宛も名詞を動詞化するためにそれに﹁す﹂を附加するのと同様の手法
であったのだらう︒それは形式的手段であるから如伽なる省訶にも添加することができる︒﹁電氣す﹂と云ふことも形﹃卓〃式的には可能な筈である︒併しそれは未だ語の形式であって眞の語ではない︒かkる形式が適當に使用される事態に
直面するとき始めて語義が成立する︒﹁の﹂の場合もこれと異るところがなかった︒從って﹁の﹂の添加によってそこ
に如何なる關係が定立されるかは︑結合さる尋へき二つの謡とそれが適用さるべき事態とによって決定される︒﹁馬の﹂
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︑︑︑︑かに示してゐること︑例へば英語の叩m等と異るところがない︒然るにそれは﹁にある﹂或は商交﹁の方向にある﹂
︑︑︑︑ことのみを意味し︑﹁に於て行はれる﹂と云ふ意味を表現することができなかったから︑それはより躍純なる﹁の﹂に
よっても充分代表することが可能であり︑從って一旦は發生しながら後に消滅に蹄したものであらう︒この場合異る
言語椛進に於ける助鮮の後世と前世との關係がどうなってゐるか︑さう云ふ鮎にも鯛れて見たいと老へたが.それで
は際限がないからこの逢で一と先づこの話は打ち切ることにして近く︒︵昭和一七・四︒二五︶
グも 格でもあった︒蓋し主格は動作者を表現するものであり︑一動作者にとっては動作こそ勝義に於いて彼れだからに他ならぬ︒︽
﹁つ﹂は明かに或る特定の關係を現はす一定の助瀞として成立したものと思はれる︒ る人間の練習を意味するのである︒かくの如き事情に於て一般的︑形式的な﹁の﹂ f・凸ある︒從ってそれは馬自身が學問すると云ふ意味を雄得することもできる筈ではあるが詞それよりもむ は言謡的形式の部分であって完成せる形式ではない︒﹁馬の稽古﹂となるときそこに完全なる形式が準ととはむしろ當然であったと云はなければならぬ︒これを所有格と云ふのは蜜は西洋文法の物腫似︑特に過ぎなかったのである︒古代日本語に於ける眞の所有格は﹁が﹂より他にはない︒而して所有格はと これも未だ単なる形式であって嵐の語義は更らにそ
古誌に於ける﹁てには﹂の意裁 1
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、 れが現誕の事態に適用されるに至って始めてそこに成立するので
が凡ゆる關係を表現しえたと一
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三五.︹三七三九︶ それは時虚的助僻の性格を明 術される︒
りも直さ赤主
︑︑︑ しる馬に側すに英語の獅諜
に脇するもの
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変ふ 併し
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二︑記の歌謡に於ける﹁波﹂と﹁婆﹂
古事記の歌誘に用ひられた助辞の﹁波﹂及び﹁婆﹂は總数百四十例︑うち﹁波﹂九十六例︑﹁婆﹂四卜四例である︒
併し今日の川法では當然﹁波﹂たるぺきところが﹁婆﹂になってゐるもの四例︑その逆が五例あり︑從ってむしろ﹁は﹂
が九十五例︑﹁ば﹂が四十五例と云ふ方が適岱かも知れぬ︒︵尤も私の使った本は普通の流布本であまり樅威と認め難
い︒特に﹁ば﹂館︐魂︑弱︑記は疑問である︒これも平Ⅷ家の御訂正を俣つ・︶︑
先づ﹁は﹂の用例から始めよう︒恭號は歌謡に出て来る順序を示すものと御承知願ひたい︒
●1︑八千矛の榊の命は︵これは謡ひ出し︶︑
z︑3︐4︑青山にぬえは鳴き︑さぬつ烏きぎしはどよむ︑庭つ烏かけは鳴く︑うれたくも鳴くなる烏か
ナ5︐6︐7︑今こそば︑千鳥にあらめ︑のちは和烏にあらむを︑命はな死せたまひそ
8︑背山に日が雁らぱ︑鳥羽玉の夜は出でなむ
9︑こればふさはす⁝:・こもふさはす⁝⁝こしよろし〃
叩︑皿︑泣かじとは汝は云ふとも・・・狼・・汝が泣かさまく
︑j托哩︑あが大国主こそは男にいませば
4週︑︑鴫︑あはもよ女にしあれば①汝筵きて男はなし︒汝をきて夫はなし
妬︑赤玉は緒さへ光れど︑白玉の︵論ひ出し︶
丈畢研究節三十二卿
『
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■■■l■■■■■■llql■可11割引・刊川lⅢ 三六︵三七四○︶
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可
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︑わがゐねし妹は忘れじ世のことごとに
蝿︑・しぎはさやらず⁝:・鯨さやる
心︑粟生にはからみ一本
0われは忘れじ撃ちてしやまむ
ヱ創心われはや飢ぬ
麺︑識は雲と居︑夕されば
廷
︑ f
霊lあ︑こはや︑御興木入日子はや︵3︶︒
︑火中に立ちて間ひし調はも
鵡︑豹︑夜には九夜︑日には十日を
鋤l郷・手わや腕をまかむとは︑あればすれど︑さい紅とは︑あれは思へど
梨︑新玉の年が米ふれば︑新玉の月は來へ行く
調︑大和は閏のまぼろば︵謡ひ川し︶
L釘郷︑命の全けむ人は︵謡ひ出し︶
︑わが世膣し劒の太刀︑その太刀はや
犯︑空は行かず︑足よ行くな
︑海がはいさよふ
古紙に於ける﹁てには﹂の意義
』
三七︵三七四一︺ 、
q r咽P小間咄T1Ⅲl哨仏︑wぽ■■且■■■■■■■ロ■■■■■■■■■■■■ll1IIiI心別Ⅳ冊ⅢI
、
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生マ
丈恥研究節三十二斡三八g一七四二︶
︑溌よは行かず︑磯傳ふ
︑この御酒は︵謡ひ出し︶γ・●・枢︑この御酒をかみけむ人は︵謡ひ出し︶
網︑︑後手は小柵ろかも︑歯並みはひしなす〃
ハヅニシハニ
妬︑妬︑初土は肘あからけみ︑下土は丹黒きゆゑ々︑その中つ土を⁝⁝興日にはあてず
ホヅエシヅエ
偲卵︑花橘は︑上枝は鳥居がらし︑下枝は人取りがらし証︑道の後︑厘田をとめは季はす︵論ひ出し︶
粟I弱︑いきらむと心はもへど︑いとらむと心はもへど︑本雲へは君を思ひ出︑末べは妹を思ひ出・/
妬︑沖べには小舟連らく︵謡ひ出し︶
︑弱︑往くは誰が夫︵2︶
的︑しが葉の殴りいますは大君ろかも
︑わが兄欲し園は
印︑あが兄の君は涙ぐましも
い︑︑八田の一本菅は︵2︑謡ひ出し︶
一
︑雲維は天に翔る︑高行くや速總別︵論ひ出し︶[
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︑梯立の倉椅山は嶮しけ夢︵謡ひ出し︶
︑汝こそは世の長人〆
︑あれこそは世の長人
︑
︑経に知らむと雁は子むらし
の︑こぞこそば易く肌慨れ
︑︑ゐねてむ後は
︑九︑池︑うろはしと℃さねしさねてば︑苅どもの蹴れば乱れ︑さねしさねては
河・たづが香の聞えむ時はわが名問はされ
︑言をこそ製と云はめ︑わが妻はゆめ
海︑迎へを行かむ価待つには待たじ〆
九︑刀︑大淀には幡張り立て︑さををには帷張り立て・
沼︑刃︑いくひには鏡を掛け︑眞くひには興玉を掛け
帥l認︑本べにはいくみ竹生ひ︑未べにはたしみ竹生ひ︑いくみ竹いくみはれず︑たしみ竹たしにはゐねず
別︑まきむくの日代の宮は︵謡ひ出し︶L
・宇
一稲l卯︑槻が枝は︑上つ枝は天をおへり︑中つ枝は東をおへり︑下づ枝は鄙をおへり︑上つ枝の枝の末葉は中つ枝に藩
アヅマ
ちふらはへ︑中つ枝の枝の末葉は下つ枝に落ちふらはへ︑下づ枝の枝の末葉はあり衣の言垂の子が:⁝
古語に於ける﹁てには﹂の意韮三九︵三七四三︺
︲llll︲︲1■U■■■I■■■■■■U■■■l0lII
『
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1111 丈學研究第二干二稗︑阿○︵三七四四︺
蛇︑百敷の大宮人は︵謡ひ出し︶
蝿︑舛︑朝戸にはいより立たし︑夕戸にはいより立たす
9寺
・蝿︑明日よりは深山がくりて見えずもあらむ.秒
これらの用例は﹁は﹂を以て特説の助辞であると云ふ在来の通説を先奎に裏書きする︒︲﹁は﹂蒸平なる主格の助僻
でないことはそれらに於ては殆んど全て何等意義を塗化することなく﹁は﹂を除去しうると云ふことによっても知ら
れる︒或は﹁沖ぺには﹂﹁演ょは﹂等を主格であるとは仙人も敢へて主張しえないところであらう︒素より特説と云ふ
意味は湘當多様であることを許さなければならぬ︒例中︵これは謡ひ出し︶と註した諸例の如きは提題の特諭であり
﹁ぬえは鳴き︑きぎしはどよむ﹂﹁これはふさはず︑ともふさは歩﹂の如きは對照的特説であり︑﹁とそは﹂﹁はや﹂の
如きは眠勢乃至感嘆を既にそのうちに含んでゐるとも考へられる︒併し私が今と上で云はうとするのはそのことでは
ない︒それはこれらの諸例を通観することによって︑﹁ば﹂も亦本來は孵読の助瀞に過ぎないと云与王張を準備しよう
とするのである︒
﹁ば﹂の用例をやはり歌謡の順序に從って番號︵ゴチク︶を附けて引朋すると次の通りである︒
7︑青山に月が隙らば︑いば玉の夜は出でなむ
9︑川︑群れの鳥のわが群れ往なば︑引け鳥のわが引け往なば
M︑脂︐こなみが魚乞はさば︒⁝・・うはなりが魚乞はさば
肥︑畝火山︑翌は雲と居︑汐されば︑風吹かむとぞ︑木の葉さやげる
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I
胴︑新玉の年が來經れば︑新玉の月は來經行く
副︑海が行けば腰なづむ
︑山方に薄けるあを菜も︑吉怖人と共にし摘めば楽しくもあるか
魂︑梯立の倉はし山は.嶮しけど妹と登れは嶮しくもあらず
認︑大湫を島にはふらば
妬︐しがあれば心こぼしけむ
以上十二例は全てその動詞を﹁何堂する時﹂と世換へ︑且つそれに﹁は﹂を附けてその状況を職調する場合と意味
が同じであると云ふことができる︒即ちそれらを﹁日がかげる時﹂﹁わが去る時﹂﹁魚を乞ふ時﹂﹁夕募が来る時﹂﹁年
が来る時﹂﹁海がを行く時﹂﹁共に摘む時﹂﹁妹と蚕る時﹂﹁路にはふる時﹂﹁それがある時﹂とし︑而してその各に﹁は﹂
を附けて特詑とした場合である︒或は人は云ふかも知れぬや何もパラフレィズしてまで﹁ば﹂を﹁は﹂忙替へること
は無意味である︑パラフレイズした文は原文とは祇感に於て頗る違ったものとなる︑從って﹁ば﹂は﹁は﹂と迷った
凋孵の表現力を持ってゐるのであると︒私はこ上に諦感の問題は卿らく措き︑それらが表はす淡述の内容を考へよう
としてゐる︒而してその硯鮎に於て︒﹁ば﹂は﹁は﹂と異るものではないと主張したいと思ってゐるのである︒﹁ば﹂と
﹁は﹂とは本来は同じもので︑それらが異る軸は前者が川言を頂き︑後者が体言を頂くと云ふことだけではないだら
うか︒この相異が發普の上でも﹁ば﹂と﹁は﹂との祁異となって現はれてゐる︒併しそれらが表現する内容に於ては
雨考の川に何等の相異をも認めることができないのではなからうか︒この鮎を明かにするために上述の諸例に於て借
古蹄に於ける−てには﹂の意義四一︵三七四五︶
〆
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⑭ 四 1
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文學・研究策三・十二輯四二︵三七四六︺
りに用言的表現を体言的な表現に措き替へて見たに過ぎない︒その結果は勘くともこれだけの範囲内では私の豫想を
裏書きするやうに見える︒尚ほこの場合﹁は﹂をオミットしても意義には何等本質的な愛化が現はれぬと云ふととが注
目される︒︑ .〜
1︐2︐5︑おすひを未だ解かねば︑をとめの鴫すや板戸症︑おそぶらひ吾が立たせれば︑引こづらひ吾が立たせ
れば︑青山にぬえは鳴き・・・⁝
妬︑千葉の蔦野を見れば︑百千足る家庭も見抄︑國の秀も見ゅ
餌︑すくすくと吾がいませばや︑木幡の道に逢ひしをとめ
6−妬︑わが図見れは⁝⁝あぢまさの小島も兇ゆ
配︑つぎね生や︑山城川を川上り︑わが上れば︑河の邊に生ひ立てる.:⁝さしぶの木
羽︑つぎね生や︑山城川を宮上り︑わが上れば︑青土よし奈良を過ぎ
弱︑埴生坂︑わが立ち見れば︑かぎろひの燃ゆる家群︑妻が家のあたり
弱︑大阪に︑逢ふやをとめを遁問へは︑直には告らす︑當肺道を告る
ナヲリ︑.潮瀬の波折を見れば︑遊び來る鮪がはた手に︑妻立てり見ゆ
以上の十一例ではその動詞を﹁何々する時﹂と瞳き換へることはできるが︑更らにそれらに﹁は﹂を附けて特説とす
ることは困難であるやうに見える︒併しその内容は﹁未だ解かないうちに﹂﹁立ってゐる時﹂﹁葛野を見渡す時﹂﹁吾が
行った時﹂﹁わが國見をする時﹂﹁川を上って行った時﹂﹁立って見渡した時﹂﹁道を聞いた時﹂﹁波折を見る時﹂と次に
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軸る︒詔は壁それらは提題の特説である︒恰もそれは一︲は﹂の例に於て﹁花橘は︑上枝は鳥居枯らし﹂の﹁花橘は﹂が
上枝に棚する叙述の提題となってゐるのと同様である︒このことは上禍の十一例中七例︵妬︑躯︑記︑鯛・弱︑記︑
〆叫︶までが謡ひ出しの句であると一エふことのうちにも反映してゐる︒然らば何故それらを﹁何々する時﹂とパラフレ
イズしたときに﹁は﹂を附けることができないのであらうか︒それは私見によれば﹁何堂する時﹂と云ふ表現中には
銃に提説的意味を明かに含んでをり︐特に上例のやうな場合には更らに﹁は﹂によるその強調は不自然に思はれるか
らであらう︒動詞文ならば素よりそれ自身のうちに提説的意味はなく︑従って﹁は﹂即ち﹁ば﹂を必要とするのであ
る︒こ上に於て私はこれらの諸例に於ける﹁ば﹂も亦所謂特説の﹁は﹂と異るものではないと老へたい︒︑
以上の諸例は凡て現在若くは過去の出来事を特説したものであった︒然るにこれと同様に未來及び想像の時に於け
る出来事をも﹁ば﹂によって特説するごとができる︒ 現はれる事件の行はれる﹁場﹂を鐙示して︑それを準備する役割を荷ってゐるものであると云ふ鮎に於て一致してゐ
脇︑今撃たばょらし 』
別︑一つ松︑人にありせば
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︑Ⅱ1︐再Au
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、 あからをとめを誘さ上ばよらしな
白たiむきまかずばこそ︑知らすとも云はめ
大君し可しと聞こさば︑渦り居りとも
h孤︐多逓比野に畦むと知りせは︑たつごもも︑
古諦に於ける﹁てには﹂の意義
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持ちて来ましもの︑渡むと知りせば
四三
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︵三七四七︶
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11 文筆肝︲先第三十二脚四四g一七四八︶
認︑大だむ輕のをとめいた泣かば︑人知り砲ぺし
この八例については上述以外に別段の抗明を必要としないであらう︒残り十四例中九例は恐らく弧勢の﹁ば﹂であ
ると老へられる︒而して弧勢は素より特枕の一種である︒
4︐6.・8︑刑︑恥︑岨︑妬︐事の語りごともこをば
塑︑いざあぎ︑振熊が術手負はずは︑秘鳥の淡海の海にかづきせなわ︲
訂︑うるはしと︑さねしさねてば︑苅どもの乱れば乱れ︑さぬしされては
この例のうち﹁こをば﹂と一エふと斐祇﹁を﹂は体言でありながら﹁ぼ﹂を作ふと云ふことが私にはわからない︒それ
は単なる音便であらうか︒或は﹁詮﹂は雛に動刈を豫想するためであらうか︒因みにこれと同様の現象が既出の﹁今
こそば﹂﹁こぞこそば﹂と云ふ場合に二例現はれてゐる︒﹁こそ﹂が﹁ば﹂を支配するのでないことは他に﹁こそは﹂と
云ふ例が認められることから云へさうに恩はれる︒然らばそれは﹁今﹂若くは︒﹁今こそ﹂によって支配されるのであ
る︒これも今は疑問として残して世かなければならぬ︒
扱て最後に礎つた五例は凡て﹁何糞であるから﹂とパラフレイズす尋へき場合である︒
5︐ぬえ率の女にしあれば
︑
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胆︑あが大國主こそは男にいませば
洞︑あはもよ女にしあれば
Ⅳ︑いゆを守らひ戦へば︑われはや飢ぬ︑
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心
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◆岨︑あがもふ妻ありと云はばこそに︑家にも行かめ︑岡をも偲ぱめ
これらの文章中には他に既に魍勢の助酔が現はれてゐる︒或る文章事態に於てその前件を塒に強く特説すれば︑そ
こにおのづから﹁だから﹂﹁したので﹂と云ふ意味がにじみ出して來ることは極めて自然ではないだらうか︒素よりそ
れは他に扱勢の助辞があるからではない︒文章事態に既にさう云ふ關係が含まれてゐることがその前提となるもので
あることは云ふまでもなからう︒だから他の強勢の助辞がなくとも勿論﹁だから﹂と云ふ意味は表現される︒併しそ
れは﹁ば﹂が特説の助僻であるからに他ならぬ︒
以上述ぺたところから私は古事記の歌謡に現はれた凡ゆる﹁は﹂凡ゆる﹁ば﹂が元来同じものであり︑それは何れ
も特設の機能を螢むものであることを證明しえたと老へる︒その諦明の一堂の理由が一義的なものだと主張するので
は勿論ない︒そこには他の説明法がより安岱である場合も存在するであらう︒併しさう云ふ訂正は可能でも︑﹁は﹂と !
﹁ば﹂とが特説の助瀞であると云ふ根本的な結論はこれを愛革することができないのではなからうか︒或位人は云ふ
かも知れぬ︒特説とはその内容が極めて漠然としてをりそのうちには凡ゆるものを含みうる︒蛭え﹁は﹂と﹁ば﹂と
が特枇の機能を醤むものであると云ふことが證明されても︑それは文法論には何等の寄與をも術らすことはできない
と︒文法論では史らに分化せる内容的規定を必要とするであらう︒或は形式的硯鮎からの睡別が問題とならざるを得
ない︒併し私は今その黙を論じようとしてゐるのでないことは前にも述べた︒こ上で私が云ひたいと忠ふことは﹁は﹂
と﹁ば﹂との祈後にあってか上る表現を荷ってゐる心理的過程の同一性を指摘することである︒かkる同一の心理的過
程が雌一両的表現では﹁は﹂となり︑Ⅲ一面的表現では﹁ば﹂となる︵素より上述の﹁を﹂に於けるが如き僅かの例外は
古描に於ける﹁てには﹂の窓義四五︵一二七四九︺
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︲ 1 1 l l l l l l l l I 1 j I I l 1 l l l l l 1 咀 口
卜hll、
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β記の歌謡からだけでも想像されないことはないが︑それには史らに後代に於けるその發展の跡を究めることが望まし
◆
丈學研究第三十二脚屯四六︵三七五○︺
認めなければならぬが︶そこの事怖を明かにして見たいと老へたに過ぎない︒
﹁は﹂の川例には例へぱ﹁後手は小柵ろかも︑曲並みはひしなす﹂と云ふやうな對照的表現が多い︒然るにこれは
二つの﹁は﹂によって表現されるばかりでなく︑一つの﹁は﹂︐F一つの﹁ば﹂とによ2Lも表現される︒︲例へぱ﹁梯
立の倉椅山は嶮しけど︑妹と登れば嶮しくもあらす﹂又﹁畝火山︑喪は雲と届︑︑夕されば風吹かむとぞ︑木の葉騒げ
る﹂の如く︑そこに川ひられた﹁は﹂と﹁ば﹂との心理的意義には何等の随別をも認めることができない︒︒
﹁は﹂は本来の主格ではない︒これは既に一般に認められてゐるところであらう︒日本語では主格は全然峡如する
ことが頗る多い︒又特定の助緋なしにも現はされる︒記の歌謡には助僻なしの場合が約四十例ある︒﹁八千矛の肺の
命︑いえ車の女にしあれば︑わが心油すの烏ぞ⁝⁝﹂に於て﹁あれば﹂の主格は現はれてゐない︒﹁わが心﹂には助
ノ6︾僻がない︒そこに所有的含蓄があれば﹁が﹂が用ひられる︒これも約四十例ある︒そこに特読的意味が要求される場
合には﹁は﹂が添加される︒
﹁は﹂の川例九十五のうち主格と詔むぺきものは︑兄方によって異るだらうが︑私はその約半数に過ぎないと老へ
る︒上の御欲は﹁浦すの烏ぞ﹂に引き縦いて﹁今こそは千鳥にあらめ︑後は和島にあらむを︑命は左死せたまびそ︲一と
ある︒これらの﹁は﹂は三つ共主格ではない︒﹁沖つ烏︑鵬どく島にわがゐねし︑妹は忘れじ世のととごとに﹂の﹁は﹂
を主格にとれば意味は逆様になる︒さうかと云って﹁妹を忘れじ﹂と歌ったのではすさまじき限りと申さねばならぬ︒
この他記の歌謡には﹁の﹂が主格的に川ひられてゐる場合が約四十例見出される︒この﹁の﹂が使剛される事怖は
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の類推によって漸次に所脇的意味を獲得し︑﹁が﹂が動作者の立場に於ける所脇的主格と表難するのに對して︑﹁の﹂は
堕一藩の︑或は客観的な立場︲から見た所脇關係逓表現するやうになつゞたのではな・いかと考へる︒現代語に於ける﹁私
が行くとき院﹁私の行くとき﹂と云ふやうな表現中にはこの間の消息が反映されてゐるのではあるまいか︒尤もこの
問題は没除やり出して見ると想像以上に複雑なものであることがわかる︒うっかり想像で喋ってゐると︑後で飛んだ
恥をかLなければなら砲だらう︒誰れか本腰で研究する人はないか︒︵昭和一七︑四︑三○︶
﹁附記﹂費験的庭理法の本質は先づ或る事象を出來るだけ精確に叙述してそこに假説を立て︑次にか出る假読を
所謂同愚閂冒g旨ョQ固いによって蒲密化して行くところにある︒始めに假説を立てることはやさしい︒如何にして
決定蜜臓の條件を織成するかと云ふことが研究者の悩みなのである︒然るに私の場合には天茄とも云ふくく︑かNる
條件が眼の前にぶらさがってゐる︒即ちそれは先づ帆詞と宣命とについて上の場合と同じ虚理をしさへすればよいの/
である○さうすれば私の仮説のうち間迷った部分は直ちに排除される︒正しい部分はより眞らしくなる︒若しこ恥が
私の専門の仕事なら︑今にも直ぐにこの錐を拠り川してその問題に飛びつくであらう︒在は私にその野心がな・かつた
わけでもなかった︒耐詞と宣命がすんだら寓葉になど上應水の下よはへつ上思ったことである︒併し素人は學界に何
等かの刺戦を典へうればそれを無上の圭耐と老へなけれぱならぬ︒この頃のはやりのやうに︑素人がさかしらをする
ときほどすさまじきものはないのであるから︒
古語に於ける﹁てには︲の迩義四七︵一二七五一︶
Lい︒私には到底さう云ふ雌争としてゐる暇がない︒唯こ入に私の想像を述べることが許されるならば︑﹁の﹂は﹁が﹂ 04■■〃ず9P
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文嬢研究〃第三十二岬四八︹三七五二︶
﹁袖迩﹂日本書紀の歌砺には﹁厳木が上の﹂︵仁徳︶﹁三諾が上に﹂︵繼慨︶﹁藍むれが上に﹂︵齊明︶と云ふ﹁が上﹂が
三例ある︒從って本文に於て﹁が上﹂が後代の發生であると云った私の主張は鍵分愛史されなければならぬ︒併しやはり
一つは厳木であり︑他の二つは固有山名であることが注側される︒若しさう云参ものでなければ﹁ありをの上の﹂﹁石の
上﹂﹁城のへに立ちて﹂等と云はなければならぬのであらう︒この他紀の歌識には一般的に云って私の假批に紙鯛する場
合はないやうに見える︒
荷ほ本文に﹁枯野﹂を雌に生物と縦いたのは淺苅であった︒これは船の間有名であり︑船は勿論太刀など上同格に老へ
られる︒さう考へて來ろと﹁脇づきが下﹂の﹁脇づき﹂も醐葉節三歌から呪はれるやうに︑天皇の御弓であると云ふこと
ができるのではあるまいか︒
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・UqrlqけilLIIlIIlI︑F1Y岾引Ⅷ脚ⅢhⅡⅢⅦl︲︲111州
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