論 説
明治 22 年熊本地震の詳細震度分布
名古屋大学大学院環境学研究科*
山 中 佳 子・新井田倫子
†Seismic Intensity Distribution of Meiji 22 Kumamoto Earthquake
Yoshiko Y
AMANAKAand Noriko N
IIDA†Graduate School of Environmental Studies, Nagoya University Furo-cho, Chikusa-ku, Nagoya, 464-8601, Japan
(Received November 16, 2017; Accepted January 12, 2018; published online on February 20, 2018) On July 28, 1889 (Meiji 22), an earthquake (M=6.3) occurred in the western part of Kumamoto city. The damage statistics for each municipality are reported in the Official Gazette. The data on ground fissures and the seismic damage to houses, bridges, and stonewalls was used to estimate the seismic intensity based on the relation between seismic intensity and seismic damage. We obtained the seismic intensity distribution of this event. The obtained seismic-intensity map was compared with the site amplification factor data provided by the National Research Institute for Earth Science and Disaster Resilience (NIED). It seems that the regions with large site amplification factors tend to experience high seismic intensities. The seismic intensity of some areas estimated in this study were 2-3 levels greater than that estimated from the data on collapsed houses.
The houses of the Meiji period were generally located on relatively strong ground with a small amplification factor. In contrast, bridges often were built on weak ground. Thus, the seismic intensity determined only from the damage to houses may sometimes be smaller than that estimated from damage to other structures.
Nowadays, residential areas exist not only on strong ground but also on relatively weak ground. In the event of a large earthquake, the seismic damage to houses may be more severe than that in the Meiji period.
Key words: Meiji 22 Kumamoto Earthquake, Seismic damage, Seismic intensity, Site amplification factor
§1. は じ め に
明治 22 年熊本地震は,明治 22 (1889) 年 7 月 28 日 23 時 45 分に発生した地震である.当時の報道では,熊本 市での地震発生時の様子を「安政の震災以来稀有のもの
(大地震)なりと云ふ」「普通堅牢の家屋さえ檐(ひさし)
落ち窓破れ戸障子外れあわや礎石より揺り倒れんずる在 様…少しく老ひ朽ちたる家屋の何かは以ってたまるべき 或いは倒るあり或いは破るるあり其の惨状の程實に名状 するに堪へず従って死傷もまた少からざれば…」[いず れも九州日日新聞 (1889a)]と伝えていて,数十年来の大 地震によって建物および人的被害が多く発生している様 子がここから伺える.震度分布から,震央は東経 130.65 度,北緯 32.8 度(熊本市の西約 5 km,金峰山麓),M=
6.3 と推定され,熊本県下で家屋全倒 234,半倒 329,死 者 19 などの被害があったことが記録されている[宇佐 美・他 (2013)].
今村 (1920) は,この地震による熊本市内の町別および 県内の町村別の家屋の被害,死傷者,裂地,山林崩壊,
橋梁被害等を集計した.また,家屋の全潰数,半潰数,
明治 31,32 年調べの総戸数から住家の「被害百分率」を 算出し,その分布から最大被害区域は金峰山を中心とし て東西及び南西方向に突出する地域であるとした.そし てその領域が同心円状にならない理由として,金峰山の 東南部に比較的堅牢な洪積層の地盤が分布しているため であるとしている.
久保寺・他 (1988) は,今村 (1920) の統計と,明治 34 年発行の 5 万分の 1 地形図に基づいて抽出した当時の住 宅分布を利用して,家屋の倒壊率を地図化した.この地 図から,家屋倒壊率が 1% 以上となる場所が熊本市の中
*
†
〒464-8601 名古屋市千種区不老町
現所属:〒435-0015 静岡県浜松市東区子安町 311-3 三栄 ハイテックス株式会社
心を通り南西から北東に走る断層である立田山断層の位 置とほぼ一致しているとして,この地震が立田山断層の 一部が活動して起こったものであると解釈している.渡 辺 (1987) によると,立田山断層は鉛直に近い北落ちの正 断層である.
武村 (2016) は今村 (1920) の被害統計を用いて,市町 村ごとの家屋の全潰率(全潰家屋数/総戸数)と全半潰率
((全潰家屋数+半潰家屋数)/総戸数)を改めて算出し,
それらを利用してこの地震の市町村別震度分布を作成 し,平成 28 年 4 月に発生した熊本地震との震源の違い を議論している.武村 (2016) で判定された震度は,現在 の熊本市西部,金峰山周辺で 6 弱と最も高く,平成 28 年 の地震で被害が大きかった益城町(当時の木山町)では 震度 5 弱と推定されている.
本研究では,明治 22 年熊本地震についてより詳細な 震度分布を求めるため,官報・新聞記事・地方史資料か ら各地の家屋だけでなく橋梁や地盤・堤防などの被害情 報も収集した.それらを宇佐美 (2016) の基準を用いて 震度に変換し,地図上にプロットして詳細な震度分布図 を作成した.その上で,家屋の被害だけから震度分布を 求めた武村 (2016) の結果と比較し,震度が大きく異なる 地点について表層地盤データ及び地震発生当時の土地利 用を参考にして原因を検討した.
§2. 史 料 調 査
明治 22 年熊本地震に関する重要な情報として,まず 官報の記録がある.官報は政府が毎日発行している機関 紙であり,国会・官庁・自治体などの報告を記載してお り,信頼性が高い史料である.1880 年から 1959 年の間 に発行された官報が国立国会図書館デジタルコレクショ ンで公開されており,本研究ではこれを利用して明治 22 年熊本地震の詳細な被害状況を調査した.明治 22 年熊 本地震の被害については,熊本県の報告に基づき熊本市 内の町別・郡部の町村別の被害統計を掲載しており,記 録の詳細さという点においても有用である.
このほか新聞記事も被害情報源として重要な資料であ る.今回の調査では熊本県の地方紙である九州日日新聞
(現在の熊本日日新聞の前身)と,全国紙である東京朝日 新聞の記事についても調査した.新聞記事には特に熊本 市内の被害の様子が詳しく記載されている.中でも市内 の派出所への届出を取りまとめた「災害取調べ報告」[九 州日日新聞 (1889b)]には,「下通四町目(現在の新市街)
六十一番地借宅中川萬充方二間半六間の瓦葺居家全潰」
というように,被害を受けた建物の場所や被害の程度,
死傷者がいる場合は怪我の程度までが記録されている.
郡部の被害についても報道されているが,地区によって
詳細さのばらつきが大きい.例えば山鹿郡山鹿町・来民 町(いずれも現在の山鹿市)については,山鹿警察署か らの報告として「所有の土蔵壁長貮間半墜落 来民町 佐藤半七」[九州日日新聞 (1889c)]といった形で,届け 出のあった建物の被害が町名とともに列挙されている.
一方で玉名郡の被害に関しては,「大要を掲ぐれば家屋 全倒十二戸,半倒二十二戸,圧死者一名…」[九州日日新 聞 (1889d)]といった形で郡内の被害をまとめて掲載し ているにとどまる.
ほかに利用できる資料として,明治 22 年熊本地震を 経験した古老に対して昭和 55 年に聞き取り調査を行い,
それをまとめた記録が「明治二十二年の大地震」[高木 (1995)]の中に残されている.これは旧菊水町(現在の 和水町)で行われた聞き書きであり,小字単位での詳し い被害状況をうかがい知ることができる資料であるが,
地震後かなり年数が経ってからの聞き取りのため,信憑 性に多少問題がある.例えば,江田村瀬川中原(現在の 和水町瀬川中原)の被害について,明治 16 年生まれの古 老による「柱が土台から一尺余り浮き上がったり,又左 右にも揺れた.この中原で家が七・八割倒れた」という 証言がある.しかし,官報による被害統計を見ると,江 田村での家屋の被害は家屋全倒なし,半倒 1 となってお り,地震後かなり経ってからの証言は過大評価なってい るように思われる.また,同じく「明治二十二年の大地 震」[高木 (1995)]の中に収録された江田村大字瀬川の記 録である「五野保萬日記」という当時書かれた日記に記 された大字瀬川地区の被害は「当村の鴬原(現在の和水 村瀬川鴬原),…(中略)…大に地引割り並に新宮石垣亦 大に狂い,所々破損不少」とされており,ここからも同 じ大字内で家が七・八割倒れるというのは考えづらい.
このように,聞き書きの中の情報は,統計には残らない ほどローカルな,また地震の揺れ方や家屋の被害の受け 方について詳細な状況を知る手掛かりとなる一方で,地 震当時 5∼6 歳の子供であった人の記憶を 90 年が経過し た後に聞き取っているということを踏まえ,他のリアル タイムで記録された史料などと比較しながら慎重に被害 を判断していく必要がある.
自治体史(市郡町村史)や郷土史の一部からも,明治 22 年熊本地震に関する記録が見つかった.本研究では,
熊本県内全域を網羅する 302 冊の自治体史・郷土史につ いて,国立国会図書館・東京都立中央図書館・熊本市立 図書館で文献調査を行った.その結果,27 冊の自治体 史・郷土史から,明治 22 年熊本地震についてなんらかの 記述が見つかった.
今回収集した被害情報の総数は 179 件,それらを場所 別にしてまとめたものを表 1 に示す.
§3. 震度の推定及び詳細震度分布の作成
収集した被害記録のうち震度の推定に利用できる情報 で,かつ場所が特定できたものは 166 件あった(表 1).
被害記録から震度を推定する方法として,本研究では宇 佐美 (2016) の基準を利用した.被害の状況から震度を 推定する場合,求められる震度はその場所での震度の最 小値であるため,震度はすべて「震度○以上」という形 で求められることに注意が必要である.本研究では家屋 だけでなく,橋梁や地盤・堤防などの被害からも震度を 推定するため,同一地区について複数の項目から震度が 推定されることがある.その場合には,その中で最大の ものをその地点の震度とした.
推定した震度を地図にプロットするため,次に被害記 録から得られた地点をできるだけ地震発生時に近い時期 の地図に基づいて特定した.熊本市内については明治 42 年発行の「熊本市街図」及び明治 26 年発行の「熊本市 街全図」(いずれも熊本市立図書館蔵),熊本市外につい ては明治 35∼37 年発行の陸地測量部による 2 万分の 1,
5 万分の 1 地形図の謄本を国土地理院より入手し,該当 の市町村・地区のなかで当時住宅が分布していた場所に 推定した震度情報をプロットした.合併などによって地 震当時の町村名が残っていない場合は,「日本歴史地名 大系 (44) 熊本県の地名」[平凡社 (2002)]を参照し,場所 の同定の参考とした.このようにして場所が同定できた 被害情報は 151 個であった.被害情報から得られた地点 での震度分布を図 1 中の震度で色分けした丸印で示す.
§4. 考 察
4.1 震度分布についての考察
図 1 の震度分布をみると,震央[宇佐美・他 (2013)]か ら近い場所では震度 6 あるいは 5 強以上を示す地点が多 く,震央から遠くなるにつれて震度 6 の地点がみられな くなり,震度 5 弱以上を示す地点が多くなる.このこと から,本研究で推定した震度も広域な震度情報から推定 された宇佐美の震央で概ね説明できそうである.図 1 の 赤線はこの付近に存在する布田川・日奈久断層帯であ る.明治 22 年の地震で震度が特に大きかった地域は熊 本市の西側の金峰山付近であり,布田川断層帯(宇土区 間)からは離れている.2016 年 4 月の熊本地震は日奈久 断層帯(高野-白旗区間)および布田川断層帯(布田川区 間)で発生した地震であり,布田川断層帯(宇土区間)
は活動しなかったが,明治 22 年の地震もこの断層の活 動ではないと考えられる.
また図 1 から,被害報告があり震度がプロットできた 地点の分布が,震央の北側では県境近くの町村まで広く 分布しているのに対し,南側では比較的震央に近い場所
(宇土半島の付け根あたり)までにとどまっていること がわかる.本研究の手法では,土地や建造物の被害の記 録から震度を得ている.そのため,地変や建造物の被害 が生じない,震度に直せば震度 4 以下に相当する場所に ついては震度を決定することができず,震度分布には現 れない.確かに熊本県下で被害の記録があるのは,当時 の熊本市・飽田郡・託麻郡・玉名郡・菊池郡・合志郡・
山鹿郡・山本郡・上益城郡・下益城郡・宇土郡にわたる 範囲である.阿蘇地方及び熊本県南部については大きな 被害の記録はなかった.また熊本県中部から南部の三 角・宇土・八代などの町には,被害甚大であった熊本市 からの避難者が多かったと記録されている[九州日日新 聞 (1889e)]ことから,この地域の被害は小さかったこと が想像できる.
なぜ震度 4 以上を推定できた地点が震央の北側に広く 広がったのかを調べるため,この地域の地盤との関係に 着目し,震度に大きく影響する表層地盤増幅率と本研究 で得られた震度分布との比較を行った.ここでは表層地 盤の増幅率として防災科学技術研究所の J-SHIS ホーム ページ上で公開しているデータを用いた.図 2 は J-SHIS による表層地盤増幅率の分布と,本研究で推定した明治 22 年熊本地震の震度分布を重ね合わせたものである.
表層地盤増幅率の数値が大きい場所ほど揺れが大きくな る.防災科学技術研究所の解説によれば,この数値が 1.6 以上で危険性が高いと判断される[防災科学技術研究所 (2009)].図 2 を見ると,震央近傍には揺れやすい地盤が 広がってはいるものの,震央から少し離れると震央の北 側(熊本県北部)に比べて南側(宇土半島以南)の地盤 が比較的強固であり,地震波を増幅しにくいことがわか る.また,震央から離れていても表層地盤増幅率の大き な場所では,概ね周囲よりも推定震度が大きくなってい ることもわかる.このことから,震央の南側の表層地盤 が北側に比べて比較的強固であることによって震度 4 以 上の地点の分布が震央の北側に広がったと考える.
4.2 武村(2016)による市町村別震度分布との比較
武村 (2016) は,今村 (1920) の被害統計を用いて市町 村ごとの家屋の全潰率(全潰家屋数/総戸数)と全半潰率
((全潰家屋数+半潰家屋数)/総戸数)を改めて算出し た.震度評価の手順は武村・虎谷 (2015) の手順に従って いる.まず,被害報告のあるすべての地点の震度を 4 以 上とする.次に,全潰率で震度 7,6 強,6 弱,5 以下をま ず判定する.5 以下の場合は全半潰率から震度を判定す る.このようにして決定された市町村別震度分布を,図 1 の市町村のベタ塗りの形で示した.なお市町村界は,
「国土数値情報ダウンロードサービス」にて提供されて いるうち最も古い情報である大正 9 年時点での行政区画
Table 1. Seismic damage reports of Meiji 22 Kumamoto Earthquake and estimated seismic intensity.
市郡 町村 字など 現在の地名 内容 出典 推定震度
熊本市
裂地 13 カ所,延長 817 間.幅は 広いもので三寸.概ね南北方向.
南へ倒れる家が多い.最初の振動 の後,井水の白濁が 1 カ所,汚濁 したものが 1 カ所,赤色に変化し たものが 1 カ所
官報 1942 号 5 弱以上
熊本市 熊本城
第六師団門(元・頬当門)行詰の 石垣闇がり門入口西外の石垣,大 崩れ,闇がり門内四カ所仝所より 東へ入口北側一カ所,元飯田丸跡 その他大門入口の左手軍法会議所 外北の石垣大崩れ,仝櫓方及び衛 戍兵営弾薬庫内其外西大門並びに 南大門の行詰め百間石垣諸木園上 手,下馬橋西詰東岳の丸等の石垣 とも大小の崩壊凡て二十九カ所に 及ぶ
熊本明治震災
日記 5 強以上
熊本市 熊本県庁 白川公園 震動で壁が破損 官報 1942 号 3 以上
熊本市 熊本警察署 土蔵等破損あり 官報 1942 号 5 以上
熊本市 第六師団 屋舎 243 棟に破損を生ずる.木柵
又は土塀の倒傾 725 間,城内石垣
崩壊 29 カ所 官報 1942 号 5 強以上
熊本市 熊本始審裁
判所 軒落ち壁裂け又は屋根の破損等多
少あり 官報 1942 号 4 以上
熊本市 熊本監獄所 市役所 噴砂,噴水があった
新聞に見るく まもと庶民の
くらし 5 弱以上
熊本市 郵便局 噴砂,噴水があった 新聞に見るく
まもと庶民の くらし
5 弱以上
熊本市 下通一帯 噴砂,噴水があった 新聞に見るく
まもと庶民の
くらし 5 弱以上
熊本市 市民会館から交
通センターにか
けて 噴砂,噴水があった 新聞に見るく
まもと庶民の
くらし 5 弱以上
熊本市 慶徳小学校付近 噴砂,噴水があった
新聞に見るく まもと庶民の
くらし 5 弱以上
熊本市 古城町 噴砂,噴水があった 新聞に見るく
まもと庶民の くらし
5 弱以上
熊本市 祇園橋から白川
橋にいたる一帯 噴砂,噴水があった
新聞に見るく まもと庶民の
くらし 5 弱以上
熊本市 坪井一丁目 噴砂,噴水があった 新聞に見るく
まもと庶民の
くらし 5 弱以上
熊本市 内坪井 噴砂,噴水があった
新聞に見るく まもと庶民の
くらし 5 弱以上
熊本市 瀬戸坂
迫門坂。京町本 丁・壺 川 一 丁 目。京町台東柳 川小路の北川中 央部から寺原北 部へ下る二百数 十メートルの急 坂
瀬戸坂崩壊,家屋潰れ圧死傷 官報 1843 号 判断せず
熊本市 字新屋敷町 九品寺一丁目・
新屋敷一∼三丁
目 家屋全倒 1 官報 1843 号 5 強以上
熊本市 細工町四丁
目 細工町四丁目 家屋全倒 5,半倒 3,橋梁破損 1 官報 1843 号 5 強以上
熊本市 川端町 川端町 全倒 1,裂地 1 官報 1843 号 5 強以上
熊本市 小澤町 小沢町 全倒 1 官報 1843 号 5 強以上
熊本市 下通町 手取本町・安政
町・下通一∼二
丁目・新市街 全倒 1,裂地 2,井水濁 1 官報 1843 号 5 強以上 熊本市 安巳橋通町 安政町・下通一
丁目 家屋全倒 1,裂地 1 官報 1843 号 5 強以上
熊本市 新一町目 新町一丁目 家屋全倒 2 官報 1843 号 5 強以上
熊本市 下職人町 新町三・四丁目 全倒 1 官報 1843 号 5 強以上
熊本市 古城堀端町 古城町 全倒 1,圧死男 1,裂地 1 官報 1843 号 5 強以上
熊本市 西坪井町 坪井五丁目・壺
川一丁目 全倒 1,負傷男 2 女 2,橋梁壊落 1 官報 1843 号 6 熊本市 西外坪井町 坪井三丁目 全倒 1,半倒 1,圧死男 1 官報 1843 号 5 強以上 熊本市 中坪井町 坪井四丁目 全倒 5,半倒 2,圧死女 1,井水濁
1 官報 1843 号 5 強以上
熊本市 北坪井町
坪井四丁目(見 性寺の北の道が 中 坪 井 と の 境 界)
全倒 3,半倒 2 官報 1843 号 5 強以上
熊本市 新堀町 ?京町と二ノ丸
の間? 全倒 1,負傷女 1 官報 1843 号 5 強以上
熊本市 出町 出町 全倒 6,半倒 2 官報 1843 号 5 強以上
熊本市 寺原町 壺川一丁目・坪
井五丁目 半倒 2,裂地 2,井水濁 1 官報 1843 号 5 弱以上 熊本市 東寺原町 坪井五丁目 半倒 3,橋梁壊落 1 官報 1843 号 6
熊本市 内坪井町 内坪井町・千葉
城町・壺川一丁
目 半倒 1,裂地 2,橋梁破損 2 官報 1843 号 5 弱以上
熊本市 京町 京町一∼三丁目 半倒 1 官報 1843 号 5 弱以上
熊本市 鍛冶屋町 鍛冶屋町・上鍛
冶屋町 裂地 1,橋梁壊落 1 官報 1843 号 6
熊本市 唐人町 西唐人町・中唐
人町 裂地 1 官報 1843 号 5 弱以上
熊本市 小幡町 子飼本町 裂地 2 官報 1843 号 5 弱以上
熊本市 東坪井町 坪井五丁目・薬
園町 裂地 1 官報 1843 号 5 弱以上
熊本市 藪ノ内町 城東町 裂地 8 官報 1843 号 5 弱以上
熊本市 南千段畑町 南千段畑町 裂地 3 官報 1843 号 5 弱以上
熊本市 下馬橋通 本 丸 と 花 畑 の
間? 裂地 4 官報 1843 号 5 弱以上
熊本市 追迴田畑町 下通一丁目・花
畑町・新市街 裂地 4 官報 1843 号 5 弱以上
熊本市 洗馬町 船場町下・船場
町・桜町・辛島
町 裂地 4 官報 1843 号 5 弱以上
熊本市 新阪通 宮内? 裂地 1 官報 1843 号 5 弱以上
飽田郡
郡内裂地総数 612 カ所.最大のも のは長さ 250 間・幅 3 間.小さな ものでも長さ 5 間・幅 3 歩.概し て南東向き.田が裂けて砂を噴き 出すもの少なからず.石垣崖脚の 崩壊 1709 カ所,多くは南東へ崩 れる(家も).
官報 1942 号 5 強以上
飽田郡 西山の麓
当日午後 6 時ごろより井水が嵩を 増すもの 15 カ所,減水するもの 1 カ所.汚濁を帯びるもの 84 カ所,
紅色にかわるものもありという.
官報 1942 号 判断せず
飽田郡 船津村 突井戸仕掛の温泉が,震動の際金
砂を噴き出す.かつ,温泉に多少
の汚濁を帯びる. 官報 1942 号 判断せず
飽田郡 船津村 全倒 1,裂地 50,道路崩壊 1,山林
1,耕宅地 105,堤防 1,井水増 14,
濁 18
官報 1843 号 5 強以上
飽田郡 西山近く
鴨居近くの諸器物転倒,染物屋の 藍汁や水桶の水は皆南東に向かっ て流出.西山から離れるに従い数 が減る
官報 1942 号 4 以上
飽田郡 芳野村 大字野出村 裂地長さ 250 間幅 3 尺 官報 1843 号 5 弱以上 飽田郡 芳野村
全倒 36,負傷女 1,裂地 150,道路 崩壊 59,山林 8,耕宅地 1200,橋
梁壊落 1,破損 1,井水濁 3 官報 1843 号 6 飽田郡 海辺新地
小島町 大字下松尾
村 段をなしていた田畑が低落する 官報 1843 号 4 以上
飽田郡 黒髪村 家屋全倒 6,半倒 5,圧死男女各
1,裂地 1,井水濁 2 官報 1843 号 5 強以上
飽田郡 清水村 全倒 3,道路崩壊 3 官報 1843 号 5 強以上
飽田郡 川上村 全倒 1 官報 1843 号 5 強以上
飽田郡 硯川村 裂地 3 官報 1843 号 5 弱以上
飽田郡 寺迫村 井水濁 1 官報 1843 号 判断せず
飽田郡 五町村 半倒 5,裂地 9,耕宅地崩壊 9,井
水濁 2 官報 1843 号 5 弱以上
飽田郡 池田村 全倒 8,半倒 12,負傷男 2 女 1,裂
地 101,耕宅地崩壊 18,井水濁 6 官報 1843 号 5 強以上
飽田郡 花園村 全倒 2,半倒 26,裂地 2,耕宅地崩
壊 55,堤防崩壊 12,橋梁破損 1,
井水濁 1 官報 1843 号 5 強以上 飽田郡 横手村
全倒 9,半倒 9,負傷男女各 1,耕 宅地崩壊 2,橋梁壊落 2,破損 2,
井水濁 2 官報 1843 号 6
飽田郡 島崎村 全倒 7,半倒 2,裂地 3,道路崩壊
2,堤防 5,橋梁破損 2,井水濁 25 官報 1843 号 5 強以上
飽田郡 白濱村 井水濁 11 官報 1843 号 判断せず
飽田郡 河内村 半倒 1,裂地 228,道路崩壊 19,耕
宅地 1360,堤防 2,井水減 1,濁 6 官報 1843 号 5 弱以上
飽田郡 松尾村 全倒 1,半倒 6,裂地 23,道路崩壊
9,耕宅地 477,堤防 7,橋梁壊落
5,破損 5,井水増 1,濁 4 官報 1843 号 6
飽田郡 小島町 全倒 8,半倒 13,圧死女 1,負傷女
3,裂地 5,道路崩壊 1,耕宅地 2 官報 1843 号 5 強以上 飽田郡 海辺新地
小島町 大字小島村 段をなしていた田畑が低落する 官報 1843 号 4 以上
飽田郡 中島村 全倒 5,半倒 1,裂地 1 官報 1843 号 5 強以上
飽田郡 奥古閑村 裂地 30,橋梁破損 1 官報 1843 号 5 弱以上
飽田郡 走潟村 裂地 1 官報 1843 号 5 弱以上
飽田郡 藤富村 全倒 2,半倒 3 官報 1843 号 5 強以上
飽田郡 川尻町 全倒 15,半倒 10,圧死男 4 女 2,
負傷男女各 6 官報 1843 号 5 強以上
飽田郡 力合村 裂地 1,堤防崩壊 1 官報 1843 号 5 弱以上
飽田郡 城山村 全倒 3,半倒 1,裂地 2,耕宅地崩
壊 2 官報 1843 号 5 強以上
飽田郡 高橋町 全倒 26,半倒 20,圧死男 2 女 3,
負傷男 7 女 3,裂地 2,耕宅地崩壊
2,橋梁壊落 2 官報 1843 号 6
飽田郡 池上村 全倒 6,半倒 4,圧死女 1,負傷男
3,裂地 30,道路崩壊 5,耕宅地
35,橋梁破損 5,井水濁 3 官報 1843 号 5 強以上
飽田郡 白坪村 全倒 2 官報 1843 号 5 強以上
飽田郡 古町村 半倒 4 官報 1843 号 5 弱以上
飽田郡 春日村 全倒 2 官報 1843 号 5 強以上
飽田郡 南部旧銭塘
郷辺
突井戸は近頃水勢減少して,間に は全く留りしも多かりしが,一日 二十八日夜の地震にて悉く土砂を 噴き出し水勢増したり.川筋に架 設せる石橋悉く破損し間には全く 崩れ落ちしものあり
水島貫之日記 6
託麻郡
北部白川 の沿岸大 江・本山 の二村
倒家,道路の裂けあり.それ以外
は郡内に特段の被害なし. 官報 1942 号 5 強以上 託麻郡 本山村 家屋全倒 3,裂地 4,崩壊耕宅地 1 官報 1843 号 5 強以上 託麻郡 春竹村 半倒 2,負傷男 4,井水濁 2 官報 1843 号 5 弱以上
託麻郡 本荘村 井水濁 5 官報 1843 号 判断せず
託麻郡 画図村 全倒 1,半倒 43,橋梁壊落 1,破損
4 官報 1843 号 6
託麻郡 日吉村 半倒 1 官報 1843 号 5 弱以上
託麻郡 大江村 全倒 2,崩壊道路 1,山林 1 官報 1843 号 5 強以上 託麻郡 供合村 全倒 2,裂地 2,崩壊耕宅地 1 官報 1843 号 5 強以上 託麻郡 健軍村 全倒 3,半倒 5,負傷男 1,裂地 4 官報 1843 号 5 強以上
託麻郡 廣畑村 半倒 1,裂地 3,崩壊道路 3,橋梁
壊落 1 官報 1843 号 6
玉名郡 高瀬町 負傷女 3,裂地 1 官報 1843 号 5 弱以上
玉名郡 彌富村 裂地 5 官報 1843 号 5 弱以上
玉名郡 大野村 崩壊道路 1 官報 1843 号 5 弱以上
玉名郡 鍋村 裂地 1 官報 1843 号 5 弱以上
玉名郡 滑石村 全倒 2,半倒 2,負傷男 1 女 2,裂
地 6,橋梁破損 1 官報 1843 号 5 強以上
玉名郡 大濵町 全倒 3,半倒 4,裂地 2 官報 1843 号 5 強以上
玉名郡 豊水村 全倒 2,裂地 1 官報 1843 号 5 強以上
玉名郡 八嘉村 全倒 1,半倒 5,裂地 7,橋梁壊落
1 官報 1843 号 6
玉名郡 伊倉町
路傍の堂が倒れ,二人圧死.浴場 の壁が崩れ,入浴者が負傷.裂け 地数十カ所.壁の破損は南北の面 に多い.
官報 1942 号 5 強以上
玉名郡 伊倉村 全倒 1,半倒 4,圧死男 1,負傷女
1,裂地 6,崩壊道路 2,山林 1,橋
梁壊落 2,破損 3 官報 1843 号 6 玉名郡 横島村 半倒 1,裂地 3,崩壊道路 1 官報 1843 号 5 弱以上 玉名郡 玉水村 半倒 3,橋梁破損 2,井水濁 7 官報 1843 号 5 弱以上
玉名郡 小天村 全倒 1,半倒 1,裂地 38,崩壊道路
18,堤防 5,橋梁破損 1,井水濁 8 官報 1843 号 5 強以上
玉名郡 山北村 半倒 1,裂地 30,崩壊道路 1,耕宅
地 19,井水濁 5 官報 1843 号 5 弱以上
玉名郡 木葉村 全倒 2,半倒 1,裂地 2,崩壊堤防
1,橋梁破損 2 官報 1843 号 5 強以上
玉名郡 梅林村 橋梁破損 3 官報 1843 号 4 以上
玉名郡 小田村 崩壊耕宅地 2 官報 1843 号 判断せず
玉名郡 江田村 半倒 1,裂地 10,崩壊道路 1,山林
1,橋梁破損 1 官報 1843 号 5 弱以上
玉名郡
江田村
(旧請村
域) 鴬原 和水町瀬川鴬原 宅地大いに引割 明治二十二年
の大地震 5 強以上
玉名郡 江田村
(旧請村 域)
鴬原神社 菅原神社 石垣大いに狂い,所々破損少なか らず.石垣はほとんど崩壊,社殿 の一部も破損
明治二十二年
の大地震 5 強以上 玉名郡 江田村 江田寺山 和水町江田 家の小さいのは倒れ,壁はほとん
ど落ちた 明治二十二年
の大地震 5 強以上 玉名郡 江田村 江田長野 和水町江田 東山の山道に人の落ち込む位の穴
の地割れができた 明治二十二年
の大地震 5 弱以上 玉名郡 江田村 日平瀬戸 和水町日平瀬戸 孟宗山で大きな地割れがあった. 明治二十二年の大地震 5 弱以上
玉名郡 江田村
(旧請村
域) 瀬川中原 菊水町大字瀬川 中原
柱が土台上から一尺余り浮き上 がったり,又左右にも揺れた.壁 の落ちない家はなかった.自宅の 壁がほとんど落ちた.中原では家 が七八割倒れた.小さな地割れは 沢山あったが,大きな地割れはな かった.西の方の荒瀬さん方は大 きな家であったが倒れた.
明治二十二年
の大地震 5 強以上
玉名郡 江田村
(旧請村
域) 瀬川西原
菊水町大字瀬川
(西原の地名は 現 存 せ ず。「熊 本県の地名」に も記載なし)
大きな家が倒れた. 明治二十二年
の大地震 5 強以上
玉名郡 東郷村 崩壊耕宅地 1 官報 1843 号 判断せず
玉名郡 月瀬村 裂地 4 官報 1843 号 5 弱以上
玉名郡 米富村 裂地 2 官報 1843 号 5 弱以上
玉名郡 阪下村 裂地 10,井水濁 5 官報 1843 号 5 弱以上
玉名郡 大原村 崩壊耕宅地 1 官報 1843 号 判断せず
玉名郡 神尾村 裂地 1,橋梁破損 1,井水濁 7 官報 1843 号 5 弱以上
玉名郡 南關村 半倒 1,裂地 2 官報 1843 号 5 弱以上
玉名郡 賢木村 裂地 7,井水濁 4 官報 1843 号 5 弱以上
玉名郡 八旙村 半倒 1 官報 1843 号 5 弱以上
玉名郡 六榮村 半倒 1,崩壊堤防 1 官報 1843 号 5 弱以上
玉名郡 腹赤村 全倒 1,半倒 1,裂地 2 官報 1843 号 5 強以上
玉名郡 長洲町 裂地 1,崩壊堤防 2 官報 1843 号 5 弱以上
玉名郡 荒尾村 裂地 1,崩壊堤防 3 官報 1843 号 5 弱以上
上益城郡 人畜に異常なし.裂地は大きなも
ので幅 3 歩乃至 5 歩,長さ 2 間乃
至 15 間,方向は多くは南北. 官報 1942 号 5 弱以上
上益城郡 緑川の堤防 堤防潰決せし所あり 官報 1942 号 5 弱以上
上益城郡 木山町その他 倒家十数カ所 官報 1942 号 5 強以上
上益城郡 木山町 家屋全倒 3,裂地 3,崩壊耕宅地
3,橋梁破損 3 官報 1843 号 5 強以上
上益城郡 秋津村
地の裂け口より赤色の泥水を噴 出,しかし少量で,しばらくして
止む. 官報 1942 号 5 弱以上
上益城郡 秋津村 全倒 2,裂地 7 官報 1843 号 5 強以上
上益城郡 御船町 横野川 前夜まで水は澄んでいたが,地震
後は汚濁. 官報 1942 号 判断せず
上益城郡 御船町 染物屋の藍汁が溢れだす 官報 1942 号 4 以上
上益城郡 大川村地方 瓶の水が大半こぼれる 官報 1942 号 4 以上
上益城郡 大川村 全倒 2 官報 1843 号 5 強以上
上益城郡 津森村 裂地 3,崩壊道路 3,耕宅地 2,堤
防 3,橋梁壊落 1 官報 1843 号 6
上益城郡 廣安村 全倒 2,崩壊堤防 1 官報 1843 号 5 強以上
上益城郡 飯野村 全倒 4,橋梁壊落 3 官報 1843 号 6
上益城郡 水越村 全倒 1 官報 1843 号 5 強以上
下益城郡 堤防道路で幅七寸,長さ数十間の
裂け地あり 官報 1942 号 5 弱以上
下益城郡 守富村 全倒 2,半倒 1 官報 1843 号 5 強以上
下益城郡 杉合村 橋梁一カ所崩落 官報 1942 号 6
下益城郡 杉合村 裂地 2,橋梁壊落 2 官報 1843 号 6
? ? 字馬ノコウ
ネ ? 一直線に北西南東に向かう裂地,
長さ 200 間余り,幅は 5 寸∼1 間.
今回最大の損所 官報 1942 号 5 弱以上
山鹿郡 山鹿町 半倒 1 官報 1943 号 5 弱以上
山鹿郡 米田村 全倒 1,半倒 2,裂地 2 官報 1843 号 5 強以上
山鹿郡 平小城村 井水増 1,濁 1 官報 1843 号 判断せず
山鹿郡 三嶽村 全倒 1,崩壊道路 2 官報 1843 号 5 強以上
山鹿郡 六郷村 裂地 3,崩壊道路 1,耕宅地 2,井
水濁 1 官報 1843 号 5 弱以上
山鹿郡 来民村 全倒 4,半倒 1,負傷女 1 官報 1843 号 5 強以上
山鹿郡 大道村 全倒 3 官報 1843 号 5 強以上
山鹿郡 千田村 全倒 3,裂地 3 官報 1843 号 5 強以上
山鹿郡 米野嶽村 大きな裂地あり.長さ 125 間,幅
平均 5 分,北東より南西. 官報 1843 号 5 弱以上
山鹿郡 米野岳村 裂地 3,崩壊道路 1,耕宅地 4,井
水増 1,濁 1 官報 1843 号 5 弱以上
山本郡 田原村 長さ 50 間幅 1 寸,南北に向かう
裂地あり 官報 1943 号 5 弱以上
山本郡 田原村 裂地 1,崩壊道路 2,井水濁 1 官報 1843 号 5 弱以上 山本郡 桜井村
長さ 20 間幅 3 間,および長さ 6 間幅 1 間半の裂地.いずれも南北
方向. 官報 1943 号 5 弱以上
山本郡 桜井村 全倒 4,半倒 3,裂地 2,崩壊道路
1,山林 2,耕宅地 1 官報 1843 号 5 強以上
データに,明治 35∼37 年発行の地形図をもとに合併に よる変更があった町村境界について加筆したものを用い ている.図 1 中の丸印は本研究で求めた震度分布であ り,この違いは震度の判定に際して,武村 (2016) は家屋 の被害のみによっているが,本研究では家屋の被害だけ ではなく橋梁や地盤・堤防などの被害も利用して判定し ているという点である.
本研究では官報や新聞,地方史等から様々な被害情報 を探し出し震度を推定したが,被害情報のあった地域は 概ね武村 (2016) が震度推定をした市町村と同じ範囲で あったことが図 1 よりわかる.また本研究では,地点毎 の被害から個々に震度を推定したことで,熊本市内の震 度が町別に詳細に判定できていることがわかる.
判定された震度について本研究と武村 (2016) の結果 を比較すると,両結果とも概ね同程度の震度が推定され ている.しかし詳細にみると,武村 (2016) よりも小さな 震度が判定された町村が 6 カ所あった(いずれも震度 6 弱→震度 5 強以上).これは,今回の震度判定方法が,各 地点の被害情報のみを用いているためである.全倒した 家屋があったという情報だけからは震度 5 強以上という ことまでしか判定できないが,武村のように全潰率,全 半潰率を用いて震度を推定すれば震度 5∼7 まで分離す
ることも可能である.ただし,全潰率を知るためには被 害家屋数だけでなく当時の総戸数も必要となり,江戸時 代以前の地震であれば総戸数の情報などが正確に得られ ないこともある.史料の被害情報から求めた震度はあく までその被害を起こす最低震度であることに注意が必要 である.
逆に武村 (2016) よりも今回の判定で震度が大きく なった場所は,3 段階(震度 4→震度 6)大きく判定され た村が 2 カ所(上益城郡津森村,下益城郡杉合村),2 段 階(震度 5 弱→震度 6)大きく判定された村が 4 カ所(託 麻郡廣畑村,玉名郡伊倉町,上益城郡飯野村,飽田郡銭 塘村)であった.なぜこのような差が生じたのかについ ては次節で検討する.
4.3 土地利用からみた震度分布の検討
武村 (2016) の結果より本研究の推定した震度が 2 段 階以上大きくなってしまった村について,集落がどのよ うなところにあったかを調べてみた.
最初に明治 35∼37 年発行の 2 万分の 1 地形図から,
当時集落があった場所と川の流れていた場所を,GIS ソ フトを用いて抽出した.また,この地形図を当時から現 在まで残る街路や山頂などを基準として,GIS ソフトの 一つである QGIS のジオリファレンサー機能を利用して
山本郡 菱形村 全倒 1,崩壊耕宅地 15,井水増 1,
濁 1 官報 1843 号 5 強以上
山本郡 山東村 裂地 1,井水増 1,濁 1 官報 1843 号 5 弱以上
山本郡 山本村 全倒 1,半倒 1,裂地 14 官報 1843 号 5 強以上
山本郡 植木村 裂地 6,崩壊耕宅地 8 官報 1843 号 5 弱以上
山本郡 田底村 全倒 1,半倒 2,負傷女 1 官報 1843 号 5 強以上
山本郡 山内村 全倒 1,崩壊耕宅地 2 官報 1843 号 5 強以上
菊池郡 旭野村 長さ 60 間幅 2 寸 5 分以下 5 分以
上の裂地 南北方向 官報 1943 号 5 弱以上
菊池郡 旭野村 裂地 1 官報 1843 号 5 弱以上
菊池郡 水源村 裂地 3 官報 1843 号 5 弱以上
菊池郡 花房村 裂地 1,崩壊山林 1,耕宅地 5 官報 1843 号 5 弱以上
菊池郡 菊池村 井水濁 1 官報 1843 号 判断せず
菊池郡 加茂川村 全倒 1,裂地 1,井水濁 1 官報 1843 号 5 強以上
合志郡 郡内の裂地は大きいもので長さ 5
間幅 1 寸 官報 1843 号 5 弱以上
合志郡 泗水村 裂地 2 官報 1843 号 5 弱以上
合志郡 西合志村 崩壊山林 1,堤防 1 官報 1843 号 5 弱以上
合志郡 田島村 崩壊山林 1,耕宅地 2 官報 1843 号 4 以上
八代郡 震動の際,海中にも鳴響を聞く 官報 1943 号 判断せず
Fig. 1. Seismic intensity distributions of the 1889 (Meiji 22) Kumamoto earthquake. Painted small circles indicate estimated seismic intensities based on seismic damage to property, including houses and bridges. The colored area shows seismic intensity obtained by Takemura (2016), which was estimated from the data collected on collapsed houses. The color scale of seismic intensity in these two studies are the same. Red and pink lines show the active faults.
Fig. 2. The site amplification factor provided by the National Research Institute for Earth Science and Disaster Resilience (NIED) in Kumamoto Prefecture and our seismic intensity distribution, which is similar to Fig. 1.
Fig. 3. (a) The topographic map of the Meiji in the Ikura-machi, Tamana-gun region published by Geospatial Information Authority of Japan. (b) The site amplification factor in this region. The hatched area represents the village of the Meiji period, and the purple lines represent rivers.
Fig. 4. (a) The topographic map of the Iino-mura Kamimashiki-gun region published by Geospatial Information Authority of Japan in 1901. (b) The site amplification factor in this region. The hatched area represents the village of the Meiji period, and the purple lines represent rivers.
Fig. 5. Comparison of the village distribution of the Meiji period and the present day. This map is based on the Digital Map 25000 (Map Image) pub- lished by Geospatial Information Authority of Japan.
現在の地理院地図に位置を合わせて重ね合わせ,現在の 地図座標上に明治期の住宅分布と河川の流路を紐づけし た.ここに,J-SHIS による表層地盤増幅率のデータを重 ね合わせて,当時の土地利用と地盤を比較した.
まず武村 (2016) によって震度 5 弱と判定され,本研究 で震度 6 という 2 段階大きな判定になった 4 つの町村に ついて個別に議論する.
震央から 30 km 弱離れた玉名郡伊倉町は,武村 (2016) によって震度 5 弱と判定されたが,本研究では震度 6 と いう 2 段階大きな判定になった.なぜこのような違いが 生じたのか.官報 (1889b) によると,伊倉町にあった被 害は「家屋全倒 1,半倒 4,圧死 1,負傷 1,裂地 6,崩壊 道路 2,(崩壊)山林 1,橋梁壊落 2,(橋梁)破損 3」で あった.今回はこの情報から宇佐美 (2016) の基準で震 度 6 とされる「橋に大被害を発生し,落ちるものもある」
という被害に該当する「橋梁壊落」が起きていることか ら,伊倉町での震度を震度 6 と判定した.一方,武村 (2016) では,今村 (1920) の統計から家屋の全半潰率 0.7
% となり,震度 5 弱と判断されている.図 3 は玉名郡伊 倉町付近の明治期の住宅分布と河川の流路と表層地盤増 幅率を重ねたものである.この図から,明治期の家屋は 表層地盤増幅率が小さい場所,つまり揺れにくい場所に 位置していたことがわかる.一方,橋梁のかかっている 川は表層地盤増幅率の大きい,揺れやすい地盤の上に立 地している.よって,橋のあった場所では震度 6 相当の 揺れがあったため橋が落ちるという被害が発生したが,
集落での揺れは比較的小さく,家屋への被害が少なかっ たと考えることができる.本研究では同町内で震度が判 断された最大のものをとってその町の震度としたため,
伊倉町としての震度が大きく判断されたと考えられる.
同様に上益城郡飯野村について検討する.官報 (1889a) による飯野村の被害は,「家屋全倒 4,橋梁壊落 3」で あった.本研究では,橋梁壊落があったという情報から 宇佐美 (2016) の基準を利用し震度 6 と判定した.一方,
武村 (2016) では,今村 (1920) の統計から家屋の全半潰 率 0.6% となり,震度 5 弱と判断されている.飯野村の 明治期の土地利用と表層地盤の増幅率を重ねたものを図 4 に示す.この村についても,住宅は揺れにくい場所に 位置していて,橋梁は揺れやすい場所に位置している傾 向があり,震度の判定に差が生じたということが考えら れる.
託麻郡廣畑村では,官報 (1889a) によると「半倒 1,裂 地 3,崩壊道路 3,橋梁壊落 1」の被害があり,この村に ついても橋梁壊落の発生から本研究では震度 6 を判定し た.この村について武村 (2016) では,家屋の被害から震 度 5 弱と判定している.同村域の表層地盤増幅率のデー
タを参照すると,廣畑村はほぼ全域が表層地盤増幅率 1.6 以下の,比較的良好な地盤に位置しているため,家屋 への被害は少なくなったと考えられる.この村の場合に おいても,飯野村の場合と同様に,橋梁が特に揺れやす い地盤に位置していて特に大きな被害を受けたか,ある いは道路の崩壊に巻き込まれる形で橋梁が落ちる被害が 生じた可能性などが考えられる.
飽田郡銭塘(ぜんども)村については,水島貫之日記 (1889) に記載されていた「突井戸は近頃水勢減少して、
間には全く留りしも多かりしが、一日二十八日夜の地震 にて悉く土砂を噴き出し水勢増したり。川筋に架設せる 石橋悉く破損し間には全く崩れ落ちしものあり」という 情報から震度 6 とした.今村 (1920) の統計によると総 戸数が他の村より少ない村で,半壊が 1 軒,全壊なしで あった.そのため武村 (2016) では震度 5 弱となってい る.同村域の表層地盤増幅率を参照すると,銭塘村はほ ぼ全域において表層地盤増幅率が 1.6 以上であり,旧版 地形図をみると田圃の中に集落が点在する地域となって いる.実際には震度 5 弱以上揺れたがたまたま家屋被害 がなかった可能性もあるが,地震波の周期がやや長く家 屋には被害がでなかったが,大きな構造物である橋など に被害が出た可能性も考えられる.この点についてはも う少し調査が必要である.
次に,武村 (2016) によって震度 4 と判定され,本研究 で震度 6 という 3 段階大きな判定になった 2 つの村につ いて個別に議論する.
下益城郡杉合村では,官報 (1889b) によると「裂地 2,
橋梁壊落 2」の被害があり,この村についても橋梁壊落 の発生から本研究では震度 6 を判定している.この村に ついて武村 (2016) では,家屋の被害が報告されていない ため震度 4 と判定している.この地域も上記飽田郡銭塘 村と同様に杉合村ほぼ全域において表層地盤増幅率が 1.6 以上であり,中でも大部分が表層地盤増幅率 2.0 以上 の弱い地盤に位置している.飽田郡銭塘村と杉合村は比 較的違いので,銭塘村と同様の理由で家屋よりも橋など に被害がでたのであろう.
上益城郡津森村は,官報 (1889a) によると「裂地 3,崩 壊道路 3,耕宅地 2,堤防 3,橋梁壊落 1」の被害があっ た.この村についても橋梁壊落の発生から本研究では震 度 6 を判定している.この村については,家屋への被害 が報告されておらず,それによって武村 (2016) の判定で は震度 4 となっている.同村域の表層地盤増幅率を参照 すると,ほとんどの地域が増幅率 1.6 以下の揺れにくい 地盤に位置していて,家屋もその中にある.川は村の南 西部の表層地盤増幅率が大きい地域にも流れていること から,伊倉町・飯野村の例と同様に,特に揺れやすい地
盤に位置していた橋梁が落ちたと考えることができる.
以上の考察から,地震の揺れは表層地盤の影響によっ て同じ地区の中でも強弱があるということが確認でき る.またそれにより,橋など比較的揺れやすい場所に立 地するものの被害から判断すると,導かれる震度が大き くなることも確認できた.
今回は明治期の地震の震度について,当時の集落の分 布と表層地盤増幅率とを比較して検討した.玉名郡伊倉 町の現在と明治の集落位置の比較を図 5 に示す.当時の 集落は比較的地盤の良好な場所に位置していたが,現在 は軟弱な表層地盤の上にまで集落が広がっている.建物 の強さは当時よりも強くなっていると思うが,再び同規 模の地震が起きた場合,家屋に対する被害は明治時代よ りも大きくなる可能性も高い.このことから,歴史上の 地震で被害がなかったとされている市町村でも,集落が 大きくなり表層地盤増幅率の大きな地域にも住宅が建っ ている現代では,被害が大きくなる可能性があり,歴史 地震の被害情報を現代の防災に役立てようとするときに は集落の分布の変化や地盤の影響に注意する必要があ る.
§5. ま と め
本研究では,明治 22 年熊本地震についての各地の被 害情報を,官報・新聞記事・地方史資料から収集した.
これらに記載された家屋,橋梁,地盤,堤防などの被害 を宇佐美 (2016) の基準を用いて震度に変換し,地図上に プロットして詳細震度分布を作成した.被害の情報は震 源の南側より北側に広く被害が広がっていた.この原因 として表層地盤の影響について検討した.本研究で求め た震度分布と J-SHIS による表層地盤増幅率とを比較す ると,震央近傍には揺れやすい地盤が広がっているが,
やや離れた地域をみると震央の南側より北側に比較的ゆ れやすい地盤が広がっていることがわかる.このことに より震央より北側の広い範囲で震度 4 以上の揺れになっ たと推定される.
この地震の震度については武村 (2016) が家屋倒壊率 のみから求めており,その結果と本研究の結果を比較 し,大きく震度が異なる地点について表層地盤データ及 び地震発生当時の土地利用を参考にして原因を検討し た.要因の 1 つは本研究の震度決定方法で,単純に家屋 が倒壊したという情報からは震度 5 強以上ということし か言えないため,家屋倒壊率を用いないと震度を細かく 分解することはできない.ただし,倒壊率を求めるには 総戸数の情報が必要となり,江戸以前の地震については 正確に倒潰率を求めることが難しい場合が多く,史料の 被害情報から求めた震度はあくまでその被害を起こす最
低震度であることに注意が必要である.
もう一つの要因は,当時の集落が表層地盤増幅率の比 較的小さい強固な地域に広がっていたことである.本研 究では橋脚などのように,河川などの地盤が悪い地域に ある構造物の被害からも震度を推定しため,家屋の被害 が少ない地域であっても大きな震度が推定された地域が あった.当時と現在の地図を比較すると家屋の分布が変 化していることから,もし現代において同様の地震が再 び起こった場合,明治の地震では被害が少なかった地域 でも大きな被害になる恐れがある.一般に歴史地震の被 害を教訓にすることがままあるが,このような土地活用 の違いについても注意する必要がある.
謝 辞
地震史料収集では本研究についてご助言を頂きました 宇佐美龍夫先生,明治熊本地震の震度分布データを提供 して頂くとともにさまざまなご指摘を頂きました武村雅 之先生に深く感謝致します.また,本研究を進めるにあ たり,国立研究開発法人防災科学技術研究所,国土交通 省国土地理院の提供するデータを利用させて頂きまし た.地図の作成などにおいては,地理情報システム QGIS を利用させて頂きました.各機関,開発者の方々 に厚く感謝の意を表します.また査読者の清水洋氏と小 松原琢氏には有益なコメントを戴きました.記して感謝 いたします.
文 献
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J-SHIS 地震ハザードステーション,<http://www.j- shis.bosai.go.jp/karte-manual>,(参照 2016-11-18).
平凡社,1985,日本歴史地名体系 第 44 巻(熊本県の地 名),平凡社,1013pp.
今村明恒,1920,九州地震帯,震災予防調査報告,92,
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官報,1889b,熊本地震景況,1942,190-191.
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小山 良,2012,新聞に見るくまもと 庶民のくらし
∼明治・大正・昭和初期∼,火の国悠久の会,288pp.
久保寺章・表俊一郎・横山勝三・渡辺一徳・宮崎雅徳・
楢橋秀衛,1988,1889 年(明治 22 年)熊本地震の再評 価,自然災害科学研究西部地区部会報,5,1-6.
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九州日日新聞,1889e,宇土通信,(8 月 8 日),3.
水島貫之,1889,熊本明治震災日記,活版社,214pp.
高木誠治(編),1995,恐怖におののいた 明治二十二年 の大地震,19pp.
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