Economies, Japan External Trade Organization (IDE‑JETRO) http://www.ide.go.jp
雑誌名 アジア経済
巻 14
号 10
ページ 87‑91
発行年 1973‑10
出版者 アジア経済研究所
URL http://doi.org/10.20561/00052577
Ⅰ はじめに
本書の構成と内容
973100089.TIF
A• ドゥリウ
r i f 釧 織 と 口 調 伝 承 ; 1
コー ト・ゾ;j;ワー/:ゎグロ
i : i :
Ariane Deluz, Organisation sociale et traclitwn orale ‑.. Les Curo de Cote dlvoire, Mouton
& C件、 P:1ris,1什71)ーl96p.
I
は じ め に本舎は,プランスの人類学者A・ドゥリウ女史(Ariane Deluz)が,ロート・ジボワ
−
Iレのグロ族について行な寸 た誠杏の日立県の− t i l l
である。ここでいうグロ践の践というljバ立は,コート・ジボワ ー/レの公式統計に採用されているフランス諾のethnieあ ろいはどれrnpeeth11i(ll1日の訳守ふる。そしてこれは,
G・P・マード、ソクがアフリカ大陸全体について掲げた 800余の「tribesand peoples」!c川、の水準に!照応してい る単位であ乙。コート・ジボワ− ,, i重民は、 1960年の民 治的独立の!iii1fsi.で,大小さ支ざ主の60余の 1itJから編 成されていた止されている' It2)。グロ校はその一つで,
政府統計では,人11約Il万と殺計(ぎれてヤろ比較的大寺 な按のーっ?ある(!》2,)D
ゴート・ジポワーノレに関する詩文献・資料をみている と,必
r : v ,
"i,われてくるのがごの族」である との「杭|土ば侍れの!J'o日本i/tr'l'Jt世界lと才丸、て一定の:(J味をも 1 て定者しているかにみえる「人種
J
,「民検J
,「部族」,「種族!な竺のいずれかに書二のす族Jf土づそしうる{
のなの,ト。わたくし;t,かねがねとのよ民な続問を抱L、 ていて,コート・ジボワール諸族の一つであるグロ族に 悶するごの河査報特7:を,そのよ円な関,亡、かじ読んで九 と。この上りな関心から,人事l’,•;:: 11司係のI~!r"W告を百u
ととは,やや的はずれの感がないでもない。というのは,
のちにのべおように本書をはじめ人類学関係の調査研努 においてft,このすた Eいう単f;'O土.その1(,,J:ti'研究が展開 されるための場であり,与件的に設定された前提であり,
その前提ぞのものに対する関心は,あまり存在していな いようiこ:Jc;1,われるかf》である。
本書の著者A ・ fゥリウ女史は, 1958年7月から約6 カ月, G・パランヂィエ(G.Balandier)の率いる「社 会経済調在団jの一日として,ザロのくに (lepays g11r叫
に赴き現地調査を行なったのを皮切に,その後は単独で
言
語 評
1964年2月から約6カ月, 1965年には10月から翌年の1 月まで約4カ月と,前後3回にわたって現地調査を行な
っている。わた〈しはさきに同じグロ族に関する, Cl・ メイヤスー(Cl.Meillassoux)の著作活引をとりあげ,そ の方法論につνて論じたことがあるが,;ii,, A・ドフソ ウが最初に参加した1958年の調査団には,このCl.メイ ヤスーも参加している。かれは,そのときの調査の成果 を前iL1の著作tこ主とめ, 1964年lこ公干りしたわけであ,:)c>
A• ドゥリウの方も, 1965年に雑誌論文のかたちで 1958 年調査の成果の一部をすでに発表している(住5)が,前後 3 lciJにわたる調定の成果を取れ一本にま止めて発表したの は,]Cl70年に公刊された本当が;まじめてである。
(/l 1〕 Murdock,George P., Africa, Its Peoples anJ Their仁 川ture I Ji
、
Iοry,Mc (~raw-Hill Bonk Co. >Jew York, 1959, p. 452.(It 2〕Zolb白rg,A. R., One‑Party Governement in t/1c lvoれ!(、oast,Princeton Uni,・. Press, Prince‑ tn口、 RevisedEdition, 1%'1, p. 11.
(it 3〕Meillassoux, Cl., Aπthroρologie econo‑
刊 片 山 市 desGouro de CMI' d'I唱。iγムParis,1964
「14) t'iif':1 アフリ·'.• 『伝統t:n全』にJ''・、て」
(『アジア鮮問J~H2f主 ~13 り 1971年)。
(ぴ5〕 ArianeDeluz‑China① Villages et lign‑ a
に 。 、
chez l相 r〕uro de Cote dlvoire, Cahiers d'Etudes Africaines, No. 19, 1965.② Marriage et economie mon品tairechez !es Gouro de Cote dIvo‑ ire>, L'Afr11j1nd d'A灯、 No.70、1905.I I
本 書 の 構 成 と 内 容本;r:,1土「序論lと三つの「仕方、人なる。そして巻末に「付 録」として,その誇源注釈を付した「tribu, 村 蕗 名 一 覧J,付落名索引 文献リストボ付されている。本文147 ページに対して、この『付録lは42ベージにおよび,「付 録」とはいえ第1の「tribu,村落名一覧」には,その 作成忙答者がかたりカを注いでいる三とがうかがいしれ る。 I I子論IUあるが全体としての「結論Iがたく そ のかわりにこのようなその作成には多大の労力を要した とおもわれる資料が「付録」として付されているという 本芹l乃符成上の特徴は,その主ま本書:の内容的性絡を物 語っているようにおもわれる。すなわち著者は,本書を 通じて一つの結論的命題を提示してはいない。あくまで 入預学研究のための一つの素村を提供L,読者自身がそ とからそれなりのも占論を引きだすことを期待してし、るか
書 評
のようである。その意味で,また本舎が提供する素材の 性格からして,本書が第一義的に想定している読者は,
人類学関係の専門家であるといえよう。
「序論」において著者は,この調査の目的についてのべ る。それは一言にしていえば予乱LFortes, E. E. Evans‑
Pritchardの提示した類型「
l
司家なき任会 (lasociet邑抽 出 品tat)J(注l)の一事例としてのグロ引ゐ会の歴史を記 述することである。著者によればこのような注会では,
歴史家の用いる「時(le旬mps)」というような概念を見出 しえないために歴史研究の対象としては,これらの社会 は無視されてきたという。そしてこのような社会では,
レグイ・ストロスにならって「歴史は社会生活の意識さ れない諸形態,すなわち諸構造において研究されなけれ ばならない。J(p. 14)として,彼なは「丈イヒ;/J事象と系 同編成についての構造的分析! (p. 14\を:,£iじて,グロ 社会のII年間的次元を復元しようというわけである。
「斤;論jにつづく本稔の構成はつぎれとおりである。
第 1 卒歴史調査の前提となる;渚 •j';':Jc;
1. 地域的,地理的枠組 2. 社 会 組 織 第2章 現 地 調 査
1. 伝承の保持者
2. 調査者と情報提供者(イン7 tーマント〉との 関係
:l. 調 査 方 法
第:l't'p' 収集した情報の分析 I 系図,リネッジに隣する伝承
2. 秘教的伝承,神話と大祭飽(Grands cult es) 第1輩は狭義の現地調査の前提となるグロ族に関する 概括的な情報を提供している。
グロのくに(アピジャンの北東約300キロメートルに 位置する前民地時代の行政f.<1乱デアブレ!れがほぼこれ に当っていた。今日の行政l'Z]習では予中部川?と中西部州 にまたが−.,ている。〉は,その地理的、 どイヒ的特色から
:つの地域(西部,北部,南部)にほ分されるとして,
それぞれの地域の特色,差買を支のかた人にまとめて示 している。
っき「にグロ人自身が自分たちを何とよんでいるかとい う族名の問題がとりあげられて,(前記の三つの地域がさ らに西部2,北部2,南部3,計,七つの地域に細分され〕
地域別に検討されている。それによると,自らをグロと 呼んでいる地域は,南部の2地域だけであとは,自らをク エン(I叩めとよんでいる。しかしラクエンとし、う呼称を自
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分たちの地域の人々だけでなく,グロのくにの他の地域 に住む人々のすべてにまで適用している地域はなく,た とえば闘部の…地域の住民は,西部のもう一つの地域の 住民をセテイ(seti)と呼び,北部の住民をロノレベン(Ior‑ uh的 rHf;刊の「Hi!:をプロベン(prob色)とそれぞれ日子んで ヤろc 逆にどの地域の住民からもクエンと主ばれてL、る のは.北部の1地域の住民だけである。北部の第2の地 域のiii
: モ
;t. ザエンと自称しているが他のどの地域の住 民からも,セテイ(seti)とよばれているという。つぎに著者は,グロのくに内部に適用したとの方法を,
グ口を含め隣接の諸族を単位として適用して一つのき授に まとめている。それによると,グロという呼称は,クエン に対するパウレ(Baoule)族の呼称、であり,その他の族 仁おI,、ては下Efこりリの呼称が存在している3 臼利;がフラン ス(T)¥if\民地支配下において一般化したが;名ど一致してい るのは町その去に掲げられた11の族のろちパ戸J V,ぺテ (B己l止;など凹/〉だ??である。とれは,コート・ジボワ−
'"の枝川]削戒とつランス植民地支配土の問係を考えるう えで興味深い事実である。
第2節「社会札織Jでは,グロという族を構成する下 位の集同として tribuがでてくる。このtribuは一般に
「部族」と訳される英語の tribeに相当する語であるが,
前司)〕ethnic,との関連,またフラL互のげi民地政府が
−−−::,の行政|ど[111iとして採用した語であるといろ!恰史的事 突に吋寸ど〉悶f白いら,原語をそのま主用いておく。グロ t士約日()J)triliuからなる。これはグロ活のベン(I引 に 和子l十る民団のlji位であるという(ただL Cl・メ fヤス ーは,このペンというのは異国の共同体を意味する穏で,
グロ諮にはtribuに相当する語は存在しないとしてい る〕。この tribuは,著者によればかつては,地域共同 体の最大の単位であり,その機能は軍事的・経済的なもの であった。そのtribuの下の単位としては村(フラ£la), 村を川分する moiti岳〔セリウオ同riwun),ゲニウオ (guniwun, guni かまどの意)などがあるとい勺。
三),1に;itLて親族集団の最大のもの止してl、士 clan
(ゴノン 日nn引があり,その下にリネ円ジが存在して いるという。著者は,この両系列の集団の対応関係(tribu
とclan,村とリネッジ)とそれぞれの集団の水準におけ る権威,権力のありかたについて具体的な事例を示す。
まず tribuとclanとの関係についていえば,それは tribuによって千差万別であり,また一つの典型,ある いはモれらの多様性を統一的に理解するととを}司能にす るi記明も示されているわけではなャ。ただ陥民地化以後
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書 評一
前民地行政の確立とともに領土がその時点で凹定化され 経験にもとづいて論じている。調査者が外国人の若い女 たミとに上って「ー一同ーの clan金構成しているリネ 性であることから,一般的;こはミゴネ(迂者,名主家)
ッジ間に生子る緊張をかれらの一部を新しい土地に移住 の姉妹級の扱いをうけ好遇されたが,他方女性というこ させ,新たにー勺のtribu(".'. 形成させることによって≪i' とであるHiの秘駒内伝承にな近v) けないということにな 消するということがなくなった。」(p旬30)という指摘は, った。政治的には中央政府権力と同一視されたという。
地域共同体ど務政集団の関係の歴史的展開を考えると? 第3i'i1i‑c‑は具体的に}土、どの工うな手順で調査が民開
示唆的である。 されたのか,またその過程で著者が感じた調査方法上の
F位の十!とリネrジとの
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議係;とついても,住ibuと 問題が論じられている。村を訪問すると,訪問の予干与をじIanとの悶係と:Jf;j{j'むには同じであるが, i准 のリネゾ |可日にうけて,ず?に集ってきごいる村人えちを)Jiiにし ジで構成されている村,ーつのリネッジが主要な地位を て,著者はまず調査の目的を次のように説明する。 「あ i'iめる宇j,徒数のリネッジiこょっとiiVl;或されている村と なたがたの祖先の日l盟,
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住,戦争など,過去につL、て 村のリネッジ内溝成から三つの村の類型を設定し,それ あなたがたのもっている知識は,口伝えに伝えられてき にあてはまる呉体的事伊!として三つの村をあげて,その たあなだがたの〆宣産であるカZ,それ注文字の導入ととも 村に関する調査結果を列記した一覧表は,この問題を考 に危険に瀕している。はたして読み書きを修得した遣を者 えるうえ ei"t重任、資料とt,:t)うるものであ久ろ。 たちは :/16去ので会ごとをもはやそらんじようとはしな l.ribuの水準における代治的権J,;i;の潟題にJ〜、ては, い。かわムの関心 i士近い!?来に f~it むいて L 、る。さて,伝統的にl士、その水準の政治的な権威・権力を体現する グロ人にとって,またコート・ジボワール国民全体にと 11,l]r¥主化されえ長i土台一在しf仁かったというのが 著者の羽 一、てこの!立産を保存することは近現である、それをてど字 査にもとづく結論である。トレザン(treza土地長),ミ に記録しておくことは,そのための必須の条件である。
f名(migone緊1引,二ヤ「ザン(nyanazii戦争長', ;¥ ごの仕
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主植民地化前のII干代にJ刊、て熟知しているい諦 どが tril川の水準で存在している場介もあったが,それ 伝承の保持者が次第に少なくなφてきているだけになお ムは,ヤずれも統話的な政情的半勧伐の保持パではなく きらに重要であるつあなたがたの子孫たちが,いつの日+!乙制度化3れたものではよ亡くその役怖は一時的な
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の か文字iC:l;って青怜れた.tfil史をもち,それによって自分 でしかなかったという。 たちの祖先の名やできごとを再発見できるようにするた けの水準におし、ても昔話むにされた??長は(1市:せずれの めに,七れらについて知/〉ている人々は話していただき 政治は,村の諸リネッジを代表する長老たちの出席する たい。われわれはそれを書きとめ保存し,刊行するだろウ { ブ リ 何ihli
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り合U、)での介誌で行fd、れていた う。J(p.711)という。 このような調査目的の説明からはじまるききとり調査
活2章でほ者討の現地割花の具体的方法tこ/〉いて内,"'. に対して 村民はさまざ主な反応を示すυ 全たそ土忙は られている。まず第1節「伝承の保持
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J刊 し ど の 上 地域的な芯異もみられる。著者l土それらを印象記風に記 うな人々から著者がグロ社会の「伝玖」を収集したのか 述している。その内容は,これまた間接的,断片的であ 左いうことにつヤて:克明されているが,そ三に掲げられ るが,グ口社会の生きた現実の一目を読者lこ伝えてくれ た情報提供者(インブォーマント〉の種額,性格は間接 る。!'l'J にグロの社会組織の性怖を示すことにも江<•ている 3 第3ぎでは,本来の「分析」
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こはいる。「リネッジの古老J,「キエイ(kyei草分けリネッジの古 第l節では,リネッジの水準で存在する系図に関する 出」,日行儀礼の宍可j,円たい手j,「種々の職人」, 仁l諦伝示を史料として用いるときに必要な前提条r・1二とし
「老婆」,「!日捕境あるいはその末商J,Iなま:
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の若苛J・ て,個人の名前,料族呼祢i".r.どに関する調査結果が絹介 i無知な持者J,「エリート」たどが,著者に対する情報 されている。抗 (J主者となる。そして若者は.それ九の情報犯供者のそ グロ人の名前のつけ方.選び);,グロ人の個人名の意 れぞれの社会的地位と,それによって条件づけられる情 味,由来の別による分類,それらの名の保存,伝播,消滅 報の質について検討してし、・''., 0 の仕方,ある人の名がたとえばその人のよギミに与えられる 第2節では,実際の調査が調査の性格によってどのよ ことによって両者の聞に成立するアンジエ(iizi,巴homo・ うに条f¥>5け射しるかという
F
醍重について,V l t
女自身の 町即日Ir引係ー←グロ人には姓はなく,その人の出口関973100092.TIF
一 一 一 一 一 一 書 評
係をあらわすには, Trabiじwii(Traのj弘子 Gwii), Tra Ju Bwina (Traの 娘 B明ina)というように父の名 のあとにbiまたは lu(女性)とU、う語売;まさんで自分 の名をつけて呼ぶ一一,一定の系図的位置や社会的地位 企示す allonyrpesー たとえ(fTra (極光〕,
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(江 楽〕, Yuii(祭前日の保持者) 一,そしてさらに親族呼 称一一著者はそのず覧表をfllrfア北郊および西部の一部で は,それはマードックの分類によるオハマ型であり,南 部 に お い て は ハ ワ fγ ン型であるとして1、る ーなど が,おもに系図編成との関連で論じられている。第2節では,前節でとりあグられたリホヴジ的伝承i乙 対して秘教的(esot6rique)伝承として,「神話とた祭前日J がとりあげられる。神話については,二つの事例の具体 的内作ポ紹介主れているだけであろ。その一つは.グロ 族ではなくダン(D也n)族のある村で収集されたグロ族 の起源に関すど)神話であり.もう Jつのιj咋lは:t、 ゲロ践 の一部に伝わる祖先天降説である。
大名,ミ/ji[:についてはI♂ロ挟の重要な祭貯の一つである|
ユネ(yune)が事例としてとりあげられ,その内容が紹 介されている。
ユネは大きな葬儀や重大な政治的状況においてあらわ れるという。ゴネのために行なわれる祭1氾をユネタ〉
(yunetii)という。ユネタンf,:集っ夫人々は.二つの陣併 にわかれる。 Maの陣営は, Maをi土じめ数個の tribu の人々から構!,tIされるcNyλの阿1営には Nyaを;土じふへ やはり数個のtribuの人々があつまる。これがユネの普 及してし、る組問であるcN刊の陣併には,グロ挟とはし)JI 個の族とされている Mwan族の人々も参加している。
また北 Yaswa(trilm)は1 両陣営に部分的にわかれる、
ユネタンの最中,自由民の家系のものは,両手をあげて発 三すあc 父Jiiと奴隷の祖先をもつれのは右手をおろし 母方に奴隷の祖先をもつものは,左手をおろして発言す
る。父母双むの極光が奴j素であるものは 理論的には可1, 手をおろすことになるが,実際上はかれらは沈黙をまも る。饗安の最中, r,F.jj5事営から,他わーの防I;;の戦争・移行 の歴史,個人の地位ラ文化的特性などについての「侮辱 (insulte)Jが行なわれる。その内容は一定の史料的価i1rイ があろとして,著者はその様式だけを紹介している。簡 単なものはたとえば「
xx
氏は,×× trihuの奴隷の子 孫であるJl:いうようなかたちの|侮辱iである。ユ手 タンの場で公表された事柄は真実で,一つの同意の対象 であるという。しかし, 11'ii\的た生活においては,それ らの多くは秘密で,これに違反したものは長老から罰せ90
られるコユキタンの際の「侮辱」に対してほ,何人も,
それを否定したり,直接,それに抗弁したりする権利を もたたい。
さいどにとの章の「結論」として,著者はリネ、ソジ的伝 衣と軒教的伝承との
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的な差異,それを通じてプ口社会 の二重構造について言及している。 「これらの二つの伝 攻源( !)ネッジと影山結社 一引用者注1f乙二Jすの水準 の過去に対する意識が対応している。民主的で柔軟なリ ネッシの構成は,経験的な 性格の数多くの再調繋をうけ 非歴史的(ab‑historique)なイデオロギーによ、て自ら を表出する。リネvジの構成員としてのグロ人は『歴史 管識(hi丈toricallyminded)]をも〆lていない。反対にf.I::: 密結社は寡頭的,保守的,強制的であり,一つの「歴史』の守談汗であると自匂し,ぞうあることを欲している
岨日」 (p岨146)
CT l) Fort,田, M.and Eve1ns‑Pritch釘 〔I, E. E., eel., African Political Systems, Oxford Univ. Press, London, 1940.
国 ? ? 干 の 問 題 点
本去をー翫Lてま
f
感じさせられることほ,著者がもた に精力的な現地調査を行ない,膨大な情報を収集してい るとU、人事実である、同じゲロ族の調査を行な〉之 Cl・ メイヤスーの著作と比較してみても,彼女が本書におい て提供して U 、心情報の方が.ての汁' ~UI さ, H 津性と L 、う,','.(ではすぐれているとおもわれる個所も少なくない。しか しそのことが本書の欠点にもったがる。 Cl・Jイヤζ
ーは,その著作を通じて,シ旦レ・カナルの批判(注1)をひ きだす上うた命題を提示することに成功した。しかし A・ドゥリウ女史のこの著作の方は,その点に関しては きわめてひかえめである。論争的ではないっ既年のフラ ンス人類学の枠組の中に彼女は安住しているようにみえ
;。そしてその世界におνて価杭ある情報をより多く提 供する三とに甘んじているようにみえるつその意味で本 芹の価fr/Iは, forよf)iヲまずその道の専門家にとっての資 料的価怖にあるといえよろe
しかし人類学の世界における有能な情報収集者として とど主るだ討のために,著者はこれだ打の前後九回にわ たる精力的な調査を行なったわけではあるまい。あるい はその上うなものとしてとどまること仁なってもそこに 一定の意味を感じたからこの調査を行なったのにちがい ないοそれは何かといえば,グロ人との接触を通じて深士 っていったグロの世界に対する愛着であろう。「序論」に
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脅かれた調査目的,それ以上にグロ人の情報提供者(イ ンフォーマント〕たちを前にして毒事者が行なった調査の 趣旨の説明は,そのことを示している。彼女は口調伝承 のかたちでうけつがれてきたグロの歴史を書きとめたい とL、うりいま,書きとめておかなければそれは永遠に忘 れ3ムitてしまうだろうとLい巨人たぜ忘れさられではな ムなU のか。やがて消滅していくカ4しれないグロの世 界にお青は愛着を感じてν ζ,かムであろa,n ここでもう 一度,彼女の説明をきこう。 「……さでグロにとってま たコート・ジボワール閏民にとってこの遺産(口諦伝承
…リ引用者注)を保存することは箆婆である。それを文 学に記録しておくことはそのための必須の条件である。
一一」(p.70)
ここでわたくしはふと疑リ¥Jを感じた。ゲロ人にとって
「1涌伝求は一つの重要な遺産であるどし工う。しかしそ れは文字で書きとめられるこどによJ,ても口論伝承がそ れ土してもっていた本当の遺i主的価自討を保存できるのだ ろうか。それが文字によって書きとめられるということ 自体が,本来の遺産的な価値を破嬢することになるので はないか。少なくともその遺産的な価値の質はかわるに ちがいない。たとえば,コート・ジボワーYレ政府によっ て設立された学校教育を通じて, 「グロ族の書かれた歴 史1を学ぶ子供たちは,もはや少なくともグロ人ではな くコート・ジボワール入でふるにムカ丸、なL、。グロ人が グロ人として再生産される必然十字があるどすれば,それ はやはりその上うな学校教汗の枠組の外で、やはり口調 伝示を通じて再生産されてL、くにhが,,、な,,、。この辺の ところを, A・ ドゥリウ女史はグロ人との対話の中でど う考えたのだろうか。さしあた4てグ口人の口諦伝承に 彼女が見出している価値はグロ人やコートジボワール国 民にとっての価値ではなく,まず彼女自身にとっての価 値であるはずでその文脈でそれを秀きとめることの意味 が説明されなければならないのではなか乃うか。
さ亡,これまでグロ族の口論伝承、 ゲロ族の歴史とい いながら,ではそもそもグロ族とは,どのような意味で 一つの校であるのかという問題は不足立にふしてきた。
A・ ドゥリウ女史も,この問題を正面からとりあげて いない。グロ族はいわゆる「国家なき社会Jであり,族 を単位として中央集権的な政治権力は成立したことは歴 史上なかったというだけで,グ口族がどのような意味で 一つの族であるのか積極的に説明してない。
この問題について, Cl・メイヤスーも「グロ人である 左U、う立織は,植民地経験の枠組の中で.イボワール入
害 時
意識と平行して生れてきたようにおもわれる」とのべ
「グロという一つの族(ethnie)あるいは一つの『民族 (natin).Bという概念は,決して根拠はなくはない区別 にもとづいてはいるが,それにもかかわらずかなり人工 的」であるが、 「植民地行政当局や人碩学者ーた九によっ て認識され戸承認された抽象的であるとい]時iこ開史的で ある二の校慨念が,われわれに所lj.のものとして,すな わ九われわれの調査のフィールドとして提供されJヒもの であqた」(住2)として,この問題にそれ以上直接には言 及していない。
グロ族に関するこの二つの調査報告によるかぎり,そ のことは明示的に主張されていないが,グロ族が今日,
認められているような範囲において自らを族として確立 するのは予杭民地化の過程においてであり,しかもそれ は多分に他律的な仕方でなされたようにおもわれる。
ゲロ族の口論伝承という場合にも,それはし、と小さ な集団の単位において継承されてきたもので,それらの 問に一定のヒエラルキーが生まれ,それが族全体iこ共有 されるということはなかったとみてよいだろう。
したがって,もしA・ドゥリウが「グロ族の歴史」を 書くとナれば,はじめてグロ族がグロ族として自らを再 生産する物的手段を提供することになろう。今日的状況 の中?,そのような「グロ族の歴史」は,だれl士よって 求J九人れているのだろうか。コート・ジボワール政府が 今円、要求しているものはコート・ジボワールの歴史で あり,コート・ジボワール人のコート・ジボワ_,レ人と しての再生産ーであろう。その中で,ゲロ族がグロ族とし て再生産する(される)ことの現実的な意味は,どこにあ るのか。わたくし自身その解答を用意しえていないが,
A・ ドゥリウ女史にぜひたずねてみたい問題である。
(注1) Suret‑Canale, J.
,
Structuralisme et an‑ thropologie economique,
La Pensee, No. 135 (Oct. 1%7).UL 2〕 Meillasso岨x,op. cit., pp. 17一18.
(調1ヰ研有司; 日!i口武彦〕