• 検索結果がありません。

密教研究 Vol. 1922 No. 10 004松永 有見「日本仏教史上に於ける大徳の位置 P73-92」

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "密教研究 Vol. 1922 No. 10 004松永 有見「日本仏教史上に於ける大徳の位置 P73-92」"

Copied!
20
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

一 凡 て の 宗 教 は 最 高 至 深 の 宗 教 的 體 驗 を 以 て 第 一 義 と す る 。 佛 教 は 宗 教 で あ る 。 夫 れ 故 に 佛 教 を 研 究 す る も の は 、 佛 陀 若 し く は 教 祖 の 内 的 生 活 に 於 け る 至 醇 の 生 令 に 觸 れ て 、 こ 丶 に 觸 發 せ ら れ た る 光 明 に 依 り て 、 始 め て 新 な る 自 己 を 創 造 し て 不 朽 の 生 命 を 法 界 曼 荼 羅 に 織 り 組 み 、 以 て 常 住 の 法 憧 を 建 立 す べ き で あ る 。 然 ら ざ れ ば 教 義 の 研 究 も 歴 史 の 調 査 も 何 等 の 意 義 を 將 來 せ ぬ 。 何 故 な ら ば 、 教 理 も 教 義 も 將 た 歴 吏 的 事 實 も 、 畢 竟 す る に 宗 教 的 體 驗 を 組 織 し 整 理 し 、 若 し く は 事 實 を 羅 列 し だ 骸 骨 に 過 ぎ ざ る 、 第 二 義 第 三 義 的 の も の で あ る か ら で あ る 。 こ 丶 を 以 て 宗 教 の 第 一 義 的 生 令 を 獲 得 せ ん と 欲 す る も の は い 教 義 の 研 究 よ り も 寧 、 佛 陀 若 し く は 祖 師 先 徳 の 人 格 に 直 接 面 接 す る の が 、 肝 要 で あ る と 思 ふ 。 佛 法 僧 の 三 寳 中 、 佛 僧 二 寳 の 研 究 が 古 來 眞 言 宗 程 盛 ん な も の は あ る ま い 。 試 み に 両 部 の 儀 軌 を 見 よ 、 諸 尊 の 觀 法 儀 軌 を 説 き た る も の に 非 ざ る は な い 。 是 れ 實 に 佛 菩 薩 の 人 格 を 中 心 と し て 、 こ 丶 に 第 一 義 的 生 命 を 開 示 す る も の で あ る 。 此 の 第 一 義 的 生 命 を 智 識 の 洪 鑪 に 入 れ て 鎔 鑄 し た も の を 教 理 と 稱 し 、 其 の 教 理 を 各 時 代 の 思 想 及 び 智 識 に 適 合 す る や う に 整 理 し て 最 高 理 想 を 開 示 す る も の が 所 謂 教 義 で あ つ て 、 眞 言 宗 の 教 相 的 方 面 で あ る 。 學 者 或 は 眞 言 の 法 門 は 、 本 有 を 學 び て 自 由 な ら ず と い ふ 。 然 り 第 一 義 的 碓 命 は 不 變 常 住 の 因 果 を 遠 離 せ る 果 上 の 法 門 で あ ら う 。 然 れ ざ も 此 れ を 開 示 す る 教 義 に 至 り て は 、 時 代 に 劉 本 佛 教 吏 上 に 於 け る 大 徳 の 位 置 七 三

(2)

日 本 佛 教 史 上 に 於 け る 大 徳 の 位 置 七 四 應 じ 人 に 依 つ て 變 化 さ る べ き も の で な け れ ば な ら ぬ 、 之 れ を 要 す る に 、 時 代 と 人 格 と を 離 れ て は 宗 教 的 生 命 を 發 揮 す る に 由 な い の で あ る か ら 、 吾 人 を 以 て 之 れ を 見 れ ば 、 各 時 代 の 祖 師 先 徳 の 人 格 は 直 ち に 曼 荼 會 上 の 諸 尊 と な つ て 、 吾 人 に 第 一 義 的 生 令 を 呈 示 す る も の で あ る 。 此 の 意 味 に 於 て い 平 安 朝 の 末 、 鎌 倉 時 代 の 初 期 に 出 で 丶 吾 佛 教 吏 上 に 不 滅 の 炬 火 を 與 え た る 覺 海 大 徳 の 研 究 を 爲 す は い 尤 も 時 宜 に 適 し た 意 義 あ る 事 業 で な け れ ば な ら ぬ 。 二 南 山 教 學 の 偉 聖 覺 海 大 徳 は 、 紀 元 一 千 百 四 十 二 年 近 衞 天 皇 の 康 治 元 年 を 以 て 生 れ 、 後 堀 川 天 皇 の 貞 應 二 年 入 滅 せ ら れ た 。 此 の 前 後 八 十 二 年 の 間 は 政 治 上 に 於 て も 社 會 上 に 於 て も 、 激 甚 な る 一 大 變 動 の 生 じ た 時 代 で あ る 、 特 に 宗 教 界 に あ つ て は い 天 台 眞 言 の 舊 佛 教 に 替 る に 淨 土 禪 等 の 新 宗 派 の 勃 興 せ る あ り て 、 宗 教 信 仰 の 一 大 轉 換 期 に 屬 し 、 千 歳 稀 に 見 る 宗 教 上 の 黄 金 時 代 を 現 出 し た 時 代 で あ る 、 後 三 條 天 皇 に 依 り て 、 藤 原 氏 が 其 の 父 祖 以 來 築 き 上 げ た る 政 事 上 の 權 力 は い 殆 巓 覆 せ ら れ て 所 謂 院 政 時 代 が 生 ず る こ と 丶 な つ た 。 然 る に 之 れ に 代 れ る 院 政 も 次 第 に 當 初 の 理 想 を 失 ひ て 、 父 子 相 惡 み 兄 弟 相 爭 い て 、 保 元 平 治 の 動 亂 を 惹 き 起 し 、 世 は 急 轉 直 下 し て 公 家 社 會 が 仆 れ て 、 武 門 よ り 出 で た る 清 盛 の 專 政 政 事 と な つ た が . 是 れ も 亦 久 し か ら ず し て い 榮 華 の 夢 忽 ち に 破 れ て 、 一 門 殘 ら ず 西 海 の 波 に 沒 し 去 り て い こ 丶 に 新 た に 建 設 さ れ た の が い 武 家 社 會 の 中 流 階 級 を 中 心 と す る 鎌 倉 幕 府 が 創 立 さ る 丶 に 至 っ た 。 此 の 間 に 於 け る 人 心 の 變 化 は い 直 ち に 宗 教 信 仰 の 上 に 現 れ て 、 新 佛 教 の 勃 興 を 促 す こ と 丶 な つ た の で あ る 。 更 ら に 人 心 變 化 の 状 態 を 考 ふ る に い 奈 良 朝 の 繼 續 と 見 た 平 安 朝 の 貴 族 生 活 は い 京 都 を 中 心 と す る 狹 い

(3)

世 界 の 中 に 單 調 な る 生 活 を 繰 り 返 し た 結 果 、 奈 良 朝 時 代 に 於 け る が 如 き 、 雄 大 な る 意 氣 な く 、 外 か ら 來 る 清 新 な る 刺 戟 を 失 ひ 、 内 か ら 發 酵 す る 創 造 力 も 衰 へ て い 彼 等 の 生 活 の 大 部 分 を 占 め た も の は 、 官 能 の 滿 足 と 嚴 峻 な る 道 義 的 精 神 を 失 ひ た る 、 無 理 想 無 解 決 の 自 然 的 生 活 、 享 樂 的 生 活 が 殘 る ば か り で あ る 。 か 丶 る 時 代 に あ つ て は 、 即 身 成 佛 の 高 遠 な る 理 想 は 實 現 す べ く も な く 、 世 を 擧 げ て 政 治 家 も 宗 教 家 も 一 般 人 民 も 、 只 眼 前 の 歡 樂 を 追 ふ て 無 自 覺 な 現 世 生 活 を送 る ば か り で あ る 。 僅 か に 叡 山 の 淨 行 堂 に 九 品 往 生 の 理 想 の 鐘 の 音 が ひ ヾ い て 居 た ば か り で あ る 。 爛 熟 し た 現 實 主 養 は 行 詰 っ た 。 自 然 主 義 は 行 く べ き と こ ろ に 行 っ た 。 貴 族 が か 丶 る 生 活 を 篤 す 間 に 地 方 に 崛 起 せ る 武 士 の 勢 力 と 、 社 寺 の 間 に 養 は れ た 僧 兵 は 次 第 に 横 暴 を 逞 ふ す る 。 さ ら で だ に 、 天 變 地 異 や 呪 咀 悪 靈 に 惱 ま さ れ た る 彼 等 は 現 世 に 對 す る 恐 怖 と 絶 望 と の 深 淵 に 陷 り 、 こ 丶 に 始 め て 愕 然 と し て 長 夜 の 夢 よ り 覺 む る に 至 つ た 。 特 に 保 元 平 治 の 亂 や 源 平 の 戰 と な り て は 、 有 爲 轉 變 の 世 相 に 慘 ま し き 人 生 の 悲 哀 を 眼 前 に 見 せ つ け ら れ た 彼 等 は 、 深 刻 な る 反 省 と 自 覺 と を 喚 起 す る に 至 つ た 。 西 行 法 師 い 文 覺 上 人 い 鴨 の 長 明 に 依 つ て 代 表 せ ら れ る 隱 遁 生 活 を 欲 す る 隱 者 は 、 山 野 に 滿 ち 、 厭 離 穢 土 欣 求 淨 土 の 至 深 の 要 求 が 凡 て の 人 の 心 に 響 き 渡 つ た こ と で あ る 。 此 の 人 心 の 要 求 に 應 じ て 現 れ た の が 、 法 然 親 鸞 等 の 淨 土 教 で あ る 。 こ 丶 に 於 て 念 佛 爲 本 の 宗 風 は 、 黒 谷 の 奥 よ り 發 し て 燎 原 の 火 と な つ て 、 宇 内 を 燒 き つ く さ ず ん ば 止 ま ざ る 勢 と な つ た 。 こ 丶 に 於 て 天 台 眞 言 の 現 世 的 貴 族 的 宗 教 は 、 非 常 な る 打 撃 を 受 け た こ と で あ る 。 三 刊 本 佛 教 史 上 に 於 け る 大 徳 の 位 置 七 五

(4)

日 本 佛 教 史 上 に 於 け る 大 徳 の 位 置 七 六 由 來 眞 言 密 教 の 最 高 理 想 は 、 瑜 伽 三 密 の 觀 行 に 依 り て 、 現 世 に 於 て 即 身 成 佛 の 大 用 を 現 し 、 念 々 刻 々 新 し き 宇 宙 を 創 造 し て 、 現 世 を し て 密 嚴 國 土 の 淨 刹 を 建 立 せ ん と す る も の で あ る 。 然 れ こ も 如 是 無 相 の 大 果 は 何 人 に も 成 就 し 得 る も の で な い 。 一 般 の 民 衆 の 希 望 は 、 所 謂 因 果 を 樂 欲 す る 有 相 悉 地 の 世 間 的 現 世 的 希 願 を 成 就 す る を 以 て 足 れ り と す る も の で あ る か ら 、 如 來 は 如 是 劣 慧 の 機 根 に 應 せ ん が 爲 め に 、 息 災 増 盆 降 伏 敬 愛 の 四 種 の 法 を 説 き て 、 且 く 世 間 的 の 悉 地 を 與 え . 之 れ に 依 り て 無 相 の 悉 地 を 與 え て 衆 生 の 心 に 即 し て 、 佛 心 を 開 示 せ ん と す る も の で あ る 。 か 丶 る 眞 言 密 教 は 、 現 實 的 な る 國 民 性 に 合 致 し て 、 平 安 朝 四 百 年 の 人 心 を 支 配 し 甚 大 の 感 化 を 與 え て 、 貴 族 的 文 化 の 上 に 百 花 燎 爛 の 盛 觀 を 現 出 せ し め た こ と で あ る 。 然 れ こ も 平 安 朝 の 末 國 民 の 頽 唐 せ る 氣 分 と 相 待 ち て 、 一 般 佛 教 と 共 に 魔 道 に 墮 し て 、 開 宗 當 時 に 於 け る が 如 き 、 張 健 雄 偉 な る 精 神 は 殆 失 は る 丶 に 至 つ た 。 明 慧 上 人 が 、 ﹁ 今 の 佛 法 が 眞 の 佛 法 な ら ば 佛 法 程 悪 し き も の は な し ﹂ と 慨 嘆 し た の は 當 代 の 佛 教 状 態 を 描 き つ く し て 餘 蘊 な し で あ る 。 か く し て 平 安 朝 四 百 年 の 人 心 を 支 配 し た る 台 密 東 密 の 舊 佛 教 が 、 新 鮮 の 氣 力 を 失 ひ 、 民 衆 教 化 の 宗 教 的 使 命 を 失 ひ た る の み な ら ず 、 却 つ て 一 般 社 曾 に 害 毒 を 流 す も の と な つ た 時 、 教 界 を 廓 清 し て 未 來 往 生 の 無 碍 の 光 明 を 投 じ て 、 一 般 民 衆 に 無 限 の 慰 安 を 與 え た の が 鎌 倉 初 期 に 於 け る 淨 土 教 で あ る 。 四 現 世 主 義 の 眞 言 密 教 に 取 つ て 代 り た る 淨 土 教 は 、 人 生 を 虚 妄 な り 罪 悪 な り 轉 變 無 常 の 世 界 な り と し て 、 未 來 に 極 樂 莊 嚴 の 淨 土 を 仰 望 せ る 淨 土 教 に は 、 人 心 の 内 面 に 潜 め る 至 深 の 要 求 を 滿 足 せ し め 、 人 生 に 偉 大 な る 光 明 と 法 視 と を 與 ふ る も の で あ る 。 然 れ こ も 未 來 教 の 第 一 の 缺 陷 は 、 餘 り に 現 實 の 人 生 を 否

(5)

定 し て 、 張 健 雄 偉 な る 氣 魂 に 乏 し く 、 動 も す れ ば 厭 世 悲 觀 の 宗 教 と な る こ と で あ る 。 東 關 の 山 野 に 心 膽 を 陶 冶 せ る 頑 健 な る 鎌 倉 武 士 は 、 到 底 之 れ に 滿 足 す る こ と が 出 來 ぬ 。 榮 酉 襌 師 の 臨 濟 宗 、 道 元 襌 師 の 曹 洞 宗 、 及 び 唱 題 即 身 成 佛 を 標 榜 し て 一 天 四 海 皆 歸 妙 法 を 唱 ふ る 豪 壯 な る 日 蓮 宗 が 、 未 來 主 義 の 淨 土 教 に 反 抗 し て 生 じ た の は 、 當 然 の 心 理 と 曰 は な け れ ば な ら ぬ 。 而 し て 此 等 の 新 佛 教 が 悉 く 現 世 成 佛 の 宗 教 た る に 於 て 、 吾 人 は 或 意 味 に 於 け る 眞 言 密 教 の 、 現 世 篤 本 の 雄 大 壯 重 な る 宗 教 心 が 、 形 .式 を 替 え て 現 れ た も の と 見 る こ と が 出 來 る と 思 ふ の で あ る 。 五 か く の 如 く し て 平 安 朝 の 末 よ り 鎌 倉 の 中 期に 至 る ま で の 間 に 、 吾 日 本 佛 教 は 空 前 の 盛 觀 を 來 し 新 佛 教 は 各 蘭 菊 の 美 を 爭 ふ て 、 教 線 を 張 る に 至 つ た 、 こ 丶 に 於 て 新 佛 教 の 状 態 に 付 て 一 言 せ な け れ ば な ら ぬ 。 安 元 元 年 法 然 上 人 が 他 力 の 法 門 を 唱 え 出 し て よ り 、 聖 光 澄 空 隆 寛 親 鸞 以 下 俊 才 逸 足 雲 の 如 く 出 で 、 念 佛 宗 は 朝 野 を 風 靡 し 、 笠 置 の 解 脱 上 人 、 高 野 山 の 明 遍 上 人 大 佛 勸 進 で 有 名 な 俊 乘 坊 重 源 を 始 め 、 叡 山 の 顯 眞 慈 圓 、 醍 醐 の 勝 賢 等 各 宗 の 法 匠 、 悉 く 他 力 淨 土 の 宗 風 に 歸 し 、 襌 林 寺 の 靜 遍 の 如 き は 、 專 修 念 佛 を 嫌 つ て 、 之 れ を 破 せ ん と し た が 、 法 然 上 人 の 選 擇 集 を 見 る に 及 び て 、 其 の 末 世 に 利 盆 あ る を 思 ひ て 、 改 め て 績 選 擇 集 を 著 し て 淨 土 教 を 讀 嘆 す る に 至 り 、 密 教 の 學 僧 も 亦 念 佛 門 に 歸 す る も の 多 く 、 一 時 高 野 山 の 如 き も 振 鈴 の 聲 は 念 佛 の 聲 に 壓 倒 せ ら れ た か と 思 は る 丶 位 に な つ た の で あ る 。 然 れ こ も 南 都 北 領 の 學 徒 に し て 此 れ に 反 對 し た も の も 多 く 、 稀 世 の 高 徳 明 慧 上 人 の 如 き は 、 摧 邪 輪 及 び 莊 嚴 記 を 著 は し て 、 極 力 反 對 の 旗 幟 を 飄 へ し 、 彼 此 の 對 立 は 洵 に 一 世 の 偉 觀 で あ つ た 。 日 本 佛 教 史 上 に 於 け る 大 徳 の 位 置 七 七

(6)

日 本 佛 教 史 上 に 於 け る 大 徳 の 位 置 七 八 上 人 の 開 宗 に 後 る 丶 こ と 十 六 年 に し て 、 榮 西 襌 師 宋 よ り 歸 り て 、 臨 濟 襌 を 唱 へ 、 禪 師 の 滅 後 十 餘 年 に し て 道 元 禪 師 の 曹 洞 宗 興 り 、 辨 圓 圓 爾 亦 入 宋 し て 仁 治 二 年 に 歸 朝 し て 教 外 の 宗 風 を 傅 へ 、 寛 元 四 年 に は 有 名 な る 道 隆 蘭 溪 其 の 弟 子 數 人 と 共 に 來 朝 し て 、 京 都 鎌 倉 の 間 に 直 指 入 心 の 教 風 を 興 し 、 其 の 後 數 年 に し て 高 野 山 金 剛 三 昧 院 の 僧 覺 心 法 燈 國 師 入 宋 し て 、 無 門 の 法 燈 を つ ぎ 、 紀 州 に 興 國 寺 を 興 す 等 襌 宗 興 隆 の 機 運 に 乘 じ て 英 傑 偉 僧 四 方 に 現 れ て 、 鎌 倉 武 士 及 び 一 般 庶 氏 の 間 に 甚 大 の 感 化 を 與 へ た こ と で あ る 。 更 ら に 元 仁 元 年 に は 、 法 然 上 人 の 徒 親 鸞 上 人 別 に 眞 宗 を 常 陸 に 開 き 、 後 二 十 七 年 を 經 て 日 蓮 上 人 日 蓮 宗 を 唱 へ て 、 獅 子 吼 す る に 至 つ た 。 彼 の 時 宗 の 開 祖 一 遍 上 人 が 熊 野 權 現 の 神 託 に 依 り て 、 時 宗 を 開 き た る は 、 實 に 日 蓮 上 人 が 佐 渡 流 罪 赦 免 の 前 一 年 で あ つ た 。 か く て 法 然 上 人 の 開 宗 よ り 、 時 宗 の 開 宗 に 至 る ま で 前 後 凡 そ 百 年 の 間 に 、 淨 土 宗 眞 宗 襌 宗 日 蓮 宗 時 宗 の 新 佛 教 が 競 ひ 興 つ て 、 佛 教 吏 上 空 前 の 盛 觀 を 來 し た こ と で あ る 。 六 新 佛 教 が 教 界 革 新 の 回 轉 機 に 乘 じ て 勃 興 す る 間 に 、 南 都 北 嶺 の 佛 教 も 亦 頗 る 活發 な る 教 界 覺 醒 の 運 動 が 行 は れ つ つ あ つ た 。 先 づ 主 と し て 南 都 に 根 據 地 を 有 す る 律 華 嚴 法 相 三 論 の 各 派 に は 、 何 れ も 高 僧 碩 徳 が 一 時 に 輩 出 し て 、 萎 微 し 切 っ た 教 界 に 、 再 び 法 燈 を 輝 か す 機 運 に 至 っ た こ と で あ る 。 華 嚴 宗 で は 、 百 代 の 高 僧 明 慧 上 人 が 出 現 し た 。 明 慧 上 人 は 紀 州 有 田 の 人 、 承 安 三 年 を 以 て 生 れ 、 十 歳 に し て 醍 醐 の 實 尊 に 付 て 、 眞 言 密 教 を 學 び 、 南 都 の 景 雅 に 華 嚴 を 習 ひ 、 十 九 歳 の 時 小 野 の 興 然 阿 闍 梨 に 両 部 の 大 法 を 禀 け 、 頗 る 眞 言 の 實 義 に 逹 し 、 更 ら に 榮 西 襌 師 に は 襌 宗 を 傅 へ て 剛 可 を 受 け 、 苦 修 練 行 具 さ に

(7)

甞 め つ く し 、 華 嚴 の 再 興 を 以 て 畢 生 の 志 願 と し 、 栂 尾 の 高 山 寺 に 住 し て 大 法 皷 を 打 つ た 。 四 威 儀 嚴 正 .恥 操 高 潔 な る こ と 、 殆 古 今 の 佛 教 吏 上 に 例 を 見 ざ る 程 で あ つ た 。 高 雄 の 文 覺 上 人 常 に 人 に 語 つ て 曰 く 、﹁ 佛 在 世 の 舎 利 弗 目 蓮 と 雖 も 心 法 の 了 逹 潔 白 に 至 つ て は 、 爭 か で か 明 蓋 上 人 に 若 か ん や ﹂ と 。 こ ゝ を 以 て 上 人 の 高 名 を 慕 ふ て 栂 尾 に 集 る も の 、 道 俗 男 女 林 を 爲 し 、 佛 在 世 の 砌 り も か く や と 思 は る ゝ 位 で あ つ た 。 そ れ 故 に 、 故 あ つ て 此 の 地 を 離 れ ん と す る や 、 人 々 は 佛 滅 の 如 く に 悲 歎 し 、 仁 寺 和 の 宮 は 特 使 を 發 せ ら れ て 辛 ふ じ て 止 め さ せ た 程 で あ つ た 。 承 久 の 時 北 條 泰 時 が 、 上 人 の 教 誡 に 接 し て 鎌 倉 百 五 十 年 の 善 政 の 基 礎 を 作 つ た こ と は 、 有 名 な 話 で あ る 。 其 の 著 七 十 餘 卷 。 眞 言 と 華 嚴 と 梵 綱 の 菩 薩 戒 と 襌 宗 と の 四 宗 を 、 實 修 研 鑚 し て 高 徳 一 世 を 傾 け 、 戒 光 萬 代 を 照 ら し て 、 眞 言 宗 流 の 華 嚴 宗 即 ち 高 山 寺 流 の 華 嚴 宗 を 開 く に 至 つ た 。 其 の 後 鎌 倉 の 中 葉 に は 宗 性 出 で 、 其 の 弟 子 凝 然 は 有 名 な 博 學 多 識 の 高 僧 で 、 華 嚴 宗 掉 尾 の 活 動 を 爲 し た こ と で あ る 。 次 に 法 相 宗 は 此 の 時 代 に 至 り て 、 明 慧 上 人 と 名 を 等 ふ す る 笠 置 の 解 脱 上 人 を 出 し た 。 解 脱 上 人 名 は 貞 慶 、 明 慧 上 人 と 同 時 代 の 親 友 で あ つ た 。 曾 て 詔 に 依 り て 宮 中 の 最 勝 會 に 召 さ れ た 時 い 衆 皆 美 服 を 着 け て 得 意 の 色 あ り 、 上 人 は 破 れ た る 衣 を き て 着 座 す る や 、 衆 皆 指 し て 嘲 ふ 。 上 人 嘆 じ て 曰 く 、 ﹁ 今 の 僧 侶 は 佛 陀 の 法 儀 を 顧 み ず 、 徒 ら に 浮 誇 を 事 と す 、 吾 れ 彼 等 に 伍 す る を 好 ま ず ﹂ と 、 之 れ よ り 直 ち に 笠 置 に 隱 遁 し て 出 で ず 。 後 後 鳥 羽 上 皇 の 召 に 應 じ て 、 導 師 と な つ た 時 も 一節 一 笠 瓢 然 と し て 來 り 、 而 か も 其 の 説 法 は 頗 る 婉 鴨 で あ つ た の で 、 君 臣 共 に 感 嘆 し た と 云 ふ こ と で あ る 。 其 の 著 唯 識 同 學 鈔 六 十 二 卷 最 も 有 名 で あ る 。 建 暦 二 年 入 寂 す る と 朝 廷 其 の 徳 を 崇 ん で 解 脱 上 人 と 追 諡 せ ら れ 、 其 の 清 高 の 徳 風 は 、 時 人 に 偉 大 な る 感 日 本 佛 教 史 上 に 於 け る 大 徳 の 位 置 七 九

(8)

日 本 佛 教 史 上 に 於 け る 太 徳 の 位 置 八 〇 化 を 與 え た 法 相 宗 中 興 の 大 徳 で あ る 。 次 に 三 論 宗 に は 有 慶 圓 快 理 信 慶 信 覺 樹 智 舜 等 の 諸 學 者 が 出 た が 、 前 述 の 高 僧 と は 同 日 に 論 ず べ き 高 僧 は 出 な か つ た 。 七 次 に 此 の 期 に 於 け る 律 宗 の 振 興 は 頗 る 目 覺 ま し い も の が あ る 。 律 宗 は 平 安 朝 の 中 世 以 後 、 其 の 時 代 の 風 潮 に 從 つ て 、 頗 る 萎 微 衰 頽 し て 振 は ざ り し が 、 平 安 朝 の 末 期 に 及 び て 、 大 和 中 の 川 成 身 院 に 實 範 上 人 が 出 た 一。 上 人 は 興 福 寺 の 學 徒 で 、 密 教 を 勸 修 寺 の 嚴 覺 僧 都 に 受 け 、 博 膽 廣 量 諸 宗 の 學 に 通 じ た が 、 或 時 律 宗 の 廢 頽 し て 僧 風 の 日 に 墮 落 す る を 見 て 、 慨 然 起 っ て 春 日 明 神 に 所 り て 、 四 分 律 を 再 興 す る に 至 っ た こ と は 、 其 の 律 再 興 願 文 に 明 ら か で あ る 。 併 し な が ら 時 代 は 却 末 の 吹 き す さ ぶ 時 で あ る か ら 、 殆 之 れ を 顧 る も の が な く 、 戒 學 は 只 形 式 に 過 ぎ な か っ た 。 無 住 の 沙 石 集 に よ る と 、 上 人 の 建 て た 常 喜 院 の 學 徒 が 、 奈 良 の 佐 保 川 の 魚 を 捕 へ て 之 れ を 炙 り つ 丶 、 戒 律 の 話 を し て 居 つ た と い ふ こ と で あ る か ら 、 他 は 推 し て 知 る べ き で あ る 。 然れ ざ も 播 い た 種 子 は 生 え る 時 期 が 來 た 。 鎌 倉 の 初 期 に 勃 興 せ る 高 僧 は 、 親 鸞 を 除 い て 他 の 法 然 明 慧 貞 慶 道 元 榮 西 の 諸 高 僧 は 、 何 れ も 皆 戒 律 の 再 興 者 で あ つ た 。 尤 も 此 等 の 人 々 は 佛 教 興 隆 の 自 覺 よ り 、 自 然 に 頽 唐 せ る 氣 分 を 一 掃 し て 戒 行 を 重 ん じ た ま で 丶 、 之 れ を 専 門 に 興 隆 し た も の で な い こ と は 云 ふ ま で

(9)

も な い 。 然 る に 鎌 倉 時 代 の 初 期 よ り 中 期 に か け て 、 吾 國 民 生 活 の 上 に 三 官 年 の 間 隔 離 さ れ た 、 四 分 律 の 再 興 蓮 動 が 南 北 二 京 の 間 に 起 る に 至 つ た の で あ る 。 北 京 の 俊仍 、 南 京 の 大 悲 興 正 の 二 菩 薩 は 即 ち 其 の 人 で あ る 。 俊 栃 律 師 は 、 始 め 台 密 を 修 め た が 、 後 大 小 乗 の 戒 律 を 研 鑚 し 、 正 治 元 年 を 以 て 入 宋 し 、 留 學 十 二 年 南 山 律 を 傳 へ て 歸 朝 し 、 北 京 の 泉 涌 寺 を 中 興 し て 律 場 と な し 、 後 鳥 羽 高 倉 順 徳 諸 帝 の 歸 依 を 受 け て 律 幢 を 樹 て た 。 之 れ に 次 で 圓 城 寺 の 僧 曇 照 は 、 建 保 元 年 入 宋 し て 律 を 學 ぶ こ と 十 四 年 貞 安 二 年 に 歸 朝 し て 戒 光 院 を 聞 き 、 律 學 の 根 本 道 場 と し て 泉 涌 寺 と 相 並 ん で 北 京 律 の 淵 叢 と な つ だ 。 之 れ を 世 に 南 京 律 の 復 古 律 に 對 し て 、 北 京 の 新 律 と 稱 す る の で あ る 。 此 の 北 京 律 ,に 封 し て 、 俊 仍 律 師 に 後 る 丶 こ と 二 十 五 年 に し て 、 南 都 に も 戒 律 振 興 の 運 動 が 起 つ た 。 實 範 上 人 の 正 法 律 再 興 の 刺 戟 に 依 つ て 起 つ た 、 大 悲 興 正 の 二 菩 薩 は 、 實 範 藏 俊 覺 憲 と 三 傳 し て 貞 慶 に 至 り 、 貞 慶 の 弟 子 に 戒 如 覺 心 乗 心 の 三 哲 あり 、 戒 如 の 門 下 最 も 多 く 、 覺 盛 叡 尊 有 嚴 圓 晴 之 れ を 戒 如 門 下 の 四 傑 と 稱 す る 。 其 の 中 覺 盛 大 悲 菩 薩 と 叡 尊 奥 正 菩 薩 と は 最 も 有 名 で あ る 。 覺 盛 は 大 和 の 人 、 建 久 五 年 を 以 て 生 れ 、 興 幅 寺 に 雉 髪 し て 、 戒 を 戒 如 貞 慶 の 二 人 に 受 け 、 華 嚴 を 明 慧 上 入 に 學 び 、 夜 は 必 襌 觀 を 凝 ら し て 居 つ た も の で あ る か ら 、 師 の 貞 慶 解 説 上 人 は 、 之 を 他 日 照 世 の 慧 燈 と し て 尊 重 し た 。 一 日 戒 法 興 隆 の 志 願 を 起 し 、 叡 尊 と 會 す る に 及 び て 意 氣 相 投 じ 、 嘉 禎 二 年 九 月 一 日 を 似 日 本 佛 教 史 上 に 於 け る 大 徳 の 位 置 八 一

(10)

日 本 佛 教 史 上 に 於 ける 大 徳 の 位 置 八 二 て 東 大 寺 の 大 佛 殿 を 嚴 飾 し て 、 佛 の 相 好 を 觀 じ て 、 近 事 戒 を 自 受 し 、 二 日 に 妙 彌 戒 を 、 四 日 に は 叡 尊 と 共 に 比 丘 の 大 戒 を 自 誓 得 戒 し て 、 こ 丶 に 戒 行 を 全 ふ し 、 寛 元 三 年 泉 州 家 原 寺 に 於 て 始 め て 白 四 羯 磨 の 作 法 を 以 て 、 衆 人 に 授 戒 す る に 至 つ た 。 叡 尊 は 建 仁 元 年 を 以 て 大 和 に 生 れ 、 十 七 歳 に し て 醍 醐 の 圓 明 阿 闍 梨 に 投 じ て 出 家 し 、 高 野 山 に 登 り て 信 惠 阿 闍 梨 に 付 て 両 部 の 大 法 を 受 け 、 後 密 教 に 於 て は 西 大 寺 流 の 派 祖 と な つ 泥 。 一 日 戒 法 の 廢 頽 を 嘆 で て 曰 く 、 ﹁ 顯 密 二 教 戒 を 以 て 根 本と す 、 戒 根 清 淨 に 非 さ れ ば 定 慧 成 ら す ﹂と 、 去 っ て 東 大 寺 に 赴 き 大 悲 菩 薩 ざ 自 誓 官 受 し て 、 大 戒 を 發 得 し て 後 弘 法 利 生 の 爲 め に 一 生 を 委 ね 、 布 薩 を 行 す る こ と 一 萬 七 百 十 四 座 、 受 戒 の 弟 子 九 萬 八 千 人 、 両 部 灌 頂 の 弟 子 七 十 餘 人 、 毎 日 西 大 寺 の 粥 を 施 す も の 萬 人 を 以 て 數 へ 、 放 生 會 を 諸 州 に 儲 く る こと 一 千 三 百 所 、 後 嵯 峨 後 深 章 龜 山 後 宇 多 伏 見 の 五 帝 の 戒 師 ざ な り 、 戒 光 朝 野 に 薫 し て 化 風 の 盛 ん な る こ と 佛 教 吏 上 稀 に 見 る と こ ろ で あ る 。 現 今 奈 良 地 方 に 於 け る 眞 言 律 宗 の 寺 院 は 、 皆 師 に 依 り て 再 興 せ ら れ た も の で あ る 。 其 の 徒 じ 良 觀 忍 性 菩 薩 あ り 、 日 蓮 上 人 と 時 代 を 同 ふ し 、 鎌 倉 の 極 樂 寺 に 住 し て 、 濟 世 の 慈 善 事 業 甚 多 く 、 世 人 よ り 醫 王 如 來 の 尊 號 を 付 せ ら れ 陀 。 か く し て 律 宗 の 再 興 は 、 鎌 倉 時 代 の 人 心 に 清 新 な る 氣 分 を 與 え て 、 當 代 の 國 民 性 に 甚 大 の 感 化 を 殘 し 、 張 健 雄 偉 な る 氣 魄 を 與 え た 襌 の 興 隆 と 相 待 つ て 、 鎌 倉 武 士 の 間 に 武 士 道 の 美 果 を 結 ば し め た 點 は 最 も 注 目 に 價 す る 。

(11)

以 上 述 べ 來 つ た 舊 佛 教 の 高 僧 は 勿 論 、 新 佛 教 の 禪 、 日 蓮 の 諸 宗 に 至 る ま で 、 一 度 は 皆 台 密 東 密 の 洗 禮 灌 頂 を 受 け 、 密 教 的 精 神 を 復 活 し た も の で あ る 點 も 亦 看 過 し て は な ら ぬ 事 象 で あ る と 思 ふ 。 如 是 舊 佛 教 が 一 時 に 振 興 し つ 丶 あ る 時 、 獨 叡 山 の 天 台 宗 は 、 平 安 朝 の 末 賢 地 房 證 眞 あ り て 源 平 の 戰 を 知 ら す し て 、 教 學 の 振 興 を 計 り た る も の あ る も 、 多 く は 過 去 の 舊 夢 獪 未 覺 め す 、 自 ら 教 界 の 覇 者 と 稱 し て 、 横 暴 を 極 む る こ と 舊 の 如 く 、 日 吉 の 神 輿 は 此 の 時 期 に 於 て も 、屡 京 中 に 振 ら れ 、 新 佛 教 に 對 し て は 、 常 に 厭 迫 と 暴 行 を 加 へ て 、 日 日 に 自 己 の 宗 教 的 生 命 が 蝉 脱 し つ 丶 あ る を 知 ら な か つ た の で あ る 。 八 以 上 佛 教 改 新 時 代 の 轉 換 期 に 於 け る 、 新 舊 佛 教 の 大 勢 を 大 觀 し た が 、 最 後 に 眞 言 密 教 の 大 勢 は 如 何 で あ つ た か 、 嚴 肅 な る 教 界 革 命 の 精 神 は 、 眞 言 密 教 に も 甚 大 な る 影 響 を 與 え て 、 京 都 諸 山 に 於 け る 事 相 の 分 派 、 高 野 山 に 於 け る 教 相 興 起 の 機 運 を 激 成 す る に 至 つ た 。 盖 し 平 安 朝 の 中 頃 よ り 、 仁 和 醍 醐 の 両 山 の 隆 運 に 趣 く と 共 に 、 東 寺 の 權 力 は 漸 く 両 山 に 移 り 、 鳥 羽 帝 以 後 東 寺 の 長 者 は 名 の み あ り て 實 な く 、 各 山 各 皆 一 方 に 獨 立 し て法 幢 を 建 て 丶 根 本 十 二 流 の 法 流 を 生 ず る に 至 つ た 。 然 れ ざ も 嚴 正 な る べ き 法 流 心 印 の 相 承 は 、 必 し も 人 物 の 高 下 に よ る も の で な く 、 多 く は 攝 家 貴 顕 の 門 葉 を 重 ん じ て 、 法 門 を 輕 ん じ 、 高 祖 の 所 謂 金 剛 の 種 性 は 、 貴 族 に 限 り ら れ た る が 如 き 奇 觀 を 呈 し 、 門 閥 の 弊 害 漸 く 甚 し か ら ん と す る や う に な つ た 。 こ 丶 に 於 て 守 覺 法 親 王 の 時 に 至 り て は 、 仁 和 日 本 佛 教 史 上 に 於 け る 大 徳 の 位 置 八 三

(12)

日 本佛 教 史 上 に於 ける 大 徳 の 位 置 八 四 寺 の 門 跡 は 各 宗 に 寇 絶 し 、 日 本 總 法 務 の 印 璽 を 握 り て 、 法 王 の 權 力 を 擁 し 、 醍 醐 勸 修 寺 の 両 山 も 亦 皇 族 賃 家 よ り 出 でゝ 各 門 地 を 張 り 、 寺 院 の 壯 髭 は 燦 然 と し て 、 極 樂 淨 土 を 現 ず る が 如 き 所 謂 別 莊 佛敎 と な つ て 宗 教 的 生 命 は 、 寧 反 對 に 滅 亡 し つ 丶 あ る に 至 つ た 。 高 祖 立 教 開 宗 の 根 本 道 場 た る 東 寺 が 、 修 複 す る 人 な く 、 貧 道 の 一 狂僧 文 覺 上 人 の 手 に より て 、 漸 く 其 の 頽 廢 が 防 止 せ ら れ た こ と を 思 ふ 時 、 賞 代 京 都 に 於 け る 眞 言 宗 の 風 潮 は 自 ら 明 瞭 で あ る 。 然 れ ざ も 鎌 倉 時 代 諸 宗 輿 隆 の 時 代 に 至 り て は 、 こ 丶 に も 事 相 隆 盛 の 時 代 が 運 り 來 つ た 。 當 時 に 於 け る 一 流 の 開 祖 は 、 そ が た と ひ 一 興 を 振 撼 す る 程 の 高 僧 偉 傑 な し と す る と も 、 皆 一 代 に 雄 飛 せ る 高 僧 で あ る か ら 、 各 三 見 識 を 樹 て 丶 獨 立 の 法 流 を 興 し 、 鎌 倉 の 初 期 よ り 末 期 に 至 る 百 五 十 年 間 に 、 事 相 は 三 十 六 流 七 十 餘 方 の 支 流 を 分 派 し 、 所 謂 事 相 の 分 派 時 代 を 現 出 す る に 至 つ た の で あ る 。 然 ら ば か く 事 相 の 分 派 の 多 岐 に 分 れ た る 原 因 は 抑 何 で あ か と 云 ふ と 、 外 に あ り て は 各 宗 新 興 佛 教 の 刺 戟 を 受 け 、 内 に あ つ て は 教 相 學 興 起 の 爲 め 、 各 自 己 の 體 験 を 基 礎 と し て 、 一 派 を 主 張 す る に 至 つ た が 爲 め で あ ら う 。 然 る に 獨 教 相 學 が 京 都 に 發 生 せ ざ り し 所 以 は 、 諸 山 の 密 師 多 く は 公 家 に 出 入 し て 、 或 は 護 持 僧 と な り 、 或 は 建 壇 修 法 し て 公 私 の 希 瀬 に 應 す る を 事 と し て 、 末 經 疏 を 研 鑚 す る 遑 が な か つ た か ら で あ る 。 之 れ に 反 し て 高 野 山 は 、 地 既 に 王 城 を 去 る こ と 遠 く 、 名 利 を 望 む も の 丶 來 る べ き 所 で な く 、 深 山 幽 谷 は 漏 觀 と 經 疏 研 鑚 に 最 も 適 し た か ら で あ る 。 こ 丶 に 於 て 座 禪 の 餘 暇 、 心 を 佛 説 祖 訓 の 上 に 遊 ば し め 、 以

(13)

て 千 古 を 照 ら す 照 世 の 器 た ら ん こ と を 期 し た の で あ る 。 更 ら に 又 教 相 興 起 の 所 以 を 想 ふ に 、 事 相 は 巳 に 分 派 の 支 流 に 行 き 詰 つ て 、 新 な る 創 造 力 を 失 ひ 、 最 早 國 家 と 民 衆 と を 荷 負 し て 、 之 れ を 救 濟 す る の 力 な く 、 且 つ 各 宗 林 立 の 間 に 立 つ て は 、 法 身 自 證 の 至 高 の 教 義 を 研 鑽 し て 、 自 己 の 領 域 を 開 拓 し 以 て 佛 祖 の 本 願 を 顯 揚 せ ん と 努 め た も の に 相 違 あ る ま い と 思 ふ 。 か く し て 高 野 山 に は 、 平 安 朝 の 末 よ り 、 鎌 倉 の 初 期 に か け て 、 教 相 興 起 の 發 生 時 代 と な り 、 南 山敎 學 の 泰 斗 覺 海 大 徳 を 出 す に 至 つ た の で あ る 。 九 こ 丶 に 於 て 南 山 教 相 興 超 の 起 原 を 思 ふ に 、 昔 眞 然 僧 正 が 高 祖 の 遺 志 を 縫 で 、 實 慧 大 徳と 共 に 承 和 二 年 八 月 二 十 日 の 年 分 度 者 に よ り て 、 修 學 錬 行 の 傅 法 の 二 會 を 起 し た に 始 ま る 。 盖 し 修 學 會 は 、 深 遠 高 妙 な る 眞 言 の 教 義 を 究 め 、 練 行 會 は 教 相 に 於 て 究 め た る 第 一 義 的 理 想 を 賓 修 練 行 し て 有 智 有 行 の 僧 賢 た ら ん こ と を 期 す る に あ る 。 鑑 し 高 祖 に あ つ て は 、 事 教 の 二 相 渾 然 と な つ て 其 の 人 格 に 圓 現 し 、 即 身 に 無 上 の 佛 果 を 極 め 、 其 の 教 相 判 釋 は 、 印 度 に も 支 那 に も 曾 て な き 、 獨 創 の 教 判 を 大 成 し て 、 日 本 佛 教 の 最 大 の 權 威 と な つ た の で あ る が 、 後 世 の 兒 孫 大 師 に 及 ぶ も の 一 人 も な ぐ 、 後 世 事 教 の 二 相 は 、 高 野 と 京 都 と に 分 婚 し て 研 磨 す る や う な こ と に な つ た の で あ る 。 さ れ ば 東 寺 に あ つ て は 、 高 祖 の 入 定 以 後 主 と し て 事 相 の 錬 行 を為 し 、 以 て 日 本佛 教 史 上 に於 け る 大 徳 の 位 置 八 五

(14)

日 本 佛 教 史 上 に 於 け る 大 徳 の 位 置 八 六 鎭 護 國 家 、 弘 法 利 生 の 素 願 を 遂 げ ん と し た も で あ る か ら 、 た ま た ま 般 若 寺 の 觀 賢 、 仁 和 寺 の 濟 暹 、 西 院 の 信 證 等 の 先 徳 、 若 干 の 疏 章 を 製 す と 雖 も 、 遂 に 自 宗 の 根 本 教 典 た る 大 日 經 疏 が 、 平 安 朝 の 末 葉 に 至 り て は 、 之 れ を 講 す る に 人 な く 、 空 し く 其 の 傳 を 失 は ん と す る に 至 つ た に 徴 し て も 、 如 何 に 事 相 の 觀 行 を 主 と し て 、 教 相 の 智 目 を 忘 却 せ し か を 知 る こ と が 出 來 る で あ ら う 。 高 野 山 に あ り て は 、 無 空 律 師 の 離 山 以 後 、 南 山 の 傅 燈 は 中 絶 し て 振 は す 、 白 河 天 皇 の 朝 、 明 算 大 徳 の 出 つ る に 及 び 、 小 野 の 成 尊 僧 都 に 遭 ふ て 、 南 山 相 承 の 秘 口 と 大 日 經 疏 の 講 傳 を 受 け て 以 來 、 事 教 の 二 相 漸 く 明 ら か に な つ た 。 其 の 後 鳥 羽 天 皇 の 朝 、 覺 鑁 上 人 興 教 大 師 、 い た く 教 學 の 荒 廢 を 歎 ひ て 、 奮 然 超 つ て 復 興 の 任 に 當 り 、 長 承 元 年 大 傳 法 院 落 成 を 告 ぐ る や 、 盛 ん に 落 慶 供 養 を 螢 み 、 之 よ り 春 季 の 五 十 日 は 修 學 會 を 行 ひ て 教 義 を 講 論 し 、 秋 季 五 十 日 は 練 行 會 を 行 ひ て 、 密 軌 を 精 修 す る に 至 つ て は 、 大 に 學 徒 を 覺 醒 し て 、 大 法 興 隆 の 志 願 を 超 さ し め た 。 然 る に 惜 む べ し 、 首 尾 僅 か に 十 一 年 に し て 、 根 來 に 引 退 す る の 止 む な き に 至 つ た 、 吾 山 の 教 相 興 起 は 、 再 び 元 の 暗 黒 に 歸 ら ん と へし た 。 然 れ ざ も 明 算 覺 鑁 二 師 の 偉 業 は 空 し か ら す し て 、 興 隆 の 時 期 が 來 た 。 傳 法 院 に は 、 覺 鑁 上 人 入 滅 以 後 、 法 生 院 の 教 尋 、 持 明 院 の 眞 譽 、 學 頭 信 慧 阿 闍 梨 、 密 嚴 院 の 兼 海 、 五 智 房 融 源 、 蓮 花 院 の 春 晴 、 東 別 所 の 忠 俊 等 其 の 衣 鉢 を 繼 ぎ て 教 學 を 振 興 し 、 其 の 他 華 遊 院 の 觀 心 、 同 じ く 會 慶 、 南 院 の 隆 惠 善 俊 等 の 諸 傑 輩 出 し て 、 新 義 派 學 説 の 前 驅 を 爲 し 、 遂 に 覺 鑁 上 人 滅 後 百 餘 年 を 經 て 、

(15)

頼 瑜 和 尚 に 至 り て 加 持 身 説 注 の 新 義 を 出 す に 至 つ た 。 金 剛 峯 寺 方 縁 あ て は 、 明 算 の 高 弟 縁 北 室 院 の 良 襌 師 あ り 覺 鑁 上 人 と 同 時 代 の 人 に し て 學 徳 一 世 縁 高 く 門 下 最 も 多 く 、 彌 勒 院 の 琳 賢 、 北 室 院 の 兼 賢 、 教 覺 、 及 び 大 樂 院 の 基 舜 等 最 も 有 名 で あ る 。 基 舜 の 高 足 に 大 樂 院 の 嚴 密 坊 寛 秀 あ り 、 此 れ 實 縁 覺 海 大 徳 教 相 の 師 で あ る 。 北 室 院 の 兼 賢 の 高 足 に 正 智 院 の 定 賢 あ り 、 定 賢 の 門 下 縁 正 智 院 の 明 任 と 兼 澄 の 二 人 あ り 、 明 任 阿 闍 梨 は 、 覺 海 大 徳 ざ 同 時 の 名 徳 で 、 法 性 道 範 等 の 名 傑 十 餘 人 を 打 ち 出 し た る 碩 學 で あ つ た 。 か く て 覺 海 明 任 の 後 、 順 徳 天 皇 の 朝 よ り 花 園 天 皇 の 朝 に 至 る 凡 そ 百 年 間 縁 、 所 謂 野 山 の 八 傑 、 賢 性 院 の 法 性 、 正 智 院 の 道 範 、 心 南 院 の 尚 祚 、 十 輪 院 の 眞 辨 、 大 樂 院 の 信 日 信 堅 の 二 人 、 三 藏 院 の 覺 和 、 寳 性 院 の 玄 海 を 出 し て 、 本 地 身 説 法 の 教 義 を 繼 承 し 、 傅 法 院 派 と 相 對 立 し で 、 教 相 の 研 鑚 鬱 然 と し て 起 り 空 前 の 隆 盛 時 代 こ な つ た 。 此 の 時 根 來 に は 頼 瑜 あ り 、 醍 醐 に 憲 深 頼 賢 道 教 等 の 諸 師 あ り 、 勸 修 寺 縁 は 榮 海 あ り 、 東 寺 に 頼 寳 、 槇 尾 に 自 性 上 人 あ り 、 伊 豆 走 湯 山 に は 妙 淨 上 人 あ り 、 次 で 東 寺 に 杲 賢 賢 寳 の 両 哲 あ り 、 根 來 に 聖 憲 あ り 、 善 通 寺 に は 宥 範 上 人 あ り て 、 教 相 學 の 興 隆 は 新 義 古 義 東 寺 高 野 を 問 は す 、 一 代 の 風 潮 と な つ て 義 學 の 徒 宗 内 縁 滿 ち 、 教 相 の 黄 金 時 代 ご な つ た 。 か く て 覺 海 大 徳 縁 源 を 發 し た る 教 相 義 學 が 百 年 足 ら す し て 、 天 下 を 風 靡 す る に 至 つ た の で あ る 。 然 れ こ も 教 相 の 義 學 が 末 流 縁 至 る に 從 つ て 、 事 相 の 體 験 を 忘 れ 、 渾 然 た る 第 一 義 的 生 令 は 何 日 し か 蝉 脱 し て 、 第 二 義 第 三 義 の 抽 象 的 理 論 に 墮 す る か 、 文 字 章 句 に 囚 は る 丶 註 釋 的 説 明 ざ な つ て は 、 最 早 思 想 上 日 本 佛 教 史 上 に 於 け る 大徳 の 位 置 八 七

(16)

日 本 佛 教 史 上 に 於 け る 大 徳 の 位 置 八 八 の 骸 骨 に あ ら ざ れ ば 、 文 字 の 屍 尸 の み で あ る 。 かく 考 ふ る 時 、 殆 一 卷 の 著 述 も な き 、 覺 海 大 徳 が 寧 秋 天 に 聳 ゆ る 五 重 大 塔 の 如 く 吾 人 の 頭 上 に 壓 し 來 る 、 壯 重 さ を 威 ず る も の で あ る 。 何 故 な ら ば 、 大 徳 の 心 謄 縁 は 萬 卷 の 經 典 を 呑 吐 せ る 、 高 邁 深 贋 の 識 見 を 有 し て 事 教 の 二 相 は 渾 然と し て 一 人 格 に 圓 現 す る か ら で あ る 。 十 覺 海 大 徳 は 、 覺 鑁 上 人 入 滅 の 前 年 康 治 元 年 を 以 て 山 陰 の 但 馬 縁 生 れ て 、 蓮 花 三 昧 院 の 明 遍 上 人 と 同 年 の 入 で あ る 。 後 年 此 の 両 聖 が 非 常 な る 親 友 と な つ た の も 何 か の 因 縁 で あ ら う 。 大 徳 資 性 柔 和 縁 し て 神 氣 天 發 し 、 醍 醐 の 定 海 大 僧 正 、 隨 心 院 の 親 嚴 、 勸 修 寺 の 文 泉 等 に 就 い て 、 小 野 流 の 源 底 を 極 め 、 後 高 祖 の 芳 躅 を 慕 ふ て 高 野 山 に 登り 、 大 樂 院 の 寛 秀 阿 闍 梨 に 隨 ふ て 、 教 相 の 奥 義 を 極 め 、 南 谷 縁 花 王 院 を 開 い て 此 に 住 し 、 廣 く 講 學 を 張 つ て 法 性 道 範 尚 祚 眞 辨 等 の 逸 足 を 薫 化 し て 、 南 山 教 學 の 源 流 と な つ た の で あ る 、 晩 年 檢 交 を 辟 し て 、 專 ら 禪 觀 縁 耽 り 、 貞 應 二 年 下 品 の 悉 地 を 成 し て 永 へ に 南 山 擁 護 の 誓 を 殘 し て 羽 化 し 去 つ たと 傳 へ て 居 る 。 思 ふ に 戴 徳 の 一 生 八 十 年 は 、 殆ど 驚 目 に 價 す る 事 業 も な く 、 一 卷 の 自 著 の 書 籍 も な い の で あ る が 、 一 片 の 法 語 の 内 縁 も 、 徹 底 せ る 密 教 の 秘 奥 を 開 示 し て 餘 蘊 な く 、 高 邁 の 識 見 は 悉 く 大 徳 の 體 驗 よ り 來 り て 無

(17)

盡 荘 嚴 の 洪 波 を 湛 え 、 一 句 一 字 も 深 遠 な る 海 潮 音 と な つ て 、 萬 古 に 響 き 渡 る を 覺 え し む る も の あ り 。 特 に 其 の 淨 土 觀 に 至 り て は 、 高 祖 の 骨 髄 に 觸 れ て 燦 然 た る 光 明 に 接 せ し む る も の が あ る 。 前 節 に 己 に 一 言 述 べ た 如 く 、 當 時 の 高 野 山 は 各 宗 の 名 徳 一 時 に 集 り 、 各 宗 僧 侶 の 淵 叢 地 と な つ て 居 つ た 。 法 然 親 鸞 の 如 き 一 宗 の 開 祖 も 、 高 祖 の 徳 風 を 慕 ふ て 滯 留 す る あ り 、 榮 西 行 勇 の 如 き 襌 僧 あ り 、 行 勝 上 人 の 如 き 行 業 一 世 に 高 き 高 僧 あ り 、 特 に 西 方 淨 土 を 期 す る 隱 遁 者 甚 多 く 、 俊 乗 坊 重 源 の 念 佛 結 社 を 中 心 と し て 、 明 遍 、 西 行 、 襌 林 の 靜 遍 、 醍 醐 の 勝 賢 、 熊 谷 蓮 生 の 如 き 其 の 主 な る も の で あ る 。 か く の 如 く 鎌 倉 の 初 期 に 於 て は 、 各 宗 の 碩 匠 名 徳 山 内 に 滿 ち 、 宛 然 た る 日 本 佛 教 の 縮 圖 た る の 觀 あ り 、 海 抜 三 千 尺 の 高 峰 に も發 溂 た る 新 氣 運 が 滿 ち 充 ち た の で あ つ た 。 是 等 諸 名 僧 の 間 に 立 っ て 、 覺 海 尊 師 は 一 山 の 重 顔 と し て 、 重 望 を 一 身 に 集 め 卓 抜 な る 識 見 を 以 て 、 後 身 子 弟 を 薫 陶 し た こ と で あ る 。 十 一 海 内 に 滿 て る 新 興 思 想 の 洪 波 が 、 高 野 山 上 に を し 寄 せ 來 つ て 渦 を 卷 き つ 丶 あ つ た 時 、 覺 海 大 徳 は 此 等 の 思 想 に 對 し て 、 何 處 ま で 影 響 せ ら れ 、 又 は 此 等 の 思 想 を 如 何 に 取 扱 つ た か 、 此 の 問 題 に 付 て 今 少 し 述 べ る こ と 丶 す る 。 新 宗 派 の 中 日 蓮 宗 は 未 だ 起 ら ざ る 時 代 で あ る か ら 、 襌 と 淨 土 と の 二 宗 に 就 い て 考 え て 見 る と 、 榮 西 道 元 等 の 主 張 せ る 直 指 人 心 見 性 成 佛 の 宗 義 は 、 殆ど 大 徳 の 著 書 の 何 處 に も 見 當 ら ぬ 。 是 れ 襌 宗 は 未 だ 興 つ て 間 な く 、 特 に 臨 濟 襌 の 如 き は 、密 教 と 調 和 し て 何 等 の 相 異 を 殆ど 見 る こ と が 出 來 ぬ か ら 日 本 佛 教 史 上 に 於 け る 大 徳 の 位 置 八 九

(18)

日 本 佛 教 史 上 に 於 け る 大 徳 の 位 置 九 〇 で あ る ま い か 。 此 れ に 反 し て 淨 土 念 佛 に 對 す る 批 判 は 、 覺 源 鈔 等 に は 至 る 處 に 之 を 見 る こ と が 出 來 る 。 此 れ 淨 土 の 思 想 は 、 性 信 親 王 、 覺 鑁 上 人 以 來 已 に 宗 徒 に 依 り て 信 ぜ ら れ 、 明 遍 靜 遍 等 の 淨 土 系 の 人 と 親 交 あ つ た の と 、 當 時 淨 土 教 が 全 盛 を 極 め 、 甚 深 な る 感 動 を 一 般 人 心 に 與 へ て 、 深 刻 な る 菩 提 心 を 開 發 し つ 丶 あ つ た 時 で あ る か ら で あ ら う 。 元 來 高 祖 師 の 思 想 に は 極 樂 往 生 の 思 想 が 少 し も な い 。 若 し 淨 土 思 想 が あ り と せ ば 都 率 淨 土 の 思 想 で あ る , 眞 言 密 教 の 教 義 より 考 ふ る 時 は 、 阿 字 不 生 の 心 地 の 外 に 地 獄 も な く 、 極 樂 も な い の で あ る 。 心 能 く 十 界 の曼 荼 羅 を 顯 現 す る の で あ る 。 高 祖 の 所 謂 、 地 獄 天 堂 、 佛 性 闡 提 、 煩 惱 菩 提 、 生 死 涅 槃 、 邊 邪 中 正 、 空 有 偏 圓 、 二 乘 一 乘 皆 是 れ 自 心 佛 の 密 號 名 字 で あ る 。 安 養 都 率 本 來 胸 中 と す る の が 其 の 本 義 で あ る か ら 、 淨 土 教 の 如 く 、 現 實 の 世 界 以 外 に 西 方 の 淨 土 を 認 め す 、 當 所 即 法 界 宮 と 逹 悟 す る の が 眞 言 密 教 の 極 樂 淨 土 觀 で あ る 。 覺 海 大 徳 は 、 當 時 代 の 密 教 家 が 滔 々 と し て 、 安 養 淨 土 を 仰 望 し て 、 淨 業 を 修 す る に 反 し て 、 何 處 ま で も 毅 然 と し て 、 密 教 本 來 の 立 場 を 守 持 し て 、 直 ち に 自 己 の 心 地 を 打 開 し て 、 生 死 と 涅 槃 に 無 碍 自 在 に 優 遊 し て 、 衆 生 を 教 化 せ ん と し た 識 見 は 大 に 欽 仰 す べ き も の で あ る 。 眞 言 宗 安 心 全 書 上 卷 覺 海 法 橋 法 語 に 日 く 、 此 意 に て 、 眞 實 に 無 上 菩 提 を 願 ふ と 者 、 都 て 何 れ の 處 に 生 れ て 、 何 れ の 身 と な ら ん と 思 は す 、 自 心

(19)

を 常 に 淨 め て 隨 心 轉 色 の 即 事 而 眞 の 觀 を 成 す 可 也 。 所 期 の 淨 土 は 須 彌 山 の 九 山 八 海 を 密 嚴 淨 土 と す る な り 。 色 相 佛 身 に 於 て は 十 界 悉 く 曼 荼 の 聖 衆 な り 。 (中 略 )眞 實 に は 我 が 居 り た る 房 舎 を 、 密 嚴 淨 土 と 觀 じ て 、 自 身 の 左 右 前 後 に 、 四 智 四 行 を 布 列 し 、 乃 至 九 會 十 三 大 會 法 界 胎 藏 界 の 曼 荼 羅 の 上 に 、 金 剛 界 三 十 七 尊 塵 刹 聖 衆 、 各 々 自 證 の 月 輪 に 坐 し 給 ふ と 思 ふ べ き な り 。 と 説 い て 自 心 に 淨 土 を 求 む べ し と 説 い た の で あ る 。 又 當 時 の 密 教 學 者 が 安 養 都 率 の 何 れ に 往 生 す べ き か と 惑 ひ 、 或 は 事 教 各 別 の 偏 執 を 懐 く を 誠 め て は 、 世 の 中 に 往 生 を 欣 ぶ 人 、 幾 許 ぞ 、 併 し な が ら 執 心 ま だ 蕩 け ざ る が 故 に 、 都 率 極 樂 に 於 て 難 易 の 不 同 を 論 じ 、 密 嚴 華 藏 に 於 て は 、 思 を 絶 つ て 望 む 人 は 一 人 も 無 き な り 。 自 宗 の 眞 言 教 を 習 ふ 人 も 、 但 だ 事 相 眞 言 の 人 は 、 常 見 な り 。 教 相 を 立 つ る 人 は 空 見 な り 。 近 代 の 有 様 事 相 教 相 一 體 無 二 と 思 ひ 定 む る 人 や 無 ら ん 。 と 慨 嘆 し て 、 自 心 の 本 源 に 安 住 し て 断 常 の 二 見 を 離 れ 、 事 教 不 二 の 體 驗 即 ち 是 れ 密 嚴 國 土 の 心 地 で あ る と 開 示 せ ら れた も の で あ る 。 此 を 以 て た と ひ 極 樂 淨 土 を 願 ふ と も 、 そ は 自 證 の 三 菩 提 を 證 せ ん が 爲 め の 方 便 で 、 決 し て こ 丶 に 安 住 し て は な ら ぬ 。 一 息 無 間 断 に 自 證 の 三 菩 提 を 證 す べ し と し て 覺 源 鈔 に 曰 く 、 此 様 化 佛 懸 心 發 菩 提 心 、 即 爲 證 自 證 之 菩 提 也 。 宸 初 發 心 時 懸 極 樂 淨 土 、 影 像 化 佛 國 土 也 。 全 非 常 住 栖 家 可 得 意 合 。 日 本 佛 教 史 上 に 於 け る 大 徳 の 位 置 九 一

(20)

日 本 佛 教 史 上 に 於 け る 大 徳 の 位 置 九 二 と 論 じ て 、 方 便 化 土 の 外 に 自 證 の 三 菩 提 を 説 き 、 本 地 の 風 光 を 以 て 常 住 の 栖 家 と し 密 嚴 華 藏 と し た の で あ る 。 十 二 由 來 眞 言 密 教 縁 は 、 三 品 の 悉 地 を 説 く 、 是 れ 即 ち 三 品 の 淨 土 で あ る 。 下 品 の 淨 土 は 諸 天 修 羅 宮 に 生 じ 馬 中 品 の 悉 地 は 西 方 淨 土 若 し く は 都 率 の 淨 土 等 十 方 の 淨 土 に 生 す る の で あ る 。 上 品 の 悉 地 は 當 處 即 法 界 宮 と す る 密 嚴 國 土 で あ る 。 三 品 の 悉 地 か く 差 別 す と 雖 も 、 本 初 の 智 見 に 住 す る 時 は 、 下 品 に 即 し て 無 碍 自 在 の 生 活 を 體 現 す る こ と が 出 來 る の で あ る 。 然 る に 後 世 の 學 者 多 く 斷 常 二 見 の 偏 執 に 囚 は れ て 、 事 教 の 二 相 隔 離 し て 、 教 相 學 者 は 教 理 の 研 究 に 而 已 沒 頭 し て 體 驗 の 實 證 を 忘 れ 、 事 相 を 學 ぶ も の は 亦 形 式 の 形 骸 に 囚 は れ て 常 見 に 堕 す 。 こ 丶 を 以 て 下 品 の 悉 地 を 厭 ふ て 、 安 養 の 淨 土 を 求 め 、 若 し く は 抽 象 的 に 密 嚴 華 藏 を 願 ふ て 何 等 の 實 證 な き 外 道 を 生 す る に 至 る の で あ る 。 吾 覺 海 大 徳 に あ つ て は 然 ら す 、 教 相 の 提 示 す る と こ ろ に は 直 ち に 實 證 の 體 験 を 伴 ひ 、 以 て 下 品 の 悉 地 に 安 住 し て 密 教 の 擁 護 を 誓 ひ 、 未 來 際 を つ く し て 不 壊 の 化 身 を 現 じ 、 弘 法 利 生 の 大 願 を 期 す る も の で あ る 。 即 事 而 眞 の 教 義 は 大 徳 に 於 て 眞 に 活 現 せ ら れ た も の 云 ふ べ き で め る 。 こ 丶 に 至 れ ば 洵 に 大 徳 の 如 き は 、 所 謂 大 空 位 に 遊 歩 し て 身 秘 密 を 顯 現 し た 偉 聖 で あ る 。

参照

関連したドキュメント

1)研究の背景、研究目的

1、研究の目的 本研究の目的は、開発教育の主体形成の理論的構造を明らかにし、今日の日本における

Budget Amount *help ¥2,200,000 (Direct Cost: ¥2,200,000) Fiscal Year 2007: ¥700,000 (Direct Cost: ¥700,000) Fiscal Year 2006: ¥700,000 (Direct Cost: ¥700,000) Fiscal Year

活用のエキスパート教員による学力向上を意 図した授業設計・学習環境設計,日本教育工

欧米におけるヒンドゥー教の密教(タントリズム)の近代的な研究のほうは、 1950 年代 以前にすでに Sir John

理系の人の発想はなかなかするどいです。「建築

[r]

突然そのようなところに現れたことに驚いたので す。しかも、密教儀礼であればマンダラ制作儀礼