最
澄
の
著
作
に
見
え
る
自
然
智
の
概
念
前
谷
彰
・
恵
紹
は じ あ に 自 然 智 と い う と、 一 般 的 に サ ン ス ク リ ッ ト 語 s v a y a m b h u -j n a n a の 訳 語 と 考 え ら れ て い る。 因 み に ﹁ 自 然 ﹂ と い う 語 に 関 し て 言 う と、 田 村 芳 朗 氏 は、 ﹃ 法 華 経 ﹄ を 中 心 と し た 梵 本 と 漢 訳 経 典 を 照 合 す る こ と に よ っ て、 ﹁ 仏 教 で 肯 定 的 に 使 う ﹁ 自 然 ﹂ の 意 味 は、 s v a y a m b h u を 原 語 と し た 場 合 に は、 主 体 的 自 由 と い う こ と で あ り、 S v a b h a v a や p r a k r t i な ど を 原 語 と し た 場 合 に は 事 物 の 客 観 的 な あ り か た、 あ る が ま ま の す が た を 指 し た も の と い う こ と に な る ﹂ と い う 結 ( 1) 論 を 導 き 出 し た。 ま た、 末 木 文 美 士 氏 は 漢 訳 般 若 経 典 に お け る ﹁ 自 然 ﹂ の 用 例 を 調 査 す る こ と に よ っ て、 田 村 氏 と 同 ( 3) 様 の 見 解 を 持 つ に 至 り、 さ ら に 別 稿 で は、 い わ ゆ る ﹁ 自 然 智 ﹂ に つ い て 次 の よ う な 語 義 解 釈 を 行 っ て い る。 s v a y a m b h n は se l f-e x is t in g " in d e p e n d e n t の 意 で あ る が、 ブ ッ ダ の エ ピ セ ッ ト と し て 用 い ら れ る の が 通 常 で あ り、 従 っ て、 sv a y a m b h n jn a n a は ブ ッ ダ の 智 慧 を 意 味 す る。-中 略 -そ れ 故、 ﹁ 自 然 智 ﹂ と 言 え ば、 他 者 に よ ら ず に、 自 己 自 身 で 得 た 智 慧 の 意 で あ り、 い わ ゆ る 無 師 独 悟 の 意 に 他 な ら な い。 最 澄 の 著 作 に 見 え る 自 然 智 の 概 念-21-密 教 文 化 こ の よ う に、 sv a y a m b h n -j n a n a と は ﹁ 他 に よ ら ず に 自 分 自 身 で 得 た 智 慧 ﹂ を 意 味 す る タ ー ム で あ る。 ま た、 ブ ッ ダ は 師 無 く し て 自 分 自 身 で 得 た 智 慧 の 完 成 に よ っ て 悟 り を 得 た の で あ る か ら、 こ れ を も っ て 無 師 独 語 と 言 わ れ た の で あ る。 従 っ て、 こ こ で 言 う と こ ろ の ﹁ 自 然 智 ﹂ と は、 あ ぐ ま で も ブ ッ ダ の 智 慧 そ の も の を 意 味 す る 語 で あ る こ と に 留 意 し て お か ね ば な ら な い で あ ろ う。 さ て、 日 本 仏 教 史 に お い て、 自 然 智 を め ぐ る 様 々 な 議 論 が 展 開 さ れ は じ め る の は、 最 澄 の 著 作 中 に 見 ら れ る 自 然 智 と い う 語 句 を い か に 解 釈 す る か に 端 を 発 し た と 見 な し て よ か ろ う。 最 澄 の 著 作 に は、 実 際 自 然 智 に 関 連 す る 語 句 と し て、 ﹁ 比 蘇 自 然 智 ﹂ ﹁ 自 然 智 宗 ﹂ と い う 語 句 を 見 出 す こ と が で き る。 議 論 展 開 の 当 初 は、 ﹁ 比 蘇 自 然 智 ﹂ と い う 場 合、 ( 4) こ れ は 神 叡 や 道 喀 と い う 特 定 の 人 物 を 指 し 示 す 語 句 で あ る と 考 え ら れ て い た。 し か し、 そ の 後、 薗 田 香 融 氏 に よ っ て、 ( 5) ﹁ 自 然 智 宗 ﹂ と い う 語 句 に 関 連 し て、 特 定 の 一 派 も し く は 宗 派 を 想 定 す る 説 が 打 ち 立 て ら れ た。 そ う し て、 そ の 後 多 く ( 6) の 研 究 者 が こ の 説 に 賛 同 し、 今 日 で は も は や 定 説 に な り つ つ あ る 感 さ え あ る。 こ れ に 対 し、 最 近、 末 木 文 美 士 氏 は 薗 田 説 に 否 定 的 な 立 場 を と り、 自 然 智 宗 を 単 に ﹁ 自 然 智 と い う 立 場 ﹂ く ら い の 意 味 に 捉 え て 構 わ な い の で は な い か と い ( 7) う 見 解 を 打 ち 立 て、 さ ら に 薗 田 説 の よ う に 自 然 智 宗 と 虚 空 蔵 求 聞 持 法 と を 結 び つ け る 必 然 性 が な い こ と を 主 張 し た。 と こ ろ が、 末 木 氏 の こ の 論 考 で は、 ﹁ 自 然 智 宗 ﹂ と い う 語 句 を 特 定 の 一 派 ・ 宗 派 と み な す 薗 田 説 を 否 定 せ し め る に 足 る 十 分 な 根 拠 が 明 示 さ れ て お ら ず、 あ く ま で も 推 論 の 段 階 に 止 ま っ て い る と 言 っ て も 過 言 で は な い。 ま た、 末 木 氏 は こ の 推 論 を 導 き 出 す に あ た っ て、 サ ン ス ク リ ッ ト 語 の s v a y a m b h n -j n a n a の 語 義 概 念 を も っ て、 最 澄 の 著 作 中 に 見 ら れ る ﹁ 自 然 智 ﹂ の 語 義 解 釈 に 充 当 さ せ て い る が、 こ の 方 法 論 に は 賛 同 で き な い も の が あ る。 な ぜ な ら ば、 筆 者 に よ れ
-22-ば、 ﹃ 延 暦 僧 録 ﹄ や 最 澄 の 著 作 等 に 見 出 さ れ る ﹁ 自 然 智 ﹂ と い う 語 句 を、 イ ン ド 仏 教 か ら 展 開 し た s v a y a m b h n -j n a n a と し て の ﹁ 自 然 智 ﹂ に、 そ の ま ま 充 当 せ し め る の は 妥 当 性 を 欠 く と 考 え る か ら で あ る。 そ こ で、 本 稿 で は、 サ ン ス ク リ ッ ト 語 s v a y a m b h n-j n a n a の 漢 訳 語 と し て の ﹁ 自 然 智 ﹂ の 語 義 に 引 き ず ら れ る こ と な く、 あ く ま で も 日 本 仏 教 史 の 視 座 か ら、 最 澄 の 著 作 中 に 見 ら れ る ﹁ 自 然 智 ﹂ と は い っ た い い か な る 意 味 を 有 す る 語 句 な の か に つ い て 考 察 し て 行 く こ と に す る。 一、 神 叡 伝 自 然 智 と 最 も 深 い 関 わ り を 持 つ 僧 と い え ば、 誰 も が 神 叡 の 名 を 挙 げ る で あ ろ う が、 ま ず ﹃ 扶 桑 略 記 ﹄ (天 平 二 年 十 月 十 七 日 条) 所 引 の ﹃ 延 略 僧 録 ﹂ で は 次 の よ う に な っ て い る。 唐 僧 思 託 作 二 延 暦 僧 録 一云、 沙 門 神 叡 唐 学 生 也。 因 レ 患 制 レ 亭、 便 入 二 芳 野 一依 二 現 光 寺 一結 レ盧 立 レ 志、 披 閲 二 三 蔵 一、 乗 燭 披 翫、 夙 夜 忘 レ 疲、 途 二 二 十 年 一、 妙 通 二 奥 旨 一、 智 海 淵 沖、 義 雲 山 積、 蓋 法 門 龍 象 也。 俗 時 伝 云、 芳 野 僧 都 得 自 然 智。 右 漢 文 に お い て、 ﹁ 芳 野 僧 都 得 自 然 智 ﹂ の 部 分 だ け は 解 釈 上 の 問 題 が あ る の で、 敢 え て 白 文 の ま ま 記 し て お く。 ( 8) こ こ で は、 神 叡 は 唐 の 学 問 僧 で、 病 患 を 契 機 と し て 吉 野 に 入 り、 現 光 寺 (放 光 寺 ・ 比 蘇 寺 ・ 比 蘇 山 寺) に て 三 蔵 を 披 閲 し て 二 十 年 を 経 て 奥 旨 に 通 じ た と さ れ て い る。 因 み に、 智 海 淵 沖 以 下 に つ い て は、 ほ と ん ど の 研 究 者 が 読 み 解 き を し て い な い が、 望 月 信 亨 氏 だ け が ﹁ 智 海、 淵 沖、 義 雲、 山 積 等 其 の 門 に 学 び ﹂ と し て、 智 海 以 下 を 四 人 の 僧 名 と し 最 澄 の 著 作 に 見 え る 自 然 智 の 概 念
-23-密 教 文 化 ( 9) て 捉 え て い る。 し か し、 こ れ は 明 ら か に 誤 釈 と 見 な さ れ な け れ ば な ら な い で あ ろ う。 そ こ で、 当 該 箇 所 の 読 み 解 き の た め に、 ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ ( 養 老 三 年 十 一 月 乙 卯 条) の 次 の 一 文 を 引 用 す る こ と に し よ う。 神 叡 法 師、 幼 而 卓 絶、 道 性 夙 成、 撫 二 翼 法 林 一、 濡 二 麟 定 水 一、 不 レ 践 二 安 遠 之 講 騨 一、 学 達 三 二 空 一、 未 レ 漱 二 澄 什 之 言 河 一、 智 周 二 二 諦 一、 -中 略 -道 慈 法 師、 遠 渉 二 蒼 波 一、 藪 二 異 聞 於 絶 境 一、 遽 遊 二 赤 県 一、 研 二 妙 機 於 秘 記 一、 参 二 跡 象 龍 一振 二 英 秦 漢 一、 並 以 戒 珠 如 レ懐 二 満 月 一、 慧 水 若 レ 窮 二 槍 漠 一、 償 二 使 天 下 桑 門 智 行 如 一レ此 者 ( 以 下 略) 我 々 は こ こ で、 ﹁ 戒 珠 如 レ 懐 二 満 月 一、 慧 水 若 レ 窺 二 槍 漠 一﹂ の 一 文 に 注 視 し な け れ ば な ら な い。 こ れ は 道 慈 の 智 慧 と 戒 行 を 讃 え た 箇 所 で あ る が、 ﹃ 元 亨 釈 書 ﹄ ( 巻 十 六 ・ 力 遊 九 ・ 唐 国 神 叡 の 項) に は こ の 一 文 に 対 応 す る 次 の よ う な 表 現 が 認 め ら れ る。 釈 神 叡、 唐 国 人。 居 二 元 興 寺 一講 二 唯 識 一。 世 言。 得 二 虚 空 蔵 菩 薩 霊 感 一。 霊 亀 三 年 勅 日、 沙 門 神 叡、 学 達 二 三 空 一、 智 周 二 二 諦 一、 戒 珠 光 潔、 慧 海 波 深。 宜 レ施 二 食 封 五 十 戸 一。 天 平 九 年 化。 ﹃ 元 亨 釈 書 ﹄ の 撰 者 で あ る 虎 関 師 練 の 依 用 し た 史 料 を 明 確 に す る こ と は で き な い が、 こ こ で の ﹁ 戒 珠 光 潔、 慧 海 波 深 ﹂ は、 そ の 語 句 の 用 い ら れ 方 か ら 見 て も、 先 に 引 用 し た ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ の ﹁ 戒 珠 如 ラ 懐 満 月 二、 慧 水 若 レ 窺 二 槍 浜 一﹂ に 対 応 す る と 見 な さ れ る。 と こ ろ が、 こ の ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ の 箇 所 は、 神 叡 で は な く 道 慈 に つ い て 述 べ ら れ た も の で あ る。 す る と、 ﹃ 元 享 釈 書 ﹄ の 撰 者 が、 も し ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ を も と に こ の 伝 を 構 成 し た と す れ ば、 神 叡 伝 と 道 慈 伝 を 混 同 し た か、 道 慈 伝 の 記 述 を 先 行 す る 神 叡 伝 の も の と 捉 え て し ま っ た 可 能 性 が 考 え ら れ る。 い ず れ に せ よ、 ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ や ﹃ 元 亨 釈 書 ﹄ に お け る 語 句 の 用 法 と 照 ら し 合 わ せ て み る と、 先 に 見 た ﹃ 延 暦 僧 録 ﹂ に お け る ﹁ 智 海 淵 沖、 義 雲 山 積 ﹂ の 語 句 は 決 し て 僧 名 を 指 示 す る も の で は な い こ と が 明 ら か と な る で あ ろ う。 つ ま り、 ﹁ 智 海 淵 沖 ﹂ と は 神 叡 の 智 慧 が
-24-淵 の よ う に 深 い こ と を 意 味 し、 ﹁ 義 雲 ﹂ と は 高 い 徳 行 を 示 す 語 句 で あ る か ら、 ﹁ 義 雲 山 積 ﹂ と は 彼 の 高 い 徳 行 が 山 の よ う に 積 み 重 な っ て い る こ と を 意 味 し て い る の で あ る。 従 っ て、 こ れ ら の 句 は 神 叡 の 深 い 智 慧 と 高 い 徳 行 を 讃 え る 修 辞 的 表 現 と 考 え ら れ る の で あ る。 さ て、 こ の 問 題 は 別 と し て、 最 澄 の 著 作 に お け る ﹁ 自 然 智 ﹂ に 関 連 し て 重 要 な 課 題 と な る の が、 ﹃ 延 暦 僧 録 ﹄ に お け る ﹁ 芳 野 僧 都 得 自 然 智 ﹂ と い う 一 文 を ど の よ う に 解 釈 す る か で あ る。 ﹁ 芳 野 僧 都 ﹂ に つ い て は、 神 叡 の 呼 称 と す る 見 方 に 異 論 は な か ろ う が、 問 題 は ﹁ 得 自 然 智 ﹂ を ど う 読 む か で あ る。 薗 田 香 融 氏 は こ れ に つ い て、 ﹁ 自 然 智 を 得 た り ﹂ と ﹁ 自 然 に 智 を 得 た り ﹂ と ﹁ 自 然 の 智 を 得 た り ﹂ の 三 様 の 読 み を 指 摘 し な が ら も、 最 終 的 に こ の 自 然 智 を 特 別 の 名 辞 ( 10) と 捉 え、 第 一 の 読 み 方 を 採 用 し て い る。 確 か に、 ﹁ 自 然 智 ﹂ と い う 語 の 読 み 方 と し て は ﹁ じ ね ん ち ﹂ と す る こ と も 可 能 で あ ろ う が、 こ れ を 虚 空 蔵 求 聞 持 法 に 結 び 付 け る 考 え 方 に は 首 肯 で き な い。 そ こ で、 そ の 根 拠 を 示 す た め に、 ま ず ( 11) は 最 澄 の ﹃ 顕 戒 論 ﹄ 巻 中 の 一 文 を 示 す こ と に し よ う。 論 日、 最 澄 向 レ 唐、 錐 レ 不 レ 巡 二 天 下 諸 寺 食 堂 一、 已 見 二 一 隅 一、 亦 得 二 新 制 一、 其 文 云、 令 三 天 下 食 堂 置 二 文 殊 上 座 一。 当 今 所 レ奏 註 誤 之 事、 未 レ 見 二 辺 州 一、 不 忠 之 詞。 若 嫌 二 辺 州 閾 学 一、 何 況 比 蘇 自 然 智 也。 こ れ は 最 澄 が 大 乗 戒 の 独 立 を 主 張 し た 際 に、 南 都 の 僧 綱 か ら 受 け た 論 難 へ の 反 駁 を 表 明 し た 一 文 で あ る が、 こ こ で 問 題 と な る の が、 ﹁ 比 蘇 自 然 智 ﹂ に お け る ﹁ 比 蘇 ﹂ の 語 に つ い て で あ る。 因 み に、 最 澄 に 関 連 す る 資 料 と し て ﹃ 依 愚 ( 12) 天 台 集 ﹄ と ﹃ 上 顕 戒 論 表 ﹄ に も、 ﹁ 比 蘇 ﹂ の 語 が 見 出 さ れ る。 と こ ろ が、 ど れ も が ﹁ 比 蘇 ﹂ と い う 単 独 の 語 で あ ら わ れ、 自 然 智 と の 関 連 が 明 ら か で な い た め、 本 稿 で そ れ ら を 取 り 扱 う こ と は 差 し 控 え る こ と に す る。 こ れ に 対 し て、 最 澄 の ﹃ 法 華 秀 句 ﹄ 上 末 の 一 文 に 見 出 さ れ る ﹁ 比 蘇 ﹂ は 明 ら か に 特 定 の 人 物 を 指 し 示 す 語 と 見 な さ れ、 そ れ は 次 の よ う 最 澄 の 著 作 に 見 え る 自 然 智 の 概 念
-25-密 教 文 化 ( 13) で あ る。 若 言 一二 短 翻 稟 二 師 説 一、 未 レ 知、 師 々 伝 二 日 本 一、 若 言 二 道 昭 及 智 通 一、 古 記 之 中 示 二 其 文 一、 若 言 二 古 徳 一所 レ 伝 語、 不 レ 足 レ 令 レ信 二 後 学 者 一、 若 言 二 比 蘇 及 義 淵 一、 自 然 智 宗 無 レ 所 レ 稟、 短 翻 何 言 レ 有 レ 稟。 末 木 氏 も 主 張 す る よ う に、 こ こ で ﹁ 比 蘇 及 義 淵 ﹂ と あ る と こ ろ か ら、 こ こ に お け る ﹁ 比 蘇 ﹂ は 具 体 的 な 個 人 と 考 え ( 14) ら れ、 ﹁ 自 然 智 ( 宗) ﹂ の 語 句 と の 関 連 か ら 見 れ ば、 神 叡 を 指 す と 解 す る の が 妥 当 で あ ろ う。 そ う す る と、 自 然 智 と い う 語 と 連 合 し て 示 さ れ る 場 合 の ﹁ 比 蘇 ﹂ と い う 語 は、 神 叡 そ の 人 を 指 示 す る と 見 な し て よ い か ら、 先 に 見 た ﹃ 顕 戒 論 ﹄ に 見 出 さ れ る ﹁ 比 蘇 自 然 智 ﹂ に お け る ﹁ 比 蘇 ﹂ も、 神 叡 を 指 す 語 と 捉 え て 差 し 支 え な い で あ ろ う。 た だ、 こ こ で 問 題 と な る の が、 ﹃ 法 華 秀 句 ﹂ で は 神 叡 だ け で な く 義 淵 ま で も が 自 然 智 ( 宗) と し て 示 さ れ て い る こ と で あ る。 こ の 問 題 に 関 し て は、 次 の 義 淵 伝 の と こ ろ で 詳 述 す る こ と に し て、 今 こ こ で は も う 一 度、 神 叡 に 纒 わ る 別 の 伝 承 史 料 を 見 る こ と に よ っ て、 神 叡 伝 の 内 容 を 整 理 し て 行 こ う と 思 う。 ( 15) ﹃ 今 昔 物 語 ﹂ は 神 叡 に 纒 わ る 次 の よ う な 説 話 を 伝 え て い る。 法 相 宗 ノ 僧 神 叡 ト 云 フ 者 有 リ ケ リ。 -中 略 -道 慈 唐 二 三 論 ヲ 伝 へ 帰 レ ル ヲ、 神 叡、 朝 二 有 リ テ 試 ミ タ ル 語 二 道 慈 ト 法 論 ヲ 闘 セ タ コ ト ヲ 載 セ、 心 二 智 有 リ ト 云 ヘ ド モ 学 ブ 所 薄 ク シ テ、 道 慈 ニ ハ 拉 ブ ベ カ ラ ズ。 而 ル ニ、 神 叡 心 二 智 恵 ヲ 得 ム 事 ヲ 願 ヒ テ、 大 和 国 ノ 吉 野 ノ 郡 ノ 現 光 寺 ノ 塔 ノ 杓 形 ニ ハ 虚 空 蔵 菩 薩 ヲ 鋳 付 ケ タ リ。 其 レ ニ 緒 ヲ 付 ケ テ 神 叡 是 レ ヲ 引 ヘ テ、 願 ク ハ 虚 空 蔵 菩 薩、 我 レ ニ □ 智 慧 ヲ 得 シ メ 給 ヘ ト 祈 リ ケ ル ニ ( 以 下 略) 薗 田 氏 に よ れ ば、 □ の 虫 食 い の 部 分 に ﹁ 自 然 ﹂ の 二 字 を 補 う べ き こ と は 疑 う 余 地 は な い と し て い る が、 こ の 見 ( 16) 解 を も っ て、 自 然 智 を 虚 空 蔵 求 聞 持 法 と 結 び つ け る 考 え 方 に は 賛 同 で き な い。 神 叡 が 虚 空 蔵 菩 薩 の 浮 彫 に 緒 を 付 け て
-26-引 っ 張 っ て 祈 願 し た と い う 説 話 要 素 は、 東 大 寺 の 金 鷲 行 者 が 執 金 剛 神 に 緒 を 付 け て 引 い た の に 似 て い る と い う 指 摘 も (17) あ る。 し か し、 こ の 説 話 の 構 成 要 素 が ど う で あ れ、 ま た、 こ の 説 話 が 神 叡 に 纒 わ る 何 ら か の 史 的 一 事 件 を も と に 作 成 ( 18) さ れ た も の で あ っ て も、 こ の 伝 承 は 神 叡 が 虚 空 蔵 菩 薩 を 祈 願 の 対 象 と し た と い う 可 能 性 を 示 唆 す る に 過 ぎ な い。 つ ま り、 神 叡 が 虚 空 蔵 菩 薩 に 関 説 さ れ て い る か ら と い っ て、 彼 が 虚 空 蔵 求 聞 持 法 と い う 修 法 を 行 っ て い た と 解 す る の は 飛 躍 の 域 を 脱 し 得 ず、 同 時 に 虚 空 蔵 求 聞 持 法 と 自 然 智 と を 直 結 さ せ る 必 然 性 は 全 く な い と 言 っ て も 過 言 で は な い の で あ る。 さ て、 後 の 史 料 に な る が、 ﹃ 本 朝 高 僧 伝 ﹄ 巻 第 四 ( ﹃ 大 日 本 仏 教 全 書 ﹄ 史 伝 部) で は ﹁ 釈 神 叡。 唐 国 人。 不 レ 詳 二 師 承 一。 義 淵 之 徒 歎 ﹂ と あ り、 義 淵 と 神 叡 と が 師 弟 関 係 に あ っ た 可 能 性 を 窺 う こ と が で き る。 し か し、 彼 ら の 師 弟 関 係 を 明 確 に 裏 づ け る 史 料 は 現 段 階 で は 見 出 し 得 ず、 た だ、 同 じ 僧 綱 の 構 成 員 と し て の 両 者 の 密 接 な 関 係 を 類 推 し 得 る の み で あ る。 ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ (大 宝 三 年 三 月 乙 已 条) で は ﹁ 以 二 義 淵 法 師 一為 二 僧 正 [ と あ り、 義 淵 は 神 亀 五 年 (七 二 八) の 卒 去 ま で の 二 十 六 年 の 長 き に わ た っ て 僧 正 の 任 に あ っ た。 こ の 間、 ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ (養 老 元 年 七 月 庚 申 条) で ﹁ 以 二 沙 門 弁 正 一為 二 少 僧 都、 神 叡 為 二 律 師 [ と あ る こ と か ら、 養 老 元 年 (七 一 七) か ら 神 亀 五 年 (七 二 八) の 十 二 年 間 に わ た っ て、 義 淵 と 神 叡 は 僧 綱 の 僧 正 と 律 師 の 関 係 に あ っ た こ と が わ か る。 ま た、 先 に 引 用 し た ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ ( 養 老 三 年 十 一 月 乙 卯 条) で も 見 た よ う に、 神 叡 と と も に そ の 学 業 と 有 徳 を 表 彰 さ れ て い る。 こ れ ら の こ と か ら、 義 淵 と 神 叡 と が 僧 綱 構 成 員 と し て 密 接 な 関 係 に あ っ た こ と は 推 測 で き る が、 事 実 上 の 師 弟 関 係 を 裏 付 け る こ と は 困 難 で あ る。 神 叡 が ﹁ 義 淵 之 徒 歎 ﹂ と す る 伝 が 何 を 根 拠 と し た か は 審 か で な い が、 そ の 可 能 性 を 示 唆 す る 史 料 と し て、 今 一 度 ﹃ 扶 桑 略 記 ﹄ 所 引 の ﹃ 延 暦 僧 録 ﹄ 最 澄 の 著 作 に 見 え る 自 然 智 の 概 念
-27-密 教 文 化 に お け る ﹁ 智 海 淵 沖、 義 雲 山 積、 蓋 法 門 之 龍 象 也 ﹂ と い う 記 述 に 注 目 し て み よ う。 義 淵 に つ い て は 後 に 詳 述 す る が、 彼 の 伝 に よ れ ば、 龍 蓋 寺 ( 岡 寺) を 建 立 し 龍 蓋 寺 に 没 し た 僧 と し て 知 ら れ て い る。 す る と、 ﹃ 延 暦 僧 録 ﹄ の ﹁ 蓋 法 門 ﹂ と い う 見 慣 れ な い 語 句 に お け る ﹁ 蓋 ﹂ は、 龍 蓋 寺 の 蓋 を 指 す と 考 え ら れ な い だ ろ う か。 ﹁ 蓋 法 門 ﹂ と い う 語 は、 ﹃ 延 暦 僧 録 ﹄ の 撰 者 で あ る 思 託 に よ る 独 特 の 用 語 と 見 な さ れ る が、 少 な く と も 彼 の 時 代 に は ﹁ 蓋 法 門 ﹂ と い え ば、 龍 蓋 寺 の 義 淵 の 法 門 を 意 味 す る 語 と し て 通 用 し て い た 可 能 性 が 全 く な い と は 言 え な い。 こ れ は あ く ま で も 推 測 の 域 を 出 な い が、 も し こ の 解 釈 が 妥 当 な ら ば、 神 叡 が 義 淵 の 高 徳 な る 弟 子 で あ っ た こ と を 裏 付 け る 有 力 な 手 が か り と な る で あ ろ う。 さ て、 以 上 は ﹁ 自 然 智 ﹂ の 解 釈 を め ぐ っ て 神 叡 伝 を 中 心 に 考 察 を 進 め て 来 た が、 最 後 に ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ (特 統 七 年 三 月 条) の ﹁ 賜 下 擬 レ 遣 二 新 羅 一使 直 廣 騨 息 眞 人 老。 勤 大 武 大 伴 宿 禰 子 君 等。 及 學 問 僧 弁 通。 神 叡 等 絶 綿 布 ﹂ を 挙 げ て お か な ( 19) け れ ば な ら な い。 従 来 は、 こ の 記 述 に 基 づ い て、 元 興 寺 に 新 羅 か ら 法 相 宗 を 伝 え た の は 神 叡 で は な か っ た か と か、 彼 ( 20) が 新 羅 に 赴 く こ と に よ っ て、 新 羅 法 相 宗 の 影 響 を 強 く 受 け た と 考 え る 研 究 者 も い る が、 こ の 見 解 に は 再 考 の 余 地 が 残 さ れ て い る。 な ぜ な ら、 先 の ﹃ 日 本 書 紀 ﹂ の 記 述 か ら は、 彼 が 新 羅 に 渡 っ た 事 実 を 確 認 で き る と し て も、 他 の 神 叡 伝 に よ る 限 り、 彼 の 新 羅 で の 学 的 系 譜 等 に つ い て は 全 く 記 さ れ て い な い か ら で あ る。 こ の 問 題 は さ て お い て、 こ れ ま で 見 た 神 叡 伝 の 内 容 を 自 然 智 と の 関 わ り を 中 心 に ま と め て み る と 次 の よ う に な る。 ﹃ 延 暦 僧 録 ﹄ で は 神 叡 は 自 然 智 を 得 た こ と に 菰 っ て い る が、 ﹃ 元 亨 釈 書 ﹄ で は 自 然 智 に 関 説 さ れ ず、 虚 空 蔵 菩 薩 の 霊 感 を 得 た こ と に な っ て い る。 ま た、 ﹃ 今 昔 物 語 ﹄ で は 神 叡 が 智 恵 を 得 る た め に 虚 空 蔵 菩 薩 に 祈 願 し た と い う 説 話 が 伝 え ら れ て い る。 す る と、 ﹃ 元 亨 釈 書 ﹄ の 記 事 は、 ﹃ 今 昔 物 語 ﹄ に 見 ら れ る よ う な 神 叡 の 虚 空 蔵 菩 薩 へ の 祈 願 諺 を も と
-28-に 作 成 さ れ た か、 ﹃ 延 暦 僧 録 ﹄ に お け る 自 然 智 の 語 を 虚 空 蔵 菩 薩 の 霊 感 に 置 き 換 え た 可 能 性 が 高 い と 考 え ら れ る。 但 し、 ﹃ 元 亨 釈 書 ﹂ も ﹃ 今 昔 物 語 ﹄ も、 ど ち ら も 神 叡 と 虚 空 蔵 菩 薩 と が 結 び つ け ら れ て は い る が、 こ れ ら は あ く ま で も 神 叡 が 虚 空 蔵 求 聞 持 法 と い う 修 法 を 行 っ た と い う 記 事 で は な い こ と に 留 意 し て お か な け れ ば な ら な い。 ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ ( 巻 八 ・ 養 老 三 年 十 一 月 乙 卯 条) で は 自 然 智 と い う 語 句 は 見 出 せ な い。 し か し、 今 一 度 ﹁ 不 レ 践 二 安 遠 之 講 騨 一、 学 達 二 三 空、 未 レ 漱 二 澄 什 之 言 河 一、 智 周 二 二 諦 己 の 一 文 に 立 ち 帰 っ て み よ う。 こ こ で、 ﹁ 安 遠 ﹂ の ﹁ 安 ﹂ と は 道 安 を 指 し、 ﹁ 遠 ﹂ と は 慧 遠 を 指 す。 ま た、 ﹁ 澄 什 ﹂ に お け る ﹁ 澄 ﹂ は 仏 図 澄、 ﹁ 什 ﹂ は 羅 什 を 指 す。 す る と、 こ の 一 文 の 要 旨 は、 ﹁ 神 叡 は 道 安 や 慧 遠、 さ ら に 仏 図 澄 や 羅 什 の 学 的 流 れ を 直 接 に 受 け て い な い に も 拘 わ ら ず、 学 は 三 空 に 達 し、 智 慧 は 二 諦 に 周 き わ た っ た ﹂ と い う こ と に な ろ う。 ﹃ 延 暦 僧 録 ﹄ の 神 叡 伝 で、 ﹁ 唐 学 生 ﹂ と あ る の を ﹁ 赴 唐 の 学 生 ﹂ と 解 釈 す る と し て も、 こ れ を 後 続 の 道 慈 伝 に お け る ﹁ 遠 渉 二 蒼 波 一、 藪 二 異 聞 於 絶 境 一、 遽 遊 二 赤 県 一、 研 二 妙 機 於 秘 記 一、 参 二 跡 象 龍 一振 二 英 秦 漢 一﹂ の 一 文 に 照 ら し て み る と、 次 の よ う に 理 解 す る こ と が で き る。 つ ま り、 こ の ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ の 記 事 は、 ﹁ 道 慈 は 入 唐 留 学 し て 研 鐙 を 積 ん だ の に 対 し て、 ( 神 叡 は 入 唐 し た か も し れ な い が)、 正 式 な 法 脈 を 持 た ず に、 そ の 学 は 三 空 に 達 し、 智 慧 は 二 諦 に 周 し た ﹂ と い う こ と を 伝 え て い る と 思 わ ( 21) れ る の で あ る。 以 上 が 神 叡 伝 の ま と め で あ る が、 そ の 中 で も 特 に、 今 考 察 を 行 っ た ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ の 内 容 の 重 要 性 を 踏 ま え つ つ、 先 に 見 た ﹃ 法 華 秀 句 ﹄ に お い て、 神 叡 だ け で な く な ぜ 義 淵 が 自 然 智 ( 宗) と さ れ て い る か に つ い て 考 察 し て 行 く こ と に し よ う。 最 澄 の 著 作 に 見 え る 自 然 智 の 概 念
-29-密 教 文 化 二、 義 淵 伝 義 淵 は 先 に も 述 べ た よ う に、 二 十 六 年 間 僧 正 の 任 に 就 い た、 い わ ば 八 世 紀 初 頭 に お け る 日 本 仏 教 界 の 最 高 指 導 者 だ っ た と 言 え る。 と こ ろ が、 彼 の 伝 は 極 あ て 説 話 的 要 素 に 満 ち て い る。 例 え ば、 ﹃ 扶 桑 略 記 ﹄ (第 五 大 宝 三 年 三 月 二 十 四 日 乙 酉 条) に よ る と、 以 二 興 福 寺 義 淵 一任 ニ 僧 正 一。 大 和 高 市 郡 人。 俗 姓 阿 刀 氏。 其 父 国 依 レ無 二 子 息 一。 多 年 祈 -請 二 観 音 一。 然 間。 夜 聞 二 外 児 哺 音 ー。 奇 出 見 レ 之。 芝 垣 之 上。 有 レ裏 ニ 白 帖 一。 香 気 普 満。 歓 以 取 養。 不 レ 日 長 大。 天 智 天 皇 伝 聞。 相 -共 ニ 皇 子 一。 令 レ 養 二 岡 本 宮 ー。 至 レ 是。 任 二 僧 正 ー。 造 レ寺。 号 ニ 竜 蓋 寺 ー。 俗 云。 造 ニ 五 箇 竜 寺 ー。 竜 門。 竜 福 等。 と あ り、 義 淵 は そ の 父 母 が 観 音 に 祈 願 し て 誕 生 し た 子 で、 天 智 天 皇 が そ の 話 を 聞 い て 岡 本 宮 で 皇 子 (草 壁 皇 子) と と も に 養 育 し た と い う の で あ る。 ま た、 大 和 高 市 郡 の 人 で 俗 姓 は 阿 刀 氏、 養 育 さ れ た 岡 本 宮 を も っ て 後 に 竜 蓋 寺 と 号 し た と な っ て い る。 ﹃ 東 大 寺 要 録 ﹄ ( 巻 第 一 ・ 本 願 章 第 一) で も 同 じ 記 事 を 伝 え て い る が、 次 の よ う に な っ て い る。 勅 日。 僧 正 義 淵 法 師。 俗 姓 市 往 氏 也。 禅 枝 早 茂。 法 梁 惟 隆。 扇 二 玄 風 於 四 方 一。 照 ー恵 炬 於 三 界 一。 加 以。 自 ニ 先 帝 御 世 ー。 迄 二 干 朕 代 一。 供 -奉 ニ 内 裏 一。 無 二 一 答 億 ー。 念 斯 若 人。 年 徳 共 隆。 宜 下 改 二 市 往 氏 一。 賜 二 岡 連 姓 一。 伝 中 其 兄 弟 上。 竜 蓋 寺 記 云。 大 和 国 高 市 郡 居 住。 天 津 守 婦 阿 刀 氏。 多 年 無 レ 子。 祈 -乞 二 観 音 一。 愛 夜 聞 ニ 小 児 音 一。 奇 出 見 レ 之。 在 ニ 芝 垣 上 一被 レ 裏 二 白 帖 ー也。 薫 香 満 レ宅。 悦 取 養 レ 之。 不 レ 日 生 長。 天 智 天 皇 聞 二 食 之 ー。 与 ニ 日 普 智 王 子 ー共 令 レ 移 二 岡 宮 一。 遂 以 レ宮 賜 二 僧 正 一。 為 レ 寺 号 二 竜 蓋 寺 ー 。
-30-こ の よ う に、 ﹃ 不 桑 略 記 ﹂ に 比 し て よ り 詳 細 な 記 事 を 伝 え る と 同 時 に、 幾 つ か の 点 で 食 い 違 っ て い る。 例 え ば、 彼 の 俗 姓 を 市 往 氏 と し な が ら も、 ﹃ 竜 蓋 寺 記 ﹄ を 引 い て、 天 ( 夫 の 誤 り で あ ろ う) は 津 守 氏 で 母 は 阿 刀 氏 と し て い る。 ま た、 こ こ に 引 く ﹃ 竜 蓋 寺 記 ﹄ で は、 義 淵 が 養 育 さ れ た の が ﹁ 岡 宮 ﹂ と な っ て い る に 対 し、 ﹃ 扶 桑 略 記 ﹄ に は ﹁ 岡 本 宮 ﹂ と 記 さ れ て い る こ と な ど で あ る。 但 し、 義 淵 の 出 自 等 に 関 わ る 内 容 は、 本 稿 で の 主 眼 と す る と こ ろ で は な い の で、 別 の 記 事 に 目 を 向 け て み る こ と に す る。 ﹃ 東 大 寺 要 録 ﹂ の ﹁ 禅 枝 早 茂。 法 梁 惟 隆。 扇 二 玄 風 於 四 方 一。 照 二 恵 炬 於 三 界 ﹂ よ り、 義 淵 が 若 く し て 禅 行 に 通 達 し、 い つ く た い ま つ 仏 法 隆 盛 の 柱 と な り、 そ の 深 静 な 風 格 は 周 囲 の 人 々 の 尊 敬 を 仰 ぎ、 彼 の 恵 し み の 炬 は 国 中 を 照 ら し た こ と が 読 み 取 れ る。 こ れ は、 義 淵 の 資 質 や 人 柄 を 語 る 記 事 で あ る が、 彼 の 教 学 面 に 関 す る 伝 は、 ﹃ 元 亨 釈 書 ﹄ の み に 依 ら ざ る を 得 な い。 ま ず、 ﹃ 元 亨 釈 書 ﹄ (巻 十 六 ・ 力 遊 条) で は ﹁ 釈 智 鳳。 大 宝 三 年 入 唐。 学 二 唯 識 一。 僧 正 義 淵 鳳 之 徒 也 ﹂ と あ り、 義 淵 が 智 鳳 の 弟 子 と さ れ て い る。 ﹃ 三 国 仏 法 伝 通 縁 起 ﹄ (中 ・ 法 相 宗 条) で は、 智 鳳 は 勅 命 に よ っ て 入 唐 し、 撲 揚 大 師 智 周 に つ い て 法 相 を 学 ん で 帰 朝 し、 慶 雲 三 年 (七 〇 六) に 維 摩 会 の 講 師 を つ と め、 義 淵 に 法 を 授 け た こ と に な っ て い る。 し か し、 先 に 見 た ﹃ 元 亨 釈 書 ﹄ で は 智 鳳 が 入 唐 し た の は 大 宝 三 年 (七 〇 三) で あ る か ら、 こ れ は 先 に も 述 べ た よ う に 義 淵 が 僧 正 の 任 に 就 い た 年 で あ る。 す る と、 僧 正 と い う 僧 綱 の 最 高 位 に あ っ た 義 淵 が、 帰 朝 後 間 も な い 智 鳳 に 法 相 の 法 を 受 け た こ と に な る。 横 田 健 一 氏 は、 義 淵 が 僧 綱 の 高 位 に あ っ た と し て も、 智 鳳 の 法 相 宗 教 学 の 講 義 を 聴 い た ( 22) と し て も さ し つ か え な い、 と い う 見 解 を 持 っ て い る。 確 か に、 横 田 氏 の 言 う よ う に、 義 淵 が 智 鳳 か ら 法 相 教 学 の 講 義 を 聴 い た 可 能 性 は あ っ た に し て も、 こ れ を も っ て 義 淵 と 智 鳳 の 間 に 正 当 な 師 弟 関 係 が 存 在 し た と は 考 え が た い。 佐 久 間 竜 氏 も、 富 貴 原 章 信 氏 の 研 究 を も と に、 ﹁ 新 羅 僧 智 鳳 の 来 朝 に よ っ て、 法 相 兼 華 厳 の 学 問 傾 向 は 義 淵 に 伝 え ら れ、 最 澄 の 著 作 に 見 え る 自 然 智 の 概 念
-31-密 教 文 化 そ れ が 広 く そ の 弟 子 達 -良 弁 ・ 良 敏 ・ 宣 教 等 に、 さ ら に は そ の 弟 子 達 に も 伝 え ら れ た と 考 え ら れ る ﹂ と い う 見 解 を ( 23) 打 ち 立 て て い る が、 義 淵 が 智 鳳 の 弟 子 で あ っ た こ と を 容 認 す る 見 解 に は、 再 考 の 余 地 が 残 さ れ て い る で あ ろ う。 さ て、 ﹃ 元 亨 釈 書 ﹄ ( 巻 第 二 ・ 慧 解 条) で は 義 淵 の 入 唐 に 関 す る 次 の よ う な 記 事 が 認 め ら れ る。 釈 義 淵。 世 姓 阿 氏。 和 州 高 市 郡 人。 -中 略 -後 出 家。 従 二智 鳳 一学 二唯 識。 又 入 唐 稟 二智 周 法 師 相 宗 之 訣 一。 周 者 慈 恩 基 公 之 上 首 也。 帰 朝 盛 侶 二 相 宗 一。 受 二 其 業 一者。 行 基。 道 慈。 玄 防。 良 弁。 宣 教。 隆 尊 等 也。 又 勤 二 営 建 一 竜 蓋 寺。 竜 門 寺。 竜 福 寺。 皆 淵 之 構 造 也。 大 宝 三 年 為 二 僧 正 一。 神 亀 五 年 十 月 寂。 勅 二 礼 部 一監 -護 二 喪 事 一。 こ の よ う に、 義 淵 は 入 唐 し て 智 周 に 法 相 を 学 ん だ こ と に な っ て い る。 し か し、 先 の ﹃ 三 国 仏 法 伝 通 縁 起 ﹄ で は、 義 淵 で は な く 智 鳳 が 入 唐 し て 智 周 に 学 ん だ こ と に な っ て お り、 ﹃ 元 亨 釈 書 ﹄ の 記 述 と 矛 盾 す る。 こ れ は ﹃ 元 亨 釈 書 ﹄ の 編 者 が、 智 鳳 と 義 淵 の 伝 を 混 同 し て 捉 え た こ と に 起 因 す る の で あ ろ う が、 義 淵 が 入 唐 し て い な い こ と に 関 し て は、 今 ( 24) 日 の 学 会 で は 通 説 と な っ て い る。 従 っ て、 ﹃ 元 亨 釈 書 ﹄ に お け る 義 淵 入 唐 に 関 す る 記 述 は、 誤 釈 も し く は 後 代 の 捏 造 と 見 な し て よ い。 尚、 当 書 で は、 義 淵 の 弟 子 と し て、 行 基 ・ 道 慈 ・ 玄 肪 ・ 良 弁 ・ 宣 教 ・ 隆 尊 等 の 名 を あ げ て お り、 横 ( 25) 田 建 一 氏 は こ こ に あ げ ら れ て い る 僧 は、 概 ね 義 淵 の 弟 子 と 考 え て よ い か も し れ な い と 言 っ て い る。 こ の こ と に つ い て は、 後 で も 少 し 触 れ る で あ ろ う が、 こ こ に 見 た ﹃ 元 亨 釈 書 ﹄ の 義 淵 伝 が 信 愚 性 の 低 い も の で あ る こ と か ら す れ ば、 こ こ に あ げ ら れ た 僧 各 々 の 伝 を 逐 一 検 討 す る 操 作 が 必 要 と な る で あ ろ う。 以 上 の こ と か ら 義 淵 伝 を ま と め る と 次 の よ う に な る。 つ ま り、 義 淵 は 若 き 頃 よ り 頭 角 を あ ら わ し、 七 〇 三 年 に 僧 正 の 任 に 就 い て 以 来、 二 十 六 年 の 長 き に わ た っ て そ の 高 職 に あ っ た 高 僧 と い う こ と 以 外、 彼 を し て 何 ら 表 現 す る こ と は で き な い と 言 っ て も 過 言 で は な い。 彼 は、 先 に 見 た 説 話 的 伝 承 よ り、 誕 生 時 に 天 智 天 皇 と 深 い 縁 を 持 っ た こ と が わ か
-32-る。 そ う し て そ の 後、 弘 文、 天 武、 持 統 天 皇 を 経 て、 文 武 天 皇 の 時 代 に 入 り、 持 統 天 皇 が 没 し た ( 七 〇 二 年) 翌 年 に 僧 正 の 任 に 就 い た こ と に な る が、 こ の 間 の 彼 に 関 す る 伝 は 全 く 明 ら か で な い。 通 常 な ら ば、 僧 正 の 位 に つ く ま で の 僧 綱 の メ ン バ ー の 中 に 彼 の 名 が 見 出 さ れ て も 不 思 議 で な い が、 彼 は 天 智 天 皇 が 没 し た 翌 年 に 突 如 僧 綱 の 最 高 位 で あ る 僧 正 に 登 用 さ れ て い る の で あ る。 ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ (文 武 三 年 十 一 月 已 卯 条) に よ れ ば、 ﹁ 施 二 義 淵 法 師 稻 一 万 束。 衷 二 学 行 一 也 ﹂ と あ り、 僧 正 就 任 の 四 年 前 ( 六 九 九 年) に そ の 学 業 が 賞 さ れ て、 稲 一 万 束 を 賜 っ て い る。 こ れ よ り、 義 淵 の 学 業 の 深 さ を 窺 い 知 る こ と が で き る。 と こ ろ が、 先 に も 述 べ た よ う に、 智 鳳 と の 師 弟 関 係 云 々 に 関 わ る 問 題 は 残 る と し て も、 彼 の 伝 を 見 る 限 り に お い て、 そ の 学 的 系 譜 は 何 ら 明 ら か で は な い の で あ る。 そ こ で、 今 度 は 彼 が 僧 正 の 任 に あ っ た 間 の 僧 綱 構 成 員 に 注 目 し て、 当 時 の 仏 教 界 の 実 状 を 探 っ て 行 く こ と に し よ う。 義 淵 が 僧 正 に 任 ぜ ら れ た、 大 宝 三 年 前 後 に お け る 僧 綱 補 任 に 関 す る 記 事 を ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ に よ っ て、 分 か り や す く 列 記 し て み る こ と に す る。 (1) ︹文 武 二 年 三 月 午 条 ︺ ( 六 九 八 年) 僧 正 ・ 恵 施 少 僧 都 ・ 智 淵 律 師 ・ 善 往 (2) ︹大 宝 二 年 正 月 癸 已 条 ︺ ( 七 〇 二 年) 僧 正 ・ 智 淵 大 僧 都 ・ 善 往 少 僧 都 ・ 弁 照 律 師 ・ 僧 照 (3) ︹大 宝 三 年 三 月 乙 已 条 ︺ ( 七 〇 三 年) 僧 正 ・ 義 淵 (4) ︹和 銅 五 年 九 月 辛 已 条 ︺ ( 七 一 二 年) 僧 正 ・ 義 淵 大 僧 都 ・ 観 成 少 僧 都 ・ 弁 通 律 師 ・ 観 智 (5) ︹養 老 元 年 七 月 庚 申 条 ︺ ( 七 一 七 年) 僧 正 ・ 義 淵 大 僧 都 少 僧 都 ・ 弁 正 律 師 ・ 神 叡 (6) ︹天 平 元 年 十 月 甲 子 条 ︺ ( 七 二 九 年) 僧 正 大 僧 都 ・ 弁 浄 少 僧 都 ・ 神 叡 律 師 ・ 道 慈 右 に お い て、 (1) の 恵 施 は 道 昭 と と も に 入 唐 留 学 し た 僧 と し て 知 ら れ て い る が、 義 淵 は こ の 恵 施 が 僧 正 時 代 に そ の 学 最 澄 の 著 作 に 見 え る 自 然 智 の 概 念
-33-密 教 文 化 業 が 賞 さ れ て、 稲 一 万 束 を 賜 っ た こ と に な る。 (2) の 智 淵 は ﹃ 七 大 寺 年 表 ﹄ ( 大 宝 二 年 条) に 入 滅 と あ る か ら、 義 淵 は 智 淵 後 任 と し て 僧 正 の 任 に 就 い た こ と に な る。 と こ ろ が、 (2) で 大 僧 都 の 位 置 に あ っ た 善 往 が 僧 正 に 就 く の が 順 当 で あ る に も 拘 わ ら ず、 な ぜ 義 淵 が 突 如 と し て 僧 正 に 登 用 さ れ た の か。 義 淵 が 特 に 僧 と し て の 頭 角 を 現 し 始 め る の は、 文 武 帝 に な っ て か ら で あ る が、 そ の 後、 元 明、 元 正 を 経 て 聖 武 天 皇 初 年 に 至 る ま で 僧 正 の 高 位 に 就 い て い る。 こ の こ と は、 彼 が 朝 廷 と い か に 密 接 な 関 係 に あ っ た か を 物 語 る と 同 時 に、 当 時 の 政 界 を 牛 耳 っ て い た 藤 原 氏 と の 深 い 交 わ り を 類 推 ( 26) さ せ る。 し か し、 そ の よ う な 政 界 の 動 き に 視 点 を 置 い て も、 今 の と こ ろ、 大 宝 三 年 に お い て 突 如 義 淵 を 僧 正 に 登 用 し た 背 景 に 何 が あ っ た か を 明 ら か に す る こ と は で き な い。 さ て、 義 淵 と 智 淵 と の 間 に は、 そ の 僧 名 か ら し て も 何 ら か の 関 係 が あ っ た こ と を 類 推 せ し め る が、 残 念 な が ら 同 年 表 (大 宝 二 年 条) に ﹁ 少 僧 都 智 淵 恵 輪 僧 正 在 俗 時 子 ﹂ と い う 伝 承 以 外、 智 淵 に 関 す る 伝 は 見 出 し 得 な い。 智 淵 下 に お け る 僧 綱 の 構 成 員 で あ る 善 往 ・ 弁 照 ・ 僧 照 に 関 し て は、 ﹃ 七 大 寺 年 表 ﹄ ( 和 銅 四 年 条) に ﹁ 已 上 三 人 今 年 已 後 不 レ 見、 若 辞 退 歎、 若 卒 去 歎 ﹂ と あ る の み で、 智 淵 同 様 そ の 伝 は 審 か で な い。 た だ、 和 銅 四 年 ま で は、 (3) の 義 淵 僧 正 の も と で、 そ れ ぞ れ 大 僧 都 ・ 少 僧 都 ・ 律 師 の 任 に 就 い て い た と 見 て よ い。 次 に (4) の 観 成 は ﹃ 僧 綱 補 任 ﹂ (神 亀 五 年 条) に よ れ ば、 神 亀 五 年 に ﹁ 去 レ 職 歎、 入 滅 歎、 可 レ尋 ﹂ と あ り、 弁 通 ・ 観 智 も 同 書 ( 霊 亀 二 年 条) に ﹁ 去 レ 職 歎、 可 レ尋 ﹂ と あ る の み で、 他 の 史 料 に は 全 く 見 出 せ な い。 (5) に お け る 弁 正 に つ い て は 次 の よ う な 問 題 が あ る。 ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ (白 雅 四 年 五 月 条) に は、 道 昭 ら と 共 に 入 唐 し た 学 問 僧 の 一 人 に 弁 正 が い る が、 年 代 的 に 考 え て も (5) の ( 27) 弁 正 と 同 一 人 物 で あ る 可 能 性 は ま ず な い。 そ う す る と、 (5) の 弁 正 と (6) の 弁 浄 と は 同 一 人 物 で あ る と 見 て よ い が、 残 念
-34-な が ら 両 者 に 関 す る 伝 記 史 料 も 明 ら か で な い。 以 上 の こ と か ら、 義 淵 が 僧 正 の 任 に あ っ た 僧 綱 構 成 員 で、 神 叡 を 除 く 善 往 ・ 弁 照 ・ 僧 照 ・ 観 成 ・ 弁 通 ・ 観 智 ・ 弁 正 ( 浄) は 皆、 そ の 伝 は 明 ら か で な く、 学 的 系 譜 に つ い て も 何 ら 審 か で な い こ と が わ か る。 こ れ に 対 し て、 (6) で 義 淵 卒 去 後 の 僧 綱 に、 は じ め て 道 慈 が 律 師 と し て 加 わ っ て い る こ と に 注 目 し な け れ ば な ら な い。 確 か に 義 淵 は 法 相 宗 で あ る か ら、 三 論 の 道 慈 が 僧 綱 の メ ン バ ー に は 加 わ る こ と に 若 干 の 問 題 が あ っ た の か も し れ な い。 し か し、 義 淵 僧 正 時 代 の 僧 綱 構 成 員 の う ち、 神 叡 以 外 は す べ て そ の 伝 記 が 明 ら か で な い た め、 彼 ら が 果 た し て 法 相 宗 に 属 す る 僧 侶 で あ っ た か ど う か を 明 確 に す る こ と は で き な い。 そ う す る と、 な ぜ 義 淵 の 時 代 に、 道 慈 が 僧 綱 の 構 成 員 に 加 わ る こ と が な か っ た の か と い う 疑 問 が 生 じ て く る の で あ る。 道 慈 が 僧 綱 に 参 加 し た 時 期 が、 長 屋 王 の 変 で 政 権 が 藤 原 四 子 体 制 に 移 り 変 わ っ た 直 後 で あ る こ と に 注 目 し て い る 研 ( 28) 究 者 も い る。 確 か に こ う い っ た 政 変 が 僧 綱 の 補 任 人 事 に 影 響 し た 可 能 性 は 十 分 考 え ら れ る。 し か し、 先 に も 触 れ た よ う に、 道 慈 と 神 叡 は 当 時 ﹁ 釈 門 の 秀 ﹂ と し て 賞 さ れ た、 学 徳 と も に す ぐ れ た 僧 で あ っ た こ と は よ く 知 ら れ て い る。 に も 拘 わ ら ず、 道 慈 の 僧 綱 補 任 が 神 叡 の そ れ に 十 二 年 も 遅 れ、 し か も そ れ が 僧 綱 に 君 臨 し て い た 義 淵 が 卒 去 し た 直 後 で あ っ た こ と に 注 目 し な け れ ば な ら な い。 す る と、 道 慈 と 神 叡 と で は い っ た い ど う い う と こ ろ に 違 い が あ っ た の か が 問 題 と な る の で あ る。 確 か に、 道 慈 は 三 論、 神 叡 は 法 相 と い う 違 い は 言 う べ く も な い。 そ う で は な く、 我 々 は、 先 に 見 た 神 叡 伝 に お け る ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ (巻 八 ・ 養 老 三 年 十 一 月 条) の 記 事 を も う 一 度 思 い 起 こ し て み な け れ ば な ら な い。 こ れ に よ れ ば、 道 慈 は 入 唐 留 学 し て 研 鑛 を 積 ん だ の に 対 し て、 神 叡 は 正 統 な 法 脈 を 継 承 す る こ と な く し て 学 は 三 空 に 達 し、 智 慧 は 二 諦 に 周 し た と い う こ と で あ っ た。 す る と、 こ の こ と か ら、 た と え 神 叡 が 唐 乃 至 は 新 羅 に 赴 い た 事 実 が あ る に せ よ、 道 慈 と 神 叡 の 決 定 的 な 違 い は、 正 統 な 法 脈 を 継 承 し た 者 と そ う で は な か っ た 者 と い う こ と に 簡 言 で き る の で あ 最 澄 の 著 作 に 見 え る 自 然 智 の 概 念
-35-密 教 文 化 る。 こ の よ う に 見 て く る と、 義 淵 は 既 述 の 如 く 入 唐 留 学 の 経 験 は な い。 ま た、 神 叡 の 赴 唐. 新 羅 に 関 る 問 題 が 残 る と し て も、 義 淵 僧 正 時 代 に 僧 綱 に 加 わ っ た 神 叡 以 外 の メ ン バ ー は、 伝 不 詳 に よ り、 入 唐 留 学 の 経 験 が な か っ た も の と 見 な し て よ か ろ う。 そ う す る と、 彼 を 僧 正 と す る 二 十 六 年 の 長 き に わ た る 僧 綱 は、 少 な く と も 正 式 な 入 唐 留 学 経 験 を 持 た な い 僧 に よ っ て 構 成 さ れ て い た と 言 っ て も 過 言 で は な い の で あ る。 以 上 の こ と か ら、 神 叡 と 義 淵 の 間 に お け る 事 実 上 の 師 弟 関 係 云 々 に 関 す る 問 題 は 残 る と し て も、 両 者 と も 正 式 な 入 唐 留 学 の 経 験 が な く、 特 定 の 師 主 か ら の 学 的 相 承 が 明 ら か で な い 僧 で あ っ た と い う 結 論 を 導 き 出 す こ と が で き る。 三、 自 然 智 今 回 の 論 考 で の 主 眼 と す る と こ ろ は、 最 澄 の 著 作 中 に 見 ら れ る ﹁ 自 然 智 ﹂ の 概 念 を 究 明 す る こ と に あ っ た。 神 叡 伝 と 義 淵 伝 か ら 導 き 出 さ れ た 結 論 は、 両 者 と も そ の 学 的 相 承 が 明 ら か で な い と い う こ と で あ っ た。 し か し、 も う 一 つ 両 者 に 共 通 す る 因 子 は、 彼 ら の 学 業 が 時 の 朝 廷 か ら 賞 さ れ る ほ ど の 域 に 達 し て い た こ と で あ る。 す る と、 こ れ ら の こ と か ら 結 論 を 先 に 述 べ る と、 ﹁ 自 然 智 ﹂ と は ﹁ 特 定 の 師 主 か ら の 学 的 相 承 な く し て 仏 教 の 奥 義 に 精 通 す る こ と ﹂ と い う こ と に な る。 但 し、 こ こ に お け る ﹁ 仏 教 の 奥 義 ﹂ は、 単 に 教 理 面 だ け で な く、 禅 観 等 の 実 践 面 の 意 味 を も 含 ん で い る と 見 な さ れ な け れ ば な ら な い で あ ろ う。 サ ン ス ク リ ッ ト 語 の Sv a y a m b h n -j n a n a は、 他 に よ ら ず、 自 己 自 身 で 得 た 智 慧 で あ り、 無 師 独 悟 の 意 で あ る こ と は
-36-先 に も 述 べ た。 し か し、 筆 者 が 当 論 考 の 最 初 で も 言 っ た よ う に、 こ の 語 義 を も っ て、 今 回 概 念 規 定 を 行 っ た い わ ゆ る ﹁ 自 然 智 ﹂ に 充 当 さ せ る の は 間 違 い で あ る。 確 か に、 ﹁ 特 定 の 師 か ら の 学 的 相 承 が な い ﹂ と い う と、 一 見 S v a y a m b hu -jn a n a の 漢 訳 語 と し て の 無 師 独 悟 に 連 合 す る よ う に 思 え る。 と こ ろ が、 S v a y a m b h n -j n a n a と は ブ ッ ダ の 智 慧 に 他 な ら な い と い う こ と は 前 に も 述 べ た。 す る と、 も し、 こ の 語 義 を も っ て 神 叡 が 得 た ﹁ 自 然 智 ﹂ に 充 当 さ せ る と、 神 叡 が ブ ッ ダ の 智 慧 を 得 た こ と に な り、 そ れ は 換 言 す れ ば、 神 叡 が ブ ッ ダ と 同 じ 境 地 に 達 し た、 す な わ ち ブ ッ ダ と 同 じ 悟 り を 得 た と い う こ と に な っ て し ま う の で あ る。 そ う で は な く、 こ こ で 言 う と こ ろ の ﹁ 自 然 智 ﹂ と は、 例 え ば 法 相 宗 の 第 一 伝 と さ れ て い る 道 昭 は、 入 唐 し て 玄 と い う 特 定 の 師 に つ い て 法 相 唯 識 の 教 学 を 学 び、 法 相 学 と 禅 要 を わ が 国 に 弘 め た こ と は よ く 知 ら れ て い る。 す る と、 道 昭 は 特 定 の 師 か ら の 学 的 相 承 な く し て 法 相 教 学 を 修 得 し た の で は な い の だ か ら、 彼 を し て ﹁ 自 然 智 ﹂ と は 呼 べ な い の で あ る。 つ ま り、 神 叡 も 義 淵 も 某 か の 師 に つ い て 法 相 教 学 を 学 ん だ か も し れ な い。 ま た、 本 当 に 特 定 の 師 か ら の 学 的 相 承 な く し て 仏 教 の 奥 義 に 精 通 し た の か も し れ な い。 し か し、 い ず れ に せ よ、 彼 ら の 伝 に よ る 限 り、 彼 ら は 特 定 の 師 主 に つ く こ と な く 仏 教 の 奥 義 を 極 め た の で あ る か ら、 ま さ に ﹁ 自 然 智 ﹂ と 呼 ぶ に ふ さ わ し い の で あ る。 但 し、 先 に 見 た ﹃ 延 暦 僧 録 ﹄ に お け る ﹁ 芳 野 僧 得 自 然 智 ﹂ の ﹁ 自 然 智 ﹂ と、 最 澄 の 著 作 中 に 見 出 さ れ る ﹁ 自 然 智 ﹂ と で は 少 々 ニ ュ ア ン ス が 異 な っ て い る こ と に 注 意 し な け れ ば な ら な い。 ﹃ 延 暦 僧 録 ﹄ の 文 脈 か ら だ け で は、 そ の 作 者 で あ る 思 託 の 意 思 を 読 み 取 る こ と は 困 難 で あ る。 た だ、 ﹁ 俗 時 伝 云 ﹂ と あ る と こ ろ か ら、 思 託 在 世 当 時 に 知 ら れ て い た 神 叡 の 伝 承 を、 彼 な り に 咀 噛 し た の が ﹁ 得 自 然 智 ﹂ と い う 表 現 と 見 な し て よ か ろ う。 思 託 が 神 叡 に 対 し て 正 統 な 法 脈 を 有 し て い な い 僧 と い う 意 識 を 持 っ て い た か ど う か は 定 か で な い。 し か し、 お そ ら く は、 神 叡 が 自 力 で 仏 教 の 奥 義 最 澄 の 著 作 に 見 え る 自 然 智 の 概 念
-37-密 教 文 化 に 精 通 し た と い う 意 味 合 い で、 ﹁ 得 自 然 智 ﹂ と 表 現 し た と 見 て 差 し 支 え な い で あ ろ う。 従 っ て、 こ こ に お け る ﹁ 得 自 然 智 ﹂ は、 ﹁ 自 然 に 智 を 得 た り ﹂ と 読 ま せ る の が 妥 当 と 言 え る の で あ る。 こ れ に 対 し て、 最 澄 の 著 作 中 に お け る ﹁ 自 然 智 ﹂ に は も う 一 つ の 重 要 な 意 味 が 内 包 さ れ て い る と 考 え ら れ る の で、 今 は 既 述 の ﹃ 法 華 秀 句 ﹄ の 一 文 に よ っ て そ れ を 検 証 し て み よ う。 若 言 二 道 昭 及 智 通 一、 古 記 之 中 示 二 其 文 一。 若 言 二 古 徳 一所 レ 伝 語、 不 レ足 レ令 レ 信 二 後 学 者 一。 若 言 二 比 蘇 及 義 淵 一、 自 然 智 宗、 無 レ所 レ 稟。 こ こ で、 道 昭 は 言 う ま で も な く、 智 通 に つ い て 言 う と、 彼 も 入 唐 留 学 し て 玄 か ら 無 性 衆 生 義 を 受 け た と さ れ て い る ( ﹃ 日 本 書 記 ﹄ 斉 明 四 年 七 月 是 月 条)。 ま た、 こ こ に 言 う ﹁ 古 記 ﹂ と は お そ ら く ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ を 指 す の で あ ろ う。 す る と、 こ の 一 文 を 分 か り や す く 噛 み 砕 い て 現 代 語 訳 す る と、 次 の よ う に な る。 ﹁ も し 道 昭 ・ 智 通 と い う と、 古 記 ( 日 本 書 紀 ?) に は 明 ら か に 入 唐 留 学 し た こ と が 記 さ れ て い る が、 た だ 単 に 古 徳 と い う 表 現 だ け で は、 ( そ れ が ど う い う 人 で あ っ た か に つ い て) 後 代 の 学 者 を 信 じ さ せ る に は 十 分 で は な い。 そ し て、 も し 比 蘇 ( 神 叡) ・ 義 淵 と い え ば、 正 統 な 法 脈 を 受 け 継 い で い な い 輩 な の だ か ら、 師 々 相 伝 の 系 譜 が あ る わ け が な い で は な い か ﹂ と。 表 現 に 幾 分 過 ぎ た 部 分 が あ る か も し れ な い が、 概 ね こ の よ う な 意 味 に な る で あ ろ う。 つ ま り、 最 澄 に と っ て の ﹁ 自 然 智 ﹂ と は、 簡 言 す れ ば、 ﹁ 正 統 な 法 脈 に 属 し て い な い 者 ﹂ を 意 味 す る 語 句 に 他 な ら な い の で あ る。 こ の 見 解 に よ れ ば、 先 に 見 た ﹃ 顕 戒 論 ﹄ に お け る ﹁ 若 嫌 二 辺 州 閾 学 一、 何 況 比 蘇 自 然 智 ﹂ の 一 文 も、 ﹁ も し 台 州 や 明 州 で の 留 学 が い け な い と い う の な ら、 神 叡 は ( た と え 入 唐 留 学 し た と し て も) 正 し い 法 脈 を 継 い で い な い の に、 い っ た い ど う な る の か ﹂ ( 29) と 読 み 解 け る で あ ろ う。 薗 田 氏 は、 こ の ﹃ 顕 戒 論 ﹄ に お け る ﹁ 比 蘇 自 然 智 ﹂ の ﹁ 比 蘇 ﹂ が 護 命 を 指 す と 考 え て い る が、
-38-最 澄 が ﹃ 顕 戒 論 ﹄ や ﹃ 法 華 秀 句 ﹂ を 著 わ し た の は、 南 都 の 僧 綱 の あ り 方 に 対 す る 反 駁 表 明 が 前 提 と な っ て い る の だ か ら、 そ の 対 論 者 は あ く ま で も 南 都 の 僧 綱 全 体 で あ っ て、 何 も 護 命 ひ と り に 限 定 し な け れ ば な ら な い 理 由 は 全 く 無 い の で あ る。 以 上 よ り、 こ こ で は 最 澄 の 用 い た ﹁ 自 然 智 宗 ﹂ と い う 語 を、 敢 え て ﹁ 正 統 な 法 脈 を 受 継 い で い な い 輩 ﹂ と 現 代 語 訳 し た。 し か し、 よ り 具 体 的 に は、 多 少 表 現 が 悪 い か も し れ な い が、 ﹁ 明 確 な 師 主 か ら の 相 承 が 無 い に も 拘 わ ら ず、 法 相 宗 の 僧 侶 と し て 僧 綱 の 要 員 で あ っ た 連 中 ﹂ と い う 皮 肉 を 含 ん で い る と 言 っ て も 過 言 で は な い で あ ろ う。 し か し、 こ の よ う な 概 念 は、 最 澄 の 著 作 に 見 出 さ れ る ﹁ 自 然 智 ﹂ に の み 充 当 し 得 る こ と に 留 意 し て お か な け れ ば な ら な い。 ( 30) な ぜ な ら ば、 例 え ば、 空 海 の 著 作 中 に は こ の よ う な 概 念 を 持 つ ﹁ 自 然 智 ﹂ の 用 例 は 一 切 認 め ら れ な い か ら で あ る。 従 っ て、 最 澄 の 著 作 中 に 見 出 さ れ る ﹁ 自 然 智 ﹂ は 彼 自 身 に よ る 独 特 の 名 辞 と 見 な さ な け れ ば な ら な い の で あ る。 ま た、 こ の 彼 独 特 の 名 辞 は、 基 本 的 に は ﹃ 延 暦 僧 録 ﹄ と 同 じ ﹁ 自 然 に 智 を 得 る ﹂ と い う 概 念 を 持 っ て い る が、 最 澄 の 場 合 は す で に ひ と つ の 名 詞 句 と し て 用 い て い る と 理 解 し て よ か ろ う。 以 上 の こ と か ら、 ﹃ 法 華 秀 句 ﹄ に お け る ﹁ 自 然 智 宗 ﹂ と じ ね ん ち し ゅ う い う 語 句 は ﹁ 自 然 智 宗 ﹂ と 読 む の で は な く、 ﹁ 自 然 智 の 連 中 ﹂ と い う 意 味 で、 ﹁ 自 然 智 の 宗 ﹂ と 読 ま れ る べ き で あ っ て、 読 み 下 せ ば ﹁ 自 然 智 の 宗 に し て ﹂ と な る で あ ろ う。 た だ、 こ の 最 澄 独 自 の 名 辞 の 根 底 に は、 唐 の 天 台 智 頻 を 規 範 と し て 打 ち 立 て た 新 た な 戒 律 思 想 を 受 け 入 れ よ う と し な い、 南 都 仏 教 の 戒 律 観 に 対 す る 反 駁 の 意 が 見 て と れ る の で あ る。 限 ら れ た 紙 面 故、 最 澄 の 著 作 中 に 見 ら れ る ﹁ 自 然 智 ﹂ の 語 義 解 明 と い う 作 業 の み で、 本 稿 を 終 結 さ せ な け れ ば な ら な い。 し か し、 本 稿 に お け る 最 澄 が 用 い た ﹁ 自 然 智 ﹂ の 語 の 解 釈 に 誤 り が な け れ ば、 ﹁ 自 然 智 ﹂ が 虚 空 蔵 求 聞 持 法 に 深 く 結 び つ い て い る と い う 見 解 の 誤 謬 は も は や 明 ら か で あ る が、 こ の 問 題 に 関 し て は 別 稿 に お い て 詳 述 す る こ と に す る。 最 澄 の 著 作 に 見 え る 自 然 智 の 概 念
-39-密 教 文 化 ︹註 ︺ ( 1) 田 村 芳 朗 ﹁自 然 と 実 相 ﹂ ﹃印 度 学 仏 教 研 究 ﹄ 第 十 九 巻 ・ 二 号 ( 一 九 七 一) 九 一 七 頁 ( 2) 末 木 文 美 士 ﹁ 漢 訳 般 若 経 典 に お け る ﹁自 然 ﹂ -﹁自 然 ﹂ 考 ( 二) -﹃東 洋 文 化 研 究 所 紀 要 ﹄ 第 九 一 ( 一 九 八 二) 二 三 一 頁-二 四 一 頁 (3) 末 木 文 美 士 ﹃ 日 本 仏 教 思 想 史 論 考 ﹂ 大 蔵 出 版 ( 一 九 九 三) 一 五 八 頁 (4) 硲 慈 弘 ﹁ 顕 戒 論 の ﹁ 比 蘇 自 然 智 ﹂ 私 考 ﹂ ﹃ 山 家 学 報 ﹄ 新 一 ・ 四 ( 一 九 三 〇) 石 田 瑞 麿 ﹃ 日 本 仏 教 に お け る 戒 律 の 研 究 ﹂ ( 一 九 六 三) 二 六 七 頁 ( 5) 薗 田 香 融 ﹁ 古 代 仏 教 に お け る 山 林 修 行 と そ の 意 義 ﹂ ﹃ 論 集 奈 良 仏 教 第 四 巻 神 々 と 奈 良 仏 教 ﹂ 曽 根 正 人 編 ( 一 九 九 五) 二 三 五 頁-二 五 五 五 頁 ( 6) 自 然 智 を 特 定 の 一 派 ・ 宗 派 と 見 る 薗 田 説 に 賛 同 す る 立 場 を 取 る も の は 次 の よ う で あ る。 石 田 瑞 麿 ﹁ 学 問 僧 と 諸 宗 の 学 ﹂ ﹃ 論 集 奈 良 仏 教 第 五 巻 奈 良 仏 教 と 東 ア ジ ア ﹄ 中 井 真 考 編 ( 一 九 九 五) 二 三 頁、 堅 田 修 ﹃ 日 本 古 代 寺 院 史 の 研 究 ﹂ ( 一 九 九 一) 七 二 頁、 吉 田 靖 雄 ﹃行 基 と 律 令 国 家 ﹂ 吉 川 弘 文 館 ( 一 九 八 七) 六 一 頁、 上 田 正 昭 ﹃ 吉 野 -修 久 の 風 景 ﹄ ( 一 九 九 〇) 等。 ( 7) 末 木 文 美 士 註 ( 3) 掲 書 一 六 〇 頁 (8) ﹁ 唐 学 生 ﹂ と い う 場 合、 旧 来 は ﹁ 唐 出 身 の 学 生 ﹂ と 解 釈 さ れ て い た が、 近 年 は ﹁ 唐 に 留 学 し た 学 生 ﹂ と 解 す る 方 が 一 般 的 に な っ て い る こ と に つ い て、 高 木 詳 元 先 生 よ り ご 教 示 を 賜 っ た。 そ こ で、 本 稿 で は、 神 叡 が 一 応 入 唐 留 学 し た 経 験 が あ る 可 能 性 が 高 い と い う 見 方 に よ っ て 論 を す す め て 行 く こ と に す る。 ( 9) ﹃望 月 仏 教 大 辞 典 ﹂ 第 五 巻 ︹ 四 三 一 四 ︺ ﹁ 比 蘇 寺 ﹂ の 項 ( 10) 薗 田 香 融 前 掲 論 文 二 三 七 頁 ( 11) ﹃伝 教 大 師 全 集 ﹄ 第 一 巻 一 〇 六 頁 ( 12) 最 澄 関 連 資 料 と し て、 以 下 に は ﹁ 比 蘇 ﹂ が 単 独 の 語 で 示 さ れ る。 ﹃依 愚 天 台 集 ﹄ ﹁此 間 有 比 蘇、 大 唐 聞 天 台 ﹂、 ﹃ 上 顕 戒 論 表 ﹄ ( ﹃ 天 台 霞 標 ﹂, 所 収) ﹁ 巳 嫌 辺 州、 豊 信 比 蘇 ﹂、 同 ( ﹃ 顕 揚 大 戒 論 縁 起 ﹄ 所 収) ﹁轍 誉 辺 州、 無 傾 比 蘇 ﹂ こ れ ら の ﹁比 蘇 ﹂ に 関 し て は、 場 所 を 示 す か、 特 定 の 人 物 を 示 す か 決 定 し 難 い も の が あ る。 ( 13) ﹃ 伝 教 大 師 全 集 ﹂ 第 三 巻 七 六 頁 ( 14) 末 木 文 美 士 註 ( 3) 掲 書 一 五 八 頁-一 五 九 頁 ( 15) ﹃ 今 昔 物 語 集 ﹄ 巻 十 一 ﹁道 慈 亘 唐 伝 三 論 帰 来、 神 叡 在 朝 試 語 第 五 ﹂ ( 16) 薗 田 香 融 前 掲 論 文 二 四 三 頁-二 四 四 頁 ( 17) 堀 池 春 峰 ﹁ 比 蘇 寺 私 考 ﹃ 奈 良 県 綜 合 文 化 調 査 報 告 書 吉 野 川 流 域 ﹄ ( 一 九 五 四) 三 六 六 頁、 宮 坂 敏 和 ﹃ 吉 野 そ の 歴
-40-史 と 伝 承 ﹂ 名 著 出 版 ( 一 九 九 〇) 九 六 頁 ( 18) 福 山 敏 男 氏 は、 虚 空 蔵 菩 薩 像 が 鋳 つ け て あ っ た と い う の は、 恐 ら く 水 煙 の 透 彫 の こ と で あ ろ う と 推 測 し な が ら、 こ の こ と は 事 実 で あ っ た か も し れ な い と 言 っ て い る。 ﹃ 奈 良 朝 寺 院 の 研 究 ﹄ ( 一 九 四 七) 三 八 頁 ( 19) 田 村 圓 澄 ﹃ 飛 鳥 ・ 白 鳳 仏 教 史 ﹄ 下 吉 川 弘 文 館 ( 一 九 九 四) 一 九 六 頁 ( 20) 富 貴 原 章 信 ﹃ 日 本 唯 識 思 想 史 ﹄ ( 一 九 四 四) 二 二 〇 頁、 佐 久 間 竜 ﹃ 日 本 古 代 僧 伝 の 研 究 ﹂ 吉 川 弘 文 館 ( 一 九 八 三) 二 一 二 頁 ( 21) 石 田 瑞 麿 氏 は、 こ こ に お け る ﹁ 三 空 ﹂ ﹁ 二 諦 ﹂ な ど の 表 現 か ら、 神 叡 が 三 輪 宗 の 学 業 を 学 ん だ と 推 察 し て い る が、 こ れ に 関 し て は 現 段 階 で は 決 定 し 難 い。 石 田 瑞 麿 註 (4) 掲 書 二 二 頁 参 照。 ( 22) 横 田 健 一 ﹁義 淵 僧 正 と そ の 時 代 ﹂ ﹃ 橿 原 考 古 学 研 究 所 論 集 ﹄ ( 一 九 七 九) 二 三 九 頁 ( 23) 佐 久 間 竜 前 掲 書 一 二 三 頁 ( 24) 境 野 黄 洋 ﹃ 日 本 仏 教 文 講 和 ﹄ ( 一 九 三 一) 三 九 〇 頁、 横 田 健 一 前 掲 書 二 三 八 頁-二 三 九 頁 ( 25) 横 田 健 一 前 掲 書 二 三 九 頁-二 四 〇 頁 ( 26) 横 田 健 一 氏 は、 藤 原 不 比 等 の 仏 教 制 作 に 義 淵 が 深 く 関 わ っ て い た と 同 時 に、 後 に 長 屋 玉 を 首 班 と す る 太 政 官 と 義 淵 と が 正 面 衝 突 を し た こ と を 示 唆 し て い る。 横 田 健 一 前 掲 書 二 四 三 頁-二 五 一 頁 尚、 不 比 等 の 仏 教 制 作 に つ い て は、 堅 田 修 氏 の 前 掲 書 (六 十 頁-七 十 頁) に 詳 し い。 ( 27) 佐 久 間 竜 前 掲 書 五 二 頁 佐 久 間 氏 は、 道 昭 と と も に 入 唐 し た 弁 正 に つ い て、 ﹃ 懐 風 藻 ﹂ 所 載 の 弁 正 や、 養 老 元 年 七 月 少 僧 都 に 任 命 さ れ た 弁 正 と は 年 代 が 離 れ 過 ぎ て い て 別 人 と 思 わ れ る、 と 述 べ て い る。 ( 28) 中 井 真 孝 ﹃ 日 本 古 代 仏 教 制 度 史 の 研 究 ﹄ ( 一 九 九 一) 九 五 頁 ( 29) 薗 田 香 融 前 掲 論 文 二 三 八 頁 ( 30) 因 み に、 空 海 の 著 作 中 で は 最 澄 の そ れ と は 異 な り、 ま さ に イ ン ド 仏 教 か ら 展 開 し た S v a y m び h n -jn a n a の 概 念 に 充 当 す る ﹁ 自 然 智 ﹂ の 用 例 し か 見 出 せ な い。 e x. ﹃ 秘 蔵 記 ﹄ (﹃ 定 本 弘 法 大 師 全 集 ﹂ 第 五 巻 一 四 七 頁、 ﹃ 大 日 経 開 題 ﹂ (同 四 巻 四 五 頁)。 ︿ キ ー ワ ー ド ﹀ 最 澄、 神 叡、 義 淵、 自 然 智、 自 然 智 宗 最 澄 の 著 作 に 見 え る 自 然 智 の 概 念