Ⅰ はじめに
Ⅱ シーメンスのコンプライアンス・プログ ラム
1 総 説
2 コンプライアンス・プログラムに対す る取り組み
3 小 括
Ⅲ ドイツで活動する日本企業のコンプライ アンス・プログラム
1 総 説
2 銀行業のコンプライアンス・プログラ ム
3 商社のコンプライアンス・プログラム 4 運輸業のコンプライアンス・プログラ
ム 5 小 括
Ⅳ むすびに代えて
Ⅰ はじめに
早稲田大学 21 世紀 COE《企業法制と法創 造》総合研究所Ⅳ-A「企業と市場に係る刑 事法制」では,2004 年 10 月に,内閣府の支 援を得て,国内の企業約 3,000 社に対して,
企業不正等に関する日本初のアンケート調査 を実施し,同年 11 月には,その調査結果を 踏まえたシンポジウム「企業の社会的責任―
新たな法システムの構築を求めて―」を開催 した。そこでは,今井猛嘉教授による,詳細
なアンケート調査の分析に基づいた基調報告 がなされ,それに対するコメント,および,
それらに基づくパネル・ディスカッションが 行われた1。その後には,甲斐克則教授によ り,同調査およびシンポジウムの成果に基づ いた論稿も寄せられている2。
また,2005 年 11 月には,コメンテーター として,アメリカ合衆国の弁護士であるダニ エル・プレイン氏,ドイツのシーメンス副社 長であり弁護士であるアルプレヒト・シェー ファー氏,そして,マックス・プランク外 国・国際刑法研究所所長であるウルリッヒ・
ズィーバー博士を招聘し,企業犯罪国際シン ポジウム「企業の法的責任とコンプライアン ス・プログラム―コンプライアンスの国際基 準と日本の企業法制―」を開催した。ここで も,今井教授による,詳細なアンケート調査 の分析に基づいた基調報告と,それに対する コメント,および,それらに基づくパネル・
ディスカッションが行われた3。その後には,
ズィーバー博士より,そこでのコメントを基 礎とした,浩瀚な論文も寄稿していただい た4。
そして,現在では,それらの成果を踏まえ て,企業犯罪に関する諸問題について,さら なる国際的な調査が,内閣府との協力の下で,
目下進められているところである。
それらの調査に資することを期して,筆者 は,2006 年 11 月末から 12 月頭にかけての間 に,2005 年のシンポジウム後の状況を補完 する目的で,昨年度の国際シンポジウムでご
●研究ノート
企業犯罪の抑止とコンプライアンス・
プログラムに関する覚書
―ドイツにおけるインタビュー調査の報告―
岡部雅人
** 早稲田大学 21世紀COE《企業法制と法創 造》総合研究所リサーチアシスタント
協力いただいたシェーファー氏のいるシーメ ンスの本社を訪問し,また,ヨーロッパから 見た場合に,日本のコンプライアンス・プロ グラムというものが,実際,どのような形で 運用され,また,どのように機能しているの かを知る目的で,個人的にコンタクトを取る ことのできた,ドイツにおいて活動している 日本企業3社の支店をそれぞれ訪問し,現地 でのインタビュー調査を試みた5。
以下では,シーメンスにおけるコンプライ アンス・プログラムの実施状況について伺っ てきたことを紹介し(Ⅱ),続いて,ドイツ において活動する日本企業のコンプライアン ス・プログラムの実態について伺ってきたこ とをそれぞれ紹介する(Ⅲ)。
Ⅱ シーメンスのコンプライアンス・プ ログラム
1 総 説
シーメンスでは,同社のコンプライアン ス・オフィスの弁護士の方から,お話を伺う ことができた。
シーメンスのコンプライアンス・プログラ ムについては,2005 年度に開催された国際 シンポジウムにおいて,シェーファー氏から その概要の紹介がなされており6,今回の調 査の目的は,国際シンポジウムの開催から今 回の訪問までの約1年の間に,同社のコンプ ライアンス・プログラムに,いかなる変化が あったかを知ることにあった。
シーメンスに対して調査を行った理由は,
同社が,190 ヶ国を上回る世界中の国々に,
46 万人もの従業員を擁する,国際的な活動 を行っている大企業であると同時に,コンプ ライアンスの問題についても,非常に積極的 に取り組んでいる企業であることにある。こ のような国際的な企業のコンプライアンス・
プログラムの実態を知ることは,国際的な活 動を視野に入れるわが国の企業にとっても,
非常に有益なものであるということができる
という点でも,ここでそれを紹介することの 意義が認められるものと思われる。
2 コンプライアンス・プログラムに対す る取り組み
¸ コンプライアンス・オフィスの組織に ついて
まず,コンプライアンス・オフィスの組織 自体については7,この1年の間にこれと いった変更はなく,メイン・コンプライアン ス・オフィスは,シンポジウムでもご協力い ただいたシェーファー氏がチーフ・コンプラ イアンス・オフィサーを務め,その他5名の 弁護士からなっているとのことである。
また,世界的にみると,同社には,約 60 名の地域担当コンプライアンス・オフィサー がおり,世界の諸地域をそれぞれ担当してい るとのことである。さらに,同社は多くのグ ループ会社からなっているが,その各部門に もそれぞれコンプライアンス・オフィサーが いるとのことである。
このように,同社の組織は,今回訪問した,
メイン・コンプライアンス・オフィスに加え,
地域担当コンプライアンス・オフィサー,そ して,グループ内の各企業を担当するコンプ ライアンス・オフィサーから成り立っている。
¹ コンプライアンス・プログラムの変更 点
伺ったところによると,2005 年 11 月以降 の約1年の間だけでも,3度か4度にわたっ て,新たな通達がなされているとのことであ る。その具体例のひとつとして,外部組織に 対する利益の供与に関する規則の改正が挙げ られた。
基本的に,新たに法律が制定もしくは改正 されれば,その都度それを会社のコンプライ アンス・プログラムに組み込んでいく必要が あり,実際にもそのような措置がなされてい るそうである。法律は,ほぼ毎日のように,
世界の各地で変わっていくものであるため,
国際的な活動を行っている同社のコンプライ
アンス・オフィサーとしては,そのような変 更がないか常に世界中を見張っており,変更 があればそれを取り入れていく必要があると いうことである。
º コンプライアンス・プログラム変更の 有用性
コンプライアンス・プログラムというもの は,基本的には予防作業であるがゆえに,コ ンプライアンス・プログラムの変更が,果た して有用なものであったか否かというのは,
なかなか確認しづらいものであるそうである。
しかし,そのことを逆にいえば,有用な変更 が行われている場合には,社内で何かが起き ようとしている場合には,それをすぐに認識 することができ,その結果,社内で何も起き ないということは,満足のいくプログラムが 実施されているということになるのであると いう。
その意味では,社内で「何も起きない」こ とこそが,コンプライアンス・プログラムの 有用性の証左であると考えることができるよ うである。
» コンプライアンス・プログラムの周知 徹底
同社の業務遂行ガイドライン(Business Conduct Guidelines)は,同社のコンプライ アンス・プログラムの大黒柱であり,その テーマは誠実さ(Integrity)にあるという8。 同社では,すべての従業員が,このガイドラ インを読み,内容を理解したことを示すため に,署名をしなければならないという。また,
同社では,コンプライアンス・プログラムを 周知徹底するため,eラーニングによるプロ グラムも,世界全体で実施されているとのこ とである。
コンプライアンス・プログラムを周知徹底 させるということは,人の精神を変えるとい うことであり,それは,一朝一夕に行うこと のできるものではなく,長期にわたるプロセ スであるとの認識がなされているようである。
すべての従業員が,同社の業務遂行ガイドラ
インを本当に身に着け,それに従っているか どうかがわかるには,今後2,3年はかかる であろうと,非常に慎重な態度ではあったが,
現在のところ,それは非常にうまく機能して いるとのことであった。
¼ コンプライアンス・プログラムと法的 規制
前述したように,法律の変更があれば,必 然的にコンプライアンス・プログラムの内容 も変更されていくことになるわけであるが,
少なくともドイツ国内では,この1年の間に は,同社が取り入れなければならないような 法律の変更はなかったとのことである。
しかし,法的規制の変更はないものの,現 在では,当局が制裁をより厳格に処理するよ うになってきているという実態があるそうで ある。その意味でも,企業にとってより多く の問題をもたらす可能性があるのは,当面の ところ,法律の変更よりも,むしろ,(世界 の)当局の措置の変更にある,との認識がな されているようである。
½ コンプライアンス・オフィサーの役割 コンプライアンス・オフィサーが扱う仕事 は,1人の従業員がペンを1本盗むだけとい う小さな事件から,カルテル法違反という大 きな事件に至るまで,実に多岐に渡るもので ある。そのような中で,現在,とりわけ大き な問題として考えられているものとして,汚 職の問題があり,それこそが,コンプライア ンス・オフィサーにとっての闘いの相手であ るという。
コンプライアンス・オフィサーは,自ら厳 格に行動し,法律に従わなければならない立 場にあると同時に,同社の業務遂行ガイドラ インが,毎日の行動に移すに足りるだけのも のであるかどうか,また,毎日従うに足りる だけの真に優れたものであるかどうかを,常 に確かめなければならない立場にあるという。
さらに,コンプライアンス・オフィサーは,
毎日のように,たくさんの書類を作成し,そ れを読ませなければならない立場にあると同
時に,ただそれを読ませるだけでなく,守ら せなければならない立場あり,それを毎日コ ントロールしなければならないという。
同社のような大企業ともなると,そのすべ てをコントロールするというのは,おそらく 限りなく不可能に近いことであろう。しかし,
それをコントロールするよう努めることこそ が,コンプライアンス・オフィサーの大きな 課題であり,毎日がその繰り返しなのである という。
3 小 括
以上でみてきたように,シーメンスのコン プライアンス・プログラムは,この1年の間 だけでも,常に見直しが続けられ,実際に絶 え間ない変化を遂げてきている。一般的に,
コンプライアンス・プログラムを意味のある ものとして実践していくためには,そのよう な継続的なプログラムの見直しが必要である といわれている9。同社では,そのようなプ ログラムを実践し,現に成果を上げてきてい るということができ,このことは,そのよう な実践の必要性を裏づけていると評価するこ とができるように思われる。それと同時に,
同社では,それだけのプログラムを実施しう る土壌が,コンプライアンス・オフィサーの 手によって,充分に提供されていると評価す ることができるのである。
このように,同社のコンプライアンス・プ ログラムは,わが国の企業がコンプライアン ス・プログラムを実践するに際しても,非常 に参考となるものであるといえよう。
Ⅲ ドイツで活動する日本企業のコンプ ライアンス・プログラム
1 総 説
今回の調査では,ドイツに支店を置く日本 の企業のうち,銀行業のA社,商社のB社,
運輸業のC社の計3社において,当地でのイ ンタビューを行うことができた。これは,実
態調査のサンプルとしては,やや少ないもの であることが確かに否定できないであろう。
しかしながら,今回訪問させていただいたの は,いずれもわが国を代表する各業界のリー ディング・カンパニーであり,そこで聞くこ とのできた話や意見というのは,もちろんそ れがその業界の全てであるとまではいえない にしても,各業界の代表的な見解であると解 して差し支えのあるものではないように思わ れる。それゆえ,今回お話を伺うことのでき た各企業の現状および意見を,ここに紹介す る次第である。
2 銀行業のコンプライアンス・プログラ ム
¸ コンプライアンスに対する取り組み A社に限らず,銀行業の場合には,一般的 に,コンプライアンスに関して,企業全体と してそれに本気で取り組まなければならない という風潮が強く存在していようである。
従来は,どちらかというと外面的な部分の 方が重視され,具体的な実績についてまでは あまり問われていなかった部分もあったとの ことであるが,今日では,ただ「法律に反し ていなければいいだろう」という意識では,
一部上場企業を含めて,規模のある会社では もはや通用しなくなってきており,公序良俗 を含めて,社会通念上「これをやって恥ずか しくないか」という観点の下で物事を考えて いかなければならない時代になってきている とのことである。
とりわけ,銀行業の場合には,貸したお金 がいったい何に使われるのかといったことに まで目を配る必要があり,常に緊張感を持っ た状態で,そういった問題をシリアスに考え ていく必要があるという。
そのような背景もあって,銀行業において は,「コンプライアンス」という名称は用い られないまでも,たとえば秘密保持や人権尊 重など,実質的には今日でいうところのコン プライアンスの内容に該当するようなことが,
これまでにも既になされてきており,それが 今日,さらに広がりを持った上で,「コンプ ライアンス」という形で認識されるように なってきているようである。
¹ CSR の照会
A 社 で は , 基 本 的 に , 取 引 先 に 対 す る CSR(Corporate Social Responsibility) の 照会といったことは特に行われておらず,そ れがないから取引を行わない,というような こともなされてはいないとのことであった。
逆に,当地の民間企業からA社が照会を受け ることというのも,特にはないとのことであ る。
しかし,当地の銀行監督局から,人権の尊 重の問題を中心として,照会を受けることが あるとのことであった。とりわけ,ドイツに おいては,従業員の雇用ならびに健康および 安全に関しては,非常に厳しいチェックがな されているようである。
また,企業倫理等の問題に関しても,やは り当地の銀行監督局から,コーポレート・ス トラテジーの提示命令がなさることがあると のことであった。これは,コーポレート・ス トラテジーを作成するだけで,それを誰も読 まない,あるいは持たないのでは意味がない から,そのような事態を回避するための措置 としてなされていることのようである。
º 法令違反防止のためのシステム構築 違反行為等の事前の防止措置としては,社 内監査役による検査が頻繁に行われ,さらに,
それとは別に,監督官庁からの検査が行われ ているとのことである。また,ドイツにおい ては,会計会社が監督官庁の代理として様々 なチェックを行っており,その意味では,社 外の第三者による評価制度が存在するのに等 しい状況にあるといえるようである。
また,防止システムとしては,相談委員制 度が設けられているとのことであった。さら に,社内で何か問題が発見されたときに報告 するための,イントラネットも設けられてい るとのことである。
» 社内教育制度
同社では比較的早い時期から社内教育制度 が存在しており,従業員に対する規則等の周 知徹底は,社内報への掲載,セミナー,研修 などでなされると同時に,管理職から各社員 への伝達という形でも行われているとのこと である。それゆえ,管理職の地位にある人は,
場合によっては,各従業員に対する管理責任 が問われることもありうるとのことである。
¼ ガイドラインの要否
この点については,あくまでも回答者の私 見ということにならざるをえないとは思われ るが,法令違反の防止のための効果的な社内 制度を設けるためには,各企業が独自に構築 すればよいか,あるいは,政府の主導の下,
一定のガイドラインが提示される方が望まし いかという問いに対しては,政府の主導とい うのは適切ではなく,企業が大人の判断で独 自に構築していくべきものであるとは思うが,
同じ業界内で形成された,最大公約数的な雛 形のようなものはあってもよいかもしれない とのご意見であった。
½ 企業に対する制裁等のあり方
制裁については,ドイツではすでに,罰金 刑のほかに,企業名の公表,保護観察といっ たことが行われており,それで妥当な線であ ろうとのことであった。
もっとも,「コンプライアンス」というもの を考える場合には,法律で規制されてやるも のというよりは,もっと前向きな,自主的な ものであるべきであって,その意味では,法 律的なものよりも厳しい規範というのは,会 社の中にこそ求められるものであり,そうし ていかなければならないであろう,とのご意 見であった。
¾ 日本とドイツとの相違点
印象として,ドイツと比べて日本の方が,
弱者救済的な精神を持った法律が多いように 思われるとのことである。たとえば,ドイツ では労働者の保護が厚くなされているという 点を取り上げて,企業に対する労働者を弱者
と捉えた場合は別論,企業対企業の場合につ いては,もしそれが嫌ならば他のところと取 引すればいいではないか,という考え方が採 られるため,立場的に弱い側の企業が特に保 護されるということはないのだという。
ドイツではドイツでの守らなければならな い規制があると同時に,日本の企業としては 日本の規制にも当然従わなければならない以 上,少なからずそこにはギャップが存在して いるようである。
3 商社のコンプライアンス・プログラム
¸ コンプライアンスに対する取り組み 基本的に,B社においては,現時点では,
日本の本社において整備された規定が,海外 の支店においても準用されており,ドイツの 支店独自の規定というのは,特には存在しな いとのことである。海外の支店においては,
当然,現地の法律やEU指令などといったも のを意識しながら活動しなければならないわ けであるが,国ごとの差異というのは,せい ぜい程度の差ぐらいのものであって,考慮す べき項目自体については,国によって大きな 差異は存在せず,そこに齟齬のようなものを 感じることは特にないそうである。それゆえ,
基本的には日本の本社のルールに準拠しつつ,
プラスアルファとして,各国のことは各国で 行うという対応がなされているとのことであ る10。
具体的には,日本の本社において,詳細な 行動基準マニュアルが作成されており,それ が,様々な事例が項目ごとに記載されたハン ドブックの形で,全社員に配布されていると のことである。そこでは,各事項についての 最低限のルールが全体的にカバーされており,
それが基本となっているが,なおグレーな部 分がある場合には,専門部署に相談するなど のことが行われているとのことである。
かつては,そのような規定集を閲覧するこ とは基本的にはできなかったそうであるが,
近年になって,基本的な規定集については,
全員がそれをイントラネットなどで閲覧でき るようになったとのことである。法令遵守と いうこと自体は,組織としてそれまでにも当 然に行われてきていたわけではあるが,かつ てのそれは,いわゆる経験や,上司の能力や 意識などに依存していた部分もあり,その意 味で,管理者の裁量によって,部署ごとの温 度差が存在していた可能性はあったかもしれ ないとのことである。それが,今日では,行 動基準マニュアルという形で,全従業員の手 に渡り,また,目に触れるようになったこと で,かつてあったその温度差も解消されてい るようである。
¹ CSRの照会
CSRの照会といった場合に,それがどこ までの範囲を指しているのかによってその回 答は変わってくるが,扱う商品によっては,
EU指令に基づく様々な制約等が存在するた め,サプライヤの側が,各種ライセンスを取 得しているか,その国での登録を済ませてい るか,当該商品を扱えるだけの業態であるか など,取引を行う上で必要となる情報につい ては,当たり前のこととして照会が行われて おり,また,逆に照会を受けることもあると のことである。しかし,CSRの照会の中に,
「人権の尊重」といったものまでをも含むと する場合には,取引のためにはそこまでは行 われていないのが一般的ではないかというこ とである11。
もっとも,リスク管理という意味では,新 しく取引先を登録するに際には,D&Bの提 供するダンレポート(Business Information
Report)の取得がなされているとのことで
あり12,広い意味で何か調査を行っているか と問われれば,その答えは「Yes」というこ とになるとのことである。
º 法令違反防止のためのシステム構築 同社では,違反の芽を摘む目的で,社内で 何か問題が発見されたときに報告するための 窓口として,ホットラインが整備されている とのことである。
ホットラインの接続先は,①チーフ・コン プライアンス・オフィサー(CCO)たる同 社代表取締役専務執行役員,および,②社外 弁護士事務所の2箇所であるが,多くの場合 には,CCOホットラインが利用され,CCO 自らが応答する点に特色があるそうである。
当然,相談された内容によっては,CCOを サポートする形で,コンプライアンス部や人 事総務部,広報部などが実務的な活動を行う ことになるとのことであるが,同社のホット ラインの特色は,コンプライアンスの最高責 任者に直接訴え出ることができる点にある。
コンプライアンス違反が発見された場合の 処理手続であるが,その対応方針(状況の把 握,経営陣への速報,対外公表,調査委員会 立上げ,官公庁への届出,顧客・取引先への 説明,被害の拡大防止策など)は,コンプラ イアンス委員会で議論されるそうである。
案件の処理の一環として,違反者の処分が 必要な場合には,コンプライアンス委員会で 量刑に関する議論を行ったのち,就業規則違 反が疑われるときには,社内の別の委員会で ある賞罰審議会へ案件の詳細を申し送り,同 審議会で細目調査,本人からの事情聴取を 行ったうえで,処分内容を確定するそうであ る。社員が唯一の資産である商社ゆえに,社 員を尊重した対応がなされているとのことで ある。
なお,投資家や顧客の不利益となるなどの 重大な影響を及ぼすおそれのあることについ ては,企業自体が法的な処分を受けるもので あるか否かに関わらず,社内で最大限の整理 をした上で,自発的にその情報を公表するシ ステムも構築されているとのことである。
また,防止システムのシステム自体が有効 に機能しているかの評価については,社外の 弁護士による関与もあるようである。
さらに,現在は,それらのシステム構築と いうのは,やっていて当たり前であるという だけでなく,それに加えて,しっかりとした 認識を持って,どれだけの組織体制で,どれ
だけの補完制度を持ってやっているかという ことを対外的にアピールする時代になってき ているため,同社では,それらのシステムの 存在を,ホームページなどを通して,第三者,
消費者,投資家に対して,積極的にアピール するということも行われている。
» 社内教育制度
同社では,コンプライアンスの徹底のため には,社員に対する啓発が有効であるとの認 識のもと,社内の教育制度の拡充には,かな りの力が注がれているようである。
まず,管理職に対する講習会,中堅社員に 対する講習会,若手に対する講習会という形 で,それぞれの職分・役職に合ったレベルの 講習会が,社内研修という形で,随時行われ ているそうである。
また,すでに紹介したとおり,ほとんどの 規範・規定については,全従業員が閲覧でき る形で,イントラネットへの掲載がなされて いると同時に,ハンドブックの配布が全員に 対してなされているとのことである。
さらに,日本の本社では,近年になって,
eラーニングが採用され,ウェブ上で,コン プライアンスに関する授業を受講した上で,
最後にコンプライアンスに関する修了テスト を受けるということも全社員に対して行われ ているとのことである13。そのテストで一定 の基準点以上を取得しないと,再研修,再試 験が行われることになるそうである。これは,
今後,日本のグループ関係会社などにも,順 次適用がなされる予定であるそうである14。
なお,海外の支店については,現時点では,
基本的に日本人マネージャーに対してのみ社 内教育が行われており,その内容の現地ス タッフへの伝達は,日本人マネージャーの裁 量によるところが大きいとのことである。
もっとも,それらのテキスト等については,
現在,英語版も作成中であり,近い将来には,
現地のスタッフに対しても,直接,eラーニ ングなどによる社内教育が行われるようにな る予定とのことである。
¼ ガイドラインの要否
法令違反の防止のための効果的な社内制度 の構築のためには,政府主導のガイドライン のようなものがやはり必要なのではないかと いうご意見をここではいただいた。もっとも,
何もかもコンプライアンスだといってしまう と,本当に守らなければいけない重要なもの は何なのかということが不明確になるおそれ があり,その点については,業界ごとに,ま た,取引ごとに,優先順位や温度差があるこ とは否めないから,その意味では,すべてに 共通するガイドラインを作成することの困難 さは否めないのが現実ではあるとしても,も しできるのであれば,それはやはりあった方 がいいであろうとのことであった。
½ 企業に対する制裁等のあり方
企業に対する制裁のあり方についても,ガ イドラインの問題と同様,どのような制裁が あったらどれだけの影響があるのか,それが 誰にどれだけの損害を与えるのか,また,ど れだけの社会的トラブルを誘発するのかとい うことも含めて,多角的な視点から,こうい うものに対しては罰金刑で足りる,こういう ものに対しては保護観察が必要であるなど,
レベルを分けて考える必要があるのではない かとのご意見をいただいた。その点について も,やはり一定の明確な基準を設け,それに 従った措置がなされていくべきではないかと のことであった。
¾ コンプライアンス・プログラムの意義 コンプライアンスの問題が今日これほどま でに強く意識されるようになったのは,近時 の企業に対する不信感の高まりが背景にある のは間違いないが,どれも要は昔からやって いて当たり前のことばかりなのであって,そ のことに対して窮屈さを感じることは特にな いとのことであった。ルールが明文化された ことによって,「あれもこれもコンプライア ンスか」という部分もなきにしもあらずでは あるが,いずれも守らなければならないこと である以上,それを守っていることを宣言し
ていくということは,風通しを良くするとい う意味でも,有意義なものではないかとのご 意見であった。
4 運輸業のコンプライアンス・プログラ ム
¸ コンプライアンス・プログラムに対す る取り組み
C社の場合,基本的には,日本の本社にお いて,海外でも共有できるような内容のルー ルを作成し,それを現地の各会社で,現地な りに置き換えて利用しているとのことである。
その意味で,ドイツの支店独自の規定という ものは特には存在しないようである。
しかし,日本で作られた規定では,やはり 現地にそぐわない面が出てくるというのも事 実であるという。それゆえ,日本の規定の置 き換えということが一応は行われていても,
それを実際に従業員に周知徹底させるとか,
その内容で教育するといったことは,あまり 積極的には行われておらず,また,従業員の 側でも,それらの規則に対してあまり関心が ないというのが実態であるとのことであった。
¹ CSRの照会
まず,取引先に対するCSRの照会などは,
一般的には行われていないようである。これ は,C社に限ったことではなく,運輸業の場 合には基本的にはそうなのではないかとのこ とであった。その理由としては,何百社とい う取引相手すべてについて,いちいち照会を 行っていたとしたら,それだけでかなりの時 間を取られてしまうことになり,そうしてい る間に「他に回します」という事態にもなり かねないという点が挙げられよう。確かに,
スピードが命ともいえる運輸業の特性として,
その点はやむをえない面もあるように思われ る。
もっとも,初めて取引を行う企業が相手と なる場合には,興信所的な機関の協力を得て,
支払能力の有無などの身元調査を行うことは あるということである。なお,万が一のとき
のために,保険会社と契約する場合もあり,
その際には,保険会社の側でも当該企業に対 する調査を行うことになるため,そこでも間 接的なチェックが実質的に行われているとい うことができそうである。
他方,所轄の労働基準局からは,就業規則 の内容の提出が義務付けられており,たとえ わずかであっても,内容の改定があった場合 や,新たな項目が付け加えられたりした場合 には,それを必ず提出することになっている とのことである。
º 法令違反防止のためのシステム構築 まず,就業規則については,大前提として,
企業としてそれが必要なところと必要でない ところとがあるとのことである。すなわち,
就業規則については,「労働基準法に順ずる」
という形で,改めて設定していない企業とい うのも少なくないとのことである。さらに,
運輸業の場合には,それに加えて,税関に関 するルールなど,他法令に準ずるとしている ケースというのも多いようである。
また,企業倫理や法令順守に関する具体的 な項目については,規則として明文化はされ ていないものの,商慣習上,当然に遵守すべ きことについては,業界のルールという形で,
実態として存在しているようである。
» 社内教育制度
いわゆる集合教育的なことは行われていな いが,担当者の会議における伝達や,社内の eメールによる通知などによって,それぞれ の職場において,それぞれ遵守すべきことを 学ぶという形で,現場において,教育は末端 にまでなされているとのことである。
また,社外でのセミナーを受講させたり,
資格が必要なものについてはその資格を取ら せるなどといったことも,積極的に(場合に よっては強制的に)行われているそうである。
それらのスケジュールは,上部団体や教育機 関などから送られてくるため,それらの情報 を関係部署へと流すことによって,出席者を 募集したり,出席の手続をとるなどといった
ことが行われているとのことである。
さらに,支店ごとに,それぞれ必要に応じ て , ISO(International Organization for Standardization)15やTAPA(Technology Asset Protection Association)16の取得に勤 め,それと絡めて,従業員に対する教育も行 われているとのことである。
¼ ガイドラインの要否
法令違反の防止のための効果的な社内制度 を設けるためには,各企業が独自に構築すれ ばよいか,あるいは,政府の主導の下,一定 のガイドラインが提示される方が望ましいか については,そのための様々な協会などがあ るのであるから,そういったところで,自主 的に独自のガイドラインを設定していくべき ではないかとのご意見であった。
½ 企業に対する制裁等のあり方
EU内では,税関から出されている,ある 種のブラックリストのようなものがあり,そ れをコンピュータにインストールすることに よって,請求書等にその名前を打ち込んだ時 点で反応するというシステムが存在するそう である。これは,違反企業の公表に当たるも のであって,その意味でも,このような措置 は,事実上の制裁に当たるものといってよさ そうである。
¾ 日本とドイツとの相違点
ヨーロッパにおいては,日本ほどは「コン プライアンス」という言葉が聞かれないとい うのが実態のようである。逆に言えば,ヨー ロッパには,いい意味でグレーな部分を認め る,すなわち,それだけ自主性を認める,お おらかな部分,見方を変えれば,大人の社会 といえる部分があるのではないかとのことで ある。
その背景には,ヨーロッパの伝統的な商慣 習というものがあるのではないかというのが 回答者のご意見であった。その中には,法令 遵守の精神も含まれているため,日本で就業 規則として盛り込まれるものの中には,当た り前すぎて,「なんでわざわざこんなことを
書くのか,日本人はこんなことまで書かない と分からないのか」といった感じのものもあ るというのが,ヨーロッパでの感覚のようで ある。
そういった意味でも,日本で作成したルー ルを,そのまま欧州の人たちに理解させると いうのは,非常に難しい面があるようである。
その意味では,日本では「コンプライアンス 至上主義」というものが,やや行き過ぎてい る面があるのかもしれない。
5 小 括
それぞれの意見からわかることは,コンプ ライアンスに対する取り組みというのは,業 種ごと,あるいは企業ごとに,若干の温度差 が感じられるということである。
しかし,ここでの意見について共通してい えることは,コンプライアンス態勢が形式的 に構築されていることの重要性ではなく,む しろ,コンプライアンス態勢が実態として醸 成されていることの重要性であるように思わ れる。その意味では,今回インタビューさせ ていただいた各企業は,形式的・客観的レベ ルにおいては,それぞれ取り組み等において 差異が見られるものの,いずれも実質的な意 味でのコンプライアンス態勢の非常に整った 企業であるということができるように思われ る。
また,ここでみられる客観的な差異という のも,業種ごとに必要とされるものの違いか ら生じるものであるということができるので あって,その客観的な差異だけを取り上げて,
コンプライアンスに対する取り組みが,どの 業種では進んでいて,どの業種ではあまり進 んでいないということは,一概にはいうこと はできないというべきであろう。その意味で も,今回のインタビューで聞かれた意見の中 にもあるように,すべての業種に共通する基 準となるガイドラインを作成することという のは,著しく困難なことであるように思われ るのである。
そういった意味でも,仮にこの先何らかの ガイドラインが政府の主導で設けられること があったとしても,形式的にその基準を満た すことが至上命題とされるようなことはあっ てはならず,あくまでもそれをスタートライ ンとした上で,それぞれの業務内容に適した 形のコンプライアンス態勢の模索が,各企業 の手によって自主的に行われていくことが求 められているというべきであろう。そして,
そのことが極めて当然のこととして根付いた 企業風土を作っていくことこそが,コンプラ イアンスの問題に取り組んでいく上で,最も 重要な点であるということができよう。
Ⅳ むすびに代えて
以上でみてきたように,業種ごとにその形 態は異なるものであっても,コンプライアン ス・プログラムに対する真摯な取り組みとい うものが,いずれも企業犯罪抑止のために重 要な役割を果たしうるものであることは,揺 るぎのない事実であるように思われる。
もっとも,それが本当の意味で有効に機能 するためには,従業員の意識を高めていく,
場合によっては,根底から変えていくという,
極めて大きな課題が存在するのであって,そ のことは決してたやすいことではないであろ う。しかし,企業の従業員一人一人が,法令 順守の精神や高い道徳意識を持って行動する ことは,どの企業にとっても必須のことであ るといえよう。
もちろん,それが当たり前のこととしてな されていたならば,そもそも問題が生じるこ とはないのであろう。しかし,その当たり前 のことが当たり前に行われていないというの が,残念ながら今の現実なのである17。そし て,それは,多くの人間が関与する企業とい う場においては,どこでも起こりうることな のかもしれない。
その意味でも,従業員一人一人の注意を常 に喚起するシステムを構築しておくことは,
転ばぬ先の杖として,有意義なことであると いうことができよう18。そして,そのような システムの構築を積極的に行っている企業に ついては,そのことに対して,何らかの積極 的な評価が与えられることがあっても良いよ うに思われるのである19。
もっとも,このことを(刑事)法的に捉え た場合に,それをどのようなものとして理解 し,また,どのように位置づけていくべきか ということは,まさにこれからの重要な検討 課題であるといえよう20。
注
1 その成果は,早稲田大学 21世紀 COE《企 業法制と法創造》総合研究所 季刊 企業と法 創造1巻4号(2005年)243頁以下に纏めら れている。
2 甲斐克則「企業の社会的責任と新たな(刑 事)法システムの構築―刑事法的観点から見 た企業活動とコンプライアンス等の実態調査 を踏まえて―」早稲田大学 21世紀 COE《企 業法制と法創造》総合研究所 季刊 企業と法 創造1巻4号(2005年)305頁以下。
3 その成果は,早稲田大学 21世紀 COE《企 業法制と法創造》総合研究所 季刊 企業と法 創造2巻2=3号(2006年)73頁以下に纏 められている。
4 ウルリッヒ・ズィーバー(田口守一ほか訳)
「企業犯罪防止のためのコンプライアンス・
プログラム――経済犯罪の領域における刑法 上の共同規制のための新たな試み――」早稲 田大学 21世紀 COE《企業法制と法創造》総 合研究所 季刊 企業と法創造2巻2=3号
(2006年)147頁以下。
5 同調査は,平成18年度21世紀COE 奨励研 究費の受給を受けて実施したものである。同 調査の実施に当たっては,インタビューに対 応して下さった各企業の方々をはじめとして,
多くの方々からの多大なるご協力を得た。こ こに記して感謝の意を表したい。
6 前掲注º91頁以下を参照。
7 その詳細については,前掲注º94-5頁を参 照。
8 同社の業務遂行ガイドラインは,<http://
www.siemens.com/Daten/siecom/HQ/CC/Int ernet/About_Us/WORKAREA/about_ed/tem- platedata/English/file/binary/bcg_de_103314 5.pdf>で参照することが可能である(2007
年1月30日現在)。
9 たとえば,大塚和成編著『決定版 企業コ ンプライアンス態勢のすべて』(きんざい,
2004年)48頁,國廣 正=五味祐子『なぜ企 業不祥事は,なくならないのか 危機に立ち 向かうコンプライアンス』(日本経済新聞社,
2005年)99頁以下などを参照。なお,岡部 雅人「コンプライアンス・プログラムと企業 過失」田口守一ほか編『コンプライアンス・
プログラムと企業犯罪』(商事法務,近刊)
も参照。
10 もっとも,昨今のコンプライアンス重視の 風潮による,海外各拠点での現地語での規定 整備の必要性から,2006年より,各極に対し,
現地語版のコンプライアンス・プログラム,
行動基準,行動基準マニュアルの整備を順次 進める作業も行われているそうである。各極 それぞれの事情で進度は異なるものの,ドイ ツ店の所属する欧州極においても,まずは英 文の規定整備がなされる予定であるとのこと である。
11 その意味で,アンケート調査の問4〜6の 回答も(前掲注¸246-7頁),回答者が質問の 趣旨をどのように捉えていたかによって,回 答に差異が出ていた可能性があるように思わ れる。
12 <http://www.dnb.co.jp/index.html>を参 照(2007年1月30日現在)。
13 しっかり見れば,5〜6時間ぐらいかかる 程度の分量のテキストで,一度見終わったも のは,見返せないようになっており,それが 終わったらテスト,という流れになっている とのことである。それには締め切りもあり,
その期間中に,各自,普段の勤務時間の中の 空いた時間を利用して,たとえば1日 30分 といったように,コツコツやる形で行われて いるとのことである。
14 とりわけ,本社とは業務の内容を異にする グループ関係会社には,過去の違反事例を研 究材料とした研修を実施する方向で準備が進 行中とのことである。
15 <http://www.iso.org/>を参照(2007年1 月30日現在)。
16 <http://www.tapaemea.com/> を 参 照
(2007年1月30日現在)。
17 近時多発する企業不祥事の実例を分析し,
その対応について検討するものとして,後藤 啓二『企業コンプライアンス』(文春新書,
2006年)などがある。
18 コンプライアンス・プログラム作成に関す る興味深い資料として,経営法友会マニュア
ル等作成委員会編『コンプライアンス・プロ グラム作成マニュアル』(商事法務,2002年)
などがある。
19 たとえば,ズィーバー・前掲注»167頁以 下などを参照。
20 そのためのひとつの試みとして,田口守一 ほか編『コンプライアンス・プログラムと企 業犯罪』(商事法務,近刊)所収の各論文が ある。