論 説
混 迷 す る 世 界 経 済 の 課 題
清 水 嘉 治
83
はじめに
現代世界経済における生産力の不均等発展と貿易摩擦・市場争奪戦
現代世界経済の不均等発展の論理
⇔日米不均等発展としての口米貿易摩擦
ω根本的解決なき臼米自動車合意
四日本自動車メーカーの苫悩
f国内生産体制から海外生産体制岱il
田東アジア市場をめぐる自動車戦争
㈹中国市場をめぐる各国自動屯メーカーの競争
㈹世界自動車市場を担う日.米・欧自動車イカあ提携ネット・7クと今後の課題
伽﹁拡人基調﹂ドの世界経済と東アジア経済の高成長とその課題
㈲﹁拡大基調﹂ドの米国と欧州の課題
㈲世界経済の活性化を支える東南アジア経済
商 経 論 叢 第31巻 第2号 84
三激動する世界経済における国際通貨危機とは何か
e一ドル八〇円突破が意味したもの
米国対内外経済政策の矛盾
一九九五年国際通貨危機の起点としてのメキシコ通貨危機とは何か
東アジア諸国の基軸通貨ドル離れ
メキシコ通貨危機のインパクト欧州へのインパクト
改めて欧州連合(EU)の通貨統合制度を考える
EUの通貨同盟はどこまで進行しているのか
基軸通貨ドルに代わるもの
コ九二九年大恐慌L﹁八七年米国株価大暴落﹂︑九五年日本の株価暴落﹂を吟味する
﹁超円高ドル安﹂を改めて考える
.29・大恐慌︑87・株価大暴落︑95・日本の株価暴落を吟味する
一世界経済㎜再構築﹂の一環としての95G7の共同声明の限界を吟味する
景気循環における世界景気の不均等性
世界経済の不均等発展の中で95サミット﹁経済宣言﹂を吟味する
五 四
(四)ω 口{}㈱ 口 ⇔e㈹(n㈹(四 旧 ⇔
一九七五年1九四年のサミットとは何かを改あて考える
一九九五年サミット﹁経済宣言﹂の問題点
95サミットの﹁世界経済﹂の認識を問う
地球環境保全・貧困の削減の世界経済のあり方について
は じ め に
三世紀を眼前にした世界経済は︑不透明であり︑不確実性である︒充八〇年代後半︑呆経済の国際化が具体
化され・八五年には世墨の債権国家になり︑世界から告された︒▼しの時占酬で米国は世界一の霧国家にな.た︒
混迷 す る世 界経 済 の課 題 85
と}﹂うが︑あれか.b六年︑九一笙月以管本経済はバブル崩壊による複A艮期不況に直面した・とくに金融大恐
慌ともいわれた銀行は約四〇兆円以上ともいわれる不良債権の処理に追われ︑同時に九五年四月から七月までには超
円高ドル安に直面し︑.蚕︑三重の不況に組み込まれた︒その後︑政府は︑長期不況をどのように克服し・景気回復を具体化するかに埠りれ︑九五年九月.δ日には︑占兆円以去公共投資︑社会資本投資を組み・規制緩和と並行して︑抜本的経済政策を発表した︒
世界経済は︑日本経済の景気回復を待望し︑世界景気の好転によって雇用吸収力を図ることを期待している・
世界経済におけるGDP合計の・つち約モ%(元九四年)を占める日本経済の停滞は・世界経済に対してもかなり
のインパクトを与えている︒米国経済にと.ても︑日本への輸出低下︑日本の対米直接投資の減少・Euの習輸出
低下︑Eu市場への投資の後退などかなりのインパクト奪えている︒他方︑円高ドル安下においては・東アジア・
中国への直接投資を増加させた︒ともあれ︑混迷した鼻経済にとって︑先進国も︑途上国も・中進国も・日本経済
の好転を望んでいる︒いま先進国にと・て︑米国にとっても︑Euにとって︑先進国の共通した難問は・景気回復に
直面しても雇用吸収力がレ分でない点にある︒
九四年初頭か・り好転してきた欧州嚢国の景気減速が鮮明になってきた︒九月六日発表した九五年上半期のGDP
の実質伸び率は.一.六%であり︑ドイッ政府の目標としている三%成長に黄信m慕ともったといわれる・フランスも
成長率が鈍化し︑英国も︑九四年の四%か︑b九五年.﹃ヒ%に減速している︒失業率もドイツ九三%・フラン三}.四%︑英国八・七%(九五年ヒ泉準)巌範.米国でも・景気回復期間中にも・券に雇用を吸収していない・
日本も︑他の先進諸国高様に﹁高失業社会﹂に直面している︒﹃労留置(九五年︑労働省編)は・九四年の雇用情勢
について︑過去の景気回復局面と比べ改善のテンポが緩やかであり︑製造業と卸売︑小売業の雇用需要が回復してい
商 経 論 叢 第31巻 第2号86
ない︒このしわよせが女子学生の雇用難と関連している︒
ところで・世界経済は・﹁インフレなき持続成長﹂と雇用吸収力Lを図ることが困難である経済環境の体質を克服
しなければならない・世界経済の体質を究明するためにわたくしは︑次の四点にわたってマクロ的に論じてみたいと
考える︒
笙は・現代世界経済の不均等発展は︑先進国の成長率の不均等発展のみな・りず嚢産業の不均等発展が表面化し︑
とりわけ貿易摩擦に典型的に見られること︑とくに九五年世界経済にと.て注目された日米n動車摩擦の性格を通じ
て検討したい・日米自動車摩擦は︑東アジア市場︑中国市場をめぐる競争関係として受け止める}しともできる︒誉り
に世界市場をめぐる日来・欧自動卓イカあネットマクとA,後の基本課題とは何かを考えてみたい︒
第二は・激動する世界経済における国際通貨危機とは何かを究明する︒兀九五年はじめに起.たメキシ.通貨危
機とは何であったのか︒そのインパクトは何か︒九五年四月に襲・た下ル七〇円ムロの超円高ドル安の構造とは何で
あったのかを吟味し・さらに東アジア諸国における基軸通貨ドル離れはどのよ・つに進んだのか︑芳国際通貨危機へ
の対応として欧州通貨危撃吟味し︑EUの通貨統合は︑どこまで進行しているのか︑さりに基軸通貨ドルに代わる
通貨をどのように考えたらよいかの提案をしたい︒
第三に・九五年四月から六月にかけて日本の株価が暴落した︒この株価暴落と二九年天恐慌L︑そして八七年の米
国の株価大暴落の共通点と相違点を明・りかにする︒95年株価暴落の性格を検討し︑95.G7の﹁経嬉.一.一[﹂がいかに
空しいものになったかを示す・さいごに︑景気循環における鼻景気の意博憶を吟味する︒
第四に・世界経済不均等発展の中での95サミット経蓉三淫・を検討したい︒そのために第面の七五年かり九四年の
サミットは何を論議してきたのか︑経済問題に限定してその特徴を探ることにし︑そして95サ︑︑︑ットの﹁世界経済﹂
への認識を問うことにする︒さらに地球環境保全・貧困の撲滅と世界経済政策との関連を明らかにしたい︒
以上︑本論文は︑二一世紀を眼前にした混迷する世界経済の主要な問題群を摘出し︑世界経済の体質を究明するた
めグロ!バルなアプローチ方法によっている︒第一から第四の問題群は深部で相互に関連していることがわかる︒い
ま世界経済研究の分析にとって重要なことは︑世界経済の動態を総括的に把握し︑今後の展望を示すことではないで
あろうか︒混迷する世界経済の問題群を明らかにすることによってそのひとつひとつの解決策を見出すことができる
のではないかと考えるものである︒
なお本論文は︑拙著﹃世界経済の再建﹂(一九八九年)︑﹃転機にたつ世界経済﹂(一九九一'.年)をふまえたその後の世界
経済の動態をグローバルに把握したひとつの試論にすぎない︒
注(1)↓9哨貯口︒暮帥巴ゴ日Φ90︒ω98ヨげ興一㊤㊤9
二 現 代 世 界 経 済 に お け る 生 産 力 の 不 均 等 発 展 と 貿 易 摩 擦 ・ 市 場 争 奪 戦
混 迷 す る世界経 済 の課 題
$7
6現代世界経済の不均等発展の論理
H世界経済は不均等に発展している︒不均等とは︑基本的には各国の生産力の不均等発展のことである︒それは
歴史的性格と構造的性格をともなって発展している︒歴史的性格とは︑戦後の先進資本主義諸国間の生臨加︑とくに
成長率に限定した発展をみても明らかである︒一九六〇年代︑七〇年代︑八〇年代︑九〇年代前半におけるアメリカ︑
イギリス︑フランス︑ドイツ︑日本の成長率の比較をみても︑不均等発展をとげていることはいうまでもない︒レス
商 経 論 叢 第31巻 第2号 88
ター・サローが﹃大接戦﹄で日米欧の資本の競争を巧みに描写したのは︑先進国間を中心にした主要産業の不均等発
展を具体的に示したものである︒日米の経済摩擦︑日欧の経済摩擦は︑その逆の表現でもある︒
世界経済の不均等発展は︑従来の先進諸国が特定分野の産業を主体にした生産力の競争から︑二一世紀はすべての
分野で︑成長力競争を展開する不均等発展に変化するであろう︒なお︑ちなみに︑世界におけるGDPの割合をみる
と︑一九一三年欧州全体で三五%︑英国一〇%︑米国三〇%︑日本三%︑一九五〇年にはそれぞれ三二%︑八%︑四
(2)O%︑日本四%︑一九八七年欧州全体二六%︑英国四%︑米国.一八%︑日本一〇%と変化している︒
サローは︑かつて日米欧の大企業上位ランクの交替を通じて不均等発展を証明している︒かつて圧倒的に強かった
産業においてさえ︑アメリカはどんどん隅のほうへ追い詰められている︒一九七〇年には︑世界の大企業上位一〇〇
社のうち六四社はアメリカ企業で︑︑一六社がヨーロッパ企業だった︒日本企業は︑わずか八社しか入っていなかった︒
ところが一九八八年になってみると︑上位一〇〇社のうちアメリカ企業は四.一社に減ってしまい︑ヨーロッパ企業が
三三社︑日本企業が一五社となっている︒薬品化学では︑世界のトップ三社はいずれもがドイツの会社である︒三社
とも︑アメリカ最大の薬品化学メーカーであるデュポン社の一・五倍以上の規模である︒製造業以外でも同じ傾向が
みられる︒一九七〇年には︑世界の銀行上位五〇行のうち一九行が北米の銀行だけだった︒ヨーロッパの銀行は一六
行︑日本の銀行は一一行だった︒ところが一九八八年になってみると︑北米の銀行は上位五〇行のうちわずか五行し
かなく︑ヨーロッパの銀行が一七行︑日本の銀行が二四行入っていた︒一九九〇年には︑アメリカの銀行はついに上
(3)位二〇行のなかから姿を消してしまった︒サービス・セクターでは︑上位一〇社のうち九社までが日本企業である︒
従来の世界経済の不均等発展の主要な軸は︑それぞれの得意の分野で︑それぞれの産業のメリットをだして競争し︑
市場拡大を企図していた︒ところが二一世紀は︑先進国がすべての分野で︑競争を表面化する可能性がある︒もちろ
ん︑新しい問題は︑先進国が︑中進国︑途上国の市場をいかに獲得するかにある︒とくに欧州連合は︑拡大EU市場︑
東欧市場︑東アジア市場へ︑米国は︑世界市場とくに東欧︑ロシア︑中東︑東アジア市場への志向を強化している︒
日本は︑米国︑欧州︑アジア︑巾近東︑とくに東アジア市場に傾斜しつつ︑直接投資を進めている︒
世界経済の特徴のひとつは︑先進国の巨大資本が主軸となって国境をこえて︑グローバルに市場を獲得しつつ︑相
互に生産力競争を展開している点にある︒先進国間の貿易戦争といっても︑その背景には多国籍企業による合併︑買
収を通じた企業間の競争にあることはいうまでもない︒各国政府は︑資本または企業の国際化が進あば進む程︑相手
国とのさまざまな問題を発生させる︒日米自動車摩擦がその典型的事例であろう︒
混迷 す る世界 経 済 の課 題 89
⇔日米不均等発展としての日米自動車摩擦
一九九五年四月から七月にかけての日米自動車摩擦協議は︑世界の注目を集めた︒日米包括経済協議の自動車・同
部品分野の交渉は難航した︒米国側は︑日本製高級車卜三車種に一〇〇%の関税を課す対日制裁候補リストを発表し
た︒六月.一卜八日までに日本企業が数値目標など多くの点で譲らなければ︑制裁を発動するというものだった︒この
時点で米国側が実施しようとしている制裁関税はWTO(世界貿易機構)のルールに違反していることは明らかであっ
た︒ここで自動車問題をめぐる日米両方の主張を要約しておく︒問題は次の三点にあった︒
①ディーラーについて米国側は︑自動車メーカーがディーラーに外国車の取り扱いを働きかけることを臼由にす
る︒将来の外国車ディーラーについての数を約束する︒日本側は︑ディーラーについては︑独占禁止法の順守を徹底
化させる︒通産省とメーカーに苦情受付窓口を設けることで対応する︒外国車の共同展示場を設けて外国車ディー
ラーに対応するというものである︒
90 商 経 論 叢 第31巻 第2号
②補修部品の規制緩和についての問題である︒米国側は分解整備検査を簡素化すべきである︒構造等検査の対象外
となるものの定義を明確化すべきであり︑整備向上に検査のみをゆだねる︒日本側は﹁車検制度の根幹を変えない﹂
との条件付きで規制を緩和するという︒
③米国製部品の購入計画についてである︒米国側は︑米国製部品の自主購入計画の上積みは自動車・同部品交渉の
解決にとって不可欠であるという主張であるのに対して︑日本側は︑目本の自動車メーカーによる米国製部品の購入
上積み要求は︑官民ともに受け入れられないというものである︒
どうしても︑米国側の要求は︑﹁自由貿易﹂の凱場でなく︑本来自ら批判した﹁管理貿易﹂の立場に蹉った要求であ
る︒日本側は︑﹁民間の経営計画に政府は介入しない﹂﹁将来のシェアの約束につながる数値目標は拒否する﹂﹁米国だ
けに特別の配慮はしない﹂という基本原則を強調した︒
米国製自動車部品の自主購入計画の上積みは原則に反するし︑また米国側が外国製部品の購入拡大要求と外車取り
扱いディーラーの数値の目標設定要求を取り下げない限り決着できないという日本側の要求はあたりまえである︒
こうした米国側の背景には︑クリントンの米国自動車部品工業の利益を優先する保護主義の蹴場があった︒コロン
ビア大学教授のジャグディン・バクワティはこういっている︒
﹁対日通商政策に政治的要素があることは明らかである︒クリントン大統領の政治顧問らは︑日本の自動車業界を攻
撃目標とすることに利点があるとみている︒自由貿易に反対する強力な論客であるゲッパート下院議員やボニアード
下院議員はミズーリ州︑デトロイトと自動車産業を抱えた選挙区から選出されている︒
労働組合の組織率は現在民間労働人口の一二%以下だが︑それでも全米自動車労働組合をはじめ︑労組は依然とし
(4)て民主党の有力な支持母体である﹂と︒
ここには︑日米自動車交渉におけるクリントン大統領の政治的利益を誘導する政治の論理があることを証明したも
のである︒同時に超円高ドル安の構造のもとで日本の自動車産業は新しい段階に突入したといってもよい︒
混 迷 す る世 界経 済 の課 題 91
㊨ 根 本 的 解 決 な き 日 米 自 動 車 合 意
(5)日米自動車・同部品交渉は︑.一年間にわたる両国政府の交渉の結果︑九五年六月.一八日︑制合意﹂に達した︒
ここでの問題点は︑米国側は︑米通商法三〇一条(不公正貿易慣行への制裁条項)を切り札に使い﹁数値目標﹂‑ー﹁管
理貿易﹂の立場で日本に圧力をかけたのに対して︑日本側は︑外国製乗用車の日本市場参入を阻止する慣習を無視し︑
参入するための制度上の障壁がないこと︑つまり﹁自由貿易﹂目﹁反数値目標﹂を主張した︒さらに日本は︑九五年
一月発足した世界貿易機構(WTO)に提訴し︑欧州諸国の協力を訴えた︒九五年五月のパリでのOECD閣僚理事会
が︑米国の三〇一条制裁方針に反発したことも︑日本の立場を有利にした︒また米国の国家経済会議(NEC)の中か
ら﹁日本メーカーによる自動車部品の自セ購入計画の拡大を求めず︑補修部品の規制緩和など︑日本政府が関与でき
(6)る分野で合意するのが得策﹂という意見を引き出させたことも日本側に有利に働いたといわれている︒
日本通産省の強気の姿勢は︑数値目標はあくまでも民間企業の論理をまつだけで︑政府は関与しない立場をとって︑
合意を求めた︒
この交渉は︑米国側が﹁実﹂をとり︑日本側が﹁形﹂をとったといわれる︒それは無理ないことなのである︒した
がって︑日米交渉は︑日米自動車企業の競争をより厳しくさせ︑本質的解決をしない﹁妥協﹂の産物であり︑日米自
動車戦争は︑より烈しくなるであろう︒
商 経 論 叢 第31巻 第2号 92
日米自動車摩擦が世界経済において注目を浴びたのは︑七九年の世界の自動車生産高において︑日本の自動車の生
産台数が米国のビッグスリーのそれをこえた時点にあった︒米国側は︑日本車の米国輸入に対した 六八万台という
数量制限を課した︒この時点から米国は管理貿易を強制したのである︒その後︑日本自動車メーカーは︑米国での現
地生産に乗り出すことによって︑現地での雇用を増加し︑ユーザーの二ーズに応えたのである︒両国の自動車メー
カーの市場獲得競争は︑いくつかの紆余曲折を経て今目の問題になったのである︒
ところで︑さきの日米自動車交渉で前にも指摘したように︑米国側は︑米国通商法コ一〇一条による対日制裁を辞さ
ないという威圧的態度を取った︒日米自動車交渉で︑米国側は︑この威圧を前提に︑米国製の自動車と部品を強力に
日本に押しつけた︒この背景をみてみよう︒米国三大自動車メーカー︑中でもGMとフォードが︑部品を白社で生産
する割合が低下したことと関係している︒従来GMは︑八〇年代まで︑部品の七〇%を自社で生産し︑フォードも約
七〇%を内製部品に依存していた︒これに対して日本の自動車メーカーは︑部品の七〇%を下請メーカーに依存して
いた︒つまり内製率三〇%程度だった︒一方ビッグスリーも︑部品の低コストを志向し︑外注化を進め︑九四年には︑
内製率がGMで六〇%︑フォードも四五%程度までに落ちてきた︒米国では︑部晶事業を独立化させ︑コストを引き
下げて︑日本の自動車産業との競争で勝利を収めようとしているのである︒
例えば︑米国のGMは︑デルファイ・オートモーティブ・システムを独蹉させ︑日本のトップ部品メーカi日本電
装の︑一部の大部口⁝企業であるこの部品メーカーは︑日本市場を狙って︑多面的に日本の自動車メーカーの部品を受け
持って︑市場拡大化を企図していることはいうまでもない︒
日米自動車・部品交渉の背景には︑米国の政治と経済の絡み合いの中で︑米国自動車・部品工業の日本での市場拡
大を狙ったものであり︑日本の臼動車メーカーも︑これに組み込まれつつ︑新しい段階の対米自動車競争を展開せざ
るをえなくなっている︒ 混迷 す る世 界 経 済 の 課 題
93
四日本自動車メーカーの苦悩
1ー国内生産体制から海外生産体制へーー
日米自動車.部品交渉の真最中に︑一ドル八〇円台という超円高ドル安の状況は︑一ドル一〇〇円体制を前提に自
動車販売戦略を確立しつつあった日本自動車メーカーにとって大打撃であり︑国内生産と海外生産をどのように組み
合せて戦略を立てるか厳しい課題に直面したのである︒九四年の完成車輸出は︑ピーク時に比較して三四%減の四四
六万台︑九五年は四〇〇万台以下になる可能性もでてきたし︑国内生産一︑○○○万台以下になるであろう︒一九九
五年六月︑日本自動車メーカーは︑{ドル八〇円台という円高ドル安体制のインパクトをうけ︑国内生産を抑制し︑
海外生産への指向性をより強化する戦略を始めている︒恐らく一ドル九〇円台になっても︑この戦略は変わらないで
あろう︒このことは︑国内における自動車メーカーへの雇用減少を導き出す︒トヨタ︑日産︑本田も︑雇用の削減計
画を示している︒それほど︑経営にとっては厳しい事態に直面したのである︒
一九九四年秋︑トヨタは︑先手を打って北米での増強計画を発表した︒それによると︑北米では米国の拠点である
TMM︑カナダのTMMCの第二工場建設︑米国向けハイラックスの米GMとの合弁拠点のNUMMIへの全面移管
により︑九八年には年産能力を九〇万台超に引きヒげるという︒さらに欧州でも︑九五年三月︑英国のTMUKに総
額二億ポンドを投じて︑生産能力を倍増し︑九八年には年.一〇万台体制に移行するという計画である︒一方︑東アジ
アでも︑現在の倍増の六〇万台体制を計画している︒
トヨタだけでなく︑日産も︑米.欧での生産拠点を踏えて︑東アジアに拠点を移行している︒本田技研工業も︑米
商 経 論 叢 第31巻 第2号 94
国のHAM︑ホンダ・オブ・カナダの増産計画を決定し︑北米での生産能力を︑九七年に六一万台から七二万台に引
き上げるほか︑東アジアのタイの新工場増設も決定︑HUMも.一〇〇〇年までに五〇%増の一五万台の生産計画を立
てている︒
九五年五月︑三菱自動車工業は︑スウェーデン・ボルボとの合弁︑ネットカー(オランダ)の生産を開始し︑さらに
台湾︑タイ︑インドネシアに現地生産を強化する計画である︒東洋工業マツダは︑フォードと共同で︑タイで現地生
産を検討しているといわれている︒
とくに日本のn動車メーカーは︑一ドル八〇円体制の戦略を志向し︑東アジア︑中国での生産拠点を志向している︒
この点︑世界の自動車市場争奪戦の問題として取り上げる︒
一九九四年の実績(合弁生産︑OEM供給を含む)を﹃東洋経済﹂(一九九五年五月︑6日号)によって整理すると︑日本
自動車メーカーの海外生産は︑トヨタ一〇五・一万台︑日産一〇五・九万台︑︑二菱自動車工業六〇.七万台︑本田技
研工業七八・七万台︑マツダ︑一四・七万台であり︑これら大手五社だけで三七五.一万台になる︒富上重工業1い
すぜ自動車の米国での合弁生産︑スズキのインド︑ダイハツ工業の中国拠点での生産などまで含めると︑四〇〇万台
を上回る︒しかも一九九八年には米・欧での新規生産台数を加えると︑現在に比べ︑五〇万台をこえ︑途上国を含め
ると海外生産の増加分は一〇〇万台を超える︒九四年までの海外生産台数は国内の四〇%︑九八年には六〇%まで拡
大するであろう︒
(7)ちなみに九四年の国内生産は一︑〇五五万台であり︑ピーク時の九〇年に比べると三〇〇万台近く減少した︒この
ことは︑九一年一月以降の複合不況のインパクトをうけていることはもちろんであるが︑円高ドル安の通貨危機の影
響と重なり合っている︒︑一〇〇〇年には︑輸入車も五〇万台を上回り︑国内においても︑国産車と外国車との激烈な
競争が展開されるであろう︒
一ドル八〇円台の到来は︑現地生産の競争力のあり方も問われてくる︒すでにトヨタ︑日産︑本田技研は米国で年・
生産能力四〇万台をこえているが︑欧州市場では︑大規模なリストラを行い︑価格競争力の面で︑後退している︒東
南アジアでも︑日本からの部品輸入に依存しているため競争力を低下させている︒その分︑米国︑欧州諸国・韓国が・
急速に市場拡大を志向している︒この点は︑世界における自動車販売市場をめぐる新しい段階を示していると思う︒
米国も︑英国︑ドイツ︑フランスも︑自動車メーカーの海外市場争奪戦を活発化させているし︑日本も︑その中で︑
経営体質の再検討を抜本的に迫られている︒
混迷 す る 世界 経 済 の 課 題 95
㈲東アジア市場をめぐる自動車戦争
米国の世界市場戦略は︑一九九〇年代になって日本の市場解放を拠点として東アジア市場獲得にある︒米国の三大
自動車メーカーは︑﹁日本の市場解放﹂を拠点にして韓国︑台湾のそれぞれの市場獲得︑さらにその他の東アジア・中
国市場獲得を志向している︒
東アジア︑中国璽口同成長率の意味は︑外資導入を自国経済発展のバネにして︑大企業の成長︑労働者︑中小企業経
営者の相対的所得増大を意味する︒もちろん︑東アジア︑中国の成長の中味は所得格差は増大しているが︑全体とし
て﹁中所得者﹂の増加をもたらし︑こうした階層の消費需要が急速に伸び︑消費財を獲得する傾向を強めている︒と
くに大衆車への需要は増加している︒したがって一九九〇年代に入って今日まで︑東アジア自動車市場は日本︑欧米
メーカー︑韓国︑マレーシアなど域内の自動車メーカーも相次いで生産や販売を強化し︑熾烈な競争を展開している︒
競争を激化させている背景には︑東南アジアの諸国連合六力国の所得が相対的に上昇し︑さらにこうした諸国の成
商 経 論 叢 第31巻 第2号 96
長を誘引したアジアNIES(新興工業経済群)︑すなわち香港︑台湾︑韓国︑シンガポールの四力国.地域の地域経済
力の上昇︑それに中国とインドを合わせた年間の自動車販売台数は︑九四年実績で約五〇〇万台に達する︒九四年の
日本の自動車販売台数は約六五〇万台であるが︑数年のうちに日本に接近する︒二〇〇〇年のアジア全体の販売台数
の予測は九〇〇万台から一〇〇〇万台に増加すると予測されているから︑日本を除くアジア地域の自動車販売台数
が︑今世紀中に日本の自動車市場を上回ることになる︒
アジアにおける自動車生産をめぐる競争は一段と活発化する︒すでに米国のGMは︑インドネシア︑インドでドイ
ツ自動車メーカーの子会社のオペル製の小型乗用車を現地生産する計画になっているし︑クライスラーもタイ︑イン
ドネシアに参入︑主力のジープ型車﹁チェロキ!﹂を投入して市場開拓に乗り出した︒こうした米国のビッグスリー
の積極的なアジアへの攻勢と同時にドイツのメルセデスベンツをベトナムで現地生産を開始していることはいうまで
もなく︑東アジア勢も日米欧の自動車メーカーとの市場競争を続けている︒とくに韓国の現代自動車がフィリピン︑
大宇自動車がインドに進出を決めたし︑マレーシアのプロトンはフィリピンで生産を開始した︒
九〇年代後半のアジア自動車メーカーの市場争奪戦は︑従来の先進国の多国籍企業である巨大メーカー中心の市場
争奪戦に対して︑そうした多国籍企業と対抗しつつ︑韓国︑インドなどが地域的連携を利用し︑生産台数を増加させ
ている点にある︒各社とも共通のねらいは低生産コストだけでなく︑税制優遇︑立地条件︑治安その他の環境条件を
求めている︒
ところで改めて一九九四年の世界主要国の自動車生産台数をみると︑第一位が米国で一︑二二五万台︑第二位が日
本で一︑〇五五万台︑第三位がドイッの四三六万台︑第四位がフランスで三五六万台︑第五位がカナダで二三︑]万台︑
第六位が韓国で二三一万台︑第七位がスペインで二一四万台︑第八位がイギリスで一六九万台︑第九位がブラジルで
97混 迷 す る世 界 経 済 の 課題
五八万ムロ︑篁○位がイタリアで五三万台︑第=位が中国で三九万台︑笙痘が︒シアで=九万台・第
三位がメキシコで=・万ムロの順である︒それ以下インド四七万台︑アルゼンチン四万台・南アフリカ共和国三
〇万ムロ︑オースト}ブリア=五万ムロとなっている︒こうした順位は︑追いつき追いこせという各国の自動車イカの
熾烈な闘いを背後に秘めている︒
とくに九〇年代になってアジア進出にすでに三〇年の歴史をもつ日本の自動車メゐあ動きも活発になった・東
南アジア主要国では︑呆7フンド房国別シェアでみると︑インドネシア︑タイ・フ4ッピンで約九〇%に達し
ていた︒と▼﹂うが最近では︑欧米のメゐあ進出だけでなく︑日本は︑タイを崖拠点として東南アジア各国で増
産や工場拡張を相次ぎ決定している︒
果の自動車メゐあ東アジア進出の最近の特徴は製品や部品の水平分業方式または補完体制方式を展開してい岬る︒例えばトヨタ自動車がインドネシアで生産したエンジンをマレ←アに︑マレ←アで生産したハンドルをイン
ドネシアに供給するとい・つ方式である︒さ・りにトヨタはタイでディ←ルエンジンを作り・マレ←アでラジエ宇
を︑インドネシアでガソリンエンジンを作るという水雰芳式︑または製品完成のための補完体制方式議立している︒三醤工もタイで板金部口嬰作り︑フィリピンでおンスーッションの集中生産を実現し・日産・本田技研も
水平分業方式または補完体制方式を定着させてい(罷︒
▼しの水平分業または補完体制方式は︑日本の自動車イカふ生産コストの削減・効率性・利藩保や域内の自由
貿易の活性化を禽しただけでなく︑東アジア地域の輸出入の増大︑所得の増袈通じて・経済力姦化するのに役立.ているよ.つである︒地域の良質な労働力︑地理的条件︑工場環境条件︑現地政府の協力など書景に・自動車イ
カー間の競争を激化させている︒}しの▼﹂とは︑現地の国産イカあ生産にも︑好い刺激を与えている・東アジアの
商 経 論 叢i第31巻 第2号98
地域経済圏の新しい基礎は︑こうした日本の自動審本を柱に欧米の自動車メーカー︑さりに地元の国産メゐあ
新しい市場獲得競争を作り出している︒
肉中国市場をめぐる各国自動車メーカーの競争
死七八年中国は・肇・開放政策を導入し︑臨海部における積極的外資導入により︑豆的経済成長政策を実行
し・八〇年代後半から・急速な経済成髪遂げ︑世界から注目された︒含臨海部の工業化に基づく都市化が進んだ︒
臨海部における労働者・罠・企業家の所得も相対的に上昇した︒だが︑九〇年代に入.て臨海地域における都市部
の高成長は・景気過熱をもたらし︑物価上昇が大きな課題になった︒と同時に都市地域内部における所得格差の拡大
のみならず︑都市部と農村における所得格差をより拡大させた︒
こうした事態に対して・政府は・物価抑制政策や生活のための社会資本投資を積極的に展開した︒とくに注目すべ
き点は・都市も農村も経済成長をともに止ハ有するための全方位経済政策姦択愚.こうした中で︑都市部では︑相
対的に労働者・企萎・罠の所得高上し︑先進国の消費財霧が急速に増大した︒従来︑一般市民にクルマ所有
を禁止してきたが・この方式も解除した︒わたくし自身は︑環境問題を前提にする限り︑市民の自動車保有は歪し
てきたことを評価してきた・だが一般市民に対して︑先進国や東アジアの喪生活の情報を知るかぎり︑企業や生活
の利便性を考慮せざるをえなくなった︒
こうした背景の中で・中国は・自動車工業第九次五力年計画(初年度九六年)で八社かりなる三大三小二微L(ゴ天
H第一汽峯甲︹吉林省︺・上海vw︹上幣︺︑東風汽車︹湖北省︺︑三小北京ジLフ︹北京︺︑広州プジ.∴広東省︺︑天津
微型汽車廠︹天津市︺・二微良安鈴木汽車︹四川省︺︑貴州航空︹貴州省︺)政策を改訂し︑四グルLフへの集約が検討されて
混 迷 す る世 界経 済 の課 題 99
いる︒中国が自動車イやにかなりの政策の重心をおいていることがわかる︒だが中国の自動車産業をみると・提
携先外資メーカーは︑独︑仏︑米︑日本のダイハッ︑スズキ︑富七重工業である︒
例えば︑九四年の﹁中国自動車ニュース﹂の統計によると︑第 汽車集団は︑独フォルクスワ!ゲン(合弁・一九九
犀撃︑生産開始九輩︑車種アウディ︑ジェッタ︑生産台数アウディ.︑万台︑ジェッタ八・・.充台×上海vwは独フォルク
スワーゲン(設立↓九八四年︑生産開始八五年︑車種サンタナ︑九四年生産台数一一万五︑・・一二六台)︑東風汽車は・仏シトロエ
ン(合弁︑設立九〇年︑生産開始九四年︑車種シトロエン︑八︑〇一〇台)︑北京ジープは︑米クライスラー(合弁・設立八﹃
年︑生産開始八四年︑轟チ︑・†︑生産ムロ数丙︑七〇︑..台)︑広州プジーは︑仏プジョー(合弁・設立八五年・謹開始
八八年︑憲プジ.‑︑生些口数五︑..〇五ムロ)︑と提携している︒こうしてみると中国のこれまでの自動車メーカi対策
は︑主として欧米自動車メーカーとの結びつきが強い︒
ところが一九八四年天津微型汽車は︑日本のダイハッと技術提携を結び︑八六年に生産を開始し・車種﹁シャレー
ド﹂を五八︑五〇〇台を生産しているし︑長安鈴木汽車は︑九三年日本のスズキと合弁方式で設立し・九五年・車種
ヲルトLを崖し︑一七︑一七五ムロ数になる︒貴州航空は︑呆の富毒工業と技術提携し・九二年に車種﹁スバル﹂
を四六一台生産している︒
▼﹂.つした中国の自動車メゐあ動きは︑欧米日ので空と合弁ないし技術提携を通じて︑中国の自動車市場が・
東アジアにおいて最大の市場を目指している︒こんご日本のトヨタ︑日産も︑4・国市場に︑どのように・現地のイカーと対等平等の甑場で︑現地生産を展開するかどうかが注目されている︒
商 経 論 叢 第31巻 第2号100
㈲世界自動車市場を担う日・米・欧自動車メああ提携ネットマクと今後の課題
以上・世界経済の難問のひとつはこうである︒従来の先進国の多国籍企業は︑地域経済に依存し︑地域市場をめぐ.
て経議略をもたない限り・生きのびられない点にある︒とくに世界経済における各国の生産力の不均等発展は︑実
は・大企業を中心とする不均等発展であると同時に︑企業の海外生産競争の不均等発展でもある︒現地生産の多国籍
企業も現地の法規制・市民→ズ︑感情︑環境を尊重していかない限り︑成功を収めるサしとはできない︒従来の先進
国の大企業の支配・従属関係の論理のみでは説明できないのである︒むしろ先進国の多国籍企業が世界市場をめぐ.
て相互に万で競争関係を通じて市場獲得の誘引作用を作りなかり︑他方で︑それぞれのインタレストを踏えつつ資
本関係・技術・販売提携などを通じて協力L関係を維持しつつ競争する︒とくに日.米.欧のn蟄メーカあ主
な提携関係をみると︑それは明らかである︒
例えば・トヨタ自動車はドイツのフォルクスマゲンと合弁︑共同萎牽産を行い︑さりに販売男をしている︒
同じトヨタ島車は・米国イ々GMとの合弁拠点のNUMYへ五〇%の資金を提供し︑GMも五●%の資金を
提供し・九八年に九八万台の崖を展開する合弁拠点を貝体化している︒トヨタ自動車は︑ダイハツエ業に資金璽
五%を提供し・ダイハツは︑イターアの自動車{空であるピアジェとA口弁︑共同.委託生産を行っている︒GM
は・日本イカ支ズキといす高動車にそれぞれ資金の三左%︑三し.五%提供すると同時に︑スズキといすゴ
は完成車や部品・技術を供給している︒フランスのプジ・なスズキと販売男関係を結んでいる︒いすゴ自動車は
欧州GMに完肇や部品技術を供給し︑同時午BCギクル(英)とSλ(詣)に資金の四〇%︑四九%を提供
し・米国GMは‑BCギクルに資金の六〇%を提供している︒本田技研工業は米国ホンダにδO%資金をも.て
自動車生産拠点をもつだけでなく︑英国の甲→グルLフに完成車や部口⁝︑技術を供与し︑ロ夫ーグルー.フは︑
混 迷 す る 世界 経 済 の 課題 101
本田に販売協力をしている︒米国メーカークライスラーも本田に販売協力をしている︒三菱自動車工業は︑ドイッの
メルセデスベンツに完成車や部口㎜︑技術の提供を行い︑一方米国メーカーDSMに九二・五%の資金提供をし・さら
に米国メーカーのクライスラーに完成車や部品︑技術供与を行っている︒クライスラーはDSMと相互に完成車・部
口㎝技術提携をしている︒さ.bに三菱皇は欧州{カ☆ed空にスウ託デンのボルボとともに・それぞれ資金
の三三.三%を供与している︒ボルボは日本の富畜工業に販売協力をし︑同時に米国メーカーS‑Aに資金の皇
%を供与している︒富L重工業はイタリアのフィアットに完成車や部品︑技術を供与している︒日本第二位の自動車
メーカーである日産自動車は︑米国メーカーフォードモーターと合弁︑共同・委託生産を行うと同時に欧州フォ1ド
に完成車や部口㎜︑技術供与をしているし︑フォード雫字は日本メゐ迭あるマツダとそれぞれ五〇%つつの資
本を投下して︑米国での合弁海外現地生産会社AAFを設立し︑マツダに対し︑資金の∴四・五%を投下している・
またマツダは︑フォードモーターに対して完成車︑部品︑技術を提供している(九四年︑日本自動車L業会編・﹃自動車ハッ
トブック﹄参照)o
日.米.欧の自動車イカあ資本︑完成車︑部・⁝︑技術︑販売協力︑合弁︑共同委託生産などの相互の提携関係
のネットワ︼クをみると︑世界の自動車イ空が︑世界市場をめぐって︑きわめて複雑な結びつきをもちながら・
芳で激しい競争と︑他方で︑それぞれの大メゐ些主軸に︑ネット・7クを構築し︑その中での生産・流通・
販売の協力関係を維持し︑日.米.欧の主力自動車メーカーが︑米国︑欧州︑日本︑アジア︑中南米︑中国などの世
界市場を対象に新しい競争関係に入っていることを示している︒
こうした複雑な資本系列のネットワークを形成しつつ︑注目したい点は︑九五年二月に東アジアのタイで︑トヨタ︑
日産︑いすゴの三社が︑ピックアップLフック用エンジン部品について︑トヨタがシリンダ少︒ック・日産がシリ
商 経 論 叢 第31巻 第2号 102
ンダーヘッド・いすゴがコン・ッドクランクシセフトを集中生産することで合意し︑七月か︑b部口即の相互供給を開始
した点である︒この点は︑現地でのトラック生産において︑生産コストを節約し︑他の東アジア進出メーカーに対し
ても︑現地の国産メーカーに対しても︑新しい集中生産方式として注目されている︒
各国の自動車メーカーがシェア争奪戦を展開するにあたって︑何よりも重要なことは︑それぞれの国におけるユー
ザーの二ーズだけでなく︑n動車公害に対する社会的責任と︑現地市場における市民感情を敏感にうけとめ︑現地の
社会環境にどのように協力するかの経営視点を厳しくもつべきであろう︒そつでないかぎり︑自動車イカーが作り
だす﹁自動車文明﹂も︑いずれ限界に直面せざるをえない︒
ところで・世界経済を支え︑同時に世界貿易を支える自動車メーカあ世界市場戦略の課題をとりあげたが︑世界
経済は︑私たち市民の現実の生活といかに密接にかかわっているかが理解できたのではないかと思う︒
円高ドル安でインパクトをうける輸出産業は︑今後経済体質をどのように改革するかが問われる︒とくに雇用問題
は・深刻である・とくに九一年万から九五年九月の今日までの複合不況は︑金融︑不動産︑製造業︑流通サービス
などの分野に厳しい経営体質︑産業構造の変革を迫るものであった︒とくに大卒の新規労働力をト分に吸収できず︑
雇用委をもたらした︒さらに冗九五年三月の国際通貨危機︑とりわけ一ドル八〇円の超里︑同ドル安の構造は︑日
本の輸出産業・とくに自動車電機などの機械産業︑それに関連する産業に対して二重の危機をもた︑りした︒
とくに・日本の不況は・世界経済にも波及し︑輸入も減少し︑貿易不振のみならず︑金融業︑とくにバブルで膨張
した銀行業・ノンバンクの不良債権問題をどのように解決するかを問われ︑同時に国際的も資金供給をどのように解
決するかも問われている︒
この点の分析は他の機会にゆずって︑次に︑超円高ドル安の構造をもたらした通貨危機の問題を︑世界経済の視点
から取上げてみることにしたい︒ 混 迷 す る世 界 経 済 の課 題
103
㈹﹁拡大基調﹂下の世界経済の諸問題
㈲﹁拡人基調﹂下の米国と欧州の課題
世界経済は︑九一年一月以降の日本経済の複合不況がいつ終り︑どのように景気回復の軌道にのるかを期待してい
るといってよいであろう︒日本は︑︑紬九年︑八七年の米国の景気後退から脱出する方策を学び︑九一年から五年にか
けての長期不況を自らの力で脱出する政策を選択すべきなのである︒すでに政策を選択しつつある︒
こうした日本の問題とかかわりをもちながらも︑世界経済は︑EU︑日本を除いて︑米国︑東アジア︑中南米が拡
大基調を進めているのである︒ちなみに︑IMFの≦〇二鳥国88∋80¢二〇〇屏一㊤翫によって︑九〇年︑九三年︑九四
(11)年の実質成長率を見ると︑世界経済のそれは︑二・.一%︑二・三%︑三・六%(予測値)であり︑そのうち先進国の平
均は二.四%︑一.七%︑二.七%である︒アメリカは︑二・四%︑三・一%︑二・六%であり︑EUは︑三.○%・
マイナス○.三%︑二.九%︑日本は四・八%︑○・一%︑一・五%となっている︒先進国の中で︑日本の低下ぶり
は明らかである︒一方︑各同年次についてアジアをみると︑五・八%︑八・五%︑七・三%と高成長ぶりがわかる︒
先進各国といっても米国︑ECの景気回復は半ば歩調を揃えているが︑日本の予測は︑楽観的見通しであり︑九五
年は︑厳しいといわなければならない︒
先進国は︑日本を除いて地道な成長を続けているのに対して︑東アジア(アジアNIEs︑ASEAN・中国)などは・
先進国の資本の投下を利用した自立的発展の道をえらび︑地域経済効果をバネに高成長している︒
世界貿易の傾向をみても︑EU︑日本などの景気後退のインパクトで︑九︑一年には︑その成長率は四・七%︑九三
商 経 論 叢 第31巻 第2号 104
年は︑四・○%に低下した︒
世界経済の統計でみる限り︑先進国の実質GDPの成長率は︑九三年後半期以降二%台であり︑EUの実質GDP
成長率は︑九二年後半からマイナス成長に転じた︒九三年には︑一・三%減となった︒この理由は︑内需拡大が順調
にのびなかったからである︒それは︑成長率の低下が︑所得水準の低下︑財政収入の伸び率の鈍化︑公共投資の低い
伸び率と連関し︑内需拡大に連動しなかったからである︒だがEU全体として︑九三年後半から着実に成長率を上昇
させているが九五年九月から再び鈍化傾向にある︒
一方︑先進国は︑財政政策について見ると︑米国︑EU︑日本を通じて︑社会福祉水準の向上をあざしているため︑
その負担圧力が財政を厳しいものにしている︒だがこれ以上に問題なのは︑アメリカ︑EUは防衛費が︑財政を圧迫
している︒一九九三年の米国の一般政府(中央政府︑地方政府・社会保障基金)の財政赤字は︑GDP比マイナス四.二
%であり︑ちなみに八九年と比較して三%も悪化した︒先進国は︑成長政策を選択しつつも︑防衛費︑社会保障費が︑
財政力を圧迫している︒この点︑欧米の共通課題である︒このことは︑かつて英国が社会保障費を防衛費に対して優
先させる政策を採用したことを学ぶべきであろう︒日本を除いて︑先進国の景気回復の状況を見ると︑その中味は︑
きわめて大きな課題をはらんでいる︒地球環境の保全のために︑すべての先進国は︑オランダが実施しているような
環境税を賦課すべきであろう︒世界経済の景気回復をする中で︑先進国は︑日本を含めて︑新規労動力を優先的に採
用するための法的措置を構ずべきだろう︒
㈲世界経済の活性化を支える東南アジア経済
ところで︑現在の世界経済を活性化させているのは︑先進国ではなく︑東アジアを中心とした新興経済圏である︒
世界経済の平均成長率を支えているのは︑米国︑EU︑日本ではなく︑東アジア諸国なのである︒
混 迷 す る世 界経 済 の課 題
105
従来低成長下にあった途上国全体の実質GDP成長率を見ると︑九〇年を基準にして伸び率を高あ︑九三年には
六.一%という高成長率である︒これを支えているのが東アジアの成長率である︒NIEs(アジア新興工業経済群︒
Z Φ ≦ 三 き ・︒ 停 ﹃ 一離 賦 N 帥 訂 ︒・ 国 ︒ ︒ コ ︒ a Φ ω ) 東 南 ア ジ ア 諸 国 連 合 ( ︾ Qり 国 ︾ Z 闇 ﹀ ω ω o o 冨 謡 O 嵩 o h の o 嬬 一 7 Φ 鋤 象 ︾ oo 冨 箒 Z 国 二 〇 師 ω ) の 経 済 は ︑ 着
実な国内需要とアジア相互の地域内輸出入の伸びで発展を持続している︒これら東アジア︑中国の経済発展の最近の
特徴は︑外国資本の導入︑経済援助による外需主導型から︑都市を中心に勤労者︑中小企業者などの相対的所得増に
基づく消費拡人︑企業家の投資拡大など︑内需主導型に成長のパターンを変化ささせつつある︒だが総体的にみると・
外需と内需の両方に立脚した新しい成長構造に変化し︑﹁自主的﹂発展と地域経済循環の形態と内容をもって発展して
いる︒一方アジアNIEs︑ASEANは︑輸出に依存し︑高成長の要因になっている︒とくに﹁アジア域内での分
業関係の進展︑相互依存関係の深化を背景としたアジア域内輸出の大幅な伸びが︑先進国向け輸出の伸び悩みを補う
形で輸出を増加させ︑経済拡大に寄与して馳﹂・
いま激動する世界経済の中で︑東アジアの経済成長が注目されている︒一般に東アジア経済とは︑前にふれたよう
に主にアジア新興工業経済群(NIEs)四力国・地域(韓国︑台湾︑呑港︑シンガポール)︑東南アジア諸国連合三力国
(インドネシア︑タイ︑マレ!シア)それに中国といった六〇ー七〇年代以降今日まで︑若干の紆余曲折をともなったが︑
長期にわたって高成長を持続している国・地域のことを指してい(麗︒
先進国の成長率が鈍化するなかで︑東アジア経済は急成長を続けている︒先進国間の生産力の不均等発展が︑九〇
年代から日.米.欧の不均等発展を基軸にしつつ︑東アジア経済の不均等発展ー1特にNIEsとASEAN︑11凋
の生産力発展の不均等性が目疏っている︒
成長率に限定してみても︑一九ヒ○年代のアジアNIEsの成長率は平均九%︑ASEAN3(インドネシア︑タイ︑
商 経 論 叢 第31巻 第2号 cos
マレイシアに限った平均)八%︑中国六%︑八〇年代は︑それぞれが八%︑五%︑一〇%と変化し︑九〇年代は︑アジア
ね NIEsは︑七・五%に低下し︑ASEANは︑八%に上昇し︑中国は一三%と上昇している︒
こうした成長率の不均等性は︑それぞれの国の輸出︑生産性︑投資率︑所得などの伸び率によって規定されるといっ
てもよいであろう︒こうした要因の一部について検討する︒
東アジアの持続的成長を支えたひとつの要因は前述したように輸出であり︑アジアN‑Esは︑七〇年代以降急速
に外資導入と国内の良質な労働力︑技術を結びつけて︑製口⁝輸出を拡大した︒ASEAN諸国の輸出も︑七〇年代︑
同様な生産方式で拡大したあと︑八〇年代後半から輸出志向型の直接投資に支えられて輸出を拡人した︒
さらに前節を補足して整理して述べてみよう︒東アジアの高成長経済は︑外資中心の高い投資力によって資本蓄積
を行い︑それを内部の資本蓄積と結合させ︑高い生産性の伸びを遂げることが可能であった︒資本蓄積の基本動向は︑
相対的な低賃金労働力にあったことはいうまでもない︒もちろん先進国の投資と技術に現地の安い労働力を結合する
ことによって︑投資率と生産性を高あることによって︑それが輸出の拡大と国内の都市﹁中間層﹂の所得水準の相対
的上昇によって国内消費需要と連動することによって高成長を実現したのである︒
アジアNIEs︑ASEAN3力国︑中国における高成長の主要な動因は︑地域経済における不均等発展を伴った︒
不均等発展は︑各国間の唄追いつき﹂﹁追いこせ﹂の論理となって表われる︒それは世界経済においては日.米.欧と
いう生産力の発展と︑時代的流れの中で︑不均等性と不均衡性をたえず伴いながら発展する︒東アジアの経済圏は︑
米国︑EU︑日本の生産力に﹁追いつき﹂﹁追いこせ﹂の生産力の不均等発展をもたらす︒それは東アジア経済の﹁雁
行型﹂経済発展とよんでもよい︒貿易構造の変化を︑機械・電機︑自動車などの資本集約型産業と繊維︑雑貨などの
労働集約型産業の輸出形態をみると︑東アジア高成長経済においては︑低賃金構造で成り立っている労働集約型産業
混 迷 す る世 界 経 済 の課 題 XO7
を基礎に後発型途上国が︑資本集約型産業に傾斜しつつある先発型途上国ヘキャッチアップを進める一方で・先発途
上国は︑その刺激を受けて産業構造を変化させていくという︑いわゆる﹁雁行型経済発展﹂が進んでいる︒このこと
はわたくしのいう地域経済の不均等発展のひとつの形態である︒
と▼﹂ろで︑東アジア経済の高成長は︑百由市場経済Lの基本的動因によって可能であったのではなく・東アジア途
歯特有の形態︑すなわち先進国のさまざまな資本と権力の介入と伝統的︑保護義的地域経済の擁護という矛盾し
た経済政策の選択と市場経済との結合によ・て可能だったのではなかろうか︒欧米︑日本などの資本は・東アジァ経
済を︑輸出市場として︑効率性のある直接投資先として︑有利な証券投資の運用市場としてそれぞれ連動性をもたせ
ながら位置づけてきた︒その基本は低賃金労働力の利用にあることは客観的事実である︒そうでない限り︑外国資本
としての自己増殖をはかることはできない︒
こうしたことを前提として東アジア経済の高成長を作り出した外的条件すなわち︑それぞれの政府の﹁市場重視型
の経済政策の選択﹂を考えざるをえない︒ここに経済と政治の強力な結合関係が発生する︒この点は省略する︒
﹃平成六年版世界経済白書﹄は︑この点を巧みに表現している︒﹁一九七〇年代から八〇年代にかけて・世界的な経
済自由化の流れが定着するなかで︑途上国の経済政策も︑それまでの政府介人による保護主義的な経済政策から︑市
場メカニズムを重視した経済政策へと人きく転換した︒
七〇年代頃まで︑ほとんどの途ヒ国では︑輸入代替によって﹂業化を進めたため︑輸入制限︑高関税︑外資規制へ直
接投資や証券投資等に関する規制)といった保華義的な政策がとられてきた︒また︑しばしば政府が積極的に対外借入
れを行い︑国営企業を設立し︑保護.育成することによって⊥業化を図る政策がとられてきた︒﹂だが政府の介入政策
は︑産業の発展を妨げ︑輸出不振をもなりした︒ところが﹁八〇年代に入って高金利と一次産品下落が生じると・利
商 経 論 叢 第31巻 第2号108
払いの増大と対外不均衡の拡大から霧危機に陥る国が相次いだ︒そのたあ︑債務危機の原因とな.た保護義的な
経済政策を改め・経済活動に対する規制を撤廃し︑市場メカニズムを有効に機能させる必要があるとの認識が高ま.(廼Lという・つまり政府の保護義かり市場経済の畠義に政策変更しな︑とによ.て高成長の条件づくりが可能
であったというのである︒
構造調整政策の手段として﹁マク・経済藩の規律を讐するための税制改革︑補助金の削減︑公共部門の縮小な
どとともに︑市場メカニズムの活用を図るための金利自由化︑貿易n巾化︑外資規制の緩和︑民営化︑価格自由化な
ど蓮の経済自由化政策が実施さ蝿﹂だか亘口同成長の条件を作.たというのである︒資本の論理かりの説明では︑
その通りである・だが同時にかつて日本の高度成長の実現の結果︑さまざまな矛盾︑すなわち物価高︑公虫口︑環境破
壊・伝統的経済の崩壊・福祉軽視︑人権軽視︑生活のための社会資本の不足などなどの矛盾を経験した︒ソし.つした矛
盾を今後どのように︑東アジア諸国は解決していくのか問われるであろう︒
東アジア経済の高成長が︑低賃金構造と技術と安い土地条件を利用した栞の外的動因を内的成長動因に組み入
れ・同時に・政府の鷹造的調整L政策を連動することによって可能であ.たが︑Aフ後︑すでに起りつつある公害.
環境破壊・極端な所得格差︑都市と農村格差︑蔀都市のスラム化︑産業間の極度の不均等性︑都市間の不均等発展︑
とくに大都市の自動車公害などを今後どのように解決していくのかの難問に直面している︒
わが経企庁の﹃鼻経済自書﹄は︑こうした難問を︑高成長の中で︑どう解決するかを明示すべきであった︒﹁市場
重視型経済﹂が・霞にとって何をもたらすかを︑慎重に吟味すべきである︒﹁市嶺視型﹂経済かり天間挫喪重
視型L経済へのシステム転換を図ることを提案すべきである︒つまり天間重視L環境重視Lの市場経済システム作
りを提案したい︒このことなくして︑東アジア経済の高成長を論すべきではないのではなかろうか︒