• 検索結果がありません。

西 ア ジ ア の 農 業 制 度 と割 替 え慣 行 ム シ ャ ー に つ い て

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "西 ア ジ ア の 農 業 制 度 と割 替 え慣 行 ム シ ャ ー に つ い て"

Copied!
39
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

79

〈論 説〉

西 ア ジ ア の 農 業 制 度 と割 替 え慣 行

ム シ ャ ー に つ い て

後 藤 晃

目 次

は じめ に

一、 東 ア ラ ブ に お け る ム シ ャ ー と そ の 歴 史 的 変 容 (一)ム シ ャ ー の 概 念

(二)共 同 体 所 有 の ム シ ャ ー (三)持 分 所 有 の ム シ ャ ー

四却却↓つ∋(((︑(((

ム シ ャ ー 村 に お け る農 耕 方 式 ム シ ャ ー の 歴 史 的 契 機

上 地 政 策 と ム シ ャ ー

イ ラ ン に お け る地 主 制 の 展 開 と ム シ ャ ー マ ル ヴ ダ シ ト地 方 の 農 業 制 度 と ム シ ャ ー 村 落 共 同 体

地 主 経 営 に お け る ム シ ャ ー お わ り に

は じめ に

19世 紀 半ば か ら20世 紀 半 ば にか けた ほ ぼ一 世紀 は,西 ア ジア に と って 「西 欧 の衝 撃 」 が地 域社 会 を大 き く変 え た時代 で あ った。 産業 資本 を確 立 した西 欧 に よ る 「開 国」 の圧 力 は西 ア ジアに 自由貿 易 を強制 し,国 際分 業体 制 の下 で農 業 部 門 を世 界 市 場 に組 み込 み,旧 帝 国 の経 済 シ ステ ムの もっ 機 能 を喪 失 させ た。 旧 シ ステ ムで は,農 業 余 剰 は中央 に集積 され官僚 機 構 を再 生産 す る帝 国 の 経 済 的基 礎 を な して いた た め に,租 税 は物納 を原 則 と して農産 物 価格 は管理 さ れ,農 産 物 流 通 を あ ぐる商業 活 動 は政 策 的 に厳 し く抑制 されて いた。 この ため

(2)

80商 経 論 叢 第30巻 第4号 (305)

農 業 社 会 は,余 剰 の収 奪 部分 と して中 央 の商 品 経済 か ら切 り離 され,官 僚 的 支 配 と封建 的 かつ部 族 的諸 制度 の もとで 基本 的 に は ア ウ タル キー の閉鎖 状 態 に押 しILめ られ て いた。 この農 業 社 会 に 「開 国 」が及 ぼ した影 響 は きわ め て大 き く, 不 平 等 条約 は経済 活 動 に対 す る諸 規 制 の廃 止を,貿 易 の発 展 は農産 物 の市 場 の 形 成 を意 味 したか ら,村 は商 品生 産 の場 に組 み替 え られ て農 業経 済 の全 般 的 な 展 開 をみ る こ とにな った。

外 的 イ ンパ ク トは地 方 に新 た な社 会構 成 を生 み 出す 契機 と もな った。 本稿 で 対 象 とす る東 ア ラブ(シ リア,パ レスチナ,ヨ ルダン,イ ラク)と イ ラ ンで み る と,

「開 国」以前 の農業 社 会 は,中 央 の官 僚機 構 と地 方 の封 建勢 力 の重 層 的 支配 の も とにお か れ て いた が,商 業 的農 業 の発 展 を契機 に して 封建 的 な勢 力 は農産 物 の 商 品 化 に利 益 を求 め る地 主 に姿 を変 え商 人 もまた土 地 を集 積 し,分 益 制 に よ る 地主 ・小 作 関係 が主 要 な生 産 関 係 と して現 わ れ は じめ た。 また,封 建勢 力 が不 在 の地 方 で は小 農 的村 落 が成 立 して いた が,こ こで も商人 に よ る金 融 的 支配 が 強 め られ た こ とで土 地 集 積 が進 み 地 主 制 が登 場 した。 これ を地 域 ご とに み る と,多 様 な変容 過 程 を た ど りなが ら も,イ ラ ンや イ ラクで は部 族 長 や 旧領 主 層 の地 主 化 や都市 上 層 に よ る土 地 取得 に よ って村 を ま る ご と所 有 す る新 興地 主 が 農村 地 帯 を被 い,ア ナ トリアで は商人 の金 融 的支配 が 強 ま るな か で農民 層 の全 般 的 窮乏 化 が進 行 し,ま た シ リアや パ レス チナ で は この双 方 の現 象 が み られ た ので あ る。 こ う した農 業 社 会 の変容 と新 たな社 会層 の登 場 は旧帝 国 の経 済 シス テ ムを崩 す作 用 を な した た あ,旧 帝 国 政府 に と って は近 代化 によ る新 たな シ ス テ ムの編 成 を迫 られ る こ とに な った。 そ して,こ の近 代 化 の政 策 は農業 社 会 の 変 容 を さ らに加 速 させ る とい う相 互 作 用 を果 た した。

そ れで は,世 界 市場 に包摂 され た こと に よ って農 業 社 会 に登 場 した新 た な社 会 構 成 は,社 会経 済 史 の枠組 にお い て ど う理 解 す べ きな のか。 ウ ォー ラステ ィ

ンは世 界 資本 主 義 の周 辺 部 にお いて成立 した の は資 本 主 義 の周 辺 部 的形 態 で あ る と し,農 業 社 会 に生 まれ た地 主 制 は資本 主 義 の農 業 制度 で あ り地主 ・小 作 関 係 は資 本 主 義 的 な労 働 組 織 の一 形 態 に過 ぎな い と述 べ て い る[ウ ォー ラステ ィ

ン,1974,124132ペ ージ]。筆 者 は これ を否 定 す る もので はな い。 しか し,こ の世

(3)

西アジアの農業制度と割替え慣行81(304)

界 シ ステ ム論 で は資本 議 の 中心部 が包 み込 ん だ と ころは固有 の歴 史 を抱 え た 地 域 で はな く没 個 性 的 な単 な る周辺 に過 ぎず,西 ア ジア にお け る社 会 変容 の プ ロセ スを実 証 的 に た ど る と資本 主 義 的 な社会 構 成 とは必 ず し もい えな い過 渡 的 な形態 に出会 うの で あ る.そ して,こ の一 っカa共同体 の問題 で あ る・ 共 同体 と 商 品 とい う対 立 概念 か ら農業 社 会 を眺 め る と,資 本 議 の包摂 が共 同体 を解 体 す るまで に はか な りの時 間 を要 し,こ の過 程 に過 渡 的形 態 の存 在 を想 定 す る こ

とが歴 史認 識 の上 で ど う して も必要 とな る。19世 紀 後 半 か ら20世 紀 半 ば にか けた時代 に,村 落 共 同体 や部族 共 同体 が どの よ うな変 容 の過 程 をた ど ったか, 地 主 制 の発 展 が村 を どの よ うに包 み込 み これ を編 成 して い ったのか。 本 稿 で は

村 落 に視 点 を据 え,共 同体 を特 徴 づ け る定 期 的 な割 替 え慣 行 の もつ機 能 の変 化 を た ど りなが ら検討 を試 み る もので あ る。

一 、 東 ア ラ ブ に お け る ム シ ャ・一と そ の 歴 史 的 変 容

(一)ム シ ャーの概 念

土 地 や動 産 を個 人 が排 他 的 に所有 す るの で はな く複 数 の人間 が 共 同 で ま た は 持分 で共 有 す る所 有 の形 態 を ア ラ ビア語 で 〈ム シ ャーmusha'a>と い う。農 民 数 人 が 資金 を もち寄 り トラ ク ターを購 入 して共 同 で利 用 し余暇 利 用 で賃 耕 業 に

使 用 して利益 を持 分 で配 分 す る.ま た湘 続 に際 し相 雛 を もつ複 数 の者 膿 地 を共有 し,農 業 の従 事者 が非従 事 者 にそ の持分 に相 当す る地 代 を支 払 う。 こ れ らの形 態 もム シ ャー に相 当 す る。 しか し,土 地 制度 にお いて ム シ ャーの用語

が使 わ れ る時 に は共 通 の コ ンセ プ トが必 ず しもあ る とは言 え な い。

イ ラ ン社 会 史 の オ ー ソ リテ ィー で あ る ラム トンは 「非 分 割 の持 分 に よ る共 有 」 とい う定義 を与 え,農 地 改革 まで長 期 に イ ラ ンの農業 社 会 を被 って いた大 土地 所 有 制 に お け る所 有 の一 形 態 に ム シ ャー とい う用語 を 当 て た[Lambton, 1969,p.101]。 大 土 地所 有 制下 の イ ラ ンで は,土 地 が複 数 の相続 人 に よ って相 続

され る際 土 地 を分 割 せ ず に持 分 を分 けて相 続 す る こ とが 多 くみ られ た が,こ の場 合,複 数 の相 続 人 が共 有 しそれ ぞ れ が全体 に対 す る持 分 を所 有 しsし か も

この持分 が譲 渡可 能 な私 的 な権利 で あ る よ うな形 態 を・ 排他 的 な私 的所 有 の形

(4)

82商 経 論 叢 第30巻 第4号(30

3) 態 〈マ フル ー ズmafruz>と 区 別 して ム シ ャ ー と した

一 方,ヨ ル ダ ンで 農 村 調 査 を 実 施 した社 会 人 類 学 者 の ア ン トン は

,調 査 村 の 土 地 制 度 史 を 検 討 す る中 で ・土 地 が 「譲 渡 さ れ る こ とな く村 に よ

っ て 所 有 さ れ, 住 民 の 間 で 毎 年 ま た は 隔 年 で 再 配 分 さ れ る囎 を もっ 共 同 体 所 有 の 制 度 」

,つ ま り村 の土 地 が 部 族 な い し氏 族 の 共 同 体 に 帰 属 し

,共 同 体 の 成 員 で あ る こ と に よ っ て 土 地 の 利 用 権 が 保 証 さ れ る よ う な 所 有 の 形 態 を ム シ

ャ̲と し た [Antoun,1969,pp20‑22]。 東 ア ラ ブ地 方 に は

,20世 紀 の 前 半 に遊 牧 民 の定 住 村 や 部 族 ・氏 族 の共 同 体 的 関 係 を 強 く残 した 村 で こ の 形 態 が 残

って い た 。 ま た,20世 紀 前 半 期 に パ レス チ ナ の 農 業 制 度 を 研 究 した グ ラ ノ

ッ トは 「(東 ア ラ ブ地 方 の)土 地 所 有 に は二 っ の 形 態 が あ る

。 一 っ は個 人 に よ る永 続 的 な分 割 地 所 有 で あ り,も う一 つ は土 地 が 家 族(拡 大 家族),氏 族(hamula)に ま と ま る 家 族 の 集 合,ま た村 の 住 民 全 体 の い ず れ か に よ っ て 分 割 さ れ ず に共 同 で 所 有 さ れ る ム シ ャ  の形 態 で あ る」[Granott ,1952,p」74]と 述 べ て お り,ム シ ャ ー を 分 割 地 的 所 有 の 対 概 念 と した点 で 前 二 者 と 同 じで あ る.し か し,彼 に と っ て は 個 人 の所 有 権 は特 別 の 地 片 に 固 定 さ れ ず,耕 地 が 成 員 の 間 で 定 期 的 に 再 配 分 さ れ る こ とが 重 要 な 要 件 で あ っ た。20世 紀 前 半 期 に は共 同 体 所 有 は持 分 所 有 に よ る 共 有 の形 態 に 徐 々 に 変 わ りつ つ あ った カ5耕 作 地 を 割 翫 る制 度 は部 族 共 同 体 か ら分 割 地 所 有 へ の過 渡 期 に登 場 す る多 様 な農 業 制 度 に お け る共 同 体 所 有 の 遺 制 で あ る と して これ を ム シ ャー と した の で あ る[Gran・tt ,1952,p.213].彼 に と っ て は土 地 所 有 関 係 そ の もの よ り も割 替 え 制 度 が ム シ ャ ー の 基 本 的 内 容 を な して い た 。19世 紀 後 半 以 降 政 府 に よ って 土 地 の 登 記 が 実 施 さ れ こ の 過 程 で 人 土 地 所 有 制 の 発 展 を み るが,農 民 が 小 作 農 化 した村 で も共 同 体 と して の 社 会 関 係 を 残 し割 替 え が 慣 行 化 して い る場 合 に は こ れ を ム シ ャ ー に 含 め た の で あ る[G

ra‑

nott,1952,p.180]。 ラ ム トン と ア ン ト ンに と っ て

,共 同 体 所 有 か 共 有 か の違 い は あ る もの の い ず れ も土 地 所 有 関 係 を と ら え た 概 念 で あ っ た の に 対 し て,グ ラ ノ ッ トに と っ て は・ 過 渡 期 に み られ た農 業 制 度 に お け る共 同 体 の 遺 制 と して の 割 替 え 慣 行 が ム シ ャ ー で あ っ た。

こ の よ うに,グ ラ ノ ッ トが ム シ ャ ー を 広 義 に 解 釈 した の に は理 由 が あ

った 。

(5)

0302) 西 ア ジアの 農 業制 度 と割 替 え慣 行83

彼 が研 究 の対 象 と した東 ア ラブで は,19世 紀半 ば か ら20世 紀 前 半 にか けて オ ス マ ン トル コ政 府 と英 仏 の委 任統 治 政 府 に よ って農 地 の登 記 が進 あ られ た。 実 際 の登記 作 業 で は部 族 長 や領 主 的 な地 方 の有 力 者 の名 義 で権 利 の設 定 が行 なわ れ る こ とが 多 くこの ことが大 土地 所 有制 を発展 させ る主 要 な原 因 とな った のだ が,一 方 で耕 作農 民 に利 用地 の権 利 を登記 しよ うとす る努 力 も払 わ れ た。 しか し,耕 作 地 の登 記 は割 替 え を廃 止 し分 割 地 所 有 の農 民 を創 設 す る こ とを 意 味 し,伝 統 的 な慣 行 に固執 し登 記 の名 義 人 が徴 税 や徴 兵 の対 象 とな るの を恐 れ た こ とで 農民 の反発 を招 い た。 また,土 地 を測 量 して農 民 に耕 地 を分 割 す る作 業 を行 な う組 織 的力 量 を政 府 が もた なか った た めに,登 記 作 業 は多 くの困難 に遭 遇 した。 登 記作 業 の実 施 に際 して定 期 的 な割替 え慣 行 の存在 が直面 した大 きな

問題 で あ った ので あ る。 委 任統 治 期 にパ レスチ ナで土 地 権利 の設 定 に従 事 した 土 地設 定 委 員会 が,ム シ ャー を 「村 落 の土 地 を利 用 す る農 民 が個 別 の分 割 地 を 所 有 せ ず定 期 的 な割 替 えで利 用 地 が決 ま り,共 同体 的 な強 い耕地 規 制 の あ る土 地 制 度 」 と規 定 した の も現 実 の 政 策 実 行 と関 連 して の こ とで あ った[Report,

1926,p.52ユ。 グ ラノ ッ トが所 有 の形 態 で はな く割替 え慣行 を も って ム シ ャー と した の も同様 の理 由 か らで あ った。

本 稿 で は定期 的 割替 え制 を もっ農 業制 度 を ム シ ャー とす る グ ラノ ッ トの規定 を適 用 す る。 しか し,割 替 え慣 行 は,西 ア ジアで は共 同体 所 有 の遺 制 と して の 農 業 制度 にの み み られ た訳 で はな い。後 に詳 し く述 べ る よ うに,20世 紀 の地 主 制 の展 開 期 に イ ラ ンで み られ た割 替 え慣 行 は地 主 経 営 の労 働組 織 の システ ム と

して の性 格 を もって い た。 部 族 や氏 族 な どの共 同体 の成 員 で あ る ことが耕 地 の 被 配 分 の権利 要 件 を な し割替 え は成員 の実質 的 な平 等 を維 持 す る農 業制 度 で あ る場合 もあ り,持 分 が私 的 な権利 で あ り不 均質 な村 の耕 地 の利 用 に際 して持 分 の質 的 な平 等 を維持 す る目的 で割替 えが 行 な われ る場 合 もあ った。 また,土 地 に対 す る小作 農 の権利 が強 ま り永 小作 権 が発 生 す る こ とを抑 え る手段 と して地 主 に よ って採 用 され る こと もあ った ので あ る。 したが って,土 地 の権利 関係 を

明 確 に す る必 要 が あ る時 に は,〈 共 同 体 所 有 の ム シ ャ ー〉,〈持 分 所 有 の ム シ ャー〉,〈地 主 制下 の ム シ ャー〉 とい う言 い方 で区 別 す る こ とにす る。

(6)

84商 経 論 叢 第30巻 第4号

(301) (二)共 同体 所 有 の ム シ ャー

〈共 同体 所 有 の ム シ ャー〉 に関 して は1930年 代 か ら60年 代 に か けて調 査 さ れ た若 干 の研 究 が あ る の で これ を よ り ど こ ろ に検 討 を試 み る。 この形 態 の ム シ ャー はか つ て乾 燥 ・半 乾 燥地 帯 の部族 社 会 に広 範 に存 在 して いた と想 定 され るが,20世 紀 半 ば に は農 業 の限 界地 の と くに部族 的関 係 を強 く残 した地 方 に わ ず か にみ られ ただ けで ほ とん ど消滅 して いた。 シ リアで は,乾 燥 ・半 乾 燥地 の べ ドウ ィン遊 牧 民 の定 住 村 の中 で と くに貧 しい村 で残 って い たに過 ぎな い と い わ れて お り・ その一 つ が ウ ォ リナー に よ って紹 介 され て い る[Warriner ,1966, pp.74‑‑75]。これ に よ る と,排 他 的 な私 的所 有 は存 在 せず ,村 の土 地 は部 族 に属 し,下 位 集 団 で あ る氏族 に平 等 の原則 で割 り当て られ,氏 族 の割 当地 は さ らに そ の成 員 の間 で分 け られ た。 そ して,氏 族 間,氏 族 の成 員 間 で定 期 的 な割 替 え が 慣 行 とな って いた。 共 同体 の成 員 は等 し く土 地 を配分 され,家 族 に属 す る男 子 の うち村 に居 住 す る者 の数 で土 地 を割 る こ とが 揺 る ぎ な い原 則 とな って い た。 したが って,規 模 の大 きな家族 ほ ど多 くの耕 地 が配 分 され,男 子 の子 供 が 生 まれ る とその家 族 は村 の耕 地 に持 分 を 増 や し,死 ん だ り村 を離 れ る とその権 利 は共 同 体 に戻 る実質 的 な平等 原 理 が制 度 的 に保証 され て いた。

また,グ ラ ノ ッ トは調 査 と文 献 を基 礎 に 〈共 同体 所 有 の ム シ ャー〉 を耕 地 の 配 分 形態 か ら二 っ の類型 に分 けて紹 介 して い る[Granott ,1952,pp.225‑227]。 共 同体 所 有 の もとで は共 同体 のす べて の成 員 が 村 の耕 地 に均 等 な被 配 分権 を もっ こ とが 理 想 型 と され るが,現 実 に は実 質 的 平 等 が 必 ず し も原 則 とな って い な い。 第一 の形 態 は,共 同体 の成 員 の うち農作 業 の能 力 のあ る男 子 に限 って配分 を受 け る権利 を もつ もの で あ る。 こ こで農 作 業 の能力 とい うの は裸 の人 間労 働 の能 力 で はな く農 具 な どの労 働 手 段 と結 びっ いた能 力 で あ り,と くに最 も重 要 な労 働 手 段 と して評 価 され た の は役 畜(雄 牛)で あ った。乾 燥 ・半 乾 燥 地 の麦作 地帯 に お け る伝 統 的 な農 業 技術 で は,耕 起 ・杷 耕 ・脱 穀 の基幹 的作 業 に梨 や杷 を牽 引 す る二 頭 の雄 牛 が使 役 され,雄 牛 は これ らの農 作 業 に欠 くことの で きな い役 畜 で あ った。 この ため,土 地 の配 分 を受 け るに は雄 牛 を もっ ことが条 件 と な り,配 分 され る耕 作地 の大 き さは農 作 業 の能 力 の大 き さで あ る成 年 男 子 と役

(7)

0300) 西 ア ジアの 農 業制 度 と割 替 え慣 行85

畜 の数 に比例 した ので あ る。 耕地 の定 期 的 な割替 え に際 して は,ま ず 村社 会 を 構 成 す る氏 族 の間 で集 団 の もつ農作 業 の能 力 に応 じて配 分 が お こなわ れ,次 い

で各 氏族 を構 成 す る家 族(核 家族)の 間 で配分 が お こな わ れ た。

第 二 の形態 は,村 に居 住 す る共 同体 成 員 の うち男 子 に限 って村 の耕 地 に配 分 を受 け る権 利 を もっ とい うウ ォ リナ ーが示 した事例 に相 応 す る もので あ る。 こ の 土地 の配 分 の シス テ ムは ズ クル(zukur)と 呼 ば れて い るが,ズ クルの語 意 が 男 で あ る ことか らも知 れ るよ うに,文 字通 り男 子 で あ れ ば新 生 児 か ら老 人 に至 るまで労 働 能 力 の有 無 に関 わ りな く土地 の配 分 を受 け る権 利 を もち,氏 族 は構 成 す る男子 の数 だ けの土 地 の割 当 てを受 け る ことに な る。 被 配分 権 は氏族 の権 利 と して で は な く共 同体 の 構 成 員 で あ る個 人 に属 す る もの と観 念 さ れ て い た が,農 業経 営 は個 人 で はな く家 族 を単 位 と して い たた め土 地 の 占取主 体 は実質 的 に は家族 で あ った とい って よい。割 替 え慣行 に もとつ く耕 地 の配 分 に は くじ 引 きの方 法 が と られ た。 割 当て地 は男 子 の 人 口 と村 の耕 作地 の面積 との関係 で 決 ま ったか ら,農 地 と して利 用 可能 な未 耕 作地 が 不 足 す る場 合 に は人 口 の増加 によ って割 当 て地 が零 細 化 し,村 の住民 が貧 困 を共 有 す る とい う結 果 を招 くこ

とに もな った。

この二 形 態 は と もに所有 の主 体 が部 族 の よ うな血縁 集 団 に あ り・定 期 的 な割 替 え に よ って均等 性 が維 持 され た。 しか し20世 紀 にお け る 〈共 同体 所有 の ム

シ ャー〉 で は,土 地 所 有 の主 体 は部 族 か らよ り下 位 の集 団 で あ る氏 族,親 族 の 集 団 に移 って いた よ うで あ る。 村社 会 は一般 に複 数 の氏 族 で構 成 され,氏 族 は 村 の土 地 に持 分 を保 有 し持分 に応 じて土 地 が分 割 さ れて い た。 したが って,氏

族 間 で実 施 され る定 期 的 な割替 え は土地 条 件 の平 等 を維 持 す る目的 で継続 して い た に過 ぎな い もの と して あ った。 実 質 的平 等 を はか る 目的 を もった割替 え は 氏 族 の成 員 の間 で の み行 なわ れ て いた の で あ る。 この よ うな土地 所 有 の下位 集 団 へ の移行 は部族 的統 合 力 の低 下 を反 映 して い るが,オ スマ ン トル コ政府 が実 施 した土 地 の登 記 が氏族 を単 位 と して行 な わ れ る ことが多 か った こと と も関連

して い る。

以 上 を要 約 す る と 〈共 同体 所 有 の ム シ ャー〉 は次 の二 つ に類 型 的 に整理 で き

(8)

86商 経 論 叢 第30巻 第4号

0299) る。

(1)土 地 所 有 の 主 体 は部 族 に あ り村 全 体 で 実 質 的 平 等 が 計 られ る

。 氏 族 間 で は各 氏 族 の 成 員 の 数 に応 じて 土 地 が 配 分 さ れ ,氏 族 内 で も成 員 は 均 等 に利 用 地 が 配 分 さ れ る。

② 土 地 所 有 の主 体 は 氏 族 に 移 行 し,各 氏 族 は村 の 土 地 に 固 定 した 持 分 を も っ 。 しか し,氏 族 内 で は成 員 は均 等 に利 用 地 が 配 分 され る

〈共 同 体 所 有 の ム シ ャ ー 〉 の 村 に み られ る平 等 原 理 は耕 地 制 度 に も反 映 した

。 耕 地 の割 替 え は,ま ず 村 社 会 を構 成 す る氏 族 の間 で 次 い で 氏 族 の 成 員 間 で 行 な

わ れ る が,氏 族 間 の 配 分 に 際 して は,耕 地 の条 件 ,た と え ば 土 壌 の 肥 沃 度 や 灌 概 水 利 の 条 件y集 落 へ の 距 離 な ど に 平 等 を 維 持 す る配 慮 が な さ れ た

。 通 常,村 の 耕 地 は条 件 の違 うい くつ か の 耕 区 に 区 画 され,氏 族 間 の 配 分 は耕 区 ご と に行 な わ れ た[Warriner,1966,pp.74‑75 ,Granott,1952,pp.225‑227]。 この た め,個 々 の

第 一図 ム シャー村 の耕 地概念 図

氏族割 当て地

、 、 、 、 ̲隔̲ ̲

(a)

0耕 区 の 境 界

『‑m氏 族 割 当 て 地 の 境 界 鼎籍暦'軸'讐氏 族 成 員 の 地 条 の 境 界

(9)

0298) 西 ア ジ アの農 業制 度 と割 替 え慣 行87

氏族 は各 耕 区 にそ れぞ れ一一っ の耕 作 地 を もつ こと にな り,各 耕 区 に分 散 した氏 族 の割 当 て地 が氏 族 の成員 で あ る被 配 分 権者 の間 で さ らに細 か い地 条 に分 け ら れ た。 この土 地配 分 の方 式 を概 念 図化 した のが第 一 図 で あ る。

(三)持 分 所 有 の ム シ ャ ー

血 縁 的 な 部 族 ・氏 族 社 会 を 特 徴 づ け る 〈共 同 体 所 有 の ム シ ャー 〉 は,19世 紀 に は 東 ア ラ ブの 乾 燥 ・半 乾 燥 地 に 広 範 に存 在 して い た と想 像 さ れ る が,20世 紀 前 半 に は村 の 土 地 に 対 して 農 民 個 々 人 が 固 定 した 持 分 を 私 的 に 所 有 す る 〈持 分 所 有 の ム シ ャー〉 が 次 第 に増 加 して い た 。 定 期 的 な割 替 え を 慣 行 と して 残 しな が ら農 民 が 共 有 地 に私 的 な権 利 と して の 持 分 を もっmusha'aal‑baladと 呼 ば れ て い る形 態 で あ る[Granott,1952,p.234]。 イ ラ ンの 砂 漠 を 囲 む乾 燥 ・半 乾 燥 地 の 農 業 地 帯 で1970年 代 に 確 認 さ れ た の も この ム シ ャ ー で あ る。 ア ナ ト リア で は,オ ス マ ン トル コ政 府 が 徴 税 の 便 宜 性 か ら ム シ ャ ー の形 態 を 認 め な か っ た た め19世 紀 に ム シ ャ ー は存 在 しな か った と され て い る[Gerber,1957,p.77,p.

148]。 しか し,東 部 ア ナ ト リア の カ ル ス県 で は1920年 代 ま で 「耕 地 が 共 同 で管 理 さ れ3年 ご と に く じ引 き で 利 用 地 を 割 当 て ら れ る」 割 替 え 慣 行 を と る村 が

あ っ た こ とが 確 認 され て お り,黒 海 の エ レー リ地 方 で も同 様 の 事 例 が 記 録 さ れ て い る[Husrev,1935,pp.25‑26]。

シ リア で は,20世 紀 半 ば に は部 族 ・氏 族 組 織 を 残 し な が ら も土 地 に 対 す る権 利 関 係 は個 別 の 家 族 に分 解 して い る場 合 が 多 く,農 民 の権 利 は私 的 な 持 分 に変 化 して い た 。持 分 は,村 の 全 耕 地 の 一 部 を意 味 す るfaddanを 基 礎 と し,た とえ ば1faddanを もっ と い う時 に は村 の 土 地 に対 す る全 シ ェ ア ー の う ち1シ ェ

ア ー を もっ こ と を 意 味 して い た。 した が って,定 期 的 な割 替 え が 行 な わ れ は し た が 農 民 の 持 分 は必 ず し も等 し くな く,持 分 が 個 人 に 帰 属 す る権 利 で あ る た め 処 分 も 可 能 で あ っ た 。 た だ,作 物 選 択 や 土 地 利 用,ま た 村 社 会 の 秩 序 維 持 に 全 体 に よ る厳 しい 規 制 と制 約 が あ り排 他 的 な 私 有 権 と は性 格 を異 に した か ら,譲 渡 も実 際 に は外 部 者 に は認 め られ ず 親 族 や 村 の 内 部 に 限 られ て い た[Warriner, 1966,p.76]o

(10)

88商 経 論 叢 第30巻 第4号

0297)

〈持 分 所 有 の ム シ ャ ー〉 の一 事 例 を,ア ン トンが1950年 代 に調 査 した ヨ ル ダ ン北 部 のKufral‑Ma村 に み る こ と が で き る[Antoun ,1972,pp,20‑25]。 こ の 村 は年 間 降 水 量 が200ミ リか ら400ミ リの 間 を変 動 す る半 乾 燥 地 に 位 置 し

,主 作 物 で あ る 麦 を2年1作 で 利 用 す る こ の 地 方 に平 均 的 な村 の 一 っ で あ る。 土 地 登 記 は1943年 に 委 任 統 治 政 府 に よ っ て 実 施 さ れ ,交 換 分 合 と 利 用 地 の 固 定 に

よ って 個 別 の地 片 が 個 人 の名 で 登 記 さ れ た。 しか し,登 記 以 前 に は村 の 耕 作 地 の4分 の3は ム シ ャー で あ っ た 。 村 に は3っ の 親 族 グ ル ー プが あ り,村 の耕 地 は く じ引 き に よ っ て 毎 年 こ の グル ー プ 間 で 均 等 に3っ に 分 け られ た

。 次 い で 氏 族 の 割 当 て地 は持 分 権 を もつ 農 民 の 間 で 細 分 配 さ れ た。 っ ま り,持 分 は個 人 が 所 有 す る権 利 と して あ る 〈持 分 所 有 の ム シ ャ ー〉 の 村 で あ る。20世 紀 半 ば の 時 点 で は農 民 の 持 分 は不 均 等 で あ った が,こ れ は個 人 に均 等 に持 分 が 分 け られ て か らか な りの 時 間 が 経 過 し,こ の 間 に相 続 や譲 渡 に よ る権 利 の 移 動 が あ っ た た め で あ る。 ア ン トン は,こ の 村 もか つ て は 〈共 同 体 所 有 の ム シ ャ ー〉 で あ っ た が,オ ス マ ン トル コ政 府 に よ って 登 記 が 行 な わ れ た 際 に,徴 兵 志 願 を した成 年 男 子 を 対 象 に村 の 土 地 に持 分 が 登 記 さ れ,そ の 後 〈持 分 所 有 の ム シ ャ ー〉 に 変 わ っ た の で は な い か と推 測 して い る。 こ の 持 分 は共 有 地 に対 す る一 定 の 割 合 で 表 現 され る相 続 可 能 な 権 利 で あ った が,譲 渡 に は規 制 が 強 か った た め に 村 の 内 部 で の み 認 め られ て い た に 過 ぎず,3っ の グ ル ー プ の 問 で は均 等 な 配 分 が 続 い た。 ま た,耕 地 制 度 で み る と開 放 耕 地 制 を と り,休 閑 地 の 共 同 放 牧 が 共 同 体 的 土 地 利 用 を 特 徴 づ け て い た。 っ ま り,Kuhral‑Ma村 の 土 地 所 有 関 係 は,19世 紀 末 か20世 紀 初 頭 に 〈共 同 体 所 有 の ム シ ャ ー〉か ら 〈持 分 所 有 の ム シ ャ ー〉へ

} 1940年 代 に 〈持 分 所 有 の ム シ ャー 〉か ら分 割 地 所 有 へ と,段 階 を経 て 移 行 し た。

この 過 程 に は商 品 経 済 化 に よ る農 民 の 所 有 観 念 の 変 化 が 影 響 した こ と は確 か だ が,直 接 的 な 契 機 を な した の は オ ス マ ン トル コ と委 任 統 治 政 府 に よ る登 記 に よ る土 地 権 利 の設 定 で あ った 。

こ の よ う に,割 替 え 制 も共 同 体 成 員 の 利 用 権 を 保 証 す る もの と

,持 分 権 が 個 人 に 属 し持 分 間 の質 的 平 等 を 保 証 す る 目 的 を も っ た もの と に 区 別 さ れ,前 者 か ら後 者 に,後 者 か ら さ ら に分 割 地 所 有 へ と移 行 す る プ ロ セ ス が,土 地 の 登 記 作

(11)

0296) 西 ア ジ アの農 業 制 度 と割 替 え慣 行89

業 の 過 程 で 進 行 した の で あ る。 パ ル ス チ ナ と ヨル ダ ンで は,委 任 統 治 政 府 に よ る 土 地 の 権 利 設 定 が1928年 に始 ま り1943年 ま で に 全 耕 地 の84パ ー セ ン トに 当 た る40万 ヘ ク タ ー ル が 登 記 され た が,こ の ほ と ん ど が そ れ ま で ム シ ャ ー で あ っ た とい わ れ て い る[Antoun,19'72,P.23]。

〈持 分 所 有 の ム シ ャー〉 で は,持 分 は農 民 の 死 に よ って 子 供 に相 続 さ れ る。 イ ラ ン南 部 で は一 般 に 一 子 相 続 で あ った が,東 ア ラ ブで は イ ス ラ ム法 の分 割 相 続 が 一 般 的 で あ り,こ の た め 持 分 は細 分 化 さ れ,ま た 売 買 に よ って 持 分 を集 積 す る もの も現 わ れ た た あ,不 均 等 化 す る傾 向 が み られ る[Himadeh,1936,p.57]。 第 二 図 は 鳥 瞼 図 で み た一 ・つ の 事 例 で あ る。 地 条 は 耕 区 ご と に 色 ん な 方 向 に 引 か れ,そ れ ぞ れ 長 さ は短 い も の で400メ ー一トル,長 い も の で は2,000メ ー トル に 達 す る が,そ の 幅 は狭 い も の で10メ ー トル に足 らず,持 分 の再 分 割 に よ って 零

第二 図 パ レスチナにお ける土地 分割 の事 例

(12)

90商 経 論 叢 第30巻 第4号

(295)

細 化 と不 均 等 化 が 進 ん で い た こ とが 知 れ る。 大 き な 区 画 を な して い るの は数 家 族 が 共 同 で もっ か 豊 か な 家 族 の 耕 地 で あ る。

不 均 等 性 は分 割 地 所 有 へ 移 行 した 村 で よ り顕 著 と な る。 しか し,土 地 の登 記 後 に分 割 地 所 有 と な っ た農 民 の 耕 地 で 再 び持 分 保 有 の形 態 が 生 ま れ る こ と が あ る。 こ れ は分 割 相 続 で 複 数 の 子 供 が 相 続 す る際 に相 続 地 を持 分 で 共 有 す る場 合 で あ る[Granatt,1952,p.234]。 複 数 の 相 続 者 が 共 同 して農 業 を 行 な う こ と もあ っ た が,相 続 者 の 内 の 一 人 が 農 業 に 従 事 し他 は農 業 を 行 な う権 利 を放 棄 す る代 わ り に収 穫 に一 定 の 取 り分 を え る こ と もあ った 。例 え ば,南 イ ラ クで は1940年 代 に土 地 が 個 人 の 名 義 で登 記 され た が,そ の 後 の 相 続 で 兄 弟,従 兄 弟 に よ る共 有 が 生 じ,時 代 が 下 が る と親 族 に よ る共 有 関 係 が 複 雑 に な った と い わ れ て い る

。 一 般 に は土 地 の分 割 が 耕 地 の 零 細 化 を 進 め て 自立 的経 営 を 困 難 と す る

こ と が 共 有 関 係 を と る主 な 理 由 で あ り,持 分 権 を もつ 者 の 内 の1,2人 が こ の土 地 で 農 業 を 行 な い,他 は 余 所 で 就 業 し,収 穫 に 一 定 の 取 り分 を 得 る と い う形 態 で あ る [Fernea,1970,p.94〕 。共 有 関 係 を と る こ と で農 地 の 零 細 化 を 避 け る こ の 形 態 は今 日で も西 ア ジ ア の 各 地 に み られ る。

持 分 が 所 有 権 で は な く地 主 所 有 地 に お け る小 作 権 で あ る場 合 が あ る。 グ ラ ノ ッ トが 小 作 地 の 割 替 え 制 も広 義 の ム シ ャ ー に 含 ん だ,〈 地 主 制 下 の ム シ ャ ー〉

に相 当 す る形 態 で あ る。 東 ア ラ ブで は,19世 紀 か ら20世 紀 前 半 に か け て 用 益 権(実 体 は所有 権 に近 い)の 登 記 が 実 施 さ れ,こ の 際y地 方 の 有 力 者 や 部 族 長 の 名 義 で 登 記 され る こ と が 多 か った 。 しか し,こ の こ とが 即,村 の 共 同 体 的 な 農 業 制 度 の 解 体 を 意 味 した訳 で は な く,割 替 え 慣 行 も継 続 し小 作 権 は 固 定 した 耕 地 と結 び っ か な い こ と が 多 か っ た の で あ る。 この 一 っ の 事 例 は シ リア の ユ ー フ ラ テ ス川 の ア サ ド湖 の 下 流 域 に あ るShamsed‑Din村 に お け る1974年 の調 査 で 確 認 され て い る[Seeden&Kaddour,1984,pp.495‑505]。 こ の村 は64年 の農 地 改 革 ま で は 地 主 所 有 の 村 で あ っ た が,小 作 地 は 農 民 の 間 で 均 等 に 配 分 さ れ 定 期 的 な 割 替 え が 慣 行 とな っ て い た。 小 作 権 農 民 の 数 は14 ,個 々 の 農 家 は五 っ の耕 区 に そ れ ぞ れ 均 等 な 地 条 を も っ て い た。 耕 区 当 た り の 地 条 数 は14 ,5ま た は29 で ・ これ は農 民 一 人 が 耕 区 に 一 っ な い し二 つ の 地 条 を 分 散 して 保 有 して い た 計

(13)

0294) 西 ア ジア の農 業制 度 と割 替 え慣 行91

算 にな る。 地 条 の大 きさ は土 地 の肥 沃 さ に よ って差 が あ り劣 等 地 ほ ど大 きい。

主 穀 で あ る小麦 と大 麦 は1対2の 割 合 で作付 け られ,西 ア ジアの乾 燥 ・半 乾 燥 地 に一般 的 な農耕 と牧 畜 が複 合 した農 業 を特徴 と し・ 大 麦 は主 と して家 畜 の飼 料 と して利 用 され た。 麦 の刈跡 地 は耕 区 を単 位 に放 牧地 と して 開放 され家 畜 の 飼 料 を提供 した。 そ して,冬 に は家 畜 は牧 童 に よ ってLi」や大 土 地 所有 者 の綿 花 プ ラ ンテ ー シ ョ ンに移 動 す る一 種 の移 牧 の形 態 を と った。 割替 え に際 して は, 各 耕 区毎 に ロー プで簡 単 な測量 が行 なわ れ,農 民 の利 用地 は条 件 に差 が生 じる

のを防 ぐた め に く じ引 きで割 り当 て られた。 この地 方 で は,こ う した く地 主 制 下 の ム シ ャー〉 が1960年 頃 まで広 くみ られ た といわ れ て い る。

(四)ム シ ャー村 に お ける農 耕方 式

これ まで ム シ ャーを 土地 所 有 の形 態 や村 の社 会 関係 か らみ て きたが,割 替 え 慣 行 が み られ る地 域 に は農 業 生 産 の技 術 の形 態 と耕 地 制 度 の面 で共 通 点 が あ る。言 い換 えれ ば,共 同体 的 な社 会 関係 を保証 しこれ を条 件 とす る耕 地 制度 や 土地 利 用 の方 式 が み られ る と こ ろで 割 替 え慣 行 が 存 在 して い た の で あ る。 ム シ ャーの村 はそ の ほ とん どが乾 燥 ・半 乾 燥 気候 帯 に分布 して い る ことを先 に述 べ た が,こ の理 由 は,こ の気 候 条件 に適 合 した伝統 農 法 が 共 同体 的 制度 を必要 と した こ とにあ る。 この農 法 の特 徴 を分 か り易 く羅列 す る と次 の よ うで あ る。

(1)農 耕 と牧 畜 の複 合 した農 業 で あ る。農民 は羊や 山羊,ま た牛 を半 ば放 牧, 半 ば舎飼 いの方 式 で 飼養 して い る。 その理 由 と して は,周 辺 に貧 困 で はあ

るが 草 地 が あ る こ と,家 畜 生 産 が不 安 定 な 農 耕 を生 活 の面 で 保 障 す る こ と,家 畜 の糞 が畑 の肥 料 と して必要 で あ るこ と,の 三 っ が挙 げ られ る。

② 主 作物 は麦類 で あ る。 これ は乾 燥 ・半 乾 燥地 で は,降 水量 が少 な くかっ 雨 は晩 秋 か ら春 にか けた季節 に降 り,冬 作 で あ る麦 に適 した農 業 生産 の環 境 に あ るか らで あ る。 乾 季 で あ る夏 は作 物生 産 に不 適 で あ り,夏 作 は灌 概 農 業 が可 能 な ところで のみ栽 培 され る。 麦 の単作 の場 合,耕 地 は二年 に一一 度 ない し数 年 に一 度 の頻度 で利 用 され,休 耕 の年 に は放 牧 地 と して利 用 さ れ る。 これ は土 地 の肥 力 を回 復 す る こと と土壌 の水 分 の消耗 を抑 え るた め

(14)

92商 経 論 叢 第30巻 第4号

(293?

で あ り,肥 力 の回復 に は放 牧 され た家 畜 の糞 も有 効 な働 きを した

(3)耕 地 制 度 と して は耕 地規 制 の強 い開放 耕 地 制 が と られ,ま た栽 培 作物 と 農作 業 の スケ ジ ュー ル は農 民 全 体 の合 意 で決 め られ個 人 の 自由 は存 在 しな か った。 これ はr家 畜 の飼 料基 盤 と して また耕 地 の肥力 を回 復 す るた めに 休 閑地 を必要 と し・ 農 民 の 自由 な土 地利 用 が認 め られ る と放牧 場 が確 保 で き ない た めで あ る。 細 長 い地 条 で放 牧 を行 な うこ とは隣 の地 条 の作 物 を食 い荒 す危 険 が あ り,休 閑 を一斉 に と る こと,つ ま り農 民 の地 条 の集 合 で あ る耕 区 を単位 に作 物 を決 め,休 閑期 に は耕 区 を単 位 に放 牧 す る必 要 が あっ た。 したが って開放 耕 地 制 が 不 可避 で あ った。 作 付 け循環 が耕 区循 環 を な し,小 麦 の収 穫 が終 った耕 区 は休 閑 区 と して周辺 の 未利 用地 と と もに羊 と 山羊 な どの共 同放 牧 地 と して開 放 され た の で あ る。

要 す るに,伝 統 的 な農 業 の方 式 が全 体 に規 制 が強 い共 同体 的 な耕地 制 度 を不 可避 と したの で あ る。 あ る年 の土地 利 用 を第 一一図 で 説 明 す る と,農 民 は各耕 区 にそ れ ぞ れ一 っ の 地 条(面 積 は均等であ るとは限 らない)を もち これ を利 用 す る が,耕 地 規制 によ って耕 区③ で は小 麦,耕 区⑤ で大 麦 が作付 け られ,耕 区◎ と

⑥ は休 閑地 と して 共 同放 牧 の ため に開放 され る。

これ はあ くまで概 念 型 で あ り,夏 作 が作 付 け循環 に含 まれ る こ と もあ り ,地 方 に よ って多 くの偏 差 が あ った と想 定 され る。 共 同体 の解 体 の過 程 で土 地利 用

の形 態 も変 容 したで あ ろ う。 しか し,い くっ か の調 査事 例 が示 す よ うに,伝 統 農 法 に よ る農 業 が 営 ま れ た と ころ で は開 放 耕 地 制 は基 本 的 に維 持 さ れ,ム

シ ャー もま た この開 放耕 地 制 を条 件 と して いた。 定 期 的 な割 替 え慣 行 は農業 条 件 の 質 的 平 等 を はか る制 度 で あ っ たが,村 の 土 地 を条 件 の違 う耕 区 に区 分 し

て,耕 作 地 を分 散 させ る制 度 は開 放 耕 地 制 の制 度 で あ った とい う こ とが で き る。 したが って,湿 潤 気 候 や山 間部 な ど農 業条 件 の異 な る地 方 で は開放 耕地 制 はみ られ ず,割 替 え慣 行 も存 在 しなか った の で あ る。 また,分 割 地 所 有 へ の移 行 は共 同体 的 な土地 利 用 の規 制 の解 除 を意 味 したか ら伝 統 的 な耕 地 制度 を も解 体 させ る過 程 で もあ り,こ の移行 に はま た農 法 の変 化 を伴 うこ とが 多 か った。

(15)

(292) 西 ア ジアの 農 業制 度 と割 替 え慣 行93

(五)ム シ ャ ー の 歴 史 的 契 機

共 同 体 的 な割 替 え 慣 行 が な ぜ 西 ア ジ ア で 広 範 に存 在 した の か 。 こ の 理 由 を 自 然 条 件 と農 業 技 術 の 水 準 に 求 め る こ と は基 本 的 に 間 違 い で は な い だ ろ う。 年 間 降 水 量 が200ミ リな い し400ミ リの 冬 雨 地 帯 に ム シ ャ ー の 村 が 分 布 し,水 利 開 発 に よ る灌ai;.業 が 発 展 す る以 前dま こ の 気 候 条 件 で は冬 作 の 麦 類 以 外 の 作 物 の 生 産 は難 しか っ た し,飼 料 基 盤 か ら み る と家 畜 生 産 は 放 牧 方 式 が 適 合 的 で あ っ た 。 しか し,こ の 農 業 生 産 の 条 件 は ム シ ャー の必 要 条 件 で は あ った が 十 分 条 件 と は な らな い.な ぜ な ら,村 の 耕 地 を 耕 区 に 区 分 して 農 民 の 土 地 利 用 を 規 制 す る開 放 耕 地 制 は必 ず し も割 替 え を 必 要 と しな か っ た か らで あ る・ 同 様 の 農 業 条 件 に あ りな が ら も中 部 ア ナ ト リア で は ム シ ャー の事 例 は少 な く,東 ア ラ ブ で も レバ ノ ン山 地 や 地 中海 沿 岸 地 方 に は存 在 しな か っ た。 ま た 中 世 ヨ ー ロ ッパ の 開 放 耕 地 制 に お い も農 民 は個 別 の 地 条 を 私 的 に 保 有 して お り割 替 え は行 な わ れ な か った 。 した が って,ム シ ャ ー の 契 機 に は別 の 理 由 が 付 加 さ れ な け れ ば な らず,こ の 点 に関 して い くっ か の 説 明 が な さ れ て き た。 こ れ を 整 理 して 列 挙 す る と お よ そ 次 の三 っ か らな る。

(1)東 ア ラ ブ地 方 で は,ム シ ャ ー の村 が 主 と して 分 布 す るの は シ リア砂 漠 を 三 日 月 状 に 囲 む 一 帯 で あ り,ベ ドウ ィ ン遊 牧 民 の 攻 撃 と略 奪 に しば しば さ ら さ れ た地 方 で あ る。 村 は安 定 性 に欠 き 略 奪 が 激 しい 時 に は村 が 放 棄 され る こ と も あ り,村 社 会 は共 同 防 衛 の た め に 団 結 し親 族 組 織 の結 合 が 強 め ら れ る必 要 が あ った 。 土 地 関 係 で い え ば 耕 地 に 私 的 な 権 利 が 存 在 す る と略 奪

の対 象 と な り易 く,村 の 維 持 に は 共 同 体 所 有 や 共 有 の 状 態 の 方 が す ぐれ, 外 圧 に対 抗 す る た め に 共 同 組 織 が 強 め られ て 土 地 所 有 に私 的 な 関 係 が 生 ま

れ な か っ た[Granott,1952,pp.215‐isユ 。外 圧 と い う点 で い え ば 遊 牧 民 に限 ら ず 徴 税 請 負 人 の過 酷 な徴 税 も同 様 の 作 用 を な した 。 た とえ ば,19世 紀 末 に シ リア 砂 漠 に 隣 接 す る ホ ー ラ ンか ら ハ マ に 通 じ る 幹 線 道 路 の 東 側 に 放 棄 さ れ た集 落 の 跡 が 果 て しな く続 い て い た と記 録 さ れ て い る が,こ れ は徴 税 請 負 人 に よ る諌 求 と遊 牧 民 の略 奪 に よ って 崩 壊 した もの で あ っ た と い わ れ て

い る[Rafeq,1984,p.372,p.390]。

(16)

94商 経 論 叢 第30巻 第4号

(291}

② 確 か に ム シ ャ ー の 村 は砂 漠 に隣 接 した 帯 状 の一 帯 に分 布 し

,遊 牧 民 の 略 奪 に 見 舞 わ れ や す い 地 帯 で あ る こ と は事 実 と して あ る。 しか し,こ の一 帯 は乾 燥 気 候 で あ る こ とか ら当 時 の 技 術 水 準 で は 集 約 的 な農 業 生 産 が 不 可 能 な典 型 的 な 麦 作 地 帯 と な って い る。 ム シ ャ ー の 村 は こ う した劣 等 地 に 多 い と い う こ とを 考 慮 す る と,む しろ こ の 厳 しい農 業 条 件 が

,農 民 の 共 同 を 必 要 と して ム シ ャー を 制 度 と して 残 す 契 機 と な っ た。 ム シ ャ ー の 村 は

i年 間 降 水 量 が 少 な い麦 作 地 帯 に分 布 して お り,降 水 量 の 変 動 に よ っ て しば しば 旱 魑 に み ま わ れ,村 社 会 の 維 持 が 不 可 能 と な る こ と も あ っ た

。 こ う した厳 しい 条 件 で は農 業 社 会 を維 持 す る た め に 強 い 共 同 性 が 求 め られ

,耕 地 の 私 的 な所 有 は 有 効 で は な か っ た 。

こ の(1)と ② に 共 通 す る の は,ム シ ャ ー の 分 布 す る地 帯 に は 村 社 会 の 維 持 と農 業 生 産 に と って 条 件 が 厳 し く,こ の 条 件 が 強 い 共 同 性 を不 可 避 と した と い う点 に あ る。 土 地 の 個 別 的 な所 有 は適 当 で は な か っ た と い う こ と で あ る。

(3>以 上 に対 して,遊 牧 民 社 会 に お け る部 族 ・氏 族 の 血 縁 的 な 関 係 と土 地 配 分 の 固 有 の 方 式 が 定 住 農 耕 社 会 に 引 き継 が れ た と して 血 縁 的 な社 会 関 係 を 強 調 す る 見 方 が あ る。 今 世 紀,遊 牧 民 は定 住 化 に よ っ て そ の 数 を 減 ら し

, 今 日 の 東 ア ラ ブ で は総 人 口 の2パ ー セ ン ト程 度 を 占 め る に 過 ぎ な い 〔r', mant,1976,p.187]。 しか し,19世 紀 の 非 都 市 社 会 で は,遊 牧 と農 耕 の 二 つ の 生 産 の様 式 が 拮 抗 して 併 存 して い た。 農 耕 が 古 くか ら発 達 して い た イ ラ ン に お い て さ え19世 紀 の初 頭 に 農 耕 民 の ほ ぼ 半 数 の 遊 牧 民 が い た と推 定 さ れ て お り[AbrahamianJ982,p.11],東 ア ラ ブ で は この 割 合 は さ らに 高 か

っ た 。 地 域 の 不 安 定 な 政 治 や 社 会 ,ま た農 耕 に と って の 厳 しい気 候 条 件 は し ば しば 農 耕 民 の 遊 牧 民 化 を 引 き起 こ し,た と え ば シ リア で は社 会 の 不 安 定 化 に よ っ て 村 の 数 が 大 幅 に 減 少 し た と い わ れ て い る[Rafeq ,1984,P.390]。

しか し,趨 勢 と して は 定 住 化 の 方 向 に あ り,砂 漠 周 辺 の 村 の 歴 史 は決 して 古 い もの で は な か った と い って よ い。 こ の た め s定 住 村 は遊 牧 民 の 部 族 社 会 の 諸 特 徴 を 強 く残 し,ム シ ャ ー も ま た 遊 牧 民 社 会 の 共 同 体 的 関 係 や 諸 制

(17)

西アジアの農業制度と割替え慣行950290)

度 を 反 映 した も の と して 理 解 さ れ る。 例 え ば ウ ォ リナ ー は 次 の よ う に述 べ て い る。 「東 ア ラ ブ の穀 倉 ベ ル トで は,20世 紀 半 ば に お い て も共 同 体 的 な ム シ ャ ー が み られ た が,こ こ で は家 畜 と テ ン トと生 活 用 具 が 個 人 の 財 産, 土 地 は部 族 の 財 産 とみ な され た。 所 有 関 係 は遊 牧 民 社 会 に起 源 を もち,沙 漠 の縁 の 半 遊 牧 部 族 の 共 同 体 的 な 所 有 制 度 か ら地 中 海 沿 岸 の村 落 に お け る 分 割 地 所 有 の 制 度 へ の移 行 の 一 段 階 を 示 して い る」[Warriner,196fi,p.71〕 。 村 の社 会 関 係 に 関 す る諸 研 究 を み て も,血 縁 的 な 緊 密 な 氏 族 的 関 係 を 強 調 して い る点 で 共 通 して い る。 村 の 住 民 は村 社 会 を 構 成 す る氏 族 に帰 属 し, ゲ ス トハ ウ ス を もっ な ど村 の 外 部 に対 して は連 帯 して 責 務 を 果 た した 。 農 地 も氏 族 ご とに ま と ま りを も ち,そ の 利 用 に は親 族 の 合 意 を 必 要 と して い

た。 した が って,ム シ ャ ー も氏 族 組 織 と の 関 連 で説 明 さ れ た 。

しか し,遊 牧 社 会 を 血 縁 的 な 部 族 共 同体 と して 一 括 して 扱 う こ と に は問 題 が あ る。 例 え ば イ ラ ン南 部 の 遊 牧 民 の 場 合,部 族 民 が 放 牧 可 能 な家 畜 の数 に制 限 は な く家 畜 数 の 差 に よ る 階 層 分 化 が み られ[Barth,1964,p.101],所 有 関 係 は必 ず し も一 様 で は な い。 ま た,遊 牧 民 に と っ て の家 畜 は 生 産 物 で あ る と と もに 生 活 物 資 を 提 供 す る生 産 手 段 で も あ る と い う二 重 の 性 格 を も ち,こ の 点 は定 住 社 会 の 所 有 関 係 に も反 映 して い る。 沙 漠 に 隣 接 した 農 業 地 帯 の ム シ ャ ー村 の 所 有 関 係 は周 辺 部 に お け る遊 牧 社 会 の そ れ か ら類 推 す る こ とが 可能 で あ ろ う。

西 ア ジ ア の 遊 牧 社 会 の 所 有 関 係 に 共 通 す る特 徴 を 要 約 す る と概 略 次 の よ うで あ る[Lewis,1988,Johnson,1974,Bath,1965,TapPer・1979を 参照]。

(1)土 地 の 占取 関 係 で は,部 族 が 一 次 的 な 占取 団 体 で あ る。 部 族 長 は一 般 に 部 族 の代 表 者 か っ 指 導 者 で あ る が,部 族 長 と結 び っ い た 上 級 リ ネ ジの 権 限 は非 常 に 強 い。 慣 行 と して は氏 族 は この 部 族 長 か ら放 牧 地 の配 分 を う け, 部 族 民 は土 地 の配 分 を 受 け る代 わ り に部 族 社 会 の維 持 の た め の 一 定 の 反 対 給 付 が 要 求 さ れ る 。

② 氏 族 は父 系 の 血 縁 集 団 を 基 礎 と した 二 次 的 な 占取 団 体 とな り,遊 牧 や 移 動 に 行 動 を と も に す る の は0般 に この 氏 族 か ま た そ の下 位 集 団 で あ る親 族 が 単 位 と な り,氏 族 の 長 は集 団 の代 表 者 か つ 統 率 者 の 位 置 に あ り,放 牧 地

(18)

96商 経 論 叢 第30巻 第4号

0289) の割 当 てな どの役 割 を もって い る。

(3)家 畜 の放 牧 は親 族 で 共 同 で お こなわ れ る場 合 と集 団 を構 成 す る家族(テ ン ト)を 単 位 に個別 にお こなわ れ る場 合 とが あ る

。 親 族 は放 牧 地 に対 して 権 利 を もつが,こ の権 利 は土 地 の 占取 権 とい うよ り も利 用 権 とい った方 が 適 切 で あ る。

(4>家 畜 は生 産 物 で あ るが また生 活 物 資 を生 産 す る手 段 で もあ り

,親 族 で共 有 され る こ と も家 族 に帰 属 す る こと もあ る。

以 上 の概 念型 か らわ か るよ うに,遊 牧 民社 会 で は土 地 に対 す る権 利主 体 は重 層 的 で あ る。 土 地 に対 す る所 有 の主 体 は部 族 共 同体 に あ るが,部 族 長 が これ に 強 い権 限 を もちy氏 族 は遊 牧 地 に対 す る被 配 分 の主 体 を な して いた

。 しか し, 生産 手 段 と して の性格 を ももっ 家畜 は親 族 や家 族 に帰 属 した の で あ る

遊 牧 と農 耕 とで は生 業 の形 態 で は異 な るが,部 族 的 関係 を残 した村 の 〈共 同 体所 有 の ム シ ャー〉 は権 利 関 係 で遊 牧 社 会 と強 い近 接 性 を も った

。 これ は次 の 点 にお い てで あ る。

(1)土 地 は部族 に帰属 し,氏 族 は二 次 的 な 占有 主 体 で あ って こ こに被配 分 権 を もっ。

② 部族 長 の権 限 は村 に も及 び,こ の権 限 に よ って村 に対 して請 求 権 を主張 で きた。

③ 親 族 の成 員 の土 地 被 配分 権 は必 ず しも均等 で はな い。

この(3)に関 して は,遊 牧 社 会 に お け る家 畜所 有 の関係 と類 似 して い る

。 家畜 は 親 族 や家族 を単 位 に放 牧 され所 有 され るが,家 畜 は生産 手段 と して の性 格 を も もち,家 族 が 所 有 の単 位 を な す場 合 に は家 畜 の所 有数 は家 族 の能 力 に対 応 して いた。 定 住村 に お いて も家 族 が その規模 と能 力 に応 じて土地 の被 配 分 を受 け る 例 を先 に示 したが,実 質 的平 等 は必 ず し も原則 とは な って い なか った

。 東 ア ラ ブの 〈共 同体 所 有 の ム シ ャー〉 に,男 子 成員 すべ て に土 地 の被 配 分 権 が あ る ズ クル の形 態 とは別 に役 畜 で あ る雄 牛 の所 有数 で 計 られ る労 働 能 力 に応 じて土地 が配 分 され た形 態 がみ られ たが,こ れ に相応 す る もの とい って よ い。

そ れで は 〈持 分 所 有 の ム シ ャー〉 は ど うか。〈共 同体 所 有 の ム シ ャー〉か らの

(19)

西アジアの農業制度と割替え慣行970288)

移 行 形 態 か,ま た 地 縁 的 関 係 の 村 落 共 同 体 に お1ナ る農 業 制 度 と理 解 す べ き な の か.イ ラ ンに お い て は,後 に述 べ る よ うに16世 紀 に す で に 麟 さ れ た耕 地 共 有 制 に よ る村 献 同 体 の 制 度 で あ っ た の だ カま,東 ア ラ ブ で は・Kufral‑Ma村 の 例 か ら も知 れ る よ うに,部 族 的 な血 縁 関 係 の 強 い 〈共 同 体 所 有 の ム シ ャ ー〉 か らの 移 行 の 過 程 とす る 見 解 が 一 般 的 で あ る。 グ ラ ノ ッ ト,ア ン ト ン,ウ ォ リ ナ ー な どの 研 究 者 は い ず れ も く共 同 体 所 有 の ム シ ャ ー〉 か ら分 割 地 的 土 地 所 有 へ の 過 渡 的 形 態 で あ る こ と を示 唆 して い る[Granott,1952,p.213,Antoun,1972,

pp.23‑24,Warriner,1957,p.58]。 す な わ ち,所 有 の 主 体 が 商 品 経 済 化 と土 地 の 権 利 を設 定 す る土 地 政 策 に よ って 共 同 体 力・濃 民 に移 行 す る過 灘 形 態 と理 解 さ れ て い る。 ま た,所 有 権 が 村 の 外 部 者 や 村 内 部 の 有 力 者 の 名 義 で 登 記 さ れ た 時 に は持 分 は小 作 権 の形 態 を と った 。 い ず れ の場 合 も割 替 え 慣 行 は持 分 の 質 の 平 等 性 を維 持 す る 目 的 を も った もの で あ った 。 開 放 耕 地 制 が維 持 さ れ た こ と で 土 地 利 用 膿 民 全 体 の 強 い 規 制 が 存 在 して い た ・ も っ と も洗 に み た よ う1こ開 放 耕 地 制 そ の もの は割 替 え を 必 ず し も必 要 と は しな い の で あ り凍 ア ラ ブ で は血 縁 原 理 が な お強 く働 い た こ とか ら割 替 え が 慣 行 と して 存 続 し,権 利 の 登 記 に あ た っ て 個 別 の地 片 に 権 利 を 設 定 して 分 害酉膿 民 を 形 成 す る こ とに は 多 くの 困 難 が 存 在 した の で あ る。

(六)土 地 政 策 とム シ ャー

農 業制 度 と して の ム シ ャー は オ スマ ン トル コや委 任 統 治 政府 の統 治 に と って どの よ うに位 置 づ け られ て いた のか。19世 紀 の東 ア ラブ は帝 国 の周 辺 部 に位 置 す る属領 で あ り,部 族 長 や封 建 的支 配 層 が地 方 勢 力化 して いた た め中央 の支配 は都 市 の周辺 を除 いて間 接 的 な もの で あ った。帝 国 政 府 は,19世 紀 に入 って西 欧 の政治 的 ・軍 事 的 圧力 と 「開国 」 に と もな う経済 シ ステ ムの崩 壊 に直 面 し,

支配 体 制 の再 編 が 当面 の主 要 な課 題 とな った。 タ ンジマー トの改革 は,中 心 か ら東 ア ラ ブに も及 ぼ され,官 僚組 織 に よ る徴 税 と軍 事 制 度 な どの近 代 化 を通 し て支 配 の強化 が試 み られ る こ とに な り,改 革 に と って ム シ ャー は前 近 代 的制 度

と して改 革 の対 象 とな った。

(20)

98商 経 論 叢 第30巻 第4号028

7)

オ ス マ ン トル コで は・ 都 市や住 居 地 域 な どを除 く農 業 地

,放 牧 地,未 利 用 地 は法制 的 に は その ほ とん どがmiri(国 有地)と され

,農 民 は用 益権 を もっ国 家 の 借 地 人 とされ て い た。 国 家 と農 民 の関 係 は,中 央 の官 僚機 構 を通 して直接 的 な 支 配 ・被 支 配 の 関係 に あ り,農 民 は徴税 の主 た る対 象 を な して い た

。 しか しな が ら,こ れ は理 想 型 で あ って18世 紀 か ら19世 紀 に は官僚 統 治 は十 分 に機能 せ ず,東 ア ラブでみ る と国 家 と農 民 との間 には部 族 長 や封 建勢 力 が介 在 して地 方 の実質 的 な支 配層 を な し,徴 税 制度 も徴 税 能 力 を もつ地 方 の中 間 的支 配層 を媒 介 と した徴税 請 負 制 が一 般 化 して い た。

中央集 権 の復活 と近代 化 の試 み は,し たが って 中間支 配層 を除 去 して国家 と 生産 者 で あ 膿 民 との間 に直接 的 な関 係 を復 活 させ て税 の増収 を計 りか っ徴 兵 を スム ー ズに行 な うこ とを意 図 す る もの で あ り

,こ の政 策 の主 要 な柱 とな った のが …年 の土地 法 で あ った。 「オ スマ ン トル コ帝 国 に お いて,封 建 制 の名 残 りが なお 生 き続 け て い た。 国 家 は脆 弱 で そ の土 地 に対 す る権 利 は地 方 権 力 に よ って挑 戦 を受 けて い た。それ ゆえ に,オ ス マ ン トル コの法 律 はmiri地 の保 有 者 に厳 しい制 限 を加 え,保 有 者 の あ らゆ る権 利 を正確 か つ 詳細 に記録 す る こ と に よ って国 家 の権 利 を強化 す る こ とを 目的 と した」[G .Baer,1969,pp.67一 一69]と いわ れ るよ うに,こ の 法律 が 目指 した の は地 方 権 力 の権 限 が 強 ま

って いたmiri 地 に対 す る国 家 の権 限 を回 復 して・ 村 の耕 膿 民 を直 接 的 に把 握 す るた め に農 民 を個 別 の地 片 と結 びっ けて そ の用 益 権(raqaba)を 登 記 す る こ とに あ った。

しか し,miryは16,17世 紀 に オ ス マ ン法 の伝統 に もとつ く概 念 で あ り ,近 代 的 な国有 地 の それ とは相 違 して い る。 果 樹 な どの半 永久 的 な作 物 の栽 培 が禁 止 され て い る もの の農業 に利 用 され て い る限 り農 民 は権 利 を失 うこ とは な く

,相 続 譲 渡 が認 め られ た私 的 な所 有 地 と大 して差 が な か ったの で あ る

。 また,こ こに借 地権 の設 定 をす る こ と も実質 的 に は可能 で あ った[Warriner ,1966,p.73]。

っ ま り,土 地 法 の もつ理 念 は,miri地 に対 して これ を利 用 す る農 民 に実 質 的 に は所 有 権 に近 い権 利 を認 め て これ を登 記 し,介 在 す る地 方勢 力 を排 して管理 と 支 配 を近 代 化 か っ 中央 集 権 化 す る こ とを 目指 す もの で あ った と い って よ い。

(21)

(286) 西 ア ジア の農 業制 度 と割 替 え慣 行99

この 法 律 の 施 行 に は多 くの 困 難 を と も な った 。 そ の 一 っ は地 方 に既 得 権 を も ち ま た部 族 組 織 に よ って 村 社 会 と も結 び っ い て い た 支 配 層 の 存 在 で あ り,ま た 0っ に は村 に お け る共 同 体 的 関 係 で あ る ム シ ャ ー で あ っ た。 中 央 政 府 の 理 念 は し た が っ て 文 字 通 り に実 行 は 困 難 で あ り,登 記 は部 族 長 や 封 建 勢 力 の 土 地 へ の 権 限 を保 証 す る形 で 実 施 さ れ る こ と が と くに辺 境 で は み られ,ま た 都 市 の 周 辺 で は 都 市 の 有 力 者 が 土 地 を 取 得 す る ケ ー ス が 多 か っ た。 シ リア で は19世 紀 末 に 多 くの 村 を所 有 す る数 十 の 家 族 が 出 現 して い た し[lssawi,1988,p.24],イ ラ ク で も部 族 長 や 地 方 の 有 力 者 の 名 で 登 記 さ れ る こ とが 多 くi都 市 の商 人 も土 地 の 権 利 を 安 い価 格 で 手 に入 れ た と い わ れ て い る[Fernea,1970,pp.12‑lfi,Gerber,

1987,p.75]。20世 紀 半 ば に お け る イ ラ クの 土 地 所 有 分 布 を み る と,わ ず か3 パ ー セ ン トの 所 有 者 が 全 農 地 の70パ ー セ ン トを 占 あ,61パ ー セ ン トの 農 民 が 劣 等 地 に2.5パ ー セ ン トの 農 地 しか 所 有 して い な か っ た が[Hummadi,1984,pp.

198̲200],こ れ は,農 民 の 権 利 登 記 が 有 効 に 行 な わ れ な か った こ とを 示 して い る。 登 記 が 大 土 地 所 有 制 を 発 展 させ る契 機 と もな った の で あ る。

一 方,農 民 に よ る登 記 に は ム シ ャ ー が 弊 害 と して 立 ち は だ か っ た 。 毎 年 ま た 一 年 お き に く じ引 き で 利 用 地 が 決 ま る割 替 え 慣 行 が 存 在 した た あ に,耕 作 者 を 個 別 の 地 片 に固 定 して 登 記 す る こ とが 難 しか った 。 土 地 法 で は,国 家 が 個 々 の 農 民 を 直 接 的 に把 握 す る上 で 障 害 に な る ム シ ャ ー の 形 態 を 認 め て い な い。 第8 条 は 「土 地 の 権 利 は,住 人 の 全 体 ま た 選 ば れ た 一 人 な い し二 人 に 対 し て 認 可 す る こ と は で き な い 。 個 別 の地 片 は 個 々 の 住 人 に 認 可 さ れ,権 利 は こ の保 有 権 を 示 す 個 人 に 与 え られ る」 と して い る[Warriner,1966,p.73]。 村 の 土 地 を有 力 者 の 名 義 で 登 記 す る こ と も村 の 農 民 の 共 同 で 登 記 す る こ と も認 あ て い な い 。 共 同 体 所 有 や 持 分 に よ る共 有 の 関 係 を 解 消 し割 替 え 慣 行 を廃 止 して 農 民 を 個 々 の 地 片 の 権 利 保 有 者 とす る こ と,換 言 す る と分 割 地 農 民 を 創 出 す る こ と が 追 及 さ れ た の で あ る。Bergheimは19世 紀 末 に 土 地 法 施 行 と関 連 して 次 の よ う に説 明 して い る。「パ レ ス チ ナ で 最 近 の数 年 の 内 に 導 入 さ れ,精 力 的 に 強 制 され て い る オ ス マ ン トル コ の土 地 法 は,住 民 の 意 志 や 希 望 に 反 して,古 くか らの 法 律 や 慣 習(ム シャー)を す べ て変 え っ つ あ る。土 地 は帝 国 弁 務 官 に よ って 個 々 の 地 片 に

(22)

100商 経 論 叢 第30巻 第4号

(285) 分 割 さ れ て 村 民 に 与 え られ て い る。 彼 ら は個 人 で 所 有 権 を 得 て権 利 証 書 を受 け 取 り,気 に い っ た 人 に は村 の メ ンバ ー で あ ろ う と よ そ 者 で あ ろ う と に 自分 の 土 地 を 自 由 に 売 る こ とが で き る よ う に な っ た。 … … 政 府 の 目 的 は ム シ ャ ー の 古 い 慣 行 を 崩 す こ と に あ り,村 の コ ミュ ニ テ ィー の 多 くの 抵 抗 が あ ろ う と

,政 府 が これ を遂 行 す る こ と に な れ ば 上 記 の 古 い 慣 行 は 消 え て 忘 れ 去 ら れ る だ ろ う」

CBergheim,1894,p.195]o

しか し,権 利 の 登 記 は税 負 担 の 増 大 や 徴 兵 の 手 段 と な る の で は な い か と の 危 惧 か ら農 民 の 抵 抗 に会 い成 功 した と は い い 難 い。 シ リア や パ レス チ ナ で は村 の 全 耕 地 が 村 の 一 人 な い し数 人 の 有 力 者 の 名 で 登 記 さ れ る こ と が 多 か った と い わ れ て お り,例 え ば,シ リア の東 部 地 方 で は多 くの ム シ ャ ー村 の土 地 は 一 般 に そ の 住 人 の代 わ り に4,5人 の 名 士 の 名 前 で 登 記 され た[Himadeh

,1936,p.57]。 し た が って,土 地 の 権 利 登 記 が 東 ア ラ ブ に お け る大 土 地 所 有 制 を 生 み 出 す 主 要 因

と は な った が,ム シ ャ ー を 廃 止 す る契 機 と は な らな か った の で あ る

オ ス マ ン トル コの 土 地 政 策 は基 本 点 で 委 任 統 治 政 府 に よ って 引 き継 が れ た

。 政 府 に と っ て 支 配 の 安 定 を は か る こ と が 土 地 政 策 の 課 題 で あ り,こ の た め,そ

れ ま で 境 界 が あ い ま い で しば しば 村 の 土 地 に ま で権 利 を 主 張 し社 会 不 安 の原 因 とな っ て い た 遊 牧 民 部 族 の境 界 の 確 定 が 試 み られ,村 の 農 民 に対 して は土 地 権 利 の 設 定 が な さ れ た[Fatah,1983,p.14]。 パ レ ス チ ナ と ヨル ダ ンで は,1928年 に 準 備 作 業 が は じ ま り土 地 設 定 法 に よ っ て 土 地 の 測 量 が 済 み しだ い 土 地 の 所 有 権 が 確 定 され,作 業 は45年 ま で 続 け られ た。

農 民 の 権 利 登 記 に際 して 遭 遇 した困 難 は こ こで も ム シ ャ ー で あ っ た。 オ ス マ ン トル コ政 府 が 慣 習 法 に逆 ら って 失 敗 した と い う先 例 が あ り

,持 分 に よ る登 記 を認 め る べ き か ・ 耕 地 を 分 割 して 分 割 地 を な し これ を 登 記 す べ き か が 問 題 と な り,委 任 統 治 政 府 は地 方 に よ っ て違 った 形 で 対 応 した 。 パ レス チ ナ で は,分 割 地 を 登 記 し共 有 形 態 で の 登 記 は 原 則 的 に 認 め な か っ た 。 ヨ ル ダ ンで は,共 有 地 と分 割 地 の双 方 に お い て 登 記 を 行 な っ た が,耕 地 共 有 制 を 廃 止 し分 割 地 所 有 に 移 す 努 力 も払 わ れ た 。 ま た シ リ ア で は,ム シ ャ ー の ま ま で 登 記 す る こ と が 多 か っ た と い わ れ て い る[Warriner,1966 ,p.77]。 も っ と も,す で に 大 土 地 所 有 が 成

(23)

(284) 西 ア ジアの 農 業制 度 と割 替 え慣 行101

立 して い た と こ ろ で は そ の 権 利 が 保 証 さ れ た の で あ る。

この よ う に,オ ス マ ン トル コ と委 任 統 治 政 府 の 土 地 政 策 は,一 っ に は部 族 長 や地 方 の 有 力 層 に よ る土 地 へ の権 利 が 保 証 され,農 産 物 市 場 の形 成 に よ っ て 商 業 的 農 業 に 積 極 的 対 応 を示 した 土 地 支 配 層 の 地 主 化 が 促 さ れ,ま た 一 つ に は ム シ ャ ー か ら分 割 地 所 有 へ の移 行 を 促 し,東 ア ラ ブ に お け る土 地 制 度 上 の 大 き な 変 化 を 導 く役 割 を果 た した の で あ る。 こ の過 程 で,村 落 に お け る ム シ ャ ー の 形 態 は徐 々 に減 少 し,パ レス チ ナ で は,オ ス マ ン トル コ の 末 期 に 村 の ほ ぼ70パ ー セ ン トが,イ ギ リス の 統 治 の 初 期 に は56%が ム シ ャ ー で あ っ た の に対 して, 1950年 頃 に は ほ とん ど の ム シ ャ ー が 消 滅 して い た[Granott,1952,p.237]。 た だf 東 ア ラ ブー 帯 で 消 滅 した 訳 で は な く,シ リア で は1930年 代 に乾 燥 ・半 乾 燥 地 に な お広 くみ られ(Himadeh,1936,p.59),先 に み た よ うに ユ ー フ ラ テ ス川 流 域 で は1960年 頃 ま で分 布 して い た 。

地 主 制 との 関 連 で み る と,農 民 は既 存 の 土 地 の 権 利 を 失 い小 作 料 を 地 主 に支 払 う小 作 農 に転 化 した 。 部 族 地 で は 部 族 長 に 所 有 権 が 保 証 さ れ,部 族 社 会 の共 同 体 的 関 係 に地 主 ・小 作 関 係 が 入 り込 む こ と に な っ た。 共 同 体 所 有 地 に お け る 農 民 の 利 用 権 は借 地 権 に変 わ り貢 納 は小 作 料 に 変 化 した。 しか し,こ の こ とが 村 の 共 同 体 的 な 農 業 制 度 を 即 座 に崩 した わ け で は な い 。 伝 統 的 な耕 地 制 度 と定 期 的 割 替 え 慣 行 は維 持 さ れ,〈 地 主 制 下 の ム シ ャー 〉が 過 渡 的 形 態 と して 登 場 し た 。 シ リア や イ ラ ク の 北 部 で は,土 地 登 記 や 金 融 的 手 段 に よ っ て 土 地 が 集 積 さ れ 大 土 地 所 有 が 広 範 に 被 っ た が,割 替 え 慣 行 は廃 止 さ れ な い こ とが 多 か っ た と い わ れ て い る。 農 耕 と牧 畜 の複 合 した 農 業 に 適 合 した 開 放 耕 地 制 と耕 作 規 制 は 農 業 技 術 の革 新 が な か っ た た め に地 主 制 の 下 で も存 続 し,こ の た あ 共 同 体 的 な 社 会 関 係 は維 持 さ れ た 。 地 主 の性 格 面 で い え ば,農 業 生 産 に資 本 を 投 入 す る こ と な く小 作 料 や 利 子 の 取 得 以 外 に農 業 に 関 心 を 示 さ な か っ た こ と も挙 げ る こ と が で き る[Warriner,1957,p.58]。 つ ま り,地 主 の 寄 生 的 性 格 が 共 同 体 的 関 係 を 村 に 残 す 作 用 を な した 。 こ の地 主 が経 営 者 と して 農 業 に積 極 的 に 関 わ り始 あ る の は,農 業 労 働 の 編 成 替 え を可 能 とす る トラ ク ター の普 及 と綿 花 を 中心 に農 産 物 の 国 際 価 格 が 急 騰 す る50年 代 に入 っ て か らで あ る。 この 頃 か ら地 主 や 商 人 に

(24)

102商 経 論 叢 第30巻 第4号 0283)

よ って農 業 へ の投 資 が盛 ん に行 な わ れ,旧 来 の地 主 ・小 作 関係 は栓 楷 と化 し, 企業 的 な農場 へ と構 造 変 化 を遂 げ る こと にな る。 この プ ロセ スは イ ラ ンに お い て も同 様 で あ る,た だ,イ ラ ンで は農民 的技 術 を必 要 とす る労 働 集約 的農 業 が 営 まれ る北 部 の湿潤 地 帯 と生 産 力 が低 く不安 定 な麦 作 の 限界 地 を除 くと,早 期 に地 主経 営 の展 開 が み られ た。 商 業 的農 業 の展 開 を契 機 に20世 紀 前半 期 に は, 地 主 は農 業 へ 資金 を投 入 して伝 統 的 な技 術体 系 の下 で経 営 者 的 行動 を と った の で あ る。 この過程 で村 は徐 々 に地主 経 営 の労 働 組織 の場 に変 わ って い た。 注 意 す べ きは この地主 経 営 にお いて も割 替 えが慣 行 とされ て い た点 で あ る。 ただ, 共 同体 の平等 の維 持 とい う機 能 は失 われ,イ ラ ンで は割 替 え は小 作 農 が永 小 作 権 を失 うに した が って頻 繁 化 した と言 わ れ て お り,農 業 制度 と して の割 替 え そ の ものが 共 同 体 的 な制 度 か ら地 主 が 小 作 農 の 権 利 の弱 体 化 を は か る手 段 に変 わ って い た。 したが って,共 同体 的性 格 を残 した寄 生地 主 の村 と地 主 経 営 の労 働 組 織 の場 に変 質 した20世 紀 半 ば の イ ラ ンの地 主 制 の村 とで は,形 態 で は似

て はい る もの の農業 制 度 はお よ そ別 の もので あ った。

二 、 イ ラ ン に お け る 地 主 制 の 展 開 と ム シ ャ ー

(一)マ ル ヴダ シ ト地 方 の農業 制 度 とム シ ャー

筆 者 は,1972年 か ら74年 にか けて イ ラ ン南部 の マル ヴ ダシ ト地 方 で村 落 社 会 と農 業 制度 に関 す る調 査 を実施 した。 当時 の イ ラ ンは産 油国 と して石油 収 入 を経 済 開 発 にっ ぎ込 み,農 地 改革 後 間 もな い村 社 会 は開 発 の波 に巻 き込 まれ て 激 しい変 容 の過 程 に あ った。 政府 は生産 力 と社 会 制度 の側 面 で既 存 の村 落 を経 済発 展 の栓楷 と して認 識 し,資 本 主義 的 な経 済 発展 に相 応 した農 業社 会 の編成 を 目的 と した政 策 を矢 継 ぎ早 に打 ち出 して い た。 究 極 的 に は村 落 の解 体 が政 策 的 に追及 され,70年 代 後 半 にな る とか な りの村 が い わ ば囲 い込 み に よ って大 農 場 に編成 され た。 調 査 はま さに この過 渡 期 に実 施 され たの だ が,こ こで み たの は開放 耕 地 制 の耕 地 規 制 の下 で均一 な耕 地 を耕 作 し農民 間 で利 用 す る地 条 を毎 年 くじ引 きで 決 あ る割 替 え を慣 行 と して い た農 民 の姿 で あ った。 住 み込 み に よ

る詳細 な調 査 を実 施 したの はわず か に二 っ の村 に過 ぎな い が,同 時 に実 施 した

参照

関連したドキュメント

ア Tokyo スイソ推進チームへの加入を条件 とし、都民を対象に実施する水素エネルギ ー普及啓発のための取組(① セミナー、シ

事業開始年度 H21 事業終了予定年度 H28 根拠法令 いしかわの食と農業・農村ビジョン 石川県産食材のブランド化の推進について ・計画等..

「1 つでも、2 つでも、世界を変えるような 事柄について考えましょう。素晴らしいアイデ

こども達はア ティストのお兄さんやお姉さんと 緒にア トワ

[r]

(ア) 上記(50)(ア)の意見に対し、 UNID からの意見の表明において、 Super Fine Powder は、. 一般の

・環境、エネルギー情報の見える化により、事業者だけでなく 従業員、テナント、顧客など建物の利用者が、 CO 2 削減を意識

運搬してきた廃棄物を一時的に集積し、また、他の車両に積み替える作業を行うこと。積替え