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同志社大学における外国語教育の現状とその問題点

― ドイツ語教育の現場から ―

著者 岸 孝信

雑誌名 言語文化

巻 7

ページ 135‑155

発行年 2004‑07‑30

権利 同志社大学言語文化学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000004689

(2)

同志社大学における外国語教育の現状とその問題点

―ドイツ語教育の現場から―

岸   孝 信

はじめに

同志社大学言語文化教育研究センター(以下「言文センター」と略称)は、

1993年4月施行の同規定によれば、「学部学生、外国人特別学生及び科目等 履修生に対する外国語教育を学部と協力して行い、かつ、言語文化及び外国 文化に関する教育と研究を行うこと」を目的に設置された。同規定第3条は、

その事業内容を次のように規定している。

「センターは、前条の目的を達成するために、次の事業を行う。(1)  外 国語、言語文化及び外国文化に関する体系的でかつ有機的な教育のた めのカリキュラムの作成。(2)  学部学生のための外国語に関する授業 科目並びに言語文化及び外国文化に関する授業科目の学部の要望に応 じての提供。(3)  外国語、言語文化及び外国文化についての研究。(4) その他必要な事業」1

言文センターの設立は、1991年の大学設置基準の大綱化という戦後日本の 高等教育をとりまく環境を激変せしめる大きな節目にあって―本学におい ては外国語教育担当者の所属にかかわる教学組織上の歪みの解消を動機とす る多分に学内政策的な要因もあったものの―何よりもまず「外国語および 言語文化・外国文化に関する教育・研究をより効率的に、より高度に、より 多角的に展開する」2という負託に応えるべき組織として構想された。しか し、それから10年余を経た今日、言文センター設立当初の目的は、十分各方 面の期待に添うかたちで達成されたであろうか。本学における正課授業とし ての外国語教育システムとカリキュラムの現状を顧みるとき、はたしてその

「言語文化」7-特集号:135−155ページ 2004.

同志社大学言語文化学会©岸 孝信

(3)

所期の思惑通りの効率、質の高さ、多角性は、じっさい首肯しうる程度に実 現されたのであろうか。本稿では、言文センターに負託された業務のうち、

何よりもその中核をなす外国語教育に焦点を絞って、外国語教育の現場たる 教室、ならびにそのフレームワークたるカリキュラム編成とその編成システ ムに関する事柄を中心に問題点を洗い出し―しかし、なしうる限り教授法 や授業内容といった技術的ないしは戦術的議論に陥ることを避けつつ、なお かつドイツ語教育担当者という前線の戦闘指揮官的本分を踏みこえることな く―将来提示されるべき具体的な戦略構想の一助となることを祈念しなが ら、本学における外国語教育、とりわけ初修外国語としてのドイツ語教育の 現状について問題解析を行ってみたい。

1.何を、どの程度まで教えればいいのか?

―教科書選定をはじめとする次年度シラバス作成作業の憂鬱

まず、外国語教育―具体的には初修外国語としてのドイツ語教育―の 現場にあって、もっとも大きな不満ないしは不都合を感じることから、話を はじめる。私どもドイツ語教師は、まったく当然のことではあるが、それが どのような教科書であれ、ひとたび教科書を指定されるか、あるいは自分で 選ぶかして、それを用いて授業を行うことについては、ためらわずその任に 当たる準備がある。また同時に、多少の教え方の巧拙はあるにしても、まず 一定程度の成果を収めることについても、ほぼゆらぐことのない自信を持っ ている。使用する教科書が、例えばコミュニケーション重視のものであれ、

伝統的な文法事項の習得に重点を置いたものであれ、おおむね事情は同じで ある。また、担当すべき学生が、明確な動機と意欲を持った少数のクラスで あれ、十分な学力と意欲を持たない四、五十名のクラスであれ、多少のやり にくさ、やり易さがあるだけで、これもまた大して違いのないところである。

問題なのは、自分の担当するクラスで、ほんとうは何を、どの程度まで教え ればいいのか?―というごくあたりまえな点について、かならずしも明確 な合意が形成されていないことなのである。教えるべきことが、外国語つま りはドイツ語を用いたコミュニケーションなのか、ドイツ語文献の読解なの か、あるいはいまはやりの「異文化理解」なのか、もしくはそうしたことを

(4)

適当な匙加減で塩梅しつつ、いわゆる「ランデスクンデ(特定の国を対象と した総合的地域研究)」と称されるような一般教養的、折衷的な事柄を教え ることなのか、正直いって、あまりよく分からないのである3。また、その いずれであるにしても、一定期間の授業を了えた段階で、じっさいのところ どの程度までの到達度を達成すればいいのか、週何コマ、何セメスターでこ れこれのことを習得させるように!……といった定量的な到達目標が、あれ だけ立派な体裁のシラバスが毎年発行されているにもかかわらず、いまなお かならずしも「体系的でかつ有機的な」整合性をもって明示的に指示されて いる、とは思えないのである。

確かに、外国語科目のシラバスを「定量的」に記述すべきか、「定性的」

に記述すべきかについては、議論の残るところであろう。しかし、外国語の 授業は、大学で提供される多くの正課科目の中でも、ひとつのきわだって目 立つ特徴を持っているのではないか、と筆者は考える。それは、もしその気、、、、、

になりさえすれば、、、、、、、、

、①何を教えるのか? ②どの程度まで教えるか?……に ついて、全体として入門ないしは初級から、中級、上級と、その授業内容を グレード化し、また各グレードの到達目標を、文法事項、個々の語彙、定型 表現、文型、場面や主題に応じた会話や読解のモデル、あるいは話す・聞 く・読む・書くの各技能の習熟度等の具体的指標をもって記述したシラバス として―どういうカテゴリーのシラバス4を用いて記述すべきかという議論 にはここでは立ち入らないが―提示しうる可能性がある、という点である。

私どもドイツ語教師の最大の憂鬱は、おそらくまずどの担当者にとっても、

毎年11月から年明けにかけて集中する次年度カリキュラム編成にまつわる一 連の業務にあるのではないだろうか。ありていに言えば、大学の教務事務ス ケジュールから逆算して、遅くとも毎年11月最終週から12月第1週にかけて の時期までに、次年度使用する教科書を選定する作業を行わなければならな いが、各教科書出版社から新刊見本が届くのが11月の中旬から下旬にかけて であり、実質わずか1週間前後で次年度使用する教科書の選定作業を了えな くてはならない。例年、そのルーチンの慌ただしさに、かなりな不満をいだ くことは確かであるが、しかし教科書選定という業務は、現実に検討可能な 教科書見本が手もとにあって、さらには選択可能な複数の選択肢の中から、

(5)

しかるべき使用教科書を決定するためのひとつの原則ないしは指針さえ確立 されていれば、本来さほどにやっかいな作業ではなく、教科書見本に目を通 すための数日間で十分こなしうる性質のものであろう。さらに言えば、教科 書選定のための1、2週間は、次年度一年間の授業を思って、「あんな工夫 もしてみたい、こんなことも試してみたい!」と、かえってこころはずむ期 間ですらあるだろう。しかし、それなのに、私どもドイツ語教師の大半は、

毎年その選択をするにあたって、各担当者の性分にしたがって多少の相違は あるとしても、まず全員に近い者がその作業にそうとうの憂鬱を感じ、往々

「今年もまた、適当に決めてしまったな」という後悔の念すら抱くことがあ るのである。これは、いったい、どういうことなのだろうか。なぜ、われわ れは、何を、どの程度まで教えるのか? ということについて、いま以上に 詳細に立ち入った―より端的に言えば―「定量的」なシラバスを書けな いでいるのだろうか?

2.何を、どの程度まで教えることが求められているのか?

―外国語教育の理念にかかわる組織的かつ間組織的議論の不在

冒頭引用したように、言文センター規定には、「学部学生、外国人特別学 生及び科目等履修生に対する外国語教育を学部と協力して行い、、、、、、、、、

、かつ、言語 文化及び外国文化に関する教育と研究を行うこと」(傍点筆者)が明記され ている。しかし、現実にはそもそも、どのような外国語教育を、どの程度に わたって提供することを各学部は言文センターに望んでいるのか、また反対 に、言文センターとしてはどのような外国語教育を、どの程度に至るまで各 学部学生に提供すべきと理解しているのか、かならずしも判然とはしていな いのである。というよりも、外国語教育の具体的な内実にかかわる学内にお けるそのような基本的合意の形成はいうにおよばず、そうした合意を形成す るための組織的かつ間組織的な議論もまた、言文センター設立から10年余を 経た今日に至ってもなお一度も行われてはいないし、そのような議論のため の枠組すら今日なお確立されていないのである。いろいろな瑣末にわたる議 論はしたくないので、ただひとつのことだけを指摘しておく。

同志社大学の6学部ならびに2004年4月に新入生を迎える政策学部は、い

(6)

ったい自学部のカリキュラム体系のなかで外国語教育をどのように位置づけ ているのであろう。大学ならびに各学部の唱える理念はさておいて、各学部 が「卒業に必要な単位」として外国語をどのように考えているのか、既存6 学部に関しては2003年度生の場合を、また政策学部に関しては2004年度生の 場合を対象にして具体的に見てみよう5

まず神学部の場合、英語8単位以上、英語以外の外国語8単位以上の履修 を要件とする。英語以外の外国語に関していえば、言文センター提供の独・

仏・中・西・露・ハングルの他に学部が独自に設置するアラビア語の履修が 可能である。ただし「神学の学問的背景」から見て、ドイツ語を履修するこ とが奨励される。さらにドイツ語には、言文センター提供のすべての「ドイ ツ語」科目と、神学部が独自に設置している「神学ドイツ語」が含まれる6

次に文学部であるが、カリキュラム体系は各学科各専攻により複雑かつ多 岐にわたるがおおむね次のように概括できる。

①英文学科

選択科目として独・仏・中・西・露・ハングルの6外国語から1外国語を 選び、「入門Ⅰ・Ⅱ」(もしくは「インテンシヴⅠ・Ⅱ」)および「応用1・

2・3・4」から8単位以上を履修することを要求する。会話科目は2単位 を上限として卒業単位に算入される。英語に関しては、当然のことながら、

英文学科が独自に展開するカリキュラムがカバーしている。

②文化学科

(哲学及倫理学専攻)

「選択科目Ⅲ」として英・独・仏の3外国語から2言語を各8単位、合計 16単位以上を履修する。なお英・独・仏以外の外国語は「選択科目Ⅱ」とし て履修可能である。また「選択科目Ⅰ」には「英書講読」「独書講読」「仏書 講読」が設置され、大学院へ進学希望の場合は、これらの科目の履修が指導 される。

(教育学専攻)

「選択科目Ⅲ」として専攻独自の設置科目「原典講読科目」(英書・独 書・仏書及び漢文古典講読)と合わせて、英・独・仏・中・西・露・ハング

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ルの7言語から32単位以上を履修する。ただし、原典講読科目を18単位以上 履修することが求められるから、外国語科目はその残りの単位数を英語から ハングルまでの7言語の科目で埋めることになる。また、大学院進学希望者 には、英語のほか、ドイツ語またはフランス語の履修が奨励される。

(心理学専攻)

「選択科目Ⅲ」として独・仏・中・西・露・ハングルの6外国語から1外 国語を選択し、「入門Ⅰ・Ⅱ」もしくは「インテンシヴⅠ・Ⅱ」から4単位 以上を履修する。それ以外の外国語科目は「選択科目Ⅱ」に分類される。会 話科目は2単位を上限として卒業単位に算入。なお、英語は重視され、「必 修科目」に設置される。また「必修科目」には英語による「外国書講読」も 設置される。ちなみに「ドイツ語入門Ⅰ」と「中国語入門Ⅰ」といった履修 も可能である。

(美学及芸術学専攻)

「選択科目Ⅲ」のうち英語を8単位、および英語以外の外国語として独・

仏のいずれか1言語を選び、「入門Ⅰ・Ⅱ」(もしくは「インテンシヴⅠ・Ⅱ」) および「応用1・2・3・4」から8単位を履修する。それ以外の外国語科 目は「選択科目Ⅱ」に分類され、会話科目は2単位を上限として卒業単位に 算入。なお、「選択科目Ⅰ」には、「英書講読」「読書講読」「仏書講読」が設 置される。

(文化史学専攻)

日本文化史は「選択科目Ⅲ」として独・仏・中・西・露・ハングルの6外 国語から1言語を、また西洋文化史は中国語・ハングルを除く5外国語から 1言語を選択し、「入門Ⅰ・Ⅱ」(もしくは「インテンシヴⅠ・Ⅱ」)および

「応用1・2・3・4」のうち8単位以上を履修。なお、どういう事情があ るものか、上記以外の外国語科目を「選択科目Ⅱ」に算入することはできな い。ちなみに英語は「必修科目」に設置される。また西洋文化史は、英・

独・仏の「外国書講読」を設置。

(国文学専攻)

「選択科目Ⅲ」として英・独・仏・中・西・露・ハングルの7外国語から 8単位以上を履修。ただし、英語から最低4単位を履修することを求められ

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る。会話科目は2単位を上限に卒業単位に算入。

③社会学科

(社会学専攻)

「選択科目Ⅲ」のうち英語を12単位以上、英語以外の外国語として独・

仏・中・西・露・ハングルの6外国語から1外国語を選択し、「入門Ⅰ・Ⅱ」

「インテンシヴⅠ・Ⅱ」のうち4単位以上を履修。それ以外の科目は「選択 科目Ⅱ」に設置。また「選択科目Ⅰ」には、独書・仏書の「外国語講読」を 設置。会話科目は2単位を上限として卒業単位に算入。なお、英語科目なら びに英語以外の外国語科目において、一定の単位を履修していない場合は、

3年次演習科目の登録を許可しない模様である。

(社会福祉学専攻)

「選択科目Ⅲ」のうち英語を8単位以上、英語以外の外国語として独・

仏・中・西・露・ハングルの6外国語から1外国語を選択し、「入門Ⅰ・Ⅱ」

「インテンシヴⅠ・Ⅱ」のうち4単位以上を履修。それ以外の科目は「選択 科目Ⅱ」に設置。会話科目は2単位を上限として卒業単位に算入。「選択科 目Ⅰ」には、英書・独書・仏書の「外国語講読」が置かれている。

(新聞学専攻、2004年4月からメディア学専攻に名称変更)

「選択科目Ⅲ」のうち英語を12単位以上、英語以外の外国語として独・

仏・中・西・露・ハングルの6外国語から1外国語を選択し12単位以上を履 修。会話科目は2単位を上限として卒業単位に算入。なお「選択科目Ⅰ」に は、英書・独書・仏書の「外国語講読」が設置される。

(産業関係学専攻)

「選択科目Ⅲ」のうち英語を16単位以上、英語以外の外国語として独・

仏・中・西・露・ハングルの6外国語から1外国語を選択し、「入門Ⅰ・Ⅱ」

「インテンシヴⅠ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅳ」「応用1・2・3・4」などから8単位以上 を履修。また必要数を超える単位を「選択科目Ⅱ」に算入することが可能。

会話科目は4単位を上限として卒業単位に算入される。なお、「選択科目Ⅰ」

には英書の「外国語基礎講読」「外国語講読」、および独書・仏書の「外国語 講読」が設置される。

さて、次は法学部である。法学部には法律学科と政治学科があるが、両学

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科ともカリキュラム体系の組立はほぼ同様である。外国語関係科目は「6類」

に区分され、さらに英語関係科目のA群・C群と、英語以外の外国語関係の B群・D群に分類される。A群およびB群は法学部が独自に設置する「原典講 読」科目であり、C群・D群は言文センターが提供する「教養的な」7外国語 科目である。「6類」の卒業単位は、A群・C群については8単位以上、B 群・D群については、独・仏・中・西・露・ハングルから8単位以上の履修 を要件とする。英語以外の外国語については複数の外国語の履修を認めてい るが、それぞれの入門科目については1外国語の単位のみを卒業に必要な単 位数に算入し、それ以外は卒業単位数を超えて履修される科目の受け皿であ る「8類」に算入する仕組みである8

経済学部は、2年前に大規模なカリキュラム改訂を実施した。その改訂の 目指すところのひとつには、「高い外国語能力の育成」が挙げられている。

外国語科目は、英・独・仏・中・西・露・ハングルの7言語を設置し、おお むね第1セメスターから第3セメスターまでの履修を基本とする基礎的科目 のA群と、2年次第4セメスター以降の履修を基本とし、高度な語学能力や 国際関係および異文化の理解を深めるためのB群、および会話クラスやサマ ープログラム関連科目など卒業に必要な単位数には算入されないC群に分類 される。卒業に必要な単位数としては、A群については、英・独・仏・中・

西・露・ハングルの7言語の中から2外国語を各6単位、計12単位以上を、

またB群については4単位以上を取得することを卒業要件としている。なお 外国語関連科目について特筆すべき点は、英語については、第1セメスター 直前に能力評価試験を行い、能力別クラス編成を実施していること、また英 語以外の外国語については、第3セメスター終了後に可能なかぎり外部試験 等を導入しつつ、到達度を確認するための試験を実施していることである。

また、若干奇異なことながら、本来「1類」情報系科目に分類されるコンピ ューティング関連科目を「2類」A群の単位として6単位算入することなど を認めている。つまり、経済学部の場合、コンピューティング関連科目の履 修をもって1外国語を履修することに換えることを認めている。

商学部は、今出川校地における昼夜開講制の実施にともない、昼間主コー スならびに夜間主コースといった若干複雑な要素があるものの、昼間主コー

(10)

スの場合、卒業に必要な外国語科目の単位数としては、英・独・仏・中・

西・露・ハングルの7言語から2外国語をそれぞれ8単位、計16単位以上、

また夜間主コースの場合は、同じく7言語から1外国語を8単位以上履修す ることを要件とする。ちなみに、「入門Ⅰ・Ⅱ」「インテンシヴⅠ・Ⅱ・Ⅲ・

Ⅳ」「応用1〜4」は外国語科目に、また、それ以外の科目は自主選択科目 に分類される。なお、専門科目として、ハングルを除く英・独・仏・中・

西・露の外国書講読が設置されている。

工学部もまた多学科に分かれるが、カリキュラム体系は各学科ともほぼ同 一の仕組みである。卒業単位は、第一外国語としての英語は8単位以上、第 二外国語としては独・仏・中・西・露・ハングルの6言語から4単位以上と される。各外国語科目は、「入門Ⅰ・Ⅱ」を履修していることを条件に、卒 業単位に算入される(ただし会話科目は2単位まで)。なお、工学部7学科の うち機能分子工学科と物質化学工学科は、とくにドイツ語の履修を要件とす るなど、学科によって若干の相違がある9。また機能分子工学科と物質化学 工学科は、選択科目のA群Ⅱ類の科目として、英語とドイツ語の「外国書講 読」を設置している。

最後に2004年4月開設される政策学部であるが、その履修体系プランは、

同志社大学の将来を予想する上でも、また外国語教育の将来構想を考える上 でも―例えばカリキュラム上大きなウェートをもつ英語に関していえば、

これを学部教育の「売り物」とするのではなく、すでに一定の英語運用能力 を身につけた学生を対象にカリキュラム体系を構成するといったように―

あきらかにひとつの方向性を示唆していると思われるが、議論の複雑化を避 けるために、他学部に関する場合と同様、ごく概略的な紹介にとどめておく。

外国語科目については、全体として12単位以上を卒業単位として要求し、英 語については8単位以上、また初修外国語については4単位以上の取得を要 件とする。なお、必修科目のうち、第1〜3セメスタ−に履修すべき「基礎 能力養成科目」ないしは「オリエンテーション科目」では、「日本語および 英語によるコミュケーションメソッドの修得」を、また、それに引き続き第 4セメスター以降の「演習科目」では、「日本語&英語による〈読む・書 く・話す〉基礎能力と資料収集・分析手法を学んだあと……」などとうたわ

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れている点から見ても、英語の実際的な運用能力が大きな比重をもっている ことが特徴である。

さて、煩雑を顧みず、上記のごとく詳細に立ち入った紹介を長々とつづけ た趣旨をご理解いただけるであろうか。「同志社大学における外国語教育」

とひとくちで言ったところで、以上の通りの既存6学部+新設1学部縦割の 履修体系全般の中での「外国語教育」なのである。筆者自身、長年の同志社 勤務の中で各学部のカリキュラム全般を概観したのは今回がはじめてであ り、そもそも教室の中で、こうした各学部個々の履修体系とその体系にこめ られた趣旨を十分意識しながらドイツ語の授業を行っていたか?……と問わ れれば、はなはだ心もとないところである。入門クラスであれば、もともと 時間割作成事務の都合から、おおむね各学部学科によるクラス指定であるが、

その他の外国語クラスは各学部学科の区別のない混成クラスである。つまり、

もともと、言文センターの提供する外国語科目には、発足当初から「特定学 部向けの外国語教育は提供しない」という不文律が立てられており、個別学 部向けの対応は、数年前の経済学部カリキュラム改革時の申し入れへの一定 程度の対応を例外として、原則的に行われていないのが実情である。

しかし、上述したように、例えばドイツ語に限ってみただけでも、1)神 学部、文学部英文学科ならびに文化学科の複数の専攻、そして法学部のよう に、卒業に必要な単位数としては概ね8単位以上を要求する学部学科専攻

―とりわけその専門分野の必要から、初修外国語の中でも特にドイツ語を 重視し、履修すべき外国語として指定したり、専門科目として独書講読科目 を設置したりしている神学部、文学部文化学科哲学及倫理学専攻、教育学専 攻ならびに美学及芸術学専攻、そして法学部等―と、2)それとは対極的 にドイツ語をすでにいわば「一般教養」的な理解で十分とする考えからか、

卒業に必要な単位数としては僅か4単位のみを要求する学部学科専攻、3)

そしてその中間として卒業に必要な単位としては6単位以上を要求する学部 学科専攻が現実には混在することを考える場合、はたして「特定学部向けの 外国語教育は提供しない」という建前を今後もとりつづけることは可能ない しは妥当なことなのであろうか? また反対に、各学部学科専攻は―例え

(12)

ば経済学部のカリキュラム改革時の対応に見られたように―それぞれのカ リキュラム構想にしたがって、独自の外国語教育への取り組みを言文センタ ー側に要請するとともに、他学部学科専攻ならびに言文センターとの間で外 国語教育に関する調整を行いつつ、その議論の過程をとおして同志社大学全 体としての外国語教育構想をより具体的に整備発展させていく必要はないの だろうか10

筆者は、言文センター規定にある「学部学生、外国人特別学生及び科目等 履修生に対する外国語教育を学部と協力して行い、、、、、、、、、

、かつ、言語文化及び外国 文化に関する教育と研究を行う」という条項の傍点部分が、センター発足以 来今日にいたるまで、その実効性という点ではまったくと言っていいほど機 能していないと考えている。次節では、本学における外国語教育の現場にあ って、とりわけ初修外国語としてのドイツ語授業の現場から見て、こうした フレームワークそのものの不備からどのような不都合が生じているか、二三 の具体的問題を指摘してみることにする。

3.問題点を列挙してみよう

(1)「教養教育」の一端としてか、「専門教育」の準備としてか?

まず第一に、筆者は大学で教える初修外国語としてのドイツ語教育には明 らかに異なる二つの目的があると考える。一つは、大学における教養教育の 主要な柱をなす外国語教育の一端としてのドイツ語教育であり、もう一つは、

専門教育の準備科目としてのドイツ語教育である。すでにしばしば取り上げ られる話柄ではあるが、同志社大学におけるドイツ語教育の実情に即して、

念のためこの問題にも言及しておく。なぜなら、この点について、各学部学 科専攻ならびに言文センターは、今日なお明確かつ合目的的な合意をもって 外国語教育のカリキュラム体系を構築しているとは思われず、その弊害が他 のどの要素よりも如実に教育現場に出ていると思われるからである。

ここでは、たまたま筆者がよく知っている神学部の場合について紹介する。

すでに言及したように、各学部学科専攻にはその専門分野の性格により、と りわけドイツ語教育を重視し、卒業単位としても8単位を要求するところが いくつかある。その一つが神学部であり、なおかつ大学院入試の試験科目と

(13)

しても英語とともにドイツ語の試験を必須としている。ドイツ語科目として は、「選択科目3類(英語以外の外国語)」に、科目名は神学部独自の呼称

「ドイツ語1〜23」に変更しているものの、「入門」以下「会話」各級に至る まで言文センター提供のすべての科目と、神学部独自の「神学ドイツ語1〜

6」を設置している。問題は、神学部に入学した学生がはじめて履修する言 文センター提供のドイツ語科目と、専門文献を読む訓練を明白な目的に掲げ る学部設置科目「神学ドイツ語」のうち2年次履修が通例の「神学ドイツ語 1・2」の接合が、カリキュラムの流れの上でかならずしも「体系的でかつ 有機的」には行われてはいないということである。

2002年度入学生の場合、つまり2003年度2年次を終了する学生であるが、

初年度ドイツ語の履修に関しては、実際上次のような選択肢があった。

1)「インテンシヴⅠ・Ⅱ」を履修する者。教科書はStufen  International  111 であり、授業はコミュニケーション重視である。文法事項の関係代名詞、受 け身、接続法などは、きちんとしたかたちではおもに2年次に扱うことにな っていた。インテンシヴクラス履修生は、おおむね2年次においてもインテ ンシヴコースの科目を履修し、「神学ドイツ語」はそれに加えて履修すると いうのがおおく選択される形である。

2)「ドイツ語入門1・2」を履修する者。教科書は『スツェーネン1

―場面で学ぶドイツ語』の終わりまでと『スツェーネン2』(三修社)の ほぼ半ばまでを使用。この教科書は、現在流行の異文化理解の視点を取り込 み、「コミュニカティヴ・アプローチ」の手法によって授業を組み立てるこ とを前提とした教科書であるが、その前書きによれば、「日常の表現には、

文法的に理解しようとすれば、高度な説明が必要になるものが多くあります。

しかし、それにこだわると、文法は学習したけれどドイツ語はまったく使え ない、ということにもなります。応用範囲の広い、重要な文法事項をしっか り覚えましょう」12とあるように、かならずしも文法事項を体系的に教える ことや、文献学的センスを養成することを重視しない教科書である。

さて、1年次にこのような教科書と手法によってドイツ語を教えられてき た学生が、2年次に至って唐突に「本格的」な文献学的ドイツ語を教えられ るときのとまどいを想像していただけるであろうか。いわゆる「コミュニカ

(14)

ティヴ・アプローチ」の考え方にしたがえば、例えば、格変化や人称変化の 細かな差異にこだわることは忌避され、表情や仕草などボディーランゲージ まで動員して意思疎通を図ることが奨励されるが、他方「神学ドイツ語」の 時間に求められるのは、格変化や人称変化はむろんのこと、その他1年次に はただの一度も言及されていないような分詞や副文や冠飾句の用例、それに 関係文や接続法の立ち入った用法などの文法現象がつぎつぎに出てくる生き たテキスト―いま流行の用語を用いるならば、十分に専門的学習の教材と なりうるという意味でauthentischな(本物の、真正の)テキスト―を読む ことにたえうる精密さなのである。「神学ドイツ語」では、この落差を2年 次の第3セメスター1コマの授業で修復し、秋の第4セメスターにおいては、

はやくもほんもののテクストを読む練習を始めなくてはならないのである。

「ドイツ語会話ごっこ」のような授業を丸1年間受けつづけた学生に、僅か 1セメスター1コマで文献学的素養を身につける……というような努力を強 いることは、教師にとっても、学生にとっても―無理ではないにしても

―けっして合理的な課題ではないことは明らかであろう。

ここにはなにか大きな誤解かミスマッチがある、と筆者は考える。いった い、「教養教育」の一環としてのドイツ語と「専門教育」の準備過程として のドイツ語をまったく同列に並べたり、あるいはすくなくとも、「専門教育」

の準備過程としてのドイツ語を必要としている学生に対してそれ相当の配慮 をすることなく、おしなべてみな同じ教科書、おなじコンセプトでドイツ語 を教えていいものなのだろうか。これが、第一の問題である。

(2)「コミュニケーション能力」の開発か、「文献読解および作成能力」の 養成か?

第二の問題としては―ドイツ語教育の目的が、教養教育にあるのか、専 門教育の準備にあるのか、という問題とも密接に関連することであるが―

いまも触れたように、教室で実際に教えられるドイツ語自体ついても、いっ たい「コミュニケーション能力」の開発に重点を置くのか、「文献読解およ び作成能力」の養成をより優先させるのか?……ということがあるだろう。

なぜなら、英語教育に関わる危機意識からの影響であろうが、ドイツ語教育

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においても、コミュニケーション重視の教授法が大流行であるが、先ほども 触れたように、コミュニケーション重視のドイツ語教育と、文献読解のドイ ツ語教育がその目的と手段を別にすることは明白だからである。そもそも、

この両者は、生きた人間を相手にする語学か、この世にはいない人間を相手 にする語学か……という対立すら成り立ちうるという点において、決定的に 本質を異とするものではないだろうか。かりにそれが本格的なドイツ語とま ではいかないまでも、それこそ異文化理解を念頭においた一般教養的ドイツ 語を教えるだけにしても、ドイツ語を学ぶ学生に対して、いま現在ドイツ語 を用いて暮らす人間とその社会とその文化に対する関心を呼びさますこと と、もはや金輪際正対して言葉をかわすことの出来ないルターやカントやカ ール・バルトの魂の声をいささかでもテキストから聴き取ろうという気にな らせる授業とは―少なくとも筆者の理解では―まったく別な精神態度と 手法とを必要とするものである。

先ほど例として紹介した神学部の場合に鑑みても、例えばseligという言葉 ひとつを学生に教えるのに、どれだけの説明とこころの静謐が必要とされる ことだろう。手許の独和辞典を引いてみると、その基本訳語はだいたい次の ような記述で共通している。

1 (a)【キリスト教】(死後に)天国の至福にあずかった、浄福(永福)

の;さいわいな。(b)【カトリック】列福された、福者の。2 今は亡 き、故…。3 この上なく幸せな、幸福に酔いしれた、有頂天の。4

《戯》ほろ酔い機嫌の13

文献学的な訓練を受けた者であれば、なぜ「天国の至福にあずかった」と いう語義と「今は亡き、故…」という語義が隣り合っているのか、また、な ぜ1(a)  の記述には「死後に」という前置きがされているのか、そのことに 一言触れることなしにこの単語を素通りすることはまずできないであろう。

10巻本のDudenにある説明のように、seligとは、[von allen irdischen Übeln

erlöst und] des ewigen Lebens, der himmlischen Wonnen teilhaftig

14ということで あって、このことの根本的な理解なしに、つまり「(あらゆるこの世の厄介 事から解放されて)永遠の生命に、天国のよろこびにあずかった」というこ とに思い至らしむることなしには―要するに「死んで仏さまになった」と

(16)

いう表現とも一点通じる事柄がここにはあり、あるいはひとはその苦しみや 悩みから、死以外の何ものによっても逃れえないのではないか、といった領 域にわずかでも足を踏み入れることなしには―この語を教えたという気に はなれないのである。

そうしたことを、「コーヒーはいかがですか?」「きょうは何曜日ですか?」

といったことを数パターン反復練習することだけに毎回の過半を費やすよう な授業の中で、いったいどうやって教えればいいのであろうか。筆者は、コ ミュニカティヴな手法による授業をけっして軽視するものではないし、また 同志社大学におけるそのような手法による授業であるインテンシヴクラスの 授業もまた、すでに10年以上にわたって担当しており、その意義、目的、手 法についても、十分認識するものでもある。むしろ、ドイツ語によるコミュ ニケーションについても、それが実際使いものになるレベルに達するには、

どれほどの暇手間と熱意が必要か知り尽くしているつもりである。「駅へは どう行けばいいでしょうか?」といった言いまわしを用いた小会話をテーマ にするだけでも、まず授業が1回つぶれるほどに時間と労力を食うことは、

ドイツ語の担当者であればみな知っていることである。

筆者が問題にしているのは、わずか4単位の授業などでは―しばしば無 反省に口にされる常套句にあるように―ドイツ語の「話す・聞く・読む・

書く」のすべてにわたって「バランスよく教える」ことなど到底できるもの ではないし、またドイツ語を僅か4単位のみ卒業単位とする学部が、本気で そのようなことを求めているのかどうか、はなはだ疑問だということである。

お題目と形だけの授業を受講させられる学生にとって、それが面白く、意義 深く感じられることなどけっしてないであろう。一方また、6単位ないしは 8単位を卒業単位とする学部にとって、その学部学生が本当に必要としてい るのは、ドイツ語によるコミュニケーション能力か、文献読解と作成能力か、

あるいは、その両方のそこそこからなる「一般教養」なのか、いったいその 本音はどうなのであろうか。わたしどもが大学で教えるべきドイツ語とは何 か? これが、問題の第二である。

(3)「知っておく」程度にか、「使いものになる」ようにか?

(17)

紙数の残りを勘案しつつ、あと一つだけ問題を指摘しておく。言文センタ ーが提供すべき外国語教育が、教養教育をめざすものであるにせよ、専門教 育の準備を意図したものであるにせよ、あるいはまた、コミュニケーション に重点をおいたものにせよ、文献学的素養の養成を重視したものにせよ―

もしくは、それらを適宜配分したバランスに主眼をおいたものにせよ―す でに述べたように、外国語教育の授業は、もしその気になりさえすれば、、、、、、、、、、、、、

、何 を教えるのか、どの程度まで教えるのかということを、そうとう具体的な指 標をもって記述しうるということである。本稿では、具体的な詳細に立ち入 ることは差し控えるが、例えば、コミュニケーションを重視した外国語の場 合でも、文献読解と作成に重点を置いた外国語の場合でも、〈話す・聞く〉

と〈読む・書く〉のいずれについても、①文法事項、②語彙と定型表現、③ 運用技能のそれぞれに、個々の「課題」があり、またそのそれぞれに応分の

「到達度」のレベルがあるのではないだろうか。個々の「課題」について取 り上げることはしないが、例えば「到達度」については、1)「うろ覚え」

でいいから〈知っておく〉べきレベル(どこかで勉強したと思い出せる程度 の到達度を意味する)、2)きちんと〈覚える〉べきレベル(その気になれ ばかならず思い出せる程度の到達度を意味する)、そして最後は3)自在に

〈使いこなせる〉レベル……などが考えられるであろう。重要なのは、その 個々の「課題」と「到達度」の組み合わせが、外国語教育の理念と目的に応 じて、そうとう異なってくるということであり、それを今のように無批判的、

惰性的に行うことは、教師と学生の双方にとってはなはだ不合理ではないか、

ということである。

例えば、教養教育の一環としてドイツ語によるコミュニケーションを重視 した授業を行い、それをもって学生の異文化理解に資するというほどのこと を主眼とするクラスと、いっぽう専門教育の準備としてそうとう高度な文献 を読みこなすことを眼目とするクラスでは、その①文法事項、②語彙と定型 表現等、③運用技能のいずれについても、教室で扱うべき課題の項目と到達 度のレベルは、明らかに大きなずれを呈することであろう。また、そうした 個々の点についての合意が形成されれば、当然学期末の成績評価と学生によ る授業評価に関しても、そうとうに明示的な指標があたえられることにもな

(18)

るだろう。しかし、そもそも各学部学科専攻は当該履修学生がどの程度のレ ベルに到達することを必要としているのか、また言文センターはどの程度の レベルに到達すべきと考えているのか、あるいはそのことの別ないい方だが、

各学部学科専攻ならびに言文センターがどの程度の履修学生の合格率を相互 に納得できる水準と判断するのか……そうした点についても、これまでまっ たく議論がなされておらず、ありていに言えば、大学においてもっとも数多 く設置されている「同一科目」であるにも関わらず、その評価基準は、その 都度その都度の履修学生と担当者、それに使用教科書等もろもろの要素の組 み合わせに応じてしかるべく!……といった塩梅なのである。どのような外 国語教育を行うにせよ、それを「知っておく」程度に教えるのか、「使いも のになる」ように教えるのか?……これが、第三の問題である。

4.一、二の提案

以上、同志社大学における外国語教育、とりわけドイツ語教育の現状につ いて、外国語教育の現場担当者の視点から、カリキュラム編成に関する事柄 を中心に問題点を指摘した。そのさい、できるかぎり限り教授法や授業内容 といった戦術的議論に陥ることを避けつつ、なおかつドイツ語教育担当者と いう戦術的責任者の本分を踏みこえることなく―つまり、そもそも同志社 大学は外国語教育の今後についてどのような戦略構想をもっているのか、と いった議論には立ち入ることなく―そのはざまに置かれる者の視点から、

今現在いかに同志社大学における外国語教育について、組織的、間組織的な 議論が必要か!……ということについて、若干の問題提起を行ったわけであ る。ドイツ語教育の理念的および技術的な問題については、例えば、はやく も1988年10月発行の日本独文学会誌『ドイツ文学』の「シンポジウム〈ドイ ツ語教育の将来を考える〉を聞いて」の中で斧谷彌守一氏が「論点は出尽く している」15と漏らされているように、またなによりも1991年の大綱化を契 機とした各大学における実際の改革の動き―および改革疲れの様相―が 示すように、すでにありあまる数の参照すべき文献と事例が出揃っていると いっても過言ではないだろう16。また、語学教育それ自体に関する理念や将 来構想については、2002年2月21日の中央教育審議会答申『新しい時代にお

(19)

ける教養教育のあり方について』や、大学審議会の2000年11月22日付の答申

『グローバル化時代に求められる高等教育のあり方について』、および21世紀 初頭の大学を取りまく状況を分析し、今後取るべき指針を四つの「基本理念」

として提示した1998年10月26日の答申『21世紀の大学像と今後の改革方策に ついて−競争的環境の中で個性が輝く大学−』17など、そして同志社大学内 部の資料としては、2003年1月24日付の教養教育検討委員会答申「全学的な 教養教育のあり方について」18や同年8月1日付の同委員会の4つの小委員 会答申19などを基礎資料とすることができるだろう。本稿では、そうした戦 略的、戦術的議論の双方の中間にあって、外国語教育の理念と目的、またそ の技術論的方法論的議論のいずれとも密接に関わる問題―要するに外国語 教育の現場の者が「はっきりしてもらいたい!」と日々切実に感じている問 題―について、比較的単純な点にかぎり問題提起を行ったわけである。

以下、今後の議論の参考に資するべく二三の要点にまとめておく。

(1)同志社大学における外国語教育は、この10年余の間にカリキュラム 編成の面において組織疲労のごとき現状を呈するようになってきた。各学部 学科専攻と言文センターは、できるだけ早い時期に、外国語教育の今後に関 する組織的、間組織的議論を開始するべきである。

(2) 外国語教育には、明らかに「教養教育」的な側面と、「専門教育の 準備教育」的な側面が存在する。また、それと交差する形で「コミュニケー ション能力」の開発をめざす語学と「文献読解および作成能力」を養成する 語学があり、またその到達目標としては「知っておく」だけでよいレベルと、

「覚えておく」べきレベルと、「使いこなせる」べきレベルがある。これら三 つの座標軸を組み合わせることで、各学部学科専攻と言文センターが合意で きるしかるべき外国語教育の枠組を早急に策定すべきである。

なお、「異文化理解」のための教育のついては、これを外国語教育固有な いしは本来の目的とするのではなく、外国語教育もまたその一翼を担うより 広範な教養教育の中に位置させるべきであろう。外国語教育はすでにそれだ けで僅か6〜8単位の授業ではこなしきれないほどの本来的課題を有する し、さらに言えば、外国語教育の意義を十分理解するためにも、より広範な

(20)

「異文化理解」の教育が必要だからである。

(3)その際、空虚な建前や名聞に拘泥しない勇気をもち、どこまでも実 効ある結果を追求すべきである。例えば、卒業単位として4単位で教えるよ うな外国語と8単位かけて教える外国語は、その科目名称からして別にすべ きであろう。僅か4単位で外国語の「話す・聞く・読む・書く」を教え、な おかつ「異文化理解」にまで寄与するというのは、あまりにも滑稽である。

本気で外国語教育を必要と考えるならば、すくなくともドイツ語に関しては、

最低でも8〜6単位は必要である。また本気で必要と考えないのであれば、

そもそも設置しないか、純然たる自由科目にすべきであろう。それが総合大 学の学部にふさわしいかどうかはより包括的立場から判断すべき事である。

(4)また、言文センターとしては、例えばドイツ語を本気で必要と考え る学部学科専攻などに対して、これまで以上に緊密な協力体制を確立し、履 修学生のためのより以上の利便を図る努力をすべきである。そのさい、各語 部ごとに事情が異なってくるのは当然のこととして、それぞれの事情と必要 に応じて多様で実効あるカリキュラム体系を確立すべきである。

(5)最後に、ごく当たり前のことだが、同志社大学の外国語教育の目標 は、次の2本柱とすべきではないだろうか? 第一に、多数の良質な学生の ための外国語教育。同志社大学は私学である。その研究教育をささえる財政 的基盤は端的に学費収入に他ならない。その学費を納める学生の利益を計る ことが、私学同志社の最大の義務のひとつである。大学は、大多数の学生が 納める学費収入を用いて、少数の秀抜ないしは意欲ある学生を対象とした選 良教育に集中投下するよりも、なによりもまず大多数の学生の利益を考えな くてはならない。そういう意味で、大学は、学生一般に対して、最良質の教 養教育ならびに専門教育を提供しなくてはならない。私学同志社の課題は、

多数の良質な学生を育てることにある、と肝に銘じておくべきであろう。

また第二に、少数の意欲ある学生のための外国語教育。カリキュラム体系 の一方には、むろんその意欲と能力に応じた競い合いの道もまた用意してお くべきであり、帰国子女や留学志向の学生などを含め、より以上の外国語教 育を求める比較的少数の優秀ないしは意欲ある学生に対応することも重要な 課題である。外国語の4技能のいずれの面から見ても「使える外国語」能力

(21)

を養成することが、そもそも外国語教育本来の最重要な課題である。例えば、

そのために3・4年次生向けのインテンシヴコースなどをさらに整備拡充す べきであろう。

本稿では言及していない点ではあるが、先ほどふれた大学審議会の二つの 答申を見ても、大学教育の今後にとって「多様性」とともに「個性」という ものが、おおきな意味を持ってくることが当然予想される。同志社大学でも、

これまで以上に多彩で個性的な外国語教育の可能性を追求すべきであろう。

つまり、これが「同志社モデル」と呼べるような外国語教育のコンセプトと システムを大胆に提案し、かつ確立すべき時期が来ており、その責務を負っ ているのが言文センターである、と筆者は愚考するしだいである。

1 「同志社大学言語文化教育研究センター規定」、1993年4月1日制定施行 2 「同志社大学広報」臨時372号4頁、1992年12月21日

3 轡田収・三島憲一・上田浩二「日本におけるドイツ語教育の状況をめぐって」

(『ドイツ語教育部会会報』30号別冊、1986)の問題提起がなされた頃から今日に 至るまで、日本独文学会同会報や各大学紀要にはドイツ語教育の理念や目的につ いて多数の論文・論評が発表されている。

4 川上朋男「ドイツ語教育のカリキュラム開発」(『ドイツ語教育部会会報』42号、

1992年秋)では、「構造」「機能」「場面」「タスク」「技能」「話題」等によるシラ バスが紹介されている。

5 以下の記述は本稿執筆時に参照可能であった『学部履修要項』(2003年4月1日 同志社大学発行)、ならびに同志社大学と各学部学科のホームページ等による。

6 2004年度より、神学部は「英語以外の外国語」を、ドイツ語・ヘブライ語・聖 書ギリシア語・アラビア語・フランス語・中国語・スペイン語・ロシア語・ハン グルの9言語に拡大し、キリスト教神学の場合はドイツ語・ヘブライ語・聖書ギ リシア語の履修を、またイスラーム学の場合は、アラビア語を履修するように推 奨する、と聞いている。

7 『学部履修要項』(2003年度版)の「法-2」ページ参照。

8 2004年度より、法学部は「1〜8類」を「1〜7類」に整備するなど履修要項 を改訂するが外国語科目については大きな変更はないもようである。

9 ただし両学科とも、2004年度からドイツ語履修の条件を外し、他学科と足並み

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をそろえるもようである。

10 教養教育検討委員会外国語教育小委員会答申「外国語教育の目標・理念の構築 とその実施方策(答申)」でも同趣旨の提案がなされている。「同志社大学広報」

臨時594号、2003年9月25日

11 Anne Vorderwülbecke und Klaus Vorderwülbecke: Stufen International 1, Deutsch als Fremdsprache für Jugendliche und Erwachsene. Stuttgart (Ernst Klett Verlag) 2000.

12 佐藤修子・伊藤祐紀子『スツェーネン1−場面で学ぶドイツ語』(三修社)

2002の「はじめに」より。

13 前田敬作監修『フロイデ独和辞典』(白水社)2003

14 DUDEN. Das große Wörterbuch der deutschen Sprache in 10 Bänden. 3., völlig neu bearb. und erw. Aufl. Mannheim/Leipzig/Wien/Zürich (Dudenverlag) 1999, Bd.8, S.3529.

15 日本独文学会編『ドイツ文学』81号148頁、1988年秋

16 筆者は本稿を執筆するにあたって、次のような文献を参照した。

日本独文学会ドイツ語教育部会『ドイツ語教育部会会報』21〜48号、1982〜

1995年

日本独文学会ドイツ語教育部会『ドイツ語教育』1〜8号、1996〜2003年 日本ドイツ学会編『日本におけるドイツ語教育』(成文堂)、1989年10月10日 日本独文学会ドイツ語教育部会ドイツ語教育に関する調査研究委員会『ドイ ツ語教育の現状と課題−アンケート結果から改善の道を探る−』、1999年3 月30日

17 これらの答申については、文部科学省ホームページに掲載されたものを参照し た。

18 「同志社大学広報」臨時578号、2003年2月3日 19 「同志社大学広報」臨時594号、2003年9月25日

Key words: German language education, improvements in foreign language

education, curriculum

参照

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