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スクールソーシャルワーク実践と教師のケアリング

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スクールソーシャルワーク実践と教師のケアリング

──課題を抱えた子どもへの協働を通して見えるもの──

山田 恵子

1.問題関心および研究の目的と方法

 近年の子どもと学校を取り巻く状況を見てみると、子どもの貧困率が 16.3%の高さを 示していることや、子どものいるひとり親世帯数が 91 万世帯もあることなどは、子ど もの生活基盤の脆弱さを表している。児童虐待相談対応件数が 74,982 件に増加してい ることからは、子育て家庭が抱えるストレスの高さがうかがえる。発達に課題があると 思われる子どもは 60 万人いると推定され、外国人児童生徒が 65,279 人、そうした子ど もの母語もポルトガル語、中国語、スペイン語、その他と多言語にわたっており、さ まざまな背景をもった子どもが通ってくる学校では、一人ひとりの子どもに向き合う 必要性が確実に高くなっている(注1)

 しかし、教育改革や学力テストの影響などから、教師の教育における自由度は狭まり、

教育の標準化や学力向上に重きがおかれ、細かすぎる学習評価や煩雑な事務作業にも おわれる教師には、子どもと細やかに関わりにくい状況があり、教育活動における人 間的な関わりが衰退している(久冨善之 2011)。

 筆者(2014)は、日々のスクールソーシャルワークを通して出会う、様々な理由によ り養育力が十分でない家庭に暮らす子どもの様子について、食事摂取の不安定さ、身体 面環境面の不衛生さ、日常生活での経験の乏しさ、家族を含めた人とのかかわりの薄さ、

長い不登校による学力面においての課題などを記した。

 こうした子どもや家庭に働きかけるスクールソーシャルワークでは、すんなりと課 題解決ということにはならず、辛抱強さや忍耐強さが必要となる。働きかけによって、

何とか子どもが学校につながりそうな段階になると、次の課題が現れてくるのである。

それは、長く学校から遠のいていた子どもを学校が受け止めるときに生じる困難であ り、せっかく子どもの気持ちが学校に向き始めていても、その一人ひとりに丁寧に対

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応することが難しい状況にある学校につなげることの困難である。

 こうした状況におかれた子どもが学びを取り戻し、学びの主体へと育ち、自分自身 の人生を切り開いていけるよう支えるために、一人ひとりの子どもと教師とのケア的 な関わりを学校に位置づける必要があると考えるのである。

 本研究の目的は、さまざまな課題を抱えた子どもを学校が支えていく上で、スクー ルソーシャルワークと教師の教育実践におけるケアリングの関連性について検討する ことにある。

 教育学の領域におけるケア研究の第一人者であるネル・ノディングズ(2007:41)は、

家庭がケアリングの要求に応えることができないとすれば、他の制度がその要求を充 たさなければならないと指摘し、その中心的な役割を学校が果たすべきであると主張 している。さらに学校は、子どもたちにケアリングと緊密で持続的な関わりを提供す ることなしには、学業の目的を達成できないとも主張しているのである。

 本研究の方法は、ノディングズらのケアリング理論等を確認し学校におけるケアリン グという機能に焦点をあてるとともに、子どもの生活と学びの視点から、スクールソー シャルワークと教師のケアリングについてスクールソーシャルワーカーの実践報告を 手掛かりに考察する。

2.ケアおよびケアリングについて

(1)ケア概念の広がり

 近年、「ケア」あるいは「ケアリング」という考え方が、医療や看護、福祉や教育な どをはじめとしたさまざまな領域において広がっている。特に、医療や看護の領域では、

キュア(cure)との不可分な関係のなかにケアが強調されてきた。その背景には、医学 の進歩や発展、治療の効率性や経済性、医療を援助する看護の効率化が求められ、患 者の人間的営みがおざなりにされていた状況があるといわれている。

 ケアの概念を最初に検討したのは、アメリカの心理学者であるキャロル・ギリガンの

『もうひとつの声』(1986)であると言われている。ギリガンは、フェミニストの立場から、

理性的で客観的な「正義の倫理」に対して、関係的で心情的な「ケアの倫理」を主張した。

具体的な他者への思いやりや共感、配慮や世話などは、正義という倫理原則にかなっ た行為に劣らず価値ある行為であると主張したのである。

 それを受け、哲学者であるミルトン・メイヤノフは『ケアの本質』(1987)を著し、

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ケアをケアする側から論じた。ケアするとは、他者の成長や自己実現を助けることであ り、その過程をとおしてケアされる側ケアする側が同時に成長すると述べた。そこでは、

専心がケアにとって本質的なものであり、専心が失われればケアすることは失われる と述べている。

 

(2)ノディングズによる学校におけるケアリングの位置づけ

 ギリガン、メイヤロフらの影響を受けたネル・ノディングズは『ケアリング』(1997)

において、ケアリングをケアする者とケアされる者との関係において捉えた。ケアリ ングを「専心没頭」と「動機づけの転移」という二つの概念で意味づけている。「専心 没頭」とは、ケアする者がケアされる者に全面的に注意を傾け、自分自身のなかに相 手を受入れ、その人とともに見たり感じたりすることである。「動機づけの転移」とは、

この「専心没頭」によってケアされる者が受け入れられたとき、自分にとっての可能 性への動機づけがケアされる者に転移し、ケアする者とケアされる者が相互に結びつ く作用である。さらにノディングズは、ケアリングを自然生起的な「自然なケアリング」

と目的的に行われる「倫理的なケアリング」に分類している。ノディングズのケアリ ング理論はさまざまな論文(注2)でも取り上げられ、現在、もっとも大きな影響を及ぼ しているといえる。

 哲学者、教育学者であるノディングズは『学校におけるケアの挑戦』(2007)において、

ケアリングを学校教育の中心に位置づけなおすことを提案している。「学校の第一の仕 事は、子どもたちをケアすることにある……。私たちは、すべての子どもたちを有能 さにむけてだけでなく、ケアすることにむけても教育すべきである。私たちの目的が、

有能で、ケアをし、愛情に満ち、愛される、そうした人に成長するよう促すことに置 かれるべきである」(ノディングズ 2007:17 ~ 18)と述べている。また、「他のひとの 抱いている倫理的な理想に必然的にかかわるような職業にあっては、わたしは、なによ りもまず、ケアするひとであって、二次的に、専門化した任務を果たしているにすぎない。

教師としては、まずケアするひとである」と述べ、「授業で教師が問いを投げかけ、そ れに対して生徒が応答するとすれば、その教師は、『応答』だけではなく、生徒をも受 け入れている」(ノディングズ 1997:271 ~ 272)と続けている。学校は、子どもたち をケアする場であり、子どもがケアする者に成長する場であることと、教師は子ども の能力を評価するだけでなく、子どもをケアする役割があるのだと、ノディングズは 述べている。

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 「ケア」と「ケアリング」について瀧澤利行(2007:65)は、「ケアは客観化・対象化 が可能であるがゆえに、代替可能であり、システムのもとでの提供ができ、それゆえに 社会においてその内容や質的水準を共有できると考えられる。……行為の過程としての ケアリングは、ケアの行為主体と離れて論じられる事象ではなく、きわめて個別的で文 脈依存性の高い再現不可能な現象であるととらえられる」と述べているがさまざまな見 解がある。本研究では、「ケア」を「他者との関係性を土台にして、相手に対して心を砕き、

その人の苦しみや脆さや弱さに受容的共感的に応え、活動や生活、成長や自己実現を 支えること」と定義するとともに、担い手と受け手の関係性に重きを置く概念である「ケ アリング」に焦点を当てて論じていく。

3.学校教育におけるケアリング

 本章では、教師が丁寧に対応することで救われる子どもがいるということ、しかし、

現実はそれが難しい状況にあるということを記した上で、国の政策の中でも学校教育 にケアリングが求められていることを確認し、ケアリングを土台にした教育の必要性 を明らかにする。

(1)先行研究にみる教師によるケアリングの実際

ⅰ)よりどころとなる教師のかかわり

 ここで、長谷川眞人ら(2008)がまとめた児童養護施設等で暮らす子どもたちの作文 集から、高三女子の手記の一部を紹介しておきたい。複数の養父たちからの身体的虐 待や性的虐待、弟が死んでしまうのではないかという恐怖感に怯える日々、実母から 首を絞められ意識がなくなったこと、生活環境の劣悪さゆえ異臭を放っていたため学 校でもいじめを受け孤立していった様子などが痛々しいほど記されている。

 「……でも、そんな私にも助け船を出してくれた先生がいたのです。小学校の恩師、

橋本先生でした。橋本先生は毎朝、不登校気味の私を起こしに来てくださって、私 を学校まで車で乗せて行ってくれたうえ、ワッフルを朝食にご馳走してくださいま した。その他にも、なかなか教室に入ることのできない私の背中を押してくださっ たり、いじわるを言う子たちから守ったりしてくださいました。……」(長谷川ら 2008:157)

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 こういった生活をしている子どもを見かねた橋本先生が児童相談所に通告し、子ど もは児童養護施設に措置されたが、その後の生活も困難が付きまとっている。弟の非行、

違う養父の登場、借金による夜逃げで家族がバラバラになったこと、精神の病を抱え てしまったことなどである。

 この作文を書いた当時子どもは 19 歳になっているが、それまでの人生を振り返り、

小学校時代に出会った橋本先生がどのように自分に関わってくれたのかについて記し ている。それは、困難に覆われたような生活の中で、かすかな光として感じ、大きな救 いとなっていたことだろう。橋本先生を恩師ともいっている。本研究で定義したように、

「他者との関係性を土台にして、相手に対して心を砕き、その人の苦しみや脆さや弱さ に受容的共感的に応え、活動や生活、成長や自己実現を支えること」といったかかわ りかたによって、厳しい状況にある子どもにとり、教師がどれほどのよりどころとなっ ていけるのかを示している。しかし、今日、こうした教師の教育実践におけるケアリ ングは困難な状況になっている。

ⅱ)ケアリングを阻むもの

 公立小学校の教師である大河未来(2011:87)は、「教師が、子どもたちの声を丁寧 に聞き取りながら、学びを生み出していくことを阻害する状況を現場から発信する必要 が、やはりあると思って書きます」といって学校現場のありようを記している。問題を 起こした子どもを見つけるたびに、まるで犯人捜しをするような状況が生まれる。困 難を抱える子どもが集まっている学級の担任を、管理職を含め学年の同僚が攻撃する。

子どもを締め上げる教師が、児童管理がうまい、力があるといわれる。こうしたことが、

学校のなかで起こっているのである。

 大河は、大変な学級ではあるが、子どもたちの粗暴さは情動を隠さずに表現している と捉え、押さえこませずにつながりあう学級にしたいと考えていた。しかし、学校では「今 の子どもたちを甘えた努力の足りない存在として考え、知識を叩きこ」んでいると教 師の子ども観の問題を挙げ、「文部省から下りてくる上からの統制に、おかしいとみん なで声をあげていた時代は、思えば幸せだったのかもしれません。私を苦しめるのは、

横からの統制です」(大河 2011:92)と、学校と教育の閉塞感を記している。

 しかし、大河は、子どもと教師が共に学級で暮らす中で分かり合い、子どもと教師 だけにしか味わうことができないものがあると、厳しい状況のなかでも教師を生きる

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覚悟を述べている。

(2)学校にケアリングを位置づける必要性

 医療や看護の領域で、キュア(cure)との不可分な関係のなかでケアが強調されてき たように、教育の領域でも、さまざまな研究者が学校教育におけるケアリングの意義 と必要性について論じている(注3)。そのなかの佐藤学(1995:162 ~ 164)は、「私たち が『ティーチング』として意識している教育の前提には、人類の歴史にわたる『ケア リング』のいとなみがある……近代の出現は、そこから『ティーチング』の機能だけ を純化して抽出し、学校教育として制度化している。……『ケアリング』に付随して いた『ヒーリング(癒し)』の機能も喪失して、ストレスの多い仕事へと転化してしまっ た……」と現代教育が陥ってしまった課題を述べた上でいくつかの実践を挙げ、教育の 実践が実践として成立しているところでは、ケアリングとティーチングのつながりを 見ることができると続けている。また、佐藤(2000)が述べているように、学校は、も ともと子どもたちを効率的に教育しようとする場であり、教育は、国家の繁栄を目的に、

それを競争による個人の社会移動に求めてきた。学校では計測可能な学力が重視され、

学力テストの全国調査によって、都道府県や各自治体、さらに各学校の順位までが明 らかにされる状況となっている。管理主義的、能力主義的な価値観が浸透している学 校教育で傷つき、疲れ果てた多くの子どもが、学びから逃走している。

 しかし、本来、教育は、一人ひとりの子どもの葛藤や困難あるいは願いに応え、子 どもの学びと暮らし、成長と発達を支えようとする営みである。成果主義を土台にし た学校教育のあり方の見直しが求められ、その解決として、ケアリングという他者と の関係性を土台とした教育の必要性が指摘されている。

 大河が記しているように、教育におけるケアリングの営みはもはや機能することが困 難な状況であることや、ティーチングの役割が肥大化しすぎてしまっているという学校 の現状がある。しかし、長谷川らがまとめた児童養護施設で育った子どもの手記からは、

子どもの生活と学びを支え、子ども一人ひとりの困難や願いに応えようとする教師が、

子どもにとって大きな救いの存在となっていることがわかる。そして、学校には目の 前の子ども一人ひとりに誠実に向き合おうとしている教師が確かにいることを、筆者 は日々のスクールソーシャルワークを通して確認している。

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(3)生徒指導をめぐる政策動向

 鈴木庸裕(2010:101)が「生徒指導は教師(大人)が決めた尺度で子どもを指導す る教育行政用語である。一方、生活指導の考え方は、生活や慣行が子どもを『指導』す るものである。これは『ゼロトレランス』や児童生徒の排除締め付けに頼りがちな指 導とは大きく異なる」と、生活指導は生徒指導と別物であると指摘していることをふ まえつつ、生徒指導に関する政策動向においてもケアリング的な要素について語られ ていることを確認しておきたい。

 2010 年、文部科学省は、生徒指導に関する学校・教職員向けの基本書として、『生徒 指導提要』を作成した。そのなかで、生徒指導は小学校から始まることや、生徒指導は 学校の教育目標を達成するための重要な機能の一つであること、問題行動への対応とい う消極的な面だけにとどまるものではなく、学校全体で進めることが強調されている。

 文部科学省初等中等教育局児童生徒課(2011)『生徒指導に関する教員研修の在り方 について(報告書)』は、『生徒指導提要』を踏まえて、教職員が学校教育の各場面に応 じた生徒指導を実践することができるよう、必要な力量を習得させるための教員研修 の在り方について検討している。そのなかで、生徒指導を展開するために必要な能力 について、「まず、児童生徒一人一人と信頼関係を構築する能力である。そのためには 肯定的な児童生徒観に立脚した共感的態度や尊重的態度が必要となる。また、児童生 徒の置かれている実態や発達の在り方は極めて多様であり、ニーズも異なる。教職員 にはその個別性や多様性を尊重する姿勢とともに、……一人一人、あるいは子ども集 団の状態や心理を理解し、ニーズを特定する能力が求められている」と記されている。

 国立教育政策研究所生徒指導研究センター統括研究官である滝充(2011:305 308

~ 311))は、家庭や地域の教育力の低下をふまえた学校の対応として、「人格が大きく 形成されていく時期に、生命の危機に脅えることなく、安心かつ安全な日々を過ごし、

その中で他から愛される体験はもとより、他を愛する」体験を、学校が提供することを 求めている。そして、「特段の問題を抱えているとは思われない不特定多数の児童生徒 が、生徒指導に関わる問題状況を示す事例が増えてい」ると述べ、特別な子どもだけ が問題なのではないと指摘している。すべての児童生徒の自発的・主体的な成長・発 達を促すためには、「児童生徒を特定して効率的に指導をすませたいと考えてしまうこ とをやめられない」といった、そのかかわりについての問い直しを全教職員に求めて いる。また、滝は「生徒指導と学習指導は、……不可分の関係、表裏一体の関係にあって、

教育課程をともに進めていく役割をになっている」と述べ、さらに、「経済的理由や虐

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待などで食事や睡眠も満足にとることができなかったり、……学校が解決したり関与 したりすることが困難な場合」には、他職種との連携や協力が必要になると述べている。

 文部科学省生涯学習政策局男女共同参画学習課(2012)『子どもたちの未来をはぐく む家庭教育─家庭教育支援の取組について─』は、「私たちは、これまで、保護者同士や、

地域の子育ての先輩、学校、PTA、民生委員・児童委員など、様々な人々のつながり により、子育ての悩みや喜びを分かち合い、学び合う、社会全体での家庭教育支援の取 組を進めてまいりました。……現在、児童虐待の相談対応件数の増加、社会格差の問題、

若者の引きこもりなど、家庭と子どもの育ちをめぐる問題は複雑化しています。子ど もたちの健やかな成長のためには、こうした社会動向を踏まえた効果的な家庭教育支 援施策が一層求められる状況にあります」と述べている。そして、孤立しがちな家庭 など、支援が届きにくい家庭へのアウトリーチも含めた支援をする「家庭教育支援チー ム」を中心とした取り組みを挙げ、そのチームのなかにはスクールソーシャルワーカー も位置づけられている。

 ここで確認しておくべきことは、家庭や地域の教育力の低下などをふまえ、他者か ら受け止められ他者を受け止める経験を、学校教育全体を通してすべての子どもに提 供することが必要であり、そのためには、全教職員が子どもとのかかわり方を問い直 す必要があるということ、学校教育においてもケアリングが求められていると読み取れ るのではないだろうか。そうした教育の実現のためには、スクールソーシャルワーカー の働きかけも必要となっているということが、政府関係文書のなかに打ち出されてい ることである。

4.スクールソーシャルワーカーと教師の協働の中にある関連性

 上述した、児童養護施設で暮らした子どもの手記に登場した橋本先生のかかわりは、

生活環境が厳しい子ども宅に訪問し登校支援をするといった、スクールソーシャルワー カーの働きかけとも重なる。山本敏郎(2011:61)は、スクールソーシャルワークと生 活指導の共通性について「生活指導は、スクールソーシャルワーカーと同じく、『特定 の役割を期待』せず、『ありのまま受け止め』、彼ら彼女らの『ニーズを明確化し』、彼 ら彼女らが『自らニーズの充足に向かうのを側面から援助』しようとする」ものであ ることと、「『子どもの権利と利益を最優先』するという価値を、スクールソーシャルワー クと教育とは共有可能だという認識が協働の出発点である」と述べている。この章では、

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課題を抱えた子どもへの支援をスクールソーシャルワーカーと教師が協働する中で、ス クールソーシャルワークと教師のケアリングの関連性について考察する。

 考察するにあたっては、筆者の日々のスクールソーシャルワークを念頭におき、それ と重ねながら、スクールソーシャルワーカー大田なぎさ(2015)の実践を手掛かりにし た。大田は、日々のスクールソーシャルワークを通した子どもや親、教師とのかかわり、

そして教師と子どもとのかかわりをエピソード記述によって記している。大田の実践 からは、今を生きる子どもや親の姿がリアルに捉えられること、教師とともに子ども をすくいあげようとしている協働の様子が描かれている。その様子は、一人ひとり違っ た固有名をもった子どもを支えようするものである。

●「学校におけるケアについて─通級指導学級担任の関わりから見えるもの」より(大 田:2014. 6)

 親のネグレクトにより不登校となり、何年も家庭の中だけで過ごしていた子どもの もとに家庭訪問を始め、10 ヵ月にわたる働きかけでようやく家を出ることが出来た子 どもを、大田は、家族以外の人とも接触し再び学習していけるようにと、情緒障がい 等通級指導学級につないだ。( )内は筆者。

 ……それまでのけん太くんとの何でもない会話の中で、近々行われる地域のお 祭りに興味を持っているらしいことや、彗星の接近や日食などの天体の動きに関 心があるらしいことがわかりましたので、通級学級担任に私から予め伝えておき ました。通級学級担任は、一緒にインターネットを利用して調べ学習をすること で、日本の神話や祭りの歴史にまでけん太くんの興味を広げ、中学校で実際に使っ ている歴史教科書にも、触れさせていました。また、星々の並びや距離などを調 べることからは、数えられない数があるということなども、けん太くん自身が発 見できるような教え方をしていました。……けん太くんへの働きかけについて、

……私の方からは、何らかのツールを介せば、けん太くんとやりとりができるの ではないかとお話ししました。面と向かった人とのやりとりは難しいけん太くん ですが、パソコンというツールを介して……ものづくりや実験を通して、この先 けん太くんと関わっていけるのではないかと提案しました。……

 この記述からは、ようやく子どもが学習につながれそうな段階になった時、スクー

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ルソーシャルワーカーが、それまでのスクールソーシャルワークを通した子どもとの 関わりの中から、子どもに関する情報を教師に提供していることがわかる。長い期間 不登校となっていて家の中だけで過ごし家族以外との関わりがほとんどなかったため、

人との関わりが大変難しい子どもと新たに関わる教師との関係生成へのきっかけとで きるような情報である。また、長い間学習から遠ざかっていた子どもが学習を再開する には、子どもが学びを継続できるように教師側の工夫が多かれ少なかれ必要となるが、

どのようなことを提供すれば学ぶことで出来そうなのか、どのような関わり方をすれ ば学んで行けそうか、子どもと教師の学習場面の創造に向けた情報も提供していると 読み取れる。

 (子どもは制服をはじめ学用品を親に用意してもらえず、通級時には来訪者用の スリッパを使用していた。商品見本でもらった上履きを教員から提供された際、

子どもは靴ひもを結ぶことができなかった。)……靴ひもを結ぶことができないと いった、けん太くんの小さなつまずきを見つける度に、生活経験を重ねられるよ うな働きかけをしていこうと、通級学級担任と私との間で確認しています。……

生活経験を重ねられるよう働きかけることや、少しずつ関わりを持てる人を増や していくことは、この先けん太くん自身が自立した生活を送る上で、大変大切な ものであると考えます。通級学級担任は、スーパーの広告を用意した上で、実際 にけん太くんに買い物の経験をさせています。小学二年生から四年間不登校であっ たけん太くんは、百分率や割合の勉強をしておらず、ダイレクトに“値引き”表 示がない場合には、お買い得品を見つけることは難しいでしょう。以前、たった 2 つのパンを選ぶのに五分かかってしまっていたことからすると、実際に買い物を する経験は、けん太くんにとって生きることそのものの学びとなります。……

 この記述からは、子どもへの働きかけは教師が主として担うことを意識しているス クールソーシャルワーカーと教師の協働の様子がうかがえる。子どもが背負っている 困難な生活状況や手当されないことによる生活経験の不足は、靴のひもが結べないこ とや自転車に乗れないといった何気ないかたちで表れる。それらは、教師が見ようとし なければ見えない現実だが、スクールソーシャルワーカーはその事実を教師が可視化 でき共有化することを助ける。また、子どもが社会とのつながりを持ち自立した人生 を送れるようになるために、人との関わりや生活経験を重ねるといったことを重視し、

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より生活と結びついた学びを創造していくことについて、スクールソーシャルワーカー は教師と一緒に検討することできる。一人ひとりの子どもの状況に対応し、子どもの 興味を引き出し学びにつなげていく。教育というものを広く捉え学校の外部での活動 や他者との出会いと交流を含みながら、生活科や総合学習などといった教科を主とし て活用して子どもの学びを広げていく上で、スクールソーシャルワーカーとの協働が 教師の教育観・教科観・学習観の変容のきっかけとなる可能性があると考えられる。

●「学校の先生に福祉の視点を取り入れてもらうこと─子どもの生活と家庭環境に目 を向ける」より(大田:2015. 3)

 電話してもつながらない、家庭訪問してもそこに住んでいるのかわからない、といっ た家庭の子どもに対する安否確認レベルの相談を学校から受けた大田は、その後同じ 自治体内で何度も転居を繰り返す家庭への関わりを続けた。以下は、支援により子ど もが登校できるようになってきたときのエピソードである。( )内は筆者。

 ……いつものように家を出たもののわかなさんの足取りは重く、学校に着いても なかなか校舎に入れず、私の服の袖口をつかんだまましくしくと泣いているとこ ろに、通りかかった養護教諭(A)に導かれて保健室で様子をみることにしました。

……わかなさんは一層私の袖口を強く握りしめ、目と口をへの字にゆがめながら 泣いていました。……養護教諭(A)は『うちは、直接の保健室登校は許可して いません。一旦は教室にはいらなければ、保健室にはこさせない』と言うのです。

……(この後、わかなさんが転校した先で)……養護教諭(B)も、わかなさん に熱心に関わろうとして下さっていて、私が行かない日には迎えに行って下さる とのことでしたので、一度、一緒に家庭訪問をしようと考えました。……訪問の 前に、予め、家の中の状態について伝えていました。養護教諭(B)は、家族を 前に家の中を見た時には平静をよそおってくれたものの、一歩家を出たところで、

『こんな家もあるんですねぇ』と、思わずもらしたのでした。……(大田の支援は 三年ほどになっていたが、この間にわかなさんのいとこがわかなさんの転校前の 小学校入学となり、保健室に立ち寄った時のことである)……小さな子どもの衣 類が一式、下着を含めて丸ごとが干されているのを目にしました。私がその洗濯 物をチラリと見たのに気が付いたのか、わかなさんのいとことのものだと、養護 教諭(A)が言うのでした。『においがきついときもあるので、登校したら学校の

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ものに着替えさせて、着てきたものを洗って干して、帰るときに着替えさせている』

とのことなのです。……養護教諭(A)が、学校に来るだけですごいことなんだ と思わざるを得ない子どもがいることを、理解して下さっている様子を、心から 嬉しく思いました。……

 養護教諭(B)の記述部分からは、自分の家庭と大きく異なる家庭を目にすることな く成長してきた教師も多い中、児童生徒が背負わざるを得ない背景があることや、生活 すること自体に困難を伴う家庭があるということを教師が認知し、子どもが学校で見せ る姿だけでなく、子どもの生活全体を捉えようとする視点を取り入れてもらえるよう、

スクールソーシャルワーカーが教師に働きかけていることが分かる。そして、養護教諭

(A)が3年近い大田との関わりを経て、家庭の力を当てにできない子どもの衣類を洗 濯している記述からは、教師の子どもに対する見方が受容的なものへと変容している ことがうかがえる。また、「においがきついときもあるので、登校したら学校のものに 着替えさせて、着てきたものを洗って干して、帰るときに着替えさせている」と大田 に話しているが、「着てきた服で家庭に帰す」という、家庭への影響がない、より細や かなケアが生成している。教師が、スクールソーシャルワーカーと協働することを通 して子どもの学校以外の現実に出会い、教師自身の考えで子どもに働きかけ、その応 答を通して自身が変化していった可能性が読み取れる。

 以上、大田実践の分析から、スクールソーシャルワーカーが教師と協働する中で、① 教師が見ようとしなければ見えない現実を可視化し共有化すること、②教師と子どもの 関係づくりや学習場面を作りだすことへ働きかけているということ、③教師が自分とは 異なる階層の子どもと向き合うことを通して、生活や文化に関する教師自身の見方に 気づき、子どもに対する見方や願いが変容していくこと、④学習内容や学習教材をよ り生活に結びついたものに工夫することなど、教師の教育観・教科観・学習観の変容 や、教師のケアリングがより細やかになるきっかけとなる可能性がある。以上のように、

スクールソーシャルワークと、教師が日常の教育実践における子どもとの関係をケア リング的なものにしていくことには、深い関連性があることがわかる。

 前掲山本が、スクールソーシャルワークと生活指導の共通性について述べていたが、

大田実践から浮かび上がるのは、生活指導とは異なる学校におけるソーシャルワーク の意味についてである。それは、ともに「子どもの権利と利益を最優先」するという価

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値を大切にしながらも、養護教諭(A)の対応が変容したことに見られるように、学 校が持つ福祉機能を発展させ、すべての子どもを支えるための学校教育のあり方を問 い直すというスクールソーシャルワークの独自性である。

5.おわりに

 本研究は、さまざまな課題を抱える子どもをいかに学校が支えていくかについて、子 どもの生活と学びの視点から、スクールソーシャルワークと教師の教育実践におけるケ アリングの関連性について検討しようとしたものである。文献研究からは、ケアリング は、特定の子どものためだけでなくすべての子どものために必要であるということと、

スクールソーシャルワークと生活指導に共通性があることがわかった。スクールソー シャルワーク実践分析からは、スクールソーシャルワークと教師のケアリングに深い 関連性があるということとともに、教師の生活指導とは異なるスクールソーシャルワー クの独自性を見出すことができた。

 本研究は、スクールソーシャルワークのミクロレベルにおいて、スクールソーシャル ワーカーと教師との協働を論じた。しかし、個々の教師という単位ではなく、学校全体 にケアリングを位置づけていくためには、スクールソーシャルワークのメゾレベルにお ける校内体制づくりが必要となるだろう。子どもや学校教育が置かれている状況が厳し い中、学校における教育実践にケアリングを位置づけるためには、校内委員会や学年会、

研修会、事例検討会や校内ケース会議、日常的には職員室などの場で、教師らがケア リングについて共有していくことが必要となる。より豊かな子ども観、教育観を共有 すること、子どもを生活世界全体から捉えようとすること、生活と結びついた学びの 創造などについて、教師同士が語り合うことを通して、それぞれの実践を問い直して いくことが必要である。また、ノディングズが、学校は子どもがケアする者へと成長 する場であるということに触れているように、教師と特定の子どものケアリング場面 を目撃したほかの子どもが、その子どもに向けるまなざしに変化が生まれるなど、教 師と子どものケアリング関係だけでなく、子ども同士のケアリング関係についても考 えられる。これらについての検討は他日を期したい。

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(注)

1)厚生労働省大臣官房統計情報部『平成 25 年度国民生活基礎調査』・『平成 25 年度社会福 祉行政業務報告』、文部科学省生涯学習政策局調査企画課『平成 26 年度学校基本調査報告 書』、文部科学省初等中等教育局国際教育課『平成 24 年度日本語指導が必要な外国人児童 生徒の受入れ状況等に関する調査』。

2)橋迫和幸・池水佐智子(2003)、中村頌(2012)、中村麻由子(2014)など。

3)ネル・ノディングズ(2007)を始め、ジェーン・R・マーティン(2007)、佐藤学(1995)、

中野啓明・伊藤博美・立山善康(2006)、庄井良信(2014)など。

【引用・参考文献】

・ 大河未来(2011)「それでも、なお、教師でいたくて」教育科学研究会編『教育』No.785、

86 ~ 94 頁。

・ 大田なぎさ(2014.6)「学校におけるケアについて─通級指導学級担任の関わりから見える もの」日本子どもを守る会編『子どものしあわせ』No.760、34 ~ 39 頁。

・ 大田なぎさ(2015.3)「学校の先生に福祉の視点を取り入れてもらうこと─子どもの生活と 家庭環境に目を向ける」日本子どもを守る会編『子どものしあわせ』No.769、28 ~ 33 頁。

・ 久冨善之(2011)「日本の教師と学校は強過ぎる圧迫を受けている」教育科学研究会編『教 育』No.785、70 ~ 77 頁。

・ 佐藤学(1995)『学び その死と再生』太郎次郎社。

・ 佐藤学(2000)『「学び」から逃走する子どもたち』岩波ブックレット No.524。

・ 鈴木庸裕(2010)「スクールソーシャルワークとその職務がもつ目的と課題」米川和雄編著

『スクールソーシャルワーク実践・演習テキスト』北大路書房。

・ 瀧澤利行(2007)「ケアの思想と自己決定の思想─その相補性と相剋性─」日本生活指導学 会『生活指導研究』No.24、62 ~ 79 頁。

・ 滝充(2011)「小学校からの生徒指導~『生徒指導提要』を読み進めるために~」『国立教 育政策研究所紀要』第 140 集、301 ~ 312 頁。

・ ネル・ノディングズ著、立山善康ほか訳(1997)『ケアリング─倫理と道徳の教育 女性の 観点から』晃洋書房。

・ ネル・ノディングズ著、佐藤学監訳(2007)『学校におけるケアの挑戦─もう一つの教育を 求めて』ゆみる出版。

・ 長谷川眞人監修、日本福祉大学長谷川ゼミナール編集(2008)『しあわせな明日を信じて─

(15)

作文集 乳児院・児童養護施設の子どもたち』149 ~ 167 頁、福村出版。

・ 山田恵子(2014)「スクールソーシャルワーク実践からみた『同和教育』の教訓─子どもの 教育権保障に注目して─」『早稲田大学文学学術院教育学研究第6号』、63 - 77 頁。

・ 山本敏郎(2011)「教育と福祉の間にある教師の専門性」日本生活指導学会『生活指導研究』

No.28、53 ~ 66 頁。

参照

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