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ロマの民間伝承における文化的・宗教的混淆につい て

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ロマの民間伝承における文化的・宗教的混淆につい

その他のタイトル Uber kulturelle und religiose Vermischungen in der Folkslore der Roma 

著者 村上 嘉希

雑誌名 独逸文学

44

ページ 147‑177

発行年 2000‑03‑15

URL http://hdl.handle.net/10112/00018150

(2)

ロマの民間伝承における 文化的・宗教的混渚について

村上嘉希

l 『トランシルヴァニアのツイゴイナーのメルヘンと伝説』

の成立経緯について

メルヘン,伝説等の研究においては,グリム・メルヘンの例を挙げる までもなく,様々な問題が付随しがちである.つまり,対象とするテキ ストがどのような源泉から蒐集されたものなのか,あるいはどのように 編纂されたかといった問題である. とりわけ本論は,各地を放浪した歴 史を持つロマのメルヘンや伝説を扱うので,そのテキストの問題は十分 に吟味すべき,重要な事柄であるといえる.

この論文で取り扱っているテキスト 『トランシルヴァニアのツイゴイ ナーのメルヘンと伝説』は,ハインリヒ・フォン・ヴリスロキ(1856‑

1907)1が編蟇したものである.彼は最初の本格的なロマ研究家として知 られ,実際にロマの中で生活をし,実証的な研究を数多く残した.民間 伝承の蒐集も彼の業績の重要なもののひとつである.彼のテキストは,

トランシルヴァニア地方(現在ルーマニア領)のロマから蒐集したもの であるが,その経緯に関しては彼自身の解説が残っている.

私がここに初めて出版するトランシルヴァニアのツイゴイナーの 伝説とメルヘンを, どこで,いつ,だれから手に入れたかという質 問への返答は特に重要なものである.私は数年, ツイゴイナー,特 にトランシルヴァニアのテントのツイゴイナーに関する言語と民族 文学の研究に携わっている. 1883年の夏に私は直接的で純粋な源泉 を求め,定住のツイゴイナーではなく, トランシルヴァニアのテン トのツイゴイナーである旅回りの一座から私のデータを集める決心 をした.数カ月にわたって私はテントのツイゴイナー一座と一緒に

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生活し,全ジーベンビュルゲンとハンガリーの南東部分を放浪し た.私はこの間他の多くの非常に興味あるデータと並んで,私がこ こに出版するこれらのメルヘンと伝説をも集めた.その際に,私が この蒐集に受け入れたおのおのの作品を,一つの源泉に重きを置き すぎることなく,民族の財産として少なくとも二番目の源泉を通し て認知した.すなわち収録した作品のすべてを,私は二つの場所的 にも,時代的にも異なった人たちから聞き, オリジナルの言葉通り に記録した.二つの異文から私は常に, より美しく, より面白いも のをこの編纂に収めた.……ドイツ語への翻訳に関しては私は何ら かの方法で美化したり,手を加えたりすることなく,忠実かつ純粋 な形で,原典を逐語訳するように最初から努めた2.

ヴリスロキの記述をそのまま受け入れれば,全く非のうちどころのな い,完壁な蒐集作業であったと認めることができるであろう.彼の記録 は後の世代のロマ研究家に計り知れない影響を与え, ここで用いるテキ ストも今なお重要な意義を持ち, ロマのメルヘン集の古典としてしばし ば引き合いに出される. しかし影響力が大きければ大きいほど,それだ け批判も多くなされるものである.マルテイン・ルーフを初めとする研 究家によって,今までなされた批判をまとめてみよう.以下の要約はイ ネス・ケーラーーチュルヒの論文に因るものである.

「彼は出版する前にテキストを改善(verbessern) し,大きく表現に 手を加え,神話的に濃縮し,ベンファイのインド理論に合わせて選びだ した.」彼によって出版された資料の多くは特異であり,彼の時代の他 の蒐集家の資料とは比較され得ず,競争相手もいなかった. また彼はた いていロマ語のオリジナルなしに出版し,それが本当にロマのものであ るかどうか疑わしい. また彼は定住のロマではなく放浪のロマのもとで 蒐集したと書いているが, 1893年のハンガリーの統計によると「ジーベ ンビュルゲンーハンガリーのロマの約3パーセント ( 1 )が放浪のロマ であり,その倍以上が一時的な定住,残りのすべて,つまりほぼ90パー セントが定住であることが示された.ヴリスロキのテントのツイゴイナ ーに関する出版は, 》永遠に放浪するツイゴイナー《のステロタイプの

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イメージに,その規模において計り知れない影響を及ぼした.」3

これはかなり辛辣な批評であるといえよう. まず彼の蒐集したものが ロマのものではないという批判であるが,それならばヴリスロキの集め たものは一体何であるというのであろうか.あれだけのものを創作する ことなど到底不可能であろうし,それならばトランシルヴァニアの住民 の伝承に手を加えて改作することも考えられなくもないが,だが,その 必然性がどこにあるだろうか.彼の業績が民間伝承の記録だけであるな らいざ知らず, ロマと一緒に生活し, 80を越えるロマ文化に関する書物 と論文を出版した彼が提造することなど考えられないし,その必然性も ないからである.

さらに彼がすでに少数派となっていた放浪のロマから物語を集めたこ とに関しては,特に問題はないと考える.確かにロマの全体像が把握で きないという批判も分からなくはないが, しかし定住化して,その文化 圏の色に染まった場合よりも,放浪のロマから蒐集した方がロマの特徴 がより明確に現れるとも考えられるのではないか.そして出版の際にヴ リスロキがテキストに手を加えたという問題であるが, これはメルヘン や伝説について論じる際に必ずついてまわる問題である. というのは民 間伝承には多かれ少なかれ話者なり,蒐集者の気持ちが現れてくるもの だからである.あのグリム兄弟の場合においてもそれは例外ではない.

例えばハインツ・レレケもこう指摘している. 「..…・彼らは最初から 文体上の改訂の権利,特に混清の権利を自分のものにした.つまり彼ら は特に古く,純粋であるか, さもなくば価値あると思われる細部をしば しば異なった版から受け入れ,新たに組み合わせることによって,通例 一人の伝承者ではなく,複数の伝承者によってテキストの版を作成し た.そのような改訂は,言われているように1810年のいわゆる原手稿に おいてすでに見い出される.」4さらにグリムは実際のところ,語りの上 でかなりいろいろな部分を付け加え,文芸として読めるように構成的に も,文体的にも整備をした.つまり彼らはメルヘン集の前書きなどで何 も付け加えず,一切美化していないと言ってはいても,やはり相当に手 を加えているのである.だが彼らの行為はそれほど批判されるべきなの であろうか.考えてみれば分かることだが,語り手の内容を全くそのま

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ま敷き写したのでは,読み物として成立し得ず,場合によっては理解不 能なものになる. レレケはさらにこう指摘している.

…・・・数十年間論争された「グリム兄弟は蒐集したテキストを変え たか,変えなかったか」という問題は無意味であった. なぜならす でにヤーコプとヴイルヘルム・グリム自身によって明確に答えられ ているからだ. まさにこの質問に対するアルニムヘの手紙で,ヤー コプ・グリムは1812/1813年の変わり目頃にこう書いている.

「あなたが卵の白身を殻にくっつけずに卵を割ることができない のと同じく,何も完全に適切に物語ることなどできません.それが あらゆる人間なるものの結果なのであり,やり方というものは常に 変えられるものです.」それゆえメルヘンのやり方はグリム兄弟に よっても当然変えられたのである5.

そもそもメルヘンなり,伝説なりといったものはきわめて流動的なも のであり,継承され,人から人へと伝えられるにつれて変化していくも のなのである.語り手のその場の気持ちによってもニュアンスが変わ り,それを聞いた人の資質を経てまた変化していくのである.継承され る場合にメルヘンなり伝説なりが変わっていくのは当然のことであり,

宿命といえるであろう.

前述のヴリスロキのテキストに関しては, ロマの研究家の第一人者と 言っていいマルテイン・ブロックも彼のメルヘン集に採用している. たブロックはヴリスロキについて「我々はツイゴイナー学を行うのに,

なしではすまされない基本的な仕事を彼に負うている.彼はみずからの 観察と経験からツイゴイナーの生活をありのまま描いた最高の人である

…….」6と激賞している. メルヘンを記録する際に,たとえやり方が変 わってもその内容の実質が的確に表現されていれば良いのであって,そ れでもなお問題ありとみなすのであれば,およそメルヘンの研究という

ものは不可能ということになってしまうであろう.

ヴリスロキのテキストを読んでみる限り,その表現の簡潔さから判断 すれば,手を加えられたものは最小限のものであったと見て取ることが

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できる. またロマ自身が語った他のテキストもないわけではないが,そ の場合は聞き手であるヨーロッパ人の好みに合わせて内容を変更される ケースが多く, とかくステロタイプになりがちである. また語り手がみ ずからの定住地の影響を強く受けているためロマの特質が弱まる傾向に ある.むしろヴリスロキのこのメルヘン集は放浪のロマから直接聞いて 記録されたものであるゆえに, ロマの独自性が強く反映されるものであ ると信じる. よってこのメルヘン集は研究用としてもっとも適切なもの であると考える.

さてすでに述べたように, この論文で取り扱うテキストのタイトルは

『トランシルヴァニアのツイゴイナーのメルヘンと伝説』である. ここ でタイトルにちなんで, メルヘンと伝説との関係について少し触れてお きたい. まずメルヘンと伝説の概念であるが,マックス・リューテイは

「伝説は全く異なった世界の体験から成長し, この強烈な個々の体験を できるだけ現実に忠実に,特性を際立たせて表現しようとする..…・メル ヘンは純粋な文学的観点であり, なるほどおのおのの純粋な文学のよう に内的な真実を伝えるが,外的な現実を伝えるのではない.」7と述べて いる. しかし実際のところ両者が混合して用いられることが多いのも事 実であり, このヴリスロキのテキストも両者の区別をかならずしも明確 には成していない. したがって本論では, ロマのメルヘンを伝説をも包 括するものとして扱いたいと思う.

ところでトランシルヴァニア地方はジーベンビュルケンとも呼ばれ,

ルーマニアの中部から北西部にかけての地方であり,ルーマニア人の 他,ハンガリー人やドイツ人が数多く住んでいる. ヨーロッパへのロマ の移動については, リューディガー・フォッセンがその経路を詳しく図 示している(次ページ図参照). ヨーロッパのツイゴイナーはおよそ5 世紀から1l世紀にかけてインドを出発し,ペルシアを経て, 10世紀頃ア ルメニア, シリアを通過, 12世紀に入って,一時的にギリシアに滞在し たと想定され,そして13世紀頃ワラキアに到達, 15世紀初頭にジーベン ビュルゲンに流入したと考えられる.言語の中にそれぞれの地域の借用 語が見られるがゆえの推測である. ロマの元来の故郷は言語的考察から

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(8)

インドのパンジャブ地方であることが定説となっており,その移動の始 まりは主に7世紀から10世紀のイスラム教徒によるペルシアとインドの 侵略と関係があると言われている. ロマは当然,言語だけではなく, ういった通過地点の文化の影響を強く受けていることが考えられる. の論文で取り扱うテキストにもそれは当てはまるはずであり,キリスト 教社会のヨーロッパを含めたそれぞれの地域の文化的・宗教的混清を考 察しようというのがこの論文の趣旨である.

2 ロマの民間伝承におけるヒンドゥー教的要素

ヴリスロキはこのテキストの前書きでこのように語っている. 「民族 のもっとも古く, もっとも原初的な文献はその伝説とメルヘンであり,

その中にその民族の考え方や,古今の状況, ものの見方や慣習, もっと も固有の精神がもっとも純粋な形で現れてくる.」9つまりこのテキスト の中にも当然, ロマの世界観や歴史的要素などが現れてくるはずであ る.前述のようにロマの故郷はインド北西部のパンジャブ地方であるの で,彼らの世界観の基盤はインドから発しているのではないかという推 測が成り立つ. インドは言うまでもなくヒンドウー教の国であり, ロマ の民間伝承の中にもヒンドゥー教的要素が見られるのではないだろう か.例えばヴリスロキのテキストに『太陽の母』というメルヘンがあ る. ロマの原初的世界観を強く反映している点で非常に興味深い.以下 がその全文訳である.

むかしむかし, まだ雲の王が若かった時,彼は太陽の王と非常に 仲が良かった.当時は幸福な時代であった. もし太陽の王がその長 い旅に疲れると,雲の王がやって来て,そのしもべである雨に対し て大地に水を撒くよう命令した.それで人々が雨乞いをする時に太 陽が輝いたり,太陽の光を望んでいる時に雨が降ったりすることは 決してなかった.

ある午後,太陽の王は,友である雲の王に出会って言った.

「ねえ君,今日僕はいっぱい働かなくちゃならなかったから, とて も疲れたんだ.僕は夜にすこぶる激しく雨の降った国にいて,地面

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を乾かすためにせっせと働かなきゃならなかった.そうじゃなき や,哀れな人間たちは不作の憂き目にあったことだろう.すまない が,僕が家へ帰れるよう僕の道を進み続けてくれよ.」

雲の王は言った. 「それはできないl俺はきのう雨の降った国へ まさに行くところなんだ.君は大地を乾かすのに精出すべきじゃな かったのに, というのは俺が何者であるかを住民に分からせるため

に,九日間ずっと,俺はその国に雨を降らせるつもりだからだ.」−

「なぜ君は哀れな人々を罰するのか?」太陽の王は尋ねた.雲の王 は語った. 「その国を非常に美しい娘のいる王が支配していて,俺 がその子を妻に欲しいと言ったところ,その父たる王は俺をはねつ け,雲の王に娘はやれんと言ったのだ.それなら俺が何者であるか 住民に示そうというわけだ.俺は我がしもべの,雨,風,稲妻,

雷,雷,雪の全員を連れて行き,心行くまで暴れられるよう,みん な一斉に解き放つのだ! 」−「哀れな住民たちは君に何もしやしな かった.彼らの王が君を侮辱したのなら,君は国民みんなを罰し て,破滅させようとしちゃいけないじゃないか!」善良な太陽の王 は言った.

雲の王は言い返した. 「それは俺には関係ない!だれが俺にそれ を禁じることができるというんだ?」一「僕がだ! 」太陽の王が答 えた.−「そうか?それはちょっと拝見したいものだなあ! 」雲の

王は言って,そこから急ぎ去った. しかし善良な太陽の王はまた怠

け者ではなく,引き返し,雲の王とそのしもべたち全員がその国に 近づくよりも前に到着した.雲の王は何も遂行することができなか った, というのは太陽があまりに激しく照り輝いたので, しもべた ち全員はただかろうじて焼死を免れ得ただけだったからである.そ れで雲の王は怒りで我を忘れ,すぐにあらためて運試しをするため に彼の半ば焼け焦げたしもべたちと,故郷である世界でもっとも高 い山脈′、戻った.

しかし彼がその恐ろしいしもべたちとその国に混乱を引き起こそ うとするたびに,善良な太陽の王がすぐに現れ,不埒な一味を追い 払った.雲の王はそれで非常に不機嫌になり, どうすれば太陽の王

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を排除できるか考え込んだ.彼が彼のもくろみをしもべたちに伝え るなり,風は言った. 「ひとつ提案があります!みんなご存じのよ うに,われわれの共通の敵である太陽の王は,朝早く幼子として空 に姿を現し,午後に成人し,晩に弱った老人になって,その母の懐 で眠るために帰還します. もし奴が母の懐で眠らなければ,力なき 老人のままであり,空に姿を現すことはできません.われわれはな んとしても太陽の母を捕まえねばなりません,そうすればその息子 である太陽の王は, もうわれわれを傷つけることはできません.」

そういうわけで,みんな大喜びし,互いに狂ったように入り乱れ て叫んだ.雪と雷が叫んだ. 「ヒュー1ヒューlそれはすばらしい 提案だ! 」稲妻は隅から隅へと疾走し,叫び続けた. 「ピカピカI

ピカッ 1ピカピカ!これはいよいよおもしろくなってきたぞ!ピカ ッ, ピカピカ!」雷はうなった. 「ゴロゴロ,ゴロゴロ,ゴーロ!そ れは良い提案だ! 」雨は畷いた. 「ザァー,ザァー!風よ 我が兄 弟!君は頭が良いなあ! 」しばらくして雲の王は言った. 「それは 良い提案だ!俺は太陽の母を捕まえることにしよう ! 」そこでまさ に家から遠く離れて,世界のどこかをさまよっている太陽の王の住 居へ,彼は赴いた.途中で彼は美しい灰色の馬に姿を変え,太陽の 王の黄金の家に到着して,門の前に座っていた太陽の母に言った.

「こんにちは,おばさま!私は風の馬というものですが,あなた のご子息である太陽の王が私を使いによこし,早急に彼の元へあな たに行ってもらいたいとのことです.彼は洪水にさらされた国にい て, もはや大地を乾かす力を残してはいません.彼は一時間あなた のふところで眠って,力を取り戻したいそうです! 」−太陽の母は 答えた. 「息子はそんなことを私から一度も望みはしなかったわ!

でももしそうなら急いで息子のところへ行きたいわ,あなたのお背 中に乗せてくださいな! 」それは雲の王にとって好都合であった.

太陽の母は馬に乗り,馬は風のように速く彼女を洞窟に連れていっ た.そこで馬は雲の王の姿に戻り,太陽の母を洞窟に閉じ込めた.

さて太陽の王が晩に弱々しい老人となって家へ戻ってきた時,太 陽の母がいないことに気づいた.そして彼女のふところで眠ること

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ができなかったので,彼は非常に弱り,次の日,空に出ていくこと ができなかった. さて太陽がもはや輝かなかったので,暗闇が一面 を支配し,いまや雲の王はだれにも邪魔されずにしもべたちととも に混乱を引き起こすことができた. しかし彼らの栄華は長続きしな かった, というのは太陽の母が指の爪を伸ばし,穴を掘って洞窟か ら脱出したからだ.彼女は息子の元へ急ぎ,太陽の王は彼女のふと ころで眠って,それからはつらつと空に姿を現し,雲の王を追い払 った.それ以来,雲の王と太陽の王のあらゆる友情は途切れた10.

物語は太陽の王と雲の王の抗争が中心になっており, なぜ雨の降る日 と太陽の輝く日が不規則であるのかというその原因を説明しようとする 一種の天候成立史の形を取っている.原始的な社会においては特に自然 災害というものは抗うことのできない圧倒的な脅威の対象であり,そし てそれが原因で生じた不作や被害によって非常に苦しめられることにな る.人々はそういった自分たちの理解を越えた要素に対して当然恐れを 抱くようになり, なんとか自分たちに説明のつくように物事を把握しよ うと努めることになる.そのためこういった種類の話が生じてくるので あろう.

ところで,物語を分析してみて非常に際立つのは, 自然を擬人化して いる点である.太陽と雲をはじめとして雨,風,雷,雷まで擬人化され ている. ヨーロッパのメルヘンにおいては動物を擬人化するケースが非 常に多いのであるが, 自然を擬人化することは少ない.そのため非常に 東洋的な要素の強いメルヘンであるといえる. こういったアニミズム的 傾向はインドにおいて著しくみられる.

まずインドにはヴェーダという有名な宗教文献があり,特にリグ・ヴ ェーダはもっとも古く, もっとも重要なものとされる. リグ・ヴェーダ はヒンドゥー教の前身であるバラモン教の聖典と呼ばれており,およそ 紀元前の13世紀から14世紀にインドのパンジャブ地方に侵入したイン ド・アーリア人たちによって少なくとも紀元前10世紀頃までには完成さ れたといわれている. リグ・ヴェーダの世界は多神教であり,そのかな りの数の神が自然の構成要素や諸現象を神格化した自然神である.例え

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ば有名なものを挙げてみるだけで,天神デイヤウス,太陽神スーリヤ,

風神ヴァーユ,暴風神ルドラ,雨神パルジャニヤ,雷神インドラ,火神 アグニ,神酒ソーマ,聖河サラスヴァティーなどがいる.それらはおよ そ具体的な人間の姿で表現され,人間味豊かであり,神格化というより も人格化といった言葉がふさわしいくらいである'1.

本論で取り扱っているメルヘンにおいて,その世界観の基盤にそうい ったリグ・ヴェーダの影響が見られるとするのは,無理な話ではないは ずである. ロマの流浪の出発点であり,その故郷であるパンジャブ地方 にその世界観の根源があると考えるのは自然だからである.そうする と, このメルヘンに登場する太陽の王の原型は太陽神スーリヤではない かという仮説が成り立つ. インド神話伝説辞典によるとスーリヤ (Snrya) とは「『リグ・ヴェーダ」以来の太陽神.語源的にはスルsur あるいはスヴァルsvar (輝く)より派生したもので,最も具体的に天空 に輝く太陽を神格化したものである. 『リグ・ヴェーダ」の賛歌の中で 描写されるスーリヤはほとんど天空の太陽の様相そのものであり,サヴ

イトリとも呼ばれる.」'2つまりほぼぴったり一致するといってよい.

だが雲の王の原型は何であると考えられるであろうか. リグ・ヴェー ダには雨や風といった自然現象を支配する強大な神が存在する.それは インドラ (Indra)である. 「『リグ・ヴェーダ』の中でもっとも多くの 賛歌(全体の約四分の一)を捧げられている武勇神,英雄神,あるいは

たいしゃくてん

軍神.仏教では帝釈天と呼ばれる.……『リグ・ヴェーダ」の神話で は, インドラは雷神としての性格が最も強く表されている.頭髪や髭を はじめ全身すべて茶褐色で,暴風神マルトの群を従えて二頭の馬ハリの ひく戦車に乗って空中を駆けめく、る.……『リグ・ヴェーダ』における インドラは,悪魔や強敵を屈服させて人々を守り,彼の信者には寛大な 態度をとるものとして描かれている一方,暁紅神ウシャスの車を壊した り,太陽神スーリヤの車輪を奪い取ったり,暴飲暴食をしたりする面を もっている.」'3その性質や立場は雲の王とかなり近いものがあるといえ るだろう.

ここまで『リグ・ヴェーダ』を基盤において, このメルヘンを論じて きたが一つ重要な問題が残されている.それは時代の問題である. 『リ

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グ・ヴェーダ』は確かに今日に至るまで大きな影響を与えてきた聖典で はあるが,バラモン教が栄えたのは遥か紀元前の話である.紀元後もイ

ンドラの彫像はたくさん作られているし,現代にいたるまでもインド各 地で太陽崇拝が行われ, スーリヤを祭る寺院も建てられている. しかし インドラがもっとも重要な神の一つであったバラモン教は紀元前4世紀

〜5世紀には退潮し始め,それを基盤にしてアーリア的要素とインド土 着の要素が混合したヒンドウー教が成立することとなる. ヒンドゥー教 はその後紀元後5世紀から10世紀にかけて大きく発展することになる が,時代的にはロマの流浪が始まった時期とほぼ一致する. このメルヘ

ンをヒンドウー教の立場から考察すると一体どうなるであろうか.

ヒンドウー教は,バラモン教にインド土着の要素が複雑に交じりあっ て生じた宗教であるが,その根本的なところは大きく変わるわけではな く,広義的には両者を区別せず, ともにヒンドゥー教と呼ぶこともある ほどである.多神教という点では同じであり,当然自然神崇拝の要素も 非常に強い.ただし『リグ・ヴェーダ』において非常に目立ったインド ラやアグニやスーリヤといった神々は影を潜め,代わりにヴイシュヌ (ViSnu), シヴァ (Siva) と呼ばれる神々が際立った存在となる.それ にブラフマー(Brahmg)が加わってヒンドゥー教三大神と呼ばれる.

ブラフマー神はすでにバラモン教時代に非常に目立った神であったが,

ヒンドゥー教においてはヴイシュヌ神やシヴァ神の影に隠れた存在とな る. ヒンドゥー教では世界は創造,持続破壊を繰り返すものであり,

それぞれブラフマーが創造を, ヴイシュヌが維持を, シヴァが破壊を受 け持つことになる. これらの神々にここで取り扱っているメルヘンとの 関連性を見ることは可能であろうか.

インド神話伝説辞典によればヴイシュヌとは「シヴァ神と並んでヒン ドゥー教の最高神. とくにヴイシュヌ派にとっては最も神聖なる神. ヴ イシュヌはviS (広がる,行きわたる,遍満する) という動詞の語幹か らつくられた語で, 『リグ・ヴェーダ』においては太陽の光り輝く作用 を神格化した神であった.」'4またシヴァとは「ヒンドゥー教の三大神の 一つ.ヴイシュヌと並んでヒンドゥー教徒によって熱烈な信仰の対象と される神. シヴァはもともと「吉祥」の意味で, 『リグ・ヴェーダ』に

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おいては暴風神ルドラの尊称として使われた形容詞であった. シヴァ神 はこのようなシヴァという言葉によって形容されるルドラ神に起源をも つと見られている.ルドラは, 『リグ・ヴェーダ』においては,つねに 強烈無比の破壊力をもつものとして表現され,マルト神群の父と呼ばれ る. 自然現象としての暴風雨は,雷光・雷鳴を伴って樹木や家屋を破壊 し,人間を死にいたらしめる.」'5つまりヴイシュヌの性格が太陽の王 に, シヴァの性格が雲の王に一致するということである.特にシヴァの 破壊神としての荒々しい性格は雲の王に酷似していると言ってよい.

このメルヘンの主要登場キャラクターである太陽の王と雲の王のイメ ージの源を考察してみたが,太陽の王にはスーリアとヴイシュヌ,雲の 王にはインドラとシヴァとの類似点が見いだされた.双方ともがどちら の神にその源の多くを譲り受けているかは特定することはできないが,

おそらくはこのメルヘンにおいてそれぞれのイメージが混清しているの ではないかと考える. さらにロマはインドからイランを通過したと考え られているが, イランには火や太陽や月や風を崇拝するゾロアスター教 という宗教があって,それはササン朝ペルシアの国教であった.ゾロア スター教は7世紀にササン朝がイスラム教徒によって滅ぼされるまで健 在であり,その後も9世紀になってもかなりの数の信徒がいた. ロマが その流浪の過程でゾロアスター教と接触した可能性は十分にあり,その 影響も受けてこのメルヘンの中に自然崇拝のエッセンスが残ったのかも

しれない.

なお太陽の母(彼女の原型には母神アデイティを想定することができ るかもしれないが,いずれにせよあまり重要な神ではない.)が洞窟に 幽閉されたために,太陽の王がその力を失い世界が暗闇に包まれる筋に 関しては,天の岩屋戸の物語との類似が指摘できる.原型の物語がイン ドにあって,それが仏教等を介して日本に渡ったという仮説を立てるこ ともできなくはないが,あまりに不確実なため多くを言及すべきではな いだろう.

3 蛇に見られるキリスト教とヒンドゥー教の混渚

蛇という生物は世界中の宗教や民間伝承によってしばしば取り上げら

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れる特異な存在である.足のない紐のような奇怪な形態, うろこがある のに爬虫類であるというそのあいまい性,水際や民家などどこにでも神 出鬼没,恐ろしくもあり,神秘的でもあるその雰囲気など,一般の生物 とは一線を画する要素が多分にあり,昔から人間の特別な関心を引いた 理由も十分に納得できるというものである.ヴリスロキのテキストにお いても蛇は頻繁に登場し,非常に興味を誘う. この章では蛇という一つ の概念を通してロマの世界観特にその宗教的ヴィジョンの混清の問題 を考察する.

ロマのメルヘンにヒンドゥー教的要素がみられるという見解は第二章 で述べた.それはある意味でロマの世界観の基盤を形成していると言っ ていいだろう.古代インドにおいて,バラモン教からヒンドゥー教への 移行の過程でインドの土着的な要素が加わったのであるが,その中でも っとも重要なものが豊饒性や生殖力の崇拝であった. インダス川流域に おいては太母神と呼ばれる女神像が多く発掘されているが, これは妊婦 の形状を示しており,その種の崇拝がかなり古い時代からあったという ことが推測される. またこのような崇拝は必然的に, インドにおいてよ く見られる男性性器や女性性器の崇拝に繋がっていく.そしてそういっ た性器の崇拝がさらにヴイシュヌ神やシヴァ神に対する信仰と結び付い ていった.特にシヴァ神を男性性器として祭ったリンガ崇拝はインドに おいて数多く見られる. これらとのかかわりから,以下にロマのメルヘ

ンにおけるアニミズム,特に蛇の問題を考察してみよう.

ヴリスロキのテキストに「太陽の木」というメルヘンがある.そのお およそのあらすじはこうである.むかしある王妃が死に際に,太陽の木 から枝を取って来れる者にしか娘を嫁にやってはならぬと王に約束させ る.それを行うことができるのは一つ目の男だけであったが,そのすべ てが失敗して処刑された.あるひとりの一つ目の男が怪我をした鷲を助 けるが,彼は太陽の王の鷲であり,世界でもっとも美しい霧の王の娘を 連れてくるよう命令されていた.鷲は一つ目の男を乗せて霧の王の国へ 行った. 「そして鷲が若者に三度,唾を吐きかけると若者は黄金の蛇に 変身し,霧の王の国に忍び込んだ.そこで彼は大きな木を見たが,そこ から絶えず大きな雨の滴が落ちて来た.木の近くに四人の非常に美しい

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乙女が座っていた.彼女たちは霧の王の娘だった. もっとも若く同時に もっとも美しい娘が黄金の蛇を見つけると彼女は蛇を捕まえようとし,

その後を追いかけた. しかし蛇はさらにはっていき, とうとう鷲の隠れ ているところに到着した.そこで鷲は風のように近づいて,蛇と乙女を ヒュ! と捕らえた.鷲は彼らと一緒に太陽の王の国へ飛んでいった.」

そして,娘は太陽の王の后になった.一つ目の男はそのお礼として太陽 の枝をもらう.それを持ち帰り王妃の墓に置くと,王妃は生き返った.

以後太陽の木の枝のおかげでだれも死ぬものはなくなった'6.

アニミズム的な太陽信仰の特徴が顕著に現れたメルヘンであるといえ る. このメルヘンに出てくる鷹は一つ目の男を超自然的な霧の王の世界 へ連れていくが, 日常的世界から一種の神の領域へと導く仲介者の役割 を果たしている.烏が人間をその背に乗せて飛ぶという場面は多くの神 話に見られるが, ヒンドゥー教の伝説の巨鳥であり,ヴイシュヌ神をそ の背に乗せたガルーダとの関係性も指摘できよう.ガルーダは半分が人 間,半分が鷲の姿でよく表現される. さらに霧の王とその娘たちについ てであるが, インドと国境を接するネパールを連想させる要素がある.

ネパールにはいうまでもなくエヴェレストなどの高峰がそびえており,

もしロマがその付近を通過したなら,霧に包まれた世界を垣間見たこと だろう.その種の幻想的かつ神秘的な風景からこの上なく美しい精霊の 娘たちのイメージが生み出されるのは極めて自然である.そしてこのメ ルヘンにおいては太陽の国との対極的な存在として霧の国は扱われてい るようだ.

さてこのメルヘンでは黄金の蛇という不可思議な蛇が登場する.一つ 目の男はその黄金の蛇に変身し,美しい精霊の娘をひきつけて,誘導す るが, どうして彼はそのようなことができたのであろうか.バーバラ.

G・ウオーカーは蛇(Serpent)について次のように述べている.

『マハーバーラタ』いわく,世界のくびきに固定されてある北極 星は「至上の蛇ヴァースキ」であり, 「ヴェーダ」によればこの蛇 は,天地創造の際,子宮の淵をかき回した男根神であった.創世記 の神同様, ヴェーダの神インドラは,天界から世界を取り囲む外側

(17)

の海洋の淵に,その大いなる蛇を投げ落としたと主張している.聖 書の物語のように, この神話は降下する豊饒をもたらす男根とい

う,蛇の本来の意味を改めて述べたものである.

男根としての蛇の頭を,蓮の中の宝石とする性的なイメージは,

初潮の神話のさまざまな異形へと分派した.つまり月経は超自然的 な蛇との性交によって引き起こされるという信仰である. このイメ ージによると,神聖な男性の蛇は,その頭の中に「血のように赤い 宝石」を持っていたということである. ヒンドウー教徒は,すべて の大いなる蛇はその頭に不滅の血のように赤いルビーを持っている

と言った17.

つまり蛇にはペニスの意味があるということである.それには豊饒を 生み出す性的な力や,神なる世界につながる大宇宙のエネルギーが示唆 されていると言っていいだろう.それならば蛇が娘を誘いだすことので きた理由に説明がつくというものである. この黄金の蛇であるが,ヴイ シュヌ神のしもべである大蛇アナンタを強く連想させる.ヴイシュヌ神 の彫像は無数の首を持つ大蛇アナンタの上で寝そべっている姿で表され たり,妻ラクシュミーとともに黄金の光を放ちながら蓮の華に囲まれて いる姿で表されることが多い.それゆえ黄金の蛇はヴイシュヌ神の力の 顕現した姿と考えることもできる.

さらに蛇における男根のイメージを強く感じさせるメルヘンに『夫と しての蛇』という話がある.すでにそのタイトルからして性的な意味合 いを匂わせている.そのあらすじはこうである.ある森の縁に三人の娘 を持った貧しいツイゴイナーが住んでいた.彼らは朝早く森に枝を切り に行き,晩になって父親は一番年長の娘に,石の上においてある斧を取 ってくるよう命じた.だが斧のところに蛇がいて,キスをしてくれない とその場を動かないというので娘は逃げ帰った.二番目の娘も同じ結果 に終わった.末っ子の娘が勇気をだして蛇にキスをしたところ,蛇は娘 に自分の家へ来るように命じた.蛇は遠い山岳の家へ彼女を招いた.彼 らは家の中に入った. 「そして蛇がかまどの下に潜り込んだところ,娘 は縫い物をし,食べて飲み,歌を歌い, ときどき窓から美しい緑の森を

(18)

眺めた.彼女が横になった時,蛇がかまどの下からはい出てきて,お前 のベットに上げてくれ!と言った.彼女は驚いたが,そうせねばならな かった.−彼女は蛇を自分のベットのところへ引き上げた……」

半年後,彼女は美しい若者に出会い,結婚を申し込まれた.蛇はそれ を許し, もしうまくいかなければ帰ってくるように言った. しかし彼女 が九匹の幼い蛇を生んだので,夫はお前は魔女だと叫び,それを食べる ように命じて追い出した.彼女が蛇のもとに戻ってくると,そこに立派 な城が立っており,彼女の父と姉たちとそして夫が出迎えた.夫が言う には私は蛇の女王によって蛇に変えられていたが,あなたが蛇を食べて くれたおかげで元に戻れたということであった'8.

蛇の役割に男根の意味合いが含まれていることは明瞭であろう.彼女 が蛇を自分のベットに引き入れる点からしてもそのことは確かであると 考える.だがこの蛇にはさらに深い意味が隠されているようにみえる.

月経が超自然的な蛇によって引き起こされるという信仰があったという ことは前述したとおりであるが, この蛇は娘が大人の女性になる前の通 過儀礼として使われていないかということである.彼女はもっとも若い 娘diej伽gste'Ibchterと表現されているが, このテキストにおいて蛇が 登場するメルヘンの多くにこのような言い回しが見られるのである.

先の『太陽の木』においてもそれは同じである.民族学者のアパル ナ・ラオによるとロマ社会では「特に思春期の開始から閉経期にいたる 月経期には,女性は男たちにとって危険でもっとも近寄り難い[自然]

界と男性たちの間を結合する鎖だとみなされる.」'9ということである.

超自然的な蛇によって山岳の奥に導かれていく娘はまさに人間社会の領 域ではない,別世界へと入っていくのであり,不可思議な大宇宙との接 合点に変化するといえよう.つまり思春期に入ったばかりの若い娘は超 自然的な蛇のイニシエーションを受けて大人の女性の段階へと踏み出す のである.

いままで蛇に見られるインド的, ヒンドゥー教的要素を考察してき た. しかしロマはバルカン半島を通過し, 15世紀頃ヨーロッパ文化圏に 流入してきた.それ以後かなりの期間が経過しており,それならば当然 のごとく, ヨーロッパ文化圏特有の物の考え方の影響も強く受けている

(19)

はずである.蛇の見方についてもそれは例外ではないだろう. なおヨー ロッパにおける蛇のとらえかたは,中世期にその出現が吉兆ととらえら れたなどの例外を除いては,全般的にネガテイブなものである. (もち ろん一つの文化圏における物事のとらえ方は普通きわめて複雑であっ て, このような例外は多数考えられる。ここでは概括的にネガティブで あると述べているのである.)それはやはり聖書における蛇のイメージ が強いためであろう.たとえばマンフレート ・ルルカーは蛇について,

『聖書象徴事典』の中で次のように述べている.

一度イエスは弟子たちに蛇を賢明さの象徴として差し出してい る, 「蛇のように賢く,鳩のように素直になりなさい」 (マタイ10, 16)・ これ以外では蛇は,一貫して悪い意味しかもっていない.主 はその弟子たちに, 「蛇や鰍を踏みつける」力を与えた(ルカ10, 19).蛇は深淵の,陰府の諸力の象徴であり,平和の源である神に よって使徒たちの足下に踏み砕かれるサタン(ローマ16,20)の化 身である.聖書の最後の書で,いにしえの楽園の蛇が黙示録風にイ メージを強められていま一度,巨大な,赤い龍となって登場する−

それは「悪魔とサタンの名を帯した年を経たあの蛇」であり,全世 界の民を惑わす(黙示12,9;20,2)20.

また『ドイツ迷信辞典」によればこのように記されている.

特に蛇はエデンの園の記憶において幾重にも悪の原理として,特 に誘惑者の原理としてみなされている. この蛇は堕罪の叙述でしば しば女性の頭で表現される.その際女性は誘惑者と考えられる.エ ヴァと蛇との性交によって人類に破滅を招く毒がもたらされる.上 部プファルツの伝承によれば,年とったユダヤ人女性と一緒にいる 一匹の蛇によって反キリストが生み出される.蛇は悪魔の動物であ る;蛇は悪魔に取り付かれている.否,悪魔そのものが蛇の形で現 れる.魔女やその他の悪鬼のようなものが属性として蛇を持ってい たり,あるいは蛇に変身したりする21.

(20)

つまり蛇はドイツ語のDieSchlangeに見られるように女性名詞で, し かも悪い女の意味であったり,悪魔の象徴や悪魔そのもの,原罪の源で あったりするわけである.概して神と対立するものであり, ヒンドウー 教における神の性力(シヤクテイ) といったポジティブな意味合いとは 正反対であるといってよい.たとえばヴリスロキのテキストに,キリス ト教の影響の見られる『太陽王の三本の黄金の髪』というメルヘンがあ る.ごく簡単にあらすじを示そう.

ある王が精霊の予言を聞く.それは彼の娘が不幸をもたらす炭焼きの 息子と結婚するであろうというものだった.王は様々な策をめく、らせて 青年を殺そうとするが失敗,結局二人は結婚してしまう.王は青年に太 陽の王の頭から毛を三本持って来いと無理難題を押し付ける.青年は旅 に出て,様々な出来事を経験し,結局成功して戻ってくる.青年は王に なって幸福に暮らすが,かつての王は没落する22.

ところで青年は旅の途中で,ある街に到達したのであるが,そこに黄 金のりんごのなる木があり,それを食べた者は死ななくなるということ だった.だが20年前から実がならなくなっているので,その原因を太陽 の王に聞いて欲しいと頼まれる.そして彼は戻ってくる. 「彼が20年来 黄金のりんごがもはやならなくなった木のある街にやって来た時,彼は 人々に木の根元をかじっている蛇を殺すように言った.人々が穴を掘っ たところ,蛇がいたので,それを殺した.」23

りんごの木や蛇の登場からいって旧約聖書の影響を如実に感じさせる 箇所だといっていいだろう.蛇の果たしている役割は害悪以外の何物で もなく, ヒンドウー教的な蛇崇拝とは違い, よりキリスト教的な扱いに 近いといって良い. ドイツ迷信辞典いわく 「蛇はトネリコの枝で呪縛し たり,殺すことができた. トネリコの木ユグドラシルの根をかじる蛇ニ ーズヘグの北欧の伝説をそれと関係づけることもできる.」24とある.ユ グドラシルとはゲルマン神話における世界を支える宇宙樹であるが,非 常な類似性を感じさせるといってよい.旧約聖書の物語とこのゲルマン 神話が混清して, さらにこのメルヘンの中で借用されたという仮説を立 てることもできよう.

さらにヴリスロキのテキストに『炭焼きの息子と九羽のカラス』とい

(21)

うメルヘンがある. これもキリスト教世界の影響を強く感じさせる.簡 単にあらすじを記そう.貧しい炭焼きとその息子が山岳に住んでいた が, カラスから真夜中にオークの木のところに来れば,お前は食べ物と 飲み物を手に入れられるだろうと知らされる.木のところに来ると金髪 の美しい少女がいて,彼女が三度手を叩くと,八羽のカラスが現れて食 べ物と飲み物を持ってきた.そしてまた来るように言うと,彼女はカラ スに姿を変え,他のカラスたちと去っていった. こういったことを繰り 返すうちに,彼らは豊かになり,父は食べ切れない食べ物を村で売るよ

うになった.

だが一人のユダヤ人がそれを嗅ぎ付け,探りを入れ, 「娘が少年と芝 生の上に座っていた時,ユダヤ人は黄金のお下げ髪に気づくと,飛び掛 かってそれを切り取った……」少年はユダヤ人を殺すが,少女は姿を現 さなくなってしまう.だが少年はオークの木の下に洞穴を見つける.そ してそこには黄金の部屋があった.そこの老人がいうには,彼はかつて 権勢を誇る王だったが,精霊からの求婚を拒否したために,彼の九人の 子供達を含む住民たちがカラスに変えられたということだった.老人は 助けを求め,少年に一匹の蛇をしもくとして託す.

「谷で彼らはすばらしく美しいりんごのなっている一本の木を見つけ た.少年がりんごに気づくと,彼は蛇に言った. 僕はりんごを食べな くちゃならない, なぜってとてもおなかがすいてほとんど歩けないから だ! だが蛇は言い返した. りんごをそのままにしておきなさい, とい うのはあなたは食べるととても眠くなって,眠ってしまい, もう先へ行 けないからです. 少年は蛇の言うことを聞かず,美しいりんごの実を 食べてしまった.彼はりんごを食べるやいなや,深い眠りに落ちてしま った.」だが彼のポケットに入り込んだガマを蛇がしめつけ,その悲鳴 で彼は目覚めた.そして彼は火の川にたどりつくと,ガマを炎の中に投 げた.すると彼は立派な部屋にいて,黄金の髪の娘に出会い,王たちが 救われたことを知る25.

これも前で取り上げたメルヘンと同様, オークの木や金髪の色白の少 女からゲルマン世界との接触が見て取れると思う. またこのメルヘンの 中でユダヤ人が扱われていることは特筆に値する.ユダヤ人は貧欲で金

(22)

の亡者のように描かれている. まったくユダヤ人の悪いイメージのステ ロタイプと言っていいだろう. ロマがユダヤ人と接触したという事実は 記録に残っていないが,ユダヤ人の良くないうわさをロマが聞いてそれ を鵜呑みにしていまい,それがこのメルヘンの中に混入したとも考える ことができよう.

またこのメルヘンでも蛇が登場するが,扱われ方が極めておもしろ い.旧約聖書との類似が指摘できるのであるが,非常にポジティブな役 割を果たしているのである.創世記においては蛇はエヴァとアダムをそ そのかして善悪の知識の果実26を食べさせるのであるが, ここでは逆に 果実を食べるのをやめさせようとするのである.つまり蛇の役割が完全 に逆転しているのである.おそらくは聖書の物語をロマが取り入れたと ころ, ヒンドゥー教のポジティブな蛇のイメージが作用して, このよう な結果になったのではないか.宗教的混清の観点からして非常に興味の 引かれる部分である.

最後に『貧しき羊飼い』というメルヘンに触れたい.あらすじをごく 簡単に記そう.羊飼いが羊の大部分を狼に食べられたため放浪の旅に出 るが,そこで精霊に出会い,娘が悪い精霊に捕らえられたから助けて欲 しいと言われる.そしてその精霊の下で三つの試練を与えられるが,そ れをことごとく克服し,娘を助ける.悪い精霊は滅び二人は結婚する27.

なお三つの試練の中の一つは以下のようなものである. 「(羊飼いは言っ た) 今晩僕は小屋の雌牛の乳搾りをしなくてはなりません. 娘はそれ に答えて言った. もしあんたが雌牛の乳を搾るのなら,たくさんの蛇 が隅々からはいでてきて,あんたを絞め殺そうとするでしょう…...."」28 ここでもやはり蛇がでてくるが, ネガティブな意味合いが強く,悪鬼 そのものと言っていいだろう.キリスト教的なとらえかたの要素が濃く みられるが,実はそれだけではなくヒンドゥー教的な要素が残っている とも考えられるのである.バーバラ.G・ウォーカーは雌牛(cow)に ついて以下のように述べている. 「・$cow"の語源はサンスクリットの Gauであり,エジプト語のkauやkau‑tであった.GauriやKauriという ような女神の名も女陰を表すタカラガイの貝殻を意味した. (ロマ語で はguruvniあるいはgurumniなどである29‑村上)バラモンの再生の儀

(23)

式では巨大な黄金の女陰か,あるいは雌牛一母親の像が使用された.」30 ガウリイーはカーリーやドゥルガーなどとも呼ばれる太母神であり, ンドウー教のシヴァの神妃である. ヒンドウー教において蛇には男根の 意味があったが,実はここでは雌牛=女陰とペアになって現れているの ではないだろうか. この章の前半では黄金の蛇をヴイシュヌ神と関連づ けたが, シヴァ神もまた蛇を首飾りや耳輪にしていることから,ナーガ クンダラと呼ばれることもある. この場面における破壊的イメージには やはりシヴァ神の方か相応しいと考えられる. シヴァはリンガ(男性性 器)の形で崇拝されることが多く,おそらくここではシヴァ:ガウリイ ー=男根:女陰という形で連想的に現れてきたのではないかと推定す

る.

以上,蛇のはたしている役割からキリスト教的要素とヒンドゥー教的 要素の混清を考察した. ヒンドゥー教では蛇は性的な意味合いが非常に 強く,キリスト教においても誘惑者という意味からそういったニュアン スはあるが,その扱われ方は対照的であった.つまり, ヒンドゥー教で は神の領域に属するものとして崇めるべき存在であったが,キリスト教 では悪魔的な忌むべき存在であった. ここに多神教と一神教の違いを見 ることができるが,そういった異質なものが, ロマの文化という一つの 受け皿で一緒になっているという現象は極めて興味を引くものであると いえよう.

メルヘンや伝説には我々が普通に考える以上に,過去の歴史や慣習が 残るものである.おのおのの民族において,その意味することが理解さ れずとも, メルヘンや伝説が伝承され続けるが,それらを考察すること によって思いもかけない発見がなされることもけっして珍しくない.た とえ民間伝承の世界観がその民族の現在の世界観と大きく食い違っても それらは保たれ続け,何らかの影響を与える.それは我々日本人の例を 取ってもいえることであり, しばしば意味もよく分からずに祭式や祭事 を守り続けている現象と似ているともいえるかもしれない.

ヴリスロキはこう述べている. 「文化史家にとってメルヘンや伝説の

(24)

中で生き続けている民族の見解や慣習は非常に興味あるものであり,特 にそれらが先輩の研究者たちへの道しるべとして役立ち, とうに消え去 った世代の生活や思考,感情や試みに導きいれ,その理解を切り開くの に役立つときにはなおさらそうである. しかしながらメルヘンや伝説は 人間精神の歴史にとって,否,人間の歴史そのものにとって,叙述され た, しばしばかなり主観的でもある年代記と同様に確かで立派な記録で ある…….」31ヴリスロキの蒐集したメルヘン集を今まで考察したとこ ろ, ロマの故郷であるインドやヒンドゥー教的要素が強く見られた. ロ マは流浪の民であり,外部との接触が比較的少なかったため,いわばカ プセルのようにその伝説が純化されて残ったといえよう. また一般的に は文字を持つ民族がその民間伝承を大切にすると思われがちだが,書物 に依存しがちになるので,むしろ文字を持たないロマのような民族こ そ,言葉を覚えて伝承しなければならないがゆえに,その民間伝承のエ ッセンスが残りやすいともいえるかもしれない.各地のロマの生活を考 察すると,移動ルートや居住地域の影響の較差のために,国によってそ の文化的様相は実に様々である. しかしリューデイガー・フォッセンに よれば,それにもかかわらず,先祖崇拝や地母神崇拝,儀式的な清潔さ の観念などのインド・東洋的な要素などの共通項が見られるということ である32. ロマは自分たちの伝統文化を尊重することで知られている が,そういった面を考慮しても, ロマのメルヘンからなおさらその素性 や歴史的要素が明らかになるといえるのではないか.

だが近年では地域差こそあれ, ロマとその定住地域の住民との同化が 進んでおり, ロマ語が分かるロマも減少している.特にヨーロッパにお いてはキリスト教の影響は不可避であると言っていいだろう. ロマはヨ ーロッパに流入した時,主として保身のためにキリスト教に改宗したと いわれているが,たとえそれが外面的なものに過ぎないとしても,その 影響を受けずにはいられないはずであった.

例えばヴリスロキのテキストに『月が満ちたり,欠けたりするわけ」

というキリスト教の影響を強く感じさせるメルヘンがある.そのあらす じはこうである.ある小さな村に貧しいツイゴイナーが住んでいた.あ る晩,長い灰色の髪とひげをした老人が彼のトウモロコシ粥を食べてい

参照

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