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七世紀前半のイングランド西部における農村構造

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(1)

七世紀前半のイングランド西部における農村構造

││︒へンプロl

ク伯領マナ

lの土地調査記録の分析ーーー

本稿の課題は︑イングランド西部ウィルトシャにおけるべンプロ1ク伯領マナlの記録(一六三一l二年)の分析

により︑イングランド西部における農村構造の解明に接近を試みることである︒はじめに︑こうした問題をとりあげ

る意味をあきらかにしておこう︒

第一に︑右の史料の作成されたのはちょうどイギリス革命の前夜にあたり︑したがって︑その分析は︑革命前夜に

おけるイギリス農村の状態をあきらかにし︑イギリス革命の農業問題を解明するさいの一つの素材を提供する意味を

もつ︒周知のように︑いわゆる絶対王制成立期から市民革命にいたる時期のイギリスにおける農業・土地問題につい

ては︑この時期における農民層分解のあり方︑さらに進んで︑市民革命の土地問題の把握をめぐって︑いくつかのす

はなやかな論争がおこなわれてきた︒その詳細はここにくり返すまでもあるまい︒たぐれた論稿が発表され︑また︑

‑'299‑

だ︑革命の土地問題をとりあげるについて︑その基礎となるべきイギリス農村の具体的・実証的研究は必ずしも十分

でないことだけは指摘されねばならない︒最近︑わが国における西洋経済史研究の中心は︑産業革命ないしは︑それ

西

(

)

(2)

‑300

西

(

)

以後の時期に移りつつあるようだが︑そのこと自体はある意味では当然であるにしても︑市民革命の土地問題が解明

されつくしたとも︑また︑その研究は今日の時点からすればあまり意味をもたないという風にも思われない︒ここで

は︑このような問題を論じることはできないが︑後の時期を研究する場合でも︑たとえば︑第二次農業革命の研究に

さいしても︑それに先立つ諸変化の性格を正しく把握しておくことが︑農業革命そのものの性格を解明するのに役立

つのではなかろうか︒

l一七世紀のイギリス農村史は︑現在もなお︑いっそうの研究を必要と

する分野であろう︒

次に︑問題をさらに限定するならば︑こうである?ウィルトシャをも含めて︑イングランド西部は革命初期の二ハ

四三年に激しい農民一授にまきこまれ︑一六四五年には﹁クラプメン己ロ

σ1 58

の一捺﹂なるきわめて複

雑な性格をもった農民一授が生じている︒この一授の分析は︑革命期における西部イングランドの位置づけをはっき

りせるための一つの鍵であると思われるが︑

めの一つの素材となるであろう︒ ベンプロ1ク伯領マナlの記録は一授の経済的基礎をあきらかにするた

しかしながら︑本稿で分析される史料はなお地域的に限定されたものであり︑しかも史料の性格からして︑限られ

た地域の限られた局面をあきらかにしうるにすぎない︒したがっで︑本稿の分析では︑まだ︑右にのベたような一般

的な問題との関連にまで立入って論じることはできない︒本稿はただ︑こうした一般的な課題に接近する一つの過程

一つの素材を整備するという意味をもつにすぎないことをことわっておかねばならない︒

以下の分析は︑第一に︑土地保有規模の分解の内容を検討し︑第二に︑地代の動向︑ならびに土地保有規模と地代

負担率の関係をあきらかにし︑第三に︑開放耕地制度の変容と囲込の進展度を中心に農業生産のあり方を検討すると

いう順序でおこなう︒

(3)

ωイギリス革命の農業問題についての議論は︑付革命までのイギリスにおける農民層のブルジョア的分解の進行︑同国王︑教

会︑王党派所領の売却による大土地所有の形成︑伺革命期の諸党派の綱領の分析の三つの問題を軸としておこなわれている︒

そうした点についての事実認識の相違︑その基底に横たわる方法論の相違が意見の対立を生じているのだが︑ここでは︑その

詳細にふれる余裕はない︒ただ︑このうち︑第一の点については︑トll

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ミ)が批判にさらされている現在︑それにかわる包括的な研究はまだ現れていないし︑第

二の点は︑もっぱら︑ア戸ハンゲりスキlの研究に依拠しているのだが(の

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lスクの批判によって再検討が必要とされてい

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綱領の分析は︑たしかに︑問題の所在をはっきりさせるものであろう︒だが実際︑当時のイギリスにおける農民運動の性格は

きわめて複雑であり︑綱領はそうした複雑な現実をすべて反映しているとはかぎら江いのである︒イギリス革命の農業問題を

あきらかにするには︑一層の地域的研究の集積が必要であろう︒ω﹁クラブメンの一授﹂については︑さしあたり︑の

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ωずェ・エム・ラヴロアスキー﹁一七世紀のイギリス・ブルジョア革命の二︑三の論争問題﹂(山岡・木原編﹃封建社会の基

本法則﹄二九三ページ)参照︒

l

ここに利用するのは︑E

・ケリッジ編集﹃一六二二

l二年︑︒へンプロ1

クおよびモンゴメリ

l

伯のマナ

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の土地調査∞己認可の

‑301 調

この州の一七のマナ

l

ω︿M1の記録であり︑

いる︒記録には︑各保有者の保有の性格︑保有承認の時期︑保有する物件の範囲︑

たとえば家屋敷白︒

gg mp

一七世紀前半のイン︑グランド西部仁おける農村構造(武)

(4)

‑302

西

(

)

放牧地︑採草地︑その他の土地︑共同放牧権その他︑納付すべき一時金止ロペ地代︑相続上納物宮ユ♀の形態と量

などがかなり詳細に記載されている︒保有規模はヤlドランドで一示されている場合が多いが︑耕地︑放牧地︑採草地︑

その他の土地のそれぞれの面積も記載されているからエーカー数で表示することができる︒この史料では︑耕地︑放

牧地︑採草地については︑その面積とともに存在形態もある程度あきらかにされている点︑とくに興味がある︒耕地

は囲込の日︒認であるものと共同耕地にあるものが区別され︑共同耕地にある場合は耕地が各耕園口止仏にどのように

分布しているかが示されている︒放牧地︑採草地についても囲込己

20

である否かが区別され︑個々の放牧地︑採草

地の面積があきらかにされる︒それゆえ︑この点を仔細に検討することによって︑当面の段階における農業生産のあ

り方をある程度まで復元しうるのである︒地代については︑それぞれの保有者の支払う一時金

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︑年地代

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BE︑相続上納物の形態と総額︑時には保有が更新される前と後の二つの時期の地代と一時金が記録されて

したがって︑当時の地代形態︑保有規模と地代負担との関係︑さらに地代の動きをある程度あきら r

いる場合もある︒

かにすることができる︒

こうして︑この史料は︑その記載の詳細さ︑

lの四六九保有地という調査範囲の大きさ︑

t二年という時点になされたという諸点から︑市民革命前夜におけるイングランド西部農村の状態をあきらかに

する史料として︑分析意欲をそそられるのである︒しかしながら︑残念なことには︑この・史料には︑ふつうのマナー

記録

58 2E Hゅ の

︒ 三

ωにつきものの欠陥であるが︑土地保有者相互間における土地の叉貸・叉借関係についてまった

くふれていない︒したがって︑この史料からは土地保有規模の分解の程度を示すことができるだけで農業経営規模の

分解の程度を把握することができず︑農民層分解の実態︑農村の各階層の状態を正確に示すことができない︒それゆ

え︑ここでは︑この点についての全面的な分析は放棄せざるをえないのであり︑土地保有規模の分解の程度を一訴し︑

(5)

個々の保有者の存在形態を検討することによって︑農民層分解の性格と方向について若干の示唆を与えることができ

るだけである︒大土地保有者の保有内容はとくに詳細に記載されているから︑この点の検討はある程度可能であると

この史料は︑右にのべたように大きな欠陥をもっているが︑記載の詳細さ︑調査範囲の広さからみて︑十分に検討

すべき価値をもっており︑まったく看過するには惜しい史料である︒農業経営規模の分解については︑他日適当な史

料をえて検討することとし︑ここでは︑土地保有規模の分解程度とその内容︑地代の動向︑農業生産のあり方︑とく

に囲込の進展状況といった諸点を中心に︑当時のイングランド西部農村の一側面をあきらかにしていきたい︒こうし

た問題について︑この史料はかなりの手がかりを与えてくれるので払る︒

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を利用し︑以下︑この史料を同

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i八年の記録を比較して︑二つの時期の聞の地代の動向があ

土地保有規模の分解

まず︑土地保有者を分類し︑整理しておこう︒総計四六九保有地のうち︑自由保有六︑定期保有八二︑謄本保有三

O︑任意保有一である︒そして︑同一の家族が幾つかの保有地を集積している場合があり︑それを計算にいれて整

303‑

理すると︑保有者は全部で三九四家族となっ︑その内訳は︑自由保有者六(うち一名は謄本保有地を︑一名は定期借

地を保有)︑定期借地人七八人(うち一五人は謄本保有地をも保有)︑謄本保有者三二O人である︒保有期間は︑定期

西()

(6)

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‑304‑

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土 地 保 有 者 の 分 解 状 況

1

富大経済論集

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21 

1.  Bulbridge 

3. Dinton & 

Teffont  4.  Fovant 

5.  Fugglestone  6.  Nether‑

hampton 

16 

9.  West  Overtonl 

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保有者の中には数マナーにわたって土地を保有するものがあり,その点を考慮に入れて整理したものが

( )内の数字である。

33  45 

hO. Wilton 

)12.  Alvediston 

!r3.  Bford

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115.  Chilmark & 

Ridge  )16.  Flamston  117.  Burcombe 

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11:  Wylye 

(7)

(%) 

ー 以 下 10I545 │101120 1却すぺ叶十叶∞30 140 160 180 1100 12007 1m以 上 合l

1.  Bulbridge  5.8  10.5  19.8  39.8 

(1381100600α%   2.  Broad Chalke  59.6 

0.11 1. 4 5.  3  9.5  28.0 13.41  13.6 17.9  10.8 

37.5  28. 7  (2675 a) 

3.  Dil1ton  0.51  0.3 1.10.7  8.7  21.9 8.61  10.2 17.7  19.7  100 

Teffont  41.  37.4  (1657 a)  4.  Fovant  2.6 1.6 6.9  3.4 9.2  50.4  9.  1  16.8 

(821090G  63.0 

5.  Fugglestone  O.  19.9 18.8  5.5  13.5  15.0 27.0  100  24.3  (554 a)  6.  Nether 85.6  5.6  8.8  100 

hampton  100  (586α 7.  Stanton  O. 3 0.8  5.5  15.8  7.9 16.8  7.2  45.6  100 

29.2  (1326α)  8.  Stoke  3.  1 12. 1 21.26.1  37.0  100 

Farthing  一 一47.8  (555α)  9.Test O.  3.8  6.6  14.2  20.3  9. 7  45.0  100 

Overton  41.  (702α)  10.  Wilton  100  100 

( 1   7G)  11.  Wylye  0.6 1.16.6 37.9  14.7  7.7  8.5  13.2 

60.3  (718 a)  12.  Alvediston  O. 3 2.  1 5.  9 8.7 28.3  14.6  40. 1  100 

51.  (406α)  13.  Barford  1.0 2.6  4.3  6.3  21.1 5.4  34.2  25.1  100 

(1127α)  31.  59.3 

14.  Bishopstone  O.  4.0  2.1  21.7 11.13.4  46.8  100  35.5  (965  ) 

15.  Chilmark  0.8 1.5 2.9  3.9  6.5 16.6  9.4 39.6  31.  100 

Ridge  10.4  60.8  (1761 a)  16.  Flamston  10. 9 15.8  22.8  50.5  100 

38.6  (457 a)  17.  Burcombe  1.9 7.  9 9.5  4.2  17.3 14. 7 10.0  24. 9  100 

South  41.  (913 a) 

βQ  0.5 1.0 4.8 10.6 10.9 15.1  15.9  25.4  100 

一 一36. 1  9.9  6.4  41.  (16616 a) 

全保有地面積にたいする各階層の保有地面積の比率

2

一七世紀前半のイングランド西部における農村構造(武)

( )内は各マナーの全保有地面積で,エーカー以下は四捨五入した。

(8)

富大経済論集 定 期 借 地 人 の 保 有 規 模

マ ナ ー l出 中zl判;:ヰ37lg

3

1.  Bulbridge 

2.  Broad  Chalke  3.  Dinton & 

Teffont 

4.  Fovant 

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13.  Barford  14.  Bopstonel 15.  Chilmar1&1

Ridgel  16.  Flamston  17. Burcombe 

Southl 

合 計 l

41  80 

借地八このうち終身保有

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:

51  11 

三一︑二一年間二︑0

であり︑保有期間が長期であり

均一であることが︑特徴的であ

る︒謄本保有地については︑

71 

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の称号をもっ

保有者は一二人(二︑三五九エ

l)このうち謄本保有地

15 

を保有するものは四人︑その面

積一三O泌エーカーにすぎず︑

サグィンのいわゆる﹁身分ある

人々の謄本保有地への侵入﹂な

る現象は︑あまり進んでいない

(9)

ω3

さて︑表一と表二はベンプロlク伯領一七マナl

の土地保有者数と土地保有面積をそれぞれ保有規模別に分類した ものである︒それによって土地保有分解の一般的な傾向をみると︑二

OOエーカー以上を保有する大土地保有者は一

二家族(全保有者の三%)で約四︑二二四エーカー(全保有地の二五・四%)を保有し︑これに一

OO

lOO1

カーを保有するこO家族(五・一%)の二︑六五七エーカー(一五・九%)を加えると︑OOエーカー以上を保有 する三二家族(七・八%)が約七︑︒八一エーカー(約四割)の土地を保有することになる︒これにたいして︑六

OlOOエーカーの保有者は三五人(九%﹀で約二︑七二五エーカーC六・三%)︑二OlO

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ヤードランド)の中規模の保有者は一六二家族(四一・五

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四エーカー(三六・一%)の土地を保有

O│Oエーカー(半ヤlドランド)の小保有者は六O家族(一五・四%)で約八O

四エーカー(四・八%)

Oエーカー以下の零細保有者は一O

四家族(二五・八%)で二%そこそこの土地を保有するに

の土地を保有する︒

すぎない︒こうして︑一方において︑大土地保有者への土地集中がいちじるしいが︑中・小の保有者はなおその人数

においても保有面積においてもかなりの比率をしめ︑他方︑かなりの数の零細土地保有者の存在することを指摘する

ことができる︒

次に︑定期借地と謄本保有地とを区別して分解のあり方を検討してみよう︒表三は定期借地における土地保有の分

解を示すものである︒それによれば︑定期借入の分布状態はマナーによってひじようにことなっている︒

では全保有者数二五のうち二Oまで

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では全保有者︑当

13

では全保有者数三五のうち一一が定期借地人で

出 口日 目

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あり︑これらのマナーでは定期借地が圧倒的ないしは︑

かなりの比率をしめているが︑他のマナーでは定期借地人の

数はごく少ない︒もさらに︒OOエーカー以上の保有者三このうちの半分が定期借地人であり︑全保有面積は約五︑

一七世紀前半のイングランド西部における農村構造(武)

(10)

‑308‑

富大経済論集

%)をしめる︒ そのうち一OOエーカー以上の大土地保有者二ハ人が約五︑OOエーカー

しかも︑後で検討するところであるが︑これらの大保有者は

t 回己可正常の一保有者を除き︑すべて本 五三二エーカーであるが︑

( 九 0

・ 一 領地の一括借地人である︒これらの大借地人と定期借地の比率の高い前記三マナ

lの定期借地人をあわせると五六人

となり︑総数の七割にたつする︒こうして︑第一に︑二つのマナーを除いて︑

定期借地はあまり普及していないこ

OO

エーカー以上の大保有地の形成は︑なによりもまず︑本領地の大規模保有による大定期借地の形 成という形でおこなわれたことがあきらかである︒したがって︑謄本保有地だけについてみると︑分解の程度はずっ と低くなることはあきらかだが︑右のような大定期借地の形成と平行して︑謄本保有地そのものの分解による大保有

地の形成がある程度に進んでいることも事実である︒

ところで︑史料は土地保有者相互の聞の叉貸・叉借関係にふれておらず︑また︑他に適当な史料がないので︑農業 経営規模の分解日農民層分解の実態を全面的に検討することはここでは不可能である︒ただ︑土地保有規模の分解に

しかも︑史料はこうした大土地保有者についてはとくにおいては︑大土地保有者への保有地の集中が特徴的であり︑

詳細に記載してあるので︑個々の大土地保有者の性格を検討することによって︑農民層分解の方向についてある程度

の一示唆を与えることはできると思う︒そこで︑次に︑各マナl

の大土地保有者の保有地における特徴的な点を要約し

ω回己﹃正常第一位の保有者

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はそれぞれ八六エーカーと︑四四七M

合計五三三泌エーカーを保有する︒⑧第一の保有地は出己可正常の農場の本領地の一部であり︑前記吋君︒

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︑土地に附属するすべての道路︑利益︑便益︑およびg

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品ゅに附属するものである︒⑥第‑の保有地においては囲込がひじように進んでおり︑輪g

表 6 地 代 と 一 時 金 の 動 向
表 1 2 。出己弘司20 5 が存在することを指摘し︑その中で同じワイルトシャの ( u r 己 丘 町 山 口るζグミ 』 ・ω4、(4)ナ(トわ 仏せれ のわ 事れ 例の を検 あ討 げし て f こ い例からみても︑いわゆる( u r ω日目円巧己grzの地域では︑少なくとも︑一七世紀に入ると︑このような耕地も告Ijの 度とカミJ思 かわ なれ りる 普の 及で しあ てる(5)きUたそして︑こうした形での三世 間紀 制の 度こ のと 解で 体あ がる ーと(6)般す にれ ーば 八この地域は開放耕

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