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ノートルダムとマリアンヌ : フランスの宗教教育

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著者 竹下 節子

雑誌名 基督教研究

巻 64

号 1

ページ 73‑88

発行年 2002‑07‑29

権利 基督教研究会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000004259

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今日は「フランスの公教育における宗教教育」というテーマでお話をさせていただ きます。いろんなことをお話しようと思って、情報量が多くなりましたので、どの程 度お話できるかわからないですが、できるだけ、わかりやすくお話したいと思います。

今、フランスの公教育に宗教教育が採り入れられていることについて、どういう経緯 でそうなったかを見るために、フランスにおける政教分離の歴史を簡単にお話したい と思います。簡単な年表を書きました。最初に政教分離の歴史をお話します。1980 年代の終わりに、もう一度宗教教育を公教育に採り入れなければならないのではない かという議論が起こりました。1995 年、正式に公教育の指導要綱が改定されました。

80 年代から 90 年代にかけての議論が具体化したわけですが、それから 6 年たって、今、

どういうふうに実際、行われているかという現場の実態をお話できればと思います。

〜フランスの政教分離の歴史 495 年 クローヴィスの洗礼

800 年 ローマ法王によるシャルルマーニュの戴冠 1562 年 ユグノー戦争開始

1598 年 ナントの勅令 1685 年 ナントの勅令廃止 1789 年 フランス革命

1790 年 僧侶世俗法(CONSTITUTION CIVILE)

1801 年 ローマ法王ピウス 7 世とナポレオンのコンコルダ 1880 − 89 年 世俗学校の始まり

1884 年 反教権主義(ドレフュス事件 1894 − 1906)

ノートルダムとマリアンヌ * )

――フランスの宗教教育――

Notre-Dame and Marianne ― Religious instruction in France ― 竹 下 節 子

Setsuko Takeshita

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1901 年 アソシエーション法制定

1902 年 左派政権のもとにすべての修道会系学校を閉鎖、財産没収

1904 年 すべての宗教教育の禁止。コンコルダの破棄。ヴァティカンと外交破棄。

1905 年 コンブ法成立 1906 − 9 年 緩和

1988 年 宗教教育の問題提起

1991 年 ブザンソンで宗教教養の時間始まる。

1992 − 7 年 国立大学夏期講座で宗教史、宗教人類学 1993 年 ブルゴーニュで宗教教育養成機関の創立(IFER)

(INSTITUT DE FORMATION A L’ENSEIGNEMENT DES RELIGIONS) 1995 年 指導要綱の改定。教員研修機関MAFPENで宗教情報がテーマになる。

(MISSION ACADEMIQUE DE FORMATION PERMANANTE) 1998 年 宗教−世俗−市民教育協会ARELCの創立。

ASSOCIATION RELIGIONS - LAICITE - CITOYENNTE) 2000 年 リールの市民教育フォーラムで宗教教育がテーマとなる。

ブルゴーニュで最初の宗教教育教員資格の導入

最初にフランスの政教分離の歴史。シンボリックな年代とされているのは 5 世紀末、

496 年、クローヴィスの洗礼です。フランク王国、ゲルマン民族の一人であったクロ ーヴィスが洗礼を受ける。キリスト教に改宗する。ゲルマンの宗教を捨ててキリスト 教に改宗することをもってヨーロッパを統一していきます。それまでヨーロッパはロ ーマ帝国に治められていたラテン系の人々、先住民であるケルトの人々、そして北東 から移動してきたゲルマン民族、それぞれの宗教、多神教がないまぜになっておりま した。これを統一する方法論としての宗教権威を必要としたわけです。その時、ロー マ帝国の首都であったローマに教会を持ったローマカトリックを、ヨーロッパを統一 しようとした王様が利用した。ローマ教会もまた王の軍事力を利用したわけです。そ してヨーロッパが成立することにおいてローマ教会のキリスト教が指導原理となりま した。ヨーロッパの歴史はローマ教会、キリスト教と深くかかわっております。

その後、800 年、ローマ法王によるシャルルマーニュの戴冠があります。カール大 帝がヨーロッパをキリスト教国として学校をつくったり、修道院をつくったりして、

まとめ上げたのが、もう一つの象徴的な年になります。その後は、12 〜 14 世紀にか けて特にフランスでは聖母マリアのノートルダム信仰が盛んになり、あちこちにノー トルダム教会、ゴチック教会、カテドラルがどんどん建っていきます。ヨーロッパ中 世はフランスのノートルダム信仰を中心にして宗教的な盛り上がりを見せます。その

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後の大きな展開点が、宗教改革、プロテスタントの登場であります。中世の終わりに はローマ教会と権力者の体制か癒着したり、世俗の王とローマ教会との利害対立など あったわけですが、ローマ法王も一つの領土を持っていて、封建領主でもあったわけ で、戦争もありました。16 世紀に入って初めてキリスト教内部からプロテスタント が出てきます。そのプロテスタントはローマ教会から破門される形で、今までの世俗 の体制にも教会の体制にも入ってこないということで、ヨーロッパは 16、17 世紀、

戦争の内戦の時代に入ります。1562 年、ユグノー戦争開始はフランスでの新教徒と の戦争です。もちろん王様たちがみなカトリックであったわけではなく、権力者にも 新教徒を支持する者があり、ヨーロッパ全体が二手に分かれて戦争する状態になりま した。その中で有名なのは、フランスで、1572 年、聖バーテレミーの虐殺というの があります。プロテスタントを集団で虐殺したのですが、その反対の事件もあり、ど こでも血が流れました。

ヨーロッパの 16、17 世紀は戦争の時代だったのですが、最終的にはどの国も一応宗 教戦争の終結に向かいます。宗教戦争終結への向い方は、国ごとにいろいろな工夫が なされました。フランスではどういうふうに終結したかというと、1598 年のナントの 勅令で「信教の自由を保障した」と言われております。ナントの勅令の内容は何か。

それまでユグノー、新教徒は政府の要職や職業につく機会を奪われていたのが、職業 の機会の均等が保障されることになりました。それでも宗教的な祝日は王様の宗教で あったローマカトリックのカレンダーに従わなければいけなかったり、新教徒でも 10 分の 1 税を教会に払わないといけなかったり、今の感覚でいう信教の自由ではないの ですが当時としては画期的でした。たとえばイギリスはどういうふうに解決したかと いうと、イギリスは国教会として、イギリスの王様はローマカトリックから離れ、王 様がイギリス国教会の首長になる形で解決しました。しかしイギリスではカトリック 信者に職業の機会均等の差別撤廃がされたのは 1829 年のことでした。カトリックだ けではなく、国教会以外の新教徒、ピューリタンがどんどん国を離れてアメリカに逃 げていくということが起こります。上からの一方的な解決の仕方であったわけです。

その他、ドイツ、スイスのような国、州では、公国の王である大公には信教の自由 があり、大公にはプロテスタントを選ぶか、カトリックを選ぶかの自由はありますが、

一度、大公が決めてしまえば、その国はその宗教になります。スイスでも各州によっ て、大公が選んでしまえばその地域は全部カトリックとなったり、プロテスタントに なったりというふうな棲み分けが行われました。フランスだけが、ナントの勅令のお かげで、棲み分けが行われなかったのです。カトリックから破門された人、この場合 はプロテスタント、新教徒ですが、破門者でも「市民」であると明言されています。

つまりプロテスタントであっても同じ国家のメンバーである。そこにそう言わざるを

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えなかった背景があります。職業につく機会の自由も実現されましたので、日常、カ トリックの人とプロテスタントの人が共存を余儀なくされたという事情が生まれまし た。都市を運営していくにあたっては多数決で決めるようになったり、信仰を持った 1 個人とは別の市民というカテゴリーを持つ。そのことがフランス革命で新たに示さ れるのですが、「市民というカテゴリー」を準備したところに、ナントの勅令の本当 の意味があると思います。

その時点で、同じ国家のメンバーであるという、個人の信仰と市民としての義務の 複合的な関係を考えさせるという、ヨーロッパの中でフランスだけがこういう形で解 決したと思います。後にナントの勅令は 1685 年、ルイ 14 世によって廃止されてしま います。1598 年と1685 年の間、ルイ・ブルボン王朝が勢力を持ちます。そこでナン トの勅令があったにもかかわらず、プロテスタントとの戦争が単発的に続き、ルイ 13 世はラ・ロッシェルの戦いでプロテスタントに勝利したことを感謝して、フラン スをノートルダムに捧げたということから、フランスはだんだんとふたたびカトリッ ク寄りになってきます。ナントの勅令が廃止になった時点で、フランスで 20 万人の プロテスタントの人たち、カルバン派と言われる人たちが、オランダとブランデンブ ルグ公国に移民します。これはプロテスタントを虐殺するというものではなく、カト リックに改宗しない人、不満な人が出ていくという形でした。

なぜナントの勅令は、わずか 100 年足らずで廃止されたか。これには政治的な事情 がありました。まずなぜナントの勅令でプロテスタントを許容したかを説明しましょ う。その時はまだフランス絶対王政の王権が確定していない時期だったので、ドイツ などの公国と同盟を求めたのです。その頃のヨーロッパは、ハプスブルクのカトリッ クがドイツやスペインで勢力を持っていて、フランスはハプスブルグ家の文化に囲ま れた一つの離れ小島のような位置でした。ハプスブルグのカトリックに対抗するため に、実は他のプロテスタント公国の助けを必要としました。そういう経緯があって、

ナントの勅令が出たわけです。その後、フランスのルイ14 世が勢力を蓄え、もうフ ランス一国でも自分たちの権力が保てるということで、プロテスタント国との同盟を 必要としなくなりました。ナントの勅令が廃止された背景にはそういう事情があった のです。ただ結果的に、ナントの勅令があった 100 年足らずの間に、フランスではカ トリックとプロテスタントが共存したおかげで、後のフランス革命、共和国主義、市 民精神というものを用意することになりました。

1789 年、フランス革命が起こります。そして、それまでローマカトリック教会が フランス国内に持っていた教会や修道会の財産が没収されます。はじめは革命政府は 王権に関して、王様を必ずしも殺そうと思っていたわけではないのですね。ところが 1790 年に、僧侶世俗法(CONSTITUTION CIVILE)ができまして、フランス国内の

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聖職者を軍人などと同じようにフランス共和国の公務員の立場にして国家に忠誠を誓 わせることになりました。ローマ法王ではなく国家への忠誠を誓わせる法律ができた のです。それを拒否した非宣誓派は、皆、ギロチンにかけられて殉教していくわけで す。その様子を見て、今まで共和国主義に共感して一緒に革命を戦っていた王様や貴 族たちが革命派から離反していきます。その結果、ルイ16 世もギロチンにかけられ ます。僧侶世俗法が決定的な要因になっています。ナントの勅令廃止の時には、それ に合意しない者は国外に出ることができたわけですが、僧侶世俗法の時は、亡命した 貴族もいましたが、聖職者で宣誓を拒否した人は全員、抹殺されました。そのやり方 に対して、それが本当の意味では共和国理念に反しているのではないかということで、

大いなる分裂が起こりました。

その恐怖政治の分裂の後で、ナポレオンという軍事の天才が現れ、フランスをもう 一度国家として統一していきます。そこで 1801 年、ローマ法王ピウス 7 世とナポレ オンがコンコルダ、和親条約を結びます。ここでもう一度「フランスのマジョリティ の宗教はローマカトリックである」ということを確認し、妥協しあいます。その時、

コンコルダで「カトリックは国教ではないが、マジョリティである。フランス国内の カトリックの司教はフランスの総督、責任者と法王の両方から認可を受けないといけ ない、聖職者は国に忠誠を誓うけれども、その代わり、国は司教と小教区の司祭に給 料を払う」という、17 条の合意が生まれます。そこで聖職者はローマ法王とも関係 があるが、司教と教区司祭は公務員的な形になったわけです。

面白いことに、フランスには今でもコンコルダが生きている地域があります。それ はアルザス・ロレーヌの 3 県で、まだコンコルダです。その後、政教分離令が 1905 年に成立しますが、その時、アルザス・ロレーヌはドイツ領だったので、フランス領 ではなかったわけです。その後フランスに戻ってきたのですが、未だに政教分離令が 適応されていません。日本人的な感覚から言うと、沖縄が日本に返還されて未だ明治 憲法みたいな感じで不思議です。返還されれば当然、他の法律に右に習えだと思うの ですが、アルザス・ロレーヌでは今でも 4 つの宗教が 3 県で国から認められています。

カトリックと、フランスの改革派と、ルター派、ユダヤ教の 4 つが宗教として認めら れ、国から助成金をもらっています。その他のイスラム教などは普通の文化団体に準 じるものという扱いです。

アルザスの教会に行くと驚くのですが、カテドラルに入りますと、天文時計があり まして、それを動かすにはコインを入れないと動かない。チャペルにお金を入れない と電気がつかないようになっている。コンコルダが残っていて、県から認められてい るからお金があるだろうと思いますでしょう?パリのノートルダム教会は 1905 年の コンブ法で、1905 年以前にあったものが全部国のものになりましたから、国が完全

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に管理しています。けれどもアルザスの教会は国のものではなく教会のものだから、

国は一切お金を払わない。全部教会が維持費を出さないといけない。拝観料で賄って いる状況です。これも一つのフランスの特徴でありまして、後にフランスが政教分離 からもう一度公教育の中に宗教教育を採り入れる時点になって、アルザスはどうなっ ているかという歴史が生き続けた例が身近にありましたから、それがフランス全土で 公教育に宗教を復活させる時の参考になったという一つの例になっています。

1801 年のコンコルダの後、1850 年、自由カトリック党のファロアという人が「中 等教育における宗教の自由」を持ち出しました。ほとんどカトリックが主ですが、カ トリックの修道会が経営する学校が、もう一度、中等教育においても認められました。

その後、1880 年〜 89 年、世俗学校が始まります。そして 1800 年代の終わりから、政 教分離の機運が高まってまいります。それはなぜか。1870 年、プロシャ戦争つまり 普仏戦争というフランスとプロシャの戦争でフランスは負けます。負けた国の常で、

ナショナリズムが高まりました。ナショナリズムは国家主義、国民主義で、そこから 宗教が排除されました。フランスは一応それまで「ひとつの宗教を国教としない」と いう立場をとっていましたから、フランス革命の遺産である市民主義、共和国主義が ナショナリズムの中で強調されたのです。共和国主義は何かというと、「自由・平 等・博愛」で、それまでの血縁主義、地縁主義を廃止して、同じ場所に住んでいる人 に同じ機会と同じ権利を与えることです。その人の地縁、血縁、宗教の違いにかかわ らず、同じ場所に住んでいる者が同じ権利を持つ意識が高まります。共和国主義、ナ ショナリズムとしての共和国主義を徹底させるために、1880 年代から初めてエコー ル・ライクという世俗的な学校ができて、共和国が金を出す義務教育が始まりました。

その後も反教権主義、ローマカトリックとの軋轢が高まり、そのピークになったの がドレフュス事件です。ドレフュスというユダヤ人の軍人がスパイであるという冤罪 事件ですが、カトリック側が反ドレフュス、反ユダヤ主義、反共和国主義に雪崩こん でしまって、国が二分されました。それをきっかけにカトリックに対する締めつけ、

迫害が大きくなります。1901 年、アソシエーション法が制定されて、どんな人でも

「二人以上である同じテーマを持って団体をつくることができる」ことになりました。

非営利団体をつくることができるのです。そういうアソシエーション法を制定するこ とによって、今まで宗教団体として特権を得てきたカトリックの力が相対的に低下す るという画期的な事件となりました。

その後、もっとエスカレートして、1902 年、左派政権、フリーメイソンの共和国 派の政権であるコンブ内閣が、1902 〜 1905 年まで成立し、そこですべてのカトリッ ク系、修道会系の学校を閉鎖し、財産が没収されるということになります。その後、

すべての宗教教育が禁止され、ナポレオンの時のコンコルダも破棄され、バチカンと

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の外交も破棄されてしまいます。そのピークが 1905 年のコンブ法で、1905 年以前に あったすべての教会、カテドラルを全部国のものであるとしました。カトリック教会 にすべて所有リストを提出させて国のものとしました。その代わり国が責任を持って 国の財産として教会や聖堂を維持していきます。カトリック教会はそのまま家賃を払 わない店子のような状態て使い続ける形で、今もそうなっています。1905 年以降に できた教会は別で、カトリック教会の持ち物である教会もあります。

そういうさまざまな経緯、特にローマカトリック教会との軋轢、権力者同士の戦い、

利害関係の戦いという歴史を通してフランスは政教分離を果たしました。そのままそ れは 1980 年代終わりまで機能してきました。フランスの公教育は、カトリック系の 修道会系、他のユダヤ教の学校、私立の学校と分離した状態で 20 世紀をやってきま した。それはそれでよかった。つまり宗教教育を学校でやらせたいという思う親は私 立の学校にやればいいし、公立学校に入れている親で宗教教育を与えたいと思う親は 教区の主催するカテキズムに子供をやって、教理問答書を学ばせました。フランスは 1960 年代までは、そうやって 80 %以上の子どもが、学校のほかに教区の教会でカテ キズムに通うという状態でしたから、学校では宗教は習わないが、宗教生活はあると いう状態でうまく行っていたのです。

ところが 1980 年代終わりになって、突然、宗教教育が必要だという議論が始まり ます。一つには 1963 年から最初に宗教教育の問題が提起された 88 年の間、わずか 4 半世紀の間にカテキズムに通う子どもが 80 %から 43 %に減ってしまったからです。

半数以下の子どもしか宗教教育を家族の中で受けません。公立学校に行っている子ど もにはそれがなければ全くないという状況です。なぜこうなったか。日本でもそうで すが、フランスで 1968 年の 5 月革命がありまして、そこで活躍した世代が日本でい えば団塊の世代にあたるのですが、その世代が宗教離れをしたわけです。皮肉なこと にそのあたりにカトリック教会自体も第二バチカン公会議で近代化を図り、昔のよう な罪の意識を与えるカテキズムの教育からリベラルなものに変わっていったわけです が、団塊の世代にあたる 68 年の世代は昔ながらのカテキズムを受けていました。古 い体質のフランスに対して反抗したのです。日本よりももっと若者に権利がないとい う世代だったようです。これもある程度、キリスト教的なところから来ていまして、

日本では子どもは神様からの授かりものとか、7 歳までは神の子として七五三とかあ るわけですが、キリスト教的な文化では、アダムとイブは最初から大人であったとい うイメージがあります。神の似姿は大人であって、子どもはその後、原罪のアクシデ ントで出てきたというイメージがあります。子どもを立派な大人に育てる義務がある ので、子どもには人間の完全な姿がないというメンタリティがあったらしく、若者の 権利が非常に少なかった。それに対する抵抗が 68 年の 5 月革命あたりで出てきたわ

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けです。

5 月革命を経た世代の子どもたちに全く宗教の教養がなくなったわけです。これは 日本もそうですが、団塊の世代あたりはまだ結構宗教とか、昔の知識もある人がいる のですが、次の世代には伝えていきません。自分たちに教養はあっても次の世代に伝 えてないのです。フランスの 68 年の世代も同じで、自分たちはカテキズムもやって カトリックの知識もあっり結構何でも知っていながら、その上で拒否した世代です。

その反動で自分たちの子どもたちにはカテキズムも受けさせない、公教育しかやらな い。宗教のことも語らないということで、次の世代が全く宗教的な教養がなくなって しまう。それが露になってきたのが 1980 年代終わりだったということなのです。

そこで問題になったことが 3 つあります。一つは、教育の場における宗教性の欠如 と、それに伴うカルト宗教に走る若者の増加という問題です。それまでのカトリック 教育との戦いの歴史の中で、公教育からは宗教だけでなく宗教性すべて、理性とか知 識では割り切れないものは全部排除されていました。そういうものは地域の宗教教育 とか家庭に任せていたはずであったのが、機能しなくなってきました。そういう知識 偏重、理性的に割り切れるものだけ教育してきたことから、子どもたちは知識とか理 性で割りきれる以外のものについて考えること、それを誰かに教えてもらうチャンス がなくなりました。その結果、カルト宗教に走ることもあります。教育の場で教えて もらわないことの欠如、それに付け込む新宗教もたくさんありまして、自分が選択を するのではなく、最初に勧誘された宗教に入るという若者たちが増えたわけです。ま た親が代々カトリックの家であっても、自分の親の世代が教えてくれないし、教会に も行かないので、自分でカトリックを再発見した時に、カトリック原理主義、教条主 義に引かれてしまう。そういう深刻な問題もありました。

それまでの教育では宗教性はすべて排除されていたのですが、フランスでは高校 3 年生で哲学の授業があります。そこで初めて人生の意味を考えさせる授業になってい るのですが、しかしそれでは遅すぎるようになってきました。高校 3 年になるまでに 出会う実存的な問題、どうして人間は生きているのかなどの思春期の子どもたちが抱 く疑問を解決するのに間に合わないのです。フランスは今でも中等教育の最後、高校 3 年生で哲学を課している唯一の国です。実存的な問題、生や死の問題から宗教色を 排した上で、ぎりぎり残したのが哲学と倫理学でした。それはよくできています。バ カロレアという、高校 3 年生の終わりに大学入学資格にあたる国家試験がありますが、

そこでたとえば、「生きとし生けるものと命との違いは何か」ということを 4 時間か けて書かせる。答えはなく、答えがないものを考えさせます。世の中には答えのない ものもある、答えのないものを自分の頭で考えないといけないというこの 2 つの点が 重視されます。

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しかも哲学の授業は、イデオロギーとか自分の主張に関して採点されるわけではあ りません。4 時間かけて何を書かせるかというと、「自由」というテーマだったら、

まず今まで「自由とは何か」について考えてきた人、ギリシャ・ローマ時代からの哲 学者の引用をさせます。哲学の授業で 1 年間、いろんなものを読んで、暗記していな いといけません。4 時間の間にそれを書かないと、どんなに自分でいいことを考えて もそれだけでは点数にならないシステムになっています。子どもたちが自由について、

命について自分の頭でどんなに考えても限界がある。先人が残してきた考えをまず知 って、その上でそれについて自分で考え、自分の考えを付け加える。そのことが問わ れているというのは面白いですね。日本でも今、総合的な教育があるようですが、た だ自分の頭で考えるだけでなく、まず前の人が何を言ったかを覚えさせて、歴史的な 展開をさせ、自分の言葉で何かを付け加えないといけない。それはよくできているの ですが、残念なことに、どこの国でもそうですが、青少年の問題は高校 3 年より以前 に出てきてしまいます。いかに哲学の授業が機能していても、それ以前の問題、実存 的な問題が解決できないということです。それが大きな問題でした。

もう一つの問題は、宗教的な知識、実存的な問題ではなく、宗教的な教養が欠如し ていることです。たとえばある教師がルーブル美術館に子どもたちを連れていって

「聖セバスチャンの殉教」という、男が縛られて矢に貫かれている有名な絵を見せる とそれを見た子どもたちが「アメリカ移民がインディアンの矢に刺さってインディア ンに殺された」と言ったそうです。昔なら誰でも知っていることが全くわからなくな ってきています。これは日本よりもひどいようです。日本では歴史は世界史と日本史 に分かれていて、日本史があって世界史があります。でもフランスにはフランス史と 世界史は分かれていません。大体今の歴史はヨーロッパ史を中心にした視点で見てい ますから、フランス史に引っかかってくるものを中心にしか教えていず、しかもそこ から宗教性をできるだけ排除しています。その上、美術や音楽とかいう教養の時間が 公教育では冷遇されていてほとんどないに等しいこともあって、そういう教養のなさ が、ある意味で日本よりもひどいような状態になってきました。巷に溢れている教会 や教会建築の意味なども全然わからず、伝統的な文学、文化遺産の解読能力が全くな くなってしまったのでこれは大問題であるということになりました。

そこで、いわゆる宗教教育ではなく、宗教教養、宗教文化、つまり一般教養として の宗教教養をどういうふうに採り入れるかが検討されることになりました。宗教教育 は厳密に言えば宗教の内容を教えるとされます。日曜学校などで聖職者、教育者によ って教えられるものをもって宗教教育と言うので、公教育に導入されるものは、フラ ンスでは一貫して「宗教教養」、宗教カルチャーという言葉によって区別しています。

1988 年、歴史学者のフィリップ・ジュタールという人が歴史とか地理、社会学教育

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に関する委員会で生徒だけでなく教育者そのもの、現場の先生に宗教的な無教養がひ どくなっていて、建築物や美術作品を鑑賞する教養がないと警告し、16 項目の勧告 をしました。歴史、地理、社会学教育の改革について勧告をした中で「宗教史」を指 導要綱に入れろと提唱します。小学校低学年からたとえばカレンダーを使ってクリス マスや復活祭などの宗教行事について説明するといったぐあいに、高校 3 年生に渡る までうまく入れていく。フランス語の時間に宗教テキスト、聖書、トラーすなわちユ ダヤ教の律法、イスラム教のコーランをフランス語の授業の枠で読むことも提唱され ました。こうして 88 年の時点ではフランス人の 65 %が宗教史を扱うことに賛成して います。

それから公教育への宗教教育の見直しが加速度的に起こります。教教分離、つまり 宗教と教育が分離してしまったことと、政教分離とは別なのだと認識されるようにな ったのです。宗教と教育を分離したことで学校教育に人間性のすべての要素を与えな くなってしまったこと、人間性の中の大きな要素である宗教性、宗教的な感情、実存 的な問題を全く教育から排除してしまったということに対する見直しが起こります。

その間、いろいろな意見が交わされます。もちろん保護者たちの意見、諸宗教の意見、

教員組合の意見などいろいろなアンケートを採ったり、委員会ができたりします。大 筋で言いますと「宗教学の特別な時間を設けない」という合意がなされました。宗教 の時間、特別な時間を設けて宗教の内容については教えない。宗教教育、宗教教養に 関しては、当然ですが、どの宗教がいいと教義を教えるわけではないですから、宗教 を相対化しないといけない。世俗的な立場から宗教を拒否するのではなく、相対化す る、批判的に教える、批判的な方法論を教える。たとえば「歴史的な認識に基づいた 方法論」や「比較研究的な方法論」です。この 3 つを打ち出しました。「この宗教は いい、これを信じなさい」ということは一切言わない。しかし、相対化した授業で、

宗教の時間というのを特別につくってしまうと、宗教を逆に矮小化してしまうのでは ないかという意見も出ました。宗教はいろいろあって、人がいろんなことを言ってい るのを研究して勉強する対象にするという形で矮小化してしまう危険があります。だ から「聖職者を呼んで授業をさせないが、宗教という特別の研究時間もつくらない」

という合意に達しました。

それから「宗教的なモラルを教えない」ことも結論です。これに至るにはなかなか 合意は得られませんでした。フランスではイスラム教と仏教があります。仏教はチベ ット仏教が盛んですが、仏教とイスラム教の人は「公教育に聖職者を呼んでやってく れ。モラルも教えてくれ」と主張しました。仏教の代表者は「仏教は信仰+モラルで できているから、モラルも同時に教えてくれ」と言い、それに対してプロテスタント は「モラルは別にしろ」と反対したとか、いろんな経緯がありました。結果的に「モ

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ラルは教えない」となりました。ではどういうふうに教えるか。「聖職者は呼ばない」

「宗教の時間を設けない」「歴史と地理とフランス語、文学、哲学、美術などの各科の 中で扱っていく。それによって人間の営みのすべてに宗教的側面があるのだというこ とを示す」という合意に達しました。モラルを教えないということに関してはどうい う解決をもたらしたかというと、ある宗教の信仰を持った人で、偉大な仕事をした、

マザーテレサとか、皆が合意するような人類のために貢献した偉人の生き方を紹介し ようと決められました。つまりキリスト教なら「キリスト教のここがいい」という問 題ではなく、ある宗教、キリスト教を生きてそういうものを必要として業績をなし遂 げた人。イスラム教ならそれを自分の宗教として信念として生きて、どういうことを 貢献したか。そういうものを通じて、「ある宗教を信じればこういうモラルがあるの だ」というのではなく、いろんな国のいろんな時代のいろんな宗教、たとえばカトリ ックの家族に生まれたからカトリックになり、それを自分の信仰として偉大な業績を 上げた人もいるし、イスラムの国に生まれてそれを自分の信念として偉大な業績を上 げた人もいることを教える。特定の宗教ではなく、しかし信仰心、宗教をモチベーシ ョンにして、力にして人類のために仕事をした人、機関などをケーススタディで教え るという合意に達しました。

あともう一つは「ではこういうことをできる教師がいるのか」という大問題です。

聖職者を呼ばないとするとそれだけの視野を持った教師をどこから連れてくるかとい うことで、1992 年〜 97 年、5 つの国立大学の夏季講座で研修を行いました。フラン スは基本的に国立大学です。少数のカトリック系の大学を除いて、夏休みになる時、

大学が空いていますから、そこでサマースクールが社会人対象に行われます。イスラ ムとかユダヤ教、仏教、カルトの問題、宗教人類学とか世俗化を尊重するための教育 がテーマに採り上げられました。

1993 年、ブルゴーニュで宗教教育養成機関研究所が公式に成立しました。ヨーロ ッパで一つだけです。年に 1、2 週間の研修をすべての私立学校の教師を対象に提供 します。公立学校の教師に向けても任意に研修の機会を与えます。何を教えるかとい うと、公立学校の教師に、宗教というものを非宗教的にどうやってプレゼンテーショ ンするかという方法、歴史科目の中での宗教の採り入れ方、文学と宗教の関係などを テーマで研修が行われました。1995 年、指導要綱が改定されました。1996 年から中 学 1 年生、日本での小学校 6 年生にあたります。フランスでは小学校は 5 年、中学が 4 年、高校が 3 年で初等中等教育です。中学 1 年生で 1996 年からフランス語の時間に 聖書を読むことが指導要綱に採り入れられました。先生たちに対しても研修がありま す。義務ではなく、選択できます。

中学 1 年生と高校 1 年生、高校 3 年生の 3 回に渡ってキリスト教世界の主要テキス

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トとして聖書を採り上げるようにと指導要綱に載ります。中学、高校の教師を対象に して教員研修があります。その例を一つ挙げてみますと、1 日研修です。「フランス 語の時間で聖書を採り入れることに対してどんな問題がありますか?」と研修生であ る先生方に聞きますと「旧約聖書、新約聖書の中身と歴史的事実の違いについてどう やって教えるのですか?」「神話的なものと事実との違いをどう教えるのか?」「クラ スの中にいるキリスト教以外の宗教信者である生徒の信仰に抵触しないか?」「キリ スト教信者である教員がどのようにテキストと距離をとればいいのか?」「教員が宗 教アレルギーの場合はどうしたらいいか?」といろんな問題点がでてきました。講座 の内容は「宗教的なテキストは信じさせるためではなく、現代社会の諸要素を理解す るための道具として提示しなさい」としています。その例として一つの文学作品とし て解読させる。旧約聖書の「カインとアベル」の兄弟の話があります。兄がよくでき た弟を嫉妬のあまり殺してしまうというエピソードで、それを採り上げて家族の問題、

嫉妬と不公平の問題のテーマとして読ませるというデモンストレーションを養成の研 修を受け持つ人がやってみせる。そういう意味では文学の中の叙事文学、叙情文学と して一つのテーマとして採り上げることかできるわけです。

単に科学的で客観的な知識のオブジェではなく、中に入って考えるというやり方も されています。たとえば今までもフランス語のテキストでパスカルの『パンセ』を読 む時、パスカリアンになって考える。パスカルになってシミュレーションして考えて みる。ボルテールを読む時はボルテールの側に立って読んでみる。そういうシミュレ ーションをしながら教えるという方法がありました。聖書を読む時は「キリスト教徒 はどんなふうにこれを考えるのか」というふうに考える。そういう方法論が進められ ております。

1996 年、中学 1 年生から、97 年、高校 1 年生に初めて宗教教養の授業がスタート しました。高校 1 年生では特にキリスト教の歴史が教えられます。実際はすべての宗 教を均等に教えることが目指されているのですが、それを教える教官に対して、まず キリスト教を教えねばなりません。フランスの歴史と最も関係深い宗教であって、フ ランスの文学、建築などとも関係の深いキリスト教を優先する合意があるからです。

その時に、イスラム教の多い地域学区で親から文句が来たら、「マホメットはキリス ト教より後にきたんだ」、「キリスト教の歴史を知ることで、イスラム教の前史にもな るんだ」という説明の仕方画指導されています。

98 年、宗教・世俗・市民教育協会ARELCが創立されます。教育省の監察官である歴 史学者のジャン・カルパンチエという人が創立しました。リセ、高校での宗教教育は中 立的であって世俗的であることを要望しています。実際に宗教教育が教えられるように なったので、世俗である学校教育の原則に外れていないかという検討がなされます。

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こういう機関をつくっているのはヨーロッパでフランスだけです。他の国では政教 分離があっても、宗教教育の分離はほとんどありません。広い意味で、欧米、アジア の中で完全に教育と宗教が分離している国はフランスと日本くらいなのです。イギリ スも国教会ですし、ドイツもイタリアもスペインもすべての学校は公立学校でも宗教 の時間をオプションとして提供する義務があったり、ほとんどすべての国で公立学校 でも宗教の教育、モラルの教育、倫理学の教育があります。フランスはナントの勅令 の頃から数少ない教教分離の国でしたが、ようやくこういう機関が出てきたわけです。

その他にどういうことを教えているか。文化に対する解読能力が低下することに関 してはキリスト教の歴史を教えたり、テキストを教えたり、フランスで問題となるユ ダヤ教、イスラム教の問題では一神教の歴史を教えるようになりました。イエス・キ リストがユダヤ人であったということを初めて知って驚く生徒も出てくるわけです。

一神教の歴史は小学生の時点ではカレンダーを並べてキリスト教がどうやってユダヤ 教から分かれたかを教えます。今、ラマダンというイスラム教の断食月ですが、それ をカトリックの復活祭前のカレムという時期と比較したりして、ユダヤ、キリスト、

イスラムという一神教の歴史を教えていくのです。その他、宗教の名における戦争の 例などは中学で教えています。寛容が必要であるとかいうことです。高校 2 年生のプ ログラムでは近代における宗教と科学の関係が入っています。そこでローマ法王の回 勅で「避妊をしてはいけない」というのが紹介されることもあります。フランスの司 教会では「避妊してもいい」と言っていること、信者側では世俗化していて、回勅な ど誰も聞いていないという実態とのずれなども説明しています。宗教建築の意味と機 能、宗教建築の内部では実際に儀式が行われていることも教えています。実際にカテ ドラルを見に行く実地見聞も行われています。ある一つの宗教も時代によって変わっ てくるという宗教の変遷や、逆に歴史における宗教的な側面を教えたりしています。

宗教原理主義は時代による変遷を否定するわけですから、それに対抗して宗教の変 遷を教えるのは重視されます。カルト宗教に対する対抗策としては、共和国理念であ る「自由・平等・博愛」と比較して、カルト的な信仰は共和国理念に抵触することを 説明します。宗教というものは共和国理念のもとで各個人の自由な道程、自分の自由 な選択と模索によって歩んでいく道であること、それに比べてカルト宗教は、一つの 独善的な、できあがったものを押しつけるというように、カルトと宗教の違いを共和 国理念に合致しているかどうかという点から教えていくわけです。いわゆる迷信と宗 教との違いや、宗教即オカルトではないことなども、例に挙げて教えています。

教育には宗教的なデメンションが必要です。宗教とは何か。「人が理解できない問 題、学校でまさに教えられない知識や理性で教えられない、理解できない死の問題と かを説明するために必要とするものが宗教であるのだ」と教えるわけです。人が理解

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できない問題を説明するために必要とされる宗教であるから、各宗教がそれをどうい うふうに提示しているか、どういうふうに説明しているかということの例を、一神教 と仏教がほとんど全部ですが紹介するようです。各宗教の提唱する人間の生命の価値 とか目標というものをまず紹介して、生徒に自分で考えさせます。フランスの哲学教 育と同じやり方です。人間の実存的な意味を各宗教がどのように提示、説明している かを紹介した上で考えさせる。この授業は子どもたちに受けているそうで、「カトリ ックとプロテスタントにおける魂の救済の違い」について討論させると、生徒たちは 白熱するそうです。3 つの一神教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の中で「人は 魂と体でできている」と紹介すると、中学生はすごく驚くそうです。そういう話は今 まで教室の中では全くありえなかった。子どもたちはそれを求めている。どういうふ うに救われるのかと答えを求めているのではなく、その例を聞いて、新しい考え方を 知って驚いている。評判がいいということです。その中で、教員研修機関MAFPEN で、すでに教員になった人の生涯教育として宗教を扱う講座がたくさんあります。公 立学校のどの先生も受けることができて、校長先生に申し出れば学期内に許可が出る。

3 日間の研修システムかあります。

最後にイスラムの問題をお話します。フランスで教教分離、つまり教育と宗教の分 離がうまく機能しなくなった最大の原因はイスラムの問題です。今、イスラム教徒は フランスに 500 万人近くいます。フランス人口の 8 %くらいでフランス第二の宗教で す。フランスの公教育に教教分離が導入された理由は、カトリシズムとの問題でした。

カトリックが単独でフランスの全分野に根を下ろしていた時代だったのです。それを 分けるという試みであったわけです。また国家とカトリック教会の長い対立の歴史で、

宗教的権威と世俗権威の対立という歴史の中から分けていった展開でしたが、イスラ ムの問題はその後で現れてきました。イスラムがどうしてこんなに増えたかといいま すと、フランスの旧植民地であるマグレバン 3 国、アルジェリア、モロッコ、チュニ ジアというイスラム国の旧植民地の移民に特別枠を設けたので、たくさん移民が入っ てきたからです。

今までの教教分離は、公教育は世俗であって、プライベートではカトリックである というダブル・スタンダードで済んでいたんですが、実際にフランスの社会にイスラ ムが登場してくると大きな問題が二つ出てきました。一つはイスラムは政教分離があ りえないんですね。キリスト教はローマ帝国がすでに支配していたテリトリーに適応 され、そこに広がっていったものですから、キリスト教の教会法の前にローマ法があ ります。世俗権力と教会権力は同じように拮抗して法律もあれば、理想とするものも ある。今日の題名の「ノートルダムとマリアンヌ」というのは、フランスにとってシ ンボルがノートルダムに代わってマリアンヌという共和国の象徴になっただけで、キ

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リスト教の世界では同じようにシンボルも必要とし、理想も必要としていたのですが、

イスラムの発祥の地、アラブ世界はもともと部族民の世界で国家がありません。イス ラム教と一緒にアラブの国家は生まれてきたわけです。国家権力とは神から与えられ たイスラム法、シャリア法が適用される領域を防衛して、その領域内でのイスラム法 の実施を保障するために成立してきたものです。基本的にイスラムは信仰+法律であ るという体系なので、イスラム教徒の子どもたちをフランスの市民として教育してい くにあたって、どういうふうに扱うかという問題が起こってきました。

もう一つ問題になっていることがあります。フランス史上初めて、イスラム教とい うある宗教信者のカテゴリーが貧困層に結びついたことです。スラムに住んでいると か、地域的階層的カテゴリーと宗教カテゴリーが重なりました。フランスの軽犯罪者 を逮捕してみれば 90 %以上はアラブ人であるというように、モラルの問題ではなく、

社会的な問題であるわけです。そこに宗教的な差別感が大きくなってきます。アラブ 人、イスラム教徒イコール犯罪者、貧困というマイナスイメージが出てきます。しか も公教育において棲み分けができてしまう。フランスの中産階級の住んでいるところ の公立学校に行っている子どもはイスラムのことは全く教えられない。イスラムはフ ランスの 8 %、500 万人近くいるにもかかわらず、フランスの中産階級の子どもが行 っている学校ではイスラムが教えられない。それでは寛容、相手を尊重する、理解す ることは不可能になる。それで慌てて、この問題を解決することが急務となったわけ です。

イスラムのことをどうふうに教えているかといいますと、モスクを見学したり、中 学 2 年生で中世初期のイスラム文明について習います。日本だったら世界史にイスラ ム文明はあるのですが、フランスではフランス史と直接かかわらない部分は教えられ なかったので、イスラム文明は中学 2 年生で採り上げ、中学 3 年では十字軍の問題を 採り上げます。中学 4 年生の中世と前近代の歴史で 4、5 時間、イスラムの起源と発 展と文明、マホメットのコーラン、メッカ、メディナなどについて教えることも指導 要綱に入りました。高校 1 年生で、12 世紀の地中海世界をキリスト教西欧とビザンチ ン帝国をイスラム世界から見る、戦争と交易、文化全般と影響関係を知ることが指導 要綱に入りました。高校 3 年生の文科系では現代世界の文明、言語、宗教的地勢学に ついて教えるというのも入っています。

市民教育という時間が中学生までありまして、日本でいうと政治経済の時間ですが、

共和国原理、立法、行政の仕組みを習う時間です。そこで現在進行形のイスラムの問 題、ニュースについて分析してもいいことになりました。その時、教師がどれだけ教 えられるかという問題が出てきます。フランスでは大学のイスラム史は宗教史の必修 科目ではない、選択なので、宗教史をやった人でも知らない人がいるそうです。教員

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研修機関で申し込んだり国立資料センターで調べたりできます。パリには国立のアラ ブ世界研究所があり、中近東研究が進んでいます。そこの施設に毎年 6 万人の児童グ ループが訪れるようになっています。学校からであったり、アソシエーションであっ たりします。そこで中学校教師のための 1 日研修もできます。アラブとムスリム、イ スラム教徒とアラブを混同しないこと、アラブ世界研究所はイスラム世界研究所では ない、アラブイコールイスラムではないこと、どう違うか、アラブ世界の女性の問題 やコーランの問題などについて、中学の教師を対象に研修が行われています。

パリ近郊にはアラブ移民も多いのですが、宗教知識に対するクラブをフランス語教 師が中心になって開いている高校がいくつかあります。モスクかとシナゴーグ、ユダ ヤ教の会堂を訪問したり、信者と出会ったりします。イスラム教徒は事情が許すなら 生涯に 1 度はメッカにいかないといけないのですが、そういう人たちを呼んで発表し てもらうこともあります。コーランの実物を持ってきてもらう、イスラエルとパレス チナ問題について話す、フランスの歴史的な問題であったアルジェリア戦争の話をす るなどの活動です。フランスのイスラムの人たちには、イスラムがマジョリティでは ないですから宗教教育機関がありません。モスクには行くのですが、家庭の行事でど ういう意味を持って、どういう歴史があるかという教養はフランスにきた移民のイス ラム教徒の子どもたちにはつきにくい、だから公立学校で教えてくれと言ってきます。

カテキズムの代わりに話し合い、分かち合いというクラスを、ムスリムが多い学区で はつくっています。

宗教系の学校でも私立の学校に 2 種類ありまして、国から認可されているものと、

されていないのがあります。認可されていないのは免状が公立学校と同じものではな いということです。認可される条件として宗教、人種差別をしてはいけないというこ とがあります。ですからムスリムの多いところでは、カトリック系の学校であっても 生徒の 50 %以上がイスラム教徒だという学校もあります。そういう時にはムスリム の子どもも一緒にカトリックの司祭を招いて共に食事をした後、質問をしあったり、

互いの宗教行事の体験談を話し合ったり、クリスマスとアイード、ラマダンと四旬節 との比較をしたり、イエスはコーランの中ではアイサという名前で出てくるなど、共 通点を発見したりしながら、しかし共通点ばかり強調しないようにとも気をつけられ ます。すべての人を尊重して受け入れる教育が試みられています。

時間がまいりましたので一応、これで終わります。

*) 本稿は、2001 年 12 月 8 日に行われた神学部主催の公開講演会における発表を活字化したものである

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