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現代の生活綴方における

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(1)

現代の生活綴方における

「不安な遊び」の表現について

坂 元 忠 芳

(一)

 昨年(1983年)11月,久しぶりに岐阜県恵那に出かけていって,綴方の授業 をみせてもらったり,また最近の生活綴方教育のとりくみについて,先生たち から色々と話をきいた。パリで病気にかかり帰国してからまる1年ぶりの旅で ある。この度は,東京都立大学での私のゼミナールの学生諸君といっしょに行

った。

 研究旅行の目的は,11月20日に中津川市南小学校でひらかれる第5回生活綴 方研究会(東濃民主教育研究会主催)に参加することと,翌21日と22日に,同 市の神坂小学校と南小学校で,綴方の授業をみせてもらうことであった。

 生活綴方教育研究会では,これまで,午前中にひらいていた全体集会を午後 にまわし,そこに生活綴方実践講座をおいていた。前日,教育研究所の石田和 男先生からきいた話しでは,最近,生活綴方といっても,それがどういうもの かよく分らない若い先生がふえてきて,そういう人たちを主な対象として,も

ういちど,生活綴方の本質をわかってもらうために今年はじめてもうけたのだ という。各学校で生活綴方教育は続けられているが,石田先生の話しからも,

この数年,この面でも難しい状況がふえてきていることが強く感じられた。

 神坂小学校では全校集会で子どもたちの詩の朗読を,それから全クラスでそ

れぞれ授業をみせてもらった。また南小学校では,4年生のクラスで横山静子

先生の綴方の授業と,6年生のクラスで青木隆子先生の音楽の授業をみせても

らった。これらのとりくみのいくつかは重要な印象を私に残したが,小稿で

は,もっぱらこの旅行がきっかけとなって,考えさせられた表題のことについ

て書いてみたいと思う。

(2)

(二)

 私ははじめ,南小学校では6年生のクラスで吉村義之先生の綴方の授業をみ せてもらいたいと希望していた。それで吉村先生に,前もってその事で連絡し たら,校内研究会で研究授業を6月にやってしまったので,今回は別の先生に やっていただくことになっているという返事であった。私は,吉村先生の綴方 の授業を,数年前に1度,苗木小学校でみせてもらったことがある。また,そ のことについてある論文(「〈人間的なもの〉をとりもどすために一自立の 課題と生活綴方一」r教育』,1981年,7月号)でふれたこともある。以来,

私は吉村先生の綴方教育の実践について,私なりにひとつの直観があり,その 中味がまちがいないものか,実際にお会いして確かめてみたかったのである。

 その直観というのはひとくちでいうと,こういうことだった。毎年,生活綴 方教育研究会にはたくさんの子どもの作品が提出されるが,その中で,吉村先 生のクラスの作品が,いつもその年度の,子どもたちの生活のいわば典型的な 表現となっているように思われたことである。それは,「子どものなかに状勢 をみる」という,この地の生活綴方教育実践の,するどい切り口をいつも見せ

られるという思いであった。それから,もうひとつ,吉村先生のクラスの作品 が,大体において,ひじょうに長いということ,そこにはおそらく吉村先生の 指導の個性の秘密がかくされているように思えたことである。私はこうしたこ

とをこの度の旅行で少しでも明らかにしてみたいという気持であった。

 ついでにもう少し,以上の直観につけ加えておくと,実際,生活綴方教師の

子ども把握とその指導の個性というものは,同じ地域の運動のなかでも比較的

明瞭に表面に浮かび上ってくるものなので,例えぽ,吉村義之先生のクラスの

子どもたちの作品と,丹羽徳子先生のクラスの子どもたちの作品とでは,おの

ずから表現に違いが感じられるのだ。(もちろんお2人とも恵那の綴方運動の

なかで実践されているのだから,共通の土台はいつもあるのだが。)そしてこ

のことを真向うから論ずれば,きっときわめて重要な問題に逢着するに違いな

いのだが,いまはふれることはできない。いずれにしても,こうした点への関

心も手伝って,私は吉村先生の綴方実践にこれまで注目してきたのである。

(3)

 私は,旅行にさきだって,吉村先生に手紙を書いた。そして最近の綴方作品 を送っていただくようにお願いした。その時送られてきたのが,安田実加(6 年)の「リンチ」という作品である。

 この作品は,5年生から,ずっと友だちであったみさきが,実加と仲良くなり たいと思い,彼女が自分からはなれないようにするために,にせの手紙を書い て,実加にわたしていた事件を,「被害者」である実加自身が書いたものである。

 このにせの手紙は,ある中学生が,実加とみさきの2人にあてて,書かれた ようになっていたが,その内容というのは,2人がなかよしで遊ぶこと,男子 としゃべらないこと,手紙のことをだれにも言わないこと,そして,それらを 守ったらリンチはなしにしてやる,というものであった。実加は,何もしてい ない彼女に中学生がなぜそんなことをするのか不思議でならなかったが,リン チがこわくて,はじめは誰にも打ち明けることができなかった。しかし,や がて,「生活ノート」にそのことを書いて,まわりの友達に相談する。最後は みさきが,友達の前で,実加からはなれたくなかったのでやったと打ち明け,

みんなにあやまる。そして実加自身もこれで終りだと思ってホッとしたという ところで作品は終っている。

 私は送られてきたこの作品を一読した時,思春期に入りかけている6年生の 少女によくみられる微妙な人間関係が細かく書かれていることをまず感じた が,しかしその内容が内容だけに気がかりであった。ちょうど少し前,私はあ

る論文のためのノート(「発達と教育実践における矛盾の構造をめぐって」1983 年(未定稿))を書いていて,そこで,今日の子どもの発達疎外と活動のゆが みの問題を考えていた。とくにそのゆがみを活動における目的と手段の「倒錯」

という面から考えようとしていたので,この作品はとりわけ私に強い印象を与

えた。

 1人の少女が友達を強く自分につなぎとめておこうと考えている。彼女は友

達が自分からはなれていくのではないかといつも不安に思っている。それで中

学生からの脅迫のにせ手紙を出すことを思いつく。こうした少女の不安感が私

には痛いほどよく分ったが,しかしそれにしても,リンチの手紙でおどかすと

(4)

いう「倒錯」した手段のとり方が,いかにも現代的で,今日の子どもの心の底 にあるゆがみを典型的に表現しているように思われて,気になったのである。

 私は,しかしそう思いながら,手紙を書いた原みさきのことをもっと知りた いと思った。そして,実加の綴方といっしょに送られてきていたみさきの「今 のわたしと前のわたし」という文章を読んだ。この作品は,念のため電話で吉 村先生にたしかめたところ,実加の作品をクラスで読みあった後で,みさき自 身が,「生活ノート」に書いてきたものだった。

 それは,みさき自身の「自己対話」を文章につづったもので,どうして「こ んなことをしたの」という「今の自分」の問いからはじまって,「以前の自分」

が,それに答えるというものだった。そして,「以前の自分」がリンチの手紙 をとおして実加に自分の気持ちをわかってもらいたかったことが次のように表 現されていた。「前は長いこと時間をかけてだんだんいくうちに実加ちゃんに

       サ       ロ   の       ■   e

わたしの気持をわかってほしかった。長く長くぼうけん見たいに行ってわかっ        (vぞ e)

      ■

てほしかった。」

 私は,さきにも書いたように,みさき自身が,友達でいてほしいという切な い思いを「倒錯」した手段にうったえたというところにこだわっていた。が,

「自己対話」のこの部分を読んでいくうちに,みさきの内面をとく重要なかぎ が,ここにあるように感じられてきた。みさきが,ながいながい冒険のはてに なにか,人の関係をもっとかたいものにしたいと思ったこと,そしてそうした 思いが,まるで現実において可能になるかのように空想して,そうした行動に 及んだことが,この時期の子どもの成長・発達にとって,ひどくなまなましい 問題であるように思えてきたのである。

 ある人は,これは一口にいってマスコミ文化の悪い影響だと言うかもしれな い。またある人は,彼女が思いのままの冒険を現実のなかで経験していないか らこそ,こうした「倒錯」した空想を現実化するような行為に及んだのだと言 うかもしれない。

 私もそういうことがあるかと思う。しかしそう思いながらも,私は,友情の

絆を,このような空想的冒険の現実化をとおして,強くしたいと考えた,1人

の少女の,ある意味で,ひどく「子どもらしい」一といってももちろん倫理

(5)

的関心からみれぽひどく問題があるようにみえる一行為の意味と,それにた いする教育的働きかけのあり方についてもっと深く考えてみなけれぽならない

と感じたのだった。

 ところで,そのように考えて,さきの,みさき自身の「自己対話」の文章を 読みかえしてみると,気がかりなところがいくつか目に入ってくる。みさき は,この「自己対話」のなかで,結局これまでの行為を強く反省して,「うそ で人をつる」のではなく,「その人の前ではっきりといい友達になろうねと言 える自分」になることを決心すると結んでいる。しかし,この言い方は私には 気になった。この事件の結論として,それは一応納得のいくものなのだが,2 人の行動をめぐって教師が行う教育実践としては,はたして,そのような結論 を,「自己対話」の形でひきだしたままでよいのだろうか。そうした意味から 言えぽ,この結論はいささか「道徳主義的」に過ぎはしまいか。一そういう 疑問がわいてきたのである。そこで,私はクラスで作品研究をした時の子ども たちの様子なども知りたいと思い,さっそく次のような返事を吉村先生にあて

て書いた。

(三)

 拝復

 お忙しいところ,綴方と相手の子どもの「自己対話」の文章を送っていただ きありがとうございます。

 読ませていただいて,やはりこういう綴方がでてくる時代のこと一子ども が人間関係のなかでものすごく不安定だなあということを痛感します。目的と 手段の「倒錯」とでもいうような行動をとらざるを得なかったみさきの内面と 生活はどうだったのでしょうか。

 この子の家族関係,学級関係,そのなかでの位置が知りたいのです。

 とくに,この子が「前はながい事時間をかけてだんだんいくうちに実加ちゃ んにわたしの気持をわかってほしかった。長く長くぼうけん見たいに行ってわ       (ママ)

の      e   e    

かってほしかった」(傍点筆者)といっている深い意味をどうくみとったらい

いのでしょうか。又「いい友達になろうとしてみじかいほうほうでいっても実

(6)

加ちゃんがわたしの気持ちがわからない,きずかないだったらどうするのいく       (ママ)

らぼうけん見たいな事をしても全部むだになっちゃうよ」といっていることも

     (ママ)

どう考えたらよいのでしょうか。それとどのような吉村先生の指導の過程でこ の「自己対話」が出てきたかわからないのですが。

 「自己対話」には二つの側面があると思います。つまり,対話する自己とも う1人の自己は,ひとつは時間的発展における,それぞれの時期の自己という意 味をふくんでおり,もうひとつは他者とのある人間関係を象徴する自己とそれ と対立する別の人間関係を象徴するもう1人の自己という意味を含んでいると 思います。現代では,彼女だけでなく,一般に生徒をめぐる人間関係を人間的 にすることがひどく難しいので,自己のなかにもう1人の自己ができにくくな

っています。だから「自己対話」が,他者との人間関係をクラスや地域・家庭 で実践的にきりひらいていくことと結びつかないと観念的になると思います。

 自己の像としての鏡像はとどのつまりは他者の像です。吉村先生が,このよ うな方法をとられなけれぽならなかったところに,今日,子どもをめぐる人間 関係がつくりにくくなっていることの反映が強く感じられるとともに,下手を すると,その難しさに妥協するような形で子どもに「道徳的」対話をさせるこ とになりかねないと思います。「エンピツ対談」は2人の対話だからいいので すが,「自己対話」はもっと慎重にする必要があると私は感じます。もうひと つ,「自己対話」はたしかに思春期のひとつの重要な特長ですが,それは青年 期にいたる長い苦しみのなかで深められていくものだと思います。

 「自己対話」が,他者との関係の実践的きりひらきのなかで行われなけれぽ

と思うのです。

 そのためかどうかしりませんが,みさきの「自己対話」が平板になっている ように感じられます。そのことによって,彼女の無意識的な,もっと深いとこ ろの心の矛盾をとりにがしているように思えてならないのですが。これは間違 っているでしょうか。いずれにしてもこの作品をどのようにあつかわれたか,

またそのことがクラスの子どもたちの中にどのような問題を実践的に残したか きいてみたいものです。

 私はいつも吉村先生の綴方実践のなかで,その年度の子どもの「否定的」状

(7)

況を典型的に示す作品が非常にするどく出されてくるのに感心するのとうらは らに,その指導の内容にいくつかの疑問を感じています。(指導の困難は承知

の上ですが。)

 私は,こんどのことでいえぽ,その疑問のひとつをとくかぎは,「長いぼう けんの末に」と書いている,みさきのことぽのなかにあるように思います。こ の子は友情などというものがすぐ育つものではないという,現代のひじょうに 重い問題を直観しているのではないでしょうか。このことをどう見るか,私も 考えてみたいと思います。

 学生とも話し合って恵那の地でぜひお話ししたいものです。

 勝手なことをいろいろと書きましたが,おゆるし下さい。

 とり急ぎの手紙だったので,いま読みかえしてみても,十分意をつくしてい ないところ,半ぽ断定的な判断や一面的な考察になっているところが少なから ずあることが気になる。しかし手紙はそれだけに,当時の私の卒直な疑問を表 現したものだった。

 恵那に出発する前に,吉村先生からの返事はとどかなかった。それで私は現 地でクラスの様子などをきくほかないと思い,出発した。

 綴方研究集会では,さいわい今年も基調報告は吉村先生だった。いま,それ がr人間・生活・教育』に載せられているが,そこで吉村先生は,さきの子ど

もたちの綴方と,それらをめぐってクラスの様子を紹介された。それで私に は,いくつかのことがわかってきたのだが,それは,ひと口でいうと,次のよ

うなことだった。吉村学級では,昨年から,とくに女子の私的関係の葛藤が多 くなり,人間関係がひどく「不自由」になってきていたこと。しかしそのなか で子どもたちが,ほんとうに本音を出して生きたいと思ってきていたこと,だ から,どうしたら,本音を表現した綴方をらくに書けるようにするかが,今日 の綴方教育ではとくに重要になっているということだった。(第5回生活綴方 研究集会基調報告,吉村義之「事実をありのままに綴らせるために」r人間・生 活・教育』1984年,25号,東濃民主教育研究会)

 私は報告をききながら,みさきのそれにみられるような「倒錯」的な行動が

(8)

でてくるのは,やはり今日の子どもたちの生活のなかに,心とからだを卒直に 交流して,力いっぽいとりくめる遊びや仕事が少くなっていることと関係があ るのではないかと思った。そして,そのことが,子どもたちのなかに社会的な 自我の形成を難しくしていることの大きな原因ではないかと思った。そして,

みさきの行為が子どもをめぐる人間関係の難しさをたんてきに表わしたもので あり,実加の作品は,子どもをめぐる今日の情勢の典型的な表現になっている

とあらためて思った。

 しかし,私はそう思いながらも,このようにいうだけでは,実加の作品にで てきたみさきの行為や「自己対話」の文章のなかにあらわれたみさき自身の本 音はとらえ切れないのではないかと感じていた。さきのようなとらえ方では,

いかにも単純だという感じがしたのである。

(四)

 研究旅行のあいだ中,吉村先生から「リンチ」という作品を,どのようにク ラスで扱われたか,結局くわしいことはきけなかった。しかし,吉村先生が基 調報告のなかで紹介された当のみさきの作品「きみちゃんだとなぜかどんなこ とでもきいてしまう」と,この2人と関係をもってきた安藤紀美子の作品「み さきちゃんとわたし」を宿舎でよみかえして,その前後の状況は,ある程度は 想像ができた。例えば紀美子の作品にはこの事件についてクラスで話し合った 前後のことが次のように書かれていた。少し長くなるが重要なところなので,

引用してみよう。

 ……前からみさきちゃんは,みゆきちゃんや実加達と話し合いたいと言って いたので,話し合うかなあと思って,小さい紙に,

 「手紙のことは,放課後話そ。実加ちゃんもまぜて。そこでみんなに話しち ゃえぽゆるしてくれると思うよ。ちゃんと話せぽね。うそをつかずに。」

 と書いて,みさきちゃんにわたした。

 実加ちゃんとみゆきちゃんと志保ちゃんとみさきちゃんとわたしで,放課後

図書室に集まった。わたしはリソチの本当のことが書いてある手紙を持ってい

(9)

った。みさきちゃんは,手紙のことを「だめやに。」とか言っていた。話し合 いは,みさきちゃんがしゃべりだして少したったら泣きだして,あまりうまく できなかった。最後にみさきちゃんはあやまった。

 それから日にちがたって,綴方を書く時に実加ちゃんが,「リンチ」という 題の綴方を書いた。わたしもそのことを書いていた。綴方の時間が終ってか

ら,みさきちゃんに,

 「なんて題の綴方書いた。」

と聞いたら,

 「友達っていう題で書いた。」

と言ったので,

 「どういうこと。」

と聞いたら,リンチとは関係なかった。わたしは,

 「どうして,リンチのことをかかんかったの?」

 と聞いたら,

 「実加ちゃんも書いとるらあ,紀義ちゃんも:書いとるらあ,3人も同じこと を書くとどっかちがうとおかしいらあ,だから書かんかった。」

 と言った。わたしは,やっぱり自分から書くのはいやかもしれんけど,書い た方がいいと思った。

 しぼらくしてから,実加ちゃんの綴方で勉強することになった。その日,昼 そうじが終って,教室に行こうとしたら,みさきちゃんが階段の所で生活ノー

トを持って立っていた。わたしがよって行くと,みさきちゃんが,

 「これみてくれん。」

 と言って,わたしに生活ノートを見せてくれた。ノートには,「今の自分」

と「前の自分」のことが書いてあった。最後の方に,わたしが前に「本当の友 達になろっ。」と言ったことが書いてあった。わたしは,別にだれでもよかっ たわけじゃあない。みさきちゃんとならいろいろ話ができたので,そうやって

冒った。

 5時間目がはじまって,ドキドキしていた。なんかわたしがいろいろ言われ

るような気がして,すごくドキドキしていた。だんだん手にあせが出てきた。

(10)

 読みたい人がどんどん読んでいって,いろいろな意見を言った。みさきちゃ んは泣いていた。となりの森君に,

 「きちんと聞いとらなあいかんにって言って。」

 と言って伝えてもらった。

 授業がすんだあと,みんな泣いてみさきちゃんにあやまった。わたしもあや

まった。

       (安藤紀美子「みさきちゃんとわたし」r人間・生活・教育』,

前掲号,33−−34ページ)

 このところを読むと,実加の作品を中心としたクラスでの話し合いが,みさ きをふくめて,子どもたちの,ある緊張のなかで進められ,それが最後にみん ながみさきに泣いてあやまるという一種の「カタルシス」とでもいえるものへ

とさそい,人間関係に一種の安定をもたらしたことがわかる。

 私は,みさきの「自己対話」が「道徳主義的」にすぎるのではないかと書い たさきの手紙の感想にたいして,もう少し考えてみなけれぽならないと思っ た。みさきは,一一見道徳的な態度をとりながら,実はある安心感へと自分を導 きたかったのではないか。この年齢(10歳》11歳)の子どもたちは,あらゆる 手段をつかって,不安感を安心感へと転化する行為を日常不断に行うのではな いか。吉村先生の指導を,こういう側面からだけ判断するのは,片手落ちかも 知れないが,のちに紀美子の行為についてもみるように,この時期の子どもた ちには,そうした傾向が一貫してあって,吉村先生の指導はそうした傾向を自 然にさそいだしているように私には思えたのである。

 ところで,このような人間関係をめぐるいわば「カタルシス」的問題を考え るにつけても,もう一一度,みさきがながい間の冒険をへて友情をたしかめたか ったと感じていたことをどうみるかということにかえらねばならない。

 みさきは,なぜ,みずからの不安感を増幅させるような仕方で,なおも実加 との友情をたしかめようとしたのだろうか。それは,今日の人間関係の難しさ や,マスコミ文化の影響からくるといってだけ理解しうるものなのだろうか。

私は,そこにはもっと深い,少女期のある心理的傾向が映しだされているよう

(11)

に思えたのである。それは,結論的に言ってしまえぽ,みさきが,この行為 を,一種の,不安定な虚構をめざした遊びとして演じているのではないか,と いうことである。この遊びは,もちろん幼児のそれではない。なまなましい現 実世界での意味をもちながら,しかも,悪の空想を色濃くともなう冒険をあえ てすることによって,日常的な人間関係を「転倒」させようとする行為一一い

ってみれば,「不安な遊び」の世界ではあるまいか。

 もっとも,みさきのなかでは,そうした「不安な遊び」を積極的に構想し,

実行しようとする自覚はそれほど強くないように見える。しかし,みさきの行 為には,無意識的に,そうした世界をわがものとしようとする強い欲求がうず まいているのではないか。だからそこには,一見非常に「不純」なようにみえ ながら,少女らしい,ある「純粋さ」がほのみえるのではないか。この「純粋 性」は,思うに,おそらく不安をともなう冒険を,みずから進んで行おうとす る少女の「無邪気さ」がもつそれである。この「無邪気さ」が彼女をめぐって 織りなす人間関係の困難性のなかで,ある「倒錯」した行為としてあらわれて

いるのを,私はみてとれるように思うのである。それは,なんと「切ない」世

界だろうか。

(五)

 不安定的な日常的関係を「転倒」させ,「非日常化」しようとする行為が,

ある種の不自然な「倒錯性」を帯びざるをえないという,現代の子どもの内面 の切なさ。それは,逆説的なようだが彼らにおける或る「純粋性」の表現なの ではないか。

 私が,みさきの行為だけでなく,彼女をめぐるこのグループの子どもたち全 体にこうした「不安な遊び」の傾向があることを強く感じるようになったの は,恵那から帰ってきて,みさきの作品(「きみちゃんだとなぜか,どんなこ

とでもきいてしまう」)をゼミナールで,学生たちといっしょに読んでからの ことだった。

 この作品は,みさきが,紀美子,麻衣子,美由起など数人の友だちと,放課

後,教室で遊んでいた時におこった,ある出来事を書いたものである。それは

(12)

要約すると次のようなものだった。

 みんなで遊んでいた時,まず紀美子が,ちょととみさきを呼んで先生の椅子 のところに座わらせる。そして,なわとびのなわでみさきの腰のへんを椅子に

しぼりつけ,もう1本のなわで,みさきの背中をパシッとたたく。それからこ んどは,麻衣子にむかって「麻衣ちゃんが親分ね。なんか,みさきちゃんに質 問しい。」といって麻衣子にもたたくことをうながす。そこで,麻衣子はみさ

きに,「どうして子どもをゆうかいしたね。」とたずね,紀美子は「はけ,は け」とみさきにいいながら,みさきの背中をなわでぶつ。そのあと紀美子は麻 衣子にも同じくなわでぶつようにいうが,麻衣子は,ちゅうちょしてしまう。

紀美子は,こんどはみさきの手首をしばらせる。ところが,みさきがそれをい やがってなわをほどいてしまったので,「こっちにでてこい。」と命令し,美由 起と麻衣子になわを1本ずつわたして,もういちどぶてとうながす。そこで麻 衣子はしかたなくボールでみさきの背中を軽くたたく。美由起に対しても紀美 子が「みゆきちゃんもたたきいよう。」といったので,美由起は「……だって,

みさきちゃんぽっかかわいそうやもん。」といいながら,しかし,しかたなし に,ボールで軽く3回ぐらいたたく。そしてその後で,「ごめんね,みさきち

ゃん」といって彼女の背中をなでてしまう。それから,紀美子がなおもみさき をたたこうとして,事態は次のように展開していく。以下はこの作品の最後の 部分である。

 きみちゃんが,わたし(注=みさき)の服にひっついとるぼうしにボールを入 れて,それをふりまわした。えんりょなくやっていた。わたしは,もうがまん ができなくて,

 「もういやだ。」

 と言って泣いた。

 みゆきちゃんが,

 「どうしたの。」

 と言った。きみちゃんが,

 「知らん,もういやだって言って泣いちゃったもん。」

(13)

 と言った。

 その時わたしは,泣きながら思った。自分でやったことも知らんなんて言う なんてひどいと思った。わたしはずっと泣きながらいた。みゆきちゃんが  「ごめんねみさきちゃん。」

 と言った。わたしは,

 「うん。」

 と首を下にやった。麻衣子ちゃんも  「ごめんね,みさきちゃん。」

 と言った。わたしは首を下にやった。

 きみちゃんも  「ごめんね。」

 と言った。わたしは,首をゆっくり下にやった。

 もう帰ろうかと言い,カバンを持って年の階段を下りて行く時,きみちゃんが,

 「ほんとにごめんね。えんりょなしにやっちゃって。」

 と言った。わたしは,(いやだ)と言おうとしたけど,

 きみちゃんだと,なぜか,

 「うん。」

 と言ってしまった。みゆきちゃんも  「ほんとにごめんね。」

 と言った。わたしは,

 「うん。」

 と言った。麻衣ちゃんが  「ほんとにごめんね。」

 と言った。わたしは,

 「うん。」

 と言った。

 下たばこに行き,ぞうりを持って土間にぞうりをポンとおき,はいて,それ からみんなで帰った。

      (原みさき「きみちゃんだとなぜかどんな事でもきいてしまう」

(14)

r人間・生活・教育』,前掲号,31ページ)

 ところで,ここで紹介したこうしたできごとがあったのは,この作品のはじ めにみさき自身が6月5日のことと書いているから,あきらかにさきの「手紙 事件」についてのクラスの話し合いがあってから後のことである。

 この作品をゼミナールで読みあった時,はじめ,学生たちから,このできご とは,この時期の少女にとって異常なことではないか,という感想が多く出さ れた。私も,とくに紀美子の行為のなかに,なにか,サディスティックな心理 を感じたし,彼女らの行為が,事件の当事者のみさきにたいしてむけられてい

ることもあって,・一種の「報復」めいた内容をもつものとして強く印象づけら れた。しかも作品の最後のところで,みんながみさきに自分たちのしたことを あやまっているところに,子どもたち自身の心理の屈折をみたように思った。

 しかしゼミナールの話し合いの最後で,男子学生のM君が,彼女らの行為 は,いってみれぽ,ある種の「遊び」なのではないか,そしてそうしたこと は,この年齢の子どもたちにとって特殊なことではなくて,ごくあたりまえの ことではないか,と発言したことで,私は再考せねばならない問題がそこにあ ると思った。M君は,この遊びがおそらくテレビの「刑事もの」などの影響を

うけていることは,たしかだが,それを病的な「倒錯」だとか,「異常心理」

だとかみる必要は少しもないといいたそうであった。

 放課後,子どもたちが遊んでいる時,グループの中心になる1人の少女によ って一種の命令的な事態がひきおこされる。それは,ひどく虚構iめいたシチュ エーションの設定である。ところが他の女の子たちは,そのシチュエーション にすぐにはついていけない。当のみさき自身も,このシチュエーションの虚構 性がよくわからない。それで彼女は,それに「抵抗」し,最後には紀美子の行 為のなかに,現実的な「いじめ」のなまなましささえ感じとって,泣き出して

しまう。

 子どもが,遊んでいる最中にその虚構からふと現実にかえって,虚構を現実

と感ちがいし,あまりになまなましい感情を経験してしまうことは,よくある

ことだが,思春期に入りかけている彼女たちの間にもこのことが起ったのでは

ないか。さきの作品の内容をそのように読みとってみると,最後に,子どもた

(15)

ちが,みさきにあやまるところの心理の動きもよくわかる。

 美由起や麻衣子は,はじめから,このシチュエーションに十分入り込めない で,みさきに,自分たちのした行為をあやまっている。しかし紀美子にとって は,あやまりの行為は,おそらく虚構の世界における彼女自身の「やりすぎ」

への反省をともなっている。そして,それさえもが虚構の延長としての意味を ふくんでいるように思えてくる。

 ただその際,この場面全体がなんとも奇妙なのは,紀美子自身が,日常的な 遊びから,この刑事あそびの移行をほとんど他の子どもたちの了解なしで行っ ていることである。だから,他の子どもたちが,このシチュエーションの設定

自体の意味をよく理解しないまま多分になまなましい現実感をともなったもの としてそれを感じとっているらしいのだ。

 思春期に入りかけた子どもたちにとって,思うに,現実と虚構との行き交い は,一般的にも次第になまなましい意味をもつようになることが予想される が,この場合も悪にまつわる秘密めいた場面が虚構として,しかもそれが現実

とすれすれのところで演じられている。

 しかもそうした場面で,子どもたち全員が,みさきに自分たちのしたことを あやまることによって,またもや一種の「カタルシス」とみられるものを経験

していることがとりわけ興味深い。

 つまり少女たちは,虚構と現実との間を行き交いながら,ここでも一一種の安 心感を味わい,このような,一見,うさんくさいとみられる行為によって,互 いの友情を確かめあっているのではないか。このように考えると,紀美子の行 為のなかに,みさき自身が行ったのと同質のものをみてとることができるよう に思えてくるのである。

(六)

 ところで以上のように考えると,さきのみさきの行為の道徳性の問題にたい

しても,一層リアルな見方が可能になってくるだろう。みさきは,前にも書い

たようににせ手紙によって実加自身がどれほど不安におち入ったかをほとんど

意識できないほど「無邪気な」ようにみえる。この「無邪気さ」はおそらくこ

(16)

とぽそのままの「無知」からくるそれである。自分が不安から行為した結果が どのような不安を実加に与えているか,という反省は少くともその行動の最中 にはほとんどみうけられない。だから,クラスの話し合いの中で,みさきの行 為が現実に実加にたいして,なにをもたらしたかが,みんなの前に明らかにさ れたことは,少なからぬ教育的意味をもっている。だが,実加の側からこのこ とをみてみるならぽ,また少し違った側面を論じることができるだろう。ひと

くちにいえぽ実加にしても,みさきの行為が,虚偽そのものであることは,少 し考えてみれぽ,みやぶられないものではないのだ。なぜなら,彼女自身が考 えたように,何のわけもなくリンチを加えられること自身がおかしいはずだ

し,第一一おどしの手そのものが,中学生から直接わたされないでみさきから間 接的にわたされていることからも,ことはおかしいと推察できるはずである。

 しかし実際には,実加は,強い不安におち入り,にせの手紙を本当の強迫状 だと思い違いしてしまう。

 つまり,一般的ないい方をすれぽ,この少女たちは,虚構と現実との間を行 き交いながら,両者の区別と連関を認識する力を持ちあわせていないのだ。彼 女たちの遊びの不安定さは,この両者の区別と連関が充分にとらえられていな いところからきている。彼女たちは,自分たちが行っている行為一それは遊 びの要素を多分にもっている一をあまりにも現実的に考えすぎている。だか ら指導のなかでみさきの行為を倫理的関心の面から判断させることが大きな教 育的意味をもっているとしても,その面からだけそれを意味づけることは一面 的ではないだろうか。彼女の行為を,つまり,あまりに倫理的にのみみること は,その行為の虚構性がもつ意味を,彼女自身に自覚させる面をうすめてしま

うのではないか。

 思春期の子どもの行為のもつ虚構性一ある場合には悪の要素を多分にふく んだ一をどのようにみるか,ということがそこから当然うかび上ってくるだ ろう。すでにふれたことから想像されるように,この時期の子どもの遊びの虚 構性は幼年期から少年期にいたる遊びのそれとは性質を異にしている。つま

り,後者が「ごっこ遊び」などのように,大人の労働や生活のある明らかな形

式のファンタジーによる「変形」であるのに対して,前者は,大人の世界の影

(17)

の部分やかくされた部分の,多分に現実性をともなった,ファンタジーによる

「変形」なのだ。後者は,すでに述べたように,大人世界の悪や,秘密(「性」

などの)を多少とも虚構化した遊びとして表現されるものとなる。このような 世界は,私のみるところ,これまで多くはギャング・エージから思春期前期に かけての男子の遊びのなかにみられ,ひそかに世代から世代へと受けつがれて きたものである。しかし,いま,特長的なことは,このような虚構の世界が,

女子の生活のなかにも入りこんできているのではないか,ということだろう。

 最近,竹内常一氏は,女子の少年期=前思春期における「ギャング・エイジ 化」にふれた発言のなかで,近頃急激に増えているとされる「女子非行」のさ まざまな事実の根底に,彼女たちがゆれ動く私的関係の中でこうした虚構の世 界をとおして互いの友情をたしかめるために熱情的にふるまおうとしているこ

とがあることに注目して,その中の肯定的な面をみようとしている(座談会「子 どもの新しい肯定性を見る教師の視点」r生活指導』,1984年,4月号)。興味あ る指摘である。

 女子の少年期=前思春期の遊びのもつ,このような虚構性,とりわけその影 の部分は,おそらくこれまでほとんど,教育学の考察の対象にならなかったも のだろう。しかし,よくみると,そこには,現代のマスコミ文化の影響の否定 的反映といってだけはすまされない或る積極的なものへと転化できる側面一 彼女たちが困難な現実を転倒して,自分たち相互の人間関係をたしかなものに

しようとする一努力の方向性をみてとることができるように思われるのであ る。それは,おそらく,戦前からもみられた,女子学生のもつ,或る「いたず

ら性」が現代的な姿をとっていっそう明確に,普遍的にあらわれている姿とも とらえなおすことができるものなのかも知れない。

 それは,ともかくとして,女子の少年期(少女期)を多分にセンチメンタル な色あいをもつだけの,したがって,さきにみたような複雑な矛盾を欠如させ たある抽象化した「無垢性」と,「純粋性」としてのみみる見方の非現実性を,

以上の事実は浮きぼりにしてくれているように思われる。

 このようにみてくると,とりわけ私たちに興味深いのは,紀美子の行動であ

る。

(18)

 彼女は,一見してわかるように,何ごとにつけても,友達に要求したり,命 令したりする,このグループのいわぽ中心的存在である。子どもたちは,紀美 子のいうことなら何でもきいてしまう。ところが,こうした紀美子の存在にた いして,子どもたちは,他方で,ある種の反機をすでに5年生の頃からしはじ めていたのである。それは,おそらくこのグループのなかで,各人が個性と自 我を次第に主張しはじめている証しともいえるものなのだが,その裏には,次 のような事実があったことを吉村先生の基調報告は明らかにしている。

 というのは,5年生のある時期から,紀美子を中心とした女子のグループが でき,それが,だんだんと強固になって,一時は他のものが一歩も入りこめな いような状態になってしまったことだった。それで吉村先生は,そういう状態 をなくそうと,一人ひとりを呼んで,「各個撃破」の形で説得するのだが,そ れが逆効果となり,グループの結束はいっそう強くなって,授業中でも,仲間

どうしのサインがいき交うというように,このグループでは誰かから発言の許 しがでないとひとことも発言できないといった状況さえ一時的にはできてしま

った。

 吉村先生の表現をかりれぽ「授業が終った途端に,その子達はみんな目を合 わせてさっとよるというような,一緒におらなきゃ不安で不安でしょうがない 状況に落ちこんで」いったのである。それで吉村先生は,グループを「つつく」

ことはやめ,子どもたち自身が,さまざまなことをとおして,自分なりの価値 観を身につけるようにするしかないと判断して,綴方をとおしての「生活勉強」

などを続けていった。(吉村義之,前掲基調報告,r人間・生活・教育』,前掲号)

 そのためか,5年生の冬頃から,このグループのなかから,自我を主張する 綴方が出はじめ,紀美子にたいする反擾が少しでてきていたのである。吉村先 生は,その最初の表現が,西尾麻衣子の「弱い」(82年2月)という作品だった

と判断しているが,このなかで彼女は,紀美子のたんじょう日のプレゼントを めぐって,紀美子にいいたいことが卒直にいえなかったことなどをとりあげて,

これからは紀美子にも自分のはっきり思っていることを言って,いい友達でい

たいと書いている。同じ頃,川口志保も「どれい」(1983年1月)という作品を

書いて,そのなかで紀美子にたいする批判を次のように書いている。「学校で

(19)

も,紀美ちゃん達のやることで,いやなことがあっても,rうん,いいよ一一。』

と言って,いやいややって自分の意見をそんなに言わん。紀美ちゃんは,さる でいうとボスみたいな人だ。」(吉村義之,前掲基調報告,前掲書,19ページ)

 吉村先生のみるところ,志保は,「どれい」ということぽをつかって,紀美 子のいうなりになっている自分を見つめようとしはじめていたのである。

 こうして,この頃からこのグループのなかで,一種の「内部崩壊」がはじま り,子どもたちが,それぞれ「独立」しはじめたと吉村さんは報告したのであ

る。

 さきの二つの綴方は,吉村さんの見るところ,そのきっかけとなったものだ

った。

 くりかえすが,このような事実は,たしかにこのグループのなかで,各人が 個性と自我を次第に主張しはじめた証しであった。しかし,その結果,子ども たちの絆はどうなっていったのだろうか。興味深いのは,このことでグループ の人間関係が解消されたというよりは,ある意味で,吉村先生の予想したのと はちょっと別の意味でむしろ関係の絆が強くなったと判断しうるところであ

る。子どもたちは,一方で紀美子を批判しはじめながら,他方で紀美子のこと を本当は大好きだと感じている。紀美子にたいする子どもたちの感情は,強く なっていると判断されるのである。たとえぽ,さきの「弱い」という作品のな かで麻衣子は,そのことを,次のように表現している。「きみちゃんは,自分 勝手な所や,わたしから見てひどいなって思う所がたくさんある。だけど,不 思議やけど,わたしもどうしてか分からんけど,きみちゃんが大好きや。たぶ んみんなそう思っているとわたしは思う。……」と。

 ところで,紀美子のこの魅力はどこからくるのだろうか。

 この問題をとくために私たちは思春期に入りかけているこの子どもたちの

「自立」にとっての虚構の世界の創造の意味をもう一度みなおさなけれぽなら ない。紀美子の魅力は,彼女が,この時期の子どもが要求している虚構の世界 をつぎつぎとつくりだしていく中心となっているというところにあるのではな

いか。

 それはみんなから「ボス的存在」といわれている事態を越えて,子どもたち

(20)

の紀美子にたいする感情を,彼女らの意識の一番深い所で規定しているように 私には思われるのである。

 生活の虚構化における紀美子のグループでの主導性,もっと正確にいえぽ生 活の虚構化と非虚構化との行き交いにおける紀美子のグループでの主導性は,

このグループのなかで虚構化した遊びを次々とつくりだしていく時だけにあら われるのではない。それは,このグループの子どもたちが,何事につけても相 談をもちかけることのできる,私的関係の一つの中心にいつも彼女が位置して いることのなかにもあらわれている。そのことは,みさきが「いつでもいいで 話聞いて」といって彼女に相談をもちかけたり,実加がリンチのことを書いた

「生活ノート」を最初彼女にみせているところなどにも示されている。

 だが,紀美子のグループのなかでのこのような主導性は,人一倍強い,彼女 自身の生活の中での不安そのものに根ざしているのではないだろうか。紀美子 自身が人一倍不安だからこそ,生活の中で虚構を次々とつくりだす創造性を発 揮せざるを得ないのであり,彼女自身の不安を他の子どもたちの不安と「同一 化」せざるをえないのではないか。私は吉村先生に紀美子のことを電話できい た時,彼女がいわゆる集団のリーダーとして一般に考えられるような「強い」

存在ではなくて,むしろ,いまのべたように,どちらかといえぽ「弱い」存在 ではないかと見ておられることで,いっそうこの面での理解をえられるような 気がした。

 そのように考えて,彼女の作品をよみ返してみると,それまでわからなかっ たことがいろいろ気付かれてくる。

 紀美子は,日常生活でのみさきの孤独さをみながら,それに自己の姿を重ね ている。そこにはすでに思春期に入りかけている彼女自身の「さみしさ」がダ ブっている。

 「わたしは富士見台のキャンプの時に1人になった。その時に短かい時間だ ったけれど,すごくさみしかった。1人でいる時は,みんなさみしいと思う。

1人でるす番をしているみたいじゃあなくて,どこに行ってもだれも話を聞い

てくれないような感じだと思う。」彼女は,こう書きながら,けんすいの時も

みんなからさそってもらえなくて,1人で教室に残って生活ノートを書いた

(21)

り,本を読んだりしているみさきのことを思いながら,「もしわたしがそんな ふうだったら小学校へ来たくもないし,1人ぽっちでいるときがすごく多かっ たら死にたくなる。」と書いている。彼女はみさきが「事件」について告白し てきた手紙のなかで「自分はこの世におらんほうがいいと思って,死にたくな った。」と自分をせめている姿に,また自分の姿をかさねている。そしてこの ように紀美子が自分をせめている姿をみて,こんどは「自分のことをせめんと いて,わたしが悪いんやで」とみさきの言ったことを綴方のなかでわがことの

ように,対象化しようとしている。(前掲書,37−8ページ)

 紀美子は,「リンチ事件」で,自分がはたしてきた役割がいやになってきたこ とを作品の最後のところで告白しているが,さしあたってそれがどういうこと だったのか全体としてはよくわからない。しかし,私はそこになにか紀美子自 身がこのグループの中心になっていて,いつもまわりの友だちに友情をたしか めなければすまないような行為を自分が主導しており,その方向にみんなをま

きこんでいったことについて,自責の念がこめられているように思えてならな い。それは,ひょとしたら,紀美子自分が「不安な遊び」をみんなにそそのか

していたという自責の気持なのかも知れない。そういう関係が彼女らの作品か ら想像されるように私には思える。もしそれが確かだとしたら,紀美子が自分 を責めている姿にこそ,実は今日の少女たちの人間関係をめぐるもっとも重要 な問題がかくされている,といわねばならないのではないか。つまり彼女の自 責の姿のなかに,私たちは生活の虚構化における彼女の主導性にまつわる,そ

の人間像のもっとも肯定的なモメントがかくされているのをみなけれぽならな いのではないか。

 少女たちが不安に満ちた今日の人間関係のなかで,ある安心感を獲得するた めにはその人間関係を「転倒」してみせる生活の虚構化が必要なのに,その可 能性をいちぽんもつ少女がもっとも苦しんでいるという事実。大きな可能性を

もった人間が,もっとも自責の念をもって不安に生活しているところにこそ,

今日の子どもたちの生活活動の「倒錯性」のもつ「悲劇」がある。

 しかし,私たちはこの「悲劇」のなかに,少女たちの人格形成におけるまさ

に肯定的な要素を同時にみなければならないのではないか。そこでは生活活動

(22)

の「倒錯性」が生活を「転倒」する肯定性へと発展する姿をかすかにではあっ てもかいまみせているのだ。だからこそ私たちはさきにみてきた紀美子の人格 のなかに,不安な関係をドラマ化し,遊び化して,その安定へともたらそうと する少女のもっとも典型的な努力を教育の立場からみなければならないのでは

ないか。それは同じように,みさきのなかにも,萌芽的にあるものだし,実加 のなかにも同じようにほのみえるものではないか。そうでなければ,みさきや 実加が紀美子を大好きだというはずはないのではないか。

 紀美子は,しかし,そうした人間的可能性を自分がもっていることをまだは っきりとは自覚していない。紀美子は作品の最後のところで「自分のやってき たことがいやになってきた」と書き「これが,わたしじゃあなくて,ほかの人 だったら,わたしはその人をすごくきらうと思う。わたしが,みさきちゃんや 麻衣ちゃんや志保ちゃんやったら,もっともっとその人をきらうと思う。」と 書いている。だから彼女は,自身がこれまでしてきたことをなおしていきたい

と書き,新しい友達関係のあり方をあきらかに求めている。

 彼女にとってこれほど現実的なことはないだろう。しかし私は,この彼女の 現実的要求をより深くとらえなけれぽならないと思う。彼女が求めた「不安な 遊び」のもつ積極性を,真に肯定的な生活のドラマ化,虚構化としてさらにの ぽしていかねばならないように思う。

 その時,肯定的な生活のドラマ化,虚構化とは,彼女の感性のするどさと結 びついてあらわれている不安のもつ「純粋性」を,生活そのものを豊かにして いく冒険性へと転化していくことではないだろうか。それはみさきが「倒錯」

した行為でしか表現できなかったことを,真に肯定的な生活創造のなかでたし かめることではないだろうか。

 しかし,この冒険は決して平坦な道をたどるのではない。それは,思春期に

おける生活文化の創造が少女たちの自我形成のとりわけなまなましい不安と結

びついており,今日の不安定な人間関係が,この不安をいっそうするどくして

いるからである。だから「健全」な人格は,現代では不安定な人間関係とは別

のところで100パーセント「健全」な人間関係をつくりだすことによって生み

出されていくのではない。それは,不安定な人間関係そのもののなかで,その

(23)

現実を「逆転」させるような「非日常化」の努力が不断に長く持続されていく ことによってしか可能とならないのだ。

(七)

 そうした努力の一端を孤独でいたくないと人一倍強く感じている彼女たちの 遊びのなかから拾ってみよう。

 紀美子のさきの作品に次のような場面がでてくる。みさきが自分たちの関係 を「敵」と「味方」のそれになぞらえるところである。

 彼女たちのグループでは,以前,本人たちがいないところでお互いに陰口を いいあうことが多かった。それは例えぽ,実加とみさきがいるところでは,紀 美子の,みさきと紀美子がいるところでは実加の,また実加と紀美子がいると

ころではみさきの,それぞれ悪口をいうといった具合で,さきの作品のなかで もこのことをみさきが紀美子に言うが,いまは,それと違って実加がみさき自 身の「敵」になっているみたいだと,彼女が告白するのである。紀美子はその 時「敵」ということぽの意味がよくわからず,次の日,尚子に友達に「敵」と か「味方」とかがあるのかときく。尚子がそれにたいしてrr敵』とかr味方』

とかそんなふうには思ってないよ。友達なら,そんなこと思わんら。」と答え たので,紀美子は「敵」ということぽの意味をもう一度考えなおす。そして,

みさきが「敵」と呼んでいることは,一般に悪口を言う「敵」のことではなく て,それとはなにか違うもののように直観する。

 この直観の内容は,どのように紀美子自身に理解されているのだろうか。

 紀美子の作品のそのさきを読んでいくと,みんなでドッチボールをしている 時の場面がでてくる。ここは面白いので少し引用してみよう。

 たしか合体のドッチの時,実加ちゃんとわたしが同じ組で,みさきちゃんは ちがう組だった。みさきちゃんが外野にいる時,実加ちゃんがみさきちゃんが

投げる時に,

 「すごい。」

 と言った。みさきちゃんがなげてから,みさきちゃんの所へ実加ちゃんと行

(24)

ったら,実加ちゃんが,

 「みさきちゃんが投げたボール,すごいね。」

とか言っていたら,みさきちゃんが,

 「なんじゃよ。」

 と言った。そうしたら実加ちゃんはじっとわたしの方を見ていた。わたしが  「こわいねえ,この子。」

 と言ったら,

 「だって実加ちゃん敵やもん。ドッチの敵やないに。わかるらあ。きみちゃ

ん。」

 と言った。だから私は,悪口を言う敵のことじゃあないと思う。(傍点筆者)

(前掲書,37ページ)

 ことがらは簡単なのかも知れないと思う。

 子どもがみんなでドッチボールをしている。1人の少女がいつも「敵」だと 思っている「友達」に,ものすごい勢いで,ボールをなげつける。そばで,そ れをみていたもう1人の少女が,「こわいねえ,この子」と彼女にいう。だが,

ここでいわれている「敵」ということばはかげでこそこそ陰湿な悪口を言いあ う相手一いわぽ日常生活の人間関係のなかでのそれではなくて,スポーツを 力いっぱいするなかでの虚構化され,非日常化された,別の意味をもつ行為の 相手のことなのである。子どもは,この場合,相手のことをいわゆる常識的な 意味でスポーツの上の「敵」一競争相手一として意識しているのではな い。それは,日常生活でのかげ口をたたいていた「敵」が,スポーツの上に虚構 化され,スポーツの行為の上にいわぽ象徴化され,別の意味に転化されたかた

ちとしてのそれである。ここでは「敵」の意味が日常生活の上でのそれでも,

またスポーツの上でのそれでもなくて両者にまたがりながら,しかし両者とは 別の意味をもって創造されようとしている。おそらく彼女がいっている「敵」

とは,彼女たちの人間関係のなかで,自分とは違う個性,能力をもって登場し つつあるもう1人の他者一するどく自己と対立して存在するもう人の人間の 発見へと導かれる意味をもっているのではあるまいか。それをみさきは,「敵」

ということぽで表現したのではないか。ここには,「不安な遊び」をいわぽ陰

(25)

湿な現実的諸関係へと押し戻すのではなくて,虚構化をとおしてそれを「転 倒」し「非日常化」しようとする「しるし」があるように思われる。以前彼女

らが互いにたたいていた陰湿な悪口は関係の表面にはあらわれないから,そこ には人間的ドラマへと発展するモメントはおさえられ,かくされている。しか

しドッチボールを相手に強くなげるこうした行為のなかには,人間的ドラマへ と発展するモメソトがあり,ここでも一種の安定した人間関係へとむかう「ヵ タルシス」がみられる。それはいつも1人でいる,みさきが,ぎりぎり表現し ようとする自我の確立への崩芽ともいえるものだろう。それはもちろん切ない 気持をともなったものにちがいない。しかしそこには1人で孤独に生きていく

「切なさ」とは違う,自己を他者のなかで主張しようとするある「切なさ」が

ある。

 少女たちは,このような人間関係をとおして,人生の出発点で,互いの友情 をたしかめようとしているのだ。人間関係のあるよそよそしさを,そうでない たしかなものへと転換させようとしているのだ。

 少女たちの行為のなかには,あきらかにこうした「しるし」がある。一し かし,彼女たちは,まだその「しるし」の存在に明瞭に気づいてはいない。だ が,もともと「しるし」とは当人にとってそのように定かならぬものなのだ。

 「しるし」とは,ある人間の内面が,外なるもの一身体と身体がつくりだ す作品,さらには,人と人との関係のなかに介在するものに,あらわれること である。しかし,人間の内面は,主観的なものだから,どんなにたしかなもの であっても,それを外にあらわす場合には,他者によってそれと確実に認定さ れることは難しい。ことぽでさえも,確実にその真実を他者によってたしかめ

られること,その意味を確定されることは難しい。内面はうつろいやすいし,

常に揺れ動いている。「しるし」のもつ不安定さはそこにある。

 だが,「しるし」はどんなに不安定な場合でも,ある内面のあかしであるこ とにかわりはないのだ。だから,私たちは「しるし」をあれこれ主観的に解釈 して,それに恣意的な意味をほどこし,それをもとにして人間関係をある方向 に導いていってはならない。「しるし」は,なによりも客観的な対象としてと

らえなけれぽならないのだ。「しるし」を対象としてとらえるという意味は,

(26)

その人間がどのような目的をもって,どのような行動をし,どのような結果を そこにもたらそうとしているかということだ。それは,「しるし」をそのような 人間の行為全体の諸連関のなかに位置づけることを意味する。それは「物化」

された人間関係をそのままみとめることではない。むしろ,「物化」された人 間関係を成り立たせている,人間の行為そのものを客観的な「もの」(chose)

       ノ としてみすえ,その本質を解明することを意味する。(cf. Alain, E16ments de       ノ

philosophie, Editions Gallimard,1941, pp.324−340. rアラン著作集1,思 索と行動のために』,中村雄二郎訳,白水社,368−385ページ参照。)

 だが,「しるし」は,同時に人間の行為にとって目的論的な関係のなかでの それである。思うに教育上の指導の対象としてのしるしは,不安定にゆれ動き ながら,しかし,教育的関係を結ぶ人間相互にとってはある状態への過渡性と してつねにたちあらわれる。その目的はある固定した状態ではない。教育はあ る「しるし」をそうした状態に一方的に誘導することではない。しかし「しる し」はもっとも普遍的なものへいたるすべての,過渡性をもつものなのだ。こ こでいささか,唐突なようだがパスカルのことにふれていえぽ,パスカルは,

人間の「しるし」をイエス・キリストのもつ神性の研究をとおして明らかにし ようとした。パスカルにとっては,「しるし」(figure)とは,すべて,キリス        ノ トの「愛」(charit6)にまでいたらないものである(Pascal, Pens6es, Editions Garnier Frさres, P.251.)。この場合「愛」にいたらないものという意味は,私の

      ■   の       

みるところ「愛」に必然的にいたらねばならぬ,いたりうるすべてのものをお そらくさしている。そして「愛」とは,もっとも精神的なもの一思いあがっ たものをすべて引き下ろし,卑屈になったものをすべて高みへと引き上げるも

のだ(cf. Pasca1,0P. cit., P.254.)。

 しかし私はここでパスカルの「愛」の思想に深入りするつもりはないし,こ

のみじかい解読でその思想をあやまって読者に伝えることをおそれる。ただパ

スカルのこれらのことぽをとおして,私がいま問題にしたいと思うことがら

は,どんなに不安定な「しるし」であっても,それをより人間的なものへと転

化させようとする立場からは,その不安定さのなかから真の人間的安定へとむ

かうものをみなけれぽならないということである。その安定性とは,人間的な

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