はじめに
(1) マルクスの労働理論が主たる分析対象にして きたのは,生産労働,もっと狭くいえば工場労 働であった。宇野理論が重視する「労働力の商 品化」も,明らかに工場労働者の大量雇用のこ とを指していた。それゆえ,資本主義的な労使 関係にかんする議論でも,優先的に論じられる のはいつも生産部面における労使関係であり, 流通部面における労使関係は二の次にされてき たといってよい。生産部面における労使関係の 特 徴 と さ れ て き た の は,(1)機 械 に よ っ て 技 能・熟練を解体された労働者,(2)資本家を頂 点に置き,大多数の労働者を底辺に置いた,トッ プダウン型・ボトムヘビー型の労働組織,(3) 日雇を始めとする短期雇用に特化した労働市場, の3つである。 もっともこれらの特徴が,流通部面における 労使関係にもそのまま当てはまると考える論者 は少ないであろう。流通業は対人的なサービス 業であるから,製造業におけるほど急速には機 械化が進まないと考えたり,流通労働者はそれ なりに専門的な商業知識を求められるから,単 純労働に従事する工場労働者ほど低い賃金水準 には甘んじないと考えたりする論者の方が多い に違いない。流通労働者の特殊性(労働者階級 と資本家階級との中間に位置するという特殊 性)を強調した宇野の「利潤の質的分割」論は, として規定しなければならない。「集団力」にかんするマルクスの議論では,生産労働に おける協業が念頭に置かれており,大人数が1箇所に集まることの効果が一面的に強調さ れていた。しかし流通労働に適合するのは,少人数のチームがあちこちに散開して「集団 力」を発揮するという分散型の協業である。 流通労働はチーム単位で行われるが,流通労働者の雇用は個人単位で行われるため,チ ームの内部には等級の違いが生まれる。流通労働と等級制との関係を考察するためには, 等級制があくまで分業に特有の制度であるという先入観と,分業があくまで協業とは別個 の生産方法であるという先入観とをどちらも取り払わなければならない。流通労働におけ る協業は,手の空いている誰かが手の塞がっている誰かのピンチヒッターを務めるという 「複雑な協業」のパターンを取る。「複雑な協業」は,他人とは違う作業手順を発見しよう とする分業の芽を孕んでおり,この芽の活かし方をめぐって等級制が導入される余地が生 まれる。生産労働に導入されるのは,賃金等級の高い労働者ほど職能等級も高く,従事す る作業等級も高いというように,全ての等級が合致するタイプの等級制,分業型の等級制 になる。これにたいして,流通労働に導入されるのは,労働者に支払われる賃金の等級と 労働者が実際に行う作業の内容とが必ずしも一致しないタイプの等級制,協業型の等級制 になる。 JEL 区分:B14,B51,J50,J53,P12,P16への適用)に,たとえばフクロウの翼を模して電車 の翼型パンタグラフを開発したり,トンボの羽を模 して風力発電用の風車を開発したりする,今日のバ イオミメティクス(生物模倣技術)があると見るこ ともできよう。 なお Hounshell[1984]によれば,そもそもフォー ド・システムの移動式ラインの第1号は,食肉包装 業者の使う滑車つき牛肉吊り下げ機や,醸造業者の 使う穀物運搬エレベーター,小麦製粉業者の使う機 械式コンベアシステムなどから得たアイディアを組 み合わせたものであるという(〔訳〕302―304頁)。い わば,機械による機械の模倣である。前田[2008] 25頁も参照せよ。 これまで科学的管理法は,労働者たちが個々に有 していた生産過程にかんする知識を網羅的に収集し, 体系化した上で,管理者の側に移管するという方法 に基づくものと考えられてきた。動作は外面であり, 知識は内面であるという常識的な区分けでいえば, 労働者の技能・熟練はこの方法によって内面から解 体されるように見える。しかしそれは,知識化ない し言語化に伴う困難を無視した見方であろう。 自分の身についた技能・熟練であっても,その中 身を誰にでも分かるように言葉で説明すること── いわゆる「暗黙知の形式知化」──は容易ではない。 実践的な知識があることと,その中身を分かりやす く説明できる分析的な能力があることとは,あくま で別個の事柄である。昔ながらの師弟関係をつうじ て技術が伝承される世界では,「目で芸を盗む」とか 「背中を見て学ぶ」とかいった格言が多用される。芸 や技の真髄は,言葉というありきたりなコミュニケ ーション・ツールで伝え切れるものではないのであ る。拙 稿[2018・19](2)4―5頁,本 稿 の 注42も 参 照せよ。 また,分かりやすく説明できる能力があることと, 実際に分かりやすく説明することとも,やはり別個 の事柄である。R.ブラウナーは,動作研究・時間研 究が徹底され,労働者の全ての仕事が標準化されて いる現代の工場テクノロジーの下では,「仕事をより 早く,ないし少ない努力で行う方法」を発見した労 働者も,その方法にかんする知識を極力隠して経営 者に見つからないようにすることを指摘している (Blauner[1964]〔訳〕173頁)。稲 田[2014]42―44 頁も参照せよ。 47)むろん接客労働は,何種類もの動作から成り立っ ている。しかし,顧客に真心のこもった笑顔を作っ てみせること自体は,1種類の動作として捉えるこ とが可能である。それゆえ,顧客の目線に立って笑 顔の出来栄えを採点し,その点数によって接客能力 を推し量るという方法がそれなりに通用する。問題 の数も解答の時間も限られている1回の試験の点数 によって,目に見えない学力が評価されるのと同じ 方法である。 48)これは,その誰かの役柄を演じることを意味して いるといいかえてもよい。演技にも模倣と同様,上 辺の笑顔を作るだけの「表層演技 surface acting」に 始まり,真心のこもった笑顔を作る「深層演技 deep acting」に至るまでの幅があることは,感情労働論で よく指摘されるところである(Hochschild[1983] p.35)。 49)周知のように,マルクスの労働過程論は,人間が 自分自身の自然力をもって外的自然に働きかけると いう設定から始まる。しかし手つかずの外的自然は, いわば無限の空間的な広がりをもった連続体なので あり,人間の自然力が作用を及ぼしうるのはそのご く一部だけに限られる。「労働の空間的作用範囲」の 有限性である。しかもその一部だけをとっても,数 え切れないほど多種多様な要素が含まれており,人 間が有用性を見いだしうるのはそのごく一部だけに 限られる。 したがって外的自然への働きかけは,まず外的自 然を小さなサイズに切り分け,そこから人間にとっ て有用な要素だけを分離して取り出すことに始まる。 自然素材をそのまま労働対象とする一次加工の作業 ですら,かかる本源的な働きかけが行われた後でよ うやく始まるのであり,その意味では二次加工の作 業にならざるをえないのである。