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96春 中国女文字現地調査報告

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96春 中国女文字現地調査報告

Reporton"Women'sPhoneticLetters"inChina:Spring1996

遠藤 織枝 陳 力 衛

劉 穎

95年9月 の現 地 調査 の概 略 と、96年3月 の現地 調査 で 明 らか に な っ た こ とを報 告 す る。 女 文 字 の存 在 と伝承 に関 す る予 備 調査 を現 地政 府

に依 頼 したが 、 そ の結 果 は 信頼 で き る部 分 が 少 な く、 調査 は 自分 た ち です る以外 にな い との教 訓 を得 た。

現 在 女文 字 を読 み 書 きで き る女性 は陽 煥 宜、 何 艶 新 の2名 の み だが、

外 部 か ら訪 れ る研 究 者 が;増え、 資料 を求 め てい る こ とを知 って、 最 近、

女 文字 を書 く よ うに な った 女 性 もい る し、資 料 もに せ物 も出 は じめ て い る。

女文 字 自体 につ い て は、90年 代初 め まで の熟 達 した女文 字 伝 承者 で あ った 高 銀仙 ・義年 華 の没 後 にそ の 存在 の グ ロー ズ ア ッ プされ た 陽煥 、 宜 の文 字 は、 実 際 に そ の文字 で伝 え 合 う相 手 もい ない 、彼 女 一 人 の文 字 とな って しま ったた め 、 か な りル ー ズ な使 わ れ方 を し、 高 銀 仙 らの 文 字 と変 質 して きてい る。何 艶 新 の ほ うは祖母 に教 わ った とお りの正 確 な文字 遣 い を してお り、正 統 的 伝 承者 と して位 置 づ け る こ とが可 能

で あ るσ

キ ー ワー ド:女 文 字 の状 況,女 文 字 の変 質,女 文 字 の 消滅,非 識 字 率

195年9月 の 調 査 の 概 略

中 国 湖 南 省 の 女 文 字 に つ い て 、 前 報 告 「94夏 湖 南 省 女 文 字 現 地 調 査 報 告 」(9号 一1)以 降 の 調 査 と研 究 の 結 果 を 報 告 す る 。 前 報 告 発 表 以 後95年

9月7日 〜15日,96年3月17日 〜24日 に 現 地 調 査 を 行 っ た が(以 下 「95」

「96春 」 と 略 記 す る)、95年9月 の も の に つ い て は 『こ と ば 』16号(現 代 日 本 語 研 究 会 、95年12月)(1)に 報 告 し て い る の で 、 こ こ で は 概 略 に と ど め るb

(2)

「文学部紀要」文教大学文学部第10‑1号遠藤織枝 陳力衛 劉穎

「95」で は① 江 永 県 ・道 県 の従 来 存 在 が 確 認 され て いた2県 に 隣 接 す る 江 華 瑤 族 自治 県(以 下 「江 華 県ユ と略 記)の 女 文 字 の有 無 を 確 認 す る こ と、

② 何 艶 新 の女文 字 の 回復 ぶ りを 調 べ る こ と、 ③ 女 文字 伝 承 の直 接 的 関 接 的 情 報 保 有 者 を探 しだす ご孝、 の3つ の 目標 の も とに調 査 を行 った 。

① に つ い て は、60年 代70年 代 に行 わ れ た 全 国規模 の民:族調 査 の調 査 員 を 務 め 、60年 代 の資 料 の 中に 女 文 字 を見 た とい う3人 の 男性 に合 い 、 江 華 県 の 女 文 字 の状 況 を調 べ た 。60年 代 の資 料 が残 って い る と して、 そ れ を 徹 底 的 に 調 べ だ せ ば、 彼 らの見 た とい う女 文 字 資 料 も探 しだ せ るか も しれ な い が 、 現 在 の と ころ は、 彼 ら の証 言 の裏 づ け に な る資料 は何 も見 出せ ない で

・い る。

江 永 県 上江 墟 郷 を 中心 とす る 女文 字 伝 播 地 域 の女性 た ち は 「女 紅 」(昌 縫 物、 刺 繍、 織 物 、 切 り紙 細工 な ど従 来 女 性 の仕事 とされ てい た 手 仕 事 の 総 称)が 得意 で、 女 文 字 を 織 り込 ん だ細 い帯 の織 れ る人 が い る。 江 華 県 に もそ の よ うな織 物 が あ る とい うの で、 鳳 尾 村 、 廟 角村 、 白牛 山を 訪 ね、 織 った物 を 見せ て も ら った 。 上江 墟 郷 一 帯 の もの は 幅4cm長 さ2mほ ど の 細 長 い もの が 多 い が、 こ こで 見 た の ほ 同 じサ イ ズの帯 の ほか 、 布 団 の皮 に す る とい う30cm×120cmぐ らい の布 、40cm×120cmぐ らい の も のな ど 幅 の広 い もの も多 か った 。 そ れ らの 中 に は、 た くさん の漢 字 を 織 り込 ん だ もの、 幾 何 学 模様 の よ うな図 案 の もの が あ った 。

図 案 の 中 に 「卍 」 「田」 な ど女 文字 と同形 の もの が含 まれ て い る もの も あ った 。 上 江壗 の よ うな、 女 文 字 だ け の歌が 織 り込 まれ て い る のは な か っ た 。

そ の他 、 美 しい刺 繍 の ほ ど こ され た 布鞋 や、 帽 子、 エ プ ロ ソな どに も触 れ る こ とが で き、 江華 県 で も 「女 紅 」 が盛 んだ った こ とは確 か め られ た が、

織 物 の 中 の字 形 を 文字 とみ るか、 図 案 とみ るか 、 つ ま り文 字 が 先 に あ って 織 物 に 取 り入 れ られ た のか 、 図 案 が 先 に あ ってそ れ が た また ま上 江 墟 の女 文 字 と一 致 す るの か(上 江 墟 の女 文 字 で 出 自を刺 繍 の 図 案 に求 め られ る も の もか な りあ る)、 そ れ は 確認 で き なか った 。

一2一

(3)

96春 中国女文字現地調査報告

他方 、 江 華 県 は 瑤 族 が半 数 以 上 を 占 め る地 方 で あ る。 瑤:族の 女 性 た ち は :地元 男性 奉 居 楚(60年 代 の民 族 調 査 の調 査 員 の1人)の 話 に よる と、古 く か ら自 由恋 愛 の 風 習 が あ り、 男 性 の 求愛 を受 け るか 否 か 女 性 自身 が 決 め た とい う。 また、 山地 の瑤 族 であ り山 に のぼ っ て働 くた め、 て ん足 の女 性 は い なか った。 さ らに 「楼 上 女 」(二 階 で 女紅 をす る女 た ち)の 習 慣 もな い とい う。 一 方 、 上 江 墟 の娘 た ち は親 の決 め た 結 婚 に泣 く泣 く従 う。結 婚 で 義 理 の姉 妹 と別 れ る のが 辛 くて 「三 朝 書」 に 辛 い 思 い を書 い た り、 一 緒 に 厂女 紅 」 を し な が ら刺 繍 ・織 物 の技 術 と同 時 に 女文 字 も伝 え あ った で あ ろ

う女性 た ち と、 江i華の 女 性 た ちは 生 活環 境 が大 き く異 な る。

江 永 県 は 漢:族と瑤 族 の文 化 が 融 合 し、 女 文 字 はそ の両 文 化 融 合 の産 物 と され るが 、 江 華 県 の 方 は瑤 族 文 化 の 色彩 が よ り濃 い。 融 合 した と して もそ の 漢 文 化 の 比 率 は低 い。 と な る と、 漢 字 に ル ー ツを もつ 多 くの女 文 字 の伝 承 は 、 江永 県 ほ ど容 易 で は ない と考 え られ る。

60年 代 に確 か に 見 た とい う人(元 小 学 校 教 員 で、 現在 県 誌 編 纂 室勤 務) が い る 以上 、 そ れ を 否定 す る こ とは で きな い が、60年 代 に 読 み 書 きで き る 人 が い たに せ よ、 江 永 県 と同 じ よ うな 密度 や 文 字 の多 さ では なか った ので は な いか 。 県 や 省 の档 案館(戸 籍 簿 を扱 う公 的 機 関)な ど公 的資 料 を 扱 う 機 関 で の調 査 に よ り、 さ らに 検 討 す る必 要 が あ る。

② の何艶 新 の文 字 に つ いて、 「95」で、 か な りの 回復 ぶ りが 確 認 で き、

陽 煥 宜 の後 継 者 と して 期 待 で きる と判 断 した 。 ⑧ につ い て は十 分 に調 査 で きず、 「96春」 の 主 な 課題 と して持 ち越 した。

す なわ ち、 新 しい 情 報 を 掘 り起 こす た め に 「95」は従 来 と同 じ、 以 前 伝 承 者 が い た 村、 そ の 女 性 の 出身 の村、 あ る古 老 がか つ て 女 文 字 を見 た とい う村 、 な どへ 直接 出 向 き、 そ の村 々で村 長 に 案 内 され て 聞 き取 り調 査 を す る、 とい う方 法 を と ったQ

しか し、 これ で は情 報 のあ りそ うな村 々 の女 文 字 関 連 の 情報 を す べ て 汲 み と る こ とは で き な い。.村長 のつ れ て い って くれ た 先 の女 性 に、 知 らな い、

見 た こ とも な い、 と言 わ れ て しまえ ば そ れ で 終 わ りで あ る。 そ の女性 が こ

(4)

「文学部紀要」文教大学文学部第10‑1号遠藤織枝 陳力衛 劉穎'

の村 に は だ れ も知 る人 は な い、 と言 えば 、 次 へ ㊧ 手 がか りも得 られ な い。

村 長 が この 村 で い ち ば ん年 上 の 女性 とい って 案 内 して くれ た 先 が 留 守 だ っ た ら、 これ もそ こで終 わ って しま う。 そ うい うと きで も、 我 々 の調 査 グル ー プが 車 か ら降 り、村 の中に入 って行 くのを珍 しが って見 に くる人 もいて、

それ らの人 の中 の 高齢 と思 わ れ る人 に見 本 をみ せ て、 こ うい う文 字 を 知 っ て い るか 、 と尋 ね る こ とは で き る。 そ して偶 然 そ の 人 が資 料 を も っ て いた りす る こ とは あ る。 しか し、 この よ うな 方法 では 、 偶 然 の僥 倖 を あ てに す る しか で き ない 。

上 江墟 郷 につ い て は趙 麗 明 も十 年 毛 通 い続 けて ほ と ん ど調 べ尽 く した も の と考 え て いた 。 と ころ が、94年 夏 上 江墟 郷 の河 淵 村 とい う、 女 文 字 が比 較 的最:近ま で残 っ てい て、 趙 が 毎 年 足 を 運 ん で いた 村 で、 新 しい伝 承 者 何 艶 所 を探 し出す こ とが で きた。 調 べ 尽 くされ た と思 わ れ た 地 域 に も この よ

うに 新 しい 「発 掘 」 が あ った。

この こ とか ら 「96春」 で は、 せ め て 上 江墟 郷 の村 々だ け で も徹 底 的 に調 べ 尽 くした い、 と考 えた 。 もち ろ ん、 上 江 墟 郷 周辺 の郷 や 村 に も女 文字 が 確 認 され て い る の で、 そ の調 査 も した い、 さ らに、 上 江 墟 郷 か ら他 の 郷村 へ 結 婚 な どで 出 た女 性 の中 の、 娘 時 代 女 文 字 を 習得 し、 使 った 人 々 を訪 ね て 調査 も した い、』と考 え る。 しか し、 現 在、 そ こま で手 を 拡 げ る力 を もた

な い の で、 上 江 墟 郷 の村 々か ら一 つ ず つ つ ぶ して い こ うと考 え た の で あ るα

■ 上 江 墟 郷 の 「徹 底 」 調 査

従 来 の、 だれ か の情 報 を た ど って、 名 前 の出 た人 の家 を 訪 ね て、 聞 ぎ取 る とい う調査 で は、 抜 け落 ち る部 分 が 多 い ので、 村 単 位 で予 め 村 人 全 員 へ の調 査 票 に よる調 査 を行 い、 そ の情 報 を 基 に 詳 し く個 々に 聞 い て い くとい う二 段 が まえ の調 査 を考 え た 。村 人 全 員 へ の調査 とな る と、 外 国 人 研 究 者 の手 に 負 え な くな る。 そ こで、 これ ま で3回 の調査 の 際 の案 内役 を して く れ て い る現 地 江 永 県政 府 の旅 游 局長 に趣 旨を 説 明 して 協 力 を依 頼 した 。

H‑1予 備 調 査 で得 た 教 訓

一4一

(5)

96春 中国女文字現地調査報告

96年1月 か ら局 長 陳 国森 と電 話、FAXで の連 絡 を取 り、 了 解 を 得 て 別 紙1の よ うな調 査 票 と、 見 本 の 写 真 を添 えた もの を作 成 した。 これ を 局 長 が 上 江壗 郷 の15の 村 の村 長 を 集 め て説 明 し、 村 長 を通 じて各 村4〜5人 の 調 査 員 を 依 嘱す る、 各 調 査 員、 村長 に は相 応 の謝 礼 を払 う、 こ の調査 の情 報 に 基 づ い て 聞 き取 り調査 を した いか ら3且 中 旬我 々 が現 地 へ 着 くま で に

調査 を終 え て お く、 とい う こ とで話 が つ いた 。 別紙1

女 お 凋 査 表

☆被澗査人情况椪

姓 名ll性 別[1年 劇

民 族lI文 化副 睡 並1

原籍(出生地)li以 后脚 地方1

能 説几 科i活(江 永 活 、 西南 官 活 、瑶 梧 、 普通 話 、 其 他)

☆対女お了解状况

(1)会漢(例 、 参 考 資料 ① 、 ②)程 度:基 本 没措 断断 貘 貘 只 知个 別 字 会 写(例 、 数 字待[一 去二 三 里 、 烟村 四五 家 、楼 台六七 座 、八 九 十 枝 花]

忌 共 能枳 多 少 字 忌 共 会 写多 少 字

(2)存有三朝お及写有女お的扇子、手巾、花帯等(参 考資料③④⑤)有 几紳

…(3)年軽吋是否学迂女嘗

几多吋 跟准学的 現在能記多少

・(4)是否 冤 這 女お

在什 広地 方 什 広吋候 惟的

(5)是否 知 道 会 女お 的人 (清写 出 姓名 、 地址)

姓名 地址 姓名 地址

凋 査 地 点

(村里 有 多少 人 口 ・

多 村

成人 女姓有多少人 )

凋査喇 年

日 隣 人1

(6)

「文学部紀要」文教大学文学部第10‑1号遠藤織枝 陳力衛 劉穎

3月18目 我 々が 江 永 県 に着 い た と き、 調 査 票 は1枚 も回 収 され て い なか った。 局 長 は わ ざわ ざ回収 の ため の車 は 出 せ な いか ら我 々が 調査 に村 へ行 く とき調 査 票 も回 収 して くる とい う。 調 査 へ行 くた め にそ の調査 票 の 情報 を生 か す とい う段 取 りが、 まず くず れ て し ま った。 しか も、15の 村 す べ て に調 査 票 は配 布 され ず 、 河 淵村(以 下 「H村 」)、楊 家村(以 下 「Y村 」)、

甫 尾村(以 下 「P村 」)、桐 口村(以 下 「T村 」)の4か 村 と、 そ の 周 辺 の4 つ の 自然 村 に だ け 配 布 され て い た。

した が って 、 「96春」で 目 ざ した 「徹 底 」調査 は、 予 備 調 査 の段 階 で す で に 不徹 底 な ものに な らざ るを え なか った 。

そ の結 果 、 我 々 が現 地 へ 到着 後 、 急 い で 回 収 され た調 査 票 の女 文 字 に 関 す る情報 に基 づ い て、 該 当 者 へ の詳 細 な聞 き取 り調査 は、 ご く一 部 しか で きな か った。 一 方 、 調 査 票 の記 入 自体 が きわ め て ず さん で信 頼 性 の低 い も の の 多 い こ と もわ か った 。(女 文 字 を見 た こ とが あ るか の項 目に、 回 収 さ れ たT村 調査 票196枚 す べ てに 同 じこ とが 書 か れ て いた)

予 備 調査 と して現 地 政 府 に 依頼 した調 査 で も、 結 局 は、 あ ま り役 に 立 た な い こ とがわ か り、 「徹 底 」 調査 は 自分 た ちで しな い か ぎ りで きな い 、 と い う教 訓 を得 た。

た だ し、 被 調 査 者 の背 景 を知 る た め の、 本 人 に 関 す る調 査 項 目か ら、 こ の地 の人 々 の識 字 率 、 教 育 の程 度 を知 りえ た のは 収 穫 で あ った 。 女 文 字 創 造 、 伝 承 の環 境 の一 つ の側 面 の理 解 につ なが るか らで あ る。

この項 目に 「不 識 字 」 「文 盲」 と記 され る調 査 票 が 多 い こ とか ら もわ か るが、 文 字 の読 み 書 きで きな い人 も多 く、 そ の人 た ち は調 査 票 に 自分 で は 記 入 で きな い。 調 査 員 が 聞 き と らて記 入 して い るの で、 真 実 の回 答 か ど う か、100%信 頼 で き るか ど うか 疑 問 は 残 る。 しか し、 被 調 査 者 の 「文 盲 」

とか 「中卒 」 とか とい う情 報 は調 査 員 が 本 人 に 聞 い た もの で あ ろ うか ら、

この欄 に記 入 され た も のは 真 実 に近 い と考 え て い い だ ろ う。

今 回、 現 地 政 府 が予 備 調 査 を した村 々 と、 回 収 した 調査 票 数 は 以 下 の と お りで あ る。(表1)

一6一

(7)

表1調 査対象の村 々と回収策

調醜 劇 回収剃

無 効 数

憤嫐

呼家椡 31 1

3

下新屋州

52陣 入 もれカ・多い

5、

0

上新屋村1

7i同

7i

0

大村子刷 36}阯 361

0

浮橋釧

・・1同 ・・1 0

河淵椡

35・1文

3[

347

楊家刷

・961

[

196

甫 尾 村1 931文 字 棚 6i

87

桐 ・椡

3・gl阯 ・i 318

計 【

・66[ ・・gi 947

π一2調 査 票 に み る 「文 化 程 度」

別 紙1の 上段 、 被 調 査 人 情 況 欄 の 日本 では い わ ゆ る学歴 に あ た る 「文化 程 度 」 とい う項 目に よ って、 この地 の人 々 の識 字 率 を 表1の 有 効 調 査 票 947人 に 基 づ い て み て い く。 なお 呼家 村 は数 が 少 な い の で近 くの甫 尾 村 に 含 めて 整 理 す る。

こ こで の 「文 化 程 度 」 の区 別 は、 ① 不 識 字 、 ② 小 学 卒、 ⑧ 初 中卒、 ④ 高 中 卒 、 ⑤専 門学 校 卒 に整 理 す る。 ① は 「不 識 字 」 「文 盲」 と記 され て い た も のを 統 合 した。 ⑧ は初 級 中 学校 の こ とで 日本 の 中 学校 に相 当す る。 ④ は 高 級 中 学校 で、 日本 の高 等 学 校 に 当た る。 ⑤ と して は、 中専(中 等専 門学 校)、 初 師(初 等 師範 学校)、 中師(中 等 師 範 学 校)な ど と記 入 され て い た

もの を一 括 した もの であ る。

「民族 」 は こ の地 方 で は 入 りま じって い て、 厳 密 に血 縁 中心 に 民族 別 に な って い るわ け では ない 。 自己 申告 に よ る もの で あ るか ら同一 家族 、 兄弟 姉 妹 で も称 す る民 族 は 異 な る場 合 もあ るが 、 各 自の ア イ デ ンテ ィテ ィを示 す 一項 目 と して と りあ げ た。

(8)

文学部紀要」文教大学 文学部第10‑1号 遠藤織枝 陳力衛 劉穎 ま ず 、 村 ご と の 性 別 の 被 調 査 者 数 を 示 す 。

表2被 調査者数(性 別)

1 女1

1計

河 淵 村(H)L34・

i 61

347

楊 家 村(Y)1 9・1 ・・21 192

醜 村(P)1 361 541

90

枷 村(T)i

・3gl 179 13・8

計1

6・61 341

lg47

河 淵 村(H)は 男 女比 が偏 って い る の で、 女 性 だ け の文 化 程 度 を み る際 に は考 察 対 象 とす るが、 全 体 を 平 均 に み る場 合 は除 外す る。

以上947人 を年 代別 、 性 別 、 民 族別 を横 軸 に と り、 文 化 程 度 、 村 別 を縦 軸 に と った 一 覧表 で示 す。 俵3)

「文 化 程 度 」 の 全体 平 均(()内 はH:村 を含 めた 場 合)は 、 ① 不識 字 22.5%(39.1%)② 小 学 卒38.7% .(32.4%)⑧ 初 中卒29.0%(21.6%)④ 高 中卒8.5%(5.9%)⑤ 専 門 学校 卒1.3%(1.0%)で あ る。H村 を 除 くと 不 識 字 者 の率(以 下 「非 識 字 率」 とす る)が 減 り、 小 学 卒 以 上 の 率(以 下

「識 字 率 」 とす る)が 増 え る。 これ はH村 の被 調査 者 の ほ とん どが 女 性 で、

女 性 の非 識 字 率 が 男性 よ りは るか に高 い こ とに よ る もの で あ る。

す な わ ち、 今 回、 江 永 県 政 府 に 依 嘱 して 行 った、 上 江 墟 郷4力 村 を対 象 とす る調 査 の 結果 、 当該 地 域 での 非識 字 率 は22.5%、 識 字 率77.5%と い う こ とに な るQ

瑤 族 と漢族 の 民族 別 の文 化 程 度 と しては 、 瑤 族664人 中 の非 識 字 率39.8

%識 字 率60.2%、 漢族283人 中 の 非識 字 率37.5%識 字 率62.5%で 民族 間 で の有 意 差 は み られ な い。(表4)

性 別 は どうか ρ こ こではH村 を除 外 して3村 の 合計 で平 均 して み る。

女 性265人 中 の非 識 字 率32.1%、 識 字 率67.9%、 男 性335人 中 の非 識 字 率14.9%、 識 字 率85.1%で 、 女性 の非 識 字 率 は 男性 の2倍 以 上 で あ る。

一8一

(9)

表3 「文 化 程 度」 調 査 一覧 表 文化

程度

不 識 字

小 学 卒

初 中 卒

高 中 卒

村別 小計

年代 性別

\ 民族 村 \

H Y P T H Y P『

T H Y P T H Y P T H Y P T, H Y P

10代

女i男

瑤匯 國 漢

10・

0 0 0

2 0 0 0 12馳1

00 .00 120

7 0 1 2 2 0 0 2 0 0 0 1 31 0 1 Tl・7

2 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 5 1 0 0

0 0 0 0 0 0 1 7 0 0 1 6 0 0 0 0

0 0 0 0

0 0 0、

0

0 0 0 0 0 0 0 1

0 0 2 幽14

1・含

0 0 0 0 0

20代

女1男

瑤圜 瑤匯

35 2 1 3 40 3 2 23 12 1 2 9

0 0 0 0 0 0 0 0

87 6 5 35

4 17 3 3 0 2 0 5

0 0 0 0

0 0 0

、0

6 20 3 9

0 0 0 3 0 2 0 20

0 2 5 29

0 1 0 0 1 0 0 2 1 5 5 54

0 0 0 0 0 6 0 0 0 14 0 0

0 0 0 0 0 0 0 0 0 20 0 0

30代

女1男

瑤圜 瑤匯

52 3 1 1 7 2 1 3 4 0 0 3 1 2 0 0 0 0 0 0 64

7 2 7

8 8 0 5 1 8 8 9 0 1 0 9 0 3 0 0 0 0 0 0 9 20 8 23

‑1 0 1 1 0 3 3 11 0 2 8 20 1 5 3 14 0 0 0 0 2 10 15 46

0 0 0 0 0 6 0 0 0 8 0 0 0 7 0 0 0 0 0 0 0 21 0 0

40代

女1男

瑤圜 瑤陰

58 2 1 1 6 1 2 4

3 0 1 1 1 0 0 0

68 3 4 6

9 11 2 5 1 2 4 6 2 0 0 7 0 0 0 1 0 0 0 0 12 13 6 19

0 0 2 5

0 1 0 0 00 45 120 9、0

0 2 3 9 0 1 0 6 0 0 0 1 0 7 17 30

0 4 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 11 0 0 .性別 ・民覦 小計14gi・1・61・1・3313816、 、 ・・1・・1731・ 、 ・・1・・i5、 ・・

年 代 別 小 訓

71 256 234 196

(10)

文学部紀要」文教大学文学部第10‑1号 遠藤織 枝 陳力衛 劉穎

50代 60代70代 以上 性別 ・民族別 小計

女1男 女i男 女 陪

瑤圜 瑤候 瑤圜 瑤1漢 瑤圜 瑤匯 瑤圜 瑤匯

文化程度別

女 陽 羅 小計

(H村 除 外) , 1912115500123002013031235

・8・ ・ …3…3738、 。563ζ 旦、%

021002200030369018(135 256023110124010213006122・5%) 2000100000006870075

…5…6・ …728、 、297、 鴛鑑、%

11100110001061719042(232 112011100100翼2150011538・7%) 0000000001002650031

2050000000200

00146283921 .6%

0060000000004023027(174 032000300000152469010829・0%)

00000000000040105

5600000001 00002379215.9%

00000000000000303(51 0020001000iO21240278・5%) 00000000000000101

000000010000000111 9.0%

00000000000000000(8

、000000200000106071・3%) 2112116500124002994251347

0918110213000417732577192 13800・3300040132354090 3912034180135072671790318

%12212、 、 ・・i2、2、 ・3;・31‑71・1・

947 (600)

・178 33

一10一

(11)

表4民 族 別 の 「文化 程 度」 (H:村 を 除 く)

茹蠱 一雙1

不 識 字1264 39.8%

1塑

37.5%

識 字

小 学 卒 初 中 卒 高 中 卒 高 中以上卒

205 144 43 8

1;1ト

11

讐ト

計 1664・ ・軌 ・ 1283・ ・q・

表5性 別 の 「文化 程 度」 (H村 を 除 く)

献i

不 識 字185 32.1% 5014.9

識 字

小 学 卒 初 中 卒 高 中 卒 高中以上卒

123 48 8 1

lii極ilil陣

計 1265・ ・q・ 1336・ ・q・

また 、 識 字 層 の中 で は、 男性 は 初 中卒 が最:も多 いが 、 女 性 は 小学 卒 が最 竜多 く、 こ こで も、 女 性 の受 け る教 育 が 男 性 よ り低 い レベ ル に と どま って い る こ とが わ か る。 高 中卒 以 上 は 女 性 は3.4%に す ぎず 、 男 性 の15.2%に 比 べ て4分 の1に も達 して い ない。

次 に 年 代 別 の 「文 化 程 度 」 を み る こ とにす る。(表6)

非 識 字 率 だ け を、 年 代 別 に、 ま た そ の年 代 別 を 女 と男 に分 け た もの を グ ラ フに す る と図1の よ うにな る。

10代 に も不 識 字 の人 が 女 性 に21.8%い るの を は じめ、 年 代 が 上 が るにつ れ、 非 識 字 率 が 上 が り、 どの年 代 も女 性 の 方 が 男 性 よ りは るか に非 識 字 率 が 高 い こ とを示 して い る。

以 上 、 女 文 字 の伝 わ る地 域 の現 在 のr文 化 程 度 」 を主 と して識 字 、 非 識 字 の観 点 か らみ て きた 。 この結 果 と女 文 字 とす ぐ結 びつ け る こ とは で きな

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文学部紀要」文教大学文学部第10‑1号 遠藤織枝 陳力衛 劉穎 裹6年 代別 の 厂文化 程 度 」

隣 矧 鍔制 謂制 譜㌻ 陵 鴨1謂 矧 器鴨 不 識 字i・2・453783

小 学 卒125 初 中 卒1ユ3 高 中 卒14

高中以上卒i・1・1・1、 ・1・1

計5、 ・61・7・18、・4・19、

7・人1256刈234人

8、 、371・31371・71・ 、 ・・

、g、2、3、232613・i71、 、 、 ・12 713・15・i・ 、38・4国31、 ・151・1・

・1、 ・1613・1、8回 、 ・1、 ・1・

・1・1・ 回 ・i、 ・

1・

・3、65i4713、4、3612・1ユ3 }・96人179人i78人i33人 図1年 代別非識字率比較

一12一

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96春 中国女文字現地調査報告

い 。 女 文 字 が盛 ん で あ った 時 期 の調 査 な ら、 これ らの 結果 と女 文 字 習 得 と ど う関 連 づ け るか 、 具 体 的 考 察 の課 題 とな るが、 現在 は ほ と ん ど読 み書 ぎ で きる 人 も い ない し、 時 間 的 なず れ も大 きい 。 とは い うも の の、70代 以上 の 女 性 に と って は、 そ の教 育 を うけ る時期 で あ った少 女 期 と、 女文 字 が 使 わ れ た最 後 の時期 とは重 な ってい る。 そ の世 代 の女 性 の90%と い う非 識 字 率 の高 さ と、 女文 字 と ど う結 び つ くの か。 文 字 を知 らない か ら女 文 字 が 生 まれ た とい う、 発 生 の理 由 の裏 付 け に は な る が、 そ の反 面 の、 文 字 を 知 ら な い女 性 た ち が、 女 文 字 を生 み 、 学 び、 伝 え る知 力 と気 力 を ど こか ら得 て い た のか 、 そ の 原動 力 は何 で あ った のか 、 や は り興 味 あ る課 題 と して 残 さ れ て い る とい え よ う。

:H‑3女 文 字 の現 況

今 回 の調査 一 調 査 票 の 「対 女有 了解 状 况 」 の(1)〜(5)の女 文 字 関連 の情 報 に 基 づ く調 査 と、 従 来 行 って きた 関係 者 へ の聞 き取 り調 査 一 か ら、 女 文 字 の伝 承者 に い くつ もの段 階 が あ る こ とが わ か った 。

そ の段 階 を述 べ る前 に、 女 文 字発 見 とそ の研 究 に 関わ る人 物 を 紹 介 し、

研 究 史 を 概 観 して お く。

1950年 代 初期 、 周 碩 沂(1926生 、 元 江 永 県 文 化 館職 員)が 、 女 文字 の資̀

料 収 集 を 始 め、 上 江 墟 郷 葛 覃 村 の 胡 慈珠(1976没)に 女 文 字 を 習 った。

1982年 宮 哲兵(中 南 民 族 学 院 政 治学 部)が 江 永 県 で 少数 民 族 調 査 を行 い丶 初 めて 女 文 字 に触 れ た。1983年 「美 于 一一紳 特 殊 文 字 的凋 査 振 告 」 と題 す る 論 文 を 『中南 民 族学 院報'83年 第 三 期 』 に 発 表 し、 女 文 字 が 初 め て 中央 に 知 られ る こ とに な ったo

宮 哲 兵、 周 碩 沂 は 女文 字 の よ く書 け る高銀 仙(甫 尾 村、1990没)、 義 年 華(桐 口村、1991没)の 書 い た 作 品 を収 集 し、 また2人 に.、民 歌、 故 事 、 伝 記 な どを 女 文 字 で書 い て も らった。

1986年 か ら趙 麗 明(清 華 大 学 中 国 語 学部)が 研 究 に 加わ り、 高 、 義2人 の文 字 を分 析 して文 字 リス トを作 った 。

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厂文学部紀要」文教大学文学部第10‑1号遠藤i織枝 陳力衛 劉穎

1990年 に 陽 煥 宜(銅 山 嶺農 場 、1909生)が 女 文 字 を知 って い る こ とがわ か り、 以後 趙 は彼 女 の 文 字 を収 集 して い る。

1990年 、 郷 政府 は義 年 華 を先 生 とす る学 習 班 を組織 し、 若 い娘 た ちに 習 わ せ て女 文 字 の保 存 を試 み た 。 また93年 夏 の調 査 の 際、 義 年 華 の二 女 に 聞 い た と ころ で は、 義 年 華 が 家 で10人 ほ どの娘 た ちに教 え て い た こ ともあ っ

「た。

1991年11月 江 永 県 で 女 文 字 シ ソポ ジ ウ ムを 開 き、 文 字 学 者 、 民:族学 者、

歴 史 学者 、 地 元 の教 育 関 係 者 な どが》 女 文 字 の ル ー ツ、 造 字 法 、 伝 承 者分 :布、 文化 環 境 な どを 論 じ合 った。

1993年 、 遠 藤 が 現 地 調 査 を 始 め、1994年 の2回 目の調 査 の際 に、 新 た な 伝 承者 何 艶 新 の存 在 を 確 認 した。

以上 の流 れ を 伝 承 者 中 心 に た どって い くとそ の段 階 性 が 明 らか に な る。

女 文 字 が 世 間 に そ の 存 在 を知 られ た1983年 の時 点 で 、 女 文 字 を 完全 に書 け る こ とが わ か って い た 女 性 は高 銀 仙 ・義 年 華 の2人 で あ る◎ 高銀 仙 は、

息 子 の胡 錫 仁 の 話 に よる と、 若 い こ ろか ら晩 年 まで 二 階 で よ く女文 字 を書 躯 て いた とい う。 義 年 華 も、 隣 家 の蒋 漢池 の話 では、 暇 が あ る と女 文 字 を 書 いて い た とい う。 この2人 は世 間 に 騒が れ る以 前 か ら暇 が あ れ ぽ書 いて 曳・た 。 義 理 の 姉 妹 間 の文 通 も女 文 字 で して い た 。 女 文 字 を 仲 だ ち とす る義 理 の姉 妹 た ち もい た。 女 文 字 が 実 用 の文 字 で あ った 。

陽 煥 宜 は 少 し遅 れ てそ の存 在 がわ か った 。 彼 女 の 話 で は、 娘 時 代 は よ く 書 い た が、 結婚 後 は生 活 に 追 わ れ て全 く書 か な か った。90年,81歳 の ころ 二再 開 す る ま で全 く書 い て い なか つた。 趙 麗 明 が 調査 にや っ て きて 、 で き る

「だけ 思 い 出 して書 い て ほ しい、 と言 わ れ た 。 息 子 た ち に も、 今 は 他 に 書 け る 人 が い な いか ら書 く よ うに いわ れ た。 そ の と きは、 そ ん な意 味 の な い こ とを した い とは思 わ なか うた が、 息子 や 孫 が紙 と筆 をた くさ ん買 って きて 書 け 書 け と勧 め る ので、 書 くよ うに な うた 。

何 艶新(1940生)は(9号 一1)で紹 介 した とお り、94年8月 、 遠藤 が趙 麗 朔 と河 淵 村 で聞 き取 り調査 を して い る と き、 そ の存 在 が わ か った。 彼 女 は

一14一

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96春 中国女文字現地調査報告

少 女 時 代祖 母 か ら習 った が、 実 際 に そ の 文 字 で文 通 した り、 意 志 を伝 えた りに、 使 った こ とは な い。 学 習 して 知 識 と して習 得 して い る人 だ 。 「96春」

調 査 で は実 際 に 使 った こ とは ない に もかか わ らず 、 実 に正 確 に多 くの文 字 を記 憶 してい る こ とがわ か った 。

そ の他 に も女文 字 を習 った 人 は い る。 前 述 した1990年 の学 習 班 に 通 った 娘 た ちで あ る。 そ の 中 の1人 桐 口村 の盧 早 珍 に イ ソタ ビ ュー した。 彼 女 の 話 で は、1か 月 ぐらい 毎 晩食 事 後 に郷 政 府 へ 通 った。 先 生 の 義年 華 が まず 黒 板 に 女 文字 を 書 き、 娘 た ち は それ を写 した。 写 して か ら歌 った。 一 句 ず つ 書 い て一 句 ず つ 覚 え た 。 漢字 に似 た 文 字 が多 か った か ら覚 えや す か った 。

しか し、 昔 の皇 帝 が 妃 を選 ぶ とい った 古 い歌 で お も しろ くな か っ た。1か 月 でや め て しま った 。 そ の と き一 緒 に 習 った人 で今 も少 し書 け る人 が 何 人 か は い るが 自分 は す っか り忘 れ て しま って何 も書 け な い。

桐 口村 の調査 票 の(5)に女 文 字 の書 け る人 と して 何 人か の名 前 が 書 か れ て い るが 、 それ は この学 習班 で 習 った 人だ と思 わ れ る。

そ の 他 、 最近 女文 字 を書 き始 め た人 がい る。 高 銀仙 の結 交 姉 妹 で あ った 唐 宝 珍 もそ の1人 で、 今 回 甫尾 村 の高 銀 仙 の 息 子 の家 を 訪 ね た 際、 自分 の 書 い た ノー トを見 せ て くれ た。 それ を買 い、 周碩 沂 に 判 読 を 求 め た と ころ、

羝 とん ど意 味 の ない 文 字 の羅 列 で、 歌 に な って い ない 、 た だ 何か の手 本 を 不 正確 に写 した だ け とい う こ とで あ った 。 周 の見 解 では 「この種 の状 況 ば 河 淵 村 に も 同様 に 起 こ って お り、 近 年 来形 に な らない 女 文 字 を書 く婦 人 が 現 わ れ て い る。 これ は来 訪 者 の需 要 に 応 え て、 多 少 な りと も経 済 的 な実 利

を得 た い と思 うか らで あ ろ う」 ② とい うこ とに な る。

93年 夏、 河淵 村 へ、 胡 四 四(1994没)と い う、 女 文字 を織 り込 ん だ 花帯 の 得 意 な 女 性 を訪 ね た こ とが あ る。 そ の際 、 孫 が 女 文字 を練 習 して い る と 言 って、8歳 の少 女 に 書 か せ て み せ て くれ た 。 孫 娘 は、 見 本 の文 字 を ただ 書 き写 して い るだ け であ った。 字形 を見 て そ の 字 ら しき も の は書 け て も、

音 や歌 が伴 つて い ない か ら、 自分 で 聞 いた 音 を 表記 す る こ とは で きな い。

これ で は文 字 を習 得 した こ とに は な らない と思 った ことで あ る。

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「文学部紀要」文教大学文学部第10‑1号遠藤織枝 陳力衛 劉穎

今 後、 これ ら伝 承 者 の質 の差一90年 以 前 に 習得 した 人 と、 以 後 の 人一 一 を 見 きわ め なが ら上 江 墟郷 を 中心 とす る 「徹 底 」 調 査 は 行 わ な け れ ば な

らな い。

皿 文 字 学 的 にみ た女 文 享 の 現 況

こ こで は、 陽 煥 宜 と何 艶 新 の 女文 字 作 品 に基 づ い て 、2人 の 女 文 字:の文 字 自体 の質 につ い て考 え る。 機 能 の変 質 に つ い ては 、 陽 煥 宜 の 文 字 だ け を 考 察 対 象 とす る。 何 艶 新 の文 字 は 皿一4で 述 べ る が、90年 まで の 秀 れ た書 き手 高 銀 仙 の文 字 とほ ぼ 一 致 す る ところ か ら、 変 質 は 少 な い と考 え られ る か らで あ る。

皿 一1女 文 字 の機 能 の変 質

女 文字 を文 字 学 的 に 見 るゴとき、 起 源 説 ・体 系 性 ・機 能 性 な どの 問題 が 挙 げ られ る。 従 来、 前 の2点 につ い て多 く研 究 ・分 析 が 行 わ れ、 い くつ か の 間題 が 明 らか に され て きた が、(3)④そ の文 字 機 能 に つ い て の研 究 は十 分 に 行 わ れ て い ない 。r96春 」 で はそ の文字 が 現 在 ど う機 能 して い るか を 中 心

に調 べ 、 文 字 と して の機 能 の現 状 を 考 察 した 。

文 字 の数 と機 能 とが密 接 な関 係 に あ る のは い うま で もな い。 中 国語 で は 2500字 が あ れ ば一 応98%の コ ミュ ニケ ー シ ョ ソが で き る と 言 わ れ て い る⑤。

湖 南 省 女 書 は何 種 類 ぐ らい の文 字 を 必要 と して い る だ ろ う か 。 女 文 字 の 最 盛 期 の作 品 か らは1500〜2000の 異 な り字 数 が 得 られ る(6)。概 数 で示 した の は異 体 字 を含 め るか らで あ るが、 一 説 では670ぐ らい で も 間に 合 うとさ れ る⑦。90年 代 初;期の堪 能 な書 き手 で あ った 高銀 仙 の字 数 は約700字 とさ れ るが、 これだ け の字 数 を 以 て コ ミュニ ケー シ ョンの役 割 を十 分 に果 た し て きた 。 女 性 た ち は実 際 に 手 紙 のや りと りを し、 読 み 合 い、 共 に 歌 い 合 っ■

て きた 。 しか も、 前 述 の周 碩 沂 の よ うに 男 性 で も学 習 を通 じて習 得 した人 もい る。 つ ま り、 こ の程 度 の数 の文 字 体 系 が 字 習 に よっ て身 に つ け られ る こ とが 証 明.され て い る。

一16一

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図2陽 煥 宜 が 女 文字 で書 い たハ ンカ チ

しか し、96年 現 在 に お い て 、わ ず か2人 の伝 承 者 の うち の陽 煥 宜(87歳) の作 品 を 中心 に 調 査 す る と、 異 な り字数 は さ らに 少 な く、 わ ず か466し か 得 られ なか った(8>。つ ま りそ の 数 を も って して も、 民歌 や 故 事 の表 記手 段 と して の役 割 を 一 応 は果 たせ た もの と言 え よ う。 た だ し、 陽 煥宜 とそれ 以 前 の書 き手(義 早 早、 高銀 仙、 義 年 華 な ど)の 時 間 的隔 りはわ ず か に七 、 八 年 しか な い。 この短 い期 間 に これ ほ ど早 い ス ピー ドで文字 が退 化(消 滅) の ほ うへ 向 か って い る とす れ ば、 そ の伝 達 の機 能 は果 た し うる のだ ろ うか 。

そ の疑 問 を も って、 次 の よ うな テス トを した。 陽 煥 宜 の書 い た作 品 を、

散 文 と韻 文 とに分 け、 周碩 沂 に解 読 して も ら った。 す る と、 次 の よ うな 結 果 が 出 た 。

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「文学部紀要」文教大学文学部第10‑1号遠藤織枝 陳力衛 劉穎 散 文50%(解 読 率)(遠 藤 へ の 手紙)

韻 文(現 代)60%(〃)(ハ ソカチB)(図2) (古 民謡)70%(〃)(ハ ソカチC)

散 文 の例 を見 る と、これ は96年2月 に 陽 煥宜 が遠 藤 あ て に書 い て手 紙 な の で≦ 内容 と して は、 新 しい 情 報 に属 す る もの が 多 く、 しか も、.散文 の 中 に韻 文 を含 め た形 とな っ てい る。 手 紙 の女 文 字 は307字 で あ るが 、 女 文 字 研 究 の第 一 人者 趙 麗 明が 訳 せ た の は そ の 中 の105字 で あ った。 も ち ろん、

字 の レベ ルで訳 せ た と言 って も、 文 と して まだ 通 じな い もの が多 く含 まれ、

全 体 の理 解 と して は も っ と下 が る と考 え られ る。 事 実 、 周 碩 沂 の解 読 と比 べ る と、 文 意 ゐミ異 な る箇 所 が い くつ か あ った。 書 か れ た も の の 申 の情 報 (内 容)に つ い て既 知 か 未 知 か が、 解 読 率 に 影響 す る こ ともわ か って きた。

つ ま り、 遠 藤 あ て の 手紙 で、 陽 煥 宜 は95年 秋 の北 京 で の再 会 を喜 ぶ 旨を 書 い て お り、 そ の 事 実 を知 る趙 麗 明は 女 文字 のそ の部 分 を 読 み と ったが 、 周 碩 沂 に は読 み とれ な か った の で あ る。

江 永 地 方 の土 話 の 音 を、 漢 字 よ りは るか に少 ない 字 数 で、 一 つ の 言語 体 系 を 表 記 し うる文 字 との意 味 で、 趙 麗 明 らは女 文 字 を 表 音 文 字 と位 置づ け て い る 。 だ が、 表 音 文 字 は、 ア ル フ ァベ ッ トや 日本 の仮 名 な ど100に 満 た な い 字 数 を使 うて 組 み 合 わ せ た ものが 普 通 で あ る。 そ の点 か ら見 る と、 女 文 字 は そ れ らの数 十 倍 もの多 くの字 数 を 使 って い て、 完 全 に 、 あ るい はす べ て を 表 音 的に 表 して い る もの で は ない と考 え られ る。 も しアル フ ァベ ヅ

トの よ うな表 音 文 字 だ とす れ ば、 単 語 レベ ル の組 み 合 わ せ の定 着 が 不 可 欠 で あ る し、 仮名 の よ うな 表 音 文字 な ら音 節 の組 み 合 せ で語 が 表 記 で きる が、

女 文 字 の 表記 で はそ うした 段 階 に は まだ 至 って い な いか らで あ る。 純 粋 の 表 音 文 字 で な い こ と は、 あ る音 を発 音 して そ の文 字 を書 い てみ て ほ しい と 陽 煥 宜 に 頼 む とき、 どの こ とば の 中 の音 か 言わ な い と書 け な い と拒 否 さ れ

る こ とが あ る こ とか らも 明 らか で あ る。

さて 機 能 性 の 問題 に も ど って 整理 してみ る。1500〜2000字 の レベ ル で は、

女 文 字 はほ ぼ解 読 され る のに 対 し、400字 レベ ル に な る と、 そ の解読 率 が 一18一

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96春 中国女文字現地調査報告

落 ち る の は なぜ か。 も し、 単 純 に 字 種 の 記 憶 の減 少 、 あ るい は文 字 力 の低 下 に よる と考 え られ る な ら、 そ ゐ 減 少 や 低 下 を補 うた め に どの よ うに 統 合 され て き たか を 見 な けれ ば な らな い 。 つ ま り、 ど の部分 が統 合 され や す く、

ど の部 分 が そ の影 響 に よって 負 担量 が激 増 したか を 分 析 して始 めて 、 な ぜ 96年 現 在 の女 書 が解 読 しに く くな った か を知 る こ とが で きる の であ る。

こ の問 題 を考 え る ため の 基礎 的作 業 と して まず、 本来 の女 文 字 の 基 本 的 な 造 字 法 や用 字法 を整 理 す る必 要 が あ る。 そ の事実 をふ ま えて 、 変 質変 化 が ど の部 分 に激 しい のか を み て い きた い。

皿 一2女 文 字 の 造 字法

女 文字 の造 字 法 に つ い て、 多 くの研 究 者 が 言及 して い るが、 ここ で改 め て 独 自に整 理 してみ る。

、麟 羅 罪欝

基 礎 字 に はa.b.2種 類 の造 字 法 の もの が あ る。 独 自の造 字 と は、 女 文字 独 特 の造 字 パ ー ツ、 例 えば、 △ 、 ×、 ◇ 、必 、 ※な どの記 号 を 用 い て、 作 った も のを さす 。例 え ば、 ワ(漂 ・飄)y・(門)紫(星)ゑ(年)

懸(何)な どで あ る。 これ らは、 図案 化 され た ものが 多 く、 刺 繍 の 図案 と の 関 連 が考 え られ る。 そ れ に対 して数 が 圧 倒 的 に多 い の は漢 字 の形 や 部 首 を 改造 して作 り出 した もの で あ る。 斜 め に した り、 画 数 を 略 した り、 あ る い は大 胆 に灘 の形 を 変 え た け る、 例 えば ∫(天)渉(生)躯 父) づ((大)重(重)な どで あ る。 これ ら は、 か な り変 形 され た とは言 え、

ま だ漢 字 の形 のお もか げが 窺 え る。aの 独 自造 字 は意 味 と発 音 を ともに 具 現 しなけ れ ば な らな な い のに 対 し、bの 漢 字 に よる造 字 は意 味 も音 声 も元

の漢 字 に た よ って い る点 に お い て、 非 常 に 便宜 的 で あ る と言 え よ う。

2の 派 生 字 は、 基 礎 字 を も とに して、 さ らに 記 号 を加 えた り して 作 られ

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文学部紀要 」文教大学文学 部第10‑1号 遠藤織枝 陳力衛 劉穎

て い る 。cの 符 号 添 加 の 例 は 〃(二)か ら 麹(両)や 、 さ ら に 柔(亮)へ と 造 られ て い っ た も の で あ る 。 こ こ の 派 生 に 通 底 す る の は 同 音 、 類 音 字 を 的 確 に 表 わ そ う と す る 意 図 で あ り、 音 の 相 違 の 差 を 意 識 した 結 果 で あ る 。 例 え ば 、 陳 其 光(1994)の 挙 げ る42例 中 延 べ 数 の28例 は 声 調 の 相 違 、19例 は 子 音 の 相 違 、16例 は 母 音 を 反 映 し て い る(9)。

dの 、 複 合 に よ る 造 字 と は 既 成 の 字 形 を 組 み 合 わ せ て い く も の で (間)紋(田)寮(十)繋(唱)な ど で あ る。 これ ら は 、 す で に あ る 字 形 、 例 え ば 、 ・V。(門)、 惣(哭)を も と に 、 さ らに 劉 の 字 形 を 加 え る こ と に よ っ て 、 あ ら た な 字 を 構 成 し て い く も の で あ る。

以 上 の 造 字 法 を も と に し て 、 そ の 文 字 の 働 き を 見 る と 、 音 韻 ・文 法 ・形 態 の つ な が りを も ち つ つ 機 能 し て い る 文 字 の 役 割 を 見 る こ と が で き る。 例 え ぽ 、 「 函 」 と い う女 文 字 の 表 記 す る 音(訳 せ る 漢 字)は 全 部 で20あ る 。 そ れ を 整 理 し て 図 示 す る と、 次 の よ うに な る。(・ は 同 音 、 一 は 類 音 、 痔 は 類 義 、 同 機 能 を 表 す)

ま ず 、 同 じ舌 面 子 音 の 混 淆 と 思 わ れ るtと1の 二 つ の グ ル ー プが あ る α そ こ か ら 、 類 音 や 意 味 関 係 へ と 拡 大 し て い く と 次 の よ うに な る 。

ye51勾 昌iαU33有

(βinη33兄)一tβiaη33中Ftβioη33境 一tβhieη33拉 昌tβi51朝

鷲 畿灘嚇∴

1、・・箒

こ の 地 の 土 話 に お い て 、 「兄 ・弟 」 は 同 じ概 念 で 、 一 つ の 文 字 「4」

(βinη33,tαi31)を も っ て 表 せ る 。 しか し、 音 が 異 な る の で 、 そ れ ら の 音 を 通 じて ま っ た く違 う読 み 方 の 字 を 表 す 方 向 へ 進 ん で い く。 意 味 上 の 関 連 を

〜で 示 し た 「兄/弟 」 「勾/中 」 「同/跟 」 の よ うに 新 た な 類 義 字 へ と ひ ろ が り、 そ れ ら が 「勾 ・有 」 の よ うに さ らに 同 音 ・類 音 の 字 を さ そ う こ と に.

な る 。 こ の よ う に 雪 だ る ま 式 に 広 が って い く過 程 を み る と き 、 そ の 中 で の 一20一

(21)

96春 中国女文字現地調査報告

段 階 とい うも のを 考 え る必要 が 出 て くる。 末 稍 に い け ば い くほ ど、 そ の文 字 の表 す 意 味 概 念 が あ い まい に な る。 文 字 本来 、 末 稍 に位 置 す る もの も、

自己独 自 の文 字 を も って い るに もか か わ らず 、 他 の字 との関連 で、 一 つ の ネ ッ トワー クの 中 に位 置 づ け られ る。 そ の ネ ッ トワー クの用 い方 に ひ きず られ るか らで あ る。 この ネ ッ トワー クに は、 さ らに 字形 を 中心 とす る もの が あ る。 た とえば 「 」 の グル ー プで、 いわ ば派 生 字 の一 族 で あ る。

擁P1つ η21並

燃 ・ 篇

以 上 の よ うな女 文 字 の応 用 機 能 を念 頭 にお い て、 陽煥 宜 の書 い た ものを 検 討 す る と、 彼 女 の文 字 の用 法 の現 状 が わ か って くる。

皿 一3陽 煥 宜 の 女 文 字 の 現 状

陽 の 作 品 を 、 他 の 書 き手(高 銀 仙 な ど)と 比 べ て み る と、 す くな く と も、

次 の よ う な 特 徴 が 見 られ る 。

(1)音韻 的 な 連 鎖 関 係 が さ ら に 広 が る

前 に 見 た 「釼 」 の 系 譜 図 に 、 陽 の 使 い 方 を あ て は め て み る と さ らに 、 類 音 関 係 が 拡 大 して い くo

tqi31の 系 列 に さ ら に 土 話 の 音 に 該 当 す る 「tαi21動・称 」rtαi41曾 」「tαU21 道 」 「tou33豆 」 が 加 わ り、1αi33の系 列 に 「lqi33噬」 が 加 わ る 。 こ の よ う に 、 先 に 見 た 「ヂ 」 の 負 担 量 が26と な り、 ま す ま す 複 雑 に な る 。

(2)類形 の 統 合 が 進 む

前 述 の 「 索 」 の 例 で 、 「病 」 の 表 記 は 「 斎 」 と な っ て い る が 陽 煥 宜 は

「病 」 を 表 す の に 「承 」 を 用 い て い る

ま た 、 本 来 「彡 」 を も っ て[tβioη21]を 表 す こ と が ふ つ うで あ る が、 陽 煥 宜 は 、 似 た 形 の 「・彡'」(iaη33)を 兼 用 し て い る 。 そ の 結 果 「玉 」 の[iaη33]

(22)

「文 学 部 紀要 」文 教 大 学文 学 部 第10‑1号 遠 藤 織 枝 陳 力 衛 劉穎

の 音 と 意 味 を も 表 す よ う に な る 。 そ の た め 、

tβioη21正 置tβioり44諒 ・京 謡tβiη21件 昌tβyη21転 鎚tsog33漸

彡 砿離 識

とな り、 「多 」 の字 形 か ら音 声 的 に新 た に[ia勾33]を 加 え る結 果 に な って い るo

ま た 「苓 」 は本来 「義 」 の略 字 の 「女 」を 天地 逆 に した形 に 由来 す る女 文 字 で あ るが、 音声 的に[阜i33](義)と 、 本来 違 う形 の 「録」[阜ie33](要)、

[阜ie44](尓、人)と 近 い 関 係 が あ る し、形 態 上 に も、 「ξ」と漢 字 「个 」「人 」 と似 て い る と こ ろか ら、 「添 」 のほ うへ統 合 して 使わ れ て い る場 合 が 多 い ◎ た とえ ば、 高 銀 仙 が 「訪 」 と して い る と こ ろを 陽 は 「 苓 」 と して い る。

(3)類義 的 な も の の統 合

意 味や 、 文 法 機 能 が 同 じ、 また は類 似 して い る場 合、 一 つ の文 字 に統 合 され て い く、

尋→ 不 ・来 ・莫 ・歪 野→ 亦 ・又 ・若 ・犬

この よ うに音 声 ・形 態 ・意 味 の統 合 が 進 む と、 当然 の結 果 と して 共通 の 約 束 ご と と して の記 号 の機 能 は低 下 して い く。音 声 の場 合 、 本 来 許 容範 囲 内 の声 調 を こえ て子 音、 母 音 ま で 広 が る と、 記 号 の弁 別 機 能 が 少 な くな る。

形 態 上 の統 合 もいわ ゆ る 「正誤 」 の域 を こえ て、 よ り簡 潔 に な る のが 特徴 で あ るが 、 そ れ ゆ え、 逆 に 統 合 され た もの の個 々 負担 量 が多 くな りす ぎて、

適 切 な情 報 を伝 え あ うこ とが難 し くな る。 陽 煥 宜 の文 字 の解 読 が 難 し くな って い る のは、 こ う した 単 純 化、 統 合化 の結 果 で あ る こ とがわ か る。 す な わ ち、 陽 煥 宜 の 女文 字 は文 字 と して の機 能 を 失 い つ つ あ り、 文 字 の衰 微、

消 滅 の最 終 局 面 に あ る こ とを 伝 え て い る。

皿 一4何 艶新 の文 字 の現 状

一22一

(23)

96春 中国女文字現地調査報告

何 艶 新 は、(9‑1号)で 報 告 した とお り、94年 夏 最 初 に、 我 々 の前 で 女文 書 いて み せ て くれ た ときは 、一 字 一 字 を や っ と思 い 出 しなが ら書 い て い る よ うで、 一 字 一 字 に手 間 取 り、 書 き直 しも多 く、 字 形 も整 わ ず きわ め て稚 拙 な文 字 であ った。

しか し、 そ の後 の 回復 ぶ りは め ざ ま し く、95年4月 に は実 に 美 し くそ ろ った 女 文 字 を認 め た ハ ンカチ を送 っ て くれ た し、「95」で は、書 こ う と思 う こ とは 何 で も書 け る、 と答 え て くれ てい た 。 で は、 何 艶 新 は 陽 煥宜 の後 継 者 と して 位置 づ け る ことが で きる ほ ど の完 全 な伝 承 者 とい え るの だ ろ うか 。

「96春」 で は、 何 艶 新 の 文 字 力 を知 るた め 高銀 仙 の文 字 と比較 しそ の差 を 検 討 した。

す なわ ち、 高 銀 仙 が 生 前 書 き残 した 女 文字 作 品 と 同 じもの を何 艶 新 に も 書 い て も らって 一 字 一 字対 照 させ そ の 一 致不 一 致 の状 況 を調 べ る とい うも の で あ る。 こ こで 同 じもの とい うのは、 内 容が 同 じとい う こ とで、 高 銀 仙 の文 字 を 見 せ て 同 じもの を書 いて も ら う とい うこ とで は な い。

高 銀 仙 は生 前 「三姑 記 」 とい う、 この地 方 に 伝 わ る故 事 を 女 文 字 で 書 き 残 した 。 それ がr女 書 一世 界 唯 一 的 女 性文 字 一 』(宮 哲 兵 編 婦 女 新知 基 金 会 出版 部 、 台 北 市、 以下 「台 北 本 」 とす る)に 採 録 され、 漢 字 へ 翻 字 した もの(以 下 「漢 字 訳」とす る)が 示 され て い る(9)(図3)(図4)。漢 字 訳 を、 漢 字 の教 育 を 受 け た 何艶 新 ⑩ に み せ て、 それ を 女 文 字 で記 して も ら った。 この 何 艶 新 の文 字(図5)(以 下 「何 文 字」 と記 す)と 、 台北 本 に 掲 載 され た高 銀 仙 の文 字(以 下 「高文 字 」 と記 す)と を一 字 一 字比 較 対 照 した 。対 象 と し た のは 「三 姑 記」 の前 半840文 字 で あ る。

この 作 業 の 結果 以下 の こ とが わ か った。

A両 者 が一・致 しな い文 字

ア 同音 、 類 音 、 類 義 語 で、 両音 の選 択 に差 が 出た と思 わ れ る も の(以 下 例 は、 高 文 字 → 漢 字 訳 →何 文 字 の順 に記 す)

① 多→ 間 → 〆 ② 蓉 → 一 → ノ ⑧96→ 如 → 菱・ ④ 影 → 多→ 条

⑤ 爻λ→ 女人 一、 彡 ⑥ 受 → 莫 →4⑦ 窕 → 最 → 〆

(24)

「文学部紀要」文教大学文学部第10‑1号遠藤織枝 陳力衛 劉穎 図3高 銀仙の書いた 「三姑記」の漢字訳(台 北本)

① 〜 ④ ・同音 異 字 の グル ー プで二 人 の選 択 の差 が表 れ た もで あ る。

⑤ は 「女 人」(恥iu21ig41)を何艶 新 は 「如 」(阜iU21ei33)と表 記 して い る が 、 こ の文 字 は 「女 児 」 に 相 当す る。 別 の箇 所 で 高文 字 の 「郊 」 は 「女 児 」 と漢 字 訳 され て お り 「女人 」 と 「女 児 」 は この地 の土 話 で は 混 同 され や す い 一 一両者 を厳 密 に 区 別せ ず 使 わ れ る こ とが多 い 一 こ とば で あ る こ

とが わ か る。 したが って、 何 艶 新 の誤 記 で は な く許 容 範 囲 内 の選 択 の差 と い う こ とに な る。

⑥ は否 定 辞 の不 一 致 鱗 る・ 皿+(3)で も述 べ た よ う縞 文 字 の 「豆

一24一

(25)

葡 北 怡

㊥ た 乳 鹸 字 蚊

砌 銀 高

(26)

文学部紀要」文教大学文学部第10‑1号 遠藤織枝 陳力衛 劉穎 図5何 艶 新 の書 いた 「三 姑 記」 の一 部

一26一

(27)

ma21・ 濤mu33琢ma21」 は 否 定 辞 と して共 通 して い るが 、3文 字 間 の厳 密 な区 別 は 必要 と しな い 。 そ の た め何 文 字 も高 文 字 とは 異 な る否定 の文 字 を選 んだ と解 釈 で きる。

⑦ も、 高 文 宇 「龕tβye31」 と何 文 字 の 「揮tβye33」は 類 音 の 文字 で あ り魅 許 容範 囲 内 の別 文 字 とい え る。

イ 台 湾 本 の漢字 訳 が 原 因 と思 わ れ る差

① 弄 → 听 → ヂ ② 診 → 貧 → ガ ③ 旻 → 莫 → 蝉 ④ 羨 → 村 → 参

⑤ 、髫 → 涜 → 公

① の 高 文 字 「孝tsioη41」 は こ の 地 の 土 話 の 漢 字 訳 で は 「情 、停 、庭 」 と な る と こ ろ 、 類 音 の 「tsioη31」に 相 当 す る 「听 」 と訳 さ れ た た め 何 艶 新 は 、 そ れ に 基 づ い て 「切 」 の 女 文 字 を 用 い た 、 と い う こ と で あ る 。 何 艶 新 の 誤 記 で は な い こ とは、 別 の個 所 で 「ミ耋 → 情→ ミ塾」 と 「高 文 字 」 と同 じ文 字 を用 い て い る こ とか ら も明 らか で あ る。

② も、 「鴎soi33」は 「心 ・新 ・芯 」 の漢 字 に あ て るべ き と こ ろ 「貧 」 に あ て られ て いた ので、 何 艶 新 は 「貧 」 に 該 当す る 「琢 」 の文 字 を 記 した の で あ る。 こ の文 字 に つ い て も別 の箇 所 で は 「漏 → 心 → メ¢」 と同 一 文 字 を用 い て い る例 が あ る。

ウ 文 字 の順 序 が 異 な:るもの

① 真 彡→ 女 児→ 眼 ② 欠 艇 → 富 豪→,炉 欠 ③ 〃轡 → 嫁 過 → 轡 珍 い ず れ も文字 の順 が かわ って も意 味 の違 い の ほ とん どな い類 語 で あ る。

漢 字 訳 の 字 の順 を読 み ちが え たか 、 そ の差 に気 づ か な か ったか どち らか で あ ろ う。

工 何 艶 新 の誤 記 と思 わ れ る もの

① 園 → 世 → 美 ②¥彡 → 唯 → 駐

① の何 文 字 の 「黍 」 は、 趙 麗 明 の作 った文 字 リス トに も入 って い な い も の で、 何 艶 新 の造 字 と思 わ れ る。

② の何 文 字 「駐 」 も上 記 女 文 字 リス トに もな い もの で 「雉 」 の字形 の一 部 模 倣 に よる造 字 と思わ れ る。 ただ し 「ヌ隹」 に該 当す る女 文 字rx彡 」 は.

(28)

「文学部紀要」文教大学文学部第10‑1号遠藤織枝 陳力衛 劉穎

別 の箇 所 で は高 文 字 と同 じ字 を書 いて い る の で この字 を知 らな い とい う こ と で はな い。 なぜ この よ うな 造字 を した のか 理 解 に苦 しむ と ころ で あ る。

字 形 が 漢 字 に酷 似 してい る と ころか ら、 不 注意 に女 文 字 のつ も りで書 い て

・しま った の で あ ろ うか。

B両 者 の字 形 が 類 似 して い る も の

① づ→ 可 → う ② ジ → 他 → 畧 ⑧ 夢 →尽 → 夲 ④ 食 → 悦 → 公

⑤ 齢 → 斎 → メ ⑥ 爻1→娘 → ≠ ⑦ λ去→苦 → 髫 ⑧ 才 → 夭 → 采 いず れ も異 体 字 と思わ れ る も ので、 ① ② は字 形 が 少 し異 な る もの、 ⑧ ④

《は点 画 の数 が 異 な る もの、 ⑤ ⑥ ⑦ は一 部 の筆 画 が脱 落 して い る もの、⑧は よ り漢 字 に 近 づ い て本 来 の女 文 字 と異 る字 形 に な った もの であ る。

以 上 の よ うに み る と、 何 艶 新 が 高銀 仙 と異 な る文 字 を書 い てい る箇 所 は そ れ ほ ど多 くな く、 また 異 な る文 字 を書 い た と ころ で も、 そ れ は 、 同 音異 字 な ど同 一 人物 で も 同音 の文 字 を書 き分 け た りす る よ うな選 択 の 差 で あ っ た り して何 艶 新 の文 字 力 が 低 い た め の差 で は な い ことが わ か った。B一 ⑧ の よ うに 漢字 に 似 てい るた め に高 銀 仙 と字 形 が異 な る文 字 は 他 に も、

沃 → 大 → ラ(1見 →脱 → ノ昆 郊 → 衣 → 款 ギ → 夫→ ズ

な どが あ る。 これ は、 何 艶新 が漢 字 の教 育 を 受 け て い るの で 当然 の こ と と もい え る。 また、 漢 字 の知 識 が、 漢 字 に似 た 、 あ るい は 出 自が 共 通 す る女 文 字 の習 得 を 容 易 に し、 記 憶 回復 の手 が か りを 与 え て い る こと も考 え られ

る 。

何 艶 新 は 幼 時祖 母 か ら習 った だ け で、 実 際 に 他 の女 性 との コ ミュ ニケ ー シ ョ ン手 段 と して使 った こ と はな い、 と言 って い る。 しか し、 彼 女 は祖 母 か ら習 った 古 い歌 や 故 事 を 女 文字 で表 記 す る ことが で き るだ け で は ないG 現 在 の心 境 を何 か 書 いて ほ しい と頼 ん だ ら、 少 し考 え た のち(図6)の よ

うな 句 を書 いて くれ た 。 そ の 時入 院 中 の夫 の こ とを 思 うと涙 が とま らな い とい う内 容 で 自分 の思 い を女 文 字 で 表現 した も ので あ る。 これ は、 か つ て の 女 性 た ちが 義 理 の姉 妹 た ち と思 い を交 わ した 女 文 字 の 使 い方 と同 じで あ る 。か つ て の女 性 た ち と同 じ よ うに、 何 艶 新 は故 事 も写 す が 、 自 らの 思 い

一28一

(29)

図6何 艶新 が即 興 で書 い た歌 の 一句(一 →)

を即 興 で歌 う詩 人 で もあ る。

高 銀 仙 ら の書 き手 と違 う点 は、 次 の2点 であ る。 ひ とつ は漢 字 を知 る何 艶 新 は、 女 文 字 に もそ の漢 字 の形 が影 を落 と して い る こ と。 ふ た つ め はか つ て の書 き手 た ち が、 同音 類 音 の文 字 や ことば を 自由に 往 き来 した のに 対 し、 漢 字 を 常 に意 識 す る何 艶 新 は あ る漢 字 に あ て る文 字 と して 固定 的に 考 え る傾 向 が あ る とい うこ とで あ る。

IVお わ りに

陽 煥 宜 こそ正 統 な伝 承者 で、50代 の何 艶新 は実 際 に使 った こ と もな く、

文 字 力 も低 く、 本 格 的 な伝 承 者 とは言 え な い だ ろ う、 と今 ま で莫 然 と考 え て い た ○

今 回 の調 査 で、 陽 煥 宜 の文 字 は、 他 人 が読 み 取 れ な い部 分 が あ り、 時 に.

は 自身 で も、 少 し前 に 書 いた も のが 読 め な くな るほ どの幅 の広 い 使 い 方一 一 基 本 的 な書 き方 か ら逸 脱 して い る一 に なって い る こ とが わ か った。 一 ・ 方、 何 艶 新 は、 字 形 に漢 字 の影 を 反 映 して い る こ とは多 い も の の、 音 の表 記 の面 で は従 来 の 書 き方を ほ ぼ 正 確 に踏 襲 して い る こ とが わ か った 。

94年 夏 初 めて 何 艶 新 に会 い 、 た どた ど しい文 字 を書 くのを 見 た と き、 陽 煥 宜 に習 っ て文 字 力 を 回復 して ほ しい と頼 んだ。 しか し、 何 艶 新 は 体 の不 調 や 家 族 の病 気 な どで、 そ れ は して い なか った。 そ の こ とが 結 果 か らみ て

よか ったo

文 字 の側 か らみ る と、 機 能 が 統合 され 、 文 字 が単 純 化 され て い くの は歴

(30)

「文学部紀要」文教大学文学部第10‑1号遠藤織枝 陳力衛 劉穎

史 的 に み て も自然 な 推 移 で あ り、 陽 煥宜 はそ の流 れ の中 に い る。 流 れ を は や め る役割 を果 た して い る とい って もい い。90年 に 陽 煥 宜 が 「発 見 」 され た こ ろ、 他 の書 き手 は亡 くな り、 彼 女 は 唯・一の書 き手 と して 脚 光 を あ び て きた 。 そ れ 以来 の彼 女 の文 字 は研 究者 のた め に書 か れ る も ので、 女 性 間 の 伝 達 とい う、 本 来 の 目的 のた め に使 わ れ て は こなか った。 唯 一・の書 き手 で あ るか ら、 そ の文 字 が 自在 た 大 胆 に幅 広 く使 われ て もそれ を チ ェ ックす る 人 は い ない 。 この こ とが、 陽 煥 宜 の文 字 の変 質 に 拍車 をか け てい る と思わ :れる。

それ に ひ きか え、 何 艶 新 のほ ぼ 正確 な文 字 の使 い方 は、 文 字 の変 化 の歴 史 の 中 では 逆行 して い る。 復 古 派 とで も い うべ き存在 で あ る。 そ れ は、 何 艶 新 が書 き手 と して登 場 して まだ 日が浅 く、 彼 女 の祖 母 か らの記 憶 が純 粋 に 保 たれ てい るか らで あ ろ う。

87歳 の、 娘 時 代 よ く使 ってい た 陽 煥宜 の文 字 が、 文 字 と して の機 能 を失 い つ つ あ る のに対 して、56歳 の幼 時 に習 った だ け の何 艶新 の文 字 が 古 い形 な 正 確 に 残 して い る とい ういわ ば逆 転 現 象 を ど う説 明 すれ ばい い のか、 現 :在の段 階 で は 明確 な解 答 を見 出 しえ な い。

今後 、 何 艶新 の文 字 に つ い て さ らに研 究 す る必 要 が あ ら う。

ま た、 陽 煥宜 の文 字 の統 合 の過 程 か らは、 女 文 字 の 背後 に あ る言 語 の文

『法 シス テ ム

、意 味体 系 の変 化 の事 実 も透 け て み え て く る。 女 文 字 研 究 を契 機 に文 法 研 究 へ の新 しい興 味 もそ そ られ る と ころ で あ る。

(皿 一1〜 皿 一3は 陳 力衛 、 皿 一4は 劉穎 、 そ れ 以 外 は:遠藤 が担 当 した。 全 体 の文 責 は遠藤 に あ る)

く1)「95年 中 国女 文字 調 査 報 告」(rこ とば10号 』 現 代 日本 語 研 究 会、1995)

〈2)1996年5月7目 付、 周 碩沂 の遠 藤宛 書 簡。

〈3)宮 哲 兵編 『女 書一 世 界 唯一 的 女 性文 字一 』(婦 女新 知 基 金 会 、台 北 市、1991) (4)趙 麗 明 『女 書 与 女書 文 化 』(新 華 出版 社 、1995)

く5)木 村 英 樹 『中国 語 は じめ の一 歩 』(筑 摩 書房:、1996) 一30一

(31)

く6)陳 其光 「女 書的 造 宇法 和 用 字法 」r語 言研 究 』'94.2

〈7)(3)と 同 じ

⑧r中 国女 書 集成 』(趙 麗 明編清 華 大 学 出版 社 、1992)に 収 め られた 陽 煥宜 の作 品 の字 数。 この 他 に1992年 以 後書 いて い る も の もあ るの で この数 は も う少 し増 え る 可 能性 が あ る。

〈9)用 例 は(4)による

同書 の解 説 に よ る と、 こ こに示 され る文 字 は 高銀 仙 の手 に よる もので は な く、

(4)②と同 じ高銀 仙 の文字 を 、編 集 に携 った 女 性 が見 て写 した もの だ とい う。

(文中 の敬 称 は 省略 した)

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