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中沢

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(1)

ー ー ー テ 一口今 〆 互 一 一 一

︒﹄

I I

38

一︑序

︵1︶民訴法の全面的改正が試られて居ると聞く︑民訴法に関する限り

何回改正喜弥ても完全無欠な改正がなされて︑訴訟がその要請通り適正且迅速に行われたことを聞かない︒勿競適正と迅速の要請が相

矛盾したものであるから一方を充足すれば他方は完全には充足出来

ない結果となり︑その調整が容易でないことは盲うまでもないこと

であり︑民訴法の改正といえば結局いつもこの問題に関わらされる j目次

一︑序

二︑我国現行民訴法成立の経過

三︑主としてドイツ法従ってローマ法を継受した

四︑個人主義自由主義従って当事者中心主義である

五︑当事者中心主義の現行訴訟規定上の表現

六︑それは結局訴訟技術の優れた者や経済的に勝った者に

有利となる

七︑民訴法改正の問題

我国現行民訴法成立の由来とその原理についての一考察 I

l民訴法改正に対する基本的考え方としてI

'

1

ことであるけれど︑それは兎も角として同じく改正する︑或は調整

すると言っても唯形式的技術的に訴訟法規の修理を以て鞭足る場合

と︑更らに高い見地に立ち社会生活の実傭を勘案してその上からす

る場合とあると思う︑従来は主として前者であったしそれでよかっ

たろうけれど現在では従来の如き形式的技術的修理では不充分であ

って︑後者の方法即ち社会の実捕から根本的に訴訟法を見直して思

い切った処置を採る必要があるのでなかろうか︒

法は社会と共に存在する︒社会を支え社会小基礎となるものはそ

の社会の法であり法はかかるものとして社会の発展変化と共に進み

且それに応じて衣の脱き更えも必要となってくる︑而して社会は不

断の力を以て発展変化するからそれに応ずるため法規の改正は必然

起らざるを得ない現象だともいえる︒然るに法規の改正が単に従来

の法規の形式的技術的修理で足りるとする場合はその社会が未だ孟

的発展の程度にある間の事であって︑社会が質的変化の段階にまで達している漫隷羽龍来の法規の単なる形式的技術的修理では不充分

であってそれだけでは満足出来ない︒

今回の改正にはこのような点に充分考慰を払う必要があるのでな

中沢

/

I

(2)

一や 今 一 一 一 ‑ 一 戸 一

かろうか︑さもなければ折角の改正の事業も水泡に帰して了うので

なかろうかというのがこの稲を試みる動機となった︒

仙我国に於ける市民社会的性格は戦時中と言えどもその本質

は変らなかったし︑終戦後は尚ほその性格が強化せられたか

ら元来市民社会的性格である我国民訴法は終戦後に於ても根

本的改革を必要とLなかったので︑昭二四︑一︑一より一部

改正法律により若干の修正が加えられ又昭二五︑末頃︑訴訟

の目的の価額及び準蝿手競に関する一部修正があったに止ま

るけれども︑昭二七へ六︑一より﹁最高裁判所に於ける民事上告事件の審判の特例に関ずる法律﹂が失効することと関聯

して︵その後昭二九︑六︑一から失効することに改正された

︶︑昭二六︑五︑下旬法務府は民事訴訟法の全面的改正の準

備として一六項に及ぶ﹁民事訴訟法に関する問題点﹂を整理

して説明をつけ裁判所︑弁護士会︑学会の意見を求めている

何れ全面的改正の運びとなることと思われる︒

②適正︑迅速は民事訴訟の生命であって︑その一要件でも無

視されたときは民事訴訟の意義が抹殺される︒然るにこれら

の要件は二律背反で一方の満足は他方の軽視を招きその調整

ゞは容易でない︑そこに訴訟のなやみがある︒

③市民社会として︑その充実発展を目指して進んで来た近代

社会も其の矛盾の故に新しい社会への質的転換の時機に当面

している︑従来の市民社会を支える法としての民訴法も単な9る形式的修正でなく質的改革の必要があるのでなからうか︒

1

二︑我国現行民訴法成立の経過

︵9︶民訴制度は我国に於ても既に古代より存在したが︑特に中世に至

︵路︶・り支那法を継受してから相等の発達を見た︒然るに近代的民事訴訟

法典は明治時代に至って整噸せられた︒その最初のものは明治六年↑

−3︾の訴答文例であった︑その後多数の単行法の制定があったけれど︑

未だ統一的のものはなかったので︑政府は明治一七年五月独乙人テ

ーヒョウGoogsに起草を命じた︒テーヒョウは一八七七年のド

イツ民訴法を模倣して草案を作った︑政府はそれを基礎とし更らに

仏民訴法等を参考とし︑筒ほ我国の事情をも参酌した上で︑明治二

三年成案を得て公布し︑翌一西年一僻一日から施行することとなっ

た︑これが所謂旧民事訴訟法である︒

然るにそれは手統が煩環であったし︑その後民法商法等の錬体法が制定され︑叉破産法の改正もあり︑実際の適用上不備の点が多く︲

なったので︑それらと歩調を合わす必要もあり︑明治二二年以来改

正に着手し慎重審識の上︑一九○○年の独乙民訴改正法︑一八九五

年の澳太利民訴法︑一八六八年の侮牙利民訴法等をも参考として起

草を継統し第五一回帝国議会の審議を経て大正一五年法第六一号と

へ4︶して公布し︑昭和四年一月一日より施行することとなった︑かくし

︵5︶て成立Lたのが現行民訴法であった︒その後砥待小修正を経︑更ら

に新憲法の施行に伴いその精神をも実現すべく新法が制定せらるぺ

きであったけれどもその暇なく︑叉裁判所法施行の事傭もあったの

で巳むなく昭和一三年暫定的に﹁民辨訴訟法の応急的措遼に関する

法律﹂を定めて施行した︒然るにその施行期限の満了による失効に

一一一ヶ

l︲l︲い

(3)

一. ← ー−− . −一死 一〆 |f

− 5 − I

I

0

40

備え且民法等の一部改正に呼応して︑並びに米英の民事手続をも容

︵︽耐︾︶︑れて︑現行法の修正増補の形をとり︑かくて改正法が昭和二四年一

月一日より施行ぜられる運びとなった︒

︑側我国に於ても既に固有の訴訟制度が存在した︑その鍛高裁

判権霧有していたのは何と言っても天皇であった︑然し氏人

・等部内の人民等に対しては氏上︑国造等が或る程度の裁判権

を有した︒訴訟手統については不明であるけれども事実の有

無︑主張の真否につき判断するのに盟神探湯が用いられたと

いわれる︒︵石井︑日本法制史要︑牧日本法制史概論参照︺

②古代以下は多かれ少かれ中国の影響を受けた訴訟制度が行

われ︑律令に於ては財物︑良賎︵良賎の身に関するもの︶譜

第︵姓に関するもの︶の類に関するものを訴訟とし︑原告を

訴人︑被告を前人としたこと︑訴の提起は訴状を前人の本司

本属の官司に提出した︒

鎌倉時代には殊に民政に意を用いた北条氏は特に訴訟に苦心

したので︑権利保護の面で日本法制史上他に比類ないほど進

み︑尺民の権利観念の芽生えも多少感ぜられた︒

江戸時代に於ても独特の複雑な訴訟制度が存在した︒︵石

井や日本法制史要︑牧日本法制史概論︑佐藤進一箸鎌倉幕府

訴訟制度の研究参照︶

③明治四年に既に府藩県交渉訴訟准判規定が定められ︑六年

には民事の訴状及び答弁密の方式を定めた訴答文例が制定せ

られ︑八年に三審制が採用せられ又民事裁判一般の公開が規

定せられた︒

側改正の主眼とするところは訴訟遅延の原因と認むくき諸種

の規定を改め︑専らその円滑なる進渉と審理の適正とを図る

にあった︑即ち独乙的当事者中心主義をいくらか制限して職

権主蕊を加味した点にあったがその改正の要点は次の如きも

のであった︒

︒仰準備手続制匪の拡張

︒②欠席判決制度を廃止

︒③証書及び為替訴訟制度の廃止

・側不適法な訴・上訴を直ちに却下しうることとした

︒⑤職権証拠調の制度を設けた

︒⑥法人に非る社団財団も訴訟当事者たらしめた

︑0.m請求の弛棄又は認諾には和解と同様にこれを調書に記載

するときは確定判決と同一の効力あるものとし特に判決を

必要としないこととした趣

⑤昭和六年法一七︑昭和一○年法一五︑昭和一三年法一九︑

昭和一六年法五七︑等の改正があった︒

一⑥新しい裁判磯構の下に於ける訴訟手続の円滑を期し︑国民

の権利保護に遮懲なきか期さんとした︒

︑側証拠調につき当事者の権利と責任とを拡張し︑直接審理

の推進︑職権証拠調の廃止︑証人鑑定人に対する当事者の

訊問梅の拡張︑裁判官の更迭の際証拠保全手続につき直接

︑審理に合する規定の段定

︒②正当理由なき不出頭証人の制裁の強化

︒③民訴全般に亙り訴訟︑強制執行関係人の権利保護の長︑

(4)

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一一一/

I

41

.三︑菫としてドイツ法従ってローマ法を継受Lた

以上我国民訴法成立の事楠を見たが︑それは主としてドイツ法従

って戸1マ法を継受したものであった︒

我国に於ては鎖国三百年は徒らに我国社会の発展を阻止し︑封建

社会の温床の中に夢を結んで居た︑その間西洋諸国に於ては資本主

↓蕊の発展とそれに基く近代的市民社会の建設に孜盈としてその歩を

︵1︶進めていた︒そして新しい社会の下に新しい法律制度即ち近代的法

律制度の充実整備を成し遂げた︒それはローマ法を基礎としたもの

へ2︾︵3−

であったけれど単にそれのみに依らず旺盛なる近代結神の雄歩によ

づて成されたものであった︒

ドイツに於てはその原住の古代ゲルマン人は統一国家を有せず諸

部族に分かれて農耕牧帯を主として居たので成文法を作るに至らな

かったから伝来の慣習法や法律感悩によって裁判が行われ社会の秩

序を保持して居たのが一般であったけれど︑フランク時代︵九世紀

︶に至ると民族大移動が行われてその結果フランク王国を始めとし

独立の王国が各所に起った︑王国を樹立したゲルマン諸部族は既に

整備せられたローマ文明に接触するに至って︑自己の劣れるを強く

恥じ︑その模倣を事とするに至ったが︑法の上に於ても固有の慨習

法を記録し綴蕊して法典と為すことを始めた︵五九世紀︺けれど

もへ中世に至るも中央の権力は徴弱であった上︑社会の構成が複雑

であったため統一国家が生れず︑従って統一立法が成されず︑法律

状態は極めて複雑な状態であった︒

仲利益保護の増進

f

I

然るに一四九五年に至りライヒ宮廷裁判所角①巨届百日目の畠①目I

C罫mo再昏目もが設立せられて︑その裁判宮口はローマ法によって

裁判すべきことが命ぜられた︑爾後上級下級の裁判所がこれに倣っ

た︑かくて戸1マ法が凡てのドイツの裁判所に於て適用せられるこ

ととなり︑これを契鰻として一五世紀末から一六世紀にかけてロー

マ法はドイツに継受せられることとなった︒

継受法は初めは地方特別法に対して補充的効力を有するに過ぎな

い立前ではあったけれども︑後次第にドイツ普通法︵の⑦己の旨の

の︒︸らとしてドイツ全餌域に適用せられることとなり︑次第に重

要視せられることとなった︒

民訴法も以上の経過を経てドイツに於て口1マ法的普通法が成立

して行ったけれども︑一八七七年の統一民事訴訟法典の成立に至る

︵4︶までには長い粁余曲折を経ねばならなかった︒

ドイツ各邦の勢力相拮抗しその消長茜だしく︑何れか一が他を制

圧するまでに強大となるには未だしの感があったので各邦各都市で

は地方的特別法︵冒⑦冒昌宮旨﹃周の︒三︶の制定の必要に迫られ︑

一五一七世紀に亘りそれぞれ立法が試られ︑それに基く実践の結

果盛に改正が行われ︑一八世紀から一九世紀に亘り各邦とも改正に

箱進した︒一九世紀の前半に於ては大体︑普通民訴法︑プ戸イセン

民訴法︑フランス民訴法の三大法域に分れたけれども︑その後更ら

に法域の分立の傾向大となり︑ハンノーパ︑プラウンシュワーク︑

オルデンプルク︑リューペック︑パーデンウェルテンペルク︑及び

バイエルン等の各邦が民訴法を制定するに至った︑然るに同時に統

一法典への要望叉切なるものがあった︒

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(5)

一一ー ‐. 二. ー‐一・ 一‐,..‐テ.一 ‐‐..一一マーーーー−ー.. "‐一宇一手.‐一 ・ 一‐. 一 一V 房−−−− ‐‑−‐ −‐.̲−−−−− ラーーーーーーーーーーーーーーーーー. −一一. ‐‐‐‐‐.‐‑、一一一

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1

42

然るに北独乙聯邦の成立︑プロシヤの強大︑普仏戦争に於ける仏

の敗退等の影響により北ドイツ帝国の成立を見るに至り︑その手に

よって統一民事訴訟法の成立を促進せしめ︑遂に一八七七年一月三

○日ドイツ帝国民訴法及び施行条例が皇帝の親署を得て公布せられ

一○月一日より施行せられることとなった︒

かくして成立した統一的ドイツ民訴法も結局ドイツ普通民訴法の

︵6︶発展せるものであって︑それは主としてローマ民訴法の中にその基

礎を有するのであった︑近代法の成立過程に於けるローマ法の継受

の舞台に於いて他の諸国殊に英仏がゲルマン法系の民訴法をある程

度まで保持じつLあったのとは異なり︑ドイツに於いては主として

戸1マ法の継受に最も顕著な姿を露呈したというべきである︒

今更めてドイツに於けるローマ法継受の容易であった二︑三の原

I︲因を滴示して見ると次の如きであると思われる︒

Sドイツ固有法が複雑であったため当時隆盛に向いつLあった商

業に不便であって統一的立法が要求せられたとは言え︑中央権力

が微弱であり︑.ドイツ固有の法学が未然であった等のため早急に

統一的立法の行われそうでなかったこと︒

目ゞドイツ皇帝は口1マ皇帝の後継者であるからローマ法はド雲イッ

帝国の法だと言う思想が行われたこと︒

筒上世紀からイタリーのポ冨一ヤを中心として註釈学派によるロ

−マ法の研究が盛となりドイツからも留学する者多く︑留学生は

・帰国してローマ法を広めたこと︒

等を挙げることが出来るけれどもその実質的原因は何と言ってもド

イツに於ける経済噸惜殊に商業資本の成立に伴5諸生活関係の変化

により︑固有の法に依り難い点が表われたことであって︑商業蚤本

の求むる訴訟法の領域に於ける司法組識の一元的手税による合理性客観性︑簡易性︑迅速性等か要請に応ずるためであったものと考え

︽6︶られる︒︐︑

かくてP1マ法を基礎として成立した一八七七年の近代的統一法

典としてのドイツ新民訴法典は︑同じく近代法典として成立してい

たフランス民訴法等の影響を通じて︑当時満々と進展しつ上あった

フランス革命の輔神をも駁りつ上︑近代初頭の溌刺たる雰囲気の中

に成立した︒

側近代的資本主義体制は西洋に於いては一六︑一七世紀以後

.成立し︑日本に於いては幕末から明治にかけて次第に出来上

った︒殊に我国は明治以後先進資本王義から輸入して本格的

に体制が整えられた︒︵高島.社会体制論一三頁︶

②古代ローマは既に古代的盗本主義の発達を見て︑或る程度

の市民社会の出現があった︑中世に於いてはゲルマン法の支

配であり︑非合理主義︑身分拘束的︑封建的であったから法の上からはローマ法時代よりは退歩を来たしたといえる︒法

.の発展史はローマ法時代に中絶したま入その発達を近代まで

俟たればならなかった︒古代ローマとその資本主義的に共通

せるところからローマ法は近代に於ける西欧社会に採用せら

れた︒

③近代糖神即ち自由︑平等を求めて封建的身分拘束的制度か

らの個人の解放のため斗う糖神で仏革命前後最も旺盛であり

古い制度の打破と新しい制度の樹立に貢献した︒

1

(6)

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− 今 ' 一 マ ー F 一 ー

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43

例訴訟法が制度上独自の法典化の対象とせらるLに至つだの

は近代法典綴蕊時代に入ってからのことで概して一七世紀以

後である︒これ以前は他の法と混在していた︑法典化の股初は一七世紀の仏ルイ一四世の頃民法典の鯛纂に先ち民訴法を

刑法︑刑訴法︑商法︑海法等と共に法典化したことから始っ

た︒ドイツに於いても法典化は除為に起ったけれど統一民訴

法典は容易に成立できなかったけれど一八七七年に至って始

︲めて成し遂げられた︒

⑤主としてローマ法の影響によるけれど︑その他にカノン法

e鎖国︒巨旨&︲の影響も蒙つ友︑カノン法はキリスト教会殊

にカトリック教会の自主的立法梅並びに教会内の慣習によっ

て作られた成文法︑不文法であって最初教会裁判所によって・

適用せられたが後俗界の裁判所に於いても適用せられた︒勿

論ローマ法と衝突するときはローマ法が優元した︒ローマ法

と共にドイツ普通法として通用せられたけれどローマ法に及

・ぶぺくもなかった︒

⑥既に近代的資本主義が大規模に起り︑封建的︑不合理封鎖

的非能率的社会機織は次奇と打破せられ︑その特徴とする世

界性︑交通性︑合理性が強く主張せられて行ったが︑それは

既にその特徴を有する戸1マ法に学ぶところが大であった︒

mフランス革命は一七八九年七月一日・ハスチューの牢獄の破

壊から始まるがこの日の爆発までには長い準臘の日が瞬いて

いた︒

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I

四︑︑個人全蕊︑自由主蕊従って当事者中心菫蕊てある・

一八七七年のドイツ統一民訴法はローマ法を基礎として近代的精r

神下農立したもの爵るからそれ菖蕃代的と綴警︲農的個人主義利己主義︑商人法的︑力の秩序としての特徴と更らに近代

的な個人主義自由主義的色彩を帯有しているのは当然であって︑ゲ

式2︶ルマソ法的団体主義的又は平和の秩序としての特徴を有してはいな

かった︒

か坐る特徴は訴訟技術の上にも遺艦なく表われて︑それが所謂訴

訟法上の当事者中心主義となった︒即ち個人の権利は個人の血と汗

の賜物であるとして飽くまでも尊重せられ︑︲絶対的なものとせられ

従ってその権利の訴訟上の処理についても個人の自由意思に一任さ

るべきであって︑権利上の紛争について訴訟を提起することも提起

せられた訴訟の追行についても︑又判断のため裁判所に提供する事

実や証拠に就てもすべて個人の為すに任せられなければならない︑

裁判所は個人のか上る行為に種極的な干渉をなすべきでないとした︒

か坐る原則は既に一八七七年のドイツ統一民訴法の規定にも明瞭

に表われてい一てその条文の各所に見られるところであった︒例えば

その第二七九条に於いては﹁裁判所は申立を為さざる事項を当事者

に帰する権なし﹂と言い︑二六一︑二六二︑二六三条には裁判上の

自白を︑二七七条には講求の拠棄を︑二七八条には請求の認諾につ

き規定密設け訴訟に於ける当事者の自由と裁判所不干渉の態度を明

かにした︒

我国に於いては黒船の来襲により国民に覚醒と自覚が起り︑当時

(7)

一 一 一 ー 一 − − − − − = ー ー ‐ 一 二 F ー 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 = 一 一 一 一 三 一 一 ‐ ー 一 己 ・ 園 = ー ‐ ■ = 』 タ ー マ ー マ ー ー

L

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6 今 。

一戸司令

I

44

既に上昇期にあった国外資本主雷の水箪まで我国の立遅れを急速に

引上げる必要が痛切に感ぜられゐそれが不平等条約徹廃の要求とも

結びつき︑庶政一新して先進西欧諸国の法律捌度を取り入れ諸制度の改革に諸手することとなった︒︑

民事訴訟に於いても従来既に存在した民事手続である聴訟の制度

︵3︾はその語の示す如く民の訟を聴くものであって庶民に訴権を認めた

ものでなく︑その思想的基底は明日に儒教的であり︑教に基いて民

︑を教化するというのであって︑根源的には係争事項について領主や

天皇の御仁慈なる御裁判を仰ぎ奉るという法理に淵源した極めて封

建的なものであったので︑これを改革して時代の進運に備える必要

があった︒

︵︑一冠︸ゴ而して日本社会は幾織時代以降封建社会の中に既に除々に商業資

本の発達を見たが︑それが次第に勢力を拡狼することとなり︑封建

制の衰退と反比例して益な輿陸して行った︒幕末ともなれば組識さ

れた資本家の勢力は遂に内外から迫る圧力に耐えかねた封建努力を

︵5−一朝にして崩壊せしめ︑近代的費本制社会或は近代的市民社会への

契機となった明治維新を展開したが︑かくして出現した新勢力を代

表した新政府は各方面の法律制度の改廃に着手し︑資本主義的に進

歩せる西欧諸国の法律制度の輸入を行い近代資本主義としての発達

を成し遂げんとした︒

民事訴訟に於いても当時賎も整偏して居り︑叉国威隆をたるドイ

ツ帝国の一八七七年の統一民事訴訟法の輸入を企図した︑これがテ

ーヒョウの手になる明治一三年の所謂旧民訴法である︒かくして輸

入せられた民訴法は他の民法︑商法︑刑法等の近代的諸法と共に隆

興に向いつ上あった我国黄本主義と近代的市民社会の発腿に貢献す

︵衝U︾・

るところがあった︒

以上の経過を経て成立せられた旧民訴法はその後現行民訴法に改

正せられ︑現行民訴法も幾回かの改正を経たとはいえその根本原理

は︑我国資本制社会或は市民社会と共に︑終始一質して変りなく︑

当事者中心主義であってその基本的理念は古くは画1マ法に基を発︵7︶−8︶し近代革命の影響を受けたものであるところの個人主義自由主義で

あったし︑それが明治三毎以来の我国民訴法の基本理念となり今

日に至った︒

uローマ法は佃人の活動力こそ権利創造者であり︑活動力あ

る者こそ正当なる権利保持者だとした︒又ローマはポエニー

戦争を転機として一大商業国に飛跳し︑そこに個人主義的無

方式自由門消なる取引法たる戸1マ法が生れて行った︒ロー

マに於いて成立した古代資本主義に対照せられる近代資本主

義は︑戸1マ法の継受により西欧諸国民の間に導入せられ中

世末葉から近代にかけ長い歴史的経過の中に次第に西洋諸国

に成立して行った︒勿論その継受はそのま上の継堂でなく古

代的なものの近代に適洽すべく撰択︑修理︑精練︑拡充によ︑

つたものであることは言うまでもないことである︒︵船田箸

法律思想史三六︑一四二頁︺

②ゲルマンは統一国家なく個奇の部族により団体生活を営ん

でいた︑そこに自ら団体主義的平和を主とする法が生れた︒

⑧封建制陛下に於いて訴訟手競は断獄と聴訟であった︒前者

は刑訴であり後者は民訴であった︒ jf

(8)

両一一一一. ︷〃

45

倒豊縦時代既に商案取引の発達を見た︑それは国四関係に於

いてのみでなく国外的にも盛に行われた︒

⑤勿論盗本家の力のみでなく︑不平の下級武士の力も与って

助けとなった︒

⑥民事訴訟法は個人の権利の規定たる民法や商法の実体法の

助法として︑個人の権利について紛争を生じたとき迅速適正

に解決する方法について規定する︒資本主義は個人権利とそ

の取引原則たる契約自由の原則に立脚して出来上った制度で

あるから︑個人権利の紛争を迅速適正に解決する任を果たし

︑た民訴法は資本主義に貢献したこととなる︒

h︐ローマ法の市民的秩序としての法を採用して近代的市民社

会の秩序としての法を作った︑勿論戸1マ法の継受は社会的

経済的情勢そのもの上継受ではないけれども︑それは規範意

識の実体そのものL継受たるより依洪規形式叉は思考方法の

継受を表わした︒そしてローマ法の継受を可能ならしめたの

は近代的イデオロギーの全般的成熟であったともいえる︒

.︵橋本署︑社会法と市民法一○○J一○三頁参考︶

︒⑧四七六年ローマ大帝国が滅亡して︑統一を失った中世は群

雄割拠の戦国時代となり︑中世暗黒時代を来たLた︒国民は

宗教により専ら救世の道を求めた︑かくの如き長い暗黒生活

に倦み疲れ秀人燕の心に現世的光がさし込み︑古代ギリシヤ

の美しい文明芸術が人公の心に呼び起こされ︑個人の自覚と

自我の認識となり︑遂にフランス革命として爆発Lた︒それ

は自由と平等の要求となって表われた︒

五︑当事者中心菫鍵の現行箙訟法規上の表現

以上の如き個人主義︑自由主義的当噸者中心主義は具体的に我国

現行民訴法規の上に如何に表われているかと言えば︑所謂訴訟法上

の当事者処分権主義e厨唇︑旨︒国︑冒国圃芭及び当事者弁論主義︵

ぐ胃冒邑言冨鳴冒員冒凸を示十規定となって我国民訴法の規定中に

存在Lている︒

当事者処分権主義とは当事者に訴訟自体について処分の自由左認

め︑民郵訴訟の発展終了錐ぴにその審理︑判決の内容や瀧囲等を原

則として当事者就仲原告の意思に依って定める立前を言うのであっ

て︑我国民訴注がこの原則に立っていることは︑訴訟手続の開始に

ついて原告の訴提起によらなければ訴訟手続が開始せられないとL

︵1︶それが訴訟の各段階である上訴並びに強制執行についても同様であ

って︑上訴権者の上訴叉は債権者の執行の申立に因ってのみそれぞ

今ゆご︶れ手統が開始せられるとすることや︑訴訟審理の客体とその範囲に

ついても原告の訴が裁判所の判決の内容と限産とを決定し︑裁判脈

は当率者の申立てない事項については判決をなすことが出来ないと・することや祠雍訴訟手続の進行終了について鯛裁判所は当率者の意

思に反して訴訟審理を進められない︒当事者の意思が決定的作用を

いとなむとする︒例えば訴訟の進行中に請求の拠棄認諾又は和解が

なされた時は裁判所はこれに騒束せられ︑その旨を調書に作成せら

れたときは確定判決と同一の効力となりそれにより訴訟手続は終了

︷︑亜︶せられ︑その時までの訴訟審理の結果に基き判決をなすことは出来

ないし︑叉訴訟の進行中当事渚渉訴︑控訴叉は上告の取下為為した

勺︑

(9)

一 一 −−− 7−テーーーアアテ言一一一 −−−‐−−−ー一 一一‐) ノ

一 宗 − E ‑

46

︵5︶ときでも訴識手続はこれによって終了するとすることや︑その他控

訴上告を為さない旨の合意叉は控訴梅︑上告梅の拠棄等も露めてい

︵6︶る等によって明瞭である︒

叉当事者弁論主義とは当事者に於て裁判の基本となる訴訟盗料即

ち事実及び証拠の提出の査任があり︑裁判所は当事者の提出した攻

撃防禦の方法︵証拠を含んで︶に基いてのみ裁判を為さねばならな

いとするのであって︑我国民訴法がその原則に依っていることは︑

事実の提出について一切当事者に於いて為さねばならない︒当事者

は自己の申立を支持するため裁判の基本となる事実をそれ人︑主張

しなければならないとする︒即ち原則として裁判の基本となる事実

は凡て当事者の主張を俟たればならないし︑裁判所は当事渚の主張

しない那笑に基いて裁判を為すことが出来ないとすることや︑証拠

の要否についても裁判所は干渉してならない立前をとり︑当事者間

に争なき事実に対Lては裁判所は疑を差しはさんではならない︑即

ち裁判所は当事者間に争ある事実に関してのみ証拠調をなしその真

偽の判断をすべきで︑若L当事者がその不利益となる相手方の主張

事実を自白し︑若くは争わないときはその事実はそのまま︑判決の

基本となし裁判所はその真偽につき証拠調を為さないとすることや

︵7︑叉証拠の提出についても当事者は要証事実を立証するため適当なる

証拠を裁判所に申出なけれぼならない︒裁判所は当事者の申出た証

拠によってのみ証拠調を行い要証事実の真偽に関する心証を痩得せ

︵8︶ねばならないとする等からも明瞭である︒.

以上の如く我国民訴法が当事者中心主義即ち当事者処分櫓主義当

事者弁論主義に依っていることは明瞭であるが︑それは訴訟につい ての裁判所の稜極的活動を阻止し︑裁判所不干渉主蕊と当事者たる個人の活動の自由を許容するものであって︑民事訴訟が私権に関するものとして︑口1マ法及び近代思想の影響下にその個人主蕊︑自由主義︑国家不干渉主義に基いて成立した原則であって︑近代的民事訴訟法の基本原理となった︑それが一八七七年のドイツ統一民訴法に採用せられ︑更らに近代社会として発展途上にあった我国に採用せられ︑明輪三一犀以来現在室で終始我国民訴法の原則となって

来た︒

尤哨我国に於ても明治二三年の旧民訴法以前に於ては︑原告被告

が論争した点を顧ることなく全交他の理由で裁判した事で$分明で

ある如く︑裁判所中心主義であったけれど︑旧民訴法以来当惑者中

心主錠となったことは旧民訴法の規定中﹁判決は弁論を経た凡ての

攻梁及び防禦の方法を句含す﹂︵旧民訴法二三○I︶︑或は﹁裁判

所は申立てざる事物を原告若くは被告に帰せしむる権なし﹂︵旧民

訴法二三一I︺とあり︑叉訴訟の進行についても主として当事者の

訴訟行為に係る立前春とっていたことでも明かである︒

然るにその後時代思潮や実務家の要望にも応ずるため多少の変化

一曲︾︑は余儀なくせられ︑昭和四年施行の現行民訴法に於ては当事者中心

主義の色彩を幾分薄めて︑訴訟を可及的迅速に終結せしめるという

理由の下に︑一五二︑一三九︑二五六条等の規定を騒ぎ︑職権によ

る証拠調及び証拠保全の規定である二六一︑三四七条を設け︑叉訴

訟関係を明瞭ならしむるため代理人輔佐人に附添を命ずることので

きる一三五条をおいたとは言え︑それ故に当頚者中心主義を放騨し

て裁判所中心主義に変じたわけではないのであって︑それは実質的﹃■

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変化を来たLたのでなく︑只程度の差であり決して性質上の相異ま

でも来たしたものでない事は規定全体の上から明瞭であり︑従って

実務家や学者の考もそこにあった︑新憲法実施以後の改正は更らに.

裁判所の職権による証拠調の規定である二六一条等を廃止し︑更ら

に民事訴訟の継焼審理に関する規則第二条を規定して︑当事者中心

主義の強化徹底を計り面目を一新した︒要我ろに我国に於ては明治・

二三年以来民訴に於ては当事者中心主義で一貫して来たというべく談

それが資本制社会や市民社会としての日本社会と表裏一体となって

今日に至ったわけである︒

伽現行民訴法二二三条参照︒②同三六○︑三九三条参照︒③同一八六条参照︒・側同.二○三条参照︒⑤同二三六︑三六三︑三九六条参照︒・㈲同三六○︑三六五︑三九六条参照︒切同・二五七︑一四○条参照︒︑⑧同一八五条参照︒

⑨国家主義的思想傾向と訴訟の迅速化のための実務的要望の

ため改正された︒

六︑それは結局翫訟技術の優れた者や経済的に

勝った者ぱ有利となる

以上の如く我国の民事訴謬は当事者中心主義に立脚しているがそ

れは近代社会に於ける一般的理念である個人主義︑・自由主羨の訴訟

I

〆卜・一・

1

に於ける表現であって︑個人主義︑自由主義は結局現実的には放任

主義や自由競争を意味して︑その原理は個人は凡て独立理性の存在

であって如何なる者からも干渉を受くべきでなく自由に置かるべき

である︒この独立理性自由な存在たる者が生存のため競争する姿そ

れが人間社会の自然の姿であり人間のありのままの様相であってそ

れをそのまま放任することが最も良い方法であって︑そこに個人の

発展を来たし︑個人の発展は結局その集合としての社会の発展とな

るというのである︒

然るにかかる考え方は人間が平等な場合に言い得られることで︑

人間の間に甚だしい不平等の存在する場合はかえって社会的罪悪を

斉す結果となる︑而して個人は凡て平等の知識能力を有し︑特に平

等の社会的関係にあるのではない︑自己の為めの利益を追求する上

に於ても平等の技伽や平等の戦斗力を発揮出来るわけではない︑か

かる者の間に於ける放任主義や自由翫争は結局技偲の優れた者や戦

斗力の旺礁な者︑優れた社会関係に霞かれている者の勝利に帰する

ことは火を見るより明かである︒

訴訟に於てもかかる原理に立つ当頚者中心主義の下に訴訟盗料の

蒐集も訴訟手統の進行についてもすべて当事者の自由に任せて原告

被告を観争させ︑裁判所に不干渉の立場をとらせることは訴訟の結

果を如何に導くであらうかは言わずもがなであろう︒

民事訴訟が一般に裁判所の面前でなされる決斗だと考えられ︑そ

の勝利の為めに互に死斗を演ずるのも決して偶然ではない︑かかる

考に立つから訴訟の勝敗は唯技傾次第腕次第となり︑当事者をして

目的のためには手段を選催ない態度に出でLめその結果は弱き者の

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(11)

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48

死斗にも係わらず結局強き者特に経済的に優れた者の勝利に帰して

︵1︶了うこととなる︒

現時訴訟は特に経済的に優れた者の至宝とせられるに反して︑経

済的に劣れる者にと仇鰯悪せられ︑後者に於ては訴訟によって得る︲

ところ少なく失うところ多く︑それよりも泣き寝入りを得策と考え

たり︑長い物に巻かれて事をかまえない方法をとらLむるに至る︑

それは裁判所まで出訴しないで晴から暗にほうむられて了5事件の

︵2︶数多きを見ても言い得られることである︒︑

側民事訴訟の使命は裁判の適正と審理の迅速にある︒然るに民事訴訟を一の戦斗と考える訴訟機織に於ては︑戦斗我れに

不利と見る一方の当事者は勢い長期抗戦の戦術を採るのも敢

えて非難出来ない︑かくて訴訟の遅延を来たし︑その結果は

経済的に優れた者や長期抗戦に耐えられる者に有利となる

し︑又民事訴訟が一の斗争であるから各当事者に於て自由に

攻撃防禦の秘術を尽くすべきものとし︑各自が自己に有利な

る訴訟資料のみ許提供し︑自己に不利益なものは一切これを

隠匿し︑更らに真実を故意に否認し或は︑虚言を弄して迄も

・自己に有利な戦果を收めんとする︑これがため裁判官を不必︑

要に鉦拠調にその労力と時間とを消蜜笹しめ︑その結果は裁

判の適正を危くする結果を生ずるが︑この点に於てもかかる

秘術を尽くすことに労力と蜜用を掛けられる者に.有利であ

る︒

倒枇間の民事紛争の殆んどが裁判所の事件にならない︑それ

は国民一般に法律知識が普及していない事にもよるであらう

9

七︑民車訴訟法改正の問題

−04﹀.盗本主義の発展︑高匪化は益蜀入間の不平等を増大した︑今や人

間の間には平等はない︑若し佃人主義︑自由主義や自由顔争理論の

考の如く人間を平等に見るならばそれは人間を抽象化し︑理想犯し

て想像上の人間を見ているのであって︑現実の人間︑現実の社会の

実蒲を無視しているのである︒かくの如髪現実社会に於ける不平等

な人間の間の自曲競争は決Lて真理と正義の発見に貢献するもので

なく︑徒らに好智に猛けた者や︑特に経済的に優れた者の勝利に嬬

する結果を斉すことは明かである︒

かかる方法に於て十る限り訴訟は徒らに訴訟技術に支配せられ叉

当該訴訟の特殊的事情に左右せられ︑その結果兎角費用を嵩み且遅

延し然も適正を失することとなって如何なる意味からも訴訟の要請

に合致しないこととなる︒

尤も民事訴訟は刑歌訴訟と異なるから相対立する利害関係を有す

る利己的当事者に訴訟関係を一任し︑訴訟の進行や訴訟費料の蒐集

等券委せた方が最も訴訟の蕊謂に合する如く考えられ︑これらの班

は一応理由のあることではあるけれども︑それは人間そのものが実

質的に不平等でない場合に言い得られることであって人間が甚だし

い不平等な存在である場合には望むべくして望み得られないことで

ある︒

近来民事訴訟を避けて調停が多く用いられている事は一面民事訴 が︑そればかりではない︑民事訴訟そのものの欠陥に由来すると考えられる︒

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(12)
(13)
(14)

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51

二一を正当に実現さすため裁判官の厳選と除斥忌避の拡狼及び裁

判官の地位を名実共に国民の意思の上に立脚せしむる方法を鯛ず

る︵裁判官の官僚化の防止︶

三訴訟設備を広く民衆へ解放L︑費用と労力の上からの平等を計る︑そのために↓・

側訴訟費用の国庫室殿︵誇認畷緬妹恥辱癖誕磁翠塞信誌計る︶

②裁判施設の職鯲︵識渤麺点からの訴訟の民衆化︶

四訴訟上の救助の拡鰻強化Q一八条以下︺

一m﹄五弁護士制度の徹底的改善

六訴訟遅延の目的を以てする上訴の制限の強化と制裁の拡張

︽刑︶七専門裁判所設霞又は裁判官の事件担任の専門化

要するに現実社会の実情から民訴制度も質的転換の要求に迫られ

つつあるのでなかろうか︒

側資本主義の発展はその敵である独占資本に進む︑独占資本

の段階に於ては国民は階級的となり益々不平等な関係が生れ

三句◎

②当事者の納得を前提とする点や︑継続的法律関係に関して

は解決後引綴き平和な法律関係を継統することができること

や︑法律によらない解決を目的とするから簡易迅速で費用も

低廉である等の長所がある︒︵小野木著民事訴訟法及調停法講

義二九二頁︶

③民事訴訟の改善は絶望である︑而して非訟事件手続と民事

訴訟手糀とは概念的に区別することは実践的に何等意義ない

4

0

事であり︑非訟事件手腕は簡単であり自由且合目的的であり

真実発見に妨げとならないから民率訴訟事件も非訟事件手統

の方法に依るべきだとする︒

閂盲屋昌冒⑦写醸ぐ邑胃c8圏臣自白句画9日こ﹄碕の命胃冒言鋺冒爵昌I

争闘昌諒三冒昌寒色の吋淫一曹凸応昌旨宝笥包⑦臣きぎ⑦匝詞⑦︒きず︑富戸長

︵﹈℃い︶﹄古①﹃奇﹄劃︒釦︒︲︑︑函1︐℃

例社会各方面に継起するあらゆる紛争を民事訴訟という統一

的形式で解決しなければならない理由はない︑それぞれ関係

庁によってすべきである︒

局昌の全乱⑦︸■︾脚色可蜀吋騨岨の︒①﹃シ写胃言字弓宮冒頤今①鶴亀言8N陽いや

シ訂aの目︒ふ昌侭○認巴室の津.賦醜.四隅.

⑤民事訴訟制度はその制度目的たる権利保護の権能に於て著

しく敷けるところがあるから調停制度を強化して民事訴訟制

度に代えるとする︒︵斉藤法律新聞四六○七号︶

⑥改正についての学者の意見も多数出されている例えば中村

博士︹民商法雑誌二七巻三号︶小野木博士︵阪大法学四号︶︒

例第一九批紀の国家が自由主義脚家思想の下に国民生活に関

与しないのを原則としたけれども︑それは未だ国家機織が国

民生活の内部に立入り得る程に内面的発展を遂げて居なかっ

たからだとも言える︑然るに現在では内面的発展は既に通り

過ぎて矛盾の連続となって表われたので厳正中立的立場から

の国家の干渉を必要とする︑そのことは訴訟に於ても言え

︾︵︾◎︒

⑧国庫支弁と言えば濫訴と財政難を以て非難するかも知れな

(15)

一一一x . − = ‐− −−−

−4

−句ザ言︒﹄

52

側弁護士制度の改革は目下の急務である︑弁護士は個人主義

自由主義機織の下に於ては当事者の利益を主張する代理人と

して活動することによって訴訟を斗争化するのに拍車をかけ

た︑弁瀧士は裁判梅行使に協力する公職であると同時に他面

当事者の利益を保護する機関としての一両性を有するが故に

その調和は大切なことであるけれど︑個人主義︑自由主義下の

訴訟に於ては専ら自由職業として当事者の利益代表たる性絡

を漉厚に表わし依頼人たる当事者の利益主張に全職能を集中し正しき裁判権の行使に協力する公の擬能が忘れられて来

た︒これが是正されこれが本来の姿に還されなければ民事訴訟の正しき運用は期せられない︑従って手数料の公定︑職業

監督の狸化︑裁判官との・人事交流等を額極的に行って︑その

公職性の発揮と職築化の制限のため必要な処騒が必要であ

る︒︵中村署訴訟法学の体系と訴訟改革理論二五四頁二五 ⑨裁判所施設の増加も巡廻制を考えればたいして費用がかか いが心配は必要でない︑濫訴については一時的現象であり︑訴訟は誰しも好むところでなく又訴訟を容易にすれば国民生活は権利義務の観念徹底し︑法の命ずる通りに従って運ばれ事件は少くなる︑軽便に訴訟出来れば訴訟費用は少くて済む︑要するに訴訟を軽便に出来るよるにするか否かにある︒叉濫訴の恐れについては英法の濫翫条例圏匿亀の曽冒冒函脅芹ざ息皆︻・Hg①の如き方法も考えられ相当溌関の許可制にしてもらない︒ よい︒

五頁参照︶

⑪社会の複雑化はそれに応ずろ専門的知識の必要を要求する︑

従って専門裁判所や専門裁判官の必要なことは言うまでもな

い︑形式的︑一般的既製の法律の解釈や既製の頭脳を以てし

ては裁判の実質的公正は得られないほど社会は変化してい

る︒

参照

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