124
教示を乞うわけである︒ ついての幾多の論理を研究する学問であると言うことが出来るが︑国家の制度としての民事訴訟は一大機構をなしており︑その各機構とも他の制度とは比較にならない位すべての部分が互に依存し合って居るのみならず︑それは私法命冒:︒gと訴訟法︵圏三胃︒§閏①︒宮︶とが密接に結ばれ合いつつ︑互に一つの仕組が他の仕組の上につくり上げられて︑その内部は論理の上に論理を重ねて行って一大論理となるという構造をとっておる︒従って民事訴訟中のどの部分をとって見ても他と無関係に説明せられない関係にある︑しかし︑そのあらゆる民事訴訟についての論理の中で根本の論理は何と言っても全体としての民事訴訟とは何か︑それはどんな基礎構造に立脚しているかということである︒この問題は民事訴訟法学を研究する者に先づ最初に直面する問題であり︑研究浅ければ浅いなりに︑深ければ深いなりに絶えず対決を迫られる問題である︒而して民事訴訟法学の研究者は古今東西数知れず居てもこの問題につい
︵勺几︶ての学説も研究者の数程あって一定して居らないところであるけれど︑民事訴訟の各論理の説明に先立ち一応誰しも
この点について一つの見界を持つべきであるし︑私にもこの問題が宿命的につきまとって放れない︑浅学をかこって
︵ワ︶居れない気もするし︑同学の学生の要望もあるので一応自分の考をまとめて見ることとする︑文献少い新設の大学に
於ける研究の不十分から独断の点もあると思うけれど現在の私の考を記したノートであることをお断りして大方の御
②(1)
法維持説︑権利保護説︑紛争解決及びそれらの折衷説等
小山教授の論文﹁請求について﹂︵訴訟と裁判に掲載︶及びドイツに於ける新説とは相当の距離のあることを自覚している︒
二民事訴訟の基盤は私法である︒
私法は生活規範であって私人の判断の基準となり︑そこから権利観念が生ずる︒
125
二︶私法は生活規範である
実体法︵胃冒§堅①守曼︶殊に民法商法等の私法に於ては私人相互間の権利義務或は法律関係について精密に規定
しておるけれども︑一体この実体法殊に私法は何のために又誰に対して設けられたものであるか︑この問題について
︵1▲︶も学説区々であって困難な問題である︑しかしこの問題は実体法殊に私法の性格を言々するというだけでなく︑直接
︵ワ母︶民事訴訟とも関係し︑民事訴訟の目的や︑民事訴訟に於ける理論構成の上に極めて重要な関係を有するし︑結局民事
訴訟の何たるかを論ずるための根本的態度決定に連る問題であるのでこの点から論ずることとする︒
この点について既に兼子教授は﹁近代国家は私人間の生活関係が平和に順調にいっている限り余り関心を示す必要
はない又すべての場合にこれに干渉するとなれば到底煩に堪えない︑従って私人間に紛争又は利益の衝突が起り納得
づくで解決出来ない場合に始めて解決に乗り出すがその解決の基準として実体法殊に私法を定めておきそれによる︑
そうすることにより判決を受ける人民にも予想がついて安心であることと又裁判所による解決が区々となることを避︵註2︶︲けられて合理的になるからである﹂とせられて実体法殊に私法を国家権力により設けられ励行せられる国家の裁判規
範急員豊の言掲旨︒目①画︶としての法律であるとせられる︒更に兼子教授は実体法殊に私法が裁判規範たることの理由
を︑㈹歴史的事情から判断出来るとせられ︑裁判の最初は明確なる規準なしに具体的事件毎に適当な解決を与えたこ
とを上げられる︑又②規定の内容からも言えるとせられ︑実体法殊に私法の規定内容は直接われわれの生活規範とし
ては不向きであって初めから紛争の場面で対立当事者の何れの主張を正当とするかを判定するために使われるように
出来ているとせられる︑又⑧私人間の生活関係から証明せられるとし︑取引関係でも家族生活でも順調に行くのが普
通で紛争や衝突の起るのは全体から見て極めて僅少でむしろ異例な場合であるが万一に備えて裁判の規準を定めてい
るのであるとせられ︑更に実体法殊に私法が社会生活に影響を及ぼすのはそのものが生活規範であることによるので
なく裁判規範であることによる反射的言わば第二次的機能によるものだとせられて徹底的に実体法殊に私法の裁判規
126
来る︒ ↑.︵の︒︶・範である所以を強調せられる︒
然るに発足当初の近代社会に於ては兼子教授の御説の如く実体法殊に私法は裁判規範であったと言うことが出来た
であろう︒何故なら頭初の近代社会に於てはまだまだ国家権力が強大であってこの国家権力を抑制することに社会の
全精力が注がれていた︒その方法として法律を制定して国家権力の発動を専らそれに依らしめた︑あらゆる法律がこ
のような任務を以て制定せられたし実体法殊に私法もその例に洩れなかったと考えられる︒従って実体法殊に私法も
近代初頭に於ては国家権力の発動の基準即ち裁判規範であり裁判所に当てられたものであった︒然るに社会が進展し
て来るにつれて法律の任務も変化することとなった︒近代社会に於て教育が進められ知識も普及し︑市民皆自覚を増
すこととなって︑国家は徒らに市民抑圧の手段とは考えられなくなった︒国家契約説等の現われるに及び益々国家を﹃
市民の対立物と考えなくなり︑寧ろ国民の幸福追及の具と考えるようになったし︑市民の自主性が強調せられ︑社会
生活の万般の事が皆市民の手で作られ又作らるべきものと考えられた︑法律も社会生活のためのものであり︑そのた
めに市民自ら作り︑作られた法律についても自発的に従うべきものとせられた︑国家もこのために市民によって市民
のために市民の遵守すべき法律を作る所とせられる︒我国に於ては終戦後一層この点が強調せられたと言うことが出
このように考えるならば実体法殊に私法はどうしても現在の社会の事情から見て生活規範或は社会規範だと言わね
ばならないと考えられる︒それが過去に於て如何にあろうとも︑又過去の裁判が如何にあろうとも︑その規定の内容
が過去に作られたがため裁判規範的になって居ろうとも︑現在存在するものについては現在の社会を基準として考え
ねばならない︒実体法殊に私法を生活規範と考えて市民皆日常それに従って実践しているから取引関係も家族生活も
割合順調に行き比較的紛争や衝突が僅少であるのであって善人ばかりの集合でない社会を始めから規範がなくても順
調円満に行くのが普通であり紛争や衝突の起るのは全体から見れば極めて僅少な寧ろ異例であるときめてかかるのは
q苛一
127
社会を甘く見過ぎておるのでなかろうかと考えられる︒
又私人の日常生活が実体法殊に私法を逸脱することがあっても多数の人間の生存する社会の事であるから已むを得
ないことであって︑それ故に実体法殊に私法が日常生活のルールでないとは言えないし︑国民の大多数の者及び大抵
の場合に明かに意識的に或は無意識的であるとしても全々無関心でなくこれに従って居るし︑又若し知らない者があ
ってもこれを知るべきであるし法を知らざるも責任なしとしないとされる所以でもある︒何故なれば近代社会に於て
は法律は国民互に協力して自分等のための日常の生活のルールとして作ったものであり古の如く﹁依らしむくく知ら
しむくからず﹂式になされたものとは到底考えられない︒以上の如く考えるならば実体法殊に私法は私人の生活規範
であって直接社会生活の基準であり︑それは社会を構成する私人に当てられたものであるから︑直接裁判官に当てら
れた裁判のための基準と考うべきでないし︑それが社会生活に影響するのは裁判規範たるの反射的又は︑第二次的効
果でもない︒然るに実体法殊に私法は生活規範であると言っても単にそれのみではなく︑その生活規範につき紛争の
生じたときは裁判所は解決のため判断の基準として実体法殊に私法を使用することは差支なきことであり︑紛争解決
機関として設けられた国家機関としての裁判所も私人が互に日常生活のルールとしているところに従っているかどう
かを基準として判断するのが順序でもあり合理的でもある︑日常生活のルールでもないところの裁判官のみに当てら
れたとする裁判官用の物指しで私人間の紛争を測定しようとすることは余りに現実を無視しだものであり︑自覚性に
富み自主的な近代社会人には納得せられないところであろうし︑そのような仕方は封建的或は︑絶対的だとして一蹴
せられるであろう︑このようにして生活規範である実体法殊に私法は裁判規範でもあるが︑一つの法が生活規範でも
あり裁判規範でもあるということは異とするに及ばないし︑むしろこの場合に生活規範なるが故に紛争の場合に裁判
規範となると見ることが一層合理的でもある︒この点中村教授は﹁実体法が社会規範たる機能をもつことは認めねば
︵△坐︶ならぬ﹂とせられて︑実体法に両機能のあることを是認しておられる︑私もこの点では現在中村教授に賛成している
128
ところである︒
︵二︶私法の内容は権利である︒
それでは︑実体法殊に私法はどんな形式で規定せられ︑その内容は如何︒生活規範と考えられる私法は︑私人が自
主的にそれに基いて行動し得る如く︑一定の法律要件的事実の生じたとき一定の法律効果角①︒言三噸①︶として権利義
務或は︑法律関係が生ずるという風に抽象的に規定せられている︒然し近代社会に於ては権利を重要視するので規定
の円容も権利が主であるから︑実体法殊に私法の規定は一般には一定の法律要件的事実が充足せられると権利が生じ
或は︑権利が変動するという風に規定せられていると言ってもよい位であるし通常そのように言われてもいるのでこ
れからは法律効果イコール権利として進めて行くが厳密には法律効果イコール権利ではないし︑又権利という語を使
ってもそれは法律効果を代表する意味に使っていることに注意を要する︒
ところで近代社会は非常に複雑であるから規定もそれに応じて微に入り細に亘り規定せられ法律の専門家でない一
般人にも如何にすれば如何なる権利が生じ又は︑権利が変動するか明瞭である如くせられているので近代社会に於て
は一般私人は日常生活に於て現実的に法律要件的事実の生じたとき自らこれに法の規定を適用してそれから生ずると
考えられる権利を行使し︑その権利の内容たる具体的生活利益を実現して日常生活を営む︑法を知らない者も世の大
勢に従いつつ生活することによってそのことが社会生活上実践せられているのである︒
規定の方法が起り得るであろう社会生活の万般について広く規定せられており誰れにも分明なる如く為されている
ことは一層私人に好都合でもあり又現実の場合に対する法的判断についても︑その法的判断から得られる権利の観念
についても︑その権利の行使についても衆人の見るところは自ら一致するとごろとなり通常互に権利や権利行使を承
認し合いつつ日常生活が運ばれている︒この意味の権利の観念は単なる主観的な生活利益というもの以上に社会性の
あるものであるのみならずある程度の社会的保障の与えられるものである︑厳格に言えば権利は裁判所による裁判を︽
129
得て客観的に確定し社会保障の極点である国家的保障が与えられてこそ真の権利と言い得られるかも知れないけれど
も︑近代社会に於ける知識の普及と平均化は私人の観念の共通性を生み一私人の為した法的判断も他の為すところと
殆んど異ならなく︑一人の法的判断とそれにもとずく権利観念はある程度客観性あるものとして通用せられる︑この
ようにして得られる権利観念は如何なる意味から言っても単なる主観的生活利益とは言い得ないものでありそれ以上
のものだと考えねばならない︑従ってこのように考えれば日常生活の中に於て既に裁判前に権利観念が存在し︑私人
間に通用せられていると言わねばならない︒
要するに実体法殊に私法は私人の生活規範として作られた実践生活上のルールでありそれ故にそれについて紛争の
ある場合其の解決のための裁判規範となり︑私人はそれを裁判所によってする以前に自己の日常のことに適用してそ
こから判断される法律効果として権利を構想しそれが一応社会的に通用力あるが故にそれを社会的に行使し︑又は主
張し又は処分してそれにより得られる生活利益を享受して生活を営んで居ると言うことが出来る︒
︵三︶私法上の各種の権利とそれについての行為特に権利主張︒
前述の如く日常生活に於て日常のことに適用して得られる観念としての権利について実体法殊に私法は無限に規定
︵F⑥︶しているからこれを種類別することも容易ではないのみならず分類するとしても種々の観点から分類せられるが︑こ
れをその行使の面即ち︑日常生活に実現する側から観察すると支配権請求権形成権及び抗弁権に分けることが出来
る︒支配権は特定の客体︵物・人・精神的作物︒権利など︶を直接に支配し得ることを内容とする権利であり︑請求
権は特定の人に対して一定の行為即ち給付を請求し得ることを内容とする権利であり︑形或権は権利者の一方的行為
により法律関係を発生変更又は︑消滅せしめ得ることを内容とする権利であるし︑抗弁権は請求権の攻撃的行使を受
けるとき給付を拒絶し得ることを内容とする権利である︒
︵穴b︶これらの権利が社会生活の発展と共に次第に多く法規に規定せられ現在では無限の数に上った︒而して実体法殊に
#.j■
130
私法は権利を精細に抽象的に規定したけれどこの権利を現実生活に於て私人が実現する方面に於ては私人の行為の自
由を許し規定を粗にしたから私人は日常の生活に於て実体法殊に私法を具体的場合に適用して権利を有すると観念す
るときはこれを自由に実生活に実現して生活上の利益を得ることが出来る︒而して権利を実生活の上に実現する方法
としては権利の行使の方法及び権利そのもの上処分の方法がある︒
然し権利の行使についても権利の種類の異なると共に異なった形となる︒支配権を行使する場合は事実上直接に客
体に干渉し又は他人の干渉を排除する容態として為され︑それは多くの場合事実上の行為により︑意思表示又は之に準
ずべき行為による法律上の行為としてなされることは少い・支配権を侵害された場合に生ずる請求権︵物権的請求権︶
の行使についても支配権自体の行使が認められると言うべきである︒又支配権行使の特徴とも言うべきは︑支配権自体
は無限又は有限であってもそれは永続性を有するものであるのに︑その行使は物の収益や子の懲戒又は発明の利用と
いうような一時的現象として現われる場合が多いことである︒請求権の行使は給付を現実に請求すること及びこれを
受領することによりなされ積極的には裁判外及び裁判上の請求︵民四一四︶として為され︑消極的には現実の履行の受
領としてなされる︒履行の受領も権利者の行為を必要とするので権利者の側の行為︵受領︶を要せずに為される場合に
は︵不作為債権︑第三者に給付のなされる場合︶履行の受領による権利行使は認められない又請求権の行使には権利
者の有する意識内容たる一定の効果意思又はこれに準ずべき意思の発現が必要であるから︑請求権の行使は法律行為
又は之に準ずべき法律上の行為であるのが通常である︒然るに物の利用に関する債権︵使用貸借賃貸借に基く債権︶
の行使は事実上物を利用していることによって権利行使せられるからこの意味で支配権の行使と同じ形態をとる場合
がある︒形成権の行使は現実の一方的行為によりなされるのを通常とする︒形成権の行使は取消権や解除権の行使の
如く一方的意思表示により一回限りでその目的を達するからこの意味で形成権の行使は同時に権利の消滅を来たすの
を原則とする︒形成権の中には特種なものがあり例えば物権取得権の行使は事実上の行為として先占することを要し
131
債権者取消権や離婚権の行使は訴の提起によらねばならないものもある︒抗弁権の行使は請求権者の側からの請求が
あった場合に初めて之を拒絶する旨の意思を一方的に表示することによってなされる︒
このような各種の権利についての行使は原則として日常他の干与を受けることなく即ち︑裁判外に於て裁判所その
他の国家機関の干与なしに私法の領域内に於てなされる︑即ち支配権に於ては事実上客体を支配することにより︑請/
求権に於ては履行の請求又は任意の弁済受領により︑形成権に於ては一方的な拒絶の意思の表示により権利の内容を
対物的に又は対人的に現実化する普通の過程に於て為される︒而して権利を日常生活に役立てる更らに他の一つの方
法は権利の処分であってこの権利の処分は権利行使の如く個々の権利の内容を実現するのでなく権利を直接に廃棄し
移転し制限し又は内容的に変更せしめる法律行為又は準法律行為であって既存の権利を直接に変動せしめる行為であ
る︒権利の処分も裁判外に於てなされるのを通常とする点に於て権利の行使と同一であり権利の行使と不可分的にな
されることはあっても権利の処分と権利の行使は本質的に異なる︒
更らに権利についての行為に権利の主張︵澪呂弓呂自官目もということがある︒権利の主張とは権利自体の存在を他
人に承認せしめようとして為される行為即ち権利についての自己の判断の開示である︒権利の主張は権利行使の如く
権利の内容を現実化しようとするものではないし︑又権利処分の如く権利を直接に変動せしめるものでもないけれど
も︑これら権利行使や権利処分と密接なる関係に於てなされる︒権利行使が特定人に対して為されることを必要としな
い場合例えば︑物の事実上の使用収益による所有権の行使の場合の如きは権利自体の存在を他人に承認せしめる必要
がないから︑かかる権利行使には権利の主張が伴わないのが通常であるけれども権利行使が特定人に対してなされる
︵j︶請求権や形成権の行使の場合は必然的に権利主張が包含される︒権利の処分についてもそれが特定人に対してなされ
る場合には同様の事が言われうるので︑権利の主張はそれ自体として為されるよりは多くの場合権利の行使又は権利
の処分に包含して又はその前提としてこれと不可分的に為されると言うことが出来る︒然し権利行使や権利処分と権
− − − ニ ー ー 一 一 一 ‑ 一 一 − − ‐ 一 一 一 − − 一 ̲ 一 . 一 ‑ 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 ‑ 一 一 一 − − − − . ー 一 一 一 一 " " ー − ‐
132
利主張とは別の概念であるからこれらとは別に権利の主張のみがなされそれにより生活利益の得られる場合もあり反
対に権利の主張を伴わない権利の行使や権利の処分もありうる︒私人の日常生活は法的には権利に関する行為の集積
連続として観察されるのであるし︑近代社会は私人に対して国家的制約を避けて自由なる行為を許しているのでそれ
は結局権利行使権利処分権利主張についてこの自由を許していることであるが︑このような権利の行為により権利の
内容となっている生活利益が日常生活の上に実現せられるのである︒
( 5 ) ( 4 ) ( 3 ) ( 2 ) ( 1 )
(6)
権︑売渡担保権の如きである︒
m訴も広義に於ては権利の行使
裁判規範説︑生活規範説︑︵行為規範又は社会規範︶それに生活規範と共に裁判題範説等 民事訴訟は実体法たる私法と形式法たる訴訟法との綜合の場であり︑前者がその基盤であるから 民事訴訟法講座一巻五頁六頁︑兼子教授論文︑兼子教授︑民事法研究一巻四七八頁以下 中村教授著︑訴と請求に既判力六六頁︑尾高博士︑改訂法哲学二三九頁以下
客体による分類財産権︵物権︑債権︑無体財産権︑身分権︵親族権︑相続権︶人格権︵生命権︑身体権︑自由権︑名誉権効力による分類絶対権︵物権︑人格権︑身分権︑無体財産権︶相対権︵債権︶移転性による分類一身専属権︵人格権︑身分権︶一身非専属権︵財産権︶ 独立性からの分類主たる権利︵主たる債権︶従たる権利︵留置権︑先取特権︑質権︑抵当権︶ 社会生活の発展に伴い新しい権利の創設がなされる︒これは慣習法により認められて後次第に成文法化される︒例えば根抵当 貞操権︶
︵請求権のみの行使ではないけれど︶に属するから︑訴に権利主張が伴われる︒
133
︵一︶訴は私法上の権利主張︵訴訟上の請求︶の当否の判断を求める申立である︒
前述の如く私人の日常生活は︑私人が日常のことに実体法殊に私法を適用して得られる権利についての行為︑即ち
権利行使︑権利処分︑権利の主張によりその内容たる生活利益を得て営まれるのであるけれどこれらの行為が妨げら
れ又は︑妨げられる虞がありそのために生活上の利益が現実に得られぬか︑又は得られなくなる虞のある場合は自力
救済︵評言吾崖の︶が禁ぜられており又自己の主張を他人に強いることの出来ない近代社会に於て︑そのような手段に
訴えるこ上は出来ないからこのような場合に処する方法として設けられた公認の手段に従うより方法がない・近代社
会としてはこのような場合には裁判所その他の国家機関の干与によるべきものとし︑そのために民事訴訟︑人事訴
訟︑破産手続︑競売手続︑が設けられているが通常の方法は民事訴訟であって︑それの利用の申立が訴の提起であ
それ故これらの制度の中で最も重要なものとしての民事訴訟は権利上の行為即ち︑権利の主張︑権利の行使︑権利の処
分︑特に生活上の利益実現に於て最も大切なる権利行使や権利の処分について困難な事情の生じた時是非とも利用さ
れねばならないところのものであり︑それを利用するための申立が訴だと言うことが出来る︒それでは訴は何をどのよ
︵令且︶うに申立てるのであるかという問題になるのであるけれどもこの問題についても古来学説の分れるところであり訴権
︵室鴨の︒宮︶の内容の問題として困難な問題とされている︒然るに権利の主張や権利の行使や権利の処分には権利の主
張が前提せられる如くこれらが妨げられ又は妨げられる虞のあるということはこの権利の主張を否定する意味が包含
或は︑前提せられているのであるからこの権利の主張が先づ正当であるかどうかの判定を得なければならないことと
る 訟
○ ,
三私法上の権利主張が訴訟上の請求であって︑民事訴訟はそれが訴の内容として当
否の判断を要求せらればそれについて審理し︑その当否を判断するものである︒
134
なる︒この権利についての主張の当否の判定の申立が訴であると言うことが出来る︒即ち︑訴の内容又は訴権の内容
は国家に対してこの権利主張の当否の判断の要求だと言うべきである︒訴に対してなされる国家の判断は判決である
から訴は権利主張の当否についての判決の要求だと言うことが出来るし︑判決により権利主張が正当であることにな
れば権利の主張者の権利の主張が通用力を有し︑かくてそのことによってのみならず更に︑それを基礎として権利の
行使及び権利の処分が可能となり権利主張者の生活利益の享受が達成され紛争が解決されることとなる又判決により
権利主張が不当であることになれば権利主張者の権利主張が否定されたことになり爾後権利主張のみならずそれを基
礎とする権利行使や権利の処分は不法となる︒このように訴は権利の主張についての当否の判断の要求だと言うこと
が出来るがこの裁判所にその当否の判断を求めて提出された実体上の権利の主張を訴訟上の請求︵雨目のい言唾も目呂︶
と呼ぶから訴は訴訟上の請求についての当否の判断の要求だということが出来る︒
︵⑨全︶それでは権利主張としての訴訟上の請求の相手は誰れであるか︑この問題についても学説は分れるところであるが
訴訟上の請求を以上の如く裁判所の前に提出された︑当否について判断の要求のなされた実体上権利主張だとすれば
それは別に裁判外と裁判上とに於て性質が異なるものではなく︑実体的性格のものであって︑それが只訴訟に持ち出
されたものにすぎない︒裁判外の権利主張の相手は主張される特定人である如く訴訟上の請求の相手も主張される特
定人たる被告だと考えられる︒訴訟上の請求の相手を裁判所と考えたり︑被告との関係に於ける裁判所だとする考は
訴訟上の請求の実体を無理に公法的なものと解せねばならないと考えたり︑訴と訴訟上の請求を混同しているもので
︵旬⑨︶あって︑それ故に請求の概念を暖昧にしているように思われる︒勿論請求は古の如く私法上の請求権の意味にのみ解
することは少なくとも訴訟上に於ては現在許されないのであり︑訴訟上に於て請求は単に請求権のみならず支配権形
成権をも含んだ意味に於ける権利主張と解すべきものであるところではあるがそれ故に古の如く解してはならないと
ゞする努力のあまり飛躍して公法上のものと解する必要は少しもないと考えられる︒
135
而して一般に訴は訴状を提出することを要求せられるが︑訴状には訴の内容が明記せられることは当然必要とされる
ところであるから訴の内容たる訴訟上の請求が明記せられねばならない︒それは裁判外に於てどんな権利主張がなさ
れそれが相手に否定され拒絶されたかを示す必要があるからである︒訴状には当事者及び請求の趣旨請求の原因を必
要的記載事項としているから︵民訴法一三四条︶︑この当事者請求の趣旨及び請求の原因に於て訴訟上の請求を明かに
すべきである︒当事者は権利主張者とその相手方であり︑請求の趣旨は請求の内容たる権利の範囲及び態様を︑請求
の原因は請求の内容たる権利成立の法律要件的事実を意味するからそれぞれそれらを記載すべきであるが請求の原因
に於ては事実記載説に於ては要件的事実の全部を記載すべきものとせられるが同一認識説に於ては他のものと区別州
来る程度に記載すればよいとせられる︒蓋し訴状提出は訴訟の開始を求める手段にすぎなく何れ口頭弁論に於て当事
者の主張は明かにされなければならないのであるから同一認識の程度で請求の原因が記載せられておればそれでよい
と考えられる︒請求の原因は特に訴訟上の請求を明瞭ならしむる上に於て︑即ち訴訟上の請求の特定に於て重要であ
るけれどもそれのみによって請求は特定せられるとは考えられない︑何故ならば請求の原因により特定した請求とい
うものが請求の範囲及ば態様を異にした場合に請求が同一かどうか問題となるので請求の趣旨もその意味で請求の特
定に重要であるが︑当事者も同時に請求特定に重要であると考えられるから結局請求は法が訴状の必要的記載事項と
︵ん4︶して要求する当事者請求の趣旨請求の原因の三つの記載で特定され明瞭になるものと考えられる︒かくの如く請求の
特定については以上のことが要求せられるけれどそれも各種権利によって多少の相違がある︑特に請求の原因の記載
に於て支配権についてはその中の親族法相続法上の権利に於ては主体と権利の内容が明かにされればよいが用益物権
及び無体財産権に於ては主体と権利の種類内容及び対象の表示が必要とされ︑担保物権に於ては主体権利の内容対象
の表示及び被担保債権及び順位が記されねばならないとされる︒請求権についてはそれが物権的請求権であっても債
権的請求権であっても主体︵債権者債務者︶給付の種類及び内容発生事実の記載が必要である︒形成権については主
子 一 段 一 . 一 三 − .一 ‑‑‑一一司
136
体権利の内容及び発生事実の記載で足りるとせられる︒
兎に角︑訴は訴状記載の内容に従い権利主張たる訴訟上の請求が明かにされねばならないが︑それは特定出来る程
度で十分であるわけである︒しかし訴状は備準書面の役目を果たすので︵民訴法二二四条二項︶︑それ以外に請求を理由
あらしめる各種の主張のみならずその他の記載も許されるから訴状としては請求について及び請求に関することを出
来るだけ多く掲げることにより訴訟に役立てることが出来る︒要するに原告は訴状に於て訴訟上の請求即ち︑実体上
の権利主張を出来るだけ詳細に記して︑民事訴訟の主題を提供するのである︒
︵二︶訴訟審理は訴訟上の請求について審理する︒
訴は実体権の主張たる訴訟上の請求について︑その為された弁論に従いその当否の判断を裁判所に求めるのである
から︑訴が裁判所に受理せられば裁判所は訴訟上の請求について︑一体原告は被告に対しどんな権利主張をしている
か︑被告はそれについて何と言っているかにつき審理すべきこととなるから訴訟上の請求は訴訟審理の対象であり︑審
理の後は審理せられたところを基礎としてそれについて判決されるからこの意味では判決の対象でもある︒かく訴訟
上の請求は訴の対象でもあり訴訟審理の対象でもあり︑又訴訟の結末たる判決の対象でもあるから訴訟上の請求こそ
訴訟に於ける最初から最後まで中心的主題であると言わねばならない︒訴訟審理は現行法上は口頭主義亀冒号号吋
冨冒豊︒罫︒ご直接主義︵淳旨ざ量三旦騨①言曙重詳︶を原則とするから訴訟上の請求が訴状により提出されただけでは
裁判所は直ぐ審理出来ないから原告は訴状に記載するところに従って口頭で裁判所の面前で改めて裁判所に向い陳述
せねばならない︑陳述には主要事実の陳述と間接事実の陳述とがあるが︑主要事実の陳述には証拠による証明が必要
である︒これら訴訟上の請求についての原告の陳述証明の行為は攻撃方法の提出と言われる︒これに対して現行法は
双方審迅主義の立前により相手にも陳述の機会を与え︑抗弁又は反対の陳述を許し︑それに対する立証をなさしめる
がこれが防禦方法の提出である︒現行法は︑私人間のことは裁判外に於けると同様裁判上に於ても自主的になした方
137
がより妥当な結果が得られると考え国家権力的干渉は出来るだけ差控えて弁論主義含里言己目︑日関宮①︶の立前によ
ることとしているから当事者は自ら攻撃防禦を尽さねばならない︒又判断については裁判所を信頼して自由心証の立
前︵雲昌暑言言冒国①箸①雪嘩a唇侭︶によっているから心証の形成については何ら拘束を受けることなく裁判官は自
己の良心のみに従って訴訟資料たる攻撃防禦の方法の取捨選択に当たればよいこととなる︒これらの陳述抗弁は裁判
所の面前に於て訴訟上為されるものであり︑訴訟の進行上必要な行為で訴訟上の効果を生ずるから訴訟行為と言われ
訴訟法の規制に従わねばならない︒然るに陳述抗弁は訴訟に於て相手方に対して為される場合は法律行為負①︒言函の︲
呂琴︶と言うことが出来︑その要件や効果は私法の上から規制される︒而して一つの行為が法律行為でもあり訴訟行
為︵津︒園①切言旨&目色でもある場合が起こるけれども︑それは実体法と訴訟法とが別の大系として存在するので︑その
︵FD︶両法の上から評価せらうることによるのである︒
︵三︶判決は訴訟上の請求についてなされその効力たる既判力も訴訟上の請求に対する
実体権の主張である訴訟上の請求は本質的には確認的であって︑確認請求が原則であるけれど︑給付請求権の如く
戸主張者の権利確認の外に相手方の給付義務の確認も合せ主張する場合や形成権の如く形成権の確認の外に権利変動を
も求める場合もあり得るので︑特別に給付請求及び形成請求も成り立つから訴訟上の請求はこれら三種のものが考え
られる︒訴訟上の請求にかく三種類あることの結果︑その判断の要求の申立たる訴にもそれに対応して確認の訴
弓§の言晶星臘①︶給付の訴︵房﹄冒晶窒侭の︶形成の訴a3冨言侭吻窒侭の︶の三種類が考えられ︑その訴に対する裁
判所の応答であって︑訴訟上の請求についての判断である判決にも︑それに対応して確認の判決︵国①奇重言鴨目凰︸︶
給付判決︑︵屋黒目雷日邑形成判決︵藤堂冒墨昌皇︶の三種類が存在する︑而して給付の訴も形成の訴も請求について
確定を求めた上で更らにそれぞれ権利の内容に従ってそれ以上の効力を求めるものであるから確認の訴が基礎的な訴
の形でありそれに対する確認判決が現在判決の基本的な形とされており︑その判決の効力たる既判力︵夢・言富津︶が
ロ ー−ー − ̲ 一一 一ら一
I
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他の判決にも必然的に伴われるものと考えられる︒判決は又訴訟上の請求についての当否の判断であるから判断の結
果は訴訟上の請求が正当なるものと判断される場合もあり又不当と判断される場合もある︑前者は請求認容の判決で
あり後者は請求棄却の判決である︑この意味で判決はこの種の判決に種別も出来る︑又判決は訴訟上の請求について
前述の如き請求認容又は棄却の判決以外に本筋の判断をするために管轄権︑裁判権等の必要要件の具備を要求せられ
るが︑それが具備することによって本筋の判断が可能となる︑この本筋たる請求の判断前に具備することの要求せ
られる要件即ち︑訴訟要件︵津︒国の皿の尋︒国巨g呂侭の旨︶の欠如の理由で訴却下の判決がなされることがあるが︑本筋たる
訴訟上の請求についての判決は当事者の紛争解決のため窮局的に求めるところのものである意味に於て本案判決と言
い︑訴却下の判決を訴訟判決と言うが判決は又この二種に類別も出来る︑勿論何を訴訟要件とするかについては学説
︵︽U︶幸の分れるところであるけれども具体的訴権説の如き実体的要件は含まれないと考えられる︒
判決は裁判所による国家権力的判断であるから国家の権威の上から又紛争解決の上からも動かすべからざるものと
為しておく必要がある︑この観点から判決に与えられる効力が既判力である︒訴訟判決にも一種の既判力の生ずるこ
︵J︶とは明かであるけれども請求認容又は棄却の本案判決に於て請求そのものの当否の判断に対して既判力の生ずること
は訴訟上最も重要なこと言わねばならない︒かくて紛争は実体的に確定せられこれにより紛争は終局的に落着せしめ
られることとなる︒かくの如く請求そのものの判断に対して既判力が附せられるのであるがその請求についての資料
は口頭弁論終結までに出されることであるから︑請求についての判断に対する既判力も口頭弁論終結の時を標準とし
てその時までに提出せられた資料を中心として決定せられるし︑又請求に対して答えるものが判決の主文であるから
既判力︵その他の本来的判決の効力︶もその主文中の判断について附せられ︵民訴法一九九条︶るのが当然である︒従
って既判力の客観的範囲を︑判決の主文中に於て判断された請求についてとされる所以である︒従って判決の理由は
事実から主文の判断の出る所以を示すものであるから︑原則として理由中に於て判断されたところには既判力が附せ
一二
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︵◎︒︶・られることはない︒請求は結局権利の主張でありその権利をめぐり紛争を生じているのであるから紛争落着を目的と
する既判力はこの権利における当事者即ち︑権利の主張者とその相手方との間に相対的に生ぜしめられるのが当然で
あるので既判力の主観的範囲を原則として当事者とする所以である︵民訴法二○一条︶︒
訴は訴訟上の請求についてその当否の判断を裁判所に要求するものであるから訴訟の審理も訴訟上の請求について
なされる︒而して現行法は口頭弁論主義の原則によっているので原告に於て訴訟上の請求にづいて口頭にて裁判所の
前に攻撃方法として主張し︑それを中心として陳述を重ねそれに対して立証をなさねばならない︑被告は原告の陳述に
反する陳述をなし︑或る場合には立証を要求せられる︒かくて被告は防禦方法を提出する︒裁判所は当事者の裁判所の
前にてなされる陳述を聞きつつ最後の断定に向って心証を固めねばならないが︑裁判所の心証は弁論の度毎に動遙し
ている︑或る場合に原告に有利に︑或る場合に被告に有利に動き︑訴証資料と証拠資料は心証形成のため次第に当事者
︵q︾︶により裁判所に提供せられて行く︒従って訴訟はその程度に於ける法的状態として︵画一の評︒言﹈農︒︶存在する︒当事者の
提供する訴訟資料と証拠資料としての攻撃防禦の方法が出尽くすか︑それ以前に裁判所が確信を得れば弁論は終結せ
られ︑終結の時に於ける裁判所の心証の程度で得られた事実に対して︑裁判所により解釈せられた実体法殊に私法を適
用して判決され︑判決されたところに従って既判力が附され︑かくて最初に為された原告の訴訟上の請求はその後の審
理の状況に従って原告或は被告のどちらかに有利に確定されることになる︒このようにして確定されたところのもの
は訴訟の終結までの当事者の陳述とそれに対する裁判所の事実の判断とそれに対する実体法の解釈適用の如何に依存
するから︑それは訴訟前に於ける原告の過去の判断そのものを映写したものでなく︑原告の過去の判断を中心としてそ
︵︑︶れに当事者及び裁判所の主観客観の混合により創り出された一つの創造である︒かくて創り出された権利は過去の原
告の主張する権利とは相当間隔のあるものであり︑これに既判力が附されるのであって通用力の点でも又格段の相違
︵u︶がある︒然るにそれでも原告の最初の主張が中核をなしている事実は否定出来ない︒
140
すべての判決が訴訟上の請求について先づ当否を確定するものであるからその点では確認判決のみならずすべての
判決に既判力が附されるが︑給付判決の請求認容の判決は給付請求権のみならず被告の給付義務をも確定するもので
あるところから既判力の外に執行力をも生ずるとせられ︑形成判決は形成権の存否が先づ確定されるのみならずその
上で権利関係が即時変動するから既判力とその外に形成力が生ずるとされる︒その他判決の効力として参加的効力や
反射的効力が生ずる場合がある︒既判力︑執行力︑形成力は訴訟上の請求を中心として附されるから主観的範囲は当
事者を原則とするが︑参加的効力も反射的効力も当事者と実体的に何らかの関係にある人に対して生ずる︒
︵四︶上訴も結局は訴訟上の請求を対象とする︒
第一審の本案たる訴訟上の請求についての終局判決に不服であるとき︑未確定中ならば控訴上告の方法により不服
申立が出来る︒控訴審は直接的には原判決の当否を判断するのが目的であ偽けれどもそれは原判決がなした請求の当
否についての判断が正当であるか否かを︑第一審の判断を基礎とし更らに審理をつづける立前の続審主義によって第
一審の審理を土台としてそれに新資料を追加して判断するのであるからここでも訴訟上の請求が基礎的な問題となっ
ておると言わねばならない︒控訴審の判決の中控訴棄却の判決は控訴又は附帯控訴による不服の申立は理由なしとし
て原判決を維持し原判決が訴訟上の請求についてなした判断は正当なりとするものであるが︑それには原判決をその
まま正当と認める場合の外理由は不当であるけれど︑控訴審の口頭弁論の終結の当時の状態で判断して結論に於て原
判決の主文と一致した決論が得られた場合も包含する︵民訴法三八六条︶がそれは訴訟上の請求についての判断につい
て大して差異がないと考えられるからである︒控訴認容の判決は主として原判決が内容上不当である︵民訴法三九四条︶
即ち︑訴訟上の請求についての判断が失当であるときでこの場合控訴を認容して原判決を取消すのである︑原判決
を取消したときは控訴審は事実審であるから控訴裁判所は自ら第一審に代り訴訟の内容即ち訴訟上の請求自体につい
て目判するのを原則とする︒尤も控訴を認容しても原判決が訴却下の判決である場合は第一審で本案である訴訟上の
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請求について全然審理がなかったのであるから事件を第一審へ差戻してそこで本案について審理させることがある︒
上告は控訴審の終局判決に対する法令違背を理由とする上訴であるから上告審は事実認定の当否は審査せず専ら原判
決中の法律判断が誤っている場合と審理過程である訴訟手続が違法である場合に於てその違法が判決の結論たる訴訟
上の請求についての判断に対して重大なる影響を及ぼすときに許されるものであるからここでも中心の論題は訴訟上
の請求についての判断をめぐってなされることとなる︒
上告が理由なければ上告を棄却し︑又上告が訴訟要件を欠いていれば上告を却下する︒上告を理由ありとして原判
決を取消す場合即ち破棄する場合に事実認定を必要とする場合は原審級へ差戻又は移送する︵民訴法四○七条︶が︑し
かし事実認定を必要としないで原審の確定した事実だけで十分であるときは原判決に代る自判をなす︵民訴法四○
八条︶︒この場合確定した事実に対する法令の適用を誤ったのに対しこれを是正さえすればよいときは第一審判決が正
当であれば控訴を棄却し第一審判決を確定せしめ︑第一審判決も同様に不当であればこれをも取消して自ら請求自体
について認容又は棄却を判示するし︑又事件が裁判所の権限に属さないこと又はその他の訴訟要件が欠けていると認
めて原判決を破棄するときは︑第一審が訴を却下しておれば控訴を棄却し第一審も誤って本案判決しておれば︑これ
をも取消して自ら訴を却下する︒かくて上訴は訴訟上の請求について判断を一回に止めず回を重ねて︑当事者の判断
を是認し又は否認しつつより正しい判断に近づかんとするのである︒
仙私法的訴権説と公法的訴権説に分れ公法的訴権説は抽象的訴権説︑具体的権説︑本案判決請求権説
私はこの問題について訴訟上の請求説を提唱するがそれはこの論文の内容となっている如く訴訟上の請求︵権利主張︶の当否
を求めるとするなのである︒しかし請求を実体的に考え請求の相手を被告とするところに本案判決請求権説との相異がある︒
②裁判所に対するものとする者︵山田著︒民事訴訟法論一巻三二頁︑細野著・民事訴訟法要義二巻︑中島判事著・日本民事訴訟
法論三巻二○八頁︑河本喜与之著・全訂民事訴訟法提要一七六頁︶被告との関係に於て裁判所に対する者︵兼子教授著・民事訴
− 字 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一 一
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例請求は当事者︑請求の趣旨︑請求の原因の三者で特定されると考えられる︒一般には請求の原因によるとするが請求の原因で
明かにしたところのものが請求の態様範囲を異にすることがありうるし︑当事者の記載も請求特定に重大なる関係があるから︑
法の要求︵民訴二二四︶の訴状の必要的記載事項の三者により特定すると考える︒
⑤訴訟上の行為はすべて訴訟行為だとする説Ⅱ訴訟行為説諭趣
実体法の適用をも認めんとする説Ⅱ併存説︵江口︶
折衷説川︵離係蕊悪潔窯翻織撰を法的価値的に見
訟法四三頁︑中田教授著・民事訴訟法講座一巻一六五頁︑山木戸教授著・民事訴訟法講義九一頁︶被告に対するとする者︵中村 著︑訴と請求並びに既判力八二︑八三︑八四頁︶等あるけれど価請求は公法法的なものでなく私法的なもの即ち私法上の権利の 主張と見るべきと思う故に被告に対するものと考える︒ ③請求を公法的なものと見て然も相手を裁判所とすると︑訴と請求が自同の観念として受取られる危険性がある︒それを防ぐた
め訴は形式で請求は内容だといわねばならなくなるが︑私は形式と内容という点では同意しても相手を被告としてどこまでも請
⑥具体的訴権説では訴訟要件として実体的要件と訴訟的要件との両方を要求するものであるが︑実体的要件については判決前は
単なる主観にすぎないから訴訟要件に入れることは不当であると考える︒
㈹判決により確定したところは誰も争えない意味に於て既判力を生ずると見る︒
⑧只相殺の抗弁が理由があるか否かについて判決理由中で判断したことは例外として既判力を生ずる︵民訴一九九条二項︶・
側このように訴訟を一つの状態として見る説を提唱したのはヤメス︑ゴールドシュミットであるが︑彼以後訴訟法律関係説は訴
訟を平面的に把握して訴訟の実情に合わぬとされるようになった︒
⑩判決は一つの創造であると見るのは中島判事著裁判の創造的原理でどういう風にして創造されるかについて多少中島判事と説
を異にするが︑創造と見る点は同感である︒
伽兼子教授は判決によって確定したもののみを権利と見てそれ以前は生活利益と見られる︒小山教授は更に徹底した考に立たれ
る︵小山教授論文・訴訟と裁判六三頁以下請求について︶しかし判決前でも権利観念は存在すると考えられる︒
求を私法的に解したい︒最後の説をとる︒企jllf
143
要するに民事訴訟︵狭義︶は一般私人が︑実体法殊に私法を日常生活規範として実践しそれについて起こる幾多の
問題について自らこれを適用して判断される権利について︑主張し︑行使し︑処分して生活利益を得て生活する際︑
権利の相手方がそれを承服しない事情の起ったとぎ︑権利の内容たる一定の生活上の利益の実現が出来なくなって︑
そのため当事者間に紛争を生じたとき即ち︑民事事件の起ったとき国家の設備せる裁判所によりこれらの権利に関す
る行為の前提或は︑それに包含せられる権利の存否の主張について国家権力的確定を得ることが必要であり︑そうし
なければどうしても権利に関する行為を進めることが出来ない︑それでこの権利の主張について国家的確定を求めて
裁判所に申出で有権的に解決を図るものである︒従って民事訴訟︵狭義︶を一貫する中心的課題或は対象は実体法殊
に私法上の当事者により裁判前に判断された権利の主張即ち訴訟上の請求である︒
︵勺且︶このような意味から民事訴訟︵狭義︶についての論理構成を実体法殊に私法と隔絶して構成したり︑請求を実体法
殊に私法上の権利の主張と見ないで法以前の単なる生活利益の主張と見ることは現在の法の立前から及びそこから来
︵ワ﹈︶ている国民的感情から及び近代社会の性質からして困難なことであると考えられる︒勿論判決前の私人の考える権利
は判決後の権利とは勿論相違するものではあるが︑それでも日常生活の上では権利と観念せられて通用力を有してい
る実情は如何とも致し難いところであり︑この様に考えることが民事訴訟︵狭義︶についての種々の問題を考える上
に於ても都合よいことであり︑現行法の立前から合理的でもあると考えられる︒
( 2 ) ( 1 )
小山教授︵訴訟と裁判論文Ⅱ請求について︶︑ドイツの最近の学説
同様に考える説︑伊東民事訴訟法講座三巻七二二頁︒
四むすび
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