私的3次元多様体論
市原 一裕 今年四月に奈良教育大学数学教育講座に着任しました。着任して二ヶ月が経とうとしていますが、まだまだ 右往左往しながらの試行錯誤の毎日が続いています。さて、着任の挨拶と自己紹介・研究内容紹介をかねて何 か書いてほしい、との原稿依頼を、編集委員より受けました。というわけで、これまでの研究者としてのおお まかな経歴と、主な研究分野である「3次元多様体論」の簡単な(私的な)紹介をあわせて、書いてみようと 思います。
1. トポロジー(位相幾何学)との出会い
私は、小学校時代から算数が好きで、高校生のときには、数学を専門として出来る限り勉強したい、と希望 していました。そして地元の公立中学・高校を経て、私立K大学理工学部に進学しました。しかし、大学の講 義というものにあまり興味を持てず、実は三回生までは、あまり出席率の良い学生ではありませんでした。そ んなある日、たまたま手に取った次の二冊の本によって、トポロジー(位相幾何学)に出会ったのです。
・トポロジーの世界 (数学セミナーリーディングス),日本評論社, 1982.
・4次元のトポロジー(入門 現代の数学),松本 幸夫著, 日本評論社, 1979.
トポロジーとは、図形の性質を研究する幾何学の中でも、「連続変形によって重ねられるものは同じとみな す」という、比較的あたらしい研究分野です。「柔らかい幾何学」とも呼ばれていて、それまでの(高校まで の)「かたい幾何学」、いわゆるユークリッド幾何学とは全く異なることに新鮮な驚きを感じ、とても興味を持 ちました。当時、K大学では、トポロジーの講義は三回生の1コマしかなく、自分で勉強するしかなかったの ですが、それでも楽しくて、結局、四回生では、低次元トポロジー専門のI先生のゼミに所属しました。
2. 結び目・絡み目とポアンカレ予想 I先生の指導のもと、四回生のゼミでは、
・Knots and Links, Dale Rolfsen, Mathematics Lecture Series, No. 7. Publish or Perish, 1976.
をテキストとして輪講を行いました。
「knot」(結び目)とは、3次元空間内に浮かんでいる「からまった輪」
のことで、それがほどけるかどうか・どれが同じかどうか、を研究する のが、いわゆる結び目理論です。
さて、「結び目」の研究は、実際、それを含む3次元の空間の研究と密 接に関連しています。そして、I先生の影響もあって、「3次元多様体」
に関する、いわゆる数学の三大未解決問題の一つであった「ポアンカレ 予想」について興味を持ったのです。
まず「3次元多様体」とは、「局所的には3次元の広がりを持つ空間」のことであり、我々が住むこの「宇 宙」が一つの例となります。例えば、地球(の表面)は、「局所的には2次元の広がりを持つ」2次元多様体 です(こまかな凹凸は無視してください)。ただし、局所的には「平らに」広がってるのですが、大域的には
「曲がって」います。それでは、この「宇宙」はどうなっているのでしょうか? どこまでも「平らに」広がっ ているのでしょうか、それとも、大域的には「曲がって」いるのでしょうか? この問題そのものは、もちろ ん物理学の問題ですが、その数学的な背景を提供するのが「3次元多様体論」なのです。
3次元多様体の分類問題に関して、そもそもトポロジーの創始者ともいわれるアンリ・ポアンカレが、1904 年に提起したのが、現在「ポアンカレ予想」と呼ばれる予想です。「ポアンカレ予想」とは「単連結な閉3次元 多様体は3次元球面であろう」というもので、3次元多様体の分類問題を考える上で最も基礎となるべきもの なのです。しかし、およそ100年の間、未解決のまま残されていました。この予想に関する詳細を述べるには 残念ながらここは狭すぎますので他の文献を参照ください。
3. 双曲幾何学と幾何化予想
大学卒業に際し、より深い研究を求めてK大学以外の大学院受験を考えました。当時、兄のように慕ってい た若手講師の薦めもありT工大の大学院に進み、3次元多様体論では国内屈指のK先生のもとで勉強するこ とになりました。修士一回生のゼミでは、K先生や先輩方の指導のもと、
・The Geometry and Topology of three-manifolds, W.P. Thurston, Princeton Univ.(1978).
という未出版のレクチャーノートを(とても苦労しながら)読みました。これは、3次元多様体の分類問題に 関して、革新的な研究を行ったウィリアム・サーストン氏の講義録です。
サーストン氏の研究において画期的だったことの一つには、トポロジーの一分野である3次元多様体論の研 究に、非ユークリッド幾何である「双曲幾何学」を導入したことがあります。そして、ポアンカレ予想を含む
「幾何化予想」というものを提起し、その一部分ではありますが証明を与えました。このことにより彼は1982 年のICM(国際数学者会議)にて、数学のノーベル賞と言われるフィールズ賞を受賞しています。
この双曲的3次元多様体の研究に、大学院の5年間のほとんどを費やしました。特に、3次元多様体の中の 曲面を研究し、得られた結果を主部として博士論文を作成、博士号の学位を取得しました。その後、高校など の非常勤講師をしながらT工大研究生として2年間、さらに、特別研究員(いわゆるポストドクター(PD))
としてN女子大において2年間、研究を続けました。
4. 懸賞金とフィールズ賞
このT工大研究生をしていたころ、21世紀の到来にあわせ、アメリカのクレイ数学研究所によって「ミレ ニアム問題」というものが設定されました。当時(そして今でも?)未解決である、数学における7問の重要 な問題が選ばれ、そして1問につき 100万ドル!! の懸賞金がかけられたのです。当然(?)、100年来、未解決 だった「ポアンカレ予想」も選ばれ、それを含む「幾何化予想」も注目を浴びることになりました。私も「懸 賞金はともかく、ほんの少しでもその解決に寄与できたらなぁ」と夢見ていました。
そのおよそ2年後、N女子大でPDとして研究を進めていたある日、「ロシアの数学者グリシャ・ペレルマ ン氏によって、幾何化予想が解決された!」というニュースが飛び込んできたのです。実は、それまでにもた びたび「ポアンカレ予想が解けた」という話はあったので(もちろん間違いだったわけですが)、この時も最 初は半信半疑でした。しかし、彼の論文(まず2本、その後、さらに1本がインターネット上で公開されまし た)を見てみると、少なくとも全くの見当違いや勘違いなどではなさそうに見えたのです。
その後、K先生とも連絡を取って議論したり、N女子大の先生方や知り合いの研究者も含めて勉強会を開い たりしました。しかしペレルマン氏の研究手法は、それまでの3次元多様体論の手法と全く異なっているので、
正直なところ、今でも完全には理解できていません· · ·。 4. マドリードにて ーICM2006ー
さて、N女子大での2年間のPD生活の後、大阪の私立O産業大学教養部に講師として着任しました。教養 部では、様々な分野の研究者と交流することができ、とても忙しかったのですが有意義だったと感じています。
O産業大では、主に工学部一回生の専門基礎科目(線形代数や微分積分)を担当していました。
研究に関しては、ペレルマン氏の研究を横目で眺めながらも、それまでの自分の研究を発展させていました。
私の研究スタイルは、あまりこつこつと計算を進めるようなものではないので、短めの論文が多く、また、共 同研究の論文が多いのが特徴です。しかし小さなことでも、それが3次元多様体論の中で(より大きく言えば、
数学の中で)どのような意味を持ち、どのような寄与があるのか、視野を広げ研究を進めようとしていました。
そんな中、昨年の夏に参加したスペインのマドリードで行われたICM2006において、ペレルマン氏の業績 が認められ、フィールズ賞が授与されたのを目の当たりにしたのです。彼の論文は未だ公式には出版されてお らず、その業績を認めない人も多かったので、その受賞には正直とても驚きました。さらに驚くべきことに、
彼はフィールズ賞を辞退したのです。「自分の結果が正しければそれで良い」と言って。
3次元多様体論を研究するものとして、昨夏のマドリードの会議に出席できたことは非常に素晴らしいこと だったと思っています。歴史的な場面に居合わせることができたのですから。一方で、ペレルマン氏の業績が 認められ、「幾何化予想」さらに「ポアンカレ予想」が解決されたということは、3次元多様体論研究者とし て、新たな目的を探し研究を進めていかなければならないということを意味しています。今は、これからの3 次元多様体論の新しい時代の中でどのように研究を進めていけば良いのか、正直模索中です。しかし、とにか く気持ちを新たにして、前向きに少しずつ自分なりに研究に取り組んでいこうと思っています。