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両大戦間期における対外債務不履行の

経験と国際金融危機

田口信夫

(2)

両大戦間期における対外債務不履行の経験と国際金融危機 1 1 1  

は じ め に

周知のように, 1 9 8 2 年 8 月のメキシコの対外債務支払危機を契機として,

発展途上国および、東欧諸国の対外債務累積問題が今や世界経済における最大 の懸案課題の 1 つとして急速な関心を集めるにいたっている。その主たる理 由は対外債務不履行が金融恐慌をひきおこしはしないかということであるが,

それはともかくとして歴史的にみれば,一国が外国から資金を借入れ,その 支払いが困難になったという経験は何もことさら新しいものではない。たと えば,今日の一大債務地域を形成しているラテン・アメリカ諸国についてい えば,これら諸国は「前世紀(1 9 世紀)を通じて信頼につぐ幻滅の,借入周 期につぐ広範囲な債務不履行の,そして対外債務の支払拒絶と承認との交代 の歴史て、あった;)といわれていたし,さらにいえば,今日世界最強の資本主 義国であるアメリカでさえも,かの1 9 世紀においては資本の一大借入国であり,

テーフォルトの経験はかなりあった 2 ) たとえば,日3 0 年代にアメリカの諸州 が運河や鉄道の建設のために借入れた巨額の資金は 1 8 4 1 年と 1 8 4 2 年にデフォ ルトにおちいっている。その原因は,綿花の価格が暴落し,債務返済をおこ なうための外国為替が入手できないことによるものであった。全部で 9 つの 州がデフォルトにおちいったが, 1 8 4 5 年には綿花価格の回復にともなって,

2 つの州を除く全部の州が返済を開始している。さらに, 1 8 7 0 年代と 9 0 年代 においては,鉄道会社と自治体が起債した外債にいくつかのデフォルトが生 じ , 1 9 1 5 年にはフランスの対 New Haven R a i l r o a d に 対 す る 貸 付 が デ フ ォルトにおちいっている。

このように,対外債務不履行の歴史をひもとくと,その枚挙にいとまがな いが, しかし今日との比較でもっとも興味深い経験を提供してくれるのは,

両大戦間期(それもとくに 1 9 3 0 年代)における対外債務不履行と国際金融危

機の経験だろう。というのは,この期は空前の世界的不況の存在,失業の増

加,保護主義の高まり,一次産品価格の低下,世界貿易の停滞という点で今

日の経済情勢ときわめて類似しており, しかも賠償や戦債の支払いという不

安定要因をかかえたなかで多くの一次産品国やヨーロッパの諸国が対外債務

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の不履行と国際金融危機を経験したからである。

本稿の目的はこのような両大戦間期における対外債務不履行の経験と国際 金融危機の実態を把握し,そこから今日の対外債務問題に対しての教訓を引 き出すことにあるが,ただ第 2 次大戦前と大戦後の対外債務問題の相違点と して,戦前の対外債務が,大部分,起債にもとづいていたのに対し,戦後の 場合は政府や国際金融機関および民間銀行等からの直接借款にもとづいてい

るということに留意しておく必要がある。

I  一次産品国の対外債務不履行

先にも述べたように, 1930 年代は空前の世界的不況,世界貿易の縮小,一 次産品価格の下落といった国際経済環境の悪化によって特徴づけられるが,

これらの事態は当時の一次産品国,とりわけラテン・アメリカ諸国の輸出貿 易に大打撃を与え,彼らの対外債務返済能力に重大な支障を生ぜしめた。第 1 表は一国の債務返済負担度(外貨での返済負担度)を示す指標として,一 国の輸出収入に占める債務返済コストの割合(デット・サービス・レーショ,

以下 D S Rと略す)を示したものであるが,ラテン・アメリカ諸国が当時直 面した困難の大きさを示している。同表をみると, D  S  R は 1931 年から急激 に増加しているが,これは主要には,過剰生産恐慌を反映して,これら諸国

第 l 表

1 9 3 0 年代におけるラテン・アメリカ諸国のデッ卜・サービス・レーショ 1 9 3 0   1 9 3 1   1 9 3 2   1 9 3 3   アルゼンチン 1 8 . 2   2 2 . 5   2 7 . 6   3 0 . 2 交 ボ リ ビ ア 1 3 . 5  

24.5~た

5 0 . 0 交 3 8 . 5 カ フ、、ラジ/レ 2 3 . 5   2 8 . 4 {J  4 1 . 0 女

45.1~た

チ 1 8 . 0   3 2 . 9 交 1 0 2 . 6 大 8 1 .  9 交 コ ロ ン ビ ア 1 4 . 0   1 5 . 6   2 1 . 8 交 2 9 . 6 会 キ ュ ー ノ 〈 6 . 1   1 3 . 4   1 8 . 1   2 2 . 4 カ

J ¥  

レ / 9 . 5   1 6 . 3 カ 2 1 . 4 会 2 1 .  7 女

ウ ル グ ア イ 9 . 7   2 2 . 4 女 3 6 . 3 交 3 1 .  3 女 大印は部分的あるいは全面的な債務不履行が生じた年を意味する。

N e i l   J .   Mcmullen ,  H i s t o r i c a l  P e r s p e c t i v e s  on Developing N a t i o n s '  Debt ,  L .   G .  

Franko  &  M.  J .   S e i b e r  e d . ,  D e v e l o p i n g  C o u n t ηI  D e b t ,  1 9 7 9 ,  P .   6 .  

(4)

i

j 大戦間 m J における対外債務不履行の経験と国際金融危機 1 1 3  

が輸出する一次産品価格の下落によるものであった。たとえば,コーヒーの 価格は 1 9 2 9 年の 1ポンド 1 8 . 5 セントから 1 9 3 1 年には 6 セントに低下し,スズ の価格は 1 ポンド 45 セントから 1 9 3 1 年には 1ポンド 2 0 セントへと 55% も低下 した。砂糖の価格も半減し, 1 9 2 9 年の 1ポンド 6 セントから 1 9 3 3 年には 1 ポ ンド 3 セントに下落した。かくて一次産品の総合価格指数は 1 9 2 9 年から 1 9 3 1 年までに 60% 低下したが,その結果は一次産品の輸出に著しく特化している 諸国の輸出価額の破滅的な減少であり,世界貿易の著しい縮小であった。た とえば, 1928‑29 年から 1932‑33 年までにチリの輸出価額は80% 減少し,ボ リビア,キューパおよびペルーは 70% の輸出価額の下落を,アルゼンチンと ブラジルは 60% をこえる輸出価額の低下をこつむった。このような状況のな かで,世界の貿易額は 1 9 2 9 年の 3 4 3 億ドルから 1 9 3 0 年には2 7 9 億ドルに, 1 9 3 1   年には2 0 0 億ドルに,そして 1 9 3 2 年には 1 3 5 億ドルへと急激に低下していった のである。

このような破滅的な輸出額の縮小が当該国の債務返済能力をいかに損った かは想像するに難くない。たとえば, 1 9 3 2 年に D S R が1 0 0 以 上 に 達 し た チ

リについては次のょっなことが指摘されていた。

「全チリ経済の硝酸塩生産への依存は,輸出における過度専門化(=特化 一引用者)の危険の一例である。特に戦時中および戦後の合成硝酸塩生産の 地加につれて,チリに投下された外国資本はますます危険にさらされた。確 かにより大量の銅が輸出され,不況の初めには銅輸出は金額において硝酸塩 輸出とほぼ等しかったが, しかしその後の数年間の両商品の価格低落は全チ リ経消に{政局的杉特を与えた。輸出額は 2 9 年の 2 億7662 万3 0 0 0ドルから 3 1 年 の9954 万6000 ドルに,さらに 3 2 年の 2 7 7 0 万9000 ドルに落ち,貿易黒字は 2 9 年 の8154 万5000 ドルから 3 2 年の 1 0 8 1 万9000 ドルに減少した。国内生産の50% を 通常輸出していると推定される国でのこうした崩落は,予算節約がどんなに 徹底的であろうと,デフレがどんなに断乎たるものであろうと,不可避的に 依務不履行を生ずるに相違ない:)。

かくて似滅的な愉出額の減少はラテン・アメリカ諸国の D S R を高め,債

務返済用の外民間f~ におちいったこれら国々は, 1 9 3 1 年以降,のさなみ債務不

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履行へとおちいってしまったのである。そしてこのことは当然のことはがら 外国からの資金流入をますます減退させ,これら諸国の外貨資金繰りを一層 困難ならしめるというように,悪循環的に作用していったのである。

以上はラテン・アメリカ諸国の経験であるが, しかし当時の国際経済環境 の悪化は必ずしもすべての一次産品国をデフォルトにおとしいれたわけでは ない。たとえば両大戦間期における三大債務国の 1 つであったオーストラリ アは,ラテン・アメリカ諸国同様,対外債務支払いの非常に大きな困難に直 面したが,対外債務の元利払いを完全に履行した。しかしそれは,同国の輸入 関税の大幅引上げ,政府支出の思い切った削減,増税,圏内債務の強制借換 え,為替切下げ,政府の対外ポンド債務の大部分の任意借換えなど,きびし いデフレ政策や輸入統制,それに対外債務の低利での借換え措置というイギ リスの特恵的資本供与によってのみ可能であったのである

4)

これらの措置は,

外からの強制という点を除けば,今日支払い難におちいった途上国に課され ている IMF コンディショナリティを想起させるものである。

I I   ドイツの経験

さて以上の一次産品国の経験に加えて,当時,巨額の賠償支払い国であり,

かつ世界最大の債務国であったドイツは,今日の対外債務問題を考える場合 のもう 1 つの興味深い経験を提供してくれる。当時のドイツは,貿易収支が 慢性的逆調という状態の下で,戦勝国に対して巨額の賠償を支払い,かつ戦 争で疲弊した国内経済再建のために外国から巨額の資金を取り入れねばなら ないという,国際収支構造でみれば今日の大部分の途上国がかかえている状 況ときわめて類似した状況下にあった。 ドイツの大規模な対外借入は 1 9 2 4 年 のマルク安定とドーズ公債の発行とともに始まり,対外債務残高は 1 9 3 0 年中 に最高点に達した。その内訳は,短期信用 150‑160 億ライヒス・マルク,長 期借入1 1 0 億ライヒス・マルクである。

これら巨額の資本流入が当時のドイツにとってどのような意味をもってい

たかは, 1924‑30 年期の統合国際収支表によって示される。この表からわか

(6)

同大戦間 f l j j における対外債務不履行の経験と国際金融危機 115 

るように, ド イ ツ は こ の 巨 額 の 資 本 流 入 に よ っ て 賠 償 金 と 元 利 の 支 払 い を お こ な い , か つ 商 品 の 輸 入 超 過 さ え 決 済 す る こ と が 可 能 だ っ た の で あ る 。 い い かえれば,このょっな巨額の資金が外国から絶えず流入する限り, ドイツは

第 2 表

1924‑30 年期のドイツの統合国際収支表

対 外 債 務 の 支 払 い と 賠 償 支 払 い の た め に 輸 出 余 剰 を い か に 創 出 1 0 0 万ライヒス・マルク す べ き か と い う こ と に 腐 心 す る 経常勘定

商 品 ‑ 6 , 221  海運その他サービス

2 , 928

占領軍その他 +  908 

利子支払 ‑ 2 , 728  賠償金支払 一 1 0 , 146 経常勘定収支 ‑15 , 263 ( 1 )  

資本勘定

長期借款・買戻し w +  7 , 1 7 3   有価証券移動

1 , 008 その他ドイツの対外純投資 +  6 9 8 ( 2 )   生 .

1

, i H J j 資本移動 +  4 , 756  その他資本移動 +  3 , 7 3 4 ( 3 )  

資本移動収支

1 7 , 370 金・外国為訴 2 , 1 0 7   資本勘定収支 +  1 5 ,  263  Wirtschaft und S t a t i s t i k 特集号 (1934 年 第

1 4 号)にあげである推計から計 t T . 。 ( 1 )   745 百万ポンド (20.43 ライヒス・マルク

=1 ポンド)

( 2 )   戦前の対合衆国投資の送還によるもの。

( 3 )   1 9 2 4 年および 25 年に輸出されたアメリカ 銀行券 1200 百万ライヒス・マルクを含む。

必 要 は な か っ た の で あ る 5 ) ドイツの困難は,実は,この よ う な 脆 弱 な 国 際 収 支 構 造 ( ニ 外 国 資 金 へ の 過 度 の 依 存 体 質 ) と , 借 入 れ に 占 め る 短 期 信 用 の ウエイトの高さに由来していた。

と い う の は , 経 済 恐 慌 に よ っ て それまで比較的順調であった世・

界 の 資 本 輸 出 は 激 減 し , た め に ドイ、ソへの資金流入は減少し,

ドイツは賠償支払や対外債務支 払 の た め の 外 貨 を 手 に 入 れ る た め 他 の 方 法

6)

(とくに愉出余剰 の 創 出 ) に 依 存 し な け れ ば な ら な く な っ た か ら で あ る 。 し か し ドイツをとりかこむ当時の輸出 環 境 は 世 界 的 不 況 や 各 国 の 関 税 Royol I n s t i t u t e   o f   I n t e r n a t i o n a l  A f f a i r s , 

The Problem o f  I n t e r n a t i o n a l  Investm ent  1 9 3 7 . 儲井克己.中西直行訳『国際投資論』

日本評論社. 1970 年. 254rt 。

引 上 げ 等 に よ っ て き び し い も の であり, ド イ ツ は 輸 出 促 進 に 向 け て き ぴ し い デ フ レ 政 策 を も っ て 対 応 せ ざ る を え な か っ た 。 す な わ ち 当 時 の ブ リ ュ ー ニ ン グ 政 権 は r 国 内 価 格 を 強 く 押 下 げ る こ と に よ っ て , 購 買 国 お よ び 競 争 国 に お け る 物 価 の 低 落 を 相 殺 し 」 J

も っ て 不 況 の 克 服 と 輸 出 超 過 の 状 態 を 創 出 し よ う と し た の で あ る 。 こ れ ら の

目 的 の た め に と ら れ た 財 政 的 手 段 は 次 の よ う な も の で あ っ た 。 「 ま ず 歳 出 面

(7)

では,経費の全般的削減, とくに公務員給与,恩給,扶助料等の削減の措置,

歳入面では,消費税(ビール,タバコ,砂糖) ・関税の増税,所得税付加税,

公務員に対する緊急犠牲の賦課,失業保険財政については保険料率の引上げ もしくは給付水準切下げの措置がそれである」;いわばドイツはこの不況期 において r 個人可処分所得の削減と公共支出水準の切下げの両面から,恐 慌下にあって低下しつつある社会の有効需要水準を一層押し下げる:)措置を とったのであり,このような国民生活犠牲の上に輸出超過の状態を創り出し,

もって恐慌の克服と対外債務の支払いを履行しようとしたのである。

しかし,このようなデフレ政策の強行は,賠償支払のための重税にあえぐ ドイツ国民にとってきわめて苛酷で、あり,貿易収支を好転させはしたものの,

失業者の数を増大させ‑1930 年 3月1 5 日の230 万から 1 9 3 2 年 3月末には 600 万 人に増大一一,対外貿易額を 60% 以上も減少させるものであった。かくて,

このような社会的・経済的不安はヒットラーの全体主義政権の登場を許すも ととなり,そのもとでドイツの賠償債務は完全に破棄され,さらに対外債務 の返済も 1 9 3 3 年 7月のモラトリアム宣言とそれに続く全面的債務不履行とい

う道筋をたどっていくことになったのである。

ふりかえってみると,賠償支払を含め, ドイツの対外支払に起因するこの ような混乱は,世界的大不況という大きな撹乱要因はあったものの,結局の ところ,第一次大戦後におけるドイツ経済がすぐれて外資依存的体質であっ たにもかかわらず, 1 9 2 9 年恐慌を契機として急激な外資流入の減少と外貨

(とくに短資)の引きあげがおこなわれ,ために突如として苛酷な条件下で 対外支払いのための輸出余剰を創り出さねばならなかったということに由来 していた。その意味で,この期における金融的出乱および債務不履行の責任 の一端は貸手側にもあったのである

o

たとえば,この点について p.アイ ンチッヒは次のように述べている。

「すべての国の債権者にも責任はある。彼らは恐慌前には, ドイツ及び中

欧諸国に無思慮、に貸し付け,恐慌後は,周章狼狽した。アメリカ,其の他中

欧諸国に対する債権者が,債権を容赦なく回収することをしなければ,恐慌

(金融恐慌一一引用者)は起らなかったであろう。充分な経験も持たずに,

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両大戦間期における対外債務不履行の経験と国際金融危機 1 1 7  

国際銀行業務に乗り出すことの如何に危険で、あるかは,中欧恐慌が明らかに 示している。債権を急激に回収して,債務者をして支払停止の余儀なきに至 らしめたものは,窮地にある顧客の扱い方を知らない新しい金融中心地(具 体的にはアメリカ一一引用者)であった」。

今日の発展途上国の対外債務累績問題を考えるに当って,今や途上国に対 する最大の融資者となった国際金融界は両大戦間期におけるこのような教訓 を肝に銘ずべきであろう。

次に, ドイツにおけるもつ 1 つの興味深い経験は, 短期信用の存在が当時 ドイツの諸銀行にどのようなインパクトを与えたかということである。すで にみたょっに, ドイツは 1 9 2 4 年以来, 外国から大規模な借入れをおこない,

その過半は短期信用によって占められていたが, これらの資金は主としてド イツの諸銀行に集中し, 銀行預金の40‑50% を占めるまでに至っていた。問 題は外国からのも含めたこの短期信用をドイツの諸銀行が工場施設建設や近 代化, 炭抗の開盤, 百 貨 庖 や 発 電 所 の 建 設 な ど 長 期 間 を 経 た 後 に 初 め て 流動化しうる性質」の投資に使用したこと, いわゆる知期借り一一一長期貸し をおこなったことである。問題はここから生じた。 といつのは, これら短期 信用は政治的・経済的不安がみえるや否やいつでも外国に引妨げられる不安 定な性質のものであり, もしこのような事態が発生した場合, 貸付が長期で あれば債権を回収してこのような事態に対処するということが不可能になる からである。)

事実, 2 つの出来事がこのような事態を発生せしめた。 1 つは 1 9 3 0 年 9月 の国会選挙におけるナチスの躍進(1 2 議席から 1 0 7 議席に急地) と , もう 1 つは 1 9 3 1 年 5 月 , 中 I 吹における最大かつ最古の国際的銀行の 1 つであったオ ーストリアのクレディットアンシュタルト

12)

の危機である。 これらの出未

{r~ によって全般的な銀行取付がドイツを襲い, 外国の知1tJ J 信用はドイツから

たちまち引妨げられるに至ってしまった。 ドイツの中央銀行であるライヒス

パンクの金・外貨準備は, 1 9 3 1 年 5 月以来, このような解約外国煎金の払戻

し(=短期資金の引妨げ )のためにたちまち底をついてしまった。 このよう

な : ! J c 態に対して各国政府および中央銀行は,賠償支払のモラトリアム(=フ

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ーヴァー・モラトリアム. 1 9 3 1 年 7月 7日実施)とドイツに対する直接的な 信用供与(1 9 3 1 年 6月2 5 日,米,英. f ムの中央銀行ならびに国際決消銀行‑

B 1  S ーによる 4 f 立 2000 万マルクの借款供与)という 2 つの支法措置を講じ たが,それでも進みゆく破局を食止めることはできなかった。

1 9 3 1 年 7月1 3 日には, ドイツの 4 大銀行の 1 つであるダナート銀行が支払 いを停止せざるをえなくなり,これによってクレディットアンシュタルトの破 産に始まった全銀行預金者のパニックは極端にまで高められた。「さらに 7 月末には,嵐の中心はドイツからイギリスに移り,オーストリアに始まった 中欧の金融恐慌はロンドンに預託された資金の引揚げを促した。ポンドの減 価をおそれたのがその l つの原因であり,中欧への貸付けに深入りしすぎた 銀行に対する不信が第 2 の原因である。このような危機に際し,イングラン ド銀行は割引率を 2.5% から 4.5% に引き上げ,米・{ムとの間に 5 千万ポンド のクレジットを設定したがポンドよりの逃避は阻止しえず,更に 8 千万ポン ドのクレジットの設定をみたが,依然として効果はなかった。 9 月2 1 日,遂 にイギリスは金本位制を停止した主

他方, ドイツ政府はこの危機に際して 2 つの措置をとった。すなわち 1 つは銀行休日の公布と同時に,夕、ナート銀行の全預金を保証したこと 2 つ めはダナート銀行と他の銀行の改組のために国家資金を提供したことである。

さらにドイツ政府はまた,対外的にも外国信用の解約に対して. 1 9 3 1 年 7 月 末に短期の外債に対するモラトリアムの施行と,それに続く外国為替の厳重 な規制と制限措置によって対応した。

これら一連の措置によって, ドイツの銀行恐慌は 1932 年の夏には終息した が,銀行恐慌がドイツ経済に与えた影響はあまりにも大きかった。預金取付 に遭遇した銀行は他の企業に対する信用供与や信用抜助の可能性を狭められ,

ために多くの企業が倒産したのである。 1 9 3 2 年の工業生産は 1929 年水準の5 3

%に低下し,国民所得は734 億マルクから 452 億 マ ル ク に 減 少 し 失 業 者 の 数 は600 万入をこえていた。そしてこの過程を通じて, ドイツの諸銀行自身も,

政府の手によって事実上ほとんど固有化されるといっ運命をたどったのであ

る 。

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両大戦間期における対外債務不履行の経験と国際金融危機 1 1 9  

このドイツの経験は短期借り一長期貸しという信用構造が,ひとたび信用 不安(それがいかなるものに基因するにせよ)という事態が発生した場合,

銀行にとっていかに危険の多いものであるかを教えており,今日の途上国お よび束欧諸国の対外債務累積問題が国際金融市場に与えるインパクトを考え る場合の貴重な教訓を与えてくれている。それはこういうことである。

今日,途上国および東欧諸国に対する貸付の主流はユーロ市場を通じる銀 行融資であるが,これらの銀行が融資に当てる原資はユーロインターバンク 市場における短期の資金である。銀行はこの資金を短期の預金として取り入 れ,それを長期の貸付という形で運用しているわけであるが一一いわゆる短 期借り・長期貸し一一,この預金は期日がくればいつでも引き出されるわけ であり, もしそうなれば,銀行は資金不足を補うために別に新規の預金を取 り入れなければならない。つまり,銀行はこういう操作を繰りかえしながら,

途上国および東欧諸国への長期融資をおこなっているわけである。

そこで万一,これら銀行の途上国に対する債権がデフォルトによってf.(~げ、

ついた場合,どういう事態が予想されるであろうか。おそらし途上国およ び束欧諸国への融資に参加している銀行のうち,信用度の低い銀行あるいは これら諸国に多額の債権をかかえている銀行が最も大きな打撃を受け,これ ら銀行の信用は失墜するであろっ。そうなると,産油国をはじめとしてこれ ら銀行に預金している企業・個人等による預金の手控え,預金の取り付けと いった事態がつぎつぎと発生してくるであろっ。このような事態に対して銀 行が貸付金(債権)を回収し,それをもって預金の引出しに対処できれば問 題はない。しかし,この貸付は長期のものであるので,すぐには流動化でき ない。つまり,短期借り一長期貸しの危険性はここにあるのである。

これらの銀行は, もし他からなんらの援助もなければ一一実際のところ,

ユ ー ロ 市 場 に は 国 内 の 場 合 と ち が っ て 最 後 の 拠 り 所 」 と し て の 中 央 銀 行

が存在しない一一,おそらく支払不能の状態におちいり,これはこれらの銀

行に債権(預金)をもっ他行にも波及するであろう。かくて,ユーロ市場に

参加する銀行はインターバンク取引を媒介として述鎖的に支払不能の状態に

おちいり,信用機構はマヒするにいたるであろう。そしてそれは,企業に対

(11)

する信用の収納という形で経済の実態面にさえ深刻な影響をおよぽすかもし れない。これが両大戦間期の経験にもとづいて予想される国際金融不安の構 図であり,問題発生のケースは異なるとはいえーーというのは両大戦同期に おける金融恐慌は必ずしも対外債務の不履行が発火点ではなかったからであ る一一,われわれの先人カ

アインチ ツソヒは両大戦間期の相対的安定 j 却 期 g 明 j におけるドイツを「国際短期 f 債責務 ( 短 却 期 j 信用)の助けを{借昔りて建てられたカ一ドの家」でで、あ I り ) , 1"""衝撃を与え られれば直に崩壊するものである」)と指摘したが,このことは案外,短期借 り一長期貸しという信用構造にもとづいて途上国および束欧諸国の対外債務 問題と深く係わりをもつにいたった現在のユーロ市場についてもいえるのか もしれない。

I I I   両大戦間期における債務負担の軽減方法

さて以上のように, 1 9 3 0 年代における世界的不況とそれに伴う資本輸出の 急激な減少は,借入国に対し,債務返済上の大きな困難をもたらしたが,こ のような事態に対し,当時,債務国は 2 つ の 方 法 で 債 務 負 担 の 軽 減 を 試 み f こ。)

まず第 l は,旧債を低い金利で借換えることによって,年聞の元利払いを 節約する方法である。この方法をもっとも用いた国はオーストラリアであり,

同国は 1 9 3 2 年 1 0 月から 1 9 3 6 年 7 月までの約 5 年間にわたって対外債務の 4 分 の l以上をロンドン市場で借換え,年間約 3 1 7 万ポンドの利払いを軽減した。

しかし,この方法は比較的に信用力のある債務国に限られており,オースト ラリアなど少数の例外を除いて余り大きな救いとはならなかった。

第 2 の方法は,旧債を安い価格で買戻すことによって債務額そのものを軽

減する方法であり,これはしばしば債務不履行の後におこなわれた。という

のは r 不履行は債権国取引所で債券価格を暴落させ,債務国がその証券を

額面価額の一小部分で買戻すことを可能にした」からである。この方法をも

っともよく用いたのはドイツであり, ドイツはこの方法を用いて対外債務を

(12)

同大戦期における対外債務不履行の経験と国際金融危機 1 2 1  

軽減したばかりか,輸出貿易をも促進させることができた。というのは,

「輸出業者は売上代金の一部を使って外国市場でドイツ債券を安く買入れ,

これをドイツで額面またはそれに近い価格で売却することができれば,外見 上儲けのない価格(低い輸出価格)でも財貨を輸出できた」からである。た とえば, 1 9 3 1 年 1 1 月から 1 9 3 4 年 2 月までにドイツは 7 億 8100 万マルク相当の 証券を回収したが,そのっち 5 億 4900 万マルクは上記輸出代金の一部による 回収であり,この 5 億 4900 万マルクの海外での実際の買入価格はわずか 1 億 8300 万マルクであった。かくて, ドイツは債務不履行によって元利払いの負 担を軽減できたばかりか,暴落した価格で債券を回収するという方法で債務 額それ自体をも軽減したのである。

総じて,両大戦間期における対外債務支払い問題は,戦{責や賠償の支払も 含めて当時の不安定な世界政治・経済情勢にまぎれてきわめてあいまいなま まに終わり,責任の所在が明らかにならないまま自然消滅したといえよう。

む す ぴ

以上,われわれは両大戦間期における対外債務不履行の経験と国際金融危 機の実態を主としてドイツを中心にみてきたが,ここからえられる教訓は次 のようなものである。

まず第 1 は,対外債務問題においては貸手側の責任がきわめて重大で、ある

ということである。両大戦同期のドイツの経験に照らしていうと,第 1 次大

戦後におけるドイツの国際収支構造は貿易収支が↑受性的な逆調で,対外支払

はすべて外国からの資金流入に頼らなければならないという,今日の発展途

上国がかかえている状態ときわめて類似していた。しかし,このような国際

収支構造は 1 9 2 9 年恐慌を境にくずれた。というのは,この年を境にして外国

からの資金流入は急激に減少し,ためにドイツは,賠 { i a { の支払ならびに対外

債務の返済を外国からの借入れによってではなく,輸出余剰の創出という本

来の方法によっておこなわねばならなくなったからである。このためドイツ

は国内においてきびしいデフレ政策をとったのであるが,このことが貿易収

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支を改善させたものの,結果的には失業の増大などドイツにきびしい政治的

・経済的不安をもたらし,ナチズムの台頭を許したことはすでにみてきたと おりである。

このような経験をふまえて現在をみると,貸手である先進国側金融機関は メキシコの危機を契機として途上国への融資に慎重になる反面,対外債務の返 済を確実にならしめるために, 1MFコンディショナリティというきびしい緊 縮政策を途上国側に課しており,このことによって途上国国民の生活は困窮 の度を極め,政治的・社会的不安が広がっていると報じられている。このよ うな状況の中で,中南米 1 6 カ国は, 1 9 8 5 年 7 月 2 9 日,ペルーのリマで「リマ宣 言」を採択し1"輸出の減少および対外債務返済の重圧が中南米諸国の民主 主義と社会全体を脅かしている要因である」ことを指摘し1"債権国側にた いし,債務問題の対処にあたって柔軟かつ現実的な基準を採用するよう」要 求している。先進国側は,両大戦間期におけるドイツ等の経験をふまえ,こ のような途上国側の要求に耳を傾けるべきであろう。

さて,両大戦同期の経験にもとづく第 2 の教訓は,短期借り一長期貸しと いう信用構造のもつ危険性である。 ドイツの諸銀行が,当時,このような信 用構造によっていかに手ひどい打撃を受けたかは,すでに述べたとおりであ るが,第 2 次大戦後の今日,このような危険性は途上国融資の最大の要とな ったユーロ市場がになおうとしている。

たしかに,このよつな危険性に対しては,現在は 1 9 3 0 年代とは比較になら ないくらいリスクに対しての管理システムが整備されてきているといえるか もしれない。たとえば,ユーロ市場に参加する銀行間での再預金システムが そうであり,またユーロ銀行への監督に関する中央銀行間での協定であるパ ーゼル・コンコーダソト等がそうて、ある

16)

しかし,再預金はともかくとして,

両大戦間期にも中央銀行聞の協力はあることはあった。たとえば 1 9 3 1 年 6 月 の米・英・仏の中央銀行および B 1  Sによるドイ、ソへの借款供与等がそうで ある。しかし, これらの中央銀行聞の協力をもってしでも, ドイツ(あるい はイギリス)の進みゆく破局は食い止めることができなかった。すなわち,

いかに管理システムが発展しょっと,短期借り・長期貸しという基本構造が

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両大戦間期における対外債務不履行の経験と国際金融危機 1 2 3  

不可避な以上,ユーロ市場といえども,このリスク自体は免れることができ ない

1

7)のであり,楽観は禁物なのである。

(注)

1  )  R o y a l  I n s t i t u t e   o f  I n t e r n a t i o n a l  A f f a i r s ,  The P r o b l e m  0 1  I n t e r n a t i o

1 I n v e s t m e n t   1 9 3 7 . 楊井克己・中西直行訳『国際投資論』日本評論杜, 1 9 7 0 年 , 2 8 2 頁 。

2  )以下のアメリカの経験についての叙述は, N e i l   J .   Mcmullen ,  H i s t o r i c a l   P e r s p e c ‑ t i v e s  on D e v e l o p i n g  N a t i o n s   Debt ,  L .   G .   Franko &  M.  J .   S e i b e r  e d . ,  D e v e l o p i n g   Count η D e b t .   1 9 7 9 にもとづ、いている。

なおマクマレンによれば,アメリカの対外債務(グロス)の GNP に対する比率は 1 8 3 0 年代に 40% , 1 8 6 9 年に 24% , 1 8 9 9 年に 20% , 1 9 1 4 年に 18% , 1 9 2 9 年 に 8.5% であ ったと推定される。これをネットでみれば,ネットの債務の GNP に 対 す る 割 合 は 1 8 9 9 年に 15% , 1 9 1 4 年に 10% , 1 9 2 9 年に ‑7.9% (これは対外資産が対外債務を上回 っていることを意味している)であったと推定される。マクマレンは,このようなネ ットの対外債務の急激な低下は,開発がつまくいったことの結果であり,アメリカの 金融的成熟 ( F i n a n c i a lM a t u r i t y ) の増大の現われであると述べている。

3  )向井・中西訳,前掲書, 2 9 1 頁 。 4  )同書, 3 0 7 頁 。

5  )王立国際問題研究所は,このため,債務国は財貨とサービスの輸出余剰によってのみ 債務の弁済ができるのだということが,当時,貸付国でも借入国でも一般に理解され ていなかったと述べている。同書, 3 0 5 J t 。

6  )国際連盟「金委員会最終報告書』は新規資本の借入れに代わる債務返済の方法として 次の三つの方法をあげ、ていた。

①  商品の輸出量を増大すること

②  金を輸出すること

③  生¥I.期のクレジットを入子すること

League o f   N  a t i o n s ,  R e p o r t  0 1  t h e   Gold D e l e g a t i o n  0 1  t h e  F i n a n c i a l  C o m m i t t e e ,  1 9 3 2 . 国際連日続消調主委只会訳「全委只会最終報告書』森山書庖,昭和 7 年 , 5 6 頁 。 7  )グスタフ・シュトルパ一九坂井栄八郎訳「現代ドイツ続出史」竹内書問, 1 9 6 9 年 ,

130 I i 。

8  )大 l : l ) 通義「ゥーァイマル共和i!i!J下のドイ、ソ財政」大内力制「国家財政」東京大学出版会,

1 9 7 6 年 , 98U 。

9  )戸 W : : ,98 T t 。

(15)

1 0 )   P .   E i n z i g ,  W o r l d  F i n a n c e  s i n c e  1914 ,  1 9 3 5 . 木村春海訳『大戦後の世界金融史」政 経書院, 1 9 3 5 年 , 2 4 1 頁 。

1 1 )事実 p. アインチッヒは,この短期信用(あるいは短期債務)の増加が両大戦間期 l における金融恐慌の直接の原因の 1 つだったと指摘している。同書,1 6 4 I i 。

1 2 ) クレディットアンシュタルトは大陸ヨーロッパにおけるもっともすぐれた銀行の 1 つ であり,オーストリアの銀行と産業の75% を支配し,チェコ,ハンガリー,バルカン 諸国および中欧諸国の諸事業に参加していたといわれている。同書, 2 3 5 f t 。 1 3 ) 同書, 312‑313 頁 。

1 4 ) 同書, 1 6 2 頁 。

1 5 ) この部分の叙述は,楊井・中西訳, f H t:J舎に依拠している。

1 6 ) この点については,竹内一郎・古西泰制IT' l i j 際金融不安』布斐│札 1 9 8 4 年. ~12 草 I に詳しい。

1 7 ) 同書, 47 頁 。

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